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聖典引用 板

2087アクエリアン:2013/03/09(土) 10:36:40 ID:ycMJVpl.
■生長の家誌昭和五十一年六月号
谷口雅春先生 法語

善き”未来運命”を創造するために


十八日の法語

ころぶたびに前進している

まことに人生は”七転び八起き”である。現 象はころんだように見えても、その人の魂はこ ろんでいないで、ころぶたびに前進している。 わたしは九州に移転してから曾孫に午前一回、 午後一回、お茶の時間に会うことにしている。 まだ生後一年数ヵ月にしかならない其の幼児は 、一分間もじっとしていないで室の中を走り廻 るのであるが、まだ歩き慣れないものだから、 時々倒れる、けれどもその倒れたことを悲しむ こともなく、にこにこ笑いながら自分で起きる 。彼は倒れた姿勢のときから立ち上がるのに、 どこの筋肉はどのように力を入れれば立ち上が ることができるか、それを自修しつつあるので あり、ついに誰に教えられないでも、絶対に倒 れないで歩いたり走ったりする術を自得し、横 に伏したり、俯向きに臥した状態からどのよう に腕をつっぱり、脚を動かせば直ぐ起き上がれ るかを習得する。彼は幾度も倒れながら、彼は 常に前進しているのである。わたしは、こんな 幼な児の、生命の不屈不撓の精神を讃美する。 イエスは「凡そ、天国に入る者は、この幼児の 如きものである」とわたしのように、また別の 意味で讃美しているのである。

十九日の法語

病気は自己限定によって起る

『愛と光の生活』の91頁には”病気も怠け 者も本当は無い”と題して次のように書かれて いるのである。----------

「神様は善でいらっしゃいますから、悪いもの を決してお創造りになりませんでした。悪いも のを神様は決してお創造りにはならなかったの でありますから、悪いものはあるように見えて も、それは無いのです。病気もあるように見え ても無いのです。あなたがたとい怠け者に見え ていようとも、怠け者のあなたは無いのです。 本当のあなたは決して病気でもありませんし、 怠け者でもないのです。ただあなたはあなたの 心で、病気のように、また怠け者のようにあら わしているに過ぎないのです。それは一万円で あっても五円位きり出さないのと同じなのです 。病気や怠け者は、あるだけの力を出さないで 、一万円を五円の値打ちだと思い間違えている のと同じなのです。」

と示されているのである。
つまり、”人間・ 神の子、無限力”と自分の実相の”本当の健全 さ”を悟ると、自己限定によって生じている病 気は消えてしまうのである。

二十日の法語

運命の三種類について

現在の不幸や病気を運命だなどと考え、自ら の考えによって、その不幸や病気を現象面に固 定させてしまってはならないのである。 だいたい運命には三種類あるのである。

一、根本運命
二、中間運命
三、未来運命 の三つである。

二十一日の法語

人間の根本運命には不幸も病 気もない

だいたい”運命”の”命”という字はイノチ ともミコトとも読む字である。ミコトとはミコ トバ(御言)のことであって、人間のイノチは 神のミコトバが宿っていて、それがわれわれの 人体に運(めぐ)り循環しているので、われわ れは生きているのである。新約聖書の『ヨハネ 伝』に、

「言(ことば)は肉体となりて我らの中(うち )に宿りたまえり。我らその栄光を見たり」( 第一章十四節)

とある。根本運命とはこの一節に録(しる)さ れているわれらの内に宿るところの”栄光”で あるのである。この栄光ある”神の子”として の実相を、”根本運命”又は”根本業”として 、神の像(かたち)の如く、不可視の神の像( かたち)が、可視的像(かたち)をもって生ま れて来たのが人間であるのである。この”根本 運命”として授かって来た”命”をそのまま歪 めることなしに運行せしめて来たならば、人間 はいつまでも本来の完全の相(すがた)にあら われて、病気や不幸はあり得ない筈なのである 。 ”根本運命”というのは、「人間は”神の子” であり、あらゆる方面に於いて完全円満無欠で ある」ということである。これは変わることな き人間の享けた根本の運命である。


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