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聖典引用 板
3015
:
a hope
:2014/07/09(水) 09:55:14 ID:cEpBaIdo
(
>>3014
a hope所感)
こうしてみると、確かに「生長の家」の教えは「物質なし」「肉体なし」の教えですが、
決して、現象に現れている物質や肉体を軽んじていないのがわかります。
また、天皇に関しては、
>>3001
<<天皇は本来神聖にましましてその御本体は無量智であらせられるが故に、未だかつて如何なる奸侫(かんねい)の臣下(しんか)にもお惑わされ遊ばしたこととてはないのである。
古事記下巻などに描かれている 天皇の神聖をけがし奉る如く感じられる事実は、事些細なことといえども 天皇の御本体に関することではないのである。
しかし、御肉体は御表現であらせられるが故に、それは鏡の如きものである。
鏡は一切のものを映すが故に、国民が迷えるときには国民の迷いを反映し奉って、陛下の御悩(おんなやみ)となって顕れることもあるのである>>
と説明されていて、国民の心を映す鏡のようなものだと説明されています。
日本の国土においても同じだと思います。
これは、小さく見れば人間同士や人間と物質、つまり、ひとりの人間とそのまわりの環境においてもやはり同じなのではないかと感じています。
対峙する人が悪人に見えれるようであれば自分の内に悪を見る心があるからであり、
対峙する人が迷っているように見えるのであれば自分の心が迷っているからであり、
また、まわりの環境が自分にとって良くないものであると感じるのは、自分の心が良く整っていないからとなるのだと思います。
つまりその真理が「三界唯心所現」あり「心の法則」であり、それを、教えてくださっているのが周りの人々であり環境であるから、だから観世音菩薩さまなのですね。
うーん、わたしはこの真理は、理屈としてはかなり納得いっているのですが、現実に自分が悟っているかというと、???です(笑)
神想観をして、自覚を深めたいです。
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