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聖典引用 板

2849a hope:2014/05/16(金) 09:20:48 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p73〜76

「神を愛する」とは神と一体と感ずること

「神は愛なり」「愛の感じは自他一体の感じである」といたしますと、愛の反対は自他疎隔の感じであります。自他疎隔することは、すべてなんに対しても吐き捨てた唾液のように、「あれは自分自身ではない」という感じを持つことであります。

われわれ「生長の家」の家族が「神と一体である、神の子である、神と同体である」と申しますと、「人間が神の子であってたまるものか、人間と神と一体であるとは不遜なことをいう。神は人間の主(しゅ)であり人間は神の僕(しもべ)にすぎない」といって、われわれが「神と一体である」ということを大変謙遜でないといって攻撃される人がありますが、特にそういう攻撃をされる人がキリスト信者に多いのでありますが、キリスト教の開祖はなんといったかといいますと、

「なんじ心を尽し、精神を尽し、思いを尽して主なる汝の神を愛すべし。これ大にして第一の誡(いましめ)めなり。」(『マタイ伝』第二十二章三十七 ― 三十八)

といっているのであります。ここに「主なる」とあるのは、僕(しもべ)に対する主人のような疎隔した意味でいっているのではなく、至高者(いとたかきもの)というような意味の形容でなければならない。だからこれは「いと高きなんじの神を愛すべし、これ大にして第一の誡めなり」という意味であります。


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