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聖典引用 板

3150SAKURA:2014/12/04(木) 22:29:52 ID:???
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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>>3148>>3149 の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その5―【 転載編 ―】*=======**========*

■ある人が、自分を豚の子のように思って軽蔑し、そうして自分の子供をも豚の子の
ように軽蔑していい罵っておったら、その子供が豚の子のように蒲団の上で寝小便
するようになって、親の心が一変するまでは、それがどうしても治らなかった。
それが人の子を「神の子」だと考えていないで豚の児のように考えていた。その考えが
治らなかったからです。

その点を生長の家の講師が指摘して、
「あんたは自分の子供を豚の子のように思っているから、それで寝床に寝小便するので
すよ。そんな豚の子のように人間の子供を軽蔑してはいけない、自分の子供は「神の子」
であるということを本当に思いなさい」と言って諭されたら、その晩から豚の子が本当の
「人の子」になって寝床に小便ををしなくなったという実話がありますが、結局(つまり)、
この自覚が大切であります。

われわれは自分自身が神の子であるということを、ともすれば忘れがちであります。
自分自身が「神の子」であるということを忘れるがために、相手もまた神の子であると
いうことを忘れてしまうのであります。

自文自身が仏であるということを忘れてしまうから、相手もまた仏であるとうことを
忘れてしまうのです。そういうことでは本当に自分を愛することもできなければ、
他をも愛することができない。

それでは
「己を愛するがごとくに隣人を愛せよ」
あるいは「己を愛するがごとく神を愛せよ」という教えを守ることができないことに
なるのであります。

 それでですから、本当に自分を愛するというのは、自分自身を最も価値あるものに
すること、自分自身を最も高き価値まで繡(たか)め揚げるということにほかならな
いのであります。

では、自分を最も高き価値まで繡め揚げるとは、いったいどうすることであるかと
申しますと、必ずしも学校で一番の成績をとるということではないのです。
自分が「神の子」になり、「仏」になるということである。

すでに「神の子」であり「仏」であるところの人間の実相(ほんとのすがた)を、
「今」自覚すること――これがいっさいの信仰の、いっさいの道徳の中心になり、
出発点になるのであります。

キリストは聖書の中で「神の子」というところを「人の子」といって両語を混雑して
使っていますが、これは、本当に「人の子」は「神の子」であるという自覚からくる
のです。

自分が神の子であり仏であるということを知らなければ、すべての道徳は中心を失い、
柱を失ってしまって、どうしてよいかわからなくなるのであります。

 ―その5―に続きます。
❤〜SAKURA


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