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聖典引用 板
2006
:
さくら
:2013/02/04(月) 07:30:12 ID:y2p6rnoM
「自他一體の神示」 谷口雅春先生
『生命の實相』を讀んで自分だけが眞理を悟つてそれで善いと思ふものはまだ“生命の實相”を悟ったものではない。
眞理は自他一體のものであるから、ひとに傳へるとき、其處に『結び』の力が發現するのである。
『結び』は愛の力、慈悲の力、神の力、佛の力である。
これを日本古道ではムスビ(産靈)と言ひ、ムスビによつて醸生(神)の力、即ち生々化育の力が發現して来るのである。
だから『生命の實相』に書いてある通りのことを病人に愛の心で話してあげれば、ただ、話をするだけで病氣が治るのである。
話が下手なら『生命の實相』の中で『光明の眞理』のところを、本の由来を話してから讀んで聞かせてもよい。
神の道では『結び』の反對『切る』ことを最も厭ふのである。
怒つたり、審判いたりするのでは心で切るから善くない。
離縁、背信、忘恩、不忠、叛逆等がすべて善くないのは人と人との間を切るからである。
『神』は『道』であると云ふのも『道』と云ふものは離れてゐるものを結び合はす働きがあるから『道』即ち神である。
結び合わす働きがなくて、審判く働きばかりあるものはどんな善人でも神に遠い。
一人の男子が縁あって一人の女性と結ばれたならば再び離れるのは『道』ではない、それを圓く結んでやるのが道である。
神の道を知り『生命の實相』を知ると云ふこともその道びきになる人々の間には深い因縁があることであるから、橋掛けになつた人の恩を忘れてはならぬ。
自分はもう神と直取引が出来るから、橋掛けになつた人の恩は忘れても良いと思ふやうな人は、自分はもう神を知つたから神に背いても好いと云ふのと同じく不合理である。
『生長の家』を知らしてくれる人は其の人にとつて天の使ひであるから何日までも恩を忘れてはならぬ。
日本人は忠孝一貫恩を忘れぬ國民であるから強いのである。
今度の戰ひは國民の魂の質から言へば知恩と忘恩との戰ひ、『結び』働きと、バラバラに分離する働きとの戰ひである。
バラバラに分離する働きは結局自滅して『結ぶ働き』が世界を統一する。
醫學て大和の醫學は結合の醫學であるが外國の醫學は分析の醫學である。
『生命』は綜合の統體であるからバラバラの醫學では解らぬ。
(昭和七年二月四日神示)
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