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聖典引用 板

1973goro:2013/01/25(金) 13:23:04 ID:nCo1DokU
>>1969

天皇とその御責任

戦後、私が皇后宮大夫兼侍従次長として、再び両陛下のお側にお仕えするようになったのは、昭和二十年の十月のことであった。思えば、昭和五年侍従兼皇后宮事務官の職を離れてから十数年ぶりで、その間、私は、宮内大臣官房秘書課長、総務課長、内匠頭、帝室会計審査局長官と、いろいろな仕事に従事したが、久しぶりで侍従職に帰ってみると、往事とは事情が一変しているのに気がついた。長年の間、君側にあって、常時、輔弼の重責を担ってきた内大臣府が戦後、すでに廃止されて、その仕事は侍従職に移管されている。

連合軍の国内進駐、時が時だけに、皇室の将来を憂える論客、隠士、或はまた、一情報を入手するために万金一擲を辞せぬ有志があるかと思えば、また一方には、占領軍との特殊な関係を笠に得意満面の俄か官僚等々、大波小波寄せ来る中に、侍従職は立った次第であった。当時は、いつ何どき、何が起こるか、油断のならぬ時節であったので、私はベッドを侍従職の自室に持ち込んで夜を過ごすことが多くなり、したがって夜毎に、陛下のお室で、ゆっくり、いろいろなお話しを承る機会を持つようになった。

当時、天皇の戦争責任に関する占領軍当局の調査は、かなり手厳しいものがあったらしい。これに対する日本政府の釈明としては、日本は立憲君主国であるから、政治上の最高責任者と軍事上の最高責任者とが一致して開戦を上奏してきた場合には、天皇はこれを裁可せざるを得ない。この場合、もし天皇が独自の判断を以て、これを拒否したとするならば、それは専制君主的の行動であって、立憲君主としては、到底なし得ざるところである。ということであったように聞き及んでいるが、陛下から、ゆっくりいろいろと、お話しを承っているうちに、私が私なりに考えたことは、次のようなことであった。

前掲の日本政府の釈明もさることながら、陛下のお心のうちには、もし自分が開戦を絶対に許さなかったならば、軍部の隠忍自重も遂いにその限界に達するであろうし、もし一歩でも、その限界を踏み越えたとなれば、跡は感情の激発するところ、かえって凶暴なる戦が開始され、その結果、長く世界歴史の上に、日本人の汚名を残すようなことになるのではなかろうか、という、まことに悲痛な御心配と御覚悟があったのではなかろうか。


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