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聖典引用 板

3075a hope:2014/10/20(月) 15:38:16 ID:cEpBaIdo
>>3074つづき)

特別に神縁深くしてこの宗教に触れられたのは、聖書に「天使たちを遣わさん」と預言されたる如く、
ラッパによって先ず引き寄せられ、此処に集まることになったので、皆さんが天使(てんのつかい)たちであるからである。
「この使命因縁と云うものを、心に絶えず銘記して」と書いてありますように、
此の尊い得がたい使命因縁を心に深く刻みつけて各人の本分に応じ、力量に応じ各人の生活と家庭と職業と地位立場を悉く機会として、
皆さんがこの生長の家を弘めようと思ったならば、何処かに行って講師として喋れなければならないかと云うと必ずしもそうではない。
自分の生活している「場」と云うものが、其処が即ちそのまま生長の家を弘める所の与えられた一つの「場」になっているのです。

まず家庭です。
皆さんの家庭がよくならない様な事では生長の家の教えも駄目だと言われます。
「あの家庭を見よ。あの人はこの頃生長の家に入って気狂(きちが)いみたいにやって居るけれども、
家庭を見たら一向よくなっとらんじゃないか」と言われるようでは、生長の家を弘めることにはならないのであります。
却って生長の家の悪宣伝をして居るようなものです。
大体「家庭で喜ばれる様な人にならぬと、本当の生長の家人ではない」と言われているのであります。

それは家庭の人と云うものは、その人について何でも皆知っているのです。
背中にホクロのあることまでちゃんと知っているのです。
自分には背中のホクロは判らんけれども、家族は背中のホクロ迄知って居るのです。
その位にみんな知って居るのですら、その総(す)べてのものを知っている家族が、
「ああうちのお父さんは近頃生長の家に入って素晴らしくなった。大変よいお父さんになった」と言って感銘するようになったり、
或いは「自分の息子は生長の家に入って大変よくなった。矢張り生長の家は素晴らしい」
と自分の息子ながら誉めずにおれなくなったり、
良人から見て、「自分の家内は近頃生長の家に入ったらすっかり変ってよくなったから、
ひとつ生長の家とはどんなものか、読んでみてやろう」という気持ちが起こる様になれば、
その人は家庭に居るだけでも、既に立派にこの教えを弘めているということになっているのです。

そういう状態が職業に於いても、どんな地位においても、現れて来ることが必要であります。


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