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聖典引用 板

672金木犀:2012/05/19(土) 15:05:26 ID:L0Ei6.zw
『秘められたる神示』 谷口雅春先生

 君民同治の神示

國は人間生命の外延である。それは身體が人間生命の外延であるが如くである。人間生命が神より生れたる神聖なるものであるといふ自覺が、その外延であるところの國をも神より生れたる國であるとの神聖性を要求するのである。この要求が神によってその國が造られたのであるとの神話を創造するのである。しかも人は自己が無にして絶對であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覺を、生命の外延の世界に於ても持つことを要請するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。身體も國も共に観る者(主體)からの反映せられる世界(客體)である。

観る心の要請が身體に於ては脳髄の存在となり、國に於ては永遠の元首なる、無にして絶對であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから來る。即ち観る主體(民)が神聖であるから、観らるる天皇が神聖なのである。観る主體(民)の神聖性が包まれ蔽はれて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽はれて發現しなくなるのは其のためである。今の状態がそれである。人間は自己自身の神聖性のゆゑに神造の國家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。

天孫降臨とは人間自身すなはち民自身が天孫であり、神の子である自覺の反映にほかならない。かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり君は客である。是を主客合一の立場に於て把握すれば主客一體であり、民は君を拝み、君は民を拝む。民を拝みたまふ治は、君を拝むところの事と一體である。治事一體であり、治めると事(つか)へるとは一體であり、君民同治である。天皇は絶對者にましますとは、観る主體たる人間(民)の絕對性より來る。民が自身の絕對性の把握が破れるとき、その反映として國の絶對性と天皇の絕對性とは破れるのである。打ち續く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覺が破れたのが國家大權、天皇大權の一時中斷の形をもって現れたのである。(一二、二八、午後一二時)


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