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聖典引用 板

3335志恩:2016/12/23(金) 07:41:58 ID:6hRUvSRg
(榎本恵吾先生 文書より)

(9)た た み

<平成11年8月 内報『宇治』123号より〉

あれは中学校の終わりか、高校のはじめ頃だったか、学校から帰ってくると、仏壇の前で母が神想観をしていたのである。
その時母は、「如意宝珠観」をしていたのであった。

一寸首を右の方にかしげるようにして、にこやかな表情をしてとても明るくて、やさしくて小声で「住む人悉(ことごと)く身健かに、
心美しく、相(すがた)形(かたち)美(うる)わしく、和顔愛語讃嘆に満たされたり」と唱えながら、ますます口元に柔らかさがにじみ出てくるのであった。

 それは、一瞬の間に眼に入ってきた姿であったが、その時「神想観とはいいものなんだなあー」という明るいものが私の腹の中に収まったらしいのである。
そして、「如意宝珠観」が大好きになったのである。

それから、高校一年の秋に青年会に姉が誘ってくれて入って、大学浪人二年目の四月に飛田給と宇治の一般練成を受けた。
練成会中、私が一番関心を持ったのは、神想観の先導者が座る四角のたたみであった。「あの上で神想観をすればいいだろうなあ」と
来る日も来る日も思ったのであった。

うちに帰ると、早速それと同じものを作ってもらったのである。青年会の先輩の竹内憲仁という人が、畳屋さんであったことも好都合であった。
竹内さんは喜んで作ってくれた。それからというもの、憧れのそのたたみ半畳分のその上で、私は神想観をしたり、
聖典を拝読したりしたものであった。

それは、もう四十年以上も前のことになるが、郷里の紀州でまだ熱心に生長の家をやっておられる竹内さんが、
六、七年くらい前だったか、丸い形のうすべり(円座)を送ってこられて、幽斎殿の正面の台座の上にでも置いて下されば
うれしいと寄付してこられた。

私は今、毎日その畳の円座の上で神想観をさせて頂いているのである。“そういえば、母のしていたのも龍宮観とも言われる
「如意宝珠観」だったなあー”と、
いろいろなことを重ね合わせて  神縁とか、運命とか、使命とかのことを思って、感慨をかみしめているのである。


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