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聖典引用 板

2926a hope:2014/06/18(水) 10:18:08 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆

「生命の實相」第13巻 p142〜

悪は実在しない

「悪しきもの」は「価値がない」、「あるものは必ず価値がある」「価値の本体はあるということである」だから、「価値がない」ということは本来存在しない、あるいは本当にあるものが現れていないことである。

ここまでわかれば釈迦の説かれた――「まことに『怨み心』をもってしては、怨みをとくことができない。『怨まない心』のみ『怨み』を解くことができる」といわれた本当の意味がわかるのであります。

憎む、腹が立つ、怨めしい!ああしかしながら、「悪」は恕(ゆる)さなければならぬから、恕してやりたいと、そんな心構えでは怨みは解くことはできないのであります。

実在の世界は善のみであるから、恨むべきような悪があるがごとく見えても、そんなものは無いんだ、ただ愛のみ実在であるから、彼は自分を愛し、自分は彼を愛している、これのみ本当にあると、これのみ実在であると、それのみを念じておりましたら、実在は「念」を表現の媒体として顕現してくるものでありますから、怨み憎しみは消えてしまって、本当にある愛の生活のみが顕現してくるのであります。

『甘露の法雨』に「仮想(かりのすがた)に対しては実相を以て相対せよ」とあるのはこれでありまして、これが「生長の家」の倫理学および教育学の根本になるのであります。


ともかく倫理学とは価値の学問であり、教育学とはその価値を引き出す学問であり、価値とは値打であり、値打は、有るという実相からくる。

そこで「ある」とは一体なんであるか、世界は見えるとおりにあるのではあるか、世界は「物質」でできているのであろうか、「心」でできているのであろうか。

今しばらくその点を再論してみたいと思います。


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