[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
聖典引用 板
2509
:
志恩
:2013/09/01(日) 03:15:55 ID:.QY5jUA6
(谷口雅春【著】:『新版 生活読本』より)
愉快な 生々した人になれ
何よりも吾々は 人らしい人 になることが必要なのです。
神の子の生活と云うのは 別に人を離れて 神の子の生活があるのではございません。
それでは 人らしい生活と云うのはどういう生活であるかと云うと、
お釈迦さんは、「笑うべき時に笑わず、歓ぶべき時に歓ばず、
慈心(なさけごころ)を起すべき時に 慈心を起さず、悪をなして恥じず、善を聞いて意(こころ)につけない人は
確かに人らしくない人である。」
そして又こう云われた。
「笑うべき時に笑い、歓ぶべき時に歓び、悪をなして恥じ、善を聞いてそれを意に感銘する者は確かに人らしい人である。」
愉快に楽しく生々していることは、確かに人間にとっての美徳であるのである。美徳と云うのは美しい徳だと云うことである。
徳と云う字は「直心(じきしん)を行ず」と云うことを文字に組み合わせたものである。
直心と云うのは、素直にそのままの心を出すことである。
即ち笑うべき時に笑うことである。
歓ぶべき時に歓ぶことである。なさけの心を起すべき時に、素直に可哀そうだと思って救(たす)けてやることである。
歓びと云うものは、身体の血のめぐりをよくし、
勉強や仕事をする力を増し、悲観したり、気がふさいだりしている人にはとても及ばない良い考えを起させてくれるものである。
日本人は、古くから、「喜怒、色に現わさず」と云って、喜びがあっても喜ばない、怒りの念が起こっても其の怒りを
顔にあらわさないことを美徳としてきましたが、これは大変な間違いだったのです。
多くの病気は、心の中に持っている喜びや悲しみを形にあらわさないために起こるのです。
怒ることは感心しませんが、素直な気持ちで、何でも心に思っていることを出すようにしていますと、心にものがたまって
腐ることがありませんから、怒ることも自然になくなるのです。
何でも心を自由にしていると人間の実相は愉快なのが本当ですから、愉快に楽しくなるほかはないのです。
常にニコニコ微笑している者は身体も達者であります。
微笑とは「ほほえみ」です。
「頬」に何となく嬉しさの笑いが浮かんでいることです。
「ニコニコ健康法」を機会ある毎におやんなさい。
人間は愉快なときにも笑いますが、笑っていると愉快になるのです。笑っているとズンズン健康になってくるのです。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板