したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

聖典引用 板

2411SAKURA:2013/07/10(水) 19:08:20 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382>>2386>>2387>>2395>>2396
>>2399>>2403>>2404の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□ 第一章     信仰
―――――― 人間が 「肉体」でない話   ―――――  その①

人間とはいったい何でしょうか。
この一米余り五十キロ程の肉のかたまりが人間なのでしょうか。

もし、人間が単なる肉のかたまりならば、あの、肉屋の店頭に並んでいる、牛や豚の固まりと
同じように、何日かたったら、次第に腐って行く筈です。しかし、私達のからだは牛や豚のよう
に腐ったりはしません。何故でしょう。
 
それは、私達のからだには「生命」が宿っているからです。
 牛や豚の固まりには「生命」がない。すると人間の「肉体」は、「生命」の “いれもの”かも知れ
ません。そうです。「肉体」とは人間の「生命」のいれもの、つまり「箱」のようなものであります。

「箱」と「中味」と、どっちが主体かといえば、それは「中味」にきまっています。
 
即ち「人間」とは「肉体」のことをいうのではなくて「生命」のことをいうのです。
 言葉をかえて言えば「霊」とも言えます。
 
ところで、本当の親子、というのは、どういう親子のことを言うのでしょう。
それは、「肉体」と「肉体」との間につながりのある、つまり母親の子宮の中の胎盤と、子供のおへそ
とが、へそのお(臍帯)でつながっている、或いはつながっていた、親子のことを言うのだと思います。

 それなら、人間は、何でつながっているのでしょう。
 さきにのべたように「人間」は「生命」であり、「霊」であるならば、「人間」のつながり
もまた、「霊」のつながりと言えましょう。

  さて、 「霊」とは一体何のことでしょう。

「霊」とは、すべてのもののうちなる本体をいうのではないかと思います。一切のものに
宿っている、そのものの本体が「霊」であるとしたら、それは、どうやって形に現れるのでしょう。

 見ることも、捉えることも出来ない「霊」。それは「コトバ」となって現れます。
「はじめにコトバあり、コトバは神と偕にあり、コトバは神なりき」
「すべてのものこれによりて成り、これによらで、成りたるはなし。これにいのちあり」と、
聖書に書いてあります。

 一切のものが「コトバ」によって成る、即ち「霊」とは言いかえれば「コトバ」であることが
これによって判ります。

 つまり、「人間」とは「霊」であり「コトバ」であります。だから、人間と人間の関係も、結局は、 
「コトバ」であるというわけです。
                           つづく

PS: 「管理人 トキ様」 へ  「観覧者の皆様」へ
■【コトバ…】即ち【霊…】と言いますのは?正直な話……此処最近私自身も“自覚”する事と成りました。
しかしながら思いますに〜〜〜ここ4〜5日間の“オフ…”にての皆様の投稿は〜〜〜
感心させて頂きます位の【悪口…ネガティブなあらを探しての投稿】を、拝読させて頂きました。

これって「コトバ…=霊」としますから、当に【悪魔…囁き】になりますのでしょうか??

現代社会では「人々の心に光…」それを少しでも与える事と致しますと…
「ポジティブなコトバ = 真理そのモノ」ではないのでしょうか?【悪口論争…】の前に「真理…」かと!!

                           再合掌


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板