したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

聖典引用 板

1893goro:2013/01/08(火) 18:34:12 ID:nCo1DokU

 たまたま、その秋、殿下は京都に御旅行になり、京都御所内にある仙洞御所に一週間御滞在になったことがある。京都御所内には数棟の土蔵があるが、その内の一つ、別に目立たぬ普通のお蔵のようであるが。これが所謂東山御文庫で皇室にとっては非常に大切なお蔵である。扉には勅封が施されてあり、毎年秋季に東京から特に侍従が差し遣わされ、開扉の上約一ヶ月かかって内蔵品を曝涼するのが霊となっている。内蔵されているものは御歴代の宸翰、旧記の類である。

 殿下の京都御滞在が、ちょうど、この曝涼期間であったため、一日、殿下はお蔵拝見においでになった。私もお供をしていたため内部を拝見する機会を得たのであるが、多くの陳列品のうち、たまたま私の目にうつったのが光格天皇の御書簡であった。明治天皇より三代前の光格天皇は幼少僅か九歳で閑院宮家から入って継がせられ、御先々代、御桜町上皇(女帝)の並々ならぬ御訓育を多年に亘り受けさせられた次第であるが、御年二十九歳のとき、その上皇に対し、したためられた御書簡がこれであった。別にゆっくり拝読したわけではなかったが、

「仰せの通り、身に欲なく、天下万民をのみ慈悲仁恵に存じ候うこと、人君たるものの第一の教云々」

のお筆の跡に、私は一瞬電撃を感じた次第であった。大江戸城によって天下を睥睨する徳川幕府全盛の時代にあって、三十六峰に包まれた、ここ京洛の地、清くさやけき御所のうちには、人知れず寂かに天下万民をのみ念とせられる御精神が脈々として皇統のうちに流れていた長い年月のあったことを初めて知り、私はおのずから身の引き締まるのを覚えた次第であった。

 右の御書簡の外、色々なお歌等を拝見しているうちに、私は大いに覚るところがあった。東山御文庫に充満する空気は「無私、ただ、くにたみを念う」の一言に尽きる、と私は観たのである。その夜、京都市民の盛大な提灯行列が催され、一群また一群と数万の人々が仙洞御所の御門前を通り、万歳の声は広い御苑内を埋め尽くした。

 殿下は提灯片手に御門のところに立たせられて歓呼の声にこたええられ、私もお側におったが、そのうちに私の両眼から玉のような涙が次から次へと出てきて、何ともしようがない。いくら暗がりでも、あたりの人に余り恥ずかしいので、私は提灯の列を横ぎって反対側の人のいない芝生に逃れでて遠慮なく泣いた。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板