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聖典引用 板

3181SAKURA:2015/01/22(木) 19:22:11 ID:???
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 皇室および一家の祖先を礼拝せよ ―その1 ―【 転載編 ―】*=======**========

  ■われらは生命は永遠なるを信じ、毎朝、皇霊を遥拝し奉り、次いで一家の祖先の
霊魂を祀れる祭壇または仏壇の前に座してその冥福を祈願し、かつ自己の生命も永
遠なれば常に若く愉快に青年のごとく生きんことを期す。■

■このわれわれの生命が永遠なる存在であるということは、生長の家の真理の根本を貫く
ところのものであります。これがハッキリわからなければ「皇霊を遥拝し」ということの
意儀もわかりません。皇霊を礼拝するということも虚礼ではありません。

いろいろの批判はあるにしても、われわれ日本人は日本国の歴史を通して「今の」一点に
生きているのです。そしていろいろの日本国の興隆不沈はあったにしても、どんなときにも
日本国が動揺せずに、ここまで日本民族が発展してきました不倒翁(おきあがりこぼし)の
重心のごとくドッシリとして、その中心からどんな時にも日本国が立ち直ることができた重
心は天皇がましましたからであります。

われわれは歴代の天皇のこの御恩沢を忘れてはならない。
恩を知るということが実践道徳と実践宗教との中心になるのであります。だからわれわれは
歴代の皇霊に対して崇敬の誠を捧げるのであります。


 仏教では霊魂という言葉を使わないのであります。それで、「生長の家」で霊魂というよ
うな言葉を使うと、それは仏教と衝突するといって反対なさる方も時にはあるのであります。

しかし仏教では「霊魂」という言葉を使わないけれども「神」という言葉を使う。『無量寿経』
にも釈迦が兜卒天宮(とそつてんぐう)より降ってこの世に生まれることを「兜卒天に処して
正法を弘宣し、彼の天宮を捨てて神(たましい)を母胎に降し、右脇より生ぜり」とあります。

この「たましい」という字は「神」(じん)という字を書いています。このように仏教も有霊魂論
なのですから撲滅しないでよろしいのであります。一昨日でしたかラジオで、誰かが日蓮上人の
遺文録の講義をしておられた時に、ふとスイッチをひねったのであります。

めったにラジオのスイッチをひねったことはなかったのですけれども、その時なんだかひねって
みたくなって聞きましたら、その中で、日蓮上人が竜の口で斬罪に遇うところの講義に「自分は
たといこうしてここで斬罪に遇って死んでも、魂獏この世に止まって云々」ということを日蓮上人
が言われたそうです。

それはなんでも『開目鈔』にある言葉らしいのですが、確かに「魂魄」というものを日蓮上人は
認めておられた。これはやはりわれわれのいう「霊魂」の異名なのであります。
また仏教では霊魂という言葉を使わないで、「有」という字を使うこともあります。

                        つづく
❤〜SAKURA


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