[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
聖典引用 板
1802
:
ハマナス
:2012/12/12(水) 23:24:10 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
ありがとうございます。
医者と薬をアクセサリーとする勿れ (『新版 生活の智慧365章』P.311)
一寸とした病気にも医者にかかることを、裕福な経済力ある家庭の名誉の如く考えてはならないのである。
なかには医者に罹っていないと、何だか頼りないような気になる婦人もあると云うことである。そうなれば
病膏肓(やまいこうこう)に入ったわけで、医者に罹ることや、薬剤をたしなむことが、一種の生活の装飾
となり、アクセサリーとなるので、それがなければ淋しくなり、淋しくなった時分に病気にかかり、医者に
罹って薬を飲んでそのアクセサリー欲を満足すると、その病気が恢復するのである。
若し人がこのような状態に陥るならば、それは正に“知恵の樹の実”をたべたアダムとイヴとになって
しまうのである。これらの人はインテリではあるけれども、自分の食った知恵に縛られて自由を失った状態
になっているのである。即ち「エホバ神アダムを召(よ)びて之に言いたまいけるは汝は何処におるや」と
言うようになるのである。最早かれの心は「神の国」にはいないで、迷いの国にいるのである。「エホバ神
彼をエデンの園よりいだし其の取りて造られたるところの土を耕さしめたまえり」(「創世記)、第三章」
と云う楽園追放の状態になるのである。「土」とは物質の象徴であり、唯物論的人生観を耕して、乏しき
世界に悪戦苦闘をしなければならなくなるという意味である。
感謝合掌
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板