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聖典引用 板
2695
:
a hope
:2013/12/08(日) 13:45:50 ID:/9IAdiFk
「生命の實相」第39巻 佛教篇 P20 9行目〜
…釈迦が弟子のところへ行かれたら弟子が熱病を患っていた。そこで釈迦は、お前にかつて教えてやったところの悟りに至る七覚支(かくし)というものをもう一度暗誦してみよ、こうその病弟子に言われた。弟子の比丘(びく)はそれを再び暗誦してみたらたちまち病気が治ったということが『阿含経』(あごんきょう)に見えている。
これを釈迦が神通力に秀でておいでになったのだと、こういうふうに考えるのは必ずしもまちがいでありますまいが、実はその比丘が病気になっていたのは、それは今まで悟りに至る七つの道を忘れておったからなのです。ところが釈迦がもう一度それを思い出して暗誦してみよ、こう言われて、その弟子が暗誦してみると、病気が治った。
これは生長の家で「『生命の實相』を読みなさい」と言うのと同じであります。比丘に対して、「暗誦してみよ、もう一遍口に出して言ってみよ」と言われると、弟子はすぐ謂えたから記憶にも確かに残っていたにちがいないのですが、それが明瞭(はっきり)と意識の上に出て来なかったために迷って病気になっていたのであります。
それで真理の書物はそれをお読みになって、その真理がよく解ったとしましても、それをもう一つ言葉に出して復誦するというところに、そこに本当の言葉の力というものが出て来るのであります。これが真言(しんごん)の力であり、あるいはお題目の力であり、阿弥陀仏の名号(みょうごう)の力であり、写経の力であり、言葉の力であり、言葉によって自己に内在する仏を招(よ)び出すということになるのであります。…
(途中もとても重要な内容であると感じていますが、中略させていただきます。)
P 24 8行目〜
…それでわたしは、「何よりもまず『生命の實相』をお読みなさい。再読または再読飽くまで真理に徹してください」とこう申すのであります。八回であれ、十回であれ、反復熟読してくださいましたならばおのずから悟るところがあり、その心境に従って病気その他いっさいの現象的不幸も自然自消(しぜんじしょう)することになるのであります。要するに現象界は遷(うつ)り変わる波の相(すがた)でありますから、悟りによって善き波を起こすことが必要になるのであります。…
以上 謹写 終わり
感謝 合掌
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