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聖典引用 板

1980goro:2013/01/27(日) 12:27:32 ID:nCo1DokU
>>1979

非常によく晴れた秋の日暮れ、夕日がお庭の松に照りそっていたが、天を仰いで、おっしゃるには、わたしが悪いのだよ、どうすれば政治家の堕落が防げるであろうか、結局わたしの徳が足りないから、こんなことになるのだ。どうすればよいと思うか、とお尋ねになる。このお尋ねをうけても、つい先程、持ち前の対立感から、いささかなりとも痛快味を覚えた私ごとき者に、何とお答えができよう。あふれる涙を抑えて、ただ無言でお室を退出したことがあった。この時の記憶は、あまりにもあざやかで、今でも秋の非常によく晴れた夕暮れ、空を仰ぐと、ときどき、このことが思い出される。

こういう深刻な記憶を胸に焼き付けた、この私が、敗戦後、再び陛下のおん許に帰ってきたのだから、お胸のうちの、おつらさは、よく判るのだが、なぜ、話題が天皇責任論にふれるのをお避けになるのか、その理由の真相は、これを知る由もなかった。私がこれを知ったのは、ずーっと後のことである。私は二十一年に退職し、二十五年以来、荒廃した二重橋前の広場の復旧整備を志す皇居外苑保存教会の仕事に引き続き今も従事しているが、ちょうど昭和三十年の九月十四日の朝、何気なく読売新聞を開いてみたら、その第二面に大きな見出しで「天皇陛下を讃えるマ元帥」という重光外務大臣の手記が掲載されていた。

これを読んでいるうちに、私の胸のうちには感謝感激の情が潮のように高鳴ってきた。それは、終戦以来、私が心ひそかに、求めていた、あるものを、遂に発見したからである。それは何であったか、これは、日本にとって最も大事なことだが、日本に憲法があるとなしとに拘わらず、また、憲法が天皇の御地位に関して、いかような規定を設けようとも、天皇は、日本国民の運命に関しては、皇祖皇宗に対し更にまた上天に対し、絶対の責任を自覚せらるるおん方である。とする私の考え−少なくとも数年間、側近に奉仕した私としては、かく考えざるを得ない−が現に正確な史上の事実として、ここに明らかとなったからである。

終戦処理上、陛下が、いかようなお覚悟を以って、いかような事をなされたか、そして、これを何故に黙秘して、近侍の者にさえ、一言もお洩らしなされなかったか、このことの顛末が、詳細明らかになると共に、あの無遠慮な天皇責任論の横行時代に、敵将との約束を固く守って、一言の説明もなさらず、堪えぬいて来られた、そのおつらさ、その御苦労を拝察して、ただ、ただ、陛下、本当にありがとうございました、と心からお礼を申し上げるより他はなかった。

陛下が、日本占領軍の総大将マッカーサー元帥と初めてお会いになったのは、昭和二十年の九月二十七日のことで、場所は東京のアメリカ大使館内のマ元帥の室であった。この御会見は、会談の内容は一切厳秘に付する堅い約束の下に行われたものであるから、マ元帥は幕僚も遠ざけ、只一人。陛下も通訳一人のほか、何びともおつれにならず、真に一対一の御会見であった。


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