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聖典引用 板

3061a hope:2014/10/02(木) 19:12:46 ID:cEpBaIdo

(>>3060 つづき)

その後のテキストの文章の謹写を続けます。

p71 後から3行目〜

<<「現象我が本来無いというなら誰に対して道を説くのであるか、宗教というものは本来救われている真我に対して説くのではない、
救われていないところの現象我があるからしてこそ、それに対して道を説くのではないか」
などと「生長の家」の説く「現象我」否定論に反対する人が出て来たような例もありますが、
この「現象我」は、今現にかく考えかく迷っている「我」があるように見えているのですから、
その「現象我(いまのわれ)」を否定することはなかなか了解し難いのであります。>>

ここに、いかにわたしたちが生長の家の『「現象我」否定論』を認めることが難しいかが説明されています。 


テキストでは、その後、釈迦と仙尼のやり取りを会話文で紹介しながら、図解も交えながら今度は五つの段階を追った説で、
世間の人々が、「我」(人生観)をどうとらえているかを詳しく説明しています。

詳しい内容は、テキストを読めばわかると思いますが、その五つの段階を二つに分けると、
現象我のみとめる「唯物論(霊魂を含む)」と真我の存在をみとめる「唯心論」に大別されます。

そして、「唯心論」の中でも最上の「人生観」が、生長の家の「人生観」であると説明されています。
以下に謹写を続けます。

p76 8行目〜

<<然るに(5)の人生観に到って、初めてわれわれは根本的に明朗な人生観に到達するのであります。
この見解は真我独在、実相独在の見解でありまして、現象界を滅して如来というものが初めて出て来るのではない。
現象界は本来無いのであるから、現象界を滅しても滅しなくとも、そのままそこに如来が現前する、
そのままそこに涅槃がある、そのままそこに常楽の実相土があり天国浄土があるというのですから、
すでにその天国浄土は今あるというのですから、これから、いろいろ修行したり、工夫したりするのでありませんから、
こんな明朗な人生観はないのであります。

この第五の人生観、至妙完全なる実相の独在、真我の独在を主張して、
いっさいの現象はありとみゆれども本来無しと観ずる見解が「生長の家」の人生観であって、
この人生観を得てあらゆる現象界の苦を離脱するために逃げる必要もなく、楽を求めるために執着する必要もなく、
「現象の我」は「実相の我」を映して自由自在に常楽に円満に現れてくるのであります。>>


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