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聖典引用 板
2735
:
志恩
:2014/01/11(土) 07:32:35 ID:.QY5jUA6
💙《無相》について、雅春先生が、説かれておられます。
「菩薩とはあなた自身のことである」
(谷口雅春先生著「日常生活の中の真理・仏典篇」より)
この維摩が菩薩らに道を説くのでありますが、菩薩というのは一体何であるかと言いますと、
観世音菩薩とか普賢菩薩とかいってですねえ、お釈迦さんが居らっしゃった時代には、
神通力をもって自由自在に空中を飛行して、そして釈尊の説法を聴きに来たというような、
そういう神通自在の菩薩もありますけれども、なにもそのように神通自在でなくっても、
菩薩というのはあるわけなんであります。
私の著書に『菩薩は何を為すべきか』という本がありますが、
それの〝はしがき〟のところに、菩薩とはこういう人であると書かれております。
「菩薩とは如何なる人のことであるかといえば、諸君のことである。
自利のためのみに生活せず、利他のために真理を深く研究し、自己の魂を向上せしめると共に、
その真理をもって多くの他の人々の魂の向上に貢献し、幸福を施してやまざる如き人々である。
維摩経に、維摩居士が故意に自己に病いをあらわして、見舞いに来た文殊菩薩に対し
『菩薩は何を為すべきか』について 説くところがあるが、その中に次のような語句がある。
『一切衆生を摂すといえども、而も愛着せざるは、是れ菩薩の行なり・・・・』」
〝一切衆生(即ち全ての人)を摂す〟というのは、自分の心の中に摂り入れる。
つまり、可哀相な人を見ては〝ああ可哀相だ〟と、相手の苦しみを自分の内に摂り入れることで、
悲しんでいる人には〝ああ可哀相だ、あの悲しみを除ってやりたい〟と自分の内に相手
の悲しみを摂り入れることであります。
「一切衆生を摂すといえども」つまり、すべての衆生の苦しみ、悲しみを自分の中に摂り入れるけれども
「而も愛着せざるは、是れ菩薩の行なり」となるわけであります。
愛着して愛に溺れてしまって為すところを知らないで、却って〝可哀相な、可哀相な〟と一緒に泣いてしまって、
そして悲しみの世界に自分も堕ちてしまうのでは相手を救うことができない。
そこで「而も愛着せざるは、是れ菩薩の行なり」と 説かれているのです。
次に『維摩経』にはこう書かれています。「遠離(おんり)を楽(ねが)うといえども、
しかも身心の尽くるに依らざるは、是れ菩薩の行なり」遠離というのは、遠ざかり離れるということです。
すなわち浮世の悩み、苦しみ、煩悩というようなものを遠ざけて、それから離れたいと願うけれども、それでも自分の身心の
尽きない限りは、その煩悩を離れたいと思いながら
煩悩の中に入って人を救う実践をする。これが菩薩であると、こういうように維摩は説いているわけなんであります。
さて次には、「空を行ずるといえども、しかも衆(もろもろ)の徳本を植うるは、是れ菩薩の行なり」とある。
仏教の真理は〝空〟であるという。仏教の言葉では〝五蘊皆空〟と言います。
一切の現象は、現れていながらそのまま無いのである。
空しきものであるというわけであります。だから、〝そんな空しいものに執着して救済するなんて
馬鹿らしいことである〟と、まあこういうように思うかも知れないけれどもですねえ、
しかもその空である現象、結局無常であり、掴んでおっても消えてしまうところの泡沫(うたかた)
のようなものであると思うけれども、
その空の現象の中に・・・
「・・・衆(もろもろ)の徳本を植うるは、是れ菩薩の行なり」
・・・衆の慈悲を行じ、深切を行じ、救済を行じて行くのがこれが菩薩の行であると、説かれているわけです。
さらに進むと、
「💙無相を行ずといえども、しかも衆生を度するは、是れ菩薩の行なり」とも説かれています。
💙無相というのは、相が無いと書いてあるのでありまして、一切の存在は空であるから本来常住の相がない。
そして自分も無我であってですね、〝儂が儂がという儂という者も無い〟
ということを知って、
それを生活に実現するのであるけれど、みんな無い空の空なるものであるからと言って、
衆生を放って置くのでなくって、
衆生をたすけるために夜も昼も休まずに働くのが、これが菩薩の行である。
こういうように維摩は説いているのであります。そして皆さんがその菩薩なんであります。(つづく)
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