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聖典引用 板
2914
:
a hope
:2014/06/11(水) 10:06:37 ID:cEpBaIdo
(
>>2913
a hope 所感)
「実相本源の神」とは、「自分自身の実相」のことになるのだと思います。
そして、「神我一体」「自他一体」の真理から考えると、目の前に現れた自分とはかけ離れているように見える人物の中にも、
全て自分と同じ神(実相)が宿っていて、兄弟であるどころか、その人とは一体だということになります。
だから、わたしたちは本来「アチラの神を拝み、コチラの神を拝する」必要はなく、
目の前に現れている人間を、自分だと信じて、神だと信じて、常に拝んでいればいいのですね。
常不軽菩薩のような心になることこそ、生長の家の「実相礼拝」なのだと思いました。
なかなか難しいことだと思いますが、これができた時が大調和の時ではないかと感じています。
そういえば、わたしが入信したばかりの頃(4年前くらいですが)は、出会うと必ず信徒の皆さんはお互いに手を合わせて、
「ありがとうございます」と言って、拝み合っていたような気がします。
最近の生長の家は、どうなのでしょうか?
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