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聖典引用 板
1951
:
goro
:2013/01/18(金) 11:14:45 ID:nCo1DokU
>>1937
の続き
私は早速、陛下に式の次第を御説明して御内意を伺ったところ、十二月十五日という式の日取りについて、暫く考えておいでになったが、夜の祭りにさえ差支えが起こらぬならば、他はすべて、それでよろしいとの御意見であった。夜の祭りとは例年十二月十五日の夜には、賢所御神楽の儀という祭事が執行されるので、陛下のお寝みになるのは、どうしても、夜半の十二時を過ぎる日なのである。
御同意と同時に、陛下は二つのことを私に御指示になった。一つは、もし雨が降ったならば、青年たちには遠慮なく雨具を着用させること、もう一つは、ご自身のお立ちになる場所には、たとえ、いかように大雨が降っても、天幕は張ってはならぬということであった。これは明らかに、もし雨が降るならば、青年たちだけを雨の中に立たせてはおかない。御自身も共に、というご覚悟であろう。
陛下の御同意を得たので、分列式の準備は東京府庁の手で着々と進められた。私は宮内省側の主務官を命ぜられ、東京府と連絡して式の準備に取り掛かった。計画の一番の難点は十二月十四日の夜半から十五日の朝にかけて、千葉、埼玉、山梨、神奈川の各県から続々と臨時列車で入京する三万余の集団を、いかように手順よく二重橋前の広場付近に集結させ、定刻に分列式及び奉唱式に参加させるかということであったが、これは予め府から陸軍省に交渉し、今村(均)中佐以下数名の将校の努力によって立派に計画実施された。また式のとき、陛下のお立ちになるところとしては、二重橋前の傾斜地の中央に、四尺ばかりの高さの一坪の台を設けることにしたが、
私は陛下の御指示どおり、係りの者に、いかように雨が降っても、天幕を張ってはならぬ旨、予めよく申し渡しておいた。
いよいよ十二月十四日、準備万端でき上がったが、ただ気にかかるのは天気予報だ。明日晴天なりとは一言も言ってくれない。夕刻に私は式場を一巡したが、玉座には私の指示どおり天幕は張ってなく、ただ白布で木部が巻いてあるだけであった。私は我が家に帰って、お天気の心配をしながら床についたが、十五日の夜明けに豪雨の音で目が覚めた。豪雨も豪雨、近年稀な大雨で、しかも西北の強風にあおられて、雨戸も開けられぬような嵐、庭の木も枝も折れんばかりに、ゆさぶられている。驚いた私は、すぐさま宮内省に急いだ。
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