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聖典引用 板

1784さくら:2012/12/09(日) 20:53:38 ID:e8ieIrPA
『藭ひとに語り給ふ』 
                谷口 雅春 先生   

「              萬教歸一の藭示  

われに姿かたちあるやうに言ふものあれどわれは姿なきものである。われは道(ことば)である、われは靈性である、智恵である、愛である、生命である。われは如来である、われは一つにして多である。信仰深き諸方のわが藭姿を示したることあれども、そはわが眞の姿に非ず、見えたる藭姿は靈覚者の心識の所現に非ず。そは、われ藭通力によつて、疑う者の蒙を啓かんがために、異る場所と異る人とに同じき一定の藭姿を示して、藭の客観的存在を實証したにすぎない。

されど、本来われに一定の藭姿はない。如何なる姿も欲ひのままに現ずることが自由である。されば、嘗てわれ汝に告げたのである『吾に藭殿は不要である』と。われは藭殿がないとて身の入れ場所に困るやうな藭ではない。供へ物も要らぬ。わが姿を見んと欲がうものは『生長の家』を讀め。われは言葉である。吾が言葉を盛る雑誌こそ吾が藭殿である。この雑誌をひろがるのこそわが藭殿の大きくなることである。われにすがた形はない。われは靈の海である。大海原である。すべての宗教流れ来たりて吾に入らん。吾は完成する者である。われは『七つの燈臺』に燈を点ずる者である。古道も、佛教も、キリスト教も、天理教も、金光教も、黒住教も、大本教も、すべての教我に流れ入りて生命を得ん。

われは大いなるものなるかな。すべての教を呑吐して、これに生命を與へ、すべての相争ふ教をその眞髄に於て握手せしめる。吾れはすべてを包容し、すべてに光を與へ、すべてに栄養を與へ、すべてを生かす地下水である。他の如何なる宗教をも誹らず批たず、常に讃事と、善き言葉とを雨ふらして、それを浄めその眞髄に燈を点ずる。あらゆる宗教がその眞髄を禮拝して手をつなぐやうにならねば此の現實世界の改造は完成せぬ。精藭界が先で現實界はその影である、元亂れて影完からず、宗教家よ、宗派争いをしてゐる時ではない。

(昭和六年四月五日藭示)」


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