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聖典引用 板

2296ありがとう:2013/05/18(土) 23:44:43 ID:???

   『言葉の力と国民歌の選択』
             (後半部分)


爰に私は大東亜戦争が勃発して間もなく帝國海軍から発せられた標語『敵を倒すまでは死ぬな』と云う言葉に深き思いを致さねばならないと思うのである。死は易く、生は難しである。死すべき時に死せざれば、死後まで末代の恥辱であるが、ただ『死』のみを連想して、『死』を迅(はや)まらしむるような標語を国内に弘めることは避くべきであると思う。

 かの大伴家持の『海ゆかば水漬かばね、山ゆかば草むす屍・・・』の歌は大伴家持の一死 大君の大生命に帰一する純情の名歌ではるが、これを国民歌の如くにして、全国津々浦々に唱和せしむることは『言葉の力』を知る吾らにとっては、余りにもその影響が大なる気持もするのである。

 『真黒けのけ』の俗歌が流行した時には大阪北区に大火があり、『枯れすすき』の俗歌がはやったときには、関東大震災があって東都全体が『枯れすすき』のような状態を呈したと云うことを顧みるとき、『海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草むす屍・・・・』の家持の歌が、まるで国民歌の如く全国津々浦々に流行せる時、恰もアップ島の玉砕の事あり、斯かる相関関係は偶然か否かは大いに考慮しなければならぬ大切な問題であると思うのである。

 あの歌は『大君の辺にこそ死なめ』の純忠の感情はあれども、屍となって倒れることの方が強調されていて、『戦勝』と云う意味も、『敵に勝つ』と云う意味も少しも言葉の中に表現せられてはおらぬ風に響く。それは、出陣の敦盛のような、ただ悉くの者戦死も止むを得ないと云う悲壮な感情が哀調の中に歌われているとも聞える。

 戦争はただ悲壮な戦死を常に歌い、味方の死屍累々を心に描くばかりでは打ち勝つことは出来ないのである。『討ちて止まん』『敵を仆すまでは死ぬな』『敵を仆すまでは死んでも死なぬぞ』と云う強力なる意志と、感情を想望する雄渾な歌詞をこそ国民歌として選択すべきものと思う。

 『先陣訓』の中にも『戦へは必ず勝ち』とあって死屍累々たれとは書いてはない。大伴家持のこの歌があまりにも国民全体に喜ばれているとき、斯くの如き言をなすのは、ひとり異説を唱える者として憎まれ者になる恐れがあるが、『心に描くことは実現する』の唯心所現の哲学もあり、今は國を思うの切なるものあり、味方の死屍を連想せしめ勝ちのものよりも、もっと一億全体を戦勝に駆り立てる勇壮なる歌詞の流行を希うの余り、一言これを為す。寛容の心にて斯かる方面にも今後御考慮を願うものである。

          『生長の家』18年8月号 38〜40p


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