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聖典引用 板
1971
:
さくら
:2013/01/25(金) 07:48:41 ID:e8ieIrPA
『自然流通の神示』 谷口雅春先生
『生長の家』は奇蹟を見せるところではない。
『生長の家』は奇蹟を無くするところである。
人間が健康になるのが何が奇蹟であるか。
人間は本來健康なのであるから、健康になるのは自然であつて奇蹟ではない。
『生長の家』はすべての者に眞理を悟らしめ、異常現象を無くし、當り前の人間に人類を歸らしめ、
當り前のままで其の儘で喜べる人間にならしめる處である。
あらゆる人間の不幸は、當り前で喜べない爲に起るものであることを知れ。
當り前で喜べるやうになつたとき、その人の一切の不幸は拭ひとられる。
病氣もなければ、貧乏もない、また搾取された富もなければ、搾取した富もない。
蹂躙られた弱者もなければ蹂躙つた強者もない。
唯、一切が渾然として一切の者が富んでゐる。
此れが實相である。
大いなる生命の流れが一切者に貫流し、とどまらず、堰くところなく、豊かに流れて、ものの供給もおのづから無限である。
一切のものが必要に應じて流れ入ること、一つの大河の流れより水を汲みとれば、隣の水來りて其の虚を埋めるのと同じさまである。
流通無限、貧に執せざるが故に貧とならず、
富に執せざるが故に他を搾取せず、
流通せざる固定の富なきが故に、みづから豊富なる供給の流れを受くれどもそれを占據せず、執着せず、來るに從つて拒まず、受けて更に價値を増して他を潤す。
自給自足などとは自他に捉われた狭い考へである。
自他は一つである。
『生長の家』は自給他足、他給自足、循環してとどまらず、大實在の無限流通の有様を見て、その有様の如く現實世界を生きるのが現實界の『生長の家』である。
貧に執する聖者も、富に執する富者も、『生長の家』人ではない。
當り前の人間を自覺し、當り前に生きるのが『生長の家』の人である。
『當り前の人間』が神の子である。
皆此の眞理を悟つた人が少い。
『當り前の人間』のほかに『神の子』があるやうに思つて異常なものを憧れるのは、
太陽に背を向けて光を求めて走るに等しい。
皆の者よ、人間の生命の實相を悟つて病が治るのは、病念と云ふ異常現象が止んで、人間が本來の自然に歸るからである。
異常現象はすべて病氣の一種である。
貧しさも異常現象であるから、人間の心が自然に還ればなほるのである。
異常現象のなかに神があると思ふな。
そこには好奇を喜ぶ不自然な心があるばかりである。
怒り、憎しみ、恐れ、嫉み、他を蹂躙つて打ち勝ちたい心ーーーすべて是等は異常な心であるから病氣の因である。
異常な心を去れば病氣も貧しさも治る。
當り前の人間になることが大切である。
當り前の人間のほかに神の子はない。
(昭和八年一月二十五日神示)
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