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聖典引用 板
1985
:
goro
:2013/01/29(火) 09:57:54 ID:nCo1DokU
>>1980
の続き
このような次第であるから、御会見の内容は一切、外部には不明のまま、年月が経過していったのである。当時、巷間には、いろいろな風説が流布されたけれども、誰も、事の真相を知っているものはいなかった。ところが、昭和三十年の夏、時の外務大臣重光葵氏が用務を帯びて、米国に赴くことになり、出発に先だち、お暇乞いのため、那須の御用邸に伺候して、へいかにおめにかかった。このとき、陛下は重光外相に、一つのご伝言を託された。それはニューヨークにいるマッカーサー元帥に対する、陛下のご挨拶の御言葉であった。
そこで重光外相は、九月二日の朝、ニューヨークで、加瀬国連大使を伴って、ワードルフ・アストリア・ホテルにマ元帥を訪問し、陛下の御伝言を伝えた次第であるが、この際、重光氏はマ元帥の口から、従来厳秘に付せられていた昭和二十年九月二十七日、陛下対マ元帥、第一回御会見の内容を初めて聴かされた次第であった。
元来、内容は一切、厳秘に付された御会見のことであるから、爾来、陛下は一切を黙して、一言たりともお洩らしになったことがない。然るに十年後とはいえ、マ元帥が重光氏に、あえて事の真相を物語ったことは、恐らく、元帥自身の世界情勢判断と、且つ陛下に対する深い思慕の情と非常な好意とが然かあらしめたのであろう。
これを聴き知った重光外相の驚きと喜びとは、想象に絶したものであったらしい、同氏は事の正確を期するため、この会見に同席し、マ元帥と重光外相との会話を詳細に速記していたスクリップ・ハワード通信社主ロイ・ハワード氏の速記録と自己の記録とを照合し、帰朝の後、これを邦訳して、九月十四日の読売の朝刊に寄稿した次第。これが、昭和二十年九月二十七日、陛下とマ元帥との第一回の御会見に関する日本人向けの報道の第一報となったわけである。
この第一回の御会見の際、命乞いに来たのだ、とばかり思って、服も改めず、お出迎えもせず、自分の居室で陛下を迎えた元帥が、お帰りの際には、いとも鄭重に玄関先までお見送り申し上げていることは、一体何を物語るのであろうか。数千年の世界歴史の上で、民族の興亡は、いくたびも、いくたびも、くりかえされたが、未だかつて、国民を庇って、身命を捨てる君主のあることを知らなかった元帥が、眼前に立たれる陛下のお姿を熟視して、何と感じたであろうか。自分は、あのとき、興奮のあまり、陛下に抱きついて、キスしようと思った、と重光外相に告白していることは、元帥がいかに、はげしく、感激したか、を物語るものといわなければなるまい。
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