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聖典引用 板
3000
:
a hope
:2014/07/05(土) 00:48:14 ID:cEpBaIdo
(
>>2999
a hope 所感)
ここでは、「天皇の御本体は生滅ある御肉体ではまく、久遠不滅の存在である」理由がとても丁寧に説明されていて、
戦後教育にどっぷりつかってしまっているわたしにもその重大性が伝わってきます。
そして
<<皇位の萬世一系は、ただ、生長の家倫理学によってのみ明らかとなる。>>
<<国体精神を明徴にならしめるもの生長の家倫理学に及ぶものはないのだ。>>
と、生長の家倫理学は、「皇位の萬世一系」や「国体精神」を明らかにすると述べられています。
ですが、一方、「生命の実相」第13巻 (p171〜)の方には、「天皇」や「国体」に関する記述は一切なく、
「人間の肉体(物質)」を例にあげ『物質の否定・棄揚・実相の肯定』の真理が短く述べられているのですが、正直わたしにはその内容はとても分かりにくく、違和感がありました。
おそらく、雅春先生が聖典を執筆されているときは、「神がかり」の状態だったと思うので、
その文章はその時点で完成していて、完璧だったのではないかと思うのです。
ですから、時が流れ、状況が変わって、その内容を変更しなければならなくなった時、
その不都合な箇所を、たとえ、雅春先生御自身が変更されたとしても、
なにかバランス的にちょっとおかしくなってしまうこともあるのかもしれないな、と今、感じています。(あくまでも、わたしの個人的な感想ですが・・・)
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