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聖典引用 板

1653SAKURA:2012/11/21(水) 20:36:54 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  ……    ①

=======【抜粋文】================================
 常に新しくなるものは老いない。老いるとは常に新しくなれないことの別名である。人体の
細胞を切り離して培養し、その培養基を常に新しく取り替えれば、結局人間の細胞は永遠に分
裂増殖して死なないものであることが生物学上の実験によって確かめられたという。人間の肉
体が老いて衰え死するということは、細胞が複雑に組み合っているために、常に新しくなれな
いからであって、必ずしも人間が老衰死するということが運命ではないのである。ただ老衰死
の原因は常にわれらが新しくなれないということが原因である。

 人間の心もそのとおりである、常に毎日新しくなれないものは死につつあるものである。陳
(ふる)びつつあるものである。

 老人が陳腐であるといって人から嫌われるのは、ただ過去の楕力で生きており、過去の楕力
でものを考え、過去の楕力で行為をし、過去の楕力で若い人を推し測るからである。

 過去の楕力で行為されたものは、すでに形骸であって生命はない。これを称して型にはまる
というのである。型にはまっているものは形は立派に見えても、もう屍である。
                            (谷口雅春著 抜粋)
============================================

■【分派の方達…】は「雅春先生の古〰〜イ?本」を、読まれて?投稿されています。…が?
「雅春先生」は、当時は【真理追究…】に、明け暮れていらっしゃいまして、次々に本を、
書かれたのです〜〜〜ョネ!!まるで【小乗経=>大乗経】の様になりますかしら〜〜〜ン?
…そうしますと「雅春先生の書籍本」から見ていきますと“前半”より“後半”の方が、より
理解しやすい表現?ではと…“前半”は難しい言葉が多く、「理解度」としては???
更に!後半の【真理の捉え方…】が、奥が深〜〜〜く!なっていられるのでありますかと?
…これも【お釈迦…】に、例えましても、実に似ています〜〜〜ョネ!

■時代が複雑になり、人間の“心”も複雑で、絡み合っていますから〜〜〜それと同様に、
【真理…探究】も、同じやり方では?果たして…何処まで通用するモノなのでしょうか!!
【仏教。。。】でも「小乗経」・「大乗経」に於けます【真理の方便…】は、より「大乗教の方」
が解りやすく、解説されていますので、一つの【比喩論…】に於きましても、時代の変化に
伴って【お釈迦様の“心”も?変化…では?】そうしますと、これは【進歩…】のみになる
のではないでしょうかと?
 
つづく


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