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聖典引用 板

2566 SAKURA:2013/09/28(土) 22:42:12 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 肉體・性別は人生劇場の舞台の姿・・・・・ その②

 その一例として、先夜、林芙美子の『放浪記』のラジオ放送の一節がフッと耳に入って
きたのですが…… それは、林芙美子がアパートの部屋代が拂えないで困っていた頃の話
で、彼女を非常に愛していた青年が、その部屋代にと言って無理に置いて行ってくれた十
円札(今なら五千円程度)を、部屋代に費わずに、それ以前に尾道でカフェ―の女給をして
いた頃に関係のあった男に逢いにゆくために費うという筋でした。

 林芙美子はその中で、“とも角、あの人は私を女にしてくれた人なんだ。だから何とな
く逢いたくてたまらないんだ“というようなことを言っています。こうした感情が「女と
云うもの」にはあるものなのです。實際に恋愛を感じていないでも、一編でも肉体関係を
結んだところの男性に対しては非常に心をひかれる。それはどういう訳かと言いますと、
女性というものは生理的に、普通ならば一年間に一人しか子供を産むことができないから
なのです。

 一年間に一人しか子供を産むことができないから、男をいくら変えてみても何の役にも
立たない。結局、ただ一人なる男性、しかもやがて自分が産むべきところの子供の唯一人
なる父親になる男性を願い求める欲求が、自然に「女というもの」の恋愛感情として出て
くるものなのであります。

 恋愛と性慾とは複雑に交錯していますが、人間の性慾というものは、何のためにあるか
というと、これは人間の魂の欲望じゃないのです。聖書にも“我々が霊界へ行っても肉體
的な夫婦関係があるか“と弟子がキリストに聞いたら、”霊界へ行ったら、そういうものは
ない“と答えたとかかれていますが、結局、魂が地上に降りてきて、ある使命を果たすため
の作業服が肉体なのです。その作業服に、男と女の二種類がある。肉体が「女である」と
いうことは、その女の作業服をつけて人生劇場の舞台に現われたというわけになるのです。

 今、女に生れている方でも、必ずしも、毎回女ばかりに生れるわけじゃないのです。現
在男に生まれている人も、やがて、女に生れ変って、女でなければ體験できない體験を積む
ことによって、魂が、それまで知らなかった経験を通して磨かれるということになるのです。

 そういう訳ですから、我々の肉体というものは、人間そのものじゃなくて、人生劇場で
割り当てられた其の配役にふさわしい人間の衣装である。だから、女の衣装をつけて、この
地上に生まれてきたら、女らしく振る舞うのが、神様のみ旨(こころ)である。人生を劇場に
みれば、歌右衛門のように男であっても、女形として舞台に現れたら、女以上に女らしく振
舞うのが名優であると言われるのと同じことです。女と生まれたら、女らしくなければなら
ないのであります。また男に生まれたら男らしくなければならないのです。

                                つづく


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