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聖典引用 板

2394a hope:2013/07/02(火) 07:40:07 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第15章 斯うして能力を高めましょう

♦体は神様のお宮です

吾々の体は神さまの生命(いのち)の入っているお宮ですから、
どれほど丁寧にあつかっても丁寧すぎるということはないのであります。
丁寧にあつかうといっても、じっと箱に入れてしまっておくことではないのです。

お菓子でも箱に入れて何時までもしまっておけば黴が生えます。
お米でも長いこと米櫃(こめびつ)に入れておけば虫がつきます。

人間もじっと体を休ませておくばかりが、体を大切にするのではないのです。
身体(からだ)を大切にするには、適当に働かせることです。

靴でも穿(は)かずにしまっておくより、二足の靴を代りがわりに穿くようにすると、
却って長持ちするものです。

余り働かしすぎてもならないし、休みすぎてもならないのです。
適当に勉強し、適当に休息し、適当に睡眠をとることが必要であります。

もっとも人間は単なる靴ではありませんから、
働かせるほど禿(ち)びるというものではありません。
歩けば歩くほど足の裏は硬くなります。

腕は使えば使うほど力瘤(つからこぶ)が発達します。
だから人間はきっかり何時間休憩しなければならないということはないのです。

必要に応じて精神が緊張(ひきしまる)すれば、どれほど働いても疲れないのです。
しかし精神が緊張せねば働くほど疲れます。

靴と人間との区別はどこにありますか。
靴には精神がない。

人間には精神があるということです。
その精神を大切にすることが必要なのです。

精神で人を憎んだら、自分が草臥(くたび)れます。
肉体が病気になります。

一生懸命労働しても大してつかれませんが、それよりも、
ただ暫くの間でも人を憎んだり腹を立てますと、人間の体は草臥れるのです。

自分の心を大切にしなさい。
自分の精神を深切に取り扱いなさい。

何よりも大切なのは体よりも心なのです。

動物にも心がありますが、それは何でも自由にできる心ではなく、本能といって、
蚕が必ず桑を食うように、機械的に同じことを繰り返す心であって、自由に人間のように、
何でも食べるものをえらんだり、思ったりすることができる心ではないのです。

賢い犬でも、それがチンチンするのは自分の力でするのではなく、
食事を与えるときにそういう癖をつけると、必ず機械的にそうするのです。

シェパード種の犬でも、幼い時から道の左側を歩くように習慣づけておくと、
人間のように左側でも右側でも思いのままに歩かないで、必ず道の左側を歩くのです。

これは犬が道徳的にそうせねばいかんと思っているのではなく、
同じ動作を本能的に繰り返す癖があるからです。

人間は蚕や犬ではありませんから、必ずしも左側を歩いたり、
一定の食物ばかりを食べたりなど致しません。
時に応じて何でも自由にできるのです。

何でも自由にできながら、それで自分が一番正しい道を歩いて行くのが
人間の尊い所なのであります。
(つづく)


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