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Web誌友会 板/2

3920a hope:2014/05/20(火) 08:46:45 ID:cEpBaIdo

>>3919 a hope所感)

<<【イエス】は「われを信ぜよ」といったのではなく、「人の子を信ぜよ、実相人間を信ぜよ、わたしはその一例だ、『久遠の実在』としての実相人間を信ずる者には肉体は死んでも、永遠の生命が与えられるのだ」といったのであります。>>

↑を置き換えてみたいと思います。

<<【谷口雅春】は「われを信ぜよ」といったのではなく、「人の子を信ぜよ、実相人間を信ぜよ、わたしはその一例だ、『久遠の実在』としての実相人間を信ずる者には肉体は死んでも、永遠の生命が与えられるのだ」といったのであります。>>

このような考え方をしてしまうわたしは、増上慢であり、まことの「生長の家」信徒ではないのでしょうか?

谷口雅春先生は確かに偉大な宗教家で、哲学者で、人間的にも素晴らしい人格の持ち主だったと思います。
だから、わたしはもちろん、谷口雅春先生には直接お会いしたことはありませんが、心より尊敬していて信頼しています。

でも、だからこそ、谷口雅春先生の残された聖典「生命の實相」のお言葉を素直に信じたいのです。

「谷口雅春先生は神から選ばれた偉大な人だったから「唯神実相」が悟られたのだ」
「自分たち弟子には同じことはできない」などと考えてしまうのは、
谷口雅春先生がおっしゃっている「第一の神性隠蔽」「偶像崇拝」の罪を犯すことになってしまわないのでしょうか?

先輩方が今、憲法改正運動や、環境保護運動等、さまざまな「生長の家」の運動をされているようですが、
「自分が神の子である」「自分も谷口雅春先生と同じなんだ」というこの大切な真理を悟らなかったら、
その運動は、まったく谷口雅春先生のご意志とは、別の方向に行ってしまうのではないでしょうか?

教団も、本流の先輩方も何が『本当の「生長の家」の光明化運動』なのかを思い出されて、
その基本に戻って運動されたら、「生長の家」は一つになれると思うのですが・・・。

それこそ、谷口雅春先生が一番よろこばれることで、本当のご遺志だったのではないでしょうか?

3921a hope:2014/05/21(水) 09:15:40 ID:cEpBaIdo

(a hope 赤線部分)

第二章の後半(p88〜)には、「罪」について書かれています。

<<アダムの原罪(第一の神性隠蔽)以来、罪悪の観念は、すべての肉体人間の心の奥底に横たわっている観念であります。>>

<<罪なき者――本来無罪清浄なる人間に、なぜ、罪の観念が起こるかといいますと、われらは本来「無罪」なればこそ罪の感じが起こるのであります。>>

<<この「本来の相(すがた)」でないという自覚が、「罪」の観念であります。それは本来の完全な相を、本来の自由な相を、表出せんと喘ぎもとめている心の呻きなのであります。>>

<<そのように、われわれの「完全なる実相」そのものは罪なきもの迷いなきものでありますから、罪の意識はわれわれ自身の本姓にはないものであります。>>

3922a hope:2014/05/21(水) 09:17:28 ID:cEpBaIdo
(a hope所感)

みなさん おはようございます!

このテキストの部分には、人間の「罪の意識」を「炭火」から立ち上る「煙」に例えて、説明しています。
「炭火」そのものからは「煙」は立ち上がらない。
そこに、塵埃(じんあい)=「迷い」 があるから「煙」が発生する。

炭火の火力の強さ=生命の実相の悟りの深さ
塵埃の量=迷いの量
煙のあらわれ=罪の意識のあらわれ

<<宗教というのは、この「生命の実相」のうちに眠っている炭火の火力を熾盛(しじょう)ならしめる働きをするものであります>> p91 9行目

この、テキストの部分の説明はすごくわかり易いと思いました。

煙ばかりたくさんたっても、炎が燃え上がらなければ不完全燃焼です。

同じように、「罪の意識」をおこし、「迷い」の「塵埃」の存在に気づくことは必要だが、
それだけでは救われないのですね。

「人間神の子」の真理に目覚めて、「実相」の炎を燃え上がらせて初めてわたしたちは本当に救われる、というわけですね。

ここにも、また、素晴らしい真理が書かれていますね。

「罪は本来ない」という真理を本当に悟るには、この一連の作業が必要なようです。

a hopeは、「生長の家」の「浄心行」の本当の意味がだんだん解ってきましたよ!

3923a hope:2014/05/22(木) 09:00:52 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます!

どうやら今現在、信仰/体験板は試合会場になっているようですので、
こちらに投稿させていただきます。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/1855

わたしは、↑の投稿をして、「偽善」という言葉に関して自分の意見を述べて、
その後、大熊先生のブログを紹介させていただきました。

今朝、大熊先生のブログに行きましたら、なんと、また、シンクロニシティ現象が・・・

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/folder/172638.html

↑唯神実相を悟られた、大熊先生の素晴らしいご指導が受けられますよ!

必見です!!!

3924トキ:2014/05/22(木) 20:23:46 ID:Z9No9Nic
>>3923

 どうも、申し訳ありません。

3925a hope:2014/05/23(金) 00:04:21 ID:cEpBaIdo
>>3924 トキさま

全然、気になさらないでくださいね。

トキさまのおかげで、いつでも自由にこの掲示板でお勉強させていただけることに心から感謝しています。

合掌。

3926a hope:2014/05/23(金) 08:47:21 ID:cEpBaIdo
( a hope所感)

テキストp95〜101には、自己審判(自己処罰)または「良心の審判(さばき)」について述べられています。

「生長の家」の教えでは「神罰」はないとされていますが、
悪念(罪)は「念の具象化の法則」により現象界に不完全な状態(病気・不幸など)として現れでてしまうようです。

ただし、「悔い改め」=「魂の転向(コンパーション)」により、その罪を超越できるとも説明されています。


p101 4行目〜

<<・・・「罪」が現実的不幸として、客観化して現れるのは、罪自身がその存在権を主張するためではなく、
神のみ業――すなわち神の創造(つく)給いし完全なる実相のあらわれんがためであるとしますと、
「悔い改める」 すなわち心が「実相」の方へ完全に転回(コンパーション)してしまいますと、
さらに換言すれば「われ神の子なる実相」と「神の創造(つく)給える実相浄土」とを直接体験で把握してしまいますと、
罪はそのまま超越されてしまいまして、「包み」はそのままひらかれてしまい、
中味がそのまま握られてしまいますから「包み」の模様はもう問題とならない。

「包み」はその模様などに頓着なく解かれて捨てられてしまうのであります。>>


この、「悔い改め」=魂の転向(転回)が、「人間神の子(実相)の自覚」になるのだと思います。
聖典「生命の實相」をお勉強していると、色々な角度から、色々な方便で、この事が説明されているのがわかります。

(つづく)

3927a hope:2014/05/23(金) 08:50:46 ID:cEpBaIdo
>>3926 つづき)

次の、第三章には、第二の神性隠蔽「自他一体の実相の隠蔽(利己主義)」と第三の神性隠蔽「罪の弁解」がどのようなものであるか詳しく説明されているのですが、
どうも、この部分を拝読しているとわたしは心が重くなってきてしまうのです。

なぜなら、その内容は、信仰/体験板の【訊商業×熊本鎮台】の試合の内容にそっくりだからです。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/1743

訊商業さまとわたしの共通点は、どとらも、聖典「生命の實相」に感銘して「生長の家の教え」にのめり込んでいる、という点だと思います。

訊商業さまが、試合などという「対立的」な形で質問をされているのはどうかと思いますが、
わたしも、訊商業さまとほとんど同じ疑問を、熊本鎮台さま(破邪顕正さま)の数々のご発言から感じてしまうのです。


破邪顕正さま

この聖典「生命の實相」大好きな、生長の家の新入生ふたりに、是非、納得のいくお返事をいただけたらとても嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

3928a hope:2014/05/24(土) 20:25:40 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻  隣人に対する罪 p102 より謹写

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2864

(a hope 所感)

これもすごい真理だと思いました。

「神人一体なるがゆえに、自他一体なり」ですね。

だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。

そんな罪を犯さなくても、「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。

そういえば、訊け管理人さまもよく、「別れた女の欠点を、クドクド述べるような行為」はしない方がいいようなことをおっしゃっていますよね。


ただ、ふつうの信徒がその「教え」が間違っているかどうかを判断するのは、とても難しいことだと思います。
わたし自身、入信直後は、教団の「今の教え」を盲信して大変な目に合いました。
そして、本流宣言の掲示板での破邪顕正さまの投稿に命を救われ、
その後、この掲示板で3年近くも復興Gさまやトキさま他のみなさまにご指導いただきながら、
聖典をお勉強して、やっと本当のことがわかってきたのも事実です。

ですから、「生長の家」という看板を立てているのであれば、もしくは、「生長の家」の本流復活を目指す団体であるのであれば、
ぜひとも、聖典「生命の實相」に忠実な内容を伝道して欲しいです。

そして、わたしたち信徒一人一人が聖典に忠実に信仰をしていけば、「生長の家」は必ず和解できるとわたしは信じています。

3929トキ:2014/05/24(土) 21:16:31 ID:oaDOQJ/.
>>3928

 私も同意いたします。

3930訊商業:2014/05/24(土) 23:49:32 ID:???
>>3928

 完全同意です。もう、アタリマエの話ですよね。

3931a hope:2014/05/25(日) 21:42:36 ID:cEpBaIdo
>>3929 トキさま >>3230 訊商業さま

わたしの意見に同意してくださりありがとうございます。 合掌。

わたしは最近、
『この掲示板で聖典「生命の實相」のお勉強を続けさせていただくことで、
自分自身も「生命の実相」の悟りに近づき、そしてこちらをご覧のみなさま全員にも幸せになっていただき、そんな形で人類光明化運動を展開していきたい』
という、とんでもない大きな希望を抱き始めてしまいました(笑)

ですが、自分の聖典の解釈や考え方に、100パーセントの自信があるわけではないので、
トキさま、訊商業さまに同意していただけるととても心強いです。

破邪顕正さまや、本流の先輩方は、このようなわたしの考え方には同意はしてはくださらないのでしょうか?
ぜひ、ご意見を聞かせていただきたいです。
(訊商業さまは、アタリマエとおっしゃっていらっしゃいますが・・・)

どうぞ、よろしくお願いいたします。

3932ももんが:2014/05/25(日) 23:03:34 ID:oI68lYAA
>>3928
>>a hope様

合掌、拝

a hope様、こんばわ。

昔なら、"完全同意"ですが、今は、"和解"を超えた、"大調和"と思うのしだいであります。

3933うのはな:2014/05/26(月) 00:59:00 ID:bbvLQDzg

志恩さんがどこかで、わたしがこうこう書くと、そのあとすぐにさくらちゃんが実相がどうとか
言いだして、って話のかみ合わなさみたいなものについて話していたことがありましたね。
 
 あれは、志恩さんは「運動」の話をしているのに、
 さくらさんは「教義」について話してるからかみあわないのだろうと思いました。
 上で、本流の人にこの意見の感想はどうか尋ねている人がいましたが、
 おそらく、読んでいないから感想は無理だと思います。

3934a hope:2014/05/26(月) 07:38:26 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます!

>>3932 ももんがさま  

「大調和」そうですね。
わたしも、「和解」という言葉より、「大調和」のほうが、より自然な感じがしますね。

「生長の家」は、すでに大調和しているのですから、信徒の信仰が本来の「生命の実相」に戻りさえすれば、
おのずと「大調和」するのだと思います。

「和解」しようと努力しても、心が罪につつまれたままでは(神性隠蔽)本当の和解とは言えないと思います。

「生長の家」の大調和には、信徒の大懺悔が必要なのかもしれませんね。

3935a hope:2014/05/26(月) 07:40:04 ID:cEpBaIdo
>>3933 うのはなさま

コメントありがとうございます。

<< 上で、本流の人にこの意見の感想はどうか尋ねている人がいましたが、
 おそらく、読んでいないから感想は無理だと思います。>>

そうですか。
それでは本流の方先輩方は、生長の家の新入生が、大切が聖典「生命の實相」についてまちがった解釈をして、
「生長の家」関係の掲示板で虚説を説いていても一切気になさらないということですね。

志恩さまとさくらさまの会話のことはちょっと思い出せませんが、
それでは、本流の先輩方は聖典「生命の實相」に書かれている教義内容(真理)よりも、
現象の運動のほうが大切であり、その運動が教義内容(真理)に忠実でなくても構わないとお考えなのでしょうか?

わたしは、うのはなさまを責めるつもりはまったくありませんが、
ですが、わたしは本当に、信徒全員が聖典「生命の實相」をちゃんと拝読すれば「生長の家」は簡単に大調和できると信じていますし、
それ以外、現在の生長の家の信徒のするべきことはないのではないかとさえ思っています。

それに、現在、光明思想社さまは新版「生命の實相」を出版・販売されています。

わたしa hopeや、訊け管理人さまのような熱心な「生命の實相」ファンのに感じた 素朴な疑問に誠実にお答え下さらなかったら、
信徒のみなさまの不信感がつのるばかりだと思います。

3936a hope:2014/05/26(月) 07:48:41 ID:cEpBaIdo
>>3935 訂正

新版「生命の實相」→新編「生命の實相」

その他、誤字多くありますが、お許しくださいm(__)m。

3937a hope:2014/05/26(月) 08:28:23 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第13巻 p105〜 謹写部分

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2865


(a hope 所感)

この部分は、現在の「生長の家」が抱える重大な問題でもあると感じています。

<<恋愛そのものが悪いのではなく周囲との不調和がわるいのであります。>>

現在の「生長の家」が大調和することなく不調和のままでいたら、結局どの団体も行き詰まるということなのではないかとわたしは感じてしまうのですが・・・。

みなさんはどう思われますか?

3938ももんが:2014/05/26(月) 18:38:26 ID:oI68lYAA
>>3934
>>a hope様

合掌 拝

御返事、ありがとうございます、a hopeさま。

やはり、a hopeさま、素晴らしい、ですね。

全、同感でんす。

"人間の言語"を超えた、"神様の言葉"こそ、"大調和"の世界ですよ。

a hopeさまは、素晴らしい。

ありがとうございます。
合掌 拝。

3939部室版ができたら落ち着く:2014/05/26(月) 18:53:45 ID:T.KAOAfo
>そうですか。
それでは本流の方先輩方は、生長の家の新入生が、大切が聖典「生命の實相」についてまちがった解釈をして、
「生長の家」関係の掲示板で虚説を説いていても一切気になさらないということですね。

そんなことは知りません。正解であろうと、まちがいであろうと、読んでいなかったら
なにが書いてあるのかわからないわけだし、感想の仕様がないでしょう。
 光明掲示板では、トキ掲示板のことは知らなかったと書いている人もいました。
光明のほうへ行って尋ねればいいのではないですか?

3940トキ:2014/05/26(月) 18:57:25 ID:lWxxQQXc
>>3939

 いやいや、そんな事はないですよ。実際、先日も山ちゃん1952様が、この掲示板
をご覧になったご感想を書かれていますし、光明掲示板でも、この掲示板での感想が
書かれています。

 本流復活派だけではなくて、教団の偉い人達もこの掲示板は毎日チェックされてい
ます。

 返事、楽しみですね。

3941神の子さん:2014/05/26(月) 19:05:12 ID:T.KAOAfo
 本流復活派だけではなくて、教団の偉い人達もこの掲示板は毎日チェックされてい
ます。

なぜ、教区職員が教団の偉い人たちもこの掲示板は、、っていうことを
知っているのか不思議ですが、その方たちは、トキさんが誰かも知っているのですか?

 a hope さんはトキさんが上記のようにお答えですから、返事を気長にお待ちください。

3942a hope:2014/05/27(火) 09:10:03 ID:cEpBaIdo
聖典「生命の實相」第13巻 

貪欲・快楽・傲慢 p106〜

<<利己主義は、物質を実在として観、それに捉われる結果、「物」の霊なる実相を見ず、
「人」の霊なる「神の子」を見ず、ただ物に執し、物に捉われた結果、本当の人間を見失い、
かつ本当の人間と人間との関係を見失ってしまうのであります。>>


(a hopeまとめ)

本当の人間(実相の人間)を見失う → 三つの「罪の子」

○一つ目の罪
【貪欲】・・・物質ありと見るがためにそれを所有することに全生命をかける → 物質の奴隷

○二つ目の罪
【快楽主義】・・・物質的快楽を追及し、実相本然の快感から遠ざかる → 魂の苦痛(憂鬱なデカタン的情調)

○三つめの罪
【傲慢】・・・物質の量的多量および物質の感覚量の豊富に対する誇りは、他の人も同様の物質的迷いに引き入れる → 非常に危険

すなわち、
自分が神性隠蔽している以外に、その隣人をもその神性隠蔽に誘い込む → 二重の罪

3943a hope:2014/05/27(火) 09:14:11 ID:cEpBaIdo

>>3942 a hope所感)

聖典の著作権をめぐる争いや、数(信徒数など)への異常なこだわり・・・すべて物質ありと見ているからそのようなことが起こっているのだと思います。

まことの「生命の實相」とは物質の本のことではなくて、わたしたち一人ひとりの実相(神)のことですよね?

聖典「生命の實相」であっても、真面目に拝読して、その真理をちゃんと理解し実践していないから争いごとの火種となってしまっているのであって、
「生長の家」人としてこれ以上の神性隠蔽の罪はないのではないかとわたしは感じてしまいます。

本当に悲しい現実です。


教団のお偉さま方、また本流の先輩方

トキさまのおっしゃるように本当にこちらの掲示板を毎日ご覧になってくださっているのであれば、a hopeが心からお願いします。

わたしたち信徒の「実相」を開発してくださるどころか、争いごとに巻き込んで神性隠蔽の罪を犯し続けるのはもうそろそろやめて下さいませんか?

聖典「生命の實相」はまだまだ余るほど世の中に出回っているのですから、著作権などどこが所有していても同じです。

そんなくだらない争いごとのために信徒の浄財をつかうのはもうやめて、
一日も早く、「生長の家」らしい人間関係を取り戻して、本来の「生長の家」の信仰をしてください。

3944志恩:2014/05/27(火) 11:10:23 ID:.QY5jUA6
a hope様

a hopeさん、こんにちわ。今も、「生命の實相」の輪読会を継続して下さっていて、有り難うございます。
私、思いました。
a hopeさんが、私と同じくらいの年に生まれていらしてて、もしも、あの頃の原宿本部でご一緒に
奉職していたとしたら、きっと、ご一緒に、本部の有志でやっていた真理の勉強会をやっていたんだろうなって。

しかし、生長の家のこのような混乱期に、生長の家を見捨てないで、しかも、「生命の實相」の輪読会を
続けていて下さるa hopeさんて、本当に、すごいな、と思います。頭が下がります。

ところで、
ahope様が>>3937:で、

>>(a hope 所感)

この部分は、現在の「生長の家」が抱える重大な問題でもあると感じています。
<<恋愛そのものが悪いのではなく周囲との不調和がわるいのであります。>>

現在の「生長の家」が大調和することなく不調和のままでいたら、結局どの団体も行き詰まるということなのではないかと
わたしは感じてしまうのですが・・・。みなさんはどう思われますか?<<

と、本流の方々に呼びかけれましたけれど、まだお返事がありませんので、
私で、よければと、今回、ちょこっとだけ、もどる事に致しました。  つづく

3945志恩:2014/05/27(火) 12:05:29 ID:.QY5jUA6
この「大調和」の真理につきましては、
何に対して、「大調和すべきか」になると思います。
生長の家の一人一人が、生長の家の教えの本当の継承者なのですから、

(これは、山ちゃん19852様も、以前におっしゃっておられたことですが、)
第一義の問題として
一番たいせつなことは、

この生長の家の根本思想である教義を隠蔽しないこと。
そのままの教えを継承していくこと、この姿勢が、
生長の家で言う生長の家の教えと「大調和する」ということだと思います。

いうまでもなく、「生命の實相」は、生長の家の根本である教義ですから、
これを隠蔽してはいけない。

しかし、現教団は、「環境」一辺倒にしてしまいました。

組織や運動自体も、締め付けがひどい状況のようです。

そうした現象には光を当てれば自ずから消え去ると教えられていますが、
現象というのは、認めては為らないのか、どうかということも、考えてみましょう。

ahopeさんちの真ん前に、野良猫がフンをして行ったとします。祈ったら、フンは消えますか?
祈りながら、行動して かたずけるでしょう。

歪みをただし、正常化しますでしょう。
そのように、現象が歪んでいれば、歪みを正すのが「生長の家」の信徒としてのなすべき
大調和を生きるという行動ではないのですか?

生長の家が分裂しているのは、事実であり、一見、不調和にみえますが、
分裂という不調和よりも、
教えを隠蔽するという不調和のほうが、大問題でありまして

第一義の教えを護るためには、
分裂するしか 方法が、無いかったのだと思います。

「今の教え」の現象は、正常には程遠いといことは、多くの人たちの知るところです。
そのためには、批判と感じることも、言わなければ、ならないでしょう。

本流が利己的な精神で、あのような運動をされてると思っておられるのでしょうか?
私は、とても、そのようには、思えませんけれど。

ahopeさんは、お仕事にも行かれていて、お忙しいので、他の掲示板は、ほとんど読んでないと
前、おっしゃってましたよね。

以前からの、他の掲示板を、もっとお読みになれば、このようになっている経緯やこころざしも、
より理解出来るのではないでしょうか?と、思っております。



「生長の家」が分裂しているというのなら、分裂した原因を探れば、何故なのかという事が、
自然と、わかるような気がします。

そして、分裂してでも、正して行かなければならなかった原因を辿れば、
今後の、より一層の分裂を防ぐことになるやもしれません。


雅春先生が日の丸か赤旗かで徹底した論戦に挑まれたのを真摯に考える必要があると思います。

3946志恩:2014/05/27(火) 12:08:15 ID:.QY5jUA6
山ちゃん19852様ではなくて、山ちゃん1952様に訂正させて頂きます。

3947笑人形:2014/05/27(火) 18:33:15 ID:3yXShm..
>>3946

山ちゃんも19852 までになって、元宇治の美人職員さんから
笑われていることと思います。

3948志恩:2014/05/27(火) 19:21:30 ID:.QY5jUA6
3943:a hope様

>>(>>3942 a hope所感)

聖典の著作権をめぐる争いや、数(信徒数など)への異常なこだわり・・・
すべて物質ありと見ているからそのようなことが起こっているのだと思います。

まことの「生命の實相」とは物質の本のことではなくて、
わたしたち一人ひとりの実相(神)のことですよね?

聖典「生命の實相」であっても、真面目に拝読して、
その真理をちゃんと理解し実践していないから争いごとの火種となってしまっているのであって、
「生長の家」人としてこれ以上の神性隠蔽の罪はないのではないかとわたしは感じてしまいます。

本当に悲しい現実です。<<


この件は、
著作権のことで、信徒を巻き込んで、教団と社会事業団が争っている…
そんなばかばかしいことは、やめてもらいませんか!

という意味でしょうけれど、


これらのことも、実際の問題の具体的なことや 経過については、反復されながら、どこの掲示板にでも
書かれて来ている事ばかりなんですよね。


それに、巻き込まれるとか、 巻き込まれないとかいう 選択につきましても、
ご自分のご意志で いくらでも巻き込まれないための方法は、あると思います。

教団の活動指針などを読まれれば、今の教団が、信徒をどのような方向へ導いているか
一目瞭然で理解出来ることです。

数年前から、生長の家教団は、おかしな方向へ向かっていることも、ほとんどの人が
認識していることです。

常識的に考えましても、雅春先生が総裁でいらした時代から現在までを考えてみましたならば、
トキ様も常々ご指摘されてますように生長の家は、変節して来ているのは、間違いの無い
事実なのです。

大調和しかない、和解しかない、という真理につきましては、先に申し上げましたが、
何に大調和するか、和解するか、
そして、和解するためには、どうしたらいいかという要のところが、まだ未解決ですが、

ここのところは、縹様が、重要なポイントをトーキングステックボードで、教えて下さっています。

今は、預言にもある 変遷の時期ですから、
われわれは、これも、良い学びの体験であるとありのままを受け止めて、それぞれが、
真理を学び、実生活で実践しながら、自分が決められた選択の道を、心安らかに
歩んでいくのが、一番いい方向へ導かれると、私は、思っております。

3949a hope:2014/05/27(火) 19:26:57 ID:cEpBaIdo

>>3944 >>3945 志恩さま 

お久しぶりです。
また、わたし a hopeにもったいないようなあたたかいお言葉をありがとうございます。 

合掌。

ところで、本題にはいるまえに、ひとつ訂正させていただきますね。

>>3944で志恩さまは、

>>この部分は、現在の「生長の家」が抱える重大な問題でもあると感じています。
<<恋愛そのものが悪いのではなく周囲との不調和がわるいのであります。>>
現在の「生長の家」が大調和することなく不調和のままでいたら、結局どの団体も行き詰まるということなのではないかと
わたしは感じてしまうのですが・・・。【みなさん】はどう思われますか?<<

と、【本流の方々に】呼びかけれましたけれど、まだお返事がありませんので、
私で、よければと、今回、ちょこっとだけ、もどる事に致しました。 <<

とおっしゃっていられますが、このところではわたしは、本流の先輩方だけに呼びかけていたのではなくて、
この掲示板をご覧の「生長の家」のみなさんに呼びかけたのです。

わたしはこのweb誌友会板で聖典「生命の實相」をお勉強させていただいていて、
その内容から感じたことを素直に述べて、疑問に思ったことを率直に質問させていただいています。

ですから今回も、聖典をお勉強した結果、志恩さまが >>3945 でおっしゃっている『生長の家の根本思想である教義を隠蔽』の現実が見えてきましたので、
今回はそこのところをご指摘させていただいたつもりだったのですが・・・。
志恩さまにはそのことが正しくお伝えできなかったようで残念です。

今回の質問は、現在の「生長の家」全体の状態を見て感じたことだったのです。

ですが、志恩さまからのご質問、

>>本流が利己的な精神で、あのような運動をされてると思っておられるのでしょうか?<<

に敢えてお答えするのであれば、聖典の教義(真理)から解釈すれば、(たとえば「聖典の裁判」の一事例を考えてみましても)
残念ですが答えは「Yes」ということになってしまいそうです。
(これは、教団にも当然当てはまる「真理」だと思いますが・・・)

ですが、わたしの解釈が正しいとは限りませんから、みなさまのご意見を聞かせていただきたいのです。


そしてもうひとつの志恩さまの、

>>ahopeさんちの真ん前に、野良猫がフンをして行ったとします。祈ったら、フンは消えますか?<<

とのご質問ですが、本物の「大調和の祈り」ができていれば、猫は家の真ん前にはフンはしなかったと思います。 
わたしは、そのような本物の祈りができるようになりたいと思っています。

(つづく)

3950a hope:2014/05/27(火) 19:32:53 ID:cEpBaIdo
>>3949 つづき)

ところで、志恩さまは、わたしが聖典引用板に謹写した、

「生命の實相」第13巻 p105〜
利己主義すなわち自他一体の実相の隠蔽

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2865

↑は、お読みになってくださったのでしょうか?

わたしはその聖典の内容がまさしく、現在の「生長の家」の状態を言いあらわしているように感じたので、

『現在の「生長の家」が大調和することなく不調和のままでいたら、結局どの団体も行き詰まるということなのではないかと
わたしは感じてしまうのですが・・・。みなさんはどう思われますか?』

ということを質問させていただいたのです。
この真理からいけば、行き詰るのは本流関係の団体だけでなくて、当然、教団もということになりますが・・・。


志恩さまはそのことにははっきりとしたお返事をくださってはいらっしゃらないように感じます。

志恩さまのお返事は、

>>以前からの、他の掲示板を、もっとお読みになれば、このようになっている経緯やこころざしも、より理解出来るのではないでしょうか?と、思っております。
「生長の家」が分裂しているというのなら、分裂した原因を探れば、何故なのかという事が、自然と、わかるような気がします。
そして、分裂してでも、正して行かなければならなかった原因を辿れば、今後の、より一層の分裂を防ぐことになるやもしれません。<<

というところだと思いますが、ちょっと志恩さまのお答えの意味がハッキリとは理解できないのですが、
わたしの思う分裂した原因は「神性隠蔽」にあると思っていて、そのことは、>>3942 >>3943で説明させていただきました。


それに、「宗教争い」の問題は、過去の現象の出来事にいくら原因をさがしても解決はしないと思うのです。

すべての答えは、聖典「生命の實相」(久遠の今?)の中にあるような気がしていますし、前回も言いましたが、
「間違った教え」を正すには、「生命の實相」を真面目にお勉強し、理解して、その教えに忠実に行動していなければ正したとは言えないと思うのです。

ですから、わたしはこれからもこちらでお勉強を続けさせていただきたいと思います。
そして、祈りながら、出来るだけ「我」をなくして、発言していきたいと思っています。

志恩さま、お休み中ですのにコメントをくださりありがとうございます。
お蔭さまでこの問題をより深く考えることができました。

わたしと志恩さまとは、意見や考え方は違っても、「生長の家」を愛する気持ちは一緒だと信じています。

これからも、また、時々でかまいませんのでご登場くださるととても嬉しいです。

感謝 合掌。

3951志恩:2014/05/27(火) 19:33:51 ID:.QY5jUA6
笑人形様

久しぶりに書き込んだので、私、すごい誤字脱字だらけになりました。
山ちゃん様が、19852様だったら、、山ちゃん様は、未来の人ってことですよん。(笑)
19852年 生まれ・・・、タイムカプセルで 未来から過去の今の時代へ もどって来た人。

( 「・」は、「てん」で変換すると、出ます。)

3952ケセラセラ:2014/05/27(火) 19:44:51 ID:S9ZDz97U

 志恩さまへ

 志恩さんがお越しになって誌友会らしい雰囲気になったようです。
 なにも気にせず、マイペースでがんばってください。

 愛と追憶の真っ最中の人より

3953a hope:2014/05/27(火) 19:57:03 ID:cEpBaIdo
>>3948志恩さま

>>3948の志恩さまの投稿を拝見する前に、>>3949 >>3950を書き込みました。

<<これらのことも、実際の問題の具体的なことや 経過については、反復されながら、どこの掲示板にでも
書かれて来ている事ばかりなんですよね。>>

とありますが、
このweb誌友会は、あくまでも、聖典「生命の實相」のお勉強ですから、
わたしは、現象の問題であっても「生命の實相」の教義内容に合わせて発言しています。

志恩さまも、できれば現象の問題を考えるにしても、このweb誌友会板では、
聖典「生命の實相」の真理に照らし合わせてお答えくださるとありがたいです。

ですが、志恩さまの最後のお言葉、

<<われわれは、これも、良い学びの体験であるとありのままを受け止めて、それぞれが、
真理を学び、実生活で実践しながら、自分が決められた選択の道を、心安らかに
歩んでいくのが、一番いい方向へ導かれると、私は、思っております。>>

には、同感です。

わたしも、ここweb誌友会で学んだ「生命の實相」の真理をそのまま、実生活でも実践できるようにしていきたいと思っています。

ありがとうございます。合掌。

3954志恩:2014/05/27(火) 20:02:21 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

添付「生命の實相」第13巻 p105〜
利己主義すなわち自他一体の実相の隠蔽

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2865

読ませて頂いております。
宗教とは、創始者から二代目、三代目になりますと、いろいろと、どこでもあるようですね。

生長の家が、大調和しないと、教団も社会事業団も、未来、行き詰まる….という件は、
言えなくもないですよね。

大調和が謳い文句の生長の家が、大調和しなくて、どこの団体が、大調和するのだ、という
ご意見も、もっともに聞こえていますけれど

私は、雅宣様は、もとのままの教えでは、もう発展しないということで、
宗教者として、歩むべき道を、さんざん考えられた末に、自然、環境問題オンリーに運動を
されてみたのだと思うのです。

でも、もともとの教えを封印するこの運動の選択は、
社会事業団から、ご兄弟から、本部講師から、信徒から、おおくの人を敵に回さないと
出来ない運動でしたから、
その反動は、大きく、振り子のように、ご自分にもどって来るように思います。

雅宣様は、このまま、環境問題オンリーに突き進むと、言われていますよね。

果たして、どうなのでしょう。
私にも、未来の事は、分からない事です。

3955志恩:2014/05/27(火) 20:14:26 ID:.QY5jUA6
「生命の實相」につきましては、現実に生かしてこその真理だと思います。
現象に対処していかなければ、宝の持ち腐れになってしまうと思います。

ですが、同じ真理を聞いても、人それぞれの考え方、受け取り方があるんですよね。
だから、学びは、面白いのだと思います。

論戦も喧嘩では、ありません。

それから、さくらさんと私がバトルしたのは、随分まえのことです。
むしろ、昨年のこと、
a hopeさんと、さくらさんのバトルが、ここweb誌友会板で、行われていました。

その特集です。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/?q=%A4%B5%A4%AF%A4%E9

3956うのはな:2014/05/27(火) 20:31:22 ID:J.N9GUxQ

 a hope さんへ

 わたしが、こないだここで志恩さんは運動の話をしている、さくらさんは
 教義のことをといったのは、上の志恩さんの特集とは関係ないですよ。
 いつもわけもわからない割り込み攪乱をする人の話をひとつにまとめるのは
 大変なので、余力ができたときにやります。
 これで失礼します。有意義な誌友会が続きますように。

3957志恩:2014/05/28(水) 04:26:29 ID:.QY5jUA6
>>3949;a hope様

以下について、まだコメントしていませんでした。

>>a hope様ー
今回の質問は、現在の「生長の家」全体の状態を見て感じたことだったのです。
ですが、志恩さまからのご質問、

>>本流が利己的な精神で、あのような運動をされてると思っておられるのでしょうか?<<

に敢えてお答えするのであれば、聖典の教義(真理)から解釈すれば、
(たとえば「聖典の裁判」の一事例を考えてみましても)
残念ですが答えは「Yes」ということになってしまいそうです。
(これは、教団にも当然当てはまる「真理」だと思いますが・・・)

ですが、わたしの解釈が正しいとは限りませんから、
みなさまのご意見を聞かせていただきたいのです。<<

志恩ー
本流が利己的な精神で、あのような運動をされていると思っておられるのですか?
という私の質問に対して、

a hope様の答えが、「イエス」で、あったことにたいして、驚きでした。
あまりにも、認識不足というか、現実を見ておられない事に、驚きでした。

これについては、閲覧者の方々のほとんどの方々のほうが、認識されておられると
存じます。
これにつきましては、和解念仏和尚といわれていたトキ様だって、
認識されていることですが、
今更、改めて、a hope様にお話させて頂きましても、この感覚では、
あなたは、今は、聞く耳を持たれておられないと
感じますので、例え、お話しても徒労に終わると思いますので、説明は あえて致しません。



a hope様ー
>>そしてもうひとつの志恩さまの、

>>a hopeさんちの真ん前に、野良猫がフンをして行ったとします。
祈ったら、フンは消えますか?<<

とのご質問ですが、本物の「大調和の祈り」ができていれば、猫は家の真ん前にはフンはしなかったと思います。 
わたしは、そのような本物の祈りができるようになりたいと思っています。<<

志恩ー
これにつきましても、現世に於ける現象と実相の混在した中で、
いかに 対峙していかなければ、ならないか、
というのが、信仰生活ですからね。

祈っていれば、天候でも、晴れだけなのか、雨も台風も、来ないのか。

家庭問題でも、
何も問題は、発生しないものなのか、というものでは、ないです。

生きていれば、つぎつぎに課題は与えられるのです。
人間は、この世に魂の進化のための修行にきているのですから。

人生で、それぞれに課題は与えられる。その、与えられた課題に、どのように
対処して生きて行けるかが、信仰生活だと思います。

真理を学べば、自分にとって不都合な事が、何も起こらないのだということでは、ありません。

3958a hope:2014/05/28(水) 20:42:12 ID:cEpBaIdo

>>3954 >>3955 >>3957 志恩さま

お返事をたくさんありがとうございます。合掌。

>>3955
<<「生命の實相」につきましては、現実に生かしてこその真理だと思います。
現象に対処していかなければ、宝の持ち腐れになってしまうと思います。
ですが、同じ真理を聞いても、人それぞれの考え方、受け取り方があるんですよね。
だから、学びは、面白いのだと思います。
論戦も喧嘩では、ありません。>>


とのご意見、ごもっともだと思います。

わたしと、志恩さまは、聖典「生命の實相」の真理の解釈が大きく異なるようです。

それは志恩さまも、

<<同じ真理を聞いても、人それぞれの考え方、受け取り方があるんですよね。>>

とおっしゃっている通りだと思います。


ですが、わたしは、このweb誌友会ではできれば論戦はしたくないのです。


>>3953で書いたものを再掲しますが、

<<このweb誌友会は、あくまでも、聖典「生命の實相」のお勉強ですから、
わたしは、現象の問題であっても「生命の實相」の教義内容に合わせて発言しています。
志恩さまも、できれば現象の問題を考えるにしても、このweb誌友会板では、
聖典「生命の實相」の真理に照らし合わせてお答えくださるとありがたいです。>>

と、一度お願いいたしました。

「聖典裁判」のお話にしても、志恩さまが聖典の真理に照らし合わせてご説明くださるのであれば、
大歓迎ですが、そうでない現象の問題だけをとりあげて論戦するのであれば、
それは「生命の實相」輪読会の趣旨から大きく外れてしまいますので、
そのような内容のお話には、わたしは志恩さまのおっしゃる通り「聞く耳」はもてないと思います。



ですが、後半の志恩さまのお返事は、真理に関してのものですのでお返事させていただきます。

――――――

志恩ー
これにつきましても、現世に於ける現象と実相の混在した中で、
いかに 対峙していかなければ、ならないか、
というのが、信仰生活ですからね。

祈っていれば、天候でも、晴れだけなのか、雨も台風も、来ないのか。

家庭問題でも、
何も問題は、発生しないものなのか、というものでは、ないです。

生きていれば、つぎつぎに課題は与えられるのです。
人間は、この世に魂の進化のための修行にきているのですから。

人生で、それぞれに課題は与えられる。その、与えられた課題に、どのように
対処して生きて行けるかが、信仰生活だと思います。

真理を学べば、自分にとって不都合な事が、何も起こらないのだということでは、ありません。

―――――――――

本当に失礼ですが、これは本当に「生長の家の教え」なのでしょうか?

わたしは、今まで聖典をお勉強してきましたが、そのようなご指導内容は拝見したことはないです。


何を、不都合と見るかはその人によって違うとも思いますが、
本当の実相礼拝(祈り)ができるようになれば、実相世界がそのまま現象世界に顕れるわけですから、
自分に不都合なことなど全く起らなくなるのではないでしょうか?

それに真理は【学ぶ】だけではなくて、【悟る】ことが重要だと感じています。

そして本当に悟ったとき、自分にとって不都合な事など全く起らない理想世界(実相世界)が顕現するのだとわたしは信じているのです。

そのためにわたしは、こんなにも熱心に聖典のお勉強を続けているので、志恩さまのご指導内容には正直ショックを受けています。

3959志恩:2014/05/29(木) 05:30:09 ID:.QY5jUA6
a hope様

生長の家の元々の教えや、「生命の實相」が継承されず、隠蔽されてしまう現実を危惧されて、
立ち上がられた本流の皆様のこと、(著作権の裁判問題などのことも含めて)

それらのことを、a hopeさんは、本流は、利己的な心で、やっているのだと判断されました。
「生命の實相」に 照らし合わせてのお答えだと言われました。

「生命の實相」第13巻の
a hopeさんが、ご紹介された文のp124によりますと、「いっさいは自心の展開である」。。。
とありますので、今まで、復興G様があなたに教えて下さっておられた【合わせ鏡】という倫理で、
今の教団と、本流派のことを、あなたは捉えておられるのでしょうか?

この【合わせ鏡】につきましては、復興G様は、世界中で起きている全てのことは、自分の心の
展開したものであり、自分と、それらの世界中の事柄は合わせ鏡なのであるから、世界で起きている事柄は、
全てが自分の責任である、と教えて下さっておられました。

私は【合わせ鏡】の倫理につきましては、ごく身近な個人と個人との問題に適応する倫理だと主張。
しかし、復興G様は、そうではない、世界で起きている全てと、自分個人との倫理のことだと主張されました。
で、私は、その件は、納得出来ないままで終わっております。

此のたび、a hopeさんが、ご紹介下さった箇所も、「この世界は自心の展開である」ですから、
【合わせ鏡】の件につながると思います。

私は、残念ながら、まだ、その件は、理解出来ておりません。

ahope様ー
>>本当に失礼ですが、これは本当に「生長の家の教え」なのでしょうか?
わたしは、今まで聖典をお勉強してきましたが、そのようなご指導内容は拝見したことはないです。

何を、不都合と見るかはその人によって違うとも思いますが、
本当の実相礼拝(祈り)ができるようになれば、実相世界がそのまま現象世界に顕れるわけですから、
自分に不都合なことなど全く起らなくなるのではないでしょうか?

それに真理は【学ぶ】だけではなくて、【悟る】ことが重要だと感じています。

そして本当に悟ったとき、自分にとって不都合な事など全く起らない理想世界(実相世界)が
顕現するのだとわたしは信じているのです。
そのためにわたしは、こんなにも熱心に聖典のお勉強を続けているので、
志恩さまのご指導内容には正直ショックを受けています。 <<

志恩ー
先にも言いましたが、真理を学び、悟れば、何も「課題」が与えられないということではないです。
現象世界で生きていれば、つぎからつぎへと、われわれ現象人間の感覚から見ましたら、
思いもかけない不愉快に感じる事、悲しく感じることも、この現象世界で、自分の目の前に現れて来ます。

では、谷口雅春先生のお孫さんの雅宣様に、「課題」が大発生しておりますが、
雅春先生が悟っておられなかったから、このような「課題」が、発生したのでしょうか?

課題も問題も、何か意味があり、われわれに、与えられていると思っていますが、
全てが【合わせ鏡】だとは、私は思っておりません。

恵美子先生の、現在の身の上のことだって、考えますと、
最近は、高知でお見かけしたというおウワサが報じられていましたが、
つい最近まで、実の息子の雅宣様に、
母親である恵美子先生が、ご自宅で、軟禁状態にされていたのは、事実のようです。

それでは、恵美子先生が、悟っておられないから、そのような目に合う現象が現れたとおっしゃるのですか?
私は、難しい課題は、より悟ったからこそ、その方々に、与えられる場合もあると受け止めております。


p165,166,167に書かれてありますが、
>>この世には、業の法則、痕跡の法則、自然界の法則がある。しかし、
太陽の光の射すところに影は無いと同じく、実在の主張ー善の絶対権威の前には、自然界の法則も「不可不」の
法則も影を消して、無に帰してしまう。<<と書かれてございますが、

太陽の光も、照らさなければ、影は消えません。
そのお役目である光の進軍が、光明掲示板などの本流掲示板や、このトキ様掲示板の発言による行為、
光の進軍である行為であると思っております。

雅宣様のなさっておられることも、大きい目で見ましたら、何か大きな学びの意味があるのかもしれません。

                    つづき

3960志恩:2014/05/29(木) 06:12:58 ID:.QY5jUA6
第13巻p177に「善の三相応」という題で説かれている頁がございます。

>>「善」の動機説、精神内容説は古来から唱えられている。
その説に従えば、

動機さえよければ、その行為の精神内容さえよければ、
形はどうでもそれは「善」であるとみとむべきであるというのである。

人類のためだという動機ならば、手段としての行為はどのようなものでも、また
どのような結果を招いてもその行為は「善」であるというのである。

これは谷口倫理学では、排斥するところである。

動機が善であっても、それが不結果を招くのは、その動機としての彼の行為を指導し、
彼を行為にまで駆るところの精神内容に、すべての場合や条件を尽くさざるところの
不完全さがあるということを暴露しているのである。

不完全は「善」ではないから、不結果を招くような動機も手段も「善」とはいい難いである。
(略)
p179
・・・善を完うするのは、人間(肉我)にはできないことであるが、神にしてのみ
能うことである。(略) 自我の転換である。

・・小知で善をなしたと小善ぼこりをしていても、必ずそれは悪に変じているのである。<<

以上のように、
排斥すべきところは、しっかりと、排斥するのが、谷口倫理学。

3961志恩:2014/05/29(木) 06:18:10 ID:.QY5jUA6
悟ったら、自分の不都合と思う事が、現れなくなるのではなくて、
どのようなことが、あらわれようとも、
神の子人間を体得し、教えを、実践していれば、
時間という経過は、ありますけれど、良い方へ導かれて、いい結果になって解決して行くというのが、
私の生長の家信徒としての、今までの実体験からの感想です。

3962志恩:2014/05/29(木) 08:25:47 ID:.QY5jUA6
 藤原敏之先生著・「あなたは必ず救われる」より

【人生とは 魂向上のための 学校の様なものでありますから、何も問題がなくなるということはないのであります。
 人生とは問題のあるところだと考えた方がよろしいのであります。】

   {人生は魂修行の道場}は、聖典引用板に。。。。

3963志恩:2014/05/29(木) 08:47:29 ID:.QY5jUA6
>>3959:の訂正と補足

a hopeさんのご紹介下さった文は、p125ではなく、p105でした。
そこは、「神性隠蔽の章」。

私は、そのつづきの後の方の頁、
「実相隠蔽の章」の文を、取り上げて申し上げております。

3964a hope:2014/05/29(木) 10:08:18 ID:cEpBaIdo
>>3959 〜志恩さま

たいへん誠実なお返事をありがとうございます。

このweb誌友会には参加者がほとんどいなくて、わたしひとりが聖典を読み進み、
勝手に解釈していましたので、内心では少々不安に感じていました。

今日はこれから仕事なので、落ち着いて志恩さまの投稿を拝見できませんので、
ちょっと時間がかかるかもしれませんが、しっかりお勉強させていただき、
わたしも誠実にお返事させていただきます。

感謝 合掌。

3965a hope:2014/05/30(金) 08:50:24 ID:cEpBaIdo

志恩さま みなさま おはようございます。

昨晩、志恩さまからのお返事や、今回のテキストや自分の所感、それから志恩さまが一部ご紹介して下さった、
藤原敏之先生著の「あなたは必ず救われる」の『正しい人間観とは何か』p90〜を読み返しました。

そして、とても大切な真理を再確認することができました。
このような、貴重なお勉強の機会を与えて下さった志恩さまに心から感謝しています。合掌。

そして、自分なりに志恩さまへの返事ができる準備ができたのですが、
志恩さまはわたしの返事をお受け取り下さらず、この掲示板を去るご予定なのでしょうか?

そうであれば、わたしは直接のお返事は控えさせていただきたいと思います。

なぜなら相手がいない論議は、ただの批判になってしまうからです。

まして、わたしの大好きな「生長の家教え」の真理で、大好きな志恩さまを批判することはできないからです。


今回は、お返事の代わりに、

藤原敏之先生著の「あなたは必ず救われる」の『正しい人間観とは何か』からの抜粋文を聖典引用板に謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2882n-

お察しいただけると、うれしいです。

感謝 合掌。

3966志恩:2014/05/30(金) 13:30:48 ID:.QY5jUA6
a hope様

どうぞ、なんなりと私に仰って下さいませ。私も、他にも色々とやっておりますし、
卒業生ですけれど、私でよろしかったら….すぐには、お返事できないこともあるとおもいますが。

3967志恩:2014/05/30(金) 15:29:10 ID:.QY5jUA6
追伸:
但し、私は、講師では ないですし、末端信徒ですから、
あなたの質問で、わからないところが あると思います。

そのようなときは、
私としては、私の先生のようなトキ様や、縹様に、お尋ねして、教えて頂きながら、
a hopeさんに、お答えさせて頂く場合もあるかと、存じます。

3968a hope:2014/05/31(土) 07:56:08 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます。

志恩さま 掲示板に残って下さるのですね!

ありがとうございます。

それでは、志恩さまの広いお心に甘えて、正々堂々と論戦させていただきます。

ですが、わたしも仕事やいろいろの行事やらでなかなか時間が取れませんので、
ゆっくりひとつずつお返事させていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

そして、この論戦になるきっかけとなったわたしの投稿ですが、
どちらかというと、その内容に関して志恩さまや破邪顕正さまの本流の先輩方からから
ご意見をお聞きしたいと思っていたので再掲させていただきます。

よろしくお願いいたします。

3969a hope:2014/05/31(土) 07:57:52 ID:cEpBaIdo

>>3928 :a hope:2014/05/24(土) 20:25:40 ID:cEpBaIdo  より転載 

「生命の實相」第13巻  隣人に対する罪 p102 より謹写

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2864

(a hope 所感)

これもすごい真理だと思いました。

「神人一体なるがゆえに、自他一体なり」ですね。

だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。

そんな罪を犯さなくても、「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。

そういえば、訊け管理人さまもよく、「別れた女の欠点を、クドクド述べるような行為」はしない方がいいようなことをおっしゃっていますよね。


ただ、ふつうの信徒がその「教え」が間違っているかどうかを判断するのは、とても難しいことだと思います。
わたし自身、入信直後は、教団の「今の教え」を盲信して大変な目に合いました。
そして、本流宣言の掲示板での破邪顕正さまの投稿に命を救われ、
その後、この掲示板で3年近くも復興Gさまやトキさま他のみなさまにご指導いただきながら、
聖典をお勉強して、やっと本当のことがわかってきたのも事実です。

ですから、「生長の家」という看板を立てているのであれば、もしくは、「生長の家」の本流復活を目指す団体であるのであれば、
ぜひとも、聖典「生命の實相」に忠実な内容を伝道して欲しいです。

そして、わたしたち信徒一人一人が聖典に忠実に信仰をしていけば、「生長の家」は必ず和解できるとわたしは信じています。

3970a hope:2014/05/31(土) 08:02:50 ID:cEpBaIdo

>>3935 :a hope:2014/05/26(月) 07:40:04 ID:cEpBaIdo よろ転載

>>3933 うのはなさま

コメントありがとうございます。

<< 上で、本流の人にこの意見の感想はどうか尋ねている人がいましたが、
 おそらく、読んでいないから感想は無理だと思います。>>

そうですか。
それでは本流の方先輩方は、生長の家の新入生が、大切が聖典「生命の實相」についてまちがった解釈をして、
「生長の家」関係の掲示板で虚説を説いていても一切気になさらないということですね。

志恩さまとさくらさまの会話のことはちょっと思い出せませんが、
それでは、本流の先輩方は聖典「生命の實相」に書かれている教義内容(真理)よりも、
現象の運動のほうが大切であり、その運動が教義内容(真理)に忠実でなくても構わないとお考えなのでしょうか?

わたしは、うのはなさまを責めるつもりはまったくありませんが、
ですが、わたしは本当に、信徒全員が聖典「生命の實相」をちゃんと拝読すれば「生長の家」は簡単に大調和できると信じていますし、
それ以外、現在の生長の家の信徒のするべきことはないのではないかとさえ思っています。

それに、現在、光明思想社さまは新版「生命の實相」を出版・販売されています。

わたしa hopeや、訊け管理人さまのような熱心な「生命の實相」ファンのに感じた 素朴な疑問に誠実にお答え下さらなかったら、
信徒のみなさまの不信感がつのるばかりだと思います。

3971a hope:2014/05/31(土) 08:12:58 ID:cEpBaIdo

志恩さま 破邪顕正さまはじめ本流の先輩方のご意見を一番伺いたいのはここです。

―――――

「神人一体なるがゆえに、自他一体なり」ですね。

だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。

そんな罪を犯さなくても、「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。

――――――――

↑ このわたしの聖典解釈は、まちがっているのしょうか?

3972訊商業:2014/05/31(土) 09:51:50 ID:???

>>3971 a hopeさん

 良い質問ですね・・・・・・野球で云えば「内角低め」です。で、内角低めのさばき方ですが、「実力が如実に出る」んです。その意味でこの>>3971は「インロー(内角低め)」。

 本流派の実力が、如実に出ちゃう質問だと思います。

 それでは破邪サンの回答を、待ちましょう・・・・・・いつまでも(笑)。



3973ももんが:2014/05/31(土) 11:01:22 ID:oI68lYAA
>>3971
>>a hopeさま

合掌 拝

うん、たしかに、a hope
さまの、言葉は、○だね。

3974志恩:2014/05/31(土) 11:43:20 ID:.QY5jUA6
a hopeさん、訊けさん、

    _,,.-‐-..,,_       _,,..--v--..,_
    /     `''.v'ν Σ´        `、_,.-'""`´""ヽ
    i'   / ̄""''--i 7   | ,.イi,i,i,、 、,、 Σ          ヽ
.     !ヘ /       |'     |ノ-、 ' ` `,_` | /i'i^iヘ、 ,、、   | 💢批判💢は、してはいけないのが、
    |'' !゙  ―  〈―!     ii ―   ― !'.__ ' ' ``      | 生長の家の教えなのか!?
.   ,`|        ..ゝ!     ‖  .j     (}―  ―   |',`i
_,,..-<:::::\   ―  /      !   `    / |  /     |i'/
. |、 \:::::\ '' /    \  ̄ /〃.ヽ `'' _  , 'v>、
 !、\  \. , ̄        γ/| ̄ 〃   \_-‐' //`

{鐘🔔も 打たねば 鳴りません}

>>鐘は、叩く棒で 叩かなければ、鳴りません。
自分が 他人のことを、批判せずとも、救いは神から来るのであるから、
人間の力で、批判せずともよい。{生命の實相」を学び、自分がじっせんしていれば、
問題と見える者は、悉く、自然と 神が解決してくれる、とおっしゃるのでしょうか。

雅春先生は、自力と他力の関係を実にわかり易く教えて下さっています。
「吾々の祈りには、2種類ある。1つは一種の自力的修行である。しかし、

他力をわすれて自力のみに頼る生き方は、おのずから自分の力の限度というものに縛られるのです。
自力をつくし、もう既に自力がなくなり、そこから自分が空っぽになり、その空っぽから、おのずから

神があらわれるようにならねば、本当の神はあらわれない。他力だ、他力だと怠けて寝ているばかりでは
何の利益も出て来ないのである。

鐘の鳴るのは、向こうが鳴るが、こちらが鐘木(しゅもく)で、叩かなければならないのである。」<<
(「こころのかけはし」の真理を 引用させて頂きました)

志恩ー
間違っている事に対しては、批判する 必要は あります。

「従軍慰安婦」問題も、しかりです。韓国は、30年ほど前から、日本の軍人たちが、外地で多くの
婦女子を捕まえて、「性奴隷」にしたなどと、根も葉もない嘘を世界中にまきちらし、宣伝して来ました。
そのため、真実を知らない外国人も、日本人も、その嘘を信じ込まされてきました。
しかし、今まで20年以上も、じっと黙っていた人たちが、勇気を奮って、立ち上がったのです。

その勇気のおかげで、子孫であるわれわれは、真実に目覚める事が出来たのです。
勇気を奮って、間違った事に対して「批判」の声を挙げてくれたお蔭で、
われわれは、道に迷わずに済みました。

生長の家でも、元々の教えが隠蔽されて、今は、おかしな事が、次々と行われている。
それを、批判しないで、どうすると、言うのですか!?
                                        つづく

3975志恩:2014/05/31(土) 11:47:25 ID:.QY5jUA6
あら、批判されたくない一族の酋長 🎅ももんがさん、おはよっ。

3976ももんが:2014/05/31(土) 12:05:28 ID:oI68lYAA
>>3975
横浜の口さけお婆ちゃん、こと、志恩様、お早よございます。

素晴らしい、コメントありがとうございます。

復帰練成会何時でも、開催できます♪

3977志恩:2014/05/31(土) 12:23:42 ID:.QY5jUA6
憎たらしくて、かわゆい🎅ももんが草食系の酋長さん、コメント、ありがと。
横浜のばぁばも、見た目も、まだ、この通り、かわゆくて、げんきよ。

ネットより

宗教年鑑(文化庁)
生長の家   信者数
平成9   87万5192人(平成8年12月31日現在)
平成10   87万2925人(平成9年12月31日現在)
平成11   86万2507人(平成10年12月31日現在)
平成12   85万7600人(平成11年12月31日現在) 
平成13   85万0435人(平成12年12月31日現在)最新版

こんなに、信徒数、居るんですかね。

本来の教えは、大事。
宇宙重要文化財です!!
ももんがさん、わすれないでね...雅春先生のお蔭で、今でも、これだけの信徒がいることを。

お互いの神性を認め、あがめ、感謝することは基本ですが、
環境問題オンリーで、この先、大丈夫だと、予想されてるのですか?
本当は、英語も出来る 賢い ももんがさん。先は、読めてますか?

教団マンセーの職員や信徒が増えたら、生長の家の除草剤になってると思う。
だって、教団内部で、教団の批判したり、意見を正直に述べたりすると、みな辞めさせられるのが
現状だそうですから、
結局、茶坊主が、雅宣総裁の側近で、きげんとる。そういう連中が組織を
動かしていれば、自ずから、教団は、死にたいになると、言われていますよ。

今、来客ありまして、、入れなくなりました。ごめんなさい。

3978「訊」:2014/05/31(土) 12:28:31 ID:???


 そして議論は、『生命の実相』から大きく逸脱していくのであった・・・・・。

3979志恩:2014/05/31(土) 12:54:26 ID:.QY5jUA6
平成13年でした。....平成23年じゃなかった。
今、平成26年だもの。
今は、信徒数は、もっと減少しているんでしょうね。減少しても、かまわない 想定内だと
雅宣総裁は、思っているのでしょうけれど、
教団の信徒たちの顔が
お通夜のように暗いというのが、問題にされてます。
どうしてだということで、原因を究明されて、原因についての批判をされます。
ですから、生長の家のことがだいすきだからこその批判が起きてるのだと思います。
生長の家になったら、批判もしちゃいけないのなら、生長の家に入らない方が、
健全だという事になってしまいます。批判は、こころが、健全であるからできる行為です。

3980志恩:2014/05/31(土) 13:00:59 ID:.QY5jUA6
訊けさん
「生命の實相」の何頁に、こう書いてあるといえば、いいわけね。
私は、全巻,読んでますが、そういうのは、苦手だから、本部講師になれないの。
実践タイプの人間ですから。
だから、私に聞いたのが、間違いですよ。こんなふうに、具体論に、なりますから。

3981志恩:2014/05/31(土) 13:04:21 ID:.QY5jUA6
やっぱ、私じゃなくて、トキさんに聞かれた方が、いいと思いますよ。
何頁にって、教えて下さるでしょう。
縹様は、別板で、重要なこと、教えて下さってて、手が塞がって、おいでのようですから。

3982「訊」:2014/05/31(土) 13:08:25 ID:???

 さらに議論は、『生命の実相』から大きく逸脱していくのであった・・・・・。

3983シャンソン:2014/05/31(土) 13:25:57 ID:UUvJgKmA

本流系の方たちは、盗作ブログ屋の悪影響を受けないように注意しましょう。
『生命の實相』という表記を使用するように掲示板で御指導があったことと思います。

3984ももんが:2014/05/31(土) 13:29:04 ID:oI68lYAA
>>3977
志恩様へ

合掌 拝。

ありがとうございます。
御言葉も、御気持ちも、良く理解してますよ。

だけど、これは、全部本当とは、言えないよね。
>>だって、教団内部で、教団の批判したり、意見を正直に述べたりすると、みな辞めさせられるのが
現状だそうですから、<<

僕は、良く、志恩様の様ことを、練成の座談会でお話したり、講習会の質問に書くこともあるよ。

場合によっては、先生も、同調してくれます。
志恩様や復興G様やトキ様や掲示板のたくさんの皆様との対話は、無駄では無かったと思います。


全て録音されてしまうでしょ。


僕が、志恩様に、練成に復帰してと言うのは、真面目な、話しなんですよ。

この、掲示板で話しも、けっこうでしょう。

でも、本気で、良くしたいなら、教団の内部に入って、自分が見せてないと駄目ですよ。

上杉鷹山公や、山本五十六元帥では、有りませんが、志恩様の起こしを、心より、お待ちしています。

合掌、拝。

3985解説者:2014/05/31(土) 13:30:33 ID:???

志恩様

お久しぶりです。

>実践タイプの人間ですから。

ほほぅ!

すばらしい!

ところで、以前にお聞きした、本流派は和解をめざしているのかいないのか、教えを実践なさってらっしゃる志恩様の考えをお聞かせください。

余計な理屈は不要です。志恩様が実践なさってらっしゃることですから、和解をめざしているのかいないのか二者択一でお願いいたします。

3986ももんが:2014/05/31(土) 13:34:11 ID:oI68lYAA
>>3984

文章の訂正
『僕は、良く、志恩様の様ことを、練成の座談会でお話したり、講習会の質問に書くこともあるよ。』

下記の様に訂正します。
『僕は、良く、志恩様のお話された様に、練成の座談会でお話したり、講習会の質問に書くこともあるよ。

3987「訊」:2014/05/31(土) 13:35:54 ID:???


 皆さん、司会のa hopeさんのことも考えてあげてくださいね・・・・・司会って、たいへんなんですよ。

 論点は何か?を正確に把握されながら、議論を。

 お願いしますよ。



3988志恩:2014/05/31(土) 13:50:44 ID:.QY5jUA6
この第13巻の180,~183,に、以前、ももんがさんがご指摘されていた
雅春先生が解釈された「香厳上樹、飛躍の道」の公案のことが、書かれてありますが、
私は、雅春先生は、生長の家の解釈をされて、この公案をとかれたのだから、

これは、これで、いいと思いました。
ここの部分も、本当は謹写して、ここがこうだと思いますと、細かく感想を書けばいいのでしょうけれど、
読めば、どなたにでも分かるように説かれていますので、あえて、長々と感想を書きたくないので、書きません。
(只今、息子一家が来ているので、すみません)

3989a hope:2014/05/31(土) 17:32:53 ID:cEpBaIdo
みなさま こんにちは

今日は、子どもたちの運動会でお天気も良くて最高でした!
今、こちらを拝見しましたら、訊け管理人さまはじめ、久しぶりに登場された解説者さまやシャンソン(うのはな)さま、
ももんがさまなんかも登場くださり、なんかこちらもにぎやかな感じになっていますね。

今は忙しいので、また、後でゆっくり内容を拝見しますが、
訊けさまもおっしゃっていますが、出来ればこのweb誌友会板では、
聖典の内容に関係ないおふざけ的な発言はお控えくださるとありがたいです。

わたしはこれでも真剣に聖典「生命の實相」をお勉強しているつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。

3990トキ:2014/05/31(土) 17:54:00 ID:o.yb/M6Y
>>3989

a hope様


 遅れまして、すみません。賛成です。

 誌友会開催中です。
皆様、不規則発言は御控え下さい。

 合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3991a hope:2014/05/31(土) 23:19:29 ID:cEpBaIdo

>>3974 志恩さま

<<💢批判💢は、してはいけないのが、生長の家の教えなのか!?>>

などという、質問はわたしはしていませんが・・・。


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2864

↑の聖典の文章を拝読した後、わたしは↓こう解釈しました。

―――――

「神人一体なるがゆえに、自他一体なり」ですね。

だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。

そんな罪を犯さなくても、「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。

――――――――

↑ このわたしの聖典解釈は、まちがっているのしょうか?


これが、わたしの質問です。

ちなみに、>>3980で志恩さまは「私じゃなくて、トキさまに聞かれた方がいい、と思いますよ」とおっしゃっていますが、
トキさまご自身は、>>3929でこの a hopeの解釈に同意してくださっているのです。

ですから、志恩さまご自身からこのa hopeの解釈に対するお返事がいただけないのであれば、
志恩さまは、 a hopeの解釈に同意してくださったことになりますが、それでよろしいのでしょうか?


また、>>3988で、第13巻のp180〜183の「香厳上樹、飛躍の道」の公案の御文章を紹介してくださり、

<<読めば、どなたにでも分かるように説かれていますので、あえて、長々と感想を書きたくないので、書きません。>>

と、おっしゃっていますが、他の方は理解されたかもしれませんが、
申しわけないのですが、わたしには何のことなのかまったく意味がわかりません。

志恩さまはお忙しいでしょうから、志恩さまのペースで全然かまいませんのでご説明くださるとありがたいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

3992志恩:2014/06/01(日) 03:37:37 ID:.QY5jUA6
a hope様

ahope様ー
>>「神人一体、自他一体なり」ですね。

だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。

そんな罪を犯さなくても、「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。<<

志恩ー
a hopeさんは、本流は利己的な心でやっているということを言われた後に、
上記のことを、言われたのです。

ということは、本流とは、私やトンチンカンさんや、光明掲示板などの本流派のことを指しますし、

上記のことは、ご自分のことも含んでいわれたと思いますが、
雅宣総裁の行いを批判している、われわれ本流のことを遠回しに
真理で、批判したことになりませんか?

ですから、「批判はいけないことなのか」、ということをお答えしたのです。

前々から、光明掲示板は、批判ばかりしていると、おっしゃる方が、おられるからです。

トキ様は、同意されましたが、
組織的な事や、雅宣様のされてることで、以前より、ここがおかしいと思うという事を、
トキ様は、常々、書かれておられますが、あれは批判には、入らないのでしょうか?

私は、組織内におりませんので、トキ様が、教団のことで、ここがおかしいと、知っている人からの
情報ですということで、雅宣総裁や教団がやっていることへの批判文と思える事を、教えて下さり、
トキ様が、書かれた事に対しまして、
同意してまいりました。トキ様が書いていらしたあれらの事は、批判とはいわないのでしょうか?

>>「神人一体、自他一体なり」ですね。
だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。<<

ことに、同意されたトキ様のお気持ちは、理解出来かねております。

a hopeさんも、本流は利己心でやっていると言われましたが、
それも、本流を批判していることになりませんか?

3993志恩:2014/06/01(日) 04:09:50 ID:.QY5jUA6
a hope様

例えば、雅春先生の「法華経解釈」を拝読しましたが、最後のほうに、
雅春先生は、創価学会の大批判文を書かれておられます。

この「法華経解釈」その他については、トーキングステックボードで、
縹様に、いろいろと教えて頂いておりますが、

縹様と私の対話も、他宗教を批判している、と言われれば、そう、なってしまうと思います。
…………………………………………………………….
2821 :縹:2014/02/11(火) 12:20:42
志恩様へ

その(創価)学会のことですが、法華経を悪用している団体ということですよね?

 法華経は、本来でしたら、鎮護国家の為に、使用されているはずだと思うのです。
なぜなら、法華経伝来時に、聖徳太子が、法華経を元にした国づくりを目指されて、
そして、代々の天皇様も、勅命で全国に国分寺を創建して下さったりして下さったのですから。

それなのに、その法華経の力によって、天皇陛下をないがしろにしようという趣旨の団体なのですか、そんな・・・
法華経は、人を中心にしてはいけないのではないかしら…。
…………………………………………………………….
2822 :志恩:2014/02/11(火) 16:08:08
縹様

以前は、創価学会は、他宗教は全て、邪教といい、他宗を、排斥する宗教でした。
ご先祖様からの 浄土真宗とかも、他の様々な教えも邪教だいい、
そんな宗教をやっている不幸になるといって、折伏して回っていた宗教でした。
最近のことは、わかりません。
池田大作は、韓国人だそうですから、日本の天皇を尊敬しては いないでしょうね。
…………………………………………………………………..
2823 :縹:2014/02/12(水) 06:31:42
 志恩様

 志恩様、2822番の内容でしたら存じておりました。
『法華経解釈』の最後にも、創価学会の間違いについて詳しいですね。

 現代では創価学会になる事は、もう近所づきあいの一つなので、信者が多くてもあまり気にしないでいいのではないか?と言われました。
 伝道した先で、一番断られる言葉で多いのが、「創価学会ですから」というものです。
 創価学会員でないと、芸能人に成れないとも聞いた事もあります。
私としては、選挙のたびに、こうも創価学会の関係者が当選していては、
このままではいけないのではないかと思ってしまうのですが…。
 建国記念日の日に、桝添氏が都知事に就任したというニュースを見て、呆然としてしまいました。

(志恩・注:舛添の奥さんは、創価学会の幹部で、創価学会が、舛添を強力に応援していた)

悪用されている経典は、法華経だけではなく、
聖書もでしたね。
統一教会は、教祖様が再臨のキリストと言う事でした。

本来でしたら、「正しい中心帰一とは何か」を、教えるのが、宗教家の役目ではないでしょうか?
そもそも、それこそが、生長の家の担当分野ではないでしょうか?

それをする宗教は、他にもあるのでしょうか?
生長の家がしなくて、誰がするのでしょう…
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

3994志恩:2014/06/01(日) 04:26:27 ID:.QY5jUA6
生長の家信徒の生き方には、色々な選択の道があると思います。

①教団内で、雅宣総裁に中心帰一して生きて行く

②教団内で、口では、批判せず、自分の信念にそぐわない事には、従わない

③教団の組織を辞めて、どこにも属さないで、フリーで学んで行く
 (③は、大熊先生についていくことも、そうだと思います)

④他宗教へ移動する。

⑤『学ぶ会』に入る(ここは元々の教えも説くが、堂々と、雅宣総裁や教団の批判もする)

⑥『ときみつる会』に入る(雅宣総裁や教団への批判なし。元々の教えを説くのみ)

a hopeさまは、③でしょうか。
私は、今は、⑥ですが、学ぶ会の「全国大会」へは、今年の第2回も、参加しています。

3995志恩:2014/06/01(日) 04:54:16 ID:.QY5jUA6
では、以下のことは、この真理の言葉は、おかしいではないかということになりますが、
「生命の實相」に書かれてある文の一部だけ、取り出して、書かれると、
それが、全部のことを言ってるようになる。
真理は、人時処三相応で、説かれていますから、一部の文章を紹介されても、
全てには、当てはまらない事もあると思います。

そして、a hopeさんは、「批判せず、雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。」

ということが、虚説と和解しない生き方だとおっしゃるのなら、それは、確かに、あなたにとっての
選択であり、間違ってはいないと思います。

しかし、あなたのように、知っている人もいれば、
雅宣様がされていることを、全然知らない信徒も大勢いるわけですから、

「今の教え」と「元々の教え」についてを、掲示板などで、
批判して、公表することも、間違ってはいないと思うのです。

ですから、あなたの考え方による生き方も合っているし、
元々の教えを消しては、ならないということで、運動をされておられる
本流の皆様の考え方で、生きておられる方々も、合っていると思います。

なのに、あなたの文だけでは、まるで、批判することは「生命の實相」に反する行為だと、
本流を批判している文になっているのです。



―――――

「神人一体なるがゆえに、自他一体なり」ですね。

だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、
神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。

そんな罪を犯さなくても、「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、
また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、
そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。

――――――――

3996志恩:2014/06/01(日) 05:40:41 ID:.QY5jUA6
解説者様

和解は、和解、和解、と騒がなくていいと思います。

「和解」については、先日、書いたとおりです。人間と人間が和解するというよりも、
本来の生長の家の教えの神と和解するということが、第一義の考え方だから、
本流は、そのように、運動されているのだと思います。

また、教団は、教団で、今までの生長の家の教えや、やり方では、生長の家は発展しない。
宗教家は、具体的に
地球を護るために、教えに回帰するのではなく、
自然に回帰するということの方が大事だから、その運動をすべきである。
環境オンリーにして、個人救済はしないでよろしい。という方針で運動している。

両方それぞれに、きちっとした考え方の違いがある。

なので、人間と人間との和解は、当分ないと思います。未来永劫、ないかどうかはわかりませんけれど。

教団も本流も、もともと、同じ、神のいのちに生かされている神の子同士でありまして、
實相では、和解しているのですから、

現象では、考え方の相違が鮮明にあるために、和解できないのですから、
無理やりに 和解しなきゃならない 問題では ないと思います。

それは、訊けさんと うのはなさんを、見たら、分かる事でしょう。
實相では、和解出来ているけれど、現象では、和解出来ない。

それで、いいんじゃないの。
そして、
ある日、この道は、まちがっていたかな、と気付いたときは、
潔く、引き返して、人間と人間が 和解すれば良いし、

いやいやまちがいではない、ということで、
そのまま、平行線で行ってしまう場合もありますし、、人生色々ですから、
それぞれが、そういう生き方しかできないのですから、和解よりも、
別々に、精一杯生きて行くしかないように思っております。

3997志恩:2014/06/01(日) 05:57:38 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

部屋板のあなたのコメント、読みました。
あなたは、実は 訊けさんと肩を組んで、本流 を脅していたんですね。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1356490558/4264

3998志恩:2014/06/01(日) 06:01:20 ID:.QY5jUA6
私は、本流である光明掲示板へ、書き込めなくなってしまった人間ですが、
あちらのお方を、脅そうと思ったことは、一度も ありません。

私は、もう、web誌友会に参加する意志は、なくなりましたので、これで、失礼させて頂きます。

3999a hope:2014/06/01(日) 08:43:29 ID:cEpBaIdo
志恩さま

まず、最初に、わたしの部室板での発言が志恩さまのお心を傷つけてしまったことを心からお詫びいたします。
ですが、わたしの心も同時に傷ついていることをご理解いただけるとうれしいです。。

志恩さまはご自分のご意見をたくさんお話しして下さいますが、
本当に失礼なんですが、わたしにはその内容がどうしても聖典の真理と合致しないのです。

昨晩と今朝と2回にわたり、聖典引用板に 今回のweb誌友会のお勉強の続きをさせていただいていますが、
わたしが解釈して批判する以前に、聖典のお言葉そのままが、
志恩さまのお話の内容とは異なりますし、また本流の先輩方を批判しているように見えてしまうのです。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2886n-

聖典のお言葉は、谷口雅春先生のお口から発せられた神さまのお言葉ですから、
たとえ、破邪顕正さまであっても、それは否定はできないと確信しているので今回の部室板での発言につながりましたが、
こえは、わたしの思い上がりや増上慢である可能性も十分あるので、
破邪顕正さまから、お返事がいただけるのであれば、こんなに嬉しいことはありません。

志恩さま わたしは「生長の家」の問題を解決する唯一の方法は、現象に対峙する方法ではなくて、
全信徒が「生命の實相」をもう一度真剣に拝読し、観の転換をすることだと思っています。

4000志恩:2014/06/01(日) 09:36:52 ID:.QY5jUA6
a hope様

a hope様ー
>>昨晩と今朝と2回にわたり、聖典引用板に 今回のweb誌友会のお勉強の続きをさせていただいていますが、
わたしが解釈して批判する以前に、聖典のお言葉そのままが、
志恩さまのお話の内容とは異なりますし、また本流の先輩方を批判しているように見えてしまうのです。
聖典のお言葉は、谷口雅春先生のお口から発せられた神さまのお言葉ですから、…>>

志恩ー
聖典のお言葉もなにも、この聖典に説かれている教えを 法燈継承していない現総裁のことを、憂いて、
全国の心ある信徒が立ち上がられて、本流として運動しており、
本流掲示板でも、多くの方々が参加され、発言しておられるのです。

その本流の皆様の事を、利己心でやってるとか「生命の實相」を読めとか、

そういう、あなたのことを、以前でしたら、私は、光明掲示板へ行き、ahopeさんに、
お返事さしあげてくださいと、お願いに出向いたでしょうけれど、今は、私は、あちらへ入れなくなっておりますので、
それも出来ません。

山ちゃん1952様ブログからの引用は、別板に貼らせて頂きましたが、それについて述べられておられますので、
一部のみ抜粋して、こちらへも転載させて頂きます。。

これを読まれても、尚、お気持ちが変わらないのであれば、
今後も、訊けさんと肩を組まれて、本流にむかって、脅しの継続をされるのでしょうけれど。

訊け監督の、さくらマネでなく、a hopeマネになられるのでしょうか?

このたびは私は、力になれなくて、申し訳ございませんでした。
………………………………………….

4001志恩:2014/06/01(日) 09:39:27 ID:.QY5jUA6
山ちゃん1952様ブログより  一部抜粋、2014.6.1


    法燈継承と教義

教義の根本である『大調和の神示』ともよばれる『七つの燈臺の點燈者』の神示は
総裁は出来ているのであろうか?

教規の第十条の「正釈を逸脱しないように」が逸脱をしているのではないか。

これは完全なる教規違反であり、
そもそも教義の規範さえも出来ない人を総裁として仰ぐことが正しい道といえるのであろうか?

『歴史から何を学ぶか』には
「宗教と政治が一体化したときに運動には弊害が現れ、教勢は拡大せず・・・」

それは今は「環境という何も生長の家とは関係のない持論と排他的な運動に齟齬が出来、
教勢は明確に衰退し、弊害となり、それに何等責任も取らない」
その言葉を返したい。

また、法燈とは
比叡山延暦寺の根本中堂には法燈の光が今なお輝いている1200年の光が絶えたこともなく輝いています。

法燈は別に蝋燭の光ではなく、真理や経典などが変わりなく伝えられています。

真理というのは変えてはならないものであります。それを変えたりするのは法燈継承とはよびません。
佛教では自灯明と法灯明といいますが。

お釈迦さまがご往生をむかえられた時のことです。
お弟子たちは、お釈迦さまが亡くなられたら、さてあとは誰をたよりにしたらよいかと心配しました。

そのことを気づかれたお釈迦さまは「自らを灯明とし、自らをたよりとして他をたよりとせず、
法を灯明とし、法をたよりとして他のものをたよりとせず生きよ」(涅槃経)と語られました。
これが「自灯明、法灯明」の教えです。

とかく私たちは、人の言ったことに左右されがちです。
とくに権威ある人の言葉に追随しがちです。その方が安易だからです。
しかし、結局、「信用していたのにだまされた」ということがしばしばです。

人間が人間を信じるということは危険をともなうことなのです。
だから、人の言葉を鵜呑みにするのではなく、何が正しいかを見定めることのできる
自分を確立せよということを、「自らを灯明とせよ」と教えられたのです。

それでは、私たちは何を根拠に正しいと判断すればよいのでしょうか。

それを「法を灯明とせよ」と教えられたのです。
法とは、物ごとの本当のあり方のことです。

たとえば、すべてのものは変化し、永久に続くものではありません。
この事実が無常という真理なのです。この疑いようのない真理を法といいます。

このことは誰でも認める真理ですが、この明白な事実でも、
自分自身のこととなると素直に認めようとはしません。

他人は死んでも自分はいつまでも元気でいると思っています。
これが迷いなのです。自分jだけは例外だと無意識に思いこんでる誤りに気づき、

迷いから抜け出すには、この法に根拠をおき、法に教えられ、
自分自身が目覚めるよりほかに道はないのです。そこを「自灯明、法灯明」と教えられました。

法というのは変えてはならないものであります。

それを代々受け継ぐのが「法燈継承」であります。
                          
 山ちゃん1952様ブログ
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/2014-06.html

4002解説者:2014/06/01(日) 09:54:46 ID:???

a hope様、志恩様

>志恩さま わたしは「生長の家」の問題を解決する唯一の方法は、現象に対峙する方法ではなくて、
全信徒が「生命の實相」をもう一度真剣に拝読し、観の転換をすることだと思っています。

a hope様の意見に同意します。

生長の家の信仰は「神の御心を生きること」であり、生長の家の運動は、「神の御心を生きる人を増やすこと」であると私は思っています。

志恩様や本流派の皆様がおっしゃっているのは、運動のあり方、運営方針でしょう。

>>3996

志恩様のご意見、

>和解は、和解、和解、と騒がなくていいと思います。

は、本流派にも当てはまりませんか?

「あれはおかしい、これもおかしいと騒がなくていいと思います。」

4003志恩:2014/06/01(日) 10:34:12 ID:.QY5jUA6
解説者様=訊け様

4004曳馬野:2014/06/01(日) 10:58:56 ID:I/wU8psA

>>4002 名前:解説者 さん


生長の家の信仰は「神の御心を生きること」であり、生長の家の運動は、「神の御心を生きる人を増やすこと」であると私は思っています。


***

「神の御心を生きること」の御心を生きることが難しいからこそ、現在の状況が出て来たのではないですか?

どのようにしたならば御心にかなうのでしょうか?

『生命の實相』の書物は十分に読んでいる人達が本流を引っ張っているのですし、教団の講師にしても同じでしょう。

解説者さんは御心にかなっている人かなわない人の区別がおつきですか

4005曳馬野:2014/06/01(日) 11:06:17 ID:I/wU8psA

>>4003  志恩さん

解説者様=訊け様

***

これ本当?本当なら私騙されたことになりますね

4006志恩:2014/06/01(日) 11:20:04 ID:.QY5jUA6
解説者様=訊け様

理由は、以前、解説者様で言わなきゃコメントを、間違えて、訊け管理人様の名で、出してしまったことが
あるからです。本人は、違うと言われるかもしれませんが、
私は、それを見たときから、ずっと、そう思っています。

4007曳馬野:2014/06/01(日) 11:30:42 ID:I/wU8psA
志恩さんありがとう。

何故聞いたのかと云いますと、早い頃向こうの掲示板に少し書いたときに、恰も違う二人の人間の会話の様にして、

出ていてそれに答えたことがあるからなんです。私は本流方の掲示板も、訊け氏の掲示板も全く見ていないのですよ。

4008a hope:2014/06/01(日) 12:04:37 ID:brQxC10.
>>4000 志恩さま

<<その本流の皆様の事を、利己心でやってるとか「生命の實相」を読めとか、>>

↑、a hopeは、そんなことを本流の先輩方に言ってはいませんよ。

まあ、そういう意味にもとれてしまうことなので、これ以上の言い訳はしませんが・・・。

また、山ちゃん1952さまのブログ内容をご紹介くださり、ありがとうございます。

あとでゆっくり、お勉強させていただきます。

感謝 合掌。

4009a hope:2014/06/01(日) 12:05:56 ID:cEpBaIdo

>>4002 解説者さま

わたしの意見にご同意くださりありがとうございます。 合掌。

わたしも、解説者さまのご意見、

<<生長の家の信仰は「神の御心を生きること」であり、
生長の家の運動は、「神の御心を生きる人を増やすこと」であると私は思っています。>>

に同意させていただきます。


そして、志恩さまへのお返事の、

<<「あれはおかしい、これもおかしいと騒がなくていいと思います。」 >>

にも同意いたします。

なぜなら、「おかしい、おかしい」と言っていれば、心の法則で、ますますおかしくなってしまうことになりますからね。

生長の家の信徒だったら「和解、和解」のほうが似合いますよね!

さらにいいのは、「大調和 大調和」かもしれませんね。(これは、ももんがさまに教えていただいたのですが・・・)

4010解説者:2014/06/01(日) 12:16:21 ID:???

はぁーっ…。

また、身元詮索による論点ずらしですか…。

そもそも志恩様、貴女は私の質問、「本流派は和解をめざしているのかいないのか?」について答えていませんよ。

二者択一で、とお願いしたはずです。

めざしていないんでしょう?

祈りも現実逃避なんでしょうから。

4011a hope:2014/06/01(日) 12:21:32 ID:cEpBaIdo

曳馬野さま

web誌友会ご参加ありがとうございます。 合掌。


<<「神の御心を生きること」の御心を生きることが難しいからこそ、現在の状況が出て来たのではないですか?
どのようにしたならば御心にかなうのでしょうか?
『生命の實相』の書物は十分に読んでいる人達が本流を引っ張っているのですし、教団の講師にしても同じでしょう。>>


↑は解説者さまへのご質問ですが、この事に、わたしはすでにお答えさせていただきます。


「わたしは「生長の家」の問題を解決する唯一の方法は、現象に対峙する方法ではなくて、
全信徒が「生命の實相」をもう一度真剣に拝読し、観の転換をすることだと思っています。 」

総裁や講師の先生方のご指導だけを盲信せず、信徒一人ひとりが「生命の實相」を真剣に拝読することで、
まことに「神の御心」を生きることができるのだと思います。

4012a hope:2014/06/01(日) 12:25:00 ID:cEpBaIdo
>>4011訂正
わたしはすでにお答えさせて【いただきます】。→わたしはすでにお答えさせて【いただいています。】

4013曳馬野:2014/06/01(日) 13:01:55 ID:I/wU8psA
a hopeさん

全信徒が「生命の實相」をもう一度真剣に拝読し、観の転換をすることだと思っています。

総裁や講師の先生方のご指導だけを盲信せず、信徒一人ひとりが「生命の實相」を真剣に拝読することで、
まことに「神の御心」を生きることができるのだと思います。
******************************************************

ですから、この 云い方ですと、志恩さんが反発したように、本流の人も教団の人も「生命の實相」を真剣に拝読してないし、観の転換が為されて
いない人が大多数である、総裁も講師も本流指導者も怪しいから、自分自身でしっかり学び、判らないことが出てきたら、復興Gさんとか自分で
信じられる講師に訊けば良い。

     と聞こえて来るんですよ。あなたにとって信徒でどなたが神の御心を生きていると思いますか?

4014a hope:2014/06/01(日) 13:45:28 ID:cEpBaIdo

>>4013曳馬野さま

わたしは過去にひどく体調を壊した経験もありますので、「教え」に関しては過剰に疑心暗鬼になっているかもしれませんね。
ですから、わたし自身は今のところ「生命の實相」を拝読して独学でお勉強していくのが一番いいのではないかと思っています。


<<あなたにとって信徒でどなたが神の御心を生きていると思いますか?>

この質問に関しては、教団はじめどの団体さんにもたくさんいらっしゃるのではないかとと拝察していますが、
各自の心の中の問題ですから、a hope には答えられません。

もちろん、わたし自身は神の御心を生きていきたいと思っています。

4015曳馬野:2014/06/01(日) 14:12:16 ID:I/wU8psA

a hopeさん

わたし自身は今のところ「生命の實相」を拝読して独学でお勉強していくのが一番いいのではないかと思っています。

● 無師独覚は難中の難と云われてます、独学で済むのであれば、過去の有名講師にばかり群がる現象がなぜ起こるのでしょうか?



この質問に関しては、教団はじめどの団体さんにもたくさんいらっしゃるのではないかとと拝察していますが、

● そんなにたくさん真理を知った人がいて、あなたの嫌がる様な教団になったのでしょうか?雅春先生はどの本かは忘れましたが
  7人だったと思いますが《70人だったか》の真理をした人が心ひとつに祈れば実相は顕現すると云われています。

要するに100人の覚者が同時にはいたことがないのが生長の家と云う事になりますね。
この様に分裂する前に、あなたが沢山いるでしょうと云われる方々が何をしていたのかですね。
なにも御心にかなった行動をされなかったからこそ今のようになったと私は考えまます。

4016a hope:2014/06/01(日) 15:20:26 ID:cEpBaIdo
>>4015 曳馬野さま

わたしにとって、「神の御心を生きる」とは三正行を行じるというような意味なので、
曳馬野さまのおっしゃる「覚者」とか「真理を知った」とかとは、ちょっと捉え方が違うのですが、
曳馬野さまがせっかく公案をくれたので、考えてみたいと思います。 


● 無師独覚は難中の難と云われてます、独学で済むのであれば、過去の有名講師にばかり群がる現象がなぜ起こるのでしょうか?

○わたし自身も、youtube等で、谷口雅春先生はじめ過去の有名講師の先生のご講話は頻繁に聴いています。
 スマホで聞けば、「ながら聴き」ができますからありがたいです。
 (お掃除しながら、お料理しながら、ウォーキングしながら、洗濯ものをたたみながら・・・いつでも拝聴できるのでとても便利です)
 
 ここからがお答えですが、では、「なぜ、聴くか?」というと、真理がよく理解できると同時に、気分もよくなるからです。
 真理を本当に悟っている講師の方のお話は、波動がいいですから、たとえ、youtubeのご講話であってもその効果はすごいです。
 信徒が群がるのは、有名講師だから群るのではなくて、その講師が本物だから群るのだと思います。


● そんなにたくさん真理を知った人がいて、あなたの嫌がる様な教団になったのでしょうか?雅春先生はどの本かは忘れましたが
  7人だったと思いますが《70人だったか》の真理をした人が心ひとつに祈れば実相は顕現すると云われています。

○そのご本の内容を拝見していないので正しくお返事できるかわかりませんが、
 わたし自身の考えでいえば、本当に「唯神実相」を大悟したならば、一人でも実相世界は顕現すると思います。
 釈迦やキリスト、そして谷口雅春先生がそのような方だったのではないかと思います。

 以前は、その三人は特別な神に選ばれた人間だから、大悟できたんだと思っていましたが、
 聖典をお勉強しているうちに考えが変わってきました。

 今は、人間は一人残らず「神の子」で元は一つ(唯神実相)なのですから、誰か一人が大悟すれば、
 周りの波動の合う人たちは次々に大悟していくのではないかと感じています。【同時成道?】
 もしかしたら、その7人とか70人というのは、大悟した人と最初に波動の合った人達のことかもしれませんね。
 その人たちが、同時に祈れば、それはすごい力を発揮しそうですね!

 それで、曳馬野さまのご公案は、<<そんなにたくさん真理を知った人がいて、あなたの嫌がる様な教団になったのでしょうか?>>
 ということでしたね。
 お答えは、最初に大悟された谷口雅春先生が現象世界を去られてしまったからだと思います。
 これは教団の信徒に限らないと思いますが、谷口雅春先生をだけを特別な人だと崇拝しすぎて(偶像崇拝)、
 自己の内在や他の人の内在にも、谷口雅春先生と同じ神が宿っているという事実を、
 隠蔽してしまう人が増えてしまったからなのではないかと拝察しています。
 (あくまでも、聖典の内容から解釈した a hopeの個人的な意見ですが・・・)
   ↑ 
 ご意見、ご指導をお待ちしています。


 ところで、 a hope はこれから買い物に行ったり、夕飯を作ったりしなければならないので今日はもう書き込みできません。
 ですが、曳馬野さまの出してくださった公案のおかげで、自分自身納得のいく答えが見つかりました!

 ありがとうございます。 合掌。

4017トンチンカン:2014/06/01(日) 17:14:20 ID:itK3HnHY


a hope 様


     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
     <重大ニュース> 「谷口恵美子先生」原宿を脱出!!
     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


割り込みですが、、、<重大ニュース>だと思いますので・・・

「谷口恵美子先生」原宿を脱出!!


・これは、「谷口恵美子先生」と「マサノブ爺さん」の <波長> が合わなかった・・
 ということでしょうか?


・「谷口恵美子先生」の <軟禁状態> からの 脱出 なのでしょうか?

4018トンテンカン(罰ゲーム))):2014/06/01(日) 17:19:54 ID:oI68lYAA
>>4017
トンチンカン大師の悪智恵♪

誌友会に乱入♪

hope様、ご免なさい。

大師、僕と場外戦をやりたくて、わざと、張り付けしました。

大師様の心実相です。

4019トンチンカン:2014/06/01(日) 17:34:21 ID:itK3HnHY

<モモンガの空(から)念仏>・・なんて、どうでもいいのです・・・


「谷口恵美子先生」原宿を脱出!!・・・ <重大問題>ではないでしょうか? a hope 様


「谷口恵美子先生」は、<ときみつる會>に逃げ込まれたのですよ!!

4020a hope:2014/06/01(日) 22:57:46 ID:cEpBaIdo

>>4017 トンチンカンさま

お声をかけて下さってありがとうございます。
わたしは、教団に所属していたのがつい数年前でさらに短期間でしたから、谷口恵美子先生のことはほとんど存じ上げていないのです。
また今回の事に関しては、掲示板で拝見する情報が確かなのかもわかりませんし、さらにとてもプライベートなことだと思いますので、
本当はあまりあまりコメントしたくはないのですが、>>3959で志恩さまもそのこと言及されてわたしに質問されましたので、
恵美子先生には大変失礼なことになってしまうかもしれませんが、自分の意見をのべさせていただきたいと思います。


わたしは、恵美子先生は、どこで、どうお暮しになっていても幸せを感じていらしたのではないかと思うのです。
そして、雅宣先生のことも純子先生のことも、宮澤先生ご夫妻のことも、他のお子さんたちのことも、分け隔てなく愛して(実相直視)し、
そして、すべての事に心から感謝されていたのではないかと思うのです。


聖典引用版に謹写させていただいた、藤原敏之先生著の「あなたは必ず救われる」には、

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2883

<<このように人生は神様からの尊い御使命であると同時に、自己の魂の向上のための道場でもありますから、
何でも「ありがとう」と感謝して受けることが肝心なのであります。

生長の家は「天地一切のものに感謝せよ」との教えでありまして、都合のいいものだけや、
よくしてくれるものだけに感謝するのであれば楽でありますが、そうではなく最も都合のわるいものや、
自分を苦しめるものにまで感謝せよというのでありますから、ちょっとむずかしいのであります。

以上が生長の家の御教えの根本であるところの縦の真理であり、実相直視、
本当のことを観ることによってどんな難問題でも立ちどころに解決する根本真理であります。>>


とありますから、谷口雅春先生と輝子先生の一人娘であられる恵美子先生が、この「生長の家」の教えを実践されていないはずがありませんものね。

4021神の子さん:2014/06/01(日) 23:10:50 ID:xvcLqKrg
谷口恵美子先生の話題は別の板で議論すべきだとおもいます。この板はそういう場所ではないと考えます。

4022a hope:2014/06/01(日) 23:36:23 ID:cEpBaIdo
>>4021はトキさまですか?

もしトキさまであれば、>>4020 のわたしの投稿をどこか違う板に移して下さいね。

よろしくお願いいたします。

4023トンチンカン:2014/06/02(月) 00:26:22 ID:itK3HnHY

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「実相直視」、「聖典準拠」・・で、臭い物に蓋をするのでしょうか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



・「谷口恵美子先生」ご自身の問題として捕まえる場合は、「全てに感謝」で生活されて
 いるのだろうと推察させていただいておりますが・・・



・マサノブ総裁夫妻としては、「谷口恵美子先生のご年齢を考えれば、一人ぼっちにさせ
 ておくなんて、親を親とも思わない人間の所業」・・ではなかったのか?


・「お山に軟禁状態にあったという事」・・

・「お山の門の所に守衛を配置し本部関係者以外は一切面会も取り次ぎもさせないという
 事」・・

・「恵美子様の従姉妹とか実の子であっても面会取り次ぎさせないという事」・・


・このようなことを命令したのが、生長の家の総裁であり、そういう人が、「大調和の神
 示」の“ご高説”を説いているのです。


・これを見ないでおけ、総裁の「實相」を拝んで差し上げましょう・・なんてことでしょ
 うか?


・だから、<言行不一致>の元祖なんて言われているのですよ!!

4024神の子さん:2014/06/02(月) 00:58:43 ID:O9hK.LIc
〉〉4020

a hope様のご投稿を批判したものではありませんでした。
誤解を生む表現をしてすみませんでした。

4025a hope:2014/06/02(月) 09:22:29 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます!
今日も暑い日になりそうですね。

>>4023 トンチンカンさま

トンチンカンって漢字で書くと「頓珍漢」なんですね!
ということは、トンチンカンさんさんは男性の方ですか?


さて、本題ですが・・・。

光明掲示板等で、恵美子先生に関する情報(雅宣総裁夫婦の所業?も含め)が、たくさんお見受けできますが、
ですが、web上の情報はどこまでが正確なものかわからないと思うのです。

それなのに、そのことに関して井戸端会議的に噂しあうのはどんなものなんでしょうか?

わたしは、恵美子先生がお元気で幸せでいらしたら、それでいいと思うのですが・・・。


すみません、「くさいもの」に蓋をするのではなくて、「くさい噂話」には a hopeは興味がないのです。

4026トキ:2014/06/02(月) 09:30:44 ID:tDeT.yDU
トンチンカン様

 おはようございます。登場が遅れてごめんなさい。

 平素は、この掲示板をご利用下さり、深く感謝申し上げます。

 さて、谷口恵美子先生のご消息は確かに重要な事案で、信徒の大きな関心事で
あります。しかし、この板は、web誌友会の板であります。現在、誌友会が進行中
ですから、この板で、谷口恵美子先生のご消息を議論するのは、趣旨が違うと感じ
ます。

 たいへんご足労をかけますが、本流対策板や組織板等、他の板でのご投稿を
御願いします。

 せっかく投稿をして下さったのに、ケチをつけましたことを深くお詫びします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4027トンチンカン:2014/06/02(月) 14:32:30 ID:itK3HnHY


ご尤もな、お話で・・・


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
4026 :トキ:2014/06/02(月) 09:30:44 ID:tDeT.yDU

 さて、谷口恵美子先生のご消息は確かに重要な事案で、信徒の大きな関心事であります。
しかし、この板は、web誌友会の板であります。現在、誌友会が進行中ですから、この板
で、谷口恵美子先生のご消息を議論するのは、趣旨が違うと感じます。

 たいへんご足労をかけますが、本流対策板や組織板等、他の板でのご投稿を御願いしま
す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


・a hope 様には大変失礼なことでした。 お付き合いいただき感謝いたしております。


・「HN=トンチンカン」は、そもそもがトンチンカンだからだけのお話なのです・・・


・今回は、あの『超粘着ストーカー』の マサノブ爺さん(ももんが) からの<避難>
 の意味もありました。


・案の定、「トンチンカン大師の悪智恵♪  誌友会に乱入♪」・・なんて、この慌(あ
 わ)てよう・・


・逃避なのに、「大師、僕と場外戦をやりたくて、わざと、張り付けしました」・・なん
 てことなのです。


・最後には、「大師様の心実相です」・・なんて、訳の分からないことを言って、纏わり
 付いてくるのです。


・今後は、「web誌友会の板」はお寄りしないようにいたします!!




(参考)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
4018 :トンテンカン(罰ゲーム))):2014/06/01(日) 17:19:54 ID:oI68lYAA>>4017

トンチンカン大師の悪智恵♪

誌友会に乱入♪

hope様、ご免なさい。

大師、僕と場外戦をやりたくて、わざと、張り付けしました。

大師様の心実相です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

4028a hope:2014/06/02(月) 21:38:02 ID:brQxC10.

>>4027 トンチンカンさま

ご丁寧なお返事をありがとうございます。
なんか、トンチンカンさまって、ももんがさま同様、ユニークで憎めないキャラクターですね。
さすが、トン・チン・カンって感じです(笑)

これからも、トキ掲示板でご活躍くださいね!

4029志恩:2014/06/03(火) 12:01:04 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

a hopeさま宛の返信だと思われる破邪顕正のコメントが、光明掲示板にございましたので、ご紹介させて頂きます。
………………………………………………………………………………………………...
光明掲示板より

『谷口雅宣総裁、“八ヶ岳教団”の“批判”はやめてくださいという方へNEW (8736)』

日時:2014年06月03日 (火) 10時24分
名前:破邪顕正


お言葉を返すようですが、「谷口雅春先生を学ぶ会」は何も“批判”ばかりしているわけではありません。

どうも、勝手な思い込み、先入観でものを見ているような気がしてなりません。

昨年から「全国大会」を開催するようになりましたし、今年に入ってからは「練成会」も開催できるようになりました。

“批判”ばかりしていて、どうして、こういうことができますか…?

こういう方は、結局、この「ネット」ばかりを見ているのでしょうね。

そもそも、この「ネット」の役割とは何か?

その見解が違うのだと私は思うのです。

私は、この「ネット」とは、今の「現実」を知らせることが一つの大きな使命だと思っております。

その「現実」を知らせることが、こういう方には、どうしても“批判”にしか映らないのでしょうね。

谷口雅宣総裁の「現実」を見たくない!

“八ヶ岳教団”の「現実」を見たくない!

見たくない心情の人には、どうしても、その「現実」は“批判”にしか見えない、そういうことではないでしょうか?

今の「集団的自衛権」の問題で、それに反対する“サヨク”は、さながら「ダチョウの平和論」を繰り返しています。

砂の中に顔をうずめて隠れていれば何も危険はないと錯覚するダチョウと同じで、所謂「平和憲法」さえもっていれば、日本を攻めてくるところはないと思い込んでいるのです。

つまり、外がどんな状況になっているのか、見たくないのです!

そういう人に限って「現象はない」という教義を振りかざす!

だから、そういう方とは、自ずから、立ち位置が違う、目指す方向が違うのだと、私は思うようにしています。

ただし、お断りしておきますが、私どものその“批判”でやっと眼がさめた、今の教団の何が問題かがわかった等の喜びの、感謝の声も一方にはあるのです。

その声がある限り、その声に応えていく使命があると私は思っております。

だから、これからも「現実」を知らせてまいります!

ご理解いただれば幸いです。

4030批判:2014/06/03(火) 12:51:03 ID:???
>>4029
“批判”ばかりしていて、どうして、こういうことができますか…
笑笑笑
確かにw
批判以外にもご飯食べたり、風呂に入ったり
練成やったり結構な活動ぶりに加え
現実にデマ混ぜるなどの現総裁のイメージダウンにも忙しく批判ばかりしてられませんな

4031週刊誌記者:2014/06/03(火) 13:10:18 ID:???

>現実にデマ混ぜるなどの現総裁のイメージダウンにも忙しく

どのあたりがデマなのか、ご教示ください!

4032「訊」:2014/06/03(火) 13:48:47 ID:???

>>4029破邪サン


>>>“批判”ばかりしているわけではありません。道場だって建ってます(趣旨)<<<


 そりゃ、そうでしょうよ・・・・・批判ばかりしている創価や幸福だって「道場」くらい、持ってますよ。

 練成やってるとか道場持っている・・・・・・それがなんで、証拠になる?(笑)いやその、「批判ばかりやってんじゃない!」の証拠に(笑)。

 ・・・・・もう、なんて云うのか。

 ・・・・・。

 で、本流の最大の問題は、「和解を目指してイナイ点」です。

 和解を目指してもおられずに、批判ばかりしている・・・・・ここが問題。そうでしょ。

 で、貴殿が全然答えてくれないのは、まさにこの点。




4033「訊」:2014/06/03(火) 13:56:54 ID:???

 あ、道場ではなく「全国大会」ですた・・・・すみません。

 まあしかし、批判ばかりしている創価や幸福だって「全国大会」くらい、開けますよ。

 ですんでそんなモンが「批判ばかりじゃない!」に対応する証拠とは、言えないですよね・・・・・・(笑)。

 いやホント、批判ばかりじゃ「ない」んでしょうよ。

 だけど、谷口雅春先生を「否定している」のは(本流対策室を見れば明らかだが)事実です。これに関しては多数の証拠、ありますね。

 今日も幸福の科学にでも中心帰一され、がんばってください。「看板だけが生長の家」の、〝誰の教え派〟の皆さん・・・・・



4034「訊」:2014/06/03(火) 14:43:51 ID:???


 「本流派は?和解を目指すことなく?批判ばかり」

 これが、問題なんです。で、セウォル破邪サンは、批判ばかりと云われているんじゃなく、「和解も目指さずに批判ばかり」と云われてイルんです。

 和解って「できない場合」ですが、その際は、「和解を目指さず批判ばかりしててイイの?」・・・・それが正確な、設問。

 ですんで問題を、矮小化されませんように・・・・・誰もそんな事、言ってません。本流への疑問は「批判ばかり」なんてモンじゃないんです。


 正確には本流への疑問は、「?和解を目指すことなく?批判ばかり」

 これなのです。

 (で、ずっと放置という・・・・・)




4035神の子さん:2014/06/03(火) 15:16:56 ID:zthpuNuI
>まあしかし、批判ばかりしている創価や幸福だって「全国大会」くらい、開けますよ。

でも他の批判ばかりしている人で、宇治の結婚練成に行くのが精一杯の人もいますよ。
全国大会でも開いて、本流の背教ぶりを講義できるわけじゃなし。

4036神の子さん:2014/06/03(火) 15:19:10 ID:zthpuNuI
>>4035

すみません。自分で書き込みしておいてこんなことをいうのはへんですが、
 今の話の流れって、誌友会の趣旨とちがうみたいですね。
 これからしばらく、誌友会版には来ません。失礼しました。

4037「訊」:2014/06/03(火) 15:23:26 ID:???


 げげ、誌友会板だった・・・・・

 (不適切ならば、削除ください。ホープさんに一任します)

4038a hope:2014/06/03(火) 16:02:43 ID:cEpBaIdo

訊けさま その他の誌友会にご参加のみなさまへ


いえいえ、今現在のテキストは、「生命の實相」第13巻と14巻で『倫理篇』です。
「和解」のはなしだったら、この誌友会ににぴったりではないですか!

わたしは訊けさまや、解説者さまのご意見にほぼ同意しています。

どうぞ、遠慮なく誌友会にどんどんご参加くださいね!

a hope が、今までしていた聖典の勉強は、「聖典引用板」でさせていただいていますから、気になさらないでください。

今は、時間がとれませんが、後で、みなさまのご投稿はゆっくり拝見させていただきます。

4039a hope:2014/06/03(火) 19:24:31 ID:cEpBaIdo
>>4029の志恩さま

志恩さまの転載してくださったご投稿は、a hopeや「訊け」さまからの質問へのお返事ではないようですよ。

「訊け」さまの質問は 

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/1743

↑です。

そして、a hopeの質問は

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/3937

↑と、

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/3971

です。


あの、ご投稿内容をいくら拝見しても、このわたしたちふたりの新入生の質問にはいっさいお答えしてくだっていませんよね。

とても失礼ですが、破邪顕正さまは、ただ、なぜ批判するかの言い訳だけ繰り返されているような印象を受けました。

破邪顕正さまが、おっしゃっている「現実」とは、いったい、何なんでしょうか?

聖典引用板にa hopeが謹写した「三界はただ自心の展開である」という「生長の家の教え」を
「学ぶ会さま」では、どのようにご指導くださっているのかご教示いただけると嬉しいです。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2892n-

破邪顕正さま どうぞよろしくお願いいたします。

4040a hope:2014/06/06(金) 08:05:07 ID:cEpBaIdo
聖典引用板から転載させていただきます。

2897 :曳馬野:2014/06/05(木) 22:20:10 ID:I/wU8psA


>>2893  a hope さん

すべてが「自心の展開」である、ということが判明しますと、ただわれわれの幸福を得るための仕事は、互に争うことではなく、ただ自心をととのえれば
自己が生きるとともに、自他一体なるがゆえに他者もともに生きるという幸福なる環境が展開し、いっさいの争いは滅尽(めつじん)してしまうのであり
ます。

ここに、「和解の方法」がしっかりと示されていますよね。
『聖典裁判』真只中の「生長の家」ですが、雅宣先生はじめ「教団」や「本流復活派」の講師の先生方は、
練成会や講習会でこの真理をどのようにご指導くださるのでしょう?

a hopeは興味津々です。
************************************************************************************
a hopeさんの云う事、笑っちゃいますね。この『生命の実相』の言葉が真理であると云うのであれば、
【ここに、「和解の方法」がしっかりと示されていますよね。】と「しっかりと」の修辞つきで断定しているのですから、ご自分が実践しさえすれば事足
れりではないですか。興味津々です、なんて周りを冷やかす必要はないですよ。【和解の方法】なんて言い方、そもそも可笑しいでしょう。第三者として
評論家になっているからこその発言ですね。あなたの心の影としての外界しか無い、というのが上の真理の言葉の意味でしょう。
雅宣先生や教団本流派の講師の先生方、というあなたと別人の見解なんて何で関係あるのですか。ご指導くださるのでしょうか、なんて言い方は、
「私から見たら皆さん真理の実践がありませんね」と云うのと変わりません。そのように自分と切り離された周りの人々がいる、と自ら真理に外れている
ことを表明しているのですよ。まして向こうに出張ってまで自分の信念を述べる、これは恥の上塗りでありましょう。

4041a hope:2014/06/06(金) 08:06:02 ID:cEpBaIdo
曳馬野さま

わたしは、皆さんを冷かしているつもりはまったくなくて、真面目に興味津々なのです。
このweb誌友会では、わたしは聖典「生命の實相」を拝読して感じたことや疑問点を率直に発言しています。
ですが、わたし自身、「生命の実相」をちゃんと悟っているわけではないので、自分の発言には自信がないのですよ。
ですから、本当に、心からご指導していただきたいのです。

曳馬野さまこそ、新入生の率直な疑問に「笑っちゃいます」なんて発言で冷やかさずに、誠実にお答えくださるとありがたいです。

おそらく、この掲示板をご覧の「生長の家」の大調和を願うたくさんの方々も、わたしと同じように、雅宣先生はじめ、教団・本流の講師の先生方からのお返事を待っているような気がします。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

以下、曳馬野さまご指摘のわたしの投稿文

(聖典引用板 >2894 >2895)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2894
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2895

4042a hope:2014/06/06(金) 08:11:58 ID:cEpBaIdo
>>4041訂正

【曳馬野さまご指摘のわたしの投稿文】が間違っていました。

正しくは、聖典引用板 >9892 >9893 

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2892
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2893

4043訊商業:2014/06/06(金) 11:33:12 ID:???

 いやホント、日本は広い・・・・・・・以下は、そんな話になりましょうかね。

 ところでa hopeの投稿趣旨って、〝解釈〟でしょう。そして、質問でしょう。たとえば「こんな風に解釈しましたが、皆さんはどうお考えですか」という・・・・・・・・その程度の投稿でしょう。それがなんで、こんな言い方でまとめられて仕舞うんでしょうか・・・・・・・見てみましょう(笑)。

――――――――――――――――

興味津々です、なんて周りを冷やかす必要はないですよ。【和解の方法】なんて言い方、そもそも可笑しいでしょう。第三者として
評論家になっているからこその発言ですね。あなたの心の影としての外界しか無い、というのが上の真理の言葉の意味でしょう。
雅宣先生や教団本流派の講師の先生方、というあなたと別人の見解なんて何で関係あるのですか。ご指導くださるのでしょうか、なんて言い方は、
「私から見たら皆さん真理の実践がありませんね」と云うのと変わりません。そのように自分と切り離された周りの人々がいる、と自ら真理に外れている
ことを表明しているのですよ。まして向こうに出張ってまで自分の信念を述べる、これは恥の上塗りでありましょう。

――――――――――――――――


>>>興味津々です、なんて周りを冷やかす必要はないですよ。<<<

 ・・・・・冷やかし?(笑)冷やかしていることに、なるのか、a hope投稿文は・・・・・(笑)。たとえば夏目漱石を読んで自分の感想を述べ、「先生の解釈は?」なんて質問する行為ですが・・・・・これって、冷やかしになるんでしょうか(日本は広いもんですね)。

>>>第三者として評論家になっているからこその発言ですね。<<<

 なんでそうなるんでしょうか・・・・・(笑)。a hopeの投稿は「問いかけ」ですよ・・・・・反論側にも反論の機会を与えているだけなのであり、「かなりフェアな態度と云える」わけですがね。これが「決め付け発言のオンパレード」・・・・・・・これだったら、そう言えましょうが(笑)ええその、相手方真意確認をスキップし、「決めつけ断言の反復だけ」をされておられれば、a hopeさん、「第三者・評論家」みたいな謗りを受ける可能性、あるんでしょうが・・・・・a hopeの投稿は「問いかけ」ですよ・・・・・反論側にも反論の機会を与えているだけ。



>>>あなたの心の影としての外界しか無い、というのが上の真理の言葉の意味でしょう。
雅宣先生や教団本流派の講師の先生方、というあなたと別人の見解なんて何で関係あるのですか。<<<

 逆に「どうして問われているのか」 ―― それをお考えには、なられてますかね。新入生から見れば実践されていない、少なくともそんな風に映る・・・・・だから、説明をして欲しいという意図でしょう。これが決め付け発言ばかりだったら「第三者の評論家」なんて謗りを、免れませんけどもa hopeの投稿は「問いかけ」ですよ・・・・・反論側にも反論の機会を与えているだけなのであり、「かなりフェアな態度と云える」わけですがね。

>>>ご指導くださるのでしょうか、なんて言い方は、
「私から見たら皆さん真理の実践がありませんね」と云うのと変わりません。<<<

 どうして、そうなるんでしょうか・・・・・・・・・解釈が(笑)。たとえば、

 「先生、英文法をご指導ください」と問う生徒に対し、「それは私を〝英語バカだ〟と思っているのと変わりません」なんて返答する先生あらば・・・・・・・・・・・まあ、なんて云うのか。「そこまで自信がなかったの!?先生!?」に、なりはシナイかと・・・・・。

 ・・・・ところで、「真理の実践がありませんね」「と云うのと変わりません」とのことですが、いったい、どんな考えをすれば、そんな問題意識になっちゃうんでしょうか・・・・・・・・理解不能で笑えて来るわけです。「そこまで自信がナカッタのか」と。

>>>まして向こうに出張ってまで自分の信念を述べる、これは恥の上塗りでありましょう。 <<<

 は、恥の上塗りと来ましたか・・・・・・はあ。

 まあ、私から見れば「実に正々堂々としたもの」に映りましたが、「恥の上塗り」に映る方もおられるんですね・・・・・・・やはり、日本は広いです(笑)。

 クドイですが、a hopeの投稿は「問いかけ」ですよ・・・・・反論側にも反論の機会を与えているだけなのであり、「かなりフェアな態度と云える」わけですがね。これがもしも「決め付け発言のオンパレード」だったら・・・・・・誰とは申しませんけど、そっちの方が問題では。




4044訊商業:2014/06/06(金) 11:37:34 ID:???


 「a hopeの投稿は」なんて表現が多出してますが、すべて・・・・「a hopeさんの投稿は」に訂正。




4045a hope:2014/06/06(金) 11:54:14 ID:cEpBaIdo
>>4011訊商業

いえいえ、a hopeのことは呼び捨てでかまいませんよ。
自他一体ですから・・・(笑)

お仕事行ってきます。

4046志恩:2014/06/06(金) 12:10:28 ID:.QY5jUA6
a hopeさん

先日、あなたが、私にも論点をずらして、a hopeさんの以下の質問に答えていないと
言われましたので、考えてみました。
「三界はただ自心の展開である」=「三界唯心の理」についてです。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2892

a hopeさん謹写ー
>>「生命の實相」第13巻 p123〜
   感覚世界の自主的征服
さて、この「三界はただ自心の展開である」との事実に眼が覚めてきますと、
すべての感覚的事物への自己の奴隷的屈従がなくなるのであります。

ほとんどすべての悪徳は、一切事物を「自己の心内(こころのうち)の存在だ」と気がつかず、
独立せる外界を構成せる事物であるとして、自己の内界(こころのうち)を調べないで、
外界をできるだけ多く、自己の所有としようとし、他を制して、他と争い(利己主義)、
あるいは自己を忘れて外界に隷属(感覚的耽溺)することになるのであります。

かくのごとくして、いっさいをただ「自身の展開」と見ないものには、
利己主義と「感覚的事物への隷属」とがこもごも生ずることになり、
争い、嫉妬、羨望、憤怒、憎悪、焦燥、貪欲、虚飾その他あらゆる罪悪(真理隠蔽)が、
「三界はただ自心の展開である」という根幹的真理の隠蔽の枝葉として繁茂するのであります。略<<


志恩ー
この「三界唯心」(三界はただ自心の展開)は、華厳思想で
谷口雅春先生が、全ての世界は外界になく、「心」から現出するものであり、心を
離れては何も存在しないのだとして、説明されてます。

>>その争いの「心」は、我とか、煩悩に汚され、覆われた神性を隠蔽している自心の展開なのだから、
自分の心さえ、排他的感情に陥らないで、自心を整えることをしさえすれば

いままで、例え,自心を尖らせれば、自己を鋭く刺すがごとき尖った環境がやって来ていたとしても、
あなたが、すべては自心のとおりのものが現れて集まって来ることを如実に悟ったとき、
自然にいっさいの対他的悪徳が消滅してしまうのであります。<<


同じ心でも、善の世界を顕現させられる心であるか、その反対の心であるかどうかは、
他人様の心の責任ではなく、自心の責任であるということですよね。

そして、実相の心で観た場合は、もともとの全ての一切は、仏性の現れであり,
あらゆる全てがそのままで真理であり、「実相は、既に神の子,仏の子、完全円満ということを、
教えて頂いている。

宗教を生きるとは、そのことを自分自身が、空念仏ではなく、腹の底から,信じられるかどうかだと思うのです。

つまり、他人の心がどうかではなく、a hopeさんや 私自身の心が、
心の法則によって,信じた通りのことが、実現しているというのが、この教えなのです。

折角「生命の實相」全巻を読んでも、真理は、両刃ですから、どう使うかが、
自他共に幸せになるか、不幸せになるかの、分かれ道です。

他人ではなく、あなたが、「行」が「信」を伴わないで、空念仏で終わっていれば、
読んでいない人と 変わらないです。

ご承知のように、
生長の家では、「第一義のものを第一義にする」ことが、全ての問題解決の基本であると教えられていますが
本流のことも教団のことも、現象は「心の現出した影」にすぎませんので、


本流は、良くなるためにやって下さっているし、
教団も、現象では、迷ったり、誰かに騙された、行き詰まったり、しているか、していないかは。真実はしりませんが、
やっている。
それらは、「神の子人間」の実現の過程にあり、大転換機のあるのだと、(三界はただあなた自心の展開なのですから)
信じて、

今は、その解決の道のりだと信じて、よろこんで生きることが、三界は唯心の所現の現在の環境を克服し、
無限供給を開く道だと思います。

うまずたゆまずすることは、
①朝夕、必ず、短くてもいいから,神想観を実修する。
②毎日、1頁でもいいから「生命の實相」などの聖典にふれる。
③人にお役に立つ事を、毎日1回以上実行する。

そうすれば、全ての世界は、心の展開であると同時に神と神の現れですから、今のような
ごたごたに見えることも人生で出会ったひとつのいい機会だ、かけがえのないチャンスに恵まれたのだと
思えてきますので、感謝して迎え、

ここが、おかしいという問題は、遠慮なく、互いが論議しあい、批判し合うのも、
真理の道を歩む道程であると思えて来ます。

私だって、自分は本流だといいながら、本流に言いたい事、言ってますし..(笑)

「人間万事塞翁が馬」(じんかんばんじさいおうがうま)って、ことだと思っています。

4047トキ:2014/06/06(金) 14:55:24 ID:aX0PLogY
 またまた遅れて登場しました。

 a hope様の態度は立派だと思います。応援しております。

4048a hope:2014/06/06(金) 21:49:37 ID:cEpBaIdo

>>4046志恩さま

わたしの質問に、とても丁寧なお返事をくださりありがとうございます。

ですが、とても残念ですが、志恩さまの聖典の解釈はどうも、わたしの解釈とはずいぶんと違うようで、すっきりと理解できないのです。

たとえば、一例ですが、

>>その争いの「心」は、我とか、煩悩に汚され、覆われた神性を隠蔽している自心の展開なのだから、
自分の心さえ、排他的感情に陥らないで、自心を整えることをしさえすれば
いままで、例え,自心を尖らせれば、自己を鋭く刺すがごとき尖った環境がやって来ていたとしても、
あなたが、すべては自心のとおりのものが現れて集まって来ることを如実に悟ったとき、
自然にいっさいの対他的悪徳が消滅してしまうのであります。<<

の聖典の御文章が、志恩さまが解釈されると、

<<同じ心でも、善の世界を顕現させられる心であるか、その反対の心であるかどうかは、
他人様の心の責任ではなく、自心の責任であるということですよね。
そして、実相の心で観た場合は、もともとの全ての一切は、仏性の現れであり,
あらゆる全てがそのままで真理であり、「実相は、既に神の子,仏の子、完全円満ということを、教えて頂いている。>>

となってしまっていて、わたしには、内容が全く違うように見えますし、意味もよく通じないのです。

志恩さまもおっしゃっていましたが、聖典の解釈は人それぞれですら、こればかりは仕方がないのかもしれませんね。


ですが、

<<うまずたゆまずすることは、
①朝夕、必ず、短くてもいいから,神想観を実修する。
②毎日、1頁でもいいから「生命の實相」などの聖典にふれる。
③人にお役に立つ事を、毎日1回以上実行する。>>

わたしは、
① 神想観は大好きです。
② 聖典のお勉強も大好きです。
③ 家庭、地域、ボランティア活動、仕事を通して、出来る限り「生長の家の御教え」を実践しているつもりです。

ですから、これも以前言いましたが、「生長の家」を愛する気持ちは志恩さまと同じだと感じています。

それに、きっと、この掲示板をご覧のたくさんの方々が、志恩さまの投稿内容に賛同されているのではないかと拝察しています。

誠実なお返事をいただきましたことに、心から感謝しています。

合掌。

4049a hope:2014/06/06(金) 22:12:35 ID:brQxC10.

>>2043 訊商業さま >>4047トキさま

応援ありがとうございます。

自分の使命が何なのかはまだハッキリとわかりませんが、
ここで「生命の實相」をお勉強させていただくことで、皆さんとつながっていられるということが、
わたしの大きな励みとなり、安心となり、そして幸せを感じています。

これからも、思ったことを素直に発言させていただくつもりでいます。

ですが、明日からちょっと忙しくなるので、書き込みを数日間お休みさせていただくつもりでいます。

来週中には戻りますが、その間、web誌友会に書き込み等ありましたら、
トキさまでも「訊け」さまでもどちらでもいいので対応をよろしくお願いいたします。

4050訊商業:2014/06/07(土) 08:51:29 ID:???

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

             <静聴>

○ 【動画】「久遠の今」 ―― 谷口雅春先生御講話(約15分)
https://www.youtube.com/watch?v=WueXb8tC-iQ&amp;feature=youtu.be

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


 ・・・雅春先生ご講話の「久遠の今」ですが、新しいヴァージョンの動画です。ある方がご自分で、雅春先生のご講話を動画編集したものであります。今回了承を得てK機関が、Youtubeにて公開するはこびとなりました。

 いやまあ、なんて云うのか・・・・「百の議論よりも先ず」でしょうか。先ず「ここから」では。

 「ここがベース」ではないでしょうか。

 ここがベースになっていないから、「議論が錯綜するのでは」ないでしょうか。

 少なくとも「谷口雅春先生を語る」のであれば、この動画こそが基礎部分になりましょう。そして、この動画を視聴されて後に展開される議論は、良質のものとなりましょう。全投稿者、「要視聴の動画」と云えるのではないでしょうか。




4051a hope:2014/06/10(火) 07:47:41 ID:cEpBaIdo
テキスト 「生命の實相」第13巻 p130〜
<<「生長の家」ではごくごく容易しい方法がある。これは『生命の實相』を幾回でも繰り返し翻読するだけで、言葉の力、声字の力によって自然に実相が開顕され、迷いが消滅し、在来努めて抑えようとしていて抑えきれなかった悪性癖が自然に消えてしまうので、後に気づいて驚かれる方がたびたびあります。>>

(a hope所感)

ここにある「在来努めて抑えようとしていて抑えきれなかった悪性癖」とは、
「焦燥」「不安」「恐怖」「臆病」等であると、この文章の前に述べられています。

わたし自身も、以前はこのような悪性癖が度々顔を出してしました。
ですが、「生長の家のみ教え」に触れ、「生命の實相」を拝読しお勉強していくうちに、自然とそのような悪性癖(感情)が出ることが少なくなってきました。

本当にありがたいことです。


>>4050訊商業さま

素晴らしい雅春先生の動画をご紹介くださりありがとうございます!
さすがに、新しいバージョンはパワーアップしていますね。

「久遠の今」を本当に悟り、実生活に生かすというのは、なかなか難しいことなのかもしれませんが、
現在、わたしたちは学ぼうと思えば、聖典はすぐに手に入りますし、このように良質なyoutubeの動画等拝見することができるのですから、とても恵まれていると思います。

信仰とは、誰かに頼るものではなくて自分から求めて行くのものだと感じています。

また、光明掲示板では、明鏡さまがわたしa hopeに素晴らしいご指導をしてくださいました。

「生長の家」には、まだまだたくさんの素晴らしい信仰者の方がいらっしゃるのだと実感できました。

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=1743

4052神の子さん:2014/06/10(火) 12:45:16 ID:529z8PYU
a hopeさま

拝読させていただきました、ひさしぶりなのでちょっと前後つながりませんが、
応援してます!

フレー!フレー! a hope様

4053a hope:2014/06/10(火) 23:14:46 ID:cEpBaIdo
>>4052 神の子さん ・・・もしかして、ユタカさま?

応援ありがとうございます。
これからも、マイペースでお勉強させていただきますね。


ところで、画龍点睛さまという方が、わたしの聖典解釈に関してご批判をくださっているようなので、
たいへんありがたく思います。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&amp;mode=res&amp;log=1693

やっと、家事が落ち着きましたので、これからプリントアウトしたものをじっくり拝読させていただきます。

ただし、わたしの解釈は復興Gさまや「訊け」さまとまったく一緒ではないと思いますので、
わたしは、わたし個人的に、画龍点睛さまにお返事させていただくことになるかと思います。

時間がかかるかもしれませんが、誠実にお答えさせていただきたいと思っています。

わざわざ、こちらに画龍点睛さまのご投稿を転載して下さったトンチンカンさまにうかがいます。

こちらでお返事させていただいた方がいいでしょうか?
それとも、新・本流復活掲示板の方でお返事させていただいた方がいいでしょうか?

画龍点睛さまに伺ってくださらないでしょうか?

4054a hope:2014/06/12(木) 23:10:31 ID:cEpBaIdo

トンチンカンさまからのお返事がないので、とりあえず、こちらで画龍点睛さまの投稿へのお返事を始めさせていただきますね。


画龍点睛さま 

今回のa hopeの聖典解釈へのご批判、心より感謝しています。

今回、画龍点睛さまは、わたしの投稿文を3つ掲載してくださり、その解釈が間違っているとご指摘してくださっていますが、
あの3つの投稿文は、すべて聖典「生命の實相」13巻の文章を新入生a hopeが解釈したものですから、
画龍点睛さまがおっしゃるとおりにわたしが間違って解釈している可能性はあると自分でも思っています。

ですから、今回、画龍点睛さまのご投稿文章をじっくり拝読させていただき、大先輩の大きな胸をお借りして、
正々堂々と真理の研鑽をさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
(つづく)

4055a hope:2014/06/12(木) 23:13:43 ID:cEpBaIdo
>>4054つづき)

画龍点睛さまは、まず、今回のweb誌友会のテキストでもある第14巻の〈和解の倫理〉の文章を掲載されて、

その上で、

『開祖・谷口雅春先生の上記「和解の論理」の御文章を正しく理会するためには、先ず「真説」とは何か、「虚説」とは何かを正しく把握しておかなければならないのであります。』

と述べられ、

『「生長の家」の信徒にとっての「真説」とは、開祖・谷口雅春先生がお悟りを開かれ、生長の家の大神様から啓示を受けられた神示としての『御教え』、
これが「真説」であります。この「真説」としての本来の『御教え』を、時代即応とか真理の目玉焼き理論という理屈をつけて、
人間知によって換骨奪胎して左翼的唯物価値観に基づく「今の教え」に改竄した「マサノブ教」ともいうべき三代目・マサノブ(自称)総裁の説く内容を「虚説」というのであります。』

とご自分の見解を述べられていますが、

それを要約すると

【「真説」とは、「谷口雅春先生の教え」であり、「虚説」とは「谷口雅宣先生教え」だ】

とおっしゃっているのだと思います。


ですがもう、この「真説」「虚説」のとらえ方からして、聖典に準じていないとわたしは感じてしまうのです。

だって、聖典にはそのような記述は一切ないですから。
(つづく)

4056a hope:2014/06/12(木) 23:16:26 ID:cEpBaIdo
>>4055つづき)

以前、わたしは、このweb誌友会板で聖典の虚説に関する内容をまとめた『虚説とは何か?』というレポートを作成しましたので、
それを一部、読みやすく変更して、再掲載させていただきます。>>20


―――――――――

『 虚説とは何か』 副題(虚説と和解しないために)     a hope


●「虚説(迷い・サタン・異端・邪説・雑念)」→【現象世界に投映されると】→ 暗黒化し、「罪」「病」「死」など(仮相)が現れて見える。    
           
○「真説(真理・神・生命・愛・知恵)」→【現象世界に投映されると】→光明化し、「真」「善」「美」などの(実相)が現れてくる。



●虚説 = 妄想の客観化  ⇒ 非実在

○真説 = 実相の顕現  ⇒ 実在(※実相独在)

(※悪人といわれる人や悪と感じる病原菌や害虫でも実相は完全な人間や細菌や生物なのだから本来すべて善である) 


●虚説とは、「迷い」や「誤れる見解」のことである。
それでは、「迷う」「誤れる見解をする」とはどんなことか?

それは、自分自身や相手(対象物)の実相を見ず、悪であると思ってしまうこと。
または、罪を見てしまうこと。
つまりは、本来無い仮相の現象に心を捉われてしまうこと。

○真説 (虚説と和解しないために)
「迷わない」「正しい見解をする」とはどんなことか?

それは、自分自身や相手(対象物)の実相だけを見つめ、すべては善であると思うこと。
または、罪を見ないこと。
つまりは、実相世界の完全円満さを常に喜ぶこと。


>>18復興Gさまの謹写箇所に、二元論に惑わされた誌友の話があるが、
このような「迷い」や「誤れる見解」をしてしまうことは、
キリストや、仏陀、谷口雅春先生のような聖人でない限り誰でも多かれ少なかれあることなのである。

これが完璧にできるようになったときが、真の悟り、復興Gさまのいう「久遠の今」の自覚が得られるときなのではないかと感じている。

だからこそ、わたしたちは謙虚に学んでいかなければいけないのだと思う。
他人の「虚説」を批判する前に、まず自分自身に「虚説」がないか反省することが必要なのだ。

そして「虚説」と和解しないためには、自分自身ができる限り「生長の家の真説」を実行し、
「虚説」と思われるものは実行しなければいいのである。

以上。

――――――――
(つづく)

4057a hope:2014/06/12(木) 23:19:49 ID:cEpBaIdo
>>4056つづき)

このレポートは、今から1年以上前に作成したものですが、今読み返してもよくできていると自分では感心しています。

ですから、すでに最初の時点から、画龍点睛さまのご投稿内容には違和感を覚えます。

今夜はここまでにさせていただきます。

感謝 合掌。

4058トンチンカン:2014/06/13(金) 00:05:39 ID:itK3HnHY

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
4054 名前:a hope 投稿日: 2014/06/12(木) 23:10:31 ID:cEpBaIdo

トンチンカンさまからのお返事がないので、とりあえず、こちらで画龍点睛さまの投稿へ
のお返事を始めさせていただきますね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・a hope 様、トンチンカンの「パソコンの不調」がありまして書き込みが出来ない状態
 でした。 申し訳ありません。


・a hope 様の文面については、画龍点睛氏があちらの「掲示板」に返答されるものと思
 っておりますが・・・



<再掲>

8008 :トンチンカン:2014/06/12(木) 16:52:38 ID:itK3HnHY

訊け君に「お詫び」を・・・


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
7972 :トンチンカン:2014/06/10(火) 21:44:38 ID:itK3HnHY
>> 残念ですが、、、期待外れのようですね・・・ <<
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・このメッセージを書いて以降、トンチンカンの <IE> が 「このページを表示で
 きません」 なんてことで、掲示板を閲覧すること自体が 不能 になりました・・・


・パソコンが勝手に ≪復元処理≫ をして、ノートン(ウイルスソフト)が使用できな
 くなり、多分それがイタズラをしてだろうか、こんな羽目になりました。


・外部からは、訊け君が相当に「喚(わめ)いているよ!」なんて連絡をいただいたので
 すが、トンチンカンには対応が難しくて・・・(トホホ、、、)


・やっと回復していただきましたので、これからユックリと拝見させていただこうと思っ
 ております。

4061トキ:2014/06/13(金) 18:55:54 ID:uXigT6Go
 画龍点睛様が使った「虚説」という表現について、少し感想です。

 以前も書きましたが、大川隆法氏が「谷口雅春霊言集」なるものを出版し、生長の家信徒を自分の
教団(まだ「幸福の科学」は出来ていませんでしたが)に勧誘した時に、生長の家は機関誌に
「虚説に惑わされるな」と題した文章を発表しました。

 週刊誌の報道では、生長の家本部は、大川氏に「霊言というのなら、こちらの目の前で再現して
みろ」と迫ったとあります。当然、大川氏は無視したみたいです。

 後年、「幸福の科学」の幹部だった人物が暴露したところでは、「谷口雅春霊言集」は、生長の家
の未発表の内部資料を基に複数のゴーストライターが書いた作文だったみたいです。少し生長の家の
歴史を知っている人間が読めば、あの「谷口雅春霊言集」は贋作であるのは明らかでしたが、当時
は谷口雅宣先生が登場し、部内で動揺が生じた時期なので、あれを信じた人がいるのは残念でした。

 あの時に、教団が「虚説」という表現を使ったのが、その後、本流復活派にも影響を与えたと
感じております。

 この「虚説」という表現は、結果的には、相手の存在そのものを否定する表現になってしまって
います。贋作をした大川氏ならこの表現でもいいでしょうが、生長の家の解釈を巡る考えの相違で、相手
を「虚説」と言い切りのは行き過ぎだと感じます。

 確かに、今の総裁のやった事は、結果的には「ことごとく失敗」なのは認めます。しかし、その
動機の部分においては認めるべき部分があるのも事実だと感じます。それ以上に気をつけるべき
は、自分達も知らず知らずのうちに、「真理」から離れている場合がある事です。

 脚下照顧が大切だと思う次第であります。

4062a hope:2014/06/15(日) 12:30:03 ID:cEpBaIdo

>>4061トキさま

大川隆法氏の「谷口雅春霊言集」なんてものがあるのですか・・・。

そして、それが出版された後に機関誌に「虚説に惑わされるな」という文章がのり、
そのことにより、「虚説」=「贋作」というイメージが広がってしまったわけなのですね。

わたし自身も聖典をしっかりお勉強する前は、「虚説」の本当に意味がよく分かっていませんでした。
ですから、「悪」や「贋」と「虚説」を混同して発言してしまっていたこともあるかもしれません。

でも、今は、「虚説」というのは現象に現れて見えるものをいうのではなく、
自分自身の「間違った見解」であると理解しています。


ですが今の「生長の家教団」では現実に、生長の家総裁である雅宣先生が「間違った見解」をされて、
それが「今の生長の家の教え」であると説かれています。

その場合、過去のわたしのように「本来の教え」をあまり知らない信徒は、そのままそれを信じてしまい実行してしまうことになります。

本流復活の先輩方は、そういうことを危惧されて、雅宣先生や今の教団をご批判されているようですが、
その場合、ご批判の一つ一つに、聖典を根拠にした「真説」を示して、
「それは間違っている教えだから撤回してください」というように進言される方法をとらないと、
単なる人格批判や、根拠のない批判になってしまい、そのような言動をいくら続けていらしても、
信徒の皆さんからの本当の信頼は得られないのではないかと拝察しています。

実際このweb誌友会板では復興Gさまが、聖典を根拠に「雅宣先生の教え」のおかしな所をたくさんご指摘くださいましたし、
光明掲示板でも、山科さまや明鏡さまその他、聖典「生命の實相」を熟読されている先輩方は、しっかりとした根拠を示して、
雅宣先生の教えの間違いをご教示下さっています。

そのような冷静なご投稿は、単なる感情的な雅宣先生批判と違って、とても説得力があります。

ですから、虚説を摧破・駁撃するのにとても重要なのは、はっきりとした聖典による根拠を示し冷静に批判することだと思っています。

そして、トキさまが、

<<確かに、今の総裁のやった事は、結果的には「ことごとく失敗」なのは認めます。
しかし、その動機の部分においては認めるべき部分があるのも事実だと感じます。
それ以上に気をつけるべきは、自分達も知らず知らずのうちに、「真理」から離れている場合がある事です。
 脚下照顧が大切だと思う次第であります。>>

と、ご意見を言われていますが、わたしもそのご意見に賛同させていただきます。

常に、脚下照顧することが大切であるとわたしも感じています。

4063a hope:2014/06/15(日) 12:44:17 ID:cEpBaIdo
>>4062 追記

【聖典を根拠にした「真説」】とは、【聖典に準じた正しい見解・解釈】という意味です。

4064トキ:2014/06/15(日) 13:41:53 ID:fVXlCvWI
>>4602

 コメント、ありがとうございました。

 大川さんの件は、web誌友会と趣旨が違うので、のちほど、別の場所で
書きます。

4065曳馬野:2014/06/15(日) 17:19:24 ID:I/wU8psA

●生長の家を明朗の宗教と云うのは間違いかもしれない。生長の家は宗教ではないとも云われている。一宗一派の儀禮や集團を作るのが
宗教であるならば生長の家は宗教ではない。それは儀禮や集團を超越したところの超宗教的教化運動である。而もその教化運動は今まで
言詮不及、不立文字として文章を以て説き得ずとしたところの悟りの真理を、文章による古今未曾有の説き方によって易々と人心に滲み
込ませるやうにしたところは一個の文學運動と見ても可いのであって、必ずしも宗教運動と認めなくとも好いのである。併し宗教をば、
生老病死の四苦を解決しうるものを指すと云うような意味に解すれば、生長の家は文學運動であらうとも同時に宗教運動とも云ひ得るのである。

                                          
●『生長の家』とは私の家の名前でもなければ、また『生長の家』という表札を出してある大きな建築物を云ふのではないのです。
心の法則に随って宇宙生々の雰圍気を漂はしている皆様自身の家庭が『生長の家』なのです。さう云ふ家庭の満つる國家は『生長の國家』であり、
全世界がさう云ふ國家ばかりになったら、地上に天国が成就したことになるのです。何でも一歩からです。まづ一人が和顔愛語の『生長の人』
になることが肝腎です。
                              「生命の實相」 より

4066曳馬野:2014/06/15(日) 17:50:24 ID:I/wU8psA

生命の永遠性と云ふことが本當にわからなければ、久遠を貫く皇位の永遠性と云ふことが判る筈がないのであります。こんな事では伊勢大廟に
祭祠奉れる天照大神様は勿論のこと、歴代の天皇様の靈魂が今も現に生きて現人神様として御活動になっていますと云ふ事も解らないで、・・・

                                     「生命の實相」より

皆さんはここに引用しました三つの教えをどのように感ぜられていますか?

4067a hope:2014/06/15(日) 18:21:15 ID:cEpBaIdo

>>4065 4066 曳馬野さま 

web誌友会ご参加ありがとうございます。

えーと、この度は、曳馬野さまが「生命の實相」から抜粋文を謹写くださり、

<<皆さんはここに引用しました三つの教えをどのように感ぜられていますか?>>

と質問されていますが、お手数ですが、これらの抜粋文は何巻の何ページからであるかご教示ください。

今現在、このweb誌友会では、「生命の實相」第13巻14巻の倫理篇(教育篇含む)をテキストとしてお勉強を進めています。

今回のご参加で、曳馬野さまが何をされたいのかよく理解できません。

それに、わたしは、聖典の文章の全体の流れからではなくて、聖典の一文だけを取り上げて意見を述べたり解釈したりするのは、
曲解や、間違った解釈をする恐れがありますので、できるだけこのweb誌友会では避けたいと思っているのです。

ですから、これまでずっと順序だててお勉強してきています。

ですが、曳馬野さまのご質問内容が、今回のweb誌友会のテキスト13巻 14巻からの抜粋文であったり、
また、今までの話の内容と関連性があるのであれば、まずは、曳馬野さまご自身の抜粋文へのご感想や、解釈を述べていただけないでしょうか?

どうぞ、よろしくお願いいたします。

4068曳馬野:2014/06/15(日) 19:28:41 ID:I/wU8psA
a hope さん

昭和14年発行の生命の実相14巻でありますが、昭和26年発行の新修版には二番目のものは有りますが、最初と三番目のものは有りません。
総本山への考え方、天照大神様とはどのようなものなのか、地上天国とは何か、生長の家の目指すもの、それらに対する雅春先生の書かれたものに
何故戦前と戦後では違いがあるかと云う事、またここで自分はこう考えるというような話し合いが必要かどうか、そんなことを考えていただく機縁と
なさんとしての投稿です。今倫理篇の勉強会中であることは承知していますが、和解に関しては訊けさんへの投稿により私の意見は述べてあります。

4069a hope:2014/06/15(日) 23:23:44 ID:cEpBaIdo

>>4068 曳馬野さま

曳馬野さまがご紹介の最初の二つの御文章は、以前わたしが聖典引用板の>2678 〜>2684に謹写した
「無礙の大道」の内容とほぼ同じだと思いました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2678n-

ですから、なぜ、最初の一つ目の文章が、戦後削除されてしまったのか理由がはっきりわかりませんね。
なにか、当時使ってはいけない言葉でも含まれていたのでしょうか?
どなかた、ご教示くださるとありがたいです。


最後の御文章に関しましては、わたしの持っている14巻には載っていないのですから、
わたしは全文読むことができませんから、感想を述べることもできませんが、
この掲示板はたくさん「生長の家」の先輩方がご覧になってくださっているそうですから、
どなたかが曳馬野さまのご質問にお答えくださるかもしれませんね。



いずれにしましても、曳馬野さまが今回、このweb誌友会板で三つの文章をご紹介された理由は、
谷口雅春先生が書かれた御文章が、戦前と戦後で違いがあることをご指摘されたからなのですね?

そして、

①総本山への考え方
②天照大神様とはどのようなものなのか
③地上天国とは何か
④生長の家の目指すもの

に関して谷口雅春先生の書かれた文章が、戦前と戦後で違っていることを、
皆で話し合うことが必要ではないかと感じられているからなのでしょうか??

そうだとしたら、わたしもとても興味がある内容です。

まずは、その①〜④の内容が、戦前と戦後でどのように違く説明されているのか、是非ご教示していただきたいです。


また、

<<和解に関しては訊けさんへの投稿により私の意見は述べてあります。>>

とありますが、本当に申し訳ないのですが、わたしはここのところ忙しくて、他の板のすべては拝見していないのです。
その曳馬野さまのご投稿を見過ごしてしまったようですので、どの板の、何番の投稿なのか教えてくださいませんか?

どうぞよろしくお願いいたします。

4070ホープさんへ:2014/06/15(日) 23:56:31 ID:???

ご参考迄に。http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&amp;mode=res&amp;log=3

4071ホープさんへ:2014/06/15(日) 23:57:14 ID:???

ご参考迄に。http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&amp;mode=res&amp;log=3

4073曳馬野:2014/06/16(月) 20:44:09 ID:I/wU8psA
生命の永遠性と云ふことが本當にわからなければ、久遠を貫く皇位の永遠性と云ふことが判る筈がないのであります。こんな事では伊勢大廟に
祭祠奉れる天照大神様は勿論のこと、歴代の天皇様の靈魂が今も現に生きて現人神様として御活動になっていますと云ふ事も解らないで、歴代の
天皇様は肉体のお隠れ遊ばすと共に、この世に全然存在遊ばさないと云ふことになり、皇霊を禮拝すると云ふことも虚禮であると云ふやうな不敬
な事を考えるに到るのである。この點に於いて無霊魂無神論者や唯物論者は知らず識らず國體に反する大不敬罪を犯している云ふことになって
いるのであります。

【私は斯う云ふ意味で教育界から、すべての唯物論者を駆逐したいと思ふ位であります。】

                                     「生命の實相」より
【   】印は私が附けました。  『生命の實相』に学ぶと云う方々、このように生命の実相に書かれているのですから
運動の目的にされたらいかがですか。

4074a hope:2014/06/16(月) 22:20:33 ID:cEpBaIdo

>>4070 のご紹介の文章を掲載させていただきます。

―――――――――――

真理は 戦前も 戦中も 戦後も 変わるものではない

明鏡 - 2014年05月31日 (土) 23時42分


『 無門關解釋 』 はしがき  谷口雅春先生 


(原文は、旧漢字・歴史的仮名遣いである。)




・・・真理は 戦前も 戦中も 戦後も 変わるものではない。・・・



・・・(天皇の)大(おお)みごころあるのみなり。・・・




・・・そこで現実世界に 宇宙の真理・実相が

地上に天降(あまくだ)って顕現する必要があるのである。


それがキリストの説いた

「神意(みこころ)の天に成(な)るが如(ごと)く地に成る」

ことである。


その時 その無私絶対愛 の宇宙の中心真理の人格的顕現が

地上に顕現しなければならぬのである。


そのような人格者を地上に求めるとき、

キリスト教ではキリストの再臨(さいりん)という形でそれを表現しようとしているし、

仏教では弥勒下生(みろくげしょう)という形でそれを表現しようとする。


しかし即今(そっこん)キリスト何処(いずこ)にありや、弥勒いずこにありや、

ただ理想として心に描くだけでは抽象概念に過ぎないのである。


私は 無私絶対愛の 宇宙の中心真理の人格的表現を

抽象概念ではなく具体的に生ける人格として

天皇に於て見出(みいだ)さんとするものである。


それが真実であることは、

終戦時の天皇の絶対無私の愛の行蹟(ぎょうせき)が

この世界を戦火の地獄から救い出した事実によって

テスティファイせられているのである。


―――――――

4075a hope:2014/06/16(月) 22:24:24 ID:cEpBaIdo

>>4070 ご親切なお方へ

明鏡さまのご投稿をご紹介くださり、ありがとうございます。
谷口雅春先生のお書きになった聖典にある「生命の実相」もしくは「唯神実相」の真理は、普遍であるとわたしも信じています。

この『 無門關解釋 』の はしがき では、その「真理」のことを、『(天皇の)大(おお)みごころ』
『宇宙の真理・実相』『神意(みこころ)』『宇宙の中心真理』というように複数の言葉で表現されていて、
その「真理」が地上(現象界)に顕現することを、キリスト教ではキリストの再臨(さいりん)という形で、
仏教では弥勒下生(みろくげしょう)という形で表現しようとしているとありますね。


そして、谷口雅春先生は、その形を、天皇に見出されようとされた。

それは谷口雅春先生が日本人であり、日本は天皇国であるから当然のことだったのだと思いますが、
ですが、それをもって本当に「生長の家」は「天皇信仰である」となってしまったのでしょうか・・・?

わたしは、「生長の家」の天皇信仰に関してはまだ納得がいかないところがあるので、
>>4073で曳馬野さまが聖典を根拠として言わんとされようとしていることも、なんとなくわかるような気もしますが、
全然お勉強不足だと思うのでこの件に関してはこれ以上のコメントは控えさせていただきます。

どなたか、曳馬野さまのご投稿にお返事をくださるとうれしいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

4076a hope:2014/06/19(木) 19:22:20 ID:cEpBaIdo

今回のテキストのお勉強をしていたら、曳馬野さまのご投稿にもある「唯物論」について書かれていたので、そのことについてすこし考えてみました。


(a hope 所感)

「生命の實相」p143 に『唯物的世界観と唯心的世界観』という「小見出し」がありますが、
この「小見出し」と同じ「小見出し」の文章が同巻p57にあり、先月ですが(>>3886 )、にまとめました。

今回は「唯物的世界観」について具体的な例もあげて、前回よりも詳しく説明されていますが、だいたい同じことが述べられていると思いました。

ただ、前回と違うのは、唯物論者であっても厭世的にならない場合もあることが説明されていました。
以下、その部分を抜粋謹写させていただきます。

―――――――――
p145 後から、4行目

『このように唯物的世界観は人生の価値を全面的に否定してしまいまして、どうしても厭世的になりやすいのであります。

その逆に厭世的にならない人は唯物論では人生の理想とか、規範とか、目的とかということを失ってしまいます結果、どうせこの世は無目的で、永遠価値というようなものはないから、五官の快楽に浸っておればそれだけでいいんだということになりまして、浮薄な表面的な快楽主義に陥ってしまうのであります。』

――――――――――

4077a hope:2014/06/19(木) 19:28:00 ID:cEpBaIdo
>>4076 a hope 所感 つづき)

人間は、この「浮薄な表面的な快楽主義」に陥っていても、人生がうまくいっている時には成功者のように見え、
周りからの賞賛も受けたりするのかもしれません。

ですが、何かに失敗していったん転落し始めると、そのような人は自ら命を絶ってしまったり、
犯罪に走ってしまったりするケースが多いのではないかと感じています。

そのような唯物論者は過去にも現在にもたくさんいるのではないでしょうか?

「生長の家」が、「人間神の子」の教えを世の中に広める大きな目的は、
このような唯物論者たちを本当の意味で救うことなのだと思います。

ですから、曳馬野さまが、>>4073で謹写してくださった箇所に、

<<【私は斯う云ふ意味で教育界から、すべての唯物論者を駆逐したいと思ふ位であります。】>>

という少し過激であるともとれる雅春先生のご発言がありますが、もし、子どもたちを教育する教師が唯物論者であったならば、
たくさんの子供たちを「厭世的」な、もしくは「浮薄な表面的な快楽主義者」に仕立てあげてしまう可能性が大きいわけですから、
雅春先生にしてみれば、そのような「生命の永続性」を信じない唯物論者は「駆逐したい」と思われたのは本心だったのではないかと思います。

ですが、雅春先生は、そのような唯物論者ですら心から愛されて、救いたいと切願されていたのではないかと思いますが・・・。

4078a hope:2014/06/23(月) 10:43:49 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます!

今朝、大熊先生のブログに素晴らし個人指導のご報告があり、とても感動しました。

大熊先生は今は「いのちを守る親の会」の理事長さんで、
「小さな命を守る運動」に全力を尽されていますが、
以前は宇治別格本山の講師をされていて、たいへん人気があったそうです。

今回の内容は、今春、ある男性Mさんが大熊先生の個人指導を受けられたあと、ご両親に心から感謝できて、

<<Мさん「先生。毎日が光り輝いている感じなのです。職場では、主任から、2階級特進で、課長になりました。
しかも、不妊と言われていた妻に、赤ちゃんが授かったのです。生活でも仕事も良い事ばかりです。」>>

という、素晴らしい幸せな生活を実現されたというものです。

大熊先生のご指導内容は、「生命の實相」の真理そのものであるとわたしは感じました。

わたしも、大熊先生のような指導できるようになりたいと思いました。

ですから、これからも聖典の勉強を頑張ります!

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

4079a hope:2014/06/23(月) 11:21:56 ID:cEpBaIdo
>>4078訂正

「小さな命を守る運動」⇒「いのちを守る運動」

わたしは、勝手に「赤ちゃんのいのち」=「小さな命 」と解釈していましたが、
おそらく大熊先生ご自身は、「赤ちゃんのいのち」を「小さな命」だとは考えておられないと思います。

わたしたちは、元は一つなのですから、一つの「赤ちゃんのいのち」を救うことも、
結局は自分自身の「生命(いのち)」を救っていることになるのではないかと、今、気がつきました。

わたしたちの「生命(いのち)」には区切りはありませんものね!

4081a hope:2014/06/27(金) 10:17:25 ID:brQxC10.

聖典引用板>2973 〜>2975 曳馬野さま

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2973n-

今回の曳馬野さまのご投稿内容は、とても重要な問題提起であるようにも思います。

生長の家が、なぜ、政治の世界に進出したのかとか、「生長の家の歴史」に関しては、
わたしは全然勉強不足なので、この件に関しては、みなさまのご意見を是非うかがいたいです。

よろしくお願いいたします。

4082a hope:2014/06/28(土) 20:33:21 ID:cEpBaIdo
みなさま こんばんは

今回、曳馬野さまが聖典引用板でされた問いかけを再掲させていただきます。

―――――――――――

優生保護法などと云うものが出来てから、堕胎天国に成ったので、かっては堕胎防止法によりきつく堕胎は禁止されていました。
いかなる理由であれ堕胎は厳罰に処し、手を貸した医師は厳罰に処す法律を作る政治の世界から赤ちゃんを守ることと、大熊さんのように一人一人を助けて
いく生き方とは両方なければいけませんね。

然し生長の家出現すれど社会はますます個人の尊厳を優先する民主主義とやらのせいか、戦前より酷いものに成ってはいませんでしょうか?

―――――――――

この問いかけの参考となるような投稿を、光明掲示板で見つけました。
「相模の龍」さまという方の「雅春先生、山岡荘八氏と対談 」(9422)というスレッドです。

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=1839

これを拝読すると、わたしのような「生長の家」組織運動の歴史を知らない者でも、
雅春先生が、なぜ、「生長の家」組織を政治の世界に進出させたのかがわかります。

ここでも、「民主主義」が話題に上がっていますね。

4083ユタカ:2014/06/28(土) 22:13:55 ID:N20ePDNw
こんばんは、
8が壊れて動かないので昔のXPを引っ張りだしてきました、
これは、ウイルスうじゃうじゃ。

ラスト50も読まないで、勝手に発言します、生命の実相13巻P、59
8Lの

本源の生命を汲んでいないで外形だけ残っているような枯れ木のような宗教がある

上記、生長の家 国際本部じゃね? って思いましたよ。

それだけをこめんとしにでてきた。 明日は量販店に領収書をもってPCを修理にいきます。

大熊先生? 頑張っているけど、せっかく生まれた子供を放置して亡くなった子もいるね、助けてあげたいね。
前に、切り刻んだ手足の写真をみて恐ろしくて、もう見にいっていません。
もう、ブログにそういうの掲載されていない???

a hopeさま!がんばって! またくるね!

4084a hope:2014/06/29(日) 00:30:58 ID:cEpBaIdo

>>4083 ユタカさま

web誌友会ご参加ありがとうございます!

また、今回はユタカさまらしい率直なコメントをいただきました。
正直に言えば、わたしもユタカさまのご意見に近いものを感じているのです。

国際本部だけではなく、今の現象に現れている「生長の家」は「争いの家」とも呼ばれるような惨状です。


そして、大熊先生がお悟りを開かれ、その眼で現象を見つめられた時、惨殺されて闇に葬られているたくさんの胎児を、
見殺しにしておくことができなかったというご心境もなんとなくですが理解できるのですが、
一人の母親として、わたしも、「もう2度とあのように胎児の切り刻まれた写真を拝見したくない」というのが正直な心境です。

ユタカさまのおっしゃるように今現在の日本には、胎児だけではなくて、
せっかく生まれでてきた子供であっても、殺されてしまっているという現実も多くあります。

そして、子供だけでなくて青年や大人であっても、これからの日本の未来に希望を持てず、
人生に絶望して自ら命をたってしまっている人が後を絶ちません。


みなさま、「生長の家」は今、何をなすべきなのでしょうか?


現象の問題に対応する運動もたしかに大切かも知れませんが、それ以前に、
信徒一人一人の信仰がきちんと「生命の実相」に戻らなければ、なにをやってもうまくいかないような気がします。

4085ユタカ:2014/06/29(日) 17:07:36 ID:N20ePDNw
ahopeさま

雷雨で量販店に行く事をやめました、で13巻を読み進むうちに

よく訊け氏が「久遠の今」の映像を流してくれたけど、イマイチというか、
その意味があまりよく分からなかったですが、この間の88ページあたりのことが
その事につながってくるのでしょうかね??

昔は、教化部で「生命の実相」を正しく講義してくれていたのですが、3代目が講習会などでも分かるように

「迷い」はレストランのメニューから来る!! なんて講話をブッ放すもんだから、

生長の家の講習会が漫談になってしまって、勉強が出来ないんだよね〜〜〜。

生命の実相の本から正しく学んでいきたいですね。。。

P、88 の久遠神性にある救いって素晴らしいね。
善き現象界を造る母胎だそうです。

一人ひとりが久遠の実在を観て信じていけばいいのですね。

で、感想・・・あくまでも自身の感想・・
本源からズレテイル国際本部も、どこそこのなんとか会もみんな現象。
「実際の人間」(リーアル・マン)は悪くないのです。

みんな素晴らしい生長の家神の子!!

ってか?!!!

今からさらに、読み進みます。。。また!!

4086ユタカ:2014/06/29(日) 17:08:33 ID:N20ePDNw
上記 生命の実相13巻のことです。

4087ユタカ:2014/06/29(日) 17:15:02 ID:N20ePDNw
ユタカ、
本当に分かるまで、13巻を繰り返し繰り返し読みたい。。。

4088ユタカ:2014/06/29(日) 17:17:11 ID:N20ePDNw
訊けさまに「久遠の今」の講義をしてもらいたいね。。。

4089a hope:2014/06/30(月) 11:23:13 ID:cEpBaIdo

>>4085 ユタカさま

「生命の實相」第13巻の p77〜132 までは、主に神性隠蔽について書かれていますね。

「実際の人間」(リーアル・マン)を包み隠してしまう「罪」「迷い」とはどんなものか、
ここのところを丁寧に拝読していくと理解できるのような気がしています。


ところで、総裁先生は本当に、

『「迷い」はレストランのメニューから来る!!』などというご講話をされたのですか?

その類の迷いは、「どれにしようかな?」っていう現象に対応するときの迷いですね。
わたしも、レストランでのメニュー決定ではすごく迷ってしまう方ですが・・・。



「久遠の今」悟りとは、「生命の実相」悟りの状態と同じなのではないかと感じています。

「今」この時に『わたしは素晴らしい世界に生かされているんだー!』という最高の喜びを感られる状態が、
「久遠の今」の悟り(「生命の実相」の悟り)なのではないかと・・・あくまでも推測ですが・・・。

https://www.youtube.com/watch?v=WueXb8tC-iQ&amp;feature=youtu.be



これは、昨晩、聖典引用板>2981〜>2983にまとめた「谷口教育学」の内容にもつながるのと思うのですが、
この「久遠の今」動画の最後の方に徳久先生のお話が出てきますが、
実は、昨夕のウォーキングの時に、スマホのyoutube で、徳久先生の「ヨハネ伝講義」を聴いていたのです。

https://www.youtube.com/watch?v=yeIu8k1VAKA&amp;index=3&amp;list=PLSD5-8-K4t_6o56gFPAkhMbh3KuaOXE_O


その中で印象に残ったのは「羊に育てられたライオン」のお話でした。

ライオンは優しい性質の羊に育てられて(型にはめられて育てられて)優しい性質のようなライオンに仕上がっていても、
一度、仲間のライオンの「ガオッー」という鳴き声を聞いただけで、その本性が顕れ、ライオン本来の姿に戻るのだそうです。

人間も現象世界の罪や迷いの中で生活して、自分自身も罪や迷いに惑わされて生活していても、
一度、まことに「人間の神性」悟った人間(谷口雅春先生のような)の「コトバ」によって、
人間の本性である「神の子」が導き出される・・・というような、とても興味深い内容でした。


そのお話を聴いた後、ママ友に出会ってしまい、わたしの「ウォーキング講習会」は現象世界の井戸端会議へと転向していまいましたので(笑)、
もう一度、「ヨハネ伝講義」聴き直してみたいと思います。

4090トキ:2014/06/30(月) 22:34:28 ID:mO1r0CPg
>>4089

 素晴らしい御文章、ありがとうございます。

 総裁ご自身は、「自分は自由主義者」と言われているので、彼の主観的な感想なんでしょうね(笑)

 私個人は、生命の実相第13巻の130pにある「不信項へ迷信の因」が印象に残りました。

 恐怖、臆病は究極において自卑の一種でありますが、焦燥不安の状態を喚起し、神への従順ージッと
大きなもににお委せすることーができないような状態にいたらしめるのであります。お委せの心がない
から恐怖する、恐怖するからジッと委せておくことができない。二つの隠蔽は互いに相反映して、ます
ます実相無畏の状態を隠蔽してゆくものであります。実相本源の神に委せることができず、実相無畏の
状態が隠されてきますと、何か物質的な眼に見えるもので霊妙な働きをするものに頼らずにはおられな
くなる。そのためにいろいろの迷信発生し、偶像崇拝となり、本源の神を忘れて、霊媒に乗り移って出
でくるいるいろの霊たちの教えを本源の神の示しと取り違えて、まことしやかに信ずることになるので
あります。ここに実相の神を隠蔽する隠蔽(つみ)を生じるのであります。

 霊媒心霊はかくのごとく実相本源の神にお委せできない不信仰のあらわれなのであります。淫祀邪神の
崇拝も、人から見たら「あの人は信心深い人だ」と思われるかもしれませんが、また本人も自己を信心
深いと思っているかもしれませんが、決して本当に信心深いのであはありません。それはかえって実相
本源の神を信じないから、アチラの神を拝み、コチラの神を拝するようになるのであります。

(130~131P)

 霊的な信仰は確かに説得力はあり、また、ある段階では必要な部分もありますが、本源のものではな
いと知る事も必要かと感じます。

4091曳馬野:2014/07/01(火) 02:56:19 ID:I/wU8psA

 神への従順ージッと大きなもににお委せすることーができないような状態にいたらしめるのであります。お委せの心がないから恐怖する、恐怖するから
ジッと委せておくことができない。二つの隠蔽は互いに相反映して、ますます実相無畏の状態を隠蔽してゆくものであります。

 霊的な信仰は確かに説得力はあり、また、ある段階では必要な部分もありますが、本源のものではないと知る事も必要かと感じます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

【神への従順ージッと大きなもににお委せすること】とは
【本源のものではないと知る事】が出来て『トキ氏』の様に、分派の様に、a hopeさんも言われるような教団を批判して「争いの家」と為すことなのでしょうか?

「本源のもの」を本当に知った人がいるのでしょうか?私には各自の観念の神でしかないと思われます。【神への従順ージッと大きなもににお委せすること】が
結果として【争いの家】を創出しているトキ氏の、分派の行動とは思えない。

4092a hope:2014/07/01(火) 08:01:53 ID:cEpBaIdo

>>4090 トキさま

<<総裁ご自身は、「自分は自由主義者」と言われているので、彼の主観的な感想なんでしょうね(笑)>>

そうなのですか!

でも、「生長の家」の総裁である方が、「生長の家」の講習会やご自分のご著書、またはブログで、
「生長の家の教え」ではなくて個人の主観をお話になったりするから、信徒が迷ってしまうのかもしれないですね。


「訊け」さまが、「生長の家ってどんな教え」を読むかぎり、総裁の思想は「間違っていない」といっておられますが、
このご著書は、タイトルどおり、本来の「生長の家の教え」の関してのみ書かれているご著書だと思うので、
雅宣総裁もそのことをわきまえて、執筆・編集されたと思うのです。


ですが、これはわたしの個人的な意見ですが、他の雅宣先生のご著書、例えば「次世代への決断」等、
又はブログでの内容等拝見すると、そのご思想は、本来の「生長の家の教え」とはかなり違ってきてしまっているように感じています。




トキさまの謹写箇所「不信項へ迷信の因」は、p82の「宗教争いは偶像崇拝より起る」に関連していると思うので、
過去に謹写したものを再掲させていただきます。

―――――――


「生命の實相」第13巻 p82

宗教争いは偶像崇拝より起こる

物質的な形あるものを礼拝の的にするようになりますと、物質的な形あるものは有限でありますから、
ここまでは自分の領分であって、お前の領分ではないというような争いができてくるのであります。

人間を和合させる働きをせねばならぬ宗教でさえも、肉体キリストという物質的顕現に捉えられていましては、
顕現せられましたそれぞれの応身または報身は異なりますから、互に信者争い、
領分争いをしなければならぬようになってくるのは当然であります。

その宗教が偶像崇拝教である程度は他教を排斥する程度でわかるのであります。

つまり、すべての争いの第一の萌芽(ほうが)は、物質的な形あるものを崇拝すること
――すなわち偶像崇拝――よりくるものであります。

すなわち「すべての罪のうち最も重きものはなんであるか」と問う人がありますならば、
「偶像崇拝をもってその第一とす」と「生長の家倫理学」は答えるのであります。

キリストでもこれを肉体イエスという「物質的形体」に見いださず、
「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在り」といわれた「永遠神性」にこれを見いだし、
仏でもこれを肉体釈迦に見いださず、「過去の諸仏は皆わが弟子なり」と阿難答えた「久遠の釈迦」に見いだし、
「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず「すべての教えわれに流れ入りて生命を得ん」と示された「久遠実在の生長の家」に見いだすとき、
すべての教えは、ここからあすこまでは自分の領分だなどという縄張り争いをする必要がなくなるのであります。

―――――――

そして、>>4091で曳馬野さまが、ご質問されている内容の答えもここにあるように感じていますが・・・

4097a hope:2014/07/02(水) 15:40:00 ID:cEpBaIdo

みなさま こんにちは

今日は、久しぶりに平日のお仕事のお休みなので、ネットサーフィンしていましたら、
そのことから、とても興味深い文献を拝読することになりとてもお勉強になりました。

これは、たぶん、曳馬野さまがさかんにおっしゃっている、戦前と戦後で聖典の内容が変わっているという、
事例の一つなのではないかと思うのですが・・・

昨晩、聖典引用板にまとめた、「生命の實相」第13巻のp170 後ろから3行目〜の「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」
の文章のオリジナル版とも言える文章を、「邁進日本の心と力」(昭和13年11月発行)の中に見つけたのです。
(わたしは、この聖典は以前ある方からPDFファイルの文書としていただき保存してあったのです。 感謝 合掌)


それどころか、今回のテキストである第13巻の今お勉強中の第六章「価値の本質」が、「邁進日本の心と力」の中では、
第1篇「日本精神の倫理」としてほぼ同じ内容で記載されていて驚きました。

まだ、全文をちゃんと確認したわけではないのですが、わたしの持っている「生命の實相」頭注版(昭和38年初版発行)にはない文章が含まれていたり、
表現もところどころ変わっているのです。

わたしが感じたところでは、愛国を思わせるような表現はすべて違う言葉に換えれれてていて、
文章も愛国心や天皇に関するものは削除されているようです。

特に、昨晩お勉強していた、「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」【生命の實相13巻p170】のタイトルは、
「邁進日本の心と力」の中では「物質の否定・棄揚(きよう)・神国の肯定」となっているのです。

そして、そこには、日本神国、天皇に関する生長の家の倫理学的見解がかなり詳しく述べられていて、
わたしはその部分は、今日、もう何度か拝読しましたがとても興味深い内容でした。

「生長の家」が天皇信仰であるという根拠にもなるような御文章ですが、
ですが、現在出回っている「生命の實相」には、その御文章が削除されているのはなぜでしょうか?
頭注版「生命の實相」は、谷口雅春先生が直接編集に関わられていたのではないかと思うのですが・・・

曳馬野さまのご質問の趣旨は、そういうことなのではないかと思いました。

つまり、なぜ、雅春先生は、戦後の聖典から、日本神国や天皇に関するご文章を変更・削除されたのかということですよね?

曳馬野さま、違いますか?

4098曳馬野:2014/07/02(水) 16:15:16 ID:I/wU8psA
a hope さん

その通りです。理屈を言う方はいっぱいいますが、私の提示に精一杯お答えくださり誠に有難うございます。

4099トキ:2014/07/02(水) 21:08:28 ID:dkHqmOAw
>>4092

a hope 様

 「生長の家ってどんな教え」は、講習会の質疑応答をまとめた本ですね。

 各地の講習会には、総裁ご夫妻とご一緒に、総裁秘書室のメンバーと講習会企画推進室の
メンバーが来られます。もちろん、モバイル機能がついたパソコンも持参です。

 講習会での質疑応答は、書面で書かれて御昼休みに回収されます。総裁がそれをご覧にな
り、適当なものに返答をされます。私の記憶に間違いがなければ、そのときに、随行の人が
下調べをして、総裁に資料を提出し、総裁はそれを参考にして返答を書かれたはずです。

 その一部は、加筆されて機関誌に掲載され、さらに「生長の家ってどんな教え」になりま
した。ですから、あの本の内容はそれほど間違ったものではないと考えています。

 谷口雅宣先生も、昔はなかなか良い事を言われていた時もありました。もっとも、当時
は谷口清超先生もご健在だったし、徳久克己先生などの先達もお元気でしたから、自由には
ならなかった点もあったと思います。しかし、今は、彼の発言は支持できないものが多い
と感じております。

 この変化については、この誌友会の趣旨とは異なりますから、ここでおしまいにいたしま
す。

 釈尊は、亡くなる直前に、「自灯明、法灯明」と言われました。「自らをよりどころとし、
教えをよりどころとしなさい」という意味です。私は、この場合の「自ら」を肉体の自分で
はなく、神の子たる自己だと解釈をしております。谷口雅春先生の御意志も同じだと考えて
おります。

 こういう時期だからこそ、信徒一人一人が聖典を勉強する時期だと考えています。

4100a hope:2014/07/07(月) 10:44:32 ID:cEpBaIdo

>3007 >3010 聖典引用板 志恩さま

色々と戦後の歴史を教えてくださりありごとうございます。
とてもお勉強になります。 合掌。

――――――――――

a hope様

戦争直後にアメリカの占領軍(GHQ)により発令された公職追放令は、
サンフランシスコ講和条約を締結したので、廃止されたと、載っていました。

ですから、公職令の 廃止後は、自由に言論することが可能になったのでしょう。

終戦直後、
徳久先生は、天皇については、雅春先生が公職追放された関係で
語ることができなくなったので、
親孝行の話を中心にしよう。親孝行は天皇・・に繋がる。

そう思われた徳久先生は、
当時の飛田給道場では、天皇の話は、せず、親孝行中心の話をするように、
されていた。

私が、初、飛田給 夏期高校生練成会に参加した中学3年生の時とは、
昭和30年代の
最初のころでしたから、菊地藤吉先生(共産党から転向した先生)や、
加藤栄太先生などが、すでに、練成会で熱く天皇陛下のお話をされていました。

しかし、当時は、これも、占領軍政策で、日本弱体化のために、左翼思想の人間を
教育界のトップにすえて、言論統制を行った成果が出ていて、日本国土全体は、
共産党,社会党の、赤い、反日思想によって、牛耳られていました。

そして、その反日思想の人らの手によって、、
天皇が、日本国民を戦争に駆り出した責任者なのだとか、日本人は悪い国民なのだという
教育をタタミコマレテ、
われわれ日本人は、洗脳されていった時代でしたから、

雅春先生が、日本の国民に、それは、間違った考え方なのだという真実を、日本人が、
愛国心を取り戻すために、命がけで、説き、愛国運動をされていたことは、
当然のことだったと、思います。

でも、天皇万歳というと、右翼的ですから、
昔の説き方じゃなくて、親孝行を話をされるときに、天皇という生き方は、
無私であり、日々、国民のために四方拝もされてて、。。。というふうに、

親孝行の話とともに、他国には無い、天皇の、本当のすばらしさも、説けば、
自然に聞き手に受け入れてもらえると思っております。

ですから、親孝行の話から入り、日本人に対しては、天皇の話もする、、というのが、自然体では
ないかしら。
―――――――――

こちらの志恩さまのご説明は、とてもわかりやすくて「生長の家」の歴史をほとんど知らないわたしにも、納得がいく内容です。

そして、

<<でも、天皇万歳というと、右翼的ですから、
昔の説き方じゃなくて、親孝行を話をされるときに、天皇という生き方は、
無私であり、日々、国民のために四方拝もされてて、。。。というふうに、
親孝行の話とともに、他国には無い、天皇の、本当のすばらしさも、説けば、
自然に聞き手に受け入れてもらえると思っております。
ですから、親孝行の話から入り、日本人に対しては、天皇の話もする、、というのが、自然体ではないかしら。 >>

この、志恩さまのご意見に心より賛同させていただきます。

(つづく)

4101a hope:2014/07/07(月) 10:46:10 ID:cEpBaIdo
>>4100つづき)

ところで、「学ぶ会」さまや、「ときみつる會」さまなどの本流復活を目指していらっしゃる団体さまは、
やはり、教義には「両親に感謝」の教え、もしくは「人間神の子」の教えを中心にされているのでしょうか?

志恩さまも書かれていますが、もしそうではなくて、天皇信仰や、愛国を前面に出してしまっているのであると、
そのような言葉を目にしただけで、「生長の家の教え」に興味を失ってしまう人は現代の日本にはとても多いと思います。

わたしは今まで勉強不足でしたが、実際に生長の家の愛国書というものを拝見していると、とても奥が深くて万教帰一的で、
けっして、超国家主義とか国粋主義であるとは思えません。

ですが、今現在の日本には、(総裁もそうですが)、その真理をきちんと理解できていない人たちがほとんどだと思うので、
それはとりあえず前面に出さずに、「両親への感謝」「人間神の子」の真理を前面に、教義をされたら、
若い世代の人たちも「生長の家の教え」に興味をもってくださるのではないかと思います。

4102トキ:2014/07/07(月) 22:20:56 ID:I66.tKn.
 われらは古来、人類がすべて神の子であり、何某の尊であり、日子であり、日女
であるとの自覚をもった。今こそいっそう人類がすべて日子であり、日女であり、
何某の尊であるということを知らねばならぬ。すべからく人類は輝く太陽神の子孫
であるということを自覚しなければならぬ。これは古代日本人の原始的迷信などと
思ってはならない。一切の生命は太陽を源として生まれて来るものであることを
近代の科学は証明している。

 生命の実相第13巻 74pより謹写

*まもなく霊牌の時期になりますが、此の世にいる私達も、日子であり、日女である
ことを思いだしましょう。

4103a hope:2014/07/08(火) 00:26:29 ID:cEpBaIdo

>>4099 トキさま

<<釈尊は、亡くなる直前に、「自灯明、法灯明」と言われました。「自らをよりどころとし、
教えをよりどころとしなさい」という意味です。私は、この場合の「自ら」を肉体の自分で
はなく、神の子たる自己だと解釈をしております。谷口雅春先生の御意志も同じだと考えて
おります。こういう時期だからこそ、信徒一人一人が聖典を勉強する時期だと考えています。 >>

「自灯明、法灯明」・・・そういう意味だったのですね。

どんなに素晴らしい尊敬できる人であっても、肉体を持って生まれているかぎり、
その現象に現れている姿は完璧ではないのですよね。


「生命の實相」第13巻 p82 後から4行目〜

<<その宗教が偶像崇拝教である程度は他教を排斥する程度でわかるのであります。
つまり、すべて争いの第一の萌芽(めばえ)は、物質的形あるものを崇拝すること
――すなわち偶像崇拝――よりくるのであります。
すなわち「すべての罪のうち最も重きものはなんであるか」と問う人がありますが、
「偶像崇拝をもってその第一とす」と「生長の家倫理学」は答えるのです。>>


だから、最終的によりどころにできるのは、自己内在の神だけなのかもしれませんね。
その神を顕すためによりどころにするのが、わたしたち「生長の家」信徒にとっては聖典「生命の實相」となのですね。


ところで、>>4102 のご紹介の御文章は、「生命の実相第13巻 74pより謹写」とありますが、
頭注版の13巻 74pには見つからないのですが・・・

出典をもう少し詳しく教えてください。

4107トキ:2014/07/09(水) 15:09:34 ID:nkzt7hXM
>>4103

 ご質問、ありがとうございました。あと、お詫びと訂正です。

 当該文章は、頭注版の3巻 74pの間違いでした。古い本でしたので、
表紙の印刷がかすれて読めなくなっていました。

 すみませんでした。

合掌 ありがとうございます

4108a hope:2014/07/11(金) 10:21:39 ID:cEpBaIdo

>>4102トキさま

お返事をありがとうございます。

本当ですね。

生命の實相第3光明篇第三章「生長の家」とはなんであるか の最後(p74)に、
おまけのように、トキさまの謹写された御文章が掲載されていました。

そのような、文章の紹介の仕方は、「生命の實相」ではちょっとめずらしいのではないかと感じました。

短い文章ですが、ですがその文章には、とても重要な真理が書かれていると思いました。

タイトル、ふりがな、頭注まで含め、前文謹写させていただきます。合掌。



―――――――――――――
日子 と 日女 

われらは古来、人類がすべて神の子であり、※何某(なにがし)の尊(みこと)であり、日子(彦)であり、日女(姫)であるとの自覚をもった。

今こそいっそう人類がすべて日子であり、日女であり、何某の尊であるということを知らねばならぬ。

すべからく人類は輝く太陽神(ひめしん)の子孫であるということを自覚しなければならぬ。

これは古代日本人の原始的迷信などと思ってはならない。

一切の生命は太陽を源(みなもと)として生まれて来るものであることを近代の科学は証明している。


※何某の尊――
むかしから日本では、人間を神の生命のあらわれとしてミコトといってうやまっていた。
決して肉体人間のみは見ていない。
何某というのはだれそれという不特定の人をさした代名詞。
たとえば大和武尊(やまとたけるのミコト)・大国主命(おおくにぬしのミコト)  【頭注より】

――――――――――――――


昨晩、聖典引用板にお勉強した「生命の實相」第13巻p173〜の箇所には、


<<日本語ではこれを「霊人」(ひと)という。
「霊人」とは霊的実在なる所の普遍的存在であるということである。

霊子(ひこ)または霊女(ひめ)という場合は「久遠男性」または「久遠女性」の意味であって、
朽ち果てるべき「仮面の人間」ではないのである。>>


とありました。

ミコトという言葉にしても、「命」「尊」二つの漢字で表現されるのですね。

でも実際に、「生長の家」で礼拝供養するときには、「比古の命」「比女の命」と書くのですね。(「人生を支配すり先祖供養」p20より)

色々な漢字が出てきて、ちょっとややこしい感じもしますが、そのなんでもあり的な特徴が「生長の家」の万教帰一の教えに通じるのだと思いました。

「こうでなければいけない」「こうしなければいけない」そういう「縛り」がまったくないのが、本来の生長の家の教えですよね?



だから、わたしは、なぜ、本流復活の先輩方が「天皇国日本の実相顕現」という表現にそんなにこだわっていらっしゃるのかが未だよく理解できません。

現代の日本で、「天皇国日本の実相顕現」という言葉を前面に掲げて運動をされることは、反対に「天皇国日本の実相顕現」を妨げる結果になっているのではないかと感じています。

わたしは生長の家の「人間神の子」の真理が現代の日本の若者を含む多くの人たちに浸透してこそ、
まことの(形だけではないという意味)「天皇国日本の実相」が顕現すると思うからです。

そのためには、まずは、現代の戦後の唯物論の教育に洗脳された人々に生長の家の「人間神の子」真理を広く伝道することが先決なのではないでしょうか?

雅春先生も、そのために、戦後の「生命の實相」などの聖典から、わざわざ、愛国や天皇信仰に関する文章を削除され、
どのような思想・信仰をもった人々にも「生長の家」の教えが浸透していうようにされたのではないのでしょうか?

それは、サンフランシスコ講和条約締結後、再び日本人に言論の自由が許されるようになった後でも、
雅春先生が「聖典」に戦前の愛国や天皇信仰に関する御文章を復活させることがなかった大きな理由でもあるとわたしは思うのですが・・・。

4109トキ:2014/07/11(金) 20:16:29 ID:v2lJ7fjA
>>4108

a hope様

 先日はたいへん失礼をしました。ごめんなさい。

 さて、「天皇国日本」ですが、これは私の考えでは、神界や高級霊界についての
理解が前提になると考えます。ご神示にもあった通り、これを現象の話と混同する
と問題があると思います。

 譬えて言うと、吾々が小学生の頃は、「引き算」の授業で小さな数字から大きな
数字を引けないと習いました。が、中学になり、マイナスという概念を習うと、
小さな数字から大きな数字を引く事は問題なしとなりました。

 私が大学の教養課程で、物理化学という科目で、量子力学等を勉強した時に、
「難しいからと諦める事はない。今はわからない事でも、勉強が進んだら、自然と
わかるようになります。」

と言われた事がありました。

 同様に、ある段階になると、この問題は自然と理解ができるものかと思います。

 それまで、みんなで地道に勉強をいたしましょう。

4111a hope:2014/07/13(日) 10:00:57 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

今回の第25回web誌友会は、5月に始まりましたが、わたしの勝手な司会で、今月で3か月目に入ってしまいました。

テキストは「生命の實相」第13巻と14巻です。


昨晩、「あまむし庵」さまのブログを拝読させていただいていました。

http://56937977.at.webry.info/

「あまむし庵」さまがどのようなお方は知りませんが、「天皇国日本の実相顕現」というお言葉を頻繁に使われているので、
本流関係の大先輩なのではないかと勝手に想像しています。

その御文章の感じが、どこかで拝読したことのあるような気もするのですが・・・(?)

わたしが拝読したログの内容は、『4/中心帰一 その一/現象の迷いの否定を通さない「中心帰一」は中心帰一ではない』から、
『12/「生長の家本部赤痢菌事件」の対処法と教訓/日本と世界の問題を自分自身の問題として受け止める 』までですが、
かなりの量でしたから(A4に27枚!)、プリントアウトしてじっくりと拝読させていただきましたがすごい内容だと感じました。

前半部分は、本流の先輩らしく、現教団や総裁・副総裁のご批判文が多かったので、一度は拝読をやめてしまおうかとも思いましたが、
続けて拝読していくと、その内容は「生長の家の教え」そのものように感じました。

reiさまも、とても感動されていて、コメント欄で讃嘆されています。

特に最新の『12/「生長の家本部赤痢菌事件」の対処法と教訓/日本と世界の問題を自分自身の問題として受け止める 』は、
今回のテキストである「生命の實相」第14巻の『和解の倫理』の解説をしてくだっていて、とてもお勉強になりました。

http://56937977.at.webry.info/201407/article_3.html


そこには、以前わたしも聖典引用板板に謹写させていただいたことのある楠本加美野先生のご体験も例にあげてくだっています。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/851

その時のわたしの(所感)を再掲させていただきます。

――――――――――

>>851
(a hope所感)
楠本加美野先生は、河口湖道場に赤痢が発生したとき、辞職願を書かれて責任を取ろうとされた。
でも、本当に責任を取るということは、そういうことではなかったと、「大調和の神示『七つの燈台の点燈者の神示』」に気づかされたとあります。
それは「省みて天地万物に感謝して和解すること」だったのですね!

わたしは、このお話を拝読して、『赤痢菌に和解する』とは、『赤痢菌が人にする「悪さ」(虚説)と和解することではない』のだと思いました。
加美野先生は「どうして今、この道場に赤痢が発生したのか……赤痢菌は神様の使いである、何かを教えて下さっているに違いない」そんな風に自ら省みられ、
真剣に懸命に祈られたからこそ大切なことを悟られて、赤痢菌の存在自体に感謝でき、赤痢菌と和解することができたのだと思います。

今、「生長の家」で起きている全ての問題は、赤痢菌同様、わたしたち信徒一人ひとりに、何か大切なことを教えて下さるために神様が与えて下さったありがたい課題なんだと思います。
だから、今、わたし達「生長の家」の信徒のすべきことは、やはり「天地万物に感謝すること」なのだと思います。
そして、感謝するとは、「省みて和解すること」なのだと思います。

わたしたちが自らを省みることのないまま、相手への真の「感謝」や「愛」や「赦し」の心のないまま、
相手の「虚説」だけを討つことは、生長の家の大神さまの御心そして谷口雅春先生の御心にはかなっていないような気がします。

―――――――――

(つづく)

4112a hope:2014/07/13(日) 10:09:37 ID:cEpBaIdo
(>>4111つづき)

「あまむし庵」さまは、加美野先生の御文章を引用されご指導してくださったあと、
当時の日本の社会状態や「生長の家」の運動の様子をご説明くださり、
わたしたち「生長の家」の信徒に、とても重要なご教示をしてくださっているように感じました。


以下、その部分を引用させていただきます。
(つづく)

4113a hope:2014/07/13(日) 10:12:02 ID:cEpBaIdo
>>4112つづき)

↓「あまむし庵」さまの御文章です。
―――――――――――

河口湖道場における「赤痢菌」事件。この当時日本は「赤色(共産)革命」前夜の大混乱期にあったのです。全信徒が一丸となって、谷口雅春先生著『占領憲法下の日本』を、全国民に配布するための伝道に立ち上がっていた時代です。人類に次々と毒素を増殖伝染させて行く「赤痢菌」は、当時の唯物主義的「赤色(共産)革命」の象徴のようでもあります。赤色革命、共産主義思想、マルクス主義思想は、人類全体に唯物論の毒素を増殖伝染させる「ユダヤ思想」をルーツとしているのです。

注)「赤色革命、共産主義思想、マルクス主義思想は、ユダヤ思想をルーツとしている」この件については、当ブログ「1/マルクスの建前と本音」を参照下さい。http://56937977.at.webry.info/201402/article_1.html

 赤色革命、これは『ヨハネの黙示録』十二章及び十三章で預言されたところの「赤き龍」(サタン)であり、『古事記』では「八岐大蛇(やまたのおろち)」として預言されています。前世紀、世界中で猛威をふるった赤色革命の嵐は、今世紀(21世紀)ではもはやその力は失ったかに見えますが、唯物二元論のユダヤ思想は、国際金融至上主義、国際グローバリズム、CO2温暖化環境保護主義、世界中の銀行システム、日本国憲法等々、様々な形を変えて全世界を蝕(むしば)んでいるのです。

注)「唯物二元論のユダヤ思想は、国際金融至上主義、国際グローバリズム、CO2温暖化環境保護主義、世界中の銀行システム、日本国憲法等々、様々な形を変えて全世界を蝕(むしば)んでいる」この点については、説明を要しますので、今後順次このブログでご紹介したいと考えております。

 現在、それらの赤色思想(唯物思想)が、生長の家の組織の中枢をも蝕(むしば)んでいる事実を見る時、この問題を地球規模的問題、且つ人類の歴史的問題として捉え直す必要性を、強く感じずにはいられません。つまり、現在生長の家人の目前に現れているところの危機は、天皇国日本の危機であり、同時に全地球的危機であることを、私達に教えてくれているものだ、と解すべきなのであります。目前の問題を国家、地球全体の問題として、しっかりと捉えることによって、改めて生長の家立教の使命の確認と、神から生長の家人に課せられた偉大な使命を、正しく受け止めることができるのではないでしょうか。

 以上の意味において、この問題に対して絶対感謝をすべきであると考えております。
(つづく)

4114a hope:2014/07/13(日) 10:14:16 ID:cEpBaIdo
>>4113つづき) ↓「あまむし庵」さまの御文章のつづきです。

  ありがとうございます。ありがとうございます。
  ありがとうございます。ありがとうございます。
  ありがとうございます。ありがとうございます。
  ありがとうございます。ありがとうございます。

 感謝唱行を繰返すことによって、自分自身の心の中で、「あぁ、ありがたい」「なんて有難いんだろう!」と、問題に対する感謝の念が生じてきます。さらに時間が経てばたつ程、その感謝の念は、「ただありがたい」底に終るものではなく、谷口雅春先生の教えを受けた私自身に対する、「神様から与えられた使命の躊躇なき断行の決意」に昇華して行くのであります。赤痢菌に感謝し得た楠本講師の感謝は、「誰彼の差別なく触れる人ことごとくに菌を伝える赤痢のようでなければならない」との、断固たる伝道の決意として結実した時、然(さ)しもの赤痢菌事件も見事に解決し得たではありませんか。

 今回、生長の家本部中枢で発生した、謂わば「生長の家本部赤痢菌事件」に対する私自身の感謝は、「神から与えられた使命の躊躇なき断行の決意」という、教訓を与えて下さったことに対する感謝となって行くのでした。それは取りも直さず、「天皇国日本実相顕現」と「人類光明化運動」の断固たる決意であります。

 今回の「生長の家本部赤痢菌事件」は、私にとって、現在進行形で進んでいる日本と世界を蝕むユダヤ問題(赤色思想・唯物思想による全世界への侵蝕問題)が、生長の家自体をも侵蝕している事実に目覚めさせたと同時に、この地球規模の問題は、自分自身としても極めて身近な大問題であったという「事実」を、深く理会し得たというところに、最大の「教訓」を読み取る事ができたのであります。

 今までは、ユダヤ思想、唯物思想が、日本と世界に及ぼす影響力については、ある種「他人事」的な距離感をもって、眺めていた憾(うら)みがありました。しかし、今回の「生長の家本部赤痢菌事件」を深刻に考える中で、これらの諸問題に共通する同一性を発見できたのであります。その瞬間、小生の意識は、日本と世界が抱え続けている「ユダヤ思想、唯物思想、赤色思想」の大問題を、「自分自身の問題」として受け止め始めていたのです。

 これが、「生長の家本部赤痢菌事件」に対する、小生の受け止め方なのであります。
――――――――――――――
(つづく)

4115a hope:2014/07/13(日) 10:16:27 ID:cEpBaIdo
>>4114つづき)

「あまむし庵」さまの御文章からは、感謝の念のようなものがじわじわと伝わってきて、拝読していてとても気持ちよくなってきます。

わたしは、気功をやっていたことがあるので、「氣」や「波動」にはとても敏感で、たとえそれが文章であってもその波動を感じてしまうのです。
ただ、すべてわたしの主観で感じていることなのでそれが正しい感じ方であるかは不明ですが・・・(笑)


大熊先生のご講義もわたしにはとても心地よいです。

http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/MYBLOG/yblog.html

大熊先生はよく「報恩」というお言葉をお使いになりますが、お二人に共通しているのは「愛」と「感謝」だと思いました。


「生長の家」は素晴らしい!!!

4117a hope:2014/07/15(火) 18:31:44 ID:cEpBaIdo

みなさま

今迄、聖典引用板の方に、web誌友会のテキストである第13巻の内容をまとめたものや、
(所感)を書かせていただいていましたが、聖典引用板の方には謹写した文章のみを投稿させていただきます。

これからは、テキストをわたしが個人的にまとめたものやその内容への所感は、こちらに投稿させていただきます。

(テキストまとめ)

○『善とはなんぞや』p176 
・・・無相なるがゆえに無限相であるところの自由自在な神性が、時相応、所相応、人相応に顕現した状態をいう

時相応・・・時にふさわしい
所相応・・・所にふさわしい
人相応・・・その人にふさわしい


△人の時所に相応しない「思い」と「行為」とは
・・・前例においてそれが同じ「思い」同じ「行為」であっても「善」だとはみとめられない

例)<<たとえば、赤穂(あこう)四十七義士が主君の仇(あだ)のために吉良上野介(きらこうずけのすけ)を殺害してみずから切腹したごときは、近代においては「善」であると認められないことは前述したとおりである。>>p176 8行目〜


△「善」の動機説、精神内容説とは
・・・古来から唱えられている説で、動機さえよければ、その行為の精神内容さえよければ、形はどうでもそれは「善」であるとみとむべきである
・・・人類のためだという動機ならば手段としての行為はどのようなものでも、またどのような結果を招いてもその行為は「善」である


【「善」の動機説、精神内容説を谷口倫理学が排斥する理由】

<<動機が善であってもそれが不結果を招くのは、その動機としての彼の行為を指導し、彼を行為にまで駆るところの精神内容に、すべての場合や条件を尽さざるところの不完全さを暴露しているのである。不完全は「善」ではないから、不結果を招くような動機も手段も「善」とはいいがたいのである。>> p177 後から6行目〜

4118a hope:2014/07/15(火) 18:38:06 ID:cEpBaIdo

>>4117 a hope所感)

ここの第13巻p176〜183には、宗教を信仰する人間が、その「教え」(真理)の表現として現象世界で何らかの「運動」をしていく時に、
守らなければいけないとても重要なことが書かれているような気がします。

たとえ動機が「善」であるように見えていても、その行為に結果がともなわばければ、
それは「善」とはいがたいと谷口雅春先生はおっしゃっています。

これは、たいへん厳しい教えなのではないでしょうか?

それでは、人間がまことの「善」をなしとげるにはどうしたらいいのでしょうか?


その答えは、P178の『人間に神を実現する』とp179の『自我のおきかえ』に書かれていて、
そのたとえ話としてp180の『香厳(きょうげん)上樹(じょうじゅ)、飛躍の道』に『無門関』の第五の公案「香厳上樹」のお話と、
イエスが悪魔に惑わされそうになった時のお話が紹介され、まことの「善」とはどのような事かの詳しい解説がされています。

ここのところも、とても重要だと感じているので、時間がかかりますが、聖典引用板の方に全文謹写させていただきます。 感謝 合掌。

4119a hope:2014/07/15(火) 22:32:13 ID:cEpBaIdo

『人間に神を実現する 』p178
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3024

(a hope所感)

ここでいう、「法界を覆う知恵」とは、神の知恵、つまりは「実相の悟り」のことだと思いました。

そして、その悟り、つまり、「法界を覆う知恵」を得るためには、「禅的な修養が必要」とあります。

生長の家の信徒であれば、修養とは三正行のことですから、聖典・聖経の拝読 神想観 愛行ということですね!

4120a hope:2014/07/17(木) 11:03:37 ID:cEpBaIdo

『自我のおきかえ』p179
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3026

(a hope 所感)

<<人間の小知は決して全法界に達せざるがゆえに、根本的には善をなすことができない。>>

なんて厳しい言葉でしょうか!!

ここのところの文章を真っ直ぐ受け取れば、「わたしたち人間は人間知では善をなすことができない」ということになります。

まあ、まことの善とは、「実相」の現れのことですから「生長の家」の真理から言えばそれは当たり前のことなのかもしれませんが・・・

現象世界のさまざまな「迷い」の中で生きているわたしたちは、「サタン」の誘惑も頻繁に受けますから、このまことの「善」を実行するのは至難の業のような気もします。

でも、そんなことばかり気にしていてはなにもできませんから、わたしたちは「生長の家」人は常に「三正行」を怠らず、
>>4114であまむし庵さまのおっしゃるように、「神から与えられた使命の躊躇なき断行」していかなければいけないのだと思いました。

4121a hope:2014/07/17(木) 11:05:18 ID:cEpBaIdo

「使命邁進の神示」

人がどう思ふかも知れぬと、そんなことばかり気にかけているようなことでは心の苦しみは絶えぬものだ。
自分がどの位愛したか、自分がどんな仕事をしたか、そればかりを考えるが好い。
肉体の人間は誤解するものだとあれほど言いきかしてある。
肉体は念の集積で出来たレンズ又はプリズムであるから、人によってその『眼鏡』は違うから、どんな光線でもみんな屈折して見えるし、丸いものも三角に見える。
深切で言ったつもりが悪意にとられたり、失敗(しくじ)って言った言葉でおかげを受ける人もある。
誰が何を思っても、それは迷いで屈折して色々に観るのであるから、ただ神に知られることだけを求めて人に知られようなどとは思わぬが好い。
人間の苦しみの一つの元は上べを飾りたい心である。(昭和七年三月十五日執務中神示)

4124a hope:2014/07/18(金) 22:36:18 ID:cEpBaIdo

「香厳上樹(きょうげんじょうじゅ)、飛躍の道」p180
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3027n-

(a hope所感)

「悟り」を開いた状態であればどのような行動をとっても「善」の現れとなる、ということなのでしょうか・・・?

自分(我)を無くした状態(無我状態)になった時はじめて、神の御心がそのまま現れてまことの「善」をなせるということなのだと思いました。

だから「善」をなすためには、自分の中の神とつながる毎日の「神想観」が何よりも大切なのですね!

4125a hope:2014/07/19(土) 09:33:00 ID:cEpBaIdo

『人格の自由と「認め」の倫理 』p183
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3029

(a hope 所感)

よく真面目に親の言うことを聞いて育っている人のことを、「お前は親のひいたレールを走らされているだけだ」と揶揄することがあると思いますが、
その場合、その人自身に人格の自由がなくて「親のひいたレールの上を走っている」場合と、
人格の自由を持ちながら「親のひいたレールの上を走っている」場合があるのではないかと感じています。

それは、不満だけれど仕方なくいうことを聞いているのか、それとも、親を信頼して喜んでしているのかの違いだと思います。

後者の場合であれば、たとえ親のひいたレールの上を走っていても「人格の自由」は認められているのではないでしょうか?


信仰にしても同じだと思いました。

わたしたちは神さまのひいたレールの上を走っている時、自然に不安が消えてすべてがうまくいき、おのずと喜びや満足感が湧き上がってくるのだと思います。


光明掲示板でわたしをご指導くださった明鏡さまのお言葉をみなさまに紹介させていただきます。

<<本来、信仰とは、信ずれば信ずるほど、心が幸せになり、安心してゆくものですが、
信ずれば信ずるほど、不安になるものを “ 迷信 ” といいます。>>

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=1743&amp;submitlog=1743


みなさまのお幸せを心よりお祈りします。 合掌。

4126a hope:2014/07/19(土) 09:50:47 ID:cEpBaIdo
>>4125 訂正

親のひいたレール→親の敷いたレール

すみません、なまってしまいました(;´∀`)

4128a hope:2014/07/21(月) 17:25:23 ID:cEpBaIdo

「驀進日本の心と力」より 『善の存立し得る根本条件』 p67
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3031

(a hope所感)

今回また「驀進日本の心と力」の中に、戦後、削除されたと思われる貴重な文章をみつけました。 

それは「人格の自由」についての文章なのですが、「生命の實相」第13巻では「夫婦の貞操」を例にあげ4ページほど(p184〜p188)で説明されているだけなのですが、
「驀進日本の心と力」では、さらに「天皇」「領土権」「所有権」の例もあげて、7ページにわたってとても詳しく説明されているのです。

わたしはこの部分も「生命の實相」を拝読しただけでは、なんとなくすっきりしませんでしたが、
原文を拝読することで、やっと真意が理解できたような気がします。

少しずつですが、「驀進日本の心と力」の方の原文を聖典引用板の方に現代文に直しながら謹写させていただき、
理解を深めていきたいと思います。

感謝 合掌。

※訂正とお詫び・・・今まで、「【邁進】日本の心と力」と書いていましたが、正しくは「【驀進】日本の心と力」でした。
 大変失礼いたしました。

4130a hope:2014/07/22(火) 23:06:48 ID:cEpBaIdo

「驀進日本の心と力」より 『領土権の根拠は那辺(なへん)にありや』p69
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3034

(a hope所感)

頭注版「生命の実相」には、領土権に関する文章は一切ありません。

とくに、

<<歴史以後に世界各国がこの国土は自分の国土であると宣言したところが、それは既に、歴史以前の大宣言(おおみことのり)であるから、世界各国の統治者は国土を『※うしはく』のであって知ろしめすのではないのである。
かくの如く『認め』の権威が明らかとなったとき、はじめて、夫婦の貞潔と云うものの価値と権威とも明らかになるのである。
夫婦の貞潔(ていけつ)が美徳であると云うのは単なる良人の占取欲(せんしゅよく)のためではなく、社会公安上の便宜ではなく領土権と等しく『人格の自由』と『認め』と、その『認め』の発表のコトバの力に基づくのである。>>

ここの部分は、「領土権」と「夫婦の貞潔」を同等に説明していて、唯物論的に考えてしまうと、
妻や良人を「領土」と同等に考えている「とんでもない思想」、ということになってしまうのではないかと感じました。

戦後、日本国内に唯物論的考え方をする人が増えてきてしまい、「領土権」について考えるにしても、
現象の土地や国土を取り合いするような現状のなかで、この「生長の家の教え」の真意を人々に伝えるのはなかなか難しいのではないかと思いました。

ですがわたし自身は、ここのところの文章をじっくり拝読していると、主人と結婚した時に「誓いの言葉」を交わし合ったことを思い出し、
「間違いなく主人はわたしの半身であって、かけがえのない大切な人だったんだ・・・」
ということに気がつきました。
そして、いままで感じたことのないくらい主人のことを愛おしく感じました。

「谷口倫理学」・・・すごすぎます(笑)

4132a hope:2014/07/24(木) 08:40:24 ID:cEpBaIdo

「驀進日本の心と力」より 『貞操の根拠は那辺にあるか』p71
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3037

(a hope所感)

<<夫婦の貞潔を冒してはならないのは、領土権を侵犯してはならないのと同様である。>>

ここのところの文章は、本当に生長の家の「唯神実相的世界観」をしっかり理解していないと、
現代では、激しく批判されてしまうかもしれない表現ではないかと感じています。

今、世間では不倫や離婚が当たり前のように行われています。

子どもたちのお友だちにも、片親家庭の子供が信じられないくらい多いです。

少し前の時代でしたら、父親のいない子供は肩身の狭い思いをしていたり、いじめられたりしたのだと思いますが、
今の子供達は全く気にしていないから驚きです。

中には、「お父さん」という言葉の意味を知らない小学校低学年児もいます。

時代背景はこれだけ変わってしまいました。

やはり、たとえそれが真理の言葉であっても、時代の変化に従って表現を変えていかないと、
真理の伝道はむずかしいのではないかと感じています。


みなさま、わたしは聖典「生命の實相」または、その関連文章を拝読して、素直に感じたことを発言させていただいていますが、
これは、わたし個人の解釈であり、感想です。

賛同してくださる方もいらっしゃるでしょうし、異論のある方もいらっしゃると思います。
また、「新人が、聖典解釈などとんでもないことをいている!」と、
不愉快に感じていらっしゃる方もいらっしゃるかと思います。

ですが、わたしは「生命の實相」真理の素晴らしさに魅了されてしまっていて、このweb誌友会を続けて行くことに生き甲斐を感じているのです。

Web誌友会の趣旨である「生命の實相」の輪読会へのご参加はもちろん大歓迎ですが、
わたし個人へのご意見、ご感想なども、遠慮なく、こちらでご発言下さいね!

どうぞよろしくお願いいたします。 感謝 合掌。

4134トキ:2014/07/26(土) 21:16:10 ID:Iil/ZUCE
先日、谷口輝子先生の「愛の相談室」という聖典を拝読しておりまして、こういうご文章
がありました。

 「この間、私の所へ、山形県酒田の一白鳩会員から手紙がまいりまして、私はその手紙を
見て、非常に感激したのでございます。70歳になっておられましたが、当時既にずっと十何年
前からの白鳩でございます。その方は川島しげ江さんとおっしゃる方で、短い手紙でございま
すけれども、こんな手紙をくださったのでございます。

 「先日、家で誌友会の最中に盗人が入りました。18歳の将来ある少年で、何も物は盗られ
ませんでしたが、指名手配されて捕らえられた少年の由。かわいそうでかわいそうで、寝ても
眠られず『光の泉』やいろいろのご本や、お菓子などを持参し、差し入れとして警察へ面会へ
行きました。初対面の時はなかなか話もしてくれませんでしたが、やがて和顔・愛語・讃嘆の
うちにすっかり人相が別人のようになり『将来立派な人になって、世のため人のために尽くす
人間になるんだ」といって、泣いて泣いて・・・・。真実に泣くのでございました。山形市内
の少年の施設に収容されて、元気で規則をよく守り、ご本を読んでおります由。もっともっと
御教えのご本をたくさん差し入れ続けてあげたい。誌友会の時に入ったというのは、何かの
因縁だと感じられます。必ずこの御教えで救われます少年に違いないような気が致します。
神想観をして祈っております。有り難うございます。有り難うございます。」

手紙にはそう書いてありました。

 ただ簡単な好奇心とか上辺だけの慰めなんかで刑務所を訪れたり警察を訪れたりしたのでは、
このように変わらないのでございます。真実、この川島さんは、母親のような、実際に生んだ
子供を愛するような気持ちで、その少年を哀れんで、夜寝ても、その子のことが心配になって
眠れないくらいに真実なる愛情をもって、そこを訪れて行かれました。そのために、この少年
はすっかり人相が別人のように変わったというのでございます。この母親のような愛情をもって
他人の子供にも対されるような人。これが本当の生長の家の人間であり、私達の誇るに足りる
白鳩会員であると思うのであります。

(谷口輝子先生 「愛の相談室」 22P)

 伝道というのは難しいものですが、基本は愛情が大事かと思います。その上で、その場その場
で一番良い表現をしたら、きっとその人のためになる言葉が出て来ると感じます。

4135a hope:2014/07/27(日) 12:44:20 ID:cEpBaIdo

「驀進日本の心と力」より 『所有権の根拠』p72
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3041

(a hope 所感)

今回の謹写部分で一番心に響いたのは、(注)の「常不軽菩薩」に関する文章でした。(これは生命の實相第13巻p187にもあります。)

<<(注)「認め」の倫理的価値は、遥かに遡(さかのぼ)れば『法華経』の「常不軽菩薩品(じょうふぎょうぼさつほん)」に於て、常不軽菩薩が万人を成仏すべきものとして礼拝したのに始まる。認めて初めて存在に入るのである。この時よりして万人は成仏すべく定められたのである。大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)が※十劫(こう)の間を道場に坐してしかもなお成仏しなかったのは、本来「仏」でありながら「認め」が存在しなかったからである。>>


ここに「認め」の重要さ述べられていると感じました。
宗教の教義をいくら勉強して知識を豊富にしてみても、いくら神想観をして外に神を求め続けても、たくさんの愛行を実行してみても、
わたしたちは『万人を神の子として「認め」、礼拝する』ことができなければ、成仏できないということが述べられているのだと感じました。

「常不軽菩薩」のように、どんなに憎むべき相手であっても、「赦し」「感謝し」「愛する」ことができたとき、
初めて「釈迦」や「キリスト」や「谷口雅春先生」と同じ心境になれるだと思いました。

4136a hope:2014/07/27(日) 12:46:00 ID:cEpBaIdo

(第13巻まとめ)

この「生命の實相」第13巻の倫理篇では、「円満完全なる人格(神の子・人間)とは何か」と、「それを隠蔽する『ツミ』とはどのような事か」、そして、「まことの『善』とはどのような事か」が、とても丁寧に説明されていました。

ここの部分は、とても深い真理が説かれていると感じたので、5月から3か月かけて丁寧にお勉強してきました。

とくにありがたかったのは、第6章の「価値の本質」のオリジナルであると思われる文章を、
「驀進 日本の心と力」に見つけて拝読できたことで、より理解が深まったことです。

さらに、つづけて「生命の實相」第14巻をお勉強することで、理解を深めていきたいです。


ですが、今日は、あまむし庵さまがブログを更新されたので、その御文章をじっくり拝読させていただきます。

http://56937977.at.webry.info/201407/article_5.html

感謝 合掌。

4137a hope:2014/07/27(日) 12:49:39 ID:cEpBaIdo

>>4134トキさま)

素晴らしい御文章をご紹介くださりありがとうございます。 合掌。

<<ただ簡単な好奇心とか上辺だけの慰めなんかで刑務所を訪れたり警察を訪れたりしたのでは、このように変わらないのでございます。
真実、この川島さんは、母親のような、実際に生んだ子供を愛するような気持ちで、その少年を哀れんで、夜寝ても、その子のことが心配になって眠れないくらいに真実なる愛情をもって、そこを訪れて行かれました。
そのために、この少年はすっかり人相が別人のように変わったというのでございます。
この母親のような愛情をもって他人の子供にも対されるような人。
これが本当の生長の家の人間であり、私達の誇るに足りる白鳩会員であると思うのであります。>>

「まことの愛」がどれだけ人を変えることができるかを証明していますね!
その「まことの愛」が、当時の生長の家には溢れていたのでしょうね。

他人の子を、我が子同然に考えるというのは、なかなかできることではないと思います。

この文章を拝読して宇治でたくさんの赤ちゃんと妊婦さんを救って大活躍されている大熊先生のことを思い出していました。

わたしも、自分の身近なところから真理の実践をしていきたいと思っています。

4139a hope:2014/07/30(水) 08:25:22 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

子供達が夏休みに入りました!!

普段は時間が取れなくてなかなかゆっくり勉強を見てあげられなかったり、
遊んであげられなかったりだったので、この時期はたくさん子供達と過ごすことができて本当に幸せです。



ところで、みなさまは、あまむし庵さまのブログはご覧になりましたか?

http://56937977.at.webry.info/201407/article_5.html

わたし自身は、その内容に感動するとともに深く自己反省することもできました。

「謙(へりくだ)り」ということの本当の意味を考えさせていただきました。


あまむし庵さまの素晴らし御文章に心から感謝いたします。 合掌。

4140a hope:2014/07/30(水) 08:32:09 ID:cEpBaIdo

みなさま

現在、このweb誌友会板では、聖典「生命の實相」倫理篇をお勉強しています。

この倫理篇には現在の「生長の家」問題を解決するヒントが沢山かくされているような気がしているので、
時間をかけてじっくりお勉強しています。

そして先日やっと第13巻をお勉強し終わったので、これからは14巻に移りたいと思います。

この巻の4章には、あの有名な『家ダニ』や『放蕩息子』のお話の「和解の倫理」があります。

あまむし庵さまもブログで自身のご解釈をご教示くださっていて、とてもお勉強になりました。

http://56937977.at.webry.info/201407/article_3.html


また、わたしは以前この掲示板での「訊け」さまのこの章に関するご発言を拝見して、
「和解の倫理」の真実に気づかせていただだいたのです。

ですので、今回はできれば「訊け」さまにも是非、このweb誌友会に参加していただいていろいろご教示いただきたいと思っています。

個人的には「生長の家」の教えを信仰していくのに、この「和解」を外してしまったらその「教え」の価値はゼロに等しいと感じています。


みなさま、本当の「和解」とはどういうことなのか、ここでじっくり考えていきませんか?

といいながらも、今回は夏休みでもありますので、わたし a hopeの書き込みはいつもより少なくなると思います。
みなさまのご参加をどうぞよろしくお願いいたします。

4142a hope:2014/08/03(日) 10:47:33 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第26回 web誌友会 案内

期間  8月1日〜8月31日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p126まで
     

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4143a hope:2014/08/03(日) 10:49:07 ID:cEpBaIdo

トキさま みなさま こんにちは

第25回web誌友会は、わたしa hopeの勝手な司会で、3か月間「生命の實相」第13巻の倫理篇〈上〉をお勉強させていただきました。

そして先日やっと13巻をお勉強し終わりました。
ここでちょうど8月に入りましたので、今月から第26回web誌友会を開催という形にさせていただきたいと思います。
勝手ばかりして申し訳ありませんが、今月からは、また、1カ月期間でテキストの範囲をお勉強し終わるような形に戻したいと思います。

みなさまのご参加をどうぞよろしくお願いいたします。

4144a hope:2014/08/03(日) 10:50:52 ID:cEpBaIdo
それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4145a hope:2014/08/03(日) 10:57:22 ID:cEpBaIdo
続きまして、「生命の實相」第14巻 p2にあります「仏陀の聖訓」を謹写させていただきます。


仏陀の聖訓

「まことに『恨み心』をもってしては、その怨みを解くことはできない。
ただ『怨みなき心』によってのみ怨みを解くことができる。
このことは、永恒(えいごう)に易(かわ)ることのない真理である」

とは『法句経(ほっくきょう)』の第五にある仏陀の聖言である。

「恨み心」をもってしては怨みを解くことはできない、「怨み無き心」によってのみ怨みを解くことができるなどと実にきまりきったことだというような、
怒っている心は怒っているのだ、笑っている心は笑っているのだというようなあたりまえのことを仏陀は何故いったのであろうか。

これは「迷っている妄心」で「迷い」を無くしようと思っても、結局その迷いを解くことはできないものであるという真理を説かれたものである。

怨みを解くには、怨んでいる心でその怨みを解消しようと思っても駄目なのである。

「本来怨んでいない心」を出して来た時、怨みはひとりでに解けてしまってしるのである。

「暗(やみ)の心」で「暗の心」を消そうと思っても駄目である。

「光の心」を出して来さえしたら暗の心は自然に消える。

そのほかの心をもってしては「暗の心」はとうてい消えないのである。

「暗の心」は「無い」と知ったら、「怨み心」は本来無いと知ったら、もう暗の心は消えており、恨み心は消えているのである。


感謝 合掌。

4147神の子さん:2014/08/03(日) 14:02:09 ID:Lz6iJNnk
ほーぷさん、
いつもありがとうございます、閲覧させていただいていますが、
夏休みなので、ゆっくり進んでください、一か月は出かけていてここを読めないので・。

4148a hope:2014/08/03(日) 18:39:54 ID:cEpBaIdo

>>4147 神の子さん

ありがとうございます。
はい、わたしも夏休み、家族で過ごす時間を大切にしたいのであまり書き込みできないと思います。

でも、このweb誌友会は中断したくないので、いままで通り時々赤線を引いてある箇所を謹写して、
所感を述べていきたいと思っています。

みなさまも、テキストの範囲で心に響いた箇所等を紹介してくださるととてもうれしいです。

4149トキ:2014/08/03(日) 23:51:47 ID:neiIgbMA
a hope様

 熱心なご投稿には本当に頭が下がります。
心から感謝申し上げます。誌友会、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

4150a hope:2014/08/04(月) 08:39:03 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p3 10行目〜

「生長の家」はたんなる宗教ではなく、生活であり、家庭であり、また、いっさいでありますが、
それが生まれ更(か)わりの宗教たる一面の最も鮮やかな特色をなす一面でありまして、
個の生まれ更わりの一面があるために生活も生きてき、家庭も生きてくるのであります。


(a hope所感)

>>4149トキさま

ありがたいお言葉に心から感謝いたします。 合掌。

上の謹写部分の文章の言わんとしていることを言い換えれば、「生長の家」を信仰していれば、つまり、三正行(聖典拝読・神想観・愛行)を続けていれば、
わたしたちは生まれ更わることができて、生活や家庭が生きてくるということですよね?

わたしはそれが、最近、実感としてわかってきているのです。

だから、このトキ掲示板で聖典のお勉強をさせていただくことも、そのわたしの「生まれ更わり」のための大切な「行」であると思って、感謝をこめてさせていただいています。

この第14巻の第1章 と第2章は、『悔い改め(生まれ更わり)』について詳しく述べられています。

これからしばらくは、テキスト内の『悔い改め(生まれ更わり)とは何ぞや』が書かれている箇所を抜粋謹写していきたいと思っています。

みんさまもよろしかったら、ご参加くださいね!

4151a hope:2014/08/04(月) 08:41:20 ID:cEpBaIdo
>>4150 訂正
個の生まれ更わり→この生まれ更わり

4152トキ:2014/08/04(月) 20:40:52 ID:FXm1V2Sw
>>4150

 これはとても重要なご指摘だと感じます。

 生長の家という団体に所属すれば自動的に救われるのではなくて、生長の家の信仰、
つまり谷口雅春先生の説かれた教えを実行すれば、魂の向上が正しく行われる、とい
う事ですね。

 生活の中に生きる信仰とは、やはり実践を通じての魂の深化こそが、大切だという感じ
がします。

4153神の子さん:2014/08/04(月) 21:01:56 ID:I/wU8psA
破邪顕正は新潟越南教区の中内英生教化部長は酷い保身の人間だと云っています。

彼は30年ほど前に本部錬成道場で錬成を担当していた。 100人以上の参加者の面倒を総務と二人つまり三人でしていた。

その彼でさえ魂が低いというのであれば、誰が魂の深化ができるでしょう。本当に困って10日間の錬成に参加する人たちの相手をしていたのに、

魂が低いとは?

4155a hope:2014/08/06(水) 18:58:58 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p3〜4

○本当の「生まれ更わり」というのは自覚が生まれ更わってくることであります。
自覚が生まれ更わってきて、忽然「われ神の子である」と自覚ができてくることができなければ、
肉体は何度生まれ更わっても本当の「生まれ更わり」というわけにはゆかないのであります。

○「われ罪の子」の自覚が忽然消えて、「われ神の子」の自覚に入るのが本当の「生まれ更わり」でありますが、
この「われ神の子」の自覚を得るというのは、罪を犯しながら、その罪を犯している自分を
「これで神の子だ、これで真我だ」と自慢自讃することではありません。
罪が外に犯されてるのは、まだ「われ罪の子」という偽存在(にせもの)のわれの自覚が潜在意識内に残っているからこそ、
それが具象化して出て来るのでありますから、その偽存在のわれの自覚を「神の子なり」「真我なり」と名称を付けかえてみましても、
それは何も真に「神の子」が自覚されているわけではない。

4156a hope:2014/08/06(水) 19:01:23 ID:cEpBaIdo
>>4155 a hope 所感)

<<罪を犯しながら、その罪を犯している自分を「これで神の子だ、これで真我だ」と自慢自讃することではありません。>>

わたしは、ここの文章に「悔い改め」の真意が表現されていると感じています。
「人間は神の子だ」という生長の家の真理の言葉を、「神の子だから何をしても許されるんだ」と解釈してしまうと、
人間は増上慢になってしまうのだと思います。

「悔い改め」とは自己反省することだと思うので、自己反省できない人は「生まれ更わる」こともでいないということにならないでしょうか?


>>4152トキさま と>>4153神の子さんのご投稿に、「魂の深化」という表現があり、神の子さんは「魂が低いとは?」と質問されていますが、
わたし個人的には、人間の魂の深化にレベルなどないのではないか・・・と最近は感じています。

その人がどれだけ「実相」(神の子)を現象生活に現しているかいないかで、その人から発する「オーラ」や「氣」の状態がかわってきてしまうので、
それを客観視して魂の深化のレベルのようにとらえているのが精神世界(スピリチャル)的な考え方なのではないかと思うのです。

ですが実際には、ニセモノの我が消えて「神の子」の自覚さえ得られれば、誰でも神と同一のレベルに達することが可能なのですから、
「生長の家の教え」を信仰するということがどれだけ素晴らしいことかがわかります。

わたしは「生長の家の教え」に出会えたことに心から感謝しています。 合掌。

4157トキ:2014/08/06(水) 22:09:41 ID:yk7MqROc
>>4153

 神の子様、HNをご表明下されば幸いです。

 なお、「魂の深化」(進化ではない)とは、自分としては
「神の子の自覚を深くする」という意味で使いましたが、
誤解を招く表現でしたら訂正させていただきます。

4158a hope:2014/08/09(土) 18:01:33 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p5 後から1行目〜

○われは肉体的存在だと思っていた信念が、クラリ!と一転して、わが肉体的存在は仮相であって、
そんなものは実在ではないと知って、実相そのものに新生することが「新たに生まれる」ということである。
「天より降りし者」すなわち実相より生まれた人の実相(神の子)のみが神の子であって、
その実相の自覚に入ることが本当に生まれ更わるということである、
とイエスはいっているということはすでに述べたところであります。 


p6 後から4行目〜

○悔い改めよというのは、心をクラリと転向せよ、今までこれが自分であると力んでいた「自分」はそれは「本当の自分」ではなかった。
それはニセ物の自分であった、「本当の自分」は別にあった、それは「神の子なる自分」であったと悟る。
ここに完全に「われの転回(おきかえ)」というものが行われる。
これが悔い改めであり、新生であるのであります。


p7 後から6行目〜

○今まで罪を犯したということが本当に悪いとわかっているくらいなら、その報いをのがれようと思って小細工をしたり、
逃げようとしたりするものではないのであります。
その人がもし完全に悔い改め、すなわち「われの根本的置き換え」ができていましたら、
最後の審判を恐れるなどということは決してないのであります。
なぜなら「本当のわれ」というものは、火にも焼けず水にも溺れることのない金剛不壊のものだということを知ることが、
すなわち「われの完全な置き換え」すなわち「悔い改め」であるからであります。
だから最後の審判が恐ろしいようでは「悔い改め」ができていないわけで、
最後の審判を恐れて悔い改めよでは意味をなさないのであります。 
最後の審判を恐れるならば、火に焼け水に溺れるような偽存在のわれを捨てて、
最後の審判にかからないところの金剛不壊の「われの実相」を求めよということになって、
初めてここに首尾一貫した「なんじら悔い改めよ」の意味をなすのであります。

4159a hope:2014/08/09(土) 18:03:23 ID:cEpBaIdo

>>4158 a hope 所感)

一言に「わたしは神の子です!」というのは簡単ですが、その自覚をまことに得るのはなかなか難しそうです。
その自覚は日々の修行(三正行)により、徐々に深まっていく場合もあるでしょうし、
ある日突然「われの転向(おきかえ)」が行われて「悟る」こともあるのかもしれません。

ですが、いずれにしても、その自覚を得るには「ニセ物の自分」を否定し、「本物の自分」を肯定するという「悔い改め」という行為が必要なようです。
聖典には、何度も何度もしつこいくらいに、この「悔い改め」とはどのようなことかが表現を変えて説明されています。

続けて謹写していきたいと思います。 合掌。

4164a hope:2014/08/15(金) 12:12:53 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p9 後から1行目〜

○それから「悔い改め」ということは、「自分が悪い」と感ずることではないのであります。
「悪い自分」が無くなるということであります。


p13 5行目〜

○後悔は旧我の持ち越し苦労であり、「悔い改め」は旧我をキレイサッパリ捨ててしまって、新しい本物のわれを展望することであります。
よく似ていますが根本的に相違しているのであります。


p13 後ろから8行目〜

「悔い改めと贖罪苦行との相違」

○「悔い改め」のしるしに水行したり難行したりする人もありますが、「悔い改め」ということと肉体を苦しめることとは全然別のことであります。
こういう人は罪を犯した代わりにそれだけ自分が苦しみを嘗(な)めれば、その罪が消えると思っているのかもしれませんが、
いくら肉体を外から洗い浄めましても、罪の運動慣性(業の流転力)は消えるものではありません。
罪の運動慣性が消えるためには、内から「われの置き換え」が完全に行われなければならないのであります。

4165a hope:2014/08/15(金) 12:16:38 ID:cEpBaIdo

>>4164 a hope所感)

実は、わたしは「生命の實相」をまだ全巻読破していませんでした。

わたしの未読の巻は、第31巻32巻の「宗教戯曲篇」と、第34巻の「道場篇」なので、
数日間、家族でキャンプに行っていたので、その中の一冊、第31巻を自分のバックパックに忍ばせて、
自然が溢れる森の中で一気に拝読してきました。

偶然にもその内容は、今ちょうど、このweb誌友会でお勉強中の「悔い改め」(生まれ更かわり)に関することでした。

わたしは実際の「聖書」は拝読したことはありませんが、谷口雅春先生の「耶蘇傳」では、
十字架に磔(はりつけ)になったのは、真のキリストではなくて、
キリストの姿をしたユダであったというショッキングな内容でした。

自分の罪を認めながらも、「神の子」の自覚まで悟れなかったユダは、業の流転力(心の法則)には逆らえず、
キリストの代わりに磔(はりつけ)になったのでした。

<<罪の運動慣性が消えるためには、内から「われの置き換え」が完全に行われなければならないのであります。>>

真のキリストは、内からの「われの置き換え」が完全にできていたはずなのに、たとえ人類の罪の身代わりになったとはいえ、
なぜ、現象的に自分の肉体を磔(はりつけ)にして苦しめる必要があったのだろうか?
とわたしは今まで少々疑問に感じていましたが、この谷口雅春先生の「耶蘇傳」の内容からだと、その疑問も見事に解消します。

谷口宗教文学も、凄いですね!!!

4166a hope:2014/08/17(日) 21:01:58 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p14〜

○また「悔い改め」とは一悪一悪と順次悪を減じて、一善一善と順次「善」を積み立ててゆくということではありません。
全体の悪が、クラリと光の方向へ転向してゆくことなのであります。


p15 後から6行目〜

○「自分は悪いからぜひ治そう」と決心することが悔い改めではない。
「悪い自分は無い」と知って、「神と一体である自分」を見出したときに、
そこに「ニセ物のわれ」と「本物のわれ」との置き換えが行われるのであることがわかるでしょう・
悔い改めというのは努力によって「ニセ物のわれ」を捩(ね)じ直すのではない。
「ニセ物のわれ」をカラリと捨てて、「本物のわれ」に転向することだということがこれでおわかりになったでありましょう。

4168a hope:2014/08/18(月) 22:06:36 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p16〜

○心全体が、この結局は破壊するところの泥舟を見棄ててしまって、金剛不壊の船に乗り換えてしまう「悔い改め」は、
やさしいようではなはだむずかしく、はなはだむずかしいようで、またはなはだやさしいことなのであります。
それは「人間は神の子である」――そうかなァ、とただ感ずる――そういうふうな気がする、ただそれだけでは悔い改めができていないのであります。
本当に泥船から金剛実相の船に乗り換えることが必要なのであります。

4169a hope:2014/08/18(月) 22:07:48 ID:cEpBaIdo

>>4168 a hope所感)

テキストには、この謹写部分につづき、『マタイ伝』第二十一章のふたりの息子の話が紹介されています。
父親に「ブドー園へゆきて働け」といわれた兄は、「ハイ、まいります」と素直に答えましたが、結局、行きませんでした。
弟は同じように父親にいわれましたが、「ゆきたくない」と答えます。
でも、やがて父親の命令にそむいたことを反省し、ブドー園に行って働きました。

この場合、最初は反抗していても、その後自己反省し、実際にブドー園に行って働いた弟の方が神の国に入れた、
つまり悔い改め(生まれ更わり)ができた、ということになるのだそうです。

4170トキ:2014/08/19(火) 22:18:20 ID:oJzhYg7A
a hope様、すばらしいご文章をありがとうございます。

 青年会で活動をされた経験のある人ならご存知でしょうが、青少年練成会では、このような体験が続出したものです。
いわゆる不良青年と言われた中学生や高校生が、いやいや連れられて練成に参加したのに、最後は真面目になり、その後
社会に出て有為な人材になったケースが続出しています。

 それで思うのですが、活動をしていても、不良の経験のある人は、人の心がよくわかり、また思いやりのある行動をさ
れることが多かったです。もちろん、だからと言って、不良になれとはすすめませんが、若い頃にいろいろあっても、
それが契機で真理に触れて熱心に信仰をされている人も多いです。

 ふと、思いだしたので、書かせて戴きました。失礼を御詫びします。

4171a hope:2014/08/20(水) 10:17:41 ID:cEpBaIdo
>>4170 トキさま


よいお話を聞かせていただき、ありがとうございます。合掌。

つまりは「生長の家」の練成会というのは、本来、迷える人々にこの「悔い改め」(生まれ更わり)をさせる機会を与える場所なのですね。
昔の生長の家の講師の先生というのは、この「悔い改め」の経験をご自分自身の実体験としてお持ちだからこそ、
人々を「悔い改め」に導けたのだと思います。
そして、それが「人類光明化」運動の本当の姿ですよね?

ですが、今の「生長の家」どうなのでしょうか?

もちろん現在でも、迷える人々の魂を救うために、本来の「生長の家の使命」に邁進され、
実際に活躍されている講師の先生はたくさんいらっしゃると思います。

具体的には、大熊先生やトキさま、そして宇治別格本山の講師の先生方などは、
「人類光明化」というその本来の「生長の家」の使命を第一にして、
そしてその一環としての日本国の実相顕現、そして世界平和実現を目指されて活動されていらっしゃるように感じています。

ですがこれはわたしの個人的感想ですが、
「学ぶ会」さま「ときみつる會」さま等の本流関係の団体さまや、生長の家本部の活動(雅宣先生ご指導)の内容を拝見していると、
この肝心な、「人々を悔い改めさせる(生まれ更かわらせる)」つまりは、「個人の魂を救う」という
本来の「生長の家」の第一の使命を「後回し」にされていたり、本部の活動に関しては「すっかり忘れて去られて」いるように見えてしまうのです。

すべての「生長の家」関係の団体が「実相礼拝」「人間神の子」の真理を第一に「個人の魂の救済」をすることを第一の活動としていけば、
すべてが調和しうまくいくのに・・・・・・・・・・・・。

活動に参加する人々の魂自身が救われて(生まれ更わって)いなければ、どんな活動をしいても本当にはうまくいかないと感じています。

4172トキ:2014/08/20(水) 20:04:46 ID:odw4ozeA
>>4171

 ご投稿、ありがとうございました。

 北尾巳代次先生の「幸福への階段」というご本を拝読すると、先生の青年時代の体験が掲載されています。
北尾先生は戦前のご入信で、また奈良県ご在住でしたから、組織というものに最初は関係されていませんで
した。薬剤師さんでしたが病気が治らず、医師に勧められた「生命の実相」を拝読して病気が消えたことから
信仰に熱心になられたのです。そこから感激して、他に悩んでいる人や困っている人がいると、信仰の話をし
て、どんどん救われたのです。この喜びが基本であると感じます。

 やはり、個人の救済が基本で、その基本ができないまま、大きな話をすると、問題が生じるのかもしれま
せん。このあたりは、私も勉強中であります。

4173隣人:2014/08/21(木) 08:11:46 ID:???

>ですがこれはわたしの個人的感想ですが、
「学ぶ会」さま「ときみつる會」さま等の本流関係の団体さまや、生長の家本部の活動(雅宣先生ご指導)の内容を拝見していると、
この肝心な、「人々を悔い改めさせる(生まれ更かわらせる)」つまりは、「個人の魂を救う」という
本来の「生長の家」の第一の使命を「後回し」にされていたり、本部の活動に関しては「すっかり忘れて去られて」いるように見えてしまうのです

================================

上のお方は「学ぶ会」と「ときみつる会」の講演会または御活動現場をご存知なんでしょうか?

いかにも不遜なご意見のように思われます。

いつのまにか御自分が増冗漫に成り果てていることにお気づきでしょうか?

4175トキ:2014/08/21(木) 09:41:38 ID:oa8Wv8S.
>>4173

 ご投稿、ありがとうございました。

 私も本流復活派の活動については知りませんが、教団内では、本流復活派
というのは、「信仰の基礎が出来ていない人」「政治路線に執着する人」と
いう宣伝がなされています。それを信じる人も多いです。また、一部の本流
復活派の方々の言動を見ていると、行き過ぎたものを感じる事もあります。
a hope 様のご発言は、その点を書かれたものかと感じます。

 この点、教団側の宣伝も問題がありますが、本流復活派の方々も誤解をとく
ようにご自身についての情報を積極的に発信される事を希望します。

4176トキ:2014/08/21(木) 10:02:43 ID:oa8Wv8S.
追伸

 おそらく、本流復活派の大半の方々は、真摯な姿勢で活動をされているとは
思いますが、一部には、誤解を招く言動をする人もいる、という意味でありま
す。教団についても、職員さんなどは、仕事でご家族がおられるので本部のい
う通りに表面上はしているが、内心は深く悩んでいる人が多いみたいです。

4177志恩:2014/08/21(木) 10:39:49 ID:.QY5jUA6
4171:a hope様

a hope様ー
>>今の「生長の家」どうなのでしょうか?

もちろん現在でも、迷える人々の魂を救うために、本来の「生長の家の使命」に邁進され、
実際に活躍されている講師の先生はたくさんいらっしゃると思います。

具体的には、大熊先生やトキさま、そして宇治別格本山の講師の先生方などは、
「人類光明化」というその本来の「生長の家」の使命を第一にして、
そしてその一環としての日本国の実相顕現、そして世界平和実現を目指されて活動されていらっしゃるように感じています。

ですがこれはわたしの個人的感想ですが、
「学ぶ会」さま「ときみつる會」さま等の本流関係の団体さまや、生長の家本部の活動(雅宣先生ご指導)の内容を拝見していると、
この肝心な、「人々を悔い改めさせる(生まれ更かわらせる)」つまりは、「個人の魂を救う」という
本来の「生長の家」の第一の使命を「後回し」にされていたり、本部の活動に関しては「すっかり忘れて去られて」いるように見えてしまうのです。

すべての「生長の家」関係の団体が「実相礼拝」「人間神の子」の真理を第一に「個人の魂の救済」をすることを第一の活動としていけば、
すべてが調和しうまくいくのに・・・・・・・<<

志恩ー
これは、本流の方々を見下す、a hope様の、独断と偏見の感想だと、大変残念に存じました。

4178残念な人:2014/08/21(木) 14:17:51 ID:???

あたしって凄いでしょう!

ここまでお勉強できたのよ!

って顔が透けてみえる。誰とは言わないが・・・・・・・

4179a hope:2014/08/21(木) 14:37:41 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p17〜

○われわれの真の「悔い改め」には「この実際に出かけてゆく」すなわち、天国が現前(いまあらわれ)るということが伴うのであります。
「なるほどそうだなア」と表面の心で感じましても、「全体のわが心の乗り換え」ができないので、救われていないということになるのであります。


(a hope所感)

<<われわれの真の「悔い改め」には「この実際に出かけてゆく」すなわち、天国が現前(いまあらわれ)るということが伴うのであります。>>

つまり本当に悔い改めると、天国が現前(いまあらわれ)るのですね。
それは、「人間知(我)で考えて行動をする」こととはまったく違うような気がします。

本当の「悔い改め」ができていれば、現象世界の出来事もすべてがうまくいく(=救われる)ということなのだと思います。

4180志恩:2014/08/21(木) 15:09:51 ID:.QY5jUA6
>>4179:a hope様
>>われわれの真の「悔い改め」には「この実際に出かけてゆく」すなわち、天国が現前(いまあらわれ)るということが伴うのであります。>>

つまり本当に悔い改めると、天国が現前(いまあらわれ)るのですね。
それは、「人間知(我)で考えて行動をする」こととはまったく違うような気がします。

本当の「悔い改め」ができていれば、現象世界の出来事もすべてがうまくいく(=救われる)ということなのだと思います。<<

志恩ー
そうおっしゃると、
まるで、本流は、人間知(我)で考えて行動している。だから…と、言っているように聞こえてしまいます。
そのように、われわれは、あなたから見られているのかと思いますと、お門違いなので、残念に思います。

4181a hope:2014/08/21(木) 15:23:58 ID:cEpBaIdo

>>4173 隣人さま >>4177志恩さま >>4178さま

ご指摘、心から感謝いたします。 合掌。

わたしが一番恐れているのは、増上慢になることですから、
わたしの意見や感想をご批判いただけるのは本当にありがたいです。

特に、>>4178さまのご指摘、


<<あたしって凄いでしょう!

ここまでお勉強できたのよ!>>


は、そのものズバリ、わたしの内心を突いています。

わたしは今迄、聖典「生命の實相」を本当に一生懸命お勉強してきましたので・・・

でも、それを鼻にかけて、人を見下してしまうようにみえてしまうのではわたしの信仰もまだまだだと思うので、
ゆっくり自己反省したいと思います。

感謝 合掌。

4182a hope:2014/08/21(木) 15:27:45 ID:cEpBaIdo

>>4173 隣人さま


<<上のお方は「学ぶ会」と「ときみつる会」の講演会または御活動現場をご存知なんでしょうか?>>

とのご質問ですが、

これは、実際、わたしなりに色々お勉強させていただいた上での率直な感想です。


それに、以前このweb誌友会で「学ぶ会」を代表されるであろう破邪顕正さまや新・本流復活でご活躍の画龍点睛さま、 
そして、現教団代表されるような曳馬野さまに信仰的な質問をさせていただきましたが、
どのお方からもお返事をいただいていないのです。

そのお三方は、新人a hopeや訊けさまのの発言を散々批判しておいて、その新人がしっかりと聖典を根拠にお答えしているのに、
それには一切お返事をくださらないのです。

ですから、正直わたしは、本流や本部の先輩方の信仰態度には強い不信感を抱いています。

わたしが、このような率直な発言をすることも、「見下している、増上慢である」と言われてしまうのであればそれは仕方ないことだと思います。・・。

4183a hope:2014/08/21(木) 15:31:08 ID:cEpBaIdo

トキさま

色々ご意見をいただきありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。

合掌。

4185トキ:2014/08/21(木) 17:12:29 ID:oa8Wv8S.
>>4182

 これは確かにそうなんですね。ネットに登場されるのは、教団側でも本流復活派
でも一部の人達だと思いますが、質問に対して返答しないのでは、信頼は得られな
いと感じます。その点は私も気をつけたいと思います。

>>4183

 いえいえ、こちらこそ、よろしくお願いします。

では、そろそろ、真理の勉強に戻りましょう。

4186神の子さん:2014/08/21(木) 17:55:03 ID:???

健気なa hope様 お勉強がんばってください!

4187a hope:2014/08/22(金) 08:53:58 ID:cEpBaIdo

>>4180 志恩さま

わたしは本当の「悔い改め」とは、そう簡単にできるものだとは思っていませんし、
正直、自分自身その心境にはまだまだ遠いと感じています。

ですから、>>4179で述べた所感は、本流とか教団とかと考えての発言ではありませんでした。

誤解されてしまったのなら、心からお詫びいたします。

4188神の子さん:2014/08/22(金) 08:54:55 ID:cEpBaIdo

>>4186 神の子さん

応援ありがとうございます。
聖典「生命の實相」を勉強していると、どんどん幸せになれるので、
これからも、気負わずに楽しみながらお勉強させていただきます。

4191志恩:2014/08/23(土) 16:04:33 ID:.QY5jUA6
a hope様

コメント、ありがとうございます。
どうか気にされませんようにお願いします。お続け下さいませ。

4195神の子さん:2014/08/24(日) 09:51:40 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か

『悪をなす自由』より p20

○善とは人格(すなわち自由の主体)が、その自由な発露として正しい道に乗ったことを善という。
強制されて正しい道にのったのは善ではない。
それは人格的自由なしに、ただ外面がやむをえず正しい姿をしているというだけにすぎない。

○だから本当の生活というものは、彫刻においてノミの運びが横にも縦にもそれる自由がありながら、
なおかつそのノミが正しい輪郭を穿(うが)ってゆくところに美がでるように、
生活において不正に外(そ)れる自由がありながらなおかつ正しい生き方をしてゆくところにあるのである。

4196神の子さん:2014/08/24(日) 09:56:12 ID:cEpBaIdo

>>4195 a hope所感)

悔い改めができたということは、その人の人格が正しい道にのった、つまり「善」になったということなのですね。
それは、他から強制されるのではなく、その人の自由意志で行うすべてのことが「善事」になるということなのだと思いました。

谷口雅春先生は膨大な量の御文章をわたしたちに遺してくださいました。
たしかにそれらの文章の中には、その時代背景に合わせて、その時代の人々に真理をわかりやすく伝えるための方便としてお書きになった文章も多く含まれていますから、
時代背景が変わってしまった現代では、一般的には通用しにくくなった部分もあると感じています。
ですが生長の家の「生命礼拝」「唯神実相」「人間神の子」などの中心真理は普遍であり、
どの御文章を拝見してもどこにも矛盾を感じません。

それは、谷口雅春先生がまことに悔い改め(生まれ更わり・大悟)されていた証拠になるのだと思います。

そして、その貴重な御文章をいくらでも自由に拝読し、お勉強できる幸せに、わたしはいつも心から感謝しています。

4197a hope:2014/08/24(日) 10:07:12 ID:cEpBaIdo
>>4188 4195 4196
ハンドルネームが「神の子さん」になっていますが、すべて a hopeの投稿です。

4198a hope:2014/08/25(月) 10:32:31 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か

『悔い改めと世界の変貌』p24 10行目〜

○「悔い改め」というのは、ちょっと考えると心だけの問題のようでありますけれども、
これは「われの置き換え」――われそのものの内容がクラリと一転してしまうことでもありますから、
それはただ心だけの問題ではない、世間そのものが一変して別世界になるのであります。

自分が変われば世界が変わるということはちょっと考えると「そんなことはあるはずはない」と思われるかもしれませんが、
自分が眼を開けば世界は明るい、自分が眼を閉じれば世界が暗い。

これは事実であって、理屈ではない。

理屈であればなんとでも駁撃することができるのでありますが、事実であるからなんとも否定のしようがないのであります。


われわれは心がクラリと一転して「偽存在(にせもの)のわれ」を見なくなり、
「真実在(ほんもの)の神に創造(つく)られたままのわれ」を見ることをキリスト教では「悔い改め」と申しますが、
仏教では「サトル」と申します。

「サトル」には「覚(さとる)」という字を書く。

そして「サトッタ人」を仏(ほとけ)といい、覚者という。

この「覚(さとり)」という字は「覚(さ)める」という字であります。

われわれが夢を見ている、夢の中でわれわれはある環境の中に住んでいる、夢の中ではその環境は実在だと思っている。

しかし一たび覚めると環境がクラリと変化してしまう。

なんじゃ悲劇の中にいたと思っていたのに蒲団の中かとわかる。

しかし夢を見ている人に「それは夢だよ。覚めたら、お前の周囲の事情は、お前が今見ているような不完全な状態ではない」と教えてやっても、
覚めるまではわからない。

それと同じで、覚れば環境までも変わってくるものだということを、まだ覚らない人に教えてあげてもなかなか解りにくいのであります。

4199ユタカ:2014/08/25(月) 10:47:40 ID:N20ePDNw
こんにちは
ありがとうございます。 ご無沙汰しています。新しいパソコンが壊れて入院したらハードの交換で3日前にパソコンがかえって来ました。
パソコンを触るのは半年?ぶり位ですかね? 何か小文字が現れなかったりちょっとまだ、おかしいかな?

でも、久しぶりに登場させて頂きました。
よろしくお願いいたします。

ちょっとここで送信してみよう。

4200ユタカ:2014/08/25(月) 10:48:20 ID:N20ePDNw
あ、できた、
送信できた!!

4201ユタカ:2014/08/25(月) 11:56:21 ID:N20ePDNw
トキ」さま
お元気でしたか?a hopeさまお久しぶりです。

ユタカは、この夏に宇治にお参りにいって、楠本先生の
お話を沢山聞いてきました。 楠本先生のお話は、真理がブレななくてとても素晴らしかったです。

また、92歳なのに、早朝行事前の朝のお参り、聖経と相変わらず続けていらっしゃいました。

総務は堀端さんになったのだから、堀端さんも一緒にお参りに参加したらいいのに!!!

堀さん! お参りは大切ですよ! と思いつつ、本人には言いません。どこかでしているといけないから。

宇治は素晴らしかった。a hopeさんの悔い改めとあったので、ちょっと書いてみます。

宇治の講話の中でも、生長の家は「人間は神の子」ということなんだ、「神の子」というのは「愛する」ということなんだ。「感謝」することなんだ。

というようなことを繰り返し聞いてきました、「生長の家をしていると、いいことばかりが起こってくると、思うでしょ?だけど、生長の家をやっていても、悪いことも起きてくるんだ、
そこでね、あー悪いことが起こった大変だ!と思うんじゃなくて、悪いことがでて消えたのだからこれからはどんどん
よくなるんだーー!!と思うことが生長の家なんだね。」

と聞きました。素晴らしい!!感動です!

そして、「愛すること、感謝することが神の子なんだ、みんな神の子だから、愛したい、感謝したいと思っているね、愛したり、感謝すると気持ちがいいのは、みんなの本質が神の子だっていう証拠だね。
どんなに都合の悪いことにも感謝できるのが神の子、自分の心を変える、観方をかえるんだ、現象は変わらなくとも自分が変わっているね。」

というような内容っだったと思います、

その「現象は変わらなくても自分の心を観方を変えるんだ」「感謝に変える」というところに
とても感動しました。

私は、この宇治の練成に行き、総裁のことを頭から否定していたことを止めて、少し理解できて
感謝しました。
総裁は、「地球が痛いよーー!くるしいよーーー!!」と言っている声が聞こえているのかも知れない、そうだとしたらそういう運動になりうるな・・・。だとしたら、素晴らしい総裁先生じゃないかと・・・・。

神の子は感謝すること、愛することなんだそうです。
今まで、総裁を憎んでいましたが、それは」やめて 感謝することといたします。

現象は変わらなくとも、自分が感謝に変わることが大切だって聞いたことが、自分の魂に一番響いたことでした。

4202ユタカ:2014/08/25(月) 12:02:44 ID:N20ePDNw
神様は善が本質だから、

人間の五感で悪く見えるような時があっても、善が本質だから
良くなっていくんだそうです。
神様への信仰って素晴らしいな。生長の家って素晴らしいな!!

みんな、幸せ、ありがとう。

4203ユタカ:2014/08/25(月) 12:16:40 ID:N20ePDNw
あ、ここをご覧の皆様、

今、楠本先生は総務をやめて、練成に集中していらっしゃるから、
ご飯を食べている時や廊下、個人指導などにたっぷり時間をかけて指導してくださいますよ、

今、楠本先生と「ゆっくり」お話しができる最高のチャンス時ですから、ぜひ宇治参りをおすすめします。
練成中は早朝の神想観が、終わったとこで、なんと、
楠本先生が各部屋に見回りまできて、早朝行事に出ない人を拝んでくれてみんな「神の子」になって次の日から行事に参加してるみたいだった。

楠本先生との嬉しい楽しいふれあいの時間を作ってくれた、総裁先生にまたまた、感謝したよ。

9月に人事が変わるって噂もあるけど、ユタカって本当に運がいい神の子だ!楠本先生と沢山話せたし、拝んでもらった!!

みんなも急いで宇治に行こう!! 目がハッキリ開くと感謝充満の世界だよ。

みんな神の子、ありがとう。

4204ユタカ:2014/08/25(月) 12:27:45 ID:N20ePDNw
生長の家って素晴らしい!!

朝の出発、起床放送第一発!! 「真理への道はただ一つ 人間は神の子である」ということである。


って毎朝起こされる。。。。。 今も耳に残っている。。。。

生長の家では、みんな神の子有難う。

4205ユタカ:2014/08/25(月) 12:30:02 ID:N20ePDNw
ゆたかは一般練成に参加です。

4206ユタカ:2014/08/25(月) 12:37:53 ID:N20ePDNw
あ、そうそう

大祭では、いろいろなネットで書かれている役職が高い人達を沢山見ても、
練成を受けていたから、
みんな神の子、有難うって感謝合掌、必ず良くなる!って思いながら。

生長の家はみんなが仲良しになる教えだし、末一稲荷での総裁の祝詞は、だれが書いたのか??
内容が素晴らしかった。
総裁両先生、暑い中有難うございました。奉仕のみなさま、有難うございました。

4207ユタカ:2014/08/25(月) 13:28:54 ID:N20ePDNw
ここの行ずる神の子の皆様はもう読んだかもしれませんが、読んでいない人のために宝蔵の編集後記に素晴らしいことが書いてあったので。。。

[編集後記]「また今月も来てしまいました」恥ずかしそうに、申し訳なさそうにおっしゃる方がいらっしゃいます。
「何をおっしゃるんですか、何度も練成会に来れるなんてこんなお幸せな、素晴らしいことはないじゃないですか!」
私は 祝福 と 尊敬 の思い一杯で、つい大きな声になってしまいます。

”こうして何度も来て、何と悟りの鈍い、指導やお世話のし甲斐ないひとよ”と練成道場の者は、がっかりしているのではないかとでも想っておられるのか・・・・と、
感じ方の違いに驚かされます。
練成会は、 
「問題があって、それがなかなか解決しないから行くところ、問題が解決したら行かなくてもいいところ。」
ということになっているとしたら とても悲しいことです。

大聖師谷口雅春先生が練成会に 「神性開発」  と付けて下さった意味がなくなってしまいます。

「人間神の子」の実相を輝き出させるのに、「これで十分」ということはありませんね。

もっと愛深くなりたい、もっと智慧深くなりたい、もっともっと神の子の無限の健康と豊かさと悦びを顕わし出したい!

神性開発練成会は、想ってもみなかった 平安 と 悦び の世界を現出させて下さいます。

ご参加をお待ちしています。 「榎本」


素晴らしいですね、宇治ネットワーク宝蔵!
中の 「行ずる神の子」も 素晴らしいので、また写しますね。

4208復興G:2014/08/25(月) 16:08:47 ID:6eQgEnKo

>>4199〜4207:ユタカさん

うれしい投稿に、涙が出ました。

生長の家は、みんなが仲良しになる教えだ。

私は掲示板への投稿はやめてもっぱらリアル世界で愛行させていただくことにしているのですが、ひと言だけ応援のメッセージを書き込ませていただきました。

ユタカさん、バンザーイ! 

神の子の皆様、バンザーイ!

  復興G 合掌

4211神の子さん:2014/08/25(月) 17:53:00 ID:zTvAOV2w
>>4209 志恩さん

あなたのそのような書き方、ユタカさんのあまりの変わりように思わず出てきて讃嘆した復興Gさん。

あまりにも暗い所にいるのですね。やはり分派はメクラなんですね。

せっかくa hopeさんが真面目に求めて、たった一人頑張っている版に、投稿した思いを完全に蹴散らかし、自己満足の投稿をする。

あなたは旦那に拝で引っ込むのが一番だと思います。

4214志恩:2014/08/25(月) 18:56:41 ID:.QY5jUA6
うのっち

ありがとう。フォローして下さって。
でも,私は、ここの掲示板が立ち上げられたときから、思った事は言って参りました
このような性格です。

反論があったら、どなたでも、反論されてください。
それで、私の方が、まちがっていたと思いましたら,考えを改めますので。

4215神の子さん:2014/08/25(月) 19:16:21 ID:zTvAOV2w
またや,神の子様で、私にお説教ですか。

私の意見に反論があれば、具体的に、おっしゃればいいでしょう。
それが、掲示板というところだと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まったくつんぼだな、版違いとはっきり言ってるでしょ。純粋に真理を求めている人たちに、メクラが物言う版じゃないということ。
説教なんてもんじゃない、あまりにうるさいスピーカーだってこと。『生命の實相』を求めて『悔い改めの真理』を研鑽している、そこに
共感したユタカさんが、真情を吐露したんでしょ。あなたの言ってることは分派の言っていること、宇治の錬成で生命の実相を学び、
悔い改めの何たるかを、自分の言葉て述べたユタカさんの邪魔。ここはweb誌友会なの、だからどこにでも出たがりで同じこと繰り返す
スピーカーは邪魔だから引っ込めといったんだ。自分がいかにも立派なことしてるつもりなんだろが。

こんなこと書かせるなあほ女。版違いだから終わり。

4218a hope:2014/08/25(月) 19:19:35 ID:cEpBaIdo
みなさま こんばんは。

今夜は、web誌友会板がにぎやかになっていて、わたしはとてもうれしいです。

ユタカさま 素晴らしい貴重なお話をたくさん聞かせていただきありがとうございます。 

また、復興Gさまの本当にお久しぶりのご参加くださりありがとうございます。

わたしも、ユタカさまの素晴らしいお話を拝見して、仕事の疲れも吹っ飛んでしまいました!

宇治の練成って、本当に素晴らしいのですね!


それなのに、楠本加美野先生が人事異動するなんていうお話がでているのですか?

それは、信じられないですね。



その他にも、志恩さんや神の子さん、そして流氷さま(うのはなさま)もご参加ありがとうございます。

なんか、今仕事から帰ってきたばかりなので、このweb誌友会板で何が起っているのかまだちゃんと把握できていませんが、
すみませんが、このweb誌友会板では、一応、聖典「生命の實相」をお勉強しているので、
もしご参加くださるのであれば、「人間神の子」「実相礼拝」の生長の家の教えに見合った発言を心がけてくださるとありがたいです。

よろしくお願いいたします。 感謝 合掌。

4220トキ:2014/08/25(月) 20:02:07 ID:QvXjW8KE
>>4215

 すみませんが、常連投稿者様はHNをご使用下さい。
よろしくお願いします。
 
 また、板の趣旨にそった内容のご投稿を御願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4221トキ:2014/08/25(月) 20:07:08 ID:QvXjW8KE
ユタカ様

 ご投稿、ありがとうございました。素晴らしい内容で感激しました。

 宇治は魂の故郷。練成に参加されてご先祖様もおよろこびだと思います。
どんな状況にあろうと、真理を学ぶ。その姿勢が大切ですね。

 今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

4222ユタカ:2014/08/26(火) 11:36:21 ID:N20ePDNw
復興Gさま

ありがとうございます、一言メッセージを有難うございます。
生長の家は進化をしながら素晴らしい方向に向かって伸びてゆくと信じます。

練成会で、善のみ唯一の実在と何度も読みましたし、長崎の大雨、広島の土石流本当に気象異常が手に取るようにわかります。
みんなが分からない時に分かっていたのは総裁だったのでは?などと反省もしています。

それから、純子先生が、キャビンアテンダントになったのは、雅春先生や清超先生を空の旅を行くときにご案内したいと思ってCAという職業についた事を聞いて、
なるほど、かっての教化部長さま達が純子先生の飛行機に乗り合わせるのは、当時の純子先生の「生長の家の方をご案内したい」という祈りがあったからなのでしょうね。

生長の家は、宇治は素晴らしかったです。愛と救いの霊波が充満して、すべての人、物(宇治の自然も含む)、事を愛し、祝福してくれていました。

そして、練成を受講する人数は、だいぶ減っていましたが、私のあくまでも個人的な見方をするなら、その少ない人達の信仰レベルが高い人が集まっているような気がしました。

それは、起床放送中に朝のお祈りをいたしましょうと放送されているのに、無視して、布団片付けや身支度をする人が多かったのですが、今回はお祈りの時は全員がしっかり布団の上で祈っていました。

そして、生長の家の宇治の大祭の奉仕員打ち上げがまた素晴らしい!!! これは絶賛ものです!!さすが、雅宣先生率いる生長の家、楠本先生が長く総務でいた生長の家!!
打ち上げには、お酒を飲まないでください!と放送があり、現場でも一切禁酒でした。

雅宣先生以前の職員 は大酒飲みで、下品に笑いこれが、信仰をリードする本部講師か??情けない!!とずーーっと思っていました、
なので、飲酒癖のある本部講師で有名な人は意外と分派に行ったのかもしれません。

とにかく、聖なる場所で飲酒する本部講師を見なくて、有難かったことも、

全部、雅宣先生のおかげ、楠本先生、堀端先生のお蔭です。


こんなことは、復興G様に申し上げることではございませんが、書いてしまいましたので、送信させていただきます。

4223ユタカ:2014/08/26(火) 12:13:36 ID:N20ePDNw
志恩さま

ありがとうございます、志恩様は本当に生長の家が好きなんですねえ。
私の鏡です、ありがとうございます、感謝合掌。

大宇宙の運行は、善なる神様が支配されているので、善くなっていくしかないのだそうです、
私は、それを信じていきます。

4224ユタカ:2014/08/26(火) 12:31:45 ID:N20ePDNw
a hopeさま
宇治は本当に、一歩入っただけで、心が安らぎます、、、。
私たちのご先祖さまが私達を、愛の霊波で抱きしめてくれているんでしょうね。

練成最終日に、涙を流して感謝の思いを起こして体験談を語る人の多いことよ!それをみて、みんなが救われた!
一人残らず救われた!って思い、ますます、神様に感謝しました。
教団にいる人も、いない人も、「人間神の子」を知っている人から、内なる神の子を生きて光明を放ってそれが世界中に拡散されたときには、世界平和となるのでしょうね。

本当に、「真理への道はただ一つ、人間は神の子である ということである。」 の一言につきるなぁ。
雅春先生素晴らしい!総裁先生がいらっしゃって、生長の家が続いていることが有難い。

みんな神の子、有難う。

4225ユタカ:2014/08/26(火) 12:35:19 ID:N20ePDNw
トキさま

ありがとうございます、これからもお世話になります、よろしくお願いいたします。

4226a hope:2014/08/26(火) 23:39:47 ID:cEpBaIdo

>>4224 ユタカさま

ありがとうございます。 合掌。

本当のことを言えば、わたしも宇治の練成には一般、短期と何度か参加したことがあるので、
ユタカさまの感動が手に取るように伝わってきています。

宇治の練成に参加される方々は病気や人間関係、家族問題等で、深刻な悩みを抱えた状態の方が多いですよね。

ですが、

<<練成最終日に、涙を流して感謝の思いを起こして体験談を語る人の多いことよ!それをみて、みんなが救われた!>>

とあるように、初日は暗い顔をしていた人たちも、日に日に笑顔が多くなり、最後には感謝・感謝で大調和して救われて行くのですよね!

宇治別格本山はわたしにとっても魂の故郷なのです。

だから、いつまでも変わらないでいてほしいです。



そして、

<<教団にいる人も、いない人も、「人間神の子」を知っている人から、
内なる神の子を生きて光明を放ってそれが世界中に拡散されたときには、世界平和となるのでしょうね。
本当に、「真理への道はただ一つ、人間は神の子である ということである。」 の一言につきるなぁ。
雅春先生素晴らしい!総裁先生がいらっしゃって、生長の家が続いていることが有難い。

みんな神の子、有難う。 >>


このユタカさまのこのご心境こそ、「実相一元」の光明化運動なのだと思いました。

このような「実相一元」の心境でいつもいたいな〜と思います。

ユタカさま、これからもお時間のある時でかまいませんので、web誌友会へのご参加をどうぞよろしくお願いいたします。

4227a hope:2014/08/27(水) 22:35:04 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p26 4行目〜

○迷わぬ人こそ悟りにくく、迷う人ほど悟りやすいというのは、薄曇りの空がなかなか晴れ難く、
密雲さかんに低迷している空ほど大雨とともにカラリと晴れた青空が来るようなものであります。


p26 10行目〜

○「悔い改め」の先行状態として来るのは「仮我の否定」であります。
「今の自分は善い」――こう考えている限りにおいて、「われの置き換え」というものの必要が感じられないのであります。
親鸞聖人は「罪悪深重の凡夫である」といわれた。
「地獄に堕(おと)されても、文句のいえない悪い悪い自分である」といわれた。
こういうように「自分で努力しても、自分で善くなれるものでない」と思って自分を放棄する。
こうして今の自分を悪い悪い、自分を無力無力と思うはてに、旧我が忽然と放下されて、
それは驟雨(しゅうう)によって大空の暗雲がことごとく放下されて、日光輝く青空が燦然と輝き出ずるように、
旧我が消えて新我が輝き出でるのであります。

4228a hope:2014/08/28(木) 19:51:02 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p 27

○黒雲のままでこれで空は晴れているのだと思う、空の色というものは本来黒雲の色をしているのである。
この黒雲こそ「本当のわれの顕われである」と思う――これでは「偽我慢心(ぎがまんしん)」というものであって、
悔い改めの先行状態とはならないのであります。
自分の内に「自分でないもの」がある、だからこれは「本当の自分」ではない、
「阿弥陀仏と一体の自分」ではない、「キリストと一体の自分ではない」――と解る
――かく解ってそれを捨ててしまうところに本当の「悔い改め」――「われの完全な置き換え」というものができてくるのであります。

4229a hope:2014/08/28(木) 19:52:34 ID:cEpBaIdo

>>4228 a hope 所感)

宗教を信仰していて、一番怖いのがこの「偽我慢心」に陥ることではないでしょうか?
ですが、人間は何かに夢中になっていたりすると、この「偽我慢心」に陥っている自分に気づかないことが多いのではないかと思います。

そういうわたしも、聖典をお勉強していて少し「真理がわかった!」と思うと、相手の気持ちや状況も考えずに思ったことをすぐに発言してしまいます。

そえが、本当の「愛(善)」から出た言葉なのか、それとも「偽我慢心」による自己顕示欲から出た言葉なのか、自分自身よくわかりません。

ですが、「悔い改め」には「本物のわれ」と「ニセ物のわれ」の「篩い分け」が必要だとあります。

それは、なかなか難しそうですが、>>4201のユタカさまの投稿に、

「愛すること、感謝することが神の子なんだ、みんな神の子だから、愛したい、感謝したいと思っているね、
愛したり、感謝すると気持ちがいいのは、みんなの本質が神の子だっていう証拠だね。
どんなに都合の悪いことにも感謝できるのが神の子、自分の心を変える、観方をかえるんだ、現象は変わらなくとも自分が変わっているね。」

という加美野先生の素晴らしいお言葉がありますが、

<<どんなに都合の悪いことにも感謝できるのが神の子、自分の心を変える、観方をかえるんだ、現象は変わらなくとも自分が変わっているね。>>

というところに「篩い分け」のヒントがあるような気がします。


よく考えてみれば、現象を変えようとしてもなかなか変わらないけれども、心は自分次第でどうにでも変えることができますものね。

聖典や雅春先生の愛弟子といわれるような先生方のご著書を拝読していると、

「愛せなくても、愛するんだーーー!」
「感謝できなくても、感謝するんだーーー!」
「肉体はあるように見えても、無いんだーーー!」

みたいに、昔の「生長の家」の指導って、なかなか強引だったように感じます。
そんな雅春先生や講師の先生方のちょっと強引な指導を、昔のほとんど信徒さんは素直に「ハイ」と受けているのです。

だからこそ、心を変えることができて、和解が成立したり、病気が治ったりという奇蹟が頻繁に起きていたのですね。

4230ユタカ:2014/08/29(金) 11:34:38 ID:N20ePDNw
>>宗教を信仰していて、一番怖いのがこの「偽我慢心」に陥ることではないでしょうか?
ですが、人間は何かに夢中になっていたりすると、この「偽我慢心」に陥っている自分に気づかないことが多いのではないかと思います。

そういうわたしも、聖典をお勉強していて少し「真理がわかった!」と思うと、相手の気持ちや状況も考えずに思ったことをすぐに発言してしまいます。

(^◇^) 真理に感動している神の子さんの発信は素晴らしいと思います。自信を持って突き進めばいいと思います、
ただ、その学んだ真理で、人や団体を裁くと偽我になってしまうのではないでしょうか?


そえが、本当の「愛(善)」から出た言葉なのか、それとも「偽我慢心」による自己顕示欲から出た言葉なのか、自分自身よくわかりません。

ですが、「悔い改め」には「本物のわれ」と「ニセ物のわれ」の「篩い分け」が必要だとあります。

それは、なかなか難しそうですが、>>4201のユタカさまの投稿に、

「愛すること、感謝することが神の子なんだ、みんな神の子だから、愛したい、感謝したいと思っているね、
愛したり、感謝すると気持ちがいいのは、みんなの本質が神の子だっていう証拠だね。
どんなに都合の悪いことにも感謝できるのが神の子、自分の心を変える、観方をかえるんだ、現象は変わらなくとも自分が変わっているね。」

という加美野先生の素晴らしいお言葉がありますが、

<<どんなに都合の悪いことにも感謝できるのが神の子、自分の心を変える、観方をかえるんだ、現象は変わらなくとも自分が変わっているね。>>

というところに「篩い分け」のヒントがあるような気がします。


よく考えてみれば、現象を変えようとしてもなかなか変わらないけれども、心は自分次第でどうにでも変えることができますものね。

聖典や雅春先生の愛弟子といわれるような先生方のご著書を拝読していると、

「愛せなくても、愛するんだーーー!」
「感謝できなくても、感謝するんだーーー!」
「肉体はあるように見えても、無いんだーーー!」

みたいに、昔の「生長の家」の指導って、なかなか強引だったように感じます。
そんな雅春先生や講師の先生方のちょっと強引な指導を、昔のほとんど信徒さんは素直に「ハイ」と受けているのです。

だからこそ、心を変えることができて、和解が成立したり、病気が治ったりという奇蹟が頻繁に起きていたのですね。


(^◇^) 肉体人間から 神の子人間という事実を生きることを悔い改めて、人類のために尽くそうと決意して神様の御心に沿って、御心を
祈って聞いて生きることが(内部理想を生きる)事が、 環境に負けないことが、神の子の生き方と 練成会で聞きました。

4231ユタカ:2014/08/29(金) 11:45:17 ID:N20ePDNw
宇治の練成会は素晴らしかったです。

藤原講師の娘さんの榎本先生が、何度も、私の父の藤原がよく練成でこうお話していました。。。

と藤原先生のお話を引用してお話下さいます、チャンスをゲットできると、素晴らしいお話をいただけます。

宇治には、まだまだ、救いの霊波が充満しています、、、。光明一元、神愛充満!!

ユタカは、また神さまに、ご先祖様に愛されに宇治参りに行きたいです。宇治最高!!

みんな神の子有難う。

4232ユタカ:2014/08/29(金) 12:16:27 ID:N20ePDNw
宇治に行く前はケチなユタカでしたけど、

宇治練成に行って、地球の気持ちが分かる素晴らしい、尊敬できる総裁先生と分かったから、

ソーラーパネルに沢山協力するよ!! 

人類に尽くすんだ! 多くの人のお役に立ちたい! 神様の御心が分かるということは、人類のために尽くそうという願いをもって使命の祈りを祈りながら目の前を感謝して全力を尽くすことだそうです。

神さまが必ず善に導いて下さる、宇宙を貫く生命、宇宙を貫く法則 神こそすべてのすべて。。。

との言葉が頭の中を グルグルと泳いでいるよ。。。

生長の家は素晴らしい! みんな神の子! 有難う。

4233ユタカ:2014/08/29(金) 12:20:16 ID:N20ePDNw
あ、すみません。

別に、ソーラーシステムの宣伝でもなんでもありません、

トキ様、4232は、ウザかったら削除でOKです。 すみません。。」

4234トキ:2014/08/29(金) 21:49:31 ID:X0bsm7xM
>>4233

 いえいえ、気にしないで下さい。

 では、誌友会を続けましょう。

合掌 ありがとうございます

4235a hope:2014/08/29(金) 23:53:01 ID:cEpBaIdo

ユタカさま 

<<(^◇^) 真理に感動している神の子さんの発信は素晴らしいと思います。自信を持って突き進めばいいと思います、
ただ、その学んだ真理で、人や団体を裁くと偽我になってしまうのではないでしょうか?>>

ホントですね。

「真理」は人や団体を裁くためにあるのではないですよね!
自他一体の真理から言えば、他を裁く=自分を裁く ことですものね。

素晴らしいアドバイスをありがとうございます。合掌。


ですが、『「虚説」には決して和解してはいけない』というのが、「生長の家の教え」ですよね?

「真理」ではないこと、つまり、「誤った見解(教え)」にしたがっていると、信徒の人生がどんどんおかしくなってしまうと思うのです。

わたしも雅宣先生は、信徒の大観世音菩薩さまであり、大きな使命をお持ちの素晴らしいお方であると信じていますが、
雅宣先生の「教え」は、「真理」からかけ離れていると感じているのです。


現象の地球は物質ですから、生長の家の教えでは「物質本来無し」です。
だから、その地球が「痛がったり、苦しんでいる」という見方は、「誤った見解」つまり「迷い」だと思うのです。

実相の地球は完全円満なのですから、実相一元を信じる生長の家の信徒がすべきことは、
完全円満な実相の地球を礼拝し、そして感謝することだけなのではないでしょうか?
そうすることで、地球や人類を救うのが、「生長の家」の信徒の本来の信仰の姿なのだと思うのです。

だから「生長の家」がメガソーラー建設などという現象問題に対応する事業をすることも、とてもおかしなことだと感じています。

4236ユタカ:2014/08/30(土) 08:26:19 ID:N20ePDNw
a hopeさま

宇治の練成では、七つの燈台の点燈者の神示から生長の家の教えが生まれた  と聞きました。

虚説と和解するな、とは生命の実相にかいてある前後の文章に対して書かれている箇所ではないのでしょうか?
それが、生長の家の教えなんて聞いたことは私はありません。

谷口雅春先生のCDでも、「袖振り合うも他生の縁」こうして同じ場所で真理を聞く人は前世においても親しくしていた人間柄で、その人にあうと、
なんとなく、懐かしい感じがするのだから、

「みなさん、仲良く、仲良くして下さい」 と繰り返し繰り返し仰っていらっしゃいます。雅春先生の最後のご講話です。

ご遺言のように思えました。 みんなと仲良くする、それが生長の家の教えでそれ以外が虚説だと思います。

4237ユタカ:2014/08/30(土) 09:17:11 ID:N20ePDNw
>>わたしも雅宣先生は、信徒の大観世音菩薩さまであり、大きな使命をお持ちの素晴らしいお方であると信じていますが、
雅宣先生の「教え」は、「真理」からかけ離れていると感じているのです。

(^◇^) 私も宇治の練成に行く前はそのように考えていました、ですが、宇治に行きすべての物が神様で、救いの霊波で私を包んでくれて私は神様に導かれて目が開き真っ直ぐな道に乗りました。
たとえば、昼食のために食堂にかかっていた日めくりに目たまたま目をやると、

一人一人が神につながることが大切なことである・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。   谷口雅宣著・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・。は省略します。) などとすべてが神さまと一体となるように導いてくれました。それを受けて、私は、素直にすべてに感謝していきます、私は神の子です。神の子は感謝すること、愛することが神の子。愛したり感謝すると、本当に気持ちがいいです。だから。私は絶対神の子に間違いないです。目の前の現象は変わらなくても自分が変わっているね。

本当に、自分が変わっています、今、私は人類に自分のできることで貢献したいと祈る自分になっって、アイデアをいただき始めたことも生長の家の御教えのお蔭です。

現象の地球は物質ですから、生長の家の教えでは「物質本来無し」です。
だから、その地球が「痛がったり、苦しんでいる」という見方は、「誤った見解」つまり「迷い」だと思うのです。

実相の地球は完全円満なのですから、実相一元を信じる生長の家の信徒がすべきことは、
完全円満な実相の地球を礼拝し、そして感謝することだけなのではないでしょうか?
そうすることで、地球や人類を救うのが、「生長の家」の信徒の本来の信仰の姿なのだと思うのです。

だから「生長の家」がメガソーラー建設などという現象問題に対応する事業をすることも、とてもおかしなことだと感じています。

(^◇^) 私はそうは思わなくなりました。最初に書きましたが、この異常気象で、津波、竜巻、大雨の崖崩れなどの災害も起こっている中で良いと思うことを実行していっていると今回思えました。
a hopeさまは、生命の実相を勉強して、人間は神の子で肉体は無いから、物質はないからたとえ怪我をしても病気をしても祈っているだけですか?
現実対処しているのが雅宣先生でありましょう。
それと、a hopeさまのちょっと怖い考えが、「地球を物質」 と捉えているところです。 地球を単なる物質と思いますか??

私は、違います、地球にも「生命」があります、意識もあるように直観します、地下で核実験などをすると地球痛むのが分かります。地球も命です。
宇治に行き、宇治の森、川すべての自然が生き生きとして私を祝福してくれました。地球からの愛の波動もいただきました。私のこの悦びは練成会を直接受講しないと理解できないかも知れません。。。。

次に輝子先生の御文章を謹写いたします。

物、物にあらず
神のいのちの現れである
つつましく水を使ふこと
つつましく火を使ふこと
一片の菜も、一切れの芋も
人参の牛蒡も生かして使ふこと
一枚の小皿も傷つけたら詫びること

有機物も無機物も一切の物のいのちを永持ちするやうに心がけること
一切の物は神からの預かりものである

あぁ、雅宣先生、素晴らしい! 雅宣先生は間違っていないって思うな、今のユタカは。。

今のユタカは、もう違うステージにいるよ!

4238ユタカ:2014/08/30(土) 09:30:12 ID:N20ePDNw
まことにすみませんが、
宇治に行って、自分が真っ直ぐに神様の方を素直に向いています、ですが、ここを見て、
また、以前のユタカに戻りたくないので、

神さまを真っ直ぐ
しっかり、信念になるまで、こちらにくるのは、やめておきます。何か、引っ張られるといけないので、、、。

みんなが仲良くする御教え、生長の家教団に帰属して、世界平和をお祈りします。


今年、末一稲荷での雅宣先生のあげた祝詞のないようには、「職員みな大調和で仲良く仕事ができるように」との言葉がありました。

地球と自然と人、大調和でありますように・・・・・。

みんな、神の子幸せ、有難う。

4239a hope:2014/08/30(土) 09:39:57 ID:cEpBaIdo

>>4236ユタカさま 


<<『「虚説」には決して和解してはいけない』というのが、「生長の家の教え」ですよね?>>

という質問に、


<<虚説と和解するな、とは生命の実相にかいてある前後の文章に対して書かれている箇所ではないのでしょうか?
それが、生長の家の教えなんて聞いたことは私はありません。>>

とお答え下さりましたが、

こらからこのweb誌友会えお勉強する予定の14巻の「和解の倫理」p55には、
虚説とは何か、が詳しく説明されています。

わたしは、聖典「生命の實相」に書かれてある教え = 「生長の家の教え」だと信じているので、
「虚説と和解してはならぬ」=「生長の家の教え」だと思っています。


ですが、ユタカさまもおっしゃっていますが、前後の文章をちゃんと拝読しないでその個所だけを拝読して解釈すると、
誤読の恐れもあるので、今迄このweb誌友会では、時間がかかってもテキストを飛ばし読みするようなことせず、
丁寧にお勉強しています。

来月の第27回web誌友会は、第3章「和解の倫理」をじっくりお勉強したいと思っています。

ユタカさまもご参加くださるとうれしいです。

4240a hope:2014/08/30(土) 09:51:48 ID:cEpBaIdo
>>4237 4238 ユタカさまのご投稿を拝見せず、>>4239を投稿しました。

ユタカさま

人それぞれ、使命は違うと思います。

わたしは、聖典「生命の實相」の独学を選びました。

このweb誌友会でたくさんの「生長の家」の先輩方に見守られながら、
自己反省しながらこれからもお勉強を続けていきます。

ユタカさまは、ユタカさまのご使命を邁進してくださいね!

感謝 合掌。

4241a hope:2014/08/30(土) 12:19:47 ID:cEpBaIdo
≫4237ユタカさま

<<(^◇^) 私はそうは思わなくなりました。最初に書きましたが、この異常気象で、津波、竜巻、大雨の崖崩れなどの災害も起こっている中で良いと思うことを実行していっていると今回思えました。
a hopeさまは、生命の実相を勉強して、人間は神の子で肉体は無いから、物質はないからたとえ怪我をしても病気をしても祈っているだけですか?
現実対処しているのが雅宣先生でありましょう。
それと、a hopeさまのちょっと怖い考えが、「地球を物質」 と捉えているところです。 地球を単なる物質と思いますか??>>


ユタカさまは、もうこのweb誌友会にはご参加くださらないかもしれませんが、
ご質問をいただいたので、それにはお答えしたいと思います。

ユタカさまのご質問

 ①a hopeさまは、生命の実相を勉強して、人間は神の子で肉体は無いから、物質はないからたとえ怪我をしても病気をしても祈っているだけですか?

(a hopeの答え)実際、「生命の実相」をお勉強するようになって、自分自身もそうですが、家族や職場の人たちというように、
自分が日々身近に関わっている人たちが、怪我や病気をすることがほとんどなくなってきました。

また、雅春先生やお弟子さんの書かれた「生長の家」の本には、たくさんの信徒の方が祈り(自分の心を変えること)だけで怪我や病気を消されています。
ユタカさまもそのような体験談を御存知ないはずはないと思うのですが・・・・

②a hopeさまのちょっと怖い考えが、「地球を物質」 と捉えているところです。 地球を単なる物質と思いますか??

ユタカさま、わたしも人間を始め、植物、動物、微生物、宇宙に生存する命あるすべてのものは神さまのお心の現れであると思っています。
だから、神さまのお心(実相)がそのままあらわれた地球には、すべて命あるものは大調和していて幸せに暮らしているので、
ケンカやいじめ、犯罪やもちろん自然災害などありえない完全円満な実相世界が広がっているのだと思うのです。

だから「生長の家の教え」から言えば、その完全円満な実相の地球の姿を見ることができないのは、
それはわたしたちの心の目が曇っているからということになってしまうのです。

ユタカさまは、 わたし a hopeのちょっと怖い考え、とご表現してくださいましたが、これは、わたしの考えではなくて、
谷口雅春先生のお悟り、つまり、「生長の家」の真理なんだとわたしは解釈しています。

4242a hope:2014/08/31(日) 18:13:11 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か


『悟りとは「実相」に目覚めること』p30 8行目〜

○「覚り」というものは、実に妙なハタラキをするものでありまして、ふつう、覚らない人にとっては、
五官に視え触れられる世界が実在であり、五官に見え触れられる人間が実在の人間である。
この生存競争をしているわれ、血みどろな争いに満ちたように見えているこの世界が実在に見えていて、
争いも戦いもない完全な、相互が自他一体に調和した、一連一連の別はあれども、
その一連一連が孤立せず相傷つけず互に一体となって美妙な大調和をなしている一大交響楽のような常楽実相の世界が、
五官に見えない奥に真実の実在としてあると申しましてもウソだと思われるのでありますが、
覚ってみますと、生存競争をし、互に噛み合い、殺し合いをしている世界はかえって無い
――あるように見えても無い ―― ことがわかるのであります。
たとえば、獅子と羊とが互いに草を食って遊んでいるような大調和の世界、
そんな大調和の世界はありえないので、たんに預言者イザヤや谷口雅春の空想のように考えられますけれども、
獅子が羊を食っている世界の方がかえって本来無いのであって、
それはわれわれの妄想(こころのまよい)が活動写真のように映じているのであります、
前節で申しましたように「悔い改めよ、天国はそこにある」でありまして、
心が一転、実相の方を振り向きますと、夢から現実世界に覚めて出るように、
強食弱肉の争闘世界がたちまして消えて、常楽大調和の実相世界があらわれてくるのであります。

そんなことは理屈では駄目、空想では無価値でありますから、強食弱肉の不合理世界、不幸災厄の不合理世界が、
今までは実際あるように思ってもいたし、実際あるように顕れてもいたのが「生長の家」所説の真理を知った結果、
夢からさめるように忽然(こつねん)、旧の不合理悲惨世界が消えて、大調和の世界が実現した実話を次に掲げます。

4243a hope:2014/08/31(日) 18:19:48 ID:cEpBaIdo

>>4242 a hope 所感)

上の謹写文の最後に「実話を掲げます。」とありますが、その後に『猫と雛鳥とはかくのごとく調和している』という小見出しで、
「祈り」によって猫が雛鶏(ひなどり)を食べなくなった、という二つの実例があげられています。

両方の祈りともに効果があり、猫は雛(ひな)をねらわなくなったのですが、
前者の猫は、その後、電車(汽車?)にひき殺され、
後者の猫は、その後、雛鶏を追いかけず、食べないという雛鶏との大調和が成立したのです。

その結果の違いは、「祈りの言葉」にあったようです。

●前者の祈りの言葉・・・「兄弟なる猫よ、兄弟なる鶏の雛を食うなかれ」

○後者の祈りの言葉・・・「猫と雛鶏とはその実相において完全に調和している。決して噛み合い殺し合いなどは存在しない」


前者の祈りでは、「兄弟なる鶏の雛を食うなかれ」と、「猫が雛を食べた」という現象の出来事を認めてしまっています。

一方、後者の祈りの方は、「猫が鶏の雛を食べる」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。


この後者の祈りこそ、本来の「生長の家」の実相一元の祈りであると思いました。

4244a hopeさん:2014/08/31(日) 18:44:21 ID:zTvAOV2w

前者の祈りでは、「兄弟なる鶏の雛を食うなかれ」と、「猫が雛を食べた」という現象の出来事を認めてしまっています。

一方、後者の祈りの方は、「猫が鶏の雛を食べる」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。
======================================================================================================================

虚説を唱える雅宣総裁がいる、貴女は言っていますよね。

つまり現象の雅宣総裁がしようとしている、原発からの撤退目的の行動は虚説から出発していると云っていませんか。

私にはあなたの実相論がよくわからないです。

4245a hope:2014/08/31(日) 23:15:03 ID:cEpBaIdo

>>4244 さま (曳馬野さま?)

誌友会ご参加ありがとうございます。

実相世界を悟っていないわたしの発言は「わたしの実相論」などという大それたものではなく、
あくまでも、聖典「生命の實相」のわたしなりの解釈なのです。

わたしが雅宣先生のご著書や祈りの言葉を拝見して感じていることは、
雅宣先生は実相世界の存在は認められていらっしゃいますが、同時に、
自然破壊等の現象世界の出来事も見つめられていて、人間の罪を肯定してしまっているのです。



>>4244に再掲してくださったわたしの発言に『雅宣先生の教え』と『本来の生長の家の教え』を
あてはめててみまるとわかりやすいかもしれません。

――――――――――――――

『雅宣先生の教え』では「人間よ自然破壊するなかれ」と、
「人間が自然破壊した」という現象の出来事を認めてしまっているのです。

一方、『本来の生長の家の教え』は 「人間が自然破壊する」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。

――――――――――――――


ですから、わたしの解釈では、雅宣先生の教えは、実相世界の存在を認めながらも、
現象の悪や人間の罪をも認めた二元論で虚説ということになってしまうのです。

ですが、前述しましたが、わたし自身も「実相世界」を悟っていませんから、
わたし自身のすべての発言も、二元論であり虚説であると自覚しています。

本当の「真理のお言葉」(真説)を発言できるのは、「実相世界」を完全に悟った人でなければ不可能だと感じています。


>>4244 さま これで少しはわかっていただけましでしょうか?

4246a hope:2014/08/31(日) 23:33:47 ID:cEpBaIdo
>>4245訂正  m(__)m

あてはめててみまるとわかりやすいかもしれません。

あてはめてみるとわかりやすいかもしれません。

4247a hopeさん:2014/09/01(月) 02:55:26 ID:zTvAOV2w
①自然破壊等の現象世界の出来事も見つめられていて、人間の罪を肯定してしまっているのです。

②『雅宣先生の教え』では「人間よ自然破壊するなかれ」と、
「人間が自然破壊した」という現象の出来事を認めてしまっているのです。

③一方、『本来の生長の家の教え』は 「人間が自然破壊する」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。

私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。
環境問題に特化した総裁、と云うように外界の現実を見るから、二元論の総裁という判断をしているのでしょう?

ですから、わたしの解釈では、雅宣先生の教えは、実相世界の存在を認めながらも、
現象の悪や人間の罪をも認めた二元論で虚説ということになってしまうのです。
_____________________________________________________________________________

虚説を言う総裁が存在する、総裁よ虚説を言うことなかれ、というのが分派の言い分であり、またあなたの言い分ですね?
赤ちゃんの命を大切にしようとする元本部講師は素晴らしいとあなたは言いますよね。失われる命がある、という認識のもとに彼の活動は
ありませんか?実相の地球は痛まないから、地球が痛んでいるとみるのは迷いであると、あなたはユタカさんに言いませんでしたか?

そういう言い方をすれば、堕胎される赤ちゃんは、エゴまみれの親を救う観世音菩薩の働きをしているだけで、可哀そうでも何でもないと
云えませんか?
広島の水害がしきりに報道されていますが、温暖化の影響か?巨大自然災害が地球規模で起きている。そして命が失われる。
親のエゴの犠牲になる赤子の命を救うことが素晴らしいのであれば、人類のエゴの結果起こる巨大自然災害の防止に努める総裁も素晴らしくは
ないですか?
_____________________________________________________________________


ですが、前述しましたが、わたし自身も「実相世界」を悟っていませんから、
わたし自身のすべての発言も、二元論であり虚説であると自覚しています。

本当の「真理のお言葉」(真説)を発言できるのは、「実相世界」を完全に悟った人でなければ不可能だと感じています。

●であれば虚説であると断言するのはいかがでしょうか?

4248a hope:2014/09/01(月) 07:35:47 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます!

9月に入りましたので、本日より、第26回web誌友会を開催させていただきます。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第27回 web誌友会 案内

期間  9月1日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p34〜p126まで
     

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


本当は、前回の26回web誌友会でp126まで終わらせる予定だったのですが、
p33までしか進みませんでした。

ですので、今回もまことに勝手ですが予定の変更をさせていただきます。

4249a hope:2014/09/01(月) 07:37:39 ID:cEpBaIdo
それでは、開会の祈りを掲載させていただきます。 合掌。

それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4250a hope:2014/09/01(月) 08:23:57 ID:cEpBaIdo

>>4247 曳馬野さま(ですよね?)

<<私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。
環境問題に特化した総裁、と云うように外界の現実を見るから、二元論の総裁という判断をしているのでしょう?>>

あくあでもわたしは、聖典「生命の實相」をお勉強していて自分の理解力の範囲内で、
その「真理」に照らし合わせて自分なりの判断をしているだけです。
ですから、わたしの発言が正しいとは言っていません。

ですから、

<<虚説を言う総裁が存在する、総裁よ虚説を言うことなかれ、というのが分派の言い分であり、またあなたの言い分ですね?>>

というご質問には、少なくともわたしのお返事は「NO」です。

何度も言いますが、言い分なんてものではなくて、自分なりの解釈をこのweb誌友会で発言しているだけです。


また今回、曳馬野さまは、「赤ちゃんのいのちを守る運動」に関しても言及されていますが、
わたしが、大熊先生を支援しているのは、大熊先生が「赤ちゃんのいのちをを守る」ことで、
お母さんやお父さん、その他の家族、そして、ブログを通しては人類全体に「生命の大切さ」を伝える、
人類光明化運動を展開されようとされているからです。

たしかに、大熊先生は、現象の切り刻まれた胎児の写真をブログで公開したり、
血なまぐさい現象の殺人事件等をブログで検討されたりしています。

正直に言えば、わたし自身は、そのような記事を公開することが、実相一元の光明化運動だとは思っていません。
ですがたぶん大熊先生は、人々の目を実相一元の世界に目覚めさせるための一手段(方便)として、
そのようなことをされているのではないかと拝察しています。

ですから、あくまでも「いのちを守る親の会」の運動の基本は、「お母さん生んでくれてありがとう運動。」
と「産婦人科のお医者さんありがとう運動。」であるとわたしは認識しているので支援させていただいているのです。


http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/MYBLOG/yblog.html



そして最後のご質問ですが、

<<●であれば虚説であると断言するのはいかがでしょうか? >>

これは、自分自身の心は、自分自身が一番よく分かっているので断言できるのです。
聖典をお勉強して、頭では真理がわかっていても、現象生活で実践できていなければ「悟った」とは言えないからです。

人が本当に悟ったときには、その周りからどんどん人類光明化が展開されると思います。

4251a hopeさん:2014/09/01(月) 09:14:14 ID:zTvAOV2w

<<●であれば虚説であると断言するのはいかがでしょうか? >>

これは、自分自身の心は、自分自身が一番よく分かっているので断言できるのです。
聖典をお勉強して、頭では真理がわかっていても、現象生活で実践できていなければ「悟った」とは言えないからです。
________________________________________________________________

やはりあなたの考えがうまくわかりません。

●であれば虚説であると断言するのはいかがでしょうか?  は書き方が悪かったでしょうかね。
総裁の説くところを虚説であると断言するのはいかがでしょうか? という意味でした。

4253神の子さん:2014/09/01(月) 20:56:55 ID:5pNnMYt.
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
五井先生有難うございます
天皇陛下有難うございます
皇后陛下有難うございます

4254トキ:2014/09/01(月) 22:11:41 ID:vK1CuS12
>>4523

 何度もお願いをしておりますが、
白光真宏会の投稿はこの板の趣旨と異なります。

この投稿はご遠慮下さい。

合掌 ありがとうございます

管理人

a hope様

 きにせず、そのまま続けて下さい。
応援しています。

合掌 ありがとうございます

4255レンゲソウ:2014/09/02(火) 07:54:17 ID:hW7QlQFE
>>4251

 「その実を見て、その木を知れ」と谷口雅春先生は説かれています。

 谷口雅春先生が説かれた教えは、多くの人を救いました。今の環境保護に特化した
『今の教え」では、救われた、という人は私は会った事がありません。新経本も、
読んで救われたという人は知りません。かえっておかしくなった、という人が何人
かいます。

 それほど総裁を支持するのなら、まずは『新経本」で、悩んでいる人を救った
という実例を作って、掲示版にアップしてみて下さい。

 それに、ここは誌友会板です。静かに谷口雅春先生の教えを勉強する板です。
そういう発言は場所に合わないと思います。


*管理人様、適当な時期にこの投稿を消して下さい。誌友会の山をしてすみません
 でした。

4256a hope:2014/09/02(火) 09:08:07 ID:cEpBaIdo

みなさま、おはようございます。

>>4253 神の子さん 素晴らしいお祈りの言葉をありがとうございます。合掌

でも、それは白光真宏会というとこのお祈りの言葉なのですね?

トキさまがおっしゃっていますが、ここは、「生長の家」の教えについて学ぶ場所なので、
お祈りをしていただけるのなら、「生長の家のお祈り」にしていただけるとありがたいです。

よろしくお願いいたします。

>>4255レンゲソウさま

久しぶりにご登場くださりありがとうございます。


<<雅春先生が説かれた教えは、多くの人を救いました。今の環境保護に特化した
『今の教え」では、救われた、という人は私は会った事がありません。新経本も、
読んで救われたという人は知りません。かえっておかしくなった、という人が何人
かいます。
 それほど総裁を支持するのなら、まずは『新経本」で、悩んでいる人を救った
という実例を作って、掲示版にアップしてみて下さい。>>


本当ですね。
わたしも、是非、「今の教え」や『新経本』で救われたという体験談を伺いたいです。


ですが、曳馬野さまが正直に

<<やはりあなたの考えがうまくわかりません。>>

と、ご発言くださっているのは、わたしはとてもうれしく感じています。

「生長の家の教え」に関することなら、どんなご発言でもweb誌友会どんどんご投稿していただけるととてもありがたいです。

みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

4260a hope:2014/09/03(水) 09:38:52 ID:cEpBaIdo

>>4247のご投稿文を再掲します。

―――――――

4247 :a hopeさん:2014/09/01(月) 02:55:26 ID:zTvAOV2w
①自然破壊等の現象世界の出来事も見つめられていて、人間の罪を肯定してしまっているのです。

②『雅宣先生の教え』では「人間よ自然破壊するなかれ」と、
「人間が自然破壊した」という現象の出来事を認めてしまっているのです。

③一方、『本来の生長の家の教え』は 「人間が自然破壊する」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。

私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。
環境問題に特化した総裁、と云うように外界の現実を見るから、二元論の総裁という判断をしているのでしょう?

――――――――

わたしは、先月までこのweb誌友会テキスト「生命の實相」をもとに、「悔い改め」(生まれ更わり)についてお勉強してきました。
そしてこの「悔い改め」には旧我(偽我)の否定、と新我(真我)の肯定が必要だと知りました。

完全円満な実相世界の立場から観れば、「環境破壊し続けている人間」というのは明らかに旧我(偽我)であり、
妄想であり否定しなければならない存在です。

そして、本当の「悔い改め」には「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」の肯定が必要だということになります。


ですから、本来の「生長の家の教え」によって、環境問題に対応した運動をしていくのであれば、
この「悔い改め」真理を応用すればいいのだと思います。

それには、やはり「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」=「神の子人間」の実相を礼拝することが基本だと思います。


ですが、雅宣先生の運動を拝見していると「人間の実相礼拝」よりも「現象の自然」を礼拝しているように見えてしまうのです。


<<私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。>>


わたしは、雅宣先生の存在自体を虚説だと思っているのではなく、雅宣先生の教えと運動の仕方が本来の「生長の家の教え」ではないと思っているのです。


今まで何度も発言してきましたが、雅宣先生の存在自体は、信徒に本来の「生長の家の教え」とは何かを考えさせてくれるためにあらわれた、
ありがたい大観世音菩薩さまだと思っています。

4261a hope:2014/09/03(水) 10:20:14 ID:cEpBaIdo

テキストのお勉強に戻りたいと思います。

第三章の「自他一体と個性生命」には、「自他一体であれば、個性生命は存在しないのか?」ということが、
「個人の心」が肉体とは別に存在していることを証明する実例をいくつかあげて検証され(p38〜)、
さらに『エーテルと生命(p48〜)』では、科学的にも検証されています。


わたしは、あまむし庵さまのブログは欠かさず拝見するようにしているのですが、
今回の第三章「自他一体と個性生命」の特に、『エーテルと生命』の部分は理論物理学的にも検証されていて、
丁度、あまむし庵さまも昨日そのことに関して持論を展開されています。

この部分に関しては、あまむし庵さまのブログを拝見して、さらに理解が深まりました。
すごいですよ!!!

http://56937977.at.webry.info/201409/article_1.html

4262トキ:2014/09/03(水) 11:11:37 ID:lMH/UsH2
 藤原敏之先生のご著書で、終戦後、先生が京都で青年を指導されていた頃に、
ある学生さんから、「台風もある、地震もある、これでなんで、神さまがいるのだ」
と言われて、「それは、みんな現象の話ですね?」と言われてから、順々と実相の
世界について説かれたという話が書いてあったと記憶しております。

 実相論から発言すると、実際に被害にあった人からは不愉快に思われる場合が
あるので、気をつける必要はあります。が、それはテクニカルな部分で、問題の
本質とは異なります。神様の世界には「悪」はない、という事です。

4265a hope:2014/09/04(木) 23:51:56 ID:cEpBaIdo

>>4262 トキさま

<< 実相論から発言すると、実際に被害にあった人からは不愉快に思われる場合が
あるので、気をつける必要はあります。が、それはテクニカルな部分で、問題の
本質とは異なります。神様の世界には「悪」はない、という事です。>>


例えば、災害等で身内を亡くして悲しんでいる人や病気で苦しんでいる人に、
いきなり『生き通しの生命』や『現象無し』『肉体無し』の真理を説いてみても、聴く耳は持ってもらえないのではないかと思います。

これは、わたし自身が実際に宇治の練成で何度か実修し、さらにこのweb誌友会でも復興Gさまから教えていただいたことですが、
相手も自分も「祈り」によって救われるという神想観に「祈り合いの神想観」がありますが、
その神想観の祈り方の方法として、完全円満な実相を観ずる(実相直視)前に、
祈って上げる相手の心の痛みや苦しみを自分のことのように観じる(「同悲の心」を起す)というご指導がありました。


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/216n-


<<相手のために祈るということは、譬えてみると、相手のシャツの汚れを電気洗濯機で洗濯してあげるようなものである。

 相手のシャツを洗濯するためには、まず、相手がどんなに汗臭かろうとも、相手のところに近づいて行って、
「さあ、シャツを洗濯しましょう。貸してごらんなさい」と言って、まずシャツを自分の手許に取り込むことが必要である。

 祈ってもらいたいと出て来られた人に対し、
「あの人は、これだけお話をきいているのに、まだあんなことを悩んでいる。悟っていないねえ」
 などという気持は、シャツを自分のもとに取っていないのである。

「友の憂いに我は泣き、我が喜びに友は舞う」という友情をうたった歌があるが、相手の悩みを見て、
「もしも、私があの人の立場だったら、どんなにつらいことだろう。あの人の悲しみは、我が悲しみだ。何とかしてあげたい」と、
真に相手の悲しみを我が悲しみと感じ、共に手をとり涙を流さんばかりの気持となるとき、
相手の悲しみが吾がうちに摂取されるのである。相手の汚れたシャッを自分の手許にとり込むことになるのである。

 聖書には、イエスが他の人のために祈った心がよく示されている。
ラザロが死んで、その家族達が嘆き悲しんでいる所にイエスが来たとき、「イエス涙を流し給えり」とある。
 相手の人の苦痛や嘆きに対して、この、共に涙を流すほどの同悲の心があってこそ、神癒が行われるのである。>>



「現象は本来無い」ものだけれども、それを完全に悟りきれなければ、わたしたち人間は誰だって現象の出来事に心を捉われて、
悲しんだり、苦しんだり、怒ったり、妬んだり、どうしても許せなかったり、怨んだりという悪感情をもってしまうものだと思います。
そして、それら悪感情をもてば必ず「心の法則」が作用し、病気になったり不幸な運命を招くということになってしまいます。


創刊号 の「『生長の家』出現の精神とその事業」を拝読すると、実相世界を悟った谷口雅春先生は、
そのような「心の法則」を知らず、自分自身を苦しめ不幸になるという悪循環に陥っている人類に同悲の心を起されて、
「生長の家の火」をかざし人類光明化運動を始められたようですね。


だから、『現象は無し』『肉体は無し』は確かに「生長の家」の真理ですけれども、目の前で悩み苦しんでいる人に対しては
まずは、同悲(愛)の心を持ち、じっくり話を聞いて心境を理解してあげることがとても大切なのではないかと感じています。

4266a hope:2014/09/06(土) 10:50:25 ID:cEpBaIdo

第四章 和解の倫理 p55〜

悪魔の試みにも和解すべきや

われわれが神の方へクラリと向きを変え、神に従って生活しようと決意したとき、
かえってその神に従う生活に反対し邪魔しようとするような環境があらわれて来ることがあります。
この状態をキリスト教では「試みに逢わせられる」と申しますし、ある教えでは「引っかけ戻しの仕組みである」といっています。
それはあたかもわれわれが神想観をして精神統一をして、ただひたすら「神と一体」になる観念に精神を集注しようとしますとき、
いよいよますます雑念が浮かび上がってくるようなものであります。

4267a hope:2014/09/06(土) 10:56:29 ID:cEpBaIdo

>>4266 a hope所感)

わたしは、4年以上前にもなりますが「生命の實相」に偶然出会い、魂を震わせました。
そして、その後すぐに「生長の家」の信徒となり、本来の生長の家の教えと今の雅宣先生の教えの両方をお勉強するようになりました。

そして、雅宣先生の現象問題を扱った難しいご著書を必死に拝読し、
雅宣先生の「新・四無量心の神想観」を毎日行ずることで、どんどん精神状態と体調を壊していきました。

わたしにとって、このことがまさに「試みに逢わせられた」ということだったのだと思います。


<<「生長の家」倫理学の中心思想は、「人と神と一体であり、万(よろ)ずのもの皆神より出でたるものであるから、
なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。
そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。>>(p55  11行目〜)


今は雅宣先生の教えが、本来の生長の家の教え、つまり「生命の實相」からすれば、異端邪説であるとわかるようになりましたが、
信徒になったばかりのころは全く分からなかったわけですから、なにも考えずただただ「雅宣先生の教えを盲信し、その結果、生活が狂いだしました。

雅宣先生の教えは、ごく一般的な常識的なことをおっしゃっているわけですから、一般の方が読むぶんにはおそらくなんの問題もないものだと思います。

それに、世間一般の方からみたら、「肉体無し」「物質無し」などという本来の生長の家の教えの方の方が、よほど常識外れに感じられると思います。

ですが、それが、本来の生長の家の教えだと今のわたしは確信していますし、現在の雅宣先生の教えはまったく別物たと思っています。


ただ、「肉体無し」「物質無し」が本来の生長の家の教えだからと言って、「生命の実相」をしっかりと悟っていないのに、
病気になっても病院に行かず、薬も飲まないで祈りで治そうとするのはとても危険なことだと思います。

聖典にはその危険性を警告するような文章がところどころに書かれているのですが、ご自分で聖典をお勉強せず、
ただ、練成や講習会や個人指導等だけで「生長の家の教え」を学ばれていた信徒の方などには、
そのような生悟りのために亡くなられてしまった方もたくさんいらっしゃるのではないかと拝察しています。

おそらく雅宣先生が、「教え」の進路変更をされ始めたきっかけはそんな危険性の回避という理由もあるのではないでしょか・・・?


ですから、現在の生長の家がこのような混乱状態(不調和)にある中で、確実に「生命の実相」の真理を悟るためには、
独学、つまり聖典「生命の實相」の拝読が一番安全で確かな方法なのではないかとわたしは感じています。

4268a hope:2014/09/06(土) 10:59:49 ID:cEpBaIdo

<<しかし生長の家は必ずしも薬剤の不要を説くのではない。
生命のみ真に癒やす力であるが、生命の癒やす力を完全に発見しえない人は、
第二善としてその他の方法を用いてもよいのは、停電の時にはローソクを用いてよいのに似ている。>>
(生命の實相第20巻 p157 8行目)

4269a hopeさん:2014/09/06(土) 14:14:33 ID:zTvAOV2w

<<「生長の家」倫理学の中心思想は、「人と神と一体であり、万(よろ)ずのもの皆神より出でたるものであるから、
なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。
そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。>>
_____________________________________________________________________________________

これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。異端邪説はどこまで行っても説であり、考え、思想、念でしかない。
本来存在しないものと和解は端からしようがない。

4270トキ:2014/09/06(土) 17:07:42 ID:eK39pa7o
>>4269

 提案ですが、「a hopeさん」と「a hope」とは、混同するような
HNです。ご訂正下されば、読み手に混乱がないと思います。

合掌 ありがとうございます

4271名無し:2014/09/06(土) 17:15:09 ID:zTvAOV2w
>>4270

相変わらずだね、『生命の実相』を否定してもそれには知らん顔

これからは『名無し』で2ちゃん風にしましょう。

4272トキ:2014/09/06(土) 17:47:57 ID:eK39pa7o
>>4271

 この掲示板の方針として、常連さんには、適正なHNのご使用を
御願いしています。

 よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4273トキ:2014/09/06(土) 18:15:49 ID:eK39pa7o
 話を戻しましょう。

 戦前の信徒さんの中には、この医薬を廃する事にこだわられた人もいたみたいです。

 しかし、谷口雅春先生ご自身は、そこまで極端な事を指導されていなかったとも聞いて
おります。

4274ユタカ:2014/09/06(土) 18:26:04 ID:N20ePDNw
有難うございます。 練成を受講して「神の子」温泉につかり、素晴らしい神の子になったのも束の間、娑婆にでたらーーーー。。。
拝めない事だらけ。。。。。 すみません、ここにお勉強にきました、よろしくです。

a hopeさん 名無しさん 楽しそうですね。よろしくです! ですが、2チャンネルふうは勘弁してください。

先に、生長の家大神様を お招きしての誌友会ですからね、 a hopeさまは、現時点で精一杯の勉強と素直な心情なのですから。

何事も段階を経ないと。。と思いますから、

名無し様これからもよろしくお願いいたします。。。

4275ユタカ:2014/09/06(土) 18:38:37 ID:N20ePDNw
>4273 生命の実相講義のテープを聞くと、生長の家は何も病院いっちゃいかんと言っているのではないのですよ。

とハッキリ仰っていました。。

ですが、藤原先生の本には、額に脂汗をかきながら 盲腸炎に耐えて? 完治させた事が書いてあります。
昔は、情報が少なくて、雅春先生の2時間の講演だけの真理で信仰していたのではないでしょうか??
それにしても、すごい信念だと思います。

4276女狐に憑かれたノブタ:2014/09/06(土) 18:46:07 ID:???


 輝子奥様先生が 白内障 の手術を受けておられます

 そのとき 雅春先生はどう仰言ったのか ・・・・

4277不生の仏心を求めて:2014/09/06(土) 19:36:21 ID:zTvAOV2w
>>4276

世の中に余りにも見たくないものが多いので、「見たくない」という私の心の影として白内障になった。と云ったのでしたか。
実相を観よと教えながら、私が実相を見ることが出来ないから、貴女をそんな目に合わせて申し訳ない、と云ったのか
そんな見たくないものを一刻も早く消すべく皆さん頑張ってください、と云ったのかどちらでしょうか。

ユタカさん、ご意見に従い名前変えました。

4278ユタカ:2014/09/06(土) 19:55:14 ID:N20ePDNw
ちょと、a hopeさんより遅れたところからの勉強ですが、、

P,悔い改めよ天国は近づけり の項7L
悔い改めよというのは、心をクラリと転向せよ、
今までこれが自分であると力んでいた「自分」はそれは「本当の自分」ではなかった、それは「ニセ物の自分」であった、「本当の自分」は別にあった、それは「神の子なる自分」であったと悟る。

ここに完全に「われの転回」というものが行われる。
これが悔い改めであり、新生であります。 (途中略)

「悔い改め」すなわち「われの根本的置き換え」と同時に

「神の国」− 幸福の国・常楽の国ー は実現するのであります。

P、7最後の審判が恐ろしいのは悔い改めができていない証拠
9L なぜなら「本当のわれ」というものは、火にも焼けず水にも溺れることのない金剛不壊のものだということを知ることが、すなわち
「われの完全な置き換え」すなわち「悔い改め」であるからであります。

P、8 1Lだから最後の審判が恐ろしいようでは「悔い改め」ができていないわけで、最後の審判を恐れて悔い改めよでは意味をなさないのであります。
8L 本来「悪」を犯さず、
動けばすなわち 「善」のほかになりようがないところの「神の子ーわれ」・・・・。

ユタカは宇治に行って、「神の子」に新生しました、また行きたいなぁ。

全館放送だから、どこにいても神の子、神の子って追いかけてくる・・・

有難いです。

4279ユタカ:2014/09/06(土) 20:03:01 ID:N20ePDNw
名無しさんから 仏心さまへ

素晴らしいHNを有難うございました。 長いので仏心様でいいですか?

よろしくお願いいたします。

4280a hope:2014/09/07(日) 08:33:05 ID:cEpBaIdo

web誌友会参加のみなさま そしてこちらをご覧のみなさま

おはようございます。

みなさんのお話、興味深く拝見させていただきました。

たくさん思うこと、お返事したいこともありますが、今日は一日行事で出かけますので書き込みできません。

医学博士であった徳久克己先生も、最初は「家生命の實相」を否定しまくったとご講話で伺いました。

ですが、どんなに否定しても真理(真説)は否定できないものだと思います。

何が生長の家」の真説であるか、このweb誌友会で明らかにしていけたらいいですね!


それではみなさん、素晴らしい休日をお過ごしください!!

4281a hope:2014/09/08(月) 08:20:06 ID:cEpBaIdo

仏心さま(でよろしいでしょうか?)


>>4269再掲

<<「生長の家」倫理学の中心思想は、「人と神と一体であり、万(よろ)ずのもの皆神より出でたるものであるから、
なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。
そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。>>
_____________________________________________________________________________________

これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。異端邪説はどこまで行っても説であり、考え、思想、念でしかない。
本来存在しないものと和解は端からしようがない。




<<これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。>>

↑で仏心さまがおっしゃりたいのは、「「天地一切のもの和解せよ」といいながら、
異端邪説を天地一切のものに含んでいるように表現しているにも拘わらず、
「異端邪説だけは和解してはならぬ」という内容のこの文章が矛盾を含んでいて、詭弁であると思われているのですね。
これに関しては、仏心さまとわたしの解釈は全く違うようです。

この場合の「天地一切のもの」とは「天地一切のものの実相(善一元の世界のもの)」という意味なのだと思うのです。
ですが、実相世界を悟っていない人間には、実相と現象との区別がハッキリつかないわけですから、
方便として、このような説明になっていると思うのです。


ですから、原文に補足の言葉を入れさせていただくと、

(原文)
『そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。』

(a hopeの補足文)
『そこで天地一切のものと和解するには、【現象に現れてみえる】天地一切のもの、すなわち【実相(善)ではない】異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。』

という風になり、このようにわたしは解釈しています。



ですが、そのあとの仏心さまのご発言

<<異端邪説はどこまで行っても説であり、考え、思想、念でしかない。本来存在しないものと和解は端からしようがない。 >>

というご意見には、半分賛同させていただきます。全部賛同できないのは、お言葉が足りないからです。


a hopeの解釈は、

<<異端邪説はどこまで行っても【虚】説であり、【間違った】考え、思想、念でしかない。本来存在しないものと和解は端からしようがない。 >>

ということになります。

4282a hope:2014/09/08(月) 08:21:45 ID:cEpBaIdo

ユタカさま

web誌友会に戻ってきてくださりとてもうれしいです!
ユタカさまが戻ってくださると、web誌友会が活気づきますからとてもありがたいです。

わたしの進行速度や(所感)は気にされずに、ユタカさんのペースでご参加くださいね。

4283a hope:2014/09/08(月) 08:22:21 ID:cEpBaIdo
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第27回 web誌友会 案内

期間  9月1日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p34〜p126まで
     

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


みなさま

一応、範囲を決めていますが聖典の真理に範囲はありませんので、あまり範囲に関しては気になさらずにご参加下さいね!

4284ユタカ:2014/09/08(月) 09:16:40 ID:N20ePDNw
ありがとうございます
a hopeさま ありがとうございます、これからもよろしくです。

ユタカは、、、昨日、神様から熱い鉄槌をくらってしまいました!!!!  帰宅する道路でカラスが鳩を殺して食べているのを見せられてしまいました、羽が飛んで散らばって悲惨でした、練成道場では「ありがとうございます」って簡単。
帰宅すると、、、拝めないことだらけ。。。。

これって・・・「現象はない!!!」 「実相世界にはこのようなことはない!!! これは嘘!!!」 「実相円満完全!!」

って叫んだんだけど、、、、   

生長の家の 在家の生活 はこれでいいのでしょうか?? みなさんどう生活していますか???

目の前、弱肉強食しかみえないし!! ホント怖い=======!!!  悔い改めがぶっ飛んだ〜〜〜〜〜〜。

4285ユタカ:2014/09/08(月) 09:21:29 ID:N20ePDNw
それか、ユタカが、

現象に感謝していたのを、神様が注意されたのか???

本当に、気分悪すぎる。。。 ゲゲゲッゲ〜〜〜〜。。。。

みなさんは、ドショウもない現象を見てしまったら、どう対処していますか?? どのような言葉を使って現象抹殺をしていますか??

教えてください!!!

4286ユタカ:2014/09/08(月) 11:28:55 ID:N20ePDNw
教えていただきました。

現象はない、実相をはっきり見る訓練をさせていただいているのだ。

「有難うございます!」 って感謝したらいいらしい。。。。 生長の家って素晴らしい!なんでも感謝。

在家でも感謝、感謝なんだね。 このクソ現象世界でいかに感謝するか、「感謝ゲーム、感謝対戦、感謝バズーカ砲撃大会だね」(笑)

ありがとうございました。。。

4287不生の仏心を求めて:2014/09/08(月) 16:01:44 ID:zTvAOV2w
なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。
そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。>>
_____________________________________________________________________________________

これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。異端邪説はどこまで行っても説であり、考え、思想、念でしかない。
本来存在しないものと和解は端からしようがない。


     <<これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。>>

↑で仏心さまがおっしゃりたいのは、「「天地一切のもの和解せよ」といいながら、
異端邪説を天地一切のものに含んでいるように表現しているにも拘わらず、
「異端邪説だけは和解してはならぬ」という内容のこの文章が矛盾を含んでいて、詭弁であると思われているのですね。
これに関しては、仏心さまとわたしの解釈は全く違うようです。

この場合の「天地一切のもの」とは「天地一切のものの実相(善一元の世界のもの)」という意味なのだと思うのです。
ですが、実相世界を悟っていない人間には、実相と現象との区別がハッキリつかないわけですから、
方便として、このような説明になっていると思うのです。

  (a hopeの補足文)
『そこで天地一切のものと和解するには、【現象に現れてみえる】天地一切のもの、すなわち【実相(善)ではない】異端邪説とでも和解
   したらよいかどうかが問題になるのであります。』 という風になり、このようにわたしは解釈しています。

   a hopeの解釈は、

<<異端邪説はどこまで行っても【虚】説であり、【間違った】考え、思想、念でしかない。本来存在しないものと和解は端からしようがない。 >>
ということになります。

●私の思うところとは少し違いますね。」天地一切のもの」は顕れているモノそのもの、人間が意を通して何かを考えたそのことは、
「考え、思想、念」であり縁に触れて心に浮かんだものであり、一瞬の後には何も存在していないもの、であり、端から『天地一切のもの』
ではないということです。

貴女は「実相世界を悟っていない人間には、実相と現象との区別がハッキリつかないわけですから」と言われる。とすれば何と和解し、
何とは和解してはいけないのですか、現象はどこまで行っても現象ですよね、現象には真象と偽象がある、と言われる。
真象であれ顕れたもの、現象であり消え去るものです。真象を好ましいもの、偽象を好ましくないものと普通考えますね、でも念の世界を
超越しない限り、因縁の世界から抜け出せないということのようです。

実相は無相か有相かの議論をしたことがあります。生長の家の実相を観るという場合の『実相』はそのものに相があるのか(理念)、
『真象』を指して実相と云っているのか、貴女はどう考えますか。

4288不生の仏心を求めて:2014/09/08(月) 16:35:30 ID:zTvAOV2w
ついでにお聞きします。無門関23に『不思善悪』の公案があります。
善とも悪とも考えない時の人間の本来のものはいかなるものか、というものです。

他人が善を行っているか、悪を行っているか、が問題でなく、その事を善である、悪であると認識する心とは何でしょうかということです。
本心、実相の心とか言われる、実在の心とは何かということです。

雅春先生自身が無門関解釈を書かれているのですから、それは禅の話で生長の家と関係無いというものではないと思っています。
如何に生きるかと心というか、思いを関係させていく生き方に疑問を持っています。

4289a hope:2014/09/09(火) 00:09:22 ID:cEpBaIdo

>>4284 〜4286 ユタカさま

そうですね。
現象の世界には素直に拝めないことも多いですよね。
わたし自身もたくさん家族がおりますし、仕事もしてますから、
現象生活をしていく上で、人間関係等で悩むことも多々あります。

でも、わたしたちには「生長の家の教え」がありますから、とても心強いですね。

最近は、わたしはどんなに心が不安になっても、聖典を拝読したり、
神想観をすることでほとんど自分の中で解決できるようになってきました。

すべてに感謝できるようになることがとても大切だとわたしも感じています。

4290a hope:2014/09/09(火) 00:12:15 ID:cEpBaIdo

>>4287「 仏心」さま

<<●私の思うところとは少し違いますね。」天地一切のもの」は顕れているモノそのもの、人間が意を通して何かを考えたそのことは、
「考え、思想、念」であり縁に触れて心に浮かんだものであり、一瞬の後には何も存在していないもの、であり、端から『天地一切のもの』ではないということです。>>



↑の「仏心」さまお考え方が、もし、

「考え、思想、念」つまり人間の『心』が実在ではなくて、「顕れているモノそのもの」つまり現象に見える『物質』だけが実在するというお考えでしたら、


それって、唯物論なのではないですか?


それでは「仏心」さまのHNである『仏心』も実在しないものとお考えですか?


聖経「甘露の法雨」には、

神が一切のものを造りたまふや
粘土を用い給はず、
木材を用い給はず、
槌を用い給はず、
鑿を用い給はず、
如何なる道具も材料も用い給はず、
ただ、『心』をもって造りたまふ。
『心』はすべての造り主、
『心』は宇宙に満つる実質、
『心』こそ『全能』の神にして遍在したまふ。・・・

とあり、神(仏)の心がすべてのもの(天地一切のもの)を作ったと詠われています。


ですが、一方で「生長の家の教え」では「現象人間の迷いの心」の方は「無い」と否定していますから、
「仏心」さまがおっしゃる<<人間が意を通して何かを考えたそのこと>>というのが、
「現象人間の迷いの心」のことで、「仏心」さまのお考えが、その「現象人間の迷いの心」が天地一切のものではないという意味であれば、
そのことに関してはわたしもそうなのではないかとも思いますが、神(仏)の心は実在だとわたしは信じています。
(つづく)

4291a hope:2014/09/09(火) 00:15:26 ID:cEpBaIdo
>>4290つづき

<<貴女は「実相世界を悟っていない人間には、実相と現象との区別がハッキリつかないわけですから」と言われる。
とすれば何と和解し、何とは和解してはいけないのですか、>>


(a hope の答え)

真説に和解し、虚説には和解しなければいいのだと思います。

以下をご参考にしてください。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4056

――――――――――――
●虚説とは、「迷い」や「誤れる見解」のことである。
それでは、「迷う」「誤れる見解をする」とはどんなことか?

それは、自分自身や相手(対象物)の実相を見ず、悪であると思ってしまうこと。
または、罪を見てしまうこと。
つまりは、本来無い仮相の現象に心を捉われてしまうこと。


○真説 (虚説と和解しないために)
「迷わない」「正しい見解をする」とはどんなことか?

それは、自分自身や相手(対象物)の実相だけを見つめ、すべては善であると思うこと。
または、罪を見ないこと。
つまりは、実相世界の完全円満さを常に喜ぶこと。

――――――――――――

4292a hope:2014/09/09(火) 00:18:28 ID:cEpBaIdo
>>4291つづき

<<真象であれ顕れたもの、現象であり消え去るものです。真象を好ましいもの、偽象を好ましくないものと普通考えますね、
でも念の世界を超越しない限り、因縁の世界から抜け出せないということのようです。>>


(a hopeの答え)

――――――――――――
●「虚説(迷い・サタン・異端・邪説・雑念)」→【現象世界に投映されると】→ 暗黒化し、「罪」「病」「死」など(仮相)が現れて見える。    
           
○「真説(真理・神・生命・愛・知恵)」→【現象世界に投映されると】→光明化し、「真」「善」「美」などの(実相)が現れてくる。

――――――――――――


真説が現象世界に投映されたものが、真象(実相の投影)で、虚説が現象世界に投映されたものが偽象(仮相の投影)であるとわたしは理解しています
因縁の世界から抜け出すためには、念を超越するというよりも、虚説を否定し、真説ののみを実行すればいいのだと思います。

4293a hope:2014/09/09(火) 00:20:42 ID:cEpBaIdo
>>4292 つづき

<<実相は無相か有相かの議論をしたことがあります。
生長の家の実相を観るという場合の『実相』はそのものに相があるのか(理念)、
『真象』を指して実相と云っているのか、貴女はどう考えますか。 >>


(a hopeの答え)

わたしは実相世界を悟っていないですから、あくまでも聖典を拝読して解釈しているだけなので、
実相が無相か有相かなどということは実際のところはわかりません。
ですが、今現在のわたしの理解力だけでお答えさせていただきますと、
無相である実相(真説・正しい理念)が、現象世界にが投影され、芸術的活動で表現されたものが「美」であり、
道徳的活動で表現されたものが「善」であり、それらの現象人間の目でも確認できる真象が有相の実相なのではないかと思います。


『真、善、美と三つを同列に並べて説明する人がありますが、真とは本当にあるものということで、
「本当にあるもの」の道徳的活動が善であり、「本当にあるもの」の芸術的活動が美であります。
人生の目的とは何ぞや?といいますと、人生に「真」すなわち「本当にあるもの」すなわち実相を表現することであります。
実相が、本当の姿が、本当にあるものが実現したとき、人生に価値が実現したというものであります。
本当にあるものでないものには価値があるはずがないのです。
有るからこそ価値があるのです。なかったら価値がない。有るものだけが価値があるのです。』
「生命の實相」第13巻 p138 後から4行目〜



「仏心」さまが、素晴らしいご公案をたくさんくださるので、今回も、わたし a hopeはとてもお勉強させていただいています。
心より感謝いたします。 合掌。

>>4288に関しては、後日お答えさせていただきますね。

4294ユタカ:2014/09/09(火) 22:58:55 ID:N20ePDNw
>でも、わたしたちには「生長の家の教え」がありますから、とても心強いですね。

本当にそうですね。。
現象無し!! LooK into reality !!

「実相を観る」と、日本語ではちょっと難しいけど、英語で、Look at   ではなく Look into reality

と雅春先生がテープで仰って下さるのがありますが、それがとても分かりやすいですね。

そして、生長の家の先生に聞いたことは、嫌な事、拝めない事を見ても、それをいかに感謝として見るか楽しくゲームをする様にやっていくといいよ。。。

そしてね。。。。

教団にいる人もいない人も、今、難しい問題を与えられているのは、皆さんが高級霊だから、難しい拝めないような問題をどう解決するか神様に与えられているのだそうです。

本当に、現在は、昔の雅春先生時代の生長の家が大好きな人ほど、難しい問題を与えられていますね、みんな、みんな高級霊だそうです、とても素晴らしいですね!!

みんな生長の家高級神の子 素晴らしい!! みんな高級霊だから お釈迦さまだから、わざわざ難しい事をしてくれて、「これを拝んでご覧!!」としているところが素晴らしい!!

神の子同志の磨きあい!! 拝んだ人から感謝充満実相世界、みんな 神の子 有難う!!

4295ユタカ:2014/09/09(火) 23:00:26 ID:N20ePDNw
あのう・・ 上記の・・・

誰か、スペルチェックお願いします。

4296a hope:2014/09/11(木) 09:29:14 ID:cEpBaIdo

>>4294 ユタカさま

素晴らしいご投稿をありがとうございます!!
生長の家の教えは、「感謝」の教えですものね。


Look into reality!! (スペル間違いはないと思いますが・・・。)

直訳すると『(現象の中の)「本物」だけを観ぜよ!』みたいな意味でしょうか?


本来、「悪はない」のですから、現象に現れているすべての「不都合なこと」(悪と見えること)も、
自分の観方を変えればすべてが「感謝すべきこと」(善)になるということですね。

自分を苦しめている不都合な出来事に感謝できたとき、救われるのは誰でもない自分自身なんですよね!

4297a hope:2014/09/11(木) 09:36:01 ID:cEpBaIdo
>>4288 「仏心」さま


――――――――――――――――

ついでにお聞きします。無門関23に『不思善悪』の公案があります。
善とも悪とも考えない時の人間の本来のものはいかなるものか、というものです。

他人が善を行っているか、悪を行っているか、が問題でなく、その事を善である、悪であると認識する心とは何でしょうかということです。
本心、実相の心とか言われる、実在の心とは何かということです。

雅春先生自身が無門関解釈を書かれているのですから、それは禅の話で生長の家と関係無いというものではないと思っています。
如何に生きるかと心というか、思いを関係させていく生き方に疑問を持っています。

――――――――――――――――

わたしは無門関の『不思善悪』のお話も知りませんし、雅春先生の無門関解釈も未読ですが、その上で「仏心」さまの、

<<他人が善を行っているか、悪を行っているか、が問題でなく、
その事を善である、悪であると認識する心とは何でしょうかということです。
本心、実相の心とか言われる、実在の心とは何かということです。>>

というご質問にお答えさせていただきますね。

(a hopeの答え)

実相世界には存在しない「善」と「悪」の区別を認識する心とは現象人間の「迷いの心」であり、
実相の心とは、神の心、仏の心に他ならないと思います。

4298不生の仏心を求めて:2014/09/11(木) 19:47:07 ID:zTvAOV2w

(a hopeの答え)

実相世界には存在しない「善」と「悪」の区別を認識する心とは現象人間の「迷いの心」であり、
実相の心とは、神の心、仏の心に他ならないと思います。

_____________________________________________________________________________________________________
色々お答え下さりありがとうございます。a hopeさんの考えは承知しました。
ただ和解に関しまして真説に和解し、虚説には和解してはならない。とありました。
そこで判らないのです。善悪を認識する心は迷いの心であるといわれる。
真説虚説の判断は何によってなされるのでしょうか。
先の戦争では家族を亡くし言葉にできない辛酸をなめた人は大変多いと思うのです。
国体を守るためには戦争もやむなしとの考え方があります。結果に於いて戦に負けたのです。負けても今の日本はあります。
この場合に戦争はすべきであるというのは、真説なのでしょうか、虚説でしょうか。
雅宣総裁の発言は虚説であると貴女は言われます。虚説であると判断する心は、『本心』なのでしょうか。

「実相の心とは、神の心、仏の心に他ならないと思います。」は呼び名を変えただけのことで、どんなものかの説明にはなっていないのではありませんか。

4299トンチンカン:2014/09/11(木) 20:22:48 ID:JWwiWw8o

マサノブ爺さんは、<理性>で判断すると講釈していましたよ!!



<小閑雑感> (参考)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2008年11月10日
理性と教典解釈 (2)

 前回は、茅ヶ崎市の男性からの質問に答えたので、今回は厚木市の女性の質問に答えよ
う。まず、ここでのテーマは「教典の解釈」であって「真理の解釈」ではないことを確認
しておく。

 厚木市の女性は、古い時代に書かれた教典を現代人が読む場合、その解釈が昔のものか
ら変わる必要があることは認める。が、そうやって打ち出された新しい解釈が正しいか否
かをどうやって判断するか?−−という点を質問したのだ。私はこの時、黒板に「理性」
という文字を書いた。人間には理性があるから、それによって判断することができるとい
う意味である。そして、理性をめぐるイスラーム内部の考え方の違いについて触れたのだ
った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



・『真説虚説の判断は何によってなされるのでしょうか』


・マサノブ爺さんは、『人間には理性があるから、それによって判断することができる』
 と言っておりますが・・・

4300不生の仏心を求めて:2014/09/11(木) 20:48:50 ID:zTvAOV2w
トンチンカン女史さん

・『真説虚説の判断は何によってなされるのでしょうか』

・マサノブ爺さんは、『人間には理性があるから、それによって判断することができる』
 と言っておりますが・・・
________________________________________________________________________________________

引用の文章にはそんなこと一言も書いてないでしょう?朝日みたいな思い込み発言はやめましょう。

4301転載家:2014/09/12(金) 03:15:43 ID:???
ますます冴え渡る異才「トンチンカン」氏のマサノブ評*(5097)
日時:2014年09月10日 (水) 07時47分
名前:怒れる信徒 某



サーチャーさんが此処に転載していただいている「トキ掲示板」の異才「トンチンカン」氏のマサノブ評、今回は特に痛快、痛快そのもの。

大ヒマ人・マサノブ君は、又もや、似つかわしくないHN「不生の仏心を求めて」という名で登場したが、又もやボコボコに叩かれてしまった。

雅宣君、次のHNを「モグラたたきで叩かれし者」に変えたら?

両者のご健闘をお祈りする次第です。尤も、マサノブ君は全然「トンチンカン」氏の異才に歯が立たぬが・・・

4302a hope:2014/09/12(金) 09:06:53 ID:cEpBaIdo

少しテキストの内容を進めたいと思います。

「生命の實相」第14巻 p57 9行目〜

「生長の家」倫理学の特色といたしますところは、存在を「実相(ほんとうにあるもの)」と「仮相(まよい)」とに別けることであります。
そして「実相」だけが存在するのであって、その「実相」は完全であるというのであります。
例をあげていえば、人間に結核病を惹き起こす毒物としての結核菌は、それは仮相(かりのすがた)であって実相ではないのであります。
この場合、われわれが仮相(まよい)の結核菌を認め、許し、それに触れ、それを培養することにすれば、われわれ人類は滅びるのであります。
なせなら「仮相(まよい)」を実在だと思ってこれに和解し「仮相(まよい)」をことさらにのさばらせれば、実相はますます隠れるほかはないからであります。

ところが、神は結核菌を人間を害するようには作ってい給わないのであります。
結核菌は人間に対して無害に造られており、実在の世界においては、人間と結核菌とは調和して互に生かし合っているのであります。
調和が実相であって、「実在する結核菌」の本当の相(すがた)なのであります。
それで「結核菌と和解する」とはこの本当の姿を認めて、その心の投影(かげ)として自然に結核菌と人間とを互に相侵(あいおか)さない状態に至らしめるので、
われわれを害する「仮相(まよい)の結核菌」を認め、それに栄養を与え、培養するということではないのであります。
大体、「仮相」というものは、あるように見えても本来無い――「無いもの」と和解のしようがないのであります。
それでわれわれが和解するとは、ただ「本来あるもの」と和解するほかはない。
それでわれわれが、「天地一切のものと和解せよ」という場合は、
仮相(まよい)――われわれに対して毒性または敵性をもって顕れているウソのスガタ――に和解するのではなくて、
実相(すなわち、われわれと本来調和し、われわれと互に生かし合っているそのものの内性)と和解することなのであります。

4303a hope:2014/09/12(金) 09:08:34 ID:cEpBaIdo

>>4302 a hope所感)

ここの部分には「生長の家」倫理学の核心が「結核菌と人間との和解」を例にあげてとてもわかりやすく説明されていると思います。

この文章の「結核菌と人間との和解」について書かれている部分を、「【地球】と【人間】の和解」に置き換えて読んでみると、
「生長の家」の教えにより、どのように【地球】と【人間】が和解すべきかがとてもよくわかります。

4304a hope:2014/09/12(金) 09:15:28 ID:cEpBaIdo

「【地球】と【人間】の和解」(※注 a hope が聖典の言葉を置き換えた文章です。)


「生長の家」倫理学の特色といたしますところは、存在を「実相(ほんとうにあるもの)」と「仮相(まよい)」とに別けることであります。
そして「実相」だけが存在するのであって、その「実相」は完全であるというのであります。

例をあげていえば、【地球】に【自然破壊】を惹き起こす毒物としての【人間】は、それは仮相(かりのすがた)であって実相ではないのであります。

この場合、われわれが仮相(まよい)の【人間】を認め、許し、それに触れ、それを培養することにすれば、【地球】は滅びるのであります。

なせなら「仮相(まよい)」を実在だと思ってこれに和解し「仮相(まよい)」をことさらにのさばらせれば、実相はますます隠れるほかはないからであります。


ところが、神は【人間】を【地球】を害するようには作ってい給わないのであります。

【人間】は【地球】に対して無害に造られており、実在の世界においては、【人間】と【地球】とは調和して互に生かし合っているのであります。

調和が実相であって、「実在する【人間】」の本当の相(すがた)なのであります。

それで「【人間】と和解する」とはこの本当の姿を認めて、その心の投影(かげ)として自然に【人間】と【地球】を互に相侵(あいおか)さない状態に至らしめるので、
【地球】を害する「仮相(まよい)の【人間】」を認め、それに栄養を与え、培養するということではないのであります。

大体、「仮相」というものは、あるように見えても本来無い――「無いもの」と和解のしようがないのであります。

それでわれわれが和解するとは、ただ「本来あるもの」と和解するほかはない。

それでわれわれが、「天地一切のものと和解せよ」という場合は、
仮相(まよい)――【地球】対して毒性または敵性をもって顕れている【人間】のウソのスガタ――に和解するのではなくて、
実相(すなわち、【地球】と本来調和し、【地球】と互に生かし合っている【人間】そのものの内性)と和解することなのであります。


(a hopeが聖典の言葉を入れ替えたことに不快を感じる方がいらしたら、心からお詫びいたします。)

4305a hope:2014/09/12(金) 09:18:54 ID:cEpBaIdo

>>4304 a hope所感)


<<例をあげていえば、【地球】に【自然破壊】を惹き起こす毒物としての【人間】は、それは仮相(かりのすがた)であって実相ではないのであります。

この場合、われわれが仮相(まよい)の【人間】を認め、許し、それに触れ、それを培養することにすれば、われわれの【地球】は滅びるのであります。

なせなら「仮相(まよい)」を実在だと思ってこれに和解し「仮相(まよい)」をことさらにのさばらせれば、実相はますます隠れるほかはないからであります。>>


この場合の「仮相(まよい)」とは、地球に自然破壊をもたらすという罪深い人間(悪)を実在だと認めてしまう自分自身の「心の迷い」のことだと思うので、
わたしたちが、その「心の迷い」を否定せずに和解してしまうと、その自然破壊する人間の仮相の姿をのさばらす結果になってしまうということなのだと思いました。

<<それでわれわれが、「天地一切のものと和解せよ」という場合は、
仮相(まよい)――【地球】対して毒性または敵性をもって顕れている【人間】のウソのスガタ――に和解するのではなくて、
実相(すなわち、【地球】と本来調和し、【地球】と互に生かし合っている【人間】そのものの内性)と和解することなのであります。>>

これが、本来の生長の家の信仰の姿であり、「人類光明化運動」なのだと思います。
つまりは、「自然破壊などすることのない神の子人間に感謝せよ!」ということなのだと思います。

4306a hope:2014/09/12(金) 09:23:13 ID:cEpBaIdo

>>4298「仏心」さま

(仏心さまご質問)
雅宣総裁の発言は虚説であると貴女は言われます。虚説であると判断する心は、『本心』なのでしょうか。

(a hopeの答え)

雅宣先生のご著書やブログ、祈りの言葉などを拝見していると、雅宣先生は「地球に自然破壊をもたらす罪深い人間」を認めていらっしゃるようにしか見えないのです。
ですから、「雅宣先生の教え」は「生長の家」の倫理学から見ると「虚説」となってしまうのです。
「虚説」であるかないかは、わたしの『本心』が判断しているのではなくて、「聖典の教え」をわたしが解釈するとそうなってしまうのです。

この説明で、わたしがなぜ、「雅宣先生の教え」が「虚説」であると感じているかわかっていただけたでしょうか?

あくまでも、わたしは順をおって、「生命の實相」をお勉強し、解釈し、感じたことを素直に発言しているだけです。

>>4299でトンチンカンさまが転載してくださった雅宣総裁の御文章に、

<<人間には理性があるから、それによって判断することができるという意味である。>>
というご発言がありますが、「生長の家」の聖典を唯物的思想を持つ人間の理性で解釈しようとすると、
すべて否定しなくてはいけなくなります。

わたしは雅宣先生が「生長の家の教え」の基本である「人間神の子」を信仰していらっしゃるようにはまったく見えないのです。

4307a hope:2014/09/12(金) 23:02:51 ID:cEpBaIdo

トキさま ユタカさま 仏心さま みなさま こんばんは!

a hopeは、明日から数日間でかける用事がありまして自宅を離れるので、
いつものように書き込みができません。

ですが、わたしの返事がなくてもご自由にご参加くださいね!

来週中には戻る予定でいます。

それではみなさま、良い週末をお迎えください!!

4308ユタカ:2014/09/13(土) 00:20:48 ID:N20ePDNw
a hope様 いっていらしゃい! お帰りをお待ちしてま〜す、a hopeさま不在でも書きます。
>>4260 わたしは、先月までこのweb誌友会テキスト「生命の實相」をもとに、「悔い改め」(生まれ更わり)についてお勉強してきました。
そしてこの「悔い改め」には旧我(偽我)の否定、と新我(真我)の肯定が必要だと知りました。

完全円満な実相世界の立場から観れば、「環境破壊し続けている人間」というのは明らかに旧我(偽我)であり、
妄想であり否定しなければならない存在です。

そして、本当の「悔い改め」には「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」の肯定が必要だということになります。


ですから、本来の「生長の家の教え」によって、環境問題に対応した運動をしていくのであれば、
この「悔い改め」真理を応用すればいいのだと思います。

それには、やはり「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」=「神の子人間」の実相を礼拝することが基本だと思います。


ですが、雅宣先生の運動を拝見していると「人間の実相礼拝」よりも「現象の自然」を礼拝しているように見えてしまうのです。


<<私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。>>

わたしは、雅宣先生の存在自体を虚説だと思っているのではなく、雅宣先生の教えと運動の仕方が本来の「生長の家の教え」ではないと思っているのです。


今まで何度も発言してきましたが、雅宣先生の存在自体は、信徒に本来の「生長の家の教え」とは何かを考えさせてくれるためにあらわれた、
ありがたい大観世音菩薩さまだと思っています。

--------------------------------------------------------------------------------------------
何か、ahopeさまのこの御文章が、ちょっと良く分からないのですが、

生長の家の本来の教えを実相から観た教えとして、 現象の環境運動とごちゃ混ぜになっていませんか?
1>ですから、本来の「生長の家の教え」によって、環境問題に対応した運動をしていくのであれば、
この「悔い改め」真理を応用すればいいのだと思います。
2>それには、やはり「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」=「神の子人間」の実相を礼拝することが基本だと思います。
3>ですが、雅宣先生の運動を拝見していると「人間の実相礼拝」よりも「現象の自然」を礼拝しているように見えてしまうのです。

ユタカは、この間の宇治の大祭に行って実際の雅宣先生を見ていました、この目ではっきりと!
先生は、歩かれながら参加者を拝んでくれていました、奉仕の我々の事も神の子として拝んでくれていました。これは私が自分の目で確認しましたので2>の引用はクリアです。
3>は、宇治や教化部では神の子、感謝のお話を沢山聞けます。前ほどではなくなりましたが。
で、最後
4>
わたしは、雅宣先生の存在自体を虚説だと思っているのではなく、雅宣先生の教えと運動の仕方が本来の「生長の家の教え」ではないと思っているのです。

a hopeさま、私は総裁の本を良く読んでいなかったときは同じように思っていましたが、宇治の練成や大祭奉仕で変わりました、何とこのユタカが総裁の本まで買ってしまったのです。
で、話は元に戻らせていただくと、a hopeさまは、実相を拝むことが生長の家のすべてのことで、環境のことも環境を侵していない実相を拝むことこそが生長の家の教えで、総裁はそれをしていないというように読めるのですが?そうでしょうか?

私は、宇治に行って、楠本先生に沢山聞いて、総裁の事は、総裁がすべての実相を拝んでくれていたからこそ、今こそ環境問題に動いて下さったとわかりました。総裁は、すでに、a hopeさまの仰る「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」をすでに拝んで、
そして、「今やらねばならないことを精一杯して下さっていらしゃる」ことがわかりました。

a hopeさま 総裁は信徒を神の子として拝んで、今必要な最前線の運動の指揮を執る素晴らしい総裁だと私は急に目覚めました。

4309ユタカ:2014/09/13(土) 00:30:49 ID:N20ePDNw
a hopeさま
ユタカがせっかく総裁の本を買ったので、a hope様が、実相、」実相 実相 」 と 実相 とばかり仰るので、
現象世界にいることもしっかりと認識して欲しいので、読んでみてください。

>「罪なし」の教えと裁判員制度
Q 「人間本来罪なし」という生長の家の教えに触れていますと、裁判員制度でも志裁判員に選ばれた時、みんな神の子さんに見えて、極悪犯でもとても裁くことが難しく、冷静に判断できません。反面、本当は死刑にしたいと思えるのに、という場合もあると思います。
どうしたらよいでしょうか?(四十九歳 女性)

A 午前中の話の中でも少し触れましたが、この質問は、「実相」と「現象」を混同しているように思いますね。この二つを区別することは易しいようでいて、なかなか難しいのでります。裁判員制度とか、警察力、その他の法律で定められた社会のさまざまな仕組みというのは、これは現象界における我々の”心の作品”です。
我々が議会で法律や条例としていろんな制度を提案し、それを可決して制度が運用されるようになる。裁判員制度も同じでありまして、従ってこれは「現象処理」の問題である。

午前中、私が「人間に罪はない」とか「神の子である」とか「仏様である」という話をしたのは、「実相において」人間は皆そうだという意味であります。
ところが、実相においては皆すばらしい神の子であるけれども、現象世界に生まれて自由を与えられると人間は「迷う」ことがあるとという話もしました。

本来人間は神の子であるにもかかわらず、迷って、神の子にふさわしくない行動をすることがあります。 そういうことがあった場合には現象処理が必要です。(以下略)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
実相 実相のa hopeさま

総裁の書かれていることのどこが間違っていますか? その間違えを教えて下さい。

4310ユタカ:2014/09/13(土) 00:33:48 ID:N20ePDNw
訂正
>裁判員制度でも志裁判員

裁判員制度でもし裁判員   に もし と差し替えてお読み下さい。

4311ユタカ:2014/09/13(土) 00:38:25 ID:N20ePDNw
ユタカは

生長の家ってどんな教え? から謹写引用しました。。。よろしくです。

4312a hope:2014/09/13(土) 00:42:44 ID:cEpBaIdo

>>4308 4309 ユタカさま

web誌友会ご参加ありがとうございます。
たくさん質問をいただいているのですが、わたしは明日から出かけるのでお返事ができません。

できれば、わたし個人に対する質問はこれ以上は控えていたでけるとありがたいです。

このweb誌友会は、あくまでも「生命の實相」のお勉強会ですから、わたしは雅宣先生に関することでも、
「生命の實相」の真理に照らし合わせて発言しています。
ユタカさまも、ご参加くださるのであれば「生命の實相」の内容にそってお話を進めていただけないでしょうか?
どうぞよろしくお願いいたします。

それでは、ユタカさま、みなさまおやすみなさい!

4313ユタカ:2014/09/13(土) 00:47:06 ID:N20ePDNw
あくまでもユタカ個人の解釈ですと 神の子なのに迷って という箇所は

本来の実相を忘れて  ということかな?と解釈しました。

裁判員の問題を仰っている箇所を謹写しましたが、 環境も、現象の環境問題もこれと同じに考えていいと思いますが、どうでしょうか??

4314ユタカ:2014/09/13(土) 01:45:23 ID:N20ePDNw
>このweb誌友会は、あくまでも「生命の實相」のお勉強会ですから、わたしは雅宣先生に関することでも、
「生命の實相」の真理に照らし合わせて発言しています。


そうですか。ですが、私も仏心様と同じで

a hope様の解釈が理解できないので、生命の実相に沿って勉強しているような実感がないのですよ。。。

野狐禅のような気もします。。。

4315a hope:2014/09/13(土) 07:57:36 ID:cEpBaIdo

>>4314 ユタカさま

<<a hope様の解釈が理解できないので、生命の実相に沿って勉強しているような実感がないのですよ。。。
野狐禅のような気もします。。。>>

強烈なご批判をありがとうございます。 合掌。


これからしばらくa hopeはこのweb誌友会で聖典のお勉強はできませんので、
仏心さまや、ユタカさまに是非、正しい「生命の實相」の解釈をご教示していただきたいです!!


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第27回 web誌友会 案内

期間  9月1日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p34〜p126まで
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

web誌友会を長く続けていくには、ある程度の秩序が必要かとも思います。
現在 a hopeは、p55〜の「和解の倫理」を自分なりに解釈中です。

その時に仏心さまから、「雅宣総裁」と「虚説」に関する質問をいただいたので、
自分の解釈に照らし合わせて、自分なりのお答えをさせていただきました。

わたしに他意はなく、ただ、真理を知りたいだけですのでどうぞよろしくお願いいたします。

訊け管理人さま、トキさまその他のみなさまにも、是非参加していただきたいです。

自宅を離れましても、スマホから閲覧はしていますので時々参加させていただくかもしれません。

みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

4316トキ:2014/09/13(土) 22:18:54 ID:S.HsjIYs
 本題と合わないかもしれませんが・・・・。

 武道の世界などでは、「守」「破」「離」が大事だと言われます。(これ、武道の達人
からの耳学問です。)

「守」・・・・師匠の格をまねる事。つまり先生の真似をすること。

「破」・・・・師匠の格に至る事。つまり先生と同じ事ができること。

「離」・・・・師匠の格を破り、自分の格を出す事。つまり、自分の個性がでること。

 信仰の世界の場合、なかなか師匠を超えるというのは難しい点があります。
ただ、長年、信仰をしていると、その人なりのスタイルができるのも事実です。
 行をし、勉強をしているなかで、聖典に書かれている事が自分のものと体感できる
境遇になります。

 例えば、現在の総裁は総裁なりに勉強をして、彼のスタイルでの「生長の家」を作った
し、本流復活派の人たちも、同じように、彼らのスタイルでの「生長の家」を作ったと
言えるでしょう。そういうスタイルは、他の人にも参考になる点はあるとは思います。
 
 が、それらは、その人の信仰のスタイルではあっても、自分にあうか、どうかは別の
話だと思います。つまり、応用としての自分の信仰はあくまでも自分のスタイルであって、
他の人に応用して「効果」があるか、どうかは別の話です。そうすると、自分一人での
信仰の場合は「応用」は大事ですが、みんなで勉強をする場合は、やはり「基本」が
大事だと思います。

 そもそも、生長の家の場合、「師匠」とは、基本的に谷口雅春先生のことだと解釈す
るべきだと感じます。そして、基本とは、生命の実相などの聖典だと考えます。

 これらの聖典を熟読して、その上で、現在の自分の生活にどう生かすかは、各人が精進
すべき課題だと思います。不特定多数が参加するネット上での誌友会での勉強は、この
「基本」にこだわっていくことが大事かな、と感じています。

 みんなで勉強をしていきましょう。

4317トキ:2014/09/14(日) 19:19:04 ID:bXsTMpmc
 生命の実相の第14巻を拝読しましょう。まずはp4です。

 「われ罪の子」の自覚が忽然と消えて、「われ神の子」の自覚に入るのが本当の「生まれ更わり」
でありますが、この「われ神の子」の自覚を得る、というのは、罪を犯しながら、その罪を犯して
いる自分を「これで神の子だ、これで真我だ」と自慢自賛することではありません。罪が外に犯さ
れているのは、まだ「われ罪の子」という偽存在のわれの自覚が潜在意識内に残っているからこそ、
それが具象化して出て来るのでありますから、その偽存在のわれの自覚を「神の子なり」「真我な
り」と名称を付けかえてみましても、それは何も真に「神の子」が自覚されているわけではない。
偽存在のわれに本物の名前を付けかえてみたとて、それは贋物に本物の商標を付けて発表するのと
同じであって、本物の商品を発表することにはならない。本物の商品に本物の名前をつけて売り出
してこそ「本物」を発表したことになるのであります。

(生命の実相第14巻 p4より謹写)

 これは、信仰をする人はよく考え、自戒すべき部分だと思います。

 藤原敏之先生は、「信仰にも筋金が必要だ」と言われました。この筋金がないで、単に「人間、神の子」
という言葉だけで自分の言動を考えると、何をやっても許される、という事になりかねないです。

 あなたは必ず救われる、という本の42pで藤原敏之先生は、信仰の根本は「信」であると書いておられま
した。大事なのは、この「信」だと思います。そこから見るからこそ、日常生活の全てが正しく導かれてい
くと思います。

4318ユタカ:2014/09/15(月) 02:22:09 ID:N20ePDNw
信 から見ると日常が正しくなる。???

意味が良く分かりません。

信 は大切だけど、現在のような運動だと信 って生まれにくくない?

罪が見えるのは、まだ、清まっていないのか。。 前世からの業もあるだろうし、いつになったらきよまれるんだろうか?

4319トキ:2014/09/15(月) 19:06:49 ID:IbMkY2ZM
 人間=神の子の真理は、ひとつ間違うと、自分の言動を全て正当化する手段ともなりえます。
何をしようともその人の本質は神の子だ、ということになると、殺人をしようが、詐欺をしよ
うが、問題がない、ということになりかねません。

 そうではない、人間は神の子であり、自分も神の子である、という自覚が強くなると、自然
と言動が神の子らしくなる、という事だと思います。

4320トキ:2014/09/15(月) 19:17:06 ID:IbMkY2ZM
 悪い習慣を治したい、という人は多いです。この点についても、生命の実相の第14巻には書かれています。
自分の本質が神の子である、という事を知る事が大事なんですね。

-------------------------------------------------------------------------------------

 また「悔い改め」とは、一悪一悪と順次悪を減じて、一善一善と順次「善」を積み立ててゆくということで
はありません。全体の悪が、クラリと光の方向へ転向してゆくことなのであります。

(中略)

 以前には、「この自分は悪いからぜひ治さなければならない」と思いながらも治らなかった。ところが
今気がついてみると、治そうと思いもしないのに治っていたのであります。これでみても、「自分は悪いから
ぜひ治そう」と決心することが悔い改めではない。「悪い自分は無い」と知って、「神と一体である自分」を
見出したときに、そこに「ニセ物のわれ」と「本物のわれ」との置き換えが行われるのであることがわかるで
しょう。悔い改めというのは努力によって「ニセ物のわれ」を捩じ直すことではない、「ニセ物のわれ」を
カラリと捨てて、「本物のわれ」に転向することだということがこれでおわかりでしょう。

14Pより、謹写

4321ユタカ:2014/09/15(月) 23:16:57 ID:N20ePDNw
>>人間=神の子の真理は、ひとつ間違うと、自分の言動を全て正当化する手段ともなりえます。
何をしようともその人の本質は神の子だ、ということになると、殺人をしようが、詐欺をしよ
うが、問題がない、ということになりかねません。

ひぇ〜〜怖いです。
そんな事考えたこともありませんでした。。。
神の子だから、何でもやって許される・・・。恐ろしいですね。。。

その前に、a hopeさま、 強い批判の言葉を書いてしまい、貴女を怒らせててしまい大変申し訳ありませんでした。。
私には攻撃の意思はありませんので、どうか、気を取り直してください、よろしくお願いいたします。

今日は、自動車の安全点検に行って待ち時間に沢山生命の実相を読み進めることができました。そして、往復路で楠本先生の講話を聴ききながら勉強していました。外の景色はたわわに実った稲刈りでした。。。

でっかい声で、ありがとうございま〜〜〜す!! って叫びました。

本当に、有難うございます な世界しかないのが「生命の実相」ですよね。。。

有難うございま〜〜〜す!!!!!

4322ユタカ:2014/09/16(火) 00:12:47 ID:N20ePDNw
第四章 和解の倫理
p57 ここに和解の倫理がハッキリと顕れているのであります。
和解するのは誰と和解するのかというと、「自分を害する家ダニ」と和解するのではないのであります。
「害する者」と和解するのは「害する者」をのさばらせることになるのであります。

たとえば、結核菌 という人間を害する敵と和解することを考えてみます場合、結核菌は人間を害する者だと思いながら結核菌と「和解するつもり」でことさらに結核菌を培養して、これを呼吸器に吸い込むということにいたしましたならば、いかにも結核菌と人間とは和解したように見えるかもしれませんが、

それは、 「実相の結核菌」と和解したのではないのであります。


「生長の家」の倫理学の特色といたしますところは、存在を「実相ほんとうにあるところのもの」と「仮相迷い」とに分けることであります。

そして「仮相 まよい」は存在するように見えても、それは非実在(ない)というのであります。

そして「実相」だけが存在するのであって、 その「実相」は完全であるというのであります。

p、58
大体(だいたい)「仮相」というものは、 あるように見えても「本来無い」− 「無いもの」と和解しようがないのであります。

4323女狐に憑かれたノブタ:2014/09/16(火) 00:22:08 ID:???

 『谷口雅春先生の御著書が高校の教科書になった』

 読みたい人はURLは勝手にしらべて、

 この掲示板には勿体無い記事だから。

4324ユタカ:2014/09/16(火) 00:24:57 ID:N20ePDNw
p、58それで、われわれが「天地一切のものと和解せよ」という場合は、
仮相--われわれに対して毒性または敵性をもって顕れている ウソのスガタ----に和解するのでなくて、

実相----(すなわち、われわれと本来調和し、われわれと互いに生かしあっているその物の内性)と和解することなのです。

p59 対人関係、対物関係の和解は、そういうように物そのもの,人そのものの実相を見てそれと実相において和解してしまいますと、相手の調和した実相があらわれて相手が自分に逆らいまたは害しなくなるのでありますが、「迷い」に対したり「誤れる見解」に対しては、われわれはいかなる態度をとるべきでありましょうか。(途中略)

だからわれわれは、決して「誤れる見解」に和解してはならないのであります。
「誤れる見解」は 実相世界にはない、それは「虚説」すなわち「無い説」でありますからわれわれは虚説と和解することは絶対にできないのであります。

虚説に和解したら自分の完全なる実相が昧まされ、完全なる実相が昧まされたならば、その投影として不完全なる現象、不幸 病気、災厄等があらわれてくるのであります。

=================================

生長の家の教えは本当に間違いなく素晴らしいと思います。

間違った運動を指揮する総裁はいない!!  総裁先生素晴らしい!!

すでに、実相においてはすべてが調和している、実相円満完全。 有難うございます!!!

と、いうことでしょうか??  ユタカにはそういうように思えて、、生長の家ほどの偉大な教えは他には無いと思いすので、教えに沿って教えの通りを歩んでいきたい。。。。

4325ユタカ:2014/09/16(火) 00:52:06 ID:N20ePDNw

ユタカは SAKURAさんと同じで、自分で謹写させて頂いて、感動して感動の連続でした。

素晴らしい生命の実相のお勉強をさせて頂いて、本当にありがとうございます。

a hopeさん、 どうか、お勉強した真理を裁きにするのでなく、実相への感謝に変わると素晴らしいと思います。 合掌。。。

4326ユタカ:2014/09/16(火) 01:19:30 ID:N20ePDNw
そして・・・

自分も、、、、総裁、教団の悪口を言いたい放題、書いてごめんなさい。

心から、大反省しています。

4327a hope:2014/09/16(火) 09:38:48 ID:EsxzJUlc
みなさま、おはようございます!

まだ外出中ですが、ユタカさまに質問です。

ユタカさまはわたしに現象もしっかりと見るようにとご指摘下さいましたが、
ユタカさまは現象の雅宣総裁をご覧になって、
どの部分が実相でどの部分が仮相(迷い)だと思われていますか?

それとも、現象に現れて見える総裁のお姿全てが実相の現れであるから、
その姿に和解すべきであるとお考えですか?

4328ユタカ:2014/09/16(火) 12:58:21 ID:N20ePDNw
A hopesさま ご質問有難うございます。
>雅宣先生のご著書やブログ、祈りの言葉などを拝見していると、雅宣先生は「地球に自然破壊をもたらす罪深い人間」を認めていらっしゃるようにしか見えないのです。ですから、「雅宣先生の教え」は「生長の家」の倫理学から見ると「虚説」となってしまうのです。>「虚説」であるかないかは、わたしの『本心』が判断しているのではなくて、「聖典の教え」をわたしが解釈するとそうなってしまうのです。>この説明で、わたしがなぜ、「雅宣先生の教え」が「虚説」であると感じているかわかっていただけたでしょうか?
ーーーーーーーーーーーー
 このa hopeさまの見解ですと、谷口雅春先生が、人類の悩みを憂いて、その人たちを救おうとして出発した人類光明化運動も、谷口雅春先生が神の子の人間の「実相」を観ないで、悩み、苦しみ、病気の人達の「現象を認めて運動をしているから、生長の家の教え自体が虚説というようになってしまうと思いますが、どうでしょうか?
 先生も、そのような現象の方々をみて愛の心で出発したと思ったのです、またそのようなこともどこかの聖典に書いてありました。、雅宣先生の場合は同じように地球環境運動をなさっているととおもいました。
そいういう意味で、a hopeさまの神の目で愛の目で現象として見えていると処を見てほしいといいました。 ですから大雨で死者がでているのですから、環境運動はとても大切だと私はこう思うようになりました・
 A hope様は聖典に書いてあると仰いますが、聖典、生命の実相はまだまだ半分もここではお勉強が終わっていませんし、聖典といわれるものは他にもまだまだ沢山ありますので、この時点で、雅宣先生のお話を」 「聖典の教え」 を自分で解釈すると虚説になる。
と「聖典」っしゃるとこが私には、野狐禅 (ひとりよがりという感じで私は使いました)に陥りそうだとおもいました。何か、言葉足らずですみませんでした。。。

二番目の質問には、、、
私は教団に復帰しての信徒で、疑問や納得できない処を宇治の楠本長老に何度も何度も質問に行き、そして祈ったり、講話を聞いたり、と、それは、前に練成の様子を書いたのでそれを読まれて下さると分かると思います。そしてついに「有難い!!」と心から思えるようになりました。自分の中でとても納得いたしました。もう私は、昔のユタカではありません。
総裁のなさることを、理解して、総裁を神様として拝んでおります。
今、私の中では、雅宣総裁は、とても大切な 神様の顕れとして総裁先生のことを信じています。

そして、生長の家の運動は、すべて生長の家の大神さまが指揮を執って下さっていることを信じております。

ユタカ 拝

4329ユタカ:2014/09/16(火) 13:07:01 ID:N20ePDNw
a hopeさま

現象を見て というのは a hopeさまが実相にとらわれているように思いましたので、
そのように書いてしまい、大変失礼いたしました。

4330ユタカ:2014/09/16(火) 13:12:54 ID:N20ePDNw
>ユタカさまは現象の雅宣総裁をご覧になって、
どの部分が実相でどの部分が仮相(迷い)だと思われていますか?

そういう意味で、
総裁の実相は神様の顕れで、現状の地球に対して危機感を直観して運動をされているので、そういう意味では現象だと思います。

4331ユタカ:2014/09/16(火) 13:24:26 ID:N20ePDNw
>それとも、現象に現れて見える総裁のお姿全てが実相の現れであるから、
その姿に和解すべきであるとお考えですか?


現象と自分が見ていると
それは現象で、無い現象と和解できないと、ここでお勉強しました。 実在の総裁を拝むのが和解と思います。

4332ユタカ:2014/09/16(火) 13:45:14 ID:N20ePDNw
自分=見ている人 です

4333ユタカ:2014/09/16(火) 14:12:40 ID:N20ePDNw
>総裁の実相は神様の顕れで、現状の地球に対して危機感を直観して運動をされているので、そういう意味では現象だと思います。

「そういう意味」というところに注意して読んで下さい。実相と現象にあえて分けるならです。

ですが、生長の家の運動ですから、神様の運動であると思っていますよ、ユタカは。

4334ユタカ:2014/09/16(火) 14:47:01 ID:N20ePDNw
または、
a hope様のご質問には、最初に現象と仮定されているので、

無い現象に対して、 無いことの質問にはお答えできません。となるのかな???

ちょっと、よくわかりません。。。 すみません、、、。

4335a hope:2014/09/16(火) 20:38:28 ID:cEpBaIdo

トキさま ユタカさま みなさま ただいま戻りました!


わたしのいない間も、web誌友会を続けてくださってありがとうございました。 合掌。

ユタカさま、わたしはユタカさまのことを怒ってなどいませんし、少しも気分を害してなどいませんのでご安心くださいね。

わたしのいない間に、ユタカさまから、わたしa hope宛にたくさんのご質問をくださいました。

時間をかければ、すべてに誠実にお答えすることもできるのですが、今、とても躊躇しています。

なぜなら、質問者のユタカさまご自身が>>4325で、わたしに

<<a hopeさん、 どうか、お勉強した真理を裁きにするのでなく、実相への感謝に変わると素晴らしいと思います。 合掌。。。>>

とご提案してくださっているからです。

もし、わたしが、ユタカさまのご質問に聖典「生命の實相」の真理をあてはめながらお答えすれば、
ユタカさんのお言葉を借りれば、それらのわたしの「答え」の全てが、
また、「お勉強した真理」で「雅宣先生の教え」を裁くということになってしまうからです。

先にも言いましたが、わたしが雅宣先生のことに言及したのは、「仏心」さまからの質問があったからで、
それに誠実にお答えしただけなのです。

それはあくまでも、「雅宣先生の教え」に関してa hope個人の素直な見解を述べただけであって、
雅宣先生の人格や行動を批判したわけでも、悪口を言ったわけでもないので、「裁いた」という自覚がないのです。

それに、a hopeの見解が正しいものであるとは主張していません。

反対に、『正しい「生命の實相」による見解を教えてください』とお願いさせていただきました。

ユタカさまのご投稿内容は何度も拝見していますが、ユタカさまにわたしの見解が解っていただけないように、
わたしにも、ユタカさまの見解は理解できないのです。

ユタカさまとわたしは、おそらくこのまま「雅宣先生の教え」や「現教団の運動方針」の件で討論を続けても、
平行線だと思われます。

それでも、ユタカさまのご質問にお答えした方がよいでしょうか?

それとも、「雅宣先生の教え」と「運動」に関しては今後言及しないということで、
純粋な「生命の實相」のお勉強会に戻りましょうか?

4336ユタカ:2014/09/16(火) 22:34:25 ID:N20ePDNw
a hopeさま

ユタカは、あまり出演しないので、a hopeさまのご自由になさってくださいね。

今回は、宇治にいって悦びのあまり飛び出してしまいました。

4337a hope:2014/09/17(水) 09:25:28 ID:cEpBaIdo

>>4336 ユタカさま

わたしも宇治の練成は何度か受講していますから、その素晴らしさは充分わかっているのです。

今回、加美野先生が宇治別格本山を去られるという情報が流れていて本当に残念に思います。

ですが、すべてが神さまの御心によって動いているような気もします。


ユタカさま、わたしは今までずっと管理人トキさまの大きな愛に甘えて、
このweb誌友会板で自由に発言させていただいてきました。

これからも自由に発言させていただくつもりです。

ですから、ユタカさまもこれからも自由にご参加、ご発言くださいね!

ユタカさまのご質問には、ユタカさまのご要望があればお答えさせていただきます。

4338ユタカ:2014/09/17(水) 23:47:21 ID:N20ePDNw
トキさま

ユタカのPCだと、最新50と検索では4000までしか出てこないのですが、
4000番代が見れなくて話にならないのですが、ユタカのPCのせいか、トキ様の方ですか?

上にあがると、しばらく見えなくなってしまい話が全文見れなくて途切れ途切れで読むので、話がつながっていない気がします・

4300番位から再度閲覧する方法を教えて下さい。

ラスト50と検索では4000までしか出てこないのですが・・・・。ユタカだけ???

4339a hope:2014/09/18(木) 01:12:32 ID:cEpBaIdo

ユタカさま 杢さま(志恩さま)

実相哲学を論じる部屋で、杢さま(志恩さま)からご要望がありましたので、
ユタカまのご質問にお答えしたいと思います。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1387360729/494

(ユタカさまからは、「ご自由になさってくださいね」とのお返事をいただいていますものね)

4340a hope:2014/09/18(木) 01:18:14 ID:cEpBaIdo

(ユタカさまご質問)

>>4309
<<実相 実相のa hopeさま
総裁の書かれていることのどこが間違っていますか? その間違えを教えて下さい。>>


(a hopeの見解とユタカさまの>>4309ご質問へのお答え)

『虚説』というのは誤った思想であり見解である。
いわゆる『悪』と見えるもの(「罪」「病」「死」など)は誤った思想や見解が現象世界に投映されたものである。

――――――――――――――――――――――
●「虚説(迷い・サタン・異端・邪説・雑念)」→【現象世界に投映されると】→ 暗黒化し、「罪」「病」「死」など(仮相)が現れて見える。    
           
○「真説(真理・神・生命・愛・知恵)」→【現象世界に投映されると】→光明化し、「真」「善」「美」などの(実相)が現れてくる。
―――――――――――――――――――――

「虚説に和解してはならぬ」という場合の『虚説』とは、あくまでも「(誤った)思想・見解」のことであって、
現象に現れて見える雅宣総裁のお姿のことをさしているのではない。


だからユタカさまが総裁の実相を見つめ「総裁は信徒を神の子として拝んで、今必要な最前線の運動の指揮を執る素晴らしい総裁」
「間違った運動を指揮する総裁はいない!!総裁先生素晴らしい!!」と信じきることは、
もしかしたら正しい信仰の姿なのかもしれない・・・と、わたしは感じています。


ですが、実際に雅宣先生の思想・見解の表現されたご著書・ブログ・祈りの言葉等を拝見してみると、
わたしには、どうしても雅宣先生のご思想やお考え方に、現象を実在とみている『実相・現象二元論』や、
人間の罪や悪を認めた『善・悪二元論』のいわゆる『虚説』が見えてしまうのです。
それは、ユタカさまがご紹介してくださった、>>4309の「生長の家ってどんな教え?」の抜粋文からも確認できます。

<<午前中、私が「人間に罪はない」とか「神の子である」とか「仏様である」という話をしたのは、「実相において」人間は皆そうだという意味であります。
ところが、実相においては皆すばらしい神の子であるけれども、現象世界に生まれて自由を与えられると人間は「迷う」ことがあるという話もしました。
本来人間は神の子であるにもかかわらず、迷って、神の子にふさわしくない行動をすることがあります。 そういうことがあった場合には現象処理が必要です。>>

上の抜粋文は完全に二元論的考え方なので、わたしには違和感だらけなのですが・・・。


『実相においては皆すばらしい神の子であるけれども、現象世界に生まれて自由を与えられると人間は「迷う」ことがある』(実相・現象二元論)

本当に、現象世界に人間が生まれて「迷う」ことがあるのでしょうか?
「現象なし」「迷いなし」が生長の家の「実相一元」の教えなのだとわたしは認識しています。


『本来人間は神の子であるにもかかわらず、迷って、神の子にふさわしくない行動をすることがあります。』(善・悪二元論)

現象的に罪を犯してしまった人には「社会的制裁」等の現象処理も確かに必要かもしれませんが、
「生長の家」の創始者、谷口雅春先生は、そのように「実相」を悟らないために苦悩している人類に大慈悲の心を起されて、
「生長の火」をかざして人類光明化運動を始められて「生長の家」を出現されられたのですから、
その「生長の火」をまことに法燈継承されている「生長の家」の総裁であれば、
「そのような人には『人間神の子』の真理を伝道し、魂の救済をしてあげましょう。」
というご指導をされるのが当然なのではないかとわたしは感じてしまいます。


もし、わたしのこの見解が正しくて、「雅宣先生の教え」が虚説であった場合、
現在、雅宣先生は信徒の思考や考え方に大きな影響を与える「生長の家」の総裁ですから、
その教えを信仰する立場の信徒も皆、『虚説』を信仰していくことになってしまうのです。

そして『虚説』が現象世界に投映されれば、世界は暗黒化されてしまいます。

わたしは、雅宣総裁の実相を信じ礼拝するということは、総裁の「誤った教え」つまり『虚説』には絶対に和解せず、あくまで「NO」と拒絶し、
生長の家の総裁として大きな使命をもって現教団を守ってくださっている雅宣先生の実相のお姿には大いに感謝し、
そのお姿に和解すればいいのではないかと感じています。

4341a hope:2014/09/18(木) 09:23:05 ID:cEpBaIdo

「仮相(かりのすがた)は本来「無」と知るのが実相への和解」p59


だから、真に和解するとは、「ものそのもの」の完全なる実相を認めその実相と和解することであります。

「家ダニ」を見たならば、吸血鬼であるその仮相を見ず、互に調和した場所において相侵し相傷つけないように造られている「完全なる家ダニ」と和解することであります。

結局「和解する」とは、その「実相」を見て、その実相において完全を観ることであります。


対人関係、対物関係の和解は、そういうように物そのもの、人そのものの実相を見て、それと実相において和解してしまいますと、
相手の調和した実相があらわれて相手が自分に逆いまたは害しなくなるのでありますが、
「迷い」に対したり「誤れる見解」に対しては、われわれはいかなる態度をとるべきでありましょうか。

「迷い」に対して和解したら、真理が消えてしまうのであります。

「誤れる見解」に対して和解したら実相がくらまされてしまうのであります。

だからわれわれは、決して「誤れる見解」に和解してはならないのであります。

「誤れる見解」をわれわれは「虚説」と申しますが、虚説とはよく名づけたものであります。

「誤れる見解」は実相の世界にはない。

それは「虚説」すなわち「無い説」でありますからわれわれは虚説と和解することは絶対にできないのであります。

虚説に和解したら自分の完全なる実相が眩(くら)まされ、完全なる実相が眩まされたならば、
その投影として不完全なる現象すなわち不幸、病気、災厄等があらわれてくるのであります。

4342トキ:2014/09/18(木) 09:43:41 ID:Yzq10b2Y
>>4338

ユタカ様

 お問い合わせ、ありがとうございました。

 トキの端末では、そういう現象が出ませんでした。他の皆様のパソコンやスマートフォン
などではどうでしょうか? 一度、試して下さり、ご報告をいたただければ幸いです。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4343トキ:2014/09/18(木) 09:56:49 ID:Yzq10b2Y
 横レス、失礼します。

 私のやや近所にラーメン屋さんができましたが、しばらくしてご主人が来て

「ぜんぜん、はやらない。」

と嘆かれるので、気の毒になり、食べに行った事がありました。
ところが、一口たべて、味が悪いと思いましたが、何となく言いにくく、
その旨を言わずに帰ってきたことがありました。その後、そのラーメン屋さんが
閉店した事をしり、「ああ、あのとき、正直に言ってあげたらよかった」
と後悔をした事がありました。もちろん、そのラーメン屋さんも神の子ですから、
実相は祝福し、讃嘆する必要はあるのですが、だからこそ、ご本人の事を大事に
思うのなら、その人が長期的な視点で見たら、幸福になるような態度を取る事が
大事だと考えます。

 これを現在の教団で言うと、今の教団の指導部の方針は信徒からはほとんど支持さ
れない、おかしな指導を繰り返しています。外部からも、教団は呆れられている
のが実情です。

 このような指導が続くと、ご本人達も不幸だし、それ以上に教団の信徒さんが
もっと不幸です。この時に、その言動の非なる事を教えてあげ、修正するように発言
をすることは、ある種の愛念かと感じます。

 対して、総裁を支持する人の中には、高給につられてヨイショの発言を繰り返す
人もいれば、本心では疑問を感じながらも集団心理に流されて総裁万歳を叫ぶ人も
います。私見では、こういう事は、信仰という観点からは良くないと思います。

 もちろん、憎しみや怨みの念で相手を攻撃するのはよくないですが、忠告をする
事は、別の観点から大いに賞賛されるべきだと思います。

4344a hope:2014/09/19(金) 10:22:53 ID:cEpBaIdo

>>4343トキさま

気の毒なラーメン屋さんと雅宣先生がダブりますね。

人間の魂の救済をするのが宗教なのだとわたしは思うのです。
地球環境を守って、現象人間の命を守るのが宗教の使命ではないですよね?

「現象は心の影」なのですから、地球環境だって人間の心が「実相(神)」に目覚めれば必ずよくなると思うのです。

わたしには、雅宣先生や本部は、その本来の「生長の家の教え」をないがしろにして、
本末転倒の運動をされているように見えてしまいます。

でも、わたしにそう見えてしまうのは、わたし自身に実相をみる力が足りないからなのです。

ますます、三正行に励まなくてはいけませんね!

4345トキ:2014/09/19(金) 19:56:30 ID:NerXWxVU
 生命の実相第14巻に「悪をなす自由」という章があります。

 「人間が悪をも犯しうる自由をなぜ神が与えたのだろうか、という疑問は
読者からたびたび提出される疑問である」

 教団であれ、私達であれ、なぜ間違うか、「悪」をおかすのか。宿題ですね。

(つづく)

4346トキ:2014/09/19(金) 20:04:13 ID:NerXWxVU
 谷口雅春先生は、こう書かれていますね。

 「善とは何であるか。それはまっすぐというだけではない、
善とは人格(すなわち自由の主体)が、その自由なる生命の
発露として正しい道に乗ったことを善という。強制されて正
しい道にのったのは善ではない。」

 と説かれ、

 「本当の善というものは、そして本当の生活というものは、
彫刻においえてノミの運びが横にも縦にもそれる自由がありな
がら、なおかつノミが正しい輪郭を穿ってゆくところに美が
あるように、生活において不正にそれる自由がありながら、な
おかつ正しい生き方をしてゆくところにあるのである。」

とも説かれています。

(生命の実相第14巻 20pと21p)

 間違いをしない人間はいませんが、間違ったとわかったら、
正しい方向へと方針を変える自由も人間は神様から与えられて
います。ただ、それに気がついていない人に、実際の周囲の評価
を教えてあげる事は、決して間違いではない、と信じています。

4347トキ:2014/09/19(金) 20:18:19 ID:NerXWxVU
>>4344

a hope様

 そうですね。新人が誘えないのは、この環境の話があるからです。
新人さんが話を聞きに来る動機は、信仰の話を聞きたいのです。それが、
実際には、どこかの雑誌に出ていたような、環境保護の話では、聞きに
来た人には時間の無駄なんです。

 別に環境保護が間違い、という訳ではないです。が、優先順位はあき
らかに間違っています。本部の職員は高い給料をもらっているので、し
たがうのは当然ですが、私のような末端のヒラ会員は、自分の魂の向上
という本来の目的に向かいたいです。

4348不生の仏心:2014/09/20(土) 13:16:02 ID:zTvAOV2w
>>自分の魂の向上という本来の目的に向かいたいです。

自分の魂の向上、なんというふざけた目的、自然と共に生きることは自分なんてものを抱えていてはできませんよ。

自分もなく他もないところ自他一体ではないですか。

自分の事なんて忘れたときにこそ命は輝くのでは。個の救いなんて言う人は欲かきさんじゃないの。

自分の魂の向上が本来の目的ですか、笑っちゃいます。

4349トキ:2014/09/20(土) 13:31:44 ID:Mecku48I
>>4348

 そうですね。では、大笑いして下さい。
私は、無視して続きを書きます。(笑)

4350不生の仏心:2014/09/20(土) 15:06:49 ID:zTvAOV2w
>>本部の職員は高い給料をもらっているので、したがうのは当然ですが

高い給料もらう本部職員であればトキさんは、信仰に関係なく言うことを聞くとな、 ホントあきれる日和見さんだね

4351トキ:2014/09/20(土) 19:55:44 ID:Mecku48I
「悔い改めとは自卑にあらず」とう御文章が生命の実相第14巻にあります。

 すこし書いてみますね。

 ”それから、「悔い改め」ということは、「自分は悪い」と感ずることではないのであります。”

と谷口雅春先生が書かれていますね。ちょっと、考えてみましょう。

(つづく)

4352トキ:2014/09/20(土) 20:05:30 ID:Mecku48I
 続けて、”「悪い自分」が無くなるということであります”と書かれているのですね。

つまり、11pには、”「自分は悪い」と思うだけでは悔い改めの動機に来ているだけで、
本当の悔い改めにはなっていないのであります。しかしわれわれは別に「自分は悪い」
と思わなくとも、「天地を貫く生命が自分に宿って自分を生かしているのである、そ
の天地を貫く生命こそ本当の自分である」と解って「われの置き換え」が完全にでき
ましたならば、釈迦のように始めから「天上天下唯我独尊」と悟っても、もはやその
人は悔い改めができているのであります。”

と書かれています。そして、13pでは、

 ”後悔と悔い改めとは文字がよく似ていますから混同しますが、悔い改めは、「悪いわ
れ」を置き換えて捨ててしまって更正してしまうのでありますが、後悔というのは、
「悪いわれ」をいつまでも持ち越して、それに引っかかってクヨクヨ思うことであり
ます。”

とも書かれています。

”よく似ていますが、根本的に相違しているのであります”

と書かれているのであります。

4353不生の仏心:2014/09/20(土) 20:10:42 ID:Y5abQZiU
>>「自分は悪い」と感ずることではないのであります。

「自分は良い」と感ずることでもないのであります。

4354a hope:2014/09/21(日) 09:55:45 ID:cEpBaIdo

>>4348 仏心さま

<<自分もなく他もないところ自他一体ではないですか。
自分の事なんて忘れたときにこそ命は輝くのでは。個の救いなんて言う人は欲かきさんじゃないの。>>

↑はトキさまへのメッセージかも知れませんが、横レス失礼します。
仏性さま、「生長の家の教え」では、そういう考え方はしないと思います。

 丁度、今月のテキスト第14巻、第三章にそのことに関連した文章がありますので、
謹写させていただきますね!

4355a hope:2014/09/21(日) 09:57:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 第三章 自他一体と個性生命 
「芸術における個性と普遍」 p34 〜

自と他は一体である。
神とわれは一体である――この事実を認めることが倫理の根本であり、あらゆる善徳はここから流れ出るのであります。
それならば普遍的な大我のみあって、個性生命というものはないのでしょうか。
個性生命とは、無いものを有るかのごとく観ずる迷いでありましょうか。
「自分は阿弥陀仏と一体である」「全体の生命と一体である」ということは、個性生命は本来無い物であって、
個性を没して全体の中に埋没することでありましょうか。
そういうふうに説く思想家もありますけれども、「生長の家」では、そうは説かないのであります。
個性を発揮すればするほど、全体の生命の中に溶け込むことになると説くのであります。・・・(以下略)

4356a hope:2014/09/21(日) 10:01:17 ID:cEpBaIdo

(a hope所感と、仏心さまへの反論)

ですから、個人がその人の個性を発揮して、その人なりの方法で魂を向上させれば、
自他一体の真理が働いて同時に他の人も救われることになるのではないかと思います。

特に、相手の辛い心情に同悲の心を起こすことにより、魂を共振させ、
その上で自分が実相一元の心情になれば、相手も同時に魂を向上させるのではないでしょうか?

この一連の行為が、以前紹介させていただいた「祈り合いの神想観」なのだと思います。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4265

だから、「個人の魂の向上」=「人類全体の魂の向上」であり、それこそ「人類光明化」の基本だとわたしは信じています。

4357不生の仏心:2014/09/21(日) 10:30:19 ID:q9uMnXHU
a hopeさん
引用の文意と私の発言が違うかどうかは知りません。

個性生命は本来無い物であって、個性を没して全体の中に埋没することでありましょうか。
個性を発揮すればするほど、全体の生命の中に溶け込むことになると説くのであります。
_____________________________________________________________________________________
個性を没して全体の中に埋没する、これ言葉のマジックでは、個性を没することができますか?
個性を発揮すればするほど、全体の生命の中に溶け込むことになる、溶け込んだ状態の時の意識なるものはどんなものでしょうか?

『個性』とはどんなものでしょうか?その個性を最大発揮するにはどうすればよいですか?

4358不生の仏心:2014/09/21(日) 10:49:57 ID:q9uMnXHU

特に、相手の辛い心情に同悲の心を起こすことにより、魂を共振させ、
その上で自分が実相一元の心情になれば、相手も同時に魂を向上させるのではないでしょうか?
_____________________________________________________________________________________________
同悲の心だけでなく同喜の心を起こして総裁の魂と共振させて自他の魂を向上させてみてください。
慈悲喜捨と云いますが、捨徳とはどんなものでしょうか?

魂の存在とはどんなものでしょうか?肉体無しで魂有りなんですね生長の家は。

4359a hope:2014/09/21(日) 11:15:24 ID:cEpBaIdo

仏心さま

またまた、たくさんのご公案をいただき心より感謝いたします。 合掌。

わたしは「生命の実相」を悟っていないので、今自分のできる限りの能力で聖典を解釈しての所感をのべているにすぎません。
だから、自分の中では「個の生命(魂)」と「永遠の生命」との関係ははっきりとはわからないのです。

それでも、仏心さまのご公案を神想観をして神様からの知恵をかりながらじっくり考えてみたいのですが、
残念ながら、今日はこれから家族と出かけるので夜遅くにならないと戻りません。

お返事は、今日はできませんのでご了承ください。

それでは、仏心さま みなさま 素敵な休日をお過ごしくださいね!

4360a hope:2014/09/22(月) 12:57:24 ID:cEpBaIdo

(仏心さまからのご質問①)

個性を没して全体の中に埋没する、これ言葉のマジックでは、個性を没することができますか?


(a hopeお答え)

仏心さまのこのご質問の意図するところがよくわからないのですが、
『個性を没して全体の中に埋没する、』とのご指摘の文章は、一部分であって全体をみると、

<<「自分は阿弥陀仏と一体である」「全体の生命と一体である」ということは、個性生命は本来無い物であって、
個性を没して全体の中に埋没することでありましょうか。>>

という、読者に対して語りかけている、もしくは質問して是非を問うような形になっていますよね?

これがどうして言葉のマジックなのでしょうか?


一般的に考えると『個性を没して全体の中に埋没する』とは、頂点に立つ者の専制体制等の社会的状況の中で、
なにかしらの社会的制裁等があるため、個人の「人格の自由」(発想・意志・行動等の自由)が発揮できない状態、
もしくは自分の現状の社会的立場を守るため、自ら「人格の自由」を発揮しない状態みたいなものではないでしょうか?

言い換えると、『個性を没して全体の中に埋没する』とは他から強制的に、もしくは自ら進んで個人の「人格の自由」を抑圧したような状態で、
否応なく全体の流れに身を任せているような状態だと思います。

一方、テキスト中のその後の文章「一個の時計の生命」の例を拝読すると、
「生長の家の教え」では『個性を没して全体の中に埋没する』という状況に陥ることは
「ありえないこと」であるという結論になっています。

そこのところの文章を、続けて謹写させていただきますね。

4361a hope:2014/09/22(月) 13:08:41 ID:cEpBaIdo

>>4355つづき p34 後から3行目〜

これを例にあげて説明するならば、「全体の生命」とは一個の時計の生命と同様な訳であります。

一個の時計の生命は仮に時を精確に計ることにあるとするならば、時計の各個の構成部分が、
この時計全体の生命の中に溶け込むということは、時計の各個の構成部分が(たとえば歯車なら歯車が)
その個性を精確に発揮することであります。

すなわち、一個の歯車は、その歯車としての個性――すなわち、歯の刻み方が正しく、温度によっても直径を増加せず、
精確なる速度で一定の方向へ完全な回転の仕方をするという個性――を完全に発揮することが、
時計の生命の中に歯車の個性を溶かし込むということになるのであります。

歯車の個性が発揮されればされるほど、時計の全体としての生命はいっそう完全に発揮されます。
だから、この場合は、歯車の個性を全体の生命の中に没し去るという語は当てはまらないのであります。
個性を没し去るのではなく、個性を生かせば生かすほど全体の生命に貢献することになるのであります。

右廻りの歯車はできるだけ完全に右廻りに廻転するのがよく、
左廻りの歯車はできるだけ完全に左廻りするのがよいのであります。
右廻りの歯車がその個性を没して、停(とま)ってみたり、左廻りになってみたりするのは、
全体の生命を生かすことにはならないのです。

このことがわかるならば、芸術においても、個性を生かした作品ほど、
その作品に全体の生命(普遍的生命)というものが生きているということになることがおわかりになるでありましょう。

4362a hope:2014/09/22(月) 13:16:05 ID:cEpBaIdo

(仏心さま 質問②)

個性を発揮すればするほど、全体の生命の中に溶け込むことになる、溶け込んだ状態の時の意識なるものはどんなものでしょうか?


(a hopeのお答え)

神との一体感を感じながらの個人の使命達成ですから、
素晴らしい「生き甲斐」を感じることができるのではないでしょうか?

4363a hope:2014/09/22(月) 14:48:43 ID:cEpBaIdo

(仏心さま 質問③ ④)

『個性』とはどんなものでしょうか?
その個性を最大発揮するにはどうすればよいですか?

(a hopeのお答え)

仏心さまのこの二つの質問のお答えには、聖典の内容を拝読していただくのが一番だと思われますので、
以下にテキストの文章を謹写し、その文中からお答えになる部分抜粋し(a hopeのお答え)に換えさせていただきます。

4364a hope:2014/09/22(月) 14:49:45 ID:cEpBaIdo

「行為における個性と普遍」p35 

行為における個性と普遍は、時計において、歯車の行為が個性を完全に発揮するほど、全体の時計の生命を完全に生かすという実例で明らかになったであろうように、
個性もわざと発揮してやろうと思って突飛な行動をとったり、わざと奇矯な行いをしてみたりすることが個性を発揮することでもないことは明らかであります。

個性とはその位置におかれたる小生命(大生命に対する)が与えられたる使命であり役割です。
歯車の歯の間隔(ピッチ)の精確さや、その一定の廻転比率や、回転速度などは、
これを時計全体の生命の遂行の上に歯車が与えられたる使命であり役割であるがゆえに、それは個性として尊ばれるのです。
だから個性を発揮するということは、その一個の歯車が本来設計されている使命のとおりに完全に生きるということであります。

設計されたる使命以外にのさばり出る「我儘勝手」ということは、この歯車の譬えをもっていえば、
わざと正円にならずに歪(いびつ)になってみることや不整な一方に片寄った長短ある歯車となってみることであって個性を発揮することにはならないのです。
そんな不整なでたらめになってみることは、誰でもルーズになりさえすれば、なれることであるから、個性を発揮したとはいえないのであります。

個性とはその人(または物)でなければ、他のものにはできないところの特色でなければならないのです。
すなわちその人(または物)が、大生命から設計されたとおりの特色(使命)を発揮するのが個性を発揮するということなのであります。

4365a hope:2014/09/22(月) 14:51:32 ID:cEpBaIdo

(仏心さまの質問③)

『個性』とはどんなものでしょうか

(聖典のお答え)

個性とはその位置におかれたる小生命(大生命に対する)が与えられたる使命であり役割です。


(仏心さまの質問④)

その個性を最大発揮するにはどうすればよいですか?

(聖典のお答え)

個性とはその人(または物)でなければ、他のものにはできないところの特色でなければならないのです。
すなわちその人(または物)が、大生命から設計されたとおりの特色(使命)を発揮するのが個性を発揮するということなのであります。

4366不生の仏心:2014/09/22(月) 21:22:44 ID:zTvAOV2w
a hopeさん
いろいろ書いて下さりありがとう
後ほど整理して返事しますね。

4367a hope:2014/09/22(月) 22:07:48 ID:cEpBaIdo

>>4358 仏心さま

<<同悲の心だけでなく同喜の心を起こして総裁の魂と共振させて自他の魂を向上させてみてください。>>


(a hopeのお返事)

仏心さまのおっしゃっている意味がよくわからないのですが、「同喜の心」というのは、相手の「喜び」に共感する心という意味でしょうか?

もしかして、雅宣先生や純子先生が八ヶ岳の森のオフィス周辺で毎日キノコ狩りをしたり、
マウンテンバイクに乗ったり、ハーブを栽培したりして優雅に自然と共に生活を送っているその喜びに魂を共振させて、
お二人のように魂を向上させなさいという意味でしょうか?

だとしたら、実相を見る力不足のわたしにはそれはとても無理です。

現在の日本には、人生に悩み苦しみ今日を生きて行くのだけでも精一杯の人たちが沢山いるのに、
わたしには、雅宣先生や純子先生はそんな人たちの悩みや苦しむ魂にはまったく無関心のように見えてしまうのです。
わたしには、お二人は自然と共に生きて行くことを喜んでいらっしゃるだけで、
「生長の家」出現の精神である人類の魂の救済に関しては全く無関心のように見えてしまうのです。
ですから今のわたしには、そのように見えてしまうお二人の「喜び」に自分の魂を共振させるなどということは、申し訳ありませんがとてもできません。

これはわたしの正直な気持ちですが、その他にもたくさんの「生長の家」の信徒の方が同じように感じていらっしゃるのではないかと思います。

4368a hope:2014/09/22(月) 22:10:04 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑤)

<<慈悲喜捨と云いますが、捨徳とはどんなものでしょうか?>>


(a hopeのお答えというか、ウィキペディアによるお答え)

仏教の「慈悲喜捨」について、少しwebで調べてみました。
これは別名「四無量心」のことですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%BF%83

そして、「捨徳」とは、この説明の中の「捨無量心」にあたるものだと思います。

捨無量心――相手に対する平静で落ち着いた心。動揺しない落ち着いた心を指す。
単なる無関心を「無智捨」と呼び、捨無量心とは似て非なるものとして、修行者に注意を促している。 (a hopeがウィキペディアの文章より抜粋し、まとめた文章です)

4369a hope:2014/09/22(月) 22:11:58 ID:cEpBaIdo

>>4366 仏心さま

ことらこそ、読んでくださってありがとうございます。 合掌。
お返事楽しみにしています!!

4370a hope:2014/09/23(火) 19:54:23 ID:brQxC10.

>>4358
( 仏心さま ご質問⑥)

魂の存在とはどんなものでしょうか?肉体無しで魂有りなんですね生長の家は。

(a hope お答え)

今はちょうどお彼岸なので「霊魂」についてお勉強すると、ちょうどいい霊供養になるのかもしれません。
以前、肉体が亡くなっても存在し続ける個人の霊魂に関しては、以前このweb誌友会でもかなり詳しくお勉強しました。
(テキストは「生命の實相」第9・10巻 霊界篇>>3626 から>>3750まで)

先ほどさっと読み返してみましたが、志恩さまやトキさまレンゲソウさま、神の子さんなどが、
小林春恵先生のご著書を紹介してくださっていたりして、
とても和やかな雰囲気の中でお勉強が進んでいた様子が伝わってきました。

このようなweb上でのお勉強会であっても、「生長の家の教え」や「生命の實相」をまじめにお勉強していると、
今は現象世界を去られた「生長の家」の大先輩方の御霊が、霊界からお導きくださったり、
ご加護してくださっているような気がします。
本当にありがたいです。合掌。

仏心さまも「魂の存在」について本当のことが知りたいのであれば、聖典を拝読されるのが一番確かだと思います。

これもとても不思議な現象ですが、今回の仏心さまのわたしへの質問への「お答え」になる文章が、
今ちょうど勉強しているテキストの箇所にページをおって順番に現れてくるのです。
やはり、わたしには、何かのお導きがあるような気がしてなりません。
(今回の質問のお答えは、14巻p37から説明されています。)

そこにも、霊魂が死後も存在するということを証明する事例がいくつか紹介されていますが、
前述した霊界篇にはさらにたくさんの事例が紹介され、解説も詳しくされています。
熟読されれば、「生長の家」が死後の霊魂の存在をどのようにとらえているかがわかると思います。

以上で、仏心さまからのご質問にはすべてお答えしました。
それでは、仏心さま、お返事をどうぞよろしくお願いいたします。

4371不生の仏心:2014/09/23(火) 20:18:05 ID:zTvAOV2w
『個性』と『個性生命』と同義語として引用で使われているようなので、先に『個性』を取り上げます。

◎『個性』とはどんなものでしょうか、に対し

●個性とはその位置におかれたる小生命(大生命に対する)が与えられたる使命であり役割です。

○「その位置に置かれた小生命」とは現象に顕現したものを指しているのでしょうか?
「与えられたる使命であり役割です。」誰が与えたのでしょうか。あなたはご自分の使命がはっきりわかりますか?すべての人それぞれが自分の使命をどうしたら知ることができるのですか?
生まれながらに中共の人の使命とは中国に尽くすことになりませんか?
創価学会二世にして学会の教義を信じている人の使命とは学会に尽くすことになりませんか?縁があればこそその位置に置かれたのですからね。

◎その個性を最大発揮するにはどうすればよいですか?に対し

●個性とはその人(または物)でなければ、他のものにはできないところの特色でなければならないのです。すなわちその人(または物)が、大生命から設計されたとおりの特色(使命)を発揮するのが個性を発揮するということなのであります。

○上の個性と同じで『個性』をはっきり知ることか出来なければ、発揮することができないように聞こえます。『個性の説明』であって、個性の自覚に至る説明にはなっていないと思いますが。「大生命から設計されたとおりの特色(使命)」とはどの人間に与えられたのでしょうか?「その位置に置かれた小生命」とはどの人間を指しているのでしょうか?
ちなみにあなたの他人ではできない特色は何ですか?
日曜に教区の錬成があり、最終日の会議の後で久し振りに講師会長と話をしました。理誌100萬運動時の青年会執行委員会の副執行委員長の一人です。本流が何とかという人たちと同時代に活動した人です。彼はその時「使命」を感得して生きていたのでしょうか?そして時代が下り今講師会長として教区の練成会の指導をしている、今の彼は使命を感得していないのでありますか?以前の強化部長、本流を形成する御仁の○○氏から誘いを受けたけれど行かなかったと話していました。彼に大生命が付与した使命とは何でしょうか?彼は時代時代生長の家とともに組織の役を受け生きてきました。「使命」を自覚できていない時に当たり、どのように生きていけば使命を感得できるのでしょうか?その答えは引用の範囲には書かれていないように思います。

4372不生の仏心:2014/09/23(火) 20:51:19 ID:iJ7jcr4U

●「自分は阿弥陀仏と一体である」「全体の生命と一体である」ということは、個性生命は本来無い物であって、個性を没して全体の中に埋没することでありましょうか。

○智慧の言葉にある『宇宙には唯一つの實在がある。それは「永遠の我」という実在である。』と云う時、「自分は阿弥陀仏と一体である」「全体の生命と一体である」と云うように「自分」と「阿弥陀仏」とか「全体の生命」と「一体」とかいうような、「自分」とか「一体」とかの感覚が存在しますか?私は「「無我」「無心」でいるときには「自分」「一体」とかの分離感はありません。「個性」をどういう意味で使っているかが問題でしょう。
「個性」を「個性生命」と同義語として同一文で使うことがマジックに感じるのです。

●一般的に考えると『個性を没して全体の中に埋没する』とは、頂点に立つ者の専制体制等の社会的状況の中で、なにかしらの社会的制裁等があるため、個人の「人格の自由」(発想・意志・行動等の自由)が発揮できない状態、もしくは自分の現状の社会的立場を守るため、自ら「人格の自由」を発揮しない状態みたいなものではないでしょうか?
言い換えると、『個性を没して全体の中に埋没する』とは他から強制的に、もしくは自ら進んで個人の「人格の自由」を抑圧したような状態で、否応なく全体の流れに身を任せているような状態だと思います。

○これは現象界での「行動」についての事であり、生命に「永遠の我」「全体の生命」と名付けるものと「個性生命」と名付けるものとが存在するかと云うテーゼの説明になっていますか?「個性生命」と云うものが永遠の存在であるか、肉体同様の仮存在なのかの説明にはなっていないのではありませんか?『個性』が巷で言う肉体あるが故の後天的に獲得した性格を指すのでなく、実相の世界と云われる永遠性のある世界に於いて個別の永遠性のあるものとして人間が存在するのか、そしてその実在人間に『個性』が存在するのか、それらがはっきりした上でなくては、話が進まないと考えます。

智慧の言葉にある『宇宙には唯一つの實在がある。それは「永遠の我」という実在である。』

この意味をお分かりですか?どのように受け取られていますか?

4373不生の仏心:2014/09/23(火) 21:57:02 ID:zTvAOV2w
●仏心さまのおっしゃっている意味がよくわからないのですが、「同喜の心」というのは、相手の「喜び」に共感する心という意味でしょうか?
もしかして、雅宣先生や純子先生が八ヶ岳の森のオフィス周辺で毎日キノコ狩りをしたり、
マウンテンバイクに乗ったり、ハーブを栽培したりして優雅に自然と共に生活を送っているその喜びに魂を共振させて、
お二人のように魂を向上させなさいという意味でしょうか?

だとしたら、実相を見る力不足のわたしにはそれはとても無理です。

○これは異な事を云われる。よく言われるように、『同悲の心』を起こし相手の悲しみを取り込んだうえで実相を観ることにより、相手の悲しみは無の本性を現して消える、それによって実相を観る力も付き、悲しみに泣きくれる人も共に救われる、相共に救われるとあなたが言ったのです。泣きくれることが錯覚より来るのと同じで、雅宣総裁が誤れる「喜び」に浸っているというのであれば、『同悲』と同じで先ず「喜びを同じく」した上で彼の実相を観るということを何故しないのでしょうか?悲しみには共感するけれど喜びには共感しないというのですか?

●霊魂が死後も存在するということを証明する事例がいくつか紹介されています

○之については以前書きましたが、『魂の向上』を果たし地上を卒業し高級霊界?にいずれ移行するということでありますと、訓練して魂の向上をしなくてはならない『魂』は何時存在に入ったのでしょうか?神の構図として天皇中心の地上世界が存在すると云いながら、地上を卒業した高級霊が存在するとするのなら、霊界にも天皇は存在し、地上を去った天皇(天皇の魂)は地上では最高権威者であったわけですが霊界ではどのようなことをされているのですか?
個別霊が永遠であるとすれば、霊界を含む一切の 人間の数は決まっているということになります。地上にはいつまで人間は誕生するのでしょうか?低級霊の住む天体から生まれ変わって来るというような事を云われていますが。神の子がなぜ低級霊と呼ばれるような魂に何時成ったのでしょうか?

4375a hope:2014/09/24(水) 09:46:15 ID:cEpBaIdo

仏心さま 

お返事をたくさんありがとうございます。
そしてまたまた、a hopeへのたくさんのご公案があって本当にうれしいです。合掌。

わたしは聖典を拝読していてその内容に感動はしますが、その内容について「考える」ということはまったくしません。

ですが、、仏心さまからご公案をいただくとそのことに関して自分の力で考えなくてはいけなくなるのです。

それが、とても自分自身のお勉強になっているような気がします。

ひとつひとつ、ゆっくりお返事させていただきますね!

4376a hope:2014/09/24(水) 10:04:16 ID:cEpBaIdo
>>4375補足

わたしは聖典を拝読していてその内容に感動はしますが、その内容について「考える」ということはまったくしません。

わたしは聖典を拝読していてその内容に感動はしますが、その内容【の真偽】について「考える」ということはまったくしません。

4377a hope:2014/09/24(水) 19:32:15 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑦)

「その位置に置かれた小生命」とは現象に顕現したものを指しているのでしょうか?


(a hopeのお答え)

「甘露の法雨」の『人間』の項目に

・・・神は人間の光源にして
人間は神より出でたる光なり。
光の無き光源はなく、
光源の無き光はなし。
光と光源とは一体なるが如く
人間と神とは一体なり。・・・

というくだりがありますが、仏心さまご質問の「小生命」(大生命に対する)は、
わたしには、この「甘露の法雨」の『人間は神より出でたる光なり』というイメージがとてもぴったりときます。

実相一元・善一元の絶対的世界におられる神さまが、光だけの世界では闇の暗さがわからないからと、
自分の分身である小生命(神の子)を相対的世界である現象世界(暗の世界)に放射されました。

小生命は本来「光そのもの」ですから、そのままの姿であれば、暗の世界を明るく照らすだけで、
やることなすことすべてが「善行」となってしまいます。

でも、すべての小生命が「光そのもの」の姿であったら、現象に「暗」はなくなりってしまい、
それでは誰も「光」(善)とは何かがわかりません。

そこで、神さまは、わたしたち現象人間に「人格の自由」をお与えくださり、
悪をも、罪をも犯す自由をお与えくださったのではないかと思います。

ですが実際には、現象世界のすべての出来事はスクリーンに映った仮相であって、
小生命そのものは本来「光そのもの」ですから、現象世界で人間が悪や罪を犯しているように見えているのは、
スクリーン上で映画俳優たちが上手に悪役を演じているようなものであって実在ではなく、
わたしたちに映像で「悪」や「罪」を見せてくれることで、「善」とはなにかを教えてくださっているのだと思います。


前置きの説明が長くなってしまいましたが、ですから、「その位置に置かれた小生命」というのは、
神さまから現象世界に放射された位置(現象世界に映されているその立場)ということになるのではないでしょうか?

4378a hope:2014/09/24(水) 19:34:48 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑧)

「与えられたる使命であり役割です。」誰が与えたのでしょうか。

(a hopeのお答え)

大生命(神さま)です。

4379a hope:2014/09/24(水) 19:36:11 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑨)

あなたはご自分の使命がはっきりわかりますか?


(a hopeのお答え)

はい。大きな使命としては人類光明化ですが、小さな使命としては自分自身が実相を悟ることです。

4380a hope:2014/09/24(水) 19:37:40 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑩)

すべての人それぞれが自分の使命をどうしたら知ることができるのですか?


(a hopeのお答え)

三正行に励めばいいと思います。

4381a hope:2014/09/24(水) 19:38:49 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑪⑫)

生まれながらに中共の人の使命とは中国に尽くすことになりませんか?
創価学会二世にして学会の教義を信じている人の使命とは学会に尽くすことになりませんか?


(a hopeのお答え)

人それぞれ置かれた立場がちがいますが、すべての出来事に意味があるとは思います。
それが本当の使命かどうかは、その人が「本当の生き甲斐」を感じるかどうかで判断できるのではないでしょうか?
今のわたしにとっては「生長の家の教え」が「本当の生き甲斐」=「悟り」へ向かう最高の指針となっていますから、
自分のできる方法で「生長の家」に尽し、恩返しをしたいと思っています。

4382a hope:2014/09/24(水) 19:40:42 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑬⑭)

上の個性と同じで『個性』をはっきり知ることか出来なければ、発揮することができないように聞こえます。
『個性の説明』であって、個性の自覚に至る説明にはなっていないと思いますが。
「大生命から設計されたとおりの特色(使命)」とはどの人間に与えられたのでしょうか?
「その位置に置かれた小生命」とはどの人間を指しているのでしょうか?


(a hopeのお答え)

上でもお答えしましたが、『個性』=『使命』をはっきり知るためには、三正行が大切だと思います。
すべての人間が神から放射された光であり「神の子」なのですから、すべての人間に使命は与えられているはずです。

だから、「その位置に置かれた小生命」とは、すべての人間を指していると思います。

4383a hope:2014/09/24(水) 19:41:44 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑮)

ちなみにあなたの他人ではできない特色は何ですか?


(a hopeのお答え)

ここにきて、急に、就職試験の面接を受けているような気分になりました(笑)。
真面目にお答えしますね。

「あきらめないことです。」

4384a hope:2014/09/24(水) 19:44:31 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑯⑰⑱)

日曜に教区の錬成があり、最終日の会議の後で久し振りに講師会長と話をしました。
理誌100萬運動時の青年会執行委員会の副執行委員長の一人です。本流が何とかという人たちと同時代に活動した人です。
彼はその時「使命」を感得して生きていたのでしょうか?
そして時代が下り今講師会長として教区の練成会の指導をしている、今の彼は使命を感得していないのでありますか?
以前の強化部長、本流を形成する御仁の○○氏から誘いを受けたけれど行かなかったと話していました。
彼に大生命が付与した使命とは何でしょうか?
彼は時代時代生長の家とともに組織の役を受け生きてきました。
「使命」を自覚できていない時に当たり、どのように生きていけば使命を感得できるのでしょうか?


(a hopeのお答え)

「生長の家」の講師会長として教区の練成会の指導もされている方でしたら、
わたしになど相談しなくても十分ご自分でお答えがわかっていらっしゃるのではないでしょうか?


<<彼はその時「使命」を感得して生きていたのでしょうか?>>

本当の生き甲斐・喜びを感じていらしたなら、そうだったのではないでしょうか?


<<彼に大生命が付与した使命とは何でしょうか?>>

「生長の家」にご縁があった方だったらすべての方が、人類光明化という使命を神さまから与えられているのだと思います。


<<「使命」を自覚できていない時に当たり、どのように生きていけば使命を感得できるのでしょうか?>>

何度もいいますが、三正行だと思います。
生長の家の信仰の基本に戻ることだと思います。


今日のお返事は、ここまでにさせていただきます。 感謝 合掌。

4385a hope:2014/09/24(水) 19:51:49 ID:cEpBaIdo

(補足)

わたしの言う「三正行」とは、

聖典・聖経の拝読
神想観
愛行

の三つですが、雅宣先生の祈りの言葉、神想観、讃歌、ご著書等は含んでいません。

4386a hope:2014/09/25(木) 09:48:11 ID:cEpBaIdo

みなさま、おはようございます。

仏心さまのご公案に答えてばかりですと、テキストの内容が進まないのでテキストの方も少しずつお勉強していきますね。


「虚説に和解してはならぬ」p60

虚説の中でも、最大の虚説は「物質はある」という見解であります。
『生長の家』誌友の中で近ごろ脱線し「物質もある、心もある」という二元論に誘惑されたり、
「現象も真我のあらわれである」という説に惑わされたりした人がありました。
その理由は、われわれは天地一切のものと和解しなければならないから、「物質はある」という説と和解したとき、
本当の真理がかえってわかるのだという理論から、虚説に対しても一応は耳を傾けなければならないというわけだったのであります。

われわれは天地一切の実在(もの)と和解しなければなりませんけれども、虚説に対して和解してはならないのであります。
「人は二人の主に使えることはできない」という諺があります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
実相をくらませばみずから迷うことになるのであります。
迷えば迷いの影を現象界にうつして、現象界がままならぬ相(すがた)にあらわれてくるのであります。

・・・ (略)・・・

「なんじの敵を愛せよ」といったイエス・キリストでさえも、「サタン」に対しては和解していないのであります。
イエスが四十日四十夜、精神統一の修行をしている時、そこに幻のように現れたサタンに対しては、イエスはそのサタンの邪説に耳を傾けようとしないで、
「神を試むべからず、サタンよ退け、主なるなんじの神を拝し、ただそれのみの事(つか)うべし」と、一喝しているのであります。

この場合、サタンとは異端、邪説、妄説、妄想、雑念のことであります。

「ただ神のみ――ただ実相のみを観よ」ということが、「主なる汝の神を拝し、ただこれのみに事(つか)うべし」ということです。

そのほかの妄説妄想には決して、耳を傾けてはいけない。

ただ「サタンよ、去れ」と一喝しているところに、イエスの示されたる「サタンに和解するな」との範例をわれわれはみなければならないのであります。

4387a hope:2014/09/25(木) 09:50:05 ID:cEpBaIdo

>>4386 a hope 所感)

ユタカさまが >>4309で雅宣先生の「生長の家ってどんな教え?」中のご指導内容をご紹介くださり、
わたしが>>4340でそれは二元論で虚説になってしまうのではないか?
と意見させていただいた根拠となる文章が上に謹写させていただいた「虚説に和解してはならぬ」です。


<<「ただ神のみ――ただ実相のみを観よ」ということが、「主なる汝の神を拝し、ただこれのみに事(つか)うべし」ということです。>>

とここには、はっきり、「ただ神のみ――ただ実相のみを観よ」と書かれていますよね。

4388a hope:2014/09/25(木) 19:27:37 ID:cEpBaIdo

>>1195の訊け管理人さまのご投稿に榎本恵吾先生の『試論・波状光明化への道』の御文章が紹介されています。

これは、わたしが「大和精神」と「生長の家の愛国運動」の関係について考えているときに訊け管理人さまがご紹介してくださったものです。

実相独在を貫かれた榎本恵吾先生のご意見は、わたしには素晴らし正論であると感じます。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

『試論・波状光明化への道』342頁より謹写――

概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。

(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。

吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。
(つづき全文:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65587714.html

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残念ながら、現在は、「訊けブログで」は、つづきの全文を拝見できないようですが・・・

わたしは、今、生長の家の運動は、正に(一)の「實相現象の二元論」に進んでしまっているように感じています。

榎本恵吾先生は

<<吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。>>

と言い切っていらっしゃいます。

トキさま、訊けさま、ユタカさま、仏心さま、閲覧者のみなさまはどう思われますか?
是非、ご意見をうかがいたいです。

4389トキ:2014/09/25(木) 22:14:34 ID:2zHeYgV6
>>4388

 時間がないので、簡単になりますが、御許し下さい。

『試論・波状光明化への道』は私は詳細に拝見した事はないのですが、
運動に関する限り、問題はあったという印象はあります。少し前にこ
の掲示板の「生長の家政治連合」の最初のほうに書きましたが、組織
が拡大するに従い、信仰は信仰、運動は運動と別に考えるような傾向
はなきにしもあらず、という感想はありました。戦前や戦後の時期に
谷口雅春先生から直接教えを受けた信徒さんの中には、それを嘆く人
は確かにおられました。

 榎本恵吾先生はご自分の事はあまり言われる人ではなかったので、
そういうご文章を書かれていたのは知らなかったのですが、先生ご
自身も青年会をされていて、いろいろと悩まれたと書かれています。

 先生は特に偉大な先達から教えを受けておられたので、より明確に
問題点を指摘されたのではないか、と思います。

 とりとめもない文章になり、すみませんでした。

4390神の子さん:2014/09/27(土) 01:59:05 ID:pBuxGS.6
>>a hopeさん

>>(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。



この文章、間違いでは? 『唯神実相論 』なら 一元論で良いでしょう?
「唯心論」の間違い。とか・・・?

4391a hope:2014/09/27(土) 18:51:14 ID:cEpBaIdo

>>4389 トキさま

お返事ありがとうございます。
そういえば、信仰と運動に関しては、以前もよく話し合われた話題でしたね。

人々は魂の救いを求めて宗教に興味を持つわけですから、
その宗教団体に確実に魂を救えるような教義や体制がないのに、
現象の運動ばかりしていては、人々は違う宗教団体に流れていってしまうでしょうね。

もし、現生長の家教団の運動がうまくいっていないのであれば、
それは宗教としての教義に魅力がなく、迷える人を救える体制がないからなんでしょうね。

4392a hope:2014/09/27(土) 18:54:21 ID:cEpBaIdo

>>43890 神の子さん

ご参加ありがとうございます。合掌。

ご指摘の恵吾先生のご文章ですが、確かにちょっとコトバ足らずのような気もしますね。

わたしは、恵吾先生の(一)の文章を、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎ【現象処理をおろそかにした】為である。
「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。
(【 】内はa hopeが付け足しました。)

と、このように解釈しています。

「生長の家」の教義の基本は「唯心論」ではなく「唯神実相論」ですから、
その場所に「唯心論」が入るのはおかしいと思います。

わたしは、このように解釈しましたがいかがでしょうか?

4393トキ:2014/09/27(土) 21:32:20 ID:2bj1uyXc
 榎本先生の言われる事と意味が同じか、どうかはわかりませんが、
”個人指導”を真面目にすると、運動や活動の本当の意味がわかります。

 生長の家に駆け込んで来る人というのは、多くの場合、深刻な問題を
かかえて、どこにも相談に行けない、相談しても解決しない、という
状態なのです。そういう人に対して、真理を御伝えするというのは、
これは、本も読み、行も真面目にし、真剣な態度が必要になります。

 こうゆう地道な事をしていて、救われた、という人が出ると、相手
も本当に喜ぶし、自分も嬉しいし、そこに本当の信仰が見えると思い
ます。

 例えば、講習会で、弁当券と受講券を配って「顔だけ出してくれ」
と頼むのと、外見は似ていても、実際には天と地の差がある訳です。

 この点、「現象は現象として認める」と割り切ると、講習会で数字
をごまかすような話になってしまいます。

 ですから、現場の活動者は、よくよく気をつける必要があると思い
ます。

4394a hope:2014/09/29(月) 10:58:24 ID:cEpBaIdo

「光は暗(やみ)と和解せず」p63

「敵を愛せよ」と仰せられたイエスが、なぜ「サタンよ、退け」といわれて、「サタンを愛せよ」といわなかったのでしょうか。
「敵」というものも、その実相は完全な人間でありますから、「敵を愛せよ」とは、その実相なる完全な人間を見て愛せよという意味において、正しい真理であります。

しかしサタンというものはどうであろうか。
それは精神統一修行中に現れた妄想が客観化したものであります。
妄想というものは「本来ないもの」をあるかのごとく描いたのが妄想でありますから、その客観化であるサタンというものも、結局は存在するかのごとく見えても本来非実在であります。

それで、敵ならその敵の実相を見れば、敵の内性に神の子なる実相を見て愛することができますけれども、
異端、妄説、妄念、妄想は「本来無い説」――虚説でありますから、その実相を見れば、妄想は「本来無い」ということがわかるだけでありますから、
「本来無いもの」(虚説)に和解することは絶対にできないのであります。

光と暗は和解することができない。
光が近づけば暗は消えるほかはない。
それと同じく真説は虚説に近づけば虚説を消す働きになる。
真理が妄想の客観化なるサタンに和解せんとして近づけば、かえってサタンを消す働きにならざるをえない、
すなわち言葉でこれをいえば「サタンよ、去れ」の一喝とならざるをえないのであります。


虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳がないように思うのはまちがいであります。
また虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのもまちがいであります。
虚説を排撃することいよいよ明瞭であればあるほど、真理が明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

(つづく)

4395a hope:2014/09/29(月) 11:00:17 ID:cEpBaIdo

>>4394 a hope所感)

「虚説」とは現象に現れて見える「悪」や「罪」(もしくは敵)のことではない。
誤った見解、思想、つまり妄想、のことである。

「悪」や「罪」と見える現象の出来事はすべてがわたしたちにとって学びであり、見方を変えればすべて「善」ともなるのだと思います。

ですが、「虚説」は、「ありえない説」「ウソ」なのですから、どんなに見方を変えても、それは「真説」にはならないわけですから、
「虚説」に対しては、わたしたちは毅然と拒絶した態度をとり続けないと、いつの間にか自分自身も「虚説」に惑わされることになり、
迷いに落ち、人生が狂いだすのだと思います。

<<光と暗は和解することができない。
光が近づけば暗は消えるほかはない。
それと同じく真説は虚説に近づけば虚説を消す働きになる。
真理が妄想の客観化なるサタンに和解せんとして近づけば、かえってサタンを消す働きにならざるをえない、
すなわち言葉でこれをいえば「サタンよ、去れ」の一喝とならざるをえないのであります。

虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳がないように思うのはまちがいであります。
また虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのもまちがいであります。
虚説を排撃することいよいよ明瞭であればあるほど、真理が明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。>>

そして、そういう態度をとることは、決して真理から外れたことではなく、むしろ「救われる人間も多い」とあります。

人類光明化運動を正常化するためには、虚説の否定と、真説の肯定が必須条件なのだとわたしは感じています。

4396a hope:2014/09/30(火) 10:59:04 ID:cEpBaIdo

>>4394 つづき)

わたしにも最近その例がありました。
「生長の家」の某支部をみずから造るべく申し出られまして、聖典『生命の實相』を数十部みずから進んで預かって帰られた方がありました。
その某氏は最近、「物質はある」「真我も迷う」の虚説を立てて「生長の家」の真説を迷わす機関誌を発行されたのであります。
それとともに聖典『生命の實相』を誌友その他に売られたまま、その公金を私用に着服費消しておしまいになったのであります。

わたしは「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって文章でその虚説を排撃したのでありますが、
(すなわち虚説に対してはどこまでも排撃したのでありますが)その人が消費された公金に対しては少しも咎めず、
無条件にその金額を進呈して決して請求しませぬという深切な手紙を書いて、
その人の実相――決して公金を費消せぬような完全なその人の実相を見ることにしたのであります。
これがわたしの範例であります。

虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許すことにしたのであります。
どうかみなさんも虚説に対しては和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、
人間に対しては、その実相の包み(罪)を見ないで、その罪なき完全なる実相を見て、その罪を赦す(その罪を本来無いと見て捨てる)ことにしたいのであります。

要は「天地一切のものと和解せよ」との「生長の家」の第一最大の誡命(いましめ)は「天地一切のものの実相と和解せよ」ということであって、
仮相や虚説に対しては「サタンよ去れ」と排撃すべきなのであります。
釈迦もキリストも同じような態度で虚説を駁撃せられたのであります。

4397a hope:2014/09/30(火) 11:00:15 ID:cEpBaIdo

>>4396 a hope所感)

<<虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許すことにしたのであります。
どうかみなさんも虚説に対しては和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、
人間に対しては、その実相の包み(罪)を見ないで、その罪なき完全なる実相を見て、その罪を赦す(その罪を本来無いと見て捨てる)ことにしたいのであります。>>

虚説が現象界に反映されれば仮相(病気・生活苦・人間関係の等の不和等の良からぬ環境)が現れ
真説が現象界に反映されれば実相(健康・順調な生活・良い人間関係等の大調和した環境)が現れるのだと思います。

『本来、信仰とは、信ずれば信ずるほど、心が幸せになり、安心してゆくものですが、
信ずれば信ずるほど、不安になるものを “ 迷信 ” といいます。』

上のお言葉は、光明掲示板で明鏡さまがわたしに教えてくださった真理のお言葉ですが、
その教えが「真説」であるか「虚説」であるかの判断をするのに、この明鏡さまのお言葉ほど的を射ているものはないのではないかと思います。

みなさんは、心が幸せになり、安心できるような「教え」を信仰されていますか?

4398a hope:2014/09/30(火) 11:08:49 ID:cEpBaIdo
>>4397 訂正

人間関係の等の不和等の良からぬ環境→人間関係の不和等の良からぬ環境

4399a hope:2014/09/30(火) 21:54:44 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第28回 web誌友会 予告

期間  10月1日〜10月31日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p80〜p126まで
内容   第六章「恋愛・結婚・夫婦関係の倫理」 
     第七章「家庭の宗教生活化」
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4400a hope:2014/09/30(火) 22:04:55 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは。

早いもので、 今月も今日が最終日となりました。
a hopeは一生懸命勉強しているつもりなのですが、テキストの真理がとても深いので、なかなか先に進めません(;´∀`)。

今朝、やっと第四章の「和解の倫理」をお勉強し終わって、次は第五章「ロダンの鼻かけ像の倫理」に行く予定でしたが、
この章はページ数は少ないのですが、生長の家の教えが万教帰一であること、現象世界や肉体とは何なのか、
そして「唯物論」や「霊魂論」等の「人生観」とはどういうことなのかが凝縮して説明されていてとても内容が濃いです。

第五章もとても重要なところなので、丁寧にお勉強していきたいのですが、
論理的すぎてweb誌友会のテーマには向いていないような気がするので、
第五章のお勉強は「聖典引用板」の方でゆっくり謹写を中心にさせていただきたいと思います。
ですが、もちろん、みなさまにもコメント等でご参加いただけるととてもうれしいです。


そして、こちらのweb誌友会板では次の第六章「恋愛・結婚・夫婦関係の倫理」 第七章「家庭の宗教生活化」の内容を中心にお勉強を進めたいと思っています。
こちらのテーマの方が誰もが興味あるテーマですし実際的でweb誌友会にはふさわしいのではないかと思われるので・・・。


トキさま、みなさま、そして恋愛・結婚・夫婦生活・家庭問題のエキスパートである訊け管理人さまのご参加も熱望いたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

それでは、明日10月1日になりましたら、第28回web誌友会を開会させていただきます。

感謝 合掌。

4401a hope:2014/10/01(水) 09:06:40 ID:cEpBaIdo

10月に入りましたので、第28回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4402トキ:2014/10/01(水) 09:38:00 ID:iCx2Lxm6
 今回もよろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

4403a hope:2014/10/01(水) 09:42:57 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第28回 web誌友会 案内

期間  10月1日〜10月31日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p80〜p126まで
内容   第六章 恋愛・結婚。夫婦生活の倫理
     第七章 家庭の宗教宗教生活化
     第八章 無軌道の倫理
    
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

みなさま おはようございます。
ここのところweb誌友会の内容が「悔い改め」であったり、「和解の倫理」であったりして、
とても大切な真理だと思うのですが、
わたしたちが実際に生活で活かしていくという面からみると、ちょっと難しい内容だったかもしれません。

ですが、今回の内容第六章、第七章、第八章は、真理をどう実生活に生かしていけるかが具体的に書かれているので、とてもわかりやすいです。

第六章のテーマは「恋愛・結婚・夫婦生活の倫理」です。

まずは、「恋愛」です。

<<「生長の家」の倫理学では恋愛は一つの感情の芸術である。>>p80 6行目〜

わたしは、気功をしていた時に、「恋はエネルギー」だと教わり納得しましたが、
なんと、「生長の家」倫理学では、「恋愛は感情芸術」だと言っていますね。

興味津々です・・・(#^^#)

4404トキ:2014/10/01(水) 22:03:35 ID:iCx2Lxm6
 生命の実相第14巻の81pには、永井荷風の事が書かれています。この永井荷風は
フランスから帰国後、いろいろな女性と浮き名を流しました。その中の一人は、陸軍将校
の奥さんで、その陸軍将校は妻の不倫を知り、衝撃のあまり自殺を考えます。が、同僚の
説得で離婚をし、その後、再婚します。

 この陸軍将校は、本間 雅晴。最初の妻は、参謀次長をつとめた田村怡与造中将の娘で
したが、次の奥さんは、冨士子さんです。

 本間は後年、戦争裁判で米国に処刑されますが、証言台に立った冨士子さんは、
以下のような証言をしたのは有名です。

「私は東京からここへ参りました。
私は今も本間雅晴の妻であることを誇りに思っております。
私には娘がひとりおります。
いつの日か、娘が私の夫、本間雅晴のような男性とめぐり会い、
結婚することを、心から願っております。

本間雅晴とはそのような人でございます。」(以下省略)

http://www.tamanegiya.com/honnmafujinn.html

という話を思いだしました。

脱線を御許し下さい。

4405a hope:2014/10/02(木) 00:33:08 ID:cEpBaIdo

>>4404トキさま

永井荷風に関する興味深いお話をお聞かせくださりありがとうございます。

最近はテレビドラマなどで「不倫や離婚の話」などがあたりまえのように放映されています。
そして、新聞の人生相談なんかでも、安易に離婚を勧めてしまうような回答が多いのには驚いています。

だから、わたしの身近な人たちでも平気で不倫をしてしまったり、すぐに離婚してしまったり、
そんなことがあたりまえのようになってしまっているような現実があります。。

こんな世の中になってしまうと、何が道徳的に正しいことなのかもわからなくなってしまいそうです。

そんな中で、富士子さんのように、最後の最後まで夫を尊敬し愛し続けることができるというのは、
現代では奇蹟に近いことなのかもしれませんね。

きっと良人である本間 雅晴も、心からに奥さまである富士子さんを心から愛されていたのでしょうね。

4406a hope:2014/10/02(木) 00:43:04 ID:cEpBaIdo
>>4405 訂正
心からに奥さまである富士子さんを → 奥さまである富士子さんを

4408 不生の仏心:2014/10/02(木) 21:11:58 ID:zTvAOV2w
●ある日至道無難禅師が懇意な商家にいくと、折節その家が大がかりな掃除中で、ちらかしてあり、空いている一間に主人と話していました。
そこに別の商家の使いが来て、紙に包んだ金を渡して帰りました。
長らく話をして、禅師が去った後、主人は金のことを思い出して、懐や、たもとなど探したが見つかりません。しかたなく禅師の元へ行き、もし何かの間違いで持ち帰られた
のではないか、と訊ねると、禅師はそれだけの金を取り出して主人に与えました。

数日後に主人は、例の一間の鴨居の塵を払っていると、紙包みの金が落ちて来ました。主人は驚き、禅師のところへ走り、金を返して詫びると、禅師は何事もなかったように、
それは思い違いをなさったのでしょうと、無心にその金を受け取ったのでした。

●悪口を浴びて村中を「もらい乳」
白隠さんが駿河の原宿(現在の静岡県沼津市原)の松蔭寺に住職してからの話

あるとき、村の娘が父なし子を産みました。
娘の父親は、だれの子かと問い詰めましたが、娘は頑として相手の男の名は口にいたしません。
しかし、とうとう耐えきれずに、白隠さんの子だとウソをついてしまいました。
父親が日ごろから敬愛している白隠さんの子であれば、許してもらえるだろうという娘の浅知恵でした。もちろん白隠さんは、身に覚えのないことです。
娘の父親は松蔭寺に駆けこむや、「この生グサ坊主!よくも娘をキズものにしてくれたな。さあお前の子だ、受けとれ」と怒鳴りながら、赤ん訪を突き出しました。
白隠さんは何の言い訳もせず、「ああ、そうか」と赤子を受けとりました。
この日は飴湯や米の粉をといて与え、翌日からは村中を「もらい乳」して歩き回りました。
それまで、高僧・傑僧として尊敬されている白隠さん、一転してとんでもない破戒僧とさげすまれ、弟子たちはもちろん信者も離れていきました。
それにもかかわらず悠然ともらい乳して歩き、赤子を親身になって育てる白隠さんの姿に、当の娘のほうがこらえきれなくなり、ついに父親に本当のことを白状しました。
驚いた父親は、さっそく白隠さんに非礼をわび、赤子を返してほしいと恐るおそる申し出ましたこのときも白隠さんは「ああ、そうか」と、泰然として赤子を返したといいます。

●一人の乞食坊主が、村人に取っ捕まり、砂浜に首まで埋められました。
浜の塩焼き小屋に放火して、燃やした罪を被せての私刑(死刑)でした。
だんだんと、潮が満ちてきて、乞食坊主の目前に迫ってきます。
そのまま、潮に呑まれ海水をイヤと言うほど呑まされ、水死するのは、もう秒読みに入っていました。
そこで死んだとしても、不埒な乞食坊主が塩焼き小屋に放火して燃やし、その罪で、殺されたというだけで、誰にも知られず、誰の記憶にも残らず、歴史にも残らず、ましてや、
その乞食坊主の名を冠した宗教も興らなかったでしょう。
・・・たまたまそこを通りかかったヒトが、乞食坊主を、助けました。
事情を聞いてみますと村の人に、塩焼き小屋に放火した罪を被せられた、と言います。
・・・そうなのか?と問い詰めると、・・・違う、と乞食坊主答えました。
・・・違うなら、何故、違うと、否定しなかったんだ? というと
、・・・だって、そう相手が思っているのだから、仕様がない・・・
と、その乞食坊主、答えて、何事もなかったかの様に、何処かに歩き去った、というハナシが、伝わって居ります。

その乞食坊主の名は、良寛禅師。

この三人の禅僧の話と>>4396の雅春先生の話と、どちらに感動しますか?

4409 不生の仏心:2014/10/02(木) 21:37:56 ID:zTvAOV2w

>>4396
わたしは「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって文章でその虚説を排撃したのでありますが、
(すなわち虚説に対してはどこまでも排撃したのでありますが)その人が消費された公金に対しては少しも咎めず、
無条件にその金額を進呈して決して請求しませぬという深切な手紙を書いて、
その人の実相――決して公金を費消せぬような完全なその人の実相を見ることにしたのであります。
これがわたしの範例であります。

この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、その説くところへの反駁は許されるけれども、
トンチンカンさんがよく言われること、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』等の個人の生き方に
対する非難は許されないということになりませんか?

4410トキ:2014/10/02(木) 22:37:34 ID:gp2X4kJ6
 少し余談ですが、永井荷風には養子がいて、その養子が回顧録を書いています。
それを読むと、永井荷風はすごくワガママで、偏屈で、親族からは持て余しものだ
ったみたいです。文化勲章を受けた人ですが、人間的にはスゴく周囲には嫌われた
人という印象があります。最後はいわゆる孤独死を遂げています。

 本人は好きな事をして満足だったかもしれませんが、ワガママばかりを言って
いるので、友人も親族も離れて行ったみたいです。晩年になるとかなりの孤独
になり、大金をもってストリップ小屋に通い、踊り子に「先生、先生」と言われ
て悦に入っていたみたいです。言い方は悪いですが、お金の力で寂しさをまぎら
わせていたみたいで、寂しい人生だったと感じます。

 名もなく、誠実に生きる人のほうが、ずっと美しいと感じます。

閑話休題。

4411a hope:2014/10/02(木) 23:45:51 ID:cEpBaIdo

>>4408 仏心さま

web誌友会ご参加ありがとうございます。

えーっと、すでに話題は、恋愛・結婚・夫婦生活に移行していたのですが・・・
今回の仏心さまご投稿内容は、前回のテーマ「和解の倫理」についてですね。


ご紹介の3つのお話はどれも、無実の罪を着せられた僧侶たちが、
一言も言い訳をせず成すがままに罰をうけるというお話ですね。

ですがどのお話も結果的には無実が証明がされています。

三人の僧侶が無実の罪を着せられたことに関しては、何かの自壊作用だったのかもしれませんが、
その後、無実が証明されるという良い結果となったのは、その三人の僧侶が怒りや憎しみ等の悪い感情を起さず、
心穏やかに善処したからだと思います。

お三方とも偉大な僧侶ですから、きっと三界唯心所現の真理を体得されていたのでしょうね。

ですが、どうしてそれらの僧侶の伝説と、聖典の真理のお話を比較しなければいけないのでしょう?
仏心さまは、「生長の家の教え」が本当にお嫌いなのですね。

4412a hope:2014/10/02(木) 23:47:16 ID:cEpBaIdo

>>4409 仏心さま

<<この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、その説くところへの反駁は許されるけれども、
トンチンカンさんがよく言われること、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』等の個人の生き方に
対する非難は許されないということになりませんか? >>


これは「許す」とか「許されない」とかの問題ではなくて、自分自身の信仰の問題だと思います。
仮にも「生長の家」の人間神の子の教えを信仰している人間が、
「生長の家」総裁である谷口雅宣先生や純子先生の実相を観ることをせず、
人格批判をばかりしていればそれはとてもおかしなことだと思います。
ですから、わたしは今までもその件に関しては何度も訴えてきたつもりです。

ですが、お二人を「生長の家」総裁・副総裁として見たとき、お二人は社会的に大きな影響を与える公人なわけですから、
もし、そのお立場にふさわしくない行動をされたりすれば、公人として世間から批判されてしまうのは避けられないと思います。

実際にその行動の結果、「生長の家」のイメージを悪くしたり、信徒を激減させたりするような悪影響を教団に与えてしまうようなことがあれば、
それは現象処理としてして責任をとっていただくのは当然のことなのかもしれませんね。

4413a hope:2014/10/03(金) 00:06:42 ID:cEpBaIdo

>>4410 トキさま

<<名もなく、誠実に生きる人のほうが、ずっと美しいと感じます。>>

「野の百合の生きる道」を思い出しました。

わたしも大生命から与えられわたしの「使命」に誠実に生きていきたいと思います。

それではみなさま おやすみなさい。

4414トキ:2014/10/03(金) 20:32:02 ID:TNtMbJN.
 少し本題から外れますが・・・・。

 生命の実相第14巻の94pには、谷口雅春先生が、有名な某僧侶さんの聖典講義をラジオで
聞いた話が書かれています。

”その僧侶のいわれるには「本当の自分というものがこんなに醜く穢れた自分であるということ
を悟るのが宗教である」と声を激していわれたのにはわたしは思わずラジオのスイッチを切って
しまったのでありました。”

 谷口雅春先生は、この14巻では、人間の実相を見る事の大事さ、素晴らしさを説かれています
が、間違った考えを持った人の意見をおとなしく拝聴しろとは書かれていません。

 信仰とは理論理屈に終始するものではななく、実際の生活に生きてこその信仰だと思います。
 人生は短く、多忙な現代人には使える時間は限られます。

間違った意見を大人しく聞くのは時間の無駄だと感じます。

4415 不生の仏心:2014/10/03(金) 23:47:36 ID:zTvAOV2w
実際生活に生かすことが出来ず、理論理屈で組織に胡坐をかいた多くの先達がいたから、今の生長の家が出来たのでしょう。
個人指導をしっかりし個人の幸福を持ちきたす、そんなことをしていながら、あなたの教区を見るも哀れなものにしか出来なかったのではないですか。

素晴らしい真理を生きてきたというのであれば、貴女が嫌う今の結果は出て来るはずはないでしょう。

4416神の子さん:2014/10/04(土) 00:30:41 ID:???
組織の活動に助けられて講習会や本を売ってきた

お ま え さん に

100人中99人は

ふざけるな!!と怒りを覚えている事でしょう。

4417トンチンカン:2014/10/04(土) 13:06:56 ID:JWwiWw8o
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』、、と、「認識」して
いながらも、<自己弁護>に余念の無いマサノブ爺さん!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



<新、本流復活掲示板>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何としてでも自己弁護を貫いて逃げたいマサノブ君、哀れ・・・ (5289)
日時:2014年10月04日 (土) 09時53分
名前:怒れる信徒 代表


一昨日(2日)の夜、腹立ちと苛(イラ)立ちを隠せぬマサノブ君はパソコンに向かって、
次ぎのような投稿文を打ち込み掲載したのであります。最初にお断り申しあげておきます
が、投稿者、この「不生の仏心」なる人物は、紛れもなくマサノブ君本人か、彼の意を汲
む影武者である事は間違いありません。その理由は、完全な屁理屈の自己弁護の弁であり、
こんな内容の文章は、マサノブ君本人か、その意を受けた影武者君でしか書けません。教
団内の一般信徒や教団を去った元・信徒は誰も書ける者ではないからであります。先ず、
マサノブ君(=「不生の仏心」)の投稿文を転載いたします。


//////////////////////////////////////////////////


「トキ掲示板」<WEB誌友会>
4409 名前: 不生の仏心 投稿日: 2014/10/02(木) 21:37:56 ID:zTvAOV2w

>>4396
<< わたしにも最近その例がありました。「生長の家」の某支部をみずから造るべく申
し出られまして、聖典『生命の實相』を数十部みずから進んで預かって帰られた方があり
ました。その某氏は最近、「物質はある」「真我も迷う」の虚説を立てて「生長の家」の
真説を迷わす機関誌を発行されたのであります。それとともに聖典『生命の實相』を誌友
その他に売られたまま、その公金を私用に着服費消しておしまいになったのであります。
わたしは「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって文章でその虚説を排撃
したのでありますが、(すなわち虚説に対してはどこまでも排撃したのでありますが)そ
の人が消費された公金に対しては少しも咎めず、無条件にその金額を進呈して決して請求
しませぬという深切な手紙を書いて、その人の実相――決して公金を費消せぬような完全
なその人の実相を見ることにしたのであります。これがわたしの範例であります。>>(「生
命の骨相」第14巻64頁)


この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、
その説くところへの反駁は許されるけれども、トンチンカンさんがよく言われること、本
流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』
等の個人の生き方に対する非難は許されないということになりませんか?


///////////////////////////////////////////////////

< 感 想 >


① マサノブ君は、インターネットの拡散情報効果で、次第に自分の親不幸ぶり、ジキル
とハイドとも言うべき宗教家らしからぬ二重人格ぶりが、かなりの数の信徒に知れ渡って
しまったのであります。マサノブ君の「言行不一致」振りに愛想をつかして信徒の脱落現
象が進み、教勢は顕著な衰退を来たしているのであります。


② マサノブ君は、今や、宗教家としての反論不可能な「言行不一致」の実態と、左翼唯
物現象論に基づくスキだらけの屁理屈論を徹底的に「本流掲示板」によって追及されてい
る状態であります。完璧な理論体系を持つ開祖・谷口雅春先生の「生命の實相哲学」には
全く歯が立たないのであります。大閑人でパソコン大好き人間のマサノブ君は「枯れ松模
様」にも書きたくてウズウズしているが書けない。辛抱しきれずタマに書けば待ってまし
たといわんばかりに、開祖・谷口雅春先生の『御教え』をシッカリと理解している元本部
講師先生がたを筆頭に「本流」の論客からメッタ切りにされ、特に異才「トンチンカン」
氏の徹底的肩すかし・ハタキコミ論法には御手上げの状態であり、枯れ松林の中で“きの
こ狩り”をして積もるウップンを晴らすのが関の山・・・


③ しかし、どうしても反論だけは何とかして書いておきたい。そうでなければ“総裁”
の沽券に拘わると思ってか、マサノブ君は一作日(2日)上記のような反撃に出たのであ
ります。その屁理屈論法は、『生命の實相』の内容を逆利用して、明らかな神性隠蔽状態
にあるマサノブという現象人間の自己弁護、それも読むに耐えない最低レベルの自己弁護
論を展開したのであります。

4418トンチンカン:2014/10/04(土) 13:07:29 ID:JWwiWw8o

(つづき)

④ 真理の逆利用――<親兄弟に人間らしからぬ行動をなしている>自分(現象マサノブ)
は本来ないのだから、その現象マサノブへの批難は成り立たない(マチガイである)。本
来ないものへの批難は何の効き目もない。徒労だけだ。だから、本来なき現象・マサノブ
に対する批難は一切為さずに、神の子としての完全な自分(實相マサノブ)を見なさい!、
と説教しながら、マサノブ君自体は、神性隠蔽されている本来なきニセ・マサノブをいつ
までも実在化して行動しているのであります。この矛盾・・・


⑤ 「實相・マサノブ」を観よ!というならば、先ず、そのように言った本人が現在の自
分の言動が、「神の子人間」=實相マサノブに100%相応しい言動を為しているであろ
うか?と自己反省するのが第一であります。しかしマサノブ君はこの實相の「神の子人間」
に照らしての「自己反省」が出来ないのであります。だから、マサノブ君は、真理に照ら
しての間違った言動をどこまでも押し通すのであります。その間違った言動があくまでも
正しいと判断しているのであります。まことに悲しい現象・マサノブ君のすがたでありま
す。なぜ斯くも悲しい「現象・マサノブ君」の姿が現れているのか?それは、「實相・マ
サノブ君」を覆う「神性隠蔽」の遮蔽幕が何重にも厚く、想像以上に厚く巻かれていて、
その「神性隠蔽」の遮蔽幕の奥にある「神の子」の自覚(火種)が酸欠状態・窒息状態に
あるといえるのであります。


⑥ この様な余りにも厚い「神性隠蔽」の現象に対しては、完全円満な「神の子人間」で
ある實相マサノブ君を静かに直視諦観するのでありますが、人時所に応じての対処法によ
って、その「神性隠蔽」を気づかせてあげる行動も必要なのであります。マサノブ君の極
めて部厚い、想像以上に部厚い「神性隠蔽」は、「生長の家総裁」と言う地位にあるため、
マサノブ君以外からの、特に特別な目的を持った霊界の存在からの強力な力で更に、更に
“補強”されていると言う事が十分に考えられるのであります、(類友親和の法則)。故
にマサノブ君の場合にはその「神性隠蔽」を気づかせてあげ、少しでも早く「實相・マサ
ノブ君」の顕現のための直接行動が必要でありまして、これがマサノブ君に対する“忠告
”であります。マサノブ君は“批難”と受け取っておりますが、素直にわれわれ「本流」
信徒からの“忠告”と受け取って頂かねばならないのです。そのように“忠告”と受け取
るのが宗教家の採るべき態度であります。


⑦ 『生命の實相』第13巻倫理篇上巻125〜128頁には次のように書かれているの
であります。即ち、――

<< 第一の神性隠蔽(罪)としては「神我一体」の實相を包んで見ざること、第二の神
性隠蔽としては「自他一体」の實相を隠して見ざること、第三の隠蔽としては「隠蔽(つ
み)の隠蔽(いんぺい)」として自己弁解すること、第四の隠蔽としては外界が自心の展
開なる事実を観ず悟らず、外界を以って自分に対立するところの有限の世界として観じ、
自心の整理を先にせず、物に執し、ものを奪い合わんがために、兄弟と相争い、――ここ
にこれら四つの根本的神性隠蔽が相寄り相混じて、種々なる罪を構成するに到るのである。
そして、最後は「肉体我」の驕慢の極致に至り、「エデンの楽園」を追放されるに到る・
・・>>

上記の『生命の實相』からの文章は、余りにもそのまま、マサノブ君にあてはまり、マサ
ノブ君の自己反省ために書かれた文章か?と見間違えるほどであります。マサノブ君は今
回、「不生の仏心」なる名前で「本流」からの“忠告”を“批難”として受けとって大反
論をした積もりでしょうが、実はマサノブ君自体がこの様な真理を逆利用した自己弁護を
なすことによって、マサノブ君自身が“驕慢”の極致に至っていることを全世界の全信徒
に完全にさらけ出したのであります。それにしても、教団最高位に位置する総裁が、名も
なき末端信徒から“忠告”されるに至ったことはまことに情けない現在の「生長の家」教
団の実態であり・・・、まことに残念極まりなきものであります。


⑧ 最後に申します。マサノブ君は、「個人の生き方に対する非難は許されない」と書い
ておりますが、これも屁理屈的自己弁護・自己正当化であります。これに対しては「トキ
掲示板」で、a hopeさんが的確な回答をマサノブ君に呈しておられましたので、転載させ
ていただきます。「不生の仏心=マサノブ」君!シッカリと読みたまえ!

4419トンチンカン:2014/10/04(土) 13:08:26 ID:JWwiWw8o

(つづき)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4412

「トキ掲示板」Web誌友会 板/2
4412 :a hope:2014/10/02(木) 23:47:16 ID:cEpBaIdo

>>4409 仏心さま
<<この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしまし
ても、その説くところへの反駁は許されるけれども、トンチンカンさんがよく言われるこ
と、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いを
する』等の個人の生き方に対する非難は許されないということになりませんか? >>

これは「許す」とか「許されない」とかの問題ではなくて、自分自身の信仰の問題だと思
います。仮にも「生長の家」の人間神の子の教えを信仰している人間が、「生長の家」総
裁である谷口雅宣先生や純子先生の実相を観ることをせず、人格批判をばかりしていれば
それはとてもおかしなことだと思います。ですから、わたしは今までもその件に関しては
何度も訴えてきたつもりです。ですが、お二人を「生長の家」総裁・副総裁として見たと
き、お二人は社会的に大きな影響を与える公人なわけですから、もし、そのお立場にふさ
わしくない行動をされたりすれば、公人として世間から批判されてしまうのは避けられな
いと思います。実際にその行動の結果、「生長の家」のイメージを悪くしたり、信徒を激
減させたりするような悪影響を教団に与えてしまうようなことがあれば、それは現象処理
としてして責任をとっていただくのは当然のことなのかもしれませんね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

4420トンチンカン:2014/10/04(土) 13:33:15 ID:JWwiWw8o

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ご自分の「所業」を、他人になすりつけてはダメですよ、、マサノブ爺さん!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・マサノブ爺さん自身が「実際生活に生かすことが出来ず」に、『生長の家を私物化して
 おり、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』のですよね・・・ <言行不一致>


・「理論理屈で組織に胡坐をかいている人」、、こそが、マサノブ爺さんでしょ・・・
 <詭弁、屁理屈、ゴマカシ>は、マサノブ爺さんの専売特許!!


・「個人指導」、、なんて、マサノブ爺さんに出来るのですか・・・


・「今の教団」を、「見るも哀れなものにしか出来なかった」のは、マサノブ爺さんご自
 身ではないのですか・・・ (戦々恐々、疑心暗鬼の渦巻く教団内部)






(参考)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
4415 名前: 不生の仏心 投稿日: 2014/10/03(金) 23:47:36 ID:zTvAOV2w

実際生活に生かすことが出来ず、理論理屈で組織に胡坐をかいた多くの先達がいたから、
今の生長の家が出来たのでしょう。
個人指導をしっかりし個人の幸福を持ちきたす、そんなことをしていながら、あなたの教
区を見るも哀れなものにしか出来なかったのではないですか。

素晴らしい真理を生きてきたというのであれば、貴女が嫌う今の結果は出て来るはずはな
いでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

4421a hope:2014/10/04(土) 20:25:55 ID:cEpBaIdo

>>4416神の子さん
>>4417~トンチンカンさま

web誌友会ご参加ありがとうございます。

仏心さまが、このweb誌友会に時々ご参加くださり、わたしにたくさんのご公案をくださっています。
その内容を拝見していると、正直わたし自身も、仏心さまが雅宣先生や本部の意見の代弁者のような印象を持ってしまうことが時々あります。

ですが、掲示板上の最低限のマナーとして、そのような「決めつけ発言」、
もしくはそういう「決めつけ発言」のあるご文章の他の掲示板からの転載はご遠慮お願いいたします。

仏心さまからのたくさんのご公案は、わたしにとってとてもお勉強になっていますし、
わたしたちに現在の「生長の家」の問題解決策を考察するきっかけを与えてくださっていると思うのです。
だから、わたしは仏心さまのご登場にはいつも心から感謝しています。

どうぞよろしくお願いいたします。 合掌。

4422トンチンカン:2014/10/05(日) 10:08:40 ID:JWwiWw8o

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「生長の家の教え」が本当にお嫌いな、「雅宣先生や本部の意見の代弁者のような印象」
の人、、、 現在の「生長の家」の問題解決策を考察するきっかけを得られる・・?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・「生長の家の教え」が本当にお嫌い、、なら、「生長の家」を辞めて出て行けばイイので
 すよね・・


・「生長の家の教え」が本当にお嫌いな人、、が、「生長の家」の上層部の人の様なのです
 よね・・


・このような人の、「詭弁」や「屁理屈」を聞いて、現在の「生長の家」の問題解決策を
 考察するきっかけを得られると、本当に思っているのですか???


・いままでに、具体的に「どのような問題解決策」が得られたのでしょうか・・


・「哲学もどき」の問答で、時間稼ぎをしているだけのようにしか思えないのですが・・





(参考)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
4411 :a hope:2014/10/02(木) 23:45:51 ID:cEpBaIdo

ですが、どうしてそれらの僧侶の伝説と、聖典の真理のお話を比較しなければいけないの
でしょう?
仏心さまは、「生長の家の教え」が本当にお嫌いなのですね。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
4421 :a hope:2014/10/04(土) 20:25:55 ID:cEpBaIdo

仏心さまが、このweb誌友会に時々ご参加くださり、わたしにたくさんのご公案をくだ
さっています。
その内容を拝見していると、正直わたし自身も、仏心さまが雅宣先生や本部の意見の代弁
者のような印象を持ってしまうことが時々あります。


仏心さまからのたくさんのご公案は、わたしにとってとてもお勉強になっていますし、
わたしたちに現在の「生長の家」の問題解決策を考察するきっかけを与えてくださってい
ると思うのです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

4423神の子さん:2014/10/05(日) 10:15:02 ID:pBuxGS.6
流れ、無視で失礼します。


>>)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎ【現象処理をおろそかにした】為である。
>>「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。
>>(【 】内はa hopeが付け足しました。)
>>と、このように解釈しています。
>>「生長の家」の教義の基本は「唯心論」ではなく「唯神実相論」ですから、その場所に「唯心論」が入るのはおかしいと思います。


唯神実相論に傾き過ぎは いけないっということかぁ・・ふ〜ん 難しいですね。
「常に唯神実相論を、実相独在を念頭に置いて生きよ。」 って言いそうな先生のような気がしてましたので・・

でも、まぁおっしゃってる意味(ニュアンス)はわかりますよ。
わざわざ返事くださって有難うございました。

4424神の子さん:2014/10/05(日) 10:16:25 ID:pBuxGS.6
上の4423のコメントは、a hope様宛て でした。

4425a hope:2014/10/05(日) 11:49:18 ID:cEpBaIdo

14巻 p81 4行目〜

恋愛芸術においても※セルフ・コントロールということが必要であります。
セルフ・コントロールということに欠ける恋愛は頽廃感情の芸術でありまして、
かつて明治文学時代に永井荷風が『牡丹の客』その他に描いたような※頽廃美の恋愛は、
人が恋愛をコントロールしてゆくのではなく、恋愛が人をコントロールしていっているのであります。

生命ある恋愛と、頽廃せる恋愛との区別は。前者がどこまでも晴々しく生活向上の道を進んで行くのに反して、
後者がなんとなく、生活頽廃に導いてゆくことであります。
頽廃感情をともなう恋愛は、それ自身がセルフ・コントロールを失っている証拠であります。
二人が相逢えば人生を進軍する勇気が生まれてくるような恋愛が本当に正しい恋愛であります。
神がプロトンを中心に隠電子をその周辺に旋回せしめて、宇宙を生みだされた恋愛は豪壮無比な創造の恋愛であります。


(頭注より)
※セルフ・コントロール(self-control) … 自己制御
※頽廃美 … くずれ荒れている中にある美

4426a hope:2014/10/05(日) 11:59:50 ID:cEpBaIdo

>>4425 a hope 所感)

トキさまのお話にもありましたが、永井荷風は小説を書くためなのか、
それともそれが彼の持って生まれた性質のためだったのか、
実生活でもそうとう自由に女性とお付き合いをしていたのですね。

ですが、正しい恋愛とは、

<<二人が相逢えば人生を進軍する勇気が生まれてくるような恋愛が本当に正しい恋愛であります。>>

みなさんは、そのような恋愛をされましたか?

わたしは、主人と出会ったときにそんな感じがしました。
そしてそのような正しい恋愛の先に、幸福な結婚・夫婦生活がまっているのですね。


<<神がプロトンを中心に隠電子をその周辺に旋回せしめて、
宇宙を生みだされた恋愛は豪壮無比な創造の恋愛であったのです。>>

この部分の表現には驚きました。
なんということでしょう、神さまは恋愛感情で宇宙を生み出されたというのでしょうか・・・。

絶対世界におられる神さまが一体何に恋愛されて、この宇宙が生み出されたというのでしょう。

まあ、『豪壮無比な創造の恋愛』ですから、わたしたちには想像もできないようなすごい恋愛なんでしょうね!

4427a hope:2014/10/05(日) 12:36:33 ID:cEpBaIdo

>>4422 トンチンカンさま

――――――――――――――――――――――

・「生長の家の教え」が本当にお嫌い、、なら、「生長の家」を辞めて出て行けばイイので
 すよね・・


・「生長の家の教え」が本当にお嫌いな人、、が、「生長の家」の上層部の人の様なのです
 よね・・


・このような人の、「詭弁」や「屁理屈」を聞いて、現在の「生長の家」の問題解決策を
 考察するきっかけを得られると、本当に思っているのですか???


・いままでに、具体的に「どのような問題解決策」が得られたのでしょうか・・


・「哲学もどき」の問答で、時間稼ぎをしているだけのようにしか思えないのですが・・

――――――――――――――――――――――――


それでは、トンチンカンさまに伺います。

仏心さまを雅宣先生だと決めつけて、そのご発言に対して批判を繰り返していれば、
雅宣先生や上層部の方々が素直に「生長の家」を辞めて出ていかれるのでしょうか?


わたしは何故、仏心さまがそんなにも「生長の家」の教えがお嫌いなのか知ることで、
生長の家の問題解決への糸口が見つかるような気がしているのです。

4428a hope:2014/10/05(日) 12:51:57 ID:cEpBaIdo

>>4423 神の子さん

<<唯神実相論に傾き過ぎは いけないっということかぁ・・ふ〜ん 難しいですね。
「常に唯神実相論を、実相独在を念頭に置いて生きよ。」 って言いそうな先生のような気がしてましたので・・>>

とのことですが、もう一度、↓の恵吾先生の文章をよく読んでみてくださいね。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

『試論・波状光明化への道』342頁より謹写――

概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。

(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。

吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。
(つづき全文:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65587714.html

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


(一) の方は榎本恵吾先生のご・主・張・で・は・な・い・のでです。

恵吾先生のご主張は、あくまも(二)であり、唯神実相、実相一元に徹し、貫かなければならない、とおっしゃっていますよね。

4429トンチンカン:2014/10/05(日) 16:55:22 ID:JWwiWw8o

>>4427

マサノブ爺さんは、どちらの立場で対応しようと 「現在の総裁の座」 に居座るでありましょうから、
マサノブ爺さんが、「総裁という<公人>としての立場」にアル限り、言い続けます!!

「総裁」の座を辞任した時には、一切何も言いませんよ・・・

4430a hope:2014/10/05(日) 19:02:35 ID:cEpBaIdo

>>4429 トンチンカンさま

わたしがお願いしているのは、仏心さまのご発言を雅宣先生やその代弁者の発言であると決めつけないでくださいということなのですが・・・

雅宣先生をご批判するのがトンチンカンさまのご使命であるのなら、そうされたらいいと思いますが、
ハッキリとした根拠も無いものを憶測だけで「決めつけ」して批判するというのは、人としてどんなものでしょうか?

わたしは、一応このweb誌友会板で司会をさせていただいているので、今回、神の子さんとトンチンカンさまに、
そのような書き込みと、転載をすることをご遠慮くださるようにお願いさせていただきました。

トンチンカンさまが、これからもこのweb誌友会板に、仏心さまや雅宣先生を同一視するような書き込みをされるというのであれば、
わたしの力不足ですので、トキさまに相談させていただいて司会を辞退させていただきます。

4431トンチンカン:2014/10/05(日) 20:15:58 ID:JWwiWw8o

>>4430


a hope さん、誤解しないで下さい。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
4409 : 不生の仏心:2014/10/02(木) 21:37:56 ID:zTvAOV2w

この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、
その説くところへの反駁は許されるけれども、

トンチンカンさんがよく言われること、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化してい
る、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』等の個人の生き方に対する非難は許されないと
いうことになりませんか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・「不生の仏心」のHNにての書き込みに、「トンチンカンさんがよく言われること、、、」
 とありましたので、それに関するモノを回答したまでなのです・・・


・「Web誌友会 板/2」への書き込みは、トンチンカンとしては極力避けていたのです。


・今後も避ける積もりですが・・・



・ついでに、「仏心さまのご発言を雅宣先生やその代弁者の発言であると決めつけないで
 くださいということなのですが・・」、、、とのことですが・・


・普通一般の信徒ならば、「生長の家」が嫌いになれば、静かに去っていくものですよ。


・それが、「不生の仏心」のHNにての御仁は、堂々と「生長の家批判」、いやいや「雅
 春先生の説かれた<御教え>批判」をしているのです。
 

・「不生の仏心」とは一体どなたなのでしょうか??


・本部講師であっても、「このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、
 内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」
 を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、
 ご了承ください」、、なんて述べているのです・・


・「不生の仏心」=「マサノブ爺さん」、、、としか考えられないではありませんか・・・

4432トキ:2014/10/05(日) 20:56:27 ID:HZOhNCGA
>>4431

 うーん、この掲示板では、身元の詮索は野暮、という取り決めに成っています。
少なくても、このweb誌友会では、ご遠慮いただければ嬉しく思います。

 勝手なお願いですが、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

4433トンチンカン:2014/10/05(日) 21:01:13 ID:JWwiWw8o

>>4431 追記

・「不生の仏心」=「曳馬野」、、、 ご自分でそのように発言しておりますよ・・


・過去の「曳馬野」爺さんのコトバも判断すれば、益々マサノブ爺さんだと・・・



(参考)
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6651 名前: 不生の仏心 投稿日: 2014/09/27(土) 15:39:51 ID:zTvAOV2w

困るなー先生 曳馬野君って書くと馬と鹿の親戚っていう人いるんで

不生の仏心と変えたのに、今31周目 トンチンカン女史は何週目
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4434トンチンカン:2014/10/05(日) 21:06:44 ID:JWwiWw8o

>>4432

出来るだけ、「Web誌友会 板/2」への書き込みは避けるようにいたします・・・

4435a hope:2014/10/06(月) 14:58:53 ID:cEpBaIdo

p83 4行目〜

人生から恋愛のみを遊離して楽しむだけならば必ずしも家庭生活というものは必要ではありません。
発情期の野犬のように一つの恋から他の恋へと渉りあるくだけでも、それは差し支えないといえるでしょう。

しかし、それでは人間生活の他の要素との関係上、忌むべき雑音、忌むべき波長を伴うことになるのであります。
嫉妬、闘争、その他の乱れた雑音がせっかくの美しい恋愛という美しい感情芸術の中に交じってくるのであります。
また生まれた子供の保育教養ということにも多大の道徳的破綻を伴うのであります。

そういう忌むべき乱れた雑音を避けつつ、人間生活のもっと深い大地に根を下ろしつつ、
恋愛を大きく育ててゆくのが結婚であります。
「結婚は恋愛の墳墓(ふんぼ)」ではなくして、恋愛という切り花を大地に植えて
健全な根を下ろさしめるということであります。

切り花はいくら美しくても実を結ばない。
それが家庭という大地へ根を下ろしたとき初めて実を結ぶことができるのです。
結婚生活は恋愛を人生の大地へ根を下ろさしめるということになるのであります。

4436a hope:2014/10/06(月) 15:02:26 ID:cEpBaIdo

>>4435 a hope所感)

「結婚は人生の墓場」という言葉はよく聞きますが、ここでは「結婚は恋愛の墳墓(ふんぼ)」と表現されていてますが、
似たような意味だと思います。

ですが、近年ではその墓場から生きかえって、新たな人生を歩む人たちが非常に多いです。

そして、聖典には

<<また生まれた子供の保育教養ということにも多大の道徳的破綻を伴うのであります。>>

ともありますが、現代の日本の社会状態では、親が離婚しても「子供の保育教養に多大な道徳的破綻を伴う」
のかどうかはというのもよくわからなくなってきました。

今の小学校では、の三分の一くらいが片親家庭だったりするクラスも少なくないのではないでしょうか?

アメリカやヨーロッパなどではかなり昔からそのような状態であったとは思いますが、
今は日本でもそのようなことが当たり前になってしまっています。


わたしはこの「第六章 恋愛・結婚・夫婦生活の倫理」を拝読していて感じるのですが、
恋愛にしても結婚にしても、夫婦生活にしてもこの聖典に書かれているような理想通りに行かないのが現状だと思います。

それは、現代だからという訳ではなくて、いつの時代のどこの国であっても問題が表面化するかしないかの違いはあっても、
聖典に述べられているような理想通りにはいかないという現状はある(あった)と思います。


ですが、「生長の家の教え」を学び、「三界唯心所現」や「人間神の子」の真理を悟ることで、
ここの書かれているような理想の恋愛・結婚・夫婦生活が可能になるのだと思います。

(つづく)

4437a hope:2014/10/06(月) 15:17:33 ID:cEpBaIdo
>>4436つづき)

さらに、p86 後から1行目〜 には、

<<よき家庭は社会国家のよき単位となるのです。
よき家庭なくしてよき社会もよき国家も決して出現しないのであります。
ですからわれらはできるだけよき家庭を創造(つく)るように努力しなければならないのであります。
では、よき家庭とはどうしたら出現するのでありましょうか。>>

と述べられていて、『よき家庭なくしてよき社会もよき国家も決して出現しないのであります。』とあります。

わたしはこの文章を拝読すると生長の家の「日本国実相顕現運動」の基本とは、
まさにこのよき家庭を出現させることなのではないかと感じてしまいますが、
みなさんはどう思われますか?

それとも他になにかあるのでしょうか?

4438a hope:2014/10/06(月) 15:26:44 ID:cEpBaIdo
>>4437訂正

さらに、p86 後から1行目〜 には、→ さらに、p84 後から1行目〜 には、

4439a hope:2014/10/06(月) 15:58:01 ID:cEpBaIdo

>>4431 4433 トンチンカンさま

お返事をりがとうございます。
わたしも「仏心さま」=「曳馬野さま」というのは認識しています。

トンチンカンさまがどのように思われようとトンチンカンさまの自由だと思いますが、
>>4432で管理人のトキさまもコメントくださっていますが、
この掲示板上での身元詮索はできるだけお控えくださいね。


ですが、テキストの内容に関してのご参加でしたらいつでも大歓迎です。

>>4437の日本国実相顕現運動についてのわたしの見解へのトンチンカンさまのご意見を是非おきかせ下さい。

4440「訊」:2014/10/07(火) 07:36:04 ID:???


>>4437 a hopeさん

 この件ですが、まったく同感です。「よき家庭なくしてよき社会もよき国家も決して出現しない」ですが、まったくその通りですよね・・・・・・・いや、部下に「オイ」キャバ嬢にホイホイ、嫁に「ハイ」の私が言っても、説得力がナイですが、雅春先生の御言葉ですよね。

 ・・・・ちなみに「更に聖胎長養のため宗教に専念せん」という、雅春先生の御言葉も思い出しましたよ。以下ですが、

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&amp;mode=res&amp;log=423

 ここには趣旨に於いて、同様のことが述べられていると思います。

 国を変えようと思ったならば、選挙戦に特化するのではなく、「真理の言葉をキチンと勉強しよう」と。

 そして、そんな、真理の言葉を勉強した個人が「多数生まれるようにしよう」と。

 ・・・・趣旨に於いて雅春先生は、そう、仰っておられますよね。

 ・・・・まあ、そもそも(笑)。「そもそも」ですが、地域住民に嫌われている運動家なんて、魅力がナイですよね(笑)。「国家のため!」「憲法改正が悲願!」・・・・・・そんなこと言っている愛国者って、地域での嫌われ者が多いのも事実です。「あの人は変わり者」とか「ちゃんと生活しろよ」等のツッコミを浴びている人が、愛国陣営には多々おりますがやはり、それじゃイカンわけですよね。そしてやはり、「更に聖胎長養のため宗教に専念せん」だと思います。「よき家庭なくしてよき社会もよき国家も決して出現しない」と、私も思います。





4441a hope:2014/10/07(火) 19:46:20 ID:cEpBaIdo

p86 8行目〜

しょせん感覚的刺激の喜びは永続性のものではないことを知らねばなりません。
「生長の家」の実相哲学の説くとおり、物質は本来ないものでありますから、
ないものから永続する歓びを味わうことはできないのであります。

どんなに肉体的に美しい配偶者を選んでも、その色香は永続するものではありません。
やがてその色香は褪せ、顔は皺み、若い時の美しさは消えてしまうのです。
感覚的容貌の美しさが家庭の歓びであるならば、結局その家庭は永続しないものであるほかはありません。

家庭はそういう永続しないものの上に打ち建てられるべきものではないのです。
永続する「実相」の上にこそ、われわれはわれわれの家庭を打ち建てねばならないのであります。

4442a hope:2014/10/07(火) 19:49:18 ID:cEpBaIdo
>>4441 a hope所感)

よく女優さんなんかで、年齢を重ねてもとても自然な感じで若々しくてかわいらしい方がいらっしゃいます。
でも、おなじ女優さんでも、なんか、顔が不自然な感じに若々しい方もいらっしゃいます。
まあ、どの女優さんにとっても美を保つには、相当な努力をされているのだと思いますが・・・その違いは何なんでしょうか?

正直に言えば、わたしも女性ですから年齢を重ねるにつれてお肌のお手入れも段々と時間がかかるようになってきました(;´∀`)

ですが、顔にしても体にしてもやはり唯心所現の真理の例外ではないと思うのです。

意地悪な人の顔は、なんとなく意地悪そうな顔つきになっていますし、
人の欠点ばかり探して悪口を言っている人は、いつも緊張していて近寄りがたい冷たさが顔にでてしまっています。

これは、生まれ持った顔の特徴ではなくて、後天的に造られた表情だと思うのですが、
この表情が悪いために、本当は美人なのに全然異性にモテなかったり、人生がうまくいかなかったりするのではないかと思います。

いつも相手の実相を観て、優しいまなざしを向けている人には、どんどん人が寄って来るのだと思います。

わたしは、今、楠本加美野先生のことを思い出しました。

御年92歳の加美野先生は実相を観る天才です。
だから、いつも女性にモテモテですよね!

わたしも、たとえおばあちゃんになってもみんなに気軽に声をかけてもらえるようなそんな和顔を目指したいです!

4443a hope:2014/10/07(火) 19:54:26 ID:cEpBaIdo

>>4440「 訊け」さま

ご登場お待ちしておりましたm(__)m
今回もまた、的を射た素晴らしいご投稿をしてくださり心から感謝いたします。

雅春先生の「更に聖胎長養のため宗教に専念せん」ですが、この御文章はとても奥深い内容だと感じています。

わたしも「訊け」さま同様に、雅春先生が政治運動を頑張ってきた信徒の心を気遣いながらも、
やはり宗教に政治を持ち込むとその純粋性が保たれないために信徒数が増えないという事実を認められ、
これからは真理のお勉強に専念して、魂を向上させるという本来の姿に戻りましょう、とおっしゃっているのだと感じました。


みなさま

これからテキストの内容は、どうしたら夫や妻の実相が輝き出て、家庭が光明化されるかという説明に入ります。

これは夫婦間だけにあてはまる真理ではなくて、すべての人に当てはまるとても重要な箇所なのではないかと思います。
わたしは、抜粋、謹写しながら進みますが、みなさまは是非テキストの全文を拝読してくだいね!

4444a hope:2014/10/08(水) 10:31:04 ID:cEpBaIdo

p87 8行目〜

・・・われらは良人の、妻の、欠点を見ないように、暗い方面を見ないようにしなければならないのであります。
肉体人間は「実相仏」ではないから、時にはつまずくことも、実相が蔽われて悪く見えることもあります。

しかしその悪さを実在であると思わないことです。
その悪さはやがて過ぎ去りゆくべきかりそめの迷いの雲だと思い、光り輝く善そのものの良人または妻の実相を観るように心がけよ。

たちまち、その悪さは消えゆきて本来「神の子」なる良人または妻の実相が出て、家庭は異常に光明化されることになるのであります。


良人または妻の善さはどれだけ深く信じてもよいのです。
信じて信じすぎるということはないのであります。
信ずれば信ずるだけ光を放つのです。

信じていたのに裏切られましたというのは嘘であります。
それは信じようが足らず、信じていても信じていることの言葉または態度での現しようが足らず、
信じていても相手の人格の自由をこちらの型にはめ縛ろうとした場合が多いのであります。

本当に相手の価値を信じていたならば相手をそんなに自分の型にはめようとはしなかったに違いありません。
自分の型にはめようとするのは、やはり、相手それ自身にまかせておいては何か善くないことが起こるに違いないと危惧するからであります。

危惧は信頼の足りなさの表現でありましょう。
本当に信頼していたならば相手を自由に放つ、放たないのは信頼がないからです。

伝書鳩でも信じているからこそ自由に放つのです。
良人を信じているといいながら、妻を信じているといいながら、鳩を放つほどにも良人または妻を自由に放たないならば、
その人の「信ずる」という心もよほどよい加減なものであります。
人の人格は、本来自由を好むものでありますから、自分の自由に縛ろうとするとき、
良人でも妻でも逃げて行くのであります。

4445a hope:2014/10/08(水) 10:33:36 ID:cEpBaIdo

>>4444 a hope所感)

ここに、『人格の自由』という言葉がでてきました。
たとえば、昨日の「訊け」さまとのお話にでてきた「宗教における政治活動」を取り上げて考えてみますと、
ある宗教が一政党を支持した場合、その宗教団体の信徒は、否応なしにその政党を支持しなければ運動が成立しません。
そうなった時に、ここで言われている『人格の自由』が保障されていないということになってしまうのです。

わたし自身が今現在、本流といわれている「学ぶ会さま」や「ときみつる會さま」に入信する気になれない大きな理由がそれです。

それは現教団にもいえることですけれど・・・

4446「訊」:2014/10/08(水) 16:22:12 ID:???



>>>たとえば、昨日の「訊け」さまとのお話にでてきた「宗教における政治活動」を取り上げて考えてみますと、ある宗教が一政党を支持した場合、その宗教団体の信徒は、否応なしにその政党を支持しなければ運動が成立しません。そうなった時に、ここで言われている『人格の自由』が保障されていないということになってしまうのです。<<<

 「いいとこ取りでOK」だと思いますがね。そして、それで「組織を辞めて!」な団体ならば、おさらばすればイイと思います。私はそんな感じですけれどもね・・・・・たとえば私ですが、こんな方々とは一緒に学びたくはナイのです。それは、

「天皇国日本こそ御教えの根本」

 と云われた上で、

「これを語らないのは生長の家ではナイ」


 など、妄言を吐かれる方々です。(※)そんな方々とは一緒に学びたくはナイですし、そしてたぶん、そんな団体は信条に反するような運動を、させられてしまうでしょう。(可能性として大の意味)ならば、御教えは学びつつも運動は拒否しますね。そして、「辞めろ!」と言われればサクっと、辞めますかね(笑)。

 話しがやや飛びますが、有難いことに雅春先生は「独習可能な環境を整備くださっておられ」ます。私なんかは組織がナクても、まったく困りませんけれどもね。・・・・・・・・「谷口雅春」先生の御著書だけでも、かなりの生長を自分に認めることが出来ました。加えて、聖典を読んでも〝それでも成果が出ない時期〟などは、「藤原敏之」先生が私に谷口哲学を補足説明くださいました。それでも押し寄せる自壊作用の波なんですが、その際は「榎本恵吾」先生から、実相は自働展開していくッ!そんなことをこれまた、補足説明賜りまして、さらには「吉田國太郎」先生が、往相精進の境を越えていく生き方をお示しくださいましたね。「服部仁朗」先生などはもっと、徹底した実相直視をお教えくださいましたし、「谷口清超」先生の紹介される体験談の数々は、御教えの効果を保証してくださるものでした。「徳久克己」先生のご講話は、営業車車中でいつも練成会を(大爆笑で)開催してくださり、私の精神状態を常に良化くださいます。「末井勉」先生や「平岡初枝」先生の御著書は、これまた他の御高弟にない聖典の読み方を紹介くださり、信仰生活のいろいろな場面(主に自壊作用)に好解釈を与えてくださいます。

 ・・・・・長々語りましたがこの様に、雅春先生は「独習可能な環境を整備くださっておられ」ます。事業環境の激化という環境に身を置きながら学んでいると、私なんかは、組織がナクてもまったく困りませんけれどもね。身に沁みて解ります、この、御教えの偉大さは。




<註>

※ 「天皇国日本こそ御教えの根本」など、妄言を吐かれる方々です。

 妄言である理由、それは、「生長の家は万教帰一」であり、「〝天皇国〟とは真理を語る際の切り口のひとつに過ぎないから」です。無論、それを(「天皇国日本」)根本教義だと個人が思うのは構わないと思います。けれども、「天皇以外の切り口を認めない!」とかなりますと最早、それは、谷口雅春先生の説かれた御教えとは「違ってくる」と思います。

4447「訊」:2014/10/09(木) 09:23:01 ID:???

>>a hopeさん

 「家庭の光明化」に関して、素晴らしい御文章を紹介します。さてこの、「家庭の光明化」に関してはたぶん今後、「相手を賛嘆すること」なんて話題が出てくると思うのですがこの件に関し・・・・・榎本恵吾先生が、素晴らしい御文章を寄せてくださっておられるのです。以下は、WEB榎本恵吾記念館からのコピペになりますが一緒に拝読しましょう。ここでは榎本先生が、「善くなるとか悪くなるとか、知ったことじゃない」と仰っておられるのですが、実に深い示唆がされているのです・・・・・・さて、人を誉めて家庭が光明化するとか、国家が光明化するとか「知ったことじゃない」、その真意とは?


(つづく)

4448「訊」:2014/10/09(木) 09:24:29 ID:???

>>4447文つづき

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

◆9.実行によって救われるのではない。救われ済みであるのを喜ぶこと
 
 ある奥さんが言われました。それは「わたしは生長の家にふれさせていただきましたので、子供を毎日、ほめることにしたのです。ところが学校に行きますと、担任の先生は反対に、子供の欠点を徹底的に摘出して、それをたたき直すという方針なんです。これでは却って子供にとっては不幸なのではないでしょうか。どちらかの一つにしてやらないと、却ってほかの子供よりも迷ってしまっているのではないかと思うんですが……」という意味のことでした。その時こちらは、“あなたの子供さんが幸福になられるか、なられないかは関係ないのです。人間が神の子であって、神そのものであって、そのままで完全円満ですばらしいのが真理であるから、ほめたたえているのであって、それは真理だからなのです。真理というものは、子供さんが幸福だとか、不幸だとか、そのように子供さんの都合によって曲げることが出来ないのです。ただただひたすら、「真理への道はただひとつ、人間はそのまま神の子である」ということだけなのです。ただただみ教えをいただいた私たちも、まっしぐらに真理を生きる、ひとすじの道があるのみなのです”と申し上げました。
 これと同じことなのですが、また別の人はこう申されました。それは三十歳くらいの練成員の方でした。「今日まで練成を受けさせていただきまして、生長の家のやっていることは将来大いに世界の平和のために役に立つことだ、ということを、よくわからせていただきました。私は今日で帰りますが、どうぞみなさん、しっかりやって下さい。」という意味のことでした。それでこう申し上げたのです。
 

(つづく)

4449「訊」:2014/10/09(木) 09:25:16 ID:???


 「生長の家の運動は、世界の平和に役立つかどうかということは知ったことではないんですよ。ただただ、人間は神の子であるということが真理であるから、ひたすらその道を説いているのであって、真理というものは、「世界の平和のために」という世界の都合で変えたり、曲げたりするという訳には行かないのです。それが宇宙のためにということでも同じことでありまして、「宇宙の平和のため」というように、宇宙の都合に合わせて真理を変更するということは出来ないのです。ただただ、真理は真理であるのみです。泥棒がやろうが、釈迦、キリストがやろうが、「1+1=2」なのであって、泥棒の場合は、1.5くらいにしておけというわけには行かない。「1+1=2」という数学的法則によって、原爆まで生まれて来るので、原爆は世界の平和に反するから、その真理を変更するという訳にも行かないのであります。
 真理はただ真理するという一つの道があるのみなのであります。また、真理というものは人間の力でつくり出すものではありません。それは久遠に久遠に、天地を貫いて生きているのでありますから、「吾が生くるは吾が力ならず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の生命(いのち)」とも言うのです。あなたに賛成していただいたから生長の家の真理が存在するのでもなければ、あなたがお認めにならないから生長の家が存在しないのでもないのですね。」と申し上げたのであります。
 「釈迦、キリスト、尊師谷口雅春先生と、今日生長の家にふれたばかりの者と、同じ神の子であるということはないでしょう」と言われる方もいられるのですが、「神は完全であって、神のつくり給うた世界には不完全はない」というのが真理なのです。それは、人間の修行の度合というものによって、その真理を変更することは出来ないのです。百万年前からの暗でも、いま出来た暗も、光がともれば同時に消えます。それは光の前には暗は消えるのが真理、法則だからであります。暗は実に無いのが真理だからです。それを百万年前からの暗が、いま出来た暗に向って、「おれはこんなに長く暗をやつているんだから、いま出来たばかりの暗と同じ扱いをするのはけしからん」と言って、どんなに頑張ってみても意味をなさないのであります。それは真理によってそうあるのです。これを「七つの燈台の点燈者の神示」では、「疑わずにわが光りを受けよ」と録(しる)されているのであります。
 ここで私たちは、「ハイ」と言って自分がこの身このまま輝くものであることを素直に受けるのです。「素直にハイ」を実行するのはここであります。よく講師が「話だけ聴いても駄目だ。実行しなければ駄目だ」と言われることがありますが、これは“実行”という救われるための一つの修行科目があるのではないのです。それは、“この身このまま救われていることを素直に喜ぶということを実行せよ”ということなのです。実行ということによって救われるのではないのです。救われずみであることを喜ぶのです。「実行」の実は「実相」の実であり、それは神であり、光りであるのです。神・實相・光りには人間の努力、修行の成績というものの助けはいらないのです。神がそのすべてをふりそそいで吾々を生かして下さるための条件はいらないのです。

4450「訊」:2014/10/09(木) 09:25:56 ID:???


「今すべての病人は起つことが出来る」と録(しる)されているのは、実に神の無条件の生かす力が言い現わされているのです。“今”とは、このまま、そのままであって、これから何らかの時間を経ての人間の努力の結果ということではないのです。“今”ということは“既に”ということであります。“すべての病人”とは、生長の家に入っているものも、入っていないものもということであります。山を見ても、川を見ても、草木を見ても、それがどれだけ生長の家を熱心にやっているかどうかということはナンセンスであります。釈迦は「山川草木国土悉皆成佛(さんせんそうもくこくどしっかいじょうぶつ)」と言ったのです。そのように、天地一切のものは生長の家であるというのが「今、すべての病人は起つことが出来るのである」ということであります。
 これが生長の家の大宣言であります。普通は、「他の教えを熱心にやる必要はないが、この教えだけは熱心にやる必要がある」ということになってしまうのです。それを生長の家では、天地一切のものはすでにすでに、この教えにふれているものもいないものも神であり、生長の家そのものであります、「ありがとうございます」と拝んでいるのであります。この天地一切拝みの教えが生長の家です。ですから、聖なる無我の輝きがそこにあるのです。「おれが救ってやる」というようなものではないのです。教えもそうなら、ご本もそうなのです。「これを読まなければ救われんぞ」というのではないのです。「この本をお読みにならなくとも、そのままで完全であることを拝ませていただくために、この本があるのです。」と本が無我となっているから、「聖典」と拝まれるのです。『生命の實相』には「物質無し」と書かれておりまして、それは本自身が“私は無いのです”と自我を完全に死に切っているのです。こんな尊い本に私たちは日々ふれているのであります。ですから私たちも、ただただ、ひたすらに拝み、讃嘆していく一すじなのであります。

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4451a hope:2014/10/09(木) 11:23:18 ID:cEpBaIdo

>>4446「訊」さま

すばらしいアドバイスをありがとうございます!

<<有難いことに雅春先生は「独習可能な環境を整備くださっておられ」ます。>>

本当ですね。
ありがたくて涙がでそうです。

その後ご紹介の、「藤原敏之」先生「榎本恵吾」先生「吉田國太郎」先生「徳久克己」先生
「末井勉」先生、「平岡初枝」先生などという愛弟子といわれるような先生方の御本からも
わたしたちはいくらでも「生長の家」の教えを学ぶことができるのですから、組織などに所属しなくても全然大丈夫ですね。

ですが、真理を共に学んだり、語ったりする仲間が全くいないというのも寂しいものです。
だから、わたしと同じようにどこの組織にも所属せず独学で学んでいる「訊」さまの存在はわたしにとってとても大きいです。
無理なさらない程度でいいので、これからもweb誌友会にご参加よろしくお願いいたします。

ところで、話題は『天皇国日本』のことに移りますが・・・
「天皇国日本こそ御教えの根本」そして「これを語らないのは生長の家ではナイ」などといわれてしまったら、
わたしも完全にひいてしまいます(;’∀’)

今までわたしもそれなりにお勉強してきたので、日本の天皇制度の素晴らしさは理解しているつもりなんですが、
時代が変わってしまったわけですから、今現在そのことを前面にだして運動してしまうと、
「訊」さまやわたしのような拒絶反応を示す人がほとんどではないかと思われます。


―――――――――

※ 「天皇国日本こそ御教えの根本」など、妄言を吐かれる方々です。

 妄言である理由、それは、「生長の家は万教帰一」であり、「〝天皇国〟とは真理を語る際の切り口のひとつに過ぎないから」です。無論、それを(「天皇国日本」)根本教義だと個人が思うのは構わないと思います。けれども、「天皇以外の切り口を認めない!」とかなりますと最早、それは、谷口雅春先生の説かれた御教えとは「違ってくる」と思います。

――――――――

この「訊」さまのご意見にわたしも賛同させていただきます。

たとえ、天皇信仰が万教帰一の頂点に立つ教えであったとしても、天皇信仰を持つ日本人に対しては説得力があると思いますが、
そうでない人たち(特に外国人や左翼の方がた)には残念ながら全く説得力はないと思うのです。
むしろ、反論されてしまい、それこそ「大調和の教え」に反する「対立」を起してしまうのではないでしょうか?

それに「生長の家」の教義の基本聖典である「生命の實相」には、「天皇国日本こそ御教えの根本」などということはまったく書かれていませんよね。

4452「訊」:2014/10/09(木) 11:36:17 ID:???

>>>それに「生長の家」の教義の基本聖典である「生命の實相」には、「天皇国日本こそ御教えの根本」などということはまったく書かれていませんよね。<<<

 その通りです。根本教義は天皇ではなく、「それは切り口に過ぎず」、実相なんですよね・・・・根本って。

 で、「永遠のキリスト」から実相を語ってもいいし、「仏性」から実相を語ってもいい、それが「雅春先生の偉大さ」ですよね。「久遠の今」という切り口もありますし「観世音菩薩」もありますが、天皇国日本って・・・・・・・御著書にもある通り、これは、方便・対機説法に於ける切り口のひとつです。実相を語るに於いて「天皇を外したらイケナイ」とか、言っておられる方あらば、「それは間違い」ってモンですよね。

 で、こんな書き方をすると、いやつまり、「天皇とは真理を語る切り口のひとつ」なんて言うと、不敬だ!とか、そんなことを書きたがる方もおられます。もう、こういう光景が残念・・・・・・・・断言しますがその方は、「天皇を解しておられない」ですしまして、雅春先生の愛国書なんて「読んでもおられない」と観ますね。

 ・・・・・・そんな方々と勉強しても、もはや、「迷いの淵を彷徨うダケ」です(笑)。WEBを通じてトキさんみたいな方と勉強していくのが、精神衛生上は◎だと感じてます。




4453秋だけど春:2014/10/09(木) 20:33:22 ID:VCnID1c2
>>「天皇国日本こそ御教えの根本」

 と云われた上で、

「これを語らないのは生長の家ではナイ」


 など、妄言を吐かれる方々です。(※)そんな方々とは一緒に学びたくはナイですし、<<

監督、ものすごーーーく、残念に思います。


 監督は、本流と色んな事があって、毛嫌いしている事もあるのでしょうが、監督自身も、相手を神の子さんとして拝む気持ちになれれば、
また、違った面が見えてくるのかとし思いますし、直にあってないからこそ増える不信感みたいのも、あると思いますよ。

4454秋だけど春:2014/10/09(木) 20:39:39 ID:VCnID1c2
 私は神道から生長の家に入ったので。すんなり理解しましたし、当たり前の事を言っていると思っています。
ただ、雅春先生命みたいには、なれません。
私は、御皇室と靖国神社の英霊様が一番だから、です。
 
 監督、葦津珍彦先生の御著書は、読まれましたか?

4455秋だけど春:2014/10/09(木) 20:46:36 ID:VCnID1c2
>>実相を語るに於いて「天皇を外したらイケナイ」とか、言っておられる方あらば、「それは間違い」ってモンで
すよね<<

完璧に、違います。


日本国の実相顕現は、天皇国日本であることです。


以前に紹介した、信徒用の、よまれていないでしょう?

4456秋だけど春:2014/10/09(木) 21:56:04 ID:R/XQXrSM
 a hopeさんにもお願い致します。

両陛下がおおわしますことで、日本の国民のだれ一人として、救われない者はいないということ。


 生長の家にはげまれるのであればなおのこと、聖上に感謝することの意味、ここをもっと、勉強して下さい。


両陛下は、日本の最前線にお立ちになり。日本の外交にも御精力頂いています。


祖国と日本とか、少し 、ご覧になるといいと思います。


御自分たちのためでなく、御皇室の為にお役にたつたちばにあるのが、国民でから。

敗戦の責任も、国民が陛下にお詫び申し上げる立場であると言うことを、
御理解いただきたいと思います。

4457 不生の仏心:2014/10/09(木) 23:56:22 ID:zTvAOV2w
>>4451
>>「生長の家」の教義の基本聖典である「生命の實相」には、「天皇国日本こそ御教えの根本」などということはまったく書かれていませんよね。

●世界の国境抹消運動の、もう一つは、日本より始まっている大日本世界国運動であります。世界各国の国境を消し去って、全世界にひろがる唯一つの大い
なる大日本国を建設しようとする運動であります。これは天照大神の下し給える『豊葦原の瑞穂の國は代々吾が子孫の王たるべき地なり』との御神敕以来、

着々として霊界から其の歩みを進めている運動でありまして、単に資本主義組織に対する反動として、近頃に起こって来たやうな根底の浅いものではない
のであります。だから、この運動には全世界が一国でなければならないと云う、古今を通じて誤らざる真理と、全世界には中心が唯一つだけあるべきだという

天地一切の事物に通ずる真理とが、完備しているのであります。『瑞穂の國』と申しますと・・略・・現実の國、世界全体を云ったものであります。
世界全体は大日本天皇陛下の代代王たるべき地であると云ふことは、天照大御神の御神敕以来定まっていますので、それがまだ実現しないでいるのは

準備時代であるからであります。・・略・・日本の皇位は、天祖の詔勅によって連綿としてつづくべき宇宙意志によって定められていますから、・・略・・
大国主命(世界各国分立主義)はみづから進んで国土を天孫に奉還しない。そこには全人類の幸福のために大日本世界国家を造るべく国境抹消運動として

武力行使が已むを得ず必要になって来るのでありまして満州等へ日本が兵を用いているのもその運動の一端であります。・・略・・
衣の相からでも日本人は世界統一の使命を持っているのであります。・・略・・世界を統一統治する使命を有った民族だと云ふことができるのであります。

●以上の引用は『大生長の家』に就ての神示の後に、第一章「中心(すめろぎ)に帰一する道」として、第二章「生長の家より観たる創世記」、
第三章「生長の家より観たる法華経」の前に聖典に載っていたものです。

今は第十二巻万教帰一篇第四章にちょろっと書かれているのみです。ここに書かれていることは『真理』なのでしょうか、
はたまた「対機説法」であり一つの切り口なのでしょうか?時代とともに『日本民族の使命』も変わるのでしょうか。

4458 不生の仏心:2014/10/10(金) 00:39:40 ID:zTvAOV2w
又こんなことも書かれている

新年、目が覚めたら、まず口を漱ぎ顔を浄め、四方を拝し心を悉く浄めてから、天皇陛下を拝み(おろがみ)まつれ。
みたみわれの悦びが沸々と心の中に沸り(たぎり)たつて来るであろう。
真に拝まないと本当のことは分からない・・略・・
何と云っても吾々日本に日本には、天皇陛下がいらせられることは有難い極みである。  「生長の家誌巻頭言」より

『真に拝まないと本当のことは分からない』 『天皇陛下がいらせられることは有難い極みである。』これも対機説法なのかな?

4459「訊」:2014/10/10(金) 05:57:01 ID:???


>>秋だけど春さま

 いやたぶん、当方の真意を誤解されておられます。わたしはなにも、聖上への軽視を以て「=御教え」とか、そんな風に考えているのではナイのです。再度掲載致しますが当方の真意とは以下文でして、

―――――――――

※ 「天皇国日本こそ御教えの根本」など、妄言を吐かれる方々です。

 妄言である理由、それは、「生長の家は万教帰一」であり、「〝天皇国〟とは真理を語る際の切り口のひとつに過ぎないから」です。無論、それを(「天皇国日本」)根本教義だと個人が思うのは構わないと思います。けれども、「天皇以外の切り口を認めない!」とかなりますと最早、それは、谷口雅春先生の説かれた御教えとは「違ってくる」と思います。

――――――――


 ・・・・・ご確認頂きたいのは「妄言」の意味です。そして、その妄言とは「それだけ!な方々」とお伝えすれば、よいのかもしれません。

 さて、妄言とは以下のような事を指すのでありますけれどもたとえば、「天皇国日本以外、実相を語る切り口はナイ!」とか申されて、そして、「天皇以外の切り口から実相を語る者は、生長の家ではナイ!」などと申される方々、その発言内容を指します。さらにそして、上記文中で触れた如く「個人としてそう信じる方」があるのは当方、別に問題とはしておりません。「天皇=御教えの根本」と個人的に思うのは、構わないと思うのですが、問題だと思うのは「天皇以外の切り口を認めない!」種の発言です。これを問題としておりまして、「妄言」と表した次第です。

 ・・・・ですので、皇室軽視とかの、そんな問題とは別種です。(当方はそう感じておりますが)



4460「訊」:2014/10/10(金) 09:25:33 ID:???


>>4459の補足

 この、>>4459当方主張をまとめれば、

・ 「天皇こそが根本教義だと〝個人的に〟信ずる」・・・・・○(妄言ではない)
・ 「天皇以外の切り口から真理は語れない」・・・・・×(妄言である)

 という感じです。たぶんこれで、間違ってはいないと思いますがいかがでしょう。

 さて、雅春先生の説かれた御教えとは、「玄関はどうでもイイから早く奥座敷に入りなさい」と云うものでありました。そして、「玄関」とはたとえば、「実相を把握する際の入り口」を意味するのでありまして、これには「永遠のキリスト」であるとか「釈迦牟尼如来」であるとか、あるいは、「久遠の今」であるとか「住吉大神」であるとか、「観世音菩薩」であるとか・・・・・・まあ、ありとあらゆる「玄関」、すなわち、「真理に入っていくにあたっての入り口が用意されている」わけです。これが雅春先生の哲学の「一大特徴」なのでありますが要するに、実相を把握するのが目的(=奥座敷)なのでありますからなにも、「入り口の部分で宗教同士が争うことはナイではないか」なのです。

 ・・・・・で、「天皇国日本」もその、玄関のひとつです。奥座敷ではナイのです・・・・・ここが、重要だと思います。

 ・・・・・・ところで「個人的に信ずるのは構わない」の件ですが、たとえば、生長の家に学んだキリスト者が生長の家を、「キリストこそが根本教義」と解する自由があるように、「天皇こそが根本教義」と解する自由は個人には、ありましょう。しかしながら以下も重要なのですが、問題が生ずるとすれば、「玄関と奥座敷の取り違い」です。詳しく述べますが、まあ・・・・

 ・・・・・・玄関に過ぎない「キリスト」「天皇」を「奥座敷だとカンチガイ」されますと、これは問題だと思います。こんな感じですとたとえば「釈迦牟尼如来から実相を把握しようとしている人たち」が、背教に見えましょう。これは、問題です。個人的に「天皇=根本」と信じるのは構わないにせよ、その、「天皇国日本」という切り口以外にも奥座敷に上がる入り口は多々、用意されているわけでありますから、「天皇に触れていない!天皇に触れずに実相を語るな!」なんて言葉はやはり、おかしいと考えます。まあ、当方主張はザックリと言えば、こんな感じでございまして決して、皇室の軽視ではナイのです。その辺が伝われば幸甚ではありますが・・・



4461a hope:2014/10/10(金) 09:51:04 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p90 8行目〜

われらすべての人間の実相は「神の子」であり、「仏子」であり、どれほど讃嘆し合っても言い顕すことができない善美の真(まこと)を備えているのであります。

そう思って人間を観よ、良人を観よ、妻を観よ、両親を観よ、子を観よ。

そう努めとき、その善さはしだいにハッキリ見えてくるでありましょう。

相対する人間が変貌し、家庭が変貌し、全世界が変貌し、全世界のすべてがその人の前で光り輝いて見えてくるでありましょう。

なんというそれは愉快なことでありましょう。

悪しきことのいっさいは姿を消して、光り輝く実相のみが見えてくるのであります。


われわれがいっさいのもの、いっさいの人間の、実相を観る心の眼が慣らされてくるときは、
立ち向かう世界が美しく輝く世界に変貌してくるばかりでなく、自分自身が、根本的に変わってくるのであります。

自分が偉(おお)きくなり、寛(ひろ)くなり、裕(ゆたか)になり、悠々(ゆうゆう)となり――自分自身の実相がでてくるのであります。

世界で最大の人物とはどんな人物であるかといってみるならば、いっさいのもの、いっさいの人間の、実相を観る眼を開いた人のことであります。

釈迦は実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであり、キリストも実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであります。

(つづく)

4462a hope:2014/10/10(金) 09:52:15 ID:cEpBaIdo

>>4461 a hope所感)

>>4447~ 「訊」さま 素晴らしい榎本恵吾先生のご文章を紹介くださりありがとうございます。

そして、

<<榎本先生が、「善くなるとか悪くなるとか、知ったことじゃない」と仰っておられるのですが、実に深い示唆がされているのです・・・・・・さて、人を誉めて家庭が光明化するとか、国家が光明化するとか「知ったことじゃない」、その真意とは?>>

とのご公案ですが、榎本恵吾先生は 「実相」しか見つめていらっしゃらなかったからそのようなお答えをされたのだとわたしは思いました。

だって、『善くなるとか悪くなるとか』、『人を誉めて家庭が光明化するとか、国家が光明化するとか』というお話は、すべて現象世界のお話で、
実相世界は「善一元」「光明一元」ですから、現象に見える「悪」や「光明化すべく不都合なこと」は「本来無い」ことですものね!

―――――――

○「真理への道はただひとつ、人間はそのまま神の子である」
○「神は完全であって、神のつくり給うた世界には不完全はない」というのが真理なのです。
○ここで私たちは、「ハイ」と言って自分がこの身このまま輝くものであることを素直に受けるのです。「素直にハイ」を実行するのはここであります。
○「実行」の実は「実相」の実であり、それは神であり、光りであるのです。神・實相・光りには人間の努力、修行の成績というものの助けはいらないのです。神がそのすべてをふりそそいで吾々を生かして下さるための条件はいらないのです。
―――――――


恵吾先生のご指導は、上に抜粋したように、心の法則である横の真理をほとんど説かれず「実相独在」に徹していらっしゃいました。

<<世界で最大の人物とはどんな人物であるかといってみるならば、いっさいのもの、いっさいの人間の、実相を観る眼を開いた人のことであります。
釈迦は実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであり、キリストも実相を観る眼を開いていたから偉大であったのであります。>>

勿論、谷口雅春先生も、釈迦、キリストと同様、実相を観る眼を開いていた偉大な人物だったわけですが、
わたしは最後まで「実相独在」を貫かれた榎本恵吾先生も、またとても偉大な先生だったのではないかと感じています。

4463a hope:2014/10/10(金) 09:56:06 ID:cEpBaIdo

>>4435〜 春さま 

お久しぶりです。
今回は、web誌友会にご参加くださりとてもうれしいです。 

感謝 合掌。

>>4456では、わたしにご忠告、そしてアドバイスをいただきまして、心より感謝いたします。

天皇制度に関しては、自分が日本人でありながら、まだまだその真理を充分理解していないというのは自覚しています。

ですが、現代の日本で「生長の家の教え」を広めていくためには、まずは、「人間神の子」の真理から始めないと、
信徒の数も頭打ちしてしまうような気がするのです。

理由としては、>>4459 >>4460の「訊」さまのご意見にほぼ同じですが、さらに言わしていただけば、
「人格の自由」(選択の自由)が与えられない宗教団体には、カルトのにおいがしてしまうからです。

わたしは「生長の家」は「唯神実相」が基本真理で、その真理において「万教帰一」が成立していると信じているのです。

この根拠は、『神の真義とその理解』の中の一部である「昭和十五年四月九日午後一時より名古屋公會堂に於ける講演の速記」の文章です。

以前、復興Gさまが>>1082〜謹写してくださっています。

<<ところが生長の家は、教義と云っても生長の家独特の教義がないのであります。
ないと言うとおかしいけれども、生長の家は仏教の話もする、お釈迦様は斯う云うように被仰ったと言って、
仏教は斯う云うものであると言って話もする。
またキリスト教は斯う云うものである、耶蘇はこう被仰ったと言って話もする。
また金光教の教祖は斯う言われた、天理教祖は斯う言われた、日本の『古事記』には斯う書いてある、
老子には斯う云う事が書いてある、孔子は斯う被仰ったと云う風に、色々の教を一つにして説いて、
相手に随って自由無礙に方便自在の説教をしているのでありますから、
一定の生長の家の教と云い教義と云うたらどんなものだと言われると困るのでありまして、
生長の家独特の教義と云うようなものがないのであります。>>

これを拝読すると、やはり、天皇信仰というのは後付の方便だったのではないかと感じてしまいませんか?

ただ、「生長の家」が天皇国日本において生まれた宗教で、創始者の谷口雅春先生も当時は当然のように天皇を信仰をされていたという事実が、
とても重要な意味を持っているのではないか・・・と、わたしはそのあたりまでの理解にしか至っていません。

4464a hope:2014/10/10(金) 10:00:22 ID:cEpBaIdo

>>4457〜 仏心さま 

またまた、興味深い御文章を紹介くださりありがとうございます。合掌。
今日はこれから仕事なので、夜、ゆっくり拝見し、後日お返事させていただきますね。

4465秋だけど春:2014/10/10(金) 19:32:48 ID:K05YJkU6
訊け監督,a hope様 こんばんは。

監督の言いたい御真意、了解致しました。

a hope様、天皇国日本に生まれ、先祖&先輩と繋がった時の感動=日本人としての自覚、
これを私は30過ぎで得ました。
その時の感動や、運命の激変は、得難いものでした。

生長の家は、私にとっては、(正しい宗教は、国家鎮護=御皇室の安寧を祈願している)
日本国に対して恩返しが出来ない自分に絶望していた時に出会った
一つの(言い方は不遜ですが)ツールなんですよね。

生長の家が、国家に対して役に立たなくなって、会員数7万を切ったのも、時代の流れだし、
戦中・戦後の混乱期に発達したのも、時代の要請で。もとのような
会員数にはならないし、その必要が無いと思っています。
(各業界に、既に根を張っているから)

4466秋だけど春:2014/10/10(金) 19:41:38 ID:K05YJkU6
>>これを拝読すると、やはり、天皇信仰というのは後付の方便だったのではないかと感じてしまいませんか?<<

神示に、全て書かれていますよ。

4467秋だけど春:2014/10/10(金) 20:30:11 ID:K05YJkU6
 a hope様

私は女性的な人間ではないので、貴女のように、丁寧に相手に接する人は出来ませんが。
今日限られた時間でお話出来る事は、書かせていただきます。


 靖国神社と言うのは、何代か失念致しましたがある御代の陛下の為に
戦い、命を落とされた方の御霊を、今後も御皇室を護って頂く趣旨で
ある祠だか神社を立てられた。

 その流れが、靖国神社建立の意義で、上野の地は(幕末)血で穢れているから、
九段の(今の)位置が、定められたのだと聞いております。
死してなお、御霊になって、皇居をお守りされているのが、英霊様達です。

 a hope様に提示しようとしていた神示のお護り、無くなっていました。
必要でなくなったものは、自然に無くなるんですね、教えられたとおりだなあと、思いました。

 

いつか、天皇様の事を語り始めたら、涙が出てくる。。。

こんな日本人になっているa hope様を、期待して、御見守りしたいと思っています。



感謝  合掌

4468a hope:2014/10/11(土) 00:21:51 ID:cEpBaIdo

>>4457 仏心さま

<<●世界の国境抹消運動の、もう一つは、日本より始まっている大日本世界国運動であります。
世界各国の国境を消し去って、全世界にひろがる唯一つの大いなる大日本国を建設しようとする運動であります。>>


わたしは今回初めて『世界の国境抹消運動』という言葉と『大日本世界運動』という言葉を聞きました。
そしてその運動は、「着々として霊界から其の歩みを進めている運動」であり、
さらには「この運動には全世界が一国でなければならないと云う、古今を通じて誤らざる真理と、
全世界には中心が唯一つだけあるべきだという天地一切の事物に通ずる真理とが、完備している」とありますね。

とても興味深いです。

ですがこの件に関しましては、仏心さまが謹写してくださった文章からだけではその本当の文意が読み取れないので、

仏心さまの

<<ここに書かれていることは『真理』なのでしょうか、
はたまた「対機説法」であり一つの切り口なのでしょうか?時代とともに『日本民族の使命』も変わるのでしょうか。 >>

というご質問には、お答えすることはできません。

(つづく)

4469a hope:2014/10/11(土) 00:24:20 ID:cEpBaIdo

>>4468 つづき)

ですが、以前、やはり仏心さま(曳馬野さまでしたっけ?)とお話しているときに、偶然ですが、
「邁進日本の心と力」(昭和13年11月発行)の中に、頭注版「生命の實相」第13巻のオリジナル版とも言える文章を見つけました。
その内容でしたら、すべて拝読しましたのでお答えできます。


まずは、以下に「驀進日本の心と力」と頭注版「生命の實相」文章を比較してみた時の、
わたしの感想文を転載させていただきます。

――――――――――――
>>4097 より

これは、たぶん、曳馬野さまがさかんにおっしゃっている、戦前と戦後で聖典の内容が変わっているという、
事例の一つなのではないかと思うのですが・・・

昨晩、聖典引用板にまとめた、「生命の實相」第13巻のp170 後ろから3行目〜の「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」
の文章のオリジナル版とも言える文章を、「驀進日本の心と力」(昭和13年11月発行)の中に見つけたのです。
(わたしは、この聖典は以前ある方からPDFファイルの文書としていただき保存してあったのです。 感謝 合掌)

それどころか、今回のテキストである第13巻の今お勉強中の第六章「価値の本質」が、「驀進日本の心と力」の中では、
第1篇「日本精神の倫理」としてほぼ同じ内容で記載されていて驚きました。

まだ、全文をちゃんと確認したわけではないのですが、わたしの持っている「生命の實相」頭注版(昭和38年初版発行)にはない文章が含まれていたり、
表現もところどころ変わっているのです。

わたしが感じたところでは、【頭注版では】愛国を思わせるような表現はすべて違う言葉に換えられていて、
文章も愛国心や天皇に関するものは削除されているようです。

特に、昨晩お勉強していた、「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」【生命の實相13巻p170】のタイトルは、
「驀進日本の心と力」の中では「物質の否定・棄揚(きよう)・神国の肯定」となっているのです。

そして、そこには、日本神国、天皇に関する生長の家の倫理学的見解がかなり詳しく述べられていて、
わたしはその部分は、今日、もう何度か拝読しましたがとても興味深い内容でした。

「生長の家」が天皇信仰であるという根拠にもなるような御文章ですが、
ですが、現在出回っている「生命の實相」には、その御文章が削除されているのはなぜでしょうか?
頭注版「生命の實相」は、谷口雅春先生が直接編集に関わられていたのではないかと思うのですが・・・

―――――――――――
(つづく)

4470a hope:2014/10/11(土) 00:27:54 ID:cEpBaIdo

>>4469 つづき)

その後、志恩さまのご指導で、それが戦後の占領軍政策の言論統制への対象となってやむなく聖典から削除された御文章なのだとわかりました。

ですがその後何年かたって、言論の自由が認められた後も、雅春先生はその時削除された「愛国心や天皇に関する御文章」を聖典に戻されませんでした。

いったいそれは何故なのでしょうか?

その内容を拝読するとわたしはすべてが「真理である」と感じましたが、
同時に「時代の流れともに表現を変えていかなければ相手に通じなくなった『対機説法』だったんだな」とも思いました。

仏心さま、わたしはこの現象界で相手にコトバのよって「真理」を伝える方法は、『対機説法』(方便)以外ないと思うのです。


ですから仏心さまの最初のご質問、

<<ここに書かれていることは『真理』なのでしょうか、
はたまた「対機説法」であり一つの切り口なのでしょうか?>>

の関しては、どちらも「YES」が答えになります。

そして最後のご質問、

<<時代とともに『日本民族の使命』も変わるのでしょうか。>>

これに関しては「変わらない」と漠然と感じていますが、わたしは、まだ、その理由を説明できるまでに真理の理解が進んでいません。

4471a hope:2014/10/11(土) 10:13:24 ID:cEpBaIdo
>>4470 訂正
わたしはこの現象界で相手にコトバ【の】よって「真理」を伝える方法は、
                 ↓
わたしはこの現象界で相手にコトバ【に】よって「真理」を伝える方法は、

4472a hope:2014/10/11(土) 10:15:29 ID:cEpBaIdo

>>4465 〜 春さま

お返事をありがとうございます。合掌。

<<いつか、天皇様の事を語り始めたら、涙が出てくる。。。
こんな日本人になっているa hope様を、期待して、御見守りしたいと思っています。>>

わたしも日本人ですから、天皇信仰のことはもっともっとお勉強してその真理に感動して涙できるくらいになりたいと、心から思っています。

春さまが、わたしを見守って下さっていると思うとさらに意欲が湧いてきます。

春さま、また、いつでもお気軽にweb誌友会にご参加くださいね。

4473a hope:2014/10/11(土) 10:30:05 ID:cEpBaIdo

http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/26057265.html

「大和の国の神示」で検索していると、上のお方のブログがヒットしました。

ですがこの記事は今は閲覧不可になっている、「訊」さまのブログからの転載のようです。

もしかしたら、春さまがわたしにご教示してくださろうとしたのはこの神示だったのかもしれないと感じたので、
以下、転載させていただきお勉強させていただきます。 合掌。

4474a hope:2014/10/11(土) 10:31:07 ID:cEpBaIdo

大和の國の神示


われ再び大日本天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)と 云ふ意味について語らん。天孫降臨と云ふことは天の父のみこころが天降つて、天の下ことごとくが一つの光の世界になり、大和、平和の世界があらはれると云 ふ意味の象徴的表現である。日本民族が世界を治めるのでなく、『天孫』すなはち『天の父のみこころ』が全世界を治める時期が到ることである。これがイエス の『主の祈り』にある御心が既に成る世界の意味である。それが真の大日本世界國(ひかりあまねきせかいのくに)である。大日本世界國と云ふことを狭い意味に解して、日本民族の國だなどと考へるから誤解を生ずるのである。そんなものは、小日本であり、本當の大日本國ではない。天の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来ることを「全世界五大洲の國土を『天孫』(てんのみこころ)に 御奉還申すべき時期が來る」と教へたのである。天孫とは肉體のことではない。「肉體は無い」と云ふことをあれほど教へてあるのに、やはり肉體のことだと思 つて執着が強いから大それた間違をして取返しがつかぬことになるのである。神からみればすべての人間は神の子であるから、特に日本民族のみを愛すると云ふ ことはない。あまり自惚れるから間違ふのである。大日本天津日嗣スメラミコトとは固有名詞ではない。理念の表現である。「大日本」すなわち「ひかりあまね き」、「天津」すなわち「天の父の」、「日嗣」すなわち「みこころを嗣ぎたまへる」、「スメラミコト」すなはち「天降りましたる帝王」と云ふ意味であるか ら、総じて譯せば「ひかりあまねき天の父のみこころを嗣ぎたまへる天降りましたる帝王」と云ふことである。天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平 和になる世界になれば、それが本當の大和の國である。それが本當の大日本天津日嗣すめらみことの治しめし給世界である。肉體のことではない。


(昭和二十一年一月六日朝の啓示による)

4475a hope:2014/10/11(土) 10:39:14 ID:cEpBaIdo
「大和の國の神示」講義

〔われ再び大日本天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)と云ふ意味について語らん。〕

 神示の冒頭に「われ再び・・・」と言われているのは、生長の家の草創期に天降った「久遠天上理想国実現の神示」(昭和七年五月二十七日)、「実相金剛身の神示」(昭和七年九月二日)、「梅の花の神示」(昭和八年一月六日)を通して、神は「日本国」と「天皇」の実相を明らかにされたが、大東亜戦争と、それに続く連合国の日本占領によって、日本国民の永続性と久遠性との自覚が破れ、国家大権と天皇大権が一時中断されたなかで再び「天皇」と「日本国」の実相を明らかにしようとされたからであります。

 さて、「天津日嗣」の〝天津〟とは、天津神すなわち「実相の神」のことでありますが、本源の神としては天之御中主神様を申し上げ、これが陰陽二つの働きに分れて見れば高御産巣日神(たかみむすびのかみ)様と神産巣日神(かみむすびのかみ)様の二柱の神様のことを申し上げているのであります。つぎに〝日嗣〟(ひつぎ)というのは〝日〟は即ち〝霊〟(ひ)であって「霊的理念」のことであります。従って「天津日嗣」とは、天之御中主神の中心帰一の原理であるところの「中」(みなか)の理念を承け継ぐということであります。つづいて「天孫降臨」と云うことでありますが、〝天孫〟の〝孫〟とは子のつぎの三代目になる孫といった意味ではなく、「天の御心」(理念)の真子(まこ)即ち「真実の子」(真実の具体化)という意味であります。ですから「神示」には、

〔天孫降臨と云ふことは天の父のみこころが天降つて、天の下ことごとくが一つの光の世界になり、大和、平和の世界があらはれると云ふ意味の象徴的表現である。〕

 と示されているのであります。つづいて「神示」には、

〔日本民族が世界を治めるのでなく、『天孫』すなはち『天の父のみこころ』が全世界を治める時期が到ることである。これがイエスの『主の祈り』にある御心が既に成る世界の意味である。〕

 と、示されているのであります。これはどういうことであるかと申しますと、天孫が天降ってきて、この世界を治めるということは、何も、肉体の孫がでてきて全世界を治めるということではないのであり、「天の父のみこころ」を受けた真(まこと)の子すなわち、皇孫尊(すめみまのみこと)によって全世界を治める時期が来るということであります。それは「御心の天になるが如く、地にもならせ給え」と祈れとイエス・キリストが言われたそれと同じ意味のことであります。
(つづく)

4476a hope:2014/10/11(土) 10:40:44 ID:cEpBaIdo
>>4475 つづき)

 「御心の天に成るが如く、地にもならせ給え」というのは、「神の御心が〝天〟即ち〝実相の世界〟に既に成就し実現しているのであるが、その如く〝地〟即ち〝現象世界〟にも実現し成就せしめ給え」という祈りであります。その「御心の天に成る」世界が大日本世界国であるというのであります。神示には「大日本世界国」と書いて、「ひかりあまねきせかいのくに」とふり仮名がつけられているのでありますが、漢字よりもこのふり仮名の方にもっと深い意味があるわけであります。即ち〝大日本〟とはひかりあまねき国であって、日本列島の如き小日本ではない。〝ひかりあまねきせかいのくに〟これが「大日本世界国」であるのであります。

 だから「大日本世界国」になることを、民族意識が昂揚(こうよう)して、日本民族が全世界を統一することだとそのように考えることは間違いなのであります。「大日本世界国」とはふり仮名でかいてある通り、「ひかりあまねきせかいのくに」であって、いわゆる黄色人種である日本民族の国というのは、小日本国である。本当の大日本国とはひかりの国であり、「ひかりあまねき」日本の国こそ大日本国である。それはすなわち「天の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来る」ことだということであります。

 従って「神示」に示されてあるところの「全世界五大洲の國土を『天孫』(てんのみこころ)に御奉還申すべき時期が來る」という意味は、「天孫」すなわち「天の父のみこころ」が全世界を治める時期が到るということであり、またイエスの『主の祈り』にある「御心の既に成る世界」が地にもならしめられる時が来るということであり、それが真の「大日本世界国」即ち「ひかりあまねきせかいのくに」となるということなのであります。

4477a hope:2014/10/11(土) 10:42:09 ID:cEpBaIdo
>>4476 つづき)

〔大日本世界國と云ふことを狭い意味に解して、日本民族の國だなどと考へるから誤解を生ずるのである。そんなものは、小日本であり、本當の大日本國ではない。天の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来ることを「全世界五大洲の國土を『天孫』(てんのみこころ)に御奉還申すべき時期が來る」と教へたのである。〕

 と「神示」に明瞭に示されている通りであります。そしてつぎに「天孫」とは「肉体ではない」ことが、はっきりと説かれるのであります。

 〔天孫とは肉體のことではない。「肉體は無い」と云ふことをあれほど教へてあるのに、やはり肉體のことだと思つて執着が強いから大それた間違をして取返しがつかぬことになるのである。神からみればすべての人間は神の子であるから、特に日本民族のみを愛すると云ふことはない。あまり自惚れるから間違ふのである。〕

 このように「天孫」とは「肉体ではない」ことがあきらかにされて、いよいよ「大日本天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)」の真の意味について神は語られているのであります。

〔大日本天津日嗣スメラミコトとは固有名詞ではない。理念の表現である。「大日本」すなわち「ひかりあまねき」、「天津」すなわち「天の父の」、「日嗣」すなわち「みこころを嗣ぎたまへる」、「スメラミコト」すなはち「天降りましたる帝王」と云ふ意味であるから、総じて譯せば「ひかりあまねき天の父のみこころを嗣ぎたまへる天降りましたる帝王」と云ふことである。天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平和になる世界になれば、それが本當の大和の國である。それが本當の大日本天津日嗣すめらみことの治しめし給世界である。肉體のことではない。〕

 かくの如く神示にはしめされているのであって、天之御中主神の御霊を嗣ぎ給うスメラミコトの治しめし給う世界が、これが本当の大和の国であり、それは「肉体のことではない」のであります。

4478a hope:2014/10/11(土) 10:43:25 ID:cEpBaIdo
>>4477 つづき)

さてこの「大和の国の神示」は、昭和二十一年一月一日に「天皇の人間宣言」と世にいわれる詔勅が渙発された五日後の一月六日の朝に掲示されたものであります。そして当時のことを回想すると、神武天皇の「八紘為宇」の建国の理想は世界を征服して一つに統一するという侵略主義であって、その軍閥の中枢を成しているのが天皇であるといった判断を連合国がもっていて、日本を裁くところの極東軍事裁判(東京裁判)において、天皇を戦争犯罪人として出廷せしめようとする強い動きがあるなかで、私はこの啓示を受けたのであります。従って占領軍の天皇への風当たりを避けしめるためその表現には配慮がなされているわけであります。私は、天皇さまを、實相を直視して全知全能の神の御現われであるというように今も考えているのであります。そしてアインシュタインがいみじくも言った如く世界連邦が成立し、誰をその連邦の神聖な中心にすべきであるかというと、さてこの「大和の国の神示」は、昭和二十一年一月一日に「天皇の人間宣言」と世にいわれる詔勅が渙発された五日後の一月六日の朝に掲示されたものであります。そして当時のことを回想すると、神武天皇の「八紘為宇」の建国の理想は世界を征服して一つに統一するという侵略主義であって、その軍閥の中枢を成しているのが天皇であるといった判断を連合国がもっていて、日本を裁くところの極東軍事裁判(東京裁判)において、天皇を戦争犯罪人として出廷せしめようとする強い動きがあるなかで、私はこの啓示を受けたのであります。従って占領軍の天皇への風当たりを避けしめるためその表現には配慮がなされているわけであります。私は、天皇さまを、實相を直視して全知全能の神の御現われであるというように今も考えているのであります。そしてアインシュタインがいみじくも言った如く世界連邦(※)が成立し、誰をその連邦の神聖な中心にすべきであるかというと、自然に日本天皇がその首座に推されるほかはないと信ずるものであります。

 「世界の未来は進むだけ進み、その間幾度びも争いは繰り返され、最後に戦さに疲れる時がくる。その時人類は必ず誠の平和を求めて世界的盟主をあげねばならぬ時が来る。この世界盟主なるものは、武力や金の力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた最も古く又尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならぬ。吾々は神に感謝する。天が吾々に日本という尊い国を作って置いてくれたことを。」(谷口雅春著書『秘められたる神示』170頁より)

『大和の国日本』29頁より謹写――

4479a hope:2014/10/11(土) 11:14:28 ID:cEpBaIdo

>>4478の文章に重複部分があるようですが、
文意は伝わると思いましたので、そのまま転載させていただきました。

4480 不生の仏心:2014/10/11(土) 21:02:24 ID:zTvAOV2w
>>「久遠天上理想国実現の神示」(昭和七年五月二十七日)、「実相金剛身の神示」(昭和七年九月二日)、「梅の花の神示」(昭和八年一月六日)を通して、神は「日本国」
と「天皇」の実相を明らかにされたが

と云われる三つの神示を普通に読めば私が引用したような戦前の雅春先生の解釈になるものと思います。
「大和の国の神示」が三個の神示と同じに読めますか?
生長の家は、雅春先生は『天皇』をどのようなものと説き、皇位にある『肉体天皇』はどのような方であると説いているのでしょうか?
私には神自身が戦前に云ったことを言い訳しているように聞こえます。

4481a hope:2014/10/12(日) 17:02:33 ID:cEpBaIdo
>>4461 つづき)

生命の實相 第14巻 p91 6行目〜

実相ばかりをみていたら、現象を視る犀利(さいり)な批評眼を盲(めいし)にしてしまい、
本当の現象界に処して善処する実際的知恵を失ってしまいはせぬであろうか。
われわれが世に処してゆく上には裏の暗黒面までも想像してそれに善処する方策を考えておかねばならぬと説く人もあります。
そういう小才のきいた処世人は一時は成功するにしても、しばらくにして人格から光を失ってしまい、
偉さを失ってしまい、多くの人々をリードする人格の力を失ってしまって、大成することはむずかしいのであります。

今どんな知恵者でも、人間の悪い方面、暗い方面ばかりを探し出して得意になっているようなことでは、
自分自身の人格が低卑となり、小さくなり陋(みにく)くなり、ついには自分自身の人格の光が消えてしまうこと、
良人の暗黒面ばかりを見ている細君がヒステリーで倒れてしまうと同じようになるのであります。

われわれはある場合、この世界に、家庭に、良人に、子供に、いろいろの悪が顕れるのを見ることもありましょう。
不完全が顕れているのを見ることもありましょう。
そしてその悪を正しい不完全を正していきたいと欲(おも)うでありましょう。

しかし自分自身が不完全であっては、何物をも何事をも本当に改善することはできないのであります。
環境はただ自身の展開であります。
自分がすべてのものの実相の善さを見る心になってこそ、環境の一切人を、一切事物をよく整えることができるのであります。

誰でも少しく心理学的研究をした人は、悪を征服するのに、悪の存在を認め、それと組み打ち戦うよりも、
「悪」はないとして、ただ「善」のみを心に浮かべてその念の催しのままに行き行為していったとき、
かえって善が実現するものだということを知っているのです。

良人が細君を叱り飛ばして、そのために細君がよくなったという例は稀であります。
良人と妻と、親と子とが、互い互いに彼らに、「悪はない」と信頼し、励まし、喜ばし、鼓舞してゆくようにすれば、
互いの信頼が反響し、増幅し、人格向上の実現的効果は著しくなるのであります。

(第六章、終わり)

4482a hope:2014/10/12(日) 17:03:42 ID:cEpBaIdo
>>4481 a hope所感)

<<しかし自分自身が不完全であっては、何物をも何事をも本当に改善することはできないのであります。
環境はただ自身の展開であります。
自分がすべてのものの実相の善さを見る心になってこそ、環境の一切人を、一切事物をよく整えることができるのであります。>>

これが、唯心所現の真理であって、この真理を体得した人が「一切者の自覚」を持った人物ということになるのだと思いました。


みなさま、 ここで「第六章 恋愛・結婚・夫婦生活の倫理 」が終わりましたので、
次からは「第七章 家庭の宗教生活化」に進みたいと思います。

気軽にご参加くださいね!

4483a hope:2014/10/12(日) 17:04:54 ID:cEpBaIdo

>>4480 仏心さま

今夜、三つの戦前に天下った神示と終戦直後に天下った神示である大和の国の神示をじっくり読み返してみますね。

4484a hope:2014/10/12(日) 17:11:50 ID:cEpBaIdo

掲示板をご覧のみなさま

実は、大熊先生も昨日のブログで『生長の家の斎神』に関してとても重要なご教示をしてくださっています。

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

以下に一部だけ、掲示板用に読みやすくするために改行を詰めて紹介させていただきます。合掌。

―――――――――
谷口雅春先生は、幽斎殿の斎神は、当初「天照大御神」「住吉大御神」「観世音菩薩」と思われていた。。
しかし「御心」を問われているうちに、霊感のある女性から来た手紙での指摘に「神意」を観られるのである。

そして、斎神を決定される。

「天照大御神様」
「塩椎大御神様」
「住吉大御神様」

御三神であると。

その意味は、「天照大御神」様の具現化としての「住吉大御神」様、「塩椎大御神」様であるが、
「塩椎大御神」様は、「御心」の具現であり、「御教え」であり「聖典」の象徴である。
「住吉大御神」は、その「御教え」を行動化(「浄化」澄み良し)する象徴であるのである。

しかして・・
3・11「東日本大震災」では、塩釜神社を祭祀する、宮城県を中心として「津波」の被害を受けたのであった。
聖典を象徴する海の神(産みの神)塩釜(塩椎大神)が、津波(流産児の涙)で・・冒されたのだ。

なんということであろう。

(つづく)

4485a hope:2014/10/12(日) 17:13:02 ID:cEpBaIdo
>>4484 つづき)

昭和60年5月24日。

最終講話で尊師は、私はもうお話しすることはない。
全て本に書いてあるから、読んでいただければいいのです。

とはっきり御遺言されたのでありました。

それを踏まえていうならば、生長の家的な、解釈であれば、
「御教え」である「聖典」の多くをおろそかに(読めなく)することそのものが真理隠蔽となるのであります。


そのことで必然、最初で最後谷口雅春先生が、神の御名で出された大号令。
「神命の書」さえも隠蔽されたのでありました。

(「神命の書」の写真)

幻の「神命の書」がいのちを守る奇蹟の事務所に届いた。。
ご覧になりたい方は事務所にお越しください。

そのことで・・「中絶」止まず、戦後総計、1億5千万人以上の「かわいい赤ちゃん」を無残に殺し続けた飽和点こそ、3・11ではなかったのか。

その深い意味が分かるのは・・谷口雅春先生から御教え(生命の實相・原理原則)と、
個人指導の根本となる、生命の法則(指導原理)(こうしたら、こうなる・・)を伝えられたからである。。

青天の霹靂どこではない。聖典の喪失である。
なんという皮肉。その直前に、教団から「聖典」は失われた。

自ら、社会事業団を「著作権問題」で訴えて、結果(最高裁で敗訴してしまったのだ)。

これからも裁判闘争が続くかもしれませんが、教団の勝訴は、まず、無理でありましょう。それは、失う前に捨ててしまった、その心の形の具現こそが「裁判」での「最高裁」の判決でありましょうから。
私はそのことを、一信徒として深く悲しむものであります。


[ただし例外としては「理念」たる大調和の精神を回復すれば聖典は戻るはず。
その方法・・メルクマール(目安)は、(1)住吉(澄み良し)の理念を回復し、
(2)尊皇の路線(完全平和)を回復し、(3)日の丸君が代を尊崇する精神(みすまる)を回復する事です。

そのことで、必然「聖典」は尊重されて、続々「再刊」「復刊」されるでありましょう。これぞ、塩槌の大神の復活であります。]

創始者谷口雅春先生の奥様であり、私たちの教えの母でもある「谷口輝子先生」は、裁判は生長の家に似合わない。
裁判というものは避けるべきものであると語られていたという事をよく聞きます。さすがであるな、と思ったものでした。

大調和こそ、御教えの根幹であるが、人間関係が「壊れたとき」に、和解ならぬ「裁判」があるわけで、
自ら裁判で訴えて負けるとは、生長の家史においては前代未聞。
当代では今後・・予想がつかないが(4代目以降も)、最低限の「モラル」がある限り、あり得ない事であろうと思う。

もし、このことが「恥ずかしい事」であるのなら、総裁先生おひとりの責任ではない。
私も信徒の末席にある者。信徒も含めた「生長の家」教団全員の全体責任であると思う。
聖典をおろそかにしている点。赤ちゃんを見殺しにし続けている点。

もうひとつ、畏れ多い事であるが、あえて言えば、「鎮護国家」外しは、生長の家出現の理念を根底から覆すものであったことに関して、
私は当時「講師」として宇治別格本山で末席にあったとはいえ、指導をさせていただいていた責任において私の責任を「懺悔」しなくてはならない。

御恩をいただいた多くの上司(谷口雅宣総裁先生)、先輩、同僚を含めて、限りない慈愛を戴き放しであり、
私も、この時期に「録を食んだ者」として・・安易に、批判できる立場にはない。

ただ、「鎮護国家」外しだけは、絶対にしてはならないことをしてしまったことを思う。

もし、違和感を感じないのであれば、それは「神の真義とその理解」(あるいは「生長の家30年史」・「40年史」・「50年史」)を読んでいないからだろう。

そこには、尊師(生長の家・生長の家大神)が「鎮護国家」のためにこそ、出現されたことの因縁が重ね重ね書かれてあるのだ。
生長の家の「悟り」と「神観」の全貌がそこに明記されているのである。

――――――――――

4486a hope:2014/10/12(日) 17:15:38 ID:cEpBaIdo

>>4484 >>4485 a hope 所感)

<<ただ、「鎮護国家」外しだけは、絶対にしてはならないことをしてしまったことを思う。
もし、違和感を感じないのであれば、それは「神の真義とその理解」(あるいは「生長の家30年史」・「40年史」・「50年史」)を読んでいないからだろう。>>

とありますが、正直に言えば、わたしは「鎮護国家」外しにほとんど違和感を感じませんでした。
鎮護国家という意味自体が全くわからなかったからです。(今もよくわかりませんが・・・)
大熊先生はその理由として、「神の真義とその理解」を読んでいないからだといわれています。

以前、一部を復興Gさまが謹写してくださったので、今、それも読み返そうかと思っています。
先日、春さまとのやり取りで少し紹介させていただきましたが、>>1081>>1090  そして >>1272>>1283  で拝読できます。

「生長の家の教え」は本当に深いですね。
でも、だからこそお勉強のし甲斐があるのですね!

4487神の子さん:2014/10/12(日) 23:37:14 ID:???
a hopeさま
>>(一) の方は榎本恵吾先生のご・主・張・で・は・な・い・のでです。

>>恵吾先生のご主張は、あくまも(二)であり、唯神実相、実相一元に徹し、貫かなければならない、とおっしゃっていますよね。


それなら了解です。よかった。実相独在、大好きです!!これをよくぞ知らせて下さった。雅春先生!って
つくづく思いますものね!これが知らなかったら、生きていけるのか?ですもの!

巷(ちまた)は 大概 ☆心の法則☆ が真理であったりするんですね。斎藤一人とか。

神人合一をめざすヨガや気功教室でさえも ☆物質有り☆。の考え方でしたからね。

 話、それて ごめんなさい。  では、

4488a hope:2014/10/13(月) 18:14:49 ID:cEpBaIdo

>>4487神の子さん

わかっていただけて、ホッとしました(*^-^*)

唯心所現や業の流転等の「心の法則」(横の真理)は生長の家でも対機説法(方便)として説くと思いますが、
それらは現象世界(霊界も含む)のことなので、「実装独在」の立場から言えば、「本来無い」ことなんですよね!

でも、現象世界があると思ってそれに捉われて苦しんでいる人に、
いきなり「実相独在」や「人間神の子(唯神実相)」の縦の真理を説いてもわからないから、
ふつうは対機説法(方便)として「心の法則」から説いていき、
最後に「そんなことはすべて現象世界のことであって、本当は病なし・迷いなし・罪なしなんですよ」って
「実相独在」「唯神実相」を説くのだと思います。

ですが、榎本恵吾先生は、心の法則はほとんど説かず、「実相独在」「人間神の子」の大乗を貫かれたのだと思います。

だかた、わたしは、恵吾先生はホントにすごい先生だったんだなって思っています。


トキさま、訊けさま 「生長の家」のみなさま わたしの上の説明に間違いがあればどうかご指摘をお願いします。

4489神の子さん:2014/10/13(月) 22:15:36 ID:pBuxGS.6
a hopeさん  レス ありがとぉ。

あなたの言うので合ってると思いますよ。

実相独在は難しいですものね。でも自分が「うわっ幸せ!」って感じるときは実相独在が

ちょっとでも解った時なんですよ。(大した解り具合じゃないですけど)もう既に今、神の子なんですものね。

すごい教えに出会えましたよね。横の真理ぽっちしか知らなかったらどうなってたでしょう。

心なんか自由にならないから、却って苦しんだでしょうねぇ。

色々、とりとめのない事を言って申し訳ありませんでした。

4490a hope:2014/10/13(月) 23:49:55 ID:cEpBaIdo

>>4489 神の子さん 

もしかして、神の子さんはるんるんさまなの?

わたしは、最近「うわっ幸せ」って感じること、すごく多くなってきていますよ。

栗の渋皮煮が上手にできて、主人がおいしそうに食べてくれたときとか・・・
子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきたりしたときとか・・・

ホントに大したことじゃないんですけどね。
家族が幸せそうな時に、わたしも「あー幸せ!」ってよく感じます。

「生長の家の教え」は家庭生活に生きてこそ本物ですよね。

ところで現在のweb誌友会のテキストの内容は「第七章 家庭の宗教生活化」です。

よろしかったら、またいつでもご参加くださいね!

4491a hope:2014/10/14(火) 20:59:12 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p94 6行目〜

十月十八日の朝のことであった。
ラジオの聖典講義であまりにも有名になられた某僧侶さんの聖典講義に敬意を表して、
唯声だけでもよいと思ってきいてみたが、あとにも先にもそれがわたしのその某僧侶の講義をきいた唯一回でありましたが、
その僧侶のいわれるには「本当の自分というものがこんなに醜く穢れた自分であるということを悟るのが宗教である」
と声を激していわれたのにはわたしは思わずラジオのスイッチを切ってしまったのでありました。

わたしにいわせれば、本当の自分というものは真清浄真無垢である。
それは神と同体、阿弥陀仏と同体であるのであります。
それが一時醜く穢れたる相(すがた)に見えようとも、それは本当の相ではないのである。

それは「非存在(にせもの)の我」の仮の相である――そんな醜い相は、アルように見えているにしても、
それは本当にあるものではない――本当の自分が根本からそんなに醜く穢れたものであるならば、
本物がそんなに下らないものであるならば、われわれは未来永劫救われっこはないのであります。
本当の自分が真清浄真無垢なるものであればこそ、そこにこそわれわれの救いが成立するのであります。

わたしは断言いたしますが、本当の自分は醜く穢れたものであると知ることが宗教ではありません。
どんなに外見が醜く見えようとも本当の自分は『法華経』の言葉を藉(か)りていえば窮子(まずしきこ)ではない、
無限長者の跡継ぎである、言いかえれば、神の子であるということを知らせるのが宗教なのである。

その宗教とはわれらの哲学や学説ではない、「われ神の子」の自覚がただちに生活となり、そのままが家庭となることであります。

(つづく)

4492a hope:2014/10/14(火) 21:10:04 ID:cEpBaIdo

>>4491 a hope所感)

わたしは、朝の家事の時やウォーキングの時など、出来るだけ、
谷口雅春先生や徳久克己先生榎本恵吾先生などの講話を拝聴するようにしています。

忙しく動いたりしていると、その内容なんかはよく把握していない場合もありますが、
それでも聞き流しているだけで不思議と心が落ち着いてきて、探し物が見つかったり、
忘れていたことを思い出したりと不思議にまわりの環境が整ってきます。

真理を体得されている人のお話は、ただ聞き流しているだけでも良い波動が伝わってきて、
自分も良い波動を出せるようになるのではないかと感じています。


<<・・・神の子であるということを知らせるのが宗教なのである。
その宗教とはわれらの哲学や学説ではない、「われ神の子」の自覚がただちに生活となり、
そのままが家庭となることであります。>>

どんなによい宗教(教え)であっても、それを信仰しているという人たちが、
その「聖典」をめぐって裁判をして争っていて、「大調和の教え」なのに和解する努力もせず、
相手の欠点を指摘し合って、批判ばかりしているような状態を見たら、、
いったい誰がその「教え」を心から信頼してくれるというのでしょう。

みなさまは、
『わたしは「生長の家の教え」を信仰しています!素晴らしい教えなんです。』
と誰にでも胸を張って言えますか?

4493トキ:2014/10/14(火) 21:55:19 ID:ChYKfF4M
>>4492

 これは、講師とか幹部という人が自戒すべき点ですね。

 谷口雅春先生は、「静思集」で、”先生と言われる事は、危ない事である”
と書かれていますが、先生、先生と言われると、いつか自己を見失う事があ
ります。初心に還る、基本を大事にする事こそ、先生と言われる人に大切な
のですね。

 ちなみに、私は”先生”と言われる人ではありませんが、謙虚でないので、
反省をしております。

4494a hope:2014/10/15(水) 20:35:03 ID:cEpBaIdo
>>4491 つづき)

生命の實相 第14巻 p95 7行目〜

自分自身を醜いつまらない人間だと見る人は、また他の人をば醜いつまらない人だと見る人であります。
人は自分のとおりのものを相手に移入して、相手のうちに自分自身の影を発見するのであります。

家庭の中にあって本当の自分はつまらないと思う人があるならば、その人は他の家族に対しても、
本当の貴様は実に醜くつまらないと見る人なのです。
「あんなことをいっていても本当の貴様の腹の中は実に醜く穢(きたな)いものであるぞ」
こんな考えを持ってすべての家族に対するならば、その人の家庭の空気は必ずや窒息するように暗くなってくるのであります。

だから、妻に対してその「本当の彼女」を見るということは、
彼女の腹を割ってみたら出て来るであろうところの醜い穢らしさを見ることではなく、
その神の子なる完全なる実相を見ることなのであります。
良人に対してその「本当の彼」を見るということは、
彼の腹を割ってみたら出て来るであろうところの醜い穢(よご)れた内心を暴露することではない。

たとい、醜い穢れた内心があるように見えてさえも、それは本当の彼ではない仮相であるとして、
その仮相の奥に神の子たる十全の真の良人を見ることであります。
これが真の宗教であり、宗教が家庭に生きることなのであります。
たとい今の現われはどうあろうとも妻は良人の完全なる実相を見、良人は妻の完全なる実相を見、
親は子の完全なる実相を見るところに完全円満幸福なる家庭が出現するのであります。


理論ばかりでは、それが実際生活にどういうふうにあらわれて来るものであるかについて、
明らかな概念が得られないでありましょうから、
ここには、その一、二の実例をあげて説明することに致しましょう。

4495a hope:2014/10/15(水) 20:39:36 ID:cEpBaIdo

>>4494 a hope 所感)

この後、奥様が、酒のみで外泊ばかりする良人の実相を観て、愛し、敬し、信頼することで、
「世の中で一番悪い良人だと思われていた良人が、今では世の中にこんなに善い良人が
他にもう一人あろうものかと思われるほどによい良人になりました」というくらいに良い良人に変身させた実例と、

喧嘩好きで勉強嫌いでおまけに家庭内暴力をふるい家出までしようとしている中学二年生の息子を、
お父さんがその仮相を見ないで、実相の、善良なる神の子なる息子を見るようにしたことで、
息子のご機嫌が直り、家でも中止し、親思いのやさしい息子に変身させたという実例が紹介されています。


わたしは、この二つの実例への雅春先生の指導を拝見していて感じたのですが、
本当に相手の実相を顕現させるためには、いくら神想観をして完全円満な「神の子」イメージを浮かべ祈ってみても、
一方でその相手に対して悪感情をもっているようでは効果はないのではないかと思いました。

p98の2行目に、

<<この奥さまはわたしの忠言に従って、今まで良人の仮相(かりのすがた)を見て軽蔑していた念を捨てられ、
良人の実相を観て、愛し、敬し、信頼することにせられたのです。>>

とあるようにこの奥さまは、まずは『良人への軽蔑の念』つまり良人に対する悪感情を払拭されてから、
良人に対して、心からの愛と尊敬と信頼という良い感情を起こされました。

また、

p100の4行目に

<<学校の先生も、家庭の皆さんも、この子供は始末におえぬ不良少年だと思っているから、
その思っている念がそのお子さんに反映して、本来神の子なる善良なお子さんを悪く見せているのですから、
今日からそのお子さんを始末に終えぬ不良少年だなどと思わぬようにしなさい。>>

とあるように、雅春先生は、周りの人たちの「その子供は不良少年だ」と思い込んでいる悪念(悪感情)がその子に伝わり、
その子を不良少年にしているのだから、その念(悪感情)を変えるようにご指導されています。

本当の意味で「実相を観る」とは、ただ神想観をして相手の完全円満なイメージを脳裏に浮かべるだけではなく、
自分自身の相手に対する悪念(悪感情)を払拭し、愛・尊敬・信頼等の良い感情を起すことなのだと思いました。

そうすると、その良い念(波動)が相手に伝わり、相手も良く変わるのではないかと・・・。
それが、「自分が変われば世界が変わる」という本当に意味なのではないかと・・・。

そう考えてくると、何年も相手の実相を祈っていても相手がよくならないというのは、相手が悪いのではなくて、
自分自身に実相を観る力(自分の感情をコントロールする力)がないからなのではないかと今、漠然と感じています。

つまりは、自分自身の悪感情を払拭し、相手を愛し、尊敬し、信頼する力ということですが・・・。

次にあげられている、三十年間もある一人の女教師を恨み続けていたというB氏の体験談(p102)はとても興味深いです。

4496a hope:2014/10/15(水) 20:43:02 ID:cEpBaIdo

>>4493 トキさま

<< 谷口雅春先生は、「静思集」で、”先生と言われる事は、危ない事である”と書かれていますが、
先生、先生と言われると、いつか自己を見失う事があります。
初心に還る、基本を大事にする事こそ、先生と言われる人に大切なのですね。>>


本当ですね。
「先生」と呼ばれているから偉いと勘違いしてしまう人は、本当に危険かもしれませんね。

その道のプロであるから「先生」と呼ばれるわけですから、
「先生」と呼ばれるからには、人一倍その道(教義)のお勉強をしていただきたいとわたしもいつも思っています。

ところでわたしはトキさまの素性は未だに知りませんが、とても謙虚で素敵な方だと感じています。

4497a hope:2014/10/16(木) 11:00:03 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p102 後から5行目〜

B氏はまだ『生長の家』誌友になって間がないのに、一週間もすると怒る心、怨む心、争う心の三悪心が自然に内から消えてしまったと告白された。
この人は今まで宗教的修養を熱心に目指された方であって、三年間に六畳敷の一室に天井までとどくほど修養書を読破されたほどの人であります。
けれども悪人を本来アリと認めて外から心を磨いてゆくいわゆる「修養」では、どうしてもこの三悪心は解けないのであります。

たとえばこの人は小学校時代に唱歌の女教師と些細な感情の行き違いから零点を付けられた。
零点ではお情け及第すらもできないのであるから、そのために少年の運命がどんなに阻まれるかしれない。
B氏自身は、小学校の落第を発表されるころには中学校の選抜試験に及第していてなんら前途の障礙(しょうがい)を受けませんでした。
けれどもなんといっても学校教師ともあろう者が、自分の感情から少年の前途を阻む惧(おそ)れのあるような行為をするとは赦しがたきことである―― 
こうB氏の恨み心は、爾来(じらい)三十数年間ズーッと続いてきたのでありまして、
いかなる外からの修養もこの恨み心を解消することできないのでした。

B氏は思えらく、この恨みは、相手の女教師が死ななければ消えないのであろうと。
ところが、三年前にこの女教師は死んでしまったけれども、いっかなこの恨み心は消えないのでありました。
そしてB氏はまた謂(おも)えらく、「この怨み心は自分が死ななければ消えないであろう」と。

ところがB氏がわたしの講演を聴き聖典『生命の實相』を読まれるに至って、忽然として、その恨み心が内から消えてしまったのでありました。
この話は、かつて『生長の家』誌にちょっと書いておきましたが、ここには三十年間修養を重ねてこられても消えなかった
かくも深く激しい恨み心がなにゆえかくも容易(たやすく)消えてしまったかを考えてみたいのであります。

それは今までその「恨み心」が消えなかったのは「恨み心」を本来アルとして取り扱ってこられたからであります。
ところが「生長の家」の聖典を読むと「恨み心」は本来無い、ただ本来恨まない心のみが実在であって、
それのみが本来の自分であると知らされたからであります。

恨み心は本来無い心だと知ったために恨み心は消えてしまい、恨まない神の心のみが実在であると知ったために、
恨まない本当の心が顕われて来たのであります。
それは内からの更生であり、みたまによる生まれ更わりであったのです。

外から形で矯(た)め直していったのでは、一つ直っても全体が直らない。
ところが、B氏が内から更生してきて実相が顕れてきますと、恨み心、怒り心、争う心、穢(きたな)がる心、
恐れる心、驕(おご)る心が同時に解消してしまったのであります。

もう一つ実例を挙げるならば・・・ (以下略)

4498a hope:2014/10/16(木) 11:02:17 ID:cEpBaIdo

>>4497 a hope所感)

わたしも以前はとても感情が激しくて、よく言い争いをしたり、相手の意見も聞かずに自分の我を通してしまったりしていました。
ですが、「生命の實相」を拝読して、神想観をするようになってからは、感情がおおきく波立つことがほとんどなくなってきました。

最初の頃は聖典に書いてある真理を意識して、自分の感情を無理にコントロールしようと頑張っていましたが、
今ではほとんど我慢することもなく自分の感情を穏やかに保てるようになってきています。

<<ところがB氏がわたしの講演を聴き聖典『生命の實相』を読まれるに至って、忽然として、その恨み心が内から消えてしまったのでありました。>>

ありがたいことに、今では you-tubeなどでいくらでも谷口雅春先生の講演が聴けますし、
聖典だって、amazonに行けば、中古でいくらでも安く手に入ります。

現代に生きるわたしたちは、真理のお勉強をするという意味では、昔よりもずっと恵まれているのだと思うのです。

ただ、一つ必要なのは「やる気」だけですよね!

4499秋だけど春:2014/10/16(木) 21:08:07 ID:JqsAztRk
けちをつけるようで、ごめんなさい。

>>ありがたいことに、今では you-tubeなどでいくらでも谷口雅春先生の講演が聴けますし、
聖典だって、amazonに行けば、中古でいくらでも安く手に入ります。<<

この感覚が、私には心地よく感じません。

例えば、 私の靖国の友人などは、なるべく靖国神社やその周囲のお店にお金を使うようにしています。
また、自分も、中古の本は買った事がありません。

聖典をたくさん買った人が、「生長の家にはたくさんお金をかけた」と聞いた時も、呆れました。


滅私奉公の精神が無くなったから、現象の事に恵まれていると錯覚するのは、間違いではないでしょうか。

4500秋だけど春:2014/10/16(木) 21:27:02 ID:JqsAztRk
>>現代に生きるわたしたちは、真理のお勉強をするという意味では、昔よりもずっと恵まれているの
だと思うのです<<

ここが、一番引っかかったんですよ。


今、一番、混乱している時と認識していますし、本当に本来の生長の家の御教え屋
天皇国日本がわからずじまいで、単に聖典読んでますだけで、現象的には恵まれている?
い感覚は、    まだまだ、、 おわかりではないのかなあと、拝察いたします。


求途の精神が強ければ、千円も一万円も、一緒なんですから。

そこ、大事ですよ。



死ぬ気で来た人たちを 立ち直らせてきた実績は、事実だから。


ま、hopeさんかんじの白鳩がええ買ったから、教団も壊滅するんでしょうけどね。

4501秋だけど春:2014/10/16(木) 21:31:53 ID:JqsAztRk
訂正  

生長の家の御教え屋⇒生長の御教えや
求途の精神が強ければ⇒求道の精神が強ければ

です

4502秋だけど春:2014/10/16(木) 21:38:11 ID:JqsAztRk
ま、hopeさんかんじの白鳩がええ買ったから
⇒、hopeさんみたいな感じの白鳩が多かったから

に、訂正させていただきます

4503秋だけど春:2014/10/16(木) 21:49:28 ID:JqsAztRk
もしhopeさんが、本当に生長の家の本髄を学ぶなら、
伊勢の練成
お薦めします。

聖典だけでのアホホープでおわらないよう、祈願しています。

4504トキ:2014/10/16(木) 21:58:47 ID:Wk.49lBI
>>4497

 おそらく、これは、元海軍主計大佐だったN先生の事かと思います。
生命の実相にも登場する人ですが、谷口雅春先生が匿名にされているので、私もイニシャル
にしました。

 余談ですが、海軍の場合、いわゆる軍事を担当する人とは別に、主計や軍医の場合は、
別のワクで採用され、官位も「主計大佐」「軍医大佐]などと称しました。

 私も家の近所に海軍大佐だった人が住んでおられました。その頃、老人を詐欺する人
が横行しており、私が話しかけても無愛想な態度でしたが、あるとき、その人から

 「君は何か信仰をもっているのかね?」

と質問をされ、

 「生長の家をしております。」

と返事を申しあげたら、

 「そうか。それなら、信頼できるな。」

と返答をされ、その後は打ち解けた態度を取って下さった事がありました。
 
 後日、理由を尋ねると、その方の友人に生長の家の人がおられ、その人
がとても尊敬できる人間なので、生長の家の人は信頼できると判断したみ
たいです。

閑話休題。

4505a hope:2014/10/16(木) 23:58:57 ID:cEpBaIdo

>>4499 春さま

わたしの発言で、春さまがご気分を害されたのであれば、心からお詫びをいたします。

わたしが生長の家の教えを学びたいと思ったきっかけは頭注版「生命の實相」を拝読して魂を震わせたからで、
今現在は、40巻読破もしましたが、そこには、天皇信仰のことも愛国心のこともほとんど書かれていなかったのです。

だから、神道から生長の家の教えに入られたという春さまとは「生長の家の教え」に対する認識が
大きくかけ離れてしまっているのかもしれません。

天皇国日本に関しても、後々もっとお勉強するつもりでいますが、
今現在、このweb誌友会では、頭注版「生命の實相」をテキストにお勉強を進めていますので、
ご理解いただけるとありがたいです。

春さま、いつも、こんな「アホ」なわたしの事をお祈りしてくださってありがとうございます。

わたしも春さまのご活躍とお幸せを心からお祈りさせていただきます。 合掌。

4506a hope:2014/10/17(金) 00:24:47 ID:cEpBaIdo

>>4504トキさま

わたしの「生長の家」に対する第一印象も「信頼できる宗教」でした。
それは、聖典「生命の實相」の内容が本当に素晴らしく、正に自分の求めていた真理だったからです。

特に生長の家の「万教帰一」の真理には感動しました。

どんな宗教を信仰している人でも、左翼の人でも右翼の人でも、たとえ肉食大好きな外国人であっても、
あたたかく受け入れてくれるような懐の深さに魅せられて大きな希望を持って入信したのです。

ですが、わたしのその希望は1年も経たないうちに破れました。

今は、ここで聖典のお勉強をさせていただけるので本当に幸せです。
掲示板を運営・管理してくださっているトキさまにはいつも心から感謝しています。 合掌。

4507「訊」:2014/10/17(金) 08:58:13 ID:???

>>a hopeさま

 ところでちょっと、誌友会テーマから逸れてもよいですか。今朝、目覚めた際に〝天籟の音〟が私に、忽然と聴こえたものですから・・・・・その、天下った声のテーマは、「不足感」です。以下、ご紹介致します。

 今朝、目覚めた際に突如、

 「不足感=充足なのだ!」

 なる声が、私の脳内に轟いて参りました。

 ・・・・声の主はいつも、夢の中で練成会を開催くださる「藤原敏之」先生でありまして、その先生が「不足感=充足なのだ!」と、私へお伝えくださったのです。トキさん曰く、藤原先生は御生前、「わしゃ、死んでからも練成会を開催するよ」と仰っておられたとのことですが、余談ですので話を戻してこの、藤原先生の御言葉に戻りますがいや、この、「不足感=充足感なのだ!」の御言葉が、なんとも心地よく感じられたのですよねえ・・・非常に嬉しく思えたのです。

 「不足=充足」だったのです。充足しているからこそ、(五官の意識上では)「不足感が表出する」ものだったのです。事業経営者として、常に悩まされるこの「不足感」ですが、実はこれ、「悩むべき対象ではなかったのだ」と。

 ・・・・不足感が表出してくる位に、我々は、「神から与えられていたのだ」と。

 だから不足感ですが、「表出してくるたびに、喜ばなければナランのだ!」と。
 
 ・・・それが今朝の、藤原敏之先生〝脳内〟練成会ご講話の趣旨、でございました。いやホント、最近うっかりしておりましたが、重要なことを失念していたと思いましたね。

 この、「不足感=充足なのだ!」ですが、本当に「その通り」、その通りに各種聖典に書かれてあります。雅春先生曰く、「既に与えられているからこそ、欲しくなるのである」と。さらにこれを解釈するならば、「『欲しい欲しい』と思えるものは、神が既に与え給うておられナイ限り、そんな心情は起こり得ナイ」と。いやつまり、藤原先生言われるが如く、「不足感=充足なのだ!」なのでありましたね。「充足しているからこそ、その『不足感』は、湧き上がってくるのだよ」と。

 そんな声が今朝、聴こえたわけです。と、なると我々はもっと、湧き上がる「不足感」ですが、「色々な言葉で礼拝せねばならん」のでしょうね。湧き上がる不足感ですが、礼拝するには先ず、「既に頂き済みだからだ!」が良いのかもしれません。あるいは、「迷っておられた先祖が、『守護神化』した証だ!」でも、良いのかも(※)。さらには、「過去の借金(積んだ悪業)を払い終えた相だ」と解放感を味わってもよいですし、榎本先生ならば「自動展開する実相が今、発現中なのだよ」と讃嘆されるのかもしれませんね。「ニセモノが破砕された相(=自壊作用)が不足感の正体だ。ニセモノが破砕されたからこそ、今回の不足感は、意識上に上がってきたのだ」でも良いでしょうし、「求めていたのではなく、『求めしめられていた』のだ」(吉田國太郎先生)もよいでしょう。まあ、いずれにせよ、今、此処にある「不足感」 ―― ここに〝あるかのような相〟で現れた不調和 ―― ですが、「神力発現の証としてある」のでありましょう。不足があるのではなく、唯、あるのは「充足のみ」なのでありましょう。

 そう云えばその後、榎本先生の声で、「訊けクン!不足感は実相を『包んでくださっておられる』のだよ!」とそんな、言葉も耳にしました。「天孫降臨は『雲と共に』行われたのだよ!」と榎本先生ですが、ここで云う「雲」とは、「迷いの象徴」ですよね。迷いの象徴である「雲に乗って」天下ってこられたのが、日本の神でしたよね。「だから『罪=光』なのだよ!」と。・・・・・・・「今までは迷いの雲が実相を『覆っていた』と、覆っているから『実相がなかなか出てこない』と、そんな説明をしてきたけれども、『罪も光』だったんだよ!」と、榎本先生。「天孫降臨は(迷いの象徴である)雲を利用して、行われたんだよ!」と。「だから、迷いも光だし、罪も光!不足感も光だし、光だけの一元世界なんだよ!」と・・・・・そんな声で榎本先生がご解説、してくださいましたね。

 いやー、今朝の脳内練成会ですが、なかなか良かったですね。「不足感=充足なのだ!」です。「不足感すらも光!」なのであり、そうなると我々・・・・・・もう、喜ぶ以外に何もすることがナイですよね。だって、「アルから」ですもんね。「既に頂戴しているから、不足感が起こる」わけであり、不足感が起こって来ないようでは、過去の業も破砕されないわけですからその信仰生活、「順調とは言えないことになります」からね。以上、今朝の〝天籟の音〟の内容でございました。



4508「訊」:2014/10/17(金) 08:58:57 ID:???


>>4507註>

※ 「迷っておられた先祖が、『守護神化』した証だ!」

 聖典にナイ教えですんで、解説します。これはあの、徳久先生のご講話テープで聴いた内容なのですけれども、先生曰く「祈っているにもかかわらず不調和なことが起こる際は喜びなさい」と。理由は、「迷っている祖先が『自己処罰』をしているんだ」と。「迷っている祖先が子孫(我々)の現状を見て、『ああ、申し訳ない。私が不甲斐ないばかりに子孫が苦労している』と、嘆いている姿がその、不調和な状態の正体だ」と。「それだけ祖先から愛されている皆さんなのだから、喜びなさい」と。で、さらに、それで終わんないのが、徳久親分です・・・・
 ・・・さて、その祖先ですが親分曰く、「迷いが晴れて守護神化する」と。「迷いが晴れて守護神化した際に、過去の業が音を立てて崩れるため、(祈っているにもかかわらず子孫には)不調和なことが起こる」と。

 ・・・・・長い説明になりますが、まあ、つまり。つまり、不調和なことが起こった際は、「ああ今!ご先祖さまの迷いが晴れて、守護神と化してくださったのか!」と喜べって意味です。

4509rei:2014/10/17(金) 13:49:55 ID:TZgHMI6s
合掌
ありがとうございます。
私も少し発言させてください。
a hope様が頑張っておられるので、のぞいてみました。

「訊け」さまのそれは素晴らしい悟りですね。

私は最近、「仙頭泰」氏の文章を見つけて読んでいます。
66項目あるので順次ですが、とても良いです。
どのような方か詳しくわかる方がおられたら教えていただけませんか?

誌友会と関係ない話でごめんなさいね。

4510トキ:2014/10/17(金) 18:26:11 ID:EP0hJGxs
 仙頭泰先生は、古い幹部の方です。確か、本部の青年会の役職もされていました。
終戦後に練成を受けられた方で、昭和の後半に活躍された方です。徳久先生の指導を受け
られた人のはずです。たくさんの後進を育てた方ともきいています。

 最後はハワイ教化総長をされていたと記憶しております。その後、突然、本部を
御辞めになられました。その時に聞いた噂が、大川隆法氏の「谷口雅春霊言集」が
出た時に、「幸福の科学」の関係者が「谷口雅春霊言集」の関係の講演会をハワイ
の教化部で行いたいと依頼し、事情を知らない仙頭先生がそれを許可したので、
後で問題になり、責任をとる形で辞めた、というものでした。ただ、前後の事情を
考えると、私はその噂には疑問は感じております。

 その後は、本流復活派の幹部として活躍をされ、特に「学ぶ会」で活躍されたみ
たいです。私は直接の面識はなく、以上の話も伝聞に過ぎないので、その点はご理解
下さい。

4511末端信徒のトキへ:2014/10/17(金) 21:48:29 ID:???

 伝聞だったら 書くべきではないな

4512秋だけど春:2014/10/17(金) 22:58:19 ID:rh1dGMz2
なんか、伝わってないなあという感じがして、もどかしいです。

横の真理は十分お分かりになっていて、家庭も光明かしているにも関わらず、
縦の真理が、今一つおわかりではないのかなあ。。。と。

人間神の子
で、
日本国実相のことを神示に照らせば、
赤子であることの意味も当然わかることなんだと思うんだけどな。。。。

人間が神の子であるってことは、なにも生長の家に聞かずとも、
古くからの日本人なら、当然の感覚なんですよ。
で、
生長の家の凄いとこは、この古来からの教えを、理論立てて、なおかつ、
市井の人に分かりやすく書いた事なんですよ。

キリストや釈迦は、家庭生活を維持できなかったけど、出家しなくても一般人が
真理を生きるのは、こんなにたやすいことですよ、と、
そこに、雅春先生が釈迦やキリストを超えたとか、天才的宗教家と言われる所以です。

昨日自分が言いたかったのは、日本国実相顕現、人類光明か運動から外れて、
単に真理をお安くお勉強しているわ〜の感覚、これにプチっときただけで、
言い過ぎでしたので、ごめんなさい。

人が幸せになりたいのは、そりゃわかる。
幸せってなに?

人のお役になること、やること、があることだよねって、
言いたかったんです。

4513秋だけど春:2014/10/17(金) 23:11:30 ID:rh1dGMz2
仙頭泰先生は、去年だったか一昨年、一度講義受けました。
素敵な先生でしたね。
古き佳き生長の家を、信奉している感じでした。

4514a hope:2014/10/17(金) 23:13:32 ID:cEpBaIdo

>>4507 >>4508 「訊」さま

素晴らしい〝天籟の音〟藤原先生の「不足感=充足なのだ!」と、
榎本先生の「訊けクン!不足感は実相を『包んでくださっておられる』のだよ!」
のお話を聞かせてくださり、ありがとうございます。

今朝、わたしは子どもの一人のことでちょっと心配事があったのですが、
この「訊」さまのお話を拝読していると、自分の心がどんどん軽くなっていき、不安が吹っ飛んでしまいました。

子どもたちにこうあってもらいたい、とか、主人にもう少しこうして欲しいなどと考えてしまうのは、
すべて、わたし自身が相手に対して不足感を感じているからなのですが、

でも、そんなわたしの感じている不足感も、実は、子どもたちや、主人の完全円満さを知っているからこそ感じているからなのだ!
と「訊」さまの文章を拝読していて気づきました。


また、徳久先生の「迷っておられた先祖が、『守護神化』した証だ!」という言葉も心強かったです。
ほんとですね。
霊界のご先祖様が、自分の子孫を不幸にしたいと思っているはずがないのですから、
ご先祖様の祟りなんてものがあるわけがないですよね。
どんな状態のときであっても、わたしたちはご先祖さまに愛されているんだ、だから、喜んでいいんですね。
そうわかったら、うれしくてうれしくて、自然に「ご先祖さまありがとうございます。」と合掌していました。


それにしても、そのような〝天籟の音〟を夢の中の練成会で聴くことができる「訊」けさまがうらやましいです。

わたしも、もっともっと「生長の家」の先生方の講演をきいて、聖典を拝読して、
夢の中で練成を受けられるようになりたいと思いました。

4515神の子さん:2014/10/17(金) 23:14:40 ID:cEpBaIdo

>>4509 reiさま

お久しぶりです。
web誌友会ご参加、ありがとうございます。

わたしも以前、仙頭先生の御文章を拝読して感動した記憶があります。
reiさまのおっしゃる、仙頭泰先生の66項目の御文章というのは、
学ぶ会さまのHP「光の進軍」の中にある御文章ですね。

トキさまも御経歴については教えてくださっていますが、先生の名前で検索すると、↓が出てきました。

http://mixi.jp/view_event.pl?comm_id=2449281&amp;id=76880587
http://hikarinoshingun.giri.jp/04-kataru-kai/0407seimeikenkyu-kai/seimei-kenkyukai-yotei.htm

実相塾(谷口雅春門下生の集い)という学ぶ会のお勉強会で今でもご講話をされているようですね。

テキストの内容とは関係なくてもいいので、これからもご気軽にweb誌友会にご参加くださいね!

4516a hope:2014/10/17(金) 23:18:42 ID:cEpBaIdo
>>4515 は a hopeです。

4517秋だけど春:2014/10/17(金) 23:28:36 ID:rh1dGMz2
a hopeさま

貴女の優しさ、素直さ、女性としての婦徳には感服致している春から、つらつらと
言いたい事だけ書かせていただいている状況で、心苦しいのですが、また続けますが。。。

縦の真理、
これ、本当に貴女の中で繋がっていますか?

国家とか天皇様と切り離された現状の日本人と、なんも変わらない印象を受けてしまうのです。
私が辞める前の白鳩さん達と、実際は違いがない、
鎮護国家を外した事の意味が理解できていない事が、答えです。

a hopeさま
日本中の寺も、御皇室の安寧を祈っているのです。
キリスト協会は知りませんけど。

私は、自分の息子を戦地に送る時の母親の気持は、どんなだったろうかと思った時、
一瞬でしたが、動けなくなりました。

靖国神社と縁が出来て、懇意にして下さる職員さんから送って頂いた書籍を、
泣きながら、ほぼ一週間、ほとんど寝ずに読みました。
御礼の御手紙を書こうとした時、
この手紙は、神様に通じていると思った瞬間、おいそれとは書けなくなりました。
(後日、直接御礼しました)


縦の糸、これが、運命を激変させますよ。

私が実証者ですから。



天皇国日本の実相顕現の為に生長の家は出現したのだと、繰り返し言いますね。

4518a hope:2014/10/17(金) 23:45:12 ID:cEpBaIdo

>>4512 春さま

そうなのです。
わたしは、まだまだ全然わかってないのです。

春さまの「人間神の子」のご説明も、頭では理解できるのですが、
それが、感動して涙するような天皇信仰にはまだつながらないのです。


<<昨日自分が言いたかったのは、日本国実相顕現、人類光明か運動から外れて、
単に真理をお安くお勉強しているわ〜の感覚、これにプチっときただけで、
言い過ぎでしたので、ごめんなさい。>>

イエイエ、そのように感じられてしまうのは、わたしがまだまだな証拠ですので、
春さまに、時々〝喝〝 をいれていただけるとますます励みになります。

ご意見をいただけるのは本当にありがたいので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。 合掌。

4519秋だけど春:2014/10/17(金) 23:59:46 ID:rh1dGMz2
監督の「不足感すらも光!」 いいね!

先日、靖国でおみくじを取ったら、第一番の大吉だったんです。

"光に満たされている"と書かれていました。

今、どんどん又状況が変わっていって(過去に経験済みだから、頭では理解している)

:現象的なことなど、もう、これ以上の上昇など望んでいないのに、また、そういう話が来るんですね。。


神は愛也

愛を以て全てのことにあたりたいと思います。

4520「訊」:2014/10/18(土) 09:26:59 ID:???
>>reiさん
>>a hopeさん
>>秋だけど春さん

 感想をありがとうございます。いろいろ返信を書いたのですが、もう少し考えてから投稿致します。まずは取り急ぎ、感謝の念などを表明。



4521rei:2014/10/18(土) 21:00:52 ID:TZgHMI6s
トキさま
春さま
ありがとうございました。
いつも埋もれ気味の私の投稿を読んで下さりありがとうございます。

4522神の子さん:2014/10/18(土) 23:11:23 ID:wvsp.ncs
清超先生の御本に『無駄なものは一つもない』というものがある。
榎本講師の様にごてごてした解説などいらない。
すべてに光を見なければ言えない言葉でしょう。

4523a hope:2014/10/19(日) 08:39:52 ID:cEpBaIdo

>>4522 神の子さん

web誌友会ご参加ありがとうございます。
わたしは、生長の家の教えに触れたのが、雅宣先生が総裁になられてからですので、
清超先生の時代やその前の雅春先生の時代の生長の家の運動の様子等は実際にはほとんど知りません。


今、聖典引用板に雅春先生と清超先生の共著である「菩薩は何を為すべきか」を少しずつですが謹写しています。

その内容を拝読していると、時代の流れとともに「生長の家」の運動方針もその時代にあわせて変えていく必要性を、
雅春先生が『人類光明化運動指針の解義 』の中のご解説で説明くださっているように感じています。

そして、清超先生は法灯継承者としてその雅春先生のご意志を一身に受けて、
その時代に合わせた運動をされようとしたのではないかと拝察しています。

わたしは、聖歌集にある清超先生の魂に響く歌の数々が大好きです。
わたしも 清超先生は全てのものに、光を見ていらしたのではないかと感じています。

4524秋だけど春:2014/10/21(火) 19:44:32 ID:rh1dGMz2
>>時代の流れとともに「生長の家」の運動方針もその時代にあわせて変えていく必要性<<

ここでしょうね。
分裂の原因が。

時代は変わっても、説かれている真理は、変わりませんし、
生長の家の運動は日本国実相顕現のためであり、人類光明か運動なんですよ。

その根本二つを(一つ目は、二代目が変えた)、現総裁が批判にさらされることになったのは、
当然のことです。
あの方、生長家の真理は、説いてませんから。
縦ですよ、縦。

実相からすれば、無駄なものは何もないから、彼らの(と言うか、信徒全体の波長が)
戦後民主主義で甘やかされて、感謝が無くなった頃から、
教団派没落したし、
侵略戦争を教団の見解とした処から、完全に売国奴になった、し
地上における教団の意味は無くなったと見るのが妥当です。

本流は、教団を戻したいとか、救いたいとか、そういう念が強いから、余計に
揉めるんだと思います。

全く別の路線です、バイバイ、なら、今後もこじれないでしょうし、
八ヶ岳など2,3年持ちません。
そこで、和解でしょうし、そうなるべく、この掲示板も意味があるのではないでしょうか。

私は、監督や貴女のような方には、復興G閣下のような、本来の御教えの指導者が必要不可欠と考えています。

各信徒や勉強したい人たちが、得手勝手な理解をしないように、地方講師もその為に存在していると思っています。

うのはなさんが、境界型人格障害かと思われる程の粘着を監督にするのも、この、勝手な理解に対しての怒りなのではないかと、
感じています。

貴女は、これからの希望ですから、ごゆるりと学ばれれば十分では?と思っております。
頑張って下さいませ。

感謝 合掌

4525a hope:2014/10/21(火) 22:24:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」p106 8行目〜

そこで、宗教的生活とは互いの見せかけの仮相の奥に、円満完全なる実相があることを直観的に透見(とうけん)し、
その円満完全なる実相を信じ、礼し、敬し、尊重し、讃嘆し、それを如実に言葉に表し態度にあらわして生活することであります。
かくのごとくするときには、周囲の人々、家庭の人々、相手の人々ことごとく善良なる人々となって顕れてくるのみならず、
自分自身の実相が顕われて自分自身が善良となり、その心性が大きくなり、豊かになり、美しくなり、癇癪が起らなくなり、
よりいっそう洗練された心ばえとなるのである。

およそこの世の中で最も高貴なる魂とは、接する人ごとにその相手の実相の美しさを観、いかにその外見が醜かろうとも、
その実相を敬し礼しうること、かの常不軽菩薩のごとくなければならないのであります。

これに反して逢う人ごとの魂の実相を観ず、外面の、見せかけの醜悪なる部分のみを強調して、
自分自身に失望し自分自身を軽蔑し、同時にすべての他の人々も自分自身と同様に醜いのが本当だなどと、
暗黒方面のみを探し出して、いやに皮肉にひがんでしまう人はよほど浅薄(シャロー)な魂の持ち主であります。・・・

4526a hope:2014/10/21(火) 22:28:10 ID:cEpBaIdo

>>4525 a hope所感)

ここに、『高貴なる魂』と『浅薄(シャロー)な魂』という言葉がでてきていてわたしは少し驚いています。
なぜなら、「実相を礼拝せよ」と言っている一方で、人間の魂に優劣をつけて表現しているからです。

<<およそこの世の中で最も高貴なる魂とは、・・・>>

とあるところの『この世の中』とは、明らかに現象界、もしくは霊界のことを指していていると思うのですが、
これらは、「本来無い世界」の事ですから、ここのところは読者に判り易いように方便的に説明しているのだと感じました。

わたし自身は、「人間の魂に優劣などない」と信じています。


○『高貴なる魂』・・・接する人ごとにその相手の実相の美しさを観、いかにその外見が醜かろうとも、
その実相を敬し礼しうること

●『浅薄(シャロー)な魂』・・・逢う人ごとの魂の実相を観ず、外面の、見せかけの醜悪なる部分のみを強調して、
自分自身に失望し自分自身を軽蔑し、同時にすべての他の人々も自分自身と同様に醜いのが本当だなどと、
暗黒方面のみを探し出して、いやに皮肉にひがんでしまう


と説明されていますが、わたしは仕事で何度か職場を転勤しているのですが、
どちらのタイプの上司や同僚と一緒に仕事をするかで、その職場の雰囲気がガラッと変わるのを経験しています。

一方の職場は和気あいあいと助け合っていますから、明るい雰囲気で満たされ仕事の能率も上がります。
(ありがたいことに今の職場はこちらです!)

ですが、もう一方の職場は陰険な陰口や悪口、そして足の引っ張り合いなどが絶えなかったので、
体調を壊す職員も多く、仕事の能率も上がりませんでした。

特に、上に立つ立場の人間(上司、教師等)の影響力は大きいと感じています。

4527a hope:2014/10/21(火) 22:52:01 ID:cEpBaIdo

>>4524 春さま

<<時代は変わっても、説かれている真理は、変わりませんし、
生長の家の運動は日本国実相顕現のためであり、人類光明か運動なんですよ。>>

上の春さまのご説明は、わたしも十分理解しているのですが・・・

どうやら、春さまのおっしゃる「縦の真理」とわたしの理解している「縦の真理」に隔たりがあるようです。


<<貴女は、これからの希望ですから、ごゆるりと学ばれれば十分では?と思っております。
頑張って下さいませ。>>

わたしは昔からやや協調性に欠けていたので、独学で勉強するタイプでした。
ですからこれからも、聖典をテキストにyou-tubuのご講話を聴きながら、
自分のペースで、納得いくまで「生長の家の教え」を勉強していくつもりです。

春さまのわたしへのありがたい励ましのお言葉に、心より感謝いたします。合掌

4528シャンソン:2014/10/21(火) 23:07:43 ID:MVhE5szo
>>4527 合掌 ありがとうございます。

上記のa hope様の補足になればと思い、リンクさせていただきます。
 もし、見当違いならお許し下さい。

 再拝 http://www.el-aura.com/201210038/

4529a hope:2014/10/22(水) 00:01:08 ID:cEpBaIdo

>>4528シャンソン(うのはな)さま

素晴らしいスピリチュアリズムのお話をご紹介くださりありがとうございます。合掌。

わたしが心の中で漠然と感じていた「魂に優劣などない」ということに関して、
とてもわかりやすく書かれている文章だと思いました。


<<なぜバラバラな段階の魂が集う必要があるのでしょうか?
それは学びの為です。
全員が優しい魂だけだったなら、誰もが傷つける事もなければ、誰もが傷つけられる事はありません。
誰かに傷つけられることがなければ、許すことができません。
全員が意地悪な魂だけだったなら、誰も許すことができません。
誰も許すことができなければ、誰も愛や感謝を学ぶことができません。
なので私たちは、色々な成長段階の魂と共に生きて学ぶのです。>>

たしか、生長の家の教えでも人生は「魂の学校」であるとか「魂を磨く砥石」であるとか説かれていると思います。
「許すこと」「愛すること」「感謝すること」これらの事をを学ぶためにわたしたちはこの人生を生きているのですね。

そして、

<<全ての魂に優劣がないことを知ったなら、誰かと比べる事も、誰かを羨む事も、差別することも、もう誰の事をも裁く事は出来ません。
しかし、私たちには出来る事があります。
後続の魂を教え導く事が、先を行く魂に出来る事です。
教え導くことは、押しつける事ではありません。
自らの生き方を見せ、自らが善き方法を実践すること、これが一番の教えと導きの方法です。>>

人間は一人残らず「神の子」で、本来ひとつなんですから、「自分が変われば、周りも変わる」」ということですね!


それにしても、うのはなさまって、ほんとに不思議なお方ですね。 


それでは、うのはなさま、みなさま

おやすみなさい。 いい夢見てくださいね!

4530a hope:2014/10/22(水) 23:11:40 ID:brQxC10.

「生命の實相」p108

現実の悪はどう改善するか

しかし、「悪」が現にここにあるのを見ないでもよいものでしょうか。
「悪」そのまま放置してそれを改善するためのなんらの手段方法をもめぐらせないでもよいものでしょうかとは、
わたしがしばしば質問を受けることであります。

しかしわれわれは「悪」には執着しないでも「悪」を改めしめることは可能であるのであります。
それが「悪」であるとわれわれが知るのは、そこに「善」がないということであって、
悪が積極的にあるということではないのです――これは実に大切なる真理であります。

「悪」は無でありますから、「悪」を除かずとも善をつけ加えれば「悪」はおのずから消尽してしまうのであります。
「善」をつけ加えるにはどうすればよいかといえば、どこまでも、どこまでも相手を理想化し、
さらに理想化してどこまでも無限に相手を高め上げてゆくことにすればよいのであります。

どこまでも人間を理想化して眺めても、人間は理想化しすぎるということはありません。
なぜなら人間の実相は神の子であり無限に善さを備えているからであります。

(つづく)

4531a hope:2014/10/22(水) 23:12:38 ID:cEpBaIdo

>>4530 a hope所感)

<<しかし、「悪」が現にここにあるのを見ないでもよいものでしょうか。
「悪」そのまま放置してそれを改善するためのなんらの手段方法をもめぐらせないでもよいものでしょうかとは、
わたしがしばしば質問を受けることであります。>>

これは、ほとんどの人が感じる疑問なのではないでしょうか?

ですが聖典には『「悪」ありと見て現象処理せよ』との答えはどこにもありません。
謹写を続けます。

4532神の子さん:2014/10/22(水) 23:53:36 ID:eZjWifCU
それが「悪」であるとわれわれが知るのは、そこに「善」がないということであって、
悪が積極的にあるということではないのです――これは実に大切なる真理であります。

「悪」は無でありますから、「悪」を除かずとも善をつけ加えれば「悪」はおのずから消尽してしまうのであります。
「善」をつけ加えるにはどうすればよいかといえば、どこまでも、どこまでも相手を理想化し、・・・・・

この真理によって雅宣総裁を見るとき、

ですが聖典には『「悪」ありと見て現象処理せよ』との答えはどこにもありません。・・・・で終わりでは話が進みません

a hopeさんは今の総裁、教団はおかしいと云いますが、どのような行動をするのがよいのでしょうか?

4533a hope:2014/10/23(木) 10:24:36 ID:cEpBaIdo

>>4530 つづき)

およそ相手を良くするには自分を良くすることが第一であります。
自分がよくならないのに相手をよくなしうるということは困難であります。

そしておよそ自身を良くするための方法は、自分の心の中に光明の精神波動を照り輝かすことであります。
自分の心の中に光明の精神波動が波立っているときその人は善き人であり、
自分の心の中に光明の精神波動が波立っていないとき、暗黒の思念が押しかぶさっているとき、
その人は悪しき人なのであります。

人の欠点を見るとき、その欠点に自分の心が捉われ、それをとやかく言挙(ことあ)げするとき
自分の心の中には暗黒の思念が波打たずにはいられないでしょう。
「暗黒の思念」は決して相手を良化することはできないのです。

(略)

相手を良化しようと思うならば、まず自分の心の中から「暗黒の思念」を除去(とりさ)らなければならない。
まず自分自身を、「光明思念」でみたさなければならない――換言すれば相手の悪を見るような心になってはならないのです。
結局相手の悪を見ないで実相を見る心にならなければならないのであります。
ここにこそ自分自身が光明化し、さればまた相手が光明化してくる可能性があるのであります。

われらが何人に対してでも相手の実相を見るようにするとき、われらは相手と調和するようになってくるのであります。
実相においてはわれらは本来自他一体であるからである。

4534a hope:2014/10/23(木) 10:34:50 ID:cEpBaIdo

>>4533 a hope所感と>>4532 神の子さんへのお返事)

聖典の真理に照らし合わせて考えれば、「悪」と見える相手の心を変えるためには、
批判し続けたり、裁判で戦ったりするのは逆効果だと思われます。

ですが、雅宣先生は「生長の家総裁」という責任あるお立場で、本来は自らが光明波動を照り輝かし、
信徒を光明思想に導いていくべき使命をもったお方なのに、
実際には、その光明波動を発するには欠かせない聖典「生命の實相」とその真理をないがしろにし、
独自の教義と運動を展開されているように見えてしまうのです。

ですから、わたしは雅宣先生の実相(本来の御人格)は素晴らしいと信じていますが、
その教義や運動方針については、本来の「生長の家」の教えや運動からみれば『虚説』なのではないか思っています。
(わたし個人の見解です)


<<a hopeさんは今の総裁、教団はおかしいと云いますが、どのような行動をするのがよいのでしょうか?>>

とのご質問ですが、わたしは雅宣先生や教団の教義や運動方針はおかしいとは思っていますが、
雅宣先生ご自身を「悪」だとは思っていません。

むしろ、信徒を目覚めさせてくださる大切な使命をもたれた大観世音菩薩さまだと思っています。

ですから、雅宣先生の虚説(教義や運動方針)には決して和解はしませんが、
その大観世音菩薩さまとして信徒の前に立たれている雅宣先生の実相のお姿には心から感謝しています。

4535神の子さん:2014/10/23(木) 19:41:58 ID:ZWlCT05o
a hopeさんの御主人が無理を云ったり真理に反することを云ってばかりいたとしました時、「あなたの言うことは真理に反していますので
云う事をハイと聞くことはできません、あなたが無理を云ったり真理にはずれた事を云うのは、私の真理の理解を深めようという観世音菩薩様の
働きであると思い、あなたの実相には感謝いたしますが、云う事に拝と従うことはできません。

と云っているように聞こえるのですが、聞き間違いですか。

よく言いますよね、「ご主人が無理ばかり言うというご婦人に、そんな無理を云うようなご主人はいないのですよ、あなたが御主人に素直に
ハイと云えた時には、素晴らしいご主人であったと解りますよと、そして家に帰りハイと云えた時素晴らしい旦那さんがそこにいることが
分かった、」ということが。

非真理の教団と共に歩むより、自分で生命の実相を読んでいる方がよいと云う事は、非真理の旦那とは一緒に住めない、そんなことより一人で
生きていく方がよいと云っているように聞こえます。

4536a hope:2014/10/23(木) 22:45:32 ID:cEpBaIdo

>>4535神の子さん

わたしの主人は、「生長の家の総裁」ではないのです。
だから、「生長の家総裁」である雅宣先生とは比較にならないと思うのですが・・・。

たとえばわたしの主人が「人間は罪深い生き物である」というような「虚説」を信じていたとしても、
その主人の「思想や考え方」には共感(和解)はできませんが、主人のことを嫌いになって別れるということはありません。

ですがもし、主人に、「人間は罪深い生き物だから、お前もそのことを信じなさい」と命令されたら、
「そんなことを信じなければいけないのであれば、離婚させていただきます。」と離婚をお願いすると思います。

わたしが、現教団を退会したのもまったく同じ理由です。

4537a hopeさん:2014/10/23(木) 23:08:31 ID:Og4p/UYQ
そうしますと教団に残っている普通の人たちは真理とは何か分からない人ということですね。
虚説を強要されていることも解らず、退会もしないのですから。

4538「訊」:2014/10/24(金) 08:16:34 ID:???

>> a hopeさん

 うーん。以下の件に関してなのですが、コメントします。


>>>その教義や運動方針については、本来の「生長の家」の教えや運動からみれば『虚説』なのではないか思っています。<<<


 との事ですが、「虚説」ってのは言い過ぎの様な気がします。説明しますが、現総裁の問題は「優先順位の付けマチガイ」だとは思えても、虚説とまでは思えません。虚説と云うのは「雅春先生御教えの真逆の線の内容or完全否定となる」はずですが、雅宣総裁の説にはその種のものは、ありません(※1)。傍証としては『生長の家ってどんな教え』などの御著書がありますけれども、内容面ですがいずれも、雅春先生を完全否定するものは一切ありませんでした。故に、雅宣総裁ですが、御主張内容を「虚説」というのは言い過ぎだと思います。

 総裁の問題は優先順位の付けマチガイ、だとは思えますが「虚説とまでは思えナイ私」です。(※2)




<註>

※1 雅宣総裁の説にはその種のものは、ありません。

 本流側は「天皇を語らない=御教えの否定」と云った認識の様子ですが、これは暴論です。実相を語る際に「天皇から語らナイ」からとて、それだけで「雅春先生の完全否定」とはならぬのです。環境問題から実相を語る切り口だって、万教帰一の生長の家では「アリ」のはず。ですから、真理を語る際の〝入り口〟は問題とはならぬのです。

 問題を検証するならば〝奥座敷〟の方です。雅宣総裁が実相を語ってイナイのであればそれこそ、雅春先生の否定となるでしょう。しかし、未だかつてどなた様もこの点に関し、つまり、「環境問題は実相を語っているか」の点への検証が、見られないのです・・・・・本流派はココを、検証されるべきです。間違っても「天皇を語らない」という理由だけで総裁を、「御教えの完全否定者」等、発言されないことが肝要(さもなくばこれ、御教えを解してイナイのは「いったいどっちなのか」になろうもの)

※2 総裁説を「虚説とまでは思えナイ私」です。

 ・・・・こんな事を書くと破邪サンから、こう書かれます。曰く、「総裁の狡猾さに騙されている人がいる!」「読解力の問題なのか!?」「枝葉末節に捉われて、全体像を見てイナイ!」と・・・・・・・・・しかし(笑)。

 しかし私が具体論を求めますと、彼らは逃げていかれます。「具体的にどの(雅宣総裁)御記述箇所が『御教えの完全否定』なのですか?」と再三問うたこの3年間ですが、いまだかつて一度たりともその様なもの・・・・・出てきません。話が具体的になればなるほど現総裁ですが、少なくとも「虚説と言われるような言動はみられナイ」ってことに、なるんじゃないかと。

4539a hope:2014/10/24(金) 13:42:46 ID:cEpBaIdo

>>4537 神の子さん >>4538「訊」さま


貴重なご意見に心から感謝いたします。 合掌。

ですが、私の「虚説」に関する見解は、自分なりにレポートまでまとめてありますし、

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4056

どうして雅春先生のご教義が「虚説」であると思えるのかも以前ユタカさまが紹介してくださった「生長の家ってどんな教え」をもとに説明済みです。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4340


ですが、これはあくまでもわたしの見解であって、誰でも同じ解釈をするとは考えられません。


ですから、わたしの「虚説」に対する見解は上の虚説についてのレポートに書いてある通りで、
「訊」さまが、

<<虚説と云うのは「雅春先生御教えの真逆の線の内容or完全否定となる」はずですが、>>

とおっしゃるようなものではありません。

雅宣先生は、雅春先生のみ教えの真逆を説いたり、完全否定されているのではなくて、
実相世界の存在を肯定されながら、現象世界やその世界での罪や悪も認められてしまっている、
つまり、生長の家で「虚説」とされている、「実相現象二元論」を説かれているとわたしは解釈しています。

雅春先生も「横の真理」として現象界や霊界の「心の法則」を説かれていますから、一見、現象も認められているようにも見えますが、
ですが、それはすべて、「現象あり」を信じて迷っている人々の魂を、「唯神實相」に目覚めさせ、
救済するための方便として説かれていると思うのです。

「甘露の法雨」なども、二元論的に展開していますが、実相世界の実在以外はすべて、
「なし」「なし」「なし」「あらず」「あらず」と完全否定しています。

また、雅春先生の起こされた現象問題に対応する運動にしてもすべては、「人類の魂の救済」することが最終目的になっていると思うのです。

ですがわたしには、雅宣先生の環境保護運動は「人類の魂の救済」が目的なようにはどうしても見えません。

(つづく)

4540a hope:2014/10/24(金) 13:44:04 ID:cEpBaIdo
>>4539つづき

本当は、もうこれ以上、雅宣先生の教えや運動に関して自分の見解を述べたくないのですが、
今回は、また、神の子さん(仏心さま?)から質問をいただき、また、「訊」さまからも、
ご意見をいただきましたので、
自分の見解を素直に述べさせていただきました。

最後になりますが、これはあくまでも a hopeの個人的見解です。

<<そうしますと教団に残っている普通の人たちは真理とは何か分からない人ということですね。
虚説を強要されていることも解らず、退会もしないのですから。>>

どの「教え」が本当にわたしたちを幸福に導いてくれる「真理の教え」であるかを判断し、
信仰していくのかどうかを決めるのは、信徒ひとりひとりの自由意志に任されているのだと思います。

4541a hope:2014/10/24(金) 14:45:04 ID:cEpBaIdo
>>4539 訂正

どうして【雅春先生】のご教義が「虚説」であると思えるのかも
 ↓
どうして【雅宣先生】のご教義が「虚説」であると思えるのかも

4542「訊」:2014/10/24(金) 16:48:31 ID:???


>>a hopeさん


 おもしろいやり取りになって参りましたね。これから少年野球の指導があるためバタバタでして、無愛想返信で恐縮なのですが、貴女さま解釈は「単純に間違いだと思い」ます。以下ご発言を確認して頂けますか。


>>>雅宣先生は、雅春先生のみ教えの真逆を説いたり、完全否定されているのではなくて、実相世界の存在を肯定されながら、現象世界やその世界での罪や悪も認められてしまっている、つまり、生長の家で「虚説」とされている、「実相現象二元論」を説かれているとわたしは解釈しています。<<<

 ここです。この箇所で「二元論」との言葉がありますが、単純に間違いです。雅宣総裁ですが、「二元論から語られたわけではナイ」と思います。以下に論拠を示しますが、長いのが難点(笑)。ただ、この『生長の家ってどんな教え』のこの箇所の「全体を拝読されれば」、私が言っていることがコジツケ・過剰擁護の類ではナイことがハッキリすると思います。以下、謹写致しましたが、総裁ご著書からです。



http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3084
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3085
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3086
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3087


 さて、「原因」ですが・・・・・いや、なんで二元論に見えちゃったのかの原因の件です。これもはっきりしてまして、これは、「質問者の論点が関係している」のです。総裁ですがあたかも、「現象人間もアル」かのような観点から論を展開されておられますが、これは「質問者の論点がそうだったため」だと察せられます。a hopeさんが心配されて虚説とまで言ってしまわれてますけれども、「どうではナイ」のです・・・・・既述ですが雅宣総裁が「現象人間は迷う」と云われた話は質問者の投げかけ、つまり、以下にこの質問を引用しますが、

――――――――――――――――――――――――――
唯心所現について

Q:

〝唯一絶対〟の神様が、どうして有限の世界に人間をつくられたのでしょうか。そして、人間は神の子であるのに、どうして病気や争いを心に描いてしまうのでしょうか?(二十九歳・女性)

――――――――――――――――――――――――――

 という、問いかけが関係していると思います。相手方(29歳女性)が有限世界に人間をつくったのはなぜか?と問うているのですから、雅宣総裁もその次元から回答をされたのでしょう。全文を確認されておられないと恰も現総裁ですが、「二元論なの?」になるのは理解できますけれども、やはり、虚説と云うのは言い過ぎの感が拭えないような気もします・・・・・

 いや、ちょっと長いですけれども上記「雅宣総裁のご主張」ですが、確認されてみてください。私見ですが虚説どころか現総裁、「素晴らしい対機説法だと思う」のですがね(クドイが長いのは難点とは云え・・・・)



4543「訊」:2014/10/24(金) 16:51:11 ID:???

(×)虚説とまで言ってしまわれてますけれども、「どうではナイ」のです・・・・・
(○)「そうではナイ」のです・・・・・

4544「訊」:2014/10/24(金) 17:02:26 ID:???

<余談>

>>破邪サン

 さあ、この部外者ですが「総裁論を擁護しております」・・・・・・・(笑)。しかも厄介なことに、論拠まで示して(笑)示した上での擁護論です。(まあ、実際に擁護しているのは総裁ではなく「真実」なんですが余談)さて、この、擁護論に関してですが、破邪サン・・・・・・

 なにか、御反論はございませんか?(笑)

 日本男児の破邪サン・・・・・(笑)。

 ・・・・さて、ここは誌友会会場です。異論反論大歓迎です。どうぞご登場なさってこの、まぬけ(?)な訊けによる「総裁擁護論」ですが、論破してみてください。たまには、いかがでしょうか・・・・・対外試合など。そうすりゃ「現総裁=虚説が確定」し貴殿等の運動ですが、大盛り上がりになること必至です(笑)。

 どうぞ、ご登場ください。ご登場されサクッと、「現総裁の虚説っぷり」ですが、天下に晒してみてはいかがでしょう(笑)。期待してます。



4545a hope:2014/10/24(金) 17:17:53 ID:cEpBaIdo

>>「訊」さま

たいへん長文の雅宣先生のご文章を謹写してくださりありがとうございます。

今、ひととおり拝読させていただましたが、眩暈がして気分が悪くなりました。

本当に雅宣先生には申し訳ないのですが、わたしは雅宣先生のご文章(特に教義に関する文)を拝読していると、
体調がおかしくなってくるのです。

「訊」さま、そういう訳で、具体的に詳細なお返事することはできませんが、
わたしの見解が間違いと思われるなら、それは、「訊」さまのご自由ですからどんどん、反論してくださいね。


ですが、ふたつ質問させてください。

「訊」さまは今回謹写された雅宣先生のご文章を読まれて、魂が救われますか?
そして、その雅宣先生のご著書「生長の家ってどんな教え」をご家族や、
人生に悩まれているご友人なんかに差し上げることができますか?

4546秋だけど春:2014/10/24(金) 21:27:04 ID:SfBCfho2
監督は、本当に本流のアタマと論議したいのだよね。。。

私は、どっちもまかりなりに見知っているので、本当に両者が論議を尽くして、分かりあって欲しいと思っている。
けれども、監督がきぼうしているお相手からは、その期はないと言うことも聞いている。
私は良く読んでなかったけど゛、色々議論したんでしょう?
その結果、お相手は、もう監督とは、話する気は無いと伝えられました。


余り、他人を挑発するのは、どうかと思いますよ。

4547秋だけど春:2014/10/24(金) 21:54:24 ID:H/HqaC4s
監督の御発言は、

まず、破邪酸に対しても愛を持っていますか?


監督の言動は、日本国実相顕現に繋がっていますか?

おもしろくなってきた、という下卑た感性も、復興G閣下の以前に逆鱗に触れた御自身の思考過程を、
内省なさることをお勧めします。

破邪酸さんは、素晴らしい方ですよ。
私は、兄として敬愛しています。

根本的に、監督は、正統な生長の家は理解していないと思っています。

4548秋だけど春:2014/10/24(金) 21:56:28 ID:H/HqaC4s
訂正 ⇒破邪酸⇒ 破邪さん です。

4549「訊」:2014/10/25(土) 08:17:16 ID:???

>>秋だけど春さん


 先ず以て「相手方の主張を聞こうとする態度」ですが、これは下卑た感性なんですか。当方は言いまくりを潔しとシナイのです。相手方の主張、つまりここでは、「なぜ破邪サンは『総裁=背教』だと思っているのか」を指しますが、ここを確認したいと言っているのです。

 そして、その種の初歩的な問いかけすらも「逃げられている」のでは、運動は「成り立たない」とも思っています。いや、現段階ですが「現総裁」ですけれども・・・・・濡れ衣を着せられている状況です。そうですよね。なぜと申して「背教者」と云われる現総裁に関して、破邪サンですが、「なんら具体的な指摘はナイ」のですから・・・・・そして、それを問うているのが当方です。

 「相手方の主張を聞こうとする態度」ですが、これは下卑た感性なんですか。話が具体論になれば「すぐに逃げていく」・・・・・・こんな状態では、まあ、なんて云うのか。



追伸

 そもそも破邪サンですが「待っていました!」にならなきゃ、おかしいです。そうは、思いませんか。

 今回当方は破邪サンに、発言の機会を設けたのです。(または発言をしやすいように「促した」)>>4544みたいな投稿あらば、「待ってました!」にならなきゃおかしいのです。「総裁思想のオカシサを、指摘できる機会を得ました!訊けサンありがとう!」になろうってものです・・・・・・違いますか。

 ・・・・この程度の問い合わせで戸惑いがあるようであれば、まあ、その運動ですが、「しょぼいの一言」です。具体論に移った瞬間に総裁が有利になるようでは、破邪サンですが戦術変更をされるべきです。

4550「訊」:2014/10/25(土) 08:32:42 ID:???

>>4545 a hopeさん

>>>今、ひととおり拝読させていただましたが、眩暈がして気分が悪くなりました。<<<

 そうですか、それは残念ですね。しかしまあ、何て云うのか・・・・・少なくとも「二元論ではナイ」のです。その点は確認して頂けますと、幸いなんですがね。
 いや、「ところで」なんですが、ところで・・・・・・既述ですが「なんで二元論に見えちゃったのか」の件です。これははっきりしてましてこれは、

「質問者の論点が関係している」

 のです。
 総裁ですがあたかも、「現象人間もアル」かのような観点から論を展開されておられますがこれは、なぜそうなったか(二元論から語ったか)と云えば、「質問者の論点がそうだったため」だと察せられます。a hopeさんが心配されて虚説とまで言ってしまわれてますけれども、「そうではナイ」のです。以下、総裁ご主張ですが、

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 この方の質問は、「〝唯一絶対〟の神様がどうして有限の世界に人間をつくられたのでしょうか?」というものです。けれども、私は、「神は現象世界に人間をつくった」とは言いませんでした。そうではなくて「もともと実相世界しかない」という話をしました。しかし、この方は「いやこの世界はある」と思っている。だから、「有限の世界に人間をつくった」という質問になる。しかし私は、「有限の世界はナイ。実相世界がある」という話をしたのです。だから、神の創造された実相世界に、人間は今も神の子、仏として存在しているのです。どこか別の所にいるのではないのです。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 と、お述べになられておられます。で、当方は昨日、その事を示したつもりなんですが、気分がすぐれないのであれば、しょうがナイですね。次に移ります。



>>>「訊」さまは今回謹写された雅宣先生のご文章を読まれて、魂が救われますか?<<<

 気づきは、ありましたよ。たとえば以下に転写しますが、この箇所の対機説法ですけれども雅宣総裁、実に見事です。一緒に読んでみましょう。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 「どうして人間は神の子であるのに、病気や争いを心に描いてしまうのでしょうか?」――
 時々、こういう種類の質問を受けることがありますが、それらは「なぜ神の子である人間が間違うのか?」という質問に帰結すると思います。これと似た質問は、「神の子だったら、なぜ罪を犯すのか?」「なぜ間違いを犯すのか?」「迷いがどうしてあるのか?」などいろいろあります。(つづきhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3086

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 いかがでしょう。結構、説明がむずかしいそんな概念ですが、「案外やりおるわい、三代目」ではないですかね・・・・失礼な表現ですが(笑)。


>>>そして、その雅宣先生のご著書「生長の家ってどんな教え」をご家族や、人生に悩まれているご友人なんかに差し上げることができますか? <<<

 出来ます。総裁ご著書の同書に関しては、自信を持って勧められますね。ただし、『小閑雑感』は・・・・・・・・難解です(笑)。読んでも意味不明ですんで、勧めることはナイでしょうね。

 まあ、こんな感じです。また何かレスでもしてください。



4551a hopeさん:2014/10/25(土) 09:21:03 ID:RdJh7Ydg
ahopeさん
 今、ひととおり拝読させていただましたが、眩暈がして気分が悪くなりました。

 本当に雅宣先生には申し訳ないのですが、わたしは雅宣先生のご文章(特に教義に関する文)を拝読していると、体調がおかしくなってくるのです。

訊けさん
 そうですか、それは残念ですね。

わたし
 どんな声が聞こえてきても、どんな文章を読んでも、どんな行動が見えても、私の「こころ」には関係ないです。
 自分の心に気持ち良いものは素晴らしいもので、自分の心に気持ち悪いものはよからぬものと感じるのでは、救われていないのではありませんか。
 すべてを映し出す「こころ」そのものが自分であり、映し出されたものは単なる映像ではないのですか。

 わたしにはa hopeさんこそ観念で実相独在を云われながら実相現象二元論の最中にいると映ります。

4552「訊」:2014/10/25(土) 09:32:13 ID:???

>>4551

 この、不生仏心生徒の論に補足しますが、以下なにも「 a hopeさんへの非難でもなんでもナイ」点は強調しておきます・・・・・いやまあ、雅宣総裁の「御文章に関し」です。余談ですが、掲載しておきます。

 さて、1年くらい前でしょうか、私はあるイタズラを掲示板で行ったのです。雅宣総裁の御文章を掲載し、「誰の御文章かわかりますか」と、クイズを出したんです。そしたら・・・・・・・いろいろな答えが来て面白かったですね。ある人は「榎本恵吾先生だ」で、またある人は「徳久克己先生だと断言します」と・・・・・・・(笑)。

 いや、この話のポイントですが、先入観です。

 先入観なしに読めば雅宣総裁の御文章ですが、「読める」んです。

 そして、先入観なしに読めば雅宣総裁の御文章って、榎本先生や徳久先生の書かれたものと、そんなには変わらないのです。(つまり「雅春先生を否定するような思想はナイ」の意味) まあこれは、「a hopeさんへの非難でもなんでもナイ」点は強調しておきますが雅宣総裁・・・・・・そんなにヘンな思想は語ってはおられないと観ます。

 以上、余談でした。



追伸

 「相性のよしあし」はあるでしょう。ですんで、a hopeさんが気分を悪くするようなことは、あるのかもしれません。その点は理解できます。

4553a hope:2014/10/25(土) 17:14:06 ID:cEpBaIdo

>>4550「訊」さま >>4551 さま

お返事やご意見をありがとうございます。

雅宣先生の御文章はひととおり拝読させていただきましたが、>>3084〜3086
(聖典引用板)の内容は例え話もされたりして、
「生長の教え」を丁寧にご説明されている御文章だと感じました。

ですがその後の>>3087は、もう完全に現象ありを前提にお話され、この部分が「虚説」だと感じます。


具体的な一例をあげさせていただければ、

<<人間以外に、神様は自由のない生物を数多く創っておられる。>>
↑ これって、「生長の家の教え」でしょうか?

現象世界は影であり、神さまの創造ではないですよね?

たとえ、対機説法だったとしても、「現象世界の人間や生物」を神が創ったなどと考えるご思想には、
わたしはとてもついていけません。

「訊」さま、わたしは雅宣先生のご文章自体が二元論だというよりも、
むしろその「ご思想や考え方」が二元論なのではないかと感じています。

ですから、その文章の内容も違和感だらけですが、その文章から伝わる波動が、
雅春先生や、恵吾先生、徳久先生のものとは全く異なってわたしは感じてしまうのです。

その件に関しましては、まだわたしが本流の掲示板に書き込みをしているころから主張していましたし、
山科さまや明鏡さまという「生長の家」の大先輩が、聖典の文章を根拠に、とても丁寧な素晴らしいご指導をしてくださっています。

http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&amp;mode=res&amp;log=383&amp;submitlog=383

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=1743&amp;submitlog=1743


「訊」さまや、神の子さまと雅宣先生のご教義に関して、議論するつもりはありませんので、
すみませんが、これ以上はこの話題へのお返事は控えさせていただきます。

4554秋だけど春:2014/10/26(日) 19:18:59 ID:IVp5xRE.
>>当方は言いまくりを潔しとシナイのです<<

これは、納得です。

ただですね、違いについてはきちんと破邪さんは書いていたと思いますよ。
判り切ったことを、今更また指摘する事はしないでしょう?

本流の方たちは、若かりし頃からの現総裁を見知っていたり、色んな思いこみもあって、
聞きもしない、これは確かにそうですね、当方は言いまくりを潔しとシナイのですに、合致します。

神示を読めば、わかるんですが、
監督の理解している生長の家の教えと、本流が復古すべきと言っている御教えは、
天皇国日本が違う、ここが境目だと思います。
勿論、私は天皇国日本の側ですから、監督の言われた"実相には、天皇なんて書いてないじゃん、どこにも"発言には、
嗚呼、やはりわかってないんだろうなあ、神示読んでねって言ったのに。。みたいな感じです。

破邪さんは、私直接聞きましたから、もう監督とやり取りする気は無いです。
お忙しいしね。

監督は、論議の体裁をとりつつ、本当の生長の家の御教えを、教えてほしかったんでしょうかね。

4555「訊」:2014/10/26(日) 19:45:11 ID:???

>>秋だけど春さん

 簡潔に書きますが、

>>>勿論、私は天皇国日本の側ですから、監督の言われた"実相には、天皇なんて書いてないじゃん、どこにも"発言には、嗚呼、やはりわかってないんだろうなあ、神示読んでねって言ったのに<<<

 こういうのが、「言いまくり」です。どの神示でしょうか、それは。そして「そもそも」なんですが、そもそも実相を語る際に「私は天皇国日本側」とかの、そんな言葉が出てくるものなんでしょうか。天皇国日本って「そんなモンなの?」という感じです。

 あるのは唯、「実相」です。語り口が多種多様なのであり、天皇国日本は「そのひとつに過ぎない」のです。そして、ひとつの切り口に過ぎない天皇国日本を、こう評するのはマチガイだと当方は、主張しているのです。その、間違った解釈とは、「天皇国の切り口から実相を語らないのは生長の家ではナイ」になります。ここは、お分かりですか。

 「天皇国の切り口から実相を語らないのは生長の家ではナイ」・・・・・もしもあなた様のご意見がかくの如しであれば、断言しますが「私ではなくあなた様が間違い」です。ですんで、以下のご主張ですけれども、微妙に違います。

>>>監督の理解している生長の家の教えと、本流が復古すべきと言っている御教えは、天皇国日本が違う、ここが境目だと思います。<<<

 その通りなんですが、私の理解の方が正しいのではないですか。なぜと申して天皇国日本「以外からも」実相ですが、語られるのが雅春先生の御教えだからです。そうでは、ありませんか。



追伸

>>>破邪さんは、私直接聞きましたから、もう監督とやり取りする気は無いです。お忙しいしね。<<<

 忙しくとも聖典は、読まれるべきです。聖典を読んでおられナイからわたしと、交流不能になるのです。そうでは、ありませんか。そもそもですが、私の誘い(>>4544)ですが、「待ってました!」と喜ばねば、ウソになります。今回当方は破邪サンに、発言の機会を設けたのです。(または発言をしやすいように「促した」)>>4544みたいな投稿あらば、「待ってました!」にならなきゃおかしいのです。「総裁思想のオカシサを、指摘できる機会を得ました!訊けサンありがとう!」になろうってものです・・・・・・違いますか。
 ・・・・この程度の問い合わせで戸惑いがあるようであれば、まあ、その運動ですが、「しょぼいの一言」です。具体論に移った瞬間に総裁が有利になるようでは、破邪サンですが「戦術変更をされるべき」です。

4556a hope:2014/10/26(日) 20:07:13 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p111

失錯(しっさく)は向上の段階

むろん、実際生活においては、家族の各員は誰でも時々何かの事柄で失錯を演ずることはあるでしょう。
しかしこういう失錯はいちいち拾い上げて咎め立てする必要はないのです。
それはよりいっそうハッキリと完全なる実相があらわれるための段階でしかないのです。

成長期の幼児は一つ躓いて倒れるごとに、いっそう十分立ち上がることを覚え、いっそう巧みに歩行することを覚えるのであります。
われらは無限生長の前途から考えればまだ幼児であるのである。
側(かたわ)らにいる人が、その倒れたことを非難せず、またむやみにその顕われた弱さに同情せず、
冷厳なしかし知恵深き愛をもって、「あなたは強いのです。実相は起きられるのです。」との励ましの一語でその実相の強さを引き出すとき、
その幼児はいよいよ強く生長していくのであります。

無限の善さを相手に見よ。
その善さを引き出しうるものであると信ぜよ。
これが本当は知恵深き愛なのであります。
弱さや醜さをそのまま本当の相(すがた)であるとして同情する甘き安価な表面の愛に陶酔するな。・・・

4557a hope:2014/10/26(日) 20:08:25 ID:cEpBaIdo

>>4556 a hope所感)

<<弱さや醜さをそのまま本当の相(すがた)であるとして同情する甘き安価な表面の愛に陶酔するな。>>

家族や友人が間違いを犯しているのがわかったとき、相手の強さ(実相)を本当に信じていれば、
ハッキリと、「あなたのしていることは間違っている。」と言ってあげることができるのではないかと感じました。

中途半端な同情や優しさで、相手の間違いを黙認してしまうのは、相手が弱い未熟な人間だと感じ、相手を下に見ているからなのではないかと・・・。

わたしは今迄ずっと、この掲示板で「雅宣先生のご教義や運動がおかしいのではないか?」と言い続けていますが、
例え、「虚説」に和解しないためとはいえ、何かを批判するというのは気持ちのいいものではありません。

破邪顕正さまはじめとする本流の先輩方だって、「生長の家」の「人間神の子」の教えを信仰されているのですから、
雅宣先生を批判し続けるのは心の奥底では気持ちよく感じているはずはないと思います。

ですが、今回の謹写部分を拝読していて、もしかしたら本流の先輩方は雅宣先生の「実相」を信じているからこそ、
激しい批判を続けていらっしゃるのかもしれない・・・とそう信じたくなりました。

わたしたちが客観的にみれば、雅宣先生は明らかに失錯を演じていらっしゃるのですが、ご本人はそれに気づいていらっしゃらないご様子です。
(もしかしたら、気づいていて気づかないふりをされているのかもしれませんが・・・)

冷厳なしかし知恵深き愛をもって、それに気づかせてあげることもとても大切なのではないかと・・・。

4558秋だけど春:2014/10/26(日) 20:59:15 ID:IVp5xRE.
>>どの神示でしょうか<<

この間、hopeさんが出していた神示。

もうね、破邪さんを引き出してきてどうこうって、彼方が決めることじゃないでしょ?
ここは、で出来てしかるべきだ、なんて。


相手は、うんざりしているんですよ。

4559秋だけど春:2014/10/26(日) 21:06:24 ID:Vjog84hY
>>「天皇国の切り口から実相を語らないのは生長の家ではナイ」
もしもあなた様のご意見がかくの如しであれば、
断言しますが「私ではなくあなた様が間違い」です<<

何度も言っていますが、真理にたどる道など、いくつもあります。

生長の家では、神示に顕して、雅春先生が体現されたほど、天皇国日本の切り口なんです。

他の(私など)人たちが、真理を知って、生長の家を聞いて、ふんふん、と納得するのも、原点が一緒だからです。

4560「訊」:2014/10/26(日) 21:40:47 ID:???


>>>生長の家では、神示に顕して、雅春先生が体現されたほど、天皇
国日本の切り口なんです。<<<

 すみませんが、ご解説頂けませんか。いや、「真理にたどる道など、いくつもあります。」とのことですよね。その部分は賛成なんですが、そうなると、上記(>>>で引用した)部分の意味がわからないのです。

>>>もうね、破邪さんを引き出してきてどうこうって、彼方が決める
ことじゃないでしょ?<<<

 そりゃまた、どうしてなのですか。

 雅宣総裁の虚説ぶりですが、指摘するのが破邪サンのお役目であったはずです。「総裁のマチガイを世の中に訴えていく!」運動でしょう。ならば・・・・・・・喜んで、現れなきゃオカシイでしょう。意味は伝わりますか。

 総裁説、その「具体論」です・・・・具体論で議論できるのですから、そしてそれを当方は担保したんですから破邪サンですが、現れなきゃオカシイですよ。「忙しい」ですって?なんですか、それ(笑)。みんな、忙しいんですよ・・・・・

 忙しい中、わたしも総裁説ですが「別段おかしくはナイ」と主張しているのです。総裁説がオカシければ、破邪サンですが「堂々と登場されればイイ」んです。だって、それが彼の仕事なんでしょう?ちがうんですか。「総裁のマチガイを世の中に訴えていく!」のが、彼の運動であり「仕事」でしょうよ・・・・・

 ・・・・・・議論が具体論に移行した瞬間、彼らは「常に逃げていきます」よね。それじゃ(少なくとも)外形的には、破邪サンですが「総裁に濡れ衣を着せていることになる」のではナイですか。



4561秋だけど春:2014/10/27(月) 19:51:25 ID:dLN.fF0c
>>上記(>>>で引用した)部分の意味がわからないのです。<<

うん? 意味が分からない?
私も解説の仕方が分からない。

>>「総裁のマチガイを世の中に訴えていく!」運動でしょう。<<

これは、違うと思いますね。
憲法改正と優生保護法改正が運動の目指すとこだと思われます。

>>総裁説がオカシければ<<

おかしい事は、もう言ってある。

>>だって、それが彼の仕事なんでしょう?ちがうんですか<<

違います。
生長の家の本来の教えを正しく伝え、現教団を救う目的らしいです。

>>議論が具体論に移行した瞬間、彼らは「常に逃げていきます」よね<<

議論など、必要ないからです。
判っている人に、来て欲しい、
教団の縛りから解放されて本来の真理の道を歩んでほしい、
というのが
運動の原点みたいです。

いちいち議論しなくても、分かる人にはわかる、分からない人は永遠に議論していても仕方ないと、
見切りをつけたんでしょう。

忙しいと言うのは、私のすいさつですので、あしからず。

4562秋だけど春:2014/10/27(月) 19:57:58 ID:dLN.fF0c
監督、神示は全部読んでますか?

私、今手元にないので、先日ahopeさんが書いたのと言いましたが、違う神示すも読んでますか?

4564「訊」:2014/10/28(火) 06:13:39 ID:???

>>秋だけど春さん(WED誌友会スレの件)

 誌友会の論点と違ってますんで、本流対策スレに返信しました。同スレの9326以降をご覧ください。



4565a hope:2014/10/28(火) 08:58:04 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

「訊」さまと「春」さまが、天皇信仰についてお話をされていますが、
わたしは、web誌友会のテキストの内容を進めさせていただきます。

天皇信仰と「生長の家の教え」に関しては、わたしもこれからお勉強して行かなければいけない大切なテーマだと思っていますので、
お二人の議論を拝見してお勉強させていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。


ところで、テキストのお勉強は「生命の實相」14巻の『第八章 無軌道の倫理』p113に入ります。

この章は、主に、「人格の自由」について説明されています。
「人格の自由」に関しては、第13巻の第六章でもお勉強しましたが、
今回はその真理をより身近な家庭生活でどう生かしていくかが具体例をあげて説明されています。

今月のテキストの範囲はこの第八章までですので、あと4日ほど、この章をお勉強して、
来月からは、『教育篇 「生長の家」の児童教育法』へ進みたいと思います。

4566a hope:2014/10/28(火) 09:18:51 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p114 後から3行目〜

生命は神であるから、それを縛らないで伸ばすとき、いくらでも無限に善くなり美しくなるのです。

それが善くならず、美しくならないのはそこに生命が出ていないからであります。
生命を物質と見て固定してしまっているからであります。

そこになんらかの善または美をつけ加えようとするならば、生命は過去において自発的に行って発現した
美や善を形式的に模倣せしめなければならなくなるのであって、芸術の型や道徳の型はそれである。

しかし型を真似たとき、もう生命は死んでいるのであって、ただそれはただの形骸であり、ただの人形にすぎないのであって、
もう本当の善も美も去ってしまっているのであります。

それは過去には善であり美でありえたのは、生命が自発的に、その自由衝動によって発現し行動した道であったからであります。

4567a hope:2014/10/28(火) 09:23:30 ID:brQxC10.

>>4566 a hope所感)

この文章の後、三つの事例が紹介されています。

①母親が息子を「健康の法則」で縛らなくなったとき息子の肺病が癒された実例。

②母親の「勉強させねばならない」の念波を捨て、「この子はよく勉強する子だ」と信じる気持ちになった時、
勉強嫌いだった娘が勉強好きになった実例

③形の道徳家であったキリスト教の牧師の妻が、浮気をし、その牧師を捨てて浮気相手に身を投じてしまった実例

どの実例も、相手を法則や形式で縛ってしまい、自由を奪った為に起きた不幸ですが、
①と②のケースは雅春先生の助言により、母親が心を変えることで子どもの本来の姿が現れました。

ですが③の悲劇の牧師さんの事例に対しては、雅春先生は周囲の人々にこうご助言されています。

「なぜ十五年も良人とした牧師からその妻がのがれたのか、それが問題です。
きっとその牧師は道徳家であって、その妻を縛ろうとしていたのに違いありません。
形の道徳家は不道徳家を作るのです。縛ろうとする時、ハミ出ようとするのが生命です。
今度もその情人を引き離そうと思って強制はしなさるな。
かえってその両人は反抗して強烈な力で結び合うことになるでしょう。
誰も縛らないで、生命そえ自身の衝動に信じまかせ切ってしまうとき、生命は正しく動くほかはないのです。
二人が離れるべきものなら自然に離れるでありましょうし、二人が即(つ)くべきものなら、
二人の前途をそのまま祝福してやらねばなりません」

ここで間違いを犯してしまっているのは牧師の妻ですが、この牧師の妻に「善(神の子)の自覚」つまり「本当の道徳観」があったならば、
このような悲劇は起きなかったと思います。

時々、「道徳的でなければいけない」の『ねばならない』に縛られた学校の先生や警察官がわいせつ行為等で捕まってしまうのも、
そういうことが原因なのではないかと感じました。

「善(神の子)の自覚」の伴わない形だけの道徳観(法則や形式)に縛られ続けたとき、
人間は衝動的に間違いを犯してしまう危険があるのかもしれません。
 

p117 後から3行目〜

<<真に「生命」それ自身の自由に委ねられるとき、「生命」は真を発揮し、
それが真であるがゆえに善を発揮し、美を発揮することになるのであります。>>


人間にとって『「人格の自由」が保障される』ということがどれほど重要なことであるかがわかります。

4568不生の仏心:2014/10/28(火) 11:06:00 ID:zTvAOV2w
>>4567

相手の自由を縛るな、と云いつつ「公人は斯くあらねばならない」と何故縛るのでしょうか。

雅春先生も清超先生も縛らず自由にされたと云うのに。

4569a hope:2014/10/28(火) 12:51:37 ID:cEpBaIdo

>>4568 仏心さま

何をおっしゃいますか。

雅宣先生のことだったら、誰にも縛られてなんていないではないですか。

森のオフィスにしても、世界平和にしても、自転車レースにしても、キノコ採りにしても、
公人として、自分のお好きなように、充分ご自由になさっているではないですか!

違いますか?

これから仕事ですので、お返事は夜になります。

4570a hope:2014/10/28(火) 12:58:40 ID:cEpBaIdo
追伸

雅宣先生は「生長の家」の総裁で、頂点に立っていらっしゃるのだから、
誰にも縛られるということはないと思いますよ。

唯一、縛ることが出来るの人物は、奥さまの純子先生でしょうか・・・?

4571不生の仏心:2014/10/28(火) 13:18:52 ID:zTvAOV2w
>>4569 >>4570

何云うのかな〜 業には身口意の三業があるんだよね

意業であなたをはじめ皆さんが縛っているんでは。意業だけで済まない人は身口の業で縛っているのでは。

貴女の真理の理解って面白いです。

4572a hope:2014/10/28(火) 18:44:53 ID:DrHwZkWE

>>4571 仏心さま

そうすると仏心さまは、雅宣先生の今までの言動は、わたしや本流の先輩方からの意業の束縛に反抗した言動であるとお考えなのですか?

もしそうだとしたら、それは「生長の家」総裁としてはあるまじき、物凄く自己中心的な幼稚な反抗だと思いませんか?

まさかそのようなことはないでしょう。

わたしは、雅宣先生はご自分の言動やその失策を他人のせいなだとはお考えになってはいないと拝察しています。

すべての責任は自分にあると「一切者の自覚」をもたれ、これから教団がどんな状態になっても、お一人で責任を取られる覚悟がおありだとわたしは信じたいです。

4573神の子さん:2014/10/28(火) 19:50:50 ID:???
雅宣さん、あなたを誰も縛ってはいないよ

貴方を縛っているのはあなた自身の心。つまり自己劣等感ですよ。

他人のせいではありません。

4574不生の仏心:2014/10/28(火) 20:19:19 ID:zTvAOV2w
>>4572

意業の束縛に反抗した言動であるとお考えなのですか?
もしそうだとしたら、それは「生長の家」総裁としてはあるまじき、物凄く自己中心的な幼稚な反抗だと思いませんか?

おかしな総裁がいるその原因が何かと云う事を云っているのではありません。
縛らなければよきものが現れるのが真理と云うから、顕れていないというのであれば、彼を縛るものがある、と云っているだけです。総裁の良し悪しを問題にしているのではありません。真理の言葉を学びながら現実の環境を見たときに、真理から考えていないように思えるのですよ。

4575神の子さん:2014/10/28(火) 21:06:42 ID:???
雅宣さん、あなたはこんな匿名の掲示板の本流とか自称している誰だかわからない人に

縛られていると感じているのですか。

もしそうならば、やはりそれも自己劣等感。貴方自身の心の問題です。

4576不生の仏心:2014/10/28(火) 21:18:30 ID:zTvAOV2w
>>4573 >>4575

a hopeさんと同じこと云うのですね。総裁が周りをどのように観ているかとか、感じているのかとか、そんなことは一切関係ないです。
不都合な人間がいると云うのであれば、それは彼を縛るものがあることを示しているというだけのこと。

日本語読めないのですか。

4577a hope:2014/10/28(火) 21:46:27 ID:cEpBaIdo

永遠の女性なるもの p118

生命は、それ自身の自由に委ねられたとき最も進歩し発達するものでありますから、
もし家庭において、良人が妻を、妻が良人を、形で(のみならず心でも)縛ろうとするとき、
その良人は思う存分発達することができず、常に「後顧の念」に縛られて社会へ出て十分の活動ができなくなり、
妻は自分自身独特の個性の美しさを発揮することができなくなって、その知識においても、
感情においても容姿においてもギコチない、型にはまった、停滞したものとなってくるのです。

そこにおいて、妻は女性としての魅力を失い、良人の進歩に雁行してゆくことができず、
良人の伴侶となることができず、良人から愛されないことになり、
その家庭は悲惨なカタストローフ【破局】を見ることになるのであります。


妻は家婦であると同時に、「永遠の女性」でなくてはならないのであります。

「永遠の女性」とは『創世記』の第一章にある、「神が神の像に肖(かたど)りて人を造り、男と女に造り給えり」
とあるところの、「神としての女性」であります。

内にすでに備わっているところの無限の女性美が、
滾々(こんこん)として常に顕れるところの女性でなければならないのであります。

常にいっそう「永遠の女性」であり、常にいっそう新鮮美がなくてはならないのであります。

年と共に老けゆく女性は本当の女性ではない。

歳とともにいよいよ新鮮に「永遠の女性」美が顕われるのが本当の女性なのであります。

4578a hope:2014/10/28(火) 21:53:06 ID:cEpBaIdo

>>4577 a hope 所感)

<<年と共に老けゆく女性は本当の女性ではない。
歳とともにいよいよ新鮮に「永遠の女性」美が顕われるのが本当の女性なのであります。>>

そうなんですか。
「永遠の女性」美 が顕れなければ、本当の女性ではないのですね・・・(;’∀’)
ちょっと厳しいですが、でも、なんだか嬉しい真理ですね!

わたしは、その「美」の秘訣は「神想観」にあるのではないかと感じています。

「神想観」をして、神にすべてを委ねる気持ちになった時、不安が消え、感謝が溢れ、
自分が神聖に輝くような気がするのです。

女性でも男性でも、「永遠の生命」や「神」を信じている人は、心穏やかで何歳になっても美しいです。

こちらをご覧の女性のみなさん

わたしと一緒に「生命の實相」の真理を学び、神想観ををして「永遠の女性」美を手に入れましょう!!

4579a hope:2014/10/30(木) 22:24:05 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p123 

相手を強制するな

相手を自分の考える善にまで強制してはならないのは、その強制によって相手はますます悪くなると共に、
自分自身がいっそう悪くなるからであります。

他を縛ろうとするならば、常に自分の尺度をもって相手を測っていかなければならないでありましょう。

その間に最も自分に大切なる自分自身のエネルギーが効果もなく失われてゆくことになるのです。

それはまったくエネルギーの浪費であります。

浪費であるばかりかそれは自他を傷つけるエネルギーとなるのです。

常に相手の欠点を見て、それを心に印象し、その印象を相手に念送するならば、
夏川静江の『ひとり静か』の放送物語を聞いてさえ、その物語のとおりに皮膚に斑点を生ずるのが人間の感性です。

それほど過敏でないにしても、悪を認めてそれを心に印象すれば、その想念は必ずや、自分自身を内部より破壊し、
その想念を送られた相手は、その悪しき想念の放送を受けて外部から弾丸を受けるかのように害されているのであります。

「善くしてやろう、という想念は相手を害し、すでに善いとの想念は相手をよくする」という「智慧の言葉」は実に真理であります。

自分自身の心を常に健全に、自分自身の肉体を常に健康に、自分自身の精力を百パーセントに善用しようと思う者は、
相手をして自分の好む軌道をのみ通らせようと思ってはなりません。

軌道のないところに本当の天道がある。無軌道の飛行機は脱線するおそれはないが、
ここを通らなければならぬと定められた汽車や電車は脱線転覆の惧(おそ)れがあるのです。
(つづく)

4580a hope:2014/10/30(木) 22:25:08 ID:cEpBaIdo

>>4579 a hope 所感)

<<常に相手の欠点を見て、それを心に印象し、その印象を相手に念送するならば、
夏川静江の『ひとり静か』の放送物語を聞いてさえ、その物語のとおりに皮膚に斑点を生ずるのが人間の感性です。
それほど過敏でないにしても、悪を認めてそれを心に印象すれば、その想念は必ずや、自分自身を内部より破壊し、
その想念を送られた相手は、その悪しき想念の放送を受けて外部から弾丸を受けるかのように害されているのであります。>>

やはり、「悪」を認める想念は、相手のみならず自分自身をも傷つけてしまうのですね。

「自分自身を内部より破壊する」とは、なんと恐ろしいことでしょう。
さらに、相手は「弾丸を受けるかのように害される」とあります。

「生長の家の教え」は「悪なし」の教えですから、現象の「悪」や「罪」を認めたような『虚説』は断固として排撃しつつも、
相手の仮相(迷いの姿)はあくまでも自分自身の心を映した鏡であるわけですから、その姿には感謝して、
自分と相手は一体である事を心に念じて、実相を礼拝することが本当の「生長の家」の信仰の姿なのではないかと感じています。

4581a hope:2014/10/31(金) 10:06:22 ID:cEpBaIdo

p124 後から7行目〜

軌道があるから脱線する。軌道がなければ脱線せぬ。

「ねばならぬ」に縛られた人たちは、自分も脱線して苦しみ、人をも脱線せしめて苦しむ人たちであるのであります。

電車なら線路がなくては人生の行路が歩めぬかもしれぬが、人間は神の子であるから、それ自身の自由にゆだねられたときかえって、
それ自身の中心を得て完全に回転するのであります。

すべて自主的運動をなすものは、それ自身の自由にまかされたとき、少しの歪(いびつ)もなしに回転し、
他から束縛しようとせられるとき、その回転が乱調子となり、一定の所からかえって撥ねて飛ぶのは、
廻っている独楽(こま)と同じであります。


竹はすべて真っ直ぐに生長するのが本性であり、藤蔓(ふじづる)は巻き付くのが本性であり、
笹芝は地を這うのが本性であります。

そのそれぞれに美があり、個性があり、個性の中に天意があり、神があるのである。

竹を竹して竹たらしめよ。藤蔓を藤蔓して藤蔓たらしめよ。笹芝を笹芝して笹芝たらしめよ。

藤蔓をして竹のごとく真っ直ぐならしめんとし、竹を藤蔓のごとく巻きつかしめようとする時、
竹も枯れるで、なおいっそうよくないのは、かく外部から強制せんとしつつ自分自身が奔命に疲れて滅んでしまうでありましょう。

人をいわゆる「自分の尺度」で測って、善ならしめようとして、相手をそこない、
自己をそこなっているのはちょうどこれと同じであります。

4582a hope:2014/10/31(金) 10:08:39 ID:cEpBaIdo

>>4581 a hope所感)

<<電車なら線路がなくては人生の行路が歩めぬかもしれぬが、人間は神の子であるから、それ自身の自由にゆだねられたときかえって、
それ自身の中心を得て完全に回転するのであります。>>

わたしは母親として子供達を見ていて、この事はすごくよくわかるような気がします。

身近なことですが、子供たちが学校から帰って来、宿題をやらないで遊び始めたとき、
「宿題を先に終わらせてよ!」とわたしが強制的にやらせた場合、子供たちは一応やり始めますが、
子供達の心の中に「遊びたい!」という気持ちが残っているので、集中力に欠け、時間ばかり食って、
能率が上がりませんし、せっかくの学習も身につかない様子です。

ですが、子供が遊び始めた時に、「今日は宿題はあるの?夕飯は6時の予定なんだけど?」と声掛けすると、
子供達は、「じゃあ、一回ゲームやってからやるよ。」とか、「夕食、食べ終わってからやる。」とか、
それぞれが、答えるのですが、そうすると本当にその時間になると必ずやり始めるのです。
そして、ものすごい集中力を発揮して、短時間で終らせます。

ここで、大切なのは母親の声掛けした後の態度なんだと思います。
わたしも何度も失敗しましたが、一度声掛けした後は、子供を信じて黙って見守ってあげなければいけないのですね。

子供が自主的にやりだす前に、「ほら、ゲーム一回終わったでしょ?早く宿題やりなさい。」とか、
夕食を食べている最中に、確認するように「あなた、夕食食べたら宿題やるのよね?」とか言ってしまうと、
子供は母親に信頼されていないと感じ、ますますやる気をなくすのだと思います。

身近な家族を信頼する、特に自分からみればまだまだ未熟に見える子供達を信頼し、
自由にさせるというのはなかなか難しいですが、
母親にそれができたとき、子供たちは本来の「神の子」の無限に伸びる力を発揮してくれるのだ、
ということがやっとわかってきました。
(つづく)

4583a hope:2014/10/31(金) 10:10:45 ID:cEpBaIdo
>>4582 つづき

p126 8行目〜

<<決して相手を縛って導こうとしてはならない。
自分自身が得ている真理で何か相手に捧げる実行的奉仕を為しつつ、相手自身を相手の思考の自由にまかせておくのがよいのであります。
相手の「神の子たる善さ」を信じてその自由にまかせておくのであります。
かくて人は本当の自由にまかせられるとき、廻っている独楽を触らないで自由に委(まか)すとき、
心軸を中心として立ち上がるように正しくいきるようになるのであります。>>

ここに、まさにわたしが「子供達への対応」に関して感じている結論の正しさを証明してくれるような文章が書かれていました。

聖典「生命の實相」はわたしの「座右の書」であり「人生のバイブル」です。

4585トキ:2014/10/31(金) 10:59:24 ID:O7P5.4T.
 そうですね、最近、感じるのですが、「千里の道も一歩から」という言葉の意味です。

 国家や環境の問題も重大ですが、まずは、目の前に、困っている人がいるのなら、その
人のために何かをする。個人なら家庭を明るくする。そういうところから始めてこそ、
国家の問題についても、環境の問題についても、説得力が出て来る、と感じます。

4586a hope:2014/10/31(金) 22:44:11 ID:cEpBaIdo

トキさま みなさま こんばんは

今月も今日が最終日になり、明日からは第29回web誌友会が開催します。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第29回 web誌友会 予告

期間  11月1日〜11月30日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p127〜p199
内容 「生長の家」の児童教育法
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆



わが家の子供たちもそれぞれ順調に成長してくれていますが、まだまだいろいろと心配事も多いです。
ですが最近は、子どもの問題行動もすべて自分の心の影なのだから、
自分の心を変えることが問題解決への近道だということがわかってきました。

今回さらにお勉強して「生長の家」の児童教育法をしっかりと自分のものにしたいです。
子育て中のみなさまも、そでないみなさまもどうぞご気軽にご参加くださいね。

それでは、明日になりましたら「開会の祈り」と、p128にある「児童教育に関する神示」を謹写させていただきます。

4587a hope:2014/11/01(土) 08:07:46 ID:cEpBaIdo

11月に入りましたので、第29回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4588a hope:2014/11/01(土) 08:09:19 ID:cEpBaIdo

「児童教育に関する神示」

多くの母親は子供のことを余りに取り越し苦労するために、
かえって子供に悪思念を放送して子供の健康や運命を害している。

ある母親は一瞬間でも自分の眼の前にいないと心配でたまらないのである。
彼は自分の想像の中で、躓(つまず)いて転んでいる自分の子供の姿を思い浮かべる。

自動車にひかれて死にかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。

水に陥って溺れかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。

世の母親よ、なぜあなたはこの反対をしてはいけないのか。

こんな取り越し苦労が起こるのは、
子供を神の子だと思わないで人間の子だと思うからである。

神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。

人間の子だと思うものは終世、取り越し苦労をして育てねばならぬ。

子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬してできるだけその世話をさせてはいただくが、
神が守ってい給うと信ずるがゆえに取り越し苦労は必要はないのでる。

人間力で子供を生かしうると思うなら終日終夜起きて子供の番をしておれ。

それはできなかろう。

できない間に子供を生かしているのは神の力である。


感謝 合掌。

4589a hope:2014/11/02(日) 11:55:31 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p129

われわれを神が造った。神と呼ぶのが嫌な者は生命といってもよい。

神の力を疑うものは馬鹿者だ。神が造った万物のなかでその主位にある人間の力を疑うものは真理を見る目のない者だ。

われわれの内に無限が宿っている。この無限を掘り出せば人間はみんな天才となるのだ。

天才を、人間は皆もって生まれて来ているのだ。それに人間はみんな天才にはならない。それは不合理だ。

その不合理は誰がするか。人間が真理を知らないからだ。親たるものが真理を知らないからだ。

ダイヤモンドをもっていながら石だと思って捨てて顧みないからだ。

人間を信ぜよ。神の創造を信ぜよ、生まれたままの人間を信ぜよ、それは幼児だ。

幼児に宿っている天才はまだ彫琢しないダイヤモンドだ。傷のつかない高貴だ。

表面にまだなんの天才の閃(ひらめき)がないからとて失望するな。表面を見て神の創造を疑うな。

神が天才を造って人間ひとりひとりの中に埋蔵(かく)しておいたのは、神が人間をして安価な怠惰の中に腐敗せしめないためだ。

人間みずからの努力と発見とを神が喜び給うからだ。

なぜなら人間は一個の生命であるから、発見と創造とに生きねばならぬからだ。

天才の閃きがわが子にあらわれないからとてわが子を軽蔑するものは、生命を軽蔑するものだ。

神を軽蔑するものだ。子供をわが子だと思うな。子供の生命の背後には無限生命がある。

神がある。明日火に投げ入れられるべき野の草の小さな花すら、神でなければ造られない装いがあることを知るものは幸いだ。

いわんや造られたるものの主位に位する人間の子供の天才を疑うな。

子供の天才を生長させるために必要な根本事項は神の創造に対する信頼だ。

親はわが子を神の創造だと信じ、できるだけ子供自身が神の創造を自覚し神の創造をはずかしめてはならない
という魂の高貴さを養成するように努力しなければならないのだ。

4590a hope:2014/11/02(日) 12:06:15 ID:cEpBaIdo

>>4589 a hope所感)

ここには、現象世界からではなく実相世界からの見解でわたしたち人間が神の創造であるということが
とても力強く述べられていて、拝読していてもとても元気になりますし気持ちがよいです。


そして、

<<子供の天才を生長させるために必要な根本事項は神の創造に対する信頼だ。
親はわが子を神の創造だと信じ、できるだけ子供自身が神の創造を自覚し神の創造をはずかしめてはならない
という魂の高貴さを養成するように努力しなければならないのだ。>>

とあり、母親が子供の「天才」を生長させるためには、その神の創造を信頼ることと、
魂の高貴さを養成する努力が必要だとあります。


p131
<<子供を礼拝せよ。子供の内に埋蔵された才能の宝を拝み出せ。信ぜよ。
なんじ癒えたりと信ぜば病も癒えるのである。
いわんや、あなたの子を信じて、あなたの子が善くならないということはないのだ。
子を信ずるものは人の父を信ずるものである、神を信ずるものである。>>

これは、子供だけに言える事ではないですね。

人間は一人残らず「神の子」なのですから、誰一人として、信ずるに値しない人間はいないのだと思いました。

4591トキ:2014/11/02(日) 18:02:54 ID:AXe06p4A
a hope様

 web誌友会の開催、ありがとうございます。

 真理を勉強する場所が少なくなっているので、こういうネット上での
勉強はとても大事だと思います。皆様のご参加を心からお待ちしており
ます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4592a hope:2014/11/03(月) 10:54:59 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p131 後から2行目〜

生命の目的は「生長」することである。そして生命は生長の営みによってのみ生長する。

生命の営みとは「活動」である。生命はきざしているところの「動」を現実の「動」に変えることによって生長する。

わが子が弱いとか、まだ発達期でないとか思うな。わが子に今あるところのすべての能力を発揮せしめよ。

きざしている芽のすべてをすくすくと伸ばさしめよ。

4593a hope:2014/11/03(月) 10:57:23 ID:cEpBaIdo

>>4592 a hope所感)

この後、なぜ「幼児」が乱暴をしたり、いたずらをしたり、物を破壊したりという脱線をするのか、
そのような「幼児」の脱線行動に大人はどのように対応すべきなのかが説明されています。

谷口雅春先生は児童心理学者でも教育学者でもありませんが、本当によく「幼児の心理」を理解されていると感じます。
まあ、「幼児の心理」というよりも、「生命の本質」と言った方がいいのかもしれませんが・・・。

p134 2行目〜
<<子供のさわがしさを叱る者は生命の生長に重大な障礙(さまたげ)を置くものだ。子供の伸びようとする生命はおさえられて浪費する。
かかる抑圧が永続的に行なわれるときそれは浪費される以下である。
なぜなら生命の発露を常におさえつける習慣をつけるとき生命は委縮するからである。
使わない能力は発達しない。使わない生命は生長しない。いな、それ以下である。

抑圧された衝動が子供の成長後いろいろの精神障礙および肉体的症状となってあらわれてくることは、
最近の精神分析が証明しつつあるところだ。>>

4594a hope:2014/11/03(月) 10:59:20 ID:cEpBaIdo

>>4591 トキさま 

こちらこそ、このトキ掲示板があるからこそ、わたしは大好きな聖典「生命の實相」のお勉強がみなさんと一緒にできるのです。
管理人のトキさまにはいつも心から感謝しています。

といいながら、わたしは事情がありまして、明後日から1週間〜10日ほど自宅のパソコンをつかえない状態になります。

時々、この掲示板は拝見するつもりでいますが書き込みはほとんどできないと思います。

今回のweb誌友会の範囲は、「生命の實相」第14巻の『教育篇』p127〜199までとしてありますので、
トキさま、「訊」さまなどで、お勉強を進めてくださるとありがたいです。


閲覧者のみなさま

ただ、自分が感動したところ、赤線を引いたところを、こちらに謹写し紹介してくださるだけでもお勉強になります。

もし子育て中の方でしたら子育てに関する質問をされてもいいですね。

この掲示板は、志恩さま始めたくさんの「生長の家の教育法」でお子様方を立派に育てられた
先輩方も閲覧してくださっていると思うのです。

きっと、よいアドバイスをいただけるのではないかと思います。

4595a hope:2014/11/04(火) 21:43:18 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」p136  2行目〜

白百合にバラの花をつけさせようと思うな。白百合の清さは一つの天才である。バラの花の美しさも一つの天才である。

諸君は「鈴懸(すずか)け」の小さな白い花房や、萩の可憐な赤紫の荳(まめ)のような小花(おばな)にも、
ほかの花卉(かき)とは取りかえることができないそれぞれの美をばみとめないであろうか。

どんな小さな花にさえも人工は及ばない。

「ソロモンの栄華の極み」の時の装いだも、その美しさは野辺に咲く名なし草の小花にも及ばないのだ。

いわんや、造られし物の首位にある人間の天才は、それがどんな種類の才でも、自然を曲げたものよりは高貴であるのだ。

生命を信じて礼ぜよ。

子供の生長、人間は常にここから始まらなければならない。

大地に根をおろさなければ偉大なる生長はのぞまれない。大生命に根をおろさなければ、偉大なる生長はのぞまれない。

天才は、それが偉大なのは大地に根をおろした生長であるからだ。

大地に根をおろした生長であれば、大工になる時左甚五郎のような巨匠となるであろう。

粘土細工の好きな鼻垂らしもロダンのような巨匠となるであろう。

4596a hope:2014/11/04(火) 21:44:39 ID:cEpBaIdo

>>4595 a hope所感)

<<いわんや、造られし物の首位にある人間の天才は、それがどんな種類の才でも、自然を曲げたものよりは高貴であるのだ。>>

「天才」とは、個性生命が大生命から与えられた「使命」のことではないかと感じました。

何物にも拘束されず自由に生きることができたとき、誰にでもその天才は発揮されるのだと思います。

わたしの子供達にはどんな「天才」があるのか、そしてわたしの中にも必ず「天才」があるはずです。

考えただけでもワクワクしますね!

「生長の家」はその教えを信仰すれば、全ての人間が「天才」に生長するから「生長の家」というのでしょう?

「生長の家」の信仰といえば、やっぱり「人間神の子」の自覚を得るための三正行ですね!

4597トキ:2014/11/08(土) 22:10:43 ID:9laNyN1c
 生命の実相第14巻の193pより、御文章を紹介させていただきます。

 「毎朝『馬鹿者!」だとか、「強情」だとか、「仕事のない悪い子だ」とか、
親たちや教育係からいわれでないで育ちえた子供はほとんどこの世界にないと
はなんという悲しいことだろう。「生長の家」は敢然かかる教育法に反対する
ために出現したのである。」

 これは中学や高校で体育会系の活動をした人なら、体験があると思います。

 どうも、努力や根性の押しつけが横行し、まるで軍隊の内務班のような押し
つけが普通になってました。

 しかし、最近のスポーツの世界では、こういう極端な上下関係の存在は
功少なく、弊害が多い事が指摘されています。例えば、喧嘩空手で有名な
極真空手などは、この種の「シゴキ」がなく、かえって広がったともいわ
れています。

 最近では女子柔道の世界で、この種のシゴキをして問題になっています。

 戦前、谷口雅春先生が言われた事が、21世紀になって常識になったの
は知るべきだと思います。

4598「訊」:2014/11/08(土) 23:00:50 ID:???


>>4597トキ理事長

 ・・・・誌友会論点からはややずれますが、以下の件にコメントを。

>>>しかし、最近のスポーツの世界では、こういう極端な上下関係の存在は
功少なく、弊害が多い事が指摘されています。例えば、喧嘩空手で有名な
極真空手などは、この種の「シゴキ」がなく、かえって広がったともいわ
れています。<<<
>>>戦前、谷口雅春先生が言われた事が、21世紀になって常識になったの
は知るべきだと思います。 <<<

 これは確かに、その通りです。最近では所謂「しごき」ですが、部活動から姿を消しつつありまして、私なんかも非常にうれしく思っています。いやホント、しごいたって「スポーツは上手くならない」のです(笑)。考えれば誰でもわかることなんですが、まあ、誰も分っちゃいなかった(笑)。しごかれて野球がウマくなるなら例えば、私なんか今頃「ヤンキースでエースになっているハズ」です(笑)でも、なってイナイんです(笑)・・・・・・しごきなんて、無意味。それが一点目です。

 で、二点目に述べたい点なんですが、「なんで最近野球界ではしごきがなくなってきたのか」に関して触れます。これ、「オリンピック・マター」なんですよ、実は。さてこの「オリンピック・マター」の意味とは・・・・・・

 ・・・・・ご存知か知りませんが、野球競技ですがなんと、「五輪から外れた」んです(!)。これ、野球界では激震が走っておりまして、もう、プロもアマもおろおろしているんです。

 で、五輪競技復活!を目指す野球界ですが、高野連が着手したのが「しごき・いびりの根絶」なんです。最近は強豪校の済美高(愛媛)や日南学園(宮崎)が出場停止処分になったんですが、これ、今までであれば「OK」だったケースです。今までであれば「騒動の責任者である選手個人だけを処分」にし、「チーム全体は出場してもよい」てな裁可がくだったはずの、軽罪だったんですが・・・・・・・両校ともに「出場はNo」となったんでありました。そしてこの、済美高(愛媛)と日南学園(宮崎)への処分から我々は、「ああ野球界・・・もう、ホンキだな」と察しているわけです。前段で述べた五輪競技の復活ですが、野球界はホンキになってます。そして、今後はしごき・いびり等は「厳格に処分されるであろう」、そんな流れです。

 ・・・・・まあ、トキさんは、「戦前、谷口雅春先生が言われた事が、21世紀になって常識になったのは知るべきだと思います。」とお書きでしたが、まあ野球界に関して云えば、ややニュアンスが違いますかね(笑)。正確に描写すれば、「自壊作用(=五輪競技から外れた)により、野球部部員たちは今まで以上に、野球そのものを楽しめるようになって来た」かな、と。もっと誉め言葉で盛り上がるようになれば、野球界もホンモノなんですがね(笑)。まあ以上、誌友会テーマからはやや外れますが、ちょっと補足したくなった事柄でございました。



4599「訊」:2014/11/08(土) 23:19:43 ID:???

(×)野球競技ですがなんと、「五輪から外れた」
(○)野球競技ですがなんと、「五輪種目から外れた」

4600トキ:2014/11/10(月) 09:50:29 ID:4moBTNpA
>>4598

訊け管理人様

 うーん、野球というのは華やかな世界に見えますが、たいへんな背景があるのですね。

 明治時代など、野球をするのは不良扱いをされていた時期もあったみたいです。内村鑑三
の長男の内村 祐之は東大医学部教授として有名ですが、同時に、野球人としても有名です。
内村鑑三は長男が野球をするのは反対でしたが、「一高、東大でトップなら」という条件で
野球をするのを認めた、と言われています。

 戦前は野球人の地位が低かったので、地位向上を目指した人たちが熱意のあまり、つい、
シゴキのような事を始めて、その悪弊が今日まで残ったのでしょうか。

 ともあれ、ああいうシゴキみたいな事を根絶するのが、谷口雅春先生の願いかもしれま
せん。

4601a hope:2014/11/13(木) 10:38:41 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第14巻 p138 2行目〜

善い言葉で暗示を与え、子供を十分信頼してやり、仕事の種類と時間とを子供の好きにまかしてやるならば、
子供はめったに仕事の選択に失敗するものではない。

子供を信ずること、および善い言葉で「あなたは善い子だからこれが上手だ」というふうに導くことを忘れてはならない。

4602a hope:2014/11/13(木) 10:39:59 ID:cEpBaIdo

>>4601 a hope所感)

「子供を褒める」というのはなかなか難しいことだと感じています。
ここでは、『善い言葉で暗示を与える』とありますが、それはだだ「褒めまくる」こととは、
まったく違うのだと思うのです。
ここで重要なのが「子供を十分信頼」するということで、それは、親の理想通りの子供に仕立て上げる(親の敷いたレールをおだてて走らせる)、
ということではないですよね?

まれに、親が子供を医者にしたいからと、眠っている子どもに「お前は将来医者になる」と暗示をかけ続けて育てたら
本当に医者になったというような話を聴きますが、その子に医者の天才(素質)がなかったら、
たとえ、親の希望通り医者になったとしてもその子の人生は決して幸せにはならないのではないかと感じています。

わたしは自分の子供達を同じように育てているつもりですが、それぞれ性格や得意なことが違います。

その子供の天才を無視して、親が自分の見栄や欲、または自分が出来なかった夢を実現させたいがために、
子供をおだてあげて自分の理想通りに育てようとすることの弊害は大きいのではないかと感じています。


ですが「人間神の子」という「生長の家」の祈りの言葉は万能ですね!

ジュニア「希望の祈り」―― 毎日の進歩のために―― には、
誰が読んでもその子(人)の天才が引き出されてくるような祈りの言葉がたくさん詰まっています。

たとえ、子供が反抗期などでその「祈りの言葉」を唱えたがらなくても、
母親や父親が子供の代わりに読んだり唱えたりすることでその子供の天才が引き出されてくるような気がします。

わたしにも現在、反抗期の子供がいますのでこれからその子に代わって「人間神の子」の祈りの言葉を唱えていきたいと思います。

4603a hope:2014/11/13(木) 10:42:17 ID:cEpBaIdo

トキさま 「訊」さま

わたしのいない間、web誌友会にご参加くださりありがとうございます。
また、パソコンが使えるようになりましたのでお勉強を再開させていただきます。

感謝 合掌

4604a hope:2014/11/15(土) 08:55:38 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第14巻 p148 8行目〜

円満な神の姿を小児の心にえがかせよ。完全な仏の姿を小児の心にえがかせよ。

いかなる場合にも、自己が全能なる神または仏の愛の手にいだかれていてなんの危険もないものだ、という自信を子供の時代から人間に植えつけよ。

幼児からのこの自信は将来のその人の運命を決するものだ。


子供の教育に当たっては人前だからといって自分の子供を遜(へりくだ)って、「この子はとてもイタズラ好きで駄目なんです」とか「この子はずいぶん馬鹿でして」などというな。

かくのごとき謙遜は子供の想像力を自分の想像力を自分の欠点の方へ働かしめ、子供の自信力をめちゃめちゃにして子供の生長に邪魔を置くことになるのである。

自身を常に「駄目だ駄目だ」といわれているときは、その言葉の力でその子供の周囲や表情には、一種のダメな無力な沈衰(ちんすい)した感じがつきまとい、彼の将来の運命を真に駄目にしてしまうのである。


諸君よ、何も神がつくったところの人間を指して、それがたとい自分自身だからとて、自身の肉身の子だからとて、駄目だとか、馬鹿だとか、かりそめにも悪くいわねばならない理由はないではないか。

それは創造主(つくりぬし)への冒涜である。それはわれわれをつくって生命を与え給える「ある者」をけがすものだ。

けがすだけではない。自分自身の運命を、自分自身の子の運命を、知らず知らずのうちにダメにしつつあるものだ。


子供をして彼自身を「神の子なり」と信じせしめよ。

神父(ちち)はその子をその全能な力にて常に完全に導き給い、無限生長に導き給い、どんな不遇の場合にも必ず守りていたまうことを信ぜしめよ。

どんな場合にも失望しない心、取り越し苦労しない心、摂理に信じまかせ切って、晏如(あんじょ)たるを得る心、倒れても倒れてもまた起き上がることのできる心、これらは幼児の心にきざまれた完全円満なる神を父とする想像から力強く生まれ出て来るものなのだ。


神仏を礼拝する習慣、これがここにも幼児から人間の生長に必要なものであることがわかってくるであろう。


子供に彼を保護する神を想像させよ。しかし神を恐れさすな。神を父と思わせよ。愛深き全能の力をもて守りたまう神を想像させよ。

4605a hope:2014/11/15(土) 08:57:26 ID:cEpBaIdo

>>4604 a hope 所感)

<<子供の教育に当たっては人前だからといって自分の子供を遜(へりくだ)って、「この子はとてもイタズラ好きで駄目なんです」とか「この子はずいぶん馬鹿でして」などというな。>>

日本人には、それが謙遜であると勘違いをして、この間違いをしてしまう親がとても多いのではないかと感じています。

また、子供同士の間でも、「自分はバカだし・・・」とか、「どうせオレは駄目な奴だし・・・」自分を見下すような発言をして友達の気を引こうとする子供の様子もよく見られます。

反対に、あまり自信過剰になって派手に振る舞えば、いじめの対象になってしまう危険もあります。


自分だけが特別に「神」に愛されているのではなくて、「自他一体」であり相手も自分と同じ「神の子」である、という生長の家の「自他一体の自覚」があれば、
親子関係もお友達関係もすべてうまくいくのではないかと思います。

4606管理人さまへ:2014/11/15(土) 16:17:41 ID:aSbVs1pI
トキ管理人さまへ

 訊け管理人さんなどがルール違反しているので、注意してください。
 訊け氏が部室版で違反しているいるあいだ、わたしのほうでも
 ここや他の版で、トキさんが注意するまで書かせてもらいます。

4607管理人さまへ:2014/11/15(土) 16:21:01 ID:aSbVs1pI
8020 :シャンソン:2014/11/14(金) 20:31:23 ID:syXTb1eg>>7271

訊けさんがこないだからおなじことばかり主張しているのは知っています。
わたしが尋ねていたのはトキ管理人さんにです。
 訊けさんはトキさんではないのですから、横から割り込まないで下さい。
そして一人一役もできないトキさんは回答をさけているので、これについて今は
問い合わせていませんと書きました。
今後、訊け管理人さんがおなじことを繰り返してきた場合は、悪意のある妨害行為と
みなして、管理者にもその責任を問いたいと思います。

4608管理人さまへ:2014/11/15(土) 16:25:56 ID:aSbVs1pI
1859 :「訊け」管理人:2013/11/27(水) 07:20:49 ID:???


>>トキ理事長

――――――――――――――
1560 名前:トキ 投稿日: 2013/09/16(月) 18:22:04 ID:8wIrzEBg
追伸

 うのはな様も訊け管理人様を話題にしないし、逆もそう、という約束は有効だと思います。
――――――――――――――

 珍文の整理、よろしくお願い致します。

4609管理人さまへ:2014/11/15(土) 16:43:07 ID:nhF2iOV6
8048 :「訊」 :2014/11/15(土) 16:39:44 ID:???
>>トキ理事長

 在トキ会の同意の下、>>8046宣言文が「適用の運びとなりました」ことを、ここにお喜び申し上げます。今後は同宣言文の「厳格な適用」を求めたく、罰ゲームの提案などをさせて頂きました次第です。なお、その、罰ゲームの内容は>>8047文に明記致しましたので、ご確認の上今後、同宣言文の「公平なる判定者」としてのお立場を、貴殿に強く働きかける所存であります。

 最後に繰り返しではありますが、在トキ会の同意の下、>>8046宣言文が「適用の運びとなりました」ことを、ここにお喜び申し上げます。



4610「訊」:2014/11/15(土) 16:47:46 ID:???

>>>珍文の整理、よろしくお願い致します。<<<

 完全同意です。ここは、誌友会スレでありますからね。ですので、完全同意です。

4611トキ:2014/11/15(土) 17:22:46 ID:kJfjg7Wc
 皆様のご理解に感謝します。web誌友会ですから、誌友会に戻りましょう。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4612a hope:2014/11/16(日) 23:06:03 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p151 7行目〜

真(しん)に人類の生長を望む者は人類が臆病になるべきいっさいの原因を一掃しなければならぬ。
「生長の家」がこの世に出現した一つの動機はこの目的を果たすためだ。

「そんなに悪いことをしては鬼が来て食べますよ」式におどしつけて子供を善導しようと思う者は、
ついに人類を不幸につき堕(おと)すことになるのだ。


元来、刑罰が恐ろしくて善き行いをする者は本当の善き人ではない。
刑罰の有無にかかわらず、善を愛する心から善をなす者にしてはじめて真に善人ということをうるのである。

形の上から見れば同じ行為をしたにすぎなくとも、刑罰を恐れて善事をするものは境遇に強いられた被征服者であり、
善を愛する心から善をなすものは自主独立の支配者である。

4613a hope:2014/11/16(日) 23:07:44 ID:cEpBaIdo

>>4612 a hope所感)

ここには、とても重要な事が述べられていると思いました。

人々に「善き行い」をさせるために、おどしつけてさせてはいけないということが書かれていて、
そうすると、人類を不幸につき堕(おと)すことになるとあります。

誰からもおどされたり強制されたりすることなく、信徒が「神の子」の自覚を持つことで、
喜んで自主的に善をなすようになるのが「生長の家の教え」なのですよね!

4614a hope:2014/11/17(月) 22:07:23 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p152 8行目〜

人間にとって、何よりも大切なことは、自分の脚で大地に立つということである。

何者にも強いられないところの不羈独立(ふきどくりつ)の精神で、自由に、のびのびと善事を行う生活こそ「生長の家」の生活であるのだ。

善を欲するがゆえにわれ伸び伸びと善を為す――かくのごとく幼児の精神を「生長の家」式に導いてゆくことによってのみ、
人間の人格の自由と強さと円満さと朗々たる明るさを得ることができるのである。

4615a hope:2014/11/17(月) 22:12:35 ID:cEpBaIdo

>>4614 a hope所感)

各自の人格の自由が保障された上で、自由にのびのびと善事を行うのが「生長の家」の生活なのですね!

テキストにはこの後、「悪」や「罪」の観念に支配されてしまい、
「万引きをすれば警察へ引っ張られる」と想像できても万引きをやめられない婦人の例や、
「甘い物をたべたら胃が痛む」と想像できても甘い物がやめられなかった作家の具体例があげられ、
「観念の強制力」がどれだけ強いものなのかが説明されています。

p154 1行目〜
<<この観念の強制力を「善」の方向に利用せよ。悪なるもの、不完全なるもの、
歪(いびつ)のもの、暗きものの想像をスッカリ子供の心から逐(お)い出し、
善なるもの、完全なるもの、円満なるもの、明るきもののみ心にえがきせしめよ。
観念の強制力が自ずから働いて、その子供の善をなそうという傾向、円満に達しようとする傾向、明るい快活な生き生きとしたことを好む傾向が増大してくるのだ。>>

4616a hope:2014/11/18(火) 22:48:40 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p155 5行目〜

直観力というものは実に不思議な力である。それはたんなる想像力とも異なって一種の洞察力である。

片鱗を知って全体がパッと明るく頭の中へ閃いてくるところの霊感的な力である。
たんなる想像力がこれよりあれへと外形をたどって連想や類推をかさねて、いろいろの形や物語の筋を組み立ててゆくに反して、
直観力は直接的に物全体に突き入って、そのもの全体を端的につかんでしまうものである。

この不思議な霊感的な洞察力はいかなる職業に従事する者にも必要であるが、特に宗教家、教育家、音楽家、芸術家、詩人等においては必要欠くべからざる性能である。

かくのごとき霊感的な直観力なくしては、何人も真の偉大に到達することはできないし、
真の偉大な事業をなしとげることはできないのである。

真の宗教家は天徠(てんらい)の声を語る詩人であり、真の教育家は霊感にみちびかれた預言者であり、
あらゆる芸術家は霊界よりインスピレーションを受けた者でなくてはならぬ。

・・・(中略)・・・

この直観力というものは類推によらず、分類によらず、実にパッと霊感的に、輝くように、
ものの全体の姿が心に映って来るところの天徠の閃光(ひばな)である。

子供においてはこの直覚の火花を十人のうち九人まではすでにその心のうちに燃やしかけているのである。

もし、この燃えかけている子供の直覚の火花を教育者や保護者が押し消さぬようにすれば、
ずいぶん宗教界にも、科学界にも、芸術界にも、
今よりズッと多くのいっそう偉大なる人物が輩出していたに相違ないと思われる。

しかし現今一般に流行している※唯物論哲学は、せっかく燃えかけているこの霊感の炎を押し消し、推し込むことになるのである。


宗教家にして※奇蹟を知らず、死後を知らず、生命のいずこより来りいずこに到るかを知らず、
科学者にして真に大なる発明のできないのは、すべてこの霊感的直覚の欠乏より来るのである。

・・・(中略)・・・

神秘を知らない人間ほど始末におえないものはない。

そんな人間にとってどこにも不思議と称すべきものはないのであって、至る所に満ちているのは、
ただ「当たり前」の興味のないガラクタ現象ばかりである。

彼は何を見ても不思議がらない、何もかも神秘ではない。だから何を見てもなんのインスピレーションもないのである。

リンゴの落ちるのは当たり前だし、湯気が鉄瓶の蓋をもち上げるのも当たり前だし、植物が生長するもの当たり前だし、
人間が生きているのも当たり前である。

(頭注より)
※ 唯物論哲学・・・ただ物質ののみが存在するものと考え、世界の存在のもとは物質であるという思想をもとにした哲学
※奇蹟・・・人間の常識では実際に起ることが考えられないような不思議なこと。

4617a hope:2014/11/18(火) 22:53:37 ID:cEpBaIdo

>>4616 a hope所感)

ここには宗教家にとって「霊感的直観」(直覚力)がいかに重要であるということが述べられています。

そしてそれは<<たんなる「想像力」がこれよりあれへと外形をたどって連想や類推をかさねて、
いろいろの形や物語の筋を組み立ててゆく>>ことつまりは、
「論理的推察力」とは反していると述べられています。

この「霊感的直観力」(直覚力)というのは、本来すべての人間が持っているのだと思いますが、
子供の頃から「唯物論的教育」を受け、その結果、魂や神の存在を認めず、奇蹟などの神秘現象を
偶然の出来事だと考えるような大人になってしまうと、その「霊感的直観力」が十分発揮できなくなるようです。

<<子供においてはこの直覚の火花を十人のうち九人まではすでにその心のうちに燃やしかけているのである。
もし、この燃えかけている子供の直覚の火花を教育者や保護者が押し消さぬようにすれば、
ずいぶん宗教界にも、科学界にも、芸術界にも、
今よりズッと多くのいっそう偉大なる人物が輩出していたに相違ないと思われる。
しかし現今一般に流行している唯物論哲学は、せっかく燃えかけているこの霊感の炎を押し消し、押し込むことになるのである。>>

谷口雅春先生が「唯物論」を虚説として激しく排撃しているのはこの理由からですね。

4618<削除>:<削除>
<削除>

4619a hope:2014/11/20(木) 23:36:36 ID:cEpBaIdo

>>4618 トキさま

トキさまはいろんな種類のたくさんの本を読まれているのですね。

そうなんですか、中国は<<文化大革命で伝統や文化、信仰が徹底的に破壊された>>のですね。

確かに、東日本大震災の時に東北の方々が秩序を乱さずお互いを思いやる態度をとることができたのは、
他の国の人々にとても賞賛され、それこそ日本人の「大和魂」だったのではないかと感じ、
あの時は本当に自分が日本人である事を誇りに思いました。

ですが現代の日本人のすべての人がそういう態度をとれるとは言い切れませんよね?
日本人であっても非常識な人はたくさんいますし、凶悪な犯罪を犯す人もいます。
それにむしろ現代の日本には「無神論」者や「唯物論」者の方が多いのではないかとすら感じています。

一方、中国の方々の中には、日本人にはないような素晴らしい長所を持たれた方もたくさんいらっしゃいます。

わたしは、どんな国の人であっても「人間神の子である」という実相一元の「生長の家の教え」を信仰していきたいです。

4620a hope:2014/11/21(金) 10:12:21 ID:cEpBaIdo

>>4619 補足

>>4618でトキさまが「中国人は雑巾と布巾の区別ができない」(西谷格著)というご著書を紹介され、
言わんとしていることはわたしにもなんとなく理解できます。

<<著者は、その差が生まれる根拠を「宗教」に求めています。
信仰や伝統が一応、存在する日本の社会と、文化大革命で伝統や文化、信仰が徹底的に破壊された中国の社会の差という事です。
その証拠に中国でも、チベットなどの宗教が存在する地域では、普通の常識や人情が存在すると指摘し
ています。>>

著者は「唯心所現」等で心の大切さを説く「宗教」が、
いかにに人間社会のモラル(秩序)を保つために重要なのかを実際の中国の現象をルポされて説明しているのですよね。

ですが、もし、この著書を日本語が読める中国人が読んだらどの様に感じるでしょうか?
または、この著書が中国語に翻訳されて多くの中国人に読まれるこになったらどうでしょうか?
反日感情をさらに掻き立てる要素となりませんでしょうか?
わたしは、例え日中関係であっても、日韓関係であっても、「合わせ鏡の真理」の例外ではないと思っています。

わたしには、実際中国人の友人がいます。
思いやりがあって親切で、行動力もある素晴らしい方です。

4621トキ:2014/11/21(金) 11:45:40 ID:ONqfu1kY
a hope様

 ご丁寧なコメント、ありがとうございます。私の書き方が悪かったみたい不快感を
与えたらお詫びします。

 個人的には仲の良い中国人の長年の友人がいて、中国にも見識、人格が立派な人が
多数おられるのも承知しております。ただ、私の友人自身が、この本に書かれている
事を同じ話をしており、嘆いていましたから、全ての中国の人とは言えませんが、
相当数の人は納得する内容かと考えています。

 最近の香港の反中国デモ等も、同じ民族で、似たような言語を話す香港の人たちが
本土の人達を強く批判している背景もこういう部分があると感じます。

 大手の貿易商社にお勤めで中国貿易を担当している生長の家の人の話を聞く機会があ
りましたが、

 「中国の社会は謎が多く、日本人は入っていけない。そして、残念な事に最近の中国
の社会は拝金主義が横行し、平気で人を騙す人が増えてきた。しかし、全部の中国の人
がそうではなくて、真面目で信頼できる人もいます。そういう人を見つけてビジネスの
パートナーにできるかがポイントだ。」

と話していました。

(つづく)

4622トキ:2014/11/21(金) 12:05:08 ID:ONqfu1kY
 マスコミがいう事と実際が合致するとは限りませんが、私が知る限り、実際に
中国でビジネスをしている人の感想もほぼ同じです。それがビジネスの世界にと
どまらず、最近は軍備を増強して近隣諸国を脅かしているのは洒落にならないと
思います。

 ただ、最近、中国のビジネスの社会で稲盛和夫先生の著書がブームになっている
とも聞いています。また、マスコミによれば、中国で宗教が民衆の間に浸透してお
り、キリスト教の地下教会や、法輪功などの信仰が、当局の弾圧にもかかわらず、
広まっているともいいます。

 私の中国人の友人も、「今の中国はまだ未成熟な社会で、公害問題なども、これ
から日本に学んで対策を立てる段階。それを知る必要がありますよ。」と話して
いました。

 つまり、人間としては、日本人も中国人も神の子であり、尊い存在ですが、
社会としては、中国の政府の政策が間違っており、中国の社会でいろいろと大きな問題が起きているの
は否定できないと思っています。

 しかし、中国人も賢い民族ですから、いつかは文明や文化、信仰についての
政策を改め、よりよい社会を作ると信じています。と、言うよりも、すでに、そう
いう点に気がついている中国の人が増えていると感じます。

 余談ですが、少し前に読んだ「 北京と内モンゴル、そして日本――文化大革命
を生き抜いた回族少女 の青春記」: 金佩華著、などを読むと、文化大革命の時期の
宗教の弾圧などは酷いものだったみたいです。

(つづく)

4623トキ:2014/11/21(金) 12:32:39 ID:ONqfu1kY
 ご指摘の通り、日本でも凶悪犯罪をする人が増えています。とても残念な事です。
昔、神戸の連続児童殺傷事件が起きた時に、ニューヨークに所用でいましたが、
ハーレムの人が「ハーレムでもあんな恐ろしい事件は起きないよ」と話していました。

 そう言えば、そのハーレムでは、教会があちらこちらにあり、黒人が教会で
ゴスペルをきれいな声で歌っていました。

 以上、要するに、民族や社会の優劣を論じたのではなく、社会における信仰の重要性
についての例としてあの本をあげたのですが、それが誤解を生んだとしたら私の本意で
はないので、お詫びします。

合掌 ありがとうございます

4624トキ:2014/11/21(金) 12:39:44 ID:ONqfu1kY
追伸

>>それにむしろ現代の日本には「無神論」者や「唯物論」者の方が多いのではないかとすら感じています。

 この本の著者も本の中で、a hope様と同じ部分について言及されておられます。
しかし、中国は国として積極的に宗教を否定し、または政府の管理下に置く方針にあり、
その点、日本と違うみたいです。ご指摘の通り、日本でも唯物論の人が増えて、それに
ともない日本でも社会の混乱が生じている点は全くその通りだと思います。

 貴重なご指摘に深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

4625トキ:2014/11/21(金) 22:05:35 ID:ONqfu1kY
 4618は削除させていただき、別の文章をかかさせていただきます。

 生命の実相第14巻の167pから謹写させていただきます。

 「そもそもわれらが日常感覚にふれるところの事物は、それがいかなるものにせよ、感覚
器官という入り口をくぐって、心の奥座敷まで這入ってしまい、心の奥座敷の住民となって
しまうのである。だから成人でも環境をよくすることは必要だが、発育期、生長期にある
児童にとっては、このことはなおいっそう必要なことである。環境にあるいっさいの事物が
幼い心にその姿を映す。心に映し込まれた姿は、一種の種子であって、すぐその時生えなく
ても、やがて、その種子の発芽に適する条件が揃ってくれば生えて来るのである。」

 これに関して、立花隆さんの「臨死体験」に興味深い話が紹介されています。

 ある男性は長年、なぜか自分の言動に自信が持てなかったのです。その理由が本人にも不明
でした。ところが、ある事で、その理由がわかったのです。

 男性は生まれた時に未熟児だったそうです。出産直後、産婦人科医が虚弱児で死にかけている
彼を見て言ったのが、

 「ほうってほけ。どうせロクに育たないよ。」

という言葉だったそうです。その言葉が彼の潜在意識に残っていたのです。
産婦人科医はわからないだろ、と思っていたのですが、赤ちゃんはちゃんと覚えていたのです。
 それが、その人を長年苦しめる結果になった次第でした。

 こういう実例があるのは驚きですが、注意すべきかと思います。

4626SAKURA:2014/11/21(金) 23:03:59 ID:???
こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

トキ様へ
「トキ様」の【雑巾・フキン】の話から〜〜

随分昔の事です。…が?
私が当時「町田の小田急百貨店」にて…販売を依頼されました時の事です。
同じフローア−で当時「藍工房」と言います常設のショップと
対抗しての販売の時の事です…。
当時は?1週間という販売期間ですから『客の集客』には正直申しますと…
かなりのプレッシャーが…
ですから?時間的には『暇…』だったのです。ウフフ!
その時「常設のショップ…藍工房」の方が、【モップ掃除】を始められました。
私どもは〜〜〜当前視線がそこに…集中!
エ〜〜〜ッ!そこからが〜〜〜驚き!なのです…。
『床(土足で歩きますョネ)を掃除しました…モップ』次ぎに〜〜〜何と!
商品の置いてあります『棚…』『電話…』を〜〜〜吹き始めました。
容姿は〜〜〜全く持ちまして【日本人?】なの?このような人がいるの?…二人して顔を
見合わせました。それくらい【日・本・語・堪・能】なのです…。

ですから…この頃ではあの人は〜〜〜『中国の人』立ったのですネ!

■先日より…投稿内容を拝読しながら…ここに投稿させて頂きます。

『国際化運動』此の事は?すばらしい〜事と思います。…が?
此処で…【日本語が堪能】だからと言いましても『常識派』とは言えないと
思う次第です。…が?それは、国により『慣習が異なる』という事ですから。。。

ですから…それに関して…ア〜〜ダ!コ〜〜〜ダ!と評価はその人の理解度と言えると思います。
余談ですが…【国際化】に関しましての【問題】は〜〜
今でも日常茶飯事にて起きて居る問題でもあると思います。

時間がありましたら…他にも多々なる“エピソ−ド”投稿させて頂きます。
今では〜〜〜笑い草となって居りますネ!!
                 ❤〜SAKURA

4627a hope:2014/11/21(金) 23:26:09 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p160 7行目〜

あらゆるものが頭でわかると思うな、あらゆるものが科学的知識でわかると思うな。
分類的分析的な知識にのみ頼りすぎると直観力は鈍りがちである。

昔の医術では、望診といって患者と少しく離れた距離から容貌を見るだけで、その患者が何病であるかわかった大家もあったが、 
現代の医術では。聴診打診はむろんのこと、レントゲン診断までしても、まだ病因のはっきりしない場合があるのである。

それは決して現代の医術が悪いのではない。現代の医術は実に人間の知識の精華である。
許されるならば、人間が神に対して誇りうる一つの名誉であるといってよいくらいだ。

しかしこれを学ぶものが分析的知識だけにとらわれず、さらにすすんで自己の霊性を啓発し、
直観たちまち病因とその治療法とを知るほどの人が少ないのはまことに惜しいことだ。

だが、また嬉しいことには、『生長の家』の誌友にそうしたこの種の霊性を啓発しつつある医師が多数できつつある。


これを要するに直観力は一見たちまち事物の真理を洞察し、高貴と無価値とに見分け、
欲する結果を得るためには何をなすが最も適当であるかを直観的に知り得る力である。

それゆえこの直観力はたんに科学者の発明や、芸術の創作や、宗教家の天啓に必要なばかりではなく、
実業家にもまた絶対に必要であるのである。

実業家が多くの事業にたずさわりながら、目まぐるしい経済界の変動に善処して、希望の成果を獲得するにぜひ必要なものは直観力であるのだ。
(つづく)

4628a hope:2014/11/21(金) 23:27:17 ID:cEpBaIdo

>>4627 a hope所感)

大調和の神示の冒頭に、

『汝ら天地一切のものと和解せよ
天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。
天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。
・・・』

とあるように、本当に天地一切のものへの感謝が出来ていれば、どんな病気と診断された人であれ必ず救われるのだと思いますが、
ふつうの人間はそんなに簡単に天地一切のものへの感謝はできないわけですから、
やはり病気になれば、病院へいって治療をするのが正しい行動ではないかとわたしは思っています。

ですが、「生命の實相」のどこかにも書いてありましたが、医者の一言で病気が治ってしまったり、
悪化してしまったりということも本当にある事だと感じています。

そのように、医者というのは、患者の生命に大きな影響を与えてしまうわけですから、
直観たちまち病因とその治療法とを知ることのできるという「霊的直観力」があるということがとても重要になってくるのだと思います。

おそらく「霊的直観力」のある医師は患者からの評判がよく、その病院も繁昌しているでしょうから、
もし病気になってしまったら、できるだけ繁昌している評判のよい医師に看てもらうのがよいのではないかと感じています。

また、他のどんな職業であっても「霊的直観力」のある人の方が、能率よく仕事をこなし、社会的にも貢献しているのだと思います。

この後、テキストにはどうすればこの「霊的直観力」を養成できるのかが説明されています。

テキストの謹写を続けます。

4629a hope:2014/11/21(金) 23:37:11 ID:cEpBaIdo

トキさま

トキさまがどのような意図で、このご著書をご紹介されたのかよくわかりました。
丁寧なお返事をくださりありがとうございます。 合掌。

4630a hope:2014/11/23(日) 12:01:05 ID:cEpBaIdo

>>2621>>2624トキさま 

トキさまが中国人の長所もたくさん認めてくださっていて、中国の将来についても明るい見通しを持ってくださっていることをとてもうれしく思います。
ですが、今回の件で、もう少し思うことがあるので、わたしの正直な気持ちを述べさせていただきます。


かつて、日本が高度成長期だったころ、日本人は拝金主義になりませんでしたでしょうか?
「海外旅行での恥はかき捨て」だと言って、海外の高級店での買いあさりなどのひどいマナーでの買い物をしていませんでしたでしょうか?

また、食材の産地書き換えや使い回し等、程度の差こそあれ、似たような非常識は日本人もしています。
実際、台布巾で床も拭いてしまっているような日本人をわたしは知っています。
布巾と雑巾の区別をしない人は、日本人にもいるのです。

中国と日本は国土、人口等の規模が違いますから比較にはなりませんが、もしかしたら、日本人も似たようなことをしていないかと、
中国人の行動を見て批判する前に自らの行動も反省すべきなのではないでしょうか?

目の前に現れる現象は、すべて自分の心の影ですよね?
そして、本当の「悔い改め」には、自己反省が必要だとここで学びました。
日本人は「神の国」に生まれたから特別な人種なのではなくて、「神の国」に生まれたからこそ、
「神の子」の自覚を持って生きて行かなければいけないのだと思います。

「生長の家」がこの日本国に出現した理由は、その自覚をもった日本人を増やすためなのではないでしょうか?

それに白人から見れば、中国人も日本人も韓国人も同じ顔をしたアジア人で大差ありません。
そのアジア人同士が波長を合わせて、どちらの国が優れているとか、どちらの国が野蛮だなどと批判し合っているのはとても悲しい現実だと思います。

せめてわたしたち「生長の家の教え」を信仰するものは、たとえ他国の事であっても現象の悪を認めず、
相手の実相を信じて礼拝していきたいですね!

4631a hope:2014/11/23(日) 15:07:07 ID:cEpBaIdo
>>4630 訂正

偽)>>2621>>2624トキさま 
正)>>4621>>4624トキさま

4632トキ:2014/11/23(日) 19:55:18 ID:.7kA9qJU
>>4630

 ご丁寧なコメント、ありがとうございます。
優しい御心には感激しました。
今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

4633SAKURA:2014/11/23(日) 23:37:01 ID:???
こんばんは… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>4626の投稿の続きです。…が?

■拝読しながら…気になる文章がありましたので…
>>4630 の文章の中から…
>>「生長の家の教え」を信仰するものは、たとえ他国の事であっても現象の悪を認めず、
相手の実相を信じて礼拝していきたいですね!<< (一部抜粋)

■現状の国際化…この問題の前に「戦争時代」にも…多々なる問題がありましたかと。
過去の歴史を振り返りますと…当時からの国家間でのその思想・思考の相違からの
多々なる弊害が現在まで及んでいる事は歴史上取り消す事はできないものです。
多くの方々は、その事に関しましては、内心思い当たる事がある面ではないのでしょうか?

■【此の雑巾・フキンのお話…】なのですが…?

現状、【日本国内】での販売時にて目の前で見た事であり…正直申しますと?
他の場所でも数回見た事があります…。
確かに?日本人の中でもそのような?区別の出来ない方も…戦後は多かったかと?
しかしながら「義務教育」を受ける世代からは、…つまり「断魂・断崖世代」では、
少なくとも「義務教育」の学校教育課程で教えられたモノという記憶があります…。
但し?その中でも…【環境・境遇】からは、本人の捉え方の問題になりますでしょうか?
失礼ながら…「炭鉱関係」とか?

■「しつけ」と云うことに最終的にはなりますのでしょうか?

■【 他国の事…実相を見るべき… 】。。。
確かに仰います通りとは思います。…が?
現状では…日本国に来日されて生活する上では、少なくとも『慣習』は、その国の『慣習』に
基ずいた行動を執って戴きたいモノです。
国際化というベールで…御本人達の国の慣習をそのまま持ち込んで「日本国内」での
生活をなさいますと…その考え方に同調します日本人は…それはそれで…いいのでしょうが?
現状?見えない形での【弊害】が起きて居るのは事実ですかと。

つまりは最終的には『 類の法則 』と云うことになりますのでは????

少なくともその事に寄ります【衛生問題】が将来的に於きました時は?
如何なものなのでしょうか?この頃…考えてしまいます…。
(又!時間がありました時に投稿させて頂きます…。)

          つづく 
                         ❤〜SAKURA

4634a hope:2014/11/24(月) 00:42:33 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第14巻 p161〜

さてしからばこの何事にも絶対に必要な直観力を養成するにはいかにすべきか。
先刻もいったように、幼児より子供の「神秘がる心」を押し消さないようにすることだ。
神秘なることを神秘として教えよ。

深く考えれば実に神秘であるところの現象を、当たり前の茶飯事だとして、見のがしてしまうような習慣をつけてはならぬ。
草木をただの毛細管現象で生長する機械だと教えてはならぬ。
あらゆる物にやどる生命の神秘を教えよ。

神秘に驚異し、崇敬し、その生命の神秘に一歩でも近づくことを名誉と思い、生命を合掌礼拝するように子供を教えよ。

ああ、生命の神秘を驚異し尊ぶ心――隣人愛も、生物愛護も、敬虔なる宗教心も、画期的な科学的発明も、偉大なる哲学も、妙なる芸術も、
それから実業界のすばらしき成功さえも、皆この生命の神秘を礼拝する心によって得られるのだ。

(中略)

こんなことを書いてもわたしは神仏に祈って相場をやれというつもりではないのだ。

ただわたしのいいたいのは、神仏はあるぞということだ。信仰は運命を支配するぞということだ。
いっさいの大成に必要な直感とか霊感とかいうものは、神秘を礼拝することによって得られるということだ。

諸君よ、石像を石だと思うな。木像を木だと思うな。そこには神秘な力と交通するアンテナが張られているのだ。

どんな小さな神社でも軽蔑するな。その前を通る時には頭を下げて通れ。

諸君よ、大芸術を産み出すために祈れ。自分の心を浄めるために祈れ。自己の生活を傑作とするために祈れ。

確乎不動の信念を得るために祈れ。友だちの病気の平癒のために祈れ。

わたしは「生長の家」の兄弟たちのために毎日祈っているのだ。

諸君は諸君で自己の家族や知人の平安のために祈れ。諸君の子供の生長のために祈れ。
そして諸君の子供にも親たちと一緒に神仏を祈ることを教えよ。

祈ることを教えることは神秘に近づく道を教えることだ。

かくする時、いっさいに応用してあらゆる偉大なるものを産み出すところの源泉となるべき霊感と直覚とが、
やがてあなたの子供たちを祝福する日が来るに相異ないのだ。

4635a hope:2014/11/24(月) 00:43:13 ID:cEpBaIdo

>>4634 a hope所感)

<<祈ることを教えることは神秘に近づく道を教えることだ。>>
人生を幸福に導く「霊的直観力」を養うカギはどうやら「祈り」にあるようですね。

4636a hope:2014/11/24(月) 00:50:14 ID:cEpBaIdo

>>4633 SAKURAさま


貴重なご意見をいただきありがとうございます。合掌。

たしかに、国際関係は複雑な時代背景があったり、それぞれの国の生活習慣等も異なったりしますからなかなか難しいのかもしれません。
ですが、生長の家の「人間神の子」の真理は万国共通の真理ですから、わたしたちは自信を持って信仰できますね。

SAKURAさま、お元気そうでなによりです。
また、いつでもご気軽にweb誌友会にご参加くださいね。

4637a hope:2014/11/28(金) 09:57:50 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p166 5行目〜

信仰実話は数多くたびたび繰返して子供に話してきかせよ。
しだいにそれより導いて、ついに彼をして大生命と一体であるとの自覚までに高めあげるのである。
ひとたび自己を守護する大生命の存在を深く心に印(いん)せられたものはあらゆる事物に恐怖しない。
彼は恐怖しないがゆえにたとい病気に罹ることがあっても速やかに治るのである。
彼は恐怖しないがゆえにいかなる困難にも挫折しない。
彼は恐怖しないがゆえに新しい試みをなすに躊躇しない。
・・・

4638a hope:2014/11/28(金) 09:59:06 ID:cEpBaIdo

>>4637 a hope所感)

どんなに頭脳明晰で勇敢な人間であっても無神論者(神さまの存在を信じていない人)は、
何かのきっかけで「恐怖心」に捉われたとき、人生に挫折してしまうのだと思います。

たとえどんなに失敗しても、人生は「魂を磨くための学校」であり、神さまがいつも温かく見守ってくださっていることがわかっていれば、
人は必ず立ち上がることができるのだと思います。

4639a hope:2014/11/30(日) 00:18:57 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」p173 5行目〜

自己を尊敬されたいものは、ひとを尊敬せよ。世界は正札であって駆け引きではない。
支払ったものだけのものが、自分に返って来るのである。尊敬を支払えば尊敬が返ってくる。
深切を支払えば深切が返ってくる。愛を支払えば愛が返ってくる。
だから子供から尊敬せられようと思う親たちは、子供を尊敬することを吝(おし)むな。
子供を尊敬すれば、子供もまた「善き父」または「善き母」としてその親たちを尊敬するのだ。

子供の教育には「道理」をもって子供の心のうちの神(道理)に相対するようにせよ。
強制は決して子供の心のうちにある神を生かしはしないのである。
かくのごとく「道理」をもって子供たちに内在する神に対するとき、
時には子供の方か大人に対して理論上勝つということもありうるのである。
かくのごときときには、大人の権威にかかわると思って※横車を押しとおすようなことをするな。

あらゆる者は大人でさえも、真理(神)の前には跪(ひざまず)かねばならぬところの
最小(いとちい)さきものであることを知らしめねばならぬのである。
真理の前に大人が跪いて見せるとき、子供もまた、真理の前に跪かねばならぬことをさとるのである。

大人が子供にいい負けたと思わせるような解決をしてはならない。
子供に負けるのではない、真理の前には大人でも素直に頭を下げるのが
どんなに善いことかであるかの実例を見せるようにするのである。
実にこのことは人間性の素直な発達のために大切なことであって、
すぐ子供も真理の前には頭を下げはじめるのである。

大人が自己のまちがっている場合に、そのまちがいを押しとおすようにしないならば、
子供の性質も素直になって悪いと自覚しながら頑張るというようなことはだんだん少なくなってくるのである。

※横車を押す ・・・ 横に車を押すこと。転じて無理と知りながら自分の言い分を通すこと。

4640a hope:2014/11/30(日) 00:20:46 ID:cEpBaIdo

>>4639 a hope所感)

<<かくのごとく「道理」をもって子供たちに内在する神に対するとき、時には子供の方か大人に対して理論上勝つということもありうるのである。
かくのごときときには、大人の権威にかかわると思って横車を押しとおすようなことをするな。>>

わが家でも、このようなことはしばしば起こります。
子供がすぐにいうことを聞いてくれなかった時など、感情にまかせて叱っていると、
子供の方がずっと冷静に、なぜ、わたしの言うことを聞きたくないのかを説明しだしたりします。
子供には子供の言い分がちゃんとあるんですよね。
そういうときに、「親に反抗するとは、けしからん」と叱って強制してやらせるのは、生長の家の教育法ではないわけですね。

そこで一呼吸して、「そうか、そういう理由があるんだね、それじゃあ、今すぐじゃなくてもいいから、やってくれるとうれしいな」
と言いかえたりすると、子供は「うん、後でやる」と本当に素直にやってくれます。

自分の子供って自分から生まれていますから、なんとなく自分の分身か付属品のように感じてしまいがちですが、
本当は、一人一人が尊い〝神の子さん〝 なんですよね。
でも、そんな大切なことを、忙しい日常に追われているとついうっかり忘れてしまいます。

<<だから子供から尊敬せられようと思う親たちは、子供を尊敬することを吝(おし)むな。
子供を尊敬すれば、子供もまた「善き父」または「善き母」としてその親たちを尊敬するのだ。>>

そうか、わたしが子供達に尊敬されていないのは、わたしの「子供たちへの尊敬の念」が足りないからだったのですね・・・

がんばります( `―´)ノ

4641a hope:2014/11/30(日) 16:26:01 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 p176 2行目〜

大人よ、子供の考えることに碌(ろく)なことがあるかという先入観を棄ててしまえ、
天国に入る者は心は幼児の心のごときものであると古(いにしえ)の聖者はいった。
そのように時として子供の唇からは天的な啓示が語られることがあるのである。
たとえにも「負(お)うた子に教えられて浅瀬を渡る」という。
子供の言葉に霊界よりの啓示を聴くことのできるものは祝福された人である。

子供が自分自身で考えついた考えを尊重してやることは、その考えと同じ方向にはたらく心の働きを励まし助長してやることになるのである。
これは実に大切な励ましである。
子供は「励まし」か「嘲(あざけ)り」かでいっそう高く発達もすれば、
逆にいっそう低く退歩もする分水嶺(ぶんすいれい)に立っているのである。
多くの若き心はもう一歩のところで大発明大発見をするという瀬戸際まで漕ぎつけながら大人の嘲笑にあって委縮してしまっている。
世界はこうした愚かな大人の嘲笑がなかったらならば今よりもいっそう進歩していたかもしれないのである。

大人よ、若き心の独創的な考えの芽を摘むな。
どんなにそれが小さくとも、いやしくとも独創的でありえさえするならば、その価値を讃えよ。
どんなにそれが早熟的な、大人にとって嫌や味なものであろうとも、子供の独創性が発揮されているものならばその価値を認め、
価値をたたえられることによって発達するのが生命の法則であるからである。

4642a hope:2014/11/30(日) 16:27:58 ID:cEpBaIdo

>>4641 a hope所感)

この後テキストでは、<<幼児期の心に印象された記憶がいかに大切なものであるか>>が述べられていて、
「生長の家の教育法」の目的、根本原則、方法がさらに詳しく説明されています。

また、>>4625でトキさまが、立花隆さんの「臨死体験」をご紹介くださり、たとえ生まれた直後の嬰児であっても、
産婦人科医の不注意で言った言葉が潜在意識にあっために、その後の男性の人生に大きく影響していた、
という興味深い事例をご紹介してくださっています。

<<子供は生まれつきの霊感的語学者であって、音で聞いて言葉の意義を霊感で直接的に把(つか)むのである。
彼は不思議な直覚的理解力をもっていて大人の言語を大人の言語をかなり十分理解しうる。>>p183 7行目〜

人は大人になるにつれて、色々な経験をして世間的に賢くなると同時に、
この「直覚的理解力」が衰えてきてしまうのかもしれませんね。

生まれたばかりの嬰児は(生まれる前の胎児もですが)、そういう意味では全く汚れのない「神聖」そのものなのですね。
(つづく)

4643a hope:2014/11/30(日) 16:29:52 ID:cEpBaIdo
>>4642つづき)

その、「神聖な命を守る運動」にわたしも協力しています。
大熊先生ががんばってくれているからこそ、わたしもこの素晴らしい運動に参加することが出来ています。

大熊先生のブログを見たり、you-tube を視聴するだけでも応援になるそうです。
みなさま、ご協力をどうそよろしくお願いいたします m(__)m

http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/MYBLOG/yblog.html

以下、大熊先生からのメール内容を転載させていただきます。 合掌。

―――――――――――――

速報です。
  合掌 ありがとうございます。

赤ちゃんを守る救命センター。
一般社団法人いのちを守る親の会
「奇蹟の事務所」設立秘話が8分の、
動画になって全世界に公開されました。
ぜひ、皆さん、ご覧下さい。↓

http://youtu.be/A1Hjhegwj88

宣伝くだされば下さるほどに
妊婦さんや赤ちゃんが救われます。
どうか、ご協力お願致します。

       合掌  再拝

             大熊 良樹 拝  

――――――――――――――

4644a hope:2014/11/30(日) 23:21:49 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第30回 web誌友会 予告

期間  12月1日〜12月31日まで
テキスト 「生命の實相」第15巻 人生問答篇 上
内容  新生活への出発 人生の悩みを解く(上)
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆


早いもので、今日で11月も終わり、明日から12月に入ります。

そこで、テキストを第15巻の「人生問答篇」に進めたいと思います。
現在の「生長の家」教団は、あまり個人救済に力をいれていらっしゃらないようですが、
「生命の實相」を拝読していると、昔の生長の家は「生長の家」の人間神の子の真理を伝えることによる個人救済が
活動内容の大部分を占めていたような印象を受けます。
それに昔は「生命の實相」を拝読するだけで病気が治ってしまうという奇蹟が現実にたくさん起きていたのですよね。

現代の情報化社会に生きるわたしたちは、ふつうに生活しているだけで色々な情報が否応なしに入ってきてしまいます。
ですから「生命の實相」を拝読しても、わたしたちの頭の中にはいってしっている余計な知識が邪魔をして、
素直に真理が心に響かなくなっているのではないかと感じています。

わたしはこれからも出来るだけ心を真っ白にして、聖典「生命の實相」を拝読していきたいです。

4645a hope:2014/12/01(月) 10:43:29 ID:cEpBaIdo

12月に入りましたので、第30回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4646a hope:2014/12/01(月) 10:47:51 ID:cEpBaIdo

つづきまして、今回のテキストである 第15巻の『新生活への出発―― 幸福なる生活への序曲―― 』(序章)より抜粋謹写させていただきます。
 

・・・(前略)・・・p14 後から4行目〜

諸君よ、この書を手にせられたのを機会に今日からあなたの家庭をもっと明るく笑いに満ちたものとしようではないか。
苦い顔は家庭の外でも見飽きるほど見ているのである。
厭味(いやみ)や小言はもう飽き飽きするほど家庭の外で聞かされているのである。
せめてわれらは家庭にいる間だけでもわれらの人生を楽園としようではないか。
われらが外へ出て人生の戦いを戦うとき、振り返って、帰れば楽しい明るい慰められるべき家庭があることはなんという力強いことであろう。

諸君よ、この人生の楽しいオアシスを、決して苦い火宅とするな。
あなたの天国に地獄を持ち込むな。
一歩あなたの家庭に入るとき、そこを天国だと思え。
家庭の全員が、そこを天国だと思うようにするならば、そこに本当の天国ができ上がるのである。


「運命の神も、快活な人には十歩も百歩も譲歩する」(Fate itself has to concede a great many things to the cheerful man.)
という西洋の諺がある。
日本の諺「笑う門には福来る」というのと好一対(こういっつい)である。

天照大神が岩戸隠れをせられて天地ただ暗黒に満たされたとき、その暗黒の真っただ中にあって悲観せず、失望せず、
陽気な音楽を奏でつつ明るい笑いを笑い、ついにその暗黒を笑いによって吹き飛ばした天宇受売命(あまのうずめのみこと)こそ
生粋の古代日本人の標本であり、「生長の家」人の好標本であるのである。
苦難に面するとも朗らかに哄笑(こうしょう)せよ。
やがて諸君はその苦難を征服することができるであろう。

天宇受売命(あまのうずめのみこと)は八百万(やおよろず)の神々の奏(かなで)出でる音楽につれて明るい踊りを踊ったのであった。
音楽にもいろいろあるが、明るいリズムの音楽は聴く人の心のリズムを明るくし、肉体のリズムまでも調子よくし、
その結果心の悩みはもちろん、肉体の健康をさえもよくするのである。
近頃、琴曲(きんきょく)の名人でその演奏によって他人の病気を治したという実例がある雑誌に出ていたが、さもあるべきことである。
(つづく)

4647a hope:2014/12/01(月) 10:49:44 ID:cEpBaIdo
>>4646 つづき)

輝くような明るい笑いは人生の不幸を吹き飛ばし、不治症をさえ雲散霧消(うんさんむしょう)する不思議な効果をもっているものなのだ。
われわれが健康でなかったり、不幸であったりするのは自己の魂の中の天照大神が岩戸隠れをしているからであるのだ。
魂の中の天照大神が岩戸隠れをしてしまったら、形の世界はことごとく暗澹として光明を失ってしまうのである。
なぜなら形の世界は心の世界の映像(かげ)にすぎないからである。

諸君もしらるるとおり、日本古典の『古事記』によれば、天照大御神が天岩戸に御隠(みこも)りましたとき、
万物ことごとく暗黒の中に沈水してしまったのである。
その時、心の岩戸を開いて天照大神の出御(しゅつぎょ)を促したところのものは、
天宇受売命の明るい動作に促された八百万神々ことごとく高天原を揺り動かすような哄笑(おおわらい)であったのである。

諸君はこれをたんなる神話だと思うか。
しからず、これは生命の創価作用を説明する深遠なる象徴劇であったのだ。

「生長の家」ではわれわれ人間は皆神の子であるという。
われわれが神の子であるとは、各人は「天照大御神」を各自の魂の底に包蔵しているということである。
言い換えれば皆が天照大御神の御子(みこ)であるということである。

では、われわれは今日から神の子らしく朗らかに生き、各自に宿る天照大御神を岩戸を開いて導き迎え奉り、
この大御神の子たる実をあらわし、われわれは太陽の子だということを実相を現実にあらわそうではないか。

陰鬱にふさぎ込んで明るさを失ってしまうことは心の天の岩戸を閉ざしてしまうことである。
どんな善人でも陰気が心の中に籠っては太陽の魂が閉ざされているのであるから、本当の善人だということはできないのである。
本当の善人は心が明るくなければいけないし、いつまでも暗(やみ)を見つめる心を捨てなければならないのである。
(つづく)

4648a hope:2014/12/01(月) 10:51:27 ID:cEpBaIdo
>>4647 つづき)

禍(わざわい)を転じて福とするのが日本精神である。
死んでも死なないのが日本人であった。
伊邪那岐命が、その子迦具土神(みこかぐつものかみ)を切り給うたとき、その御刀につきたる血からも、
殺されました迦具土神の頭(こうべ)からも、胸(みむね)からも、腹(みはら)からも、陰(みほと)からも、
左の手からも、右の手からも、左足からも、右足からも、神々が生まれ給うたと『古事記』にある。
日本人にとっては一つの「死」は多くの「生」への始まりであった。
「死」さえも明るく見るのが日本精神であったのだ。

・・・ (中略)・・・

諸君はみんな神の子ではないか、神の子が朗らかに笑うほど自然な行事はないのである。
諸君が明るく笑う時、たちまち諸君の本性たる「神の子」に立ち帰るのである。
諸君が神の子たる本性に帰るとき、明るく朗らかな朗らかな神の子の本来の面目に復帰する時、諸君はもうそのままで自由自裁なのである。

天之岩戸は外にはなく、心で築いたものであるから、心が明るく朗らかなるその本来の面目に帰るとき、
もうそこには天岩戸は消えているのである。
何よりも明るく朗らかに笑うことが自己に宿る無限力を引き出す第一歩である。
「明るく朗らかな神の子が自分である。ああ自分が神の子であることがありがたい。」
今日から、就寝前の一分間と、朝目が覚めたときの一分間とに、こう二十回ほど繰り返して丹田に力を籠めた低声で自分の心に言って聞かせよ。
そして機会あるごとに大笑(たいしょう)せよ。
諸君の運命と健康とはこの言葉の力と笑いの力で日々にその前日よりもいっそう明るく改善されたものとなるであろう。

この一文をもって本章の序章とする。
本書は「生長の家」が昭和九年八月にその本部を東京に移転する以前、阪神間、住吉村の道場で実際にわたしに人生指導を求められた際の対談であり、
掲載の順序は第一章以外は座談の年代順に集めたものである。

著書しるす


感謝 合掌。

4649トキ:2014/12/01(月) 21:56:43 ID:SPm6GZyk
a hope様、誌友会ではお世話になります。
よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4650a hope:2014/12/01(月) 23:03:02 ID:cEpBaIdo
>>4648 訂正 

自由自裁→自由自在

4651a hope:2014/12/01(月) 23:05:46 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは

今日から、第15巻の人生問答篇に入りたいと思います。
今朝、序章となっている「新生活への出発」の後半部分を謹写させていただきました。

第1章の「家庭争議の解決を語る」を拝読して感じたのですが、
昔の信徒さんというのは本当に「生命の實相」の真理をそのまま家庭生活で実行されていたのですね。

家庭の老人が小言をいうのも「自分の心の影」であり、
「生命の實相」をお友だちが受け取ってくれないのも「自分の心の影」であり、
ご主人の入れ歯を女中が割ったのも「自分の心の影」であると自己反省されることで、
家庭や友人関係を調和させてしまっています。
とても素晴らしい信仰姿勢だと感じました。

拝読していて、本当にうらやましいと思ったのはは、登場されている信徒の方々が、
谷口雅春先生と普通に対話されているということです。
当時は、質問すれば雅春先生から直接お答えがいただけたのですよね。

わたしたちは、もう雅春先生の直接のご指導は受けることはできませんが、
雅春先生が残してくださった聖典はいくらでも拝読することができます。

今回のテキストのように対話形式になっていると、具体的で判り易いですし、
雅春先生に対してとても親近感がわいてきます。

みなさんも、どうそご一緒にお勉強してくださいね!

4652a hope:2014/12/06(土) 00:25:56 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p38 10行目〜

杉野――ところがこの四、五日来憂鬱(ゆううつ)が来ましてねぇ。
理由がわからないで心境が朗らかになれない。
別に原因がないのに心が憂鬱なのです。

そうしますと今まで順序がトントン拍子にいっていた会社の仕事が一時失敗(しくじり)ましたのです。
それは委(まか)してある店の者が不良品を買ったというようなことですが、
わたしの心が朗らかであればこんなことは起らない。

わたしの心が朗らかでないために、それが会社の仕事、店の者の仕事に反映してそういうことが起こったのであります。
実に環境はわが心の影というわけですねぇ。

それがどうしてわたしの心にこういう朗らかでない心境が起ってきたのであるかどうかもわからない。
ところがよくよく反省してみますと四、五日前に『三日会会報』というのが来ました。
それをポケットに入れて電車の中で読んだのであります。

いつでも会社へ往復の電車の中では聖典『生命の實相』を読むようにしていましたのですが
ちょうど『三日会会報』が来たものですから、この雑誌も『生長の家』の分身だと思うものですから、
読んだら真理を知る上に同じ効果があるつもりで読み始めたのですが、
読んでいると『生長の家』と少し違うところがあるような、変な不安な憂鬱な気がしたのです。

なんだかその理論は物質の存在を認めているような、
小我自我(にせもののわれ)の存在を認めているような点がありますので、
読んでいるうちに物質も存在する、現象も存在するというような気がしてきたのです。
(つづく)

4653a hope:2014/12/06(土) 00:30:31 ID:cEpBaIdo

>>4652 a hope所感)

<<この雑誌も『生長の家』の分身だと思うものですから、
読んだら真理を知る上に同じ効果があるつもりで読み始めたのですが、
読んでいると『生長の家』と少し違うところがあるような、変な不安な憂鬱な気がしたのです。
なんだかその理論は物質の存在を認めているような、
小我自我(にせもののわれ)の存在を認めているような点がありますので、
読んでいるうちに物質も存在する、現象も存在するというような気がしてきたのです。>>

わたしは杉野さんが読んだという『三日会会報』というものがどんなものかはまったく知りませんが、
雅宣先生のご文章を拝読していると、わたしはまさに上のような感じがするのです。

確かに、雅宣先生は実相世界の存在をお認めになっていて、実相独在であるということも、
現象世界が「影の世界」であることもそのご文章中に表現されてはいますが、
一方で、本来ないはずの現象世界や罪を犯す現象人間をもあたかも存在するかのように表現されてしまっているので、
わたしはそのように感じてしまうのだと思うのです。

この後に雅春先生の杉野さんの発現へのお返事がありますので、明日謹写したいと思います。

4654a hope:2014/12/06(土) 00:33:08 ID:cEpBaIdo
>>4653訂正
杉野さんの【発現】へのお返事 →杉野さんの【発言】へのお返事

4655a hope:2014/12/06(土) 10:45:03 ID:cEpBaIdo
>>4652 つづき

「生命の實相」第15巻 p39 後から7行目〜

谷口――「ニセ物の我」とか「本物の我」とかいう区別はない。
いずれも真我(ほんもの)の表現だという、偽説に迷いなさるな。

「生長の家で物質は無い、現象界は蜃気楼のように心の影にすぎない」と申しますのは理論や理屈でそう言うのではなく、
実際真理において「物質はない」から無い(○○)と言うのであります。
実相から観て現象は映像(かげ)でるから映像であるというのであります。
そのほかに別に理由はないのであります。

むろん聖典『生命の實相』の中には椽大(てんだい)の筆を揮(ふる)って物質のない理論が詳しく書いてあります。
しかしそれは実相の悟りに導くためにそう書いてあるだけでありまして、
理論がこうだから「物質は無い」と結論するのではありません。

理論は、真実の悟りに導く方便として後から造ったものであって、理論より先に「物質はない」という真説があり、
その真理の啓示を解りやすく納得させるために理論を説いているのであります。

だからその真理に権威があって読んで信ずる人の心に「生命の実相」を悟らせ、自由自在の心境に達せしめ、
その副作用として医術難治の痼疾(こしつ)でもズンズン治る例がたくさんあるのであります。

むろん、理論はどうにでもつけられる。
「物質は有る」とでも「ニセ物の我こそは本当の我である」とでもどうにでもつけられます。
そしてその理論を信じたい者は信ずることができます。
それを信ずることも自由であります。

しかし、そういう理論を信じますと、信じなくとも多少在来の信念に動揺を来(きた)しますと、
「物質がある」という自己の信念の結果、物質によって自分自身が自縄自縛(じじょうじばく)せられることになり、
先の自由自在の心境が不自由な心境になり、不完全なる「ニセ物の我」を真我(ほんもの)の一顕現として肯定する結果、
不完全な状態が自分の世界にいっそう多く顕れて来、今までトントン拍子にいっていたことがトントン拍子にゆかなくなるのであります。
(つづく)

4656a hope:2014/12/06(土) 10:47:37 ID:cEpBaIdo
>>4655 つづき)

われわれが五官で物質を観、現象を観、それに立脚していろいろ複雑な理論を作りあげて、
物質もある、現象もあると肯定するのはいともやさしいことなのであります。
科学者はみんなそれをやっている。

しかし実相覚で「物質は無い」というのは理屈ではないのです。
誰でも頭の善さを信じて理屈で真理に這入ってゆこうとして理屈をますます複雑にし、
「物質は無い」と単純に承認すればよい所を、
「物質は無いと有るとを超越したところの有るである」と無理に複雑化して言ったり、
「ニセ物の我は無い」と単純に否定すればよいところを「ニセ物の自分も真我(ほんもの)の一顕現として実在である」
などと複雑に言っていられると、いつのまにかその人は物質があるやらないやら、
自分自身で言っていながらわからなくなるのです。
(つづく)

4657a hope:2014/12/06(土) 10:51:36 ID:cEpBaIdo

>>4655 >>4656 a hope所感)

次に、雅宣先生の「次世代への決断」の『大地震は〝神のはからい〝 か?』p82から雅宣先生のご文章を一部ご紹介させていただきます。

<<・・・しかし、その一方で、生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」とも説く。
この観点から考えると、地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則にもとづいて起こるのであるから、
地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。
そうすると「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。
しかし、その場合、自然界の法則によるのは、「百年に一回起こる大地震」だけではなく、
「九十九年間は大地震が起こらない」状態も当然含むのだから、「九十九年間の地殻の安定は神がもたらす」ということも同時に言わなくてはならない。
なぜなら、〝法則としての神〝 は人間にとって悪いことだけをもたらすのではなく、良いこと、ありがたいことも、常にもたらしているからだ。・・・>>p86 3行目〜
(一部分だけの紹介をお許しください。)


みなさんは、この雅宣先生のご文章を読まれて混乱されませんか?

ここにある「物理学や化学の法則」または「自然界の法則」とは地殻変動等を起す「物質世界の法則」のことなのだと思いますが、
雅宣先生は<<「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。>>
とお答えになってしまっているのです。

要するに、物質世界を神の創造であると複雑な表現ではありますが、認めてしまっておられるのです。(二元論)

物質世界(現象世界)は実相世界が屈折されて投影された映像であり、本来無いものであり、
決して神の創造ではありませんよね?

わたしが理解している「神の法則」は「神への中心帰一の法則」です。
「神の法則」が完全に顕われている「実相世界」は久遠の今であり、人間に不幸をもたらすような不安定は存在しない、
常に安定だけをもたらす、完全円満な理想世界だと信じています。


みなさま、わたしの解釈に間違いがあれば、どうそご指摘ご指導をよろしくお願いいたします。

4659トキ:2014/12/06(土) 19:39:28 ID:0iMHaNvk
>>4657

a hope さま

 総裁のご文章は、すごく分かりにくい文章ですが、総裁の言いたい事はこういう事でしょうか。

>>生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」

 というところから、いきなり、

「物理学や化学の法則も、法則とある以上は、神様が作ったものである。」

として、次に、

「地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則に基づくものである。」

とあるから、

>>「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。

という結論に至る、という解釈かしら?

(つづく)

4660トキ:2014/12/06(土) 19:47:53 ID:0iMHaNvk
 私個人の解釈では、

>>生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」

というのは、もともと、「心の法則」を説明する時に使う説明です。

 同じ「法則」でも、物理や化学の「法則」は現象世界の問題と理解します。

 百歩譲って、法則が神様が作ったとしても、その法則を使うのは、神様では
ありません。以前、Winyというソフトを作った人が逮捕されましたが、使った
人には責任はあるが、作った人には責任がないと無罪になりました。それと同じ
で、法則を作った事から、その法則が作動する行動や言動(かりにこういう
表現を使いますが)をした人と、法則を作った(?)人とは、別の存在です。

 この総裁のご文章は彼個人の自然観を説明するための文章ではありますが、
生長の家の信仰を伝えるものではない、といえます。

4661SAKURA:2014/12/06(土) 23:11:50 ID:???
こんばんは……  ローマ字(大文字)のSAKURAで〜〜す。

「トキ様」「a hope様」へ……横スレにて…失礼いたします…。

■□ 『小櫻姫物語』からなのですが??
その中から「橘姫さまのお話」――>入水についてのお話で。。。詳しくは、
【 四十一、海神の怒り 】の内容から………
時代背景と致しましては……重複しますでしょうが?
「神武天皇のお后さまの入水の事」からでも思いますには、
やはり『人・霊』から来る事もあるようですし………

■【地・震】は?やはり『神の法則』から来る事もありますでしょうし……?
更に……
『人間の念』からでも、来す事もある事ではと思う次第です。

■□『小櫻姫物語』の中から……(具体的投稿文…抜粋)
「小櫻姫様の指導霊のお爺様」の“言・葉”からの抜粋なのです。

>>■橘姫の御物語は一と先ずこれにて打ち切りといたしますが、ただ私とし
て、ちっとここで申添えて置きたいと思いますのは、海神の怒りの件でござい
ます。大和武尊さまのような、あんな御立派なお方が、何故なれば海神の怒り
を買われたか?――これは恐らくどなたも御不審の点かと存じまするが、実
は私もこれにつきて、指導役のお爺さんにその訳を伺ったことがあるのでご
ざいます。その時お爺さんは斯う答えられました。――

『それは斯ういう次第じゃ。すべて物には表と裏とがある。命が日本国にとり
て並びなき大恩人であることはいうまでもなけれど、しかし殺された賊徒の身
になって見れば、命ほど、世にも憎いものはない。命の手にかかって滅ぼさ
れた賊徒の数は何万とも知れぬ。で、それ等が一団の怨靈となって隙を窺
い、たまたま心よからぬ海神の援けを獲て、あんな稀有の暴風雨を巻き起し
たのじゃ。

あれは人霊のみでできる仕業でなく、又海神のみであったら、よもやあれほど
のいたずらはせなかったであろう。たまたま斯うした二つの力が合致したれば
こそ、あのような災難が急に降って湧いたのじゃ。

当時の橘姫にはもとよりそうした詳しい事情の判ろう筈もない。姫があれを
ただ海神の怒りとのみ感じたのはいささか間違って居るが、それはそうとして、

あの場合の姫の心胸にはまことに涙ぐましい真剣さが宿っていた。
あれほど真心が何ですぐ神々の御胸に通ぜぬことがあろう。それが通じたれば
こそ大和武尊には無事に、あの災難を切りぬけることが出来たのじゃ。
橘姫は矢張り稀に見るすぐれた御方じゃ。』

 私はこの説明が果してすべてを尽しているか否かは存じませぬ。ただ皆さ
まの御参考までに、私の伺ったところを附け加えて置くだけでございます。<<

上記を投稿させて頂きましたが……
『人間の念…想念感情』からと…考えられますのでは??
皆様も御存知の■【源氏物語…蒼い君】…にでも伺えますかと…思うのです。

最後に…「霊の世界」へ持って行けますモノとは『物質』はできませんが〜〜〜
『想念感情』は持って行けるモノ…これだけは断言できますでしょうか??

         ❤〜SAKURA

4662a hope:2014/12/07(日) 00:18:41 ID:cEpBaIdo

トキさま 

お返事をありがとうございます。 合掌。

(トキさまのご発言)『生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」
というのは、もともと、「心の法則」を説明する時に使う説明です。』

ですが「神の法則」とは現象人間の偽我による「心の法則」のことではないですよね?

わたしは現象人間の過去に犯した罪や迷いが「心の法則」によって現れるのが自壊作用なのではないかと理解していますが、
この「神の法則」とは「心の法則」でも、実相世界の展開のことなのだと思うのですが・・・。

わたしは、現象世界の法則であっても、その法則が人間の迷いや罪によって屈折することなく実相世界からそのまま真っ直ぐに投影されていれば、
すべてが大調和して現れると思うのです。
ですから、地震などの天変地異などによって現象人間が被害を受けて見えてしまうのは、
現象人間の過去の迷いが消えるための自壊作用なのではないかと思っています。
たしか、雅春先生は、「津波は流産児の涙である」と言われたのですよね?
(今、大熊先生が「赤ちゃんの命を守る運動」を頑張って展開してくださっていますが・・・)

ですから雅宣先生の<<地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。>>
というお考えにはすごく違和感があります。

なぜなら、「甘露の法雨」にも、
「神があらわるればすなわち 善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり、
一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、
乏しきものなし。」
とあるように、神があらわれれば地震などという人間を苦しめるような不調和な事態は起きないのが真理だとわたしは信じているからです。

それに、天変地異も戦争も不慮の事故も病気もすべて現象世界の出来事ですから、すべては影であり実在ではないわけですから、
たとえ何が起っても、わたしたち「生長の家の教え」を信仰しているものは実相世界の完全円満さを信じることができるわけですから、
わたしたちは本当に幸せだと思います。


(トキさまのご発言)『 この総裁のご文章は彼個人の自然観を説明するための文章ではありますが、生長の家の信仰を伝えるものではない、といえます。 』

トキさまがハッキリと、「生長の家の信仰を伝えるものではない」と否定して下さっていて「ホッ」としました。

雅宣先生のご文章を拝見していて感じることは、雅宣先生は「生長の家の教え」の概要は頭では理解されているようですが、
「生長の家」の信仰はされていないのではないかということです。(純子先生にも同じことを感じます。)

だって、お二人のFBにも、ブログにも、神想観をしているとか、聖典を拝読しているとか、愛行をしているとかそういうお話はほとんど出てきませんものね。

わたしの感じていることが間違いだったら心からお詫びいたしますが、もしそれが当たっていたとしたら、
そのお二人が「生長の家」の頂点に立つ総裁・副総裁をされているというのはとても不思議なことですね。

4663a hope:2014/12/07(日) 00:33:36 ID:cEpBaIdo
>>4661SAKURAさま

web誌友会ご参加ありがとうございます。 合掌。
今夜は遅いので、また明日お返事させていただきますね。

4664志恩:2014/12/07(日) 05:39:31 ID:.QY5jUA6
a hope様

トキ様、SAKURA様が、コメントされてましたが、大熊良樹先生も ブログに、
この事に関する 生長の家の教えから 観られた コメント を載せておられましたので,転載させて頂きます。
……………………………………….
大熊良樹先生のブログより

📈【 地震は地球の 感情座の異変】📉 平成26年19月9日

▽いのちはひとつであり。。互いに影響 し合っている のである。
それは、人間の関係 においてもそうであるし・・(自他一体であるという事である)
自然(地球)と人間も同じ関係にある。

自然災害について、思う事があります。結果には 必ず原因があり、そこには 必ず法則が 働いています。
 法則自体は「悪」では ありません。。
現象顕現の法則は、「現れ」即「洗われ」として、 浄化の働きを 持つのであります。。
現象は、諸行無常であり、「出たら」(かたちになったら)「消える」(無くなる)のです。
一定のエネルギーがたまると 抑えられたエネルギーは、容量を越えると、機会(縁に触れて)をえて「発露(顕現)」するのが法則であります。

しかし、なに(原因)に対して、なに(結果)が起こるか、法則に照らして、知ること わかること(理解すること)は、 災難を回避するための、
重要な智慧であると思います。。。

▽昭和52年刊行の「如意自在の生活365章」(日本教文社)p45にて、
谷口雅春先生は、天変地異 について こう説かれています。

地球もまた生命体であるから、人間とひとつであり、(「人間は「体」の面から見ると地球より 発生した「地球の子」みたいな
ものであるから」【本文引用】と表現されています。。)

原爆水爆など 地殻実験したり、地球を汚し貶めると)人間の想念感情が乱れたりすると、(また人間同士で貶め合うと)
地球の内層にある霊体・幽体・エーテル体 等に損傷をうけて、
(地球からまた)人間感情に影響を与えたり、噴火 地震などの天変地異という 現象となるという内容である。。。
 (あい呼応してしまう・・という事である)

まさに人と地球は ひとついのちであり 強くつながっているのだ。
地震は周期的に起こるだろうが、起きるタイミング。 人時処、三相応が重大である。。。
同じ地震 といっても・・ 地震の起こる場所で規模で タイプで、津波が起こるか 起こらないが決まる。
また、住宅の 建てる高さ海抜、位置。に寄って被害が変わる。。

朝か、昼か、夜か、いつ起こるかで・・被害も変わる。。
人間の想念感情 ということでいえば・・先祖が津波は ここまで来るぞ、と書いて石碑で残しているのにも関わらず、
無視して・・・千年に一度の災害が 来るものですか・・と、国民を代表する国会議員が震災直前に 言ったりする。。
われわれは、大いに「神」に「先人」に 御先祖様の声に・・・大自然の声に耳を 傾けなければ成らないと思うのであります。。

何々したから これこれが起こった・・   というのは光明思想 ではありません。(天罰思想と いうのでしょうか・・)

神は愛であり、裁きや試練など  一切与え給わないので  あります。逆であります。これこれを大事に しなさいという愛の教訓。
これを大事にしたら幸福になれますよ・・ という「幸福への鍵」。
幸福人生への重大ヒントともいえる・・     

大切な教えが  暗示されているのが  現象なのであります。これを「心象」といいます。 
われらはなお一層、真摯に声なき声に耳を傾けて「心象」たる「現象」から、 如何に生きてゆくべきか  学んでゆかねばなりません。
中絶をこのまま赦し続けて、尊き赤ちゃんのいのちを 見殺しにし続けるのならば、いくら上っ面の「国際平和」を祈り、
(深層に根差した祈りとは  いのちを礼拝する祈りである。)

「自然保護運動」を展開しようとも、

 (現象は心の影であり、 いのちを礼拝するところから自然が整う。)

 それは「空念仏」であり、 本末転倒となるのであります。

そういう「正中」(御意)を外した祈りなき信仰者は私の周囲にはいませんが・・。この事は実に大切なことであります。

4665志恩:2014/12/07(日) 05:43:58 ID:.QY5jUA6
4664: 平成26年19月9日 ➡平成26年10月9日に訂正

4666志恩:2014/12/07(日) 07:53:44 ID:.QY5jUA6
「法則」(ルール)について

雅宣総裁が語られる「物理学や化学の法則」というのは、人間が作り上げた 地球でしか通用しない「地球の法則」
と,私は受け取っております。

一方、谷口雅春先生が説かれた「心の法則」とは、雅宣総裁が言われる
「地球の法則」を“超越した“ “人智を超えた“高級霊界に導かれている「宇宙の法則」だと思っております。

ともかく、いま地球は 大激変中のようですね...、それに伴って、それに連動するかたちで、生長の家も 大激変中のようです。

前に、縹様が詳しく教えて下さいましたが、
雅春先生の神示や、様々な預言に書かれてある通り、 今、われわれは、新しい時代の潮流「宇宙の法則,心の法則」の時代へ と
大きく舵を切ろうとしている転換期の時代のところに 差し掛かっていて、そういう時代に ご一緒に 生きている….。

そして、本来の生長の家の「心の法則」とは、
雅宣総裁が、今、語られておられるような1000人のうち、5人が、理解出来るかどうかも分からないというような
「複雑」「難解」な法則ではなく、創始者であられる雅春先生が説かれておられた法則は、もっともっと「単純」な法則なのでは?

この法則で生きれば、都会に生きようが、森で生きようが、どこで生きようが、どこのどなたでも 大安心の気持ちで生きられる 平易な心の法則です。

このような 元の教えの 心の法則を 確信し、実践さえすれば、

「束縛」➡「自由」
「不公平」➡「公平」
「ムダ・ムラ・ムリ」➡「効率」
「短所是正」➡「長所進展」…..の世界が、宇宙に通用する永遠の法則なのですから、自ずから展開しだすと思います。

「心の法則」ではなく、
雅宣総裁のお立場に立ち、雅宣総裁の説かれる、「地球の法則」の お考えに照合した考え方をしてみますと、正しいことを仰っている。

《人間の文明がこれまで築いてきた社会システムや考え方のために、地球環境は今、大変な危機に直面していること、
それらの危機の原因を作ったのは、人間のエゴと嫉妬心が産み出したことだ。》

この雅宣総裁の これらの考え方は、「地球の理・法則」なのですが、「地球の理・法則」とは、人類が作り上げた、地球でしか通用しない法則のことですから。
もうすぐ通用しなくなりそうですよ。

そして、ここ10年の間に、このような雅宣総裁の考え方は急速に勢いをなくしつつあるように思います。
いま幸せに生きている人たちは、ほとんどが「宇宙の理・心の法則」に従って生きようとしている人たちだからです。

「地球の理・法則」を、
雅宣総裁が、音頭をとって、主張されてる事と,裏腹に、生長の家の教団内部の組織自体が、エゴに支配された閉鎖的な空間になっている、
そのエゴの法則に支配された組織になってしまって、教団全体が、こんなに凋落しているのは、どういうわけでしょう。

このことを1つとっても、このお考えが 
人類を幸福にするものとは、正反対である 誤った一時的な法則である事が、理解出来るではありませんか。

一方、これと対極に位置するのが、雅春先生が説かれた「宇宙の理である心の法則」であると存じますが、

こちらの方が、開放的で共生と融和を基礎にした永遠の法則のようです。

なるべく早く、元の教えであるこちらに変わるのが正しいと思われます。これは「全宇宙で通用しているルール」で、開放系のルールですから。

4667a hope:2014/12/07(日) 10:09:47 ID:cEpBaIdo

>>4661 SAKURAさま

『小櫻姫物語』の興味深いご文章を紹介してくださりありがとうございます。
志恩さまご紹介の>>4664の大熊先生のご文章にも『「地球」が「人間の感情想念」にあい呼応してしまう』という内容があります。
SAKURAさまのご紹介してくださって文章の内容となんとなく似ていると感じました。

以前、このweb誌友会でも、『「人類意識」と大きな災害の関係』の内容を学んだ気がしています。
後で探して、復習してみますね。

SAKURAさまのご参加とても嬉しです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。 合掌。

4668a hope:2014/12/07(日) 10:12:05 ID:cEpBaIdo
>>4664 志恩さま

大熊先生の貴重なご文章を探し転載してくださりありがとうございます。
このご文章は、赤ちゃんの命を含めた個人の命(魂)の救済をおろそかにしている現教団への警告のようにもとれますね。

<< (現象は心の影であり、 いのちを礼拝するところから自然が整う。)>>

この言葉が「どーん」と心に響きました。



また、>>4666では「法則」についての素晴らしいご指導をありがとうございます。

わたしは、雅宣先生は「生長の家の教え」は小さいころから学ばれていたでしょうから、
頭では十分理解されているのではないかと思うのです。

ですが、現象の問題を見つめられすぎて、そのことに捉われてしまわれた。
そこで、「現象は本来無い」と理屈ではわかっていても、現象的な「地球の理・法則」を重視され、
どうしても現象処理的な運動をされてしまうのだと思うのです。

でも、それは志恩さまがおっしゃるように、雅春先生が説かれた「宇宙の理である心の法則」とは、
まったく別物ですよね。

雅宣先生が一日もはやく、本来の「生長の家」の教えの素晴らしさを思い出して下さることを祈っています。

4669a hope:2014/12/07(日) 10:16:06 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます!

今朝、大熊先生のブログへ行きましたら新しyou-tube が紹介されていましたのでご紹介させていただきます。

https://www.youtube.com/watch?v=9pmz3jbNI8E&amp;feature=youtu.be&amp;list=UU72N5dUOwviUHUlBGtmU92w
↑「いのちを守る親の会」大熊理事長の情熱溢れる文書「退職の辞」公開!!( 2014/12/06 公開)

4670トキ:2014/12/07(日) 20:54:46 ID:PIBoJmSc
a hope 様

 コメント、ありがとうございました。

 遠出をしていましたので、ただいま帰りました。お返事遅れてごめんなさい。


 最初に谷口雅春先生のご著書、「人間そのものの発見とその自覚」という聖典
を拝読させていただきます。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------

「人類の運命を決するもの」という題で話すことになっております。「人類の運命を決す
るもの」という題を話すについては、運命とはなんぞやということを話さなければならな
いと思います。運を天に任せるなんていう言葉がありますが、運という字はめぐるという
字が書いてあるのであります。運というのは誰か神様から強制的に吾々に割り当てられた
ところの宿命というものではないのであります。「因果はめぐる」なんていう諺がありま
すように、原因、結果の法則によって、その原因が結果となり、その結果がまた新たなる
原因を作って循環してゆくことになっているのであります。

 従って、いいことをしたらきっといいことが出てくる。悪いことをしたらきっと悪いこ
とが出てくる。人を憎めば憎まれる。奪えば奪われる、というところのその根本的な
「因果の法則」というものがあるのであります。その「因果の法則」をまた「業の法則」
とも言います。或いは「心の法則」ともいうのであります。吾々個人も、その運命とい
うものを自分がつくってその結果を穫り取るのでありますが、「大体、個人の運命とい
うものは決まっているか」と言うて訊く人がありますが、大体、生まれた時にその運命
の三分の一は決まっているのであります。

 それは、何故、決まっているかというと、これは神様が与えたんじゃなくて、吾々は
何回もこの世に生まれ更わってきているのでありますから、過去に、生まれ更わる間に
積み重ねてきたところの業の蓄積によって決まっているのであります。

(p198より謹写)

(つづく)

4671トキ:2014/12/07(日) 21:23:10 ID:PIBoJmSc
 谷口雅春先生の教えで、「神」と「法則」の言葉が出てきた場合は、いわゆる
「縦の真理」で言及される場合もあれば、「横の真理」で言及される場合もあり
ます。

 例えば、聖経 続々甘露の法雨の中にある、

 「神の子 人間」の上には、神の法則のみ支配す。

とあるのは、縦の真理と理解するのが普通でしょう。一般論として使う場合は、
「神」と「法則」が出てきた場合、大半は「縦の真理」で理解すべきです。

 ただし、「心の法則」での説明と理解すべきあと思われる場合もあります。

「人間そのものの発見とその自覚」(谷口雅春先生著)のP210にある、
「法則としての神と個別的人格としての神」というくだりは、横の真理と解釈する
のべきだと私は解釈しています。

 「神は法則である」という言葉が、生長の家の講演などで使われる場合は、だいたい
「不昧因果」(ふまいいんが) に近い意味に使われています。「神は法則である」と
出たら、だいたい、「だから、えこひいきしない」という言葉が続くのが普通です。もっとも
これは繰り返しますが、私個人の理解ですが。

 特に、総裁がこの二つの言葉を

>>「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」

という理論を正当化する根拠に使ったなら、これは「横の真理」の例えとして使ったとしか
考えられないからです。(「縦の真理」だと、これは疑問の余地なく間違いになります。)

 以上、ご説明申し上げました。

 さて、誌友会に戻ります。

(つづく)

4672トキ:2014/12/07(日) 21:43:12 ID:PIBoJmSc

 さて、生命の実相第15巻の95pに谷口雅春先生が

 「心で心が治せないというのは「迷いの心」で「迷いの心」が治せるはずが
ないということなんでしょう。「迷いの心」でいくら力んでみても「迷いの心」
は治せません。「迷いの心」を治すのは、「真理を知った心」のみです。

とあり、「迷いを治すのは真理のみです」と書かれています。

 ほんとうの真理を知ることの大切さを痛感する次第であります。

4673a hope:2014/12/08(月) 00:08:39 ID:cEpBaIdo

>>4670 >>4671トキさま

「心の法則」と「神」に関するご説明をありがとうございます。
とてもよく理解できました。合掌。

たしか「不昧因果」(ふまいいんが)という言葉は、以前トーキングスティックボードで復興Gさまが、
「百丈野狐」のお話をしてくださった時にお勉強したのを思い出しました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/154
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/159

少し難しいお話だと感じましたが、雅春先生のご解釈が深くて感動したのを覚えています。


<<「人間そのものの発見とその自覚」(谷口雅春先生著)のP210にある、
「法則としての神と個別的人格としての神」というくだりは、横の真理と解釈する
のべきだと私は解釈しています。>>

「人間そのものの発見とその自覚」というタイトルの聖典もあるのですね。
雅春先生はいろんな角度から真理を説いて下さっていますが、わたしは今まで雅春先生の聖典を拝読していて、
矛盾を感じたり混乱したりしたことは一度もありません。
それは、本当に「神さまのお言葉」なんだからだと感じています。


ところで、先日>>4656で謹写した部分の最後の一文が抜け落ちていたので半分だけ再掲させていただきます。

―――――――――――――
p40 後から3行〜
われわれが五官で物質を観、現象を観、それに立脚していろいろ複雑な理論を作りあげて、
物質もある、現象もあると肯定するのはいともやさしいことなのであります。
科学者はみんなそれをやっている。

しかし実相覚で「物質は無い」というのは理屈ではないのです。
誰でも頭の善さを信じて理屈で真理に這入ってゆこうとして理屈をますます複雑にし、
「物質は無い」と単純に承認すればよい所を、
「物質は無いと有るとを超越したところの有るである」と無理に複雑化して言ったり、
「ニセ物の我は無い」と単純に否定すればよいところを「ニセ物の自分も真我(ほんもの)の一顕現として実在である」
などと複雑に言っていられると、いつのまにかその人は物質があるやらないやら、
自分自身で言っていながらわからなくなるのです。
理屈は迷わせるのです。

―――――――――――――――――――

抜け落ちていたのは「理屈は迷わせるのです。」という最後の一文ですが、
雅宣先生のご文章は、本当にこの理屈が多いようにわたしは感じています。

4674志恩:2014/12/08(月) 09:29:46 ID:.QY5jUA6
a hopeさんは、他の掲示板はご覧になってないそうですが、「愛国」本流掲示板にa hopeさんのご発言が転載され、それに対するコメントも書かれてありましたのでご紹介します。

雅宣先生の「次世代への決断」の『大地震は〝神のはからい〝 か?』に混乱・・・ (5593)
日時:2014年12月06日 (土) 12時23分
名前:きんき

トキ掲示板より

a hope:2014/12/06(土) 10:51:36 ID:cEpBaIdo
>>4655 >>4656 a hope所感)

次に、雅宣先生の「次世代への決断」の『大地震は〝神のはからい〝 か?』p82から雅宣先生のご文章を一部ご紹介させていただきます。

<<・・・しかし、その一方で、生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」とも説く。
この観点から考えると、地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則にもとづいて起こるのであるから、
地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。
そうすると「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。
しかし、その場合、自然界の法則によるのは、「百年に一回起こる大地震」だけではなく、
「九十九年間は大地震が起こらない」状態も当然含むのだから、「九十九年間の地殻の安定は神がもたらす」ということも同時に言わなくてはならない。
なぜなら、〝法則としての神〝 は人間にとって悪いことだけをもたらすのではなく、良いこと、ありがたいことも、常にもたらしているからだ。・・・>>p86 3行目〜
(一部分だけの紹介をお許しください。)

みなさんは、この雅宣先生のご文章を読まれて混乱されませんか?

ここにある「物理学や化学の法則」または「自然界の法則」とは地殻変動等を起す「物質世界の法則」のことなのだと思いますが、
雅宣先生は<<「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。>>
とお答えになってしまっているのです。

要するに、物質世界を神の創造であると複雑な表現ではありますが、認めてしまっておられるのです。(二元論)

物質世界(現象世界)は実相世界が屈折されて投影された映像であり、本来無いものであり、
決して神の創造ではありませんよね?

わたしが理解している「神の法則」は「神への中心帰一の法則」です。
「神の法則」が完全に顕われている「実相世界」は久遠の今であり、人間に不幸をもたらすような不安定は存在しない、
常に安定だけをもたらす、完全円満な理想世界だと信じています。

みなさま、わたしの解釈に間違いがあれば、どうそご指摘ご指導をよろしくお願いいたします。

……………………………………………………………………

おいおい、「物理学や化学の法則」が「神」かよ。 (5599)
日時:2014年12月07日 (日) 11時48分
名前:講師会長やめました。

>地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則にもとづいて起こるのであるから<

>地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。<

おいおい、「物理学や化学の法則」が「神」かよ。

科学万能は「唯物論」だよ。

霊の法則が抜けているよ。すなわち、「愛の法則」ダ。


さては、講師試験、受けていないな?この人は。

a hopeさんの言われる通りですね。

4675a hope:2014/12/08(月) 11:55:04 ID:cEpBaIdo

>>4674 志恩さま

愛国掲示板の記事をご紹介くださりありがとうございます。
わたしは生長の家関係の掲示板は、すべて拝読はしませんが目を通すようにしていますので、
時々、わたしの投稿を紹介してくださっている方がいるのは知っていました。

今回は、「講師会長やめました。」さんが、わたしの投稿に賛同してくださるコメントをくださっていて心から感謝しています。 合掌。

他の雅宣先生の講習会での質疑応答の内容や、組織板でトキさまが教えて下さった教団の来年度の方針などを拝見してしると、
現教団がおおきく真理から外れて、迷走している様子がハッキリと伝わってきます。

なぜ、この様なことが起こっているのかわかりませんが、わたしはたとえ一人になっても「生命の實相」を学び続け、、
正しい「生長の家」の信仰を続けていきたいと思っています。

4676SAKURA:2014/12/08(月) 19:52:07 ID:???
こんばんは……  ローマ字(大文字)のSAKURAで〜〜す。

>> 4667 「a hope」様 お返事ありがとうございました…。「感・謝」……

昨日…横スレにて…投稿させて頂きました中に…『霊の世界』……
■「小桜姫物語」の引用を…投稿させて頂きました…。
(尚!この著者は、「創立者 谷口雅春先生」とも関連されました方かと思います…。)

尚!重複しますが…下記が詳細投稿の記事(フェイス・ブック)からの抜粋投稿と……
させて頂きます…。此処で…討論されていましたところの
『地震』に関しての話題は〜〜〜『神が与えたもうか?』…
この件の参考になればと…個人的なる解釈として詳細投稿させて頂きます…。
↓↓
              つづく
                     ❤〜SAKURA

4677SAKURA:2014/12/08(月) 19:54:36 ID:???
こんばんは……  ローマ字(大文字)のSAKURAで〜〜す。
>>4676投稿の続きです。

■―― 霊界通信 ――■  −その63− 
「小桜姫物語」 浅野和三郎 著  (転載編) ―その1―
    ―― 【 四十一、海神の怒り  】 ―― 
――――――――――――――――――――――――――――――

■私が伺った橘姫のお物語の中には、まだいろいろお伝えしたいことがございますが、とても一度に
語りつくすことはできませぬ。

何れ又良い機会(おり)がありましたら改めてお漏しすることとして、ただあの走水の海の御入水遊ば
されたお話だけは、何うあっても省く訳にはまいりますまい。あれこそはひとりこの御夫婦の御一代を
飾る、尤も美しい事績であるばかりでなく、又日本の歴史の中での飛び切りの美談と存じます。

私は成るべく姫のお言葉そのままをお取次するRことに致します。

『わたくし達が海辺に降り立ったのはまだ朝の間のことでございました。風が少し吹いて居りましたが、
空には一点の雲もなく、五六里もあろうかと思わる広い内海(いりうみ)の彼方には、総の国の低い
山々が絵のようにぽっかり浮んで居りました。

その時の私達の人数はいつもより小勢(こせい)で、かれこれ四五十名も居ったでございましょうか。
仕立てた船は二艘、どちらも堅牢な新船でございました。

『一同が今日の良き船出を寿(ことほ)ぎ合ったのもほんの束の間、やや一里ばかりも陸へ離れた
覚しき頃から、天候が俄かに不穏の模様に変って了いました。西北の空からどっと吹き寄せる疾風、
見る見る船はグルリと向きをかえ、人々は滝なす飛沫を一ぱいに浴びました。
それにあの時の空模様の怪しさ、赭黒い雲の峰が、右から左からも、もくもくと群がり出でて満天に
折り重なり、四辺(あたり)はさながら真夜中のような暗さに鎖されたと思う間もなく、白刃を植えた
ような稲妻が絶間なくなく雲間に閃き、それにつれてどっと降りしきる大粒の雨は、さながら礫
(つぶて)のように人々の面を打ちました。

わが君をはじめ、一同はしきりに舟子達(かこたち)を励まして、暴れ狂う風浪と闘いましたが、
やがて両三人は波に呑まれ、残余(のこり)は力つきて船底に倒れ、船はいつ覆るか判らなくなり
ました。すべてはものの半刻(はんとき)と経たぬ、ほんの僅かの間のことでございました。

『かかる場合にのぞみて、人間の依むところはただ神業ばかり……。私は一心不乱に、神様にお祈祷
(いのり)をかけました。船のはげしき動揺につれて、幾度となく投げ出さるる私の躯――それでも
私はその都度起き上りて、手を合せて、熱心に祈りつづけました。と、、忽ち私の耳にはっきりとした

一つの囁き、『これは海神の怒り……今日限り命の生命を奪る……。』
覚えずはっとして現実(うつし)にかえれば、耳に入るはただすさまじき波の音、風の叫び――が、
精神(こころ)を鎮めると又もや怪しき囁きがはっきりと耳に聞こえてまいります……。


『二度、三度、五度……幾度くりかえしてもこれに間違のないことが判った時に、私はすべてを
命に打ち明けました。命は日頃の、あの雄々しい御気性とて「何んの愚かなこと!」とただ一言に
打ち消して了われましたが、ただいかにしても打ち消し得ないのは、いつまでも私の耳にきこゆる
あの不思議の囁きでございました。

私はとうとう一存で、神様にお縋りしました。
「命は御国にとりてかけがえない、大切の御身の上……何卒この数ならぬ女の生命を以て
命の御生命にかえさせ玉え……」

二度、三度この祈りを繰りかえして居る内に、私の胸に年来の命の御情思(おんなさけ)が
こみあげて、私の両眼からは涙が滝のように溢れました。一首の歌が自ずと私の口を突いて
出たのもその時でございます。真嶺刺(さねさ)し、相模の小野に、燃ゆる火の、火中に立ち
て、問いし君はも……。

『右の歌を歌い終ると共に、いつしか私の躯は荒れ狂う波間に跳(おど)って居りました、
その時ちらと拝したわが君のはっと愕かれた御面影――それが現世での見納めでございました。』

― その2 ―に続く
❤〜SAKURA

4678SAKURA:2014/12/08(月) 19:56:51 ID:???
こんばんは……  ローマ字(大文字)のSAKURAで〜〜す。
>>4676>>4677の投稿の続きです。

■―― 霊界通信 ――■  −その63− 
「小桜姫物語」 浅野和三郎 著  (転載編) ―その2―

    ―― 【 四十一、海神の怒り  】 ―― 
――――――――――――――――――――――――――――――

■橘姫の御物語は一と先ずこれにて打ち切りといたしますが、ただ私として、ちっとここで申添えて
置きたいと思いますのは、海神の怒りの件でございます。大和武尊さまのような、あんな御立派な
お方が、何故なれば海神の怒りを買われたか?――これは恐らくどなたも御不審の点かと存じまするが、
実は私もこれにつきて、指導役のお爺さんにその訳を伺ったことがあるのでございます。
その時お爺さんは斯う答えられました。――

『それは斯ういう次第じゃ。すべて物には表と裏とがある。命が日本国にとりて並びなき大恩人である
ことはいうまでもなけれど、しかし殺された賊徒の身になって見れば、命ほど、世にも憎いものはない。
命の手にかかって滅ぼされた賊徒の数は何万とも知れぬ。で、それ等が一団の怨靈となって隙を窺い、
たまたま心よからぬ海神の援けを獲て、あんな稀有の暴風雨を巻き起したのじゃ。

あれは人霊のみでできる仕業でなく、又海神のみであったら、よもやあれほどのいたずらはせなかった
であろう。たまたま斯うした二つの力が合致したればこそ、あのような災難が急に降って湧いたのじゃ。

当時の橘姫にはもとよりそうした詳しい事情の判ろう筈もない。
姫があれをただ海神の怒りとのみ感じたのはいささか間違って居るが、それはそうとして、

あの場合の姫の心胸にはまことに涙ぐましい真剣さが宿っていた。あれほど真心が何ですぐ神々の
御胸に通ぜぬことがあろう。それが通じたればこそ大和武尊には無事に、あの災難を切りぬけることが
出来たのじゃ。橘姫は矢張り稀に見るすぐれた御方じゃ。』

 私はこの説明が果してすべてを尽しているか否かは存じませぬ。ただ皆さまの御参考までに、
私の伺ったところを附け加えて置くだけでございます。

                  つづく
❤〜SAKURA

4679SAKURA:2014/12/08(月) 20:00:19 ID:???
「トキ様」 へ 「a hope様」 へ 「観覧者の皆様」へ 
こんばんは……  ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜す。
>>4676>>4677>>4678 の投稿の続きです。

>> 4667 「a hope」様 お返事ありがとうございました…。「感・謝」……

私の申し伝えたい事は…
■【人間の念!〜〜思念!〜〜〜】つまり人間は肉体人間ではなく…
生命そのもの…つまり!霊的のモノ――>すべて「霊的人間」とは???
【心…】から来るものではないのでしょうか・『心の法則』

ですから〜〜〜

■□「地震・災難」とか?その他の場合は、やはり!
■「霊・界」でも軌道修正は、なされている様です。…が?――>『レイヌのお話』より!
(生命の実相に記載されています。)それが〜〜〜悲しいかな?
『念!〜〜思念!〜〜“心の世界感”が〜〜〜悪の方へ傾いた場合』は、
しかもかなりの【悪・念…】がきたす時は、さすがに「霊・界」でも……
やはり「軌道修正は出来ないとの事」を【生命の実相】でも書かれていました。
…が?【地・震】も〜〜〜「念…想念感情」から?起こりうる事と〜〜〜

そうしますと、現状…【生長の家】は、唯!
全面的に【エコ運動】中心を打ち出している中身ですから『心・の・法・則』は……
都合のいい解釈論で云っているように思います。

本当に!『心が豊かになる!!』のは〜〜〜【物からの“唯物論”の展開】に
どうしても見えて致し方ありません。

■今!の【生長の家】は夜の世界=水物中心とか?このように見えてしまいます。
色々な方の情報を収集しましても……変です〜〜〜ョネ!
最終的には【知・識】これは〜〜〜【心の状態によるモノ】では〜〜?

「神の世界」から〜〜〜遠のいた感じ〜♫が見えて致し方がないのですョネ!!
今回!【小・櫻・姫・物・語】を読んでから、
正直な話…3代目…今の「総裁御夫婦」におりましての【愛…】とは…??
この頃?疑問が〜〜〜いたるところに見えてしまいます…。
また!最近まで「HO職員」という名目上の職員(臨時?外部職員?)なのでしょうか?
果たして、これは【教・化・部】にどのような影響を及ぼすモノなのでしょうかと、
個人的ではありますが〜〜〜じっくり!じっくり!見ております…。

                  ❤〜SAKURA

4680a hope:2014/12/08(月) 21:29:55 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p41 7行目〜

南――それではわれわれは「物質は無い」「ニセ物の我は無い」と単純に信じていれば一番よいのでございますね。

谷口――そうです。それを反駁(はんばく)する理論づけすることは、肉眼で見て有るように見えるものを有るといい、意識に有るように感じられる「我」を有るというのですから最もやさしいことで、もっとも信じやすい理論ができるのですが、それは今までの人間知恵であって人間が新たに生まれ更(か)わって救われる真理にはならないのです。

南――それでもお釈迦さんは『涅槃経』で「我」があるということをお説きになったではありませんか。

谷口――そうです。お釈迦さんは四十余年間「無我無我」といって「お前たちの我(われ)だと感じている我というものは本来無いものじゃ」とお説きになり、徹底的に「ニセ物の我(われ)」の非存在をお説きになった後、『法華経』と『涅槃経』とに「本物の我」の 存在をお説きになったのです。
『般若経』に無我が説かれていて、『涅槃経』の「有我」が生きてくるのです。
『般若経』のごとくに「我」の存在を否定することをせず、「ニセ物の我」というのも「本物の我」を肯定主張することになりますと、わがまま勝手次第、生存競争、弱肉強食、病気の我の存在をも肯定することになり、そこからショーペンハウエルのように暗い人生観が生まれてくることになるのであります。

4681a hope:2014/12/08(月) 21:31:58 ID:cEpBaIdo

>>4680 a hope所感)

ここでも、偽我「ニセ物の我」の否定と、真我「本物の我」の肯定つまり「悔い改め」がいかに大切か述べられています。

ですが、わたしたちはこうして生きていても、自分が悪いことをしているとか、罪を犯しているなんて思いながら生活している人はあまりいないと思うのです。
ほとんどの人が自分は正しいことをしていると感じているからこそ、衝突が起きたり、喧嘩がはじまったりするのだと思います。

テキストでは、この後、原さんという方が、雅春先生にどうしたら「本当の我」と「ニセ物の我」の区別がつくのかと質問しています。

続けて、謹写していきます。

4682a hope:2014/12/08(月) 22:01:26 ID:cEpBaIdo

>>4676 〜 SAKURAさま

ご紹介くださった「小桜姫物語」の著者、浅野和三郎さんというのは、大本教を谷口雅春先生と御一緒に退会された方ですね。
以下、ウキペディアから抜粋させていただきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E9%9B%85%E6%98%A5

<<専従活動家時代[編集]
早稲田大学を中退して大本の専従活動家になっていた谷口は、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記を任せられたり、機関紙の編集主幹などを歴任するなど、教団内で嘱望されていたが、1922年(大正11年)の第一次大本事件を期に、浅野和三郎に従って大本から脱退。浅野が旗揚げした『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ねていたが、当時流行のニューソート(自己啓発)の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。>>

そしてこの「小桜姫物語」というのも、霊界通信のようですがとても興味深い内容ですね。

ところで、SAKURAさまも、最近の教団や雅宣先生や純子先生のご様子がおかしいと感じていらっしゃるのですね。
わたしは、現「生長の家」教団は、どんどん人の感情や心を大切にしないつまり「愛」のない宗教団体になってしまっていくような気がしています。

4683a hope:2014/12/09(火) 21:56:46 ID:cEpBaIdo
>>4680訂正 

正)谷口――そうです。お釈迦さんは四十余年間「無我無我」といって「お前たちの我(われ)だと感じている我というものは本来無いものじゃ」とお説きになり、徹底的に「ニセ物の我(われ)」の非存在をお説きになった後、『法華経』と『涅槃経』とに「本物の我」の 存在をお説きになったのです。
『般若経』に無我が説かれていて、『涅槃経』の「有我」が生きてくるのです。
『般若経』のごとくに「我」の存在を否定することをせず、「ニセ物の我」というのも「本物の我」【というものもひっきょうは一つの真我の顕われだと言って、「ニセ物の我」】を肯定主張することになりますと、わがまま勝手次第、生存競争、弱肉強食、病気の我の存在をも肯定することになり、そこからショーペンハウエルのように暗い人生観が生まれてくることになるのであります。

※【 】内の文が抜けていました。m(__)m

4684a hope:2014/12/09(火) 21:58:21 ID:cEpBaIdo
>>4683につづきます)

原――この行為は「本当の我」の顕われであるか、「ニセ物の我」の顕われであるかとういうことはどうして区別をつけたらよいのですか。

南――誰か悟りというのもを持って来て、これが悟りじゃと見せてくれませんか?

南――(誰も無言なので自分で悟って)心というものを見せてくれというのと同じか。ハッハッハッ……。

谷口――われらの実相は自他一体のものであるから、ヨリ多く自他一体の働きをするものはヨリ多く「本物の我」が顕われており、自他一体を切り割(さ)く働き――利己主義、忘恩、反逆などという「自他一体を切り割(さ)く働き」は「ニセ物の我」が顕われているのです。

4685a hope:2014/12/09(火) 22:00:41 ID:cEpBaIdo

>>4684 a hope所感)

自他一体を切り割く働きが、利己主義、忘恩、反逆などだとすると、その対義語を考えれば自己一体の働きということなのでしょうか?


利己主義(自分の利益だけを考え,他人を顧みないこと) ←→ 利他主義(利他を第一に考えて行動する主義)

忘恩(受けた恩を忘れること)←→ 報恩(恩返し)

反逆(権威・権力などにさからうこと)←→ 帰順(反抗をやめて服従すること)

また、以前、「自他一体の自覚」は生長の家の愛だともトキさまから教わりました。
今の「生長の家」にこの「愛」はあるのでしょうか?

4686a hope:2014/12/14(日) 18:51:48 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p49 後から7行目〜

谷口――病気の症状も「家庭の中の小言」と同じように、これは「身体(からだ)の中の小言」ですから、やはり、家庭の中の小言をなくする方法と同じようにして治るのですよ。

佐瀬さんのおっしゃった「小言も愛さなければならない、小言を言う人の身になって、ああ言って下さるのでありがたいと思うようになったら、かえって家庭の中の小言がなくなった」という事実と同じように身体(からだ)の中の小言でも同じことです。

身体の中にも治す力と舅姑(しゅうとしゅうとめ)がいて、それが自分の心、身体に応じて小言を言ってくださるのです。

その小言が熱となり、痛みとなり、苦しみとなり、吐瀉(としゃ)となり、下痢となって現われるのですから、自分の内部に働いている「自然寮能博士」という舅姑の心持ちになって、「こんなわたしの身体に気をつけてくださるのだ、ありがたい!」という気持ちになって発熱でも疼痛(とうつう)でもありがたく受ける気持ちになれば速やかにその病が治ってしまうのです。

4687a hope:2014/12/14(日) 18:53:59 ID:cEpBaIdo

>>4686 a hope所感)

『大調和の神示』に「天地万物に感謝せよ」とありますが、わたしたちは病気や犯罪、
災害等の自分にとって不都合にしか思えないことには、なかなか感謝できないのが普通だと思います。

ですが、『それをしなさい』と神さまは「大調和の神示」で繰り返されていますね。
実相世界は「感謝」で満たされていて、「病なく、迷いなく、罪なく」すべてが大調和しているのだから、
わたしたちもすべてに感謝できて、天地の万物と和解できれば、みんな、救われるのですよ、と。

そして、それができるのが「神の子人間」であり、それを人類に知らしめていくことが、
生長の家の「人類光明化運動」なのだと思いました。

4688a hope:2014/12/17(水) 09:59:01 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p50 6行目〜

谷口 ―― 雑念というのも、病気の症状や家庭の小言と同じことです。
小言は家庭を善くする働きであって、その小言の使命を知り、その小言はありがたいと思って反撥せずに素直に受けるようにしますと、自然と小言を言う必要がなくなって家庭が平和になり統一するのと同じように、雑念というのも実は心を平和にして精神統一をする働きがあるのです。
空の雲というものは一見、空を曇らしているように見えますけれども、雲というものは本当は空を綺麗にすみきらす働きをするものなのです。
(中略)
雲は空気を澄みきらす働き、症状は病気を治す働き、雑念は心を澄みきらす働きなのです。

4689a hope:2014/12/17(水) 10:00:08 ID:cEpBaIdo

>>4688 a hope所感)

途中、中略しましたが、ここに「空の雲」を例えにあげて、「業の自壊」(自壊作用)の説明がとても詳しくされています。
晴れ渡った実相世界から見れば、現象世界での様々な不都合と見える状態はすべてこの雲に当たるのですね。
そう思うと、なんだかどんな困難な現状でも冷静に対応できそうな気がします。

4690:2014/12/17(水) 10:10:20 ID:???

『生活と人間の再建』第11章「信仰生活の種々相」より謹写―

◆ 信仰の満潮期と干潮期

 吾々が真理にふれる時、そして神との接触が行われたと自覚された時、凡ゆる方面に吾々の生活が輝いて来て、病は癒やされ、家庭は調和し、事業は繁盛におもむき、「行く所可ならざるなし」というような状態になるのが普通である。そういう時にその人は信仰に熱がのっていて、所謂る「感激中」というような状態になるのである。所がその感激中は、そう長くは続かないのであって所謂信仰の「干潮期」がやってくるのである。最初に自分を感激せしめたその同じ真理が、今では一向自分を感激せしめないし、それに伴って自分をとり囲んでいる物質的環境も順調に行かなくなって色々の悩みやいらいらしさが現れて来るのである。
 ある場合には、自分自身又は家族の中に突然の病気が現れて来たり、愛する者との間に何か紛争が捲き起って来て耐えがたいような状態を演出することもある。暗黒が自分の周囲をとじこめて、迷宮はますます迷宮に入り、再び真理の光を見る望みは失われ去ったようであり、ともすれば、自暴自棄になろうとする。病気や周囲の不調和そのものの苦しみよりも、一度はあんなにも奇蹟を現して、自分に輝く世界を見せてくれていた真理が、今は何の効果もなく、この悩みを解決する力を失ったという事の打撃の方が、尚一そう痛切に感じられるのである。もう拠り所がない、もう掴むべき一筋もないというような時が往々にして訪れる。淋しい信仰の頽廃期である。

◆ 真理の種子は暗黒の中にも生長する

 かかる時吾々の魂は叫ぶ。真理は無力なのか? 信仰は無駄なのか? 祈りはきかれないのか? 否、否、祈りはきかれているのである。真理は有力に働いているのである。吾々はそれに対して信仰をもたなければならない。ただぐらつきかけているのは自分の信仰だけである。暗闇の中でも心臓は鼓動し、肺臓は呼吸して吾々を生かしている。かように、真理は吾々の暗黒期の中でも有力に働いていてくれるのである。祈りはきかれてすべてが順調に進んでいるのである。暗黒に見え、逆境に見えている時にさえも、真理の種子はそこに生長し、祈りはそこに実現すべく働いているのである。祈りによって蒔かれたる真理の種子は潜在意識の暗黒の大地の中に蒔かれていて、そこには日光が射さないけれども、種子は次第にふくらみかけているのである。そして、緑の小さい芽がその胚芽から生長し出でつつあるのである。吾々は一旦自分の潜在意識に蒔かれたる真理の種子が、もう芽をふかないかと思って、掘りかえしてみるような愚かな事をしてはならないのである。吾々が種子を目に見えない地面の中に植えつけて、その発芽するのを大地の力に任せてしまうかのように、吾々は祈りの結果を、祈りによって蒔かれたる真理の種子の生長を、神のみ手に完全に委ねて、神が神の方法によってそれを適当な時期に適当な形で、芽を出し茎をのばし、葉を広げ、蕾をつけさせてくれるまで待たなければならないのである。神に任せてこの待つ心のないものは遂に美しき花を見ずに終るかも知れないのである。

4691:2014/12/17(水) 10:11:16 ID:???

『生活と人間の再建』第11章「信仰生活の種々相」より謹写――

◆「現象の善さ」よりも「魂の善さ」を

 一たん蒔かれたる真理の種子は、吾々阿が信念の欠乏から、掘り返してみない限りは必ず膨脹し、必ず根を拡げ、必ず芽を出し、頭をもたげ、土を破るのである。その結果は破壊と振動とがその周囲に起るのである。それが起らないようでは、その祈りが効果があったというに足りないのである。新しい大きな芽が頭をもたげる時には大地の周囲が破壊するのである。かくて古きものは破壊し新しきものが現れるのである。周囲に起る不調和と見えたものは吾々が祈りを求めた新しき状態に移るために古き状態が真理によって爆撃されつつある光景にすぎないのである。これを吾々は「迷いの自壊作用」といって来たのである。この自壊作用そのものの中に神が吾々の祈りに応じ給うた解答があるのである。吾々はその変化の中に、擾乱の中に、不調和の中に、病気の中に、周囲の反抗の中に、祈りの実現しつつある過程を見て、感謝し得るだけの智慧をもたなければならない。吾々に必要なのは形の世界がすぐに調和してしまうということではないのである。神の求め給うのは吾々の生命の進化であり、魂の発達である。そんな擾乱の中に於いてすらも、その奥に神の智慧と愛との導きのあることを見得る所の魂の発達こそ、神が吾らに課し給うた所のものであるのである。吾々は直に小さな「現象の善さ」を求める。然し、神はもっと立派な「魂の善さ」を与えようと欲していられるのである。吾々が神の前にさし出す盃が余りにも小さいのである。吾々はもっと大きな盃をださなければ神の愛と恵みを完全に受けることはできないのである。神は吾々が形ある小さきものの成就を求めたのを契機に、形なき宇宙に拡がる魂の喜びを与えようとしておられるのであるということに気がつかなければならないのである。

◆ 解決を神の方法に委せ切れ

 もし吾々があらゆる方面に行きつまって何事も思うように行かないというような状態が信仰を得た後に、毎日祈っているにも拘らず現れたとしたならば、吾々は喜ばなければならないのである。それは大地がわれる程の大きなものが下から芽をふきつつあるのである。地面が動きだしたからといって、その地面の動きを征服しようと戦ってはならないのである。またその地面を平かにしようと鍬や鋤を加えてはならない。吾々は驚いたり騒いだりしてはならないのである。吾々は神に全托しなければならない。神は「神の方法によって」吾が祈りにこたえ給うのである。自分の我の心で「神の方法」を批判してはならない。かかる時に於いて我らの祈るべき言葉は、
「神よ、あなたの無限の智慧を以って吾を導き給え。神よ、この解決を貴方の方法にお任せ致します。今起っている事件の意義を知り得る智慧を与え給え、そしてこの試みに耐えてわが魂の発達致しますように」というようでなければならないのである。
 もし吾々が、祈りにも拘らずそこに現れた不完全な状態と見えるものに対して、恐れ戦き、或は周章狼狽し、我の心でその状態を変化しようと努力するならば、折角「神よあなたの方法にお任せ致します」と祈ったその祈りを、取消してしまうことになり、神の智慧に逆いて我の智慧を行使することになり、結局、祈った事物の実現をおくらしてしまうことになるのである。
 祈りは我々が神のみ心に対して完全に任せきり、「神の方法」に逆わなくなった時に、もっともなめらかに実現するのである。然しこれは時としては甚だ難しいことがあるかも知れない。ある場合には、今迄かくも愛し、かくも恩恵を与えてきた相手が自分に反抗して立ち、自分に矛を向けて、小さな欠点を鵜の目鷹の目で探しだし、恩を仇で返すような仕打をしてくることがあるかも知れない。そのような時に、普通ならば吾々は彼を憎み、自己を弁護するために、彼と同じように彼の欠点を数えあげて相手を傷つけたくなるであろう。然しそれでは決して神のみ心にかなうやり方ではないのである。かかる状態が自分の目の前に現れたということは、自分の魂がそれによって磨かれて、かかる敵をすらも愛する力を、わが魂に実現せんがための、神の摂理であるのである。

4692:2014/12/17(水) 10:16:53 ID:???


>>4688 a hopeさん

 上記は自壊作用に関する、私の好きな文章の紹介です。雅春先生は、本当に素晴らしいと思えます。

 さて以下に同書より、もうひとつ紹介します。祈りですが、「効果があるから不調和な事が起こるのだ」・・・・・その事がよく理解できる御文章です。そして不調和の中にあっても「これは、祈りの効果が現れつつある過程である」、そう確信できる御文章でもあります。ご紹介しますが、

『生活と人間の再建』第11章「信仰生活の種々相」より謹写――

◆ 祈りの反応としての不調和

 祈りの反応として現れて来る不調和な状態の中には、時として自分自身が病気になり、時として自分の愛する家族が病気に罹ることがあるのである。そんな時に祈りの効果を疑ってはならないのである。

 それはむしろ祈りの効果が現れつつあるのである。すべて古きものの破壊は新しきものの実現の場所を造りつつあるのである。

 発熱の中に、発疹の中に、下痢の中に、古きものが燃焼しつくされ、排泄され、新しき組織ができつつあるのである。これは祈りの応答として、神があなたに病気を課しつつあるのではないのである。肉体は魂の「機関」であり、精神の「座」であるから、発達せる魂が、尚一そう自由なる精神をその機関を使って働かせんがために、必要なる所の改造が行われつつあるのである。それは肉体の不調和の状態の如く見えているかも知れぬけれども、それは病気でもなければ不調和でもないのである。魂の機関が、精神の座が、それによって浄められつつあるのである。祈りの応答としてのかくの如き肉体の状態の意味を吾々が本当に知ることができるならば、吾々はその肉体の状態に対して、否、その奥に動いている所の浄化作用に対して「ありがとうございます」と感謝しなければならないのである。




4693「訊」:2014/12/17(水) 16:22:31 ID:???

 「web誌友会参考文献板」にも、自壊作用のご文章を掲載しました。199と200がそれです。

 ご参考になさってください。



4694a hope:2014/12/17(水) 22:25:15 ID:cEpBaIdo

>>4692「訊」さま

自壊作用に関する雅春先生の素晴らしいご文章をたくさんご紹介くださりありがとうございます。合掌。
拝読していて、「谷口雅春に訊け」ブログを思い出していました。

毎回、雅春先生やその御子弟の先生方のご文章にぴったりの音楽と映像をつけて紹介してくださっていて、
当時のわたしはあのブログにどれだけ感動してどれだけ救われていたかわかりません。
今となっては懐かしい思い出のようにもなってしまいましたが・・・。

ところで、「迷いの自壊作用」ですが、これぞ「生長の家」の〝個人救済の要〝 となる真理なのではないかと感じています。

わたしは「自壊作用」というと、聖経「天使の言葉」の冒頭にに収録されている「久遠生命」の神示を思い出します。

「久遠生命」の神示
(無相円相一切相の神示)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/1896
(帰幽の神示)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/1897


わたしは、人が本当に救われるというのは、病気が治ったり、お金に困らなくなったり、人間関係がうまくいったりするような、
現象的に都合がよくなるようなことではないと思っています。

どんな困難な事に出くわしても、神を信じて大安心の心持ちでいられるようになること、
「生き通しの生命」を心から信じられるようになること、
どんな相手であっても自他一体感を感じられるようになること、

そういうことではないかと感じています。

4695まこと:2014/12/17(水) 22:39:53 ID:bVgHiQ3c
雅則さんって
教えを何もわかってないのですねえ世襲って駄目ですね。
さ悟った人がなると良いですね。
物質無しをね。
な中々いないでしょうが。

4696まこと:2014/12/17(水) 22:48:20 ID:bVgHiQ3c
どんな困難に出くわしても、、、
行き遠しの命を信じて、、、
a hopeさん
そうですね、すごい!
そうなれない自分、いったいいつになったら、、

4697a hope:2014/12/18(木) 10:36:13 ID:cEpBaIdo

>>4695 >>4696 まことさま

web誌友会ご参加ありがとうござます。 合掌。

ところで雅則さんとは雅宣先生のことでしょうか?

わたしは、雅宣先生は「現象問題」に捉われすぎてしまって、
混乱されているように感じています。

その人が真理を悟っているかいないかは、完全に悟っている人ではないとわからないと思うのです。

だから、わたしたち一般人は、悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、
それが迷いだとは気づかないわけですから、同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います。

「生命の實相」は完璧な聖典です。
わたしたちは、本当の悟りが得たかったら、大悟された雅春先生の「聖典」だけを拝読していればいいのだと思います。

4698a hope応援団:2014/12/18(木) 10:51:20 ID:V8o5OZMU
その人が真理を悟っているかいないかは、完全に悟っている人ではないとわからないと思うのです。

だから、わたしたち一般人は、悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、
それが迷いだとは気づかないわけですから、同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います。

                     ↓
言葉を変えれば岡山の講習会参加者の半分が自由意思参加者として、4000人は迷いの淵に沈みつつある馬鹿者だということになる

4699トキ:2014/12/18(木) 11:14:22 ID:W358PcAI
 私が若いころは、まだ、谷口雅春先生の直弟子の方々がご存命でしたが、
こういう方々でも、晩年、

 「長年、生長の家をやってきて、やっと最近になって、谷口雅春先生の
言われていたことが少しわかるようになってきた。」

としみじみ述会されていたのを思い出します。現象の世界に生きる私たち
が、谷口雅春先生の教えを完全に体得するのは、少し時間がかかるのかも
しれません。谷口雅春先生ご自身が、「自分も一修行者」と言われていま
したが、進歩向上の余地が無限にあることに喜びを見出すべきなのかもし
れません。

4720a hope:2014/12/18(木) 19:02:05 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p52

荒川――われわれは過去にいろいろ「集積」があってそれを浄めるためにはいろいろの努力をしなければならない。
一朝一夕にその「集積」が集まらない。
善くなろうと思えども善くなれない憾(うら)みをうたた感ずるのであります。

谷口――達磨が「悟り」ということを言い出したために悟らぬ人が殖え、『大乗起信論』に無明の起源が論ぜられたために「無明」はあると思って迷う人が殖えたのです。
「無明」なんか本来ないのですよ。集積は無いから放っておけば自然に消える。
「迷い」は本来無いから放っておけば自然に消える。「ある」と思えば引っかかる。
無いとわかれば自由自在なのです。

荒川――なるほどよくわかりました。

谷口――「迷う我」が本来あると思うから、いろいろと苦労をして迷いから覚めねばならぬと思うのですが、「迷う我は無い」と知ったら「迷い」から覚めねばならぬと苦労する必要はない。
「迷い」から覚めようと苦労しないからいつまでも「迷い」ままでいるかというとそうではない。
心が「迷い」という自分の仮相のものに引っかからなくなるから、「迷い」が自然になくなるのです。・・・

4721a hope:2014/12/18(木) 19:06:45 ID:cEpBaIdo

>>4720 a hopeまとめと所感)

この後、雅春先生は『「迷う我」というものの考え方に三つある』としてその三つをご説明くださっています。(p52 後から3行目〜)

以下にまとめてみます。

「迷う我」の三つの観方

一、「迷う我」は無い(「生長の家」の考え方)
→「迷うまい」と自力的に努力しなくても、無いものに引っかかりようがないから、「迷う我」に引っかかりようがなくなり、自然に本当の自分が顕われてきて本来の自由自在な自分が顕現し現実の上にも人間がよくなる。


二、「迷う我」と見えるものも大生命の大きな一つの流れである(ショーペンハウエルの考え方)
→我欲の自分をそのままのさばらせることも大生命の働きだからそれでいいと肯定することになりこの世に修羅の巷(ちまた)を現出することになる


三、「迷う我」は大生命の顕われだけれども歪な顕われであるから、それを努力によって正しく修養してゆかねばならない(荒川氏の考え方)
→われわれは不断の努力がなかなか大変であって迷わぬまでに修養を継続してゆくことが果たして人間にできるかが問題になる


わたしは、「迷いは自由から来る」とご主張されている雅宣先生の「迷う我」の観方は、
この三番目の荒川氏の考え方によく似ているのではないかと感じています。

4745嘘つきトキ&「訊」応援団:2014/12/18(木) 22:45:17 ID:V8o5OZMU
削除合戦どうしたの

少し時間がかかるのかもしれません……嘘つきトキ

その人が真理を悟っているかいないかは、完全に悟っている人ではないとわからないと思うのです。
だから、わたしたち一般人は、悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、それが迷いだとは気づかないわけですから、
同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います。・・・a hope
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                     ↓
言葉を変えれば岡山の講習会参加者の半分が自由意思参加者として、4000人は迷いの淵に沈みつつある馬鹿者だということになる

嘘つきトキ&a hope&縹さんは 真理を知った偉い方なんですね  4000人もの信者の方を迷い道まっしぐらと云えるのですから

只今 訊けさん推薦で広報活動に参っています 耳触りのいい話で釣っておいて 実はここだけの話ですが 版が荒れ 教団と本流両方にダメージを与えて
 漁夫の利を狙っているのよ 私たち嘘つきトキ&訊けは

4746a hope:2014/12/18(木) 23:17:17 ID:cEpBaIdo

「嘘つきトキ&「訊」応援団さま」は曳馬野さまなのですか?

もし、曳馬野さまでしたら、いったいどうされたのですか?

雅宣先生が「生長の家」の正しいご教義をされているのなら、それでいいではないですか。
わたしのような信仰歴の浅い人間の掲示板での発言など誰も気にしないと思いますよ。

4748a hope:2014/12/18(木) 23:42:03 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p53 6行目〜

谷口―― (略)病気でも同じことで、「病気は自分の本来の姿ではない」と知っても病気の状態の実在を認めて「治そう治そう」と考えている間は病気に心がひっかかっていて治りにくいのです。
ところが、「病気の自分は本来無い」とわかれば、病気に引っかからなくなり、病気が消えてしまうのです。
「病気の我」も「健康の我」も同じく大生命の一つの顕われでありがたいという観方になれば、それでありがたいという平和な念を喚起して病気が治ることもありますが、病気の相(すがた)を人間本来、生命本来の相(すがた)だと肯定すること、たとえば我欲の自分も大生命の顕われだとそのまま肯定するのと同様になりますと、「迷いの自分」と「本来の自分」とを混同することになりまして、いつまでも迷いの世界に流転しなければならなくなるのです。
だから、どうしても「病気の自分は無い」と悟る、「迷うわれは本来無い」と悟る――そして常住悟っている、常住健康である自分を見出すことが最も勝(すぐ)れた悟りであって、病気の中に治そうとして働いている生命の力に自分の生命を観、神を見出すのはやはり病気の存在を認めているから最勝(さいしょう)の悟りとは言えないので、次善の悟りということになるのであります。

第一章終わり

4750嘘つきトキ&「訊」応援団:2014/12/18(木) 23:51:07 ID:V8o5OZMU
4000人からの人を迷いの道を進んでいると云ったのはあなた  あ な た

お偉いあなた あ な た なんです

4752a hope:2014/12/19(金) 00:04:03 ID:cEpBaIdo
>>4750 曳馬野さま

わたしはそんなことは言っていませんよ。
どこにそんな証拠がありますか?

4753トンチンカン:2014/12/19(金) 00:07:38 ID:r6TJQSCM

<転載>


1600 :トンチンカン:2014/12/18(木) 22:20:00 ID:r6TJQSCM

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
何故か、「苛立(いらだ)ち」を隠せない、マサノブ爺さん!!

賛同者(信徒)の激減に、「視界不透明」で失敗続き、アァ、八方破れの八つ当たりか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・30年も前から、「綿密に」マサノブ流の<主張>を画策し、清超先生の帰幽の後には、
 <独裁者>として君臨するに至ったのであります。

 <光明掲示板> 「<生長の家・30年の暗黒史>(改訂版)」、、、をご覧下さい!!
  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&amp;mode=res&amp;log=461


・「時代と共に変化する」、、との<詭弁>を弄し、雅春先生の説かれた<御教え>の根幹
 部分にまで手を着けるに至ったのであります。


・それだけではありません。 「原宿本部」は解体してしまったのです。 長崎の総本山
 は土足で蹂躙したのです。 ついには、「聖経もどき」までもが・・・


・内心では、「谷口雅春先生を超えた」気持ちだったのでしょうか・・・


・でも、でも、「信徒の目」は騙(だま)し切れるものではありません。


・最近の、「急激なる教勢の低下」こそが、すべてを物語っているのです。


・岡山の「講習会」では、「前回の受講者数」ではなく、35%も低く設定した「目標値」
 との比較をし、「目標を大幅に上回る受講者数」、、と、信徒の目を欺くような<手法>
 を取らざるを得ない所まで、追い込まれてきているのです。


・「衆生の救済」ではなく、「マサノブ爺さんご自身の救済」しか念頭にないのでしょう。


・コトここに至って、周囲に「八つ当たり」しても詮無いことではありませんか?


・「大調和の神示」を説きながら、「ご兄弟との大不調和」を省(かえり)みない、その
 根幹部分をこそ、徹底して<脚下照顧>していただきたいと思う次第であります。

4754嘘つきトキ&「訊」応援団:2014/12/19(金) 00:18:49 ID:V8o5OZMU
a hopeさんへの答え

少し時間がかかるのかもしれません……嘘つきトキ

その人が真理を悟っているかいないかは、完全に悟っている人ではないとわからないと思うのです。
だから、わたしたち一般人は、悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、それが迷いだとは気づかないわけですから、
同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います。・・・a hope
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                     ↓
言葉を変えれば岡山の講習会参加者の半分が自由意思参加者として、4000人は迷いの淵に沈みつつある馬鹿者だということになる

嘘つきトキ&a hope&縹さんは 真理を知った偉い方なんですね  4000人もの信者の方を迷い道まっしぐらと云えるのですから

4755a hope:2014/12/19(金) 00:56:15 ID:cEpBaIdo

>>4754曳馬野さま

お返事をありがとうございます。

ふ〜ん。
そういう風に飛躍して解釈されてしまわれたのですね。

でも、先ほども言いましたが、4000人の信徒さんの誰もわたしの発言など気にしないと思いますので、
そんなに感情的になってこの掲示板を荒らさなくてもいいのではないかと感じてしまいますが・・・。

わたしの発言で曳馬野さまがご気分を害されたのであれば、心からお詫びいたします。

4757「訊」:2014/12/19(金) 07:07:48 ID:???

BGM “Rom&eacute;o et Juliette-Aimer ”
https://www.youtube.com/watch?v=MuZ4-cdGgQE

>>曳馬野サマ

 ご立派ですが、認知症の貴殿へお知らせです。以下は、マチガイです。以下は誌友会スレでの、貴殿からhopeさんへのレスですが、

>>>ここに来ているのは『訊け』さんの許可のもとに来ています <<<

 と、ありますね。そして「ここ」とは「誌友会スレ」を指すわけですが「マチガイ」です。

 ・・・・確かに私はドンドンやってね、そう、申しましたよ。けれども「誌友会スレに関して」は、なんと書いていますか。誌友会スレに於いては「堂々のやり取り」を条件にしてます。堂々のやり取りを条件に「来られたし」・・・・当方はそう、申していたわけです。さて、ここで問題ですが、誌友会スレでの貴殿の御振る舞いは、「正々堂々」ですか。



追伸

>>トキ理事長

 誌友会スレの珍文ですが、削除願います。ええ、無論、そんな事をすれば「和解してない!」と(笑)そんな次元で攻撃されましょう(笑)。珍文を削除すると和解していない、そんな事になるそうですが、それでもヤリましょうよ・・・・・・・・。

4758神の子さん:2014/12/19(金) 08:07:00 ID:BSasglMk
203  御教の中へすーっと自分を入れて行く、後は神が好いようにして下さいます。
あとこちらは「WEB誌友会用の資料」を、確認するための場所です



4年経ってもこの掲示板なり生長の家の現状を神がよくしてくれないのは単なる能書きマンであることを証明してるのでしょうか?
「WEB誌友会用の資料」の価値がないと思われますね

それとも別の目論見で能書きするのでしょうか?
また始まったか嘘つきが 訊けの出るとこはどこでも行く 敢えて誌友会版に誘うのかね 荒れるようにしたいのですね と確認済み
嘘つきと話はしない 嘘つきトキ&訊けさん

4759「訊」:2014/12/19(金) 08:08:32 ID:???

>>>嘘つきと話はしない 嘘つきトキ&訊けさん<<<

 じゃあ、サヨウナラ(笑)。

 お疲れ様でした。

 もう、来ないでくださいね、おなごり惜しいですが(笑)

4761「訊」:2014/12/19(金) 08:13:19 ID:???

 ここをアラしては、いけません・・・・・OK?

 >>4757を再読されて、さらには「嘘つきと話はしない」を実行されて、今年の仕事納めを(笑)もう、早急に(笑)

4762神の子さん:2014/12/19(金) 08:23:49 ID:BSasglMk
203  御教の中へすーっと自分を入れて行く、後は神が好いようにして下さいます。
あとこちらは「WEB誌友会用の資料」を、確認するための場所です

4年経ってもこの掲示板なり生長の家の現状を神がよくしてくれないのは単なる能書きマンであることを証明してるのでしょうか?
「WEB誌友会用の資料」の価値がないと思われますね

それとも別の目論見で能書きするのでしょうか?
また始まったか嘘つきが 訊けの出るとこはどこでも行く 敢えて誌友会版に誘うのかね 荒れるようにしたいのですね と確認済み
嘘つきと話はしない 嘘つきトキ&訊けさん


嘘つき目論見さんが出てこなけりゃ静かなもんぜよ

4763「訊」:2014/12/19(金) 08:25:35 ID:???

>>>嘘つき目論見さんが出てこなけりゃ静かなもんぜよ<<<

 なぜか文末が土佐弁になっちゃいましたが、それは兎も角・・・・・・

>>>嘘つきと話はしない 嘘つきトキ&訊けさん<<<

 じゃあ、サヨウナラ(笑)。

 お疲れ様でした。

 もう、来ないでくださいね、おなごり惜しいですが(笑)

4764a hope:2014/12/19(金) 10:05:30 ID:cEpBaIdo

>>4756曳馬野さま

<<雅宣総裁は現象に引っかかり迷っている → 悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、それが迷いだとは気づかないわけですから、
同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います → 雅宣総裁は無視して雅春先生の著書だけ読もう

これがあなたの主張  発言を気にするしないの問題でなく あなたの主張が正しいか否かの問題です>>


わたしの言わんとしていることはまさにそういうことです。
わかりやすくまとめてくださり感謝したします。

わたしは、雅宣先生が環境問題に興味を持たれ運動をされるのはなにも問題ではなく、
むしろ「生長の家」の運動としてもふさわしいと感じています。

わたしが問題だと感じているのは、雅宣先生が
『その環境保護運動を正当化するために、生長の家の教えや伝統を都合のいいように変質させていってしまっている』
ということなのです。


わたしのこの主張が正しいのか否か、ぜひここで曳馬野さまやみなさまのご意見を伺いたいです。

4765「訊」:2014/12/19(金) 13:31:26 ID:???

>>a hopeさん

 やや、余談です。「こんな時こそ雅春先生」てな、そんな話です。

 さて、政治スレにも書いたのですが「我が国」は、これから益々・・・・・・・マズイ状況になりましょう。残念ですが、確定です。政府の予算額を見る限りまた、自殺者3万人を超える年がつづくと思います。自国政府が国民に「困窮化路線」・・・・これを強いているのですから、もう、どう仕様もナイ状況です。

 とまあ、五官で観る限りの話では、そうなります。

 五官で観る限りはそうなりますが、でも、我々には、谷口雅春先生がおられます。

 この事実がしみじみと、有難い昨今ですね。

 ・・・・・・いや、これ、私ですがもしも、「谷口雅春」という人物に出会っていなかったら、どうだったでしょうか。政府が今回発表した「数値」ですが、これを見た瞬間「狼狽した」と思います。狼狽して、とんでもナイ解決策をこれまた、人間智で打ったことでしょう(そして失敗した事でしょう)・・・・・

 五官で考える限りは絶望的ですが、私には「谷口雅春先生」がおられます。>>4507に書いた件を再読し、不足感をも礼拝していこうと思います。

以上、誌友会テーマとはやや逸れますがどうぞ、お許しください。今回感じた「不足感.」ですが必ず、大調和にて陰極陽転することでしょう。雅春先生がそう仰るんですから、間違いナイはずです。





4786a hope:2014/12/20(土) 09:46:33 ID:cEpBaIdo

>>4765 「訊」さま

<<我々には、谷口雅春先生がおられます。この事実がしみじみと、有難い昨今ですね。>>

こころから同感です!
現象的に、どんなに困難があろうとも、「生長の家の御教え」さえあれば、救われるのですからね!!

聖典「生命の實相」を拝読していると、至る所に「生命の實相」や「生長の家」誌等の
雅春先生のお書きになった『真理の言葉を』拝読するだけで病気が治ってしまったり、
家庭や職場の人間関係が改善したり、会社経営がうまくいったり、したという事実が沢山紹介されています。

その方たちは、べつに講習会に行かれたわけでも、練成会に参加されたわけでもなく、
ただ、『真理の言葉』を素直に拝読しただけだったわけですから・・・

web誌友会参考文献板に謹写してくださった、吉田國太郎先生のご文章にもありましたが、
 大切なのは「御教の中へすーっと自分を入れて行く」『幼な児のこころ』なのですね。

だからこそ、その御教えは、虚説であってはいけない、間違いのない完全な『真理』でなければいけないのだと思います。

4815a hope:2014/12/22(月) 22:11:29 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p56 後から7行目〜

…その時にわたしがしみじみ考えましたことはキリストが「なんじら誓うなかれ」と言ったことであります。
この世界にはいろいろの影絵が映し出される。
いろいろの人の念がフィルムになっていろいろの影が映る。
わたしの念ばかりがフィルムになってうつるのだったらそれはわたしの思うとおりにゆくかもしれないが、この世界は全体の念が集まってできたフィルムで映し出された世界であるから、わたしばかりの思うとおりにゆくものではない。
「誓う」ということは、このわたしばかりで決めたことに執着することである。
「こうします」と断言して、ほかの成り行きを許さないことである。
一つの行為に凝り固まって自分の生命の自由さを奪ってしまうことである。
このほかのことはしませんと自分の自由を限ってしまうから誓うということは悪いのです、遠方にいるのが見えるとか、未来にできることが予言できるとかいうのは神通力でありますが、どんな霊覚者でも未来に起るすべての事件を一度に知ってしまうわけにはゆかない。
未来はでいつつあるので固定しているものではないからであります。
だからどんな神通力者も一つのこの事件を起こらせようと一つのことに執着する限りは、この世の中はなかなか思うようにゆかない。

(中略)

どんな邪魔が来ても驚かないでその意味をしみじみ味わう、その邪魔に自分の自由を奪われないで、そこに自分の生長する道を発見する、すべてを融かして生長のほかに何もないようにする――これが本当の神通力であると考えます。

4816a hope:2014/12/22(月) 22:13:16 ID:cEpBaIdo

>>4815 a hope所感)

この第二章の内容は、雅春先生がまだバキュームオイルカンパニーの事務所で翻訳の仕事をされていた頃でしょうか、
三日会の集まりで講演を依頼されたときの内容のようです。
雅春先生は実際にはその集まりに遅刻してしまったのですが、その時の言い訳(?)みたいなお話をされていてとても興味深いです。

<<この世界にはいろいろの影絵が映し出される。
いろいろの人の念がフィルムになっていろいろの影が映る。
わたしの念ばかりがフィルムになってうつるのだったらそれはわたしの思うとおりにゆくかもしれないが、この世界は全体の念が集まってできたフィルムで映し出された世界であるから、わたしばかりの思うとおりにゆくものではない。>>

確かに「現象は心の影」であるのだけれども、雅春先生のような念の強いお方であっても、人類意識には逆らえないということなのでしょうか?

ですが、その思う通りに行かないような邪魔や障害物や敵でも心がけ次第で、
自分を生長させてくれる味方にしてしまうのが本当の神通力であると教えて下さっているようです。

4817a hope:2014/12/22(月) 22:17:28 ID:cEpBaIdo
>>4815訂正

未来はでいつつあるので→未来はできつつあるので

4858るん吉:2014/12/24(水) 06:55:44 ID:p..UGkhA
訊けさま
>>五官で考える限りは絶望的ですが、私には「谷口雅春先生」がおられます。>>4507
>>書いた件を再読し、不足感をも礼拝していこうと思います。

a hopeさま
>>こころから同感です!
>>現象的に、どんなに困難があろうとも、「生長の家の御教え」さえあれば、救われるのですからね!!

お二人様
有難うございます。困難のときこそ「実相独在」でした・・
私は今ちょっと問題を抱えてしまってまして。その途端、普段の「実相独在」と
思ってるつもり?が一気にどこかへ行ってしまいました。
「これが解決する?」てそんな気持ちになってしまいました。現象無しなのに・・
教えに触れて、20年以上・・・です。この教えが間違いはないと解ってるのにです。
訊けサンたちを見習います。
でも、訊けサンみたいに「声がきこえたりしたら、(魂できいてる?)いいな。裏山。

4859るん吉:2014/12/24(水) 07:00:43 ID:p..UGkhA
>>a hpopeさま
>>わたしは、人が本当に救われるというのは、病気が治ったり、お金に困らなくなったり、人間関係がうまくいったりするような、
>>現象的に都合がよくなるようなことではないと思っています。

>>どんな困難な事に出くわしても、神を信じて大安心の心持ちでいられるようになること、
>>「生き通しの生命」を心から信じられるようになること、

今の、私に必要なぴったりの文を有難うです。これから生きて行って困難が一つも無いわけがないですよね。
その時に、普通の解決の仕方(現象に注意を向けて、苦しむ)をしていたんでは
せっかく生長の家にふれたのにもったいないですよね。
有難うございました。

4891a hope:2014/12/24(水) 17:29:12 ID:cEpBaIdo

>>4858 >>4859 るん吉さま

わたしの発言に共感してくださり、ありがたいお言葉をいただき感激しています。

人の魂が救えない宗教はニセ宗教ですからね!
わたしの発言にるん吉さまが共感してくれたというのは、わたしにとって何より嬉しいクリスマスプレゼントです。

こちらこそありがとうございました。合掌。



ところでみなさま

今日はクリスマスイブです。
わが家では、今、ローストチキンの焼けるいい匂いがしています。

みなさんも、素敵なクリスマスイブをお過ごしくださいね!

メリークリスマス♡

4899るん吉:2014/12/24(水) 18:53:18 ID:p..UGkhA
a hope 様

そんな風に言って下さり有難うございます。
信仰歴は私なんかより、ずっと短いのに・・りっぱですよね。

私なんか、今更、物質有、現象無しになぞとても戻れないくせに

そのくせ、現象にとらわれて・・いやんなる、もうーっ。でつ。こんなざま。

訊けサンと、a hope さんの文をワードにきれ〜いに保存しました。

昔はブックマークしてたけど、いつなんどきなくなったら嫌だから保存、保存です。

何回も見て、かみしめる文章のひとつになりましたです。有難うございました

4912トンチンカン:2014/12/24(水) 22:25:17 ID:r6TJQSCM

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ヒキコ森」で、異常な<執念>で 「アラシ」 に耽(ふけ)る、マサノブ爺さん!!

他人の「HN」を、「トンチンカン」の名を、勝手に我が物としての <狼藉> です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・まあ、皆さん!! 見てやって下さい、、 「想像」してやって下さい・・・


・寒さ厳しき「ヒキコ森」にて、、、パソコンに向かって、<異常な執念>でもって張り
 付いている マサノブ爺さん を想像して上げて下さい・・


・『志恩さんお仲間が出来てうれしいです』、、なんて 表現 がありますが、マサノブ爺
 さんには、「お仲間」が居ないのですね?


・一人寂しく、「トンチンカン」に対する <怒り> を爆発させるのです。


・ある意味、お可哀相な、可哀相な、マサノブ爺さんでありますことよ・・・

4913神の子:2014/12/24(水) 22:40:27 ID:???
トンチンカンて変な奴

4914神の子さん:2014/12/25(木) 07:25:14 ID:QXuDEsMo
私が総裁でないことは、トキ訊けにはハッキリしているにもかかわらず、『トンチンカン』には一度も注意しないトキ訊けは確信犯である。

そして『トンチンカン』は気違いである

4915神の子さん:2014/12/25(木) 07:26:47 ID:QXuDEsMo
私が総裁でないことは、トキ訊けにはハッキリしているにもかかわらず、『トンチンカン』には一度も注意しないトキ訊けは確信犯である。

そして『トンチンカン』は気違いである

4916トンチンカン:2014/12/25(木) 11:40:06 ID:r6TJQSCM

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『私が総裁でない』、、と叫んでいる 「神の子さん(曳馬野)」爺さん!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・バレバレの 「曳馬野爺さん」、、、バレバレですよ!!


・「そして『トンチンカン』は気違いである」・・なんて、、、 また、これで<アラシ>
 ですか?

4917曳馬野:2014/12/25(木) 15:18:57 ID:c4sYVoOs
5579 :トキ :2014/12/25(木) 10:02:01 ID:vjAm3pEQ
>>5578

 曳馬野様の身元について、私は断言する証拠は持っていません。
ただし、私はあなたが総裁であるとは信じておりません。彼はあなた
ほど、下品な人間ではないからです。
もちろん、総裁である、という証拠も存在しません。
 しかし、個人的には、教団と何かの関係がある人間だとは信じています。
***************************************************************************************

馬鹿も休み休みなしてくれ

REMOTE_HOST 118-106-48-232.shizuoka1.commufa.jpこれを見てホスト規制したのじゃないか 静岡コミュファ これに四六時中つなげることが総裁に出来る訳ないだろ

4918a hope:2014/12/28(日) 12:41:43 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p59 後から7行目〜

わたしがここに来るについて実はわたしは話題というものをあらかじめ考えていなかったのであります。

わたしが「生長の家」というものを皆さんに宣伝し、ちょっとでもよいように「生長の家」を見せかけねばならぬとか、この「私」というものを少しでも偉く見せねばならぬとか、こう皆さんからわたしという人間をどう思ってもらわねばならぬとか相手から求める気持ちがあるならば、なんとかいろいろ本でも読んだり思想を練ったり準備をしておいて自分というものに箔(はく)をつけておかなければならぬ。
こう言ったら相手からなんとか思われやしないかと恐怖やら心配やらをしなければならぬ。

しかし、わたしはいっさい自分をどう思われたいとか「生長の家」をどう思われたいとか、自分の方から求める心を全然抜きにして、わたしという人間でもみなさんのお役に立ち相談相手になることができればなんでも訊いてもらいたい、何かのお役に立つならばそれを差し上げたい、こういうふうに上げたい一方で求める心なしに来ましたから、割合楽な気持ちでいられるのであります。
(つづく)

4919a hope:2014/12/28(日) 12:43:15 ID:cEpBaIdo

(a hope所感)

普通の人が講演会をする場合、あらかじめレジュメを用意したりしてその時間内にどんな内容の講義をするのか決めておくのだと思いますが、
真理を悟って神さまと一体化している雅春先生には、そんな必要はなかったのですね。

自分がどう思われるなどということはまったく考えず、ただただ相手のためになる話を神さまが与えて下さるのを信じて、
無我の心境でおられたのだと思います。

この雅春先生が講演を依頼された「三日会」という会には、霊眼の見える人、神懸かりする人、霊的治療のできる人などというような方々が集まって、
熱心に「道」の研究修行をされている場所のようで、講演後の質疑応答でも、雅春先生のご主張(生長の家の教え)に反駁するような、
かなり手厳しい質問をされていらっしゃる方もいらっしゃいます。

ですが、さすが真理を大悟されている雅春先生は、どんなご質問があっても淡々と真理のお言葉でお答えになっていて、
自由自在の心境であられる様子が伝わってきます。

本当に一度でいいから、雅春先生に直接お会いしたかった・・・・とわたしは感じてしまいます。

4920a hope:2014/12/28(日) 13:10:53 ID:cEpBaIdo

>>4918 a hope所感)

普通の人が講演会をする場合、あらかじめレジュメを用意したりしてその時間内にどんな内容の講義をするのか決めておくのだと思いますが、
真理を悟って神さまと一体化している雅春先生には、そんな必要はなかったのですね。

自分がどう思われるなどということはまったく考えず、ただただ相手のためになる話を神さまが与えて下さるのを信じて、
無我の心境でおられたのだと思います。

この雅春先生に講演を依頼した「三日会」という会は、霊眼の見える人、神懸かりする人、
霊的治療のできる人などというような方々が集まって、熱心に「道」の研究修行をされている場所のようで、
この講演後の質疑応答でも、雅春先生のご主張(生長の家の教え)に反駁するような、
かなり手厳しい質問をされている方もいらっしゃいます。

ですが、さすが真理を大悟されている雅春先生は、どんなご質問があっても淡々と真理のお言葉でお答えになっていて、
自由自在の心境でおられる様子が伝わってきます。

本当に一度でいいから、雅春先生に直接お会いしたかった・・・・とわたしは感じてしまいます。

4921a hope:2014/12/28(日) 13:13:26 ID:cEpBaIdo

トキさま

>>4919とこの投稿の削除をお願いいたしますm(__)m

4922神の子さん:2014/12/28(日) 13:33:33 ID:R4YKEcos

師の曰く、只こふして毎日是へ出まして皆の衆へあひますが、別に此方より皆へ何をいふて聞せうとも、思ひあてはござらぬ程に、何事成とも問度い事がらば、人々これへ出てとはつしやれ。
問はつしやれたらば、それについて何成ともいひ聞かせませう。是を皆へいふて聞せうと、思ひあては此方にござらぬ。


雅春先生に限らず、同じなんです。是は元禄の時代に語られたことです。私には特別扱いする気はありません。

4923a hope:2014/12/28(日) 14:45:21 ID:cEpBaIdo

>>4922 曳馬野さま?

すみませんが、ご紹介の文章の出典を教えて下さいませんか?

わたしは、雅春先生を特別扱いしているというよりも、真理を大悟された方にお会いしたいと思っているのです。

わたしは数年前ですがある地域で行われた「生長の家の講習会」に参加しました。
そして、直接、純子先生と雅宣先生のご講義を拝聴したのですが、なんの感動もなかったばかりか、
雅宣先生の講義内容に関しては、自分の理解している「生長の家の教え」とはまったくちがう解釈(?)をされていて、
驚愕し、その後気分が悪くなりました。

本当に申し訳ありませんが、雅宣先生に関しては、雅春先生と同じであるとはとても思えません。

4924a hope:2014/12/28(日) 15:32:00 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p60 5行目〜

誰でも自分の方へ求める心なしに与えたい一方でいるとその人の自己が拡大する。この自己が拡大するということが神通力であります。

普通の人は肉体的区別という卵の殻のようなものを作ってその中へ這入り込んで、ここからここまでの肉体が「自分」であってこれ以外は「自分以外」である、自分を大きくするためには自分の中へ他から取ってきて集めねばならぬように思っています。

こういうふうに自分というものを狭く考え、その考えで殻を作っていると人間は自由自在な気持ちになれない――すなわち神通力を失ったのであります。

ところが自分のことばかり考えないで、他の方へ与えよう、尽せるだけのものを与えようという気持ちになりますと、自分というものがこの肉体だけに狭く縮こまっていないで肉体という境を超えて他の人のことまでに及ぶようになる。

こうなりますと今まで自分というものはこの肉体の中だけだと思っていたのが、肉体の外の人々も皆自分であるとわかってくるのであります。

自分と他人とは肉体の上から観ますと一見別物でありますけれども、その「真如」すなわち「神性」においては自他一つである。

このことが、実際生活の上で他のためにしたい、他(ひと)に深切を尽したいと思ってしていると、自分ばかりのためだと思って我利的行為をしている場合よりも、気分がゆったりしてなんとなくいっそう広々とした幸福感を味わえるので自他一体ということが直観的にわかってくるのであります。

この他(ひと)に深切ということほど自分の気分を生かし、幸福にし、魂の奥底から幸福にするものはありません。

これは本来自分と他人とは一体だからであります。

4925a hope:2014/12/28(日) 15:34:08 ID:cEpBaIdo

>>4924 a hope所感)

これが、「自他一体の自覚」つまり「生長の家の愛」ですね!

よくボランティア活動をした時など、なんの報酬もなくても相手の喜んでくれている様子を見るだけで、
すばらしい幸福感を感じたりすることがありますが、そういうことなのではないかと感じています。

ところで、今朝の幸せの種メールの内容もこの「自他一体感」に通じる内容でしたので紹介させていただきます。

――――――――――――――――――――――――

○○さん、おはようございます!

-----------------

感謝する人と、感謝される人の心は一つになります。
人をたすけると、感謝されます。
感謝されると、感謝する人に感謝したくなります。

-----------------
【今日の名言】

感謝する心は、他人の心との一体感を感じる契機となります。
J・マーフィー
(米国の自己啓発家)

-----------------
【喜び上手】

家族が、お互いに感謝すれば、家庭の不和は消えます。
仕事で、お互いに感謝すれば、商売は必ず繁盛します。
感謝する人たちには、感謝の神様が降りてきて、幸せな世界を見せてくれます。
感謝ほど、気持ちのよいものは、ありません。

-----------------
【今日のポイント!】

感謝して、幸せになれ!

-----------------
さあ、「感謝の日曜日」です。
○○さん!
今日もぼちぼちいきましょうか!
p(^^)q よっしゃ〜

☆★☆★☆★☆★☆
★幸せの種メール★
☆★☆★☆★☆★☆

■あまくさチャンネル
世界と天草の感動の動画情報をご紹介します。
どうぞお楽しみください。

http://ama-ch.com

4926神の子さん:2014/12/28(日) 15:42:43 ID:PbwQ2xXs

>>すみませんが、ご紹介の文章の出典を教えて下さいませんか?

岩波書店 盤珪禅師語録 P88

>>わたしは、雅春先生を特別扱いしているというよりも、真理を大悟された方にお会いしたいと思っているのです。

今の生長の家、教団内在野を問わず居ないのではないでしょうか、この頃の楠本講師は知りませんので判りませんが、教団を去らずにおられることを考えますと
もしかすればですが。

禅の世界にならいるようですが。

4927a hope:2014/12/28(日) 16:18:08 ID:cEpBaIdo

>>4926 曳馬野さま

わたしは楠本加美野先生には宇治の練成会で何度かお会いしているのです。
講義内容は素晴らしかったですし、食堂でもお話しましたし、個人指導も数回受けました。
そして「病気が治る」「人間関係が改善する」などの奇蹟もたくさん起こされていました。

加美野先生は「生長の家の教え」を正しく伝授されていらっしゃる本当に貴重なお方だと感じています。

それなのに、今は、宇治を去られ、長崎の総本山に隠居されてしまわれたような方にになってしまっています。


何千人もの人が集まる「生長の家の講習会」では、加美野先生のように正しく「教え」を伝授されている講師がご講話をされれば、
確実に救われる人も増えますし、信徒の方々も他の方々をお誘いしやすいと思うのですが・・・。

なぜ、ご講義をされるのはいつも純子先生と雅宣先生だけなのでしょうか?

参加する人が救われない講習会なんて、時間とお金(浄財)の無駄遣いだとは思われませんか?

4928神の子さん:2014/12/28(日) 16:49:46 ID:R4YKEcos
>>これが、「自他一体の自覚」つまり「生長の家の愛」ですね!

「この世の中の千変万化を見て、見ている自己とみられる他己とが、別物でなくなれば、もうそれで万事畢了である。」と云った人がいる。


言葉は簡単であるけど、そこに行き着くためにプロの僧侶でも何十年の修業をしている。過って兵庫に福島先生と云う方がいましたが、見真会にお呼びした時に感じましたね、
一切裁かない人だと。飛田給に来られていた磯村先生にもいいもの感じました。

以来何人の強化部長が来たことか、只の一人として自然と頭の下がる人には会っていない。勿論私が阿呆であるからであるが。

4929神の子さん:2014/12/28(日) 17:08:17 ID:R4YKEcos
>>なぜ、ご講義をされるのはいつも純子先生と雅宣先生だけなのでしょうか?
>>参加する人が救われない講習会なんて、時間とお金(浄財)の無駄遣いだとは思われませんか?

まぁそういえば云えるけど、時間とお金(浄財)の無駄遣いだとは思わない人が沢山いると云うことですね。いくら救っても100年しか
もたない救いがね。鱈腹肉を喰らい酒を飲むこれが救いなのかな。

ノーミートなんて笑っていた人がいましたが。
貴女は肉を食べませんか?生きたいと思う動物を殺した肉は食べたくありませんね。中国とかロシアとかの経済が50年ごろの日本並みに
なって肉を食べますと、どんな食事情になるのでしょうか。

4930a hope:2014/12/28(日) 17:59:32 ID:cEpBaIdo

>>4929曳馬野さま

<<まぁそういえば云えるけど、時間とお金(浄財)の無駄遣いだとは思わない人が沢山いると云うことですね。いくら救っても100年しか
もたない救いがね。鱈腹肉を喰らい酒を飲むこれが救いなのかな。>>

そうなのですか、現在の「生長の家の講習会」つまり純子先生と雅宣先生のご講話が、
お金と時間の無駄だと思われていない信徒の方々が沢山いるということなのですね!!!

そうなのですか・・・

それなら仕方ありませんね。


それでは、たしか雅宣先生も純子先生も鶏肉は食べられるようですが、
にわとりは生きたいと思っていないのでしょうか?
魚も生きたいと思っていないのでしょうか?
野菜やフルーツも生きたいとは思っていないのでしょうか?

大自然に人間と同じような一体感を感じられているお二人には、
そのことは矛盾していないのでしょうか?


今回、純子先生が子供の貧困問題に対応された「長坂子ども食堂」というのをはじめられたようですが、
現代の日本社会では、親がどんなに貧乏でも、生活保護さえ受ければ少なくとも子供は食の貧困からは救われるのです。
それに、現在の子どのたちの貧困は、親の子育ての未熟からくるネグレクトがほとんどではないかとわたしは感じています。

ですから、純子先生や白鳩さんが戦後の配給みたいなことを始められても、
親の意識改革をしなければその運動は「焼け石に水」となってしまうと思うのです。

わたしは別に「長坂子ども食堂」を批判するわけではないですが、
それよりも「人間神の子」の「伝道」をして欲しいと感じてしまいます。

それをされないのであれば、それは「生長の家」の運動ではなく、純子先生の気まぐれボランティア活動なのだと思います。

4931神の子さん:2014/12/28(日) 18:20:59 ID:R4YKEcos
それでは、たしか雅宣先生も純子先生も鶏肉は食べられるようですが、・・・多分悟られていないのでしょうね。

にわとりは生きたいと思っていないのでしょうか?
魚も生きたいと思っていないのでしょうか?
野菜やフルーツも生きたいとは思っていないのでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
雅春先生はなんといっていますか。ご存知ですか。

4932きれいなジャイアン:2014/12/28(日) 18:34:02 ID:???
>>4930
食堂に来た子供達に真理を伝えると考えるのが普通

4933きれいなジャイアン:2014/12/28(日) 18:35:47 ID:???
肉を食べないのは命だけの問題じゃなくメタンガスが関係するのでは?

4934神の子さん:2014/12/28(日) 18:43:42 ID:R4YKEcos
それでは、たしか雅宣先生も純子先生も鶏肉は食べられるようですが、・・・多分悟られていないのでしょうね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
雅宣先生の食生活を直に見たのではありませんので、何とも言えませんね。
白鳩総裁は奥さんが自然となるだけのもので、純子奥さんが悟っているとは思えませんが、その奥さんが食事の世話をし、出されたものには感謝して頂くと云う、
生長の家流の生き方をしているのであれば、多分悟られていないのでしょうね、は言いすぎですね。

4935a hope:2014/12/28(日) 18:53:52 ID:cEpBaIdo

>>4931 曳馬野さま

<<雅春先生はなんといっていますか。ご存知ですか。>>

ハッキリと文献を示してお答えできませんが、 その真理は理解しているつもりです。

わたしが言いたいのは、純子先生と雅宣先生が人間や霊性の高い動物のような感情を、
その他の生物や鉱物も持っているように表現されていることに矛盾を感じてます。
(新バージョンの四無量心の神想観などの祈りの言葉を拝見するとですが・・・)

4936a hope:2014/12/28(日) 18:55:34 ID:cEpBaIdo

>>4932 >>4933 きれいなジャイアンさま

Web誌友会ご参加ありがとうございます。合掌。

<<食堂に来た子供達に真理を伝えると考えるのが普通 >>

その伝えて下さる真理が、本来の生長の家の「人間神の子」の真理であることを祈っています。


<<肉を食べないのは命だけの問題じゃなくメタンガスが関係するのでは?

たぶんそうだと思います。
でも、それって完全に現象問題ですよね?
現象問題に対応するのは間違いではないと思うのですが、「生長の家」ではそれ以前にする運動があるのではないかと感じているのです。

4937神の子さん:2014/12/28(日) 19:10:56 ID:R4YKEcos
>>4933

メタンガスの処理がしっかりできれば肉食してよい、というのではね。
中国10億の人たちが、しばらく前の日本のように肉食に邁進するようになれば、飼料確保が大変な問題になるでしょう。しかし本流さんのように中国を敵視するようで、どうやって中国人に
真理の伝道をするのでしょうか。日本人に対して雅春先生の時代にさえ、大したことはできなかったのにね。個人の救いを与えていくのが本来の生長の家という意見がある。

聞いてみたいですね、どのようにして中国人に伝道するのかを。環境問題では日本より4,50年遅れていて益々ひどくなるであろう中国の環境問題を、どのようにして個人の救いによって解決
していくのかな。

肉食しなければメタンも関係なくなる、佛教殺生戒を守り続けて、日本中津々浦々まで寺院があり、明治までの日本人が守ってきたことは驚嘆すべきことです。明治以後洋風化の中で肉食が
進んできたけれど、それまでは動物を殺す人たちを『四つ』と云って差別していたのでした。

生長の家人にして肉が好きという人は、何の悟りかと思います。

4938きれいなジャイアン:2014/12/28(日) 19:51:12 ID:???
確かに敵視している相手に真理を伝えるなんて無理だよね
メタンガスってのは以前、雅宣氏が書かれたものを少しだけ読んで、そういう考え方も
あるのかと思った次第

>「生長の家」ではそれ以前にする運動があるのではないか

これも言われてみれば、そうだなとは思うけど、形から入るってのもあったよ
どこで読んだかは覚えてない

4939神の子さん:2014/12/28(日) 20:49:28 ID:PbwQ2xXs
>>4935 わたしが言いたいのは、純子先生と雅宣先生が人間や霊性の高い動物のような感情を、その他の生物や鉱物も持っているように表現されている
ことに矛盾を感じてます。(新バージョンの四無量心の神想観などの祈りの言葉を拝見するとですが・・・)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
庭に石を入れた。大石を三人でコロに乗せて行った。石を動かしている私に、意志が囁いた。

「山で静かに暮らしていた私は、無理矢理にここまで運ばれて、無造作に転がされてから半年、随分身体が凝りました。でもこんど、ようよう
落ち着き場所を得られます。これらもすべて私の運命ですから仕方がありませんが、出来るだけ私の長所を生かすよう私の顔を正面に向けて下さい。
体も傾いたり横を向いたりしないようにして下さい。身体が凝りますから。できれば友達も欲しいものです」 春秋社 弓と禅 中西政次著より

「天地一切のものと和解せよ」は伊達や酔狂ではできないね、どこまで行っても一切のものだからね。観念でなく眞實天地一切と一つにならねば。

4940神の子さん:2014/12/28(日) 21:46:49 ID:PbwQ2xXs
庭に石を入れた。大石を三人でコロに乗せて行った。石を動かしている私に、意志が囁いた。
             ↓
庭に石を入れた。大石を三人でコロに乗せて行った。石を動かしている私に、石が囁いた。

4941志恩:2014/12/29(月) 08:03:36 ID:.QY5jUA6
a hopeさんへ

先日、よろこびの種メールを分けて下さったので、今朝は、私が お返しを。
今朝届いたばかりの種メールです。
----------------
【喜び上手】

志があれば、心が落ち着きます。

種が、将来にどんな花を咲かせるかを知っているように、将来自分がどんな人になるかを知っている人は、心がぶれません。

毎日、少しづつ、確実に、なるべき姿を目指して伸びていきます。

あなたは、あなたらしく花を咲かせるのです。

-----------------
【今日のポイント!】

自分らしい、花を咲かせよ!

-----------------
さあ、「希望の月曜日」です。
◯◯さん!
今日もぼちぼちいきましょうか!
p(^^)q よっしゃ〜
☆★☆★☆★☆★☆
★幸せの種メール★
☆★☆★☆★☆★☆

4942a hope:2014/12/29(月) 10:30:55 ID:cEpBaIdo

>>4941 志恩さま

よろこびの種メールのお返しをありがとうございます!

このメールサービスは素晴らしいアイデアだと思います。
毎日たくさんの人たちに幸せの種を蒔けるわけですから・・・。
毎日の「真理の言葉」に救われている人も多いと感じています。

わたしも自分らしい花を咲かせて、神さまに褒めてもらわなくては・・・(笑)


みなさま

いよいよ後、3日ほどで2014年が終わります。
わたしは土曜日に仕事納めをしましたが、家の大掃除がまだ終わっていません。
お休みなので、真理のお勉強もしたいのですがとりあえず家のことを済ませます。

お掃除するときも、「ありがとうございます!ありがとうございます!」と称えながらするのが、
「生長の家」の信仰ですよね。

そうすると、本当にありがたくなってくるから不思議です。

>>4939で、曳馬野さまが興味深いご文章を紹介してくださっていますが、
感謝の気持ちをもって扱うと、すべてのものに命が宿っているような気がしてくるから不思議ですね。

実相世界では天地一切ののもが大調和して感謝しあっているのですから、当然のことかもしれませんが・・・。

4943a hope:2014/12/31(水) 12:26:00 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第15巻 p83 後から4行目〜

大村――病人が子供で、お経をあげても、『生命の實相』を読んでも意味がわからなくっても効くんでしょうか。

谷口――それは効きます。一つは念の感応で効きます。こちらが解って読めばその悟りの念が感応するのです。
それから人間の意識は幾層にもなっていて「表面の心」は教育されたことだけしか知りませんが、奥底の心は今まで幾度も生まれ代わってきている霊魂の意識ですから、現世で教育されないことでも知っています。

野田――奥底の心は「守護神」の心のことだと思いますが。

谷口――奥底の心の中には守護神の心もあり、自分の霊魂の潜在意識もあります。

高橋――表面の心には理解できなくとも奥底の心が理解するということになれば、『般若心経』の棒読みでも効果がありましょうね。

谷口――無論効果があるはずですが、読み手が理解して読むといっそう効果があります。

高橋――お経の意味が解って効果があるという説でありますが、ちょうどそれと反対のことがあります。
ある所に御加持(おかじ)をして非常に上手に病気を治す婆さんがあったが、その御加持に唱える真言が「油虫そこ退(の)け」というものだったから、ある人がそれは「阿尾羅吽欠娑婆訶(あびらうんけんそわか)」のまちがいだと教えてやった。
それ以来婆さんは正しく教えてもらった真言どおりを唱えて加持するようになったが、かえって病気を治す霊力がなくなったという話があります。

谷口――阿尾羅吽欠娑婆訶(あびらうんけんそわか)を「油桶底ぬけ」と言って病気を治したという話も聞いています。

篠原――「尻々、マカ尻、尻々、ソワカ」と言って病気を治した人もあります。これは「修利修利、魔訶修利、修利修利娑婆訶」の間違いであります。・・・

4944a hope:2014/12/31(水) 12:29:08 ID:cEpBaIdo

>>4943 a hope所感)

この後、雅春先生は「表面の心」(現在意識)と「奥底の心」=『霊魂の意識(潜在意識)+守護神の心』について、丁寧にご説明くださっています。

この三日会のメンバーは、次々に雅春先生のご主張に反駁するような内容の質問をされるのですが、
雅春先生はけっして相手をそらすような投げやりな応答はせず、本当に丁寧に真理をお伝え下さっています。

この部分は、なぜ、「神想観」をしたり、聖典「生命の實相」を拝読したり、聖経「甘露の法雨」を唱えたりするだけで病気が治るのか、
その理由もお答えくださっているのですごいです!

4945a hope:2014/12/31(水) 12:30:33 ID:cEpBaIdo

トキさま、みなさま

今年もこのweb誌友会板でたくさんお勉強させていただきました。
大好きな聖典「生命の實相」をここでみなさんと一緒にお勉強できてわたしは本当に幸せです。 感謝 合掌。

世の中にはたくさんの真理に関する著書が出回っていますが、本当に悟りたいのであれば、
「生命の實相」のみ何度も拝読するのがいいのではないかとわたしは感じています。

これで、今年のお勉強を終わらせていただきます。

今年も大変お世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

a hope

4946トキ:2014/12/31(水) 17:33:57 ID:pATDsQJw
 本年も弊掲示板をご利用くださり、心から感謝申し上げます。
管理人としては全力を尽くしたつもりでありましたが、徳が足りず、
皆様に多大なご迷惑をおかけした事と思います。

 にもかかわらず、多数の方々が、この掲示板をご利用下さり、
本当に嬉しく思います。

 いろいろな事がありましたが、来年もこの掲示板をよろしくお願いします。
最後になりましたが、来年が皆様にとりまして、佳き1年でありますよう、
心からお祈り申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4947神の子さん:2014/12/31(水) 19:31:19 ID:bVgHiQ3c
投稿出来るしあわせ、また、楽しさ
、、ありがとうございました
良いお年を、

4948a hope:2015/01/01(木) 21:54:39 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第31回 web誌友会 案内

期間  1月1日〜1月31日まで
テキスト 「生命の實相」第15巻 人生問答篇 上 
内容  第三章 生きる道の座談会〜
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4949a hope:2015/01/01(木) 21:55:46 ID:cEpBaIdo

新年 明けましておめでとうございます。

1月に入りましたので、第31回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4950a hope:2015/01/01(木) 21:57:13 ID:cEpBaIdo

続きまして、宇宙浄化の祈りをこめて・・・


聖経「続真理の吟唱」より
〈住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り〉

生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給え。
吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の機能。
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし生長の家の大神守りませ。

(招神歌四首朗誦の後、次の如く祈る)

龍宮実相世界の本宮にまします住吉大神の御前に谷口雅春(ここへ各人の姓名をとなえる)畏みかしこみ祈り奉る。

大神よ、龍宮の本宮より出御(しゅつぎょ)ましまして、大神の稜威(みいつ)をあらわし給いて、
現(うつ)し此の世の迷いの雲を祓い給いて、宇宙いよいよ清まりて、日本国の聖なる実相を顕現せしめ給え。
天照大御神の大御光(おおみひかり)を岩戸の彼方に幽閉することなく、その大御光をあまねく六合(りくごう)に照り徹(とお)らしめ給え。
すめらみことの身に恙(つつが)なく、憂えなく、その御徳(おんとく)いよいよ冴え輝きて、
此の世の人々悉くその光を仰ぐことを得せしめ給え。

凡そ〝悪〝と見ゆることは、実は〝悪〝が存在するにはあらずして、
天照大御神の御光がいまだ其処にあらわれざるという消極的な姿にてあれば、
天照大御神、天之岩戸より姿をあらわし給うならば、光が必ず闇を消すごとく、
此の世のすべての暗雲と不浄と争いと戦いと混乱と騒擾(そうじょう)とは消え去りて、
あとかたも無く、光あまねく人生の隅々までも射貫ぬきて、
一切の禍と不幸とは此世よりその姿を消し去ること必定なり。
今より後、人類に悲しみなく、嘆きなく、苦しみなく、ただ喜びのみに満たされて、
人生の不幸ことごとく消え失せん。

住吉大神、龍宮実相の本宮より出でまして、尽十方(つくし)の光明遍照(ひむか)の、
竪端(たちばな)の音霊(おと)のひびきにて宇宙を浄化したまう時熟しぬ。

堅端の音のアハギが原とは、〝今此処〝の祓いの事であるのである。
即ち迷いをハギ取り実相の完全さを開顕するための言霊五十音配列の竪(たて)の端(はな)にある
〝アオウエイ!!〝の母音が唱えられる場所のことであるのである。
発声の語尾にアオウエイの音霊(おんれい)をつづけるとき、
宇宙すべての言葉は浄まりて、
一切の災いも、病いも、悲しみも、悩みも悉く雲散霧消(うさんむしょう)して、
住吉大神の御光あらわれ、
一切の〝悪〝と見えるものは消え去り、
すべての妖雲はその姿を消し、
今まで覆われていましたる天照大御神の大御光は白日となって六合(りくごう)に照り渡り、
万物・万生ことごとく、その光を受けて、
暗黒は消え、禍は滅し、病いは癒え、争いはなくなり、
まことに天国浄土を今此処に顕現するのである。

そのゆえに我れ今〝竪端の音霊(おと)〝を大神の光を迎え奉るコトバの力として恭(うやうや)しく唱え奉る。

(朗らかに高音にて次の如く朗吟する)

アー、オー、ウー、エー、イー!!
アー、オー、ウー、エー、イー!!
アー、オー、ウー、エー、イー!!(三回)

(かくて宇宙浄まりて天照大御神輝くことを心に瞑視しながら、〝みすまるの歌〝を次の如く朗誦すること二回)

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり。
天照す御神の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり。

4951a hope:2015/01/01(木) 22:01:44 ID:cEpBaIdo

生命の實相第1巻 p30 

多くの富める家庭が不幸であり、病人が絶えないのはなぜであるか。それは貧しき人人から発せられた呪いの感情波動の支配下にあるからであります。

みなさんはブランコに乗って見られたことがありましょう。同じ小さい力でも、それが加わる回数が重なるにつれて大きく揺れて来るのであります。しかし大きく揺れて来ない前に、またぜんぜん静止させてから揺るならば、そのブランコは永遠に大きく揺れてこないのであります。

われわれはこのブランコの原理を利用すべきであります。呪いや、悲哀や、憎悪の感情波動がわれわれの頭脳に感応してわれわれをいく分不快にしたときには、われわれはさっそくこの全集または『生長の家』誌を開いてそこに書かれてある善き言葉を読めばよいのであります。

揺れかかっていたわれわれの感情のブランコはたちまち平静に立ちかえる。われわれの感情波動の波長が、もうその呪いの感情波動に合わなくなります。こうしてわれわれの感情は再び愛と平和と幸福にみたされ幸福生活を築く基礎ができるのであります。

毎日このことを繰り返せば毎日愛と平和と幸福とに心が充たされる。これは幸福を求める人の毎日繰り返さなくてはならない必須のことであります。一回きりで読んで止めてしまうようでは、せっかく善い方向に振れかかったブランコも停まってしまうように、諸君の運命の良化も停止してしまうのであります。

「精読八回自分は境遇を一変した」と一読者はいったがそこに真理がふくまれているのであります。ドシャ降りも一回では石に穴を穿つことができないが、繰り返すとき点滴よく運命の石を穿(うが)つのです。

自分はこの意味においてこの全集が繰り返し読まれることを希望します。朝起きた時、眠りに入る時、電車や汽車の中の暇な時間に、またお昼の休憩時間やこれから誰かに面会に行こうとする前に、この『生命の實相』の一ページがどんなに諸君の運命を幸運にするでありましょう。

しかし言葉はそれになれて来るとき新しく心を打つ力を失うのであります。わたしはこの意味において、『生長の家』を毎日毎日新しく書いて皆さんの座右に届けたいのであります。けれども時間の制約の関係もあり現在新しい言葉の力としては、『生長の家』『白鳩』『理想世界』『理想世界ジュニア版』『光の泉』『精神科学』や、英語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語の〝生長の家〝 が出ています。せめていずれか毎日一回は読んで下さい。これが諸君の運命の石を穿つ点滴であります。

だからぜひとも毎日一回は光明思想の本を開いて下さい。本書に飽きてきたら右の諸雑誌を読んでください。いずれにせよ、繰り返し繰り返し読んでください。やがて諸君の思考が根本的にあらたまる時が来ます。それが徐々であろうとも、あるいは急激であろうともその時諸君の運命も根本的にあらたまり、病は癒やされ、境遇は改まり、欲する事物が自由自在に集まる境地になられるに違いないのであります。・・・

4952a hope:2015/01/01(木) 22:04:04 ID:cEpBaIdo

>>4951 a hope所感)

年が明けて新しい年になり、わたしも新たな気持ちで「生命の實相」をお勉強して行きたくなりました。
そこで、今日は第1巻をもう一度読み返しています。

『黙示録』第一章、十二節――二十節
『七つの燈台の点燈者』の神示
『生命の實相』の頭注版に序して
初版のまえ書き
七つの光明宣言
総説「七つの光明宣言」の解説

と読み進みましたが、久しぶりだったからでしょうか・・・すべてのコトバがとても新鮮に魂にジンジンと響いてきます。

『生長の家の教え』ってやっぱりすごいですね!
あらためて感動しています。

小さな力でも、続けて揺らし続けることで大きな揺れを起すブランコのように、
今年もわたし、a hopeは「生長の家」の家の聖典『生命の實相』を学び続けたいと思います。


トキさま、みなさま

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

感謝 合掌。

4953るん吉:2015/01/02(金) 09:23:44 ID:p..UGkhA
a hopeさま

あけましておめでとうございます。うちの方も今日は、外の道も溶けてきたけど雪でぐちゃぐちゃ。

自分はどっちかと言うと、家の中にじっと居るのが苦痛のタイプですが、今日は家に居るしかないかも。です。

私は、12月から、今までのweb誌友会や聖典引用板から、自分にとってハッとなった文章等を保存していってる

最中です。まだ、ワードにして6枚くらいです。が、今日はこの作業中心にやっていこうと思ってます。

私は、毎日真理の言葉に触れていませんでした。いざと言うとき、何にも解ってないことに、思い知らされました。

『現象有り』 という、普通の考えが殆どを占めていました。そりゃ、毎日真理の言葉に
触れてないと物質の中に住んでるのだから『物質無し』とは思うのは難しいですよね。これからは、『実相独在、現象無し』 に毎日 触れて行かねば。と思ってます。

a hopeさんは、毎日、毎日、真理の言葉を書かれてましたね。web誌友会も常に参加してリードされてきましたね。凄いですね。

だから、現象無しも実相独在も、きっちり身についてらっしゃるんですね。

4955るん吉:2015/01/02(金) 14:31:39 ID:p..UGkhA

>>多くの富める家庭が不幸であり、病人が絶えないのはなぜであるか。それは貧しき人人から発せられた呪いの感情波動の支配下にあるからであります。



これ、本当でしょうか? 自分の影なんじゃないのでしょうか?

4956a hope:2015/01/03(土) 00:25:15 ID:cEpBaIdo

>>4953 るん吉さま

新年のご挨拶をありがとうございます!

<<『現象有り』 という、普通の考えが殆どを占めていました。
そりゃ、毎日真理の言葉に触れてないと物質の中に住んでるのだから『物質無し』とは思うのは難しいですよね。
これからは、『実相独在、現象無し』 に毎日 触れて行かねば。と思ってます。>>

『実相独在、現象無し』を頭で理解するのと、悟るのとは全然違うと思うのです。

聖典『生命の實相』等を拝読して、すぐに病気が治ったり、不調和な人間関係が良化されたり、事業がうまくいったりするのは、
神が奇蹟を見せることで、「現象は心の影」であることを知らしめてくださっているだけなので、
そのことに満足して真理への探究心を失ってしまったら、永遠に悟る(本当に救われる)ことはないと思うのです。

ですが、雅春先生がご存命の頃は、その光明思想の念波が強烈だったために、神の奇蹟があまりに簡単に起こってしまい、
多くの信徒は「現象的な救い」が「本当の救い」であると勘違いしてしまっていたのではないでしょうか?

そして奇蹟すら起らなくなった現在に至っては、信徒さんたちは真理を悟るための「聖典拝読」や「神想観」も、
あまり熱心に行じなくなってしまっているのではないでしょうか?
あくまでも、わたしの推測ですが・・・・。

きっと、信仰歴も長く、縦の真理と横の真理をとてもよく理解されているん吉さまですから、
わたしなんかよりもずっとよく「生長の家」の信仰を理解されていると思いますが、
聖典にもありますが、わたしも、本来の生長の家の信仰には、聖典(光明思想のコトバ)の拝読、これは欠かせないと感じています。


ですが、わたしは、現在の「生長の家」総裁・副総裁である谷口雅宣先生や純子先生のご思想は、
「生長の家」の光明思想であるとは思っていないので、そのご著書や祈りの言葉、経本等はできるだけ拝読しないようにしています。

4957a hope:2015/01/03(土) 00:28:53 ID:cEpBaIdo

>>4955 るん吉さま

どなたからも、お返事がないようなので、

『多くの富める家庭が不幸であり、病人が絶えないのはなぜであるか。それは貧しき人人から発せられた呪いの感情波動の支配下にあるからであります。』

に関して、わたしの解釈を述べさせていただきますね。


「現象は心の影」というのは真理ですから、誰かが現象的に病気になったり不幸になったりするのは、
確かに、誰かの「心の状態」が反映しているからだと思います。

ですが、それがいつも現世の自分自身の心が直接的に反映しているとは限らないと思うのです。

この場合は、貧しき人々からの悪しき感情波動を受けた結果、受けた本人も悪しき感情に捉われてしまい、
その心の影で不幸や病気が現れているのだと思うのです。
(その感情波動を発する相手が、ご先祖さまであれ、家族であれ、人類意識であれ、また過去生の自分であれ、同じことが起ると思います。)

本来わたしたちは「自他一体」ですから、相手と感情波動が合ってしまえばその感情はすぐに伝染してしまいますからね。

だから、そういう意味で、るん吉さまがおっしゃる <<これ、本当でしょうか? 自分の影なんじゃないのでしょうか? >>
というご解釈は正しいのではないかと思います。


わたしは過去に気功をしていたこともあるので、他人の気や感情波動にはとても敏感で、
以前は他人からの悪感情(邪気)をとても受けやすく、受けてしまうと自分自身もネガティブな感情に捉われて、
その結果、体調を壊したり運気が下がったりてしまうということが頻繁にありました。

ですから、色々な邪気除けをしなくてはいけなくて大変でしたが、幸運なことにわたしは世界最高の聖典「生命の實相」に出会いましたから、
もう、今では邪気除けする必要はまったくなくなりました。

ですから、そういう邪気除け(厄除け)という意味でも、聖典を拝読するのはとても功徳があると信じています。


注)以上、わたしの個人的な解釈ですので、間違いがあったり、野狐禅だったりする可能性があります。
遠慮なく、ご指摘、ご指導をお願いいたします。

4958神の子さん:2015/01/03(土) 18:57:10 ID:p..UGkhA
a hopeさま
>>信仰歴も長く、縦の真理と横の真理をとてもよく理解されているん吉さま


そんな風に言って下さり・・・い、今全然ですぅ。なんか真理がごちゃごちゃになってしまい
ました。現象無しが、そして実相独在が 自分にとって難しく難しくなってます。今・・

>>わたしは過去に気功をしていたこともあるので、他人の気や感情波動にはとても敏感で、
以前は他人からの悪感情(邪気)をとても受けやすく、

あ、そうだったんですか。じゃあ、他からの波動を受ける つうのも体験されてるんですね。
解りやすい説明を有難うございます。

4959a hope:2015/01/03(土) 23:19:05 ID:cEpBaIdo

>>4958 るん吉さま

<<なんか真理がごちゃごちゃになってしまいました。
現象無しが、そして実相独在が 自分にとって難しく難しくなってます。今・・>>

とのことですが、わたしはちょうど今のるん吉さまと同じような状態になった時があるのです。

それはもう今から4年以上前になりますが、わたしが『生命の實相』に出会い、その真理に触れて感動し、
もっと「現象なし、実相独在」の真理を学びたいと思って「生長の家」教団に入信した後のことです。

その後、信徒さんに勧められて、雅宣先生のご著書を拝読したり「祈りの言葉」を唱え始めてからるん吉さまのような混乱状態に陥りました。

そうなってしまうと、当初あれだけ感動していた聖典「生命の實相」の真理の言葉が全く頭に入らなくなり、
意味も全然通じなくなり、読めば読むほど混乱していき、おまけに体調までおかしくなりました。

それは、実相一元の「現象なし、実相独在」の真理を説く聖典「生命の實相」と、
現象の環境保護運動に生長の家の真理を利用されているような雅宣先生のご著書を一緒に読むことで、
魂がパニックを起こしたのだと思います。

るん吉さまが、雅宣先生のご著書を読まれているかどうか知りませんが、
もし、るん吉さまが教団に在籍されていることで、否応なしに雅宣先生のご思想の影響を受けられているとすると、
それが原因でそのような混乱状態に陥ってしまっている可能性もあるのではないでしょうか?

ですから、「現象なし、実相独在」の真理を本当に悟りたいのであれば、
確実に「現象なし、実相独在」を大悟されている雅春先生の聖典だけを拝読し、
本来の「生長の家」の信仰をしていくのがBESTなのではないではないかと感じています。

るん吉さまがこのweb誌友会の内容をワードの保存してくださっていると聞いて、本当に嬉しく思っています。
これからも、一緒に「生命の實相」を学んでいってくださると、とても心強いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

4960るん吉:2015/01/04(日) 09:32:58 ID:p..UGkhA
a hopeさま

レス、有難うございます。a hope様、私は雅宣先生の本なぞ読む気は全くありません。

だから、総裁の本のせいではありません。現象無し、実相独在 を必死に読んでます。しかし、今まではあまり読んで無かったのです。

なんとなく「解ってる」と思ってたからです。でも ちょっと壁にぶつかる出来事がありまして

その途端、現象にとらわれてしまいました。何にも解ってませんでした。

現象無し が真理だと解っていながら、現象につらい事があると、現象にとらわれてしまったんです。で、今、おくらばせながら必死に読んだりワードに移したりしてます。

今更、『現象あり』の仕方で解決しようとしたり、あるいは「現象有」の普通ぽっちの考え方で生きて行ったんでは、なんのために20年

やってきたのか解りませんし・・ a hope様みたいに、毎日、毎日真理に触れていきます。有難うございました。

4961a hope:2015/01/04(日) 22:12:38 ID:cEpBaIdo

 「生命の實相」第15巻 p101 後から4行目〜

谷口――それもけっこうですが、宗教というものは、お経や聖書の講義の中にあるのではありません。むろん、お経や聖書には真理が書いてある。だからはなはだありがたいのです。しかしその解釈にいたっては、その人、その人のサトリによっていろいろに解釈されるのであります。

親鸞聖人と日蓮上人とはいずれ劣らぬ名僧でありながら、釈迦のお説きになりました仏法を全然ちがうように解釈された。親鸞聖人が「ただ念仏さえとなえればほかの行は何一つせいでもよい」と言われると、日蓮上人は全然反対に「念仏など称えていると無間地獄へ堕ちるぞ」と言われた。

どちらもえらい名僧で学問は衆に秀でている。どちらもお経の一字一句の意味が解らぬという人ではない。それだのにお経の説き方は全然別になった。だからお経の一字一句がわかったとて、本当のサトリが得られるにはきまっていないのです。

日蓮上人の説き方が正しいのか、親鸞聖人の説き方が正しいのかは、日蓮上人、親鸞聖人以上の名僧でないと判別することができない。本当のサトリというものはお経の語義の中にあるのではない。

あなたは「一燈園は宗教ではない」と言われましたが、一燈園でも立派な宗教です。「生長の家」もまた見方によれば宗教です。宗教というものはお経の文字の講義をしたり講義を聴いたりすることではない。道に随った生活をするのが宗教的生活で、道というものを指し示す教えが宗教である。

道は必ずしも何々教というものの中にはない。何々教という立派な名義の中にいて、お経やバイブルの講義をどんなに立派にしても、道をはずれた行いをする人は宗教家とはいえない。それは宗教業者です。既成宗教はだめだという声が聞こえるのもそのためである。既成宗教がだめなのではない、宗教業者が宗教を形ばかりにして生命のないものにしたのです。

これに反してお経の一字も解釈しえないでも、道にかなった行いをする人は宗教生活者です。だから宗教の開祖にはずいぶん無学な人が多い。天理教祖でも、金光教祖でも、大本教祖でも、みんな無学である。無学の人が「道」にかなった行いをした。そこで無学の人と、天地に満ちている「道」とが一体になった。そこで「道」というものが、その無学の人を通して真理の響を奏でる、これが宗教(おしえ)というものです。

教祖が無学な場合には、一絃琴(いちげんきん)のような簡単な言葉で「道」を説かれた。しかし「道」というものは、天地にミチ、すべての人の真心の内にミチているので、真心をハッキリさせている人なら必ず共鳴する。そこで多数の人々が共鳴し信者となって集まって来る。

集まった人々の中には学者もあれば、教祖が簡単な単純な言葉で伝えられた「道」をいろいろ学者ぶったありがたそうな複雑な言葉で説明する。そこで表面はますます厳めしくなり、立派になってくるけれども、それを説く人の生活が道にかなわないと、だんだん、本当の「道」が奥の方に埋もれてくるのです。

はじめに権威のあった宗教がだんだん権威がなくなってくるのは、たいていそういう経路をとるものです。

4962a hope:2015/01/04(日) 22:17:21 ID:cEpBaIdo

>>4961 a hope 所感と提案)

この雅春先生のお話の前に、宮岸さんという方がお話をされています。
その内容を要約すると「自分は宗教が好きであるから、聖書の講義を聴いたり、仏典の講義を聴くとかして、本当の安心の深い生活をしたい。以前「一燈園」に入ろうとしたが、「一燈園」は宗教でないからやめた。自分の家の近くにお寺があるので、そこのお経の講義を聴きに行かせてもらおうかと思っている」というものです。
それに、雅春先生が答えになったものが、上に謹写した内容です。


『何々教という立派な名義の中にいて、お経やバイブルの講義をどんなに立派にしても、道をはずれた行いをする人は宗教家とはいえない。それは宗教業者です。』

『集まった人々の中には学者もあれば、教祖が簡単な単純な言葉で伝えられた「道」をいろいろ学者ぶったありがたそうな複雑な言葉で説明する。そこで表面はますます厳めしくなり、立派になってくるけれども、それを説く人の生活が道にかなわないと、だんだん、本当の「道」が奥の方に埋もれてくるのです。
はじめに権威のあった宗教がだんだん権威がなくなってくるのは、たいていそういう経路をとるものです。』


これって、今の「生長の家」教団のことなのではないでしょうか?
「生長の家の教え」を説いて下さっている、総裁や副総裁がご家族や本流の先輩方と和解してくださらなければ、
本当の「道」はどんどん奥の方に埋もれ、「生長の家」の権威もどんどんなくなってしまうということですね。

それ以前に、創始者である谷口雅春先生の残された聖典「生命の實相」のない「生長の家」教団は、もはや宗教団体とは言えないのではないかとも思いますが・・・。

これはわたしの個人的意見ですが、「生長の家」教団はいっそのこと、宗教法人からNPO法人か何かに方向を転換されたらいいのではないのでしょうか?

その方が「生長の家」教団の職員の方々や信徒の方々も、いろんな意味で救われるような気がします。

そうすれば、全信徒に「信仰の自由」が戻ってきますからね。
誰に遠慮することなく、雅春先生の説かれた万教帰一の「生長の家の教え」を信仰できるわけですから・・・。

雅宣先生、教団本部の方々、もしこの掲示板をご覧でしたら一考してみてください。

4963a hope:2015/01/06(火) 11:01:18 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第1巻 p139 後から6行目〜

われわれが未来の不幸を避けるためには、その不幸を予知する霊感などいくらもっていてもなんの役にも立たないのであります。予知された未来はすでに起こりずみであるからそれを取り消す道がない。それを取り消そうとあせるのは活動写真の映写機に一定の事件のフィルムをかけて活動写真を写しながら、舞台面の映画を消しゴムで消そうとするのと同じ愚であります。

現実世界という舞台面にこんな事件が映ってはいかぬと思うならば、「念のフィルム」にそんな事件を撮影しておかぬがよろしい。他のひとびとが集まってそういう事件の「念のフィルム」を合作しそうであったら自分だけ「類でないものは反発する」という法則によって、そのフィルムに入らなければよろしいのです。「類でないものは反発する」という法則によって、そのフィルムに入らなければよろしいのです。「類でないものは反発する!」これこそわれわれが悪運を避ける唯一の法則であります。

悪い事件の映っている「念のフィルム」に自分だけ映るまいと思うならば、自分の生命に、その悪い事件と親和し、互いに引き合うようないろいろな心持ち――暗い心持ちとか、鋭い心持ちとか、心で人を刺す性質とか、窮屈で人をいれない性質とか、恐怖の感情とか、取り越し苦労の感情とかを捨てて朗らかな、明るい、愛深い、人を咎めない、赦しの深い、寛大な、平和な、落ちついた、角のない、円満な、自信のある、自分を神の子として神と一体であると信ずる心を養成すればよいのであります。

これだけの心の準備ができるならば、自分の周囲にどんな不幸な事件が起こって来ても、自分だけはその不幸な事件の映画俳優の一座に加えられず、一緒に不幸の分け前を味わわなければならぬようなことはなくなるのであります。
(つづく)

4964a hope:2015/01/06(火) 11:02:30 ID:cEpBaIdo

>>4693 a hope まとめと所感)

●【悪い心持】 = 暗い心持ちとか、鋭い心持ちとか、心で人を刺す性質とか、窮屈で人をいれない性質とか、恐怖の感情とか、取り越し苦労の感情 
→ 病気・不和・不幸がおとずれる

○【良い心持】 = 朗らかな、明るい、愛深い、人を咎めない、赦しの深い、寛大な、平和な、落ちついた、角のない、円満な、自信のある、自分を神の子として神と一体であると信ずる心 
→ 健康・調和などの幸福がおとずれる


光明思想って意外とその仕組みは単純なんですよね。
でも、それがわかっていながら、なかなか感情をコントロールできないのがわたしたち現象人間なのだと思います。

4965a hope:2015/01/07(水) 09:24:55 ID:cEpBaIdo

>>4963 つづき 第1巻 p140 後から4行目〜

こう申しますと、なかなか繁雑な種類の心の修養をしなければならぬようで、この忙しい世の中に、とてもわれわれは実行できそうにないと思われる方もあるかもしれませぬが、これを一つの根本原理に還元しますと、決してこの修養は皆さんの想像されるほどは繁雑なものではないのであります。

この修養の根本原則とは、「自己が神の子であって、自己の生命は神の霊である」との事実に目覚めることであります。この事実に目覚めるときわれわれは心の根本において神の無限力に生かせれていることを感じますから、おのずから心が朗らかになり、明るくなり、寛大になり、円満な、平和な、恐怖心のない、取り越し苦労をしない人間になり、したがってどんな不幸も自分の側を素通りして近づかず、幸福ばかりが引き寄せられて来る心的磁石となるのであります。

では、「自己が神の子であって自己の生命は神の霊である」という事実に目覚めるにはどうしたらよいかという一つの秘訣を申しますと、常に言葉の力で「わたしは神の子である」という思想の種子(たね)を自分の心に植えつけるようにするのであります。

道を歩く時にも「神の子が今歩いている」と低声(こごえ)でいって、その言葉のとおりに思って神聖な罪にけがれない「本物の自分」を心に印象するようにします。往復の電車に乗っている小さな暇を利用しても「私の真性は神である。神こそ本当のわたしである。だからわたしは恐れない」と自分だけに聞こえる声で自分自身にいって聞かせます。

人に面会する前にも「わたしは神である。神がわが父である。父と子とは一体であるからわがなすは父がなし給うのだ」と言葉にだして数回繰り返して自分にいって聞かせて心に自信力を植えつけてから会うようにします。すると、その一回の面会には失敗してもだんだん人に面会するのに自信ができ、やがてはすばらしく成功するようになれます。結果を急いではなりません。

要するに「神と我とは父と子との関係であって自分は神の無限力に後援されている」という意味のことばを、暇あるごとに、機会あるごとに、言葉の力で、自分自身の心の奥底にたたみこむようにするならば、この自覚の深まるにしたがって運命が開けてくるようになり、神我一体の真理がいよいよ深く心の底に目覚めて、心全体が照り輝くようになりますと、「類をもって集まる」の心の法則によって、どんな時にも明るい運命ばかりが自分に吸い寄せられて来るようになり、もう前途の予感力が欲しいなどという欲望もぜんぜんなくなってしまうのであります。

なぜなら、もうその人は運命に対して不死身となり、何事が起ころうとも自分にとって悪いことは一つとして起らないとの大確信に到達するからであります。確信は「念の世界」における運命のひな形で、この世の出来事はすべて、このひな形のとおりに出てくるのであって、悪い確信をもてば運命が悪くなり、善い確信をもてば運命が善くなることは免れがたい事実なのであります。

4966a hope:2015/01/07(水) 09:26:58 ID:cEpBaIdo

>>4965 a hope所感)

「自己が神の子であって、自己の生命は神の霊である」
「わたしは神の子である」
「神の子が今歩いている」
「私の真性は神である。神こそ本当のわたしである。だからわたしは恐れない」
「わたしは神である。神がわが父である。父と子とは一体であるからわがなすは父がなし給うのだ」
「神と我とは父と子との関係であって自分は神の無限力に後援されている」


現象世界は影の世界で、実際には存在しない世界なのに、わたしたちはその影の世界で起こる出来事に、いつも一喜一憂して生きているのですよね。

今朝、信仰体験板に謹写した「今を感謝する祈り」に、

<<神は私を?神の子? として、自分の心も魂も体も、
ともに最も、勉強になり鍛錬になる場所で私を訓練していてくださるのである。
この訓練は神さまの愛から来ているのであるから、
今私はどんな場所におかれても感謝し、
どんなことを命ぜられても素直に今の仕事を感謝してていねいに深切に実行するのである。>>
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/2517

とありました。

わたしは、独身時代、自分の人生を恨み続け、神の存在を否定し続けていました。

わたしは、いつも心穏やかでいたいのに、自分の周りの人々となかよく暮らしたいのに、どうしてこんなにも辛い出来事をわたしに与えるのですか?

神よ、あなたは、どうしていつもわたしの希望を打ち砕くようなことをするのですか?

神さまなんている筈がない、いたら、こんなひどい仕打ちをわたしにする筈がない、もしいたら、怨み続けてやる!と、

そして、その「神を信じられない」という苦しみが頂点に達した時に経験したのが「幽体離脱」でした。

自分の肉体から魂が抜けて、小さなアパートの部屋の天井に張り付き、自分自身の体がベッドに横たわっている姿をハッキリ見ました。

その時は、その意味が全く解りませんでしたから、気が動転してしまいましたが・・・
その後は、不思議に心が落ち着き、自然に精神世界に目覚めていくようになりました。

今から思えば、あの耐え難い苦しみは、神さまがわたしを信頼し、愛してくださっていたからこそ与えて下さった、訓練だったのですね。

そして、本当に神を否定しきった時、神さまが?肉体は本当のあなたではない? ということを「幽体離脱」させることで、教えてくださったのだと思います。

本当に、すべて出来事に意味があるのですね!

4967a hope:2015/01/07(水) 09:35:36 ID:cEpBaIdo
>>4966訂正

?神の子? → 〝神の子〝
?肉体は本当のあなたではない? → 〝肉体は本当のあなたではない〝

4968るん吉:2015/01/07(水) 21:26:27 ID:p..UGkhA

現象の自分 今、心が苦しい状態。・・としても・・

本当の自分は、今も心が明るくて明るくて、感謝しててハッピーなのさ。と・・

4969るん吉:2015/01/07(水) 21:36:21 ID:p..UGkhA
幽体離脱されたんですね?凄い体験ですね。


a hopeさんは、いつもいつも自分が神の子だって頭の中にというか心の中に

有るんですね。それから、一日も雅春先生の御本を読まない日はないのですね!

そこまで、市内とだめですね。自分もこれからそうします。

4970a hope:2015/01/07(水) 23:23:53 ID:cEpBaIdo

>>4968 4969るん吉さま

わたしは、聖典「生命の實相」に出会う前から、精神世界に興味がありましたし、
気功をやっていたので、幽体離脱とは別に、小周天が回るという不思議な体験もしています。

そのような体験をしてみると、実感として肉体以外の何かが自分だと思えるようになるのかもしれませんね。

ですが、生長の家の教えである「現象は影」「物質なし」という感覚が実感として感じられてきたのは最近です。

それでも実際には、わたしは現象世界で生活しているわけですから、
子供のことなんかで色々な心配事もありますし、時には、不安で眠れないような時もあります。

ですが以前にくらべ、感情的に激しく怒ったり、悲しみが長く続いたり、誰かを恨んだりするようなことはほとんどなくなってきました。
本当にありがたいことに「神の子」の自覚が深まってきているからだと思います。

「生命の實相」を拝読していても、以前よりずっと理解できるようになってきています。


神さまがこの現象世界にわたしたちを投影してくださり、自由を与えてくださっているというのは、
神さまの深い愛情なのだったというのは、今朝、「希望の祈り」を謹写していて気づきました。

ですから、毎日「真理の言葉」に触れていれば、必ず進歩していくと確信しています。
大切なのは継続することですよね!


それから、

<<現象の自分 今、心が苦しい状態。・・としても・・
本当の自分は、今も心が明るくて明るくて、感謝しててハッピーなのさ。と・・>>

という、るん吉さまのお考え方は、ちょっと違うような気がします。
わたし的に解釈させていただければ、そのお考え方は現象・実相の二元論になってしまっているのです。

今のわたしだったら、

『現象の自分 今、心が苦しい状態の自分なんてないんだ!
こんなふうに心が苦しんでいるように感じてしまうのは、自分が現象に捉われているからなんだ!
自分は神の子だから、いつも神さまに護られていて、完全円満なんだった、ありがたいな、幸せだな〜』

とこのように、実相一元に気持ちを切り替える努力をすると思います。

あくまでも、わたしのやり方ですが・・・

それでは、るん吉さま、みなさま、おやすみなさい。

4971a hope:2015/01/08(木) 17:35:34 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第1巻 p182 3行目〜

われわれは赤ん坊をいっぺんに大人にしてしまうわけにはゆかないのであります。それと同じように皆さんの心のうちを、いっぺんに太陽のような「真理」の光でくまなく照りかがやかしてしまうということはできないのであります。

そこで本書または月刊『生長の家』を毎号繰り返し暇さえあれば読んでくださるようにしていただければ、しだいに皆さんの心の中(うち)に「真理」という偉大な太陽の光線が強く照り輝くようになる。すると、病気はむろん、どんな生活苦でも自然に消滅するようになるのであります。

それから、神想観の修行も一日一回はぜひ怠らぬようにしてくださると、いっそうすみやかに心の奥底に真理をかがやかすことになるので、効果も早いのであります。この坐法や観念法は『生命の實相』全集第四巻観経篇(頭注版 第八巻)に詳記してありますからご覧のうえ実修してくださるようにお願いいたします。

4972a hope:2015/01/08(木) 17:36:18 ID:cEpBaIdo

>>4971 a hope所感)

あらためて「生命の實相」第1巻を読み返していますが、やはり「生長の家の実相哲学」の基本がそこにあると思いました。
生長の家は発祥当初は宗教ではなく「哲学的思想運動」だった訳ですが、わたしは「生命の實相」全巻を通読してもあまり宗教色を感じません。
むしろ、「光明思想」(ニューソート)というイメージが強いです。
だからこそ、「生長の家」は世界中に広がったのだと思います。

4973るん吉:2015/01/09(金) 04:04:31 ID:p..UGkhA
a hopeさま
>>今のわたしだったら、

>>『現象の自分 今、心が苦しい状態の自分なんてないんだ!
>>こんなふうに心が苦しんでいるように感じてしまうのは、自分が現象に捉われているからなんだ!
>>自分は神の子だから、いつも神さまに護られていて、完全円満なんだった、ありがたいな、幸せだな〜』

>>とこのように、実相一元に気持ちを切り替える努力をすると思います。

>>あくまでも、わたしのやり方ですが・・・


あ、そうですねー!!きゃー 保存しよっ!そうか・・

現象に確かにとらわれてます。有る場面を想定して、考えて苦しい感情が勝手にでて・・・

でして・・

でも、このるん吉はいないんですよね。はー良かった!有難う!

では、寝ます。この頃寝れないんです。現象にとらわれて・・です・・・(´・ω・`)

4974るん吉:2015/01/09(金) 04:12:26 ID:p..UGkhA
a hopeさま

しょ、小周天てちょっとこ、こわい。すごいですね。

あれ、まかり間違うと危険やし・・気がくるくる頭の方までですね?まわって

どうなりましたか?あと、尾てい骨の辺から背中にかけて熱いのが上にいったりとか?

 もし、よかったら教えてくださいね。私はそういう気功教室も行った事あったんですけど

その先生のお説が「物質有」でしたからその日で辞めました。(イケメンでもったいなかった)

4976a hope:2015/01/09(金) 19:51:34 ID:cEpBaIdo

>>4973 るん吉さま

わたしの考え方に、共感してくださりありがとうございます!

わたしが、雅宣先生や純子先生のご著書やブログを拝見していて感じることは、
お二人が、現象・実相の二元論を説いていらっしゃる、ということなのです。

雅春先生や他の直弟子さんのご文章は現象のことを書いてもあっても、必ず「その現象はない」と否定されているのですが、
お二人の場合は、「実相世界は完全円満・・・だけれども、現象にはこういう問題がある・・・だから、神の子らしく現象問題に対応していきましょう」
という、お考え方をされてしまっているのです。

だから、現在、多くの教団の信徒さんも、そのご思想の影響を受けてしまっているのではないかと感じています。

ですが、雅春先生は、そういう「現象あり、悪あり」という考え方は「虚説」であるとハッキリ聖典に説かれていますよね。


ところで、るん吉さまは気功や精神世界に興味をお持ちのようですね。

確かに、小周天を回すのは、危険が伴うと思うので、必ず信頼できる気功師に指導を受けた方がいいと思います。
わたしの気功の先生はその数年後に亡くなってしまってしまったのですが、途方に暮れていた時に、出会ったのが聖典「生命の実相」でした。

神さまが導いてくれたのですね!

体験談、聞きたいですか?
うーん。でも、やっぱり、ここには書けませんね(笑)

4978るん吉:2015/01/10(土) 15:40:57 ID:p..UGkhA
a hope さま

れす、サンキュです。
>>実相世界は完全円満・・・だけれども、現象にはこういう問題がある・・・だから、神の子らしく現象問題に対応していきましょう」

こりゃ、総裁は二元論bんですね。現象はあるとしての解決の仕方ですね。ふむふむ。

ただ、自分もちょっと今難しいのは、「病気の問題ならね、実相の私は健康で・・云々」て
考え方が解るんですけど(それも難しいけど)ちょっと会社の悩みの場合は、どういう風に考えたら良いか、解らない・・です」

今の悩んでしまってる感情も、「るん吉なぞ本当の我でないのだ。(この物質人間るん吉は情け無い事にすぐ悩んじゃう。)本当の我は神の子で、今も悩んだりしてないし
感謝で一杯で心も明るい神の子。そして本当の我の存在する世界も苦しみもない完全調和してる世界なんだ。
現象なんか無いのだから、無い現象にとらわれないでいたら、ホントの調和してる世界が現れてくるんだ。」て
そう思うようにしてるんですけど・・
ただ、今の会社の状況が実際につらいので、それが無いにしても、実際はそこで仕事をしてるので心が苦しくなったりするので
その嫌な出来事に対する考え方を「実相独在、現象無し。と心に持っていながら、同時にその現象に対する考え方を
何とか替えなくてならないですよね。
「例えば、嫌な面ばかり見ないで、恵まれてる面をみよう。例えば仕事が有るだけ有り難い等」とか
「人の嫌がる仕事をするのを押しつけられたとしても、いやいや自分の仕事だけしてるよりも、
人の為にする機会が有ることが、却って良いじゃんか」とか、まあ無理やりに考えてます・・
(ほんとは、自分勝手な輩に対して、腹立ってたり、悔しかったりしてるんですけどね。)

このやり方で、良いのかな・・解らなくなってきた・・2元論になってるのか?
現象無し、実相独在の信じ方が、浅いので現象に対して(無いのに)悩んでしまってるんでしょうね?
へたくそな言い方でごめんなさい。

4979a hope:2015/01/10(土) 20:30:13 ID:cEpBaIdo

>>4978 るん吉さま

るん吉さまは、今、職場の人間関係で悩まれていらっしゃるのですね?

実はわたしも今の職場に転勤する前は、最悪の人間関係の中で働いていました。

わたしは、当時は新人だったので、いわゆる、〝新人いじめ〝 ともいえるような扱いを受けていたのです。

ですが、当時はすでに聖典「生命の實相」のお勉強していましたから、すべてが人生勉強だと思えましたし、
また、その意地悪な先輩たちの姿を自分自身の心の鏡であると反省するようにも努め、
毎朝の神想観の時にその人達に感謝の祈りをさせていただいていました。

それなのに、わたしがいくら反省しても、感謝の祈りを捧げても、その方たちは殆ど態度を変えることはなく、
むしろわたしへのいじめは悪化していきました。

たぶん、わたしがどんな仕打ちを受けても不平もいわず平然としているので、余計に頭に来ていたのかもしれませんね。

特定の誰かに対する「祈り」はいつもすぐに叶うとは限らないのかもしれません。

雅宣先生にしても、今まで、たくさんの信徒の皆さんが「実相顕現の祈り」をされているのだと思いますが、
現象のお姿は、いつまでもご兄弟とすら和解されようとしませんし、本流復活の先輩方とは延々と裁判を続けるなど、
とても実相を顕現されているお姿だとはいえませんものね(-_-;)

ですが、わたしはそんな不遇な扱いにも負けず、明るく自分のできることを精一杯していましたら、
そんな姿を遠くから見ていてくれて、評価してくださっていた方がたくさんいたんですよ!
もちろん、神さまも見守っていてくださったわけですが・・・。

だから、ありがたいことに、去年の4月からは人間関係の素晴らしくよい仕事場に転勤になり、
お給料もそれまでの2倍近くもらえるようになりました。

大切なのは、祈りの効果が現象にすぐに現れなくても、相手に感謝し続けることなのではないでしょうか?

相手には相手の業因がありますから、こちらがどんなに祈っても現象の姿がすぐに変わるということはないかも知れませんが、
自分自身が本当に心から相手に感謝できたとき、自分自身の環境は変わる(良化する)のだと思います。

わたしが辛いと感じるときに、心の支えとなっている聖典の文章を紹介させていただきますね。
すんなり受け入れるには、なかなか厳しい真理かもしれませんが・・・。

○どんな苦労があっても、因縁によって世話させて頂いていると思えばありがたいばかりの一筋である。
人間は他のために苦労させられているのではなく、自分の魂を高め上げ、
清め上げるための修行として苦労を恵まれているのである。
学校は先生のために勉強するのではなく、生徒自身の向上のために勉強するのである。
人生は魂の勉強する学校である。
苦労は教科書であり、苦労させてくださる人は皆自分の先生である。
われわれは苦労させてくださる人に感謝して拝まなければならない。
これが解ったら世の中にありがたくないものは一つもないのである。
これが解ったら人生は幸福なばかりである。
豚なら幸福とは快楽のことだと思っているかも知れぬが、本当の人間は苦労の中に喜べるものである。

「生命の實相」第8巻 観行篇 p15より

4982るん吉:2015/01/10(土) 21:38:05 ID:p..UGkhA
a hopeさま
すごいですね。実相が現れたんですね!
私はa hope様のように相手に感謝し続けれるかなぁ?グッとくる文章を読んだときは、感激して感謝できても
普段ずっとは難しいかな・・・でも常にグッとくる文章を読み続けていくことにします。
a hopeさんが貼ってくれた8巻の文ですが、

有難うございます。第8巻の文章は 私が探していた文章です。この頃生命の実相の
8巻は全然読んで無くて、解らなかったんですけど、苦労が有っても因縁・・そんな文章が
どこかにあったなあ。と思ってました。有難う。自分にピッタリ。ワード行でつね!あと、去年の暮れからワードに
写す作業をしていた時に見つけた文で、訊けサンがむか〜し書いてくれた文です

『人生は常に公平というわけにはいかないかもしれません。
しかし、醜い自己憐憫のマントをまとっていては絶対に勝てないし、
泣きごとの不快な響きは成功のチャンスを必ず追い払います。
そんなことはもうやめましょう。もっと良い生き方があるのです。』


ひとつ、ふたつの不平部分ばかりに、意識を向けてたら、他の沢山の恵まれている部分を見失ってしまう

ですね。本当に本当にありがとうございました。

4993るん吉:2015/01/11(日) 03:57:06 ID:p..UGkhA

4986 :自分が非難されるとすぐに削除他人の手を利用して非難するトキ:
                        2015/01/11(日) 01:24:57 ID:37HVEq.c

この>>4986から>>4992は曳馬野はんの貼り付けか・・

こんな貼り付け方したら、一瞬 私が「トキ」と呼び捨てにして書いたみたいになって

非常に迷惑!!うのはんと同じですね! 貼り付け方のルールを勉強しいや!

4994るん吉:2015/01/11(日) 04:05:56 ID:p..UGkhA
>>馬
>>これ「ブルンジ」経由 法的には誰が書いたかまず調べられない そういうことだよ誰が書いたかわからないと云うことは るん吉君


法的なぞ、どうでも良いよ!法的に調べる事なんざよっぽどの時だから。

法的にばれなくても、既に、あなたの「うのはなはん擁護」と「要支援2の取得方法も知らないくせに要支援2と言ったり」

等で、書込みをみれば、「あ、これ馬だ」とばれてます。その方が滑稽じゃん。

4995「訊」:2015/01/11(日) 07:01:11 ID:???



>>トキ理事長

 さて、敬愛する谷口雅春先生ですが「その先生を顕彰する誌友会スレ」です。そこに寄せられるバカな投稿ですが ―― いや、ズバリ書こう「バカである」と ―― 削除してください。騒ぐようなら私が鎮火、致します。先生の御前で汚物をばら撒く者や、汚物をばら撒いておきながら「私に発言を許さない」とか言う者、さらには、「私と和解できてイナイ」とか言う者・・・・・・そんな者あらば当方が、

 正 々 堂 々 と 論 破 

 致します。

 ですんでどうぞ、バカな投稿はすべて削除ください。私が責任持って論破、しますんで。



4996「訊」:2015/01/11(日) 07:09:17 ID:???


 再度言う。

 私が正々堂々と論破するから、かかって来なさい。

 新年からわずか11日目だと云うのに、この荒れ具合・・・・・当方は既に貴殿へ向けて、降魔の文を振るう覚悟だ。雌雄を決しようではないか。

5006a hope:2015/01/11(日) 12:04:49 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第15巻 p117 9行目〜

谷口―― (略)
(p120 7行目〜)
聖典『生命の實相』や『甘露の法雨』を読んで、「人間は本来、神の子であって病気は無い」という真理を知れば胃癌でも治るというのは、病気は無いと知れば病念がなくなる、病念がなくなれば病念が形をあらわしていたところの病気そのものが消えるのは当然です。

「生長の家」の聖典を読んでも世間並みの考えの方をヨリ強くもっていられると、病気の念をもっていることになるので、その病気の念が、形の世界に顔を出して病気としてあらわれて来るわけですから病気は治らないのです。念でおもえば、念のとおりに自分に形をあらわすのが、自分の肉体とか境遇とかいうものですからねえ。

だからわたしは人に言うのです、『生命の實相』や『甘露の法雨』の聖典は幾回でも交替に繰り返して読むべきものであって、一回ぐらい読んで書いてあることの意味だけが解ったくらいでは駄目なんです。読むたびごとに自分の病念を破砕して、最後の無にまで、その病念を破砕しきったとき、忽然(こつねん)とその病気が消える。あるいは今後病気にかかるという可能性がなくなるのです。

映画の例でいえばフィルムに病気の絵が全然なくなったとき、舞台の方でも病気の映画が消えるのと同じです。だから心のフィルムに描かれて潜在している病念がことごとく完全に消え去るまでは、幾回でも繰り返して読んでいただけねばならぬのが「生長の家」の聖典であります。


野田――肉体が念(こころ)の顕現であるということを知るのはなんといっても体験ですね。わたしは近ごろひどい病気もしませんがちょっとした病気になったときに谷口先生のいわれる原理を応用して、精神統一をして自己生命の本来の病気のない状態を念じていますと、ある時間後にその念(こころ)のとおり肉体が健康になってくるのでその体験を得ています。

他人の病気を治すときには病人と両手をつなぎ合わして対坐(たいざ)して精神統一していると病人の幹部と同じ場所の自分の肉体に感応があります。その人の病気がお腹ならば自分のお腹にその病的波動を感じて変に痛くなってきたりするのです。

ところが、その痛みは実際にはない、病人の痛いという念(こころ)の波動が自分に感応しているのですから、今度は「病気はない、痛みはない」という観念に精神を統一していると「病気はない、痛みはない」という念の波動の方が、「病気は在る、痛い」という念の波動にうちかって、痛みが感ぜられなくなって恍惚としてきます。するとその病人の方の痛みもとれて、軽い病気なら一度で治ってしまいます。

この体験でも、病気というものは念の波動のアラワレであって念の波動が自己本来の無病状態にかえれば治るということがわかりますね。・・・

5007a hope:2015/01/11(日) 12:06:58 ID:cEpBaIdo

>>5006 a hope所感)

ここでの雅春先生と、野田氏の会話はわたしには非常に興味深いです。
というのは、わたしはこの野田氏の体験と似たような体験を過去に何度もしているからです。

自分に病気治療の能力があると思ったことはありませんが、亡くなった気功の先生からは、お世辞かもしれませんが、
「○○ちゃん(わたし)は、一緒にいるだけで周りの人を健康にする『気』の持主なんだよ」と言われていました。

ですが、「あなたみたいな体質の人は、常に神さまと繋がっていないととんでもない危険な(悪?)道に外れてしまう可能性があるから、
「神との対話」みたいな、真理の書かれている良質な本をいつも読んでなきゃだめですよ」ともいわれていました。

わたしは、『生命の實相』は「神との対話」以上の聖典だと思っています。

そして、<<「生長の家」の聖典を読んでも世間並みの考えの方をヨリ強くもっていられる>>ような、雅宣先生や純子先生のご著書や祈りの言葉は、
「生長の家」の「病なし」「罪なし」「迷いなし」の根本真理を眩ませて、信徒を迷わせる「虚説」であると確信しています。
(a hopeの個人的な見解です。)

5009a hope:2015/01/11(日) 12:31:27 ID:cEpBaIdo
>>5008 「訊」さま

「虚説」は本来ない説だからこそ、わたしたちはその説に和解してはいけないのだと思います。
いかがでしょうか?

5012a hope:2015/01/11(日) 13:25:52 ID:cEpBaIdo

虚説に和解してはならぬ

 虚説の中でも、最大の虚説は「物質はある」という見解であります。『生長の家』誌友の中で近ごろ脱線して「物質もある、心もある」という二元論に誘惑されたり、「現象も真我のあらわれである」という説に惑わされたりした人がありました。その理由は、われわれは天地一切のものと和解しなければならないから、「物質はある」という説とも和解したとき、本当の真理がかえってわかるのだという理論から、虚説に対しても一応は耳を傾けなければならないというわけだったのであります。われわれは天地一切の実在(もの)と和解しなければなりませんけれども、虚説に対して和解してはならないのであります。「人は二人の主に事えることはできない」という諺があります。虚説に和解したら実相をくらますことになります。実相をくらませばみずから迷うことになるのであります。迷えば迷いの影を現象界にうつして、現象界がままならぬ相(すがた)にあらわれてくるのであります。

 「物質もある、心もある」という二元論に引っかかって、現象界が変にみだれて集金が集まらなくなったり、商売がうまくゆかなかったり、歯痛(はいた)が酷くなった数氏の実例は、かつて『生長の家』に書いたとおりであります。

 最近また「真我も迷う」の妄説に引っかかって、絶えて久しく煩わなかった頭部の湿疹になやまされて、すんでのことに医者にかかりそうになった時、初めて気がついた人があります。それは最近「生長の家」の説を受け売りして、少しばかり異色を見せて独立しようとして「迷いは真我より起こる」と発表した某々氏の雑誌を読んで、その妄説にまどわされ、真我は迷うものやら、迷わぬものやらわからなくなって、心が迷って、「本来清浄の実相」を見ることができなくなったことに原因するということを知り、神想観をして、本来迷わぬ「本来清浄の実相」を観ることを努めたところが、その頭部の湿疹が癒ってしまったという報告を受け取りました。

 「生長の家」の家族となり「真我は神であり、本来清浄の実相である」ということを知らされながら、時々そういう異端邪説に耳を傾けるようになるのが、これいわゆる「試みに逢わせられる」のであり、「引っかけ戻しの仕組み」であります。精神統一せんとすればするほどかえって雑念が浮かぶのと同じであります。この時に雑念妄想の方に心を傾けたら永久に精神統一しがたいのと同じように、この時に異端邪説に和解して耳を傾けたら、自分の実相が昧まされ不幸があらわれるのであります。

 「なんじの敵を愛せよ」といったイエス・キリストさえも、「サタン」に対しては和解していないのであります。イエスが四十日四十夜、精神統一の修行をしている時、そこに幻のように現われたサタンに対しては、イエスはそのサタンの邪説に耳を傾けようとしないで、「神を試むべからず、サタンよ退け、主なるなんじの神を拝し、ただこれのみに事(つか)うべし」と、一喝しているのであります。この場合、サタンとは異端、邪説、妄説、妄想、雑念のことであります。「ただ神のみ――ただ実相のみを観よ」ということが、「主なる汝の神を拝し、ただこれのみに事うべし」ということです。そのほかの妄説妄想には決して和解して、耳を傾けてはいけない。ただ「サタンよ、去れ」と一喝しているところに、イエスの示されたる「サタンに和解すな」との範例をわれわねは見なければならないのであります。

以上、「訊ブログ」より転載させていただきました。感謝 合掌。
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65589252.html

5013a hope:2015/01/11(日) 13:27:24 ID:cEpBaIdo

>>5010 「訊」さま

<<『生長の家』誌友の中で近ごろ脱線して「物質もある、心もある」という二元論に誘惑されたり>>
とありますが、わたしは、まさに、雅宣先生のご思想がこの二元論なのだと思っているのです。

二元論に惑わされてしまっている「生長の家」の総裁のご著書を読むことで、
その総裁に中心帰一を強いられている信徒も同じく二元論に惑わされることにならないでしょうか?

つまり、無意識に、自分の意志とは別に、「虚説」をつかまされてしまうのです。
実際、わたしも入信した後、その経験をしているのです。

それだけ、「生長の家」総裁としてのご発言は重大なのです。

わたしは、どう考えても、雅宣先生や純子先生が「生長の家」の聖典「生命の實相」の実相独在の真理を体得されるまで熟読されているとか思えないのです。


「訊」さま

わたしは、自分の主張を押し通したいからこの掲示板で雅宣先生や純子先生を批判しているのではないのです。

一日も早く、本来の「生長の家」の教えの素晴らしさを思い出していただき、本来の「生長の家」あるべき姿に戻していただき、
生長の家総裁副総裁として、本来の「人間神の子」の真理を伝える「人類光明化運動」を指揮していただきたいと願っているからなのです。

ですが、もちろん、わたしの方が野狐禅である可能性はあります。
ですから、わたしの見解へのご指摘、ご批判、なんでも素直にお受けする覚悟はできています。

5014a hope:2015/01/11(日) 13:35:52 ID:cEpBaIdo

>>5011 「訊」さま

雅宣先生は、〝現〝 生長の家総裁です。

今、現在もブログでご自分のご思想を信徒に向けて発言し続けておられます。

わたし自身の経験したことだけでいえば、それは過ぎ去った過去の話ですが・・・。

5016a hope:2015/01/11(日) 14:19:29 ID:cEpBaIdo

>>5015 「訊」さま

<<*「物質もある、心もある」という二元論と云うその物質もなく心もないのが生長の家ではないですか?唯物論でもなく唯心論でもなく
 唯神実相論であると云われている。にもかかわらず『二元論』なんて端から存在しないものを言揚げする先生は?>>


確かに「唯神実相論」が生長の家の中心真理だと思いますが、「唯心所現」も横の真理として雅春先生は説かれていましすよね?
『二元論』に関するご説明は、そちらの真理に関わっているのだと思います。
わたしは「人間の我の心はない」でも「神の子の心はある」と信じています。



<<*そのない心で一瞬に体験した、全て体験したと云う夢の中の出来事、人間の生死と同じ、生まれたことも死ぬこともない人間が、
生まれて死ぬと云う夢を見ている。あなたは生まれていろいろ体験していると思っているでしょう。そしていつか死ぬと。
生死が夢ならばすべての体験も思いの世界のものでしかないのでは。>>


この現象世界の出来事は、しょせん影ですから、確かに夢なのかもしれませんが、
せっかく神さまがこの現象世界にわたしを投影してくださり自由に生きるという経験をわたしにさせてくださっているのですから、
たとえそれが夢であっても、わたしは精一杯自分のできることをして生きて、神さまに褒めていただきたいです。

5017a hope:2015/01/11(日) 14:41:50 ID:cEpBaIdo

ところで、訊けさま

今日のweb誌友会の書き込みって、本当に全部「訊」さまご本人ですか?

5018トキ:2015/01/11(日) 15:01:27 ID:cQ90QTGI
>>5017

謹告

 本日のは、訊け管理人様の名前を勝手に使った
曳馬野さんのなりすましです。これは、卑劣な行為です。

 当該投稿を削除の上、厳重に注意します。
今後は絶対に他人のHNを詐称しないでください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5019茅ヶ崎:2015/01/11(日) 15:02:06 ID:???
私もそれが知りたいと思ってました
「訊」と「訊け」さんは同じ人?

5020茅ヶ崎:2015/01/11(日) 15:03:04 ID:???
>>5018
リロード遅れまして間抜けな質問してしまいました。すみません。

5021トキ:2015/01/11(日) 15:05:13 ID:1j83ED3E
謹告

 本日、この時間までの投稿は、訊け管理人様からの
投稿はありませんでした。

 ご注意ください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5022a hope:2015/01/11(日) 15:24:07 ID:cEpBaIdo

やっぱり、一連の書き込みは「訊」さまではなかったのですね。
なんとなく、文章の感じが曳馬野さまににてるな〜と思ってました(笑)。

ご感想やご意見をいただけるのはありがたいのですが、
なりすましは混乱するのでやめていただきたいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

5025a hope:2015/01/11(日) 17:45:48 ID:cEpBaIdo

>>5023

申し訳ありませんが、「訊」さまになりすましをしていらっしゃるような、
どなたかわからない方のご文章は拝見する気にもなりません。

真理を追究される前に、人としての道を正しく歩まれたらいかがですか?

夕食の支度があるので、失礼いたします。

5030トキ:2015/01/11(日) 22:39:07 ID:DdasF.5E
>>5025

a hope様

 本当に、その通りです。しかも、なりすましをするような人が
青年会の先達を自称するのですから、驚いています。

 こういう人たちに関わり会わずに、真摯に谷口雅春先生の教えの勉強
をしましょう。

5038るん吉:2015/01/12(月) 09:03:52 ID:???

>>物質もある、心もある」という二元論に引っかかって、現象界が変にみだれて集金が集まらなくなったり、商売がうまくゆかなかったり、歯痛(はいた)が酷くなった数氏の実例



現象有り、という説(妄説)を心に受け入れると、とたんに 上記のようになっちゃうんですね。

・・・・・

5039a hope:2015/01/12(月) 10:03:18 ID:cEpBaIdo

>>5038 るん吉さま

そうなのですよ!
だから、わたしは4年前からそのことに警告を発しているつもりなんです。
当初は本流宣言掲示板へ投稿していましたが・・・

雅宣先生のご文章や祈りの言葉の内容は現象や物質を認めてしまっているんです。

現教団の運営はうまくいっているのでしょうか?
病人が増えてはいないでしょうか?
人間関係はどうでしょうか?

心が調えば環境(現象)もおのずから調うというのが、本来の「生長の家の教え」なのだと思うのです。
そして、その教えを広めるのが人類光明化運動ですよね。

それなのに雅宣先生は人間の犯した罪だとか欲望だとか、破壊されつつある自然だとか、
そのような暗い現象面を最初に見つめるところから、運動を出発させてしまっているから、
その認めた通りの現象がこれからどんどんあらわれてきてしまうのだと思うのです。

よくこういうと、雅春先生も人類が苦しんでいる姿(現象)をみて人類光明化運動を始められたという方がいらっしゃいますが、
これは、復興Gさまもおっしゃっていましたが、まったく違うと思います。

雅春先生には最初に、完全円満な「実相世界のお悟り」があったのです。
そのお悟りの心(明るい歓びの心)を人類に伝え、地上天国を実現したいという使命感から立たれたのです。

雅宣先生の運動とは全く違うとわたしは思っています。

5040曳馬野:2015/01/12(月) 13:04:24 ID:???
 本当に、その通りです。しかも、なりすましをするような人が
青年会の先達を自称するのですから、驚いています。

訊け本人が何も言わないうちからなりすましだと判断し、削除と云いだすこの不思議さ驚き桃の木山椒の木

トキ=訊け なんかな そして教団の大幹部

5047a hope:2015/01/12(月) 15:38:54 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第15巻 p123 後から4行目〜

谷口――わたしは誌友の方に、推しつけがましいことをいっさいしようとは思っていません。「生長の家」は誌友が助かるために出現したのであって、わたしの生活費が助かるために出現したのではないのですから、誌友が自分で進んで聖典を欲しいと申し込まれるのでなければ送ろうとは思いません。

そうでないと義理に縛られて聖典をとるというようになられると「生長の家」で説く道が立たなくなるのです。誰かのためになるということが、そのためになったことをいいがかりにして、あとでその恩義でその人を縛るようなことにでもなると、始めからその人のために尽くさずにいればよかったということにもなるのです。

「生長の家」の生きる道は、人間を縛る道ではなくて、いろいろのものから縛られているその縛りからその人間を解放する道なんです。医学や衛生に縛られている人なら医薬や衛生から解放する、人相や家相に縛られている人なら人相や家相から解放する、因縁に縛られている人なら、その因縁から解放する。職業に縛られている人なら、その職業を乗り越えてなお生きる道があることを示す。

こういうように人間の生命を縛っているあらゆる束縛を解き放って「生命」本来の自由さを奪還させるのが「生長の家」の道なのですから、「生長の家」が誌友に対して少しでも押しつけがましいことをすれば、たとい聖典の売れ行きはよくなり、経済的に、「生長の家」が大きくなっても「生長の家」の道が立たなくなるのです。

5048a hope:2015/01/12(月) 15:40:56 ID:cEpBaIdo

>>5042 a hope所感)

この第四章の対談も、まだ、雅春先生がバキュームオイルカンパニーでお仕事をされながら、「生長の家」誌を発行されていた時のようです。
野田氏(第三章に出てこられた野田氏と同一人物でしょうか?)が雅春先生に、今の仕事をやめて「真理」の執筆に専念した方が、
「生長の家」も発展するし、「生長の家」の生き方にかなっているのではないかと、提案されています。

何年か後には雅春先生はそうされたようですが、当時はその提案を否定され、

<<人間の生命の偉大さは、その仕事の形の大いさで計られるべきものではないのです。欧州全土を征服したナポレオンの事業よりも、本間俊平氏が困れる人に与えた一足の草鞋(わらじ)の方が尊いのです。>>p138 後から8行目〜

といわれ、ナポレオンも偉大だけれども、それよりも、キリストが『兄弟のいと小さき者になせる愛の行為はわれにしたのと同じことである』
と言われたように、本間俊平氏のごとく今の自分にできることをして、目の前の困った人を助けることこそ、
神の御心にあった生き方であると教えてくださっています。

[
「生長の家」の信仰の基本ですね!

5059a hope:2015/01/12(月) 17:13:52 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p140 5行目〜

谷口―― 
(略)
「生長の家」の生活が我の生活ならわたしの定めたように進んでも行きますが、聖意(みこころ)を行わんがために出現した生活であるこの生活は神のみこころに従って千変万化するほかはありません。

我で貫きとおす自信と、大生命にバックされて大生命の流るるままに動く自信とがあります。ナポレオンの自信が前者ならば、「生長の家」の自信は後者です。

時が来ればわたしは会社員生活を止(よ)すことにもなるでしょう。また止さないかもしれません。いずれにせよ、それは雑誌を大きくするという野心のためにするのでは普通の雑誌業者になってしまいます。

わたしが今会社員でいるのは、人類全体が今はまだわたしに普通の会社員生活をしながらでも、自分も生き、人も助け、万人に光を与える生活ができるという範例を示してくれと望んでいるからです。

もうそんな範例は十分見せてもらったから、今度は会社員でない生活も見せて欲しいという人類の声がより多くなってくれば自然に神催(かんもよお)しでわたしの生活は変わってくるのです。それは自然に神催しにです。「我」で変えるのではないのです。

「生命」はどういう形でいけねばならぬということはない。大生命に押し流されて生きる時最も自由なのです。形の方は「執して執せず」です。形というものは影であるから執する必要はないのです。「生命」が主です。「生命」さえわれかくのごとくして生きるという筋道が立っているなら、形は千変万化してもよいのです。

その反対に形は一つを貫いていても、形を維持することに「生命」の方が支配されていてはその人の生活は生きたものではありません。そうかといって形の方をむやみにやり方を始終変えてゆくのかというとそうでもないのです。しっかりと自分の魂の底に死んでも死なない生きとおしの生命が自覚されてきますと、自然に時に応じた最も適当な生き方ができてくるのです。

「我」の力で焦る生活、力む生活、こうでなければならぬと形を極(き)めすぎた生活は、ある時期は大いに生長してもやがては行き詰まるのです。幸いにして、その人が死ぬ瞬間までは行き詰まらないにしても、そのいよいよの瞬間には行き詰る。ナポレオンも行き詰り、豊臣秀吉も行き詰ったのです。いわんや雑誌経営の夢は捨てなければならないでしょう。われわれは死の時になってさえも行き詰らない生活をしなければならないのです。

形には執して執さず、ただわれわれの「本当の生命」が影を映して進む生活なら、死んでさえも行き詰らないのです。

5064a hope:2015/01/12(月) 17:17:23 ID:cEpBaIdo

>>5059 a hope所感)

「生長の家」の生活は、神催しの生活で自由自在なのですね。

<<「我」の力で焦る生活、力む生活、こうでなければならぬと形を極(き)めすぎた生活は、ある時期は大いに生長してもやがては行き詰まるのです。>>

『都会ではいけない、森でなければいけない』って本当に「生長の家」の生活でしょうか?

5067a hope:2015/01/12(月) 17:18:31 ID:cEpBaIdo

閲覧者のみなさま

わたしの雅宣先生批判などの投稿が気持ち悪ったら、読まないようにしてくださいね。
身体によくないですから・・・

ところで、今までずっと観察してきましたが、わたしが、聖典の真理に照らし合わせて雅宣先生の教えを批判すると、
曳馬野さまが激しいアラシを開始されるようです。
(わたしの思い違いならごめんなさい)

曳馬野さまって、初心者さまやさくらさまにソックリですね。

5077神の子さん:2015/01/12(月) 17:33:03 ID:3/GnsEUs
これほどしつこく妨害する曵馬野さんは
この掲示板に素晴らしい投稿があると認めているんですね。

5078a hope:2015/01/12(月) 17:35:12 ID:cEpBaIdo

トキさま

いつも、お世話になっています。
わたしは、曳馬野さま(「訊」さまを名乗る)から何を言われても大丈夫ですので、
ご心配なさらないでくださいね。

まだ、どれだけアラシが続くかわかりませんので、削除は明日にでもまとめてしてください。

トキさまの優しい心遣いには、いつも心から感謝しています。 合掌。

5099a hope:2015/01/13(火) 08:20:40 ID:cEpBaIdo

>>5067 訂正

曳馬野さまって、初心者さまやさくらさまにソックリですね。
     ↓
曳馬野さまって、初心者さまやさくらさまとされることがソックリですね。


誤解を招く発言をし、申し訳ありませんでした。
わたしは、曳馬野さま=初心者さま=さくらさま だとは思っていません。
ただ、お三方とも、聖典「生命の實相」の真理が蘇ると都合が悪いお立場にいる方なのかもしれませんね。

5103a hope:2015/01/13(火) 21:01:02 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p147 3行目〜

肉体の年齢は仮の年齢であって、本当の年齢ではない。本当の人間の年齢はその霊魂の年齢である。霊魂の年齢とは、どれだけその人間が真理を悟ったか、「実相の人間」に近づいたかということで定(き)まるのです。

5104a hope:2015/01/13(火) 21:04:05 ID:cEpBaIdo

>>5103 a hope所感)

以前、このweb誌友会で霊界篇をお勉強しているときに、
神の子さんが小林春恵先生の「わが信仰の旅路」を紹介してくださいました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/3670

その時は、トキさんや志恩さんもいろいろ春恵先生のお話を紹介してくださったりしたので、
わたしも興味をもったので、「わが信仰の旅路」を拝読してみました。

そして、衝撃を受けました!
なんと、春恵先生は、20歳年下の小林昭三氏と結婚されたのですよね!!

当時、そういうことは珍しいことだったと思いますが、
「生長の家の教え」では『肉体の年齢は仮年齢であって本当の年齢ではない』とありますから、
春恵先生も、昭三氏もその真理をよく悟られていたのでしょうね。

また、この第5章には、楠野という青年が登場して、自分の恋愛問題を雅春先生に相談しています。

当時の「恋愛」は当事者同士の問題にとどまらず、家族、親せき、霊学者なんかまでも関わってきていて、
なんだか大変そうです(;´∀`)

今の日本では、不倫や離婚があたりまえのようになってしまっていますが、この章を拝読していると、
当時は、今ほど恋愛の自由がなかったかもしれませんが、
現代よりも、もっとずっと純真な美しい恋愛をする人が多かったのではないかと感じます。

5106神の子さん:2015/01/14(水) 00:15:53 ID:???

1908 :神の子さん :2015/01/13(火) 23:46:42 ID:???
>>1905 レイさん  くだらんレスするな。汚物は消毒だ〜!

管理人を真っ先に消毒しなければなりません。なりすましはいかんと速攻消毒にかかった管理人でありましたが、


1901 :トキ :2015/01/12(月) 12:41:18 ID:A3MA1f1M
>>1900  曳馬野 様  あらあら、とうとう、うのはな様まで攻撃の対象にしましたか。うのはな様、味方と思っていた曳馬野 様が裏切りました。  の投稿に対して何もしない。

一日半何もしないと云うことは、なりすましではないと云うことになります。となりますと独占版でうのはなさんが、この一連のやり取りについて正しく読んでおられる。
管理人は簡単な内容を敢えて、『裏切りました』という言葉を使うことで、荒れる版にしようと自らしたことになります。管理人の価値が全くないと云うことになります。また

>>1901の投稿者「トキ」なるものがナリスマシであるならば、消毒の措置に出るのが管理人の一貫性から当然であります。然るに削除の行為はしない。ナリスマシを肯定している。

どちらにしても版が荒れればよいと云う行動をトキ管理人自ら採っているのです。

こんな管理人に護ってもらいながら投稿したい、いくら気取っても腹の中は詮索好きの、人を軽蔑する傲慢な人間、a hopeさん

5107a hope:2015/01/14(水) 09:26:34 ID:cEpBaIdo

>>5105 曳馬野さま

わたしが詮索好きだと見抜かれたようなので、それならば、正々堂々と反論させていただきます。

本当に雅宣先生が「生長の家」の教えを正しく法燈継承されていて、
教えの神髄を変えることなく時代に合わせて説いていらっしゃるのであれば、
わたしのこの掲示板での雅宣先生の教えへの「批判」など、なんの影響力ももたないと思います。

曳馬野さまや初心者さまやさくらさまは、雅宣先生の教えが、
本来の「生長の家」の『光明思想』とは真逆の『暗黒思想』であるとわかっていて、
敢えて援護されているのではないですか?

その目的は何ですか?

5110a hope:2015/01/14(水) 21:57:08 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第1巻 p152

「言葉」でこの世界に健康を満たせば、この世界の人類が健康になる。「言葉」でこの世界に光明を満たせばこの世界が光明化される。「生長の家」は実にこの「言葉の力」によって人類生活を健康化し、幸福化し、光明化せんがための「神の国運動」であって、「生長の家」の発行部数がふえるほど、この世界に「善き言葉の力」がふえることになる。

「善き言葉の力」がふえればそれだけ人間の心が光明化し、地上に浮動している人間の「想念波動」が光明化し、いっさいの現実的悪の種子(たね)が浄められ、キリスト教でいえばキリストの再臨、仏教でいえば弥勒菩薩下生、すなわち地上天国建設の時期が早まることになるのであります。


こうして「コトバの力」の見地から考えてみますときには「生長の家」のコトバの力によって人類生活を健康化し、幸福化し、光明化しようという運動に相反して、いかにこの世界にはコトバの力によって人類を不健康化し、不幸化し、暗黒化そうという運動が多いことでしょう。

毎日日本国中に合計なん百万なん千万という発行部数をもったジャーナリズムは皆いちようにこの人類生活不健康化、不幸化の運動に味方しているようにみえる。全世界でいうときは十数億の発行部数に達するジャーナリズムが毎日コトバの力で人類生活を不健康にするための印刷物をバラまいていることになる。

新聞紙の大半は栄養剤と薬との広告で埋まっている。その広告は「おまえたち物質で造られた人間よ、おまえたちはこの薬を飲まないと治らないぞ」「この栄養剤を飲まないと健康になれないぞ」とおどしつけている。

これは新聞が広告料という金のために牽制されて「悪しき言葉」の力の宣伝に利用されているからであって、こんな広告を読めば読むほど、われわれ人間が神の子だという信念、物質ではなくて生命であるという信念が失われて、人間は物質であるから永久に薬物の奴隷として永久にその前にひざまずくべきものなりとの烙印を押されることになるのであります。

5111a hope:2015/01/14(水) 21:58:58 ID:cEpBaIdo

>>5110 a hopeまとめ)

「コトバの力」の見地から考えてみる『光明化運動』と『暗黒化運動』

『光明化運動』――「生長の家」のコトバの力によって人類生活を健康化し、幸福化し、光明化しようという運動

『暗黒化運動』――『おまえたち物質で造られた人間よ』という「悪しき言葉」の力によって人類を不健康化し、不幸化し、暗黒化そうという運動

5112a hope:2015/01/14(水) 22:03:38 ID:cEpBaIdo

>>5108 曳馬野さま

<<そんな息子を敢えて副総裁にし、組織を任せた清超先生の行動は、なんと評価しますか貴女は。>>

わたしには、当時の清超先生のご意志はまったくわかりませんから、お答えしようがありません。


<<それよりも復興Gさんが去って後、あなた以外誰が参加されていますか誌友会に。>>

トキさま、訊けさま、志恩さま、るん吉さま、SAKURAさま、トンチンカンさま、
最近は忙しそうで参加が少ないですが、ユタカさまなんかが参加されていますよ。
曳馬野さま(仏心さま)だってこうして参加されているではないですか・・・

それに、書き込みはされなくても、何人もの閲覧者の方がご覧になってくださっているとわたしは信じています。

だから、わたしは、曳馬野さまに「傲慢」と言われようが、「強情」と言われようが、「臭い」と言われようが、
トキさまのお許しがある限りこのweb誌友会を続けたいと思います。

わたしは、大好きな聖典「生命の實相」をここで学ばせていただくことで、
本当の「生長の家の教え」が何なのか明らかにしたいだけなのですから・・・。


曳馬野さまこそ、何の目的もないのであれば、どうぞお体に障りますから、
こんな傲慢なわたしの「臭い」投稿はもう読むのをおやめになって心安らかにお過ごしください。

「臭い物には蓋」という諺もありますから、曳馬野さまにはトキ掲示板自体をご覧にならない事をお勧めいたします。

ご自愛くださいね!

5117トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/01/15(木) 10:14:34 ID:t.y68kmc
a hope様

 いつも素晴らしい御文章を書いてくださり、心から感謝申し上げます。
web誌友会でのご活躍は、管理人としても嬉しい限りです。

 最近、悪意に満ちた投稿者が、心ない投稿を繰り返しておりますが、
無視してください。釈尊やイエスキリストがお悟りを得る前には、悪魔
が現れて妨害をしたとお経や聖書にはあります。

 真理について書かれて、妨害投稿がある、ということは、内容が正しい
という事です。

 これからも、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5118神の子さん:2015/01/15(木) 10:19:10 ID:???

5113 :神の子さん :2015/01/15(木) 02:02:29 ID:???
そういう寝言は部室版>>2502と少し前からの訊けのもの読んでから言ってね
こんな人間、本流よりはるかに心の汚い人間を生み出したのが、生長の家なんだ
自らはお高く留まるけれど心は低い、そんなトキ&訊けに感応する貴女 すばらしいです

5119a hope:2015/01/15(木) 23:36:37 ID:cEpBaIdo

>>5117 トキさま

あたたかいお言葉をありがとうございます。 

「生命の實相」がこんなにも素晴らしい聖典でなかったら、
わたしはここでこんなに長くお勉強させていただいてはいないと思います。


<< 真理について書かれて、妨害投稿がある、ということは、内容が正しい
という事です。>>

わたしは、聖典を拝読し、謹写して、そのことへの感想を述べているだけですが、
いつかは、自分自身の口から直接「真理」が語れるようになりたいです。

この掲示板では、トキさまがいつも見守ってくださっているので安心してお勉強できます。

こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

感謝 合掌。

5120a hope:2015/01/16(金) 20:00:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p148 後から6行目〜

有名な観相家石竜子(せきりゅうし)も「人相は信仰生活に入らないまでの人には的中するが、信仰生活に入った人には的中しない」と言っています。人相も、姓名も、家相も、体相も、健康状態も、およそ形なるものは、われわれの過去からの念の集積の形象化(かたちにか)したものであります。

(中略)

人間は生まれると一定の姓名を与えられ、また大体一定の人相も備えられていますが、これはその人間の霊魂が現世に生まれるまでの過去生活において得たる念の集積(業ともいいます)が形に出てるのであって、業というものは自動的に流転する一種の波動ですから、われわれが自身の生命の実相を自覚し、真理を悟って超越しない限りは、業の自転する力によってわれわれの運命は生まれた時にはすでにその大体が定(き)まっているといってもよいのです。だから、 人相を見てその人の運命を言い当てることができる――これは当然であります。

ところが病気とか不幸とかを起す念は妄念であるが、妄念に捉われている人から観れば厳然たる存在でありますのは夢見ている人にとって夢が確乎たる存在であるがごとくでありますが、真理の上から言えば根柢のない存在であります。なぜなら神はそのような病気とか不幸とかを造り給わないから、それを起す念も真存在ではなく、偽存在、空しき虚の念、妄念なのであります。

だから真理を知り、自分の生命が神の子であって事情円満なものであるという実相を自覚すれば、業の流転から超越することになるのです。そうなさりますと、その人の運命は観相家が観ても当たらない、姓名判断の大家が観ても当たらない。自分の「生命」が自由な世界へ出て過去に捉われない自由創造を続けてゆくからです。

この自由創造の働きとして人相もそれに追随して変わってくることもあり、姓名も自然に変えたくなり、変わってくることもあります。

(中略)

心をあとにして形ばかりを追うている者は、とんだ失敗を演ずるものです。心が整い、自然に人相のよくなるような人は、また自然に善い家相に住むように事情が運(めぐ)って来、善き家相の家が誂(あつら)えたように見つかるとか、今までの家に住んでいても、自然に、物のならべ方や造作の仕方などにも、生き生きとした光明が見えて来、家相が一変してしまうのであります。だからこの変化というのはどこまでも真理を知った上での自由創造の働きとしてそうなってくるのでなければなりません。

「人間の生命は形に縛られるものだ」という迷いに捉われている結果、姓名を変えられるような方は、いかに姓名を変えてもやはり不幸が付随しますので、この姓名も欠点がある、あの姓名も欠点があるといって、始終転転として姓名を変えながらなお安住を得ないで、その不安の念がさらに次の不幸を起す集積となることがあります。

姓名が「生命」を支配するのではなく、あらゆる現象は「生命」が進軍して行く際に周囲に投映した念の影でありますから、「生命」こそ主なのであります。生命の自由創造として人相が自然変わるならば、それもよろしい。生命の自由創造として善い家相にすむようになれば、それもよろしい。生命の自由創造として改名したくなったり新しい屋号や仮名や雅号(がごう)をつけたくなるならば、それもよろしい。しかしいかなる場合にも、われらは「生命」が主であって、いっさいの形相は従だということを知らねばなりません。

5121a hope:2015/01/16(金) 20:01:37 ID:cEpBaIdo

>>5120 a hope所感)

わたしは昔から、「占い」の類にはほとんど興味がありませんでした。
「今日の○○座の運勢」とかTVなんかでやっていますと、あえて見ないようにしていました。
当時は「自分の運命は、自分で支配したい」という気持ちが強かったのですが、今は「わたしの運命は、神さま任せ」という心境になってきました。

<<心をあとにして形ばかりを追うている者は、とんだ失敗を演ずるものです。心が整い、自然に人相のよくなるような人は、また自然に善い家相に住むように事情が運(めぐ)って来、善き家相の家が誂(あつら)えたように見つかるとか、今までの家に住んでいても、自然に、物のならべ方や造作の仕方などにも、生き生きとした光明が見えて来、家相が一変してしまうのであります。だからこの変化というのはどこまでも真理を知った上での自由創造の働きとしてそうなってくるのでなければなりません。>>

「真理」を知って心が整えば、こちらから求めなくても、自然に幸福がやってくるということのようです。
そのためにやるべきことは、『聖典を拝読』して、『神想観』をして、周りの人に深切を尽す(『愛行』)こと、つまり「生長の家」の三正行ですね!

5122るん吉:2015/01/17(土) 13:54:56 ID:p..UGkhA
a hopesama

ずーっと読ませて頂いてますよ。
有難うございますねっ。

5123a hope:2015/01/18(日) 00:25:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p159 4行目〜

谷口―― (略)
真にあなたと民子さんとが誓ったとおりに純情で愛し合っているならば、二人の心は一年や二年離れているだけでは変わらないでしょう。今民子さんを遠山さんが郷里へ帰されたのは遠山さんの心では、あなたたちの恋愛が本当の永続性をもったものであるか、一時の浮気の熱病であるかをわからすためです。

別れているうちにお互いに気が変わるようでは浮気な出来心で本当にそれは神の結び給いし縁ではなかったのです。そこにあなたたちの前にテストが置かれてあるのです。今あなたたちの幸福のためにこのテストをパスしなければならないのです。

楠野――(切なそうに)一年も二年も、二人はわたしたちの愛が永遠性のものであるということを人々の前に実証するまでは会えないのですか。

谷口――恋するもの同士が逢いたいのは無理もない。その時期はもっと早く来るでしょう。あなたは倉田百三氏の戯曲『出家とその弟子』を読んだことがありますか。あの戯曲のなかで、唯円坊と「かえで」とが恋をする、恋して二人は会いたくてたまらないけれども相手の幸福を希(こいねが)って逢わないで耐えしのんでいる場面がある。会いたくて会いたくてたまらぬけれども、相手の幸福を欲して会わないでいる心持ちには、会いたくて会う心持よりも、いっそう深い愛と美が輝いている。肉体の会いたさに打ち克っている。

それには感覚的な騒がしい美はないけれども、魂の静かな美がある。ここからのみ本当の明るさが来るのです。こうして魂が整ってから、その心の反影として肉体の世界が整う。こうして得られる男女の結ばれ方が本当の結ばれ方なんです。

楠野――よく解りました。目が覚めたようです。行手がハッキリしてきたようです。先生のおっしゃるように努めます。(小声で)皆様失礼いたします。(退場)

5124a hope:2015/01/18(日) 00:27:33 ID:cEpBaIdo

>>5123 a hope所感)

正直に言えば、この第五章のここのところの楠野青年の恋愛相談を拝読していて、わたしは楠野青年と民子さんを気の毒に感じていました。
二人とも離婚歴や女性遍歴はあったとはいえ、お互いに当時は独身で、普通に考えれば恋愛するのも自由なはずなんですが、
ここでは、まわりの人々に過去の行動なんかを評価され、無理やり一時的に別れさせられてしまったという結果になってしまいました。
昔の恋愛というのはみな、そんな感じだったのでしょうか?

ですが、
<<会いたくて会いたくてたまらぬけれども、相手の幸福を欲して会わないでいる心持ちには、会いたくて会う心持よりも、いっそう深い愛と美が輝いている。肉体の会いたさに打ち克っている。
それには感覚的な騒がしい美はないけれども、魂の静かな美がある。ここからのみ本当の明るさが来るのです。こうして魂が整ってから、その心の反影として肉体の世界が整う。こうして得られる男女の結ばれ方が本当の結ばれ方なんです。>>

という雅春先生の素晴らしいいお言葉を読んだとき、恋愛においても「環境は心の影」「肉体は心の影」という真理は普遍なんだな〜と納得しました。

でも、まてよ、わたしはそんな恋愛を今迄に経験したのだろうか・・・
もちろん、主人とは恋愛結婚でしたが、そこに「魂の静かな美」があったのだろうか・・・

あらためてチャレンジしてみようかな・・・
そして、主人に「また君に恋してる」なんて言わせてみようかな・・・(笑)

5125a hope:2015/01/18(日) 00:31:45 ID:cEpBaIdo

>>5122 るん吉さま

あたたかいお言葉をありがとうございます。 合掌。
また、いつでもご参加くださいね!!

5126a hope:2015/01/20(火) 00:14:39 ID:cEpBaIdo

「生長の家」第15巻 p172

平井―― (略) 
人の転住に方角の吉凶、男女の相性の吉凶、生年月日による吉凶、事を始めるのに日の吉凶があるのでしょうか?

谷口―― 人間は神の子であってひとりひとり宇宙の中心でありますから、どの距離へ対しても無限でありまして、本来東西なく南北ないのであります。だからどちらを向いても、みんな善い方角であるのが真理なのであります。

周囲がいかに暗くともわが行く先に光明を必ず見る、われ自身が光明であるからだというのが「智慧の言葉」にありますが、そのとおりでありまして、人間は神の子でありますから、どちらの方角を向いても皆善い方角なのであります。

また「思い立ったら吉日」という諺が昔からある。この諺は真理をうがっているのでありまして、人間は思い立ったときに恐れることなく断行する、この恐るるところなく断行するところに鬼神も避くる誠が出てくるのであります。

(中略)

方角の吉凶も、日の吉凶もみんな自分の心に在る。出かけしなに、今日は悪い方角へ向いて行かねばならぬ、何か悪いことが起こらねばよいがとふと思う、――あとは忘れて別に気にかけないでも、最初に「今日は悪い方角へ向いて行く」と思ったときに、心の力でその方角が悪くなっているのであります。

その代り「今日はよい日だ」と思えばその日は必ず善くなる。「智慧の言葉」に「天気の小言を言うな」と書いてあります。「日の小言」も同じことである。神のお創造(つく)りになった日に、悪い日などというものは一日もない。どの日も皆善い日である。方角でもみんな善い方角である。

世間では人間には健康者と病人とがあるという。しかし「生長の家」ではあらゆる人間は神の創造(つく)り給うた神の子であるから、みんな健康者であって病人は無いという、人間に病人があるのは迷信だという。人間が病気に見えているのはその迷いが影を肉体という鏡に映しているのだという。そして真理を悟らして人間本来無病完全の神の子だという真理に悟らしたとき今までどうしても治らなかった病が消える。その実例は『生長の家』誌友の中にたくさんある。

5127a hope:2015/01/20(火) 00:18:04 ID:brQxC10.

>>5126 a hope所感)

なんて素晴らしい真理なんでしょうか!

「悪い日はない」「悪い方角もない」「悪い相性もない」「病気もない」、
あるものは「善い日」「善い方角」「良縁」「健康」だけなんですね!

今夜も善い夢が見れそうです・・・(*^-^*)
それではみなさま、おやすみなさい。

5128a hope:2015/01/21(水) 09:25:09 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p176 

どんな美人でも眉を顰(ひそ)める習慣のある人を奥様に貰うと、よほど男の方が修養の足りた人でないと相性が悪くなり良人の運命が悪くなるのであります。
眉の間の晴れやかな暗いところのない婦人ならなんの歳生まれの人でありましょうともたといひのえうまの婦人でありましょうとも必ず相性がうまくいくのであります。
眉の間を常にしかめている人は常に不快な感情を自分で味わっているのでありまして、必ずその人は不健康か、不運なのであります。

5129a hope:2015/01/21(水) 09:25:59 ID:cEpBaIdo

>>5128 a hope所感)

わたしはここのところの文章を拝読して、思わず鏡を手にして、自分の「眉間」を確認してしまいました。(笑)
幸せになりたいみなさん、特に、p177の後から5行目〜は必見ですよ!
これって、一番簡単に運命を好転できる「裏ワザ」なんじゃないですかね。

女性のみなさん、こめかみにテープ貼って、目じりの皺や、顔のたるみ引っ張ってる場合ではないですよ!
伸ばすところが違いますよ!!!

5130a hope:2015/01/23(金) 00:01:12 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p179 7行目〜

谷口――(略)
『神想観』をする時にも、精神を統一すると眉を顰める習慣のある人がある。こういう人は自己の放散する霊波が暗いから、ともすれば低級霊の霊波を感受致しますから今後は眉をできるだけ伸ばすようにして精神統一をし、自分自身より放散する心的霊波を朗らかなものにしていっそう高い明るい霊波を感受するようにせられるのが、神に近づく道であります。

眉というのは人間というラジオ的受信機の捻子(ねじ)のようなものでありますから、眉をひそめて神想観なり鎮魂なりしている方の様子をみていますと、その肩のところに悪霊波が客観化したのが見えることがあります。

5131a hope:2015/01/23(金) 00:02:36 ID:cEpBaIdo

>>5130 a hope所感)

わたしは神想観は大好きですが、たまに、気分のあまり良くない時にしたりすると肩が重く感じられ、意識も「祈りの言葉」に集中できないときがあります。
もしかしたら、こういう時には低級霊の霊波をキャッチしてしまっているのかもしれませんね。

この後、この座談会で雅春先生は、『狐狸等の「憑霊」』と『人間の「念」の形象化』の関係を説明してくださっています。

とても興味深いです。

5132a hope:2015/01/23(金) 10:21:27 ID:cEpBaIdo

(a hope まとめ) テキストp179〜182


「狐狸の憑霊」と「念の形象化」とは・・・

○人間は万物の霊長であるから、動物の霊に支配されるといことはない

○憑霊というのはほとんどが人間の「念」形象化である

○「念」は形に化して顕れる傾向がある

○一つの「迷いの念」が客観化して物質的にみえるのが病気であるのと同様に、
「迷いの霊波」がその地方独特な迷信と結合し、人間について狐狸の姿等に客観化してワザをするのが憑霊である

○感受した念の象徴化には一定の法則がある
・狡い懶(なま)け者人に感受した念(こころ)―― 狸の形に象徴化して見える
・賢(さか)しく敏捷で化粧好きな人に感受した念(こころ)―― 狐の形に象徴化見える
・執念深い人に感受した念(こころ)―― 蛇の形に象徴化して見える
・高慢な人に感受した念(こころ)―― 鼻の高い天狗に見える


※たまに何の罪もないのに故意に殺されたような場合に山野自生の狐狸の怨霊の憑依するような例【祟(たた)りの霊の襲撃】もあるが、
恨みも由縁(ゆかり)もないのに野生の狐狸の霊魂が感応憑依するものではない


p180 後から2行目〜
<<恨みも由縁もないのに人間に感応して来る狐狸の霊というものは、実は野生の狐狸の霊波ではなく、人間から発する善からぬ念波がその地方特有の迷信に則(のっと)って凝集作用、変形作用、象徴作用によって形象化したものが類似の念を有する人間に感応して、その姿をあらわしているのであって、人間の念同志だから最も感応しやすいのであります。>>



【対策】

○観念の波として心の中に存する病気が、心の中の観念を取り去ったら治るように、いわゆる狐狸の霊も心の迷いを消せば消えてしまう


p182 5行目〜
<<しかし形象化した以上はそれぞれ個性的に独立した働きをするので、霊眼にも見え、喋らせればペラペラ喋ったりしますが、本来それは無いものですから、その棲家(すみか)やら、生年月日やらいろいろ分析して追求してゆきますと、しだいにその答えが支離滅裂になって、結局、何も無いということになってしまうので、わたしはこれを象徴的憑依と称しています。>>

5133a hope:2015/01/23(金) 10:24:39 ID:cEpBaIdo

( a hope所感)

テキストではこの後(p182 9行目〜)「象徴的憑依」と「業の流転」そして「生霊」「怨霊」「障礙霊」との関係が説明されています。

雅春先生って、ほんとすごいですね!

5134トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/01/23(金) 11:50:26 ID:qhzd28iE
>>5132

 この憑霊については、正しい知識を持つことが本当に大事だと思います。

 かなり前ですが、タヌキにとりつかれた親族を真言宗の祈祷僧のところへ連れて
行った人がいて、加持祈祷をしていている最中に祈祷された人が亡くなり、結果と
して、祈祷をした人が逮捕され、有罪の判決を受けた事があったそうです。

 こういう悲劇をなくすためにも、このご文章は大事だと思います。

5135a hope:2015/01/24(土) 10:00:29 ID:cEpBaIdo

>>5134 トキさま

コメントをありがとうございます。
「生長の家」の教えからいえば、?神の子人間? が、動物や、
暗黒世界を支配する悪魔のような存在に支配されるということは在り得ないと思うのです。

ですが、そのような動物憑依の迷信や「罪あり悪あり現象あり」の暗黒思想がこの世の中に少なからず広まってしまっているのが現状です。

その迷信や暗黒思想を信じてしまい、波動を合わせてしまったときに『象徴的憑依』や『病気』や『不幸』のような良からぬ現象が起こるのだと思います。
(わたしは雅宣先生や純子先生のご思想もこの暗黒思想であり、現教団はこの暗黒思想の影響を受けてしまっているが為に衰退現象が起きているのだと思っています。)


完全なお悟りを得ている雅春先生の光明思想の『聖典』を拝読して、その心の「迷い」を完全にとりさって、
?神の子? の自覚がまことに得られればみな幸せになれますのにね!

その光明思想を広める運動こそ、本来の生長の家の「人類光明化運動」なのですよね!

現生長の家教団が一日も早く、本来の「人類光明化運動」を取り戻して下さること祈っています。

5136a hope:2015/01/24(土) 10:03:16 ID:cEpBaIdo
>>5135 訂正

?神の子? →?神の子?

5137a hope:2015/01/24(土) 10:05:23 ID:cEpBaIdo
>>5136
訂正になっていませんね(笑)

5139a hope:2015/01/25(日) 13:30:34 ID:cEpBaIdo

(a hopeまとめ) テキストp183


人間がある『念』を起こした場合に起る二つの作用

○ 外に放射 → 漠然たる念波 → 1、波長の合う他人に作用 2、凝縮作用により独立した個性的生霊になる 3、象徴作用により象徴的憑依を起こし、怨霊、障礙霊などになる

○ 自分自身の内に印象 → 『業』として潜在 → 生を生まれかわってもその業が流動流転してくる

5141a hope:2015/01/25(日) 16:07:31 ID:brQxC10.

「生命の實相」p183 後から4行目〜

伊藤――わたしは法華経の修験者として以前多数の病人を治したことがありますが、わたしの師匠になる方から霊術で病気治しをした者の末路は必ずよくないから止す方がよいと教えられ病気治療を止しました。それ以来諸方の霊術家の末路というものを考えてみるとたいていよくない。

ある霊術家は友だちと一緒に河豚(ふぐ)を食って自分だけ食傷して死にました。ある霊術家は腕に肉腫といいますか、女の尻ほどの大きな瘤(こぶ)ができて死にました。これなどは確かに霊術で退散せしめた悪霊の怨念に祟(たた)られたのだと思います。


野田――それは法力で病気を治すだけで病人に真理を知らせて治さぬためにそんなことになるのでしょう。真理を知れば、そんなことはない。病人が真理を知り、「生命の実相」を知り、障りをする悪霊の波長と合わなくなって病気が治る段には悪霊は障りをすることができなくなるにちがいありません。


伊藤――本人に悪霊が感応しなくなるだけで、その悪霊そのものを教化することができなければ、その悪霊はまた他の人に感応して禍(わざわい)を起すにちがいありませんから、わたしは、悪霊は何よりも教化しなければならんと思うのです。

日蓮宗の方では第一鑑定、第二教化、第三経文ということになっています。「鑑定」というのはいかなる悪霊が障りをしているかこれを鑑定しなければならない。「教化」というのは、その悪霊を霊媒に招霊して、よく教えを説いて聞かし、改心して再び禍を起さなくさせるのです。「経文」というのは経文を誦(よ)んで仏力によって悪霊を救いとるのです。

5142a hope:2015/01/25(日) 16:08:53 ID:cEpBaIdo

>>5141 a hope所感)

誰でも「重い病気」にかかれば、藁をもすがるような気持ちになって、その病気を治す努力をするのではないでしょうか?

良い医者にかかったり、食べ物を工夫したり、ご先祖さまや神さまにすがってみたりもするでしょうし、

狐狸の霊や悪霊が憑いていると言われれば、祈祷師や霊術家にその霊を祓ってもらおうとするのかもしれません。

ですが、ここでは一見、「命を救う」というとても尊い仕事をされている霊術家と言われる方々の末路があまりよくないという、
その原因についてみなさんで話し合われています。

この後、雅春先生がその原因について生長の家の「迷いの自壊作用」を根拠にした説明と、
「怨霊」や「障礙霊」などの『憑霊』を根拠にした説明を二方面からしてくださっています。

雅春先生は、どんな時にも相手の立場や理解力を考慮しながら、自由自在の方便を用いて真理を説明されています。

すごいです!!

5143a hope:2015/01/26(月) 10:53:23 ID:cEpBaIdo

「霊術で他人の病気を治した者の末路がよろしくない理由」の二面的説明

説明その一、自然(因果)の大法を破ったことへの報いを受けたから

○病気は「迷いの自壊作用」であるから、そのことによってその人の神性が磨き出される自然的過程になっている
○それを横合いからいって突然その病気を治すと、治された人は真理もなにも知らないままになる
○それは病人を治しながらかえって相手の向上をさまたげたことになる

p185 後から6行目〜
<<「迷いの自壊作用」として真理を知らす自然の過程として起ってきた病気がその意義を全うせずして捨てられる。これは因果の法則を破ったことになる。ここに病気を不法に治した人に責任が問われなければならない。だからわたしは直接治療で法力で患者を治すということはしないのです。そんなことをしなくても本を読むだけで、神想観をするだけで、真理を知ればそれだけで、病気は治るのです。>>



説明その二、障礙霊の復讐を受けたから

○怨霊その他の障礙霊にもそれ相当に理由があって病人を悩ましている
○それを霊術を用いて悪霊を退散せしめると、その悪霊の憤りによる害悪の念波が術者を襲う

p186

<<われわれがその病人を治すのにある種の霊術を用い、法力という強制力によってその悪霊を退散せしめますと、「盗人にも五分の理」という諺もありますとおり怨霊その他の障礙霊にもそれ相当の理由があって病人を悩ましているのでありますから、それ相当の理由で不平があり、憤りを発して、その憤りによる害悪の念波が、常にその術者を襲っているわけでありますから、術者の心が真理を知らず、ちょっと隙ができたとなると、その害悪の念波が術者を襲うことになり、心霊術家の末路はおもしろくないといあれるようになるのでありまして、これは一面から言えば因果の大法を破った報いであり、他面から言えば、障礙霊の復讐を受けたことになる。
生長の家では本を読んで真理を知って自分で治るからそんな弊害はありません。>>

5144a hope:2015/01/26(月) 10:54:33 ID:cEpBaIdo

>>5143 a hope所感)

「生長の家」の唯神実相の真理から言えば、「心(念)もない」わけですから、
その念波が凝縮したり象徴したりしてあらわれている悪霊など本来存在する筈はないのですが、
それを信じてしまっている人にとっては存在しているのも同然なのですから、
その原因を理解できるように説明してあげることも重要なのではないかと感じました。
それが、説明その二になるのだと思います。

この真理をちゃんと悟ることができれば、心霊現象なども全く怖くなくなるような気がします。

<<そんなことをしなくても本を読むだけで、神想観をするだけで、真理を知ればそれだけで、病気は治るのです。>>
<<生長の家では本を読んで真理を知って自分で治るからそんな弊害はありません。>>

いずれにしても、「聖典」を拝読することにより、真理を知ればこの人生でなにも恐れることはなくなりそうです。

5145a hope:2015/01/29(木) 23:44:51 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p191 2行目〜

谷口――・・・(略)
・・・このように念の力というものは黙念でも感応していろいろな禍(わざわい)をしたり、あるいはそれが善い念であったら幸福や健康を与えたりするものでありますが、また、この「念」はある人から放射された時だけ働くのではなく、いったん放射された「念」が一定の場所や物に蓄積されていまして禍を与えることもあります。

わたしは以前住吉の某所にいたことがあります。それはまだわたしが因縁を超越する真理を悟っていない前でしたので、その家に住まっている間中わたしは不健康でした。まだわたしが不健康で死ぬような気がする。・・・

5146a hope:2015/01/29(木) 23:46:00 ID:cEpBaIdo

>>5145 a hope所感)

人間の「念」の力というのはすごいものですね。
むかしの日本の幽霊は「うらめしや〜」といって出てきたようですが、幽霊の姿を見ないまでも、
そのような「悪念波(怨念)」に波長を合わせてしまうと、怨み殺されてしまうということも本当にあるようです(◎_◎;)。

まだお悟りになる以前の雅春先生も、当時住んでいた家に蓄積されていた「肺病で亡くなった方々」の悪念波を受けて体調を壊されていたようですね。

一時的な対策としては、その悪念の蓄積されている場所や物をさけるのがいいのでしょうが、
ふつうの人間ではどの場所やどんな物に悪念が蓄積されているかなんてわからないと思うのです。
ですから、自分自身の波動を良化しない限り、何度でも悪念波を受けてしまい、健康を害したり不運に見舞われたりする可能性はあると思います。

ですが、真理を悟って因縁を超越すれば、どこにいようが、何を持っていようが、そのような禍に巻き込まれることはなくなるようです。

わたしたちは、谷口雅春先生の「聖典」を拝読しつづけることで波動を良化できますし、
生まれ持った因縁も超越できるのですから本当にありがたいですね!

5147志恩:2015/01/30(金) 09:15:35 ID:.QY5jUA6
伝統さま掲示板より
人時処の三相応に適して生きるNEW (134)
日時:2015年01月30日 (金) 04時44分
名前:伝統

           *『白鳩』誌(昭和49年9月号)より 

私は家内にその曇っている内障ある眼のレンズ 〈水晶体〉 を切除して、
人工のレンズで補うことを勧めたのである。 私は理論的にそのことを勧めた。

「生長の家の誌友や信徒の中には老人性白内障にかかっても、聖経読誦で治したい、
神想観で治したい、悟りを深めて治したいと一心にあんたのように苦労している人も
あるが、そうして治るのは若い人の白内障である。 

老人性白内障は60歳を越えると誰でも顔にシミが出来るが、
これは色素排泄の調節力の老衰であるが、あんたには顔に他の人ほどにあまり
シミが出来ない。 

その代りにそのシミが不幸にして眼の水晶体に出来てそのために
レンズが不透明になって来たんだ。 

その不透明なレンズを人工的に切除して眼鏡のレンズと置き換えることは、
蝕くった歯に金充填するようなもので、歯は金充填をする手術をしながら、
眼の手術を恥じる必要はない。 

宗教人であるから、静坐や、悟りや、読経で治さ‘ねばならぬ’と頑張るのは、
柳生但馬守が自分は剣者だから雨を刀を揮って斬り払わ‘ねばならぬ’と考えたり、
沢庵禅師が、自分は禅者であるから坐禅によって雨に濡れないでいなければならない
と考えて、濡れていながら、実相は濡れていないと頑張るのと同じことだ。

生長の家はそんな‘ねばならぬ’を放ち去って、人時処の三相応に適するように
雨には傘をさして濡れずという風に物質的に処置し得るものは、簡単に物質的に
処置するのが三相応の道であり、それが生長の家の生き方だ。


あんたが白内障にかかって手術によって視力を恢復したということを聴いたら、
今のあんたのように老人性白内障にかかりながら信仰によって、悟りによって
直さねばならぬと頑張って苦しんでいる信者が “生長の家でも手術しても好いんだ” 
と安心してそれによって多くの人々が救われることになるのだ」

 
わたしはこんな話をして、家内をして、ついに白内障の外科手術をすることを
納得せしめたのであった。

http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18684691.html
 
           <感謝合掌 平成27年1月30日 頓首再拝>
……………………………………………………………..
a hopeさん

信仰は、両刃の剣だと思います。
病気になった場合、医者に行けばいいし、霊障害をうけていると分かった場合は、
ほんものの霊能者のところへ行ってお祓いを受ける事も、まちがいではないと私はおもいます。

本を読んだだけで,治る人も居ますが、そうではない場合もありますから。
その点は、本に書いてあるからと言って、あまりこだわらないほうがいいのではないでしょうか。

昔、谷口先生ご一家も、虫歯になれば、みなさま、歯科医へ行き、虫歯の治療をされてましたからね。

5148志恩:2015/01/30(金) 09:42:07 ID:.QY5jUA6
5143:a hopeさん

>>「霊術で他人の病気を治した者の末路がよろしくない理由」の二面的説明<<
これも、全員がそうだというわけではなく、そういう人が多々あるということだと思います。

前にも、お話しましたが、
私の母は、生長の家に入信する前は、知り合いの医学博士のすすめで
趣味で「心霊科学研究会」をされていた浅野和三郎先生の直弟子のお一人である竹内先生がされていた
集まりに参加しておりました。

その心霊科学研究会で、母も私も、当時の医学では治らなかった病気を一度行っただけで、完治して
頂いたことがございました。(私の病気とは、重度の腎臓病)

でも、竹内先生は、東大出の弁護士だったので、お金は困っておらず、
趣味でやっているからといわれて、お金は一円も
受け取られませんでした。
そのような、志の高い、霊能者でいらした竹内先生は、末路も晩年も幸せにお暮らしでした。

私は、いちどだけでしたが、先生の晩年にご挨拶にご自宅へ伺い、
年賀状の交換は、先生が亡くなられるまで、させて頂いていましたから
先生の実際の末路のご様子は、よく存じ上げているのです。

ですが、この世には、お金儲けのために、インチキまがいの霊能を商売にしている
霊能者があふれているのも事実ですから、
そのような悪徳霊能者の末路、晩年はよくないということだと、私は受け取らせて頂いております。

で、霊能力で病気が治った体験のある私は、その後,私が中学2年生頃のこと、、
母が、生長の家に入信しましたので,私も母とともに生長の家に入信し、
その後は、心霊のほうの集まりへは、行っておりませんでしたので、

心霊は、やめて、
心の問題専門に學んで参りましたから、母の晩年も私の晩年も幸せに過ごさせて頂いております。

5149志恩:2015/01/30(金) 10:19:47 ID:.QY5jUA6
つづき
私の実母は、生長の家に入信後、竹内先生宛に毎月、神誌「生長の家」誌を送る
愛行をし続けておりましたし、【生命の實相】全巻も 寄贈していました。

なので、竹内先生は、生長の家の教えにとても好感を持っておられることは、
先に書きましたように、
先生の晩年に 私が、先生のご自宅へご挨拶に伺いましたおり、、
生長の家の話がでましたから、そういうこともあり、末路が良かったのかもしれません。

5150a hope:2015/01/30(金) 11:14:26 ID:cEpBaIdo

>>5147志恩さま

貴重なアドバイスをありがとうございます。 合掌。

<<信仰は、両刃の剣だと思います。
病気になった場合、医者に行けばいいし、霊障害をうけていると分かった場合は、
ほんものの霊能者のところへ行ってお祓いを受ける事も、まちがいではないと私はおもいます。
本を読んだだけで,治る人も居ますが、そうではない場合もありますから。
その点は、本に書いてあるからと言って、あまりこだわらないほうがいいのではないでしょうか。
昔、谷口先生ご一家も、虫歯になれば、みなさま、歯科医へ行き、虫歯の治療をされてましたからね。 >>


わたし自身も病気になれば病院へ行きますし、わたしの家族もみな病院へ連れて行っています。
「因縁を超越する真理」を本当に悟るまでは、世間一般の常識に沿って生活していた方が無難だと感じています。


>>5148

<<>>「霊術で他人の病気を治した者の末路がよろしくない理由」の二面的説明<<
これも、全員がそうだというわけではなく、そういう人が多々あるということだと思います。>>

わたしももちろん、そうだと思います。
現在も、世界中にたくさん志の高い高潔な霊術者の方々がご活躍されているのだと思います。


>>5143での説明その二は、あくまでも、

『術者の心が真理を知らず、ちょっと隙ができたとなると、その害悪の念波が術者を襲うことになり、
心霊術家の末路はおもしろくないといあれるようになるのでありまして…』

と雅春先生もおっしゃっているように、術者が「因縁を超越する真理」を悟っていない場合に起ることなのだと思います。

志恩さまも、お母さまも、竹内先生も その後、「生長の家」にご縁があったのですね!
おそらく、当時はたくさんの霊能力者の方々が「生長の家の真理」で救われていたのではないかと感じています。

5151志恩:2015/01/30(金) 12:18:36 ID:.QY5jUA6
a hopeさん
>>5143での説明その二は、あくまでも、

『術者の心が真理を知らず、ちょっと隙ができたとなると、その害悪の念波が術者を襲うことになり、
心霊術家の末路はおもしろくないといあれるようになるのでありまして…』

と雅春先生もおっしゃっているように、術者が「因縁を超越する真理」を悟っていない場合に起ることなのだと思います。

志恩さまも、お母さまも、竹内先生も その後、「生長の家」にご縁があったのですね!
おそらく、当時はたくさんの霊能力者の方々が「生長の家の真理」で救われていたのではないかと感じています。<<

a hopeさんの 仰る通りだと私も思います。
だって「生命の實相」は、2000万部、2 0 0 0 万 部 もですよ、売れた空前の大ベストセラー本なんですから、

アクエリアンさんがご紹介下さったモーリーさん以外にも,隠れ生長の家人の甚大な数の人が、地底に潜んでいると想像できますものね。
やめちゃったかどうかは、しりませんけれど。。。

5152a hope:2015/01/30(金) 23:19:51 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p193 2行目〜

井上――念は自己から発射されて自己を放れてしまい、あたかも発射された弾丸(たま)のように自己から独立した念波は、弾丸が物に当たって運動慣性がなくなるように、目的を達した後は自然に消えてしまうということは解りますが、念を発したならば、自己自身がその念の印象を受けて、それを業として背負わねばならないということを承りますと、わたしにはこの問題の方が重大です。

この自己自身が業として背負わねばならぬ念の印象、念の習慣性というようなものは実に恐ろしい気がします。この業の解消法というものがありましたら、それを詳しくお教えしていただきたいと存じます。


(a hope所感)

この後この井上さんの質問に対して、雅春先生がとても詳しく沢山の例え話を交えながら「業の流転」の仕組みをお答えくださっています。

その中でもわたしが、特に印象に残ったところは、p199の4行目からの文章で、
「病念をまだ一度ももったことのない生まれたばかりの赤ちゃんがなぜ、病気にかかるのか」ということが説明されている箇所です。

その個所をつづけて抜粋謹写させていただきます。

5153a hope:2015/01/30(金) 23:20:41 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p199の4行目〜

・・・こうしてわれわれは生まれながらにして、いろいろな業をもっている、この業の内容というものは蓄積されたる過去の念でありますから、赤児(あかご)はまだ病気というものを思ったことがないのに病気しているから、病気というものは念のあらわれだということは承認できないといわれる人があっても、それは見当違いでわれわれは生まれながらにしていろいろな業をもっているということが解れば、疑問が氷解するのであります。

この業は幾度も生まれ更わった霊魂ほど現世、幽界を度かさねて浄化作用を営んでおります。で現幽両界の境を超ゆる時、および幽界にて浄化を遂げるうち、神の摂理によって業の濾過作用が行なわれているので、この業の濾過作用の一つは過去世の記憶のいっさいを拭い取られてくるということであります。

ですからわれわれの小児時代は比較的清らかでありますが、必ずしも幼児の心はキリストの言ったように天国の心ばかりはもっていないで、生まれつきの意地悪や、盗癖なども持っています。これは過去世の業を持ち越している証拠です。・・・

5154a hope:2015/01/30(金) 23:27:27 ID:cEpBaIdo

>>5153 a hope所感)

わたしは自分の子供達をくらべ見てみますと、みな自分と主人の子供で、同じように育てているつもりなのですが、
それぞれ持って生まれた性質も違いますし、成長するに従がって、得意なことや、好き嫌い等もハッキリ別れてきています。

そのことは、本当に不思議に感じていましたが、前世からの「業の流転」であると考えるとすべてが納得できます。

「業の流転」を考えて子供達を見直してみると、なんだか子供たちの悪癖まで、すべてが愛おしく感じられてきました!

5155a hope:2015/01/30(金) 23:36:14 ID:cEpBaIdo

>>5151 志恩さま

<<だって「生命の實相」は、2000万部、2 0 0 0 万 部 もですよ、売れた空前の大ベストセラー本なんですから、
アクエリアンさんがご紹介下さったモーリーさん以外にも,隠れ生長の家人の甚大な数の人が、地底に潜んでいると想像できますものね。>>

本当ですね。
そんな素晴らしい聖典「生命の實相」をないがしろにしている、現「生長の家」教団はクレイジーとしか思えません。


今の教団が恥ずかしくて、「自分は生長の家の信徒だ」とか「自分は生長の家の信仰をしている」とか公言できずにいるたくさんの方々が、
志恩さまのおっしゃる、『隠れ生長の家人』と言う訳ですね。

わたしもその一人ですが・・・。

5156志恩:2015/01/31(土) 06:34:19 ID:.QY5jUA6
5154:a hopeさん

神様から 授かった 子供たちは、神様から 預かった 子供達だと教えて頂いていますものね。
前世において深い縁(えにし)のあった人たちが、自分のところへ来てくれてるようです。

自分が居たと 同じ星から来た人もいれば、違う星から来た人もいるようです。
うちは、3人の子がいますが、a hopeさんとこのお子さんたちと同様、3人とも、それぞれ、性格が ちがいます。

小さいときは、いろいろと、子供はやるもんで、大人になってから、なんで、あんな危険なことを したんだろう、と
自分で言って、笑ってますよ。

うちの子供達、特に娘は、幼い頃は、うちが小高い丘のてっぺんにあるせいか、どんな高い所も
怖くない性格だったんですよね。高所安心症?

あれは、娘が、4、5歳くらいだったかしら、近所にマンションが建つので、大手の建設業社が、地面の造成工事をしてて、
どのくらいの はしごの長いクレーン車だったか、工事現場に、クレーン車が、置きっぱなしになっていたんです。

日曜日ですから、工事は休み、白いテントを 敷地の周囲に、ハリメグラシテあり、
「立ち入り禁止」の札が、吊るしてあるのもかかわらず、うちの子達3人は、日曜日、テントをくぐって、こっそり、敷地内に入って行った。
長男と次男は、低学年。女の子は、幼稚園。

3人が、敷地内に侵入した共通の目的は、クレーン車の、あの高い高い はしごのてっぺんまで、登ってみる事(汗)。

なにも臆せず、先頭を切って、どんどんと、当たり前のように、目標のクレーン車のはしごのてっぺんまで 登って行ったのは、娘だったそうです。

二人のおにいちゃんは、半分も登らないうちに、怖くなって、やばい、やめよう.降りよう、帰ろうと、言ったけれど,妹は、
高いところが ぜんぜん怖くないタチなので、お兄ちゃんたちが、制する言葉も きかず、

娘は、ひとりで、てっぺんまで 登って行ったそうです。あとから 娘に聞いたところによると、
その時は、なにせ、目標の てっぺんに いくことしか、頭になかったそうです。

娘は、一人ではしごの てっぺんまで 行っただけじゃなく、おまけに、てっぺんまで行く途中のところに、少しだけ 広くなってるところがあり、
そこで、おにいちゃんたちに、「こわくないよ」と言って、
でんぐり返しを してまで、みせたそうで、それで、てっぺんゆきの目標を達成したので、何事も なかったように、
満足そうな顔をして、降りて来たそうなんです。(あれは、登るときより、降りるときのほうが、落ちる危険性が高いと思います)

その直後は、3人とも親に言うと,𠮟られると思って、しばらくは、内緒にしていましたが、しばらくたってから、子供達は、私に打ち明けてくれました。
誰かを いじめるとか、迷惑を かけるということは、その点は、厳しく言っていたので、あまり なかったと記憶していますが、

後で聞いたら、身が縮むような悪さは、そのようにしていたんですよね。

あの時、子供達が、誰ひとり、クレーン車の高い はしごから落ちて、
死んでなかったのは、神様、産土神様、ご先祖様のご守護のお蔭ですけれど、本人も、まだ、この世に 生きる使命があったからだったと思います。

(娘の娘たちは、あの頃の年齢ですが、恐がりなので、そのようなことは、していません。)

5157志恩:2015/01/31(土) 06:41:43 ID:.QY5jUA6
たしかに、今の生長の家は、本来の生長の家とは、別物になってしまいましたから、
私は生長の家ですと、世間に いいずらくなりました。

教団本部からみたら、雅春先生の「生命の實相」を基に生きているわれわれは、大東亜戦争に関する
考え方でも、ウルトラ右翼に見えるのでしょうけれど、

教団は、ウルトラ左翼ですからね。

雅春先生と雅宣総裁は、真逆の世界を生きておられます。

5158a hope:2015/01/31(土) 12:48:36 ID:cEpBaIdo

>>5156志恩さま

お子さんたちの小さい時のお話を聞かせてくださりありがとうございます。
お話を拝見していて、その時の状況が目に映るように想像できました。

そのおてんば(?)だった娘さんも、今は二人(?)の娘さんのお母さまなのですね。
でもその娘さんたちが、お母さんと違う「恐がり」という性質なのもまた何か意味がありそうですね。


<<神様から 授かった 子供たちは、神様から 預かった 子供達だと教えて頂いていますものね。
前世において深い縁(えにし)のあった人たちが、自分のところへ来てくれてるようです。>>

<<あの時、子供達が、誰ひとり、クレーン車の高い はしごから落ちて、死んでなかったのは、
神様、産土神様、ご先祖様のご守護のお蔭ですけれど、本人も、まだ、この世に 生きる使命があったからだったと思います。>>


「児童教育に関する神示」は子育てにおけるわたしの心の支えとなっている神示ですが、
その中にも、

『・・・神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。
人間の子だと思うものは終世、取り越し苦労をして育てねばならぬ。
子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬して出来るだけその世話をさせてはいただくが、
神が守ってい給うと信ずるがゆえに取り越し苦労は必要はないのでる。
人間力で子供を生かしうると思うなら終日終夜起きて子供の番をしておれ。
それはできなかろう。
できない間に子供を生かしているのは神の力である。 』

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/3879

とありますものね。

子供を自分の所有物だと思って育てていると、子供を心で拘束してしまうのだと思います。

子供には子供の「神の子」としての使命があるのだから、
その使命を全うできるように感謝してお世話させていただきたいと思います。


志恩さまのお話はいつもとても具体的で解り易いので、閲覧者の方々も楽しみにされていると思います。

わたしも、いつもほとんど一人でweb誌友会をさせていただいていますので、
時々でも志恩さまやトキさま、その他の方々が参加くださると、ホッとします。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。 

感謝 合掌。

5159a hope:2015/01/31(土) 19:37:37 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p199 後から1行目〜

・・・過去世の業のうち、善くないものとしてわれわれの主として持ち越して来るものは、(一)個我をありとする念、(二)物を有りとする念の二大業であります。これが我欲の根本となり、たいていの人は本能的に個我を有りとして愛するがために、「物」本来ありと思うがために、「我」に少しでも「物」を所得せしめておかなければ自分自身を保護することができないと思い、己を愛し己を保護せんとして、遮二無二突貫して行きますから、自分自身を愛するのに邪魔となるもの、自分から「物」を持ち去ろうとするものに対しては、それを憎む念、憤る念を誘発しやすい傾向をもっております。これを業の催しと申します。・・・

(中略)

・・・この業の催しの中心力となるものは「個我を有りとする念」と「物を有りとする念」とでありますが、本来われわれは大生命と一体であって、個我はない、実在するいっさいは霊的大生命の所現であって、「物」は無いのでありますのに、なぜ、「個我」をありと思う念が起こり、「物」がありと思う念が起こったかと申しますと、現象界というものは、時間空間の縦横組み合わせのフィルムの上に映し出されますので立体写真的に写され、フィルムの一駒一駒中の映像を空間的に実在すると思い違いしやすいのです。その結果は一駒一駒を全体としての一つの流れに融け込ますことを惜しく思うのであります。・・・

(中略)

・・・つまり、個我と個我の所得に執着するときは、現象界は善い具合に順調に運ばないのであります。それで釈迦は「個我は無い」「所得はない」「無我」「無所得」ということを強調されたのであります。無我、無所得であることが悟れて、個生命が我執で執着しなくなったとき、現象界のフィルムは自動的に淀みなく回転し、一駒一駒のフィルムは全巻のフィルムの中に融け込んで一体となり、そこに現象界なるスクリーンには完全なる生命的映画が映ることになるのであります。

一駒一駒のフィルムが全巻のフィルムに融け込むとは、無我になって全体のために、または愛他的のために奉仕するということです。人を救い国のために尽す時のわれわれの心持ちの何物にもたとええぬ快さはここからくるのであります。この時には過去の持ち越しの自利的我欲的な業に縁を与えませんから、そういう業の催しは起らず、いったんかかる善業を積んでおきますと今後同様の縁が与えられる場合には前の善業が働き出して比較的容易に全体奉仕または愛他的の行為ができます。・・・

5160a hope:2015/01/31(土) 19:42:36 ID:cEpBaIdo

>>5159 a hope所感)

今回のテキストである第15巻の最後(p192〜204)に「業の流転」についての説明があるのですが、ここのところのご説明は、
唯物論者や、「生き通しの生命」を信じていない方々には、とても理解しがたい内容なのではないかと感じています。

わたしは以前、仏教に興味をもって少し勉強したことがあるのですが、その時にはまったく「無我」「無所得」の意味が解りませんでしたが、
今回、雅春先生のここのところのご説明を拝読して、やっと意味が通じました。

ですが、真理の「意味が解る」のと「悟る」のでは全く違うと思うのです。

『無我、無所得であることが悟れて、個生命が我執で執着しなくなったとき、現象界のフィルムは自動的に淀みなく回転し、一駒一駒のフィルムは全巻のフィルムの中に融け込んで一体となり、そこに現象界なるスクリーンには完全なる生命的映画が映ることになるのであります。』

現象界が上に抜粋した文章のような状態になって、自分の前に地上天国が顕われたとき、その時が本当に悟れた時なのですよね・・・。

「雅春先生のお書きになった聖典や愛国書をそのまま後世に伝え残すこと」も「生長の家」にご縁があった信徒の大切な使命なのかもしれませんが、
わたしはそれが雅春先生の本当の御遺志ではないと思うのです。

「わたしたち信徒一人一人がその聖典の真理を学び続けることで、雅春先生のお悟りに少しでも近づき、人類を光明化し続けること。」
それが雅春先生が一番お望みになっていることであり、本当のご遺志だったのだとわたしは理解しています。

今現在、雅春先生の聖典が地上からすべて消え去ってしまったわけではないのですから、
今手に入る聖典を熟読し、雅春先生のお悟りに少しでも近づくこと、それが一番雅春先生がお喜びになることなのだとわたしは信じています。


ところで、今日で、1月も終わりです。
明日になりましたら、第32回 web誌友会を開会させていただきます。

感謝 合掌。

5161a hope:2015/01/31(土) 19:45:52 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第32回 web誌友会 予告

期間   2月1日〜2月28日まで
テキスト 「生命の實相」第16巻 人生問答篇 下
内容   人生の悩みを解く(下)
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5162a hope:2015/02/01(日) 00:26:56 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p204 3行目〜

・・・業はどこにある。捉えんと欲しますれば、鏡にうつる波動的映像ですからどこにも本来ありません。本来無いものでありながら波動であるがゆえに何全何万年も経ましてもその力の流転を継続するものであります。石炭が燃焼するのは、実は数百万年前の木材の業の流転であります。この業の流転こそ、現象宇宙進化の大原動力ともなるのであります。

人間も業は恐るるに足らず、業が集積し流転しこれによって現象人間が進化するのであります。だから悪業を積む、病気になる、心が神に向かうというような経路によって高められる人が大勢あるのであります。それはなぜか。業の流転の奥には必ず実相があるからであります。

鏡面(かがみ)の中に映像が映るのは源(みなもと)に実体があるからである。映像がしだいに実相の完全さを映すように運命つけられているのであって、決してショーペンハウエルの言ったように盲目的意志に導かれているのではありません。業を恐れず、業をきよめつつ業を積んでゆく時、人生はただ光明への旅路となるのであります。

『生命の實相』(頭注版)第十五巻 <<完>>

5163a hope:2015/02/01(日) 15:24:36 ID:cEpBaIdo

2月に入りましたので、第32回web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5164a hope:2015/02/01(日) 15:26:40 ID:cEpBaIdo

つづきまして、今回のテキストである 第16巻の「はしがき」を謹写させていただきます。

「生命の實相」第16巻  

はしがき

わたしが兵庫県武庫郡住吉村で生長の家を始めたころに集まってこられた求道者との対談や、質問に対する回答の筆録は、今ではなかなか得がたい文献になっているのである。なぜなら、今ではあまりに生長の家の人類光明化運動が拡大してその規模が大きくなり、数名の熱心な求道者や悩んでいる人たちにしみじみわたし自身対談して個人指導を与えている時間的余裕がないからである。

昨今、わたしは大都会では大講堂で四、五千名を一堂にあつめて真理の講演をするし、小都会でも一千名より聴衆の少ないことは稀である。個人個人の悩みを親しくきいてあげ、その求めるところにしたがって回答を与えて差し上げることはまことに尊いことである。しかし、このように運動が拡大してくると、数人または一人ずつに対談していることは時間的に不可能となったのである。

講演または講習会によって大量に教化するより仕方ない。そうしてみると、わたしの住吉在住時代の対談の記録には講習会では得られないしみじみとした深いものが、その在々所々に真珠のように鏤刻(るこく)されているはずである。そのころにはテープレコーダーもなかったし、わたしの貧しい経済では速記者をやとうこともできなかったから、その記録は、会が終わってから、わたし自身がその場の光景や雰囲気を思い浮かべながら書いたのである。

書くにしたがって次々とその光景があらわれ、対話そのままが髣髴(ほうふつ)とあたかも霊示できくかのように浮かび上がってくるものであるから、翌月の『生長の家』誌にその記事がのると、翌月求道の集まりに集まって来られた人たちから「先生はどこかに速記者を隠しておいて筆記せられたのではありませんか。まったくあの場そのままの雰囲気と対談とが再現されている」と誉められたものである。


本巻に収録されている問答は、霊魂および心霊問題に関する多くの疑問や、因縁因果や、業に縛られて幸福になろうと思ってもなかなかなれない人たちに、その業因から解脱する方法についてこたえたものが多いのである。霊媒に出てくるいろいろの現象のうちには、真(しん)の霊魂の憑依ではなく、たんなる念の感応や、象徴的に動物霊の形をもってあらわれて来るものもある。

詳しいことは本文を読んでもらうより仕方ないが、いっさいの不幸は「迷い」から生ずるのである。よろしく、迷いから脱却すべきである。そのほか病気や老衰現象を克服して、この世に生を受けているかぎりにおいて健康であるにはいかにすべきかなどのことも取り扱われている。それらの問題はすでに『生命の實相』第一巻から第四巻(本全集及び携帯版では第一巻かた第八巻)の間に詳しく説かれてきたのであるが、なお十分納得のゆくように個人的に相談された場合にいちいち答えた章もある。

最後の章は、わたしが家庭光明寮という花嫁学校で若い人たちを指導していたころに、そこから巣立ちして人生に出発しようとする卒業生に贐(はなむ)けした言葉である。今では、この花嫁学校は広島県府中市本山町見晴団地に生長の家養心女子大学寮という名称で、嫁入前の娘さん達に家庭の諸芸と共に精神的修養を与える機関として経営されている。あまりにも終戦以来、生活の理想を失って止め度なく暗黒の道にさまようて行こうとする若い人の多きとき、この養心女子大学寮がこれらの若き女性に対してなんらかの光明を与えるものとなれば幸いだと思っている。

昭和三十八年 七月 十日  

著者しるす

5165a hope:2015/02/01(日) 15:30:08 ID:cEpBaIdo

トキさま みなさん こんにちは


今回も、こちらで第32回web誌友会を開催させていただけることに心から感謝いたします。 合掌。

ですが、わたし自身なぜこの「生命の實相」の学習会でもあるweb誌友会を
こんなにも熱心に続けているのか時々不思議に感じています。

一体、いつからこんなことを続けているのかと思って、第1回web誌友会がいつだったのか探してみました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1324435617/1735

そしたら、なんと2012年の4月14日にこの掲示板の部室板で第一回目の誌友会をしているのです。
今年は2015年ですから、もうすぐ3年になりますね。

当時は「訊け」管理人さまがとても楽しい司会進行をしてくださっていて、
ユタカさまも「おみくじ」なんかを用意してくれたりして盛り上げてくださっていて、
たくさんの方々が参加されて和やかな雰囲気の中で誌友会をしています。

また、そんな感じで誌友会ができたらどんなにうれしいことでしょう!

みなさま、どうぞご気軽にご参加くださいね。

5166トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/02/02(月) 10:49:34 ID:jnvqNl/M
>>5164

a hope様、いつも誌友会のお役を務めてくださり、心から感謝申し上げます。

 少し本題から外れますが、戦前はもちろん、戦後しばらくも谷口雅春先生と信徒が直接の
交流を持つことは普通だったみたいです。古い信徒さんの話を聞くと、谷口雅春先生と奈良
の橿原神宮の勤労奉仕で一緒にモッコをかついだ、とか、谷口雅春先生ご夫妻を囲んで、
ご講演後にお食事会を開いた、という話をよく聞きました。

 現在の信徒はもちろんのこと、昭和30年以後入信の信徒さんは、谷口雅春先生といえば
遠くから拝む存在になっていますが、それ以前の信徒さんが異口同音に言われるのが、
「人間味のあふれる、暖かい人柄」ということでした。

 明窓浄机に、谷口雅春先生が奥様のお手紙を引用して、組織が拡大し、人間が増えすぎた
ために、人との交流がおろそかになった点を憂いておられる御文章が掲載されていますが、
谷口雅春先生の真意が、この御文章にも伺えると思います。

 心して学びたいと思います。皆様のご参加をお待ちしております。

合掌 ありがとうございます

5167a hope:2015/02/04(水) 11:53:26 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p13 後から1行目〜

船橋――・・・(略)
・・・わたしは以前は軍医でありましたが、軍隊などでは二、三種の一定の薬剤をどの病気にも使うのでありまして、それを服(の)ませて次の診察の時が来ると「どうじゃ、もう治ったろう」と命令のように怒鳴りつけると、兵卒などはその瞬間気を呑まれて気をつけの姿勢をして、間髪を容れず「ハイ、治りました」と答える。

「治らない」などとは絶対に言わせない。「治った」とこっちからも言えば、あっちからも「治りました」と言う。両方の言葉の力で治してしまう。治らないなどと言えば厳しいいっそう痛い治療法を受けさせられる。「軍人たる者が、これくらいの病気で弱ることがあるか!」と一喝される。いやでも治ったといい、また治ってしまわなければならぬ。治らないと損だから治ってしまうのであります。

谷口――そうです。病気に対しては、寸毫(すんごう)も妥協するような気持があってはならないのです。病気である方がなんらかの利益があるとか、都合が良いとか、その病気というものを口実にするような気持が少しでも潜在意識の底にあってはその潜在意識が病気を製造することになるのです。・・・

5168a hope:2015/02/04(水) 11:54:50 ID:cEpBaIdo

>>5167 a hope所感)

この船橋氏と雅春先生の御会話は、わたし自身も経験としても思い当たることが沢山あります。

自分自身が小学校の高学年だったころ、練習不足だったリコーダーの発表の直前に激しい腹痛が起きて保健室に運ばれました💦
あれは、仮病ではなくて本当にすごく痛かったですし、顔色まで真っ青だったそうなので友達が心配してくれたのを覚えています。

わたしの子供達も学校で嫌な事があったときなど、朝なかなか起きてこないで、「頭がいたい」「お腹が痛い」「気持ち悪い」などということが良くありますが、
一応額に手を当てて大した発熱がない場合は、わたしが気合をいれて「えー、でも○○ちゃん今朝はすごく顔色もいいし、元気そうだよ!」と断言し、
「学校行ってみて、それでも調子悪かったら、先生にすぐに言うんだよ!お母さんがすぐ迎えに行ってあげるから・・」と
有無もいわさず支度をさせて学校に行かせてしまいます。
そうすると、ほとんど何事も起きず、元気に学校から帰ってきます(笑)

ですから、わたしは「病は気から」ということわざは、真理であると確信しています。

5169トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/02/04(水) 20:23:19 ID:q.BS7ms2
>>5167

 この船橋さんは軍医さんだったみたいですが、思い出した事があります。

 先の戦争でビルマ戦線にいたお医者さんの回顧録では、前線で負傷してようやく
野戦病院にたどり着いた患者さんに優しい言葉をかけると、そのまま気が緩んで
亡くなるケースが多かったみたいです。そのため、患者が到着すると、あえて
厳しい言葉をかけたり、場合によっては殴ったりしてから、病院に収容したと
聞いています。

 言葉の力が生命をも左右するという事でしょう。

5170a hope:2015/02/05(木) 23:58:49 ID:cEpBaIdo

>>5169 トキさま

「気が緩んで亡くなる」というトキさまのお話を聞いて思い出したのですが、
海上で何日も漂流して衰弱している遭難者が他船を発見した場合なんかでも、
自分が救助されるとわかった瞬間、「気が緩んで」死んでしまうこともあるので、
そのように衰弱している遭難者を発見した場合は、焦らしながら遠回りに徐々に救助に向かうようですね。

「生きたい」という欲望は、言いかえれば現象世界や肉体への執着でもあるわけですが、
「これで助かった!」と思った瞬間「気が緩んで」、本望ではなく霊魂が肉体から離れてしまうということなのでしょうか・・・?


ところで、「魂は生き通し」であり、本来人間は「死ぬ」ということはないわけですが、
その真理を悟らずに、現象世界や自分の肉体に執着しながら亡くなってしまった霊魂は、
自分の肉体が死んだということを理解できず迷ってしまうことがあるようです。
そうすると、成仏できませんから、憑霊となって誰かに善くない念波を送り病気にさせてしまうこともあるようです。


その具体例のようなお話がいくつか、テキストのp16の5行目からされています。

特に「前妻の逆念」のお話(p23 2行目〜)などは、雅春先生「生命の実相」の真理によるご解説がなかったら
「恐ろしい怪談」のような内容です(/ω\)

5171a hope:2015/02/06(金) 09:59:54 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

今回も、大熊先生が素晴らしいご講話を you tube に upしてくださいました!

「肉体としての命も大事でありますが、精神・魂としての生命(いのち)も大事であります。どちらも大事であります。
本当の、本当の、本当の生命(いのち)を大事に生きてまいりましょう。
うれしい 楽しい ありがたい うれしい 楽しい ありがたい
今日は人生最良の日だ 今日は人生最良の日だ 今日は人生最良の日だといえるような人生を歩んでいきましょう」

わたしは宇治の練成で大熊先生のご講義は受けたことはありませんが、
大熊先生のこの講話を拝聴していると、宇治の練成が懐かしく思い出されました。

これぞ、「生長の家」のご講話ですね!

愛を生きる <いのちより大事なものがある>
http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

5172a hope:2015/02/07(土) 00:12:01 ID:cEpBaIdo

(a hope 赤線ヵ所)

<<谷口―― 父の霊魂は決して子供を病気にするために念波を送っているのではないのです。ただ自分の肉体が死んでしまっているという自覚がない。自分が霊界に属していてこれから霊界の修行にいそしむべきであるという自覚がなく、あくまでも自分自身が現実界に属していると思っているから現実界に執着がとれない。執着がとれないから現実界への執着の念を送る。ところが、その念が苦しんでいる人の念、病気の人の念ですから、それを受ける人が病気になるのです。>>p19 2行目〜

<<谷口――・・・(略)・・・その病人の救われる唯一の道は肉体死後にも人間の生命は存続していて、依然として生きているという事実を話してあげるほかはない、病気は本来存在しないという真理を悟って死ねば、死後その病気は治っているけれども、意識というものは肉体の産物だと思って、肉体が死ねば意識がなくなるものだと思っている人が、死後霊界において意識を回復した時には、自分は生きていると思い、肉体もあると思い、自分は病気だったと思い出すと、霊界における自己の状態は自己の念の客観化でありますから、自分の身体(この時は、もう肉体ではなく幽体であります)が、やはり病気だったと思っているのです>>p21 後から4行目〜

<<こういうように一家の家庭的乱れというものが、一人の迷える霊魂を導くだけでこんなにも改善されてくる場合があるのであります。だから先祖とか親類縁者の祭祀(まつり)というものは決しておろそかにしてはならないのであります。
この祭祀に幽斎と顕斎とがありまして、顕斎とは形の上の御宮とか仏壇とか各宗で定められた一定の形に顕れた方式で祀るのであります。幽斎というのは心をもって心に相対するので、精神統一をして実相を念じ、人間の実相が円満完全であって悩みも病もないという念を霊界の諸霊に放送してあげて、念波によって霊界の諸霊の苦悩を除いてあげるのであります。
これは相手たる霊を生前の名前で招(よ)び出して置いて、一緒に神想観をするつもりでやられてもよい。念だけで頼りなければ、言葉で真理を説いてきかすがよい。それには聖典の「實相篇」を読んできかせてあげるのがよろしい。>>p30 2行目〜

第1章「念の病気に及ぼす力」終わり

5173a hope:2015/02/07(土) 00:13:45 ID:cEpBaIdo

>>5172 a hope所感)

この第1章を拝読して、わたしにも先祖供養の大切さがよくわかりました。
この対談のあった時代にはまだ聖経「甘露の法雨」がなかったのでしょうか?
ここでは、雅春先生は先祖供養には生命の實相の「實相篇」を読んできかせるようにとのご指導をされています。

あらためて「甘露の法雨」を読誦してみますと、この第1章の雅春先生のご指導内容は〝霊〝 の項目にそっくりだと感じました。

以下に、謹写させていただきます。 合掌。

5174a hope:2015/02/07(土) 00:19:13 ID:cEpBaIdo

「霊」

感覚はこれ信念の影を視るに過ぎず。
汝ら霊眼を備えて霊姿を視るとも
実在を視たるに非ず、
感覚にて視得るものは
すべて心の影にして第一義的実在にあらず、
霊姿に甲乙あり、
病める霊あり、
苦しめる霊あり、
胃袋もあらざるに胃病に苦しめる霊あり、
心臓も有(も)たざるに心臓病にて苦しめる霊あり、
これすべて迷いなり。

斯くの如き霊、人に憑(よ)れば
憑られたる人或は胃病を顕わし、
或は心臓病を顕す。

されど霊覚に映ずる
さまざまの苦しめる霊は、
第一義的実在にあらず、
彼らは誤れる信念によりて
流転する迷いの影なり。

迷い迷いて流転する心は
その信念が形となりて仮の相(すがた)を現ずべし。

されど如何に相を現ずるとも
仮相(かりのすがた)は永遠に仮相(かそう)にして実在となることを得ず。
汝ら、実在にあらざる物を恐るること勿(なか)れ、
実在にあらざる物を実在せるが如く扱うこと勿れ。

実在にあらざる物には実在をもって相対せよ。

真にあらざる物には真をもって相対せよ。

仮相(かりのすがた)に対しては実相を以て相対せよ。

闇に対しては光をもって相対せよ。

非実在を滅するものは実在のほかに在らざるなり。

仮相(かりのすがた)を破るものは実相のほかに在らざるなり。

虚妄を壊(え)するものは真理のほかに在らざるなり。

闇の無を証明するものは光のほかに在らざるなり。

彼らに生命の実相を教えよ。

彼らに生命の実相が神そのものにして完全なる事を教えよ。

神はすべてなるが故に
神は罪を作らざるが故に
神のほかに造り主がなき故に
此の世界に犯されたる罪もなく
報いられるべき罪もなきことを教えよ。

三界の諸霊
三界の諸生命
この真理を観じ、
この真理をさとりて、
一切の苦患(くげん)の源となるべき
顛倒妄想(こころのまよい)を摧破(さいは)すれば、
天界の諸神(しょじん)ことごとく真理の合唱(コーラス)雨ふらし
現世(このよ)の生命ことごとく光を仰ぎ、
惑障(わくしょう)ことごとく消滅し、此世はこの儘にて光明世界を示現せん。

5175a hope:2015/02/08(日) 23:30:45 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p31

山本――(画家、山本博士の息)―― 僕には神様があるということがどうしても解らないのです。それが解ったら安心できるのです。


(a hope所感)

第二章「治す念波の話」は、この画家である山本氏の発言から始まっています。

「生長の家の教え」では、「人間神の子」が真理だとされていますが、
ここでは雅春先生は「神の子」とは言わず『「自分が神だ」というのが「生長の家」の信仰なのです。』
とお答えされています。

「生命の實相」を拝読してお勉強しているかぎり、わたし自身は「人間は神の子である」という言葉より、
「人間は神である」という言葉の方が、ずっとすっきり納得できます。

ですが、「人間は神である」と表現すると、実相世界の存在を知らないほとんどの人が
「現象人間」のことを神だと言っていると勘違いをしてしまうからでしょうか・・・

いつの頃からか生長の家でも「神の子」という表現が定着していったのですね。きっと・・・

5177a hope:2015/02/10(火) 00:33:22 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p31 

谷口―― 自分のそとに神様を求めるから解らなくなるのです。自分の内にある生命力――これを神様と見ておれば、だいたいまちがいないのです。自分をアミーバ-のような小体から、現在のような複雑微妙な人体に造り上げた不可思議な生命力――この生命力は、どんな医学者、生物学者よりも、偉大な力をもっている。どんな医学者、生物学者でも胃袋の一片をも製造することができない。

学者は、この不思議な生命力の歩いた足跡を調べてみるが、それは不思議な生命力の行く先にいろいろ実験的に何物かを置いてみて、こうすればその生命力はどういうふうに歩みを変えるかと観察しているにすぎないのです。学者は観察する、ただそれだけです。創造(つく)るのは神のみです。自分の内にやどる生命力のみです。


山本(医博、画家の父)――なるほど〝There is no God, I am God.〈神は余所(よそ)にいない、自分が神だ〉というわけですね。三十年前にわたしはインディアン・コイン(インディアン貨幣)を手に入れたことがあります。だいぶ古いものですが、四角な銀で造ったものでして、それに梵語でなにかかいてある。それを二人の外国人に翻訳させて、両方比較してみて誤訳のないことを確かめてみたのですが、それは「神は余所(よそ)にいない、自分が神だ」と書いてあったのです。

「自分が神だ」――わたしは余所へ交渉に出かけるようなときには、このインディアン貨幣を持って出ると必ずその交渉に成功する。妙なものですねえ。「自分が神だ」という観念があるので、心に自信力ができて心の力で成功するのですねえ。


谷口―― そうです。「自分が神だ」というのが「生長の家」の信仰なのです。「自分が神だ」といっても何も傲然と構えて相手を軽蔑するわけではないのです。自分が神だと解ったら他(ひと)も神だと解るのです。だから他をも尊敬するようになれるのです。人皆に「自分は神だ」と自覚させるようにするのが「生長の家」の教えなのです。

ある宗教では神を自分と懸け離れた手の届かないような非常に遠い所にいられるもので、どんなに修行しても近づけないもののように説いていますし、ある一派ではキリストだけが神の一人子(ひとりご)であって、他の人間は神の子ではないようにも説いていますし、またある宗教では、その宗祖だけが神の顕現であって、他の人間は下らない無価値な凡夫のように説いていますが「生長の家」ではみんなに「自分は神だ」というメダルをぶら下げさせるのです。そのアイ・アム・ゴッドのインディアンの貨幣は大変結構な護符ですねえ。

5178a hope:2015/02/10(火) 00:37:33 ID:cEpBaIdo

>>5177 a hope所感)

<<人皆に「自分は神だ」と自覚させるようにするのが「生長の家」の教えなのです。>>

これが、生長の家の「唯神実相」の自覚なのではないかと思うのですが、
だからといって、実際に「自分は神だ」「あなたも神だ」「みんな神だ」なんて言って歩いたら、
気が触れたかと思われてしまいそうですね(;’∀’)

一方「人間は神の子だ」といえばその意味を素直にとれば『人間は神そのものではなくてその子供である』という意味ですから、
わたしには、御親としての「神」が自分の外に存在しているのではないかというイメージが湧いてきてしまい少し混乱してしまうのです。

みなさんはどうですか?

ですが、この対談で雅春先生は、

<<自分のそとに神様を求めるから解らなくなるのです。自分の内にある生命力――これを神様と見ておれば、だいたいまちがいないのです。>>
<<「自分が神だ」というのが「生長の家」の信仰なのです。>>

とはっきりご指導くださっています。

わたしたちはそとに神を求める必要はないのですね!
だって、自分の中にちゃんと神さまがいるのですから・・・そういう意味ですよね?

5179a hope:2015/02/12(木) 09:39:44 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p40 7行目〜

山本(画家)―― 人間に生きる力が宿っている――その力を神と名づける、各人が皆一個の神である。そういえばそういえぬこともないとは思いますが、宇宙にも神があるということ、全体を生かしている神があるということが、どうも解らないのです。

谷口――自分のうちに神秘な生命力が宿っている、それは認める。それならば他の内にも神秘な生命力が宿っている、それをも認めなければならなくなるでしょう。その自分のうちに生きている生命力と、他人のうちに生きている生命力とが、一つの源(みなもと)のいっそう大きな生命力から来ているということは、われわれの内に生きている力が、誰も彼も同じ相似の働きをしているのでも知ることができるでしょう。

誰でも胃袋があり、腸があり、心臓があり、肺臓がある。その細部の構造設計までも似ている。別にある人が発明した「人体」という機械を、他の人が真似をしてこしらえたわけではないのに、その細部の構造設計までが一貫した一つの同じ原理ででき上がっていることを思えば、われわれ各個人に宿る生命力は、各個人の肉体から出る個々別々の力ではなく、全体の生物を一貫して生かしている、共通的生命力というようなものを認めずにはいられないでしょう。

この共通的大生命力――これを称してわれわれは本源の神と呼ぶので、われわれにはこの本源の神の生命力が宿っていて、いろいろ生きた活(はたら)きをしたり、物を考えたりしている。その「活きている自分」というものはこの「本源の神」が宿っていて「自分」となっているのですから、「自分は神だ」ということになるのです。この「自分が神だ」とい真理がわかり、そしていっそう大きな生命に結ばれているということがわかると、われわれはわれわれ自身の内に宿っている大きな生命力に信頼することができ、安心がそこから湧いて来、大きな自己癒能もそこから湧いてくるのです。

5180a hope:2015/02/12(木) 09:41:43 ID:cEpBaIdo

>>5179 a hope所感)

『「われは神と一体なり」そして「彼も神と一体なり」(神人一体の自覚)ならば、「われと彼も一体なり(自他一体の自覚)」、
つまりは、わたしたちは「すべてが一つ」〝Oneness〝 というわけなんですね!!

わたしは生長の家の教えに触れて間もないころ、「実相を観ずる歌」が好きでよく唱えてました。
そして、宇治の練成に参加して、その歌に素晴らしい曲がついていることを知りました。
今回のこの部分の雅春先生のご説明は、この「実相を観ずる歌」の内容とそっくりだと感じました。

実相を観ずる歌

(一)
神はすべてのすべて
神は完(また)き生命(いのち)
神は完き叡智(みちえ)
神は完き聖愛(みあい)。

すべてのものの内に、
神の生命は生くる、
神の叡智は生くる、
神の聖愛は生くる。

神はすべてにして、
すべて一体なれば、
よろずのもの皆共通(ひとつ)の
ちから是を生かせり。

天地(あまつち)の創造主は、
唯(ただ)一つの神にませば、
天地はただ一つに、
いと妙に調和満つる。

吾座す妙々実相世界
吾身は金剛実相神の子
万ず円満大調和、
光明遍照実相世界。
 
(二)
・・・省略・・・

5181ヌん吉:2015/02/12(木) 22:24:41 ID:p..UGkhA
曲、もひとつかな・・・っと。にゃひっ。

5182a hope:2015/02/13(金) 08:13:23 ID:cEpBaIdo

ヌん吉(るん吉)さま?

きっと「ひとつ」だと思いますよ。
魂に響くような善い音楽はもとは「ひとつ」であり、すべてが『天楽』の顕われなんだと思います。

ヌん吉さまは、宇治の練成に参加したことがありますか?
わたしはまたいつか、宇治の練成に参加して「生長の家」の聖歌をみなさんと歌いたいです。

5183a hope:2015/02/15(日) 19:16:10 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p55 後から2行目〜

谷口――神は宮(みや)の中にいないということを知ると共に、本当の人間――「神の子」すなわち真人は肉体の中にいないということを知ることが肝心なのです。それでは肉体の人間は本物でないから、他人にでもその肉体に不親切にあたってやってもよいかというと、そうではないでしょう。

肉体は「真の人間」ではないけれども、われわれは隣人を愛するのに、その隣人の肉体をとおして愛し、隣人をいたわるのにその隣人の肉体を通していたわるしか愛を表す道がないでしょう。愛とはその肉体を象徴として肉体ならざるもの、隣人の神性に敬礼するにあるのです。

それと同じようにわれわれは神が霊であって宮の中にいないのを知る、知るけれどもその宮を象徴として神の霊に敬礼するために宮の前で敬礼をするのです。キリスト教は神殿偶像だといって軽蔑しますが、キリスト自身は神殿を尊敬して、エルサレムの神殿の境内で鳩を売ったり両替する商人を神社の境内を汚すものものとして、彼らを縄の鞭で逐(お)い払ったりしました。

5184a hope:2015/02/15(日) 19:20:58 ID:brQxC10.

>>5183 a hopeまとめ)

○肉体 ―― 肉体は「真の人間」ではないけれども、肉体を象徴として肉体ならざるもの、隣人の神性に敬礼するためにある。 または愛を表現するためにある

○宮・神殿 ―― 神はその宮・神殿の中にはいないけれども、その宮・神殿を象徴として神の霊に敬礼するためにある。 宮・神殿はあってもよく、なくてもよい


(a hope所感)

「わたしのお墓の前で泣かないでください。そこにわたしはいません、死んでなんかいません。・・・」

と「千の風になって」の歌詞にありますが、だったらお墓を建てる必要もないわけですが、
わたしたち人間はおそらくどこの国の人間であっても、身内が亡くなればお墓を建てて供養するのではないでしょうか?

それは、この説明から考えれば、亡くなった方の霊(実相・神性)をお墓を象徴として敬礼するためということになります。

確かに霊は肉眼では見えませんから、礼拝(敬礼)しにくいですし、年月が経つにつれてその存在自体を忘れてしまいがちになります。
ですが、お墓や宮・神殿のように形になって顕れていると礼拝しやすいですし、その存在を忘れてしまうということがありませんね。

一方、肉体をもっているわたしたちは、そのお互いの肉体を霊(実相・神性)の象徴として礼拝し愛することができるのですね。

すべてが「生長の家」の『実相礼拝』ということになりますね!

5185a hope:2015/02/15(日) 19:30:17 ID:cEpBaIdo
>>5183訂正 
最後の段落文中の【  】内の文章が抜けていました。m(__)m

<<それと同じようにわれわれは神が霊であって宮の中にいないのを知る、知るけれどもその宮を象徴として神の霊に敬礼するために宮の前で敬礼をするのです。【この境地に達すると宮は毀(こぼ)たなくともなんの障りにもならないのです。宮はあってもよく、なくともよい。】キリスト教は神殿偶像だといって軽蔑しますが、キリスト自身は神殿を尊敬して、エルサレムの神殿の境内で鳩を売ったり両替する商人を神社の境内を汚すものものとして、彼らを縄の鞭で逐(お)い払ったりしました。>>

5188a hope:2015/02/20(金) 09:55:31 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p41 後から6行目〜

山本(画家)――そういうわれわれに共通した大きな生命がある。その大きな生命に繋がっているということが解ってもわれわれはやっぱり死ぬのが恐ろしい気がします。そうした生命の海というものに没し込んでしまうのは恐ろしいですね。

谷口――死ぬのが恐ろしいのは、この肉体を人間だと思っているからでしょう。あなたは死ぬのが恐ろしいといわれますが、人間は決してしなない、生き通しのものですよ。これが解れば人間は死ぬことが恐ろしくなくなる。死なない者に「死」を恐れるはずがない。死なないから、死を恐れようがないのです。・・・

5189a hope:2015/02/20(金) 09:56:28 ID:cEpBaIdo

>>5188 a hope所感)

「肉体なし」、「死なし」、あるのは「生きとおしの生命」だけであるという『生長の家の根本真理』を、
この後、雅春先生が詳しくご説明くだっています。
そして、「肉体なし」、「死なし」と聞いて、そのコトバの表面だけを捉えて勘違いをして、
現象の苦しみから逃れるために自殺したりする人がいることに警鐘を鳴らして下さっています。

<<・・・現界で病気であって、死んだら肉体はないから病気はないと思って自殺する人もありますが、肉体が死んだ後も霊魂は存続している。霊魂は死の刹那のショックで意識を失うが、霊界で意識を回復すると、なんでも周囲が見えるものだから「自分は生きている」と思う、そうしてその次には「自分は病気だった」と思う、すると「自分は病気だ」という念によって、その霊魂体に病気をあらわす。先日もそういう例がありました。ある霊媒に十七年も前に亡くなった人の霊魂があらわれて来ましたが、依然として十七年前の臨終の苦しみを継続して苦しんでいました。>>p43 6行目〜

現象の苦しみから逃れるために「自殺」するということは、実際には何の解決にもならないということが解ります。

5190トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/02/21(土) 21:42:42 ID:v52dWahU
>>5189

 過去、たくさんの人と関わりを持った中で、この自殺願望の人とも何人もお話をしました。
生長の家の真理をお伝えすることで何人もの人が自殺を思い留まってくださったことは嬉しい
ですが、反面、私の徳が足りないために、亡くなられた人がいることは反省しています。

 これは私の独断と偏見ですが、自殺をする人も内心では生きていたい、と思っています。
しかし、勝手に、他に選択肢がないと思い込んでいるような気がします。パソコンがフリーズ
した時に、リセットをするような感覚でいるのでしょう。しかし、リセットをしても結果は
同じどころか、もっと悪くなると知っていれば、リセットのボタンを押さないように、
自殺をしても、もっと悪くなると知ることが必要だと思います。それに、神様は、
「この世で起きたことは、この世で解決する」という方針でおられますから、解決は
できるのが当たり前です。

 それと、こういう自殺などの問題は、正直、手間も時間もかかり、相談を受ける側
もそれなりの覚悟が必要です。私が青年会の頃は、まだ、こういう問題について、
正面から向き合った人が多かったような気がします。しかし、そういう「手間のかかる」
ことを嫌う風潮が出てきているのは困ったものかと感じます。

 最澄は「一隅を照らすもの、これ即ち国宝なり」と説きました。西洋でも道徳再武装運動
では、「闇夜を嘆くより、一本のローソクになりなさい」と言います。一人の人が自殺を
思い留まり、前向きになってくれたら、それは素晴らしい事だと思います。

 そのためにも真理をお伝えしたいと思います。

5191a hope:2015/02/23(月) 00:56:24 ID:cEpBaIdo

>>5190 トキさま

素晴らしお話をありがとうございます。

生き通しの人生にはリセットボタンはないのですね。

わたしたちはこの現象世界に生まれて色々な経験をすることで、魂が向上していくのですから、
人生で困難に出会うということは、むしろ魂向上の大きなチャンスなのですよね!

ですが、「真理」を知らなければせっかくのそのチャンスも生かせない。

だから、人々にその「真理」をお伝えして、魂の向上のお手伝い(個人救済)をしていくのが、
わたしたち「生長の家の教え」に出会った者の使命なのだとわたしは思うのです。

その伝道すべき真理は聖典「生命の實相」の中にしっかりと書かれていますよね!


たしかに、かつて雅春先生が「政治運動」等の現象問題に対応した運動をされていたことを考慮すれば、
「生長の家」を信仰するということは、聖典の中の真理を人々に伝え個人の魂の救済するというだけでは物足りないのかもしれません。

ですが、今、このように現象の「生長の家」が混乱している状態の中では、
個人の魂の救済という本来の光明化運動をおろそかにしていては、他のどんな運動をやってもうまくいかないのではないかと感じています。

5192a hope:2015/02/25(水) 09:46:32 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p57〜

谷口――何教でなければ救われないというのは、人間の生命を知らないからです。どんな祀り方でなければ、神の気に入らないというのは、神の実相を知らないからです。ある一定の祀り方で祀ってもらわなければ腹が立つというような神なら、それは「神」ではなく迷いでありましょう。

つまり社(やしろ)とか儀式とかによって沽券(こけん)をつけてもらわなければ、自分の「生命の実相」に威厳が出ないと思うからこそ、祀り方のいかんによって腹も立つのでしょう。それは何か他のものを外から付け加えてもらわなければ、自分が完全になれないという弱みがあるから、その外からの付け足しにようが悪いと腹が立つのであって、外から付け加えてもらう必要はないのです。

神は神であるから尊い、神は神であるから自由自在である、神は神であるから円満完全である、その尊さと、自由自在さと、完全さとは外からの付け足しによらず、それ自身の本質にあるのです。人間の生命の尊さも、神の子たる自身の本質にあるのですから、何教でなければ救われないということはないのです。

仏教よし、キリスト教よし、神道よし、なんでなくともよし、何であってもよいのです。人間の生命(たましい)が救われるのは外の力によるのではなく、それ自身の本質が「神の子」であるからです。それ自身の本質が「神の子」でなかったら、外からどんな力を加えても救われるはずがありません。

5193a hope:2015/02/25(水) 09:48:43 ID:cEpBaIdo

>>5192 a hope所感)

「生長の家」の聖典である「生命の實相」だけを拝読していているかぎり、「生長の家」が「天皇信仰」であり、
「光明化運動」が「愛国運動」であるとはとても思えないというのが、わたしの正直な感想です。

ですが、谷口雅春先生も「生長の家」も天皇国であった日本に誕生しました。
それには、とても深い因縁があったのだろうと感じでいます。

5194a hope:2015/02/27(金) 12:09:52 ID:cEpBaIdo

(a hope まとめ)

「生命の實相」第16巻 
二 神社と信仰より


【神はその宮を毀(こわ)されたら神罰を当てるか?】

<<谷口――本当の神様なら神罰は当たらないはずです。本当の神様は神の宮の中にいられないから神の宮を毀(こぼ)っても神自身は汚されようがないのです。神は神の宮が毀(こわ)れたり、立派になったくらいで、自分の神聖さが殖えたり減ったりするものではない。だから神にとっては神殿の立つも毀れるもおなじことです。それほどの神様であってこそ尊いのです。>>p59 2行目〜



【ではわれわれ人間はなぜ、宮や神殿を拝するのか?】

<<われわれが神殿を拝するのは自分の信仰を外に出して形に顕してそれを拝むことになるのです。・・・(略)
・・・それと同じく心のうちにある信仰を外界へ投影(うつした)して拝みたいという人間の要求が宮を作り神殿を構え、神体を安置することになるのです。>>p59 8行目〜



【宮や神殿は実在か影か?】

<<実在の神は霊であって物質に憑(よ)るものではありません。その宮は、人間が実在の神をわが心に反射して、外の形ある姿に翻訳し客観化したのです。画家が「実在の美」を感得する程度にもいろいろあり、その程度に従って絵の形が変わってくるように、人間が神を感得する程度にもいろいろあり、その程度に従って、神の宮や、神体にもいろいろ形が相異してくるのです。>>



【神社が『鏡(かがみ)』を御神体とし拝する理由】

<<われわれが神を祭祀するのに一点「私」の姿を映さないで、立ち向かうものすべてを自分の内に映す「鏡」を御神体として拝するということは誠に意義のあることだと思います。神はすべてを包容して無相(すがたなし)であると同時に、拝む人の心のとおりに顕われ給うのですから、鏡をもって象徴するのが相応(ふさわ)しいのです。>>

5195a hope:2015/02/27(金) 12:12:48 ID:cEpBaIdo


>>5194 a hope所感)

近年、日本各地に点在する小さな神社などが老朽化し朽ち果てていく様子を見ていると、
なんとなく神さまの罰が当たりそうな気がしてしまいますが、
そんな状態であっても本当の神さまは罰を当てるということはないのですね。

その時代の人間の信仰を形に顕したものが宮や神殿であるのならば、現在のわたしたちがその信仰を継続しないのであれば、
その宮や神殿は朽ち果てていってしまうのが当然の結果なのかもしれません。

ですが、当時の人々の念(業)が流転していることを思えば、もし現在も継続してその宮や神殿を信仰し続けるのであれば、
その宮や神殿を拝してきた人々の真剣な信仰態度や伝統を尊重して同じように祭祀し続けるのが当然だと思います。

そういう意味で、今回の雅宣先生の総本山の「鎮護国家外し」や、「ご祭神の変更」は善くないことだったのではないかと感じます。

5196トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/02/27(金) 13:00:50 ID:cw0xKYtE
>>5195

a hope様のご意見に同意します。

と、言うか、こういう祭祀を弄ぶ行為をしたら、それなりの事が起きると危惧しています。

5197a hope:2015/02/27(金) 21:31:41 ID:cEpBaIdo

>>5196 トキさま

<<こういう祭祀を弄ぶ行為をしたら、それなりの事が起きると危惧しています。>>

本当ですね。
神罰は決して起こりませんが、人間の念の憑依は十分考えられますものね。

雅宣先生は「生長の家の教え」のみならず、今までの「生長の家」の伝統的な祭祀の方法なんかまでも自分勝手に変質させてしまっているので、
それまで真剣に伝統的な「生長の家」を信仰してきたたくさんの信徒の恨みを買ってしまっていますからね。

それに、総本山の祭祀の弄びともなると、過去に総本山を拝していて、
今は他界されたたくさんの信徒の方々霊魂の念をも巻き込みそうですね・・・・(◎_◎;)

ですからわたしも、雅宣先生やその方針に従う本部の方々などがその「恨みの念」の憑依を受け、
何か善からぬことが起こるのではないかと危惧しています。

というか、もうすでに「今の教え」を信仰していて、不幸な状態になってしまった人が何人もおられるのですよね?

すべての問題の根本的な原因は「生長の家」総裁である雅宣先生がご兄弟や分派の方々と和解せず、不調和でいるということなのだと思います。

雅宣先生には、ご自分自身とご家族と部下を守るためにも、一刻もはやくそのことに気づいてほしいです。

5198a hope:2015/03/01(日) 21:34:40 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは

本当なら、2月が終わり3月に入りましたので第32回web誌友会を終了し第33回web誌友会を開会するのですが、
わたしの勝手でたいへん申し訳ないのですが、「生命の實相」第16巻をもう少し続けてお勉強させていただきたいと思いますので、
今月も第32回web誌友会を続けさせていただきます。

よろしくお願いいたします。 合掌


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第32回 web誌友会 案内 (訂正版)

期間   2月1日〜3月31日まで
テキスト 「生命の實相」第16巻 人生問答篇 下
内容   人生の悩みを解く(下)
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5199a hope:2015/03/01(日) 22:49:26 ID:cEpBaIdo

うのはなさま

独占板でweb誌友会の案内をご紹介くださりありがとうございます。

本当に最近はweb誌友会が地味になってしまいましたが、
わたしは聖典「生命の實相」の勉強は続けることに意義があると思っているので、
マイペースではありますが、これからもweb誌友会続けていかせていただきます。

うのはなさまがいつもわたしを応援してくださっているような気がするのはわたしの思い違いでしょうか?

うのはなさま、わたしは今でもうのはなさまが大好きですよ!
あまり無理をせず、これからもこの掲示板でご活躍くださいね!!

5200a hope:2015/03/01(日) 23:50:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p63 6行目〜

谷口――心霊現象とは名前は心霊現象でも、実は半物質的現象なんです。全然心霊的である場合にはわれわれの五官にそれが見えてこないのですから、心霊現象は成り立たないのです。そこで心霊現象はその実、半物質的現象であるとしますと、この現象は物質的性質を多分に有した霊魂――いいかえると、物質的執着を脱け切らないでいる霊魂と、人格の低い霊媒とは親類筋になるわけですから、「類は類を招(よ)ぶ」の心の法則により、人格の低い霊媒には物質的心霊現象を起こす霊魂がおおむね感じて来るのです。

三枝――霊魂とは実際人間にかかってくるのでしょうか。 『生命の實相』の「創世記」の解釈(頭注版・携帯版では〈十一巻〉愛蔵版では〈六巻〉のこと)によりますと、人間は万物の霊長であるからいかなる霊魂にもかかられるものではないというようなことがありますが。

谷口――それはかかるという言葉の定義いかんによります。第一義的大自覚に入れば、人間は神の子でありますから、いかなる悪霊にもかかられるということはないのです。第二義的には、悪しき霊に憑かられるという信念をもつことによって、悪しき霊の波長に合うラジオ的受信機となり悪しき霊の霊波を感じて、悪しき霊の声を出し、悪しき霊の姿を感ずるのです。それはIOBKの波長に合うラジオの受信がJOBKの声を出し、その放送者と同じ言葉を喋るのと同じです。それは放送者と同じ言葉を喋るけれども、何もJOBKのアナウンサーはここに実際この受信機の側まで来て喋っているのでありますまい。それと同じで、悪霊が憑いて狐つきのような言葉でしゃべったりしましても、悪霊は実際人間に憑いてはいないのです。ただそこには悪霊が在るという夢と、悪霊に憑かれるという夢とがあるばかりです。すべてこの世の悪しきものは神の創造の繁栄ではなく、迷いが反射した白日夢です。

5201a hope:2015/03/01(日) 23:54:06 ID:cEpBaIdo

>>5200 a hope所感)

第一義的大自覚、つまり「人間神の子」「唯神実相」の自覚に到れば、悪い波長と合うということは一切なくなりますから、
悪霊にとりつかれなくなるのは勿論ですが、悪念波を受けて病気や不幸になるということもなくなるわけですね。

この対話のあとに三枝さん御自身が、あまり程度の高くない霊(神)に繫らて、
「神懸かり」状態になった時のお話をされていて興味深いです。p67 後から6行目〜

そして、「神想観」をするために精神統一をするたびに、その霊が懸かって来て「神想観」の邪魔をする、と雅春先生にご相談されています。

このあと、雅春先生は「神想観」の精神統一と無念無想(無想観)の違いをご説明くださっています。p69 4行目〜

5202a hope:2015/03/05(木) 07:52:19 ID:cEpBaIdo
(a hopeまとめ)p69 

「無想観」と「神想観」の違い


○「無想観」・・・精神統一して無念無想になること
→自分で自己を支配する権利を放棄してしまうから、ポカンとしたり、ボンヤリし意識が朦朧となり、他からくる霊波に支配されてしまう


○「神想観」・・・ひたすら精神をあつめて神なる自己の本質を思うこと
→自己の善意識を完全に自己の支配下に置き、意識を明瞭にして一つのことに集中しているので、低級な霊にかかられることは断じてない

5203a hope:2015/03/05(木) 07:53:52 ID:cEpBaIdo

>>5202 a hope所感)

わたしは以前、何年間か、近くの禅寺の坐禅会に参加していたのですが、坐禅というのは、この「無想観」に近いのではないかと思います。

何度参加しても、足は痺れましたし、完全に無念無想の状態になるのはむずかしかったのですが、
ある日、偶然、わたしの坐る場所がその寺の高僧のすぐ近くだったことがあるのです。

その時だけはまったく足も痺れず、自分でも驚くほど意識が集中して、無念無想状態を体験できました。

あの時は、その高僧の高級な念波(氣)がわたしに影響していたのだと思います。

5204a hope:2015/03/05(木) 20:28:46 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p70 3行目〜

谷口――「神想観」というのは心を集めて「生命の実相(ほんとうのすがた)」を想うことですから、必ずしも静坐せねばならぬということでもないのです。 『生長の家』を読むだけでも感激に満ちて、それに書いてある神の子としての自己生命の実相がピッタリと心に自覚できればよいのです。『生命の實相』を読むだけで病気が治るなどの例があるのはそのためであります。

釈迦は菩提樹下で静座している間中、悪魔波旬(はじゅん)に襲われていた。ところが、尼連禅河(ナイランジャナーかわ)で沐浴して心がサッパリした刹那、「なんじゃ『生命』はどんな行もしないでも、このままで完全じゃないか」と自己の「生命の実相」――神性が自覚できた。すると悪魔波旬は逃げてしまった。

ここが肝腎ですね。あなたのように、静坐式のものをすると、直ぐ、常に憑(かか)りつけの霊が憑って来て「神想観」のできにくいというのは、霊がまた憑ってくるであろうという予想や恐怖があるためにそうなるのですから、そういう人は、釈迦が菩提樹下の静坐を捨てて、沐浴一番自己の「生命の実相」を自覚した例に倣(なら)うべきですなあ。

釈然と自己の「生命の実相」さえ自覚(さと)れるなら、その方法はどれでもよいわけでしょう。常に聖典『生命の實相』を読むことを怠らず、我欲を捨てて他のために働いて働いて生活全体が捧げ切ったものとなられるとき自分と全世界とが一体だという「生命の実相」がわかってきます。これが一等穏健な自己の神性の自覚の仕方ですなあ。

5205a hope:2015/03/05(木) 20:30:00 ID:cEpBaIdo

>>5204 a hope所感)

わたしは「神想観」が大好きですが、たまに、雑念ばかり浮かんできてしまい充実した神想観ができない時があります。

そのような時はだいたい、仕事で嫌な事があったり子供たちのことで問題があったりして、
感情が高ぶっていたり、または反対に精神的に疲れきっていたりしています。

わたしは今回、上の雅春先生のご指導内容を読んで目からうろこが落ちました!

これからは、気持ちが乗らない時には静坐式の「神想観」は控えて、聖典「生命の實相」の拝読をするようにしたいです。

それにしても、やはり「生長の家」の信仰には聖典『生命の實相』の拝読は欠かせないようですね!

5206トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/06(金) 20:50:54 ID:1.Hn0ILE
>>5203

 谷口雅春先生が先導をされた「神想観」に参加された方の話では、
霊的な雰囲気が素晴らしく、初参加ですら奇跡が起きたと聞いています。

 霊的な体験も続出したそうです。

 あの圧倒的な雰囲気だけは忘れられない、と話しておられました。

5207a hope:2015/03/07(土) 22:36:05 ID:cEpBaIdo

>>5206 トキさま

谷口雅春先生は真理を大悟されたお方ですから、
それはそれは素晴らしい光明の念波を放っておられたのだと思います。

ああ、一度でいいからわたしも雅春先生に直接お会いしたかったな(≧◇≦)

5208K機関諜報員:2015/03/07(土) 22:58:21 ID:???

昨日、神想観をしていたときのこと。

瞑目合掌している自分を取り囲むような形で亡くなった両親やご先祖様が合掌し、
自分を祈ってくださっている姿をありありと観じました。

理屈抜きに「生かされている!ありがたい!」と思うことができました。

5209a hope:2015/03/07(土) 23:30:22 ID:cEpBaIdo

>>5208 K機関諜報員さま

素晴らしい神想観を体験されましたね!

わたしも、神想観がうまくいくと自然と感謝の気落ちが溢れてきて、
物事をとても前向きに考えられるようになり、体中に生きる力がみなぎってきます。

「神想観」って、ほんとに素晴らしいですね!!

5210a hope:2015/03/07(土) 23:32:19 ID:brQxC10.

>>5209訂正

感謝の気落ち→感謝の気持ち(笑)

5211a hope:2015/03/08(日) 12:04:42 ID:cEpBaIdo

(a hopeまとめ)

「生命の實相」第16巻 
五 祖霊祭祀の形式 (p71 〜 p77 )


Q1【祖先はいかなる形式で祀るのが本当か?】

A1○第一義的・・・神性を自覚した霊にとっては物質でこしらえたお宮や墓やお堂は不要である

A2○第二義的・・・サトリの境地に達していない霊魂には、宮を欲するものには宮を与え、仏壇を欲するものには仏壇を与えて供養して誠をつくすのが道である


Q2【子孫が祖先のもった宗教と同じ宗教でなくなった場合はどうなるのか?】

A1○第一義的・・・自由自在なわが「生命の實相」(神性)が把握された霊であれば、「ある一定の形式で祀ってもらわねばやりきれない」というようなことはない

A2○第二義的・・・①人間は皆が皆までサトリの境地に達しているわけではなく、完全でないサトリはどこかに片寄りがある、その偏寄(かたよ)りが流派となり宗派となって現れている。
②この偏りがある限り、霊魂になっても一つの宗派をもっている。
③しかし、霊魂もわれわれと同様の一個の人格であるから、生前にもっていた宗派を死後の悟りの程度によって改宗することがある。
④子孫が切実に一つの他の宗教に改宗したい内的要求にかられた場合には、祖先の霊魂の思念が子孫に感応してきている場合が多い。
⑤そういう場合にはその内的欲求にピッタリする宗派の形式でお祀りしてあげればよい。

※しかし、宗教に好き嫌いをしているようでは、まだ信仰に偏寄りがある

5212a hope:2015/03/08(日) 12:07:42 ID:cEpBaIdo

Q3【キリスト教徒が「生長の家の大神」を祈るのに矛盾を感じるが・・・】


A1○<<生長の家の神さまを祈るのと、キリストを礼拝するのと心のうちに矛盾をお感じになるのは、神に関する考え方に偏寄りがあるからです。個人の人間霊は別として、救いの神は一つだということが本当に自覚できていないからです。>>p75 8行目〜 

A2○<<キリストの神と「生長の家の神」とが互いに相容れないようにお考えになるのは、キリストの神だとお考えにならないで、他の神と対立的に存在するような小さな神だとお考えになっている傾きがあるからです。全包容的な神ならば、自己のうちにすべての神仏を包容して少しも矛盾を感じない神でなければならぬ。】p76 6行目〜



Q4【本当の神(全包容的な神・救いの神)とはどのようなものなのか?】


A○<<神はイスラエルだけの神ではない。日本だけの神でもない、キリストが出て来られない前にも人類は救われたのである。それまでは人間を救わずに放って置くような神ならば本当の神ではない。イエスのまだ生まれない以前や、イエスの名の及ばないどんな辺鄙な世界にさえも救いの手のとどいている神であってこそ、本当の神である。>>p75 後から7行目〜



Q5【本当の神はひとつなのに、地上にはなぜたくさんの神があらわれるのか?】


A○<<神の方は一つであるけれども、地上の人間の方は、国々および時代によって習慣や風俗や思想にいろいろ変化がある。そのために、神はその各種各様な人間が救いを受け容れるために時代および国々によっていろいろちがう神となってあらわれなければならぬのです。旧約時代の神とキリストの神とは、大いに変わっている。これは神が進化したためでなく、人間が進化したために神がそれに相応(ふさわ)しい姿で顕われたのである。>p75 後から2行目〜>



Q6【「生長の家の神」の出現の理由は?】


A○<<時代が変わってきて今までの宗教では迷信臭くて入れぬという人のために同じ一つの神ではあるけれども顕現を異(こと)にしてお顕われになったのが、「生長の家の神」であります。>> p76 4行目〜

5213a hope:2015/03/08(日) 12:09:27 ID:cEpBaIdo

Q7【生長の神の特徴は?】


A1○<<生長の家の神さまは、どの神を拝んではならぬとは仰せられない。どの神も同体であるから、どの神を拝んでもよいと仰せられています。>>p76 7行目〜

A2○<<この点においてキリストの神の神髄を伝えているのは「生長の家」です。この点において仏教の本当の神髄を伝えているのは、「生長の家」です。一切包容のすべての宗教の神髄を伝えているのは「生長の家」です。一切包容のすべての宗教の神髄を伝えるために神界に顕われられた一個の天使が――言いかえると一つの救いの霊波――生長の家の大神であるとすると、キリストの聖名(みな)と一緒に生長家の大神の聖名を称えても一向矛盾を感じないのは当然ではありませんか。>>p76 後から4行目〜



Q8【排他的な神は本当の神か?】


A○<<排他的な神は、本当の神ではなくて執着をもった人間の顕現であるか、そうでなければ本当の神をば信者が勝手に人間的に解釈して、人間同様排他的に伝えるのです。>>p76 後から5行目〜



Q9【生長の家の根本的お教え(本当の真理)とは?】


A<<本当の真理はみな一体というところにあるのです。人間も形の上では個人別別に分かれているけれども、「みんな一体」という真理がわかれば争いが無くなるのです。国家も「みんな一体」という真理がわかれば戦争の必要も各国の軋轢もなく、世界一つになるのです。「みんな一体」だということがわかれば、宗教上の争いも無くなるのです。ユダヤの神、インドの神、日本の神と区別して、彼の国の神は邪神などといっているのです。全包容的な神の前には、邪神としてその神に対立しうるものがないのです。みんな一体、宗教も一体、人間も一体、世界も一つ、別れているのは迷いであるというのが「生長の家」の根本的教えになっているのです。>>

5214a hope:2015/03/08(日) 12:13:05 ID:cEpBaIdo

>>5211>>5213 a hope所感)

p71〜77までの 「五 祖霊祭祀の形式」の所の文章を、Q&A式にまとめてみました。

聖典「生命の實相」の文章は座談会形式になっていたり、論文形式になっていたり、講演会形式になっていたり様々です。

この章は座談会形式になって、参加者の質問に雅春先生がお答え下さるという形でまとめられています。

今回は、わたしが自分自身の疑問を雅春先生に質問しているつもりになってこの箇所をまとめてみました。

ただ、漠然と通読するだけではあやふやだった、「祖霊祭祀に関する真理」がとてもよく理解できました。

特に、Q5の【本当の神はひとつなのに、地上にはなぜたくさんの神があらわれるのか?】と
Q6の【「生長の家の神」の出現の理由は?】いう二つの疑問への雅春先生のお答えは、「へ〜、そういうことだったのか・・・」と妙に納得できました。

世の中の状況がどんなに悪くなっているように見えても、人間の魂は進化し続けているということなのですね。

そしてQ9の【生長の家の根本的お教え(本当の真理)とは?】という質問のお答えにあたる雅春先生のご文章を拝読すると、
あらためまして全包容的な「生長の家の教え」のすごさが伝わってきます。  

感謝 合掌。

5215a hope:2015/03/09(月) 08:27:22 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p77 後から3行目〜

水田――わたしは今まで神さまというものは近づき難いほど遠いところにいられる方で、どんなに人間が努力してもなかなか神さまのところへ近づけないように思っていました。それにいろいろの宗教でいう神さまとか仏様とかいわれる方が、みんな別々のようでありまして、宗派ちがいの神様を、拝んではならないように説かれる宗教家が多い。まるで神様というものが一つの宗教に立て籠もって排他的に争っているようなんです。そこに非常に矛盾を感じて苦しんでおったのであります。

ところが『生長の家』を読むと神様はもとは一つということが書いてある。そして千変万化せられて境に従い人に従うてお出でなさるためにいろいろの宗教、いろいろの神に顕われあそばされているということがわかった。それで今までのような排他的な神さまの間に挟まって苦しむということがなくなったのであります。

それにありがたいことには、今まで神様は遠いところにあるとばかり思っていたが、神様はわがうちにある、神さま!と一念を起こせば、そのままに通じ、神がわがうちに生きてくる。それはちょうどラジオのスイッチを一つ押せば東京の放送でもすぐ自分の内に来て響をたてると同じようなものであることを悟らせていただいて非常にありがたく、常住坐臥つねに神とともにあるありがたさを感じさせていただいてこんな結構なことはないのであります。

もとから、わたしは胃腸が常に弱くて・・・・(この後、体験談が続く)

5216a hope:2015/03/09(月) 08:30:54 ID:cEpBaIdo

>>5215 a hope 所感)

わたしが「生長の家」の信徒になろうと決心したのは、生長の家が「万教帰一の教え」だったからです。

<<ところが『生長の家』を読むと神様はもとは一つということが書いてある。そして千変万化せられて境に従い人に従うてお出でなさるためにいろいろの宗教、いろいろの神に顕われあそばされているということがわかった。それで今までのような排他的な神さまの間に挟まって苦しむということがなくなったのであります。>>

わたしも、聖典「生命の實相」を初めて拝読した時、上の水田さんとほぼ同様の感動体験をし、心が解放されたのを思い出しました。

ですが、いざ信徒になってみると、この「万教帰一の教え」や「人間神の子」を信仰しているはずの「生長の家」が内部分裂を起こし、
信徒同士が裁判で争ったり、悪口を言い合ったりしていました。

そしてわたしの求めていた、全包容的な「生長の家の大神」は雲隠れしてしまっていたのです。

5217トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/09(月) 22:45:49 ID:TIiLraUE
>>5216

 私が生高連時代はもちろん、青年会時代でも、谷口雅春先生の直弟子の方々が多数ご健在
でした。その先生方が、よく、

 「組織が大きくなったのは嬉しいが、教団の雰囲気が全然変わってしまった。」

と嘆いておられたのを思い出します。この原因はいくつかありますが、運動偏重というか、
教団内が形骸化、官僚化し、訳がわからないまま、運動を展開するような状態にあったの
は否定できません。教えへの信仰が、組織への忠誠へと変貌したと思います。「明窓浄机」
を拝読すると、谷口雅春先生ご自身も、同様のご感想を持たれていたと拝察します。

 やはり、基本に還るべきなのでしょう。

5218a hope:2015/03/09(月) 22:51:03 ID:cEpBaIdo
>>5213訂正

下の部分の{   }内の文章が抜けていました。m(__)m

Q9【生長の家の根本的お教え(本当の真理)とは?】


A<<本当の真理はみな一体というところにあるのです。人間も形の上では個人別別に分かれているけれども、「みんな一体」という真理がわかれば争いが無くなるのです。国家も「みんな一体」という真理がわかれば戦争の必要も各国の軋轢もなく、世界一つになるのです。「みんな一体」だということがわかれば、宗教上の争いも無くなるのです。ユダヤの神、インドの神、日本の神と区別して、彼の国の神は邪神などといっている{のでは、かくのごとき信仰を奉じている人がいかに迷いに捉われているかを暴露している}のです。全包容的な神の前には、邪神としてその神に対立しうるものがないのです。みんな一体、宗教も一体、人間も一体、世界も一つ、別れているのは迷いであるというのが「生長の家」の根本的教えになっているのです。>>

5219a hope:2015/03/09(月) 23:15:02 ID:cEpBaIdo

>>5217 トキさま

生長の家の教えの信仰の基本っていったい何なんでしょうか?

>>5218で訂正した文章の中に、

<<みんな一体、宗教も一体、人間も一体、世界も一つ、別れているのは迷いであるというのが「生長の家」の根本的教えになっているのです。>>

とありますが、「生長の家」の根本的教えが、みんな一体、宗教も一体・・・であるのに、
その生長の家が、教団と本流復活派に分かれていること自体、この教えに反していませんか?


別れているのは迷いである・・・・ 


もしかして・・・「生長の家」が 教団や本流復活派に分かれているように見えてしまうのは、わたしの「心の迷い」ということなのでしょうか?

本当は、別れてなんていないのかもしれない・・・

別れて見えるのは、わたしの「心の迷い」なのか・・・

別れてなんかいないのかもしれない・・・

5220神の子さん:2015/03/09(月) 23:57:38 ID:???
「生長の家」の根本的教えが、みんな一体、宗教も一体・・・であるのに、その生長の家が、教団と本流復活派に分かれていること自体、この教えに反していませんか?

貴女も教団と別れているでしょう。人のことは言えないですね。『救い』とは何でしょう。救われたとはどんなことなのでしょう。
私には本流派の方たちは教にとらわれ『自由』になっていない人のように見えますが。

5221大和撫子:2015/03/10(火) 09:20:18 ID:???
現象世界において.「教団」と「本流」に別れているとスクリーンに映って見えても、魂の奥底の願いは誰しもが本来は真理を求めてやまないのだと感じます。

5222大和撫子:2015/03/10(火) 09:26:58 ID:???
いろんな見方考え方かあると思います。
この考え方が絶対に正しいというのはないと思います。
天皇國日本實現のために、通らなくてはならない過程かもしれません。
現象世界に別れて映って見えても、そこにとらわれ頭脳智において、何とかせねばと考えてはならないと思います。

5223トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/10(火) 10:14:09 ID:7hgdBF1o
>>5219

a hope様

 「基本」というのは、私自身は、「信」ではないか、と考えています。
藤原俊之先生は、よく信仰で一番大事なのは、「信」である、と言われて
いました。

 教団が分裂しているのは寂しい事ですが、これはよくなるための一過程
ですから、その意味では心配はしていません。

5224神の子さん:2015/03/10(火) 19:13:14 ID:???
>>5221大和撫子さん
魂の奥底の願いは誰しもが本来は真理を求めてやまないのだと感じます。


魂の底は神でありますから何も求めてはいないのでありませんか?満たされないものがあると云うことを感じるものは本来存在しない自我ではないですか?

その自我で、何かを信じるのが『信仰』なんでしょうかね。「信仰で一番大事なのは、「信」である」なんて言っている人がいますが、『全てが在ると云う実感』

の人には『不足感』はないですよね。『信』は『自覚』に至る過程でしかないと思うのですがいかがでしょうか。

『全てがある』と信ずることと『全てがある』と自覚する事とはまるで違うと思うのです。

5225大和撫子:2015/03/10(火) 22:00:21 ID:???
神の子様

私の知人に教団を辞めた方かおられました。
その方がこうおっしゃいました。
「甘露の法雨をしっかりあげたり、神想観をしているから救われるとか、願いが叶うという考えが間違えていることに気づいた。そうでないの。私たちは、みな救われ続けていて、すでに神が内在していて、私たちがその自覚に気づいてないだけ」

その知人の話と、神の子様の言われた事がダブってしまいました。
信じることの言葉の意味は、信じなくなる可能性が含まれます。
私たち自身が神であり、それを常に実感し生活していく中に自覚が生じていくのでしょうね。

私自身は、その自覚を深めるため神想観を実修します。
神様が内にあるからこそ、神様を求めてやまないのも事実だと思います。

5226レイ:2015/03/10(火) 22:13:20 ID:1ThqK4Lc
しつも〜ん(^o^)/

生長の家の神様についてどなたか良かたら教えてくらはい。
生長の家の主斎神・副斎神は何か?
神想観は生長の家の大神(住吉大神)に対して祈るって事で良いですか?

『生長の家30年史』の102P〜103Pでは…

さて吾々生長の家の団体では、心に宇宙大生命を祭るのであります。その宇宙大生命と云う文字の下に括弧して「(ソノ幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、幽ナル神トシテ天照皇大神、現人神トシテ天皇)ヲ礼拝ス」と書いてありますが、

次に宇宙大生命即ち宇宙大生命の道を現わし、日本国威を発揚し、国体を明微にするところの導きの神様として心の幽斎する副斎神として生長の家の大神を礼拝すると云うことをハッキリ本尊の項目にあらわして置きました。
この生長の家大神とは誰方であるか、生長の家大神と云う文字の下に括弧をしまして、(『古事記』、『日本書記』に現われたる住吉大神)と申しました。

5227神の子さん:2015/03/10(火) 22:25:46 ID:???
大和撫子さん

ひとこと『神はすべてのすべて』と唱えて実相の世界に慣れて来ると入れます、と雅春先生は言われました。

「すべては一体」と云うことと「神はすべてのすべて」と云うことは同じことを言っているのですが、全てとか全てのすべてをどのように受取るか
が鍵ですね。

5228レイ:2015/03/10(火) 22:26:34 ID:1ThqK4Lc
話の流れをぶった切ってしまったようですが。

ここは博学な方が多いかと思いまして(^人^;)

私は、生長の家のご本尊は生長の家の大神(住吉大神)又は、自分の信じる宗教の神様なら何でも良し、みたいな…今一つハッキリわからないので。。

5229神の子さん:2015/03/10(火) 22:52:38 ID:???

智慧の言葉

宇宙には唯一の實在がある。それは『永遠の我』と云う実在である。

この事実の前に何の神があると云うのでしょう。

5230a hope:2015/03/10(火) 23:58:05 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは

久しぶりにこのweb誌友会にわたし以外の方々の書き込みが沢山あってうれしいです。

わたし自身は、>>5221>>5225の大和撫子さまの

<<現象世界において.「教団」と「本流」に別れているとスクリーンに映って見えても、
魂の奥底の願いは誰しもが本来は真理を求めてやまないのだと感じます。>>

<<神様が内にあるからこそ、神様を求めてやまないのも事実だと思います。 >>

という、ご意見がとても心に響きました。


そして、>>5223のトキさまの

<< 「基本」というのは、私自身は、「信」ではないか、と考えています。>>

というご意見にも賛同させていただきます。

聖典「生命の實相」に書かれている真理を、素直に信じ行じ続けること、
それが「生長の家」を信仰するということなのではないかと思います。

だから、「すべては一つ」と書いてあれば「ああそうなんだ、すべては一つなんだ」と素直に受け入れることが大切なのではないかと感じています。


そして、レイさまが、「生長の家」の神さまについてご質問くださっていますが、
わたしも、そこのところはとても混乱するところです。

なぜなら、聖典「生命の實相」には、「生長の家」の主斎神・副斎神についての詳しい説明はないからです。


わたしの今現在の認識では、

『谷口雅春先生が、「生長の家」の主斎神・副斎神を決定されたのは、
「生長の家」を教化団体から宗教団体へと変更するために、便宜上、登録されたのが始まりなのではないか・・・。』

というものです。


そしてその理由としては、

『「生長の家」の創始者である谷口雅春先生が日本国に生まれた日本人であり、
当時、当然のように天皇を信仰されていたから』

というものです。


わたしも、聖典「生命の實相」にある「生長の家の大神」と「生長の家」の主斎神と副斎神との関係を、
どなたかにご指導をしていただけるとありがたいです。

5231a hope:2015/03/11(水) 00:20:50 ID:cEpBaIdo

「生長の家の本尊」についての参考資料 

>>1082 〜 復興Gさま謹写 『昭和十五年四月九日午後二時より 名古屋公会堂に於ける講演の速記』

5232レイ:2015/03/11(水) 03:28:21 ID:1ThqK4Lc
レスありがとうございます。

過去ログにあったんですね。
後で、じっくり読んで考えてみます。

主斎神・副斎神を決めたのは、宗教結社にする為の手続きで便宜上の理由で。
だから本当は生長の家では何を拝んでも良い、本尊も無いんだって言っても、じゃあ住吉大神・天皇・天之御中主神はどう位置付けてるのか?
そこらへんは正しく理解しときたいです。

簡単な言葉で書いてあるので私でも読めそうですが、出典は絶版書でしょうか。
これが絶版なら…やはり大変な事が起きていますね。
その後、文部省に変更の申し出をしていないらしいので、結びの神様を祭っている今の教団は既に…ってのは今日はやめときます。

5233大和撫子:2015/03/11(水) 06:57:55 ID:???
私の場合ですが、生長の家の神様は、生長の家は高天原ですから、宇宙創造の一切にみちみちておられる、実相を観ずる歌の歌詞そのものの方でいらっしゃり、聖経「甘露の法雨」の神の項そのものであられると感じております。その神さまの理念そのものが神の子人間であると感じております。

5234大和撫子:2015/03/11(水) 07:58:47 ID:???
神の子様
智慧の言葉をありがとうございます。
神はすべてのすべて…というと、実相を観ずる歌が思いめぐります。
歌詞のごとく、今日も生かされます。
なぜなら、私は神そのものですから。

5235a hope:2015/03/11(水) 09:22:53 ID:cEpBaIdo

>>5232 レイさま

<<主斎神・副斎神を決めたのは、宗教結社にする為の手続きで便宜上の理由で。
だから本当は生長の家では何を拝んでも良い、本尊も無いんだって言っても、じゃあ住吉大神・天皇・天之御中主神はどう位置付けてるのか?
そこらへんは正しく理解しときたいです。>>

レイさまのご意見に同感です。

ここのところのあやふやさが、教団と本流復活派の対立を引き起こす原因のひとつなのではないかとも思えます。

>>5222

<<いろんな見方考え方かあると思います。
この考え方が絶対に正しいというのはないと思います。
天皇國日本實現のために、通らなくてはならない過程かもしれません。
現象世界に別れて映って見えても、そこにとらわれ頭脳智において、何とかせねばと考えてはならないと思います。>>

という大和撫子さまの「天皇國日本實現のために・・・」というご意見を拝見すると、大和撫子さまは本流復活派の方でしょうか?

谷口雅春先生は、七つの光明宣言の冒頭に「吾らは宗派を超越し・・・」とうたっておきながら、
本当に『「生長の家」は天皇信仰でなければいけない』と他信仰を排斥するような宣言をされているとしたら、
それは明らかな矛盾だとわたしは感じてしまいます。

それとも、天皇信仰とは、本来、宗派を超越した信仰なんでしょうか?

どなたか、ご指導をよろしくお願いいたします。

5236大和撫子:2015/03/11(水) 09:47:54 ID:???
a hope様

私は生長の家の聖使命会にも入ったことなければ、どこにも所属していません。
私は、天皇信仰は生長の家の信仰そのものであって、天皇信仰でなければならないではなく、宇宙の真理であり摂理であると自覚しております。
申し訳ありませんが、私にはそれを教授できる能力はございせん。

5237大和撫子:2015/03/11(水) 09:53:34 ID:???
a hope様

参考までに。http://hikarinoshingun.giri.jp/03-aikoku/0304akk-shinomiya-masataka/01tennoushinkou-1.htm

5238レイ:2015/03/11(水) 15:28:07 ID:1ThqK4Lc
読んでみました。
先ず、主斎神をハッキリしたいです。

生長の家は本尊は無いけど、心に幽斎する神って事なら宇宙大生命すなわち天之御中主神(天照大神と一体)と、それが肉体人間として現れた現人神の天皇を祀る…だから生長の家ってのは天皇信仰て事ですかね?

副斎神は、これも本尊は無いけど、心に幽斎する神は生長の家の大神(住吉大神?)…ここもわからんけども、だから生長の家では日の丸を掲げて、その隣に光輪卍十字を掲げる…これが主斎神と副斎神を象徴してる?

難しいですね。。。

5239レイ:2015/03/11(水) 15:37:27 ID:1ThqK4Lc
私も本流復活派ですが。
とは言え天皇陛下は宇宙最高神!皇軍必勝〜!と言われたら引きますね(-.-;)

でも神道系の神、天皇…特に昭和天皇、太平洋戦争で戦った人たちを尊敬する気持ちは、やっぱり日本人として持ってます。
それが侵略戦争だったとしても…まあ、そこは他に詳しい人がいるので。

誌友会のテーマから離れてきて進行しないでもいけないので、この辺で退散します。

ありがとうございました。

5240a hope:2015/03/11(水) 22:51:00 ID:cEpBaIdo

大和撫子さま レイさま

いろいろなご意見、参考文献等をありがとうございます。 合掌。

実は、「生長の家」の天皇信仰については、自分の中ではだいぶ納得してきているのですが、
わたしの認識の仕方は、古くからの「生長の家」の信徒の方々、
特に本流復活派の先輩方には物足りなく感じられてしまうと思うので
これ以上の発言は控えさせていただきます。

>>5222で大和撫子さまが、教団と本流復活派の現象問題に関して、

<<いろんな見方考え方かあると思います。
この考え方が絶対に正しいというのはないと思います。>>

というご意見をくださいましたが、「生長の家」の天皇信仰に関しても、同じように、
<<いろんな見方考え方かあり、この考え方が絶対に正しいというのはない>>という結論にはなりませんでしょうか?

自分jが信じて信仰している「教え」が絶対的な真理であれば、
まずは、自分自身の周りから光明化が始まると信じています。

わたしは、これからも聖典「生命の實相」の真理を信じて、信仰していきたいです。

5241大和撫子:2015/03/12(木) 07:01:05 ID:???

<<いろんな見方考え方かあり、この考え方が絶対に正しいというのはない>>という結論にはなりませんでしょうか?

とのこと。真理はひとつですから。それぞれみな生かされている立場も課題も違います。
あなたがそれで良いならば、良いのではありませんか?

5242a hope:2015/03/12(木) 15:19:04 ID:cEpBaIdo

>>5241大和撫子さま

お返事をありがとうございます。

復興Gさまが、>>1278に<<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演>>の続きを謹写してくださっています。

一部抜粋させていただきます。

――――――――――

日本主義は結構でありますが、本当の日本主義は「八紘一宇」主義ですから、一切を包容する精神

でなければなりません。狭く凝り固まった日本主義の人達の中には、天照大御神様を日本特有の神様

であって外国の宗教の神仏と一緒にしてはならない、それは天照大御神の尊厳の冒瀆になるとお考え

になっている方もあるらしいのであります。特有とか特別とか申しますと何だか豪(えら)そうですけれども

普遍性がないと云う事であり、地方的だと云う事であり、どの民族からも共通的に礼拝せられる宇宙

的本尊とはなれないと云う事になり、神武天皇様の八紘一宇の理想から遠いと云う事になるのであり

ます。八紘が「一宇」となったら、「日本特有」などと云うものはありませぬ。だから「日本特有」

等と云う言葉を私は取除きたいのであります。天照大御神様はそんな小さい神でなしに、宇宙の大神

であられる。他の宗教の神はことごとく、宇宙の大神の垂迹(すいじゃく)あそばされたものであるから、一切宗教

の本当の本尊を拝むには天照大御神を礼拝すべきであると私たちは信じているのであります。そうす

ると、仏というもの、キリストと云うものも日本の神と同体の神であらせられるということになるの

であります。

―――――――――――

わたしは「天皇信仰は生長の家の信仰そのもの」であるように、「キリスト教信仰も生長の家の信仰そのもの」であり、
「仏教信仰も生長の家の信仰そのもの」であると感じています。

大和撫子さまの、

<<真理はひとつですから。それぞれみな生かされている立場も課題も違います。
あなたがそれで良いならば、良いのではありませんか?>>

というご意見に心より賛同させていただきます。

ありがとうございました。 合掌。

5243a hope:2015/03/12(木) 17:53:45 ID:cEpBaIdo

聖典「生命の實相」のお勉強に戻りたいと思います。

「生命の實相」第16巻 p90〜 の『 九 「戦いの哲学」と「戦い本来無しの哲学」』
では、
高津栄三郎という方が、雅春先生と議論をしています。
高津氏は、「鼠が猫に食われることが調和した事実」であり、戦いの世界こそ「生命」の世界の実相であると主張して一歩も引きません。

この議論好きな高津氏はなんとなく、初心者さまに似ていて拝読していて初心者さまを懐かしく思い出していました。
(そのご主張内容は似ているかどうかはわかりませんが・・・)

初心者さまはお元気でいらっしゃるでしょうか?

5244志恩:2015/03/12(木) 18:22:55 ID:.QY5jUA6
a hope様

a hope様は、お若いのにご熱心で継続力がおありになって、すごいですね。
日々、大変教えられております。

ほんとですね、初心者様は、どうなさっておられるでしょう….。
また、以前のように、さくらちゃんとコンビで出て いらっしゃるかしら?

5245ビックリ ◆KfYRXK6jJk:2015/03/12(木) 23:21:07 ID:p..UGkhA

コンビで出る=同時に出る=同一人物

5246a hope:2015/03/13(金) 07:47:17 ID:cEpBaIdo

>>5244志恩さま

あたたかい励ましのお言葉をありがとうございます。

わたしはなにが本当の「生長の家の教え」なのか、なにが「真理」なのか知りたいだけなのですが、
自分ひとりで勉強していると、どうしても偏りがでてきてしまいます。

わたしはこの掲示板で、志恩さまはじめたくさんの「生長の家」の先輩方に
見守られながらお勉強できる幸せをいつも感じています。

そして、なによりも管理人のトキさまのご愛念に心より感謝しています。

5247トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/13(金) 22:03:59 ID:LUa.pzQ2
>>5246

 いえいえ、いつも粘り強いご投稿に心から感謝申し上げています。
今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5248a hope:2015/03/16(月) 08:39:51 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p108 後から6行目〜

高津―― 猫が鼠を食わなければ何をたべて生きるのです。

谷口―― 猫と鼠は一緒に草原に寝転んで草を食って相戯れているような状態が「実相の世界」なのです。生命は互いに奪い合い食い合わなければ生長進化できないというのは実相を知らぬ「迷い」です。その「迷い」が客観化(かたちにか)されたのが、互に食い合う生命なのです。「迷い」がなくなれば「迷い」の具象化である現象生命の「食い合い」もなくなるのです。『生長の家』誌友には心一つで鼠と猫を調和させた実例がたくさんあります。

高津―― そんなことは信じられません。仮に猫が鼠を食わず、あらゆる動物が食い合いをしなくなっても、人間の痛みや苦しみはなくならない。たとえば地震とか津浪とかいう天変はなくなりはしない。そういう苦しみに出遭っても悩まないように悟らせるのが宗教家の役目です。

谷口―― わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。あなたのおっしゃる救いは、苦しみは苦しみのままで諦めてその苦しみから解脱する救いですが、わたしが説くのは現実の苦難そのものの諸共(もろとも)に救われるのです。悟りと同時に病気が治り、境遇も環境もよくなるのです。

高津―― たとい現実に地震も起らなくなるとしても、それは幾十億劫後の世界のことでしょう。それはありうるかもしれない、無いかもしれない。そういう世界を空想して現実の苦しみを救うことはできない。現実の苦しみを救うには、現実の苦しみに突き入って、苦しみは苦しみのままでそこに生命が生きているという真理を悟らせるようにするしか仕方ないでしょう。

谷口―― 地上に地震や、津波がなくなるのは地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから、その遅速は、地上全体の心の清まる遅速に関するのです。しかし、一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することはできない。・・・(略)

5249a hope:2015/03/16(月) 08:42:08 ID:cEpBaIdo

>>5248 a hope所感)

ここのところの高津氏と雅春先生のやり取りは、とても興味深いです。
現象世界に生きて、実際に病気になったり災害にあったりしているわたしたちは、
高津氏同様に雅春先生のこのご指導内容を、すんなりと受け入れることはむずかしいのかもしれません。

しかし、雅春先生は、

<<わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。>>
<<一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することはできない。>>

と、

つまり、人間の心が清まり「神の心」が顕れれば、地震や津波は起れなくなる。
たとえ、人類の心が清まらなくても、「一個人の心が清まれば、地震や津波はその人を害さなくなる」と、そう断言されています。


一方、現「生長の家」教団の総裁、雅宣先生は

<<生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」とも説く。この観点から考えると、地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則にもとづいて起こるのであるから、地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。>> >>4657 

というとても自分勝手な、雅春先生とは全く正反対の「物質在り」の見解をされています。
ですから、雅宣先生率いる「現生長の家教団」は人間、一人一人の心を清める個人救済をおろそかにして、
ソーラーパネルだとか、電気自動車等という物質的解決方法にばかり走ってしまうのだと思われます。

それはまったく本来の「生長の家の教え」からかけ離れた運動だと感じています。

5250神の子さん:2015/03/16(月) 20:01:07 ID:???
<一人一人の心を清める個人救済をおろそかにして・・・・それはまったく本来の「生長の家の教え」からかけ離れた運動だと感じています。>

ということですのでa hopeさんにお聞きします

<つまり、人間の心が清まり「神の心」が顕れれば、地震や津波は起れなくなる。
たとえ、人類の心が清まらなくても、「一個人の心が清まれば、地震や津波はその人を害さなくなる」と、そう断言されています。>

どの程度の心になると『清まった心』といえて『神の心』が現れたと云えるのですか?

神の心の雅春先生が戦後執筆追放になったのはどうしてですか?GHQの支配下になど成るはずがないのではありませんか?

東北大震災の津波で亡くなった人達は皆さん心の清くない人達と云うのですか?

東京大空襲で亡くなった10万人の人たちは心の清くない人達ですか?

5251トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/16(月) 20:11:19 ID:irEswSAY
>>5250

曳馬野様、ご投稿ありがとうございます。
web誌友会にご参加のおりは、ご投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5252トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/16(月) 20:24:48 ID:irEswSAY
>>5250

曳馬野様

 横レス、失礼をします。

 なかなか、面白い事を言われますね。

 私個人は、個人救済が基本であり、この基本を無視して国家や環境を語っても
砂上の楼閣だという解釈をしています。生長の家の歴史を省みると、この個人救済
を軽視しての運動は行き詰まると私は感じています。それが違うというのなら、
曳馬野様が率先して見本を見せてください。他人様を批判する以上はそれなりの
覚悟はお持ちだと思います。よい見本を期待しています。

>>神の心の雅春先生が戦後執筆追放になったのはどうしてですか?

 ところで、この人間の世界にいる限り、私たちは誰も現象の世界の法則から自由
になる事は難しいです。これは谷口雅春先生でも同じです。後年の信徒のなかには、
谷口雅春先生を異常に神格化し、抽象化する動きがあります。が、谷口雅春先生の
直弟子の方々はこういう事を嫌われました。

>>東京大空襲で亡くなった10万人の人たちは心の清くない人達ですか?

 これは「神 真理を告げ給ふ」は拝読するとわかりますが、霊的な観点から、戦争
や大災害が起きる意味が説明されています。ただ、魂の向上が目的ですから、こうい
う戦争や大災害という手段が必須ではないのは当然です。現に、生長の家の信徒は、
現在でも”世界平和の祈り”をしています。

5253a hope:2015/03/16(月) 22:37:05 ID:cEpBaIdo

トキさま

やはり>>5250の「神の子さん」は曳馬野さまなのですね。

わたしは、今後ハンドルネームが「神の子さん」からの質問には一切お答えするつもりはありません。
神の子さんはたくさんいらっしゃいますから、いちいち質問に答えているとこちらが混乱してしまいますからね。
まして、その「神の子さん」が曳馬野さまなのであれば、余計にお答えする必要はないと思っています。

トキさま、わたしの代わりにお答え下さりありがとうございます。
トキさまのご意見に賛同させていただきます。

5254a hope:2015/03/16(月) 23:38:40 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p112 5行目〜

谷口―― 『生命の實相』を読んでも心が真にそれに共鳴せず、実相を悟ることができない人は治らないのです。真理は種であるから、それを植えても生えない不毛の地や石地に播いては生えないけれども、それは真理という種がわるいのではない。十本の同じ種を植えて、半分も生えれば、その種は生える力がある、生えないのは土地が悪いのだと断定してもよいでしょう。

人間は心的存在ですから、酸素に水素を交えたら必ず水ができるというふうに、人間に「生命の実相」を混ぜたら必ず病気が治るというように一定の結果を生ずるわけにはゆかない。「生命の実相」を話せば話すほど、素直に受けないで、議論できるだけ反撥して来られるあなたのような人もある。だから「生命の実相」を受ける心の相異に従っていろいろの結果を生ずるのです。しかし、それを読んだ大多数の人々が病気から救われている事実を否定することはできません。

5255a hope:2015/03/16(月) 23:39:43 ID:cEpBaIdo

>>5254 a hope所感)

わたしは、「生長の家」の信徒であれば、聖典「生命の實相」に書かれてある真理には反発などせずに素直に受け入れるのが当然だと思うのです。

<<わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。>>
<<一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することはできない。>>

と聖典に書かれているのですから、わたしたち「生長の家」の信徒は、素直にそれを信じて、
一人一人が心を清める努力をすればいいのだと思います。

そうすることが「生長の家」を信仰するということなのではないでしょうか?

5256神の子さん:2015/03/16(月) 23:58:42 ID:???

>>私個人は、個人救済が基本であり、この基本を無視して国家や環境を語っても砂上の楼閣だという解釈をしています。
>>ところで、この人間の世界にいる限り、私たちは誰も現象の世界の法則から自由になる事は難しいです。これは谷口雅春先生でも同じです。

「たましいの救い」とは最も厳粛な意味での救いでありまして、救われるということはわれわれのたましいが個性をもちながらも神または仏そのものなる大自在の境地
…欲しいと思う事物はそこに現れ、欲せざる事物はそこから姿を消すというような大自在境にに達するということであります。「頭注版一巻p23」

個人救済は言葉の響きはよろしいが、a hopeさんのような原理主義的な解釈を引用文にするのであれば、救われているはずの雅春先生は大自在境に達していなくては
ならない。然るに貴女は雅春先生でも自由になる事は難しいことであるという。「引用の真理」が正しいのか、はたまたあなたの言うことが正しいのですか?
雅春先生でさえ大自在境に達していないというのであれば、どこに個人救済などありますか?

「縦には、未来世に病気、その他の不幸の芽を出す業因を蒔かない工夫をしなければならない。すなわち罪を犯さないでもこの世に生きられる工夫をしなければならない
のであります。横には現在われわれが接触する環境を浄めて、「生命」が苦痛や病気という手段を使って自衛を講ずる必要のない天国浄土のような環境をつくるように
しなければならないのであります。ところがこの環境というものが一方においては自身の念の影なれども、同時に念はまた環境の陰であって、二つ向かい合わせた鏡の
ように環境と念とは互いに影響しあうものであります。毅然とした強い念は環境の方を征服しますが、弱い、発達の程度の低い念は環境に征服せられるのであります。」
   「頭注版一巻p37」

幼いたましいの唯物論を信じる中国のの人々は、自然破壊なんて何のそので真っ黒な煙をまき散らしています。日本人にして生命の実相を読んだにしてもろくすっぼ救わ
れない幼いたましいの人間が多いのであれば、自然破壊を防ぐことにより、過去の日本のように自然の中で自然とともに生きた故郷と云う言葉のイメージが生きている
世界を自然環境から取り戻すとは大事なことであると思います。

>>霊的な観点から、戦争や大災害が起きる意味が説明されています。ただ、魂の向上が目的ですから、こういう戦争や大災害という手段が必須ではないのは当然です。

「魂の向上が目的ですから」こういう言葉を言うから聞いているのです。心の清いものは災害に会うことはないというのが真理と云うから、災害に会った人は心が清く
ないのかと、あなた方は魂の進歩の為に災害に会ったと、腹の中では思うですかと。

5258トンチンカン:2015/03/17(火) 00:33:11 ID:r6TJQSCM
>>5257 削除ねがいます!!

5261トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/17(火) 10:29:29 ID:BpP5RmUI
 これは私が不用意なことを書いたことが原因です。お詫びします。
この板は、誌友会のための板ですので、以後の議論は、別の場所でお願い
申し上げます。
a hope様、続けてください。

合掌 ありがとうございます

5262神の子さん:2015/03/17(火) 18:50:17 ID:???
>>なかなか、面白い事を言われますね。
>>これは私が不用意なことを書いたことが原因です。お詫びします。

面白いことをと揶揄しながら、雅春先生も自在境にはいない、と書き、反論されると「不用意なことを書いた」という。
不用意で書くかね、そんなことを。いつもそのように思っているから書くのじゃないかね。

5264トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/17(火) 21:31:12 ID:BpP5RmUI
曳馬野様
トンチンカン様

 ご投稿、ありがとうございます。
たいへん恐縮ですが、誌友会と直接関係がない話題は、
できれば、他の板でお願いします。

 勝手なお願いをして、すみません。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5267神の子さん:2015/03/18(水) 06:03:39 ID:???

5261 :トキ ◆AXzLMGIbhk :2015/03/17(火) 10:29:29 ID:BpP5RmUI
 これは私が不用意なことを書いたことが原因です。お詫びします。 この板は、誌友会のための板ですので、以後の議論は、別の場所でお願い
申し上げます。  a hope様、続けてください。 合掌 ありがとうございます


5264 :トキ ◆AXzLMGIbhk :2015/03/17(火) 21:31:12 ID:BpP5RmUI
曳馬野様 トンチンカン様
ご投稿、ありがとうございます。たいへん恐縮ですが、誌友会と直接関係がない話題は、できれば、他の板でお願いします。勝手なお願いをして、すみません。
 合掌 ありがとうございます 管理人敬白
***************************************************
このような寝言を言う暇に、ご自分のまいた種の刈り取りをしたらよいのでは。a hopeさんの誌友会版での発言が、東北大震災で苦しみにあえぐ人たちは
「こころの清くない人達だ」と云う意味の真理解釈をしたから、それに疑問を呈した。それに対しa hopeさんは答える義務はないと云い、あなたは「横レス失礼します」

と書いてある通り代理で答えたのです。その前文が「おもしろいことをいいますね」であり内容が「雅春先生も自在境にはいなかった」と述べた。
それに対し「個人救済こそ生長の家の基本」との分派、a hopeさん、トキ管理人に生命の実相より引用して生長の家の説く「救い」とは何かについて書いた。

それについて薔薇の花氏名の通りのトンチンカン氏ガトンチンカンな反応をしている。管理人になって寝言を言う前に、「トキ」と云う一人の人間が蒔いた種の後始末を
したらいかがですか。

「個人救済こそ生長の家の基本」「雅春先生も自在境にはいなかった」に対する私の反論に。是こそ誌友会版の趣旨にかなっものでしょう。

5268a hope:2015/03/18(水) 08:14:28 ID:cEpBaIdo
みなさま

上の神の子さんの

<<a hopeさんの誌友会版での発言が、東北大震災で苦しみにあえぐ人たちは
「こころの清くない人達だ」と云う意味の真理解釈をしたから、それに疑問を呈した。それに対しa hopeさんは答える義務はないと云い、>>

のご発言は事実ではありません。

曳馬野さまやさくらさまや初心者さまは他人の発言を正確に引用せず、
ご自分勝手に曲解して表現されます。

わたしは、聖典「生命の實相」のお言葉をそのまま引用して所感を述べているだけです。

嘘ばかりつく曳馬野さまのご投稿にはお返事をするつもりはありませんが、
>>5267の投稿は事実でないので反論させていただきます。

5269a hope:2015/03/18(水) 08:44:41 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p124 8行目〜

自分は完全な生き方をしていない淋しさというものを紛らわせようとしているほかない努力が飲酒喫煙壁でありますから、酒煙草をというものを止めさせる方法はどうしたらいいかというと、良人が飲酒家(さけのみ)であるとすれば、「あなた酒やめなさい、酒やめなさい」と言うだけでは良心の咎めを増すだけでなんにもならないのです。・・・

5270a hope:2015/03/18(水) 08:48:54 ID:cEpBaIdo

>>5269 a hope所感)

わたしも独身時代にはお酒をたくさん飲みましたが、やはり淋しさを紛らわすためでした。
ですが、どんなに酔っ払ってその場の淋しさや不安を紛らわすことができても、しらふにもどれば、自己嫌悪感が増すだけでした。

<<本当にこのままで完全に生きている。誰からも咎められない、ごまかしていない、良心の囁きに背いていない、という自覚ができて魂が本当に内部から喜んでくれば、良心に咎められる淋しさの感じがなくなるから、頭脳ラジオ・セットを麻痺させる酒煙草の必要がなくなってくるのであります。>>

「良心」とは、「神の心」の顕れだと思います。

平気で嘘ばかりつく曳馬野さまには、良心の咎めはないのですか?

聖典「生命の實相」の真理を勉強する誌友会を妨害する曳馬野さまたちの目的が何なのか詮索するつもりはありませんが、
少なくともわたしは真面目に「真理」の勉強をしていますので、これ以上の妨害はご遠慮願います。

5271a hope:2015/03/18(水) 08:56:13 ID:cEpBaIdo
>>5269 訂正

飲酒喫煙壁→飲酒喫煙癖

5272a hope:2015/03/19(木) 09:51:32 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第16巻 p141〜の「第五章 国と家庭を良くする話」はとても示唆に富んだ内容です。

現在の「生長の家」は教団と本流復活に分かれて一方は家庭生活の方法を見直すことから環境保護する運動をしていますし、
一方は日本国実相顕現を目標に掲げた政治的運動をされているようです(間違いがあればご指摘ください)。

どちらの運動も「国や家庭を良くするため」の運動なのだと思うのですが、はたして、そういう外界に働きかけ、
外界から改造していこうとする運動は本当に雅春先生の御心にかなった本来の「生長の家」の運動なのでしょうか?

ここの章で、雅春先生は物質的援助をすることで貧しい家庭を救う運動をされている滝村さんという方と対談しながら、
とても重要なお話をされています。

その対話内容を少しずつ謹写していきたいと思います。

5273a hope:2015/03/19(木) 09:53:44 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p152 後から2行目〜

滝村―― 夫婦仲が悪くなるのは下層階級ではその貧困が非常に原因しているように思います。毎日生活問題で夫婦が罵り合っている。貧困さえ無くなれば夫婦仲がよくなると考えられる場合がたくさんあるようです。


谷口―― 滝村さんは貧民階級をよく研究していられるから貧民の夫婦喧嘩が目について、その原因が貧困だという結論を下されるのでありますが、貧民はそうして貧困を題材にして夫婦喧嘩をしますし、金持ちは金持ちで、その富貴を題材にして夫婦不仲になるようです。   ・・・(中略)・・・

どうしても人生の幸不幸というものは、心に帰すべきで、心を治さないで形だけ直しておくのでは、球根を保存しておいて芽をつむようなもので、また別の芽がでてくるのです。

5274a hope:2015/03/20(金) 09:35:02 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p155 後から4行目〜

谷口―― ・・・(略)・・・
それは貧民にも病人もある。滝村さんは貧民の方をよく眺めているから、貧民が病気になるのを、貧しいことが原因だと思われるかもしれないが、この辺の富豪地帯で金持ちばかりの家庭で病人が絶えないのを眺めていると、金があるのが原因で病気になっているものだとも思える。

実際金持ちくらい気の毒なものはいないとも言えます。金があるためにいろいろの財産上の争いや、男女間の争いが暗黙の間に起って、病気はともかく、そのために家庭地獄を現出しているのです。


滝村―― しかし、貧民の苦しみと富豪の苦しみとを比べれば、富豪は勝手に放肆(ほうし)な生活をして苦しんでいるので、止めようと思えばやめられる苦しみを、勝手にやっているのですが、貧民は他から圧迫されてやむをえず苦しんでいるので、その苦しみ方が非常にちがうと思います。


谷口―― そうでしょうか。それならあなたがその貧民という人を一人ずつ伴(つ)れて来て、過去の清潔や心の持ち方をいちいち吟味して御覧になれば、必ずや、その貧民は今の貧しい境遇位置を受けるに相応(ふさわ)しい点数の心の持ち方をしてきたに違いないことを認めうると思いますが。境遇を作るのは心であって外界の圧迫ではないということを。


滝村―― (苦笑して)はたしてそうでしょうか。

5275a hope:2015/03/20(金) 09:40:28 ID:cEpBaIdo

>>5274 a hope所感)

現在の日本では様々な医療制度や生活保護制度等が充実してきていますから、この対談が行われていた当時とは状況が随分変わってきていて、
貧民だから医者にかかれないということはほとんどないのではないでしょか?

それにしても滝村氏は雅春先生の「環境(境遇)は心の影」という話を聞いて苦笑されていますが、
ごく一般的な常識をもつ人間であればこの「生長の家の教え」はずいぶん常識外れに聞こえてしまうのでしょうね。

5276a hope:2015/03/20(金) 10:01:46 ID:cEpBaIdo
>>5274訂正 

過去の清潔→過去の生活

5277トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/20(金) 20:46:05 ID:6cceFPIw
>>5274

 その通りですね。世間の人が聞くと、反発する人も多いかもしれません。
貧しさをバネに成功した人もいますが、最近は、貧しさ故の不幸ばかりが強調される
ので、それを言い訳にする人も多いのでしょう。

 稲盛和夫先生のご著書を読むと、実家はものすごく貧乏で結核になり、前半生は
ものすごく不幸でしたが、生長の家に触れて人生が変わり、今日の成功者になられ
たとかかれていました。そうすると、貧乏なのも、結核になられたのも、それで
信仰に触れられたのですから、意味があったとも言えます。

 どんな境涯でも、真理を学ぶ事の大事さを痛感するのみですね。

5278答えてねトキさん:2015/03/21(土) 01:11:03 ID:tPqHKCtk

>>私個人は、個人救済が基本であり、この基本を無視して国家や環境を語っても砂上の楼閣だという解釈をしています。
>>ところで、この人間の世界にいる限り、私たちは誰も現象の世界の法則から自由になる事は難しいです。これは谷口雅春先生でも同じです。

「たましいの救い」とは最も厳粛な意味での救いでありまして、救われるということはわれわれのたましいが個性をもちながらも神または仏そのものなる大自在の境地
…欲しいと思う事物はそこに現れ、欲せざる事物はそこから姿を消すというような大自在境にに達するということであります。「頭注版一巻p23」

個人救済は言葉の響きはよろしいが、a hopeさんのような原理主義的な解釈を引用文にするのであれば、救われているはずの雅春先生は大自在境に達していなくては
ならない。然るに貴女は雅春先生でも自由になる事は難しいことであるという。「引用の真理」が正しいのか、はたまたあなたの言うことが正しいのですか?
雅春先生でさえ大自在境に達していないというのであれば、どこに個人救済などありますか?

「縦には、未来世に病気、その他の不幸の芽を出す業因を蒔かない工夫をしなければならない。すなわち罪を犯さないでもこの世に生きられる工夫をしなければならない
のであります。横には現在われわれが接触する環境を浄めて、「生命」が苦痛や病気という手段を使って自衛を講ずる必要のない天国浄土のような環境をつくるように
しなければならないのであります。ところがこの環境というものが一方においては自身の念の影なれども、同時に念はまた環境の陰であって、二つ向かい合わせた鏡の
ように環境と念とは互いに影響しあうものであります。毅然とした強い念は環境の方を征服しますが、弱い、発達の程度の低い念は環境に征服せられるのであります。」
   「頭注版一巻p37」

幼いたましいの唯物論を信じる中国のの人々は、自然破壊なんて何のそので真っ黒な煙をまき散らしています。日本人にして生命の実相を読んだにしてもろくすっぼ救わ
れない幼いたましいの人間が多いのであれば、自然破壊を防ぐことにより、過去の日本のように自然の中で自然とともに生きた故郷と云う言葉のイメージが生きている
世界を自然環境から取り戻すとは大事なことであると思います。

>>霊的な観点から、戦争や大災害が起きる意味が説明されています。ただ、魂の向上が目的ですから、こういう戦争や大災害という手段が必須ではないのは当然です。

「魂の向上が目的ですから」こういう言葉を言うから聞いているのです。心の清いものは災害に会うことはないというのが真理と云うから、災害に会った人は心が清く
ないのかと、あなた方は魂の進歩の為に災害に会ったと、腹の中では思うですかと。

5279るん吉:2015/03/21(土) 09:45:17 ID:p..UGkhA

環境は心の影 つうときね、悪い心の影、良い心の影。←(これが清い心の影か?)

というけど、悪い心というのは「清くない心。」つうよりどっちかいうと「物事を悪く考えてしまうネガティブな心」「くよくよする心」

のことじゃないですか?と言うことは、その反対に「清い心」っちゅうのは「物事をくよくよ考えないで、楽観的に考える心」「明るい心」

じゃない?

5286神の子さん:2015/03/21(土) 19:30:07 ID:tYFyomJk
「私個人は、個人救済が基本であり、この基本を無視して国家や環境を語っても砂上の楼閣だという解釈をしています。」とトキさんが云い、a hopeさんが同意したのです。

勿論a hopeさんは以前から「個人救済」止めて「環境問題に特化した点」が教団の最もおかしな点としています。

ですから「個人救済が基本」という「救い」の意味を問うているのです。

なぜこれが勉強の邪魔になるのですか?お二人の説が正しいのであれば『生命の実相』に書かれた引用文の意味はどう解釈したらよいのですか?

批判だ邪魔だとかいう前に答えるべきだと思いますが。

5287神の子さん:2015/03/21(土) 20:01:46 ID:tYFyomJk
「自分勝手に間違った前提を作り、」

どこがどう自分勝手の間違った前提なのですか?

5288a hope:2015/03/21(土) 20:22:18 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p157 後から7行目〜

滝村―― ふつうの常識では、病気になれば医者にかかれば治ると思われているのですが、そういう常識に捉われている貧民が病気になっても医者にかかることができないのは悲惨なのです。


谷口―― そういう場合、医者にかかる金を与えるのが救いになるのか、あるいは人間は医者にかからなくとも治りうる自然療能を備えているという真理を知らしてやるのが本当の救いになるかは考え物です。

医者にかかる金を与えればその時は仮に医療費にありついて救(たす)かるかもしれないが、その金がなくなれば、二度目はまた救からないが、真理を知って自然療能の尊さを知って救かったら永久に医療費が要らなくなるから、無限の医療費を貰ったということになるのです。だから「生長の家」の真理を知らしてやることは彼らに無限の医療費を供養することになるのです。

5289a hope:2015/03/21(土) 20:23:43 ID:cEpBaIdo

>>5288 a hope所感)

医者に医療費を払えない様な教養のない貧民に『「生長の家」の真理を知らせる』には、
具体的にはどうすればいいのでしょうか?
この後、滝村氏はさらに雅春先生にそのことについて質問しています。

続けて謹写していきます。

5290a hope:2015/03/21(土) 22:26:46 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p158 4行目〜

滝村―― ところが、「生長の家」の真理はなかなかむずかしい。教養のない貧民にそれをしらせてやることはとうてい不可能のことだと思います。


谷口―― 決してそれは不可能ではないのです。医者の薬が病気を治すということも、貧民がそれを研究して知っているのではないのです。ただ一般にそういうから、その宣伝に乗ってそう思っているだけです。そして金がなくて医者にかかれないことを不幸なんぞのように思って苦にやむのです。

わたしに言わせれば、 医薬費を出しうる富豪の方が、医者にいい加減にゴマ化されて、軽い病気でも重く言われたり、あるいは恐ろしい病名を宣言されるだけで恐怖心を唆(そそ)られたりして、かえって病気を重くしている例の方が多いと思うのです。

その点は貧民は、病気にかかっても医者にかかる金がないと背水の陣を布いてしまっているから、罹病率が非常に少なく、自然療能に頼るしか仕方がないから、自然療能が強くて病気がはやく癒えるのです。貧民は貧乏だから病気に罹ってかわいそうだとあなたは言われるが、わたしに言わせれば金持ちは医薬費があるから病気に罹りやすくてかわいそうだとも言えるのです。

薬そのものに癒す力がないということは医薬を十分研究している医者自身の方が知っているのです。普通の人は医学を研究したことがないから宣伝だけで雷同して薬の卓効(たっこう)を信じているのですが、そんなものではないのです。

先日も・・・(中略)・・・

要するに一般人が医者の薬を効くと思っているのは、一般人が深く医学を研究してみた上で信じているのではない。この実話でもわかるとおり、研究している医者自身はかえって薬効を深く信じないで、ただ宣伝にかかっている素人だけが、信じているのです。

なんでも大衆というものは、自分で研究もしてみないで宣伝のとおりに信ずるものですから、「生長の家」の真理でも、深くそれを読みこなして、本当に真理を摑むことは至難であるにしても、「人間の病気は薬よりも自然療能を喚起すれば治る」という結論だけを信じさせることは、社会の先達の位置にある知識階級が宣伝するだけでよいのです。宣伝すれば大衆は信じて幸福を得るのです。

ところが現在では、貧民は栄養不良で、過労で、生活環境が悪いから病気に罹る、そして病気に罹れば薬がないと治らないというような宣伝ばかりが多く行われているから、貧民を恐怖さし、貧民の頼りうる唯一の医者たる自然療能を鈍らし、どんな不遇にもズンズン伸びて行ける生活力の芽を刈りとってしまって、貧しい人をいやが上にも不幸に押し込んで陰惨な状態に陥れているのです。

5291a hope:2015/03/21(土) 22:30:25 ID:cEpBaIdo

>>5290 a hope所感)

わたしは、病気になれば医者にかかり薬をもらって服用していますし、家族もみなそうしています。
現代の日本では、ほとんどの人が医者にかかることが出来ると思うので、
この対談の当時の状況とはずいぶん変わってきてしまっていると思います。

しかし、医学の進展した現代であっても、不治の病は存在しますし、
いくら薬を服用しても全く効果のない場合もあると思います。

それになによりも、「真理」を知って一生医者にかからず健康でいられるのならば、
それほど幸せなことはありませんよね!


以前、どこかで「生長の家の教え」にハマるのは、インテリが多い、と聞いたことがあります。

>>5277でトキさまご紹介の稲盛和夫氏もしかりですね!

わたしは自分にインテリジェンスがあるとは思っていませんが、勉強することは大好きですので、
「生命の實相」のような霊的波動の高い内容の本を読破していくことに魂の悦びを感じます。

「生命の實相」は拝読するだけで、魂を向上させ、「真理」を悟ることが出来る「聖典」なのですから、
「生長の家」にご縁のあったわたしたちにとっては「必読の書」ですよね!

5292a hope:2015/03/21(土) 23:14:42 ID:cEpBaIdo

>>5279るん吉さま

>>5248で、雅春先生が、

<<わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。>>
<<地上に地震や、津波がなくなるのは地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから、その遅速は、地上全体の心の清まる遅速に関するのです。しかし、一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。
地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することはできない。>>

と「真理」をご説明くださっていて、その文中に「心が清まる」という表現があるのですが、
どなたかが、そのことを大きく曲解されて、

<<東北大震災の津波で亡くなった人達は皆さん心の清くない人達と云うのですか?
東京大空襲で亡くなった10万人の人たちは心の清くない人達ですか? >>

と的外れな質問されているようですが、


わたしは、世の中に心の清くない人など一人も存在しないと信じています。

ここで雅春先生がおっしゃっている「心が清まる」という意味は、「真理を悟る」と同義だと思うのです。
だから、真理を悟っている方にとっては、たとえ現象に地震や津波が現れていても、それは影でしかないと思います。

また、どんな人間でも「実相の心(神の心)」の周りを包むツミ(迷い)を取されば、
そのままの清まった「神の心」が顕われて、悟ることができるのだとも思います。

そして、本来「悪い心」などない、「清くない心」などもない、 
『わたしは「神の子」うれしい たのしい ありがたい』というのが、
「生長の家」の実相独在の真理なのだとわたしは信じています。

5293神の子さん:2015/03/22(日) 05:49:08 ID:8wK9.k12

>>5248で、雅春先生が、
<<わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。>>
<<地上に地震や、津波がなくなるのは地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから、その遅速は、地上全体の心の清まる遅速に関するので
す。しかし、一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人を
その天災は害することはできない。>>

と「真理」をご説明くださっていて、その文中に「心が清まる」という表現があるのですが、どなたかが、そのことを大きく曲解されて、
<<東北大震災の津波で亡くなった人達は皆さん心の清くない人達と云うのですか?東京大空襲で亡くなった10万人の人たちは心の清くない人達
ですか? >>と的外れな質問されているようですが、わたしは、世の中に心の清くない人など一人も存在しないと信じています。

**これこそ『実相』を観念で捉えている観念論です。「われわれの心が清まれば起こらなくなるのです」「清まれば」と書かれているのです。
変化していく心を問題にされています。「世の中に心の清くない人など一人も存在しないと信じています。」この言葉は『実相』の概念に自己満足
している姿です。

ここで雅春先生がおっしゃっている「心が清まる」という意味は、「真理を悟る」と同義だと思うのです。
だから、真理を悟っている方にとっては、たとえ現象に地震や津波が現れていても、それは影でしかないと思います。

**「地上に地震や、津波がなくなるのは地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから、その遅速は、地上全体の心の清まる遅速に関するの
です」ここに「地上全体の【生物の心】が清まらなくてはならない」と書かれています。地上全体の【人間の心】が清まらなくてはならないと書か
れてはいない。動物が、植物が悟りますか?「心が清まる」という意味は、「真理を悟る」と同義だと思うのです。とのa hopeさんの意見は
「生物の心」と書かれていることを見落とした自己解釈です。
「真理を悟っている方にとっては、たとえ現象に地震や津波が現れていても、それは影でしかないと思います。」これも同じで、
「「たましいの救い」とは最も厳粛な意味での救いでありまして、救われるということはわれわれのたましいが個性をもちながらも神または仏そのもの
なる大自在の境地…欲しいと思う事物はそこに現れ、欲せざる事物はそこから姿を消すというような大自在境にに達するということであります。」
       「頭注版一巻p23」
に反する発言です。現象だから悟れば気に掛からなくなるなんてことは言っていない。「心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することは
できない。」との言葉にも反します。
「地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから」からこそ動物を殺して食べるのはやめよう、安いからと外材の輸入をすることで、穀物を生産
する場の確保のためとして材木の伐採をすることは止めよう、との今の教えがあるものと考えます。生命の実相か忘れましたが、屠殺の時に牛が涙を
流す場面が書かれ、食肉の為に動物を殺すことの罪悪について書かれたところがあります。杉檜の植林によってどんぐりの木椎の木などの雑木と呼ば
れる木々の伐採により、山の動物の食物を奪う結果を造り今里に猪、鹿の出現を見ています。昔はまがった松を上手に利用し棟木にしました。
人間の欲のための植林をしながら、今は外材に押され、林業の跡継ぎも減っている有様です。間伐さえままならない所もあります。

食事から食肉文化が無くならない限り「地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから」という『生命の実相』の言葉は成就しないのです。
この言葉の成就を目指して教団は進んでいると考えます。

「そして、本来「悪い心」などない、「清くない心」などもない、 『わたしは「神の子」うれしい たのしい ありがたい』というのが、
「生長の家」の実相独在の真理なのだとわたしは信じています。」なんて浮かれながら肉食をするのですか?a hopeさん

5294神の子さん:2015/03/22(日) 06:09:51 ID:8wK9.k12
簡単に言えば食肉にされる動物の嘆きの声、樹木の伐採による食物の減少による動物の嘆きの声、人間の欲望による開発のため伐採される樹林の嘆き、


これらが無くならない限り、「地上全体の生物の心が清まらなくてはならない」の言葉が実現することはない。

そのための運動がなぜ『生命の実相』に反する事なのですか?ノーミートなんてと云うあなた方こそ『生命の実相』に反することをしているのです。

5296神の子さん:2015/03/22(日) 09:29:38 ID:8wK9.k12
>>5295
深海魚さん わたしはトキさんのように卑怯ではありませんので、縹さんと同じく普通に返事しますね

棚口雅敏さんは聖使命会員なんですか?そして世界の平和を願っているのですか?

であれば遺憾と申すべきですね、そうでなければ何の問題もありません。

あくまで、生長の家を信じるという人間に対していっているのですから。

こういった掲示板なりブログなりで生長の家の真理の能書きを言う人に対してのものですので、只静かに自分は信じているという立場の人が
どんな行動をしてもそれは構いません。

5299神の子さん:2015/03/22(日) 11:58:26 ID:8wK9.k12

<雅敏さんは、聖使命会員であるかどうかは、知りません。しかし、そんじょそこらの一般人でもありません。雅宣総裁のたいせつなご長男さんです。>

親鸞聖人も息子の善鸞がよからぬ教えを説いたことで勘当しています。よく兄弟がどうのこうのと云われますが、秩序を破ることをしているのではありませんか?
真理をないがしろにするもの、秩序を破るものには義絶は仕方ありません。息子ではありますが大切なと云うことはないでしょう。

<で、彼は、「世界平和」を、願っている人か、願っていない人か、どういう精神のお方か、神の子さんには、おわかりでは ないのですか?>

知る由もありません。

<雅敏さんも、ここをご覧になっておられるとおもいますが>

こんな想像での発言では以下の発言には意味がありません。

<全世界の人が、肉食をやめないかぎり、世界が清まらないという新宗教みたいな考え方は、極極狭い範囲の人間たちしか共感できないマスロビィクス的な考え方で、こんなことを
いってはわるいですけれど、そのような考え方を強要される教えでは、いづれ、近い将来、限界がくると思えております。 >

「地上全体の生物の心が清まらなくてはならない」は『生命の実相』に書かれていることで地震津波等の大規模災害の起きる原因であると神が書かせ雅春先生が筆を執ったという
聖典に書かれていることです。

私の解釈が違うというのなら、まずあなたがトキさん、a hopeさんに代わりに解釈してください。聖典の解釈の相違を論じることが誌友会の邪魔をすることとは考えません。

5300神の子さん:2015/03/22(日) 12:10:27 ID:8wK9.k12

<問題にされてる文は、どうでもいいようなはしっこの部分であると感じております。>


生命の実相の一言一句神の言葉であると評価した人もいましたが、貴女にはどうでもいいような端っこの部分が説かれているというのですね。

<「心が清まる」という意味は、「真理を悟る」と同義だと思うのです。>とかって解釈したことも書きましたが、貴女も同じように取捨選択しながら生命の実相を読むのですね。

そしてこれはどうでもよい文章と判断しながら生命の実相を読むと云われるのですね。

5303神の子さん:2015/03/22(日) 13:26:04 ID:8wK9.k12
>>「地上全体の生物の心が清まらなくてはならない」は『生命の実相』に書かれていることで
地震津波等の大規模災害の起きる原因であると神が書かせ雅春先生が筆を執ったという聖典に書かれていることです。<<

この文についてを、
神の子さんは、「全世界の人が、肉食をやめることが、心を清めることだ」と、捉えるのでしたら、それは、どう考えましても、全世界の人が,肉を食べなくなることなどは、
不可能なことですから、永遠に、地震津波等の大規模災害の起きるということになります。

○だからあなたの解釈を聞いています。いつの日か地震津波が無くなると書かれている、そのためには「地上全体の生物の心」が清まらなくてはならないと書かれている。
「地上全体の生物の心」とはどんなものですか、あなたの解釈を教えてください。

「心を清める」につきましては、人間というものは、現象世界では、知らず知らずのうちに、神様から授かったままの、生まれたままの、そのままの良い心(無私、利他的な心など)
だけでなく、この世に生きて行くうちに悪い心(猜疑心、恨み、嫉妬、悪意、利己心、欲深い心など)で、曇って、心が塞がっているものですから、それを、「生命の實相」や、
聖典などを読み、神想観、浄心行、愛行したりして自分の心を顧みる….ということをして、生長の家では、「心を清めて」心をさっぱりさせて生きて行くというときに、昔は,
「心を清める」というふうに言っていました。

○これも「地上全体の生物の心」がどんな意味か分からなければ分かりませんね。わたしは文字どうりすべての生命あるものととらえますが、貴女は人間だけを指しているというのですか?
上の説明では本を読み神想観し浄心行し愛行をして心を浄めるという。動物植物鉱物には心は無いのですか?

人間は、この世に魂の修行にきているので、おのおのが出会う体験には、魂の進化のために無駄はない、!ということが さまざまな例で、教えられていると思います。

○人間は女の子宮から生まれたことは一度もないとか言いませんか?人間はこの世に生まれ修行しているのですか?
前にも聞きましたが、人間は何時低級霊になり高級霊になった暁に人間はどうなりますか?


私の解釈では地上天国は来ないと云うことですね、ではどうしたら地上天国は来ると教えられていますか?地震津波が無くなるにはどうしたらいいと書かれていますか?

5307a hope:2015/03/22(日) 20:11:38 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p160 9行目〜

滝村―― 薬剤の功罪いかんの問題は別として病気に罹れば医者にかかるという通念がまだ現在は一般人にあります以上、貧乏のために医者にかけず子供を失い、あるいは親を亡くしたという場合、その貧困が遺族に与えた悲しみは最大の打撃になると思います。

医者にかけても駄目な病人だったとは思いながらも、医者に一度でも見てもらっておけばよかったという嘆きがおこるのは普通で、まだ「生長の家」の真理を知らない人にとっては、医者にかかることの方が不幸に思われ、不幸にして医者にかかりえないことを、みずから幸福であると悟っている人はまったくなく、この点当事者にとっては貧しく医者にかかりえないことを不幸と感ずるほかはないのであります。


谷口―― そこで、あなたのような貧民愛の深い人が出現して街頭に立ってでも、医薬なくともたいていの病気の治りうる理由、人間は環境に支配せられるものではなくて、自覚さえ強まれば勇気さえ出せば健康上にも社会上にも頭をあげうるゆえんを宣伝して下さる必要があると思うのです。不撓(ふとう)の意気と不屈の努力さえあれば、現在でも貧賤から起って、少なくとも貧賤の階級を脱して中産階級程度に昇りうる機会はたくさんあるのです。可憐な婦女子でもそれができないことではない。一例をあげれば、
・・・(略)・・・
逆境は必ずしも人間を不幸にしない。人間を不幸にするのは、環境に甘える心だということがわかるのです。


滝村―― しかし外から改造して住みよい世界を造ってゆけば、内から浄まるよりも早く浄まるのではありますまいか。


谷口―― 早いかもしれない。しかし、どういうふうに改造するかの構図を作るのは人間の心だから心がよくならないでいて、形の構図を立派につくることはできない。まず、心をよくしなければならない。そして内部の力を発現させて徐々に人生にその影を刻んでゆく。この方がよいのではありますまいか。

とにかく、外から物質の豊富さと安易とを与えることによって人間は幸福になると考えている点において、そういう考え方は人間の生命の自主的な創造力を否認して、人間を一個の木偶人形(でくにんぎょう)にしてしまっている点において賛成できないのです。


滝村―― わたしは今気がつきましたが、形の世界が現実界(うつしよ)【念の影の世界】であるとしますと、今まで外から浄める方が早く浄まるのじゃないかと考えていたのが誤りであると気がつきました。

牛乳瓶は外から見てきたなく見えていても、それは内側に牛乳のカスがついているからであるとしますと、外から洗う方が手っ取り早いと思っていくら外から磨いても美しくなりっこはない。形をいくら変革しても、それを運用する人間の心が浄まらなければ別な点において新しい組織の運用に欠陥を生ずる!

わかりました。わたしは社会をよくする道は、ただ『生命の実相』の真理を宣伝しさえすればよいのだということがわかりました。この考えは急にわたしの頭に閃いて来て、今までわたしの心の中を占領していた疑問がスッカリ溶けてしまいました。

5308a hope:2015/03/22(日) 20:15:19 ID:cEpBaIdo

>>5307 a hope所感)

この第五章では、滝村氏が雅春先生と対談することで、徐々に真理に目覚めていく様子がうかがえます。

滝村氏は貧民を救うのは、外からの物質的援助をするなどして社会改造をするしかないと考えていたようですが、
結局は、社会を本当に良くするためには、人々の心を変えなければならないことに気がつかれます。

そして、

<<形をいくら変革しても、それを運用する人間の心が浄まらなければ別な点において新しい組織の運用に欠陥を生ずる!>>

とおっしゃっています。
ここに、『人間の心が浄まる』という表現がでてきました。

そしてさらに、

<<わたしは社会をよくする道は、ただ『生命の実相』の真理を宣伝しさえすればよいのだということがわかりました。>>

と断言されています。

それは、言いかえれば、

「この社会をよくするためには、人間の心を浄める(清める)ことが必要で、それには、人々に「生命の実相」の真理を伝道し悟らせればいいのである」

となりますよね?

少なくともわたしの信じる「生長の家」の第一の使命とは、そういうことです。

このことから考えると、残念ながら、聖典「生命の實相」を失い、「生命の実相」の真理の伝道に積極的ではなく、
環境保護という外の世界の改造ばかりにご熱心な現教団は、どう考えても「社会をよくすることはできない」という結論に達してしまうのですが・・・。

みなさんはそうは思われませんか?

5309トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/24(火) 20:47:37 ID:TsXze1oc
 少し観点が違いますが、青少年練成会などで、どうしようもない不良だった子供が
更生して立派な人になったり、大人の練成でも倒産寸前の会社が再建されたり、たく
さんの人が救われました。個人が救われたのですが、それが社会という観点から見た
ら、世の中がよくなったとも言えます。人間の心が変わるというのは、それだけの
偉業だと思います。

 その意味で、個人の救済から始める事が、結果として、社会のため、国家のため、
世界のためになるのかもしれないと感じています。

5310a hope:2015/03/24(火) 21:54:51 ID:cEpBaIdo

>>5309トキさま

トキさまのご意見に心より賛同させていただきます。
わたしも個人の心を救済してこそ、社会がよくなるのだと感じています

「日本国の実相顕現」も「世界平和」も個々の魂が浄められてこそ達成できるのだと思っています。

5311a hope:2015/03/24(火) 23:02:14 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p164〜

谷口―― 牛乳の瓶の穢(よご)れは内側に牛乳のカスが付いているから外からいくら洗ってもそれはとれない――それはあなたのおっしゃるとおりです。現代人の経済観念は、物質は「蓄(た)めて置かねばたりなくなる」という、物質有限観という人間の「迷いの滓(かす)」が牛乳瓶の内側に蓄(たま)っているから、外側から見ればそれが搾取でもなんでもして蓄めて置かねば損だというふうにあらわれているのですが、それは心の牛乳瓶の内側に「欲ばる心」という「迷い」のカスが溜まっているからであります。

人類に欲ばり根性がなくなり、報酬がなくとも励みが出て、働いて進歩しうるように人類の多数がなってくれば、人間は金の必要がなくなる。すると金で追い廻して人間を使おうとしても無駄のことであるから、そんな馬鹿なことをする人間も無くなるのです。金に追い廻される人間、金に縛られる人間があるからこそ金で人間を追い廻したり金で縛ろうとする人間も出てくるのです。

みんな自分の心が環境に現れるのです。みんな欲ばって、人よりは余計月給を貰おう、人を押し倒して人よりは余計地位が上がろうなど考えているから、みずから長時間勤務という制度を作りあげてしまって、我と我手で自分を縛り苦しめることになったのです。人を押し倒して自分が上にあがろうなどと思っているから、月給は余計貰っても、無理をして、人間らしい家庭の楽しみも味わえず、苦しんで、自分の欲ばり根性は棚に上げて、雇い主を怨んだりすることになるのです。怨むならば自分の心ばかりです。

自分の心が変われば、そのような外界が変わってくるか、それとも自分というものとその環境というものとが調和しなくなりますから、その人は自然にそういう環境を出てもっと自由な勤務につくことができるようになるのです。そして、その環境、状態が自身の心に相応するような代わりの人間がその環境に這入って来て、そこでまたその人が、心相応に鍛えられることになるのです。何事も無駄はないのです。心相応の人が心相応の世界で鍛えられるようになっているのがこの世界であります。


滝村―― なるほど、大変よくわからせていただきました。

5312a hope:2015/03/24(火) 23:07:17 ID:cEpBaIdo

>>5311 a hope所感)

この滝村氏の「牛乳瓶の内側にたまったカス」の例えは具体的でわかりやすかったです。

結局、人間も同じなんですね。
どんなに外見を磨いて綺麗にみせているつもりでも、その心は見抜かれてしまう。

だからこそわたしたちは、正しい信仰をして心を浄めていくんですね!

5313コヨーテ:2015/03/25(水) 09:08:44 ID:NBWk5vHk
>>5311>>5312、修養みたいな感、うけますよね。修養では、無理ですね。

5314a hope:2015/03/26(木) 06:46:48 ID:cEpBaIdo

>>5313コヨーテさま

コメントありがとうございます。
ですが、大変申し訳ないのですがよく意味が通じません。
もう少し、詳しくご説明くださるとうれしいです。

5317応援:2015/03/29(日) 16:06:44 ID:ibklqf52
A hopeさま

y欲張り根性がなくなり、、、、
そういうところが、修養っぽくおもえるということではないでしょうか、

5318神の子さん:2015/03/29(日) 16:33:43 ID:???
古桶の底をぶち抜くことを修業と云うのであれば

溜まった水を浄めることを修業と云うのであれば

吾が心と云う古桶をそのままにして修行と云うのであれば

5319a hope:2015/03/29(日) 23:09:35 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは

コヨーテさんのコメントの内容がわたしにはよく理解できなかったのですが、
>>5317の応援さんのコメントを拝見して、コヨーテさんが言わんとしたことがなんとなくわかったようなきがします。

つまり、修養には「欲ばり根性のような汚い心を半ば強制的に外からの訓練によって叩き直す」ようなイメージがあるので、
それが、牛乳瓶の外側だけを磨いて綺麗にしていることのイメージと重なり、
そして、そのような修養的なやり方では、本当に心を浄めることは無理だとおっしゃりたかったのでしょうか?

そうだとすると、コヨーテさんのおっしゃることは、その通りだと思います。

心を浄め、真理を悟るためにはどんなに辛い修行をしても駄目だということは、
すでに釈迦やキリスト、そして谷口雅春先生が証明してくださっていますものね。

わたしは自分の心がどれだけ浄まったかは、
どれだけ自分の置かれた環境に「感謝」できたかでわかるのではではないかと感じています。


実は、わたしはここのところいろいろとありまして、なかなかゆっくりパソコンに向かう心の余裕がありませんでした。

家族が具合がわるくなったり、仕事で失敗したり、子供が問題行動を起こしたり・・・ちょっと気づかれすることが重なり、
精神的に追い込まれ、実際、一晩眠れないくらい心が動揺した夜もありました。

ですが、どんな困難があっても、どんなに苦しんでも、
「その困難や苦しみは自分が生長できる大きなチャンスだからありがたいんだ」って思うようにしました。

そしたら、本当に次の日朝の神想観で瞼の裏に素晴らしい光が見えて、すがすがしい気持ちになることができて、
それから、すべてが好転していきました。

そういう意味で、自分から辛い修行を求めなくても、今現在の自分の置かれた状況に感謝できるようになるのが、
それが一番の修養になるのではないかと感じています。

5320a hope:2015/04/01(水) 07:44:54 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

4月に入りましたので、第33回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5321a hope:2015/04/01(水) 07:46:43 ID:brQxC10.

つづきまして、聖経「続 真理の吟唱」より、謹写させていただきます。


「神の聖愛と叡智を受けて益々向上する祈り」

われ今、宇宙の大神の神前に坐して真心を献(ささ)げて感謝し奉る。
永劫の過去より久遠の未来に到るまでに常に我と倶(とも)にいまして、我を導き護り給うその海よりも深く、山よりも高き御恩に対し感謝し奉る。

われ大神の神子(みこ)として地上に誕生してより以来、常に神は我を護り、教え、導き、必要に応じて、魂の向上に、精神の発達に、肉体の健康増進に最適なる糧を、色々の経験を通じて恰度(ちょうど)適当に与え給うのである。

神はまことにわが生命(いのち)の父であり、また母であり給う。
わが魂を養うために何を今、その時、その場に与えるが最もよきかを知り給うのである。
必ずしも〝甘い〝 経験ばかりが魂の栄養にはならないということを知り給うのである。
時には厳しい環境が私にとって魂及び精神並びに肉体の鍛錬のために必要なることを知り給うのである。
これは神の〝父〝 としての峻厳なる叡智的愛なのである。
もし峻厳なる神の父性的愛がなかりせば、私の魂も精神も肉体も、常に温かな潤いの中のみに育てられて、例えば〝もやし〝 の中で育った荳の蔓(つる)の如く、ウドの軟弱にして、すぐ腐ってしまう茎の如く、まことに脆い軟弱なものになっていたに相違ないのである。

わが今日、いかなる困難にも毅然として耐えることが出来、如何なる複雑錯綜せる事態に面しても、周章(しゅうしょう)狼狽(ろうばい)することなく、神の叡智につながる心の導管(どうかん)を開いて導きを受け、快刀乱麻(かいとうらんま)に截(た)つが如くに自由自在に事を処理し行くことが出来る力は、まことにも父としての神の峻厳なる愛と智との巧みなる配剤によって養われたのである。
今、私はこの事を顧みて、大神に無限の感謝を献(ささ)げ奉る。

困難や苦痛や、時には悲哀さえも私たちはそれをみずから体験することによって、困難に面して将(まさ)に崩折(くずお)れんとする人の心境を知ることが出来、それらの人々の心に真に同情し、彼らに自己同一し、彼等を真に愛することが出来るのである。
愛は神の母性的顕現として来たるのである。
峻厳なる神の父性的顕現の奥に、その深奥(しんおう)の幽(ゆう)なるところに、神の母性的愛はましまして、吾らが困難に躓き倒れ、苦痛に将に悶絶せんとする時に、隠れたるわが意識の奥にて吾らを支え給うのである。
困難に耐える力を鼓舞(こぶ)し、悲しみの奥に聖地があることを、それとなくわが意識の奥底から囁きかけて下さり、再び立ちあがる力を育み下さるのが、神の母性的愛なのである。

かくて冷厳なる法則としての神の父性的顕現と、天人の羽衣の如く柔らかく、春の霞の如く温かく、見えざる慈手(じしゅ)をもて、吾らを抱きあげ給うところの神の母性的顕現と、この両者の調和せる導きと、み護りと、叡智と聖愛とがあったればこそ、私の今日の愛と智慧とを備えた生活があるのである。
吾らの父にして母にまします神に無限の感謝を献(ささ)げます。
ありがとうございます。

5322a hope:2015/04/01(水) 07:49:00 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第33回 web誌友会 案内 

期間   4月1日〜4月30日まで
テキスト 「生命の實相」第17巻 宗教生活篇 
内容   第1章〜第4章
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆


この17巻の宗教生活篇には、第1章と第2章に講演会での講演内容、
第3章と第4章に座談会での座談内容が収録されています。

真理は個人の生活に生きてこそ本物だと思います。
自分が光れば周りも明るくなりますものね。

これからも聖典「生命の實相」の真理を学んで、人類を光明化していきましょう!

5323トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/04/01(水) 22:15:53 ID:/cKczFlM
a hope様、ありがとうございます。
今月もよろしくお願いします。

 皆様もどんどんご参加をお願いします。

合掌 ありがとうございます

5324a hope:2015/04/03(金) 21:22:36 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第17巻 p1

はしがき

〝生命の實相哲学〝 の説く中心真理はなんであるかというと、現象界は唯心所現であるから、心に従って自由自在に貧でも富でも病でも健康でも不幸でも現すことができるということである。
これを〝横の真理〝 という。
それからこの哲学の〝縦の真理〝 は、人間は本来、神の最高の自己顕現であり、如来であり、無限の生命、無限の知恵、無限の愛、その他すべての善徳に充ち満ちた久遠不滅の存在である――これがわれわれの実相であるということである。
この〝縦の真理〝 と〝横の真理〝 とを縦横に駆使して人生を支配しうる生活が本当の宗教生活であるのである。

宗教というものを死後の生活のためのものだと考えるのはまちがいである。
宗教は生命の不滅を教えるものであるから、死後にも生命が存続する限りにおいて死後の救いをも説くけれども、今生きている生命の救いが成就しないような宗教で、死後も存続する生活の救いが成就することは不可能であるのである。
生長の家の教えがすぐれているのは、宗教的真理を実生活に応用して、その真理を悟れる人々の身辺に、今ここに、天国浄土が実現するからである。

今ここに天国浄土を実現する道は仏教でもキリスト教でも説かれているが、それがたいてい忘れられているのである。
本書の一五一頁に小木虎次郎博士とわたしとの問答がある。
「趙州和尚(じょうしゅうおしょう)が僧堂にいると弟子が道を聴きに入ってきた。趙州和尚は〝何を担いで来たか。その担いでいるものを放して来い〝 としかりつけたという話がある。〝無だ、無だ〝 と言って〝無〝 を担いでいる人がある。無というもの〝 だと思うから〝無〝 を担ぎたくなる。〝無〝 とは〝なんにも無いことじゃ〝 とわかったらもう担がなくなる。〝裸になってすべてを捨ててこい〝 と言ったら、着物を脱いで来ることだと思って身体(からだ)を真っ裸にして出て来るようなことでは、〝まだ何か股間に提(ひっさ)げて来ているぞ〝 と言われてまごつくようなことになる」と小木博士が言っている。
この何ものをも摑まなくなり、露堂々と生命の実相の完全さが露呈するようになったとき、その人の生命は自由自在となって病気も貧乏も家庭苦もいっさいの生活上の問題が解決するのである。

宗教生活はいっさいの否定をとおして、〝無〝 さえも否定しきって、その奥にある生命の実相の大自在を発揮する生活である。
死んでから宗教の救いがはじまるのではなく、生きている今本当の宗教生活があるのである。
キリストも「死にたる者に死にたる者を葬らせよ」と教えている。
読者が本書を読むことを契機として真に大自在の生活に到達せられんことを希望してやまない。

因みに本書の対話の中に出て来る人名はことごとく実在の人であって、石川芳次郎氏はそのころ京都電燈の社長であり、ただ今は京福電鉄の会長をしている。
小木虎次郎は石川氏の岳父であって明治初年の〝博士〝 の稀有なころの工学博士である。
岡善吉氏はそのころ京都ガスの支配人であったが、今は大阪ガスの重役をしておられる。
そのほか本書に出てくる人は、いずれも懐かしい人たちばかりである。
『生命の實相』の頭注版がでるに方(あた)って更(あらた)めて芳名を掲げて敬意を表する。

昭和三十八年七月十日   

著者しるす

5325a hope:2015/04/03(金) 21:25:21 ID:cEpBaIdo


>>5324 a hope所感)

聖典「生命の實相」はどの巻も『はしがき』が素晴らしいのでわたしは読み飛ばすことができません。

「縦の真理」―― 人間神の子 (唯神実相)
「横の真理」―― 唯心所現 

このふたつの真理が〝生命の實相哲学〝 の説く中心真理であり、
<<この〝縦の真理〝 と〝横の真理〝 とを縦横に駆使して人生を支配しうる生活が本当の宗教生活であるのである。>>
と、述べられています。

人生を支配するには、どちらの真理もおろそかにできないというわけですね!

この17巻なのですが、わたしの頭注版にはまったく赤線が引かれていませんでした。
ということは、わたしはまだこの巻は未読だったわけです(;´∀`)

どんな内容なんでしょうか、ワクワクしています。
みなさんもぜひ一緒に拝読してみてくださいね!

5328神の子さん:2015/04/04(土) 08:54:01 ID:???
a hopeさま

でも、やっぱりこっちだよね。「縦の真理、人間神の子」

根本真理だから。

横の真理ぽっちは案外誰でも知ってたりするけど、(#^.^#)

5329神の子さん:2015/04/04(土) 09:16:30 ID:p..UGkhA
上はるん吉でした

5330神の子さん:2015/04/04(土) 12:21:43 ID:RwGVxWiM
51 :神の子さん :2015/04/04(土) 08:57:25 ID:p..UGkhA教区板に続き、

独占板 ( *´艸`)

5331神の子さん:2015/04/04(土) 14:00:03 ID:UgE//uj6
>>5319


5332るん吉:2015/04/04(土) 15:05:00 ID:???
a hopeさま
>>自分が大きく成長できるチャンス。
>>自分から辛い修行を求めなくても、今現在の自分の置かれた状況に
>>感謝できるようになるのが、・・・

読ませて頂きました。けど、自分は応援さんのいうよのがちと分かるかなぁ。ですね。
感謝も難しい時はあるし、それを自力で感謝やったら、現象の心でやるわけやから
これも、修養ですよね。
私はa hope様みたいに人間出来てないから、難しいかな。

5333a hope:2015/04/05(日) 10:09:48 ID:cEpBaIdo

>>るん吉さま

わたしはここでは偉そうなことを言っていますが、現実には全然大した人間ではありません(;・∀・)

日々、偽我(ウソの自分)との戦いです。

現象のわたしには欲ばり根性もしっかりありますし、見栄をはりたい時もありますし、
相手を傷つける言葉を発してしまったり、態度をとってしまったりして、
落ち込むこともよくあります。

でも、以前よりはそういう自分にこだわらなくなりました。
それは、そんな自分は真我(本当の自分)ではないんだとわかっているからだと思います。


例えば、子供が悪さをして暴れている時など、頭から叱らないで静かにさとすように、

「こんな悪さをする○○君は、本当の○○君じゃないんだよ。それはウソの○○君だね。
お母さんは本当の○○君を信じているよ。」

と言ってあげると、必ず静かになって悪さをやめてくれます。
「実相を見る(信じる)」とはそういうことなのではないかと思います。


『感謝』に関しては、わたしもるん吉さまのおっしゃる通りだと思います。

「感謝しなくては・・・」という気持ちでするのであれば、
それは「現象の心」で無理やりすることになってしまいますものね。

わたしは「感謝の気持ち」とは実相の〝気づき〝 であり『悟り』なのではないかと感じています。

だから、『感謝』は内から湧き上がってくるものでなければ本物ではないと思います。

わたしはそこのところがわかったときに「大調和の神示」の内容がよく理解できました。

そして、本当の「和解」とは「感謝し合うこと」であり、
それができたとき、現象世界に「生長の家」が復活するのだと信じています。

5334a hope:2015/04/05(日) 10:11:57 ID:cEpBaIdo

「大調和の神示」


汝ら天地一切のものと和解せよ 天地一切のものとの和解が成立するとき 天地一切のものは汝の味方である

天地一切のものが汝の味方となるとき 天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ 

汝が何物かに傷つけられたり黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ 

われ嘗て神の祭壇の前に供物を献ぐるとき 先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である 

汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である 神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ 

天地万物と和解せよとは天地万物に感謝せよとの意味である 

本当の和解は互いに怺え合ったり 我慢し合ったりするのでは得られぬ 

怺えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ 感謝し合ったとき本当の和解が成立する 

神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ 

天地万物との和解が成立せねば 神は助けとうても 争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ 

皇恩に感謝せよ 汝の父母に感謝せよ 汝の夫又は妻に感謝せよ 汝の子に感謝せよ 汝の召使に感謝せよ 

一切の人々に感謝せよ 天地の万物に感謝せよ その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見 わが救を受けるであろう 

われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる 

われは此処に見よ 彼処に見よと言うが如くにはいないのである 

だからわれは霊媒には憑らぬ神を霊媒に招んでみて神が来ると思ってはならぬ 

われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ 

われは愛であるから 汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる 

(昭和六年九月二十七日夜神示) 



「大調和の神示」 転載元 http://www.na.rim.or.jp/~hfg01061/public_html/16-9-27.htm 

感謝 合掌

5335a hope:2015/04/08(水) 09:24:55 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第17巻 p44 5行目〜

病気の話が大分出ましたが、「生長の家」は何も病気治しばかりをするところではない。
「生長の家」の説くところは一切宗教の神髄である。
何教でなければならぬと凝り固まった宗派ではない。
また宗門でもない。
派生したものならば、その流れて行く方向がちがうかもしれぬ、また宗門でありましたならば、
それは門でありますから、東門と西門とはまったく別方向を向いているかもしれぬ。
別方向に流れたり、別方向を向いていたら、イヤこの教えは東向きじゃ、イヤこの教えは西向きじゃと言って互に争わなければならぬかもしれぬ。
けれども、「生長の家」はどの方向へも偏寄ってはいないから、宗派争い、宗門争いをする必要がない。
お前の宗教をやめて「生長の家」へ入れとは言わない。
また言う必要がない。
すべての宗門もそれで宜しい。
しかしもっと奥へ這入れ、その堂奥(どうおう)に「生長の家」があるということを説くのであります。

キリスト教の人はキリスト教でそれでよい。
仏教の人は仏教でそれでよい。
神道の人は神道でそれでよい。
しかし宗教というものをただ講座や、哲学や、乞食のような拝み倒しや、死に際の用だと思ってはならない。
宗教はその神髄まで深く入って来るとき必然的に実生活にまで生きてこなければならないのであります。
宗教が実生活にまで生きてこないとき、宗教は無用の長物視され、閑人の閑事業視され、老人の玩弄物視されてしまうのであります。

ところが宗教が実生活にまで生きてきますと、それが実生活の指導原理となってくるのであります。
実生活の指導原理となるばかりでなく、「神の子」の生活を人生に実現することになるのであります。
実際宗教の目的は、「神の子」の生活を人生に実現するためであって、これこそ「生長の家」がこの世に出現した使命であります。

5336a hope:2015/04/08(水) 09:26:31 ID:cEpBaIdo

>>5335 a hope所感)

この第1章「生活に生きる宗教」は、昭和9年11月10日に東京都有楽町報知講堂で行われた、
「人類光明化運動講演会」での谷口雅春先生の講演内容です。
その講演では、雅春先生の話を聞いたり、「生命の實相」を拝読したりすることにより心が整い、
病気が治ってしまったという『唯心所現』の実例が次々に紹介されています。

しかし上のわたしの謹写部分にですが、「生長の家」は決して『唯心所現』(横の真理)だけを説く宗教ではないと述べられています。

つまり、人々に唯心所現の真理(横の真理)を悟らせて実生活に生かすことで、「人間神の子」(縦の真理)を人生に実現させること、
それが「生長の家」がこの世に出現した使命であるとおっしゃっています。

>>5328でるん吉さまもコメントをくださっていますが、
この「人間神の子」の『縦の真理』が「生長の家」の根本真理にあるからこそ、「生長の家」は一切宗教の神髄だといえるのですね!

「生長の家」って本当にすばらしい!!

5337a hope:2015/04/10(金) 10:29:21 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第17巻 p56 後から4行目〜

今までの宗教に属する人や道徳家が善くなろうと思っても善くなれないのは「頼みにならぬ我」――本来悪いわれ――本来無いわれ―― ウソのわれで善くなろうと思うからなのだ。 
なぜいつまでもそんな「ニセ物の我」で善くなろうと思いつつ善くなれないといってそんなことに引っかかっているのだ。
今まで他の宗教や修養法や自制法などでいくら禁酒禁煙しようと思っても禁酒禁煙できなかった人が「生長の家」に来られて神想観をやったり、わたしの『生命の實相』を読んでいるうちに、自然に巧まず工夫せずに禁酒禁煙させてくる実例が多いのであります。

それは前の場合には、酒を飲みたい心、――ウソの心で酒を飲むまいと工夫していたからそれが止められなかったのです。
「酒を飲みたい心」で酒を飲むまいと工夫したとてそれは無駄な努力にすぎないのです。
そんな悪い心は無いと知って、実相の心、阿弥陀仏の心、無限に善い心、久遠のキリストの心ばかりが実在であり、それが「本物の自分の心」だと知ったとき、ひとりでに内在の善が顕われてきて、善きことばかりができるようになるのです。

「生長の家」の説くところは、自分を悪いくだらないものであると大きくいったんその悪さを認めてから捨てるというような迂回的な捨て方をするのではない。
闇をいったんあると認めてその闇を握って摑んで捨てようと思っても、闇というものは消えるものではない。
闇というものを消す方法は、闇がアルとかナイとかいうことなしに頓着しないで闇の反対――「光」をだせば、闇は消えてしまうのです。

光さえ出せば幾億万年以来からの濃い闇でも電燈一個ともせば消えてしまうのです。
だから闇のことは頓着する必要はちっともないのです。
「悪い自分」のことは頓着する必要がない。
ただ本当の自分の「光」さえだせばよいのです。
本来「天照大御神」と同体の自分のみを認めればよいのです。
本来「尽十方無礙光如来と同体の自分」というもののみを認めればよいのです。
「久遠のキリストと同体の自分」のみを認めればよいのです。
そうしたら光が出ればすべての闇が消えてしまうように、悪い自分というものは本来無いから消えてしまうのです。
だから苦労して止(や)めようとしても止まなかった飲酒癖などが自然になんの苦しみもなく止まるのは、自分のうちに宿る仏性が出て来るからです。
自分の中に宿るキリストが出て来るからです。・・・

5338a hope:2015/04/10(金) 10:32:59 ID:cEpBaIdo

>>5337 a hope所感)

ここに、「生長の家の教え」が、「修養」とか「自制」とかいうような方法で
『悪い自分(偽我・本来無い自分)に働きかけて善くしていこうという教えではない』、
ということがはっきりと述べられています。

<<今まで他の宗教や修養法や自制法などでいくら禁酒禁煙しようと思っても禁酒禁煙できなかった人が「生長の家」に来られて神想観をやったり、わたしの『生命の實相』を読んでいるうちに、自然に巧まず工夫せずに禁酒禁煙させてくる実例が多いのであります。>>

わたしたち「生長の家」を信仰する者は、人間の悪や罪を認める必要はまったくなく、
だだ、神想観をして、『生命の實相』を拝読することで、自然に「実相の心」(本当の自分)が顕われてすべてが順調に流れ出すというわけですね!

5339トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/04/10(金) 19:49:24 ID:4juByk5Y
生命の実相第17巻 44ページより謹写

 病気の話が大分出ましたが、「生長の家」は何も病気治しばかりをするところではない。
「生長の家」の説くところは一切宗教の神髄である。何教でなければならぬと凝り固まった宗派ではない。
また宗門でもない。派生したものならば、その流れて行く方向がちがうもしれぬ、また宗門でありましたならば、
それは門でありますから、東門と西門とはまったく別方向を向いているかもしれぬ。
別方向に流れたり、別方向を向いていたら、イヤこの教えは東向きじゃ、イヤこの教えは西向きじゃと言って争わなければならぬかもしれぬ。

 けれども、「生長の家」はどの方向へも偏寄ってはいないから、宗派争い、宗門争いを
する必要がない。お前の宗教を止めて「生長の家」へ入れとは言わない。また言う必要
がない。すべての宗門もそれで宜しい。しかし、もっと奥は這入れ、その堂奥に「生長の家」
があると説くのであります。

 キリスト教の人はキリスト教でそれでよい。
仏教の人は仏教でそれでよい。
神道の人は神道でそれでよい。

 しかし、宗教というものをただ講座や、哲学や、乞食のような拝み倒しや、死に際の用だと思ってはならない。
宗教はその神髄まで深く入って来るとき必然的に実生活にまで生きてこなければならないのであります。

(つづく)

5340トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/04/10(金) 20:03:14 ID:4juByk5Y
 宗教が実生活にまで生きてこないとき、宗教は無用の長物視され、閑人の閑事業
視され、老人の玩物視されてしまうのであります。ところが宗教が実生活にまで生き
てきますと、それが実生活の指導原理となってくるのであります。実生活の指導原理
となるばかりではなく、「神の子」の生活を人生に実現することになるのであります。

<以上で、謹写を終えます>

 私が感じた部分は以上の部分であります。

 亡くなられた藤原敏之先生は、生長の家宇治別格本山の長期練成が終わる時のご講話
で、「みなさんは、今日で宇治の練成会は最終日を迎えますが、ここで学んだことを
帰ってから実践することが大事なんですよ。」と言われていたのを思い出します。

 聖典に書かれていることを生活に実践し、よりよい生活を送る。
その悦びがあって、はじめて他人様にお伝えしようという原動力になるのであります。

 生活に活かす、という信仰は、簡単なようですが、たいへんな部分はあります。
が、そこからしか、本当の向上はないと感じております。

合掌 ありがとうございます

5341a hope:2015/04/12(日) 23:26:23 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第17巻 p60 後から2行目

神さまは決してイエス・キリストを磔刑(はりつけ)にされはしなかったのです。
またキリスト自身も磔刑に処せられて血を流したこともなかったのです。

ではなぜキリストは磔刑になって実際われわれの眼に磔刑になったのごとく顕われ給うたのでしょうか。

それは神の怒りをなだめんがためではない。
至仁至愛(しじんしあい)なる神は決して未だかつて怒り給うたことはないのです。
だから神の怒りをなだめる必要などは露さらないのです。

ではなんのために神はキリストを遣わし給うて磔刑にかかって苦しむ有様を現じ給うたのでありましょうか。

それは実に人類の罪の意識をなだめんがためなのであります。
「罪」というものを神は造り給わないのでありますから、罪はこの世に実在しない、実在しないはずの罪がどうして消えないかというと、人類自身の念が、罪がある、罪が重いと思ってそれに執着しているからなのです、「罪はない」と知って念を罪から解放しましたらなら、地球の引力がなくなったらいっさいの雲霧が飛び散ってしまうように、「本来無い罪」は自然に消え去ってしまうのであります。

だといって、「罪は無い」と教えてやっても、「罪はアル」と思っている人々には、なかなか「オオそうか」と罪念が消えてしまわない。
そういう人の罪の観念を消し去るためには、罪を贖(あがな)うためには罪の値を支払うためには、自分自身何か罪つぐないの苦しみをするか、誰かが代わりに苦しんで「オイお前の罪の代価はワシが代わりに払ってやったよ」と言ってくれる人がなくてはならない。

イエスが神から遣わされて十字架にかかって苦しまれたのは人類に対して「オイお前の罪の代価はワシが代わりに支払ってやったよ」と言って、われわれの罪の意識をなだめる役目で出現されたのであります。
決して神の怒りをなだめるためではなかったのです。

神は決して怒り給うような神ではないのです。
「オオ君が僕の代わりに借金を支払ってくれたのかありがとう」――人類はこう言って罪の重荷がおりたと思ってラクになり、ヤレヤレと思う。
これで、人類から罪の念が解放される。
罪本来無く、ただ罪の念で繋ぎ止めておいたために今まで消えなかった罪ですから、もうこれで罪は消えてしまったのです。

イエス・キリストはこういうように人類の罪の意識をなだめて人類から罪を解放し、人類をラクにしてあげようと思って、本来苦しまず、本来金剛不壊で傷つかない「久遠の実在」であるにもかかわらず、磔刑にかかって傷ついた姿であらわれたのであります。

だから、キリストの十字架の目的からいってもキリストでさえ苦しみ給うたのであるから自分も苦しまねばならないなんて考えているのはまちがいなのであります。
キリストの十字架は人間が楽になるように出現したのです。

宝蔵菩薩の四十八願は人間が楽になるように、極楽になるように出現したのです。
宗教というものは、こういうように人間が楽になるように、極楽になるように出現したのでありまして、今までの宗教には難行道という易行道(いぎょう)とがあると言われていますが、真宗などは易行であって、ただ南無阿弥陀仏と言うだけで救われるのでありますが、「生長の家」は易行よりもまだやさしいのです。

それは容易(やさ)しいだけではない。
楽な行である。
楽行道だと言っているのであります。
もう時間も予定の十時を十分過ぎましたから今日の講演はこれで終ることに致します。

第1章 終わり

5342a hope:2015/04/12(日) 23:27:37 ID:cEpBaIdo

>>5341 a hope所感)

あくまでも、磔行(はりつけ)になったのは肉体キリストの現象の姿であって、
実相のキリストは久遠の実在で、磔行(はりつけ)にもなっていないし、血も流していないのですね。

わたしたち人間の実相もみなキリストと同じ久遠の実在なのですから、悟ってみれば、
どんな苦難に見舞われようとも苦しむこともなく傷つくこともないのだと思います。

そして、「病なし 迷いなし 罪なし」 の「実相独在」の真理を悟るためにわたしたち「生長の家」の信徒がすべきことは、
神想観と聖典「生命の實相」の拝読なのですから、それは本当に「楽行道」ですよね!

5343トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/04/13(月) 20:18:29 ID:SxM22Y9g
>>5342

 おっしゃる通りですね!

 生長の家の聖典を拝読すると、いろいろ良い事が書いて有ります。
例えば、生命の実相の第7巻の「朝の時間を活かせ」などは有名です。

 ただ、そういう部分は、倫理とか道徳というところでも説かれてい
ます。信仰が倫理や道徳とどこが違うか、というと、神様の説かれた
真理から出発するところにあります。生長の家の信徒だと、人間=神の子
の真理から始まるかと感じます。

 タバコや肉食をやめなさい、ではなくて、人間 神の子の自覚が深まる
と自ずからタバコも肉食も減ります。そのために必要なのは、日常生活
の中で、誰でも始められるものですから、本当に「楽行道」ですね。

5344a hope:2015/04/14(火) 09:38:18 ID:cEpBaIdo
>>5343 トキさま

わたしの所感にご賛同くださりありがとうございます。

<<タバコや肉食をやめなさい、ではなくて、人間 神の子の自覚が深まる
と自ずからタバコも肉食も減ります。>>

わたしも、トキさまのおっしゃるようになってこそ、神の子の実相が顕現したといえると思うのです。


現教団の雅宣先生や純子先生のご指導は、
『人間は「神の子」だから「神の子らしく」肉食を減らし、地球にやさしく暮らしましょう!』
みたいな、ご指導になってしまっていて、そのような指導方法では、神の子の実相は顕現しないと感じています。

今現在、生長の家の信徒の為すべきことは、
雅春先生の遺された「聖典の拝読」と「神想観の実修」それが最優先だと思います。

それに、それは、誰をも幸せにする「楽行道」なのですから・・・

5345a hope:2015/04/14(火) 14:55:27 ID:cEpBaIdo

みなさま こんにちは

家政連板 >>5143で神の子さま(おそらく曳馬野さまかそのお仲間)が、
わたしの>>4344のトキさまへのコメントに反応されて、

<<「三正行」と云われているわけですが、二つだけでは野弧になりましょう。
教団の中で『愛行』をやり切れなかった人間、が隠れてネットで寝言を言う。どこが「楽行道」なんだか?>>

と発言されています。

わたしが今回、雅宣先生や純子先生のご指導を批判したので、きっと登場されるのではないかと予測はしていました。

わたしは、今までずっと、生長の家の信徒がすべきこととして、三正行をあげさせていただいていましたが、
今回は「聖典の拝読」と「神想観の実修」だけをあげさせていただいのには理由があるのです。

なぜなら、最近では「生長の家」の信徒のすべき「愛行」の定義がハッキリわからなくなってきてしまっていると感じているからです。

わたしが認識している愛行とは「生長の家の教え」つまり「人間神の子の真理」の伝道です。

ですが現教団の指導の下では、太陽パネルの建築への募金や、マイ箸運動、節電、・・・
そんなことが生長の家の「愛行」であるかのようになってしまっていませんか?

だから、あえて、生長の家の信徒が最優先にすべきことの中に「愛行」を省かせていただいたのです。

雅春先生の「聖典を拝読」し「神想観を実修」していれば、おのずと正しい「愛行」は行われるものだと思います。

5346a hope:2015/04/14(火) 14:59:39 ID:cEpBaIdo
>>5345訂正

わたしの>>4344のトキさまへのコメントに反応されて、
  ↓
わたしの>>5344のトキさまへのコメントに反応されて、

5347神の子さん:2015/04/14(火) 15:26:37 ID:wVeysO6Q
>>雅春先生の「聖典を拝読」し「神想観を実修」していれば、おのずと正しい「愛行」は行われるものだと思います

以下の3144を答えとしましょう

3140 :神の子さん :2015/04/14(火) 12:51:34 ID:1Pks5UNk
過疎の村起こしですか?安倍ポチの言いぐさと同じこと


3141 :神の子さん :2015/04/14(火) 13:08:17 ID:1Pks5UNk
福岡のまじめな信徒さんの書き込みを妨害するかのように、a hopeさんがつまらん貼り付けをしたので、出てこなくなった。

誌友会版で能書き云うだけならいいのだが、二つの版を独占した。トンチンカンさんも一つの版の独占、縹さんも一つの版の独占、

この三個の版には誰も反応しない。過疎化の原因は管理人のいい加減さでしょう。


3142 :神の子さん :2015/04/14(火) 13:36:28 ID:1Pks5UNk
なんかアクセス制限掛けてるのかな


3143 :神の子さん :2015/04/14(火) 14:11:50 ID:wUlsSC6Y
今現在、生長の家の信徒の為すべきことは、
雅春先生の遺された「聖典の拝読」と「神想観の実修」それが最優先だと思います。
それに、それは、誰をも幸せにする「楽行道」なのですから・・・ a hopeさん

「三正行」と云われているわけですが、二つだけでは野弧になりましょう。

教団の中で『愛行』をやり切れなかった人間、が隠れてネットで寝言を言う。どこが「楽行道」なんだか?


3144 :神の子さん :2015/04/14(火) 14:52:12 ID:wVeysO6Q
大体トキさんが教区の人間であり、生長の家の教えはこうだと云える人であるならば、そして人から信頼されているのであれば、

貴女の教区から分派に行く人はいないでしょう。そして総裁の教えがおかしいと云うのでしたら、今の教えから残っている信徒を救う

のが愛行でしょう。そして昔のままの素晴らしい教区として全国に知れ渡っていることでしょう。

そうなっていないとすれば現場で愛行をしていないと云うことでしょう。

壇上で能書き云うことを仕事としているのでしょうか?それとも本部直轄の組織人間で給金のために能書き云っているのでしょうか?


3145 :神の子さん :2015/04/14(火) 15:04:41 ID:wVeysO6Q
公開プロキシ規制だとか、リファラ規制だとか、管理人さん頑張っていますね

5352a hope:2015/04/14(火) 19:34:15 ID:cEpBaIdo

以下に1月12日の純子先生のFBからのご文章を紹介させていただきます。

――――――――

今週のことば--

私たちは、困っている人、災害にあった人、難民などに、物資を送ったり献金をします。
肉食からノーミートに転換することは、貧しい国の人々に献金するのと同じような効果があり、大きな愛行であり、善行と言えます。
そのように考えれば、毎日の食事から少しずつ肉を減らしていくことを、信仰者ができないはずはないと思います。
            
機関誌『生長の家』2014年11月号33頁

―――――――


本当に、肉食からノーミートに転換することが、貧しい国の人々に献金するのと同じような効果があり、
「大きな愛行」で「善行」になるのでしょうか?

それに、「毎日の食事から少しずつ肉を減らしていくことを、信仰者ができないはずはない」というご発言があまりにも押しつけ的に聞こえてしまい、
時にはお肉も美味しくいただいているわたしは、生長の家の「信仰者」ではないのかととても嫌な気持ちになりました。


繰り返しますが、>>5343でトキさまがおっしゃっているような、

<<タバコや肉食をやめなさい、ではなくて、人間 神の子の自覚が深まる
と自ずからタバコも肉食も減ります。>>

という状態になっていくのが、本当の「生長の家」の信仰者の姿なのだとわたしは思います。

5353神の子さん:2015/04/15(水) 06:30:32 ID:???
>>おそらく曳馬野さまかそのお仲間が


曳馬野に、お仲間無し。ひとりぽっち。

5354a hope:2015/04/18(土) 18:38:19 ID:cEpBaIdo

生命の實相第17巻 p80 1行目〜

実際に「生長の家」の聖典『生命の實相』を読みますと、「ああ自分の宗教の教祖はこういう意味を説いていられたのか」とはじめて頷けて釈然とするのであります。
よく宗教同士相争うているのを見受けますが、元来宗教は和解がその役目でありますのに、その宗教が互いに相争っているのは、「こうでなければならぬ、ああでなければならぬ」と捉われるから、ギコチなくなり、固苦しくなり、ついには互に相争うて和解を使命とする宗教本来の使命が滅びてしまうのであります。

「生長の家」はすべての争っている宗教を一つの真理の内に癒合して仲好しにさせるという機能をもっているのでありますから、よくちがった宗教の人たちが夫婦になると互に調和しないで家庭にいろいろな問題が起っているような場合に、そこへ一冊の『生命の實相』の聖典が舞い込みますと、今まで、反対のように見えていた宗教は実は一つの真理の表門と裏門であって、本当はやはり一つであるということが分かって夫婦が仲好しになられた例がたくさんあるのであります。

5355a hope:2015/04/18(土) 18:39:28 ID:cEpBaIdo

>>5354 a hope所感)

<<よく宗教同士相争うているのを見受けますが、元来宗教は和解がその役目でありますのに、その宗教が互いに相争っているのは、「こうでなければならぬ、ああでなければならぬ」と捉われるから、ギコチなくなり、固苦しくなり、ついには互に相争うて和解を使命とする宗教本来の使命が滅びてしまうのであります。>>

宗教の本来の使命は、「和解」だったのですね・・・・。


<<「生長の家」はすべての争っている宗教を一つの真理の内に癒合して仲好しにさせるという機能をもっているのでありますから、・・・>>

そして、本来の「生長の家」には、そういう機能があったのですね・・・。


今現在、その「生長の家」が内紛し分裂し、「和解」の使命が滅びてしまって見えているのは、
「こうでなければならぬ、ああでなければならぬ」と捉われているからにほかならないと思います。

生長の家が「和解」の使命を取り戻すためには、すべての「ねばなばならない」を払拭して、
信徒一人一人が、聖典「生命の實相」の基本に戻ること、それ以外方法はないように感じています。

5356神の子さん:2015/04/18(土) 18:58:11 ID:f6iBwf1Q

今現在、その「生長の家」が内紛し分裂し、「和解」の使命が滅びてしまって見えているのは、
「こうでなければならぬ、ああでなければならぬ」と捉われているからにほかならないと思います。

生長の家が「和解」の使命を取り戻すためには、すべての「ねばなばならない」を払拭して、
信徒一人一人が、聖典「生命の實相」の基本に戻ること、それ以外方法はないように感じています。
***************************************************************************************************

あなたが『ねばならない』に一番捉われているのでしょうが。基本に戻らなければならないとね。

あなた自身が教団との和解が出来ていない。

貴女の言う和解とは何?

5357レイ:2015/04/18(土) 21:32:04 ID:1ThqK4Lc
基地に言われて誌友会に参加する事にしました(^-^ゞ

5358レイ:2015/04/18(土) 21:35:44 ID:1ThqK4Lc
最近、インキンタムシだと思ったらパンツを毎日履き替えれば痒くないって事に気付きました。

しかし。

ただ、パンツを履き替え『ねばならない』から解放しても股間が痒くなってしまいます。

5359レイ:2015/04/18(土) 21:38:11 ID:1ThqK4Lc
働かねばならない
税金を納めねばならない
服を着ねばならない…

人生百般の『ねばならない』から解放されただけでは無軌道な人生になってしまいます。

5360レイ:2015/04/18(土) 21:44:55 ID:1ThqK4Lc
教団と和解せねばならない
メガソーラー募金をやらねばならない
聖典を読まねばならない
肉食をやめねばならない…

一切の『ねばならない』から解放されて、ただ神の子の値打を出す…その為にはしっかり勉強して誰にでも親切にして、神の子の値打ちを、この世に人間が生まれた目的を果たすようにしたいですね。

5361レイ:2015/04/18(土) 21:54:44 ID:1ThqK4Lc
さて、それなら自分は迷い子では無い、神の子だというヘッドライトを常に心に灯すようにしたいですね。

だから大事なのは…

ここで和解念仏和尚の出番でしょうかな?

5362私嘘つきです:2015/04/18(土) 22:37:42 ID:f6iBwf1Q
「私は学ぶ会に移りました、ああすっきりした」

「全国大会に行けなくなりました、残念」

何て作文書く、嘘つきを止めてからモノ言いましょう

5363レイ:2015/04/18(土) 23:30:32 ID:1ThqK4Lc
>>5362
嘘は言ってないけどね。
全国大会、行けるようにしたいな〜

貴方も行きませんか?

5364レイ:2015/04/18(土) 23:47:40 ID:1ThqK4Lc
誘ってもらえて感激ですか?

思いたったら明日、直ぐに申し込みを(^人^)

5365私嘘つきです:2015/04/18(土) 23:58:02 ID:f6iBwf1Q
嘘は言ってないけどね。
全国大会、行けるようにしたいな〜
**************************************************************
歩いて行けば〜 誰もあなたの歩くの止められないよ

空気吸うのは自由だろ、歩くのも自由、陰金たむしも自由にどうぞ

5366a hope:2015/04/19(日) 00:24:09 ID:brQxC10.

レイさま

Web誌友会ご参加ありがとうございます。

ですが、ここで言う「ねばならない」とは、自分の本意ではないことを強制的にするときに使うことばだと思うのです。

だから、>>9358の<<パンツを履き替え『ねばならない』から解放しても股間が痒くなってしまいます。>>

という場合に使うのはちょっと違う様な気がしますが・・・

パンツを履き替えればかゆみが止まりレイさまが快適になるのであれば、それはレイさまの本意なのではないですか?

一方、肉が大好きな人が『肉食を止めろ』と言われたら、それはその人の本意ではないですよね?

そういう時に、「自分は肉は食べたいけれども、環境のために肉食は控えなければならない」と使うのが本当の「ねばならない」のつかい方なのではないのでしょか?

たしかに、働くのが嫌いな人が働くのは「働かねばならない」ですし、
税金を納めるのがいやな人が税金を納めるのも「納めねばならない」でしょうし、
服を着るのが嫌いな人が服を着るのも「着ねばならない」となるのかもしれません。

ですが聖典「生命の実相」を拝読し、神の子の自覚がでてくれば、そんな怠け心やケチな心や変態心は自然になくなってきますよね!

だから反対に考えれば、聖典「生命の實相」を拝読して神の子の自覚を深めることで、
無理なく「ねばならない」を払拭できるのが「生長の家」の教えなのだと思うのです。

少し説明がややこしくなってしまいましたが、レイさまが>>9360で、そういう意味で、

<<一切の『ねばならない』から解放されて、ただ神の子の値打を出す…その為にはしっかり勉強して誰にでも親切にして、神の子の値打ちを、この世に人間が生まれた目的を果たすようにしたいですね。>>

とおっしゃっておられるのでしたら、レイさまのご意見に心より賛同させていただきますね!

5367a hope:2015/04/19(日) 11:22:31 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第17巻 p96 4行目〜

実例をあげれば、先日話しました材木(さいき)さんの話でありますが、材木さんの泊まっておられた小川旅館のおかみさんが耳が悪くて少しも聞こえなかった。
始終耳ががんがん鳴っていて聞こえなかったのであります。
客も三、四人しか来ないで経営が思わしからず、困っている状態なので、材木さんが「生長の家」の話をしてぜひ読んでみるようにと教えられたそうであります。

それでおかみさんが生長の家の聖典『生命の實相』を貰って一所懸命に読んでみられた。
一度は、石井照子さんに訪問してもらったのでありますが、それ以来気分がすっかりよくなって今まで夕立のようにざあざあなっていた耳鳴りがぴったりやんでしまったのであります。
耳だけではない、主婦(おかみ)さんの心が変わってくると、それと同時に店が繁昌してきたのです。
四、五人しかなかった客が三、四十人もやって来て、部屋が足りなくなって一室に二組三組と詰め込まねばならぬような始末になってきたのであります。
心が変われば店が繁昌する。
貧乏も極楽も皆心の中にある。

これはただの一例ですが『生命の實相』という本一つで、この宿屋の主婦さんの環境が地獄から極楽へ一転してしまったのであります。
これを推し進めて行きますと、『生命の實相』の本を読ましたら、その読む人の環境が極楽になる。
すべての人間に『生命の実相』の本を読ましたら、すべての人間の環境が極楽になる。
そうすると心一つで地上に天国が成就することになるのであります。・・・

5368a hope:2015/04/19(日) 11:25:03 ID:cEpBaIdo

>>5367 a hope所感)

<<これを推し進めて行きますと、『生命の實相』の本を読ましたら、その読む人の環境が極楽になる。
すべての人間に『生命の実相』の本を読ましたら、すべての人間の環境が極楽になる。
そうすると心一つで地上に天国が成就することになるのであります。・・・>>

生長の家の伝道は、真理の書かれた聖典の「文書伝道」だと教わりました。
混乱したら基本に戻ればいいだけのことだと思うのですが・・・違うのでしょうか?

5369神の子さん:2015/04/19(日) 21:37:52 ID:1ThqK4Lc
>>5365
アナタは観世音菩薩さまですか?

ありがとうございます(^-^)

5370レイ:2015/04/19(日) 21:54:25 ID:1ThqK4Lc
パンツは冗談ですがf^_^;
そういう意味で。

私は神の子の美しい値打ちを出す為に生きていきたいと思ってます。
それがこの世に自分の生まれた目的、意味なんだと。

『人間の目的は「神の子」の値打を出すこと』
(人生読本37ページ)

5371レイ:2015/04/19(日) 21:59:50 ID:1ThqK4Lc
生命の実相は、私には難しくちょっと敷居が高いけど。
読み出せば引き込まれて一気読みもしますが、普段はなかなかページが進みませぬ。

5372レイ:2015/04/19(日) 22:58:49 ID:1ThqK4Lc
雅春先生の本を買いすぎて何れから手を付ければ良いか途方にくれていましたが。
自分の愛読書は人生読本と真理の吟唱になりました。

自分なりのやり方が掴めてきたトコで。
心が落ち着いて腹を立てる事が少なくなった自分に気付きます。

5373a hope:2015/04/20(月) 09:41:09 ID:cEpBaIdo

レイさま 

<<私は神の子の美しい値打ちを出す為に生きていきたいと思ってます。
それがこの世に自分の生まれた目的、意味なんだと。>>

<<心が落ち着いて腹を立てる事が少なくなった自分に気付きます。>>

レイさまの素晴らしいご心境に感動しました!


『人生読本』は、わたしにとっても愛読書です。
実は4年前に全文章をこの掲示板の信仰/体験板と聖典板に謹写していたのですよ。

その最初の文章が見つかりましたので紹介させていただきます。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311411528/730

わたし、、、若いですね(笑)

子供達もまだ小さかったので、今よりずっと家事育児に忙しかったのだと思いますが、
自分で読んでも、生長の家の教えに触れて感動している様子がありありと伝わってきます。


『生命の實相』は、確かに哲学的な説明が多いので難しいのかもしれません。
わたし自身は、哲学が好きなのであまり気になりませんが・・・。

雅春先生はたくさんの著書を遺してくださっていますが、その中でも「聖典」と呼ばれるものは、
拝読しなくても携帯しているだけで災難から身を護ってくださるお守りの役目をしてくださいますよね!

家の本棚に在るだけで、お家を護ってくださっているのだと思います。

聖典の真理の言葉は、頭で考えすぎずに素直に心読することが大切なのではないかと感じています

5374a hope:2015/04/23(木) 11:39:10 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第17巻 p137 5行目〜

 谷口――なんでも「ぜひこうして欲しい」「こうでなければならぬ」とこの「ぜひひてほしい、ねばならぬ」に捉われますと、心が互いに引っかかって争わなくてはならなくなるのです。
この欲しい、ねばならぬ」を捨てたときに家庭の平和は来るのです。
自分で「こうではなければならぬ」という寸法を持っていると、そうでないものはみんなまちがっているように見える。
そうすると心の中でどうしても非難する。
心の中で非難すると、言葉に出して非難しなくとも必ずそれが感応して互い互いに意地悪をやるようになってくるのです。

だから、お父さんが仏壇を拝みにならなかったとて「お父さんが拝まぬから悪い」とお考えにならないでよいでしょう。
「一人出家すれば九族天に生まる」という言葉がある。
一人でも本当に悟れば、一家全体は救われるのです。
お父さんが仏壇を礼拝なさらなければ、この分はお父さんの分だと思ってあなたが代わりに礼拝してあげるとよろしい。
お父さんを咎める心になるよりよほど気持ちがよい。

5375a hope:2015/04/23(木) 11:51:49 ID:cEpBaIdo

>>5374 a hope所感)

ここに登場する「お父さん」は、ご自分が病身であり、ある霊覚者によると父の方の因縁があるので、
「お父さん」自身が父方の仏壇を礼拝しないとその病気は治らないといわれたそうです。
ですから家族がその「お父さん」に父方の仏壇を丁寧に礼拝するように頼むのですが、
まったく聞き入れずに、そのことで家族と争いのようになってしまっているようです。
その相談への雅春先生お答えが、上の謹写部分です。

とても考えさせられる内容だと思いました。


これを間違って解釈してしまうと、

『片付けをしないわが子を咎めることなく、親が代わりに片付けてしまう・・・その方が、叱らずにすむから、気もちがいい。』

ということにもなりかねません。


現「生長の家」の問題にあてはめてみて考えますと、
わたしたちは、生長の家の総裁・副総裁なのに本来の「生長の家」の信仰をしない雅宣先生や純子先生を、

<<総裁・副総裁が本来の「生長の家」を信仰なさらなければ、この分はお二人の分だと思ってあなたが代わりに信仰してあげるとよろしい。
お二人を咎める心になるよりよほど気持ちがよい。>>

となってしまいます。


今回、岡先生というお方が雅宣総裁に「公開質問」をされたようですが、
これは、ご自分自身のお心の「気持ちのよさ」だけを考えていては決してできない、
とても勇気のある行動だと思いました。

5376a hope:2015/04/26(日) 09:29:05 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」17巻p165 9行目〜

太田――先生、わたしは質問があります。
わたしは信仰は教育を否定しない、信仰と教育とは平行して行くべきものだと思うのです。
神様を本当に信ずるということと、神様にまかせたというのを口実になんの努力もせずに懶(なま)けていることとはちがうと思います。

谷口――それはちがいますねえ。

太田――ところがわたしの家内の場合では、神様を本当に信ずるということは、何もかも神様に打ち委(まか)せて、子供の教育はほったらかして、自分は何もせずに懶(なま)けているということなのです。

谷口――そんなことはありますまい。 
本当に神様を信じたら、懶(なま)けるなどという状態は自然になくなるのが本当の信仰です。
懶(なま)けるということは「行為」でないわけではない、形にあらわれた一種の「何もせぬという行為」である。
そして形にあらわれた行為は心の影ですから、心に本当の信仰が握れたら、その心の投影として行為が自由自在になる。
自由自在無礙になるのが本当の正しい信仰の投影としての行為です。
何もしないで懶(なま)けているという行為は、決して正しい信仰の投影ではありませんねえ。
信仰というものは、たとえばここにある茶碗でもここからかしこへ動かそうとする時に祈って手を動かさないでいるのが信仰ではない。
あの茶碗はきっと動かせると信じて自分が起ち上がって持ってくることです。

太田――ところが家内の場合では、わたしがいろいろと子供に注意していることを、子供を信じないからだと言うのです。
子供を信じ神様を信じたら、そんなに子供の行為に干渉しなくとも、大空に凧の糸目を切って放したように、本当に無干渉になってしまわねばならないと言うのです。
しかしわたしは、子供に注意を与えることが干渉だとは思っていない。
教育だと思っているのです。
教育というものは導くということです。

谷口――そうです。
教育ということは引き出すということです。
本来もっているものが出やすいように窓口を開いてやるということです。・・・

5377a hope:2015/04/26(日) 09:31:40 ID:cEpBaIdo

(a hope所感)

この後、ご主人の太田氏に、

<<神様を本当に信ずるということは、何もかも神様に打ち委(まか)せて、子供の教育はほったらかして、自分は何もせずに懶(なま)けているということなのです。>>

と思われてしまっている、奥さまの太田夫人が反論しています。


わたしも「子供の教育」に関しては、悩むことが多いので、この太田ご夫婦と雅春先生の御対談はとても興味深かったです。


よく「自由と放任は違う」という言葉を聞きますが、みなさんはどう違うとお考えですか?


上の雅春先生のお言葉に、

<<心に本当の信仰が握れたら、その心の投影として行為が自由自在になる。>>
<<自由自在無礙になるのが本当の正しい信仰の投影としての行為です。>>

とあります。


わたしは、正しい信仰(生き方)ができていないのに『自由』を主張するのはそれは 『自由』ではなくて「自分勝手」や「放漫」で、
そして相手の「自分勝手」や「放漫」をさせるがままにしてしまうのが「放任」なのではないかと解釈しました。

相手の「実相」を礼拝して信じることは勿論信仰の基本だと思いますが、現象の相手の姿がおかしかったり間違っていると感じたら、
「あなたのしていることは、おかしくありませんか?間違っていませんか?」と注意してあげることは、
相手の「実相」を信じているからこそできる、とても信仰深い愛深い行為なのではないか感じています。

5378a hope:2015/04/30(木) 12:17:50 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第17巻 p212 9行目〜

谷口―― 東京でも「手のひら療治」の幹部が、ぞくぞく『生長の家』へお入りになるようであります。
病人に同じ手を触れるにしても、病気本来無い「生命の実相」を知って触れると、普通の二倍三倍の速力で治るのであります。
江口鎮白(やすきよ)さんの「手のひら療治」の道場には正面の机の上に全集『生命の實相』が置いてあるそうで、江口さんみずから『生命の實相』の治し方は大乗の教えであって、自分の治し方は小乗の治し方であって方便の教えである。
今の世に大乗の教えを受ける人が少ないのでやむをえずに方便としての小乗の治し方を採用していると言われているそうです。
こう言ううる江口さんは心の広い方です。

5379a hope:2015/04/30(木) 12:22:03 ID:cEpBaIdo

>>5378 a hope所感)

ここに、「大乗」と「小乗」という言葉がでてきました。
このことに関しては、以前第11巻「万教帰一篇」を勉強しているときに少し混乱して、このweb誌友会で質問させていただきました。
そのときに、縹さまが素晴らしいご指導をくださいました。
>>3785 〜>>3800 のあたりです。

あらためて読み返してみると『生命の實相』の教えがどれだけすごい教えなのかを再認識できます。
今世でこの教えに巡り合えたこと、この「生命の實相」を信仰の指針として学べることに心から感謝の念が湧き上がってきます。


ところで、以前わたしが曹洞宗の寺の座禅会に参加していたときに、
そこの寺の住職の法話で「大乗と小乗の説明」の例え話を聞いたことを思い出しました。


【住職の話】

まわりが火の海の中で遊ぶ子供をどのように救出するのか?

いきなり大きな車(大乗)で向かっては、子供は警戒してその車には決して乗らない。
1、ますは、羊車などの小さな車(小乗)を見せて子供の興味をひき家より連れ出す
2、そのあと、手押し車に乗り換えさせてより速く逃げ、
3、最後に大きな車(大乗)に乗せて安全を確保する。


そのような説明でした。

この例えを、「生長の家の教え」で考えてみました。


【a hopeの考え】

人間を「罪の子」だと信じている人間をどのように救出するのか?

いきなり「人間は神の子で罪なしですよ」(大乗・人類の救済)を説いても決して信じない
1、まずは、自分の心を変えることで病気や生活難や人間関係が改善することを知らせる(小乗・個人の救済)
2、そのあと、三正行をすることで「人間神の子」の自覚を深めさせ
3、最後に「唯神実相」の真理を悟らせる(大悟・大乗・人類救済)

生長の家の教えには縦の真理(唯神実相)と横の真理(唯心所現)がありますが、
ここでは横の真理が(小乗・個人の救済)、縦の真理が(大乗・人類全体の救済)になるのではないかと解釈しました。
間違いがあればご指摘ご指導をお願いいたします。

唯神実相を大悟した谷口雅春先生やキリスト釈迦等のレベルの方でしたら、大乗をいきなり説いても奇蹟は起きたかもしれません。

ですが、大悟していない(完全に救われていない)人間が人類全体の救済をいきなり目指すのは無理があると思います。
「生長の家の教え」で考えれば、まずは個人の救済(小乗)をしていくことが信仰の基本になるのではないでしょうか?

5380a hope:2015/05/01(金) 20:48:30 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは

5月に入りましたので、第34回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5381a hope:2015/05/01(金) 20:51:10 ID:cEpBaIdo

つづきまして、今回のテキストである 第18巻の「はしがき」を謹写させていただきます。


「はしがき」p1〜

宗教的信仰をもっている人はともすれば凝り固まって、物の考え方や生活が偏狭になると思う人があるが、それはまちがった偏った信仰をもっているからである。

本当に正しい宗教的信仰は、人間の心を空・無礙の境涯にあらしめ、人間の生活を非常に自由にならしめるものなのである。

正しい信仰のない者は自分の生命の本体、生命の実相がわからないから、窮屈に片寄って委縮して大きな仕事もできないし、勇敢な決断もできない。

自分の生命の本体がわかると、その本体から無限大の力を汲み出して来て何をしても自由自在にできるようになるのである。

本当に正しい宗教というものは人間を解放するものなのである。

ある種の新興宗教では、「この宗教に入らないと不幸が起こるぞ」などと言って、人間を脅迫して人間の自由を縛るような種類のものがあるが、かくのごときは邪教であって正しい宗教ではないのである。
(つづく)

5382a hope:2015/05/01(金) 20:51:59 ID:cEpBaIdo
(つづき)
仏教では、「さとりを得る」ことを「解脱する」と言う。

すなわち、迷いによって自己を縛って窮屈にしていた状態から人間を解脱せしめ解放するのが、正しい宗教的信仰なのである。

正しい信仰には真理の裏づけがなければならない。

だから真理を知った人を仏教では「覚者」すなわち「仏陀」と称したのである。

キリスト教では「真理はなんじを自由ならしめん」と言っている。

所詮、正しい宗教的信仰は、人間を自由自在ならしめるものである。

すべての正しき宗教はこのように人間の全体的解放の道を示すのである。

人間が全的に解放され、「内在の生命」が自由自在に発露する結果、運命も好転するし病気も治ることもあるが、そんなことは宗教の随伴的功徳であって、中心的な救いではない。

人間が全的に解放されるとき、どのように人間が自由になり、心の底から悦べるかは、本書の内容を読んでいただければよくわかるのである。

本篇に収録された各章は生長の家草創当時、わたしがまだ神戸の郊外の住吉村にいたころに、集まって来た人達が自分の信仰体験について互に語り合った対話を筆録したものを筆録したものであって、対話者は、いずれも、キリスト教にするならば原始キリスト教時代の十二使徒とも言うべき人々であって、その対話も正しい信仰の深い境地を語っていて、その行履(あんり)はもって永遠に範(はん)とするに足るものなのである。

おそらく聖書の「使徒の書」が永遠の生命を失わないのと同じように、この書も永遠に汲めば汲むほど新しい生命の泉となるべきものをもっていると信ずる。

幸いに常に携帯して座右の友とし、小閑を利用翻読(ほんどく)して本書のすべてのページより常にその滋味を吸収して神徠(インスピレーション)を受けられんことを希(こいねが)う。

昭和三十八年九月十日      著者しるす

5383a hope:2015/05/01(金) 20:52:50 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第34回 web誌友会 案内 

期間   5月1日〜5月31日まで
テキスト 「生命の實相」第18巻 宗教問答篇 
内容   第1章〜第5章
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆j

5384トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/05/01(金) 22:02:28 ID:jeiQ0zK6
>>5377

 「自由」というのは、禅の言葉から出ていると聞いた事があります。
禅のお坊さんから聞いたのです。(もっとも、ネット上で調べたのですが、
正確性には欠けます。)

 仮説ですが、もし、これが事実だとしたら、「自由」というのは、本来
は人間の実相からくるものかもしれませんね。

5385重要!!:2015/05/02(土) 18:11:10 ID:???
 昭和の時代なら、いろいろと方針を教団が作って、それに信徒がまとまるというのもありだ
ったとは思いますが、これだけ時代が変われば、いろいろな考えの人がいるのが当たり前で、
そえを特定の発想でしばるのは限界があります

5386トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/05/02(土) 18:30:19 ID:kF8AX9Ms
>>5385

 そうですね。でも、その話は別の場所でしましょう。

a hope様、今月もよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5387ズン吉 ◆tRxz4P5hqk:2015/05/04(月) 17:37:14 ID:???
a hopeさま

前は会社の事でちょっと書いてしまってそのことで回答下さり有難うございました。

今は、何とか少ぅしマシな状況にはなってますが・・

まあ、自分で「こうこうこういう状況です。しんどいです」ってかけ合ったというか、

待ってても状況は同じだったんで。しかし、自分が神の子って忘れてますねぇ。

生長の家の「現象無し」忘れてて、現象ばかり引っかかってますね。(嫌な)出来事が

体験しながら其の出来事を「無し」と思うのは難しいですね。

わたしの解決法は結局、普通の解決の仕方やん。でした(/_;)

5388a hope:2015/05/04(月) 22:50:47 ID:cEpBaIdo

>>5387 るんるんさま

本当の「神の子」の自覚や「現象なし」の悟りは、
突き詰めれば「唯神実相」の悟りで「法華経」の悟りですから、
わたしたち普通の人間はそう簡単には悟ることはできないものだと感じています。

それを本当に悟られて、後世に名前を残しているお方は、キリスト、釈迦くらいで、
雅春先生はこれからのちに語られる方なのではないでしょうか?

だから、わたしたち普通の人間は現象世界に生きていれば物質はあると感じるのが当然ですし、
自分が「神の子」であるという自覚も心に思い描くことはできても、
本当に悟ることはとてもむずかしいと思います。(実際は「神の子」なんでしょうが・・・)

ですが、その「唯神実相」を大悟された谷口雅春先生がご存命だったころはその高級な波動に影響されて、
信徒にも奇蹟が続出したのだと思いますが、今は雅春先生がおられないわけですから、
わたしたちがどんなに「神の子」だと言われてもそう簡単には奇蹟は起きなくなってしまったのだとわたしは推察しています。

だから、るんるんさまの『自分が神の子って忘れてますねぇ。』とか、
『生長の家の「現象無し」忘れてて、現象ばかり引っかかってますね。(嫌な)出来事が』
という感覚はとても普通な正常な感覚なのではないかとわたしは思いますよ。

正直にいえば、わたし自身、生長の家の「横の真理」はだいぶ悟ってきたみたいで、、
自分の心や感情をコントロールすることで現象の状態を良くすることはかなり可能になりつつありますが、
『「神の子」や「唯神実相」の自覚となると、まだまだだな〜』とため息をつく毎日を送っていますもの(;・∀・)。


真理を大悟された雅春先生のいらっしゃらない現在、「人間神の子」や「現象なし」の自覚を得るには、、
谷口雅春先生のご著書つまりは「聖典」を拝読し続けるか、ご講話をyou-tubuなどで拝聴し続け、
その高級な波動に自分の波動を共振させることで悟るしか方法はないのではないかと感じています。

5389るん吉:2015/05/04(月) 23:08:17 ID:mj7GS0oI
a hopeさま

返信有難うございます。そんな風に言って下さり有難うございます。

「谷口先生の生きていらした時は、その高級な波動 云々・・」て前も書いてらっしゃいましたね('_')

わたしもそう考えた事ありました。

それで、現在はまたどこかに、別の誰か谷口雅春先生のような悟った人がいらして、その人の廻りで

いっぱい奇跡のような事、起こってたりするのでしょうかね?(*‘ω‘ *)エエナア・・

今の総裁さんでは、無理っすね。

でも、実相を悟るのは難しい。もっと簡単に皆が悟れたら良いのに・・

5390a hope:2015/05/04(月) 23:36:33 ID:cEpBaIdo

>>5389 るんるんさま

<<それで、現在はまたどこかに、別の誰か谷口雅春先生のような悟った人がいらして、その人の廻りで
いっぱい奇跡のような事、起こってたりするのでしょうかね?(*‘ω‘ *)エエナア・・>>


そうですね。

きっと、そういうことも起るかもしれませんが、わたしが宗教を信仰していく上で一番よくないと思っている「心」が、
「依存心」です。

本来の宗教は人間一人一人の「悟らせる」ためにあるのであって、
現象の状態を救う奇蹟を起こすためにあるのではないですよね?


るんるんさま

わたしたち一人一人が「聖典」を拝読して悟っていけば、必然、地上に天国が出現すると思うのです。
それこそ、雅春先生のご悲願なのではないでしょうか?

これからも、どうぞweb誌友会に時々ご参加くださり、
わたしと一緒に世界最高の聖典「生命の實相」を学んでいって下さいね!


すみません。
今日は少しアルコールが入っています(#^^#)。
わたしの文章に失礼があったらお詫び申し上げますm(__)m

5391るん吉:2015/05/05(火) 02:49:12 ID:mj7GS0oI
a hopeさま

失礼なんて全然思ってませんよ(#^.^#)ホホッ

解ってますって。依頼心なんてダメなことは。冗談で言ったんですよっ。

実相悟らにゃなんにもなりゃしませんものね。

有難うございました。!(^^)!

5392a hope:2015/05/05(火) 15:19:26 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第18巻 第一章「肉体と境遇を良くする道」p3

(内容――昭和八年九月中、生長の家の仮見真道場へ日々お見えになった方の折に触れての座談の中より、肉体も環境もわが心の影であるという事実を如実に語り出されたものを系統的に集めさせていただきました。)


p4後から4行目〜

谷口――高血圧症の人の症候の一つは「腹が立ちやすくなる」ということですが、そんなに腹が立たなくなると、もう高血圧も治ったのと同じでございましょう。
腹が立つので高血圧になる、高血圧になるから腹が立つ、両方から病気を亢進させていられたのが、その反対になると、両方から病気を治しているということになるのであります。


p5後から5行目〜

山田――(略)なんでも溜めておかない、溜めておくことは積み(罪)である、循環を悪くすることであると思いまして、出すべきものは出し、払うべきものはすべて払うということに致しておりますものですから、その代わり、入るべきものは入る、持って来て下さるものは持って来て下さるということになっているのだとありがたく思っているのでございます。

5393a hope:2015/05/05(火) 15:21:22 ID:cEpBaIdo

>>5392 a hope所感)

この第一章は、心を変えることで境遇を好転させた実例が沢山挙げられていて、唯心所現の真理【横の真理】がいかに大切であるかがわかる内容です。

ですが、谷口雅春先生は「唯神実相」を悟られているお方ですから、そのご指導内容は「生長の家」の【縦の真理】にも当然かなっていて、
この章を丁寧に拝読していくと、生長の家の【縦と横の真理】の関連性がとてもよくわかるような気がします。

5394a hope:2015/05/06(水) 10:17:09 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

今日はゴールデンウィーク最終日ですね。
みなさんはどんなホリデーを過ごされたのでしょうか?


ところで、先月のweb誌友会>>5377でわたしは

<<よく「自由と放任は違う」という言葉を聞きますが、みなさんはどう違うとお考えですか?>>

と質問させていただきました。


それに対して、トキさまが>>5384

<<>>5377

 「自由」というのは、禅の言葉から出ていると聞いた事があります。
禅のお坊さんから聞いたのです。(もっとも、ネット上で調べたのですが、
正確性には欠けます。)

 仮説ですが、もし、これが事実だとしたら、「自由」というのは、本来
は人間の実相からくるものかもしれませんね。 >>

とお返事くださいました。


今、大熊先生のブログの一つを拝見したら、偶然(?)、そのことに関する答えになる内容の記事があったので驚きました。
素晴らしい内容なので、みなさまにも紹介させていただきますね。

http://blogs.yahoo.co.jp/warai333warai

5395a hope:2015/05/06(水) 23:16:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 p17 5行目〜

宮――(略)信仰問題の話になりますと、わたしがよく「宇宙の大霊」と申すものでございますから、「大霊先生」と綽名(あだな)をつけられたことがあるくらいであります。
爾来、わたしは信仰が徹底して安心立命を得たつもりでいました。

今から考えてみますと自己陶酔をしていたのでありますが、逆境にあってよく耐え忍び、逆境においても耐え忍ぶことのできる自分をなんとなく誇りとし、つまり、逆境陶酔に陥っていまして、「逆境は心の影」であって、逆境が来るのは自分の心が悪いためにそれが現象世界に映っているのだということには気がつかないで、逆境の来る源たる「わが心」を直そうとしませず、ただ「逆境、ありがたい!」で通してきたため、信仰生活を続けながら、逆境は依然として続き、不調和はますます重なってきまして、ついには昨年7月には最愛の男の子を二十歳で亡くしたのでありました。

しかしその時ですらわたしは、これは神様の御心であると、感謝の心を失わなかったのでございます。

今年三月機縁が熟しまして、神様のみ恵みで「生長の家」を知らせていただいたのであります。

それも実に奇縁で、関西婦人連合会の席上で田村ふく子さんから、他の人にことづけてくれと頼まれて託された「生長の家叢書」を何心なく披(ひら)いて読んでみましたところが、言言句々わたしの心に思いあたるところがありますので、すぐに「生長の家」に会員にしていただきまして『生命の實相』を読ませていただきますと共に、わたしの信仰に革命が起こりまして、肉体上にも環境の上にも光明が輝くようになったのでございます。・・・

5396a hope:2015/05/06(水) 23:18:00 ID:cEpBaIdo

>>5395 a hope所感)

この宮さんというご婦人は、「宇宙の大霊」を信仰することにより安心立命を得たつもりになっていて、
逆境をも耐え忍んで感謝するという「逆境陶酔」に陥っていたことにのちに気づかれます。

この「逆境陶酔」とはキリスト教徒に多くみられる「受難礼賛」と同じような意味だと思うのですが、
「逆境」や「受難」を神さまの御心であると勘違いして感謝して受け入れてしまうと、
現象は心の影ですから、そのあとも「逆境」や「受難」が次々に起ってくることがわかります。

一方「生長の家の教え」では「逆境」や「受難」に遭うのは業(罪)の自壊作用であって決して神の御心ではないとされています。

だから、その罪を反省し本来の神の子の心を出すように(悔い改め)すれば事態はどんどん好転していくのですね!

この宮さんも、その後、聖典『生命の實相』を読まれると共に『わたしの信仰に革命が起こりまして、肉体上にも環境の上にも光明が輝くようになったのでございます。』
と言われています。

そして、たくさんの奇蹟の体験談をお話しされた後に、

<<「懺悔」すなわち心の中で犯された罪を思い出して捨ててしまえばすべての病は治るものであると、「生長の家」で教えられているのは真実であることを、こうして毎回体験させられて感謝致しているのであります。>>p29 2行目〜

とお話を終られています。


「生長の家」の『大調和の神示』には<<天地一切のものと和解せよ、天地万物に感謝せよ>>とあるので、その言葉の表面上の意味だけを読み取りますと、
この神示は、「現象に現れてみえるすべての事象に対して和解し感謝しろ」と言っているのかと勘違いしてしまいがちですが、
「生命の実相」第13巻の『和解の倫理』には、<<「虚説」に和解してはならぬ>>と説かれています。

「逆境」や「受難」は、実相の現れではなくて、本来無い心「罪・悪・迷い」(虚説)が現象に映った仮相ですから、
その仮相である「逆境」や「受難」には対しては、決して和解したり、感謝してはいけないということなのですね。

5397a hope:2015/05/09(土) 11:06:11 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第18巻 p29 6行目〜

谷口――大変結構なお話を承(うけたまわ)らしていただきましてありがとうございました。

そういうふうに外界に映し出された「自分の心の影」というものに照して、自分というものを省み「ニセ物の自分」を捨てて「本物の自分」の生き方をするのが「生長の家」の生き方なのであります。

しかし、この虫に螫(さ)されるとか病気になるとかいうのはわれわれを反省せしめるために神が与えた神罰であるかと言いますと、「類は類を招(よ)ぶ」の心の法則で、そうなるのであって、神が人間を罰するのではないのであります。

念というものは象徴的に展開して、その念に類似する形を現象界に具象化するのでありますから、悪念は神から直接に罰しも罰されもしないわけですけれども、その悪念を出した人の肉体と環境とにその悪念の内容(なかみ)相応のものが形に化して実際現象としてあらわれて来るのであります。

5398a hope:2015/05/09(土) 11:10:54 ID:cEpBaIdo

>>5397 a hope所感)

<<念というものは象徴的に展開して、その念に類似する形を現象界に具象化するのでありますから、悪念は神から直接に罰しも罰されもしないわけですけれども、その悪念を出した人の肉体と環境とにその悪念の内容(なかみ)相応のものが形に化して実際現象としてあらわれて来るのであります。>>

ここに、「念の具象化」言いかえれば、「業(罪)の自壊作用」の説明がされています。

ところで、悪念とはどんな念なのかと、ちょっと調べたくなったのでwebで調べてみました。http://thesaurus.weblio.jp/content/%E6%82%AA%E5%BF%B5

【意義素】 他者が苦しむのを見る必要性を感じること

【類語】 賊心 ・ 犯意 ・ 遺恨 ・ 害意 ・ 意地悪 ・ 物恨 ・ 怨念 ・ 意趣遺恨 ・ 意地悪さ ・ 醜悪 ・ 意趣 ・ 邪悪 ・ 害心 ・ 物恨み ・ 毒気 ・ 邪気 ・ 思 ・ 怨み ・ 恨 ・ 思い ・ 怨 ・ 毒念 ・ 毒心 ・ 悪気 ・ 恨み ・ 悪意


その内容を読んでみて、「悪念」ってホント恐ろしいな〜感じました。

特に、【意義素】の<<他者が苦しむのを見る必要性を感じること>>って表現がすごいですね(;・∀・)

「悪念」を放っている人には、他者が苦しむ姿をみる必要があるということなのですから・・・


以前、このweb誌友会で裕福な家庭に病人が多かったり、子供が不良になったり、不幸が続いたりするのは、
裕福でない人たちからの悪念に影響されているからだ、というような内容を学びましたが、
なんにも他人に悪いことをしていなくても、裕福であるだけで他から悪念を受けてしまうのですからたまりませんね。

誰でも自分自身が本当の幸せを感じた経験がなければ、他者の幸せには共感できないものだと思います。

自分が恵まれていると感じたら、自分が幸せだと感じたら、周りの人々にもその恵みや幸せを分け与えることが必要なのですね!

5399a hope:2015/05/11(月) 09:08:21 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第18巻 p29 後から2行目〜


「生長の家」で「神罰は無い」と断言しますと、自分の病気さえ治れば、あとはいい気になって利己的な忘恩的な行ないを平気でやる人ができてくるかもしれませんが、そう言う人の周囲には同類の忘恩的な利己的な人たちが集まってくるのであります。

忘恩的な人のところへは忘恩的な人間ばかりではなく「忘恩的な事件」までも集まって来るのであります。

「忘恩的な事件」と言ったらどんな事件であるかと申しますと、善い結果はその事件から生まれて来ないで、自己の努力に対しては忘恩的結果すなわち自己を裏切るような結果を招くようなことになるのであります。

よくこんな人は申します――「必ず成るという自信をもって、誠を尽くせばどんなことでも成就するということが『生長の家』に説いてあるが、今度の事件には自分は自身をもって誠を尽したのに不成功に終わった」と言われるのであります。

自信と一時慣行の誠とは、おのおの事を成す要素ではありますが、ただそれだけでは必ずしも事は成就しないのであります。

自信に対して自信を裏切らず、努力に対して努力を裏切らない結果を得るには、自分自身が裏切った心持と行為をしないすなわち忘恩的な心持ちと行為をしないことが必要なのです。

(つづく)

5400a hope:2015/05/11(月) 09:09:28 ID:cEpBaIdo

>>5399 a hope所感)

ところで「忘恩的な心持ちと行為」とはいったいどんな心持であり、行為なのでしょうか?

わたしのママ友でとても律儀(?)な方がいらして、その方はわたしやわたしの子供達が旅行のお土産をお渡しすると、
「うちはどこにも行かなかったけど・・・これどうぞ」って、近くのお店でわざわざ何かを買ってお返ししてくださるのです。

わたしはそのたびに、「彼女に余計な気を使わせてしまったな〜」とお土産をあげたことを少し後悔したりしてしまいます。

この後、雅春先生が「忘恩的な心持ち」について説明してくださっています。
とても大切なことだと思うので、シッカリ拝読したいです。

5401トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/05/11(月) 22:25:58 ID:9x8Ehrvk
 生長の家の活動をしておりますと、いろいろな人から相談を受けます。
宗教に救いを求める、というのは、医者や弁護士から見放されて、あとは
神様しか道はない、というケースも多いです。

 講師や信徒と言っても、中には冷たい人もいますが、相談を受けただいた
いの人は、それなりに時間もお金も使って、解決のために奔走します。それ
で、問題が解決したら、最初は涙を流して感謝をしても、あとは知らない顔
をして、生長の家とは関わらない人もいます。もちろん、そういう人ばかり
ではなくて、報恩感謝という気持ちで、人類光明化運動に邁進される人がほ
とんどですが。

 ご神示にもありますが、神様が問題を解決するのは、その人を導く契機に
するケースも多いです。しかるに、問題が解決して、感謝の念を起こさずに
自分だけがよければいいのだ、という気持ちでいると、後年、同じような
問題が起きて、また生長の家に駆け込んでも、もう問題が解決しない場合が
大半です。

 少し思い出したこともありましたので、書いてみました。

5402a hope:2015/05/12(火) 08:09:47 ID:cEpBaIdo

 >>5400つづき

忘恩的な心持ちはどこから生まれて来るかと申しますと、たいていは物質欲に捉われるからであります。

「恩は知っている」と自分でも思い、感謝もしているつもりであっても、「物を出すのは惜しい。心で感謝しておこう」などと思っていますと、その「惜しい」とう心が、恩者に遠ざかる働きとなってあらわれて、しだいにその人間を忘恩的にし、ひとりでに偉くなったように慢心が出てきて、恩者を忘れてしまうようになってくる場合があるのです。

そうなってきますと、自分は真理を十分悟ったつもりであり、神想観も一生懸命やっているし、自信と熱誠とをもって事業をやっているのにどうもことごとに自分を裏切る結果を招くようになります。

これは「類は類を招(よ)ぶ心の法則」によりまして「裏切る心」が、「裏切られる結果」を招くことになるのであります。


こういうように「心に法則」というものは、厳重に働くものでありまして、「物質無、我れ神の子なり」の絶対無に達しない限り、「刺す心」は「刺される結果」を招く、「裏切る心」は「裏切られる結果」を招くのであります。

また、真に悟りの絶対境に達しますれば刺す心も裏切る心も無くなるのであります。

現象世界は本来無いのであって、念の象徴化でありますからその象徴を追うてさかのぼってゆけば、その病源なる病念に到達するのです。

神のお罰(とがめ)であるなら、もっとハッキリした形をとるが、象徴(しるし)であるがゆえに明瞭にそれと気づかぬことが多いのであります。

5403a hope:2015/05/12(火) 08:11:16 ID:cEpBaIdo

>>5402 a hope所感)

<<忘恩的な心持ちはどこから生まれて来るかと申しますと、たいていは物質欲に捉われるからであります。>>

忘恩的な心持ちは物質欲に関係しているのですか・・・。


これはわたし独得な感じ方かもしれませんが、たとえば深切をした相手がそのことを心から喜んでくれて、「本当の感謝の気持ち」をもってくれていれば、
その気持ちはしぜんに自分に伝わってきて、わたし自身とても幸せな気持ちになります。

だから、わたしは特に物質的な「お返し」がなくてもその気持ちが伝わるだけで十分です。

それに、相手になんらかの「見返り」を求めるような深切は、本当の深切ではないとも思うので、
そういう押しつけ的な深切を受けても、心からの「喜び」や「本当の感謝の気持ち」は湧いてこないと思います。

わたしのお土産にすぐに「お返し」を持ってくる律儀なママ友に、わたしが申し訳ないような気持ちになるのは、
彼女に「喜び」や「感謝の気持ち」よりも『「お返し」をしなければ・・・』という気持ちを先に起こさせてしまうからです。

わたしは、ただ、彼女の喜ぶ顔を見たいだけなのですが・・・
「唯心所現の真理」に照らし合わせて考えれば、わたしの心の中に相手からの「見返り」を求めようとする心があるからなのだと思うのです。 

わたしは、考えすぎでしょうか?
「横の真理」も実践となるとなかなか難しいですよね。


「生長の家」の信仰に関しては、>>5401でトキさまがわかりやすく説明してくださいました。
「生長の家の真理」で救われたのならば、その「真理」を伝道して「人類光明化」に邁進することが、
「生長の家」の神さまに報恩感謝するということになるわけですね!

トキさま、的確なご指導をありがとうございます。 合掌。

5404a hope:2015/05/14(木) 15:59:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 p31 後から5行目〜

谷口――(略) 先般東京の誌友で時々鼻血がでるので「ひとの道」の教祖に神宣を乞うた人がありましたが、「いろいろと物事思いつめる性分があるからそれを直せ」という神宣でありました。

この人はこの神宣をありがたがり、そのとおり実行しようと決心しましたが、それ以来鼻血が出なくなりました。

その人はまたある日膝坊主に擦り傷を受け、また一匹の蜂が舞い下がってその人の腕を刺したのであります。

でその人は試みに「ひとの道教団」に再び神宣を乞いましたら「自分ばかり偉いと思って人をいろいろ批評する性分があるから神がこれにお気づけしたのである」というお示しでありました。

その人、これは大変自分の性分に合っている御神宣を受けたと思って、「人の道教団」を崇敬してただちにその信徒になったということであります。

鼻血が出るのは、物を鼻にかけ、また高ぶり、上に血が昇り、自分考えを標準にして物事をクヨクヨ思いつめる念が具象化したのであります。

蜂に螫(さ)されるのは、自分にある人を刺す心――いろいろ人を批評し傷つける心が象徴化したのであります。

膝坊主は曲げて突き出して他と衝突摩擦して血をだしたのであります。

いろいろと人を批評し、自分の方が曲がっていてもそれを悟らず、自分を偉いように思い、他と衝突する性分がこの人にはあるゆえに、その念の象徴化としてこの人はそういう傷を受けたのであります。


病は神のお示しということも、天理教のように「理は神じゃ」という「理」――すなわち「生長の家」で言う「心の法則」を知るならば、ひとの道教祖ならずとも何人にもこういう判断は自分につくのであります。

わからない場合には神想観をして、精神を統一し、神にお願いして自分を空しゅうしておれば、心に必ず神宣が浮かんでくるのであります。

神示を受ける方法は『生命の實相』全集の観行篇(愛蔵版第四巻、携帯版・頭注版第八巻)にわたしの書いた「神示を受ける道」をご参考になさるといい。

「ひとの道教」では「念の具象化の法則」を教えないで教祖に頼って自分の心得(こころえ)違いを教えてもらう、「生長の家」では各誌友が心の法則を知るから、誌友おのおのみんな「ひとの道教祖」と同じになってしまって、自分の環境を見、自分の病気を見て、自分の心のまちがいを悟ることができる。

悟れるだけではなく直そうという誠さえあれば聖典を繰り返し読み神想観に励めば自然に直ってくるのであります。

5405a hope:2015/05/14(木) 16:01:58 ID:cEpBaIdo

>>5404 a hope所感)

以前「天理教の教え」と「生長の家の教え」の違いをまとめたことがあります。>>3839 

今回、雅春先生は「ひとの道教の教え」についても言及されています。

<<「ひとの道教」では「念の具象化の法則」を教えないで教祖に頼って自分の心得(こころえ)違いを教えてもらう、「生長の家」では各誌友が心の法則を知るから、誌友おのおのみんな「ひとの道教祖」と同じになってしまって、自分の環境を見、自分の病気を見て、自分の心のまちがいを悟ることができる。>>

今回も、違いをまとめてみます。

――――――――――――――――

ひとの道の教え  教祖の「神宣」=「心の法則」(念の具象化の法則)

生長の家の教え  聖典のお言葉 + 各信徒による神想観による「神宣」 = 縦の真理「唯神実相」(人間神の子)と横の真理「心の法則」(念の具象化の法則)

―――――――――――――――



<<では、この「ひとの道教団」のような教えは不必要かと申しますと決してそうではない。
やはりこういう教えも要るのであります。
「生長の家」は究竟真実大乗(くきょうしんじつだいじょう)の教えである、釈迦の教えにすれば『法華経』以後の教えであって、「すべての人間は神の子であり、すべての人間が教祖である」教えありますが、その教えの神髄に達する以前の人――自分を神の子だと尊敬できない人――には、依頼心を出して他に頼ることによって、他から導かれて自分の心の欠点を直すようにするのもよいのであります。>> p37 後から7行目〜


雅春先生は、「他者に依頼心を起こすこと」を否定されていません。

ですが、本来の「生長の家の教え」であれば、<<「すべての人間は神の子であり、すべての人間が教祖である」教え>>
が、「生長の家の教え」なのですから、やはり、各信徒が「聖典」を熟読し、神想観に励み、
おのおのが教祖となり「神宣」を受けることができるようになるのが信仰の基本なんですね。

「聖典拝読」と「神想観」の重要性・・・、わたしはもう3年以上ここで「生命の實相」を学んでいますが、行きつくところは必ずそこです。

5406a hope:2015/05/14(木) 16:05:34 ID:cEpBaIdo
訂正 >>3839>>3836

5407a hope:2015/05/18(月) 00:03:49 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 p71 後から2行目〜

中畑―― そのありがたい心持ほど大切なものはありません。

どんな悪い集積が過去にあっても因果をそこで断ち切る働きをしてくれるのでありますから、因というものは幾らあっても縁を与えれば果が生じない、ありがたい念というものは、悪い因が果を結ぶために必要な縁を与えなくするのです。


佐瀬夫人――しかし、その因果の因を断つのにもいろいろのありがたさがあり、そしてそのありがたさの種類に従って、またその因が潜在していて今は縁がないから発現しないが、後になって重複していっそう大きい形となって顕われて来るようなことはございますまいか。

わたしはちょっとそれを思うと、今恵まれすぎているということが、不安なような気もするのでございます。

5408a hope:2015/05/18(月) 00:04:49 ID:cEpBaIdo

>>5407 a hope所感)

ここで、中畑氏が『ありがたい念というものは、悪い因が果を結ぶために必要な縁を与えなくす』と説明されると、
佐瀬夫人が「ありがたさ」の種類に従っては、後になっていっそう大きな形となって悪い結果が顕われはしないかと、
ご自分の感じている不安を吐露されています。

この後、どういう「ありがたさ」が「本当のありがたさ」なのか、中畑氏や雅春先生が詳しくご説明くださっています。


はしがき>>5381 5382 に

<<本篇に収録された各章は生長の家草創当時、わたしがまだ神戸の郊外の住吉村にいたころに、集まって来た人達が自分の信仰体験について互に語り合った対話を筆録したものを筆録したものであって、対話者は、いずれも、キリスト教にするならば原始キリスト教時代の十二使徒とも言うべき人々であって、その対話も正しい信仰の深い境地を語っていて、その行履(あんり)はもって永遠に範(はん)とするに足るものなのである。>>

とあるように、ここで対談されている方々のご発言の内容がすごくハイレベルです。
当時、雅春先生が発していた光明念波がどれだけ周りの人々に直接影響していたかがわかります。

5409a hope:2015/05/18(月) 00:10:20 ID:cEpBaIdo
>>5407 訂正
因というものは幾らあっても縁を【与えれば】→因というものは幾らあっても縁を【与えなければ】

5410王風:2015/05/18(月) 15:21:42 ID:teRiT5sw
象徴といいますか、、、
語呂合わせですね。

わた私はあんまり、語呂合わせが、当たってるように思わないのです。
こ語呂合わせ出来ないのも一杯ありますし。

5411トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/05/18(月) 20:20:32 ID:BNDKGGZc
 ひとの道教団は、戦前、かなり栄えましたが、戦時色が濃くなる時期に政府から睨まれて弾圧を受け、
一時、活動を停止しました。ものの本によれば、ひとの道教団の解釈が不敬罪になったということです
が、神宣を多数だしている中で、神宣の中で当時の基準から見て問題になったものがあったのでしょう。

 ひとの道教団は、戦後、PL教になりました。用事があり富田林市に行くと、PL教のものすごい建物が
あって、びっくりした記憶があります。後年には野球や花火で有名になりました。私の友人にも信徒さん
がおられました。が、最近、教祖の教えをないがしろにする傾向が見てて、教団は衰退傾向にあると
言われています。そのため、私の友人も脱退してしまいました。

 谷口雅春先生のご教示を拝見すると、なるほど、と納得するところが多いです。貴重なご教示に心から
感謝申し上げたいと思います。

5412a hope:2015/05/20(水) 00:02:11 ID:brQxC10.
>>5410 王風さま

コメントありがとうございます。
王風さまのコメントは、ひとの道教祖の「神宣」に関するものでしょうか?

確かに、語呂合わせ的に用意された「神宣」を受けてもあまりありがたみは湧いてこないかもしれません。
「神宣」を受けた本人に「感謝」の気持ちが湧かなれば、奇蹟は決して起きないと思いますし、
雅春先生は「生命の實相」の中で、依存的に「御神宣」ばかりにたよっていることに警鐘を鳴らされています。

以下その部分を謹写しますね。

5413a hope:2015/05/20(水) 00:03:28 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 p40 後から2行目〜


・・・しかし、ともかく、近ごろ「ひとの道教団」というような新しい宗教団体が頭角をあげて「病気も環境もわが心の影」という生長の家の真理を、神宣という厳かな名によって信者に単純な方法で実証させているのは大変結構な神の摂理だと思います。

ただ、そういう教えに頼る信者の常として、一にも神宣、二にも神宣、三にも神宣と、他からの神宣ばかりを頼ることになり、やれ蜂が螫(さ)したから神宣を貰おう、蚊が螫したから神宣を貰おう、脛(すね)に傷ができたから神宣を貰おう、腹が痛いから神宣を貰おうというように、年がら年中、なんでも彼でも神宣に頼っていて自主独立の生き方を失うようになる危険がありますので、そういう教団に入り、環境も病気もわが心の影だということがわかったら、もういつまでも一人立ちのできぬ子供のように御神宣ばかりに頼っていてはならぬ。

本当の救いにあずかるということはいつまでも一人立ちのできぬ人間になることではありませぬ。

さらに一歩進めて、「生長の家」的に自立独立の精神に立ちかえり、ひとり立ちして、自分自身が神であり教祖であり、他からの御神宣よりも自分の御神宣が自分を一番よく知ってうるというようになっていただきたいのであります。

だからひとの道教団の教えが生長してくれば当然「生長の家」になってこなければならないのです。

5414a hope:2015/05/20(水) 00:11:26 ID:cEpBaIdo

>>5411トキさま

ひとの道教団はあの有名なPL教の前身だったのですか!!
かつて、PL学園は高校野球で滅茶苦茶強かったですよね。
なんか、なんで強かったのか、わたしは妙に納得してしまいました(*^-^*)

<<最近、教祖の教えをないがしろにする傾向が見てて、教団は衰退傾向にあると
言われています。そのため、私の友人も脱退してしまいました。>>

そうなんですか・・・。

どこも、似たような現象が起きているのですね。

って思いましたが、よくよく考えると「生長の家」の場合は違いますね。

雅春先生は、

<<「生長の家」的に自立独立の精神に立ちかえり、ひとり立ちして、自分自身が神であり教祖であり、他からの御神宣よりも自分の御神宣が自分を一番よく知ってうるというようになっていただきたいのであります。>>

とおっしゃっているのですから、

その雅春先生のお言葉通り、信徒一人ひとりが、

<<「生長の家」的に自立独立の精神に立ちかえり、ひとり立ちして、自分自身が神であり教祖であり、他からの御神宣よりも自分の御神宣が自分を一番よく知ってうる>>

というようになっていたのならば、「生長の家」が衰退するということはありえなかったのではないでしょうか?


わたしは、「生長の家」の衰退の一番の原因は、「信徒の依頼心」にあるように感じています。

「教祖」=「谷口雅春先生」と解釈すれば、PL教と同じ理由で衰退しているともいえるのかもしれませんが・・・。

5415トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/05/20(水) 20:44:45 ID:KRFzkKaQ
>>5414

 この問題は難しいですね。生長の家50年史にも書かれていましたが、生長の家の教えが
ひろまり、奇跡が続出すると、信徒が自然と谷口雅春先生を崇拝する傾向が生まれたと
書かれていたと記憶しています。それでも、戦前や終戦後の信徒さんは、谷口雅春先生
を尊敬していたが、同時に親しみや愛情をもってご覧になっていたみたいです。それが
昭和の後半になると、教団が巨大になり、同時に谷口雅春先生を崇めるような雰囲気に
なったようです。それは人間の情としては自然かもしれません。ただ、私の知る限り、
谷口雅春先生を直接知る弟子の多くは、谷口雅春先生は人間味あふれる、暖かい存在で
あり、偶像化するような雰囲気には違和感を覚えておられていました。

5416a hope:2015/05/21(木) 09:35:47 ID:cEpBaIdo

>>5415のトキさまのコメントに関してですが、

「偶像崇拝」に関しては、ちょうど1年前の「生命の實相」第13巻 で詳しく学びました。

>>3916 >>3917 >>3918 >>3919 >>3920

わたしの、持論、質問を再掲させていただきます。

―――――――――――


>>3916

みなさま おはようございます。

テキストp81〜 は、主に、現代のキリスト教の問題に言及していて、
その原因がキリスト(神)を肉体イエスに見いだそうとする「偶像崇拝」によるものであると、
述べられています。

<<キリスト教では形あるものを崇拝することを偶像崇拝といって、非常に軽蔑して忌み嫌うのでありますが、
「永遠の神性」を礼拝の対象にせず、二千年前ユダヤに生まれた肉体イエスを通さねば救われないなどと、
肉体を礼拝の対象にしているなどは、みずから忌み嫌う偶像崇拝に陥っていることになるのであります。
こうして「永遠神性(かみそのもの)」に背を向け顔をそむけて、ある特定の肉体を崇拝の的にすることは神の実相を見ざるもの、
本当の神を「自己の迷い」をもって包み隠せるはなはなしき罪なのであります。>>


この現象世界だけが唯一の実在であり、その世界の出来事だけが事実である信じている人間であれば、
自分自身に「永遠の神性」が宿っていて、自分自身が「神」そのものであるなんてことは、
絶対に受け入れられない事実だと思うのです。

だって、一肉体人間の力なんて、宇宙全体の壮大さから考えれば蟻粒よりももっと小さいですものね。
特に、実際に、人生で絶望感を一度でも味わった人ならば、
何か別の偉大な力に頼りたいと思うのはあたりまえの心情だとも思うのです。
だから、偶像崇拝のようなことが起きてしまうのですね。


本来の「生長の家の教え」はそんなんではないですよね?


ですが、わたしはどうもテキストのここら辺を拝読していると、
「生長の家」人であっても『「谷口雅春先生」を超えられるような偉大な人物はいない!』
などというふうに考えてしまうことは、この「偶像崇拝」なのではないかと感じてしまうのですが・・・。
それとも、これは、わたしが増上慢なのでしょうか?



>>3920

<<(>>3919 a hope所感)


<<【イエス】は「われを信ぜよ」といったのではなく、「人の子を信ぜよ、実相人間を信ぜよ、わたしはその一例だ、『久遠の実在』としての実相人間を信ずる者には肉体は死んでも、永遠の生命が与えられるのだ」といったのであります。>>


↑を置き換えてみたいと思います。


<<【谷口雅春】は「われを信ぜよ」といったのではなく、「人の子を信ぜよ、実相人間を信ぜよ、わたしはその一例だ、『久遠の実在』としての実相人間を信ずる者には肉体は死んでも、永遠の生命が与えられるのだ」といったのであります。>>


このような考え方をしてしまうわたしは、増上慢であり、まことの「生長の家」信徒ではないのでしょうか?

谷口雅春先生は確かに偉大な宗教家で、哲学者で、人間的にも素晴らしい人格の持ち主だったと思います。
だから、わたしはもちろん、谷口雅春先生には直接お会いしたことはありませんが、心より尊敬していて信頼しています。

でも、だからこそ、谷口雅春先生の残された聖典「生命の實相」のお言葉を素直に信じたいのです。

「谷口雅春先生は神から選ばれた偉大な人だったから「唯神実相」が悟られたのだ」
「自分たち弟子には同じことはできない」などと考えてしまうのは、
谷口雅春先生がおっしゃっている「第一の神性隠蔽」「偶像崇拝」の罪を犯すことになってしまわないのでしょうか?

先輩方が今、憲法改正運動や、環境保護運動等、さまざまな「生長の家」の運動をされているようですが、
「自分が神の子である」「自分も谷口雅春先生と同じなんだ」というこの大切な真理を悟らなかったら、
その運動は、まったく谷口雅春先生のご意志とは、別の方向に行ってしまうのではないでしょうか?

教団も、本流の先輩方も何が『本当の「生長の家」の光明化運動』なのかを思い出されて、
その基本に戻って運動されたら、「生長の家」は一つになれると思うのですが・・・。

それこそ、谷口雅春先生が一番よろこばれることで、本当のご遺志だったのではないでしょうか?

―――――――――――――――

あらためまして、皆さんのご意見、ご指導をどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

5417トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/05/21(木) 19:41:42 ID:KEicg2LI
 個人的な感想ですが、「生長の家」という教えへの信仰心を、「生長の家」という組織への
忠誠心と混同してしまった点に原因があるような印象は持っています。このあたりは深入りす
ると、誌友会の本題からずれるので避けますが、目的は「信仰」であり、活動も組織も手段に
過ぎなかったはずです。それが、いつの間にか、「活動」が目的になったり、「組織」が目的
になったと考えています。この傾向は、谷口雅宣先生が副総裁にご就任される前から、めにつ
きました。古い信徒さんの多くは、この傾向を嘆いておられました。ただ、谷口雅宣先生が
指導に当たられてから、この傾向はますます強まったと思います。だから、組織から距離を
置く人が増えたのかもしれません。

5418a hope:2015/05/22(金) 09:27:36 ID:cEpBaIdo

>>5417 トキさま

トキさまのおっしゃっていることは的を射ているような気がします。
わたしは、「生長の家教団」に関わる前に、「生命の實相」(生長の家の教え)に出会いました。

「生長の家」の信仰の聖典である「生命の實相」には、
環境保護運動のことも政治運動のことも、生長の家が天皇信仰であるということも一切触れられていません。

だから、実際に信徒になってみるとその活動内容にものすごく違和感を感じました。
正直、全く興味のない活動をほぼ強制的にさせられるので、自分は騙されたのではないかとすら感じました。


創始者である谷口雅春先生は、「自分は一信仰者であり、神さまの言葉を伝えるパイプであり、
「聖典」は肉体人間の自分が書いたのではなくて、神が自分を通して書かせているのだ」という内容のことをおっしゃっています。

わたしたち信徒の本来すべきことは、その「聖典」の真理(教え)の信仰であって、
谷口雅春先生が過去に行ってきた運動(政治運動)等を引き継いだり、
今現在の社会問題に対応する運動(環境保護運動)を教団をあげてしていくことではないと思います。

5419a hope:2015/05/22(金) 09:36:05 ID:cEpBaIdo

「聖典」のお勉強を続けます。

「生命の實相」第18巻 p74 3行目〜

谷口――ありがたいにもいろいろの段階がありまして、物質が都合よくゆくからありがたいというように、心の影である物質の移り変わりにありがたがっているのではまだ本当ではないのであります。

むろんそういうありがたさも、不平不満足に思っているよりは、念(こころ)が浄(きよ)まっているので結構は結構にちがいないのですけれども、物質が運よく整うからありがたいとか、平常達者であるからありがたいとかそういうように思っていると、物質が運よく運んで来なければありがたくなくなり、平常達者でない人はありがたくないということになるのであります。

それでは本当のありがたさということにはならないのであります。

私の考えではどんなありがたさでも因果の因を断ち切る力があるのではないと思います。

物質に執着したありがたさ――儲けてよい着物ができてありがたいとか、達者でありがたいとかいうようなありがたさは、かえって執着を増し、因果の因を造ってゆくことになるのであります。

本当のありがたさというものは肉体の健康のことでも物質の調(ととの)うことでもないでしょう。

肉体の達者なことそのことがありがたいのではない、達者をあらわすような実相を自分がもっていることがありがたいのです。

物質の豊富なことそのことがありあたいのではない、物質の無限を現すような実相をもっているのがありがたいのであります。

わが実相が神の子であることが本当にありがたいことがわかれば、ほかのありがたさはすべて自分につきまとうようになるのです。

自分自身の実相がありがたいから、その影を映して、親でも子でも妻でも召使でもどんな事件でもみんな自分の向かうところすべてがありがたくなるのです。

やはりこれは、中心に乗ったありがたさとか、南禅和尚が猫を斬ったようにすべての形を斬り捨ててしまったありがたさと言うべきもので、形にとらわれているありがたさ、物質が調うたり肉体の達者なありがたさはまだ途中のありがたさであって、まだ究竟地に達していないのであります。

5420a hope:2015/05/22(金) 09:38:23 ID:cEpBaIdo

>>5419 a hope所感)

やはり『大調和の神示』(七つの灯台の点灯者の神示)の中の「天地万物に感謝せよ」とは、
自分に有利に働いた現象の物事への感謝ではなくて、完全円満な実相への感謝なのですね・・・。

今現在、現象世界がどんなに悲惨な状態でも、完全円満な実相への感謝ができたとき,
現象の事象もおのずと調い、しぜんに感謝の気持ちが湧いてくる、と言う訳ですね!!

5421王風:2015/05/22(金) 15:42:10 ID:SaWFFpi.
A hopeさま
返事下さってましたか?
有り難うございます(喜)
わ私の言う「語呂合わせ」は、pL(ひとの道)のことではありません。
生長の家の本に書かれてる「心の法則の語呂合わせ」のことです。
(だいたい宗教は語呂合わせのせかいとどこかで読んだ事がありますが)
例えば、語呂合わせしにくい症状の場合は、普通に(?)指導。語呂合わせしやすい症状(例えば身体のどこかに発疹等が出来てる人には、待ってましたとばかり簡単に「いつもブツブツ言ってるからだ」ですね。そぬな感じがさます。
ひ人の心の中には、色んな複雑な感情が沢山沢山入りみだっておると思います、

5422王風:2015/05/22(金) 16:31:51 ID:SaWFFpi.
>>トキさま
しかし、pl教の名はまだ、野球で全国で知られてはいますね。
残念ながら生長の家は、知らない人、一杯いますからね。
私もそのひとりでした。(お恥ずかしい)
最初、読む気がしなかった。しかし(ある雑誌を、貸してもらっ たのですがその中にチョッとした特集みたいのがあって、<.ノストルダムスの予言通り、.199x年に地球はめつぼうするか?>と言う質問を色んな宗教団体等に送って、答えてもらう。>と言う特集でした。こんなのは興味があって見てみると
解答を書いて送って来た団体は少なく、五件ほどでしたが、その中に生長の家からの解答がありました。
生長の家の解答だけが、まともでした。(後は訳の解らない団体がほとんどですが)他の団体の解答は、<身勝手な人間に腹を立てた神の怒りが限界に達して、どうのこうの、、、こんなふきだすようなおそまつ極まりない内容ばかりでしたが、生長の家だけが、
「こ、これは、、、、」と思わせる内容でした。
この宝島(だったと思う)を、読んで(と言うより友人に読まされて)生長の家のほんを、「読んでやってもいいか」と思った次第です。(生意気ですね)とにかく生命の実相を、読ますことにさえ成功したら、読んだ者は、誰でも(5人中4人は「!!!何と!すごい!」とビックリして感動するはずだ。と友人は思ってたようです。私は超感動しました!ただ5人中四人とかいたのは、読んでもあまりなにも、感じない者はいたらしいのです。
長々とすみません。十何年も昔のことです。その時代だから、生長の家のことを知る流れになったんだと思います。

5423:2015/05/22(金) 21:41:34 ID:IqhGaEeE
>>、生長の家が天皇信仰であるということも一切触れられていません。<<

ここが、聖典派を自称する監督もいうtenなんだけれど、実際の歴史ゃ田の書物を少しでも読んだら、かさては
『天皇教』とまで言われた、生長の家の古い歴史的意味が分かると思います。

私は研修生の後、すぐにどこかの教区に所属したわけではなく、しばらく考えていました。
菩薩になる心得があるのか、という事を、考えに考えました。
(そのうち、しばらくして信徒になりましたけど)

研修生時代、職員に残らないかと、誘われて母親に相談したことがあります。
私は、ある本部職員に、いつから生長の家は大東亜戦争を否定したのかと詰問したこともあります。
その先生は、かつては靖国神社の英霊様を本当に篤く思っていたのだと言いながら、
私の質問に対して、明確な答えはありませんでした。

私は、あの時の先生は、保身のためのコバンザメだと認識していましたが、今は、中立な立場で考えると、反論しなかった先生の気持が分かるのです。

生命の実相野、行間を読んでも、天皇信仰は、書かれていない、
保守のバイブルと言われているのは、あくまで、葦津珍彦先生であり、
信徒必携の聖光録には、ちゃんと天皇信仰を実践する道が書かれているのです。

生命の実相を、読むだけの人はたくさんいました。
練成会に出席しても、一度や二度でも、なんもぴんとこない人たちも、たくさんいます。

信徒になる(菩薩になる決意と言うか覚悟)と決めた人は、聖典だけに埋もれていては、いけないのだと言うことです。

なぜ300冊ち近い御著書を書かれたか。

生命の実相40巻は、入口に過ぎない、と言うことではないでしょうか。

5424:2015/05/22(金) 21:45:37 ID:IqhGaEeE
>>監督もいうten<<



>>実際の歴史ゃ田の書物を<<

実際の歴史や田の書物を

>>かさては<<

からでは

訂正します。

5425神の子さん:2015/05/23(土) 22:56:21 ID:WfTc7UhY
春さん

スマホかい?文章見てたらね、オモタ。

5426a hope:2015/05/24(日) 14:02:32 ID:cEpBaIdo

>>5421王風さま

「心の法則」は、たしかに語呂合わせ的にも当てはまるかもしれませんが、
王風さんがおっしゃるように、人の心の中は複雑な感情が混ざり合っていて、さらに、まわりの人たちの感情の影響もありますから、
一概にその原因を断定することはできないとわたしも思います。

ですが「生長の家」の真理は縦と横の真理の両方ですから、「心の法則」(横の真理)が働いて、
現在の悪い現象が現れているということが理解できているならば、たとえその原因がわからなくてもよいのではないかと思います。

ただ、ひたすら聖典「生命の實相」を拝読し、神想観をして「神の子の自覚」(縦の真理)を深めれば、しぜんに現象の問題は解決していくと思います。

「唯神実相」の聖典「生命の實相」があること、そこが「ひとの道の教え」と「生長の家の教え」の大きな違いなのだと感じています。

5427a hope:2015/05/24(日) 14:05:44 ID:cEpBaIdo
>>5423春さま

お久しぶりです。
お元気そうでなによりです。

わたしの「生長の家と天皇信仰」に関する認識の低さは、以前このweb誌友会で何度かお伝えしてありますし、
春さまともお話したこともあると思います。

>>4108 >>4451 >>4463(春さま宛です)>>4505 >>5193 >>5235 >>4242

<<生命の実相を、読むだけの人はたくさんいました。
練成会に出席しても、一度や二度でも、なんもぴんとこない人たちも、たくさんいます。
信徒になる(菩薩になる決意と言うか覚悟)と決めた人は、聖典だけに埋もれていては、いけないのだと言うことです。
なぜ300冊ち近い御著書を書かれたか。
生命の実相40巻は、入口に過ぎない、と言うことではないでしょうか。>>

『「生命の實相」40巻は、「生長の家の教え」の入り口にすぎず、「天皇信仰」こそ真の「生長の家教え」である』と、
春さまはおっしゃりたいのでしょうか?

それでは、その入門編である「生命の實相」40巻をまずは熟読し、「唯神実相」を悟っていなければ、
正統な「生長の家の天皇信仰」は語れませんね。

春さまは、きっともう、「生命の實相」40巻は何度も通読されたのでしょうね!

5428a hope:2015/05/24(日) 14:11:04 ID:cEpBaIdo
>>5427訂正

>>4242>>5242

5429:2015/05/24(日) 17:12:17 ID:qLRRKXM.
40巻は1回だけ、7巻とかは良く読みましたし、
人に相談持ちかけられれば、差し上げたりしました。

大好きなのは、霊界編です。
読んだ夜は、寝ていながら霊界で遊んでいる感じで楽しかったです。

真理シリーズもお薦めです。
静思集もいいですよ。

なんたって、一番は、『限りなく日本を愛す』です。超・お薦め!

>>「天皇信仰」こそ真の「生長の家教え」である』と、
春さまはおっしゃりたいのでしょうか?<<

Yes!!

私が嫌いな本流の古参の方たちと、趣旨は一緒です。
(団体としての教団も学ぶ会も、どっちもイヤ派になったのは、本人に協調性が無いせい)


輝子先生の御本も大好きです。

(日本で刊行された書物は、雑誌に至るまで全て国会図書館にありますが、東京じゃなくても、大阪にもあるみたいですよ。
(貸し出しは出来ないので、閲覧とコピーのみですが)
市町村に置かれていない場合は、都道府県の一番大きな図書館にあるか、照会してくれるはずです。
もし、そこに無ければ、インターネットで国会図書館のを検索して、希望の
図書をコピー以来出来ます。)

5430:2015/05/24(日) 17:14:15 ID:qLRRKXM.
>5425

スマホは通話とメールのみ、ここの投稿は3.4年前からPCで、同じフドレスから投稿しています。


一度スマホ板のここの掲示板見たけど、さらに字が読めず、無理でした。

5431:2015/05/24(日) 17:40:28 ID:qLRRKXM.
a hopeさんへ

書き忘れたことがあります。

聖典も大事ですが、もっと(というと語弊があるかも)大事なのは、神示です。

聖光録は、お持ちですか?
神示集はお持ちですか?

世手院40巻読破しないと、、、とか、何度も通読しないと、、、とお思いなら、それは違うと思います。
全ては、神示にあります。

底をご理解下さい。

5432:2015/05/24(日) 17:54:15 ID:qLRRKXM.
>>5222

<<いろんな見方考え方かあると思います。
この考え方が絶対に正しいというのはないと思います。
天皇國日本實現のために、通らなくてはならない過程かもしれません。
現象世界に別れて映って見えても、そこにとらわれ頭脳智において、何とかせねばと考えてはならないと思います。>>

という大和撫子さまの「天皇國日本實現のために・・・」というご意見を拝見すると、大和撫子さまは本流復活派の方でしょうか?

谷口雅春先生は、七つの光明宣言の冒頭に「吾らは宗派を超越し・・・」とうたっておきながら、
本当に『「生長の家」は天皇信仰でなければいけない』と他信仰を排斥するような宣言をされているとしたら、
それは明らかな矛盾だとわたしは感じてしまいます。

それとも、天皇信仰とは、本来、宗派を超越した信仰なんでしょうか?

yes

だから、正しい宗教は、神道も仏教も、鎮護国家を掲げ、天皇国日本の安寧を祈っているのです。

創価学会が国続都言われる所以は、自分たちの教えを御皇室にはびこらせると言う
∖式だったおもわくがあるからです。

どの宗派も、自分たちの宗派のそれぞれの教祖なりカミさまなり御本尊になりを
大事にしていますが、最敬礼するのは、天皇・皇后両陛下なのです。
これは、日本国に生まれたモノ・団体ならば、当然すぎる事なんです。

昭和天皇様のご巡幸の記録の本が復活したのを読みましたが、
いろんな団体が、昭和天皇様の御巡幸の前日には現地入りし、
お清めし、お送りしてから、また先の御巡幸先へ向かったと言うことが書かれています。

>>本当に『「生長の家」は天皇信仰でなければいけない』と他信仰を排斥するような宣言<<

など、していませんし、当たり前の事を言っているだけです。
練成とか行かれた事あればお分かりかと思いますが、朝の行事の締めくくりは
御皇室に対し、最敬礼
が先で、
続いて雅春先生、輝子先生、清超先生、と続きますよね、(この時は、最敬礼ではありません)。

なんとなく、わかっていただけたでしょうか。

5433:2015/05/24(日) 18:24:30 ID:qLRRKXM.
>5242

キリスト教については、話が長くなりますので、簡単に書きますが、
織田信長以降、全国をようやく制した秀吉が、既に九州の一部が宣教者により
選挙されていたのが、鎖国。キリスト経弾圧の始まりです。

人間神の子、というのは、生長の家に入っていなくても、神道の盛んな地域では、常識なんですが、キリスト教は
『原罪』を説いています。
この事が、日本の国柄に派合わない、とすることと、外国からの侵入・侵略を防ぐ目的で、鎖国政策を取り、全ての家に、仏教の檀家になることを強制しました。
(葬式上げられなくした)

大東亜戦争時代、キリスト教の学校で、御真影に対してのお辞儀を拒否した事件があり、その頃からキリスト教に対しての弾圧は強まりました。
が、神道側は、"ダイジョウブですか?"と、訪ねて言ったり、融和な路線で接していたのです。

またまたや時間がある時でいいので、『国家神道とはなんだったのか』を読まれると、より一層御理解が深まると思います。

共産党支持者は全人口の8から10%近くいるのに、キリスト教信者は5%
程度です。

今年、また、キリスト教団体左派が靖国神社に首相が参拝するなと訴える裁判があり、傍聴しました(抽選に当たったけど、待っている間、周りは左翼連中ばかり、反原発のチラシまで貰って、苦笑いして待っていた)
今の日本で、キリスト教と言うと(団体としては)、左翼がほとんどですし、雅春先生が説かれた
本来のキリストと言うものは、全然理解されていないと思いますよ。

キリスト敬小さい団体で、毎年靖国神社にも参拝と奉納芸をしているところもありますが・


皇后さまが、聖心のご出身なのに、洗礼を受けられなかった理由に『"悪"と言うものを認めるから』御自分は洗礼を受けるまでの信教に成らなかったと御回答があります。


総裁兄弟も、青学でしょ。バリ左翼になる為に高い月謝払って、笑えない話だと思いますけどね。

5434a hope:2015/05/25(月) 10:22:01 ID:cEpBaIdo

春さま

お返事をありがとうございます。

春さまは、「生命の實相」40巻を一回だけ通読されたのですね。
それで、「唯神実相」をお悟りになられたのでしょうか?

「生命の實相」の各箇所で雅春先生が、聖典「生命の實相」は何度も何度も繰返し読むものだとご教示されています。

他の方がどのような読み方をされるのも自由だと思いますが、
もし、正統な「生長の家の教え」をご自分の言葉で伝道するのであれば、
「生命の實相」を一回通読したくらいの人はご遠慮願いたいというのがわたしの正直な感想です。


春さま、ご気分を害されたら心からお詫び申し上げます。


わたしは、ここで、「生命の實相」を学ばせていただいていますが、
全40巻は春さまと同様一回通読しただけですが、第1巻〜第18巻までは、
多い巻では5回以上、少ない巻でも2回以上は繰返し拝読しています。

それでも、自分はまだ「唯神実相」が悟れません。


谷口雅春先生のお悟りというのは、釈迦やキリストと同じお悟りであって、
わたしたち凡人が「生命の實相」を1、2回通読したくらいで簡単に悟れるものではありませんよね?

「神示」にしても同じことが言えると思います。

春さまは「生命の實相」40巻は入り口に過ぎないと、ご発言されましたが、
わたしたちはまだ、その入り口にすらまともに、入っていないのが現状なのではないでしょうか?

「生長の家の天皇信仰」が素晴らしかったのは、
「生命の実相」つまり「唯神實相」を悟られた谷口雅春先生が中心になり信仰されていたからだと思うのです。

雅春先生がいらっしゃらない現在、誰が天皇を信仰しようとしまいと自由だと思いますが、
「生長の家の天皇信仰」を語るのであれば、まずは入門書である「生命の實相」を熟読され、
「唯神實相」を悟った方がしてくださらないと、それは正統な「生長の家の天皇信仰」だとは言えないと思います。


だだ、今回の春さまのご投稿を拝見していて、「日本人が天皇信仰をするのは当たり前なんだ」という貴重な気づきがありました。
それは、春さまの「天皇信仰」に対する情熱にわたしの心が動かされたからだと思います。

そして、春さまご推薦の雅春先生の愛国書『限りなく日本を愛す』を拝読したいと思います。

春さま、貴重なご教示をありがとうございました。

合掌。

5435a hope:2015/05/25(月) 10:27:10 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 p115 4行目〜

木野内――(略)――わたしは県の社会科につとめておりますから、宗教方面の集まりに対して思想上の講話をすることがある。

そういう講話には仏教諸宗の人もあり、キリスト教の人もあり、神道の人もありますので、片寄って仏教だけの話をしたり、キリスト教だけの話をするわけにはゆかない、いろいろの宗教と和解して思想を善導する話をしなくてはならない。

それにはこの「生長の家」の話はちょうどよい。

集まってくれるみんなの宗教が喜んでくれるのです。

思想善導と申しますと、わたしは職業柄各府県の社会科の人たちと会う機会が多いのですが、そういう人たちにわたしは常に申すのです。

思想善導にはどうしても何宗に偏らぬ真理を知らせなければならぬ。

それにはこの「生長の家」は大変都合がよいと申すのであります。

5436:2015/05/25(月) 19:53:35 ID:Gn9t2NCY
>>それでも、自分はまだ「唯神実相」が悟れません。

じゃあ、献労でしょうね。

私は献労の鬼と呼ばれた総務に鍛えられたので、献労は、動く浄心行だとも言われますが、
本だけ読んでて、悟れるものではないと思います。

お元気で。御活躍を蔭ながら応援しております。また、いつの日か。

5437:2015/05/25(月) 21:32:34 ID:Gn9t2NCY
「生命の實相」を一回通読したくらいの人はご遠慮願いたいというのがわたしの正直な感想です。

だから。一回読めば
わかる人間は次に行く。読まなくても分かっている人は世間にゴマンといる、

私は、何をちまちまとここでかいているのだろうと、うのはなっちの気持もわかりながら、するーしてきました。
復興G様のいらっしゃらない誌友会など、a hope様の遊びの場にすぎませんもの。

私の気分を損ねた?
ではなく、貴方は、アホを露呈しただけなんです。

40巻など、一度読んで、その都度必要な巻を読めば十分なんです。
練成でも、次の段階は、神示の説明です。

>>「生命の實相」を一回通読したくらいの人はご遠慮願いたいというのがわたしの正直な感想です。<<

何十回読んだか知れない湖尊に、私は嫌悪感と闘争心を持っています。

御遠慮下さいと言うのですから、もう二度と、あなたとはお話いたしません。

よろしゅうございますね?
(あんた、春にケンカ売ったんだよ、その意味、分かってる?筈もない
極楽専業主婦なんだから)

ちまちまと、40巻読むのがせいぜいの中で 暮らしていけば?

うのっちがうなたを排撃していたとは、そこまでしなくしてもただのアホのシロハトなんだからと
多めに見ていましたが、

貴方は、私に敵対宣言をしました。

以降、出てきたら、容赦なく、撃ちます。  では

5438a hope:2015/05/25(月) 22:01:02 ID:cEpBaIdo

春さま

春さまのご発言は明らかに「生命の實相」の内容と正反対なので、
今回は、聞き捨てならなかったのです。

と言っても、失礼ですが誤字脱字が多すぎて正しく理解するのもむずかしいですが・・・。

春さまがどんなに激怒されても、ここでは、正しく「生命の實相」を学びたいと思うので、
「生命の實相」の内容に反するようなご発言には、反論させていただくしかないのです。

春さまがご気分を害されたことに関しては、心よりお詫び申しあげます。

5439:2015/05/26(火) 04:23:10 ID:ncHu3vN2
別に激怒もしていないし、気分を害してもいませんので、お気になさらないように。

春さまのご発言は明らかに「生命の實相」の内容と正反対だとおかんじになったのなら、それはそれでいいじゃないですか。

私は、生命の実相以外に、(これだけ長い間コツコツやって来て)まだ唯神実相が分からない、というご発言から、
アプローチを変えてみたら?と言っただけです。

気にせず、御自分のやり方で、お好きなようにされればいいんじゃないですか?

お詫びなど、結構です。
こういうやり取りなど、お互いさまなんですから。

誤字脱字は、想像の範囲で頑張って理解して下さい。
自分も努力はしています。

お元気で。
感謝
合掌

5440a hope:2015/05/26(火) 09:02:15 ID:cEpBaIdo

春さま

御理解いただきありがとうございます。合掌。

ですが、>>5439の春さまの投稿にひとつだけ反論させていただきます。

わたしは、「唯神実相をわからない」とは今まで一度も発言していません。
「唯神実相を悟れない」と言ったのです。

宗教の真理は、頭で理解しただけでは本物ではないと思っています。
むしろ、人を増上慢にする危険のある恐ろしいものだと感じています。

その真理が生活に顕れ、自分の周りが光明化(幸福化)してきたときが、
悟りの兆しなのではないかと推察しています。

春さまのご投稿はいつもわたしに良い刺激をいただけるので、大歓迎です。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

5441:2015/05/26(火) 17:46:42 ID:k2koAQg.
奥様も、結構しつこいね(笑)

>>わたしは、「唯神実相をわからない」とは今まで一度も発言していません。
「唯神実相を悟れない」と言ったのです。

私の中では、同義に感じたので、正しく書いてなかったと思われます。失礼いたしました。

>>宗教の真理は、頭で理解しただけでは本物ではないと思っています

仰る通り。でから、自分も朝起きた瞬間から、"ありがとうございます"の生活をさせて貰っていますよ。

>>むしろ、
危険のある恐ろしいものだと感じています。

私はね、教団とか肩書とか、何十年生長の家をやっているとか、そういったものが、
人を増上慢にするとこの目で見て来て、本当に思うの。

>>その真理が生活に顕れ、自分の周りが光明化(幸福化)してきたときが

最初の数カ月で、ガンガン来ましたよ、円滑反応とかも。
ただね、
悟ったと思っても、それは一時の錯覚なの。次々に宿題は与えられて、さらに難しくなっていくの、それが修行なんだろうと思うけど。

私は専門職で、壱年目はフラフラしながら(根けないから)なんとか仕事に行ってたのが、
2年目からは、全体が見えて来て、楽しくなって、10年過ぎると趣味みたく楽しめて、20年たつと、
さらに困難と戯れよ、が快感になってくるの(基本、M?)が、職業を持った
醍醐味何だろうなって、仕事には本当に感謝しているんですよ。

私の敬愛するオヤジ(Y総務)は、「国を愛し、仕事を愛し、人を愛せ」と教えてくれて、
私は前2つは出来ていたけど、3つ目の宿題にいつも失敗して来ているのよ(笑)

幸せな家庭を営める婦徳を備えた女性こそが、多分、本当に幸せなんじゃないかな。。。
と、ある面ではうらやましく思っていますよ。
私は、自分に出来る事をやるしかないので、てきとーに自由にやらせてもらってるから、
これはこれで、感謝しています。

ちょっと昨日(今朝?)は言い過ぎたかも。。。と思っていたので、済みませんでした。

5442トキ:2015/05/26(火) 17:58:18 ID:r9g6yeCk
 格闘技の場面では、タオルを投げるところですね。

少し荒れてきました。1日だけ置いて、再度、皆様がこの板への投稿を
再開されることを提案いたします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5443:2015/05/26(火) 18:17:45 ID:k2koAQg.
どこが?
 なにが荒れてるの?

説明して下さい。

5444a hope:2015/05/26(火) 18:35:43 ID:cEpBaIdo
トキさま

今日はこの板全然荒れてませんよ!
わたしと春さまは大調和してますよ!!

5445:2015/05/26(火) 18:44:24 ID:k2koAQg.
多分、トーキングスティックボード方で、トキさんは頭一杯だと思われます。。。

5446トキ:2015/05/26(火) 18:49:14 ID:r9g6yeCk
>>5444
>>5443

 了解しました。私の誤解でした。お詫びいたします。
続けてください。

合掌 ありがとうございます

5447:2015/05/26(火) 18:58:48 ID:k2koAQg.
お疲れさまでした。


感謝
合掌

5448失礼つかまつり:2015/05/27(水) 16:48:28 ID:SY9qWg2.
春さま
しおんさまが、貼りつけて下さった<靖国の、、貴女の体験だんのyoutube>見させて頂ましたよ。
でさ、感想、看護師さんを、やられてらっしゃるのですね。けいふくいたします。「このまま、この仕事を続けていていいのか?」なぞ、とんどもないですよ。立派なお仕事です。
このし仕事やめて、他のどんなもっと尊い仕事を、さがされますのか?
続けて下さいよ。
天皇新興について、
まるで、右翼ですね。
私は谷口まさはる先生の、実相、を、友人らに紹介したいけど、いや、したいから、(貴女の体験談は、 絶対見せられない。
普通の人は絶対<引く>でしょうね。
それから、<ゆい唯神実相>が分かった者が、どれだけ居るよ?
悟り、だよ。二代目さんだって<悟ってたかどうかわからんさ>
なん十回も、なん十回もよんでも、現象の世界にいきてるんだからね。中々むずかしいのだ。
だから、谷口先生は言葉を変えて、言い方を変えて、これでもかこれでもかと、書いてくださってるのだ。
あんさんは、これからなん十回でも読む必要ありだ。
失礼どが、Ahopeさんより<唯神実相>の理解が上とは思えない
それから、はじめさんに(漢字出ない) おばあ様と呼ぶのは、止めることだ。
失礼千万。おばあ様と呼べるのは<孫>のみ。他人は名前で呼ぶのが礼儀
。あんさん、その年ではじめさまに<おばあ様>?だ?はじめさまのお孫さんは、ハタチもいってないだろう。
なにが、「私からしたら65さい以上はジジィ、ババァです」だ?

5449リポーター:2015/05/27(水) 18:09:28 ID:???
>>5448
女性ができる尊い仕事は出産と子育てですね。
a hope様は、その尊い仕事以外にも仕事されていますので大変ご立派だと思います
漢字ですが、はじめ様じゃなくて(はなだ)…様で変換できましたよ。

5450:2015/05/27(水) 20:02:31 ID:9hLD1c6Y
日本で右と言えば保守の事で、革新が左翼ってのが定義ですから、別に右翼と言われて、当たり前ですが、なにか?

もっと他に読む本があるのと、別に生命の実相だけが真理を説いているとも思っていないので、たまにでいいです。
新編 実相は、なんだろうな、物足りなかったですね。

私は神社新報社から刊行されている書物が一番心安らぎます。


誰と誰を比較して、上とかしたとか、考える方がオカシイ。
人はそれぞれ与えられた課題があって、発展の仕方も様々なんだから。

私は志恩さんは敬愛していたから、ちゃんと志恩さんとお呼びしていましたよ。
65歳以上云々ってのは、まあ、あてこすりのいい訳かな。
要するに、あのおばあ様が大っきらいだったの、それだけ(笑)

5451:2015/05/27(水) 20:04:20 ID:9hLD1c6Y
新編 実相は

新編 生命の実相は

5452a hope:2015/05/28(木) 08:53:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 p145 後から7行目〜

谷口 ――(略)―― それから病気というものはスレ合う心、呪う心で起ると申しましたが、そういう念がどうして起こるかと申しますと、「我」があって、こちらがなんでも我を突っ張ろうとするから、周囲の人も我を突っ張ろうとする、それで周囲と衝突することになって調和を欠く心になるのです。

――(略)――

もう一つ例を引いてみますと、ひとの道教団では病気を治していただくのに御神宣という神様のお示しを頂くことになっている。

その御神宣はたいてい共通であって「我を捨てよ」という意味のことが書いてある。

つまり、我見を捨てよ、自分の尺度を捨てよという意味である。

我見があり、自分の尺度があるので互に衝突して和合ができないのでありますが、この自分の尺度、我見というものを捨てると、争う心がなくなる、争う心がなくなると、聖典『生命の實相』の巻頭に書いてある「汝ら天地一切のものと和解せよ」の教えの「和解」ができてくる。

すると一切のものはわれわれを害することができなくなる。

全世界が天国になり、国家が安穏になり、家庭が平和になり、各人間が幸福になり健康になってくる。

ひとの道教団では病気の人がお伺いをたてると御神宣というものをくれる。

それは互に誰にも見せたらいかぬというようなことになっていて秘密になっていますが、たいてい「もうこれからいっさい我を立てません」などというような意味が書いてある。

互に見せ合うと、「君も同じことか、なんじゃ」ということになって、「我を捨てよ」という教えをおろそかにして実行しないことになる。

それではせっかくの御神宣がなんにもならぬことになるから、内容秘密主義にしてあるのです。

しかし、要はこの「我を捨てよ」ということである。

そしてこの御神宣を実行すると病気が治る、八十パーセント実行すると八十パーセント病気が治り、百パーセント実行すると、百パーセント病気が治る。

その理由は「我を捨て」我見を捨て、自分の尺度を捨てると天地一切のものと和解できるからであります。

5453a hope:2015/05/28(木) 08:57:30 ID:cEpBaIdo

>>5452 a hope所感)

現象世界に生きるわたしたちにとって、この「我を捨てよ」というご神宣ほど、
実行困難な課題はないのではないでしょうか?

わたしは、この現象世界は「人間の我と我が衝突し合ってでき上がっている」のではないかとすら感じてしまいます。

だって、すべての人間の「我」がまったくなくなったら、そこには地上天国、つまり、実相世界が顕現しますものね!

本当は「我」の強い人間ほど、神さまや実相世界を強く求めているのかもしれませんね。


>>5449でリポーターさまが、わたしのことを褒めてくださっていて恐縮しています。

たしかに、わたしは子供をたくさん産んで、子育てもし、仕事もしていますが、
毎日とても幸せに暮らしていますから、そのことを特別立派であると感じたことはありません。

春さまのように、たとえ子供を産まなくても、子育てをしていなくても、尊い仕事をされ、
周りの人々を幸せにして一生懸命生きていらっしゃる女性の方も、とても素敵で立派だとわたしは思います。


>>5441で春さまは、

<<私の敬愛するオヤジ(Y総務)は、「国を愛し、仕事を愛し、人を愛せ」と教えてくれて、
私は前2つは出来ていたけど、3つ目の宿題にいつも失敗して来ているのよ(笑)>>

とご発言されていますが、わたしは春さまのそういう率直さがとても好きです。

本当の春さまは、人を愛したくて愛したくて仕方ない、とても愛深い方なのではないかと拝察しています。

5454:2015/05/28(木) 20:16:26 ID:olvJqEs.
謹写する時って、どれくらいのスピードで出来ています?

私、今日も(はたして、出来るのか。。。やや不安で)、もとIT関係に居た方に
PCの裏技なんかもお聞き出来たんですけど。

明日は、まず内科に行って花粉症の御薬貰って、とんで 法事に行って、秋葉原でPC(マウスの調子が悪いらしいので)
用品勝手、
明日は彼氏のパースデイだから昼食とうとうを予約していますが、
その合間に、一応なのか文の原稿を書こうとしています。

出来る?
かな。。

5455:2015/05/28(木) 20:26:58 ID:olvJqEs.
用品勝手

用品を買って

昼食とうとうを

昼食等々を

一応なのか文の

一応7日分の



ああ、無理っぽい、なぜにこんな流れになったのか。。。


トキさんの,
作に期待しますの言葉は、重い、
凄い事、引き受けちゃったなあと思う反面、やる気と元気を与えて貰いました。

明後日、秋葉原行って、私のPC技術の無さを支援出来るグッズを探してきますわ。

5456:2015/05/28(木) 20:42:57 ID:olvJqEs.
a hopeさん



気軽に、働いているから子供がいないとか、おっしゃって欲しくない。

自分は、一生分泣きましたから、もう、泣かないのです。

貴方様の婦徳の深さに、救われているのかもしれません。

5457a hope:2015/05/28(木) 23:21:07 ID:cEpBaIdo

春さま

春さまは、トーキングスティックを握られたのですね!

わたしは自分のペースで無理のないように謹写しています。

なんでもそうですが、そのことを負担に感じてしまうと長つづきはしないと思います。

できるときに、少しずつでいいのではないでしょうか?


短い文章でも、心をこめて謹写すると読んで下さる方にもその思いが伝わるような気がしています。

また、文章を謹写するだけではなくて、わたしは春さまのご感想などもぜひ伺いたいです。

どうぞ負担に感じられないように楽しみながらしてくださいね。

もちろん、わたしも一緒に学ばせていただきますよ!

5458:2015/05/29(金) 21:25:39 ID:KR95VKjw
>>なんでもそうですが、そのことを負担に感じてしまうと長つづきはしないと思います。<<

それが、仕事も私生活もしたい放題に自由にだらだらしていたので、いい緊張になったのですよ!

250ページあるから、年内に終われればとおもいますが。。。

次は、昭和天皇スペシャルで行きたい、いずれは、葦津先生全巻!!!と
夢は広がるのです(笑)


老眼鏡、明日勝手来ます♪

5459a hope:2015/05/29(金) 23:34:24 ID:brQxC10.

春さま

はりきっておられますね!

天皇信仰については、興味が湧いてきましたので春さまの投稿を楽しみにさせていただきますね!!


ところで、話は変わりますが、
おそらく、春さまはわたしと同年代か、もしくは春さまの方が年下なのではないかと拝察していますが、
もう、老眼鏡が必要ですか?

わたしは老眼鏡はもっていませんが、スマホの小さい字や食品の添加物の表示なんかもよく見えますよ!

時々疲れていると、かすんで見えるときもありますが、「生命の實相」を拝読するとすぐに回復します。

それに、長年患っていた花粉症も今はほとんど症状がでていませし、ここ数年は鼻風邪すら引いていません。

その他、詳しいことを書き始めると身ばれしてしまうので控えますが、
身近な人の不治の病が治ったり、奇跡ともいえるようなこともわたしの周りで起きています。

春さまは、どう思われるか知りませんが、わたしはこれはすべて「生命の實相」の功徳であると感じています。

確かに、「天皇信仰」は生長の家の縦の真理「唯神實相」につながる大切な真理だと思いますが、
聖典「生命の實相」には、「心の法則」である横の真理も説かれていますから、
個人差はあるかとは思いますが、何度も拝読することで個人の現象の問題は解消されると思います。


っていうか、「生命の實相」にはそういう奇蹟の体験談が満載されてますよね?

老眼が治ってしまった体験談なんかもありましたが・・・

春さまは、きっとそんなちっぽけな個人的な問題なんかは、まったく気になさらないのでしょうね!

5460a hope:2015/05/31(日) 13:57:52 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 

第五章 種々の宗教問題に答う p148〜

( 質問内容のまとめ  a hope)


一、久遠実相の世界について

【質問内容】 
・何に遇っても恐れない無畏怖の境地に入りたいが、その心得はどのようなものか?
・久遠実相世界とはいかなる世界のことか?神界霊界のことか?
・「存在の実相」と「生命の実相」は別の意味か?
・「実相の人間」と「霊としての人間」は「生命としての人間」と解していいのか?


二、我(われ)の正体について

【質問内容】
・「生長の家」では「ニセ物の我」と「本物の我」を区別するが、「われ神なり」との「われ」を、生きる力であると観なすと、小我といえども「本物の我」――生きる力の一顕現であって、「ニセ物の我も本物の我も畢竟一つの生きる力の種々相であり、決して別物ではなく完全に帰一している」のではないか?


三、雑念妄想は実相を妨げず

【質問内容】
・神想観の時に雑念妄想があってはいけないか?
・雑念妄想が浄(きよ)まってこなければ神想観は効果がないか?


四、神想観と食物

【質問内容】
・神想観は、食量を増加せしめるものなのか、減少せしめるものなのか?


五、断・不断煩悩得菩提

【質問内容】
・ある人が、「達人でも常人とかわりはない。つまらないことはつまらないのである・・・(以下略)」と言っている。
しかし、本当の達人になったら、自己の内部から光明が輝いてくるので、自己の向かうところすべてが光明輝くものとなり、つまらないことは影を消し、つまらないものはなくなるのではないか?


六、実相と現象、真象と偽象について

【質問内容】
・なぜ神は善人のみを作らず悪人をも作ったか?
・神の愛は平等であるべきを、なぜ富者と貧者が存在するのか?
・富は神から何億万円でも無限に与えられていると『生長の家』では説いているが、あまり到富の体験者が出現していないのはなぜか?


七、人格的交通の祈りについて

【質問内容】
・祈りはただ自心の整理のためにするのか、それとも父(神)と子との間における人格的な交渉のような意味において、子が父に求めるごとき意味において祈るのか?


八、人は現象をとおして悟るか、現象の裂目をとおして悟るか

【質問内容】
・現象が「非存在」のものならば、本来「非存在」なる現象を介してわれわれが悟りに入ることがあるのはなぜか?


九、霊山霊地の霊験について

【質問内容】
・「生長の家」では、神様は罰を与えない・・・とありますが、霊山霊地と言われるような場所での恐ろしい霊験(例・鐘の柄に髪が巻き付いてはなれなかったり、鎖が手にくっついてはなれなかったりすること)をどう説明するのか?

(つづく)

5461a hope:2015/05/31(日) 14:00:37 ID:cEpBaIdo
(>>5460 つづき)

十、他人の不幸をいかに扱うか

【質問内容】
以下p185 後から2行目〜抜粋謹写

平田――(略)―― ここに一例ですが、今相手の子供が死亡したと致します。

いうまでもなく、相手は大不幸です。

わたしは、ああ気の毒に不幸であったと思います。

そしてお悔やみを申そうとする。

この時です。

相手は自由自在な無形な神の子で、不幸はない。

不幸に見えたのは自分の五感のまちがいである。

相手は神性で不幸はない。

不幸に思ったのは自分が不幸であったのだ。

しかしながら自分も神の思いを思いとして生くる神の子で完全で不幸はないとお悔やみの御言葉 御挨拶も述べずにいるのは、事実不人情であります。

不幸を分析すれば不幸になる、いつまでも不幸より逃れることはできぬといっても、不幸の言葉を述べねばしかたないのでありますまいか。

また相手が目の前で苦しんでいる、しかしながら相手は神の思いを思いとしているのだから本当は自由自在な生命で苦しんでいるのではない。

相手は苦しいと思ったのはわたしの五感の迷いだとただ相手の神性を拝んでいますと、相手が不幸に遇っても実際同情できません。

苦しんだように思ったのはそれはわたしの五感がそう思ったのだから苦しくない
というようになれば、事実悪も不幸も分析せず、善ばかりがのこるようになりますが、これではあまりに不人情に思います。

ここのわたしの迷いを御啓(おひら)き下さい。

十一、神想観の時、息苦しいのはどうすればよいか

【質問内容】
・神想観の時息苦しくなったり息がかえって急速になったりして『生命の實相』に書いてあるように呼吸ができない場合はどうしたらいいのか?


十二、対人恐怖はいかにすべきか

【質問内容】
・対人恐怖をから起こる性癖(落ち着きがなくなる、動悸が激しくなる、声がでない、手が震える等)をどう修養すれば直せるか?

5462a hope:2015/05/31(日) 14:08:10 ID:cEpBaIdo

>>5460 >>5461 a hope所感)

第五章は「種々の宗教問題に答う」として、「生命の實相」を相当読みこんでいないと出てこない様な質問内容が多いですが、
雅春先生がその一つ一つに丁寧にお答えくださっています。

「生長の教え」の神髄に触れた、とてもハイレベルな質疑応答ばかりなので、本当はゆっくり時間をかけて学びたいのですが、
5月は今日が最終日なので、とりあえずこの第34回web誌友会を今日で終了させていただき、
明日からは、第35回web誌友会を開会させていただきたいと思います。

なので、今回は、質問内容の概要を簡単にまとめてみました。

正直わたしは「生長の家」の講師を名乗っている先生方には、このすべての質問内容に即答して下さるくらいの実力を期待してしまいます。

言われたことを「ハイ」と素直に行ずることも大切かもしれませんが、
時には自分の信仰している宗教の教義に疑問を持って自分自身で考えたり、
または勇気をだして質問してみることもとても大切なのではないかと感じました。

今回わたしがまとめた質問内容に関しての雅春先生の模範解答は、すべて、第18巻の第五章のなかにあります。

聖典「生命の實相」がわたしの手元にあることが、本当にありがたいです。 合掌。

何度でも読み返して自分のものにしたいと思います。

5463a hope:2015/05/31(日) 14:15:31 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第35回 web誌友会 案内 

期間   6月1日〜7月31日まで
テキスト 「生命の實相」第19巻 自傳篇上  第20巻 自傳篇下/聖詩篇
内容  神示を受くる迄〈上〉 神示を受くる迄〈下〉 生長の家の歌
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5464トキ:2015/06/01(月) 01:06:56 ID:2E/FyuHQ
>>5463

 a hope様

 ありがとうございます。よろしくお願いします。

5465a hope:2015/06/01(月) 06:59:18 ID:cEpBaIdo

6月に入りましたので、第35回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5466a hope:2015/06/01(月) 07:00:36 ID:cEpBaIdo

 第20巻 聖詩篇 p189より 

「夢を描け」

若きと老いたるとを問わず 兄弟よ、夢を描け、
蜃気楼よりも大いなる夢を。

夢はあなたの肉体を超えて虚空にひろがり
ひろくひろく宇宙にひろがる雲となって、
あなたをより高き世界へ あま翔けらす大いなる翼となるであろう。

此の翼こそ世にも奇(くす)しき翼である。
夢の奇しき翼に乗るとき 若きものは向上し 老いたるものは若返る。

兄弟よ、夢の翼を休めるな、
自己を出来るだけ偉大であると想像せよ。

あまり高く翔けのぼることを恐れるな、
躊躇するな、尻込みするな、自分自身を限るな。

あなたは夢の翼によって肉体の制限(さかい)を超える。

たといあなたが地球にわいた黴よりもその肉体が小さくとも、
あなたの心は夢をえがくことによって
天地を造った偉大なる心と一つになるのだ。

兄弟よ、悲しみに打たれるな。

打たれても起き上がれ。

描いた夢が破れても あなたはまだ夢を描く自由はあるのだ。

自分にまだ偉大な力が残っていること想像せよ。

夢を描くものにとっては この世界は常に新天新地である。


兄弟よ倒れるな、倒れても起き上がれ、
希望を失っても試みが破れても 倒れ切るな。

夢は希望の苗床である。

大いなる希望の苗床から 希望の芽がまた萌え出でる。

希望の芽は夢につちかわれて生長する。

夢は希望の苗床である。

兄弟よ、出来るだけ明るい大きな夢を心に描け。

自分を暗い悲しいものだと想像するな。

あなたの『心』が全能の創造主だと云うことを知れ。

あなたは自分の心で自分を想像した通りのものにするのだ。

自分を暗い悲しいものだと想像したら その通りにあなたはなるのだ。

自分を明るい偉大な人間だと想像しても その通りにあなたはなるのだ。

何故なら心は全能者であるからだ。

(つづく)

5467a hope:2015/06/01(月) 07:01:42 ID:cEpBaIdo
(つづき)

兄弟よ、偉大なる夢を描かないで 偉大となったものが嘗(かつ)てあるか。

此の中に偉大と名のつく一切のものは、
みんなあなたの夢の産物ではないか、
コロンブスがアメリカ大陸を発見したのも あなたの夢の帆かけ船で 
人生の荒波を超えたからではないか。

汽車、汽船、自動車は勿論のこと、飛行機、ラジオに至るまで、
昔あなたの夢が形と化したのではないか。


新大陸の存在をあなたの夢が心に描く。

するとやがてアメリカが発見された。

あなたの夢が 
人間が空を飛ぶことを心に描いたとき飛行機が発見された。

あなたの心が『動く写真』を夢に描いた時 キネマが出現したのだ。

トーキーが出現したのだ。

兄弟よ、夢の勇者たれ、
あなたの夢が万能であると云うことを自覚せよ。

万能を自覚するとき、
あなた自身は本当に万能になるのである。

夢の勇者も 時としては失敗するように見えるであろう。

併(しか)し如何なる時にも挫折するな、
失敗するように見えた時、
彼は一層希望の実現に近づいているのである。


見せかけの失敗は 成功のきざしである。

陰極は必ず陽転する。

コロンブスを乗せた帆かけ船の船員が、
待てども待てども新大陸が見つからないで失望して、
今や将にコロンブスを監禁して 船を引返そうとしていた時
彼は一層大陸の間近まで来ていたのではないか。

兄弟よ、陰極は陽転するのだ。
何事にも此のコロンブスの話を思い出せ。

失敗に恐れるな、失敗のたび毎に
貴方が希望の実現に近づいている事を知れ。

そして人生の荒波に沈んで了(しま)わないように
夢の救命器をしっかっり結んで泳ぐのだ。


感謝 合掌。

5468a hope:2015/06/02(火) 09:05:50 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p5 8行目〜



わたしは中学時代にどこかの八卦見(はっけみ)で、人相をおおまかに見てもらったことがあったが、
「あなたは次男でありながら跡継ぎの人相をしている。生まれた家を出る相をしているから、
おそらく生まれた家を出て他家であとつぎをする人であろう」
とその人相見は言った。

わたしの血縁の兄弟は、すぐ兄が一人妹が四人あるが、どの兄弟もわたしにほとんど容貌(かおかたち)が似ていない。

わたしだけが特別な容貌をしていて、わたしだけが叔母の家に貰われ、わたしだけが最も多く教育され、
わたしだけが一等精神的方面に興味をもつようになったのである。

同じ家に生まれながら、わたしは兄弟のうちで別の容貌をもち、別の運命に導かれ、別の生活を送るように割り当てられていたのである。


わたしは叔母の家へ貰われていったのではないと、生みの母がわたしが成年になってからわたしに話して聞かせたことがある
――それは四歳の時、わたしがあまりにかわいらしいからどこかへ遊びに連れて行くのに一日だけ貸してくれと叔母さんに言われて、
それきり、わたしを生みの家へは返してくれなかったのだ。

迎いにいってもわたしを隠してしまって、その代わりに姑さんが出てきて「マサハルはここへ置いといたらいいじゃないか」と言うのだから、
姑さんに敵対するわけにもゆかないので、そのまま、叔母の家に置いたら、ついにその家の子になってしまったのだそうである。

運命が、わたしを選んでそう導いていたのであろう。

5469a hope:2015/06/02(火) 09:07:04 ID:cEpBaIdo

>>5468 a hope所感)

この第19巻20巻の「自傳篇」は、その名の通り、谷口雅春先生の自伝になっていて、
雅春先生が誕生されて『唯神実相』をお悟りになるまでの生涯が小説風に書かれています。

前回拝読した時は、特に19巻は、なかなか他の巻のように興味をもって読み進むことができませんでしたが今回は興味津々です。

谷口雅春倫理学、谷口雅春教育学、谷口雅春哲学・・・そして、「生長の家の教え」はどのような背景があってでき上がったのか・・・

今はもう現象界にはおられない我が尊師、谷口雅春先生の生涯に思いを馳せながら、
2か月間かけてゆっくり拝読していきたいです。

5470神の子さん:2015/06/02(火) 10:06:07 ID:JEmNUFoY
● 炭水化物(小麦、米)=砂糖 ●

・「いつものパン」があなたを殺す: 脳を一生、老化させない食事 (デイビッド パールマター 2015/1/16)

・ダダモ博士のNEW血液型健康ダイエット (集英社文庫 2004/3/19)
 O型とB型は小麦、とうもろこし、蕎麦を食べると体調が悪くなり太ります

・統合失調症、うつ病、パニック障害は糖を抜くと3日で治った。

・炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学  (夏井睦 光文社新書 2013/10/17)

・チョコレートは超危険食品 強い依存性、糖尿病の恐れ…妊婦や子供は摂取要注意
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/shapeup/1430052776/823

・すべての不調は首が原因だった!
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/shapeup/1425713834/73

小麦に含まれてるグルテンは脳を炎症させます。→精神病、ウツ病の原因に。
O型とB型は小麦を食べると腸に血が集まりアレルギーのようになり吸収が遅くなりタンパク質を脂肪として吸収してしまうため太ります。
小麦は毒です。
小麦は砂糖(炭水化物)です。

5471トキ:2015/06/02(火) 10:40:57 ID:n0OARqvg
>>5470

 ご投稿、ありがとうございました。
でも、板の趣旨とは異なると思います。

5472トキ:2015/06/02(火) 21:56:54 ID:n0OARqvg
 自伝編は、苦手という人もいますが、面白い部分も多いですよ。

 直木賞で有名な直木三十五は、谷口雅春先生と旧制中学と大学で同級生でした。
その他、先生の大学時代の同級生には後年、名を成した人が多かったと聞きます。

 楽しみに勉強をしたいと思います。

5473a hope:2015/06/03(水) 09:34:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p6 後から5行目〜

実父音吉は、大変遠慮深い性質の人だったらいしい。

親類を訪問するにも自分で弁当をさげていって相手に世話をかけたくないというふうな思いやりを常にしていた。

それを窮屈な人だと言って酷評する人と、思い遣りのある人だと言って深切な批評を下す人とがある。

どちらも本当らしい。

わたしの遠慮ふかい引っ込み思案な性質はこの実父から受け継いだものであって、わたしは今まで常にこの自分の引っ込み思案な性質と戦ってきた。

そして今ではともすれば「自分」という殻の中にのみ立て籠ろうとする遺伝的な遠慮深さを大分征服して、「世話になろう、世話をしてやろう」の大きな境地に這入りかけているのである。

それでもわたしは時々、他人の世話になることをあたりまえに思っている虫のよい人を見るごとに、親類の家を訪問するにも手弁当を忘れなかった「このせわになることをみずから慎んだ」わたしの実父の人のよさを時々思い出して敬愛の念を感ずるのである。

5474a hope:2015/06/03(水) 09:35:49 ID:cEpBaIdo

>>5473 a hope所感)

若かりし頃の雅春先生は、遠慮深い引っ込み思案な性質だったのですね。

<<「世話になろう、世話をしてやろう」の大きな境地に這入りかけている>>

とありますが、この境地はきっと、生長の家の愛である「自他一体の自覚」からくる境地なのでしょうね!

5475a hope:2015/06/03(水) 09:36:46 ID:cEpBaIdo

>>5472 トキさま

直木三十五に関しては、p19で雅春先生も触れておられますね。

以下抜粋、
『中学は市岡中学である。死んだ直木三十五の植村宗一君はわたしの一年上級生であった。そのころから無帽主義で丸刈りの長い頭をふり立てていた植村君を、皆が「海坊主」と綽名をつけていたことを聞いていたが、わたしは「そうかなァ」と思ったきりで人を綽名で呼びたいと思ったことはなかった。』


<<自伝編は、苦手という人もいますが、面白い部分も多いですよ>>

本当に、この「自傳篇」はある程度、「生長の家の教え」がわかってから拝読した方がずっとおもしろいものだと感じています。

谷口雅春先生を神様のように拝する信徒の方々も多いと思いますが、この自伝篇を拝読すると、とても人間らいい雅春先生のお姿が、多々感じられます。

みなさんも、ぜひ、ご気軽にご感想などをお聞かせくださいね!

5476:2015/06/04(木) 22:09:39 ID:o47GFWDo
正直な感想行っていいですか・・・?


私は、輝子先生との前にお付き合い(?)していた女性のことは、かなり、引っかかりました。
練成でも、さらっと聞きました。


でも、あえて言わなくても、、、、というのは、世俗の感覚ですかね?

私の中での1代目像が(?)になったのは、そこ辺りですけど、、、。

5477島津綾久(笑):2015/06/05(金) 07:40:09 ID:???

>>a hopeさん


 引っ込み思案なのに見栄っ張り、それが「若かりし日の雅春先生」だと思います。ところで19巻なんですが、私は大好きなんです。いや、雅春先生ですが「私と同じダメ人間だったから」です(笑)その事が、よーーーく、判る(笑)。19巻と20巻ですが、「女にダラシナイ雅春先生(笑)」たびたび登場しますよね。私なんか、よーーーく理解できますね。そして、読んでいて親近感を覚えましたね。考えてもみてくださいよ、普通、宗教の開祖が自分の性病罹患歴なんて普通、

 披露しませんよね(笑)でも、そんな事を隠しもせず堂々と著書で述べられる雅春先生・・・・・・やはり、偉大です。(池田大作なんかには、デキナイ芸当ですw)私は19巻から20巻、大好きでたびたび読んでいます。で、19巻ですが「壮大なる伏線」なんですよ、ええ・・・・で、どんな伏線か?

 それは、20巻のクライマックスです。

 20巻での感動的クライマックスシーンがあるんですが、19巻のダメ人間ぶり(雅春先生の若き日w)の描写があると余計に、感動が増すのです。「物質はない!」のあの、クライマックスですが、周囲に迷惑をかけどおしの青春期の描写、あれがあるからイイんです。

 ・・・・・・って、19巻20巻はホント、おもしろいです。私は大好きですね。



追伸

 少年野球チームの九州大会予選・県大会が目前です。ようやく強力打線に火が点いて、イイ感じの仕上がり具合。「子供のよい点のみ観じてそれを誉めよ」の雅春先生のお蔭でセガレチーム、最高潮の打線に仕上がりつつあります。「オマエらは強力打線!」「強力打線のチームだ!」「10点差で勝つ!」・・・・・そんな事を云い続けていると、ホントにそうなるから不思議です。ダメ人間(私のようなw)がヤッてもそうなるんですから、やっぱ神は偉大ですし19巻でダメ人間ぶりを披露した雅春先生も同様に、偉大だと感じてます。

5478島津綾久(笑):2015/06/05(金) 07:56:41 ID:???

>>a hopeさん

<追記:雅春先生の偉大さに関して>

 さて、少年野球チームなんですがメンバーに母親がいない子がいるんです。かなり引っ込み思案なんですが、かなり問題行動も起こす子なんです。(開会式最中にとなりチームの選手にカンチョーするような問題wまたは、相手チーム監督のはげ頭を撫でるような問題wそんな問題をよく起こすw)

 印象としては「怒られて育てられた子」です。そんな感じの子なんです。で、コイツなんですが雅春先生の言葉で覚醒してます。

 ・・・・・て、いきなりですが、野球の「バスター」って知ってます?

 ・・・・・バントの構えをしながらいきなり、「パッ!」とバットを引いてヒッティングをする技術です。

 言ってみればバント(緩い球を打つ)すると見せかけて「バーン」と打つ、そんな芸です。守備側はバントに備え前進守備をしますが、その間を抜く技術なんです。ええ「イキナリ」ですね。(「卑怯」ではナイw)

 ・・・・・前置きを省略しますがこの、問題行動クンですが「異常なくらいにバスターがウマイ」んです(笑)他のコーチは気づいてなかったんですが、私はこれに気付きまして、そして事あるごとに「バスターのショータ、バスターのショータ」と言っていたんです。「オマエのバスター、天才的」と。まあ、「子供の良い点のみ観じてそれを誉めよ」ですね、雅春先生の云われるところの。そうしたら先日の試合・・・・・

  ・・・・・・2点差を追っている段階で満塁になりまして、なんと、コイツに打席が回ってきたんです。で、私、「バスターやれ」と。(※ まあ、我がチームの文化として「バスターはご法度」だったんですwなにせ、あまり、正々堂々とはしてナイからwなので私個人は監督に反したことにはなりますが「オレが責任モツ!」とw)

 ・・・・・・で、「スコーン」とセンター前へ(笑)

 感動しましたね。

 ・・・・・・二塁ベース上でコイツ、「初めてガッツポーズ」をしましたよ。嬉しかったですね。

 ・・・・・・問題行動はまだ完全には消えてナイですが、チームの見る目は変わりました。コイツですが、今度の九州大会でもキーマンになると思ってます。これもホント、雅春先生のお蔭です。以上、「雅春先生は偉大です」に関連した、余談でした。



5479島津綾久(笑):2015/06/05(金) 08:04:52 ID:???

<訂正>

(×)今度の九州大会でもキーマンになると思ってます。
(○)今度の九州大会県予選でも


 ・・・・・・市大会を勝ち抜かないと県大会に行けないですが、迷惑なことに「市大会は強豪ぞろい」だったんです。でも、彼らはその、激戦を勝ち抜きました。今度、県大会に行きましてそこで勝ち抜けば今度は「九州大会」です。まだ、九州大会は決まってません、そんな訂正でした。(なお九州大会ですが「全国最高レベル」、だと思ってます)

5480トキ:2015/06/05(金) 20:10:31 ID:zbAAzhUk
>>5478

島津綾久(笑) 様

 「バスター」というのを初めて知りました。まだまだ勉強不足です。
しかし、とても良いことをされました。小さなことでも自信がもてれば
その子供の人生が大きく変わると思います。

 谷口雅春先生だけでなく、生長の家の大物講師と言われる方でも、
生長の家の信仰に触れるまでは、ダメ人間だった、という人もいます。
 具体的に名前を出すと差し障りがあるので隠しますが、偉い講師の
若い頃を知っている人の話を聞いたら、生長の家に触れるまでは、結構
いい加減な生活を送っていたのが、信仰に触れ、神様からのある種の
啓示を受けてから人が変わった、と証言されたことがありました。

 まあ、そういう次第ですから、我々も諦めずに頑張りましょう(笑)

5481a hope:2015/06/05(金) 23:27:47 ID:cEpBaIdo

>>5476 春さま

正直な感想をありがとうございます。

わたしも正直にいいますと、一番最初にこの第19巻を拝読した時には、
青年時代の雅春先生の所業に、少なからずショックを受けました。

というのも、当時は、それまで拝読してきた「生命の實相」(第18巻まで)の内容が、
あまりにも神懸かった素晴らしい内容だったので、それを執筆された谷口雅春という人物を、
わたし自身の中で、神さまのように偶像化してしまっていたからです。

そして、その神さまのような雅春先生の青年時代は、当然、品行方正であったに違いない、
と勝手に思い込んでいたからです。


でも、今はなぜ、雅春先生があそこまで赤裸々に、若かりし頃の所業の数々を書かれたのかわかるような気がします。

それは、「自分もあなたたちと同じような煩悩にまみれた人間だったんですよ(いや、人間なんですよ)」ということを、
正直に、信徒に伝えたかったからなんではないでしょうか?

「自分を偶像化して礼拝しないでくださいよ」、ってそんなメッセージも含まれているような気がしてなりません。


ところで、春さまはトーキングスティックは、もう、放されてしまわれたのですか?

せっかくお勉強させていただこうと、楽しみにしていましたのに残念です。
でも、よろしかったらこちらのweb誌友会には、また、いつでもご参加くださいね!

5482a hope:2015/06/05(金) 23:31:27 ID:cEpBaIdo

>>5477>>5479 島津綾久(笑)さま

素晴らしいご投稿をありがとうございます。

トキさまも感想を述べられていますが、
バズターのうまい少年のお話は、拝読していて思わず涙がでそうになりました。

自分を駄目な奴だと思い込んでいる子供が、自分を信頼してくれる大人に出会ったとき、
その子は無意識にその信頼に応えようと、本来もっている無限力を湧きあがせるのだと思います。

わたしも、子供たちの実相を見て、子供たちの無限力を湧き上がらせたいと思いました。


ところで、話が前後しましたが、青年時代の雅春先生ですが、本当に、ダメ人間ぶりを発揮されてますね(;'∀')

犯罪歴のある17歳の女性を憐憫愛で救ったんだとか、言い訳のようなことも言われていますが、
男女のするそれなりのこともしっかりされてますしね・・・。

それでいて、恋人は10歳の少女だというんですから!!

そこら辺は、かなり衝撃的な内容ですね・・・。


19巻20巻の自伝篇は、2か月かけてゆっくり学んでいくつもりです。

島津さまのまたのご参加を、楽しみにお待ちしています!

5483a hope:2015/06/06(土) 10:05:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p21 後から3行目〜



わたしは、そういう弱い先生をいじめる気にならなかった。わたしはむしろ、強い先生に楯突くのが好きであった。

といっても別に暴力を用いたことはなかった。思索や議論で長上を征服するのであった。

運動は嫌いでしたがって下手であったし、膂力(りょりょく)も衆に劣っていた。

勝負事はきらいであったのは、負けると不快であるので、勝てるようになるほどに技倆(ぎりょう)があがるまで、練習する気乗りがしなかったからである。

しかしいつか体操の時間に雨が降ったので畳敷きの柔道の道場で、同級生全部と腕相撲したことがあったが、その時は、どういうものか、もっと力の強い武術の選手や運動部の選手も混じっているのに、わたしがその全員を一人残らず腕相撲で負かしたことがあった。

ひとりが「谷口君は腕相撲が強い」と言い出すと、皆がその言葉の力で自己催眠にかかって負けてしまったらしい。

もっとも、わたしは運動では、鉄棒が勝負がなくて、ひとり楽しめて好きであったから毎日楽しみにやっていて級中、三、四番ぐらい上手になっていたから、手掌(てのひら)の把握力というものが強かったのかもしれない。

それにわたしは人一倍大きな手掌をもっていたので有利だったのだろう。

わたしはこの大きな手が一時恥ずかしいような気がしていたが、「この手は天下を握る手だ」となんとなくそう思って嬉しかったこともあった。

5484a hope:2015/06/06(土) 10:06:51 ID:cEpBaIdo

>>5483 a hope所感)

<<勝負事はきらいであったのは、負けると不快であるので、勝てるようになるほどに技倆(りょう)があがるまで、練習する気乗りがしなかったからである。>>

わたしも、勝負事はあまり好きではないのですが、やはりその心中を分析すると、負けると自分自身が悔しくて不快であるからだということもありますが、
わたしの場合は、自分が勝ってしまったときに、負けた相手からの悪念波を受けるのが嫌だからという理由もあります。


<<ひとりが「谷口君は腕相撲が強い」と言い出すと、皆がその言葉の力で自己催眠にかかって負けてしまったらしい。>>

こういうことは、本当に起こることだと思います。

わたしは気功をしていましたが、由美かおるで有名な西野流の西野氏なんかは、
〝氣〝 の力だけで屈強な男性5〜6人をまとめて吹っ飛ばしていましたからね。(現在はどうか知りませんが・・・)

わたしは、当時の雅春少年にも人一倍な〝氣力〝があったのではないかと拝察しています。

5485島津綾久(笑):2015/06/06(土) 15:59:25 ID:???

>>トキ理事長
>>a hopeさん

 

>>>犯罪歴のある17歳の女性を憐憫愛で救ったんだとか、言い訳のようなことも言われていますが、男女のするそれなりのこともしっかりされてますしね・・・。それでいて、恋人は10歳の少女だというんですから!!<<<

 もう、「ダメじゃん、雅春」ですよね(笑)「訊け管理人みたいなことするなよ」とツッコミが、来るんじゃナイでしょうか(笑)。この後は「風俗に通う雅春先生」も登場するんで、まあ、ダメ人間ぶりですが「ゆっくりご堪能ください」・・・・・・(笑)

 でも、まあ、真面目な話をしますが「普通ここまで書けない」ですよ。最近、ウチの市長が自叙伝なんか書きまして、この人、京大卒なんですが、さらには女関係もアヤシイ人なんですが一行もその種のエピソードが・・・・・・・・・出てこない(笑)。(私を揺さぶる)エピソードですが、ぜんぜん出て来ないんです(笑)「オマエ、そんなに立派だったか!?」てなもんですよ(笑)さらに以下はIF話なんですが、もしも私に自叙伝の執筆依頼が来てもたぶん。・・・・・・・「書けない」と思います。

 この、私でも(笑)。書けない(笑)

 ・・・・・ですが、色街通いをして性病に罹患して、イイ恰好をしようとしてスベってて、周囲の人には金銭面でも迷惑をかけながら生きておられた「雅春先生」です。堂々とその種の話を開陳されて、クライマックスの「ない!」につづくわけですが、やっぱ・・・・・雅春先生は偉大ですよ。クドイけど、書けないですって(笑)あの種の話は(笑)





>>>まあ、そういう次第ですから、我々も諦めずに頑張りましょう(笑)<<<

 トキさん投稿ですが「そうですよねえ(笑)」です。雅春先生は我々、ダメ人間の味方です(笑)狂ったような青春期を送られた方だから、非常な説得力がアルのだと思います。方便自在の雅春先生の御筆ですが、私のようなダメ人間の心をとらえるのはやはり、雅春先生も相当に悩まれたためなんでしょうね・・・・・・いやホント、人間って「現象として観る限り」ですが、「ダメダメですもん」ね(笑)。若き雅春青年の苦悩ですが、私には本当に伝わります。「なんで俺はこんなにスケベなんだ!」・・・・・・・私だって、悩んだもの(笑)




5486島津綾久(笑):2015/06/06(土) 16:10:08 ID:???

<補足>


 「我らの雅春先生を『ダメ人間』とは!」「けしからん!」・・・・・・そんなツッコミが来る前に補足しておきますが、私のような部外者には別印象なんです。

 ダメ人間なんて書いてますが、激怒する方おられればマチガイです。以下の話をお聞きください。

 ところで私のような一般人は「宗教なんて大嫌い」なんです。そしてシュウキョーなんて「大嫌い」、そんな私ですが雅春先生を大好きになったのはこの、19巻と20巻です。それが、きっかけなんでしてダメ人間ぶりを堂々と開陳された雅春先生ですが、私は「信用できる」と確信できましたね。「他のシュウキョーと違うぞ」と。「普通、ココまで書くか!?」と(笑)「ココまで書ける方なんだから、やっぱ信用できるなあ」と・・・・・・・ここまではOK?

 ・・・・まあ、昔っからドップリな方には失礼に映るかもしれませんが、部外者には別印象でして「むしろ好感」なんです。雅春先生は、やっぱ、人類救済のために起ち上がられた方なんだな、と。「ホンキなんだな」と。ホンキだから過去の「性病罹患歴や色街通いの件も堂々と語れるんだな」と。

 ・・・・そんな次第ですんで「けしからん!」なんて怒り方は、されないでください。




5487やはり!:2015/06/06(土) 16:49:55 ID:???

 あなたは 【誌友会出禁】 のはずです!

 笑って誤魔化すなよ。

5488島津綾久(笑):2015/06/06(土) 16:53:45 ID:???

お、元気でした?童子サン・・・・・・笑って誤魔化すなよ(笑)

5489トキ:2015/06/06(土) 18:39:39 ID:1mwIbKNI
島津綾久(笑) 様

 谷口雅春先生が偶像化されたのは戦後もかなり経てからで、戦前や戦後は
もっと親しまれる、愛される存在として信徒から見られていました。戦前、
紀元2600年の橿原神宮の勤労奉仕に、谷口雅春先生もゲートルを巻いて一般
信徒と一緒にもっこを運んでおられる写真もあります。それが、教団がどんど
ん大きくなり、信徒が増えると、いつの間にか遠くから崇めるような存在に
なってしまいました。

 谷口雅春先生の晩年に、体調がすぐれないという噂を聞いた戦前の花嫁寮の
卒業生の有志が長崎総本山の総裁公邸にお見舞いに伺ったところ、職員から
「面会なんか、とんでもありません!」と叱られたところ、その声を聞きつけた
谷口輝子先生が、「この子たちは私たちの子供のようなものです。入れてあげて
ください。」と言われたので面会が叶いました。が、その話を聞いた戦前に入信さ
れた信徒さんたちは、「大きくなりすぎたのかしらねえ。」と嘆いておられまし
た。

 お悟りになられてからも、信仰の面では厳しい先生でしたが、それ以外は人間味
あふれる、暖かい先生だったと聞いています。

5490亀の子:2015/06/07(日) 05:13:21 ID:???

2282 : 神の子さん 2015/06/04(木) 12:21:47 ID:kEnG6jMo
岡講師に引っ掛けて組織についてあれこれ言う暇に、福島正俊講師について話されるべきです。
昭和50年ごろに青年会一泊見真会にお出で頂いたことがあります。非常に澄んだ心の方でした。肉食をしない方でもありました。

「『生長の家三拾年史』を拝読して開巻第一に強く感じたことは「生長の家の本尊」について、谷口先生がお示し下さつた「教義の大要」である。
「国体ヲ明徴ニシテ皇室ノ尊厳ヲ明ニシ、各宗ノ神髄ヲ天皇信仰ニ帰一セシメ、尽忠報国、忠孝一本ノ国民精神ヲ昂揚シ、悪平等ヲ排シテ一切ノ
モノニ人、時、処、相応ノ大調和ヲ得セシメ、兼テ天地一切ノモノニ総感謝ノ実ヲ挙げ、中心帰一、永遠至福ノ世界実現ノ大目的ヲ達成センコトヲ期ス」
ここを拝読して、今更ながら、「生長の家が皇祖皇宗の御神霊の御垂示によって顕(あらわ)れ給うた御教」であることをはっきりと覚らせていただいた。」

a hopeさんが生命の実相には国体天皇の事は何も書いてない、として個人の幸せ追求を生命の実相をよく読んですればよい、肉食も子供たちが好きである
から避ける必要はない、というような論を正統生長の家として述べている。私はそんな論には与しない。上と下の福島講師の引用文で明らかでしょう。

「神想観、世界の平和、人類光明化のため、恩師谷口先生の御教 「生長の家」を 世界に宣布する。
一貫したものは「天地一切すべてのものは神様の生命(いのち)である」と言うことであった。このために必然的に神想観を行ずるほかに道がなかった
のである。本当に昭和十四年に入信させて頂いた時から、神想観だけは一日も欠かすことが無かったのである。・・・このときは神想観の行によって
理窟を抜きにして只、「ハイ」の精神を行じきることが出来たのであった。今このことをこと更に何故書くのかと言えば、生長の家の全組織にとって
一番大切なことは只「ハイ」の精神であって、この精神が無ければ「いのち」はあらわれて居らないのである。」

5491亀の子:2015/06/07(日) 05:16:01 ID:???
教区会員板より

5492a hope:2015/06/07(日) 10:25:36 ID:cEpBaIdo

>>5490 亀の子さま

亀の子さまって、本流の掲示板でご活躍だった亀の子さまと同一の方でしょうか?

今回、なぜ亀の子さまが教区会板の 神の子さんの投稿を転載してくださったのか、
その本意はよく解りませんが、現在、このweb誌友会では聖典「生命の實相」の内容を学んでいます。

『生命の実相には国体天皇の事は何も書いてない』というのは事実ですし、
この頭注版「生命の實相」は谷口雅春先生も編集に関わっておられます。

出版にあたり、国体や天皇のことを載せなかったのにはそれなりの理由があるからだとわたしは理解しています。


そして、その次の

『個人の幸せ追求を生命の実相をよく読んですればよい、肉食も子供たちが好きである
から避ける必要はない、というような論を正統生長の家として述べている。』

というような内容の発言はわたしa hopeはしたことはありません。


このような他人の言葉を正しく引用せず曲解して言い直し、
いかにもその人物がそのような思想の持主であると印象付ける情報操作(?)をなさるのは、
どのようなお方かだいたい想像がつきますが・・・。

5493a hope:2015/06/07(日) 10:27:18 ID:cEpBaIdo

島津さま

島津さまが登場されるとこの掲示板が一気に活気づきますね!

昨晩、島津さまの投稿内容を拝見していて気づいたのですが、
雅春先生が「生命の實相」に青年時代のダメ人間ぶりを包み隠さず暴露されているのは、
小懺悔のためだったのではないか・・・と。

そしてこの小懺悔は、次にきたる大懺悔=「唯神実相」のサトリに到るための、
なくてはならない重要な役割を担っているのではないか・・・と。

そして、そのことをこの「自伝篇」でわたしたちに教えて下さっているのではないでしょうか?


いずれにしても、雅春先生は、本当に偉大なお方ですね!

5494神の子さん:2015/06/07(日) 15:32:29 ID:???
あなたは 【誌友会出禁】 のはずです!

 笑って誤魔化すなよ。

  ・・・・・

 出禁は入室禁止すべきです!!

5495島津綾久(笑):2015/06/07(日) 21:29:03 ID:???

すみませんが残念ながら、私は出禁にはなっておりません(笑)。出禁になってるのは私ではなく、他の方です(笑)ゴメンなさいね、童子サン(笑)


まあ、競馬を頑張って(笑)

なにせ競馬は天皇賞ってのがある位、高貴な競技ですからね。そして、天皇賞なんてタイトルがナイ、下品な種目「野球」なんてものにイソシム、そんな私には関わらない方が、無難ですよ。でもまあ、誌友会くらいは参加させなさいよ(笑)そして、あなたも参加なさいな、童子サン(笑)

5496島津綾久(笑):2015/06/07(日) 21:36:16 ID:???
>>入室禁止にすべきです!!<<

ホント、貴殿は「教団ソックリさん」ですね(笑)反論不能な相手には、発言機会を奪うというワケなんでしょうがそれは、あなたが嫌いな教団と、同じ思考様式ではナイですか?(笑)

まあこれからも、その、教団ソックリさんぶりを遺憾無く発揮され、頑張ってください。期待してます!

5497トキ:2015/06/07(日) 23:18:46 ID:8DPiUf66
 すみません。遅くなりました。

 私の記憶では、島津綾久(笑) 様は入室禁止ではなかったと
思います。

 広くみなさまのご参加をお待ちしております。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5498光明遍照(旧:亀の子):2015/06/08(月) 08:31:27 ID:zJL4ZD5M
5492 : a hope 様へ

合掌、はじめまして。

>亀の子さまって、本流の掲示板でご活躍だった亀の子さまと同一の方でしょうか?


「谷口雅春先生に帰りましょう」の掲示板にも書かせていただきましたが、私、「光明遍照」旧名「亀の子」と、5490の「亀の子」様は、全くの別人です。


私は、トキ様の掲示板への投稿したのは、今日が初めてです。

トキ様、この場をお借りすることを、お許し下さい。

一度、別な掲示板で、トキ様の批判したこともあり、こちらへの投稿は、気兼ねしておりました。

今年になってから、心境の変化と環境の変化で「光明遍照」というHNで投稿するようになりましたが、今は、真理の勉強の方に力を入れており、投稿は控えております。

まして、他の人の文章をまるまる転載したり、初めて投稿する掲示板で、挨拶を欠くような礼儀知らずではありません。

「a hope」様の純粋な信仰心には、いつも心から尊敬しております。

5490の「亀の子」様の意図は、分かりませんが、私、「光明遍照」旧名「亀の子」とは、一切、関係ありませんので、ご承知おきください。これが私のこちらでの、最初で、最後の投稿となります。

これからも、今まで通りご活躍下さい。


再拝

5499トキ:2015/06/08(月) 09:31:36 ID:p8hPQ/zE
>>5948

光明遍照(旧:亀の子)  様

 ご投稿、ありがとうございました。詳細な事情をご説明くださり、
恐縮いたします。ご足労をおかけして申し訳ありません。

 経過がよくわかり、助かりました。感謝申し上げます。

今後とも、機会があればご投稿をお待ちしております。
益々のご発展をお祈り申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5500a hope:2015/06/08(月) 10:50:41 ID:cEpBaIdo

>>5498 光明遍照さま

お返事ありがとうございます。 
やはり、あの「亀の子」さまは違うお方だったのですね。

また、わたしへのあたたかい励ましのお言葉をいただきとてもうれしいです!

光明遍照(亀の子)さまのご投稿は、論理的でわかり易く、学ばせていただくことが多いです。
そして、「生長の家」を心から愛されているのがよく伝わってきます。

ときどきであっても、光明遍照さまのようなお方が、わたしの投稿を読んでくださっているのだと思うと、
アホの a hope はますます張り切ってしまいます!(^^)!

今は、真理のお勉強に力を入れていらっしゃるとのことですが素晴らしいですね!

このweb誌友会は真理のお勉強が中心です。

トキさまもおっしゃていますが、最初で最後の投稿などと、寂しいことをおっしゃらずに、
また、いつでもご気軽にご投稿いただけるとありがたいです。


どうぞこれからも、アホの a hope をあたたかく見守ってください。

感謝 合掌。

5501神の子さん:2015/06/08(月) 12:44:45 ID:???

 へぇ〜

 取り決めたことを勝手に破るのが生長の家なのですか!?

 復興Gさんに同意して トキ管理人が出禁を申し渡しています!

 たしかに、あなたの尊敬する総裁は印税をネコババして裁判しましたが

 だからといって、簡単に約束事を破っていいとは思いません。

5502島津綾久(笑):2015/06/08(月) 16:03:05 ID:???

競馬をヤリ過ぎるとやはり、廃人になる?(笑)脳が?(笑)

5503島津綾久(笑):2015/06/08(月) 16:05:26 ID:???


でもね、童子サン・・・・・・あなたみたいなダメ人間だって、生きていていいんです(笑)一緒に読もうじゃないか、19巻。

すっとこどっこいな童子サンですが生きていていい・・・そのことがよくわかる巻ですよ。

5504トキ:2015/06/09(火) 09:35:50 ID:oRATfjKo
合掌 ありがとうございます

みなさん、誌友会に戻りましょう。

5505a hope:2015/06/11(木) 08:49:49 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p24 



ニセ物の自由、わがままな自由を本物の人格の自由だと考えていた自分であったからこそ、教師を議論でいじめたり、長上に反抗したりすることが自由の発露だと思っていたわたしは、自然の勢いとして、周囲と衝突し、周囲によってしばられている窮屈な自分を見出さずにはいられなかった。

人間を肉体であると考える限り、完全なる自由は環境にありえない。
完全なる自由なき環境おかれた「自由を欲する人間」は苦しむほかはない。
わたしは別に常識で言えば苦しい環境には置かれていないのに、なんとなく人生がくるしくなり、生きていることが味気なくなり、さりとて自殺する気持ちにもならず、なぜ、「人間は生まれて来たのであるか」などということを思索するようになっていた。

5506a hope:2015/06/11(木) 08:51:09 ID:cEpBaIdo

>>5505 a hope 所感)

人間であれば、誰であっても思春期〜青年時代においては、親から自立しようという本能にも促されて、
「自由を欲する人間」になるのではないでしょうか?

よく、生意気な青年のことを、「くだもの」に例えて、「まだまだ青いな〜」と大人の人が表現しますが、
雅春先生も例外ではなかったのですね!

<<わたしは別に常識で言えば苦しい環境には置かれていないのに、なんとなく人生がくるしくなり、生きていることが味気なくなり、さりとて自殺する気持ちにもならず、なぜ、「人間は生まれて来たのであるか」などということを思索するようになっていた。>>

わたし自身も、この雅春青年と同じように生きずらい人生に悩みながら青年時代を過ごしていたような気がします。

おかげさまで、今は・・・程よく熟しておりますが・・・(笑)

みなさんの青年時代はどのようでしか?

5507a hope:2015/06/12(金) 09:37:34 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p27 



大本教の筆先に「我(が)のあるみたまが、我がなくなりて初めて神の本当の御用ができるものである。始めから我のないようなみたまは弱くて役に立たぬ」というような意味のことが書いてある箇所があるが、その真偽はさておき、わたしはずいぶん「我(が)」
の強い、敗けず嫌いの子供であった。

5508a hope:2015/06/12(金) 09:38:32 ID:cEpBaIdo

>>5507 a hope所感)

この大本教の筆先にうたわれている「我(が)」というのは、現象生活で発揮される「偽我」のことだと思いますが、
「我(が)」の強い人間は良いことであれ、悪いことであれ大きな事をする力があるわけですから、
もともとそのような力のある人間が「偽我」をなくして「真我」のみを出してくれば、
神業のような善行が可能になるのかもしれません。

ですが、そのように「我」の強い人間が現象世界で生きていると、
特に日本のように「長い物に巻かれ」ていれば無難なような社会環境に生きていると、
「出る杭は打たれる」ということが度々起こるのだと思います。

この第19巻を拝読していると、雅春先生の青年時代も散々ですものね。

しかし、打たれても打たれても、我の強い人間はその「我」を自分では押えきれないわけですから、
結果として、なにか大きな事をしでかしてしまうのだと思います。

その大きな事が悪事であれば犯罪につながるかもしれませんし、善事であれば人類救済につながるのかもしれません。

雅春先生は、本来もって生まれた「我」の強さを「唯神実相」のお悟りを得ることで人類光明化運動を展開されました。

わたしも、「我」は強い方ですから、その「我」の強さを良い方に生かしていきたいと思っています。

5509a hope:2015/06/12(金) 09:45:08 ID:cEpBaIdo
>>5508 訂正

誤)雅春先生は、本来もって生まれた「我」の強さを「唯神実相」のお悟りを得ることで人類光明化運動を展開されました。

正)雅春先生は、本来もって生まれた「我」の強さと「唯神実相」のお悟りで人類光明化運動を展開されました。

5510a hope:2015/06/14(日) 14:07:45 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p29 7行目〜

中学で先生から「お前は虚無党だ」と叱られたころのこと、同級生たちが集まって編集していた回覧雑誌に『鶴声(かくせい)』というのがあった。

わたしはその回覧雑誌に「なぜ人間は親孝行せねばならぬか」というような題で親不孝論を書いた。

すると、盛んに同級生から駁論が送られて来たから誌上でさかんに論戦したものである。

わたしはそのころ、人生を楽しいと思っていなかった。

わたしの立論は、すべて唯物的であった。

生命そのものの無限向上ということを認めないで、ただ生命を現世だけ在するものと観、その現世を苦しいものと感じているので、なんのために生まれたのか、生まれることに動機を与えた父母というものこそ呪うべきだというような見地から、親不孝論をとうとうと述べているのであった。・・・

5511a hope:2015/06/14(日) 14:09:10 ID:cEpBaIdo

>>5510 a hope所感)

後に「大調和の神示」を唱えられた雅春先生からは、信じられないような唯物的な思想を若かりし頃の雅春先生はお持ちだったのですね・・・(◎_◎;)

この世に生まれてきても、本当の幸福感を感ずることができないまま人生を生きていると、
両親を恨んだり、社会を恨んだりしてしまうのは当然のなりゆきなのかもしれません。

5512トキ:2015/06/14(日) 19:43:18 ID:BMShStuI
 大正時代や昭和の初めは、左翼運動が盛んになった時期で、インテリが社会主義や共産主義
にかぶれた時代でした。今から考えると、どうしてあんなバカな考えにみんな取り憑かれたの
か不思議ですが、そういう時代だったのですね。

5513a hope:2015/06/16(火) 10:39:05 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p34 



早稲田の文科に這入ったころ、わたしは十九歳であった。

姉崎正治博士のショーペンハウエルの『意志と現象としての世界』を読んで大いに心を動かされた。

この世界最大の厭世哲学は苦しみが人生の正味で楽しみは虚仮不実の存在であるということを、豊富な例証をあげて説明していた。

その哲学はまことに当時の自然派文学論を証明しているようにみえた。

人生は苦しいのが本体だ!

ますます私の人生観はこういうふうに傾いていったのであった。


早稲田の英語のセッションの講義を片上伸氏から聞いたが、そのセッションの中にウィリアム・ジェイムズ教授の「人生観は人の肝臓のいかんにある」という論文があった。

〝Liver〝 という字を「肝臓」と「生活者それ自身」という意味の両方の意味にかけてあるのであって、結局、厭世的人生観を抱くようになるのと、楽天的人生観を抱くようになるのとは、生活者それ自身の肝臓(血液、健康、元気)いかんにあるので、光明方面を見る人には楽天的人生観が抱かれるし、暗黒方面を見る人には厭世的人生観が起ってくるようなことが書いてあった。

そのころ別の方面から、ショーペンハウエルが厭世哲学を組み立てたのは彼は常に胃病にくるしめられていたからだったと聞いた。

厭世的人生観を抱いている者が胃病にくるしめられるのは当然である。

心が常に暗黒方面を見ているときは、その心の影として血液の循環は不活発になり、胃の腑の活動が鈍って胃病になるのは当然である。

もし今の私がショーペンハウエルに遇ったなら、彼の慢性胃病を治しておのずから彼の哲学的天才をして曠世(こうせい)の大楽哲学を組立させてやっただろうに、惜しいことをしたと思う。

5514a hope:2015/06/16(火) 10:43:36 ID:cEpBaIdo

>>5513 a hope所感)

ここで出てくる、ショーペンハウエルは、「生命の實相」第13巻や15巻でも学びましたが、
その世界観は「ニセモノの我」と「本物の我」を区別せず、どちらも同じ大生命(盲目的意志)の働きであると見る不完全な一元的唯心世界観で、
人間がそのような世界観に立っていると、不完全な世界を心に予想してしまうために、
「念の具象化の法則」により現象世界に病気や不幸等の不完全が顕れてきてしまうというものでした。

ちょっとショーペンハウエルの思想が具体的にはどんなものだったのか知りたくなったので、
Web検索してみました。

以下、「--ショーペンハウアー名言集--」 より抜粋

・医者は人間を弱いもの、弁護士は人間を悪いもの、牧師は人間を愚かなものとみる。
―「パレルカ-ウント-パラリポメナ」―
 
・我々の肉体が衣服に包まれているように、われわれの精神は虚偽に包まれている。
―「幸福のためのアフォリスメン」―
 
・一般に、男性のあいだでは愚かで無知な男が、
女性のあいだでは醜い女が愛され、ちやほやされる。
―「幸福のためのアフォリスメン」―
 
・われわれの人生の場景は粗いモザイクの絵に似ている。
この絵を美しいと見るためには、それから遠く離れている必要がある。
間近にいてはそれは何の印象も与えない。
―「自殺について」―

http://kakugen.aikotoba.jp/Schopenhauer.htm

この名言集の言葉を読んでいると、
たしかに、ショーペンハウエルの思想は、人生を皮肉ったようなマイナス思考で、
読んでいて面白いですが、元気に前向きに生きて行こうという気にはなれません。


それにしても、

<<もし今の私がショーペンハウエルに遇ったなら、彼の慢性胃病を治しておのずから彼の哲学的天才をして曠世(こうせい)の大楽哲学を組立させてやっただろうに、惜しいことをしたと思う。>>

という、雅春先生の自信満々のご発言には驚きました(≧◇≦)

「生命の実相」哲学(谷口雅春哲学)は完全にショーペンハウエルの哲学を超越してますものね!


あ〜「生命の實相」に出会えてよかった(*´▽`*)
わたしたちって、本当に幸せですね!

5515島津綾久:2015/06/16(火) 16:19:08 ID:???
 いやホント、「神なんていない!」ですよね・・・・・・神様なんて、いるワケがナイ。若き日にはそう、思うものですよね。そしてこれは、雅春先生も例外ではなかったんでしょう。(実際に後日、雅春先生は『神を審判く』を執筆なさいますよね)ショーペンハウエルなんてそんな、「神なんかいない!」に論理的整合性を与える書です。読めばコロッと、傾倒しますよ。だけども・・・・・我々はショーペンハウエルや、若き日の雅春先生を笑えるでしょうか。

 いやだって、あんなに聖典を読んでいても「悪はあるんじゃないか」・・・・・そんな考えが頭をもたげます。「和解なんて不要!」と主張される、生長の家信徒までおられますからなかなか(笑)なかなかスッとはいかないんでしょうね。

 現象ダケが実在だと思えば「和解なんてできるか!」ですし「悪はある!」になります。生長の家信徒(しかも信仰歴の長い人)でもそうなるんですから、若き日の雅春先生を我々は、笑えないと思います。そして我々ですが「静かに聖典を読むべき」なんでしょうね。いや、だって、信仰歴9年にならんとする私すらが今日、経営の行く先を心配して胃が痛くなっておりますからね(笑)。がんばろう、オレ(笑)。



追伸

 たださすがに、「和解は不要!」とまでは思わないけど(笑)どんな状況とも和解することでしか、解決策はナイですよね。榎本先生風に云えば現象悪ですが「これすらも光として礼拝するような生き方」ですね・・・・

5516a hope:2015/06/17(水) 09:13:19 ID:cEpBaIdo

>>5515 島津さま

「人生は魂を磨く学校である」

この言葉の意味が本当にわかるようになったのは、つい最近だったような気がします。

わたしも若いときは自分の人生を恨んだり、人をうらやんだり、神を否定したりもしましたが、
今は、すべて現象で起きる困難は「神さまがわたしを信頼して与えてくださっている試練」だと思えるようになりました。

島津さまは、会社を経営されていますが、会社経営を経験したことのないわたしでも、
その胃が痛くなるようなご苦労がわかるような気がします。

島津さまは、ご自分のご家族だけでなく、従業員やそのご家族または取引先の会社の従業員にまで、
責任を持たれて、会社を経営されているのですものね。
そういうことは、それなりの「実力」がある方にしか神さまが与えない試練だと思います。

自分の無限力を信じて、がんばってくださいね。


ところで、

<<榎本先生風に云えば現象悪ですが「これすらも光として礼拝するような生き方」ですね・・・・>>

わたしは、礼拝するとは、感謝すると同じ意味だと思っています。

以前は、うのはなさまと「訊け」さまの掲示板での御関係は険悪であると思っていましたが、
今は、全く別の感じ方をするようになってきました。

他の皆さんがお二人のことをどう見られているかはわかりませんが、
わたしは、お二人が仲良くケンカごっこをしてこの掲示板を盛り上げてくださっているように思えるのです。


ですから、トキさまや他の投稿者のみなさまにはもちろんですが、
「訊け」さまにもうのはなさまにもいつも心から感謝しています。

わたしはこの掲示板を通して、みなさんと繋がっていると思えるからこそ、
「生命の實相」の勉強が続けられるのです。

島津さま、お仕事もお忙しいかと思いますが、これからもこのweb誌友会にどんどん参加されて、
「生命の實相」の素晴らしさを、全世界にアピールしてくださいね。

どうぞ、よろしくお願いいたします。合掌。

5517島津綾久:2015/06/17(水) 15:44:21 ID:???

>>>そういうことは、それなりの「実力」がある方にしか神さまが与えない試練だと思います。<<<


 ありがとうございます!いや、でも、ホント・・・・・たいへんです(笑)。文句ばかり言われますからね、社長業は(笑)。現象的には毎日が、最悪です。まあでも、文句を言われてナンボな世界でもあるんで、がんばってます。田中角栄さんの本にもあったんですが、「仕事をするとは、文句を言われる事」と(笑)で、文句も言われないヤツは「仕事をしていない」と(雅春先生の御教えとはやや、違うが紹介)。

 でも、試練ですけれども、雅春先生がおられなかったらどうなっていたことやら・・・・確実に潰されておりますね。雅春先生がおられなかったら試練ですが、私は参っていたと思います。事業運営って本当に「予測できない事ばかり起こる」んです。カネは予定通りに入ってきません。けど、税務署は確実に来ます(笑)。税務署にカネを納めたら今度は、社員に払う給与が出ません(笑)リーマンショックの頃はそんな感じでしたが、そんな世界で生きてますと、雅春先生の光明思想にある「自壊作用」って概念が本当に素晴らしい・・・・これは、役に立ちます。悪いことが起こって来てもそれは「善いことの始めである」です。(もっと進めば「悪いことなんて起こってない!善一元の世界!」ですが、ここはこの方便で)この思想がなかったらとっくに、自殺してますね(笑)。

 ・・・ところで本日は、雅春先生の御命日ですね。以下の動画を拝聴しますと本当に、素晴らしい方と出逢えた幸運に感謝、したくなります。

<静聴>谷口雅春先生動画ご講話
https://www.youtube.com/watch?v=CxwERhp344s

5518島津綾久:2015/06/18(木) 16:37:20 ID:???
>>トキ理事長
>>a hopeさん


 出来立てホヤホヤ(?)の体験談を披露致します。スゲーことが、起こったんデス。新規取引は困難、そう思われていた中堅大手某社からの取引を当社が、ゲットしました。ヤッター!今回は、そんなお話です。
 ・・・・さて、何から語るべきか迷いますが今回の取引、「どんだけ難易度が高かった?」という点を先ずお伝えして、次に「私は何をやったのか」という点、これを述べたと思います。そうすればまあ、衝撃度が伝わるとも思いますしそして、結論としてはこの話ですが、「雅春先生が仰る通りにヤッてれば大丈夫」てな・・・・・そんな話になろうかと思います。オモシロイので少々、お付き合いください。

<この会社との「新規取引」の難易度>

 ざっと箇条書きにします。今回取引をゲットしたA社ですが、こんな会社なのでありました・・・・・現象的には、そして、人間知恵的には「ムリ」な先です。所謂「高嶺の花」ってヤツですね、見てみましょう・・・・

● ここ一社だけで「膨大な収益がもたらされる」・・・・・ここ1社だけで当社社員2名分の人件費、賄えてしまう(!)一社ダケで、ですよ・・・・・
● (しかし)過去30年間、取引先を変えていない。当社と競合する他社が長年独占してた。
● 私は一度しか訪問出来てイナイ。有望な見込み客だったとは云え、何か、訪問をさせてくれないムードがあった。(私の得意技は「飛び込み営業」なんですが、そんな私すらも躊躇させる、そんなムードがA社にはあった。まあ「来てもムダよ」的なムードと云いますか)
● 社員は専門家揃い。付け焼刃の知識では説得不能。
● 女子社員がいない。私の得意技である「女子社員と仲良くなってからの攻略」法、使えない。

 てな、感じなのです。もう、現象的には「あ〜あ」な先、それがA社でした。「あ〜あ、A社と取引を開始できれば経営は、かなり安定するんだけどもなあ」てな感じです。あのファンが私になびけば今度の総選挙、私もトップになれるのに・・・・・AKB48の子と似た心境になりましょうか。まあ、そんな先だったんです。あ、まったくの余談ですがAKB48の指原チャン、なんで1位になったかと云うと「中国人の熱烈ファンが投票用紙を爆買してるから」らしいですね。まあ私にとっての中国人がこの、A社だと思ってください。そんな感じで、先に進みます・・・・

 さて、ここと取引出来れば「当社人件費の2名分をA社取引だけで賄える」(!)そんな有望見込み客だったんですが、私はいったい何をしたでしょうか。それを以下に紹介します。

(つづく)

5519島津綾久:2015/06/18(木) 16:41:07 ID:???


<私は何をしたか?>

 飛び込み営業(得意技ですw)を反復したでしょうか・・・・・違います。既述の通りこのA社ですが、何度も訪問した位で取引出来るほど、甘くはなかったんです。じゃ、担当者をキャバクラに連れ出したでしょうか・・・・これも違います。そんな事したら逆に、人格を疑われたかもしれません(真面目な方が多いんですw私と違って)賄賂を贈った?それも違いますし、社長を相手に心のコモッた手紙を送ったも、違います。じゃ、何をしたのか・・・・・・・

 ・・・・ところでこれ、事業経営の話です。その事をお忘れなく。

 そして事業経営の問題だと云うのに社長の私ですが、

● 祈った

 なんです・・・・・・・(笑)いやこれ、経営者仲間に話しても、信じてもらえません(笑)なのでココでしか紹介、できないんですが「ホントにそれだけ」なんです。私がやったこと、それは、「A社との大調和」でした。具体的に祈りの言葉や、「よく読んでいた雅春先生の御文章」を紹介しますが、先ず、以下の雅春先生の御文章を拝読します。それは、

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

「神へ委ねよ。自分の信念や精神力がそれを実現するとは思わずに、神が既に実現したまえりと観じて感謝せよ。」

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 に、なります。有名な御文章ですよね、これ・・・・・・・ところで。

 ところで、なんですが「でもなかなかそうはならない」(笑)そうは、思いませんか?どうですか?いや、神が、神がですよ、既に・・・・・・「既にA社との取引を開始した」とはなかなか、思えないですよね(笑)

 どうですか。

 すんなり「そう思えれば」取引ですが、サクッと開始されるハズなんです。でも、デキナイ・・・・・・少なくとも私は、デキナイんです。アホなんであんなに聖典を読んでいても、どうしても現象に、惑わされます。既に取引が開始された、でも「30年も浮気をしない会社だ、ムリ」とか(笑)そんな考えが頭をもたげるワケですね。そんな悲しい凡夫の私なんですが、じゃあ、そんな時にどうしたか、これを次に書きます。この御文章なんですが、

● 中・後半部を特に、力点を置いて拝読した

 に、なります・・・・・どういう意味かと云うと「自分の信念や精神力がそれを実現するとは思わずに、神が既に実現したまえりと観じて感謝せよ」の部分です。ここを繰り返し繰り返し繰り返し・・・・・・・・繰り返し読んだんです。もうホント、「まさに全托」ですね、神さまに。

 「もう、オレ様なんかの知恵や行動力では、攻略不能ナンデス!神さま、貴方の力でお願いします!」

 と。さらには、

 「神さま!貴方に製造責任を問います!」

 とも(笑)

 もう、マジメに(笑)マジメにそう、唱えてました。(*榎本先生曰く「神への製造責任を問う」ですが、「製造責任を問われて大喜びされるのが神だよ」と・・・・ですんで我々はええ、堂々と問うてイイんです、「神の製造責任」w「なんで私はこんなにもスットコドッコイなんですか!?神様、あなたの責任だ!」とw)

 ・・・・ところで大事な点ですが私、現象的には「なんら行動してない」んです(笑)ここが大事な点です。もう一度言いますがこんな事業経営、有り得ないですよ(笑)「ふざけるな!」って言われますってば(笑)日本海海戦で云えばZ旗、上がっててもオカシクない営業先です。なにせ、ココと取引開始できれば「膨大な収益がもたらされるワケ」でして、この1社と取引するダケで当社は「人件費2名分を賄えるワケ」ですからね。なので普通、経営者ならば宗教なんかに逃げない(笑)。でも私は、宗教に逃げました(他経営者から見ればそう映る、そんな話)

 ・・・・そうなんです。「それだけしかヤッてナイ」という。

 そして、それダケしかやってナイのにA社との取引・・・・・開始と云う。

 もう本日、A社部長さんから電話があった時は、感極まって「ぎゃー」と云いましたよ(笑)。もう、それくらいの衝撃でした。

(つづく)

5520島津綾久:2015/06/18(木) 16:41:56 ID:???

 以上、まとめますが、まあ、「雅春先生のおっしゃる通りにやってれば大丈夫」なんです(笑)。「行動してない!祈ってばかりでいいのか!」・・・・・そんな事云う方あらば真顔で「いいんです」と申し上げ、ます(笑)いやだって、迷いの念(=人間知恵)に催されて、ギャースカギャースカ動いていたらたぶん、ダメだったですってば・・・・そんな取引先では、ナイんです。ライバル社はたぶん、これから当社を「なんで?」な目で見ることにナルでしょう。経営戦略だの事業構築・マーケティング論だの、そんな経営書には答えは書いてナイんです。答えが知りたきゃ谷口雅春先生著書の『生命の實相』ですが、これを読むべきです・・・・・いやホント、競合他社は今頃、「なんで?」なクエスチョンマークを多数、灯すことになるでしょうね。(ああこれ、昔の、「雅春先生を知る前」の自分ダ)





5521トキ:2015/06/18(木) 17:50:59 ID:C8zqGSvs
>>5519

 すばらしい体験談をありがとうございます。
他の方々の励みと参考になると思います。
 心から感謝申し上げます。

よかったですね。ますますのご繁栄をお祈りしています。

5522a hope:2015/06/19(金) 00:25:04 ID:cEpBaIdo

>>5519 5520 島津さま

よい取引が成立してよかったですね!


それにしても「祈り」の力はすごいですね・・・。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

「神へ委ねよ。自分の信念や精神力がそれを実現するとは思わずに、神が既に実現したまえりと観じて感謝せよ。」

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


「信ずる者は救われる」という言葉がありますが、わたしたち「生長の家の教え」を信仰するものは、
谷口雅春先生の言葉を信じ、祈って入れば必ず救われるのですよね!


実は、わたしは今日、仕事の人間関係でちょっと嫌な事があり、ちょっと落ち込んでいましたが、
島津さまの体験談を拝見して「祈り」の大切さを再確認できました。

さっそく「祈り」を実践します。

島津さまのすばらしい体験談に、心より感謝します。合掌。

5523a hope:2015/06/19(金) 09:49:46 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p42 後から 5行目〜

肉体的衝動を全然昇華したような恋――そういう恋愛を人生に実現してみたら、それは美しい生活ではあるまいか。

本当に恋していても恋していなくとも、そんなことはどうでもいい。

恋していると思い、思わせ、ただそうした恋愛の昇華した美感を思い楽しむだけでこそ、そこに美しい人生が展開するのではないか。

小鳥が性交するのはあまり美しいとはいえない。

しかし、小鳥が雌を招(よ)ぶために囀(さえず)るのは美しいのである。

また雌(めす)に招ばれてチチと応えて近づいてくる有様は美感である。

性交という実感に到るまでのチチと互いに呼び交わす音は、それは恋愛の感情のふるえの表現であるから美しいのである。

花が美しいのも恋愛の表現である。

人間も恋愛の感情をふるわすということが美しいのである。

文学にもいろいろの恋愛が取り扱われており、それらの恋愛が美しく感じられるのは、恋愛するときに人間がふるわす感情の振動――感情の音楽――それが美しいからではないか。

・・・略・・・

そんな恋愛観をもっていたころのわたしにとっては、わたしに逢うどんな娘も、ただ一つの画布(キャンパス)に見えるにすぎなかった。・・・

5524a hope:2015/06/19(金) 09:51:48 ID:cEpBaIdo

>>5523 a hope所感)

p38の「芸術至上主義時代」からは、いよいよ青年雅春先生の女性遍歴が始まります。

上記した部分のような恋愛観をもったインテリ青年(雅春先生)は、自身の「恋愛?」をひとつの芸術作品に仕上げようと試みて、
おもいきり失敗してしまいます(;´∀`)。

ちょっと信じられないような間抜けぶりを発揮される雅春先生ですが、なんかとても人間らしくてわたしは親近感がもてました。

5525島津綾久・・・・:2015/06/19(金) 09:58:11 ID:???

>>>自身の「恋愛?」をひとつの芸術作品に仕上げようと試みて、
おもいきり失敗してしまいます(;´∀`)。<<<


 そうそう(笑)ここからが、ホントにおもしろい(笑)カッコイイこと言ってんのにスベっちゃう・・・・・・・・私みたいな雅春先生が登場しますよ(笑)乞うご期待!てな感じですよね(笑)

5526a hope:2015/06/21(日) 21:53:38 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p131

転身



そのころ、突然、松江市の岡田建文という人から、その編集している週刊新聞ふうな雑誌『彗星』というのを送ってきた。

それには丹波綾部に皇道大本というのがあって、魂返しの鎮魂法で、松江の医師井上留五郎氏が、すでに縡(こと)切れていた病人を蘇生(よみがえ)らした話が書いてあった。

爾来、岡田建文氏からは『彗星』を毎号送って来た。

それにはいろいろの心霊療法や皇道大本の奇跡のことが書いてあったので、わたしはわたしの研究した立場から、多数の心霊療法の方式を説明し、その方式が有効に作用するの所以(ゆえん)の共通の原理を指示し、すべては三界唯心の理によってそれが可能であるという結論を与えて、皇道大本の奇跡も、もしそれが実際ならば同一原理によって起こるものであるという批評を与えた原稿を投書した。

岡田建文氏からは折り返し返事が来た。

それには、「すべての心霊療法は貴下の解説とおりの原理でできるのであるが、皇道大本ばかりは別物である。一度綾部に到ってその実際を見聞せられよ」と書いてあった。

それと共に送ってきた雑誌『彗星』には、皇道大本の世界建て替え説が紹介されてあった。

それにはいっさいの罪人と罪業が神力によって焼き滅ぼされ、清浄無垢(じょうじょうむく)の新天新地が創造される時期がいよいよ到来した。

その時期というのはここ数年間だという実に目睫(もくしょう)の間に迫ってくる福音であった。

「新天新地がいよいよ来るのだ!」

当時罪悪感に捉われながら、罪業を消去する道を求めて焦慮していたわたしにとっては、いっさいの罪人と罪業が焼き滅ぼされ清浄無垢の新天新地が創造される世界建て替えの福音は、心を打たずにはいなかった。

それはわたしにとって実に喜ばしい福音であると同時に恐怖すべき福音であった。


わたしは希望と、恐怖と、好奇心とで、ある朝思い切って綾部行きの汽車に乗ったのであった。・・・

5527a hope:2015/06/21(日) 21:55:08 ID:cEpBaIdo

>>5526 a hope所感)

「自伝篇」の青年雅春先生の物語は、17歳の少女久子との同棲生活を綴った「憐憫愛への転向」から、
故郷神戸での「工場生活時代」経て「転向」に進みます。

雅春先生は、そこでいよいよ『大本教』に出会い、「神霊の世界」へ足を踏み入れます。

5528a hope:2015/06/21(日) 22:58:48 ID:cEpBaIdo
>>5527 訂正

「工場生活時代」経て【「転向」】に進みます。→「工場生活時代」経て【「転身」】に進みます。

5529島津綾久・・・・:2015/06/22(月) 16:37:43 ID:???



 大本教への期待と挫折・・・・・ここも、いいですよね。雅春先生ですが、期待をもたれてはその「期待したものから裏切られる」んですよね。そんな経験を多数なさっておられます。「嗚呼!神サマ!あんたは非道い方だ!」・・・・・(そんな言い方はしてナイけど)そんな感じにまで追い詰められて、『神を審判(さば)く』までも執筆なさいます。仕舞いには、「心が変わらないままで救ってくれる神が欲しい!」、そんな慟哭にも似た感情を発露される、雅春先生です。

 ここからも、非常におもしろいですよね。いやホント、人は期待したものに裏切られる、そんな経験は多々あるものです。雅春先生とて、例外ではなかったのでしょう。そしてその、挫折経験という迷いだって、光だったのですよね・・・・・・



5530a hope:2015/06/23(火) 23:52:13 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p136 後から6行目〜

肉眼に見える個々の生命たちと、宇宙普遍の大生命と――今まではこれだけしかわたしの認識の世界にはなかった。

ところが今わたしは、宇宙普遍の大生命と肉眼に見える個々の生命のほかに、まだ何か意志をもった生物(いきもの)が存在して、それが人形遣いが操り人形を使うようにわれわれを操っているということを知ったのであった。

それは医学者が黴菌を恐怖したように、皇道大本の修行者たちは憑霊というものを恐怖していた。

修行者たちは狐。狸、天狗などの悪憑依霊が憑いているがごとき現象を見ると、それらの悪憑依霊から逃れたい一心になって心を浄め身を浄めるのであった。


皇道大本で鎮魂帰神の方法によって憑依霊の実験を見せる、もう一つの目的は、神というものはそんな宇宙普遍の原理というような空漠たるものではなくて、人格あり、意志あり、われわれに対してある強制力を以て『旧約聖書』のエホバ神のごとき状態で迫ってくるものだということを知らせるためであった。

というのは、その強制力によっていよいよこの地上からいっさいの悪人、いっさいの罪人が滅ばされてしまって、清浄無垢な世界が来るということを天下に呼号するのがこの宗教であったからである。

5531a hope:2015/06/23(火) 23:57:32 ID:cEpBaIdo

>>5530 a hope所感)

この後、大本教の教祖が出口直子という女性であり、その女性が54歳の時、
突然神憑状態になって世界の建て替えが来ることを大声でどなりだしたのが最初であると説明されています。

「さんぜん世界一度ひらく梅の花、艮(うしとら)の金神(こんじん)の世になったぞよ。
根に花さくは虎耳草(ゆきのした)、上も下も花咲かねばこの世は治まらぬぞよ。
金(きん)は世の滅びの因(もと)であるぞよ。
艮(うしとら)の金神表(おもて)にあらわれて、世をたてかえて心安き世に致すぞよ。
今までは悪の世で、強い者勝の世であったなれどこれから先は悪では一寸も行けぬ世に致すから早く改心致されよ。
改心致さねば地震、雷、火の雨降らして悪の霊(みたま)を平らげるぞよ。」


上に書き出した文章は、その出口直子教祖の叫び出したという「宣言」をおそらく違う人物が解釈し、漢字混じりの文章に直したものですが、
もし今の時代に一人の普通のおばさんが突然神懸かり状態になり、このような「世界の建て替え宣言」を叫び出したらどうなるのでしょうか?

おそらく誰にも相手にされないか、もしくは精神病院へ入れられてしまうかもしれません。

当時はテレビもパソコンもおそらく電話もないような時代で、情報手段と言えば口頭か手紙等の文章によるしかない時代だったのですよね。

だからこそ、この大本教祖の数々の宣言も「筆先」という形にして、少しずつ公開することでより信憑性をもたせることができ、
結果、多くの人々の思想に影響を与えたのではないかと思われます。

のちに谷口雅春先生はこの筆先の内容を違う意味に解釈されていますが、
当時の雅春青年は、この「世界建て替え宣言」に胸を打たれずにはいられなかったと書かれています。

そして、大本教のある綾部に居座り、大本教の出版物の編集の仕事に就かれます。

5532a hope:2015/06/24(水) 08:04:45 ID:cEpBaIdo

>>5529島津さま

<<人は期待したものに裏切られる、そんな経験は多々あるものです。雅春先生とて、例外ではなかったのでしょう。
そしてその、挫折経験という迷いだって、光だったのですよね・・・・・・>>

素晴らしい境地ですね!

ですが、わたしは今だに挫折経験を光であるとまでは思えません・・・(-_-;)
できれば、もうこの人生でこれ以上辛い経験はしたくない、というのが本音です。

それに、現実社会で生きているとどうしても人と接しなければなりません。
いろんな人がいるので、時にはわたしも「怒り」等のよからぬ感情を持ってしまいます。

実は、昨晩も自分は仕事をさぼってばかりいるのに、
何か起こるとすぐに責任転嫁する同僚のことがどうしても許せずにいました(+_+)

やっぱりそう言う時は、祈りですか?

島津さまは、そう言う時はどういう祈りをされますか?

5533島津綾久・・・・:2015/06/24(水) 13:23:00 ID:???


>>>実は、昨晩も自分は仕事をさぼってばかりいるのに、
何か起こるとすぐに責任転嫁する同僚のことがどうしても許せずにいました(+_+)<<<


 ああ、「人生あるある」ですよね(笑)人生でよくある事なんですが、経験談を披露しますと2つの点で「ラッキーだと感じること」です。一つ目のラッキーな点は「そんなヤツに出会えたこと」でして、二つ目のラッキーは「そんな奴のこと許せなかったこと」です。その2点に関して、喜ぶべきです。

 なぜと申して、自壊作用です。カタチに現れて、消えてくれたんです。借金(=過去の業)を払い終えた相がその、モヤモヤしたイヤ感ですんで、まあ、良かった良かった!そんな奴に出会えてよかったし、そんな奴を許せずに、モヤモヤできて良かったんです。もう一度言いますが「もう消えた」んですからね。

 ・・・・まあ、私もそんな事、しょっちゅうありますね。少年野球の運営なんかに関わっておりますと「明らかに頭のオカシイ親とかいる」んですね(笑)まあでも、「消えた!消えた!」とか思ってますと、なんか知らんが変わってくるものです。私にばかり雑用を押し付けるイヤなヤツがいたんですが(笑)コイツ(失礼w)もアレです・・・・・消えた消えたで感謝してたら、最近は大人しくなりましたよ。私にヘンなこと、しなくなりました(笑)。バカになって「何でもありがたく受けること」でしょうかね。




追伸

 ・・・・こういうことを書いていると、曳馬野サンが登場なさいます(笑)期待しましょう(笑)「実践できてない!」な書き込みを、お待ちしております(笑)

5534島津綾久・・・・:2015/06/24(水) 14:11:29 ID:???

 ところで野球では、10打席で3本ヒットを打てれば「伝説の好打者」と呼ばれます。そして、普通の国家試験なんかでも合格最低点って6割程度です。国家試験の採点も甘いですが、野球も甘いでしょう?・・・・・・って、なんの話か?「解決策のお話し」です。

 いや、その、「イヤなヤツがいる」「イヤなヤツを許せない自分が不満」に関する話なんですが、以下で何本か解決策らしきものを列記してみます。なかには3本くらい、ヒットするものがあるかもしれません。どうぞ、ご参考まで。


◆ 「イヤなヤツがいる」「イヤなヤツを許せない自分が不満」というイヤ感に関して。

● イヤ感の正体ですが「祖先霊の自己処罰が意識に現れているだけ」です。子孫(貴女)の姿を見たご先祖が、「オレが不甲斐ないばかりに申し訳ない」・・・・・そう、悔やんでいる姿です。それがその、イヤ感の正体です。まあ、「それくらい祖先から愛されている」んですから、そこを確認しましょう。

● また、徳久先生曰くですがその祖先の自己処罰に関し、「祖先霊が守護神と化した際に現れる感情である」と断言なさってます。ですんで、おめでとう!・・・・貴女のご先祖さまは、貴女の守護神と化したのです。「今、守護神となったぞ!」の証拠がその、モロモロのイヤ感なんだと思います。

● 理想の自分とは違う「不足感」かもしれません。それはそれで、おめでとう!みたいです。能力が欠如している、あるいは、愛が欠如している・・・・そう云った不足の感情こそが「神が動き始めた証拠」です。ページ数失念なんですが『生命の實相』33巻随喜篇にそう、ありました。「なにかが足りない、不安の感情こそが神が愛している証拠なのであります」と雅春先生が断言、なさっておられる箇所です。(頁数が判明すればお知らせしましょう)

● そして、(自分もなかなかデキナイ事ですが)基本に帰ることです。藤原敏之先生ならば「アンタ、その肉体をホンモノと取り違えていないかね?」と問われるハズです。イヤなヤツってのはあくまでも、現象なんでして、「中味は天地一切を創造し給うた神」です。マチガイありません。あの、「珍文アラシだって神」なんです(笑)。現象面はスットコドッコイなんですが、あくまでもそれは現象であり、消えゆく姿です。ゲラゲラ笑いながら、礼拝してればイイのかもしれません。「おもしろい人ですね」とか(笑)

● また以下は、光明思想ではなくFBからの情報です。職場でのイヤなヤツ対処法ですが「そいつの名前の下に『どん』を付ける」というものです。例えば宇野さんという同僚がいて、コイツがマジでワケワカンナイとします。そんな際は「宇野さん」と呼ばずに心の中で「宇野どんが」と・・・・・・・・ああ宇野どん、今日もやってるわ(笑)そんな感じです。そんな感じの対処法がFBにあり、私も活用してます。(また「そいつをバカボンのパパだと思い込む」とか、ソイツのセリフの語尾に「〜なーのだ」を付けるとかw紹介されてます。) 


<了>

5535a hope:2015/06/24(水) 21:45:29 ID:cEpBaIdo

>>5533 5534 島津さま

こんなに解決策を出していただけるとは驚きました!


「祖先霊の自己処罰が意識に現れているだけ」というお答えには、
なんだかその仕組みはよくわからないながら、妙に納得しました。

このわたしの「自己嫌悪感」は、わたし自身から出たものではなくて、
わたしの祖先の感情に感応して出ているものなのですね。

ふーん、そう思うと、不思議に気が楽になります。

「生長の家」の先祖供養に関しては、わたしはまだまだ勉強不足なので、
これから、お盆もやってきますので「先祖供養」もしっかり学びたいと思いました。


でも、一番わたしの理性的に納得いくお答えは、<<理想の自分とは違う「不足感」>>かもしれません。

わたしは外見はだいたいクールに保てるのです。
でも、内心は怒り狂ってたりするんですからほんとに情けないです(T_T)。

でもこの「不足感」こそ「神が動き始めた証拠」なのですね。
そして、「なにかが足りない、不安の感情こそが神が愛している証拠なのであります」か・・・。


まあ、自分に対する「不足感」があるからこそ「生長」できるのかもしれませんね・・・。

でもそれってホントにちょっと見方を変えると、わたしを生長させてくれようとしている神さまの「愛」とも取れますものね!

わー、すごいですね!
わたし、すごいこと気づいちゃった!!

島津さまって、ホントは「谷口雅春に訊け」管理人さまですもんね・・・。

やっぱり違うわ・・・ 礼拝 m(__)m

5536島津綾久・・・・:2015/06/25(木) 08:19:06 ID:???


 補足しておきます。そして以下は、自己流解釈でもあります。服部仁朗先生のご解説を自己流に、飛躍させた説なんです。なんですが、間違ってはイナイと思いますんで以下、ご披露します。お題は「神立宇宙銀行」でしてテーマは「不足感の正体」です。

 さて、カネがない(笑)そんな意識が浮上しますよね。まあ、カネがナイでも知恵がナイ、あるいは、愛がナイでも同じことなんですが、いずれにせよこの、「なになにがナイ」ですけれども服部先生・・・・・こんな不足感をどう、ご解説してくださってますでしょう。なんとそれこそ、

 「神さまからのものすごい配慮」

 との事です。意味、わからんでしょ?(笑)

 意味が伝わらないと思いますんで、詳細をダイジェストでお届けしますが「¥がフンダンにあったら困るでしょ?」と、服部先生(笑)「¥ですが、適当な分量があったほうがいい。だって、¥だらけになってご覧よ?家中が¥だらけで人が住めない(笑)」と。
 服部先生は黒板に使うチョークで譬えておられましたが、「チョークだって無限供給されたら適わない(笑)文字を書く分だけの、適当な分量が手のひらにあるのが素晴らしい」と。

 ・・・・何となく意味は、伝わってきたでしょうか。それでは先に進みます。

 さて、結論ですが¥がナイ!等の不足感ですが、「使う分だけ神が与えてくださっておられる」のです。で、残りは「全部、神さまが預かってくださっておられる」という・・・・・それが、神立宇宙銀行なんですが、まあ、我々が普段の生活に困らない分量を神は、甚々のご配慮をもって与えてくださっておられるという。そして、困ったときはポンと渡す変わりに必要となるまでは、「宇宙銀行の口座に置いてくださっておられる」という・・・・・そんなご主張です。

 まとめればその、「不足感」ですが、「アルから発生する」わけでしてそして、不足感を覚えるくらいに神は「深遠な智慧を以て必要なときにお与えになられようとされてイル」ってことです。お与えになるのは確実なんですが「必要な時期までは(保管料0円で)預かってくれて」おられるのです。クドイですがなにせ、¥もなにもガンッ!と与えられたらまあ・・・・・・現象界での生活に支障が出ますもんね(笑)。チョークがガンッ!と無限供給されたら文字、書けないのと同じですね(笑)





追伸

 「愛の不足は違うんじゃ」になりますか、ここまで来ると・・・・愛に関しては「いくらフンダンにあっても現象界の生活、支障はナイじゃないか」と。その答えを書けば「自壊作用デス」になります。神立宇宙銀行ですが、愛を動かしつつあるんじゃないですかね(笑)愛の口座引き落としですが現象界へ向けて既に、振込に入ったんじゃないでしょうか。振込手続きに入った証拠がその、今回の一連の嫌感なんじゃないでしょうか。

5537a hope:2015/06/25(木) 08:24:51 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます!

昨晩、島津さまのおかげで、「神の愛」に気づいたわたしですが、
今朝はまた、素晴らしい神想観ができたのでご報告します。

実修したのは、「神を讃える神想観」です。

実は、数日前からから家族の一人が風邪気味で、
今朝もベッドの中で激しく咳き込んでいたのです。

神想観中もその咳き込みが聞こえていたのですが、
祈りの言葉の「ああ、神の無限の生かす力、我に流れ入るかな」ところで、
「ああ、神の無限の生かす力(家族の名前)に流れ入るかな」としぜんに心で唱えている自分がいました。

そしたら、それと同時に、その咳き込みが突然おさまってしまったので驚きました!

朝食もたくさん食べてくれて、もはや風邪を引いていたことなど忘れてしまったようです!(^^)!

「神の愛」に気づいて、無心になることさえできれば、奇跡は簡単に起こせるのだと思います。

だって、わたしが奇蹟を起こすのではなくて、「神の無限の生かす力」が起こすんですものね!

谷口雅春先生の神想観は素晴らしいです。

みなさまも、その素晴らしさ、どうぞ思い出してくださいね。

5538a hope:2015/06/25(木) 08:46:09 ID:cEpBaIdo

>>5536島津さま

久しぶりに、「訊け」さま(島津さま)と同時書き込みできてうれしいです!
同時性が起こるのは、心が繋がっている証拠ですから・・・♡(笑)

「不足感」に関する補足、ありがとうございます。
このご説明もとてもよく理解できました。

<<愛の口座引き落としですが現象界へ向けて既に、振込に入ったんじゃないでしょうか。
振込手続きに入った証拠がその、今回の一連の嫌感なんじゃないでしょうか。>>

本当にそんな気がしてきましたよ!

今日、これから仕事に行きますが、あの同僚がどんな風に変わっているか楽しみです(*^▽^*)

「訊け」さまとは生長の家の教えの素晴らしさを心から共感できるので本当にありがたいです。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。合掌。

5539神の子さん:2015/06/25(木) 10:22:01 ID:4Iq7s.Ws
ホープさんから♡
訊け君良かったね。

5540a hope:2015/06/26(金) 09:29:47 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p142



ある冬の朝、わたしが一週間の断食を終わって食堂へいったとき、そこには大きな一斗釜に温かい芋粥が炊かれてあった。

そこは地方から出て来て、神様の御用に全身を捧げている全然無欲な奉仕の人たちが食事をする食堂であった。

杓子が二つしかなかったので、自分の順番が来るまで待っていた。

その間に見ていると、皆の者は争うようにして、粥の中の薩摩芋を択(よ)ってはわれがちに自分の茶碗の中へよそうてゆくのであった。

そしてわたしの順番の廻ってきたときにはもう薩摩芋は一片もないようになっているのだった。

その有様を見ていることはあさましかった。

そしてそれをあさましいと感ずるわたし自身もあさましかった。

世の中が神力によって大改造され、いっさいの悪人が焼き滅ぼされる時期がここ数年間に迫っていると信じ、その日のために身も心も浄めようとして神務に奉仕している人たちが、釜の中の薩摩芋の一片を争おうとしているのだった。

しかしそれが人間だったのだ。

人間の現実はかくのごとくあさましいものだったのだ。

どんなに最後の審判の日を眼の前に差しつけられて、改心しないと焼き滅ぼすぞと威脅(おど)されても善くなれないのが人間ではなかろうか。

わたしはますます憂鬱になり、淋しくなり、悲しくなり、神を信じていてわたしは喜べるどころか、いっそう悩ましくなるのであった。

5541a hope:2015/06/26(金) 09:30:58 ID:cEpBaIdo

>>5540 a hope所感)

この芋粥のくだりからは、雅春青年がどれだけ人間の現実に絶望されているかがよく伝わってきます。

まさに>>5529で島津さまがおっしゃっているような、雅春青年の悲痛な叫びが聞こえてくるようです。

そんな状態でも、雅春青年は女性にモテていらっしゃいます。

40歳を超えて処女だったというK女史は当時27歳だった雅春先生を運命の人(伴侶)だと信じて、
積極的に近づいてきます。

そして、もう一人の女性は、本当に生涯の伴侶となる輝子先生でした。

このあたりは、本当に良くできた小説を読んでいるようでとても興味深いです。


それにしても、大本教というのは、とんでもない世間騒がせな宗教だったのですね!

5542島津綾久・・・・・:2015/06/26(金) 09:59:47 ID:???



 この場面での絶望感ですが・・・・・誰しも似た経験があるんじゃナイでしょうかね。私も非常にたくさんのガッカリ、人生で味わいましたもんね。


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どんなに最後の審判の日を眼の前に差しつけられて、改心しないと焼き滅ぼすぞと威脅(おど)されても善くなれないのが人間ではなかろうか。わたしはますます憂鬱になり、淋しくなり、悲しくなり、神を信じていてわたしは喜べるどころか、いっそう悩ましくなるのであった。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


 そして、そうですね。ここからがいよいよ、雅春先生のお悟りに繋がっていくわけですが、「改心しないと焼き滅ぼすぞと威脅(おど)されても善くなれないのが人間」なんですよね・・・・・嗚呼、わかる(笑)わかり過ぎるオレ(笑)

 つづきも楽しみですね。




5543島津綾久・・・・・:2015/06/26(金) 15:55:11 ID:???



「改心しないと焼き滅ぼすぞ!」と威脅(おど)されても善くなれないのが人間・・・・・・ここが重要な点ですよね。ところで最近はFB上でも、メンタルケアの話題で持ち切りですけども「雅春先生とは段違い」なんですよね。その事に関して余談を。

 さて最近は、サラリーマンも経営者も疲れ切っていると見えて、「アメリカの経営者がやってる禅」とか「ヨガ」とか、けっこうそんな話題があがります。精神を病んで休業しているサラリーマンが大本営発表でも、14万人とかで、まあ、実数はその倍はいるんでしょうがそれは兎も角・・・・・・・「ああ!オレを救ってくれ!」な叫びは日本中に溢れてマス。本屋に行ってもそれは、よくわかりますよね・・・・(書棚に並んでいる本、ほとんどがメンタルケアですね。コンビニもそうですが)でもほとんどのアイデアって・・・・・


 「悪い自分をどう操作するか」


 という視点です。

 悪い自分をどう操作して、良くしていくのか・・・・・・そんなコンテストになってますね、我が国のこの分野は。あれを見ているともう、谷口雅春先生の偉大さですが、良く判ります。

 そうです、「脅迫されても善くなれない」んです、人間って。

 ・・・・・・仕事受注しないと会社は倒産だぞ!とか、リストラだぞ!とか脅迫されても人は、もう、動けないんです。そうですよね。


 ・・・・まあこの、現在のメンタルケア分野の情報に多々接するにつけ、「オレはラッキーだった」と思えます。30万だの100万だのの高額セミナーもありますが、経営者向けのそれらだって内実は、「悪い自分をいかに殺していくか。そして、如何に前向きになるか」、そんな話なんですからね。

 我々は本当に、恵まれてますよ。

 我々は谷口雅春先生を、知っているのですからね。





追伸

 ちなみにFB上で昨日紹介されたのが、「スティーブジョブスがやっていた瞑想法」(笑)これです(笑)英文でしたがまあ、アメリカでも「これは宗教ではないよ!」てなエクスキューズをバンバンしながら、勧めていくみたい(笑)やっぱ日本もアメリカも、一般人は宗教はキライなんですよね(笑)。宗教色を出さずにいかに、雅春先生を伝道していくか。ここが、非常に重要かもしれません。さらにちなみに、ジョブズの瞑想法ですが・・・・・・・そんなにスゴイとは感じませんでした。

5544島津綾久・・・・・:2015/06/26(金) 16:46:54 ID:???

 上げておきます・・・・・・。




5545島津綾久・・・・・:2015/06/26(金) 17:02:14 ID:???

 金曜日です。雅春先生の御文章を拝読し誌友会に参加ください。いや、もう、ホント・・・・・・世界最高の教えですよ。



5546トキ:2015/06/26(金) 19:35:19 ID:zN6IqBXI
 出口王仁三郎さんという人はすごく魅力的な人だったみたいです。
特別高等警察で大本教事件を担当した銅銀さんという刑事さんの回顧録には、
自分が取り調べた思想犯の中で、一番の大物だったと言います。

 少し脱線しますが、大本事件の後、出口王仁三郎の一族は世論の批判を浴び、
彼の孫が旧制中学の受験ができなかったそうです。それを見かねた銅銀さんが
東奔西走し、同志社中学への入学ができるうに取り計らったと言います。

 大本は、もともと、出口なおさんという女性が教祖です。出口王仁三郎さん
は別に教団を開いていたのですが、ご神示により大本に合流します。その後は
世界が滅びる、という予言で信徒を増やし、世間へ多大な影響を与えました。
これも、出口王仁三郎さんのカリスマ的な個性があってのことでしょう。

 これからの勉強が楽しみです。

5554トキ:2015/06/26(金) 21:15:32 ID:zN6IqBXI
失礼をしました。web誌友会の続きをお願いします。
なお、web誌友会と関係のない投稿は、別の場所でお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5555シャンソン:2015/06/26(金) 23:02:50 ID:qlRnzEq.

訊け氏は以前、ぼくはこれから雅春先生の御教えに沿った発言をしていきますと
いっていました。そのとき、私に対して、貴女も改心してといっていました。
 
 しかし最近では、私の独占部屋に入って来て、雅春先生を汚すなとか
いろいろ訳のわからないことを言い出し、絡んできます。
 トキ管理人の指示をよく読むようにといい、トキさんにも訊け氏を別の場所へ
誘導するようにお願いしましたが、いまだにスルーして訊け氏は傍流でも部室でも
うの話題について司会をしています。

 訊け氏の言動は上の「改心しないと滅ぼすぞ」とダブって聞こえます。
こういう人にどう応対すればいいのかわかりません。
 見識者の意見をお聞かせ願えれば幸いです。

 合掌 ありがとうございます。

5556神の子さん:2015/06/26(金) 23:11:22 ID:kEnG6jMo
現実の誌友会など用無しとして自己満足に特化した個人感想版に何云ってもダメです

あっという間に削除です

5557島津綾久・・・:2015/06/27(土) 08:20:12 ID:???

こちらには来ないでくださいね。

5558a hope:2015/06/27(土) 10:39:09 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p145 2行目〜

そこに漂う空気には純粋な宗教的信仰というよりも一種の自分の助かりたい打算があった。

その最後の審判というものには、日本対全世界の一大戦争を発端として、日本全土が敵軍に空襲せられ、その時に世界全地に大地震があり、飛行機より爆弾は火の雨と落下して日本全国がほとんど灰燼(はいじん)になるが、この綾部十里四方の上空だけは、神が守護していて飛行機を入れないから、この綾部の地だけは安全であり、その時の大地震にも綾部の十里四方は下津磐根(したついわね)と称して一枚岩であるから絶対安全地帯である。

大祓祝詞に「下津磐根に宮柱太しき建て、高天原千木高聳(し)りて」とあるのは、その時の予言であって綾部に一大神殿が建設せられ、日本国中どこもかしこも一時住むところがなくなるから綾部がいっさいの中心地となる。

この下津磐根の安全地帯へ逃げて来ている者は助かるが、その他の者はほとんど全滅する。

こういう功利的な意味で丹波綾部へ移住して来る者も多かった。


大本教の筆先の一部を引用して種々憶測を加えていろいろデマを飛ばすものが、あちらにもこちらにも出て来た。

根も葉もない事が現実味をもって伝えられ、大本教が世界を統一した後に現在大本教の功労者たる人たちは、イギリスの太守になるとか、アフリカの太守になるとか妙な功利的な利益を言い触らす者もあった。・・・(略)

5559a hope:2015/06/27(土) 10:40:17 ID:cEpBaIdo

>>5558 a hope所感)

大本教祖出口なお(出口直子)の「世界建て替え宣言」である筆先を信徒のそれぞれが勝手に解釈し、デマが乱れ飛び、
人々をパニック状態に落とし入れます。

その結果、その筆先を漢字混じりに書き直した執筆者として教主出口王仁三郎氏と、時の総務浅野和三郎氏等が起訴され、
本部のある綾部の地も包囲され家宅捜索が行われたとあります。

当時の雅春先生はご自分自身も綾部にいながら、そこで起っている異常な状態を冷めた目で客観視されています。
(つづく)

5560a hope:2015/06/27(土) 10:41:36 ID:cEpBaIdo
(つづき)

「生命の實相」第19巻 p147 4行目〜

(略)・・・わたしはそんな日が来ても決して大名にも太守にもなれないと思っていた。

そんな馬鹿らしいことは考えられなかったし、たといそんな馬鹿らしいことを想像しても、わたしはそんな資格があると思えなかった。

もし最後の審判がありとするならばその時綾部に集まっているすべての人が、わたしはとうていその審判を通過する資格があるとは思えなかった。

筆先の解釈の問題でさえも内部の人たちおのおのがその見解を異にして相争っていたし、信者たちおのおのは「信者の癖にこんなことをした、あんなことをした」と言っては互に悪口を言い、陰口をきいて相争っているのであった。・・・

5561a hope:2015/06/27(土) 10:45:02 ID:cEpBaIdo

>>5558 >>5560 a hope所感)

「生長の家」総裁・副総裁や本部職員の方々は「都会ではいけない」と都会を見棄てて田舎に移住され優雅な田舎暮らしを満喫されています。

<<そこに漂う空気には純粋な宗教的信仰というよりも一種の自分の助かりたい打算があった。>>???

(↑本部のみなさまの反論をお待ちしていますm(__)m)


そして、その方針についていけない信徒(本流)や、
ついていきたくても経済力がなくて田舎に移住できず取り残されている教団信徒たちは、

<<「信者の癖にこんなことをした、あんなことをした」と言っては互に悪口を言い、陰口をきいて相争っているのであった。・・・>>


わたしは、当時の大本教の異常な状態は、現在の「生長の家」の状態とよく似ているような気がします。

5562神の子さん:2015/06/27(土) 11:18:37 ID:kEnG6jMo
≪生長の家」総裁・副総裁や本部職員の方々は「都会ではいけない」と都会を見棄てて田舎に移住され優雅な田舎暮らしを満喫されています。≫

見てきたような嘘を言い の典型かな あなた生活してみて優雅と判断したのですか

≪ついていきたくても経済力がなくて田舎に移住できず取り残されている教団信徒たちは、≫

ついて行きたいけれど金が無いからあきらめたと、あなたに行った人がいたのですか。過疎の村ならいくらでも移住できますが

5563a hope:2015/06/27(土) 11:31:32 ID:cEpBaIdo
わたしは、反論にはお答えしたいと思いますが、
HNが神の子さんの投稿にはいっさいお答えするつもりはありません。

これから、出かけますので正式な反論をいただけたなら夜にお答えします。

よろしくお願いいたします。

5564神の子さん:2015/06/27(土) 13:11:06 ID:C0U.LZaQ
≪生長の家」総裁・副総裁や本部職員の方々は「都会ではいけない」と都会を見棄てて田舎に移住され優雅な田舎暮らしを満喫されています。≫

見てきたような嘘を言い の典型かな あなた生活してみて優雅と判断したのですか

≪ついていきたくても経済力がなくて田舎に移住できず取り残されている教団信徒たちは、≫

ついて行きたいけれど金が無いからあきらめたと、あなたに行った人がいたのですか。過疎の村ならいくらでも移住できますが

5565a hope:2015/06/27(土) 20:03:53 ID:cEpBaIdo

>>5561には不適切な表現がありましたm(__)m

以下の文章に訂正させていただきます。


>>5558 >>5560 a hope所感)

「生長の家」総裁・副総裁や本部職員の方々は「都会ではいけない」と都会を離れて田舎に移住されています。

<<そこに漂う空気には純粋な宗教的信仰というよりも一種の自分の助かりたい打算があった。>>???

(↑本部のみなさまの反論をお待ちしていますm(__)m)


そして、その方針についていけない信徒たち(本流関係の方々や、教団にいても本部の方針には賛同できずにいられる方々)は、

<<「信者の癖にこんなことをした、あんなことをした」と言っては互に悪口を言い、陰口をきいて相争っているのであった。・・・>>


わたしは、当時の大本教の異常な状態は、現在の「生長の家」の状態とよく似ているような気がします。


↑あくまでも a hope個人の感想です。

5566神の子さん:2015/06/27(土) 20:21:01 ID:f6iBwf1Q

>>5561には不適切な表現がありましたm(__)m  以下の文章に訂正させていただきます。

返事もしたくない人間から指摘されたからと云って、表面を取り繕っても、初めに書いたものがあなたの本心でしょう。それが

≪そこに漂う空気には純粋な宗教的信仰というよりも一種の自分の助かりたい打算があった≫という表現はそのままにしているということでしょう

そんな偏った観念から聖典を読んで何になるのでしょう

まぁここはあなたの好き勝手に書いてよいところだから構わないけれどね

5567a hope:2015/06/28(日) 00:58:25 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p170 後から5行目〜

宗教というものは大きくなればなるほど、だんだん穢(きたな)くなりやすいものである。

わたしが皇道大本の土を踏んだ時には、大本教には献金取り扱い所というものはなかったが、そのころになっていつの間にか、「献金取り扱い所」と書いた大看板が門前に吊り下げられた。

わたしはそんなものを吊り下げておいたならば、いかにも献金せよと参拝者の心に強いることになり、献金しなければきまりが悪くなって、心ならずも献金する人がでて来、集まってくる金が浄財のみとはならないから、そういう看板を出すことには神業に不純なものを交えることになって、かえって神業を妨礙(ぼうがい)することになると主張したが、老年の幹部たちはわたしの説を採用しなかった。

5568a hope:2015/06/28(日) 00:59:56 ID:cEpBaIdo

>>5567 a hope所感)

>>5543 で 島津さまが、

<<アメリカでも「これは宗教ではないよ!」てなエクスキューズをバンバンしながら、勧めていくみたい(笑)やっぱ日本もアメリカも、一般人は宗教はキライなんですよね(笑)。宗教色を出さずにいかに、雅春先生を伝道していくか。ここが、非常に重要かもしれません。>>

とお話されていますが、わたしは宗教が嫌われる原因の一つには使い道の明確にわからない「献金」を強要されることもあるからだと思います。

「生長の家」でも「聖使命会費」というのがありますが、現教団はその信徒の浄財を正しく使ってくださっているのでしょうか?

なんか、大本教のことを学んでいると、現教団とダブって見えてきてしまってついつい批判する心が出てきてしまいますね ・・・ 反省 反省 💦

5569神の子さん:2015/06/28(日) 10:37:51 ID:f6iBwf1Q

≪心ならずも献金する人がでて来、集まってくる金が浄財のみとはならないから、そういう看板を出すことには神業に不純なものを交えることになって、かえって
神業を妨礙(ぼうがい)することになると主張したが、老年の幹部たちはわたしの説を採用しなかった。≫ 

≪「生長の家」でも「聖使命会費」というのがありますが、現教団はその信徒の浄財を正しく使ってくださっているのでしょうか?≫
====================================================================================================================================
「聖使命菩薩讃偈」に聖使命を感得しとうたわれていながら雅春先生在世の時から腹の中の赤子から幼稚園小学生まで、また本人が何の関心もない子供たちを
聖使命会員として受け付けていた。法匡に精魂を奉安し聖経を読んでもらえば運命がよくなる、という信徒の欲望を満たすことで会員が増えているかのように
なっているが一人で10以上もの会費を払っているのだから、その中心者が止めればがくんと会員が減るのは道理です。

組織としては雅春先生も教団を純粋な神の組織として運営できていなかった。そんな中で集めた金で作られたものも純粋性に関して疑問が残るでしょう。
望みがかないますというニンジンをぶら下げて、信徒の欲望と二人三脚で大きくなったのが生長の家と云うことでしょう。

これが私の感想です

5570a hope:2015/06/28(日) 13:37:06 ID:cEpBaIdo

今、本流復活の掲示板の一つである「谷口雅春先生に帰りましょう」を拝見していましたら、
コスモスさまの投稿が目に留まりました。

ちょうど、献金についての話題でしたので紹介させていただきます。

http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=15378004


谷口雅春先生時代の献金には、「自分の聖使命会員となり人々の魂を救い人類を光明化するんだ!」
という「魂の大きな喜び」があったのだと思いました。

ですが現在は、人々の魂の救いより、現象の地球を救う運動への献金が主になっているようです。
だから、現教団への献金は、魂の喜びにつながらないのだと思いました。

「三界唯心所現」の真理から考えても、人間の魂を浄めれば現象の地球も浄まるのだと思うのですが・・・。

コスモスさまのご文章からは、教区の信徒さんたちの苦悩が伝わってきます。

5571神の子さん:2015/06/28(日) 18:28:02 ID:kEnG6jMo
≪ですが現在は、人々の魂の救いより、現象の地球を救う運動への献金が主になっているようです。
だから、現教団への献金は、魂の喜びにつながらないのだと思いました。≫
================================================================================================================
根本的に考え方が間違っていると思います。『生命の實相』一巻P4に
「われわれが生命を礼拝し、こうした「生命」の法則にしたがって生活することを目標においていますのは、われわれがこの世界に「生命」享けてきた事実から
出発するのでありまして事実ほど力強いものはないのであります。」とあります。

肉体人間と見えるままに生命そのものである、と同様に、自然と云うものが単なる物質の環境などというものでなく、生命として存在しているのです。
その生命が人間の欲望の犠牲となっている、その生命を大切にし共存を図ることは、とりもなおさず大調和の神示の実践そのものなのです。

現教団への献金が魂の悦びになっていない人は、個人の生活が改善されることを以て救いと考える、エゴの感情の抜けていない人の事であると思います。
自然界の生物の命とわが命が分かち難き一体のものと思える人にとっては、個人の悲しみと自然の悲鳴は一つです。
現象の地球を救うことが可笑しいというのであれば、個人の苦しみを救うのも可笑しいということになります。

5572a hope:2015/06/29(月) 09:56:30 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第19巻 P172〜

十三

恐怖の宗教は人を迷いに導き、そのあげくの果てには人を病気に突き落とすものなのである。

5573a hope:2015/06/29(月) 09:57:37 ID:cEpBaIdo

>>5572 a hope所感)

よく本流の先輩方は 教団が左翼化していると指摘されていますが、
右翼支持の方々から見れば『左翼に片寄る宗教』は、「恐怖の宗教」に見えるでしょうし、
左翼支持の方々から見れば、『右翼に片寄る宗教』は「恐怖の宗教」にみえるのかもしれません。

本来の「生長の家」は、右翼でもなく左翼でもない『中道の宗教』であるとわたしは信じています。

5574a hope:2015/06/30(火) 08:52:47 ID:cEpBaIdo
 
「生命の實相」 第19巻 p178 7行目〜

わたしは心臓病の医学書を読んだお蔭で、妻の病気を機構的に物質的な故障で、自療力では治らない固定したものだと思ったから、その得るところは不治症だという恐怖観念だけであった。

それは天地に慟哭したいような悲しみであった。

結婚後まもなく、わたしの妻は一生治らないような病気に罹ったのである。

病床の妻の寠(やつ)れた顔を見つめているとひとりでに涙が滲み出て来るのであった。

「泣くな。そんなに泣くと僕はいっそう悲しくなる。」わたしはこう言いながら蒲団の上に倒れかかって泣いた。――

なんと愚かなわたしであっただろう。

今なら神罰のないことも、病気の本来無いことも知っている。

そして病気を眼の前にしても、病気を見ないで、本来円満完全なる実相を見るべきを知っている。

だからこんなに恐れはしなかっただろうが、大本の教義に浸っていたそのころのわたしは人間の本来完全なる実相というものを知らなかったので恐れるほかはなかったのであった。

そのころの大本教でも、人間は神より与えられたる直霊(なおいのみたま)というものを授かっていると説いてはいた。

しかしその直霊を汚してしまってこんなに悪の世を招来したのであるから、神が神力、暴力、強制力で地震、雷、火の雨降らしてその汚れた霊(たましい)を一掃するのだというのだった。

それは悪がそこに現実にあるということを肯定し、その現実にある悪を勦滅(そうめつ)するには現実的な強制力を必要とする。

そして善なること能わざる「自分」たちこそは、その強制力によって勦滅されるはずの「現実にある悪」の一種であった。

そして、その動機の一過程として今ここの病気というものが出現していると思うとき、わたしは恐怖せざるをえなかった。

5575a hope:2015/06/30(火) 08:56:39 ID:cEpBaIdo

>>5574 a hope 所感)

<<それは悪がそこに現実にあるということを肯定し、その現実にある悪を勦滅(そうめつ)するには現実的な強制力を必要とする。
そして善なること能わざる「自分」たちこそは、その強制力によって勦滅されるはずの「現実にある悪」の一種であった。>>

この大本教の考え方って、「自然破壊する人間を悪」と見る雅宣先生の考え方によく似ていると思います。

そして現教団の「現実的な強制力」とは、森への移住、ソーラーパネルへの募金、ノーミート等にあたり、
それを実行しなければ、「人間は浄まらない」と教団信徒は脅されているような気がしているのではないでしょうか?

※ ↑ これも a hopeの個人的見解です。
わたしはHN「神の子さん」の投稿は同一人物であるのかも分からず混乱するので、一切拝読していません。

不変のHNをご用意くだされば、反論には誠実にお応えするつもりです。

5576島津綾久:2015/06/30(火) 09:03:25 ID:???


>>5574

 どうしても、こうなっちゃいますよね。いや、市販の宗教書(仏教でも基督教でも)を読んでいるとその、「若き日の雅春先生みたく」なって仕舞うと思います。ホントにそれは、恐怖ですよね。

 恐怖、ああ、恐怖・・・・・恐怖に駆動せられる人生。

 ・・・・恐怖感はあるのだ、それは神が人間に気付きを与えるためだ、恐怖感は必要なものだ、神が悪魔と戦い負けることもあるのだ、恐怖は強い実在だ、そんな解説を聞いて人は頑張れるものでしょうか。少なくとも私には、ムリでしたね(人生経験からそう云えますね)。そこで行くと谷口雅春先生ですが・・・・・・もう、本当にすごいです。

 さて、いよいよ明日からは20巻ですね。あの、ハイライトシーンへと繋がって参ります。雅春先生と一緒に感動をしたいものです。



5577神の子さん:2015/06/30(火) 11:46:12 ID:kEnG6jMo

『生長の家の食事』

而して一杯の飲料を手にしてはすべての人の罪をこの水の如く吾が心より洗い流して心にとヾめざらんがための象徴と思ひて飲め・・・・・
すべての他の人の罪を許すは、吾らの過ちをも亦大生命なる神より許されんがためである。・・・
      
  これは『七つの灯台の点灯者』の神示(昭和六年九月)に先立ち昭和五年十一月に降りたものです。この神示の実践なくして
  なんの生長の家でしょう。「汝らのうち罪なき者この女を打て」のキリストの戒めを実践している人はいるのでしょうか。

  かろうじて岡講師にのみ私は見ます。『「見ゆる」という罪が残る』とのキリストの言葉に反せず生きたきものです。

5578a hope:2015/06/30(火) 14:13:36 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p187 後から7行目〜

天香氏のような弱者に対する憐憫感と、他を凌ぐことに対する罪悪感との深き人が、微生物に対する憐みの感じを忘れてしまっていられるとはわたしは思いたくなかった。

氏は人間の生存の条件として不可避な多くの微生物の犠牲にはやくも気づいていられないはずがない。

ただ氏はまったく犠牲なき生活に――否それは生活でなくして自己の死滅より他はないが――入るよりも先に、自己の生存において少しの犠牲の出ずるのを忍びつつも、生命全体の上から観て、宇宙全体の上から観て、犠牲の総量をなるべく少なくならしめんがために、ありうる犠牲の極小なる生活の範例を示すべく生きながらえている種類の人ではないだろうか――わたしはかく考えることによってのみ慰められたのであった。

5579a hope:2015/06/30(火) 14:15:36 ID:brQxC10.

>>5578 a hope所感)

<<ただ氏はまったく犠牲なき生活に――否それは生活でなくして自己の死滅より他はないが――入るよりも先に、自己の生存において少しの犠牲の出ずるのを忍びつつも、生命全体の上から観て、宇宙全体の上から観て、犠牲の総量をなるべく少なくならしめんがために、ありうる犠牲の極小なる生活の範例を示すべく生きながらえている種類の人>>


わたしは、雅宣先生や純子先生の森でのエコ生活は、この天香氏の生き方(雅春先生の考察による)によく似ていると感じました。

現教団の方針は一方で人間の自然破壊を非難しながらも、
一方では大量の木材を伐採し動物たちの住みかを奪い「森のオフィス」建築し、
今そのリサイクルが問題となっている太陽光パネルの設置を次々にするなどして、
少なからず自然破壊に手を貸してしまっている結果になっているのだと思います。

この後テキストには、天香氏の弟子たちが谷口夫妻の住居の庭や便所を「一燈園」の奉仕の精神で自分勝手に掃除していった結果、
谷口夫妻は非常に嫌な思いをされたというエピソードもあります。(p189)

このことでもわかりますが、現象問題に対応する運動はどんな運動にしても、
人それぞれの立場や考え方に相違があるために、完全にうまくいくということは在り得ないのだと思います。

ですからそのことからも「生長の家の運動」は「人間の無罪・人間神の子」の真理を伝える「人類光明化運動」でなければならないのだと思います。


ところが、>>5576で島津さまがご投稿をしてくださっていますが、若き日の雅春先生も、実はそのことには気づかれていないのですよね。
テキストの文章からは、若き雅春先生が現象の悲惨さに打ちひしがれて、苦悩の毎日を送っておられるようすがよく伝わってきます。


ところで、早いものでもう明日からは7月に入るのですね(◎_◎;)
第35回web誌友会は続行しますが、第19巻が終わり次第、テキストは第20巻に移っていきたいと思います。

みなさまのご参加をお待ちしています!

5580a hope:2015/06/30(火) 14:26:13 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第35回 web誌友会 案内 

期間   6月1日〜7月31日まで
テキスト 「生命の實相」第19巻 自傳篇上  第20巻 自傳篇下/聖詩篇
内容  神示を受くる迄〈上〉 神示を受くる迄〈下〉 生長の家の歌
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5581神の子さん:2015/06/30(火) 14:38:14 ID:C0U.LZaQ
https://www.youtube.com/watch?v=Uhr0bKwudOs&amp;list=PLLbT7f5WbajLSJgga9Tg21fPpllFETNMI&amp;index=41

この一分二十秒あたりに九州大宰府跡が出てきます。結構な山の中ですね。今の交通機関で行くのではなかった昔の大宰府
菅原道真が島流しにあったかの思いを持ったのも宜なるかなです。

「東風吹かばにほひをこせよ梅花主なしとて春を忘るな」  「東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」

日蓮の身延、道元の越前永平寺、空海の高野山、最澄の比叡山、抜隊得勝の甲斐の塩山の向嶽寺、生長の家の九州総本山、
当地の奥山方広寺、秋葉山本宮秋葉神社(創建は和銅2年西暦709年)などは市外から其々30キロ40キロ程あります。

徒歩ですべて移動する時代に夫々参詣なり修行なりの参加は大変なものが在ったでしょうし、結構な山の中人里離れたところが多かった。
今よりはるかに人の数の少ない時代の話です。人を救い信者を増やすという事でしたら、市街地に拠点を据えるのがいいのに、なぜ山奥に拠点を据えたのでしょうか。
山に行くのがそんなに悪いのでしょうか。本山で雅春先生指導で錬成が行われるが、徒歩参加者のみとすると云われて何人の人が参加するでしょうか。

5582島津綾久:2015/07/01(水) 09:09:26 ID:???

 昨夜『生命の實相』20巻を読了しました。やはり、おもしろい!この巻は!




5583島津綾久:2015/07/01(水) 09:21:38 ID:???


 カンタンに云えば「高学歴ニート」なんですよ、雅春先生は。もう、カッコイイ事言いながら「生活力はナイ」と云う、ね。それである日養父から、強烈なことを云われちゃいます。「オマエ」と。

 「オマエは清貧だ、人類救済だと誇っているがそのために、年老いた親(養父)はオマエの生活を支えねばならん。我利我利亡者になった。」

 と・・・・・・・・・

 さらにはそんな、生活を支えてくれる養父から、孫(恵美子先生)を取り上げるんです。「近づくな」と・・・・・・

 いやーホント、雅春先生はスゴイです。

 こんなところにまで堕ちておられたからこそ、その後があるんですよね。「信仰と経済の両立」です。そしてこんな、高学歴ニートな時代を反省して編み出されたのが、雅春先生の真理です。これだから世の経営者も、「うん!」と唸るのだと考えます。いや、清貧って・・・・・・・そんなに偉いですか?宗教関係の方(笑)私は商売人だからか、そうは思えナイ(笑)。¥がアルからこそ、人も救えるのです。雅春先生の教えは「その辺の人生の機微を外していない」のであって、その点も特筆されるべき点かと考えました。




追伸

 夢の中の「神と雅春先生の対話」ですが・・・・・・・・ここが、強烈。

5584トキ:2015/07/01(水) 21:43:20 ID:.V9mWP8Q
>>5583

 そうなんです。家でお祈りをしているだけならともかく、
実際に世のため、人のためを考えると、お金の大事さは痛感しま
す。世間にはお金がなくて困っている人がたくさんおられます。
そういう人の痛みや苦しみがわかって、はじめて人の痛みがわか
るのだと思います。

5589島津綾久:2015/07/02(木) 10:45:21 ID:???

若き日の雅春先生念波は、ダメ人間を引き寄せますね。

5591a hope:2015/07/02(木) 12:09:13 ID:cEpBaIdo

みなさま こんにちは

今日は久しぶりの平日のお休みなので朝から家のお掃除を頑張っていました💦


ところで、web誌友会板への書き込みの件ですが、わたしは管理人ではないのであまり口出しはしたくないのですが、
テキストの内容と全く関係のない書き込みは、こちらへ書かれるのはご遠慮願いたいです。

また、運営に関してのご意見等は、別板の運営/方針板に書いてくださればわたしもお返事させていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。


ところで、本題ですが、

19巻の終わりから、20巻の始めにかけて雅春先生がお悟りになる前にかかれた「聖道へ」が掲載されています。

わたしはこの文章は、どうしても気持ちよく拝読できないのです。

冗談だと思いますが、>>5589で島津さまが、

<<若き日の雅春先生念波は・・・以下略>>

と発言されていますが、そういうことは本当にあるような気がします。

この「聖道へ」を拝読してると、わたし自身がどんどんネガティブな方向へ導かれていく感じがするのです。


ですが、この「聖道へ」は雅春先生が「唯神實相」の悟りに至るまでの心的過程がわかるので、
とても重要な箇所なのですよね・・・(-_-;)


訊けさま、「聖道へ」の部分だけでもいいので、代わりに司会進行をお願いできませんでしょうか・・・?

もちろんわたしもできるだけ参加させていただきますが・・・。

いかがでしょうか?

5592島津綾久:2015/07/02(木) 13:23:09 ID:???
司会をするのは構いません。

ただし案外、激務だったりします。ゆる〜い感じで司会するんだったら、受けます。

5593a hope:2015/07/02(木) 14:23:38 ID:cEpBaIdo

>>5592 島津さま

ゆる〜い感じでいいのではないでしょうか・・・?

わたしも、書き出すと止まらなくなる時もありますが、
このweb誌友会の司会は、結構ゆる〜く楽しみながらやらせていただいています。

なんといっても「生命の實相」を学べるという喜びに勝るもの他にはありませんから・・・

ですが、わたしはこの19巻、20巻前半と9巻、10巻の霊界篇だけは苦手なのです。

今回、19巻は頑張りましたが、「聖道へ」だけはどうしても読めないのです。
その波動が、雅宣先生の文章に似ているような気がします。

島津さまのペースでかまいませんので、今月いっぱいの司会進行をお願いしたいです。

トキさま、勝手にお願いしてしまいましたがよろしいでしょうか?

5594島津綾久:2015/07/02(木) 15:53:28 ID:???


 『聖道へ』は確かに、気分の悪くなる書です。特に『生命の實相』を読了した方ならば、尚更です。雅春先生は『神を審判く』を執筆されますが、同書の元となったのが『聖道へ』ですものね。まあ、神はイルけど、救ってくれるとは限らないよ・・・・・そんな、「人類への死刑宣告」(※)めいた書なんで、a hopeさんは気分を悪くされると思います。

 でも・・・・・・「でも」な話を以下。

 でも、読んで頂きたいんですがね(笑)

 いや、この、『聖道へ』を読まれずにクライマックスを迎えられるのはたとえば、「桶狭間の困難を読まずに信長伝を読むようなもの」ですし、月9ドラマに譬えれば男女の危機の巻を視聴せずにいきなり、最終回を見るようなモノです・・・・・・もったいない、そんな感想は持ちますかね。

 とは云え、確かに、気分の悪くなる書です。特に『生命の實相』を読了した方ならば、尚更です。『聖道へ』は無明縁起説なんでして、雅春先生の御主張は(あくまでもこの時点は)「人間は救われるかどうかは決まっていないよ」というモノです。かなり売れて印税は入ってきた『聖道へ』ではございましたが、雅春先生の心中はまったく晴れていなかったのも、ムベなるかな・・・・




<註>

※ 「人類への死刑宣告」な『聖道へ』

 死刑宣告とまで書いちゃいましたが、とは云え同書にも後の聖典のもととなる思想も認められます。たとえば実相を「本質」と『聖道へ』内で書かれて雅春先生は、一元の神までは肯定しつつあったんですよね。その事は認められます。ただし、この時代の雅春先生は「善一元の神」までは未だ、御認めになられておられませんよね。死刑宣告は大げさかもしれませんが、まあ、この時代の雅春先生の思想は「無明縁起説」といえましょうか。

5595島津綾久:2015/07/02(木) 16:04:41 ID:???


 ・・・・・と、云うことでダメ人間大歓迎です。キャバクラ狂いが止まないであるとか、仕事の最中に高校野球を観戦しに行っちゃうとか、女性を見ると触りたくなるとか・・・・・そのようなダメ人間。大歓迎。

 一緒に聖典を読みましょう。

 なにせ、先生が素晴らしい。

 我々の先生は、ダメ人間界での「最高の出世頭」です、そう、最高レベルの元ダメ人間「谷口雅春先生」のご著書なんです(笑)。もう、ダメ人間のために書かれた・・・・・・そう云っても過言ではナイですし、最高の書です。・・と、云うことでダメ人間大歓迎です。一緒に聖典を読みましょう。





5596a hope:2015/07/02(木) 21:02:49 ID:cEpBaIdo

>>5594 島津さま

やはり、「聖道へ」は読んで気持ちの良くなる文章ではないですよね(;´∀`)

わたしは以前、雅宣先生の文章を読んで気持ちが悪くなると発言してどなたかに批判されたことがありますが、
たとえ雅春先生のご文章であっても、それが現象や悪を認めるという「迷い」から書かれた文章であればわたしは気持ちが悪くなるのです。

ちなみに、破邪顕正さまやトンチンカンさまの「総裁や教団へのご批判文」も拝読するととても気持ちが悪くなります。

わたしは、他の人よりも波動に敏感なのでその違いが身をもってわかりますが、
普通の体質の人はそのことには気がつかないまま運気を落としていくのではないかと思います。

今回、雅宣先生の祈りの入ったお経ができたそうですが、読誦しない方が身のためだと思います。

祈りの言葉やお経などは、唯神実相を確実に悟られた方が書かれたものでなければ、百害あって一利なしだと思います。

すみません、今日は少し酔ってますので、言いすぎたかもしれません。
ですが、これはわたしの正直な感想です。

5597神の子さん:2015/07/03(金) 00:47:27 ID:C0U.LZaQ
わたしは以前、雅宣先生の文章を読んで気持ちが悪くなると発言してどなたかに批判されたことがありますが、
それが現象や悪を認めるという「迷い」から書かれた文章であればわたしは気持ちが悪くなるのです。

ちなみに、破邪顕正さまやトンチンカンさまの「総裁や教団へのご批判文」も拝読するととても気持ちが悪くなります。

今回、雅宣先生の祈りの入ったお経ができたそうですが、読誦しない方が身のためだと思います。
********************************************************************************************************************
なんと身びいきな発言でしょう。【現象や悪を認めるという「迷い」から書かれた文章であればわたしは気持ちが悪くなる】
あなたがああだこうだと批判的な発言をする対象は、現象でありあなたにとって悪と思われるものでしょう。
現象無しの心の人がなぜ現象に心が影響されるのでしょう。癩病で膿みただれた人の頭を剃って坊主にした、その手を洗うべくお付の者が早々と
手洗い水を用意したところ、お前のその嫌う心の方があの癩人より汚いと云ってその水を使わなかった。また癩病の乞食が時々来た時に周りの人は嫌な気色を
漂わすが、その坊さんはいつも自分の鉢で飯を恵んだそうだ。

5598島津綾久:2015/07/03(金) 07:33:28 ID:???

>>>癩病で膿みただれた人の頭を剃って坊主にした、その手を洗うべくお付の者が早々と
手洗い水を用意したところ、お前のその嫌う心の方があの癩人より汚いと云ってその水を使わなかった。また癩病の乞食が時々来た時に周りの人は嫌な気色を漂わすが、その坊さんはいつも自分の鉢で飯を恵んだそうだ。<<<

 そうなんですか、そのレベルまでを相手に、お求めなのですね。




追伸

 現象や悪を認めるという「迷い」から書かれた文章であればわたしは気持ちが悪くなる ―― 学習途中にある者はこんな段階、普通にあるのではないでしょうか。そして、それをいきなり上記のレベルを提示されて「ダメだ!」と申される貴殿は、相当にご立派な方だとお見受け致します。たとえば当方が「造化の三神へのレス」をしたとしても、貴殿はその、〝癩病の乞食〟的なレスに対しても、さぞ、丁寧な返答を心がけておられる御仁なのでありましょう。素晴らしいですね。

5599神の子さん:2015/07/03(金) 08:21:42 ID:C0U.LZaQ

今回、雅宣先生の祈りの入ったお経ができたそうですが、読誦しない方が身のためだと思います。

祈りの言葉やお経などは、唯神実相を確実に悟られた方が書かれたものでなければ、百害あって一利なしだと思います。
******************************************************************************************************************
このような感想を書くような方向に進むのが可哀そうなだけです。

5600現役:2015/07/03(金) 12:40:39 ID:???
ちわ (^^

a hopeさんを支持します

全体主義みたいなのイヤだな〜

5601神の子さん:2015/07/03(金) 14:34:02 ID:C0U.LZaQ
5600さん

信仰に全体主義なんてものが在るのですね 初耳です

永遠の我と云う唯一つの存在があると云われていると思っていましたので

5602現役:2015/07/03(金) 16:08:30 ID:???
みたいなの…と言いました
めんどくさいな

5603神の子さん:2015/07/03(金) 16:57:17 ID:kEnG6jMo
じゃさっさと教団止めるのだね、信仰は自由だし虚説の所にいても仕方ないでしょうから。
講習会に出る人の半分が今の教えでいいとするとどれだけいるのでしょうか?
その人達は虚説を信じていて、百害あって一利ないお経を読む人たちだそうですから。

5604島津綾久:2015/07/03(金) 20:03:40 ID:???

 少し誌友会テーマからははずれますが、さすがに「百害あって一利なし」とまでは思いません。そして「一利なし」は同意しますが、総裁の新聖経ですが、無害ではあろうかと・・・・・内容未確認ながら雅宣総裁ですけれども、「そこまでアホではない」です。(アホなのはあの「造化の三神」解釈くらいです・・・・・あれは、アホです。ですが、それ以外は特に問題点はナイです、あくまでも思想的にはね)

 まあ、これが私見なんですけれども、特に本件へのレスは不要です。



追伸

 まあ、やや拡大解釈ながら雅宣総裁ですがひょっとすると・・・・・・・『聖道へ』執筆時の雅春先生なのかも、しれませんね。『聖道へ』当時の雅春先生ですが、「異常なくらいの肉食忌避者」です。関東大震災の避難所暮らし時代、隣人が差し出したパンですが「それにバターがついていた」という理由で、食べませんでした。「私は動物への愛を持ってはいたが、なけなしの食糧を恵んでくれた人間への愛に欠けていた」と述懐された、雅春先生です。ひょっとすると、ですが雅宣総裁は・・・・・・『聖道へ』執筆時の雅春先生なのかも、しれませんね。(総裁の全著作を拝読して後、本来、云うべきことながら)

5605島津綾久:2015/07/03(金) 20:18:07 ID:???


 >>5604補足

 で、「それじゃ雅宣総裁はいつ『雅春先生化』するのよ?」とか聞かれそうですが、『生命の實相』20巻から判断するに、

 「経済問題で苦しんでから」

 とかに、なるんでしょうかね・・・・・・・・・いや、まあ、半分冗談ですが。

 で、半分はホンキで云っているんですが、「雅春先生にあって、雅宣総裁にナイもの」って、貧乏体験だと思うのです。青臭いことを言いながら、それでいて「生活面では養父に頼り切りだった」雅春先生はその後、猛反省します。猛反省したのち「信仰と経済の両立」を実現なさいますが、果たして?雅宣総裁は、いかに・・・・・・・

 ・・・・・・青臭いことを、言いまくっておられますが(笑)それは、信徒という養父があってのことでは?ございませんこと、雅宣総裁。

 ・・・・・・雅春先生は養父に経済的な迷惑、かけていることを恥じておられました。そしてついに、『生命の實相』が生まれます。雅宣総裁は、恥じておられますか。いや、地方の教化部に行ってご覧になれば明らかなように、総裁の生活を支えるために信徒は、もう、我利我利亡者になってますよ。「オマエは人類救済とかご立派なことを云っているが、お前の生活を支える我々養父母はガリガリだ」・・・・・・・・・・これ、養父から雅春先生に浴びせられた一言でした。

 さて、雅宣総裁やいかに。



5606島津綾久:2015/07/03(金) 20:23:39 ID:???

<総裁への問いかけ>

 (『聖道へ』執筆時の)雅春先生は、養父がいたからこそ「青臭いことが言えて」ました。さて、総裁先生、あなた様は・・・・・・・・信徒という養父なくして果たして、現在のような青臭いこと(=環境問題w)言い続ける自信はございますか?

 もしも「ある」がご返答でしたらどうぞ、そのまま邁進くださいませ。そして信徒という養父に向かって、「あなたのサポートは不要であります」と宣言なさい。それならば、カッコイイですよ、マジで。



追伸

 でも、「太陽光発電を作りたい!」なんてこと、言ってんなら「自分のカネでおやんなさい」な(笑)もう、オトナなんだから(笑)恥ずかしいぜ?養父(=信徒)の懐頼みの「環境路線」なんて(笑)

5607a hope:2015/07/03(金) 23:09:52 ID:cEpBaIdo

>>5604 島津さま

<<少し誌友会テーマからははずれますが、さすがに「百害あって一利なし」とまでは思いません。
そして「一利なし」は同意しますが、総裁の新聖経ですが、無害ではあろうかと・・・・・>>

たしかに、総裁の指導内容に賛同されている方々には外見上は無害なのではないかと感じています。

今回、島津さまは総裁の環境運動をご批判されていますが、
その教義内容に関してはほとんど疑問をお持ちではありませんでしたものね。

ですが、島津さまは「一利もない」ということはお認めになっていらっしゃる。

だったら、信徒の浄財から「一利もない」経本の出版費用が少なからず出ていることや、
教団の信徒が毎日「一利もない」お経を時間をとって拝読するということに関してはどうお考えでしょう?

わたしは、それこそ浄財の無駄遣いであり、時間の無だ遣いであると感じてしまいますが・・・。

わたし個人的な意見としては、今回のお経を「甘露の法雨」の代わりに「先祖供養」のために読誦したら、
百害どころではすまないのではないかと恐怖感すら感じています。


ですが、この件に関して、島津さまと議論するつもりはありませんので、このお話はこれで終らせていただきますね。


その件以外の>>5604〜5606の島津さまのご意見には、心より賛同させていただきます。

生活に追われている一般人からみれば、雅宣先生の環境運動は、ボンボンの道楽ボランティアにしか見えませんものね(-_-;)。


わたしは総裁先生からは、

「そんな、生半可な気持ちでやっているんじゃない!
自分は地球救済のために命がけでやってるんだ!」

みたいな反論を期待してしまいますが、もしそうであれば、わたしも島津さまと同じことを総裁に問いかけたいです。


<< (『聖道へ』執筆時の)雅春先生は、養父がいたからこそ「青臭いことが言えて」ました。
さて、総裁先生、あなた様は・・・・・・・・信徒という養父なくして果たして、
現在のような青臭いこと(=環境問題w)言い続ける自信はございますか?

 もしも「ある」がご返答でしたらどうぞ、そのまま邁進くださいませ。
そして信徒という養父に向かって、「あなたのサポートは不要であります」と宣言なさい。
それならば、カッコイイですよ、マジで。>>

5608「訊」:2015/07/10(金) 10:09:21 ID:???

うん、考えるば考えるほどこのテーマは面白いです。養父や信徒なくして青臭いこと・・・・・・言い続けられるものか?

5609北斗のけん:2015/07/10(金) 15:07:23 ID:WZEY5Q7A
島津さま
私にレス下さってましたね。
「自分の国のことは一番すごい国の思うことは自由。ただ、他の国の人にそれを強いるのは、ダメ。。こんな内容)
有り難うございます。
いつもレスに、きずかず色んな方々に申し訳ない思いです。
それで、島津さまの意見に「なるほど、なるほど」です。
他の国の人にまで強いたら、ある意味「ナチス」じゃねえの。?って、うそですよ。言い過ぎですね
ただ、タイのひととしゃべる機会がありましたとき(その人は日本好き)
「日本は、他の国より色んな面で、優れてるし、進んでるし、キチンとしてるし、ほとんどの面で一歩も二歩も抜きん出てる。やっばり先進国だね」こう言ってくれたらしいですよ。
京都も選らばれたし。
やっばり、優れた国の方に入ってる感じで嬉しいですね。

5610北斗のけん:2015/07/10(金) 15:24:16 ID:WZEY5Q7A
A hopeさま
総裁は、あんまり、真理を解ってないのでしょうか?
或はそこまで真理に興味がないのか?宗教っぼいのが嫌なのか?
実は総裁は
環境の事にも、そこまで興味ないのかもね。何かしら「総裁としての、これっちゅう何か」 を出さないといけない。と、思って、でも真理はもう嫌だし。それで、総裁にとって少しはその方面(環境)の知識があって、世のためになってる感じのする、体裁のいい「環境問題」に 取り組んでるような様をみせてるのかな?「どうだ!私も中々やるだろ!」
ってさ、
あれ、すごいメチャクチャな文で分けわかんないですね。

5611島津綾久:2015/07/10(金) 16:21:01 ID:???
>>>他の国の人にまで強いたら、ある意味「ナチス」じゃねえの。?って、うそですよ。言い過ぎですね<<<


 言い過ぎではナイですよ。他国へ価値観を強いるのはナチスですし、USAですよ(笑)。そして、かつての大日本帝国がそうですよ。

 八紘一宇に賛同しないヤツを「アジア人じゃねー!」なんて言って罵倒して、ガンガンに好き勝手を、ヤッちゃいました。軍票大量発行により現地でインフレ起こしても「八紘一宇のため!反対者はアジア人じゃない!」です。行軍に伴い兵隊が、師団単位で道端で大便して放置して、疫病をばらまこうとも「八紘一宇のため!反対者はアジア人じゃない!」です。そりゃ、現地じゃ嫌われても仕方ナイですよね。(※)まあ、でも、日本は・・・・・・・・いきなり銃殺はしなかっただけ、良心的ですがね(ナチスやアメリカと比較しての話です)


<註>
※ そりゃ、現地じゃ嫌われても仕方ナイですよね。

 以下は山本七平さんの本からなんですが、日本陸軍には「比島歩哨史がナイ」との事。これって戦慄すべきことなんですが歩哨・・・・現地の幹線主要部で関所みたいなことやってた兵隊さん達のことなんですが、その歴史記録がナイんだそうで、理由は「全滅したから」らしいのです。

 もう、どんだけ嫌われていたんでしょうか、日本陸軍。「八紘一宇!」とだけ叫んでいればアジア人は全て、味方してくれると思っていたのでありました、嗚呼・・・

5612島津綾久:2015/07/10(金) 16:25:43 ID:???

 あ、注釈欄を補足しますが「歩哨が殺される」ってのはゲリラによって、なのです。最も安全そうな歩哨任務なんですが、日本陸軍には歴史記録が残っておらずその理由は、「ひとり残らず殺されたから」なんだそうです・・・・・・・・これは、戦慄すべき事実です。関所にいる兵隊が殺されるってのは、もう、現地はゲリラの巣窟となっていたことを物語りますし、軍政のまずさを露呈してます。

5613a hope:2015/07/12(日) 02:15:31 ID:cEpBaIdo

>>5610 北斗のけんさま

わたしも、「唯神実相」を悟っているわけではないので、あまり偉そうなことは言えないのですが・・・(-_-;)

雅宣先生は、頭では「生長の家」の真理はかなり理解されているのではないかと思います。

ですが、肝腎な「唯神実相」をお悟りになっていないので「現象なし」が徹底されていないのです。

だからどうしても「実相・現象」もしくは「善・悪」の二元論的に表現されてしまわれるのです。

わたしは、そのご文章を読んでいると「現象」をありありと感じてしまうので気分が悪くなるのです。

それに環境問題なんて、現象そのものですよね!

その問題に対応するような運動は「生長の家」の運動にはふさわしくないと個人的には感じています。

ですが、同じ環境運動でも、「実相世界の展開としての素晴らしい環境を地上に実現しよう!」みたいな、
もっと人々心に「実相世界」の素晴らしさを訴えていくような運動の方法をとるのであれば、
生長の家の運動にふさわしくなるのではないかとは思いますが・・・。


あー、今夜は夜更かしをしてしまいました💦
明日はちょっと朝寝坊してしまおうっと・・・

5614a hope:2015/07/12(日) 11:20:47 ID:cEpBaIdo

島津さま

web誌友会の司会ありがとうございます。
わたしは、戦争のお話にはどう反応していいのかわからないのですが、
しっかり拝見させていただきお勉強させていただいてますよ。

ところで、今日は榎本恵吾先生の帰幽された日なのですね。

大熊先生がブログで恵吾先生の素晴らしいご文章を紹介されています。

「訊け」さまへのエールとともにですよ!!

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

5615島津綾久:2015/07/12(日) 17:26:48 ID:???
>>5614

キャー、私、大熊先生から褒められちゃった。「あのブログを呼び捨てブログの言う方があるが」とのくだり、あの辺が大熊先生は流石だと思います。信徒ではナイ、しかも、シューキョー大嫌いな私なんですが、そんな私すらもメロメロにしてしまう偉大な人物・・・・・・それが、雅春先生です。「谷口雅春に訊け」ですが、偉大な人物を顕彰する意味を込めているのであり、その辺を大熊先生は、理解下さったておられるのであり、嬉しいですね。

5616a hope:2015/07/20(月) 16:39:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第20巻 p106 



わたしはこの霊媒の言ったとおりの善人であったのである。

貧乏になる稽古ばかりしていて、自分が貧乏しているから人をたすける力もなし、自分も苦しみ、養父母をも苦しめ、妻をも子をも苦しめたのであった。

自分こそこれ善中の悪であったのである。

わたしは現在のような奉仕生活――誰かが経済的に犠牲になったり、そのために家庭が不和になったりするような奉仕生活がまちがいであるということに気ついた。

後年わたしが発行した『生長の家』という雑誌が中心になって一つの信仰団体が組織されるようになったとき、他の宗教団体のように信者の労力を奉仕と称して無償では使わず、信者の財産を献金と称して資本主義の最高形態たる株式会社組織ににし、献金を聖典出版費に対する出資として取り扱い、出費に対しては半期ごとに配当を支払い、献労者を社員とし、各支部の献労者に聖典頒布の手数料を支払うことにしたのは、在来の宗教に見るような本部が信者から奉仕や献金を受けとることをあたりまえのことのように思うまちがいをなくすためであった。

そして狂信者が財産を本山へ献金したり、無料で働いたりするがために狂信者の家庭の内部に反対が起こって、宗教がかえって家庭に風波(ふうは)を起こすことがある弊害を防がんがためであつたのである。

これらは皆わたしの生活体験から在来の宗教に見出される欠点を修正したものである。

宗教が株式会社だと言えば、ただそれだけで本山の営利を目的とした不純な作為があるように考える人があるかもしれないが、「生長の家」を仮に宗教と認めても、「生長の家」そのものが株式会社なのではないのである。

「生長の家」はわたしの創(はじ)めた教えであって無形の道なのである。

その無形の教えを文字に顕わした聖典を出版販売する会社が株式会社なのである。

それは仏教は宗教であって決して株式会社ではないが、大蔵経の出版は株式会社なのがたくさんあるようなものである。

しかも生長の家ではその出版会社の株主は信者自身であって、信者の献金は増殖されてかえって信者に還る組織になっているから、信者はその宗教によることによって本山から財産を搾られることなく、かえってその宗教によることによって聖典頒布の収入を受けるのである。

むろん、わたしも損をしない、わたしは聖典の著者として印税を受ける。

これはわたしの精神労働に対する報酬であって、信者から受ける献金ではない。(もっとも現在はわたしの印税全部が社会事業団へ寄付されている)

生長の家の主張する生活は誰かが犠牲になって、損をして、他を生かす生活ではない。

誰も損をせぬ、誰も犠牲にならぬ、共存共栄の生活こそ正しい生活なのである。

聖典の筆者も、頒布者も利益し、それを購読する読者も決して損をせずわずかの書籍代を支払うだけで毎月支払う数十円、数百円の医薬費治療費が不要になった実例数を知らないのである。

ともかくわたしは長い間の奉仕生活の体験からこの新しい、誰も損をせぬ、誰も献金せぬ、誰も犠牲にならぬ宗教形態を創始したのである。

5617a hope:2015/07/20(月) 16:41:47 ID:cEpBaIdo

>>5616 a hope 所感)

<<しかも生長の家ではその出版会社の株主は信者自身であって、信者の献金は増殖されてかえって信者に還る組織になっているから、信者はその宗教によることによって本山から財産を搾られることなく、かえってその宗教によることによって聖典頒布の収入を受けるのである。>>


昔の「生長の家」の信者は、聖典頒布の収入を受けていたのですね!
聖典の著作権を巡って裁判している現在の「生長の家」とはずいぶんと様子が違いますね💦

雅春先生は、

<<生長の家の主張する生活は誰かが犠牲になって、損をして、他を生かす生活ではない。
誰も損をせぬ、誰も犠牲にならぬ、共存共栄の生活こそ正しい生活なのである。>>
<<ともかくわたしは長い間の奉仕生活の体験からこの新しい、誰も損をせぬ、誰も献金せぬ、誰も犠牲にならぬ宗教形態を創始したのである。>>

と断言されています。


現「生長の家」総裁雅宣先生、そして本部職員のみなさまには、信徒に経済的な負担がかからないような本来の「生長の家」らしい運営を心がけて欲しいですね。

5618神の子さん:2015/07/20(月) 17:32:19 ID:kEnG6jMo
<<ともかくわたしは長い間の奉仕生活の体験からこの新しい、誰も損をせぬ、誰も献金せぬ、誰も犠牲にならぬ宗教形態を創始したのである。>>
と断言されています。

現「生長の家」総裁雅宣先生、そして本部職員のみなさまには、信徒に経済的な負担がかからないような本来の「生長の家」らしい運営を心がけて欲しいですね。
*****************************************************************************************************************************************************
その舌の乾かぬうちに、教団が大きくなると懐が大変になりました、『聖使命会』の制度を造りました、どうぞ愛行してください、と云う事で今のような

聖使命なんて関係ない人の分まで受け付けて、欲かき信徒の欲望を利用して教化部長さん職員の給料がアップしたのです。その恩恵に与かっているのでしょう、

トキさんトンチンカンさんなどは。現実と会わない文章は変えておくべきですね、こんなところが聖典?株主になるだけの資本金のある人の話を一般信徒の話に
しないでください。

あなたのように一切負担しない人は言う必要ないですよ、気持ちよく出している人も幾らでもいるのですから。

5619トキ:2015/07/21(火) 12:32:04 ID:4UjCzrVw
>>5618

神の子さん 様

 聖使命会員制度は、人類光明化運動のパテントは職人に譲られた、ということで以前にも書いたことがあります。

 私が聞いている範囲では、谷口雅春先生が組織指導をされていた時代は、信徒に負担をかけたくない、という
ことで、献金なども最低限にされていたみたいです。特に初期は、教団の財政的な基本があまりできておらず、
かなり財政状況も苦しかったみたいです。そのため、職員の待遇はよくなかったとも聞いています。以前、書いた
栗原先生の件も、古い講師に尋ねると、経済的な背景があったみたいです。

 信徒数が増加して、今までのやり方では通用しない、ということで、聖使命会員制度ができたのはご存知の
とおりです。その後、谷口雅春先生が組織指導を外れられ、組織が肥大化すると、競争のようなやり方で会員
を増やす弊害が生まれた次第です。

 問題は聖使命会員というシステムにあるのではなくて、競争みたいに数字を追いかけるような風潮にあった
と感じております。

5620トキさんへ:2015/07/21(火) 17:45:43 ID:kEnG6jMo
谷口雅春先生が組織指導を外れられ、組織が肥大化すると、競争のようなやり方で会員を増やす弊害が生まれた次第です。
問題は聖使命会員というシステムにあるのではなくて、競争みたいに数字を追いかけるような風潮にあったと感じております。
***********************************************************************************************************************
【谷口雅春先生が組織指導を外れられた】というのは昭和何年の事であり、どのような組織改編がなされ、組織を動かす第一人者は誰になったのですか?
【組織が肥大化すると、競争のようなやり方で会員を増やす弊害が生まれた次第です。】これは何年ごろからの話ですか?

返事をもらってから感想を書きたいと思います

5621神の子さん:2015/07/21(火) 18:41:20 ID:kEnG6jMo
日本中のすべての人に伝道し此の教えを実行てもらいたい、との希望を持っていた雅春先生が

【ともかくわたしは長い間の奉仕生活の体験からこの新しい、誰も損をせぬ、誰も献金せぬ、誰も犠牲にならぬ宗教形態を創始したのである。】と云いながら
【信徒数が増加して、今までのやり方では通用しない、ということで、聖使命会員制度ができた】

と云う事はたかだか100万(全国大会に出るような少々熱のある会員で言えば4,5万)そこいらの会員で組織が動かなくなることを見越せなかったということになりませんか?
その結果、本からのみの原理主義者のようなa hopeさんのような方が【と断言されています。】との感想を述べるのでしょう。

そんな未来を見通す力のない方が大東亜戦争を聖戦と云い応援したが、東京大空襲により東京が焼け野原になる事も見通せず10万人もの犠牲種が出て、戦災孤児が多く出た
ことへの懺悔から、神の国寮の運営をはじめ運営主体の生長の家社会事業団に恒久的財源として生命の実相の著作権を譲ったものでしょう。

それをまた戦いの道を歩もうとはさてさて

5622トキ:2015/07/22(水) 15:36:18 ID:ToK4dAe2
 ロシアの作家が、「直線を引くのは、2つの点があれば十分だ」という言葉を書いています。
では、2つの点を示しましょう。

 戦前、谷口雅春先生が直接、ご指導をされていた時代、組織はお金はあまりなかった(職員
さんが内職をしていたとも聞いています)が、組織内の空気は生き生きしており、自由で闊達
な雰囲気に満ちていたと言います。これは戦前の事情を経験された複数の信徒さんの証言で
一致しております。

 私が生長の家高校生連盟で活動をしていた頃は、そういう雰囲気は薄らいでいました。
当初は、そうは言っても、まだ谷口雅春先生の直弟子の方々がご存命でしたから、宗教
的な雰囲気は強かったですが、そういう方々が他界されるにつれ、官僚的、形式的な
雰囲気が強まっていました。

 これらは、ある日、突然、そうなったのではなくて、組織の肥大化にともない、徐々に
そうなったと理解するのが普通でしょう。

 なお、お願いですが、常連投稿者様は、HNのご使用をお願いします。

5623誰か教えて:2015/07/22(水) 18:07:10 ID:kEnG6jMo
谷口雅春先生が組織指導を外れられ、組織が肥大化すると、競争のようなやり方で会員を増やす弊害が生まれた次第です。
問題は聖使命会員というシステムにあるのではなくて、競争みたいに数字を追いかけるような風潮にあったと感じております。

とのあなたの意見に対し

【谷口雅春先生が組織指導を外れられた】というのは昭和何年の事であり、どのような組織改編がなされ、組織を動かす第一人者は誰になったのですか?
【組織が肥大化すると、競争のようなやり方で会員を増やす弊害が生まれた次第です。】これは何年ごろからの話ですか?

とお聞きしたのですが

戦前、谷口雅春先生が直接、ご指導をされていた時代、組織はお金はあまりなかった・・・・・
これらは、ある日、突然、そうなったのではなくて、組織の肥大化にともない、徐々にそうなったと理解するのが普通でしょう。

が答えですか、戦前の話でなく聖使命会員制度の関係の話をしていることへのあなたの意見なんです。あなたの意見を読むと私には質問したような疑問が出た
のです。53年に九州に行かれる前に組織指導を外れられたというからそれはいつの事か、と聞いたのです。先生は聖使命会員の数又誌友の数(一括購入されている
発行部数)でもって生長の家の教勢を判断されていたと思われるのですが。【組織の肥大化にともない、徐々にそうなったと理解するのが普通】とのことですが
それが雅春先生が総裁の実務を取っていた昭和50年以前なのか以後の清超先生の時かは大事な観点だと思います。

「しかし、「ご利益を得るために献金する」というのでは、本当の愛の行いではありません。生長の家では、聖使命会員の方々を「聖使命菩薩」と呼びたたえていま
す。聖使命菩薩とは「自分が救われるより先に、他の人々を救ってあげたい」という愛他に励む尊い生き方を実践する方々のことです。こうした清い心の方々が
聖使命会員なのです。」と今でも意義について説かれています。
そして「聖使命会に入会されるときには、あなたご自身で氏名を書かれた「誠魂録」を提出して頂きます。」これらに反し身内知り合いはたまた生まれる前の赤子
まで会員として扱うことはいつごろから始まったのでしょうか?私は雅春先生の時代にすでに始まっていたと考えます。

あなたの言う直弟子の方々が組織の中心者であった時代にすでに始まっていたと思いますがいかがですか?これは雅春先生を聖人君子として扱うのか組織運営に
於いては宗教的真理のようにはいかなかったかということが問題になります。総裁の名代として強化部長はいるものと思うのですが、神誌一冊2円のバックに目の
眩んだ人もいたでしょうかと。50年に30歳の人で今70歳ですね。本流の指導者、教団に残りながらもぐずぐすいぅ人たちは清超先生の代に組織を動かしていた人で
しょう。

トキさんのように雅春先生の代にさえ組織運営に問題があったということてせすと、勿論清超先生の目を盗んで組織を動かしていた人間もいたと云う事になります。
私にはそんな方々が本流復活を言うのが解せないです。あなた方が求めるものはいつの時代のものですか?と聞きたいですね。

そんなことに関係して組織指導引退は何時かと聞いているのです。

5624トキ:2015/07/22(水) 19:37:30 ID:O8a8dKlY
 上の曳馬野さんの質問は、「組織」板で書きましたので、よろしくお願いします。

 お金の問題は難しいです。運動をする以上はお金は必要です。ただ、それが信徒
の浄財である、という意識がないと、費用の濫費に走る危険性もあります。ただ、
他人事ではなく、自分もそうならないとは限らない、ということを考えるのも
大事です。自らを省みることも大事です。

5625誰か教えて:2015/07/22(水) 20:42:24 ID:kEnG6jMo
>>5618 の私の文はその前のa hopeさんの投稿が一面観の意見と思えたことに対するものです。
誰の文章かが問題でなく内容が問題です。教団批判を事実に合わない聖典理解からのものと感じたから、反論したものです。
昔の高校生夏季錬成には日教組さながらの意見を言う生徒がいたものです。それに対しても話し合いがされたのです。
青年誌友会であってもいろんな意見がありました。講習会、講演会で拍手する人がいますが私は不思議なんですよ。
そうそうそうなんだよね、って感じで賛意を表現する、総裁の講師の話に自分が評価を与えるなんて馬鹿も休み休みにしてくれと云いたい。
私の意見が変であれば反論すればよいのであって、誌友会の目的は仲間のダベリングの場ではないでしょう。
トキさんが雅春先生の時代は素晴らしかったが組織を退いてから変になった式の論を展開するから、それに対しての意見を書いたのです。
トキさんは何時先生が組織から退いたかは論議する必要が無いという、であるならば雅春先生の時代は良かったが以後変になったというようなことは
言わなければよいのです。私には雅春先生の時代から清超先生の代に渡り、組織に係った人間が本流復活なりトキさんように組織にいるなりして、
あの時は良かったというその事が不思議なんです。あなた方が動かしていた組織でしょうに。
それが本当に真理に適った運動で素晴らしいものであったのならば、なぜ清超先生は雅宣総裁を副総裁にしたのでしょうか?
皆さん雅宣総裁がおかしいという人間だけですよね、こういった掲示板で生長の家の恥さらしをしている人は。
組織で好き勝手できた時代が懐かしいと云う事ですか?本流復活とは。またトキさんの願う生長の家の在り方とは。

これは質問ではありません、a hope さんと同じで言いたいことを書いているだけです。

5626誰か教えて:2015/07/22(水) 21:32:35 ID:kEnG6jMo

自然界との調和を言うと、自然界は現象ですよねと云ってa hopeさんは総裁を批判するけれども、こと人間だけは今生きている自分を中心に考えてものを言う。
波と水は一体です、水を離れた波なんてないし風が吹くという因縁があれば水は波立つのです。

絶対界と云う大実在があればこその万物の存在があるのです。万物の調和の中には自然界もあるのは当然です。その自然界を人間(体験上の想いの塊であって真の
人間ではない)の欲望のままにする、それへの警鐘なんです。その運動がなぜ変なのですか?万教帰一が当たり前であるように、万法は一つに帰一するのです。
絶対なるものに。

その世界に入ることが神想観の目的ではないですか?神想観する人間が自然界は現象でしょうということが解らない。
人間同士の調和はもちろんですが自然との調和も同じく必要なことです。

5627a hope:2015/07/23(木) 09:05:55 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第20巻 p128 後から5行目〜

ホルムズの思考に従えば神はいっさいの「造り主」であるが、神は決して勝手気儘にわれらに不幸を造っているのではないのである。

われらの思考するところにものを病気であろうと、貧乏であろうと、逆境であろうと、順境であろうと、幸福であろうと、われらの思考を鋳型として無差別平等に神はわれらに造り与えてくれるというのである。

そこに人間の自由と、神の当体の無相にして応現の自在なることが確保されているのであった。

それは仏教的思想に癒合したキリスト教思想であって、キリスト教的「造り主」をありとしながら仏教の「無明縁起」と一致しているのであった。

「造り主」の思想と、「無明縁起」は一致し難いものとして、ひとたび造り主を否定してしまったわたしは、ここに再び創造主を発見したのであった。

5628a hope:2015/07/23(木) 09:07:00 ID:cEpBaIdo

>>5627 a hope 所感)

<<それは仏教的思想に癒合したキリスト教思想であって、キリスト教的「造り主」をありとしながら仏教の「無明縁起」と一致しているのであった。>>

雅春先生は、ホルムズの著書『心の創造活動の法則』に出会う事で、それまで感じていたキリスト教と仏教の教えの矛盾を解消されます。

『「真の悟り」とは命がけで真剣に求める者だけが得られるもの』なのかもしれませんね。

5629a hope:2015/07/27(月) 00:01:42 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第20巻 p129 5行目〜

しかし、わたしがいったん創造主を否定し去った後にホルムズの哲学がこうていしてくれたこの神なるものは、まだ現在の生長の家が説いているような実相の神ではなかった。
それは現象界を造り出してくれるところの現象界の創造者であった。

5630a hope:2015/07/27(月) 00:03:02 ID:cEpBaIdo

>>5629 a hope所感)

時々、生長の家の信徒の方々が「教義」について議論されているとき、
『あなたは現象と実相をまぜこぜにしている』みたいなことを言って相手に反論される方がいます。

ここで紹介されているホルムズの思考する「神」は現象世界を創造する神だそうです。

「実相世界」を信じる生長の家の信徒であっても、このホルムズのように『現象界をも「神」が創造しているのだ』と考えてしまうと、
「実相」と「現象」がごちゃ混ぜになってしまうのだと思います。

「現象はない」のですから、「神」が現象界を創造するわけがありませんよね。

5631神の子さん:2015/07/29(水) 06:51:53 ID:kEnG6jMo
【「現象はない」のですから、「神」が現象界を創造するわけがありませんよね。】に関して


私たちの住む世界は常に一つであります。現実は一つしかなく、二つ同時にあるということはありません。二つあるのは現実を離れて空想している時であります。・・・・

現実は常に一つであるということは、右と左と同時に進むことはできない、右でなければ左であり、左でなければ右であります。

その一つだけの現実を絶対というのであります。その一つを最も善であると観る生活が極楽なのであります。  藤原先生


というのが生長の家のようですが、現象と実相と云う観念の世界に生きているのではありませんか?

司会者が現実対応に忙しそうですので一言申し上げます。

5632a hope:2015/07/29(水) 09:55:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第20巻 p132〜



万事は好都合にいったが、家族の健康だけは移転以来、かえって悪くなった。

恵美子が麻疹をする、麻疹が内攻して肺炎になったと宣告される、わたしの健康も悪くなって死ぬような予感がする、折ふし、保険会社勧誘員が来たので保険に加入しようと思うと、審査医が来て診察して見た結果不健康だからだめだと言う。

妻も瀕死の大腸カタルを患う。

どうしてこんな不健康が続くのか自分でも判断がつかなかった。


わたしは毎日、わたしの家庭に不幸や病気が絶えない理由について思索を続けていた。

三界は唯心の所現である。

そのことまではわかっていたから、家族たちの病気が心のあらわれであるということは明かであった。

しかし心をいかにすれば自由になしうるかがまだわからなかったのである。

心配すればその心配が形にあらわれて病気になる、それは解る。

しかし、家族が病気になっているのを心配しないでいることはむずかしいのである。

腹を立てればその乱れたる精神波動が形の世界にあらわれて自分の身体(からだ)が虚弱となり、家族に病気が起こる、それは解る。

しかし、会社などにつとめて、上役から無理な命令を圧倒的に受けたとき、それに対して憤りの念を起こさないことはむずかしいのである。

心が一切現象の源であると知るとき、その心が思うように支配されたならばなんでもないが、その心が思うように支配されない時には、心そのものがかえって恐怖の原因となるのである。

悪を思うまいと思えば思うほどかえって悪を思い、心配すまいと思えば思うほど心配し、怒るまいと思えば思うほど腹立たしくなってくる心はこれはいかにしたらよいであろうか。

心が悍馬(かんば)よりも扱いにくいものであるならば、その心の扱い方によって人が幸福にも不幸にもなるものとするならば、悍馬を乗りこなすのはよほどの名人でなければならないから、人生を幸福に無病に乗りこなす人も、また数少ないと言わなければならないのである。

わたしはそのころはまだ心の悍馬を乗りこなす名人ではなかった。

子供が重病だといって会社へ電話がかかると顔色が真っ青になって、会社を早引きしての帰るさ、電車の中でブルブルと戦(ふる)えている方の人であった。


心と仏と衆生とこの三つが無差別(むしゃべつ)であって、一心転じて仏ともなり衆生ともなり極楽ともなり地獄ともなるならば、結局仏とは常住のものでなくて一つの捉えどころのない現象だと言わなければならないのである。

常住のものではない捉えどころのないところの、仏かと捉えてみれば鬼になったり地獄であったりするような心が神であるならば、わたしたちは何に頼っていいのかがわからないのであった。

ホルムズの説くように、神は当体は無相であって、われわれの念に従って仏とも現われ、鬼とも現われ、応現自在のもので、本来常住の相(すがた)がなんにもないならばこれもまた頼りにならないものではないだろうか。

わたしは思索を重ね、静思を重ねたけれども安住の境地には達しなかった。

(つづく)

5633a hope:2015/07/29(水) 09:57:04 ID:cEpBaIdo

>>5632 a hope所感)

この時点で、雅春先生は、「生長の家の教え」でいう横の真理(心の法則)、仏教でいう「三界唯心所現」はお悟りになっておられますが、
その「心」を制御するすべが見つからず苦しまれています。

そして、この後、いよいよ雅春先生が「唯神実相」を大悟されますが、本当にここのところのご文章は圧巻です。

つづけて謹写していきます。

5634トキ:2015/07/29(水) 22:23:36 ID:Ezw2G2vY
>>5632

 少し余談ですが。

 谷口雅春先生が、外資系の会社にご在籍中、生命保険の加入を断られた
事について、藤原敏之先生が、「それは、そうでしょうなあ。」と冗談を
言われていたのを聞いた事があります。ちなみに、藤原先生は、日本生命
の管理職を定年までされていた方です。それぐらい、当時の谷口雅春先生
のお身体は弱かったのでしょう。

5635a hope:2015/07/31(金) 21:44:16 ID:cEpBaIdo

(>>5632 つづき)

「生命の實相」第20巻 p134 6行目〜


ある日、わたしは静座合掌瞑目して真理の啓示を受けるべく念じていた。

わたしはその時、偶然であろうか、神の導きであろうか、仏典の中の「色即是空」という言葉を思い浮かべた。

と、どこからともなく声が、大濤(おおなみ)のような低いが幅の広い柔らかで威圧するような声が聞こえてきた。

「物質はない!」とその声は言った。

で、わたしは「空即是色」という言葉をつづいて思い浮かべた。

と、突然その大濤のような声が答えた。

「無よりいっさいを生ず。
一切現象は念の所現もして本来無。
本来無なるがゆえに、無よりいっさいを生ず。
有よりいっさいを生ずと迷うがゆえに、有に執して苦しむのだ。
有に執せざれれば自由自在だ。
供給無限、五つのパンを五千人にわかつてなお余り、『無』より百千億万を引き出してなお余る。
現象界は念のレンズによって転現せる化城にすぎない。
かしこに転現するとみゆれどもかしこに無し。
ここに転現すると見ゆれどもここに無し。
知れ、一切現象無し。
なんじの肉体も無し。」

では、心はあるであろうかと思うと、その瞬間、「心もない!」とその声は言うのだった。

今まで、わたしは「心」という得体の知れない悍馬があって、それを乗りこなすのに骨が折れると思っていたのだ。

ところが「心もない!」という宣言によって、わたしは、その「心」の悍馬から実相の大地に降りたのであった。

「心もなければ何も無いのか」とわたしは再びその声の主にたずねた。

「実相がある!」とその声はハッキリ答えた。

「無のスガタが実相であるか。皆空が実相であるか。」とわたしは尋ねた。

「無のスガタが実相ではない。皆空が実相ではない。皆空なのは現象である。五蘊が皆空であるのだ。色受想行識ことごとく空である!」

「空と無は異なるとは思うな。五蘊皆空であるのに空とは無ではないと思うから躓く。
空と無とは異なると思い、『無ではない』と思うからまた『五蘊は無いではない』と引っかかるのだ。
『五蘊は無い』とハッキリ断ち切ったところに、実相が出て来るのだ。無いものを無いとしたところに、本当にアルモノが出て来るのだ。」

「では、実相とはなんであるか」とわたしは訊いた。

「実相とは神である。あるものはただ神のみである。
神の心の顕現のみである。これが実相だ」

ここに神というのはむろん「仏」という意味も含んでいた。

「心も無いのが本当ではないか。」

「無い心は受想行識の心だけだ。
そういう意味でなら仏もない、衆生もない。
心、仏、衆生三無差別と説く場合には、心もない、仏もない、衆生もない。
衆生を抹殺(ころ)し、仏を抹殺し、心を抹殺し、いっさい無いといっさい抹殺したときに、実相の神、久遠実成の仏が出て来るのだ。」

「それが、キリスト教ならイエスを十字架にかけることになるのですか。」

「そうだ。肉体イエスを抹殺した時、実相のキリスト、アブラハムの生まれぬ前から生き通しの久遠のキリストが生きているのだ。
イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来るという象徴である!
今、ここに、久遠生き通しの生命が復活する。
今だ、今だ! 久遠の今だ! 今が復活だ! 今を活きよ。」


わたしの眼の前に輝く日の出のような光が燦爛と満ち漲った。
何者か声の主が天空に白く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。
しばらくするとその燦爛たる光は消えてしまった。
わたしはポッカリ眼をひらくと、合掌したまま坐っている自分をそこに見出したのであった。

5636a hope:2015/07/31(金) 21:49:37 ID:cEpBaIdo
>>5635 つづき)

それ以来、心、仏、衆生三無差別の心というものが本来無いものであるということがわたしにはハッキリわかった。

迷う心も無いから、悟って仏になる心もない。

迷う心が進化して悟って仏になると思っていたのがまちがいであったのである。

ただの初めから仏であり、神である「実相の心」があるだけである。

その実相の心が展開した実相の天地があるだけである。

浄飯王の王宮を出て、伽耶城を去ること遠からず、菩提樹下に六年静思して初めて悟りをひらいて仏になったという現象の釈迦牟尼仏は本来無かったのである。

『法華経』の中で、釈迦自身が、

「我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫である」と言ったその久遠の仏のみが実在であったのである。

その久遠の仏が今ここに生きているのだ!十字架上に磔けられて、「神よ、神よ、なんぞ我を捨て給うや」と哀号したイエスは本来無かったのだ。

永遠の神性――「アブラハムの生まれぬ前から生き通し」とみずから言ったキリストのみが実在であったのだ。

自分もまた、明治二十六年十一月二十二日に母の肉体より誕生したのではなかった。

そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。

ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始から仏であった自分であったのだ。

わたしはその心境を次のように歌った――

――――――――――
ある日、わたしは心の窓を開いて、

大生命のみ空から光線のように降りそそぐ生命の讃歌に耳を傾けた。

ああ!声のない奏楽、声を超えた合唱

けれどもわたしはその声を聞いていた。

宇宙の囁き、神の奏楽、天使のコーラス。

わたしの 魂 は虚空に透き通って真理そのものと一つになった。

なんと美しい旋律だろう。

「これが真理そのものか!」とわたしは恍然として嘆声を漏らした時、

「お前は実在そのものだ!」

わたしはこう言って天使たちがわたしを讃える声を聞いた。
――――――――――


わたしはついに神を見出し、本当の自分を見出したのであった。

三界唯心の所現である、この心も、また現ずるところの現象をも、一切空無と截ち切って、その空無を縦に貫く久遠不滅の大生命が自分であった。

それ以来、わたしの見る景色が変貌した。

すべての存在が物質でない、何か後光のような燿光(ようこう)を発するエーテルの波のような存在に見えるのだった。

わたしは朝湯がことに好きであったが、秋の遅い太陽は、わたしが朝湯をあがっての帰り道、向こうの樹間(このま)からさしのぼることが多かった。

――――――――――
早晨(そうしん)

日光が樹間からさしのぼる、

生命そのもののような光だ。

うれしい!

自分が一個の生命であることが

うれしい!
――――――――

というような心境であった。

わたしの住む世界が、景色が変貌した。

5637a hope:2015/07/31(金) 21:59:11 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは

毎日暑いですね💦

でも、この異常な暑さも現象にすぎません。

神想観をして、聖典を拝読すれば、実相世界の素晴らしさに心が震えて、
わたしは、今、ここに生きていられること、家族と一緒にいられること、
大好きな仕事ができること・・・すべてのことに感謝の気持ちでいっぱいになります。

「生長の家」の教えに出会えて本当によかった!


ところで、今日で7月が終わりなんですが、今回の第35回web誌友会の司会は「島津」さまにお願いしています。

島津さま、どうしましょうか?

20巻のお勉強を終了してもいいでしょうか?

5639a hope:2015/08/02(日) 22:50:07 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第36回 web誌友会 案内 

期間   8月2日〜8月31日まで
テキスト 「生命の實相」第21巻 経典篇 
内容  『甘露の法雨』講義
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

8月に入りましたので第36回 web誌友会を開会させていただきます。

もうすぐお盆ですね。
今月は、先祖供養のためにもこの第21巻の『甘露の法雨』講義を心をこめて学ばせていただきたいと思います。

それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。

5640a hope:2015/08/02(日) 22:51:11 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5641a hope:2015/08/02(日) 22:52:16 ID:cEpBaIdo

はしがき


『甘露の法雨』はいわゆるインスピレーションによって突然浮かんできた思想が一種詩的なリズムを帯びてきたのを書き止めて置いたものである。

後より見るとこの聖経は期せずして、『生命の實相』全巻の真理を縮約して歌ったものになっている。

それを読誦することによっていろいろの奇跡を演じたので、ついに聖経と称せられることになったのである。

その英訳をたんに携帯することによって第二次世界大戦中ハワイの日本民族第二世の軍隊(第百大隊、四四二部隊)がイタリーの南端から上陸する際に、機関銃弾がその英訳『甘露の法雨』に命中しながら、それを貫通することができず無傷で大量の兵員が上陸して戦功をたてたような奇跡もあり、交通事故に遭いながら無事だった実例のごときは数限りもないのである。

この聖経はたんに現実界の人間が読誦して悟りを開いて病気悩苦をさるばかりでなく、霊界の諸霊もその読誦の声を聞いて悟りをひらき、迷える障りの霊も守護の霊となることが後に明らかとなったので、神仏礼拝の際にその祭壇に対(むか)いて読誦すべき生長の家の聖経となったのである。

しかし読んで意味が分からないようでは功徳が薄いので、かつて毎日曜日に東京小石川護国寺の月光殿においてその大要を講義したものを次に掲げることにした。

主として講義の速記によったのでわたしの文章だというよりも、わたしの語調が写されているところに特徴があるであろう。

『生命の實相』の縮約が『甘露の法雨』であるから、この講義を読むだけで生命の実相の大要が摑めることと思う。

第一章は当時の講義の筆記漏れを後より再述して完璧としたのである。

昭和三十九年一月十日

著者しるす

5642a hope:2015/08/02(日) 22:53:28 ID:cEpBaIdo

【神示】


「神の子」なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的である。

現象世界とは現界、幽界、霊界を通じて呼ぶ言葉である。

人間の運命とは「神の子」なる人間の実相(因子〈たね〉)が現象世界に投映する時、時間的空間的に展開するのに、おのずから一定の順序を追うて展開して行くようにだいたい定められているのを言う。

それはたとえば朝顔の種子(たね)の中にはすでに「花」の因子(たね)が包蔵されているが、それが現象世界に「花」となって完成するまでには、日光に逢い、湿気に遇い、芽を出し、蔓を生じ、ついには花を開くというように、だいたい一定の順序を追うて展開するがごときである。

かくのごとく、神の子なる実相人間も、その投影を現象界に完成するにはだいたい一定の時間を要し、植物が日光に逢い、雨露に遇うがごとく、あるいは幸福に恵まれ、あるいは虐運と戦うことによって、ついに実相人間の現象界への投影を完成するのである。

しかし、その投影が完成するには、その投影は「念波の集積」で成り立っているのであるし、人間は心の自由をもち、自由に実相の悟りによって念波を浄め得もすれば、迷いによって念波を汚すこともできるのであるから、現象世界に実相人間を顕現する過程(進化の過程)を心次第で縮めることも長くすることもできるのである。

霊魂進化の過程を短縮するのは念の浄化による。

念の浄化には、実相を悟ることが第一であり、物質欲に捉われざることが第二である。

物質欲に捉われざるためには「物質本来無し」の真理を悟るのが第一である。

「物質本来無し」の真理を悟る程度に達せざる者には、物質の快に捉われさるための修行としてみずから進んで苦を求めて喜ぶか、物質に快を求めてかえって苦を得る体験を通じて、ついに物質欲に捉われさるに到るかの二途しかない。

前者はみずから進んで嘗(な)める苦行であり、後者は幸福を求むれども求むれども運命的に他動的にやってくる苦難である。

その他に過去の悪業の自壊する過程として自己の霊的流動体に起こる擾乱(じょうらん)現象の苦痛もある。

苦難がみだりに取り去られず、多くの霊魂の霊界通信が苦行の価値を力説しているのもこのいろいろの理由によるのである。

(昭和八年九月十五日神示)

5643トキ:2015/08/03(月) 14:53:26 ID:QRDw9Vfo
 暑いですが、元気で誌友会に参加したいです。
皆様もぜひ、ご一緒に真理を勉強しましょう。

5644a hope:2015/08/07(金) 23:49:12 ID:cEpBaIdo

トキさま、みなさまこんばんは

暑さのせいもありますが、子供たちが夏休みに入って生活や仕事が忙しくなったということもあり、
一日が終わるころにはぐったりとしてしまい、聖典を勉強する余裕がありませんでした(;´∀`)

ですが、大好きな聖典ですからお勉強を止めるつもりはありません。
マイペースでこのweb誌友会も続けていかせていただきますね。


ところで、第一章の初めは、聖経「甘露の法雨」の「神」の項目の解説です。

仏教やキリスト教の考え方を例えにあげて、
万教帰一的に「生長の家」が「神」をとられていることが説明されています。

久しぶりに聖典を拝読しましたが、やっぱり「生長の家」の教えは素晴らしい・・・(*´▽`*)

5645フニュ(´・ω・`):2015/08/09(日) 13:15:32 ID:wLZgPbag
>>雅宣先生は、頭では「生長の家」の真理はかなり理解されているのではないかと思います。

>>ですが、肝腎な「唯神実相」をお悟りになっていないので「現象なし」が徹底されていないのです。


総裁だけではないですよね。これがぁ、これがいっちゃん難しいのですね。

頭では理解できるんですね。雅春先生はわかりやすく書いてくださってますから。実相独在。

良いことがあったり、また人に親切にされたりしたら、勝手嬉しい感情が湧いてくるのと同じで

嫌な出来事や(病気とか、その他いろいろ)があったら勝手に苦しい感情がでてくるし。

実相独在を頭での理解だけだったら、その時の感情の制御は難しいです。うまくいえません。

5646a hope:2015/08/09(日) 19:29:30 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第21巻 p39 4行目〜

この現象界にいるように見えているのは、実は実相浄土にいながら現象界を念の作用にて仮作※1しているのである。

ここに即身成仏※2がある。

だからわれわれは南無阿弥陀仏と称えたとき、すでに成仏している自分を見出すのです。

その実相が悟れた時には、三界は唯心の所現でありますから、自分の立ち向かう環境ことごとくが、神と一つになる、無礙光如来と一つになる、無限の智慧なる、無限の真理なる、完全なる、円満なる、その自分自身の、少しも欠くところなき完全な相(すがた)が、この環境、周囲および体に現われてくる。

そうした時にこの現世が本当の天国となり、浄土となるのであります。

そうして機縁熟して、われわれが念の仮作する人生を投映する銀幕を代えて、霊界の銀幕に映像を投影して生活するようになる時、(いわゆるこの肉体が滅した時)われわれの念が光明一元の波長ばかりを起こすようにしていましたならば、未来世の銀幕には光明一元の世界が投影され、そこにわれわれは指方立相の極楽浄土を現わしていわゆるわれわれは極楽往生したことになるのであります。

これですでに実相では成仏している自分が、現世または霊界において極楽浄土を展開したりしなかったりする原理や、本来去来することなく、来生し往生するように現れる理由もおわかりになったでありましょう。

法顕(ほっけん)という人の訳の『無量寿荘厳経』にはこう書いてあります。

「かの仏如来は来って来る所なく去って去る所なし生なく滅なく過現未来にあらず」これは阿弥陀如来ですが、それと同じくわれわれも「来って来る所なく去って去る所なし過去・現在・未来にあらず」過去現在未来を打ち貫いて、そうして今、このまますでに自分が仏であるということを自覚せしめるのがこの生長の家であります。

(頭注より)
※1・・・本来無いのに仮に作り成す。
※2・・・その身そのまま仏となる。

5647a hope:2015/08/09(日) 19:33:39 ID:cEpBaIdo

>>5646 a hope所感)

<<その実相が悟れた時には、三界は唯心の所現でありますから、自分の立ち向かう環境ことごとくが、神と一つになる、無礙光如来と一つになる、無限の智慧なる、無限の真理なる、完全なる、円満なる、その自分自身の、少しも欠くところなき完全な相(すがた)が、この環境、周囲および体に現われてくる。
そうした時にこの現世が本当の天国となり、浄土となるのであります。>>

これは>>5645のフニュ(´・ω・`)さま(るん吉さま?)の

>>実相独在を頭での理解だけだったら、その時の感情の制御は難しいです。

というご発言にも通じることだと思いますが、
ようするに、頭で実相世界のことや「現象なし」をわかっていても、実相をまことに悟らなければ現世には天国は出現しないというわけですね。


そして、

<<そうして機縁熟して、われわれが念の仮作する人生を投映する銀幕を代えて、霊界の銀幕に映像を投影して生活するようになる時、(いわゆるこの肉体が滅した時)われわれの念が光明一元の波長ばかりを起こすようにしていましたならば、未来世の銀幕には光明一元の世界が投影され、そこにわれわれは指方立相の極楽浄土を現わしていわゆるわれわれは極楽往生したことになるのであります。>>

その肉体が死するときに、実相を悟っていれば、霊界においても極楽浄土は出現するし、悟っていなければ現世と同じような悩みや苦しみが続くというわけですね。


フニュさまがおっしゃる通り、「実相をまことに悟る」てそう簡単なことではないとわたしも思います(;´∀`)

でも、わたしたち「生長の家」の信徒には聖典「生命の實相」という道しるべがあるのですから、本当に幸せだと思います。

わたしは一生「生命の實相」を拝読しつづけ、実相悟ってから極楽成仏したいです。

だって、死んで霊界に行った後も煩悩に苦しみ続けるなんてまっぴらですからね(-_-;)

これからも聖典のお勉強、がんばろうっと・・・!(^^)!

5648フニュ(´・ω・`):2015/08/09(日) 22:09:08 ID:wLZgPbag
a hopeさま。
レスありがとうございます。 いつもご苦労様です。

えっと、はい、るん吉です。(#^.^#)バレテ 嬉し、恥ずかし・・

実相を悟れたら良いけど、その「実相を如実に悟る。要するに絶対境地?」に中々到達出来ない仕組みにでもなってるのか?

と思わせられる位、本当の己を悟るのはあまりにも難しすぎやしませんか?←これ本音。

しかし、こう考えたり、悩んでる我も無いのですよね。・・・頭では解る・・

生命の実相、読も!(*´ω`*)

5649a hope:2015/08/13(木) 09:59:06 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p43 9行目〜

「霊」とここにあるのは「霊魂」のことであります。

霊魂という場合は普遍的霊ということではなく、なんらかの体を備えた個別霊のことであります。

仏教は「無我」の教えでありますから、「霊魂」というものを第一義締としては認めないのであります。

生長の家でも、先刻説明したように、第一義締としては迷う「我」も極楽へ行く「我」もないというのでありますけれども、現世、霊界等のスクリーンに投影された念像が、ちょうど活動写真の銀幕(スクリーン)上に躍(おど)っている人物のように、個別の姿をあらわして見えるのが、現世の銀幕(スクリーン)においては肉体であり、霊界の銀幕(スクリーン)においては霊体であります。

この霊体を現している仮我を、霊魂というのであります。

霊魂という実体が実在するのではない、その正体は念の波によって、そこに実在するかのごとくあらわれている活動写真のごとき映像であります。

5650a hope:2015/08/13(木) 10:00:33 ID:cEpBaIdo

>>5649 a hope所感)

『生長の家の教えは「物質なし」の「唯神実相」なのに、なぜ、本来無い「霊魂(個別霊)」を供養するのか?』

それは聖典「生命の實相」の真理に感動して「生長の家」の信徒になった後、
「生長の家」が先祖供養を大切にしているという事実を知ったときに感じた疑問でした。

おそらく、雅宣先生も同じようなお考えをお持ちなのではないかと感じています。


霊界は現象界と同様、本来無い世界だけれども、肉体をもって生きているわたしたちには「現象界」はどうしても存在しているように感じてしまうように、
霊体となった霊魂にも「霊界」は存在しているように感じているのだと思います。

ですから、現象界で生きている間は、両親や兄弟、友人等の現象の姿を「神の子」として感謝してお祈りさせていただくのと同じように、
ご先祖ざまや生前ご縁があって亡くなった方々の霊魂に対しても感謝し供養するのは当たり前の事なんだと、今は思えるようになりました。

5651a hope:2015/08/14(金) 09:19:17 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p47 1行目〜
 
霊魂が病気をしたり、霊体が病気をしたりするのは変なことのように考えられますが、霊魂が病念を持つようになるのは、肉体的顕現から、霊体的顕現に移る場合、活動写真に喩えると、一つの銀幕(スクリーン)への映写を終わって、他の銀幕への映写に移る場合、
映写と映写との間に何も映らない「間」が生ずる。

この「間」がすなわち個性意識の中断であります。

活動写真に「間」があり、個性意識の中断がありましても、その人の業(映画において、印象の蓄積たるフィルムの絵)に変化のない限りは、再び意識が回復し、再び映画が始まりますと、その霊魂の意識には(界を変えての映画には)同様の病念が浮かぶのであります。

この病念が客観化して、霊魂自身には病気になっているかのような状態を呈する。

われわれから考えますと、もう霊魂になったらば肉体は無いのであるから、病気に罹りようがないと思えるのであります。

われわれから見たならば、体の無い霊魂が体の病気に罹っている。

胃病も心臓も皆焼いて灰にしてしまったのに、その霊魂が胃病にかかっているという実に滑稽なのでありますが、当事者たる霊魂にとっては、決して滑稽ではない、実に病気ありとして痛ましくも悩み苦しんでいるのであります。

といってわれわれも病気になって苦しんでいる霊魂を「体もないのに、自分の念の投影で病気になっている。滑稽だなア」などと言って笑うことはできないのであります。

「体もないのに病気になっている」というのは必ずしも、霊魂ばかりではないのであります。

われわれ自身も、本来こんな不完全な肉体は無いのに、念の投影(かげ)として現象界に肉体というような時間空間に制約された不自由な体を映し出して、それを実に有りと思い自分自身の病念によって、病気としている人がたくさんあるからであります。

こういう人が『生命の實相』を読んで本来肉体なし、病気なしと悟って病気が消えると、その人の病気が治るのであります。

これは皆さますでに信徒たちが体験せるとおりであります。

5652a hope:2015/08/14(金) 09:20:17 ID:cEpBaIdo

>>5651 a hope所感)

ここにはとても大切なことが書かれていると感じています。

要するに「肉体の死は苦しみの解決にはつながらない」という訳ですね。

自殺する人は、現象の苦しみから逃れようと自らの命を絶つのだと思いますが、
亡くなる前に「肉体なし」「現象なし」を悟っていなければ、例え肉体を滅ぼしたとしても、
霊界において「霊体(霊魂)」として苦しみ続けることになるのですね。

ここに「生長の家」の「肉体なし」「病気なし」「迷いなし」「死なし」等の真理の伝道の重要性が明らかになってきます。

終戦記念日を目前にして、わたしは今、戦死された英霊たちの霊魂に思いを馳せています。

当時「生長の家の教え」に触れることで、この真理を悟って戦死された英霊は多いのではないかと感じています。

「生長の家」の教えに触れた者の使命とは、この『「肉体無し」「唯神實相」の真理の伝道』以外わたしには考えられません。

5653a hope:2015/08/16(日) 09:08:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p50 後から6行目〜

だから、病み悩んでいる者には、生命の実相(ほんとうのすがた)が完全円満な神そのままの相(すがた)であるということを知らせてやったならば病が消えてしまう。

罪に悩んでいる者には、神は決して罪を作り給わないから、罪というものは本来ないという真理を知らしてやったならば、その罪と、罪より生ずる苦悩苦患(くのうくげん)が消えてしまう。

こうして一切苦患の源となるべき顛倒妄想を摧破(さいは)するために生長の家は出現したのです。

この真理の宣伝(のべつた)えられるや、天界のもろもろの神が和共(あいとも)に讃嘆して、「善いかな!善いかな!」と讃嘆の声を雨降らしつつ相共に人類光明化のために協力してくれるのであります。

それですから、生長の家では最近古今未曾有のことが起こりつつある。

それは、聖典を読むだけで神懸りになり、その神懸りになった人がちょっと『生命の實相』の受け売りをすれば病気が治るというふうな奇跡が続出する。

これ天界の諸神の共同活動によるものであります。

天界の諸神というのは霊界の上層にいる神格を得た諸霊のことであります。

こうして天界の諸霊の協同活動と人間界のわれらの協同活動とによって『生命の實相』の真理が宣布せられるにしたがい、この世の一切の迷い障りが消滅してしまう。

そうして、この惑障(わくしょう)の消滅とともに、惑障の現われであった地上一切の不幸苦悩は消尽して、このまま、この世が光明の常楽世界となるのであります。

5654a hope:2015/08/16(日) 09:09:26 ID:cEpBaIdo

>>5653 a hope所感)

『生命の實相』の真理は、「現象界」だけではなく「霊界」や「神界」に到るまで鳴り響くのですね!

<<生命の実相(ほんとうのすがた)が完全円満な神そのままの相(すがた)であるということ>> 【唯神実相】
<<神は決して罪を作り給わないから、罪というものは本来ない>>【人類無罪】

というように、その真理は本当に単純なのに、わたしたちはそれをなかなか悟れない(体得できない)・・・(-_-;)

悟れば、此の世が光明の常楽世界になるというのに・・・。

だからこそわたしたちには、聖典『生命の實相』を毎日拝読して、その真理を伝道して行く使命があるのですね!

5655a hope:2015/08/23(日) 22:59:48 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p59 2行目〜

生長の家の人類光明化運動には人間だけが参加しているのだと思うとまちがいでありまして、霊界における高級スピリットが参加していて、霊界からこの光明化運動を護念しているのであります。

そして一信徒が生長の家の真理を説くと、説く人もハッキリ分かっていないし、説かれる人もそれほどハッキリわかっていないのに、難病がパッと治ってしまうような実例がある。

これは、霊界からスピリットが強烈な光明思念を送って迷いの思念を破壊してしまうのであります。

5656a hope:2015/08/23(日) 23:01:17 ID:cEpBaIdo

>>5655 a hope所感)

唯物思想に感化されてしまった人たちには、この霊界とかスピリットとかいう存在を認めるのは難しいかもしれませんね。

わたしは「生長の家」の教えに触れる前からその類の本(精神世界関係)はかなり読んでいたので、
この現世の人間とスピリットとが影響し合っているという関係はすぐに理解できました。

真理を大悟された谷口雅春先生やその愛弟子さんたちがこの現象界に沢山ご存命だったころは、
「生長の家」教団自体が光明思念で満たされていたでしょうから、霊界のスピリットたちもその光明思念に共振し、
「生長の家」の光明化運動を護念してくださっていたのでしょうね。

ですから、たとえ真理を悟っていない信徒であっても、その「おかげ」を受けて、
聖典を拝読したり聖経を読誦するだけで簡単に病気が治ってしまったりするような、奇跡を起こすことができたのだと思います。

5657トキ:2015/08/24(月) 22:15:05 ID:jDE0Dx5.
>>5656

 これはその通りだと思います。

私の縁者の「一白鳩会員」が谷口雅春先生ご先導の神想観に参加したときに、
ものすごいパワーを感じたと言います。奇跡も続出したみたいです。

5658a hope:2015/08/27(木) 09:53:34 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p60 8行目〜

念の世界に、本来無い世界に、勝手に自分たちの妄念で不幸を創り、混乱状態を起こし、それがまたこの現象界に、勝手に自分たちの妄念で不幸を創り、御蘭状態を起こし、それがまたこの現象界に現われでようとした場合に、「かわいそうに」とそこに実相の世界から光明の念が及ぼされてくる、その光明の念が応現して観世音菩薩となり、阿弥陀如来となるのであります。

これは、化身または応化身の神であります。

そして宇宙に遍満する神というのは、実相とか、法身の神とか大本体の神とか言うのであり、この応化身の救済の活動に、霊界の高級霊が参加して活動するのは地上では悟りに近い現世の人々が参加して活動するのも同じであります。

この大本体の神が第一義の神であり、応化神が第二義の神である、これらは霊魂ではないから霊媒には憑(かか)らない。

霊界の高級霊というのは第三義の神と称するのがそれで、その眷族(けんぞく)あたりが、時には「大本体の神」の御名(みな)を僭称(せんしょう)して霊媒にかかってくることがあります。

仏典に「衆生仏を億念すれば、仏、衆生を憶念す」という 語がありますが、神は宇宙に遍満し給うのでありますから、憶念しても、しなくてもすでに満ちてい給うものでありますが、生が迷って、救いを求める気持ちになる。

換言すれば仏または、神を憶念した時に、阿弥陀仏となり、観世音菩薩となって、機に応じて現われ給うので、迷いは無明であり、暗(やみ)である。

暗は本来虚でありますから、そこに光が射せば暗は自然に消滅してしまう。

それが実相の神が、地上に応現し給うと、地上の迷いが自然に消滅してしまうということになるのであります。

5659a hope:2015/08/27(木) 09:55:08 ID:brQxC10.

(a hopeまとめ)

○第一義の神・・・宇宙に遍満する神・実相・法身の神・大本体の神・(光明の念)

○第二義の神・・・第一義の神の「応化神(応化身)」・観世音菩薩・阿弥陀如来 
        ※霊魂・で・は・な・い・から霊媒には憑(かか)らない

○第三義の神・・・霊界の高級霊 (スピリット)

○悟りに近い現世の人びと・・・高徳な僧や宗教の開祖とその直弟子たち・慈善活動家等・現世の高級霊【a hopeの個人的解釈】


○人類光明化運動・・・第二義の神「応化神」の救済活動に、霊界の高級霊(スピリット)や悟りに近い人びとが協力し合って行う運動【a hopeの個人的解釈】

5660a hope:2015/08/27(木) 09:57:54 ID:cEpBaIdo

>>5658 >>5659 a hope所感)

昔から、神さまのことを考えだすと、果てしなくひろがっていく宇宙の神秘を感じるのと同じような気持ちになりましたが、
実際、第一義の神は宇宙に遍満する実相ですから、それは当たり前のことだったのですね。

人間知では考えても考えてもわからない宇宙の果てのような存在が「実相・神」・・・

だから、「神さま」は慈悲深い「応化身」となってわたしたちの前に姿を顕(応現)し「迷っている」わたしたちを救済してくだる・・・

そしてその活動に霊界や地上(現世)で参加しているのが、スピリットや悟りに近い人々・・・

なんか、わたしはだんだんわかってきましたよ。

『縁あって「生長の家の教え」に触れた人々はみな「高級霊」である』どこかでと聞いたことがあります。

そういう意味だったのですね!

5661a hope:2015/08/31(月) 10:46:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p72 5行目〜

しかし、現実をこの現象界を軽んじることが、「無」を悟るということにはならないのでありまして、生長の家では現象界を軽んじようとは決して言っていない。

ただこの現象界を映し出しているところの、その源(みなもと)の世界を把握して、活動写真を映すフィルムをつかんで、この肉眼に見える世界は、その影にすぎないのだということが分かれば分かるほど、すべての現われが実相を映し出し自由自在に、意のごとくになるというのであります。


(a hope所感)

この第二章の前半は「甘露の法雨」の『物質』の項目の解説ですが、
ここには、われわれが「物質無し」「現象無し」をまことに悟れば、妄念、迷いが払しょくされて念のフィルムが無色透明になり、
現象界に映し出される映像が実相一元の完全円満で光明そのものの姿になるという仕組みが詳しく解説されています。

それはとてつもない悟りの境地だと思いますが、それが生長の家を信仰しているわたしたちが目指すべき『実相独在』『唯神実相』の悟りなのですね!

聖典「生命の實相」は学べば学ぶほどそのレベルの高さを実感できます。

ほんとにすごい聖典ですね!!

5662a hope:2015/08/31(月) 10:48:11 ID:cEpBaIdo

ところで、今日は8月31日、今月の最終日です。
本当なら、9月からは第37回web誌友会を開会して「生命の實相」第22巻に移りたいのですが、
まだ、第21巻のお勉強が終わっていなので、勝手ですがこのまま第36回web誌友会を継続させていただきたいです。

トキさま、みなさまいつも勝手を言って申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

5663a hope:2015/08/31(月) 10:48:55 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第36回 web誌友会 案内 (改訂版)

期間   8月2日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第21巻 経典篇 
内容  『甘露の法雨』講義
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5664a hope:2015/09/05(土) 23:21:49 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p79 後から6行目〜


・・・われわれの本質は久遠の実在なのだ。

宇宙に充ち満つる大生命と同体の我こそ自分である。

(自己を指して)大生命ここにありと自覚する。

(また、聴衆をさして)皆様自身のうちに大生命ここに在りと自覚する。

自分が実在であり、大生命であると自覚することが必要なのであります。

自分は宇宙に充つる真理と同じものだ。

自分の実質は久遠の仏と同じものだ。

永遠の真理と一つのものだと悟ることが肝心なのです。

それだのに自分と実在すなわち神とを別々に離して、別物のように考えているから、どんな大宗教もたんなる哲学になってしまって実際に人を救う力がなくなってしまうのであります。

われは真理と一つのものである。

実在と一つのものである。

神と一つのものであるという実感が要するに現実世界を生かす根本であります。

生長の家が仏教、キリスト教と神髄において、同じことを説いていながら仏教、キリスト教に現われない数多くの奇跡を現わしているというのも、そこなのであります。

仏教、キリスト教で言っているのと同じ真理を、抽象的に説かないで、「実在のみある」という立場から、真理を実生活と遊離しないで、生きた人間の中に持ってきて、我すなわち真理である。

大生命である。

と、真理と吾とをぴったり一つに重ねてしまって、吾すなわち真理なりとの大自覚に入らせる。

ここに生長の家が在来の宗教の真理と同じ真理を説きながら、生活上に、治病上に実際の力ができてくるゆえんがあります。

5665a hope:2015/09/05(土) 23:25:51 ID:cEpBaIdo

>>5664 a hope所感)

<<それだのに自分と実在すなわち神とを別々に離して、別物のように考えているから、どんな大宗教もたんなる哲学になってしまって実際に人を救う力がなくなってしまうのであります。
われは真理と一つのものである。実在と一つのものである。
神と一つのものであるという実感が要するに現実世界を生かす根本であります。
生長の家が仏教、キリスト教と神髄において、同じことを説いていながら仏教、キリスト教に現われない数多くの奇跡を現わしているというのも、そこなのであります。>>


仏教にしてもキリスト教にしても、真理を大悟した釈迦やキリストがこの世に存在していた頃は生きた宗教で、
実際に多くの人を救っていたでしょうし、様々な奇跡も起きていたのだと思います。

ですが釈迦やキリストが現象世界を去った後に、どちらの宗教でも偶像崇拝のようなことが起こったり、
<<自分が実在であり、大生命である>>という大切な真理がないがしろにされたりして、
形式ばかりを重視する「救済力のない宗教」になっていってしまったのだと思います。


わたしは、現在の「生長の家」にも、同じようなことが起きている気がしています。

5666a hope:2015/09/07(月) 08:16:52 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p82 6行目〜

・・・けれどもその仏教の説き方にいろいろの段階がある。
声聞遠覚(しょうもんえんかく)などという下段、中段にある人に説く説き方を聞いていますと、「この人間は生まれた以上死ななければならない」などとこんな説き方になるのです。

生きているものは死ななければならないという教えは、生命というものを眼に見えている肉体だと思っている悟りの発達の低い人たちに説く教えなのです。

5667a hope:2015/09/07(月) 08:18:28 ID:cEpBaIdo

>>5666 a hope所感)

わたしは物心ついてきた5歳の時に大好きだった祖父を亡くしてから、
その後何十年間も「この人間は生まれた以上死ななければならない」と信じて生きて来ました。

でも、実際はそうではないのですよね。

それにしても、

<<生きているものは死ななければならないという教えは、生命というものを眼に見えている肉体だと思っている悟りの発達の低い人たちに説く教えなのです。>>

『悟りの発達の低い人たち』とは、ちょっと衝撃的な内容でした・・・(-_-;)

5668トキ:2015/09/07(月) 18:09:19 ID:jVJQMSko
>>5667

 それは、衝撃的でしたね。

これは私見ですが、宗教の教えは、釈尊の時代から、相手を見て法を説く、つまり対機説法という
技法を使います。その場で一番最適な表現と内容で相手を説得します。だから、後から見ると、
必ずしも他の場面では適当とは言えないものもあります。

 例えば、お母さんが子供に「一生懸命勉強しないと、立派な大人になれないよ」というと、
「東大を出ても警察に捕まっている人はいます」と反論する人がいます。しかし、お母さんから
見ると、子供が大人になったときに困らないように、勉強を鼓舞するのが目的で、客観的に、
あるいは学術的に、初等教育の成績と将来の人生との関連を述べるのが意図ではないみたいな
ものです。

 と、まあ、個人的には、こう考えております。

5669フニュ(´・ω・`)るん吉:2015/09/08(火) 00:56:49 ID:???
>>悟りの発達の低い人たち』とは、ちょっと衝撃的な内容でした・・・(-_-;)


生長の家は、要するに「悟り」やもんねぇ。神の子の真理を絶対境地で体験して悟らにゃ、本物の我は出てこない?ですよね?

自我のまま、現象の我のまま?ですよね。「我即神」の絶対境地になってないんやもの。 

例えば、生命の実相を読んで「実相独在の真理」があまりに有難くて、読んだ後は有難い、明るい心持ちになって

その結果、心の法則によって現象界に良いことが起こる。(それは嬉しい事だけど)しかしその時の心は

依然として、自我の心ですよね?新生したわけでは無いですよ・・・ね。

ところで、二代目の清超せんせいは、ご自分が神の子ということを如実に実感されてたんでしょうか?

どう思います?

5670a hope:2015/09/08(火) 09:51:53 ID:cEpBaIdo

>>5668 トキさま >>5669 るん吉さま

コメントをありがとうございます。

わたしは、『生長の家の教えの神髄』=『谷口雅春先生の「実相独在・唯神実相」お悟り』だと思っていますが、
そのお悟りの境地はわたしたち凡人には一生かかっても実感できないような最高レベルのお悟りだと思うのです。

それでも谷口雅春先生は、その御慈悲心から「生命の實相」やその他の聖典の中でそのお悟りをあらゆる方便(対機説法)を駆使して、
わたしたちにもわかり易いように何度も何度も表現を変えて伝えて下さっていますよね?

ですからわたしたちは、聖典を繰り返し拝読していれば、頭ではその理屈はかなり理解できてくると思いますが、
実際には、そのお悟りの境地を100パーセントそのまま感受することはとても難しいことだと感じています。

このお悟りを感受するのには、文章の内容を頭で理解するのは勿論ですが、
その文章から発している波動に自分の波動を共振させることが重要なのではないかと感じています。

谷口雅春先生の波動は最高レベルの波動ですから、自分自身もよい波動を発していないと、
お互いの波動を共振させることはむずかしいと思います。

実際、わたしも心が乱れている時は、「生命の實相」をいくら拝読しても感動しませんし、魂も震えません。

そのような時は、常に三正行を怠らず波動を調えることの大切さを実感します。


谷口清超先生は、谷口雅春先生から正式に法燈継承をされた「生長の家」の法燈等継承者ですから、
かなりのレベルのお悟りをされていたのではないかと思われますが、
それでも、谷口雅春先生のお悟りには及ばなかったのではないかと拝察しています。
( a hopeごときが、大変生意気な発言をして申し訳ありませんm(__)m)

5671a hope:2015/09/12(土) 09:08:08 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p84 

「生長の家」では人間は仏であると始めから直截(ちょくせつ)に断定する。

迷いなんてものは本来無いものだ。

迷えば衆生になり、悟れば仏になるなんて人間の本体はそんなフラフラのものではない。

そんなフラフラな「心」は本来無い心である。

迷いなんて無い、始めからわれわれは仏なのだと断然と迷いを断ち裁(き)ってしまって、断然と「我は仏なり」と肯定してしまうからこそ実際に宗教が生き、実人生を動かす力が出てくるのであります。


不生不滅などというどちらつかずのフラフラの言葉で、われわれの生命を形容したのでは力がでてこない。

われわれは生きとおしの生命であって滅びはない。

消ゆることもない。

迷いを一刀両断に斬り捨てて「生」のみを断然高く掲げ、本来「生」であって、無限の昔から、無限の未来へ生きとおす無限の生命こそ吾であり、無限の生命、すなわち仏であると断言してしまって、そこでわれわれ本来仏であり、無限の生命、すなわち仏であると断定してしまって、そこでわれわれ本来仏であればこそ、滅びもなければ、迷いも無い、そしてこれのみが事実である、これのみが実在である、その他のものはすべて無い、とすべて無いものを斬ってしまって(自己を指差して)「ここに仏あり」と思う。

そうすれば自分のうちに無限の力の宿ることを自覚することもできるのです。

迷いは無い。

ここに仏が坐っている。

今は迷っていて一生懸命念仏して仏になれるというような、そんなフラフラした影みたいな人間ではないのだ。

そんなものは初めから無いものなのだ。

われこそ仏である。

本来無限の仏力が宿っている、これをまず肯定せよと「生長の家」では言うのであります。

心、仏、衆生、三無差別としての仏は本来ない、そういう仏も衆生も心も斬り捨ててしまったとき、なお残る実在――久遠よりの仏のみがあり、それが本当の自分なのであります。

5672a hope:2015/09/12(土) 09:09:49 ID:cEpBaIdo

>>5671 a hope所感)

>>5641で謹写したはしがきにも

<<主として講義の速記によったのでわたしの文章だというよりも、わたしの語調が写されているところに特徴があるであろう。>>

とありましたが、この第21巻の「甘露の法雨」講義は、谷口雅春先生のお話になられたままの語調がそのままご文章になっているようです。

たとえば、違う誰かが「われこそは仏である。」と発言したら、まわりで聞いている人はどんな風に感じるでしょうか?

気が違ったか、もしくは傲慢極まりないと感じるかもしれません。

まったく同じ真理の言葉を伝道するにしても、その真理を本当に悟っている人が話すのと、そうでない人が話すのでは、
影響力に雲泥の差が出て来てしまうのだと思うのです。

わたしたちは「仏の子」であり「神の子」だというのは確かな真理だけれども、
その真理を伝道するにはまずは自分がそのことを自覚し(悟り)その波動を発することが重要だと感じています。


偽我の自分を「仏の子」「神の子」だと勘違いしてしまうと、それは増上慢になってしまいますものね。

わたしはこの『「唯神実相」を悟る』というありがたい課題に、これからも謙虚に取り組んでいきたいです。

5673a hope:2015/09/13(日) 09:25:47 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p89  2行目〜


先日読売新聞に武本喜代蔵さんという大阪天満教師が書いておられるのをちょっと見たのでありますが、この武本という方はキリスト教の牧師さんで信仰によって病気を直された経験があるらしい。

名前も、わたしは十数年も前から聞いて知っているのですが、その方がこういうことを書いておられたのであります。

「信仰によって肉体の内部の病気が治るというのはあたりまえの話だ。しかし肉体の外部の、外傷は信仰では治らない。――」

こんなことを書いておられたのですが、わたしはこれを見て、この偉い牧師さんも本当のことが分かっていないな、と思ったのでありました。

この牧師さんには、われわれの外界に起ることは自分たちの内界の投影であって、外界も心の現われであるということが分からないで、肉体という一定の殻の内側だけが自分の心に左右されるもので、肉体という外殻の外側はもう自分の外だと考えていられるから、こういうことが書かれるのであります。

この方には三界は蜃気楼のごとく唯心の所現であるということが解らない。

自分というものは小さな肉体である。

脳髄に心というものが宿っていて、その心の宗教的感情はわずか五尺何寸、十四貫何匁のこの小さな肉体だけを支配しているとこう考えているのです。
(つづく)

5674a hope:2015/09/13(日) 09:26:58 ID:cEpBaIdo

>>5673 a hope所感)

<<「信仰によって肉体の内部の病気が治るというのはあたりまえの話だ。しかし肉体の外部の、外傷は信仰では治らない。――」>>

「生長の家」を信仰されているみなさんは、この武本喜代蔵さんの考え方を間違いだと思われましたか?

つまりは、『ガンなどの内臓疾患や精神病などの身体の内部の病気は信仰によって治すことはできるが、
事故等で外界からダメージを受けた外傷は信仰によっては治らない』、という意味だとわたしは解釈しました。

わたしは、すでに「生長の家の教え」を5年以上学んでいますが、いまだにこの武本さんの考え方は間違いであるといいきることはできません。

ですが、谷口雅春先生は「甘露の法雨」講義で、この武本さんは『本当のことが分かっていない』とおっしゃっています。

では、『本当のこと』とはいったいどういうことなのでしょうか?

つづけて謹写していきます。

5675a hope:2015/09/13(日) 10:44:30 ID:cEpBaIdo

>>5673 つづき)

ところが、この空間は自分という一点の中心から周囲にレンズを向けたように、念波の広がりによって成り立っているのであって、自分がその空間の中心である。

自分が宇宙の中心である。

いっさいを周囲の空間に現しているのが自分であるのです。

それが分かると、自分は実に偉大なものだという実感が得られるのであります。

そうすると、この自分たち一人一人が宇宙の中心であるといえば、この宇宙には中心ばかりたくさんあるということになって、なんだか変だと思われるかもしれませんが、少しも変なことはない。

無限大の宇宙は、いくらたくさん中心があっても、そのすべての中心をそのまま収容することができるのであります。

みなさんは御存知でありましょうが、楕円形には無数の中心があるのであります。

有限の楕円形にでさえ、無数の中心があるとすれば、無限大の宇宙に、たくさんの中心がありうるというのは当然のことであります。

無限大の実相の宇宙においてはわれわれおのおのが中心なのである。

と同時にわれわれは実相においては一つの大生命と、まったく一つのものであるというのであります。

楕円形の中央の一直線上にある無数の中心が一つでもかけたらその楕円形は成り立たない。

皆それぞれの中心の一つ一つがなくならない中心であるのと同じように、われわれ各自は皆宇宙の中心であって各自は宇宙を双肩に担っているのであります。

そして宇宙の生命と一つになってこの宇宙を動かしているところの存在なのです。

5676a hope:2015/09/13(日) 10:45:39 ID:cEpBaIdo

>>5675 a hope 所感)

「自分が宇宙の中心であったら、他の人はどうなるんだろう?」という疑問がここで一気に解消されますね!

現象は影である。

影の中(仮相)ではいろいろな不都合や差別なんかが起こって見えていても、
実在界(実相)では、わたしたちおのおのが中心で自由自在に宇宙を動かしているのですね!

すごいですね!(◎_◎;)!

5677a hope:2015/09/15(火) 10:58:10 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p101 後から5行目〜


この因縁というものは、人間だけにあるのではありません。

因縁は全宇宙にあるのです。

宇宙の因縁循環して、いろいろの現象を起こしているのであります。

星雲状態も、燃ゆる灼熱の天体が冷めて月になるのも、宇宙の業の流転であります。

宇宙の業が循環流転していろいろの姿を現している。

この世は宇宙の業が流転して、因縁因果の姿を現じているものでありますから、『法華経』にかかれているごとく「劫(こう)尽きて末世が来てこの世が滅尽(めつじん)してしまう」というようなこともおこりうるのであります。

宇宙の業が流転して一太陽系統世界が生成し、やがてさらに流転して滅びてしまう。

その一期間を「劫(こう)」というのであります。

この一期間の週期が終わってこの世が滅尽してしまうようなことが起こっても「実相の浄土」は因縁によって現じている世界ではないから、決して滅びることはありえないのであります。   

(中略)

「実相」の世界は完全円満であっても、現実界ではわれわれは地震にも逢わなければならないと考える人がありますが、広範な大地震というような事件は宇宙の業によって起こりますから、一人の人間の悟りが大地震そのものを無くしてしまうことはできない。

しかしわれわれが本当に実相を知って因縁を超越した時には、地震はありながらも自分が地震に傷つかないような状態になるのです。

生長の家の信徒が自動車に轢かれても、微傷だも負わないというのはすでに因縁を超越した証拠であります。

現象世界の重力の法則によれば自動車に轢かれたらつぶれてしまうか、負傷するのがあたりまえのことでありましょう。

その重力の法則が因縁の法則であります。

その因縁をまったく超越した時には、自動車に轢かれても傷つかない。

憂苦満つる娑婆世界にいながらも、寂光土にいるような状態が現われ出てくるのであります。

なぜならわが環境はわが心の影、三界は唯心の所現であるからであります。

(第二章 終り)

5678a hope:2015/09/15(火) 10:59:58 ID:cEpBaIdo

>>5677 a hope所感)

各地で頻繁に起こっている地震、 火山活動の活発化、 豪雨による水害・・・・
最近の日本列島はどうも落ち着きません。

果たしてそのすべての原因は、わたしたち『人間の業』の自壊なのでしょうか?

もしそれが宇宙の業の流転の一端であるのならば、わたしたちがどんなに自分たちの犯した罪を反省し、
現象問題に対応してもその自然災害を食い止めることはむずかしいのではないでしょうか?

実際、先日起きた栃木の水害でも、自然環境を守るためのソーラーパネル建設が堤防決壊の原因なのではないかという問題もあがっていますよね・

生長の家の信仰により環境保護運動をするのであれば、そのような現象に対応するような形ではなくて、
まずは信徒一人一人が「本来罪なし」の「実相独在」を自覚し(悟り)、それを人類に伝道していく方法が正道だと思います。

そしてそれが本来の「人類光明化運動」だと思いますし、わたしはその方法しか人類救済はありえないと感じています。

5679トキ:2015/09/15(火) 18:38:42 ID:FzzGVrCQ
>>5678

 地球の歴史を省みると、いわゆる「大量絶滅期」という時代があって、例えば大きな隕石が
地球に落ちて、生命体の大部分が死滅した時代もあったそうです。当然、その時代は人間は
存在しなかったのですから、『人間の業』というのも変ですね。

 確かにスピリチュアルな観点からは、人間の意識もある程度は地球に影響を与えるそうです
が、それを極端に誇張するのは逆に危険な気もします。

>>まずは信徒一人一人が「本来罪なし」の「実相独在」を自覚し(悟り)、それを人類に伝道していく方法が正道だと思います。

全く同意いたします。

5680a hope:2015/09/16(水) 00:46:18 ID:cEpBaIdo

>>5679 トキさま

わたしの意見にご同意くださりありがとうございます。

わたしは聖典「生命の實相」を拝読していると、気持ちが明るくなり生きる力がみなぎってきます。

この掲示板でその大好きな「生命の實相」のお勉強ができるのも、管理人のトキさまのおかげですから、
トキさまにはいつも心より感謝しています。


ところで、明日から1週間くらいになると思いますが、事情があって自宅のパソコンが使えなくなります。

ですから、しばらくこのweb誌友会の書き込みをお休みさせていただきますね。


わたしはお休みしますが、今月は先月に引き続き、第21巻を学んでいますのでみなさまどうぞご自由にご参加くださいね。

5681トキ:2015/09/17(木) 19:32:50 ID:A5YPtPrA
>>5680

a hope様

 ご丁寧なご挨拶、ありがとうございます。

ゆっくりと英気を養ってください。
今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

5682「訊」:2015/09/17(木) 19:37:34 ID:???
>>a hopeさん

 突然ですが最近、再度ハマっております。
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65720842.html
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65721221.html

 この方、雅春先生の実相一元に達しておられますよ。DVDが英語版しかナイのが残念なんですが、かなりイイです。ご紹介しておきます。

5683純粋教理批判:2015/09/19(土) 10:47:56 ID:DD4jWV6M
部室板がかまびすしいのでこちらに再掲いたします。

復興Gさんのイデア論

うかつなことは申せませぬが、復興Gさんへの疑問を述べさせていただきます。

復興Gさんは徹底したイデア論者のようです。神は無駄なものを与えたまわない。原子力エネルギーは神によって与えられたものだ。これがイデア論に特有の物言いであるのは何度も述べたとおりです。

地球の資源は神からあたえられたものだ。家畜となった生き物は神からあたえられたものだ。復興Gさんの物言いがこれとまったく異ならないのは誰がみてもあきらかでしょう。

原子力を必要としているのは人類だけです。人類以外に原子力を必要とする生き物はおそらくおりません。そんな人類がいったいどれだけの生き物を絶滅に追い込んだのでしょう。神が無駄なものを与えたまわないのであれば、絶滅に追い込まれた生き物は人類を必要としていたとでもいうのでしょうか。それとも、無駄なものは与えたまわないとは、人類のことだけをいっているのでしょうか。復興Gさんにはこのような疑問をどうしてももってしまいます。

5684純粋教理批判:2015/09/19(土) 10:49:19 ID:DD4jWV6M
復興Gさんの物言いひとつとっても生長の家がイデア論であるのはあきらかでしょう。生長の家はイデア論なのですよ。

環境問題をつくりだしたのはイデア論です。生長の家をつくったのもイデア論です。総裁のなかでこのふたつながっているのですよ。

復興Gさんはけっきょくイデア論で総裁を批判している。総裁が否定しているであろう当のもの(イデア論)をもちいて総裁を批判しているのですよ。このことに復興Gさんはまったく気づいておりません。

復興Gさんの批判のごく一部しか読んでおりませんが、それでも以上のことがわかった気がしております。

5685純粋教理批判:2015/09/19(土) 10:53:22 ID:DD4jWV6M
イデア論で総裁を批判することの愚かしさにまったく気づくことなく、復興Gさんは一冊の本を著したのでしょうか。

5686純粋教理批判:2015/09/19(土) 11:50:16 ID:DD4jWV6M
生長の家の歴史は浅く人類的評価はまったく定まっておりません。人類全体の問題を考えるにあたって評価の定まっていない教えをもちだして持論の正当性を訴えるのは適切ではないでしょう。このようなことをされても反論することができません。

原子力がよいとおもうのであれば原子力エネルギーの優越性を訴えればよいだけの話です。教えをもちだして信徒の気をひこうとしているとしかおもえません。

5687純粋教理批判:2015/09/19(土) 12:34:35 ID:DD4jWV6M
重要なことを書きましょう。

復興Gさんがたとえ原子力エネルギーの自然エネルギーにたいする優越性だけで総裁と議論したとしても、その議論の中にはイデア論がひそんでいるのですよ。

人類は自己の欲望を肥大化させエゴむきだしでみずからの繁栄を追求してきましたよね。この追求に少なからず貢献したのがイデア論です。みずからの言葉をもって真理となす。これがイデア論ですから人類にとってこれほど都合のよいものはありません。

人類が原子力を必要とするようになったのはイデア論を都合よく利用して欲望を肥大化させたからです。イデア論と「原子力エネルギーを必要とする人類」は密につながっている。復興Gさんが原子力の必要性を説くとき、その言説の背後にはイデア論が間違いなくひそんでいます。

5689トキ:2015/09/19(土) 15:42:16 ID:YIc16UiA
純粋教理批判 様

 もし、ご希望なら、別の板、例えば、現在あまり使われていない「信仰・体験」板を提供するか、もしくは別に
純粋教理批判 様専用の「トーキングスティック」板を作りましょうか?

 ここは誌友会に使っているので、できれば他の場所のほうが良いかと思います。

 よろしくご検討ください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5690神の子さん:2015/09/19(土) 17:01:23 ID:DRZ7EDG2

<<ここは誌友会に使っているので、できれば他の場所のほうが良いかと思います。

トンチンカンに本流対策室でなら何を書いてもかまわないと云ったのに、本流対策室はそっちのけで、アジ演説の出来るとこへは何処でも出て来る

そを放って置くから差し障りが出るのだよ。うのはなさんを一つの版に閉じ込めるのなら、トンチンカンにも同じ処置をしたらいかが。

5691トキ:2015/09/19(土) 17:29:14 ID:YIc16UiA
>>5690

 コメント、ありがとうございます。

 確かにトンチンカン様に自由な投稿を認めていますが、同時に、純粋教理批判 様
にも自由な投稿を認めています。

 誌友会の場合、最初からテーマが決まっており、それにそった投稿が前提になって
おります。純粋教理批判 様の投稿は歓迎しますが、この場所以外の場所の提案をさせ
ていただいた次第です。

 ご気分を害された点はお詫びしますが、ご理解のほど、お願いいたします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5692トキ:2015/09/19(土) 17:54:24 ID:YIc16UiA
 すみません、追伸です。

 純粋教理批判様の投稿を妨害する意図は全然ありません。
その点は申し上げます。

 よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

5693純粋教理批判:2015/09/20(日) 09:14:11 ID:DD4jWV6M
トキさま

誌友会で総裁を「虚説」と批判するのは許される。その理由をお聞かせください。

こちらの板で総裁を「虚説」と批判するのはよいがそれへの応答は許されない。こういうことなのでしょうか。

一信徒と復興Gさんによる「虚説」発言への応答はここが主戦場であったはずです。復興Gさんがこちらで、「生命の経済学」という実体のない空言をもちだして総裁の環境運動を批判したのは事実でしょう。それにたいする応答がこちらの趣旨にふさわしくないというのはどういう意味でしょう。

5695トキ:2015/09/20(日) 11:09:20 ID:ati5bUBw
>>5693

純粋教理批判 様

 ご投稿、ありがとうございます。平素は弊掲示板をご利用下さり、深く
感謝申し上げます。

 純粋教理批判 様が、a hope 様への反論と書かれていたら、これは私も歓迎を
したと思います。ただ、部室からの横滑りの趣旨を書かれていたので、関係がないか
と理解をしておりました。

 総裁を支持する意見も反対する意見も歓迎をしております。
確かに、復興g様がこちらに投稿をされていた時期は、この場所が「主戦場」で
した。

 が、web誌友会は、主催者が変更し現在、テキストとテーマが決まっており、その内容
で進めることになっております。

 もちろん、純粋教理批判 様も他の投稿者様の投稿も大歓迎いたしますが、
この誌友会の板以外の場所でお願いをさせていただきた、という意味で、
決して純粋教理批判 様の投稿自体を否定したり、反対する意図はありません。

 おそらく当方の書いた表現に行き届かない点があり、誤解を生じさせた点
があったと思います。その点はお詫びします。

 ただ、場所については、趣旨と違いのではないか、という考えをもっています。
 
 もちろん、他の板のご利用にあたって、ご希望があれば、最大限の対応をさせて
いただきます。例えば、純粋教理批判 様専用のトーキングスティック板を設ける事
も可能です。ご検討のほど、お願い申し上げます。

 a hope様も現在、お留守ですから、a hope様のご意見も聞きたいですが、おそらく
は同じ意見になるのではないか、と考えております。

 せっかくのご投稿に注文をつけてしまい、ご気分を害された点は重ねてお詫び
します。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5696a hope:2015/09/20(日) 11:37:02 ID:H4pfxWHA

みなさま、こんにちは。

パソコンが使えないので、スマホからの投稿です。

トキさまのおっしゃるとおり、このweb誌友会板では現在生命の実相 第21巻の『甘露の法雨』講義を学んでいます。

テキストに関係のない内容はお控えいただきたいです。

ですが、わたしの所感に対する反論は歓迎させていただきます。

パソコンが使えるようにならないとお返事できませんが…

よろしくお願いいたしますm(__)m

5697純粋教理批判:2015/09/20(日) 11:38:29 ID:DD4jWV6M
>>5678

>生長の家の信仰により環境保護運動をするのであれば、そのような現象に対応するような形ではなくて、
まずは信徒一人一人が「本来罪なし」の「実相独在」を自覚し(悟り)、それを人類に伝道していく方法が正道だと思います。

これがホープさんの環境運動にたいする考え方であるようです。教えはイデア論だとわたしは思いますが、ホープさんはイデア論を人類に伝道することでイデア論がつくりだした環境問題は消えると、このようにいっているとわたしにはおもわれます。

環境問題を解決するには、「地球の資源は神が与えたもうたものだ」とするイデア論から人類が脱却するよりほかはない。このことをわたしはいっているのですが、ホープさんはどうも逆の方向を向いているようです。

生長の家では「神は無駄なものはあたえたまわない。原子力エネルギーは神が人類にあたえたもうたものだ」と説くようですが、こうした教えで「神は無駄なものを人類にあたえたまわない。地球の資源は神が人類にあたえたもうたものだ」と主張する人々を教えみちびけるおもえるのはなぜなのでしょうか。

5698a hope:2015/09/20(日) 11:38:39 ID:H4pfxWHA

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第36回 web誌友会 案内 (改訂版)

期間   8月2日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第21巻 経典篇 
内容  『甘露の法雨』講義
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5699神の子さん:2015/09/20(日) 11:57:37 ID:.f2R09mc
>>管理人も気がつかないまま、おかしな運営をしている、

テーマ?書いてる一人の人の解釈次第じゃないですかそんなの。この板だけは独善会の反対意見書くと「テーマと外れてる!」と他はほったらかしの管理人も一緒に大騒ぎなんだよね?ふしぎなことに。。
一人だけの解釈で、生長の家の本流や本部がおかしいだの、清超先生の悟りは雅春先生の下だの、悟りを開くだの、散々やって、
テーマといわれたら、ずっと生長の家のテーマなんてはずれてるのにね?
ただの疑問ですので。

5700トキ:2015/09/20(日) 12:03:56 ID:ati5bUBw
>>5699

 ご意見、ありがとうございました。

 ぜひ、誌友会への参加をお待ちしております。
「生命の實相」第21巻 経典篇がテーマです。一緒に勉強をしましょう。

 お待ちしております。

5701純粋教理批判:2015/09/20(日) 12:19:33 ID:DD4jWV6M
>ぜひ、誌友会への参加をお待ちしております。

わたしは参加しておりますよ。みなさまのご意見をお待ちしております。

5702曳馬野:2015/09/20(日) 17:53:53 ID:JPiKJZkg

>>5699 お元気ですね相変わらず、非難中傷がとかなんとかあったようですが。

この板だけは≪≪独善会≫≫の反対意見書くと「テーマと外れてる!」と他はほったらかしの管理人も一緒に大騒ぎなんだよね?ふしぎなことに。。一人だけの解釈で、生長の家の本流や本部がおかしいだの、清超先生の悟りは雅春先生の下だの、悟りを開くだの、散々やって、

テーマといわれたら、ずっと生長の家のテーマなんてはずれてるのにね?・・・・おもろい

〝病なし! 迷いなし! 罪なし!〟これが生長の家の根本真理であります。それでは、神様ただ今より眠らせていただきます。6月13日3:30am谷口雅春先生 最後のお言葉――

〝病なし! 迷いなし! 罪なし!〟これが生長の家の根本真理であります。この言葉は自分の事ばかりでなくすべての人を見る時にもその通りでないのですか?

雅宣総裁は罪を犯しているという人の意見を聞きたいものだ。あなた方の心は病あり、罪在り、ではないかと、罪の観念に満たされていないかと。自分の心以外のものは見ることができないと云われる生長の家。「心の影と云うのは現象の事です。影を見て、引っかかったら信仰は落第です。」と云った講師がいた。

試しに妻に訊いてみた、雅春先生の最後の言葉は何かと、ちゃんと答えれたね。教団で生きているが。此の根本真理に照らして『吾恥ずかしいところ一点もなし』という人間に出遭いたいものだ。

5703純粋教理批判:2015/09/20(日) 21:53:58 ID:DD4jWV6M
>>5675

>自分が宇宙の中心である。
いっさいを周囲の空間に現しているのが自分であるのです。

わたしは自分が宇宙の中心であるというよりも自分が宇宙をつくりだしているとおもいます。いっさいを周囲の空間にあらわしているのではなく、周囲の空間をつくりだしているものこそが自分であると考えます。

宇宙はホログラム映像です。ホログラムをつくりだしているのは自分です。空間をつくりだしているのも自分です。70億の人類が70億のホログラム宇宙をつくりだしている。この「自分」をわたしはドリーミングボディと呼んでいますが、仏教的にはひとりひとりが大日如来ということになるでしょう。

>それが分かると、自分は実に偉大なものだという実感が得られるのであります。
そうすると、この自分たち一人一人が宇宙の中心であるといえば、この宇宙には中心ばかりたくさんあるということになって、なんだか変だと思われるかもしれませんが、少しも変なことはない。
無限大の宇宙は、いくらたくさん中心があっても、そのすべての中心をそのまま収容することができるのであります。

ひとりひとりがひとつの宇宙をつくっているわけですから宇宙の中心はひとつです。中心が無数にあるのではなく宇宙が無数(70億)にあると考えるべきかと存じます。

>みなさんは御存知でありましょうが、楕円形には無数の中心があるのであります。
有限の楕円形にでさえ、無数の中心があるとすれば、無限大の宇宙に、たくさんの中心がありうるというのは当然のことであります。

楕円の中心は・・・。

>無限大の実相の宇宙においてはわれわれおのおのが中心なのである。

実相の宇宙においては、人間は宇宙大の大きさに広がっているのではないでしょうか。「おのおのが中心」ではなく「おのおのが全体」なのではないでしょうか。

雅春先生の教えを正しいものとして物事をつきつめていくとかならず矛盾につきあたります。宇宙には中心が無数にあるとする考え方では、ホログラム宇宙のなかにホログラム人間が無数に存在することになり、ホログラム人間がホログラム宇宙をみている、つまりは映像が映像をみているといった事態をどうしてもまねいてしまいます。

5704トキ:2015/09/20(日) 22:20:16 ID:LtlCeku.
>>5703

 純粋教理批判様のご意見は、たぶん、宇宙論で言う「多元的宇宙論」という発想を
パラレルにしたものかと思います。そういう可能性があること自体は肯定も否定もし
ません。でも、多元的宇宙論にしろ、ホログラフにしろ、人間の三次元的な発想でい
けば矛盾はあるかもしれませんが、4次元以上の発想でいけば、矛盾がないわけでは
ないと思います。(まあ、そこまで行くと、ぶっ飛んだ世界になりますが。)

 多元的宇宙論にしても、生長の家で言う「現象」ですから、その限りではあくまで
も「現象」の世界になります。映像が映像を見ている、という例えも、あくまでも
三次元的な制限の上での例えですから、申し訳ありませんが、私は少し違うと思って
います。

 よく現象というと、映画のマトリックスに出てくる妄想のような、頭脳を制御された
幻のような印象がありますが、実際には、それ自体もないと想像をしています。

 おそらく、現在の人間の置かれた状態は、そういう多元的な世界観でいけば、まだ
初歩の段階でしょう。しかし、そういう初歩の段階をクリアーすることが私たちの
義務ではないかと考えています。

 エコロジストが、Think globally, act locally と言っていますが、実相のあるべき姿
を追求するのが一つの義務としたら、置かれたその場で精一杯生きるのがもう一つ
の義務だと思います。

 小さな、些細なことが大事なのは、そういうことだと思いますね。

5705純粋教理批判:2015/09/20(日) 23:13:52 ID:DD4jWV6M
「多元的宇宙」がマルチバースをいっておられるのであれば、わたしがいっていることとは無関係です。それとも量子力学の多世界解釈をいっておられるのでしょうか。もしそうであればこれもちがいます。多元的宇宙とはなにをいっておられるのでしょうか。パラメーターの数をいっておられるのでしょうか。

わたしはDブレーンについて語っております。もちろん専門的な知識があるわけではありませんが、理論物理学者のマルダセナによればDブレーンにおける、おそらくはひもどうしの相互作用によってホログラム映像がつくられる可能性があるということです。

ホログラム映像がつくられるとして問題は誰がそれをみているのかということです。ホログラム映像は人間の映像をつくりだすはずですが、こうした映像人間がホログラムをみている可能性はないということです。ではいったい誰がみているのか、トキさんはいかがお考えになられますでしょうか。

もちろんホロクラム映像はドリーミングボディ(大日如来)がつくりだす夢のようなものであるはずなので、トキさんがいっておられるように実体はもちろんないものと考えます。

いずれにしても問題は、誰が何をどうやってみているのかということです。理学部出身のトキさんにはぜひともこのあたりの見解をお聞かせねがいたいものです。雅春先生の御文章ではこのあたりがまったく語られておりませんので、できれば雅春先生の御文章にもとづいた見解をおねがいいたします。

5706トキ:2015/09/20(日) 23:27:48 ID:Uri1CqDQ
>>5703

 追伸です。

 難しい論考ですが、宇宙の中心が自分である、というのは、おそらく認識の場では
そうなんだと思います。多元的な宇宙観というか、宇宙のあり方については、まだ確定的
な定説は存在しません。しかし、仮にそれを前提にして考えます。そこで、多元的な宇宙
をマルチバースと呼ぶ事にすると、マルチバースが存在するような空間が存在するとし、
そういう場所がある以上は、そこに中心はあり得ます。それは、おそらくは宇宙意思とも
言うべき存在でしょうが、宇宙意思と密接に繋がっている以上は、確かに、それをもって
宇宙の中心と考える事は可能だと思います。

 しかし、それをもって、宇宙全体と考えるのが適当か、どうかは私は違うような印象は
あります。もちろん、それは否定するまではいきません。考えようによっては、宇宙の
中心でもあり、宇宙全体とも考える事も可能だと思います。

 要は、人間が三次元というレベルで宇宙を表現する以上は限界があり、それはそれで
仕方がないです。その上で宇宙を表現しようとすると、やはり齟齬は生じるのかもしれ
ませんね。

 ただ、それをもって、宇宙の中心である、ということを否定するまでにはいかないと
思っています。

5707純粋教理批判:2015/09/20(日) 23:34:11 ID:DD4jWV6M
雅春先生の御文章は最初のほうだけを読むと現象宇宙について語っておられるようですが、最後のところではいきなり実相宇宙の話になっております。いったいどの宇宙の話をなさっておられるのでしょうか。

また「映像が映像をみている」は三次元に限定されるとのことですが、これを多次元に拡大した場合にはどのような考え方がふさわしいとおもわれるのでしょうか。後学のためにもぜひともご教示ねがいたいところです。

それとマルチバースではなく今あるこの宇宙、ユニバースに限定して話をすすめていただければとおもいます。

5708トキ:2015/09/20(日) 23:38:54 ID:v4x/1O0A
>>5705

 先の投稿は、5704の投稿を拝見しないままだったので、失礼をしました。
純粋教理批判様の言われている事がまだ理解をしていませんので、的外れな点はお許し下さい。

 イメージとしては、私は、スパコンの中の世界が近いのではないか、と想像しています。
スパコンで、生命体の生理作用をシュミレートしたり、気候変動のシュミレートをしたりします。
外部に見せる時にはモニターには映し出しますが、部内で情報を処理する場合では、そういう事
は一切しません。精密講習会で、谷口雅春先生は、実相世界とは具体的な世界だ、と言われてい
ましたが、スパコンの中の情報に近いものが、実相世界のようなものではないか、と想像をして
います。

 谷口雅春先生がそれについて語られているか、という点は私は知らないのですが、おそらく
ご存知であっても、それほど語られていなかったという予感はあります。

 明日は早いので、今日は寝てしまいますが、難しい問題なので、少し思案します。
ご投稿に深く感謝申し上げます。

5709純粋教理批判:2015/09/21(月) 08:12:23 ID:DD4jWV6M
わたしの記憶では、マルチバースはインフレーション理論でもあったはずですが、この理論は旧ソビエトの科学者が考えていたもので、したがって西側に知られたのは冷戦終結後ですから、雅春先生がマルチバースについて語っておられる可能性はないとおもわれます。

話をユニバースに限定いたしますが、わたしが問題にしておりますのは、ユニバースのホログラムはひとつなのか複数なのかということです。雅春先生はひとつであると考えておられるようです。

ひとつとすると、人類はホログラム宇宙(ユニバース)にあらわれたホログラム映像ということになってしまいます。それぞれの人がホログラム映像ということになります。雅春先生はホログラムとしてあらわれた映像人間を宇宙の中心といっておられることになります。

ここで問題が生じます。このホログラム映像をみているのは誰かという問題です。この考え方ですと、それぞれの映像人間がホログラムをみていることになります。ホログラムとしてあらわれた映像人間がホログラム宇宙をみていることになります。これがわたしのいう「映像が映像をみている」状態です。

映像が映像をみる。これはありえない。それぞれが宇宙の中心とされる雅春先生は「映像が映像をみている」といっておられることになります。

5710純粋教理批判:2015/09/21(月) 09:36:09 ID:DD4jWV6M
わたしは宇宙はひとつでもホログラムは複数であると考えます。70億の人類がいれば70億のホログラム宇宙があると考えます。ここが雅春先生とのちがいです。

ホログラムをつくりだしているのは人間です。人間が大日如来です。

5711トキ:2015/09/21(月) 10:40:56 ID:1YpTHrO6
>>5710

 お返事が遅れてすみません。

 今、思い出したのですが、10年以上前、新聞に変わった死亡広告を出した人がいました。

 趣旨は、確か、

 「自分は無宗教であす。だから葬式はしない。と、同時に、今、見えている世界は自分が存在する
限りは見えているが、自分が死んだら消滅するのではないか、という疑問をいだいている。それを検証
したいので、自分が死んだら、自分がこういう事を考えていた、という広告を新聞に出すようにと、私
の家族に遺言として残した。」

というものだったと記憶しています。

 どうやら複数の新聞に掲載されたみたいで、中外日報が後日、記事にしていたのも読みました。
宗教という観点から、参考になる内容だったのでしょう。

 私がそれを読んだ、という事は、ホログラムの世界が単一である、という証明にはならないが、一つ
の資料にはなるかもしれません。(笑) どなたか、お時間のある人は中外日報や他の新聞社に尋ねて
みてください。

 上の話は、ホログラムが複数あるという考えは、昔からあった、ということでしょう。
でも、その証明は容易ではない、ということも示すものだと思います。

 それはともかく、天使の言葉の中には、「百万の鏡をおけば 一個も百万の姿をあらわす」という
言葉があります。谷口雅春先生が、ホログラムが一つなのが70億なのか、という点については、おそら
くは、その中間のような理論をお考えではなかったのではないか、と勝手に想像をしています。「一即多」
ということがそれではないかと考えています。

5712純粋教理批判:2015/09/21(月) 11:06:46 ID:DD4jWV6M
誤解があるようです。70億の人類が70億の宇宙をつくっているとすれば、個人がつくりだしているホログラムはそのうちのひとつにすぎません。これが消滅したところでほかの人たちがつくりだしているホログラムが消えるわけではありません。

5713純粋教理批判:2015/09/21(月) 16:09:18 ID:DD4jWV6M
宇宙がただひとつのホログラムでできているとすれば、あるひとりの超越者によってそのホログラムはつくられたことになります。人間もまた超越者によってつくられたホログラムのひとつということになります。

超越者によってつくられた映像に人間の意識がやどった、それが宇宙の中心としての人間である、とするのが雅春先生のお考えのようにおもわれますが、このようなモデルで映像に意識がやどる仕組みが説明できるでしょうか。人間の持つ多様な要素が説明できるでしょうか。人間関係がなぜ生じるのか、その仕組みを説明できるでしょうか。

たとえば脳には複雑な機能がありますが、それらの機能がいかにして映像に組み込まれたのかの仕組みがこうしたモデルでは説明できないでしょう。ただひとつの可能性は、超越者ではなく人間が共同でひとつのホログラムをつくりあげた、とする可能性であるとおもわれますが、これでは肝心の映像が個人を離れたところにつくられてしまい、人間は離れた場所からそれをみているだけ、ということになりはしないでしょうか。

ホログラム宇宙は人間のなかにつくられなければならない。人間は宇宙の中心でなく宇宙の作り手である。ホログラム宇宙は人間のなかにある。これがわたしの考えです。

5714純粋教理批判:2015/09/21(月) 16:12:51 ID:DD4jWV6M
ホログラム宇宙が人間のなかにあるとするのは独我論ではないか、との批判をうけそうですが、もちろん独我論ではありません。独我論であれば「自分だけが宇宙をみているのではないか」といった不安をまねきかねませんが、わたしがいっているのはこういうことではありません。

宇宙にはただひとつの実体があります。その実体における出来事を人間は、各人がつくりだしたホロクラム映像で体験している。わたしがいっているのはこういうことです。

実体?それはイデア論だ!いえいえ、ちがいます。

ここでいう実体とはDブレーンです。Dブレーンは平面ということにしておきましょう。このDブレーン上に平面世界がある。ご存知のようにこれがブレーンワールドです。人間は平面世界であるブレーンワールドの出来事や体験をホログラム映像へと変換することで立体的世界をつくりだしている。わかりやすくいいますと、ブレーンワールドの出来事はそのままでは体験できないので人間はそれを立体化して体験している。これがわたしの考えでありますので独我論とはまったく関係がありません。

新聞広告の人物は独我論に陥っていたのでありましょう。たしかにこういう考え方なら古くからあります。トキさんは、わたしの考えをこれと同列のもとみなされたようですね。

5715純粋教理批判:2015/09/21(月) 16:45:28 ID:DD4jWV6M
ブレーンワールドの出来事はカオスそのものです。これを立体化したところでカオスはカオスです。カオスをコスモスへと変える必要があります。言葉の出番です。言葉にはカオスをコスモスへと変える力があります。

「カワ」と呼んだことで川があらわれた。カオスがコスモスへと変わる瞬間です。言葉がカオスをコスモスへと変えた瞬間です。言葉がなければ人間はカオスをコスモスへと変えることができません。カオスを「カワ」と名づけた瞬間から人間はコスモスの世界の住人となります。

5716純粋教理批判:2015/09/21(月) 16:58:03 ID:DD4jWV6M
「物質はない」は絶対的真理でもなんでもありません。すべての物質は言葉でつくられています。ないのがあたりまえです。

5717トキ:2015/09/21(月) 18:22:31 ID:1YpTHrO6
 用事で出かけていました。

 Dブレーンについては私は詳しく知らないので調べている段階ですが、ある特殊な
状態で存在するものみたいです。議論されているのは、例えば、10次元とか23次元
とかの存在を前提にしている場合、人間が3次元以上の存在を認識できない理由がまだ
説明ができていないみたいです。ただ、それを現象か実相か、と言うと、私の個人的な
解釈では、やはり現象の世界になると思います。もちろん、実体を現象と理解したら、
純粋教理批判様のおっしゃる通りになるのかもしれません。

 あと、私の個人的な印象ですが、ここで言う「言葉」とは、特定の言語とかいう意味
ではなくて、もっと広い意味、例えば、プログラムに近いような気がします。

 議論から外れますが、谷口雅春先生は、この実相のあり方について詳述はされていな
いと思います。その理由として、生長の家が誕生した昭和の初期は、まだ、ユークリッド
幾何学とニュートン物理学が力を持っていましたから、現在のような理論物理学は世間に
広まっていなかった、という理由があります。

 同時に、谷口雅春先生は、個人の悟りや社会の改善など、いわば「実践」の立場に力
を入れられました。青年の書で、はし書きで、霊界について青年が興味を持ちすぎること
は良くない、と言われていますが、現実世界からの乖離を恐れられたみたいです。その
例で言うと、「実相」があり、それについての基本的な知識だけで十分である、という
のが谷口雅春先生のお立場かと思います。

 さらに、これは私の憶測です。出口王仁三郎さんが、霊界物語で、自分の知識の全て
を開陳することは、神様から禁じられている、と書いています。私は、この実相論につ
いては、実は、それもあるような気がします。

 ただ、Dブレーンはについては、今後の研究により物理学に大きな影響を与える可能
性がありますが、現象と理解するべきだと個人的には思っています。ただ、将来、実相
と現象の間の橋渡しになる部分の説明になる可能性は、否定できないかもしれません。

5718純粋教理批判:2015/09/21(月) 19:31:09 ID:DD4jWV6M
実相とはなにかといっても定義不可能というのが実情でしょう。言葉とはもともと定義不可能なものであり、それを定義した気になって物事を判断するところに排他性や暴力性が生じます。実相独在といったところで外部があるのかないのか、どこまでが実相でどこからが現象なのか、それさえも決定不可能です。

ところで言葉ですが、実相の言葉はおそらくプログラムでありましょうけども、人間が用いる言葉はプログラムではなく「物事を分離させる力をもつもの」と解すべきではないでしょうか。脳のニューロンになんらかの作用をおよぼすものではないかと個人的には考えております。

マルダセナのホログラフィー理論ですが、今のところは3次元空間によく似た空間という制限があるようですし、理論が成り立つ条件としてドッジッター空間とか反ドッジーター空間とかといわれても素人にはまるでわからない世界の話です。

楕円の中心の数がそうであるように、雅春先生の御文章はけっこういい加減なことが書かれているようです。信じるか信じないかの問題であるのならともかく、「宇宙の仕組み」、「世の中の仕組み」、「人間の仕組み」を問題にしようとするときには、こうしたいい加減さが混乱をきたす原因となります。

5719純粋教理批判:2015/09/21(月) 19:45:26 ID:DD4jWV6M
邪悪なまでに難解とされるジャック・ラカンの哲学ですが、ラカンに言わせれば「これ以外の方法で語ることは彼らが許してくれない」となるようです。「彼ら」が誰かはラカンのみが知るところなのでしょうが、「神は無駄なものはつくりたまわない」などと何でもありの言説をふりまわす某御指導者様とは雲泥の差という気がいたします。

5720トキ:2015/09/21(月) 20:30:43 ID:1YpTHrO6
 うーん、このあたりは少し純粋教理批判様と認識が違うところだと思います。

 人間は、確かにそれなりの知識や知能を持っており、科学は発展していますが、
では、人間の認識している世界は、まだプリミティブな段階だと思っています。
その段階の人類に対して、実相の存在を説くのは大事ですが、一即多のあり方
など詳細に説くことが有益か、どうか、という議論があり得ると思います。

 幼稚園児をつかまえて、大学で習う内容の学問、例えばシュレジィンガーの
波動方程式を教えても、理解することなど不可能でしょう。ただ、幼稚園を
出て、ずっと大人になったら、大学という学校があり、そこでは難しい学問
を勉強する、という程度の説明をしておくだけで必要にして十分かと思います。

 谷口雅春先生が生長の家を始められたのは、純粋に「神学」の体系を作る
ためではなく、信仰を通じての人類の救済だと思います。これは谷口雅春先生
だけではなくて、釈尊でもキリストでもそうだと思います。それが後年になり
弟子が体系化して学問にしたのでしょうが、教祖自体はそういうことにはほぼ
無関心だったと思います。

 例えば、経営者なら経営の問題で四苦八苦しているでしょうし、家庭不和や
学業不振で悩んでいる人、病気で苦しんでいる人もいます。人生の意義につい
て苦悩している人もいるでしょう。

 そういう人達の救済がメインの目標であって、教学の理論化という点につい
ては二の次であった、という点が言えるのではないか、と思います。

(つづく)

5721トキ:2015/09/21(月) 20:36:06 ID:1YpTHrO6
 あと、よく宗教者の言動の不一致という点が世間から言われますが、これは実際に
活動をしている人間から見たら、驚くに当たらないと考えています。

 例えば、私はヒラの信徒ですが、もし生長の家の講師の試験で、「地獄があるか?」
という質問にイエスと答えたら、落第でしょう。しかし、自殺する直前の人間に対して
「自殺したら地獄へ落ちるぞ!」と脅したことは責められるべきではないと思っていま
す。

 釈尊でもキリストでも、対機説法というテクニックを使います。その場合、理論的な
整合性よりも結果の妥当性が重視されます。もちろん、それに不満を感じる人がいるの
は否定しませんが、私はそれを肯定します。

(つづく)

5722トキ:2015/09/21(月) 20:55:39 ID:1YpTHrO6
 例えば、Dブレーンにしても最近、ようやく証明されたもので、詳細についてはまだ議論の余地があるものだと
思います。実相とは宇宙創造の根源の存在と言えば、現段階ではそれで必要にして十分だと思います。

 純粋教理批判様の仰りたいことを煎じ詰めると、要するに、実相については詳細もわからないし、定義も不可能
なのだから、それを拝むことは意味がないし、危険である、ということかと思います。

 これに対しては、現段階の人間では、そこまでは不可能だし、その必要もない、ということを私は考えます。
人間も科学も、まだ、プリミティブな段階だから、というのがその理由です。

 ただ、神様をネタに戦争をしたり、テロを起こす人間がいます。それはそれで、政治学や宗教学の問題であり
ます。昔、ビタミンBを発見した人が、これだけは戦争に使われないだろう、と思っていたら、後で潜水艦の
乗組員がビタミンBを使って長期の作戦行動を可能にしている、という話を聞いてショックを受けた、という
記事を読んだことがあります。同じことで、信仰ですら、人間のエゴの道具になりえます。しかし、それでも
ビタミンBの存在価値には変わりはありません。それと同じことです。

 要は受け取る人間の側の問題だと思っています。

5723純粋教理批判:2015/09/21(月) 23:22:49 ID:DD4jWV6M
問題は中心化された個人です。自分を世界の中心とみなす中心化された個人、これが問題です。

中心化された個人は自分中心にしか世界をみない。すべては自分の心の影。自分が正しいと信じるものが真説で、そうでないものは虚説。自分中心に真理を理解した気になって、自己満足でしかない言説を周囲にふりまく。問題が起こればなぜそれが起こるのかを深いところまで考えようとはせず、自分が信ずるものを広めさえすればそれですべての問題が解決するとのご託宣。あげくの果てには自分の言葉を真理と思い込んでなんでもありの言いたい放題。おのれの主観にとじこもって客観性はかえりみない。雅春先生までもが人間は世界の中心と説いておられる。

>純粋教理批判様の仰りたいことを煎じ詰めると、要するに、実相については詳細もわからないし、定義も不可能なのだから、それを拝むことは意味がないし、危険である、ということかと思います。

中心化された個人にお灸をすえる。誰かがやらねばならぬことでしょう。

5724純粋教理批判:2015/09/22(火) 08:54:00 ID:DD4jWV6M
>要は受け取る人間の側の問題だと思っています。

問題が生じたとき、なぜそれが起きたのかとは考えない、教理を広めさえすれば問題は解決する、このように考えるのが宗教です。ようするに「ものを考えない人」をつくりだすのが宗教なのです。

宗教のなかでものを考えようとする人と考えようとはしない人との対立が起きたときに、考えようとはしない人をいかにして正当化するか。トキさんがなされたいのは結局こういうことでしょう。

ものを考えない人は自分中心にしかものごとをみることができないでしょう。自分中心にしかものごとを判断できないでしょう。すべては心の影。ものを考えない人はこうやっていともあっさりと自分を中心化してしまえるようです。「受け取る人間の側の問題」ではなく「受け取る人間の側に問題」というべきでしょう。

教理の体系化はなぜ必要なのでしょう。それは中心化された個人の勝手な解釈をなくすためであるのかもしれません。

5725純粋教理批判:2015/09/22(火) 10:00:49 ID:DD4jWV6M
Dブレーンをもちだすと科学的考察の問題がでてまいりますので、これは取り下げます。代わりに持ち出したいのが、プラトンが語ったコーラです(コーラについては以下を参照)。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/cola01.html

実相と現象のあいだに位置するのがコーラです。コーラは生成の場です。実相を現象へと変換する生成の場でもあるようです。コーラはわたしがDブレーンを持ち出して語ったことを裏づけているかのようですが、実際にはDブレーンを超えています。

>コーラという哲学概念のうちに、私たちは神以前のスピリットの活動を感じ取ることができる。

ここでいう「スピリット」を「外部」と置き換えれば、上記の引用は「私たちは実相以前の外部の活動をコーラに感じ取ることができる」と言い換えることができます。これが、わたしがこちらで述べてきたことです。

コーラを感じ取れるかどうか、これが問題です。コーラを感じ取るにあたって必要となるもの、これをわたしは「一回かぎりのカテゴリー」とこちらでは呼んでおります。

5726純粋教理批判:2015/09/22(火) 10:31:04 ID:DD4jWV6M
プラントといえばイデア論ではないのか。

もちろんイデア論ですが、プラトンともあろう人物がイデア論という単純きわまりない思想を信じていたとはとてもおもえませんね。

イデア論は、ヘラクレイトスの生々流転する世界とパルメニデスの永遠不滅の世界の調和をはかるためにプラトンが編み出した思想とされていますが、問題はこれに外部がくわわるかどうかです。外部がくわわらなければこれはただのイデア論です。

5727トンチンカン:2015/09/22(火) 11:03:40 ID:z9V4A.MQ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
スゴイですね!! この『哲学』みたいなもの・・・ (曳馬野ご一統)

『生命の實相』に替わる、「マサノブ教」用≪聖典≫作成の 「下書き」 でしょうか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

5729曳馬野:2015/09/22(火) 11:23:04 ID:JPiKJZkg

>>5727

ここは誌友会版なんだよね。昔の高校生錬成には所謂左翼系の考え方をする高校生も来たのです。そして座談会になるとただ神の子の話がよいとして参加するレベルの信徒では話にならないような質問が出たこともあるのです。つまりあなたの言う又分派の言う虚説に対し話し合いがもたれたのです。

標語専門でなく虚説であるというのであれば、相手に受け入れられる説明が必要なのです。そういう意味であなたの態度は誌友会参加者としてはあまりにひどいと云わざるを得ません。話をするという態度ではないのです。ただ単に≪ダメ≫というイメージの擦り込みに忙しいだけの人間と認めざるを得ません。

5730トキ:2015/09/22(火) 11:24:23 ID:CeKYIz4g
純粋教理批判 様

 ご投稿、ありがとうございます。おっしゃる通り、教義は必要です。
もっとも、教祖がご存命の間は、教義の必要性は低いかもしれません。
しかし、教祖が亡くなられると、結局は教義しか頼るところがなくなります。

 釈尊の場合は、ほぼ口述での伝承でしたが、後年に至り釈尊の教えをまとめる必要があり、それが第1次と
第2次の仏典結集になりました。しかし、それが後年に至り、仏教の分裂の原因になったと言われます。

 キリストの場合は、逆で、何回かの公会議で聖書が淘汰されたことが最近になってわかっています。
その結果、教会の組織は長年統一は守られましたが、実際にキリストが説かれた教えから乖離した内容
になったし、また、異端狩りで多くの人命が失われたのも事実です。

 谷口雅春先生の場合は、ご存命中に著作や講演という形で教えを遺されましたが、それでも現在、分裂に
至っていることは残念なことです。しかし、谷口雅春先生の教えは、基本的な部分には全くブレがありませ
ん。例えば、神想観をしなさい、先祖供養をしなさい、愛行をしなさい、と言った部分には変化はありませ
んし、解釈に違いが出る余地もありません。それ以上に部分の解釈、例えば世界情勢や環境問題については
解釈に対立があります。そこに組織が分裂に至った原因があります。

 おそらく、本流復活派が考えているのは、仏典結集後の分裂した仏教団体のような状態であり、教団が
理想とするのは、公会議後に統一したキリスト教のような存在だと思います。

(つづく)

5731純粋教理批判:2015/09/22(火) 11:58:22 ID:DD4jWV6M
>>5729

たしかにそうですね。誌友会の参加者から教理にかんする疑問が提出されたときに、「生長の家は救済がメインですからそういう疑問には答えないことにしています」では話になりませんよね。

トキさま、いかがでしょうか。

5732トキ:2015/09/22(火) 12:02:57 ID:CeKYIz4g
>>5731

 ご投稿、ありがとうございます。

 例えば、誌友会の参加者から教義に関する質問があったときには、疑問には答えるべきです。
また、私の知る限りは、そういう努力はなされてきたと認識をしています。

5733純粋教理批判:2015/09/22(火) 12:19:26 ID:DD4jWV6M
>例えば、誌友会の参加者から教義に関する質問があったときには、疑問には答えるべきです。
また、私の知る限りは、そういう努力はなされてきたと認識をしています。

こちらの誌友会板でも努力はなされるということですね。

5734トキ:2015/09/22(火) 12:21:09 ID:CeKYIz4g
>>5730

 教祖の想いを考えると、分派というのはさけたいところです。

 ただ、分派が出る余地がないような教義の設定や解釈の強要をすると、行くつく先は
独裁の正当化という世界になるような気がします。しかし、それでも限界はあるでしょう。

 教義の一本化に正当化したキリスト教ですら、プロテスタントやイギリス国教会やギリシャ
正教が生まれています。「個人の勝手な解釈」を撲滅するのは、不可能ではないか、と思って
おります。生長の家も、これから世界規模で拡大すると、国ごとに解釈に相違が出てくるのは
当然に出てくると思います。ましてや、これだけ価値観の多様化した現代では、ファンダメンタル
な部分ではみなさん同じ思考でも、それ以上の部分になり、統一することは無理だと思います。

 その上で、分裂を回避したい、となると、これは組織はファンダメンタルな部分にのみ特化し
それ以上の部分では、「個人の勝手な解釈」を認める、という方向しかないのではないか、と
感じております。

5735トキ:2015/09/22(火) 12:24:48 ID:CeKYIz4g
>>5733

 努力はします。ただ、必ずしも期待できる返答があるとは限りません。

 うのはな様が、ここの管理人は無能だ、という正しい指摘をされています
が、能力の限界はあります。それもかなり低いですよ。

例えば、戦前の生長の家の云々という質問だと、ここではなくて、別の人
への質問のほうが適当かもしれません。

 また、マニアックな内容のやりとりだと、長期に至る場合は場所をかえ
てゆっくりと対話をしたほうが良いかもしれません。

5736トキ:2015/09/22(火) 12:29:01 ID:CeKYIz4g
>>5729

曳馬野様

 私自身は、「虚説」という表現を使ったことはありません。が、教団発表する教義についての
批判をする意見の中には、的確な内容のものがあります。それに教団側がまともな回答をした事
は知りません。

 先日も、某教区で、教団の幹部が現在の総裁の方針の正しさを説明に地域の会合にこられたの
ですが、出席者から矢継ぎ早の質問をされ、右往左往し、ついに、

 「実は、私もよくわからないのです。」

と告白していました。

5737トキ:2015/09/22(火) 12:29:54 ID:CeKYIz4g
>>5736

 ここは、やはり、教団側も「虚説」との批判には、丁寧に説明をするべきだと思います。

5738トキ:2015/09/22(火) 12:56:50 ID:CeKYIz4g
>>5725

 Dブレーンの話題を引っ込めてくださり感謝します。

 何せ、Dブレーンを勉強しようと思ったら、相対性理論や量子力学の勉強からやり直す必要がある
とのことで、純粋教理批判様は頭が良いので簡単に理解できるでしょうが、私は返答がいつできるか
不明な状態だったのです。(笑)

 コーラの話ですが、私もまだ十分に理解をしているとは思いません。ただ、神以前の存在という
のですが、ここに言う「神」とは第2義の神と理解すべきなのかもしれません。第1義の宇宙創造の
神様以前の存在だとしたら、人間が認識ができる存在なのか、どうか、という疑問を感じております。

 しかし、それはそれで、否定するまでの見識を私は持っていないので、一応は肯定したとします。

 このコーラの話とか、あるいはスピリチュアルな世界から、宇宙も、地球も、その構成物である
鉱物や自然も神の表れである、という発想自体は、谷口雅春先生は否定されていなかったと記憶し
ておりますし、私も否定するつもりはありません。が、私は優先順位については、かなり強く主張
します。おそらく、谷口雅春先生もその点は否定されないのではないか、と勝手に考えております。

 例えば、人間でも、法律ではどの人間も同じ価値を持つとされています。しかし、主観的には、自分
の親兄弟と赤の他人では、同じ人間でも、重さは当然違います。生物でも、人間と人間以外の生物は、
スピリチュアルな観点では同等かもしれませんが、人間の視点からは当然に違います。いや、それは
間違っている、という反論はあるかもしれませんが、そうなると、もう、元禄時代の「生類憐みの令」
の世界になります。そういう世界に普通の人は住みたいとは思わないでしょう。

 生長の家の信仰は、あくまでも普通の市民生活をしている人間の生活を対象にすべきだと思います。

 確かにスピリチュアルな世界観を徹底したら、私の考えは否定されるべきなのでしょう。しかし
人類はまだプリミティブな段階というべきで、そんな高尚な段階にはまだ至っていないです。法律に
詳しい人に尋ねると、動物と人間を救助するべき場面で動物を救い、人間を見殺しにすると、現在の
刑法では殺人や遺棄罪などの犯罪になるそうです。もちろん、純粋教理批判様がそういう主義でこれ
から生活をする、というのなら、それは純粋教理批判様の自由ですから、止めませんが、おそらくは
他の人の共感は呼ばないでしょう。

 ただ、無制限な環境破壊などは肯定されないのは当然で、それはそれで、スピリチュアルな世界観
やコーラの話で正当化されるとも思っています。

5739純粋教理批判:2015/09/22(火) 13:56:13 ID:DD4jWV6M
トキさま

>ここは、やはり、教団側も「虚説」との批判には、丁寧に説明をするべきだと思います。

教団は何が虚説だと批判されているのですか。

5740純粋教理批判:2015/09/22(火) 14:12:02 ID:DD4jWV6M
>純粋教理批判様がそういう主義でこれから生活をする、というのなら、

「そういう主義」とは何でしょうか。わたしの主義をあえていうなら「人類ほんらいの能力をとりもどす」という主義です。あらためてたずねますがわたしがどこで「そういう主義」を語っておりますでしょうか。

それと第一義、第二義といった型にはまった応答は避けるべきでしょう。コーラはこのような単純な話で片づけられる問題ではないと考えております。生長の家の人は決まりきった型にどうしても思考を閉じ込めてしまいますよねえ、

5741純粋教理批判:2015/09/22(火) 14:14:25 ID:DD4jWV6M
「個人の勝手な解釈」が「この教えを広めさえすればすべての問題が解決する」や「この教えにしたがわない考え方は虚説である」となったときに、解釈は原理主義とみまがうばかりの危険思想に近づく可能性があるのではないでしょうか。

ユダヤ教のタルムードをご存じでしょうか。これは解釈だけで成り立っているような経典のようなものだろうと推測いたしますが、いつの時代にあっても対立するふたつの解釈があって激しい議論のやりとりがおこなわれるようです。やりとりの様子は両論併記という形でタルムードにつぎつぎと書き込まれていくものであるようです。

解釈とはいっても「個人の勝手な解釈」が許されるわけではなく、解釈の仕方に一定のルールがあり、それをまもることで「終わりなきやりとり」が可能となるようです。ようするに、やりとりを継続するための知恵があるということです。生長の家にそのような知恵があるでしょうか。個人の勝手な解釈による議論を継続できるような知恵が、生長の家にあるでしょうか。歯止めなき解釈、知恵なき解釈、議論なき解釈は解釈の暴走をまねくだけです。

議論ができるかどうか、これが問題とおもわれますが、現状をみるかぎりそれは不可能といわざるをえません。反証不可能な超越項の乱用はつつしむ。説明責任を果たす。議論を継続するためのこれは最低限のルールであるとおもわれます(説明責任をきれいごとで放棄し、反証不可能な超越項による反論しかできない人がいましたよね)。

5742純粋教理批判:2015/09/22(火) 14:18:37 ID:DD4jWV6M
Dブレーンにかんして、わたしはど素人ですからトキさんに勉強していただいて教えていただくつもりです。

5743曳馬野:2015/09/22(火) 14:52:11 ID:JPiKJZkg

>>5738 .>宇宙も、地球も、その構成物である鉱物や自然も神の表れである、という 『発想自体』 は、谷口雅春先生は否定されていなかったと記憶しておりますし、私も否定するつもりはありません。が、私は 『優先順位』 については、かなり強く主張します。おそらく、谷口雅春先生もその点は否定されないのではないか、と勝手に考えております。

確かに 『スピリチュアルな世界観を徹底したら、私の考えは否定されるべきなのでしょう』。 しかし 『人類はまだプリミティブな段階というべき』 で、そんな 『高尚な段階には』 まだ至っていないです。 『   』は私が付けました。


●「発想自体」ですか?実相の大地に降り立ったのだ、と言われているのです。存在の実相を観た上での立教ということになります。この「実相」なる言葉が何を指しているかは、至った人しか解りません。『優先順位』という見方は、この世の森羅万象が分離したものとして存在している、との六識の「差別智」からの見方であり、八識と云われる「実相智」からのものでないと思います。その実相智に至るための行事として「神想観」はあるのではありませんか?色々聖典を読むことは良いけれど、いよいよというところは神想観によらなければならない、と説かれていませんでしたか。トキさんは神想観により究極の存在に至りその上で、この肉体人間がこの世界の経綸の主催者と云われるのですか?

人類は原始と呼ぶべき精神発達段階であり、『高尚な段階には』 まだ至っていないです。これも上の説明と同じで現象を差別智から見たものではありませんか?「人間神の子」「無限の智慧徳相を具す」との生長の家に外れていませんか?

現象のお蔭を与えるべく真理の話をするのは、火のついた家の中で遊びに夢中になる子供を外に連れ出すための方便であると、法華経の喩えを引いて説かれたのではないですか?「すべては与えてある」との世界の体験こそが一番でしょ。然るにお蔭を与えようとしないのは救済の否定だぐらいの感想が在るのは如何なものでしょうか。「神想観」により到る世界の体得が生長の家の目的でないですか?これこそが生長の家の救済でしょう。私も本当には知りませんが、その世界にたどり着いたという人に遇いたいものです。そんな人であれば今の状態を解決するのは容易いものと考えます。

到らない人(こんな日本語にも真理が見えます)同士で話をするのは夢の中で喧嘩していると夢見ているのと同じことでないのでしょうか。このトキさんの言葉には私が思っている生長の家とは大分違うものを感じます。

5744純粋教理批判:2015/09/22(火) 16:43:16 ID:DD4jWV6M
リンクを貼ったさきが間違っていたのか、話がスピリチュアルの方向に向かってしまいました。スピリチュアルにはまったく関心がないので、とりあえず話の矛先をかえていただきましょう

コーラとは生成の場であるとともに外部への通路がひらかれた場所です。Dブレーンをコーラに、ホログラムをドリーミング(夢見)に置き換えていただければ話は通じるはずです。

Dブレーンをコーラに置き換えたことで、直観的にも、体験的にも、想像的にも話せるようになったはずです。生成の仕組みについてはすでに述べたとおりです。

5745純粋教理批判:2015/09/22(火) 16:59:28 ID:DD4jWV6M
個人の勝手な解釈どうしのひらかれた議論。ひらかれた生長の家実現のためにこれを実現しましょう。ルールは、説明責任を果たす、反証不可能な超越項の乱用はつつしむ、これでいいでしょう。

誌友会参加者として質問させていただきます。

「すべては心の影」とはどういうことをいっているのでしょう。

そもそも心とは何なのでしょう。

以上ふたつの質問に答えていただけることを期待いたします。

5746トキ:2015/09/22(火) 17:52:28 ID:CeKYIz4g
 ご投稿、ありがとうございます。いくつもご投稿やご質問を頂戴したので、どれから返答を
したらよいやら、と思案しています。極力、説明をいたしますが、宗教の説明は科学の分野と
異なり、最終的には、「信じるか、信じないか」の世界になるので、ご期待にそえない可能性
が高いのであらかじめお許しください。

 まずは、5745から自分の意見を申し上げます。

 生長の家の世界観は、唯神実相論という考えから出発をしています。

 平たく言うと、この世界で実在するものは神のみであり、ビッグバン以後に誕生した世界は
あくまでも全てバーチャルな世界だという発想です。この発想は古代ギリシャ時代にも存在し
たという話は聞いた事がありますし、最近の死海文書などの研究から原始キリスト教もほぼ
同じ発想をしていたと読んだ記憶があります。

 その意味では、谷口雅春先生の発想ですが、歴史上、他の宗教家も言っていたとは言えるで
しょう。これは生長の家の発想ですが、神様の啓示と考えたら、共通するのは当然だと言える
でしょう。

 さて、バーチャルな存在だとしたら、人間を含めて、全ての存在が仮想の存在という事に
なってしまいます。当然、本来なら「心」もない、ということになります。しかし、論理的
には、バーチャルな世界でも、そのバーチャル自体は神様のある種の意思の反映ですから、
神様とは全く無関係ではありません。

 聖書には、神様は人間を造られた時に、「はなはだ善かりき」と言われたとあります。
その意味では、神の最高の自己実現である、という事になります。同時に、神は人間に
自由な意思も与えた、と書かれています。

 余談ですが、よく小説家や漫画家が、作品を書いていると、登場人物が勝手に動きだす
と言います。それに近い状態ではないかと思います。

 バーチャルな世界とはいえ、そこに神様の意思が反映している以上、人間は神の最高の自己実現
である、という論理が成り立ちます。同時に、そこにある意思は、神の意思がそのまま反映したもの
ではない以上、ある種、独立した意思が成り立ちうる事になります。

 これを、仮に「心」と命名します。

(つづく)

5747トキ:2015/09/22(火) 18:10:45 ID:CeKYIz4g
 この「心」は、神様のご意思とは密接な関連がある以上は、心の動きとバーチャルな仮想世界
とも密接な関係があります。生長の家では、このバーチャルな仮想世界を「現象」の世界と言います。

 神がそのバーチャルな世界上にある人間の意思に自由を与えた以上は、直接には、神が人間
を操り人形のように動かすことは、しない、ということになります。が、結果は密接に「現象」
の世界に反映することになります。

 環境は心の影、というのは、この密接な連動を指します。

 以上は生長の家の発想を一般の人向きに咀嚼した(つもり)です。

 では、この以上の理論を検証することは可能か、というと、一般論としては
不可能です。ただし、個々の人間が、それを信じる、信じないかを決めるため
に検証をすることは、可能です。以上の理論については、谷口雅春先生が膨大
な書物に書かれているので、それを読んで、自分が実践し、それで自分の生活
や仕事が良い方向へと変化したなら、それは信じる契機となる、というもので
す。それで、多くの人が実践し、生活が向上したり、その他、納得ができる結果
が出たので、信じている、ということです。

 悪い言い方をすると、英語で、Take it, or leave it.という考えがあります。
信じるか、信じないか、という世界になってしまいます。

 演繹的なアプローチでは検証は不可能。実践するしかない、というもので
す。その意味では、残念ながら、ご期待にそえない結論になってしまいまし
た。

5748曳馬野:2015/09/22(火) 18:12:05 ID:JPiKJZkg
純粋教理批判さんの意味する「スピリチュアル」「反証不可能な超越項」とはどのような事を指しますか?

私のような禅と生長の家しか知らないものにはカタカナを使っての話が分かりにくいのです。

意識に上った風光に対して日本語であれば「心象」の言葉で用足りると思うのですが。ホログラムとかドリーミングの言葉を使われますと日本語でさえ人によって汲み取る意味が変わっていることが度々ですので、カタカナは先にこのような意味で使うと定義出来れば話は進むと思いますが、『現象』の定義ひとつでも難しいものになると思いますよ。

心にしても「私がいると認識する心」と「本来の心」と二通りに生長の家では説きますよね、禅では意識になる前の対象物に同化しているものを本心とし、その一瞬後に出来事に意味づけした状態の「念」に変化したものを心の変成作用としているようです。

ですから「心とは何なのでしょうか」?と問われましても、説明はできても、本心の方は禅で言えば究極の存在そのものとされていますので、言葉の世界では決して理解不能ということになります。

「すべては心の影」とはどういうことをいっているのでしょう。にしても説明としては心に応じて二通りに説明はできますが、本心の働きにより出来上がった世界は心を極めた人にしか納得できないと思われます。

『不立文字教外別伝』と云われる存在の根源を言葉で知ろうとすることがそもそもの間違いであろうと考えます。禅では自分の本来の姿を知ることを持って悟りとするようですが、考えで知るのでなく、自分というものが存在し生きているという意識が抜けなければ達することはできないようです。ですから今の私は、自分という限られた意識体があるとしたうえでの話は、全て本質に行き着くとは考えていません。

5749トキ:2015/09/22(火) 18:18:21 ID:CeKYIz4g
>>5741

 私はタルムードについては詳細は知りませんが、その内容はかなり生活に密接に関連したものだ
という印象を受けています。それと、ユダヤ教のラビも基本的には、普通の仕事をしながら信仰の
活動をするとも聞いています。(まちがいだったらゴメンなさい。)

 その意味では、生長の家とも近い存在ではないかと思います。その意味は、世俗から独立した
存在になる事による危険性への対応だと思います。

 過去、生長の家がかかえていた、または現在かかえている問題は、組織が大きくなり、その
中で、官僚化や形式化が進んだことにあると感じています。

 信仰の暴走、ということよりも、自分は活動や組織の暴走、という印象を受けています。
それは、かなり世俗的な部分もあります。活動や組織の暴走を防止することは、組織内の
システムを改善することで十分に可能です。

5750トキ:2015/09/22(火) 18:45:18 ID:CeKYIz4g
>>5742

 Dブレインについては、難しいので私も四苦八苦しています。
まあ、何年か先にはわかるかもしれません(笑)。

5751純粋教理批判:2015/09/22(火) 18:48:38 ID:DD4jWV6M
>純粋教理批判さんの意味する「スピリチュアル」「反証不可能な超越項」とはどのような事を指しますか?

まずは「反証不可能な超越項」とは「神が完全なる実相世界をつくった」といったような表現です。このようなことをいわれても反論のしようがない。実相世界が創造される様子を多少なりともイメージできるような表現をしてもらわなければ反論のしようがないということです。

「スピリチュアル」にかんしてはわたしもよくわかりません。世間ではふつうに使われているようです。かつてブログでスピリチュアルにかんしての質問をうけたことがありますが、答えられないので適当にごまかしました。

ところでドリーミングですが、これは北米やオーストラリアの先住民が用いている言葉のようです(ちょくせつ聞いたことはありません)。世界はある何者かが夢見ることでつくられているとする考え方、これがドリーミングです。

ドリーミングとは世界はある何者かの夢の中の出来事であるとする考え方ですが、こうした考え方がDブレーンのところで説明した「70億の人類に70億の宇宙あり(70億の人類が70億の夢をみている)」とちょうど符合するので、ホログラムの使用はやめてドリーミングの用語に置き換えました。

ドリーミングは心理学者のアーノルド・ミンデルがいたるところで用いておりますので、詳しくはこちらを参照してください。こちらの掲示板ではドリーミングという言葉が何度も用いられているようなので意味の説明ははぶいたという次第です。トキさんも聞かれたことがあるはずです。

「すべては心の影とはどういうことをいうのか」はこちらの板で「すべては心の影」と言い続けている一信徒にたずねたものです。「個人の勝手な解釈どうしのひらかれた議論」としてたずねたものです。

この方は「心の影」を乱発しておられるようなので、どういう意味でそれを使っておられるのか、まずは確認する必要があったというわけです。トキさんに答えていただいてももちろんかまいません。

5752トキ:2015/09/22(火) 18:54:43 ID:CeKYIz4g
>>5748

 純粋教理批判様が言いたいのは、議論に負けそうになると、神様とか真理とかいう実証
不可能な事柄を持ち出して、議論を打ち切るのは卑怯だ、ということなのでしょう。

 私もある部分ではその考えに共鳴しますが、宗教の場合、最終的には「信じるか、信じないか」
という結論になってしまうので、難しい点でもあります。

 それでも議論をするのは、何かの結論をだす、というよりも、それを読んだ人が自分の
宗教観や信仰のあり方の参考にするための資料として有益である、ということでしょう。

 ところで、純粋教理批判様が生長の家について、いくつかの批判を書かれています。
生長の家の信仰に限らず、宗教団体がある個人を傷つける言動をする場合はないとは限り
ません。生長の家では、愛と知恵との十字架で、と言います。

 知恵が足りないか、愛が足りないか、またはその両方が足りないかで、意図しなくても
誰かを傷つける場合はあります。

 それはそれで、私も一人の信仰者としては、謙虚に反省すべきだとは思います。

5753純粋教理批判:2015/09/22(火) 19:11:45 ID:DD4jWV6M
トキさま

わたしが「心の影とは何か」を問題にするのは、人類が心をもったのはたかだか二千年以前と考えられているからです。ではそれ以前はどうだったのか。「人類には心がある」といっても人類の歴史から考えればそれは一瞬のこと。「自由なる意思をあたえた」といってもそれも一瞬のこと。人類の歴史の中でいきなり心があらわれて、それから「すべては心の影」の時代がはじまったということなのでしょうか。

すべては心の影。これは現代人のおごりではないかとおもわれる次第です。

5754純粋教理批判:2015/09/22(火) 19:20:26 ID:DD4jWV6M
UFOが存在するかしないかも信じるか信じないかの問題ですが、UFOを実際にみた人はそのときの様子をくわしく説明できるはずです。宗教が詳しい説明をしないというのは、信じる信じないとはべつの問題のような気がします。

5755曳馬野:2015/09/22(火) 20:53:25 ID:JPiKJZkg
>>「実相世界が創造される様子を多少なりともイメージできるような表現をしてもらわなければ反論のしようがないということです。」


理想的な良いものばかりの世界という説きかたが生長の家でされますが、禅ではあるままの姿をして実相としているように思われます。因縁の法で物事が出来上がっているので、善悪の判断以前の物事そのものを実相と云っているようです。

この意味では実相の意味する物が違っているようです。五官に触れた瞬間には其の儘のものに触れているのを、一瞬の後に念のオブラートで隠したものを認識作用の上で理解している、そんな意味では「70億の人類に70億の宇宙あり(70億の人類が70億の夢をみている)」と言えると思います。

「心の影」と云うのも同じ現実はある一瞬においては世界中唯一つであるけれども、一瞬後には各人夫々の念のレンズを通して意味づけしたものとして認識しているのです。物事があるというけれど、ある瞬間の結果としての生成流動そのものでないでしょうか。記憶の中にのみ物事は存在するもので、前後裁断された善悪などの判断の入る余地のないものみたいです。ですから心の影と云いましても心によって作り出されたものという意味と、心によってそのように認識しているという二つの意味があると思います。

「人は自分と同じものを相手に見出す。あらゆる場合において、人は相手そのものを見るのではない。自分の心を相手と云う鏡に映してみるのである。」と言われているのですが、お前の環境はお前の所為だというように責任の所在を知らすための真理ではなく、環境を見ていろいろ感じるのはそのように感じる心を持っているのだから、嫌な奴などと感じるその心を考え直せ、という意味でしょう。

教団の在り様を見れば総裁の心が分かるなんて言う意味での心の影というものではないでしょう。でないと継母にひどい扱いを受け長じても心の傷云えず悲しむべき運命に泣いている人の個人指導に、それでさえ感謝できるものを探して感謝しなさい、ということができ感謝の結果よき状態になったというがごときは説明できません。感謝の心少なき結果としてそのようになっているのであって、継母の心が冷たいのではないということを表す真理として説かれているのでしょう。

しかしこれはどちらからもいえる真理ではあります、裁きの為の真理ではないということですね。

5756トキ:2015/09/22(火) 21:10:02 ID:PeyOW5Zk
>>5753

純粋教理批判様

 すみません、出先からパソコンを借りて書いています。

 生長の家の現役の会員が言及するのは不適当かもしれませんが、かって生長の家の本部講師で、
後年、高橋信次さんの教団に移籍し、その後、独自の教団を立てた園頭さんが、心の法則につい
て疑問を感じたことを書いています。園頭さんがその事を高橋さんに質問をすると、高橋さんに
キリストの霊が乗り移り(まあ、このあたりは本当かどうかは不明ですが)

 『愛の心のない人に心の法則を教えてはいけません」

と返答をしたそうです。実は、どこだか忘れましたが、谷口雅春先生も同じ趣旨のことを書かれて
いたのも憶えています。

 心の法則というのは、もともと、自分が反省し、進歩向上するために教えられたものですが、
それを中には、自分が他人を裁くために使う人もいる、ということでしょう。

 あと、人類が登場する前の地球はどうだったのか、というと、それは同じ事だったのではないで
しょうか。

 スピリチュアルな説明になってすみませんが、いろいろな本を調べてみると、有名なモンロー
研究所について書かれた「死後体験 3」という本に、人間はマイクロコスモス、つまり小宇宙
である、という説明がされていました。人体を更正する細胞まで意思を持っている、という説明
をしていました。それが分子や原始、さらにヒモまで言っても意思がある、という説明です。

 これも現象のレベルの話ですが、宇宙意思が細胞や分子のレベルまでも存在すると考えるのな
ら、心の影が連動するのも不思議ではない、と考えることは可能です。

5758純粋教理批判:2015/09/22(火) 23:57:21 ID:DD4jWV6M
>この意味では実相の意味する物が違っているようです。五官に触れた瞬間には其の儘のものに触れているのを、一瞬の後に念のオブラートで隠したものを認識作用の上で理解している、そんな意味では「70億の人類に70億の宇宙あり(70億の人類が70億の夢をみている)」と言えると思います。

生長の家では五官を迷いであるかのごとく説きますが、五官はたしかに実相なのです。五官によって得た情報のようなものを何らかの方法で変換することで人間はそれをドリーミング(ホログラム映像)として翻訳しているはずなのですね。

夢(現象)は映像です。映像に力の入り込む余地はありません。映像で力を伝えることはできない、と言い換えることもできるでしょう。映像の世界を生きていながら、それでも人間は五官によって力を感じています。したがってその力は映像以前のもの、つまりは現象以前のものと考えるより他はないと考えます。

>「人は自分と同じものを相手に見出す。あらゆる場合において、人は相手そのものを見るのではない。自分の心を相手と云う鏡に映してみるのである。」と言われているのですが、お前の環境はお前の所為だというように責任の所在を知らすための真理ではなく、環境を見ていろいろ感じるのはそのように感じる心を持っているのだから、嫌な奴などと感じるその心を考え直せ、という意味でしょう。

自分のなかにあるものを相手にみいだすことを心理学では投影といいますね。相手にたいする敵意があるとき、本当は自分の中にあるはずのものなのに相手が自分に敵意をもっていると思い込んでしまう現象が投影ですが、生長の家で説く「心の影」は投影についていっているのかとずっと疑問におもっておりました。その可能性もあるということを理解いたしました。

ただ心理学者のミンデルは(ミンデルはMITで量子力学を専攻していました)、投影にも量子力学的な背景があることを示唆しており、投影としての「心の影」にもなんらかの物理的実体がある可能性が残るのではないかと考えます。このあたりはトキさんの研究を待つしかありません。

5759純粋教理批判:2015/09/23(水) 00:29:01 ID:DD4jWV6M
>聖書には、神様は人間を造られた時に、「はなはだ善かりき」と言われたとあります。
その意味では、神の最高の自己実現である、という事になります。同時に、神は人間に
自由な意思も与えた、と書かれています。

自由とはなにかが問題ですね。スピノザは神一元の世界を思い描いていたといいますが、自由というものがどうしても説明できなかったようです。なぜかといえば一元論は決定論だからです。一元論ははじめから結末がどうなるかが決められている決定論だからです。

神一元の世界観では神と対立するものは存在しません。これはいってみれば一人でゲームをやっているようなものですから予想外の展開というものがありません。予想外の展開にもちこもうとおもったところで、それも自分がやるわけですから予想外といえるはずがありません。

すべてが予想の範囲内でゲームがすすめられて最終的な決着をみる。これが一元論です。自由というものがどこにある。スピノザはこの問題で悩みつづけ結論をだすことはついにできなかったようです。

自由とはなんでしょう。一元論が決定論であることを認めること。この苦渋の決断こそが人間にあたえられた唯一の自由という気がいたします。

5760純粋教理批判:2015/09/23(水) 12:56:00 ID:DD4jWV6M
実相にもいろいろある。

「物質はない」ということはいえるでしょう。しかしたとえば行く手に電信柱があるのに「電信柱はないんだ」とそのまままっすぐ歩いていけばぶつかって痛いおもいをします。電信柱はないはずなのになぜぶつかるのかといえばそこに力が働いているからです。

電信柱にぶつかった瞬間、それは力を感じた瞬間でもあるわけですが、この一瞬、人は実相世界にいるともいえる。しかしそのすぐあとに「痛い」とか「こんちくしょう」とかの思いが湧いてきて人はたちまちにして現象の世界にひきずりこまれる。

こういうことが起きているとすれば力はそれじたいが実相ともいえるが、人間が解釈や判断をくわえた途端に力は現象へと落ち込んでいく。力は実相でもあれば現象でもある。しかしここでいう実相とは「究極の実相」ではないということだけはいえる。

「それがある」、「それがただある」、これが究極の実相です。究極の実相を想像するのはそれほどむつかしくはない。宇宙のなかに自分一人だけがいると想像できれば、これが究極の実相です。

自分以外には何もない。もちろん自分もない。自分という感覚は他人があればこそであって、他人がいなければ自分という感覚もない。ただそこにあるだけ。まわりには何もない。
いや、まわりというものさえない。それがある。ただそれがある。

実相独在とはこういう意味です。ほかに何もない。「ほか」という観念もない。ほんとうになにもない。「ない」ということもない。「ただあるだけ」としかいいようがない。これが究極の実相です。

5761純粋教理批判:2015/09/23(水) 13:20:16 ID:DD4jWV6M
究極の実相を活性化させたのが外部です。外部が内部に侵入した。外部に侵入された実相は収縮を余儀なくされた。実相は内部のさらなる内部へのひきこもりを開始した。実相は他者との関係をもったことでこのときはじめて「自分」の感覚をもった。

心とはなんでしょう。言葉と情動がまざりあったもの、これが心です。かつての人類は言葉と情動が分離されていたために心をもてなかった。何千年かまえに言葉と情動がまざりあったことで人類ははじめて心をもつことができた。

心はしかし心を体験することはできない。心を体験しているものはべつにいる。心はほんとうの自分ではない。心を体験しているほんとうの自分がべつにいる。

心を体験しているもの、それが内部のさらなる内部へとひきこもった究極の実相です。心を体験している究極の実相こそがほんとうの自分です。「赤肉団上に一無位の真人」と臨済が呼んだ一無位の真人こそが究極の実相でありほんとうの自分です(このあたり、正統の解釈とはズレている可能性あり。正統の解釈があればの話ですが、存じておりません)。

わたしのいう一無位の真人はただみているだけです。心の中の出来事をただみているだけ。人は誰もが一無位の真人として世界をみている。このことだけはいえる。しかし多くの人はそのことを自覚できずにいる。

自分のなかの一無位の真人を自覚するには自分をべつの場所に置く必要がある。外部とつながった場所におく必要がある。外部とつながった場所に自分をおいたとき、人は一無位の真人を感じられるようになる。究極の実相を感じることができるのは外部だけだからです。

5762神の子さん:2015/09/23(水) 14:21:29 ID:???
臨済は言った。


「この赤肉団上(肉体のこと)に一無位の真人がいて、常にお前たちの面門を出たり入ったりしている。まだこの真人を見届けていない者はさあ看よ! さあ看よ」


 この言葉を聞くと、修行僧たちは、悟りに到達すると、自由闊達な真正の自分、つまり一無位の真人(そういった意識)が体を自由に出入りし、あらゆる差別を超越した大自由、大自在の境地になれるものだと思わない者はいないだろう。宗教学者や禅僧たちまでが、知ったかぶりして一無位の真人を真摯に解説している者もいる。

 しかし、これは悟りに到達して得意げになっている臨済の、上から目線の最もらしく作った造語で、よく先行した者があとに続くものに優越感を持って幻惑するようなヒントを与えたりする心境と酷似している。


 たぶん本来の自己を、臨済一流の言い回しで飛躍して言ったものと思われるが、真に親切心があるならば一無位の真人なんてまぎらわしい言い方はすべきではないと思う。聞いた者はよけい混乱するだろう。


 釈迦以降、悟りに到達した者は沢山いるが、だれ一人として一無位の真人なんて言葉はおろか、それに類似したような言葉を述べたものはいない。


 わたしは臨済と同じ禅の奥儀に到達したが、もし、わたしが臨済と同じように修行僧たちにヒントを与えるとしたら、やはり上から目線で宇宙の一握を実感せよ、とでも言うだろうか。すると修行僧たちは、悟りに到達すると、宇宙を一握できるぐらいの壮大な心境に浸れるぐらいに思うのではないだろうか。しかし、これは、わたしが最もらしく作った、悟りとは何の関連もない造語である。先行した者はどうしても上から目線になりやすいものである。しかし、そういった態度は人間として間違っているのである。


 べつに悟りに到達しても、宇宙を一握できるような壮大な心境になれるわけではない。しかし、悟りの何たるかを知らない修行僧たちは、ひょっとすれば金科玉条のように宇宙の一握にこだわってしまうかも知れない。もっとも融通無碍の法をもってすれば宇宙を一握できぬこともないが、それは芥子粒に須弥山を閉じ込めるのとおなじような、「法」の世界での話であって現実味は乏しい話である。


 だから、禅を学ぶ人たちは、いかにも最もらしい一無位の真人なんて造語に惑わされぬことである。何回もいうが、一無位の真人なんてものは、悟りとは何の関連もない、臨済が上から目線で、言い得て妙に作った造語でしかない。

 北宗禅の臥輪禅師の偈に

 伎倆あり、よく百思想を断ず。境に対して心起こらず、菩提は日々に長ず。(わたしには巧みな技能があって、百種の妄想を断ち切ることができる。対象に向かっても心は動かず、悟りへの道は日に日に成長している)


 というのがあるが、この偈を聞いた六祖慧能は次のような偈を示して、臥輪禅師の誤りを暗に指摘した。


 伎倆なしに、百思想を断ぜず、境に対して心しばしば起こる。菩提なんぞ長ぜん。(わたしには巧みな技能などない。百種の妄想を断ち切りもしない。対象に向かって心はそのつど動く。悟りへの道がどうして成長しようか)


 禅の奥儀を極めたわたしには、慧能の偈こそ真実とわかる。もし臨済の時代に慧能が生存していたならきっとこういうだろう。

「わたしには、一無位の真人なんてものは、影も形も見えない」

5763純粋教理批判:2015/09/23(水) 15:11:38 ID:DD4jWV6M
たしかに「一無位の真人」の表現をもちいはしましたが、それがなんであるかは理論的に説明したはずです。「内部の内部へと収縮した究極の実相」と説明したはずです。

そのときの様子をより詳しく理論化せよ、と言われても無理ですね。「一無位の真人」という言葉を用いたためにわたしが禅の悟りについて語っているとおもわれたのかもしれませんが、わたしがやろうとしているのは真理を理論化することです。

「一無位の真人」をもちいたのは、この掲示板にきている人たちが宗教関係者だからです。宗教関係者にこの言葉は有効であろう、と考えたからです。「生長の家の用語をもちいて説明せよ」との注文をつけられることもあります。

宗教関係者でなければ、わたしは「主体」という言葉をもちいたでしょう。ふつうの人たちが相手であれば「主体」という言葉をもちいて事態を説明したでしょう。もちろん「究極の実相」という言葉をもちいることもありません。

5764純粋教理批判:2015/09/23(水) 15:24:52 ID:DD4jWV6M
「一無位の真人が出入りしている」というのはわたしにはわかりません。これは理論化することができません。「正統の解釈とのズレ」といったのは、この意味です。

5765曳馬野:2015/09/23(水) 17:56:50 ID:JPiKJZkg

東都之市有大隱  飽来眠兮覺来嚬

不作善又不作惡  不拘舊又不拘新

生來無名併無姓  人呼之無位眞人

咄是眞人何奇怪  三百六旬氣如春


これは明治のある居士が詠んだものです。その人物に対し西有穆山は「彼の如き境涯に達するには、一生二生の修行では出来るものに非ずと驚嘆していた」と弟子の秋野孝道はいう。その西有穆山の弟子に丘 宗潭がい、秋野孝道、丘 宗潭から原田 祖岳が出ている。原田 祖岳から安谷 白雲がでつぎに山田耕雲がいる。彼の「禅の正門」の中に岩崎財閥のある24,5のお嬢さんが多分結核であろうが、病い重くまもなく死に至るという一月ほどの内に見性のみならず大悟したことが載っている。

また「彼は凡人ではない、吾等の遠く及ばぬところがある」と由理滴水天龍寺管長が云ったと孫弟子の天龍寺管長をした關精拙は云う。その次に関牧翁が出、次に大森曹玄、平田精耕、荒金天倫がいる。

『曹源一滴』という言葉がある。六祖慧能禅師によって大成し、臨済、雲門、洞山、潙山、法眼という禅匠たちによって、臨済宗、雲門宗、曹洞宗、潙仰宗、法眼宗の五家と、これに臨済宗の二派、楊岐派と黄龍派を加えて五家七宗に分化し日本に伝来した禅の法流です。先の詠を歌った人を明治大正の日本禅界を背負った方々が褒め讃えるのか、『曹源一滴』の慧能の悟りを継いでいるからに他ならない。その人間が「人呼之無位眞人」と云い「咄是眞人何奇怪  三百六旬氣如春」と謳う。「釈迦以降、悟りに到達した者は沢山いるが、だれ一人として一無位の真人なんて言葉はおろか、それに類似したような言葉を述べたものはいない。」が如何に戯言か知られるものである。臨済と同じ悟りに達したとは?

5766曳馬野:2015/09/23(水) 18:18:36 ID:JPiKJZkg

>>5762さん

何処から引用されたか知りませんが、禅の悟りには決して至っていない人のものと思います。単に言葉としての引用であれば意味がないと思いますよ、あなたが理解した上で同じく「一無位の眞人」を否定するのであればよろしいでんが。

臨済宗、曹洞宗の両宗の老師方が共に吾等の遠く及ばぬところがあると断言した人間の言葉を否定できるのであれば、述べて頂きたい。

5767曳馬野:2015/09/23(水) 20:27:52 ID:JPiKJZkg
中庸に「致中和、天地位焉、万物育焉」とあります。そこの前の所を雅春先生はよく引用して

「喜怒哀楽の未だ発せざる之を中と謂ひ、発して皆節に中る之を和と謂ふ。中は天下の大本なり、和は天下の達道なり。中和を致して、天地位し万物育す。」と言われていた。

ここの天地位焉、万物育焉を指して無位の眞人と云うのでしょう。天地万物に実相生命が宿り生かす、その大生命を指して無位の眞人と、立ち位置のない様のを表現する言葉です。

5768純粋教理批判:2015/09/24(木) 00:41:15 ID:DD4jWV6M
対話の相手があらわれずに間延びしているようなので書き込ませていただきます。

「主体」という言葉をもちいた以上、「主体とはなにか」の説明が必要でしょう。ふつう一般に心といわれているものを、わたしは意識、自我、主体の三つ組にわけて考えています。

主体とは「それがただある」が主体生成の過程をへて誕生したものです。この過程は、「それがただある」の収縮と言語的世界の誕生によって説明されますが、くわしいことはわかりません。

「それがただある」をとりあえずはエスと名づけましょう。主体生成はエスが主体として活動できる場の生成によって成し遂げられますが、場の生成にあたって主導的な役割を果たしたのが言語であったと考えられます。

人類が主体という概念にはじめて出会ったのはおそらくデカルトの「われおもう、ゆえにわれあり」ではなかったでしょうか。デカルト的主体はコギトと呼ばれ、現代の思想界や言論界においてはあまり評判がよくありません。

そんな中にあってコギトを高く持ち上げるのが、あのひねくれもののラカン派哲学者スラヴォイ・ジジェクです。ジジェクはデカルトがコギトをみいだすに至ったときの思索の内容よりも、そのときの「身ぶり」を問題にします。

デカルトがコギトをみいだしたのはある冬の寒い一日でした。寒さを避けるためにデカルトは日がな一日暖炉部屋にひきこもったのです。このひきこもりの身ぶりこそがコギトであるとジジェクは言います。

主体はひきこもることで主体となった。ジジェクがいいたいのはこういうことでしょう。エスもまた内部の内部へとひきこもることで主体生成の場と出会い主体となったのです。
ジジェクのコギトはエスとおそらくおなじものなのでしょう。

ジジェクは「主体は空無である」といいます。エスも空無です。しかしジジェクはこれにつけくわえて、主体は狂気のさなかにあるともいいます。ジジェクが正しければエスもまた狂気のさなかにあることになります。エスはいまだに救われていない。そういうことのようです。

「一無位の真人こそが究極の実相でありほんとうの自分です」などと光明思想を気取ろうといたしましたが、さっそくクレームが入ってまいりました。なれぬことはせぬほうがよいということでしょう。

5769純粋教理批判:2015/09/24(木) 00:50:17 ID:DD4jWV6M
主体を中心化した個人として批判するのがポスト構造主義です。ポスト構造主義は主体を言葉に支配されたあやつり人形とみなします、言葉の効果そのものとみなします。何を言ったところでそれは言葉によって言わされたにすぎない。何をなしたところでそれは言葉によってやらされたにすぎない。このように考えるのがポスト構造主義です。

人は誰もが自分で自由にものを言い、自由にことをなしていると考えますが実はそうではない、すべては言葉がそうさせているのだ、といわれたらどうでしょう。多くの人が「そうではない」と反論するでしょう。しかしその反論でさえもが言葉にあやつられてのことだとすればどうでしょう。

みずからを中心化させた個人は言葉を道具と考えますが、ほんとうはあなたこそが言葉の道具なのかもしれません。

5770純粋教理批判:2015/09/24(木) 00:56:43 ID:DD4jWV6M
教えを広めさえすれば環境問題は解決するといわんばかりの人への質問です。

「神は無駄なものをあたえたまわない。原子力エネルギーは神が人間にあたえたもうたものである」と説く生長の家が「神は無駄なものをあたえたまわない。地球の資源は神が人間にあたえたもうたものである」と主張する人々を教えみちびけるとおもえるのはなぜなのでしょう。

5771a hope:2015/09/24(木) 08:14:22 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

ようやくパソコンがつかえるようになりました(*^▽^*)
わたしの留守中に、ご参加くださったみなさまありがとうございます。

わたしも今日からまた、自分のペースでこのweb誌友会に参加して、
聖典「生命の實相」の真理を学んでいきたいと思いますのでよろしくお願いいいたします。

5772a hope:2015/09/24(木) 08:15:03 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第36回 web誌友会 案内 (改訂版)

期間   8月2日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第21巻 経典篇 
内容  『甘露の法雨』講義
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5773a hope:2015/09/24(木) 08:15:43 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第21巻 p106 後から3行目〜

われわれは光の子である。

すなわち光から生まれ出でたものですから、われわれは常に光の中に在る、と同時に自分の中に光があるのであります。

わがうちに光があり、光のうちにわれわれはあるのですから、われわれは絶対に暗(やみ)を知らない。

いっさいの暗黒はない。

すなわちわれわれを躓(つまず)かせる障礙(さわり)などはいっさいないのであります。

(略)

それだのにわれわれが不自由に、いろいろのものに妨げられたりするのはわれわれが本当の力を出しきっていないからで、その時、そこに暗(やみ)が姿を仮に表わして本来ない躓きを、あるかのごとくに表わすのにすぎないのであります。

(略)

智慧とは実相の悟りの智慧であります。

(略)

暗(やみ)とは光の欠乏せる状態に他ならないのです。

5774a hope:2015/09/24(木) 08:17:46 ID:cEpBaIdo

>>5773 a hope所感)

みなさんは、聖典「生命の實相」の文章を拝読してるとあらゆる迷いが消えて、
『本当の自分は実相そのものなんだ』という実感がわき出てきませんか?

わたしたちがこの現世に投影されている時間にはリミットがあります。
無駄な時間はありませんよね?

わたしはこれからも聖典「生命の實相」の真理を真剣に学んで生長し続けたいです。

5775純粋教理批判:2015/09/24(木) 10:44:56 ID:DD4jWV6M
考えがちがう相手と話をするのは時間の無駄。ようするに「個人の勝手な解釈どうしのひらかれた議論」は必要ないということですね(排他性ここに極まれり)。

ところでホープさんは「テキストに関係のない内容はお控えいただきたいです。ですが、わたしの所感に対する反論は歓迎させていただきます」といっておられますよね。歓迎していただけるものと無信じております。

5776純粋教理批判:2015/09/24(木) 11:16:59 ID:DD4jWV6M
>わがうちに光があり、光のうちにわれわれはあるのですから、われわれは絶対に暗(やみ)を知らない。
いっさいの暗黒はない。

これがわたしのいう排他性ですね。光と暗の二項対立を立てて劣位項である暗を外部へと排除することで優先項である光を内部にとどめおく。こういうことを延々とつづけていれば、誰だって排他的な性格が身につくことでしょう。現に「時間の無駄」といって問答無用とばかりに排除しようとしているではありませんか。

5777純粋教理批判:2015/09/24(木) 12:02:26 ID:DD4jWV6M
ずっと以前にもこちらの掲示板で「元本部講師」を名のる人が「時間の無駄」といっていましたが、そういう人にかぎってじつは何も考えてこなかった人であり、必要な知識を身につけてこなかった人なのですよ。

なにも考えずにきたからいまだに単純なことしか考えられない。必要な知識を身につけてこなかったから誰もが言えるようなことしか言えない。おおやけの場で発言をするのであればもっと考えておくべきでしたね。必要な知識を身につけておくべきでしたね。時間を無駄になさいましたね。

5778純粋教理批判:2015/09/24(木) 16:02:17 ID:DD4jWV6M
状況を説明いたしましょう。まずホープさんは以下のごとくいっておられます。

>生長の家の信仰により環境保護運動をするのであれば、そのような現象に対応するような形ではなくて、
まずは信徒一人一人が「本来罪なし」の「実相独在」を自覚し(悟り)、それを人類に伝道していく方法が正道だと思います。

「現象に対応するような形」とはあきらかに総裁がおしすすめておられる環境運動についてのことです。ホープさんが総裁の方針を批判しておられるのはあきらかです。

代わりにどうすればよいのかというと「教えを伝えることだ」といっておられます。そこでわたしは以下のごとく質問いたしました。

「原子力エネルギーは神が人類にあたえたもうたものだ」と説く生長の家の教えで問題解決が可能なのか。

この「原子力エネルギー」のところには、欲望のおもむくままにどのような言葉でも入れることができます。地下資源、水産資源、生物資源、森林資源、大地、海、川、どんな言葉でもいれることができます。

環境問題とはけっきょく人類が「〇〇は神が人類にあたえたもうたものだ」と考えたことからはじまったと考えます。生長の家もこれとまったく変わらぬことを説いています。おなじことをいっているにもかかわらず生長の家の教えが環境問題の解決にむすびつくとおもえるのはなぜかと、「私の所感にたいする反論は歓迎する」といわれたホープさんに問いかけたところ「答えるのは時間の無駄」との返事をいただいたというのが今の状況です。

5779a hope:2015/09/24(木) 18:31:24 ID:cEpBaIdo
>>5778

<<「原子力エネルギーは神が人類にあたえたもうたものだ」と説く生長の家の教えで問題解決が可能なのか。>>

とおっしゃていますが、それってほんとに生長の家の教えですか?

「生長の家の教え」では「神とは人間の実相」のことですから、
「神が人間に与えたもうたもの」ということになると、
「人間が人間自身に与えたもうたもの」ということになってしまい表現自体に違和感を覚えるのですが・・・。

その教えが説かれている引用文献を教えてくださいませんか?

5780純粋教理批判:2015/09/24(木) 22:52:46 ID:DD4jWV6M
生長の家に「神は〇〇を人間にあたえたもうた」とする教えや考えはないといわれるのですね。〇〇に入るのは「自由」でも「豊かさ」でも他のなにかでもよいわけですが、このような教えや考え方はないといわれるのですね。

「神は無駄なものをあたえたまわない」とする教えも考え方もない、ということですね(何度も聞いたような気がいたしますが、わたしの思い込みなのでしょう)。「神は無駄なものをあたえたまわないのであるから原子力エネルギーは神からあたえられたものである」とする発想が出てくる可能性はないということですね。

それなら問題はありません。そういう教えや考え方は「ない」ということを確認いたしました。こうした考え方が少しでもあれば、キリスト教のように拡大解釈されて人間中心主義にむすびつくおそれがあります。「ない」といわれるのであればそのおそれはないということで、これはこれでよろしいかと存じます。

引用文献をだせといわれてもそれは不可能です。教えはたしかにそういうものだと理解してきたということです。「ない」といわれるのであればわたしの理解がまちがっていのでしょう。すべては杞憂であったということでしょう。

神を主語にして人間に都合のよいことを述べてはならない。これはわたしの信条のようなものです。教えにたいする理解がまちがっていたようです。

5781神の子さん:2015/09/25(金) 01:44:30 ID:DD4jWV6M
>「生長の家の教え」では「神とは人間の実相」のことですから、

この表現も”あの表現も「生長の家の教え」からしたら違和感ありだけどだれも文献出せとは言わないふつう。生命の実相やたら引用してるからとて生長の家のしゆうかいではやはり思えない。シルバーウィークでおわりまた独占板にもどりましょう

5782a hope:2015/09/25(金) 09:33:56 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p118後から6行目〜


「悟る」ということでも迷っている凡夫の貧しき智慧が真理を教えられてだんだん向上して悟るのだなどと考えていますと間違いであります。

悟るというのは内在の神の智慧がポカリと浮かび上がってくるのであって、脳髄意識が悟るのではない、脳髄意識が悟るのなら、宗教的悟りというものは、肉体が死んで脳髄が灰になった後に通用しない悟りであって、それでは死後まで救う宗教的悟りだとは言えないのであります。

「いや智慧は脳髄の中にあるんだ」なんて言う人があるかもしれませんが、智慧は脳髄の中にあるのではない。

いったいこの脳髄という器官は、これは自分で作った、自分の心で都合のよいように作り出した道具にすぎないので、わたしたちはそれを利用しているだけであって、決して脳髄という物質の中から智慧が発生したのではないのであります。

それでまた、われわれの智慧は、ここにあり、かしこにありというように甲の人、乙の人の智慧と一つ一つばらばらに離れて孤立しているものではない。

天地一切のものに満ち充ちている智慧とまったく一つのものである、これを知ることがすなわち生長の家の悟りであります。

自分の智慧は、天地万物を生かしているところの大いなる智慧と一つのものであると分かると自分の智慧は小さい自分の中にだけ這入るようなそんな小(ち)っぽけなものではない。

実に広大無辺のものであって、わが念ずることがただちに天地に満つる節理の智慧に相感応すべきものであることが分かってくるのであります。

5783a hope:2015/09/25(金) 09:35:56 ID:cEpBaIdo

>>5782 a hope所感)

<<悟るというのは内在の神の智慧がポカリと浮かび上がってくるのであって、・・・>>

とありますが、これは、
「甘露の法雨」の『神』の項の一説に、

神があらわるれば乃ち、
善となり、義となり、慈悲となり、
調和おのずから備わり、
一切の生物処を得て争うものなく、
相食むものなく、
病むものなく、
苦しむものなく、
乏しきものなし、

とあるところの、<<神があらわるれば乃ち、>>という状態と同じことなのだと思います。

「神」とは自分の外側に存在するものでなく、自分の中に内在するものであって、そのことをわれわれが本当に悟れば、
すべてが大調和して、この現象世界に地上天国が顕われるのではないでしょうか?

ですから、原子力エネルギーにしても、地下資源にしても水産資源にしても、生物資源にしても、なににしても、
実相を悟った(神が顕現した)人間が利用すれば、『善となり、義となり、慈悲となり、
調和おのずから備わり、一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし、』という、
大調和の関係が保たれるのだと思われます。

わたしが、「生長の家」の『唯神実相』や『実相独在』真理の伝道をして人々を目覚めさせることの方が、
現象問題に対応する運動よりも重要で、もっとも優先すべきことだと考えるのはそういう理由からです。

具体的に例えれば、よく切れるナイフがあったとして、それを良心的な人間が利用すればすばらしい料理を作って人々を喜ばすでしょうが、
復讐心や、悪意や、狂気の人間が利用すればとんでもない事件に利用されてしまうかもしれません。

この現象世界にあるすべてのものはすべて実相世界の投影ですから、ひとつも無駄なものはないのだと思います。

「神は人間に選択の自由を与えたもうた」それが生長の家の教えかどうかはわかりませんが、
地球上のすべての資源をどう利用するかは、わたしたち人間の選択にゆだねらているのだと思います。

5784純粋教理批判:2015/09/25(金) 11:34:54 ID:DD4jWV6M
>「生長の家の教え」では「神とは人間の実相」のことですから、
「神が人間に与えたもうたもの」ということになると、
「人間が人間自身に与えたもうたもの」ということになってしまい表現自体に違和感を覚えるのですが・・・。

「神とは人間の実相」というのはわたしもはじめて聞いた言いまわしです。しかし、神一元の世界であればすべては神ということなので間違いではないのでしょう。

文献をだせといわれても無理です。「神は人間に自由なる意思をあたえた」とする表現が仮にあるとするなら、ホープさん流の神一元の考えでは「人間が人間に自由なる意思をあたえた」となってしまい、違和感を覚えるに十分な表現となってしまいます。

しかしこれを言い換えれば「神は神に自由なる意思をあたえた」となるわけですが、これはいい得て妙といった表現です。「神は完全なる世界をつくった」とする表現は「神は完全なる神をつくった」となり、「神は完全なる人間をつくった」はこれもまた「神は完全なる神をつくった」となるからです。

「神は〇〇に〇〇をあたえた」は「神は神に神をあたえた」となり「神は〇〇なる〇〇をつくった」は「神は神なる神をつくった」となります。神一元の神は、ふれるものすべてを金に変えたというミダス王のごとく、あらゆる対象を神へと変えてしまうようです。教えを信じていたころから教えにたいする違和感をどうしても解消できずにおりました。もしかしたら違和感の正体はこれであったのかもしれません。

「完全なる証明には外部が必要」とするゲーデルの定理が示すごとく、内部だけですべてを説明しようとするものは、すべてのものを自分に回帰させてしまうミダス王になるよりほかはない。そんな気がいたしました。

5785純粋教理批判:2015/09/25(金) 12:54:49 ID:DD4jWV6M
「神が神なる神をつくった」とする考え方が成り立たないわけではありません。チリの生物学者ウンベルト・マトゥラーナが提唱するオートポイエーシスがまさにこの一例と考えます。

オートポイエーシスとは自分で自分をつくりだすシステムとわたしは理解していますが、マトゥラーナ本人も「オートポイエーシスは自分で自分を持ち上げようとするようなものだから、すっきりと理解できる筋合いのものではない」と認めているようです。

オートポイエーシスを理解できるか、といわれても「理解できる」とはどうしても言えません。わかった気にはなれるが理解した気にはどうしてもなれない。オートポイエーシスはこうした事態の代表格のような気がいたします。

オートポイエーシスにしても外部はあります。外部からの入力も、外部への出力もない、これがオートポイエーシスのようです。しかもそれでいてオートポイエーシスは外部からの影響をうけている。

内部は外部にたいして完璧に独立している。にもかかわらず外部は内部に入り込んで内部に影響をあたえつづけている。わたしが考えているのはこうしたシステムのような気がいたします。

5786純粋教理批判:2015/09/25(金) 19:34:23 ID:DD4jWV6M
>わたしが、「生長の家」の『唯神実相』や『実相独在』真理の伝道をして人々を目覚めさせることの方が、
現象問題に対応する運動よりも重要で、もっとも優先すべきことだと考えるのはそういう理由からです。

そうですか。それなら信ずることをなさればよいでしょう。そのようにおもわれるのであれば、教えを広めて環境問題を解決する運動をまずは身近なところから起こされればよいでしょう。

総裁はすでに実際的な活動をはじめておられます。ホープさんの考えが実際の環境運動よりも重要といわれるのであれば、ホープさんが実際の活動をはじめられて、総裁の考えが間違っており自分の考えが正しいことをお示しになればよいでしょう。その結果や途中経過をこちらで発表なさればよいでしょう。

教えを信じることでホープさんじしんにどのような変化がおきているのか、これも重要な要素です。ホープさんのなかで環境問題の解決に向けた重要な変化がどのような形で起きているのか、それをこちらで発表していただかなければ、なにをいわれても説得力に欠けるというものです。ホープさんの変化をまずは語ってください。希望的観測はそのあとでも十分でしょう。

生長の家が立教して80年だそうですが、その間にも日本国内で数々の公害問題が発生しています。生長の家は公害防止のための役割を果たしたのでしょうか。わたしにはどうもそのようにはおもえません。

生長の家の教えが広まっていさえすれば公害問題は起きなかった。ホープさんはこのようにおっしゃりたいのでしょうか。たとえそうであっても、80年の年月をついやしたところで日本国内にさえ広まっていない教えを全世界に広めるのに、いったい何百年まてというのでしょう。

現実味のある提案とはおもえませんが、復興Gさんをはじめとして多くの方々がホープさんを支持しておられるようです。教えが広まるまで何百年でもまて。責任ある人の言葉とはとてもおもえません。

5787a hope:2015/09/25(金) 22:36:35 ID:cEpBaIdo
わたしあてにいろいろなご意見ご提案などいただいているようですが、
特に『a hopeの「生命の實相」の解釈が間違っているのではないか?』
というような内容ではないようなので安心しました。

わたし自身は日常に追われている普通の主婦ですから、
生長の家の総裁・副総裁先生というような公人の方とは立場がまったく違います。

ですからわたしが「生長の家」のために実際の活動を起こして、その内容をここで説明する義務などないと思っています。

わたしは聖典「生命の實相」の素晴らしい真理をここでお勉強させてもらっていることが、
今現在、自分自身のできる精一杯の光明化運動だと思っています。

5788純粋教理批判:2015/09/25(金) 23:07:05 ID:DD4jWV6M
ホープさんは自分の考えの正しさや有効性をためしたわけでもないのに、総裁に「これをやれ」といっておられるのですか。本を読んだだけで、実際にはなにも体験していないのに、総裁に「これをやれ」といっておられるのですか。正しさや有効性がわからぬものを「何百年もかけて実現せよ」といっておられるのですか。

自分がやる気もないことを人には「やれ」という。無責任にもなるはずです。しかも「教えの解釈が間違っていなかったので安心した」とのこと。環境問題などどうでもよい。教えの解釈が正しければそれでよい。こういうことなのでしょうか。

5789a hope:2015/09/25(金) 23:35:55 ID:cEpBaIdo

<<ホープさんは自分の考えの正しさや有効性をためしたわけでもないのに、総裁に「これをやれ」といっておられるのですか。
本を読んだだけで、実際にはなにも体験していないのに、総裁に「これをやれ」といっておられるのですか。>>


わたしは今はもう雅宣先生にも純子先生にも何もお願いなどしていませんよ。
過去に何度も何度もお願いしましたが、結局、わたしのような一信徒の掲示板でのお願いなど一度も聞いて頂けなかったですから・・・。


わたしは「生命の實相」を拝読しだして5年ほどたちますが、その有効性(?)はものすごく実感していますよ。
自分の周りの人たちへの影響力がどんどん強まってきているのを感じています。

身ばれをするので控えていますが、具体的体験もたくさんあります。

「生長の家の教え」はほんとにすごいので、その真理が「迷い」に眩まされないようにこれからもこの掲示板で発言しつづけるつもりです。

5790a hope:2015/09/25(金) 23:51:36 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p123 後から行5行目〜

・・・人間は罪があるから宗教が必要なのではなく、罪が無いから罪の無いことを知らせるために宗教が必要なのであります。


(a hope所感)

宗教とは人を教育して善人に仕立て上げるためにあるのではないのですね。
人々に真理を知らせ、目覚めさせるためにあるのですね!

5791純粋教理批判:2015/09/26(土) 00:03:33 ID:DD4jWV6M
環境問題解決の有効性?

それはすごいですね。身バレしない程度に教えてください。

個別の事案ではなく、こういう考え方をすれば環境問題解決につながるこのような行動があらわれる、といった具合の提案をおこなってください。生長の家が80年かけてできなかったことをホープさんはやっておられるわけですから、これは「すごい」の一語につきます。

5792a hope:2015/09/26(土) 00:36:52 ID:cEpBaIdo

<<個別の事案ではなく、こういう考え方をすれば環境問題解決につながるこのような行動があらわれる、といった具合の提案をおこなってください。>>

人類が聖典「生命の實相」の拝読をして唯神実相の考え方になれば環境問題の解決につながりますよ。

環境問題なんて本来無い現象なんですから・・・。

前から、そう言っているではないですか・・・。


もう、ねむいのでこれ以上のお返事はできません。

初心者さま みなさま おやすみなさい。

5793純粋教理批判:2015/09/26(土) 10:43:14 ID:DD4jWV6M
>人類が聖典「生命の實相」の拝読をして唯神実相の考え方になれば環境問題の解決につながりますよ。
環境問題なんて本来無い現象なんですから・・・。

生長の家の実際の活動においても、何か問題がおきてそれを解決しようとすると、ホープさんのように「それはほんらいない現象なのだから具体的行動は何もしなくてよい」という人がかならずあらわれていたという話を聞きます。それで何もできなくなって問題はけっきょくそのままであったのだそうです。

「現象なのだから何もしなくてよい」といっている人は気持ちがよいのでしょうが、まわりの人は迷惑です。

かつて日本は公害問題でたいそう苦しみましたが、生長の家の一部の人たちは「これは現象だから何もしなくてよい」と具体的な取り組みには反対したはずです。問題はほぼ解決したとおもわれますが、それは何もしなかったからではなく技術や法規制が大きな役割を果たしたからです。

今でも生長の家には、日本が公害問題を技術や法規制で解決したことにたいして「ない現象に取り組んだ」といって批判している人がいるのでしょう。

雅春先生は戦後左翼の問題に取り組んでおられたはずです。詳しい内情はわかりませんが「左翼問題は現象だから具体的行動はしなくてよい」とはいっておられなかったはずです。現象に取り組んでおられる雅春先生にたいする批判があったのかどうか、これはわかりません。

5794純粋教理批判:2015/09/26(土) 12:32:31 ID:DD4jWV6M
生長の家の活動で問題がおきたのでその問題を解決しようとすると、「それは迷いだ。現象にひっかかっているから問題を解決しようなどとおもうのだ」との反対論が一部の人からでてくることがあるといいます。

教えをそのように大上段にふりかざされてしまうと問題への対応ができなくなり、問題はそのままということになります。たとえ問題はそのままであっても、反対論をふりかざした人が責任を感じるわけでもありません。

その人のなかでは「問題はない」わけですから解決がないのもあたりまえ。教えをふりかざせたことでその人は大満足です。

環境活動にたいする批判もこれとおなじです。環境問題はない。なにひとつ対処しなくて環境破壊がそのままつづいたとしても、その人のなかでは「環境破壊はない」のですから解決がなくてもあたりまえ。

教えが広まるまで何百年かかろうが関係ない。環境破壊はないのだから、迷った人たちが勝手にあるとおもっているだけだから、何百年かかろうが関係ない。まわりはえらく迷惑するとおもいますが、本人は教えをふりかざせたことで大満足のようです。

5795純粋教理批判:2015/09/26(土) 14:49:42 ID:DD4jWV6M
>わたし自身は日常に追われている普通の主婦ですから、
生長の家の総裁・副総裁先生というような公人の方とは立場がまったく違います。
ですからわたしが「生長の家」のために実際の活動を起こして、その内容をここで説明する義務などないと思っています。
わたしは聖典「生命の實相」の素晴らしい真理をここでお勉強させてもらっていることが、
今現在、自分自身のできる精一杯の光明化運動だと思っています。

たとえ主婦であっても実際的な活動をしている人は大勢おられるのでは。「主婦だからできない」と言い訳するような人にたいしては「あなたは神の子だからかならずできます」との励ましがなされるようです。

「この教えで人類は救われる」といっておられるわりには、ずいぶんと消極的なお考えですね。自分のこととなるとあれやこれやの都合がでてきて「それはできません」となるわけですか。

ここで勉強することが自分のできる精一杯の光明化運動。生長の家にこのような考え方があるとは知りませんでした。自己限定を取っ払うというのが生長の家の考え方ではないのですか。「自分ができるのはこれが限界」。こういうことをいうためにホープさんは教えを学んでおられるのですか。

「日常に追われる」というのも妙ないいわけですね。日常に追われないのが神の子ではないのですか(文献をだせといわれても無理です)。いったい何を学んでこられたのですか。自分のこととなるといいわけたらたらの「現象あり」で、人には「現象なし」を押しつける。わかってもいないのにわかったふりをして人に説教したがる信徒によくあるパターンです。

おまえこそわかってもいないのにわかったふりをして人に説教するな。

ばれましたか。仰せのとおりにいたしましょう。

5796a hope:2015/09/26(土) 19:30:32 ID:cEpBaIdo

ここは 聖典「生命の實相」の真理を学ぶ誌友会です。

わたし個人の人格や行動に関してご批判またご助言くださるのはご遠慮くださいませんか?

わたしは「実際的な活動をしていない」などと一言も言っていませんし、
「生活に追われているからできない」などと云い訳もしていません。

『「生長の家」の総裁・副総裁先生とは立場が違うから、自分のしていることを公にする義務はない』
と言ったつもりです。

ですから、だれからもそのことでご批判を受けるような立場ではありませんので、
これからは、そのようなご投稿にはお返事は控えさせていただきます。

今月中に21巻のお勉強を終らせたいと思っているので、御理解をどうぞよろしくお願いいたします。

5797a hope:2015/09/27(日) 10:23:21 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p126 9行目〜

神を絶対的なものと観ないで、相対的な神をわれわれが信ずることになりますと、どうしてもわたしたちは本当の安心に到達することはできないことになります。

絶対者だからこそ安心して信頼もできるのだけれども自分の頼っているものは相対的な存在でそれに対するやはり強い力をもって対立している何かがあって、いつどこからかせめてくるかもわからないということになれば、不安で、どうしたって本当の安心を得られるはずはない。

相対的な神を信じている限り、安心は得られません。

絶対的な神を信じた時、われわれは初めて安心が得られる。

もし罪業が神から出てきたものならば、神が罪を作ったということになれば、罪は実在します。

しかし罪を作ったりするような不完全な神や、やりそこないの世界や人間をこしらえて、またやり直しをやるような神を信じていて本当に安心していられるはずはありません。

われわれが本当の安心を得るには絶対的な、完全円満なもののみを創り給うた神を信ずる他はないのであります。


われわれは神の子である。

神の無限の善でありますから罪を創り給うはずがない。

神の生命が宿ってわれわれは生かされているのであるから、神の無限に善なる生命すなわち我であるところの大自覚に入った時のみ、いっさいの不安や、罪苦は消え去って、本当の善なる実相が現われ、この世が光明楽土と化するということになるのです。

5798a hope:2015/09/27(日) 10:25:25 ID:cEpBaIdo

>>5797 a hope 所感)

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大辞林 第三版の解説

そうたい‐てき〔サウタイ‐〕【相対的】
[形動]他との関係において成り立つさま。また、他との比較の上に成り立つさま。「―な価値」「物事を―に見る」⇔絶対的。

ぜったいてき【絶対的】
( 形動 )
物事が絶対であるさま。何物にも制限されないさま。 ↔ 相対的 「 -な権力」 「 -な優位に立つ」

https://kotobank.jp/word/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%9A%84-548310#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89

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この「相対的神観」と「絶対的神観」の違いですが、とても重要だと感じています。

世の中のほとんどの人が「神さま」といえば、自分とかけ離れた別の存在だと観じているのではないでしょか?

ですから、そのような考え方の人々に、いきなり「あなた自身が神なんですよ」と説いても、
すぐに「あーそうなんですか」と納得してその自覚(悟り)に到る人は少ないと思います。

ですから、「生長の家」では、ワンクッションおいて「神の子」という表現をつかって人々に伝道しているとわたしは学びました。

ですが本当は、生長の家は「絶対的神観」つまり『唯神実相』が教えの根本なんですよね!

5799a hope:2015/09/28(月) 08:04:19 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p138 6行目〜


話す人が、真理を知って話せば、同じ話でも効果が多いのであります。

どういって話すかというと、あなたの痛む肉体、物質は本来無いのでそれは心の影である。

痛むのは物質という形体だけの塊が痛むのではなくて、本当は心が痛んでいるのだ。

何かあなたは心に痛みを持っていますね。

たとえば発病の前に人に口惜しい、憎たらしいと思って腹を立てた、その痛み、苦しみが心のうちに鬱積して、表現できずにいるとかいったようなことがあるでしょうと伺いますと、きっとそういうことがあるのです。

しかし、よく考えてみれば自分が口惜しい、憎いというような思いをするのは、他の人からいじめられるのはやっぱり自分の心のせいなのです。

自分の心のうちに業を積んでいるから、それで人からいじめられるように自然になってくる。

しかしいじめられることによって業が消えるのでありますから、いじめてくれる人も神の子であったということが分かれば、ああ怒って申しわけなかったと、詫びる気持ちになると同時に怒りの念が消えてそのまま神経痛が治ってしまうという例がたくさんあるのであります。

5800a hope:2015/09/28(月) 08:06:16 ID:cEpBaIdo

>>5799 a hope所感)

「心が病気を作る」ということが分かれば、自分の心をコントロールすることがどれだけ重要かがわかります。

ですが、谷口雅春先生ですら「唯神実相」の真理を悟られる直前まで、心をコントロールするのが難しいと嘆かれていました。(「生命の實相」第20巻 p132〜)

唯心所現の真理から考えれば病気は悪しき心(業・罪)の影であり、
唯神実相の真理から考えれば悪しき心(業・罪)などない、ということになります。

生長の家の縦横の真理は、どちらもとても大切な真理なんですね。

5801a hope:2015/09/28(月) 08:44:43 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p143 後から3行目〜


病気や不幸は何からくるというと、病気や不幸は迷いから来るという。

その迷いはどこから来るかというと「迷いは無い」という、これが生長の家の解釈であります。

「迷い」はどこから来たと言われる方が往々にありますが、どこから来たということが答えられるくらいならば、「迷い」はあることになる、「迷い」は無いから出所(でどころ)もない。

迷いをアルと言ったら迷いから出たというあらゆる悪も肯定しなければならない、それが現実界の実際の状態であります。

しかしながらこの「迷い」は無いから、迷いから生じた憂苦満つる世界も本来無いのであります。


わたしがある時、「この世界には幸福ばかりが満ちている。人間は健康の人ばかりで病気の人は一人も無い。いっさいの生物は、互に争う者なく、生存競争で血みどろな戦いをして入る者のない」と講演いたしますと、「何を貴様は事実を見ないで空想ばかり言っているのであるか。この現実の人生の悲惨な戦いを見よ」と言って来られた方がありました。

わたしの申しましたのは現実世界のことでなく、実相世界のことであって、そこにはなんの悪も存在しないということが自覚されてくるのであります。

これが分からない人は生長の家に反駁(はんばく)して来られるのですが、こういう人たちはその反駁の根拠を現象界に置いて、いろいろのことを言ってくるのです。

5802a hope:2015/09/28(月) 08:46:29 ID:cEpBaIdo

>>5801 a hope所感)

<<「何を貴様は事実を見ないで空想ばかり言っているのであるか。この現実の人生の悲惨な戦いを見よ」と言って来られた方がありました。>>

わたしはつい最近、この掲示板上で同じようにどなたかに反論されたような気がします。
わたし自身、現実世界への対応はとても大切であると感じています。

ですがその対応方法も、実相世界の完全円満さを悟った上で対応するのと、そうでないのでは結果に雲泥の差が出て来てしまうと思っています。

谷口雅春先生は完全に「唯神実相」を悟られていました。

ですから現実世界への対応も、その時起きている現実問題に自由自在に対応されていたのではないかと拝察しています。

「生長の家」信徒であるならば、まずは教えを学び、「唯神実相」を悟り、その上での環境保護運動、政治運動、・・・でなければ、
すべてが間違った方向へ向かってしまう可能性があるのではないでしょうか?

5803a hope:2015/09/29(火) 07:32:39 ID:cEpBaIdo
>>5801 つづき)

「生命の實相」第21巻 p144 後から4行目〜


現象界すべてのものはわれわれの描く念のフィルムに従って「無」の展開せる諸相なのです。

その「無」の展開せる諸相の奥に、ちょうど芝居の楽屋裏に本当の人間がいるように、生長の家でいう生命の実相があるのであります。

それは実に無限の生命に満ちる世界でありますが、それは直観によって体得するより他はない。

ここに見よ、かしこに身よと言って示されるものではない。

示されるものはすでに現象で実相ではないのですから、実相は、このままここにあると、パッと悟るより仕方ないのであります。

5804a hope:2015/09/29(火) 07:34:24 ID:cEpBaIdo

>>5803 a hope所感)

実相とは 「ここに見よ、かしこに身よと言って示されるものではない。」
「このままここにあると、パッと悟るより仕方ないのであります。」というようなものなのですね。

ですが、雅春先生はそのあとに、現象世界に於いても、「実相の写し」ならば見せて示すことはできるとおっしゃっておられます。
いったい、「実相の写し」というのは、どのような現象のことをいうのでしょうか?

つづけて謹写していきます。

5805疑問:2015/09/29(火) 08:11:30 ID:NaAec0Zc

>自分の心のうちに業を積んでいるから、それで人からいじめられるように自然になってくる。


総裁にいびられたとかいう本部講師の人達にも当てはまるのでしょう?左遷されたとかいう本部の人にも。

5806a hope:2015/09/29(火) 08:14:44 ID:cEpBaIdo
(>>5803つづき)

「生命の實相」第21巻 p145 3行目〜


このように完全円満な実相の世界、天国浄土は、ここに見よ、かしこに見よというようなものではない、現象の奥にあるものであります。

だから現象世界を眼の前にもって来て「ここに天国はあるのだぞ」と言って見せられはしないけれども、どうかわれわれにそれを見せてくれという人には、実相を映し出した世界において、実相の写真(うつし)を見せて示すことはできるのであります。

実相の映画(うつし)の世界、それはこの席にいられる多くの方が体験しておられるように、欲しいと思ったものがすぐに出て来るとか、あるいは病気が忽然と消えて無病幸福な生活に入るとか、経済的に好転を来すとかいうように現実に迷いのない世界が出て来る、それが取りも直さず実相を映した世界であります。

まだ実相を直接的悟りで知らない人には実相の写真を見せて、実相の写真を見せるより仕方ない。

写真には血も通っていないし、厚みもない、血色もない、写真と実際の人間とはそれくらい異う。

現象世界の浄土と、実相の浄土との異いも、それくらい異うのですが、見合いお写真で相手の概念を与えるくらいの役目のために、実相の世界を体得できない人に実相の写真をみせてあげることがある。

皆さんの現象界の幸福の体験は、これがその写真です。

それが実相その物なのではない。

それは実相のあらわれにすぎない。

実在の世界を得るための写真であります。

5807a hope:2015/09/29(火) 08:16:18 ID:cEpBaIdo

>>5806 a hope所感)

たとえ、現象界に地上天国が出現したとしても、それはあくまでも実相世界の写真(うつし)に過ぎないのですね(;´∀`)

「現象は無い」のですからそれはそれであたりまえのことなのですが・・・。

その本来無い「現象世界」で、本来無い「肉体」を抱えて生きているわたしたちは、
本来無い「迷い」に振り回せれて、憂苦懊悩している・・・。

うーん。

やっぱり、一日も早く「生命の実相」を悟らねばいけませんね〜!

5808疑問:2015/09/29(火) 08:16:50 ID:NaAec0Zc


>唯心所現の真理から考えれば病気は悪しき心(業・罪)の影であり、
>唯神実相の真理から考えれば悪しき心(業・罪)などない、ということになります。
>生長の家の縦横の真理は、どちらもとても大切な真理なんですね。


人を非難する時は横の真理を使い、自己弁護する時は縦の真理を使うのでは?

5809a hope:2015/09/29(火) 08:23:25 ID:cEpBaIdo

>>5805 疑問さま

Web誌友会ご参加ありがとうございます!


>自分の心のうちに業を積んでいるから、それで人からいじめられるように自然になってくる。
総裁にいびられたとかいう本部講師の人達にも当てはまるのでしょう?左遷されたとかいう本部の人にも。


唯心所現の真理から言えば、そういうことなのだと思います。
現象世界の出来事のほとんどは自分の業(前世の業も含む)のなせる結果なのではないでしょうか・・?

と、わたしは思いますがみなさまのご意見もぜひ伺いたいです。

5810疑問:2015/09/29(火) 08:45:27 ID:NaAec0Zc

>「迷い」はどこから来たと言われる方が往々にありますが、どこから来たということが答えられるくらいならば、「迷い」はあることになる、「迷い」は無いから出所(でどころ)もない。迷いをアルと言ったら迷いから出たというあらゆる悪も肯定しなければならない、それが現実界の実際の状態であります。

>こういう人たちはその反駁の根拠を現象界に置いて、いろいろのことを言ってくるのです。

>「心が病気を作る」ということが分かれば、自分の心をコントロールすることがどれだけ重要かがわかります。ですが、谷口雅春先生ですら「唯神実相」の真理を悟られる直前まで、心をコントロールするのが難しいと嘆かれていました



「唯神実相」の真理を悟るまえのa hopeさんが自分の心をコントロールできずに、反駁の根拠を現象界に置いて、総裁は現象相手の運動をしているといつも述べているから、総裁の今の現実があるということになります。しかし「迷い」は無いから出所(でどころ)もない。迷いをアルと言ったら迷いから出たというあらゆる悪も肯定しなければならない、と云われる。

迷いの出所は自分の心であるからコントロールがどれほど重要か判る、といいそれは谷口雅春先生ですら「唯神実相」の真理を悟られる直前まで、心をコントロールするのが難しいと嘆かれていました、という。

では自分の心のコントロールの出来ないあなたが現象の総裁の生き様を批判する根拠は何なのでしょうか?

5811a hope:2015/09/29(火) 09:01:03 ID:cEpBaIdo
>>5810 疑問さま

申し訳ありませんが、今日はこれから仕事なのでお返事は夜になります。

>>5805の疑問さまの質問はとても重要だと思いますので、みなさま、特に「生長の家」本部講師、
元本部講師の方々、本流関係の講師の方々のご意見、ご指導をいただけるとありがたいです。


よろしくお願いいたします。

5812疑問:2015/09/29(火) 09:07:31 ID:NaAec0Zc

>その本来無い「現象世界」で、本来無い「肉体」を抱えて生きているわたしたちは、本来無い「迷い」に振り回せれて、憂苦懊悩している・・・。

>うーん。やっぱり、一日も早く「生命の実相」を悟らねばいけませんね〜!



一生懸命努力して4,5年経ってもこの感想、実際のところ4,50年キャリアの方でも同じ心境ではないのでしょうか?迷いはないと悟った方が、迷いの産物の悪現象を相手にする訳が無いでしょうから。私の所へも現象を証拠に反論してくる人がいるけれど、と雅春先生が言われているのに、現象を根拠に非難しまくりなのが本流派と自認する人たちでしょう?

5813疑問:2015/09/29(火) 09:42:57 ID:NaAec0Zc

>たとえ、現象界に地上天国が出現したとしても、それはあくまでも実相世界の写真(うつし)に過ぎないのですね(;´∀`)「現象は無い」のですからそれはそれであたりまえのことなのですが・・・。


人間は何処で生きてるのでしょうか?この現象世界は単に映しの世界として存在するということですが、五官で自分が感じているという意味ですか?実相世界と云うところで、具体的に生きているのでしょうか?五官で諍いの生活をしているように見える時に、実相世界ではどんな生活をしているのでしょうか?普通は五官の認識を通して自分の行動はされますね。

現象本来無しという言葉、は五官を使う実際の生活の上でどのような意味になるのでしょうか?非難されるような行動をしているとの判断は五官を通しての判断ですね、その五官は肉体についているものです、そのような判断の正しいかどうかの判断は何処でされるのでしょうか?

よき現象と云っても自分にとってのものですが、それを映し出すのもこの肉体、五官を使って映し出すのですよね、そうしますと純粋に実相世界と云うところで具体的な生活を人間がしていて、それを単に五感で感じているというものではないようです?

自然界の木々は心でもって現象の自然を映し出しているわけでもないでしょう?人間が何処でどのようにして生きているのか?これが気にかかります。

5814トンチンカン:2015/09/29(火) 10:05:29 ID:z9V4A.MQ

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レストランの「メニュー」をみて <迷う> ?

これって、『迷い』。。と言うより、『選択』ではないのでしょうか??
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・レストランの「メニュー」。。なら、コレって「指をさせば」解決するのです!!




(参考) <小閑雑感>
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2007年9月11日 迷いはどこから来る? (4)

迷いはどこから来るか? 現時点での答えは、こうなる……「欲望追求のために自由を行
使せんとするところから来る」。

谷口 雅宣
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『迷いは ナイ!!』。。。  ≪谷口雅春先生≫

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5815トキ:2015/09/29(火) 10:21:31 ID:ksUeryWU
 少し時間がないので、簡単に。

 例えば、中華料理店に入って、餃子を注文したのにラーメンが出てきたら、
「これは違うよ。」と普通は言います。そう指摘することは、別に、他人を
攻撃する事にはなりません。ましてや、人間の実相を見ない事でもありませ
ん。それに対して、中華料理店の店主が、それに応じないのなら、それを説明
する義務が生じます。

 社会通念という観点からは、説明をする義務の所在を考える事が大事だと
思います。

 現在の教団の方針は、伝統的な谷口雅春先生の解釈から違っています。
当然、それに納得しない人は、「現在の教えは、過去の谷口雅春先生の教え
とは違っている」と指摘します。これに対して、教団は、「いや、これは
谷口雅春先生の教えを現代風にアレンジしたもので、基本的な部分は同じ
です。」と抗弁をします。この場合も、教団側は信徒や社会に対して、そ
れを変更した理由をきちんと説明をし、納得してもらう義務が生じます。

 教義の解釈の大幅な変更を含めて、現在の方針の変更の多くは、教区の
人間の預かり知らないところで決まる事が多いです。これに納得しない人
が疑問の声を上げる事は、別に普通の事で、悟りの云々とは関係はありま
せん。

 生長の家が、あくまでも谷口雅春先生の教えが基本である、というのな
ら、教団側はこの義務から解放される事はないと考えます。

 疑問様のなすことは、具体的に、現在の方針が谷口雅春先生の教えと
外れていないと説明することだと思います。

5816疑問:2015/09/29(火) 11:22:25 ID:4q2kCbp2
>>5815

私ははahopeさんの引用並びに感想への疑問を述べているのです。教団の解釈が伝統的解釈と違うということはどちらでもいいのです。

真理は生きなくてはなりません、その生き方に於いての疑問を呈しているのです。どちらが正しいかということを論じているのでなく、伝統的解釈とあなたが云うその生き方そのものが、どのように生きれば矛盾が無いのかを、今の本流派を自認する人に問いただしているのです。

教団内で10年、本流を造って10年、20年かかって統一した生き方が出来ない、それでいて真理を悟れば本来の良き世界が出て来る、という話に聞こえるのです。

20年かかって世間の物笑いになっている生長の家の在り方を、相手方に答えを求めてどうするのですか?教団側は好きにすればの態度であるのでしょう、であれば本流を自認する側が真理を生きることにより不完全と見えることの解消をするしか仕方ないでしょう。

そんな意味で真理を生きるという事がどんなことか聞いているのです。私はよき結果が出ていないことの原因は何処にあるのかを聞いているのであって、出てない以上本流を名乗っていても正しく真理の実践が出来ていないのではないか?との疑問から発議しているのです。真理の実践は誰かに求めるものでなく自らするのが当たり前の事ではないですか?

5817疑問:2015/09/29(火) 11:58:34 ID:4q2kCbp2

真理を生きるということはどのような事なのですか?と聞いているのです。トキさんが不完全な事が有るとの認識を持っている、それに対し総裁はそんなことは知らんとの態度を取るように見える、その現実の事実に対してあなたはどんな行動をとるのですか?

不完全があると見えている時にどんな行動をするのが真理に適った生き方なのですか? 不完全を表している中心者の生き様を代えろ、と主張しても、それは相手の事です。自分の行動としてはお前は駄目だと言葉で云っているだけです、そんなことは真理を知らなくても誰でもします。

中国指導者相手に、共産主義を正しいものとして独裁的に政治をするのは間違っている、お前たちは辞めろと云っているのと何も変わりません。伝統的解釈と違うという貴女の真理の実践が正しいのであれば問題は解決向かっていることでしょう。

そんな意味で伝統的解釈が物事の解決に役立っていないのではないか?であればどのように真理の言葉を受け入れて実行すればよいのか?そのことを正当な解釈をしているという人に聞いているのです。

不届きな嫁に苦しんでいますとお婆さんに云われたら、そんな嫁は追い出しなさいというのですか?さんざん注意をしても嫁さんには嫁さんの考え方があります。こんな息子は死んでくれたらいいと考えていた母親が息子と和解で来た話もあります。相手の心変わりを求めるのが伝統的生長の家の解釈ですか?

5818疑問:2015/09/29(火) 13:32:32 ID:4q2kCbp2
 国家は吾々の最高理念である。数字に先立って『数』が存在するがごとく、理念はすべての形あるものに先行して存在する最高の存在であり、生命(いのち)の生命である。

国家はその理念のうちの最高なるものである。個生命はこの最高理念のために、『生命の生命』のために、一切をなげうって奉仕しなければならぬ。否、奉仕することそのことが喜びであり、それが個生命なる小さな理念的存在が最高の理念にまで包摂せられ向上し行く最後唯一の道である。

銃後の親戚知友に送られて征途に旅立つ軍人の歓呼こそは、見送る人も、見送られる人も、それは個生命が最高の理念に包摂し向上する刹那の生命の凱歌であり、鬨(とき)の声である。

(谷口雅春『明窓浄机』草創篇284-285頁「昭和12年 天皇は中心理念に在す」)

5819疑問:2015/09/29(火) 13:40:31 ID:4q2kCbp2

戦争の倫理的意義 谷口雅春

 私は『大自然が催し、大自然がはかろうて自分をその境遇にまで追い寄せた現在の生活』を百パーセント完全に生きることが、生長の家の生き方であるといった。この意味において『戦争』というものが吾々に課せられた場合には(現に課せられているのであるが)それを完全に戦い抜くことが生長の家の生き方でなければならないのである。

今与えられた環境から飛出すところの出家道は、否応の選択が働くのであるから、戦争というものは魂の修養にならないというような価値判断がはたらいて、戦争忌避や、敗戦主義に捉えられるおそれがあるが、生長の家では出征する人にとっては戦場が直に魂の修養の道場となり、戦争が直に吾々の魂を練るところの公案となるのである。

多くの人たちは戦争の悲惨な方面ばかり見ていて、その道徳的、宗教的意義を理解しない。そして動もすれば戦争を忌避するのであるが、戦争は実に真剣な、否応なしに左右をいわずに、ただひたすらに至上命令に従うところの激しき宗教的行事なのである。しかも同時に、肉体の『無』を理屈でなしに実証するところの行事である。

かの天華の修行に天華の教祖渡辺薫美が修行者たる一婦人に課したところの『千仭の谷へ、今跳べ!』の必至命令の如く、否やの選択を許さぬ絶対命令と同じことである。『爆弾を抱いて、そのまま敵のトーチカに跳び込め!』これに対して、軍人はただ『ハイ』と答えて跳び込むのである。宗教の修行においては、たとひ教祖の命令通り跳び込まなくとも、『修行が足りない、まだ心境がそこまで達していない』位で許されるだけに、それは修行の『型』をやっているだけである。また、その命令者が教祖という個人である。

しかし戦争においては否応はない、言葉通り肉体の生命が放棄せられる。そして軍隊の命令者は天皇であって、肉体の放棄と共に天皇の大御命令に帰一するのである。肉体の無と、大生命への帰一とが、同時に完全融合して行われるところの最高の宗教的行事が戦争なのである。戦争が地上に時として出て来るのは地上に生れた霊魂進化の一過程として、それが戦地に赴くべき勇士たちにとっては耐え得られるところの最高の宗教的行事であるからだと観じられる。

(『谷口雅春選集』谷口雅春著 潮文閣、1941年、302-303頁)

5820疑問:2015/09/29(火) 13:47:09 ID:4q2kCbp2

常住戦死の心 谷口雅春  

 宇宙には唯一つ、大御心のみがある。天皇の大御心である。『忠』とは、大御心に無我帰一する心である。すなはち天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)の心に『中』(ちゅう)する心である『中』とは的に中(あた)るであり、生命の本質に貫き徹するのである。

宇宙の実相に少しもウラハラなることをせず、無我になりて宇宙の心に従ふのである。吾らが大御心を行ずるのは、それによって幸福になれるからでも、都合がよくなるからでもない。さふ云う第二次第三次の事物よりも、尚尚すぐれて無常価値なるものが大御心である。その大御心を実現することは無常価値であるが故に、そのやうな第二次、第三次のお蔭などは心に微塵も止めないで、大御心を行ずるのが『忠』である。そしてそれがまた生長の家家族の心である。

大御心を行ずる為に、その他の物質的なるもの悉くを戦死せしむるのである。戦場に於(おい)て戦死せしむるだけではなく、常住戦死の心である。これを『死』と云ふ不吉な連想を伴ひ易き言葉を用ひず、『肉体なし、物質なし』と吾らは云ふ。その死に切った心だけでは消極的否定の心である。そこに『大御心のみあり』の大肯定がなければならぬ。生長の家ではこれを『神一元』と云ふ。天皇独在とも云ふのである。

  (谷口雅春「常住戦死の心」『谷口雅春選集』潮文閣、1941年、2頁)

5821疑問:2015/09/29(火) 13:55:24 ID:4q2kCbp2

常住戦死の心 谷口雅春  

 宇宙には唯一つ、大御心のみがある。天皇の大御心である。『忠』とは、大御心に無我帰一する心である。すなはち天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)の心に『中』(ちゅう)する心である『中』とは的に中(あた)るであり、生命の本質に貫き徹するのである。

宇宙の実相に少しもウラハラなることをせず、無我になりて宇宙の心に従ふのである。吾らが大御心を行ずるのは、それによって幸福になれるからでも、都合がよくなるからでもない。さふ云う第二次第三次の事物よりも、尚尚すぐれて無常価値なるものが大御心である。その大御心を実現することは無常価値であるが故に、そのやうな第二次、第三次のお蔭などは心に微塵も止めないで、大御心を行ずるのが『忠』である。そしてそれがまた生長の家家族の心である。

大御心を行ずる為に、その他の物質的なるもの悉くを戦死せしむるのである。戦場に於(おい)て戦死せしむるだけではなく、常住戦死の心である。これを『死』と云ふ不吉な連想を伴ひ易き言葉を用ひず、『肉体なし、物質なし』と吾らは云ふ。その死に切った心だけでは消極的否定の心である。そこに『大御心のみあり』の大肯定がなければならぬ。生長の家ではこれを『神一元』と云ふ。天皇独在とも云ふのである。

  (谷口雅春「常住戦死の心」『谷口雅春選集』潮文閣、1941年、2頁)

5822疑問:2015/09/29(火) 14:01:49 ID:4q2kCbp2

ああ天地万物を見るたびに、吾々は、天皇陛下があがめられます。 天皇の下に生まれ 天皇の大みいのちに還りて死し死して永遠のいのちを得る。   
 天皇万歳である。…・万歳は久遠の象徴(しるし)である。…・・この際、この時、この生長の家の思想を広めて吾ら死なん。死なんかな。死なんかな。来りてともに死に給へ。死は大なる生につながる。

(谷口雅春『明窓浄机』飛躍篇106頁 昭和16年 「天皇はすべてのすべてにまします」)

上二つダブりましたすみません

5823<削除>:<削除>
<削除>

5824<削除>:<削除>
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5825<削除>:<削除>
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5826<削除>:<削除>
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5827トンチンカン:2015/09/29(火) 15:30:35 ID:z9V4A.MQ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
≪迷いのルツボ≫にはまり込み、右往左往して出口の見えない「曳馬野ご一統」!!

「頭脳明晰」なるが故、色々と考えるのでしょうね? 「無の関門」を越えられない・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・『迷いはナイ!!』。。 信じるのか・・ 信じないのか・・

5828トンチンカン:2015/09/29(火) 15:46:10 ID:z9V4A.MQ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『20年かかって世間の物笑いになっている生長の家の在り方』
『不完全を表している中心者の生き様を代えろ、と主張しても、それは相手の事です』
                            <曳馬野ご一統>

多くの人々が≪総裁のご乱行≫を言っているのです。 ≪総裁の「責任問題」≫です!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・今や、「開き直り」しかないのですか? 「屁理屈」で逃げ切るのですか?

・『世間の物笑いになっている』のは、「マサノブ爺さん」なのですよ・・・


(参考)
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5816 :疑問:2015/09/29(火) 11:22:25 ID:4q2kCbp2>>5815

私ははahopeさんの引用並びに感想への疑問を述べているのです。教団の解釈が伝統的解
釈と違うということはどちらでもいいのです。

20年かかって世間の物笑いになっている生長の家の在り方を、相手方に答えを求めてど
うするのですか?教団側は好きにすればの態度であるのでしょう、であれば本流を自認す
る側が真理を生きることにより不完全と見えることの解消をするしか仕方ないでしょう。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
5817 :疑問:2015/09/29(火) 11:58:34 ID:4q2kCbp2

真理を生きるということはどのような事なのですか?と聞いているのです。トキさんが不
完全な事が有るとの認識を持っている、それに対し総裁はそんなことは知らんとの態度を
取るように見える、その現実の事実に対してあなたはどんな行動をとるのですか?

不完全があると見えている時にどんな行動をするのが真理に適った生き方なのですか? 
不完全を表している中心者の生き様を代えろ、と主張しても、それは相手の事です。自分
の行動としてはお前は駄目だと言葉で云っているだけです、そんなことは真理を知らなく
ても誰でもします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

5829トキ:2015/09/29(火) 16:41:27 ID:ksUeryWU
 いやいや、疑問さんは、痛いところを突かれたので、錯乱されているのです。

 しかし、「疑問」さん、a hope 様も社会人ですから、質問をするのなら、
それなりの礼儀作法というものが必要です。こういう詰問をするような口調
の文章をいきなり送りつけて回答を要求するのは、社会通念上、「失礼」と
言います。

 ご理解ください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5832トキ:2015/09/29(火) 17:07:09 ID:ksUeryWU
 疑問様の投稿は、誌友会と関係がないので、一部の投稿を別板の移転板へ
移しました。こういう投稿は大変迷惑なので、以後、疑問様はそちらへ
投稿をしてください。

合掌 ありがとうございます

管理人

5833疑問:2015/09/29(火) 17:45:33 ID:gJV5Cq.Q

>疑問様のなすことは、具体的に、現在の方針が谷口雅春先生の教えと外れていないと説明することだと思います。私は、教義の解釈の変更が重大な事柄だ、と言っているのです。逃げずに返答をしたまえ。

>いやいや、疑問さんは、痛いところを突かれたので、錯乱されているのです。


教義が変更されたかどうかそんなことは知りません。教義が変更されて嫌だというのであればさっさと辞めたらいいのでは。なんで私があなたに説明しなくてはならないのですか?どこが痛いところなんですか?私は痛くもかゆくもありません。

国家が起こす戦争で死ぬことは神の子の無我の最高の心に到達するための最高に尊いことであると、常に常住戦死の心で生きるのが最高と云うから、そんな心を求められるのが生長の家の真理だと知ったうえで誌友会版で真理の研鑽に励んでいるのですか?と聞いて何が悪いのですか?

解釈の変更がたとえ有ったにしても、それを重大な事柄とするのはあなた並びに自称本流派でしょ。総裁は何も困っていないから10年以上同じ路線を走っていのでしょう。困るのは困る人が悪いと云った有名な本部講師がいました。困るならさっさと辞めて自分の思う運動をすればいいでしょう。

世間の常識で行くと人間神の事はどんなことかの話は邪魔で、トンチンカンのアジ演説は素晴らしと云うのですね。世間の人はウダウダ云っている人のその姿にあきれているのでしょ。世間の人で教団の在り方を批判している人がいますか?世間の人が何を考えているかに関する引用ですよ、原文に当たってみたらよいでしょう。

5834疑問:2015/09/29(火) 18:05:29 ID:gJV5Cq.Q

>>5830>>5831を自由に削除して自分の体裁を繕う姿が素晴らしい神の子の姿と云うのですか?

いくら少なく見積もっても2,3万の信徒はまだいるでしょう、今でも講師試験を受ける人がいるのです、その人たちは馬鹿で阿保であるというのですか?少なくても新たに講師になる人達にとっては重要な問題でなく、世間を笑わせようとするあなた方にとって問題と云うだけです。

総裁は公人であるから幾ら汚い言葉で批判しても許されるという判断でトンチンカンはそのままにしているのですね。そんな考えのトキさんはさっさと辞めて本流派と合流するほうがいいです。

5835トキ:2015/09/29(火) 18:22:34 ID:ksUeryWU
>>5833

疑問様

 トンチンカン様の投稿は、確かに、最初は削除と移転をしようと思いました。
と、同時に、疑問様の全ての投稿を全部、削除と移転をしようと思いました。
  
 しかし、それでは、誌友会としての流れが止まります。仕方がないので、
全く誌友会のテーマと関係がない部分をとりあえずは移転と削除しました。

 なお、疑問様とトンチンカン様には申し訳ありませんが、適当な時期に、
お二人の投稿を削除と移転をさせていただきます。

 次に。

 教義が変更されたというのは、たいへん重要な問題です。生長の家というのは
宗教法人です。法人というのは、法人としての「目的」があります。その「目的」
は、登記され、誰でもが閲覧することができるのです。

 戦前、天理教が当局の要求により教義の「革新」を余儀なくされたときに、大騒ぎに
なったこともありました。

(つづく)

5836トキ:2015/09/29(火) 18:37:35 ID:ksUeryWU
 それぐらい、教義というものは重要なものなのです。

 法律に詳しい人に尋ねると、法人における「目的」はかなり重要で、
目的外の行為は、原則として「無効」になる、というぐらいの重みがある
みたいです。

 生長の家の場合、生命の実相が目的に明記されていたと記憶しており
ます。だとしたら、生命の実相が教団内部で語られなくなったのは、
問題である、という声があがるのは当然ではないでしょうか。

 さて、疑問様は、教義の変更が嫌なら辞めろ、という発言をされまし
た。生長の家が発祥当時のような任意団体ならその解釈も可能でしょう。

 しかし、現代のような法人格を取得して団体では、一部の人の独裁の
ような行動が正当化され、異論を唱えた者が容赦なく排除されるのなら、
それは、法人格をもらった趣旨から逸脱すると思います。

(つづく)

5837トキ:2015/09/29(火) 18:47:56 ID:ksUeryWU
 さらに申し上げると、私が問題にしているのは、この掲示板では何を
書いても構わないが、誌友会の板では、テーマが決まっているので、それに
沿った内容の投稿をしてほしい、ということです。

 掲示板で、管理人がいたら、その管理人の指示に従う前提で掲示板は
成立しています。もちろん、運営上のご意見も可能な限りは拝聴しますが、
「疑問」様の投稿は、板の趣旨を逸脱しています。

 トンチンカン様の投稿も確かに表現に問題はありますが、トンチンカン様
の投稿が「疑問」様への反応であることを考えると、いきなりの削除ができ
ないと考えています。

 最後に付け加えますが、私の考えは、本流復活派も支持しないし、また、
今日の状態に至ったのは、総裁だけの責任でもない、という立場です。

 その考えは、過去、再三、表明しています。

 しかし、掲示板の方針として、極力、検閲はしない方向でいます。
問題になる投稿については、反論という方法での対応をお願いをしており
ます。

5838トキ:2015/09/29(火) 18:53:49 ID:ksUeryWU
 ですから、「疑問」様の投稿の原則としては、削除したくありませんでした。

 しかし、関係のない文章を長々と書いて、誌友会のリーダーに返答を強要す
るのは、これは違うと思います。

 この点はご理解をお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5840トキ:2015/09/29(火) 19:38:02 ID:ksUeryWU
以下、訂正します。

トンチンカン様

 ご覧の通り、「疑問」様から、総裁を「侮辱」する表現を問題視
する投稿が届いております。

 管理人としては、内容については容喙するものではありませんが、
表現については、多くの方が閲覧をしている現状もありますので、
より丁寧な表現をしてくだされば、助かります。それで削除をする
ということはありませんが、どの人であれ、人格を尊重する態度は
必要だと思いますので、ご協力をお願いします。

 勝手なお願いをして、すみません。

 今後とも、投稿をお願い申し上げます。

投稿者様各位へ

 もちろん、ここでは本流復活派へのきわどい表現もあるので、
総裁への投稿だけを問題視するつもりはありません。本流派への
投稿も、表現については慎重にお願いします。
 賛成意見も反対意見も大事ですが、本流復活派の方々
も、ご自身の信念により頑張っているのは事実ですから、その点
は尊敬したいと思います。

 同時に、教団への支持も批判も歓迎ですが、表現については慎重に
お願いします。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

5841トキ:2015/09/29(火) 19:41:49 ID:ksUeryWU
謹告

 以上の投稿は、誌友会とは関係のない内容が多いので、適当な時期に
削除させていただきます。もちろん、私の投稿も含めてです。

 ご了承ください。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

5842疑問:2015/09/29(火) 20:02:18 ID:gJV5Cq.Q
>しかし、関係のない文章を長々と書いて、誌友会のリーダーに返答を強要するのは、これは違うと思います。

関係のない人間が関係のない文章を書いたのはトキさんあなたでしょう。誌友会版でのa hopeさんの言葉解釈への疑問を書いていたところに、あなたが勝手に総裁と間違えての感想を、勝手に書いたのでしょう。

国家が起こす戦争で死ぬことは神の子の無我の最高の心に到達するための最高に尊いことであると、常に常住戦死の心で生きるのが最高と云うから、そんな心を求められるのが生長の家の真理だと知ったうえで誌友会版で真理の研鑽に励んでいるのですか?と聞いて何が悪いのですか?

とあなたへの返事は書いてあります。誌友会、講演会で真理の話をするのは何の為、本当の神の子の自覚に至る為でしょう。その神の子の自覚は天皇信仰に至る事でありその神髄は斯くの如しと書いてある文を投稿するのが何故削除に値するのですか?

いちゃもんをつけてきたのはあなたトキさんです。引用したような書き方で神の子の自覚を説くのが生長の家であるとの認識の下で、a hoopeさんがその体得にいそしむのであればよろしいのですが、そうでなければ後でこんなはずではなかった云うことになりかねません。

あなたが割り込まなければ、引用文までは書かなかったのです。趣旨に則った質問だから夜にの返事があったのでしょう。出しゃばり、趣旨に反したのはあなたなのです。

5843トキ:2015/09/29(火) 20:23:28 ID:ksUeryWU
>>5842

 すみません、一箇所、申し上げます。

>>勝手に総裁と間違えての感想を、勝手に書いたのでしょう。

私は、そういう文章は書いていません。また、あなたが総裁だとも思っていません。
その点はお願いします。

 誌友会、あるいは輪読会では、あくまでもリーダーの指示で動くことが前提になって
います。この点もご理解ください。

合掌ありがとうございます

5844トキ:2015/09/29(火) 20:46:31 ID:ksUeryWU
>>5805

 では、あらためて書きましょう。
 
 谷口雅春先生が、かってバキュームオイルカンパニーを馘首されたあと、
馘首した上司と対面をした時の話を講演で言われています。

 「会社をクビにされても恨んではいけませんが、クビにするのもよくない」

と。よほど修行ができた人でないと、クビにされたら恨みます。生長の家を
していても、それは、現象の人間ですから、酷い扱いや侮辱を受けたら、
やはり恨みます。ただ、それをいつ切り替えるかです。

 そういう念は、クビにした人のところへ行きます。確かに前世なり何なり
で、そういう人には原因になる行為があったのかもしれませんが、何でも
かんでも、前世の因縁とかでかたずけると、人間の自由な意思というものが
無視されてしまいます。それは魂の向上という観点からは、有害無益なので
す。また、そういう恨みの念で復讐をすると、今度は、また、次にその人が
その因縁で不幸になる、という循環になります。

 私も経験があるのですが、侮辱されたり、嫌がらせをされた人がいて、自分
が強い立場になったら、復讐をしたいという感情にはかられます。そこを逆転
して、そんなつまらないことをしないと決めるかは、難しいですが、大事な事
だと思います。本流復活派の中には、ごく一部ですが、パワハラのような言動
をする人もいて、そういう人に不愉快な経験をした人の中には、そういう人が
不遇な目にあって喝采を叫んでいる人もいるかもしれません。

 しかし、それをしたら、私は、「負け」だと思っています。

 前世の因縁が全てではありません。人間、どこかで、上のような悪循環をと
めるかが大事だと思っています。

5845疑問:2015/09/29(火) 20:54:52 ID:gJV5Cq.Q
https://twitter.com/search?q=%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E9%9B%85%E6%98%A5&amp;src=typd

でヒルコ蛭義氏が「完全にイ○カレてる。」「稲田の朋ちん様、あなたと一緒に進め、一億火の玉だとか、ほんと勘弁してください」と感想を言っている、何を読んでそんな感想になったのか?それは

http://sei4ch1ou.seesaa.net/article/421281552.html の資料2なのだ

世間で笑われているのは雅宣総裁でなく、創始者の説く生長の家の神髄を読んでの事なのです。私は大っぴらになるのは困るなんていう時期は通り過ぎていると思いますよ、トキさん。この資料2に書かれていることを世間に解るように説明する義務が本流は並びにトキさんには生じていると思います。

5846疑問:2015/09/29(火) 21:35:26 ID:tQSsSw6E

>>5843 >>勝手に総裁と間違えての感想を、勝手に書いたのでしょう。
私は、そういう文章は書いていません。また、あなたが総裁だとも思っていません。その点はお願いします。

>>5815が何処が誌友会の内容に関係しているというのですか?教団非難のアジ演説のみのトンチンカンの肩を以て私に「疑問様のなすことは、具体的に、現在の方針が谷口雅春先生の教えと外れていないと説明することだと思います。」いかにも教団の人間として教えの違いを説明するのがなすべきことと云っている。

私は教団の人間でないからそんなことはあずかり知らないことです。それでも>>5816>>5817で必要な返事はしておきました。しかるに「疑問様のなすことは、具体的に、現在の方針が谷口雅春先生の教えと外れていないと説明することだと思います。私は、教義の解釈の変更が重大な事柄だ、と言っているのです。逃げずに返答をしたまえ。」

「いやいや、疑問さんは、痛いところを突かれたので、錯乱されているのです。」とのたもうたではないですか。

5805に関しての事との断りもないのに、今になって「 >>5805 では、あらためて書きましょう。」とは何事です。5815を誰が読んでも5805への返事だとは思わないでしょう。 

トキさんはトンチンカンに似て論理がめちゃくちゃです。

5847トキ:2015/09/29(火) 21:41:11 ID:8GVLXtaY
>>私は教団の人間でないからそんなことはあずかり知らないことです。

ああ、そうですか。ここは、生長の家の信仰を持つ人を対象にする掲示版です。

真面目に生長の家の信仰をしている人にとって、あなたの存在は迷惑ですから、
以後のご投稿はご遠慮願います。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5848疑問:2015/09/29(火) 22:12:51 ID:gJV5Cq.Q
ろくな返事もしないで、神の子の自覚など話し合う必要はないトキたもんだ。アジ演説のみの人間は教団にとって迷惑ですからお辞めなさいと勧めてあげたのに。

あなたのように組織の幹部じゃないんだよ、なんで説明責任なんてあるものか。

「真面目に生長の家の信仰をしている人にとって」だからこそ真髄中の真髄の言葉を投稿してやったじゃないか、それを削除したのがトキさんあなただよ。どこが真面目なんだか。そんな人こそ教団にとってお邪魔虫でしょ。

5849a hope:2015/09/30(水) 00:05:19 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第36回 web誌友会 案内 (改訂版)

期間   8月2日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第21巻 経典篇 
内容  『甘露の法雨』講義
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5850a hope:2015/09/30(水) 00:33:44 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p152 5行目〜


今までのように迷いや、物質や、罪や、病や、死があると思っていたのでは、四十七年間もの痘痕(あばた)は治らない、物質の骨折などは治らない、こんなひどい病気は治らないと思いこんでいた、その迷いを、無いものをあると思いこんでいた迷いを、「迷いなんて本来ないのだ。罪なんて本来ないのだ。人間は神の子であって本来円満完全」であるという生長の家の歌『甘露の法雨』の功徳によって、スカッと罪の迷える意識を断ち切ってしまう。

その時にいっさいの罪は姿を消して、そこに本来の濁りなき完全なる実相が現象世界にも、その写真として姿を現してくるのであります。

この現(うつ)し世に、完全円満な人間の本来相が現われてきた時に、天国浄土が現実に顕現して、いっさいの罪も、病も、死も、悪もことごとく消滅して、ただ光明そのものの実相世界の映しとなるのであります。

これがいわゆる地上天国の建設であります。

5851a hope:2015/09/30(水) 00:38:30 ID:cEpBaIdo

>>5850 a hope 所感)

ふーん(@_@;)
地上天国の建設なんて、夢のそのまた夢のようなお話にも聞こえてしまうのはわたしだけでしょうか?

ですが、谷口雅春先生は本気でその目的に向かっておられたのですね!

5852a hope:2015/09/30(水) 08:12:45 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

今日は、9月30日で第36回 web誌友会最終日です。

今月中に、第21巻を終了したかったのですが、まだ第四章の「人間の実相および仮相」が終わっていません。

この第四章の講話は「甘露の法雨」最終項目である『人間』の解説になっているのですが、
実はわたしはこの『人間』の項目に関しては不思議な体験があるのです。

それは、数年前に宇治別格本山の練成会にはじめて参加した時のことです。
その日の早朝神想観は幽斎殿で行われていました。

たしか神想観が終わった後に「甘露の法雨」の一斉読誦が始まりました。

もうすでに1時間近い静座をしているわけですから、まだそのころは静座に慣れていなかったわたしの足は痺れて、
坐っているのが辛くて意識も朦朧としてほとんど「甘露の法雨」の内容には集中できずにいました。

そんなとき、やっと「甘露の法雨」の読誦が最終項目の『人間』に入って、
わたしは「あーもう少しで終わりだ!」などと現在意識では考えていたのです。

ところが、その時突然、わたしの目から涙が滝のように流れだして止まらなくなってしまったのです。
何かに感動して泣いているというのではなくて、ただ、ただ、涙が流れてきて止まらなくなってしまったのです。

今思えば、その時のわたしの現在意識は「辛い、早く終わってほしい」と感じていただけでしたが、
わたしの潜在意識が「人間は神より出でたる光だったんだー」とその真理に感動して、浄化の涙が流れていたのだと思います。

そんなわけで、わたしにはこの「甘露の法雨」『人間』の項目には特別な思い入れがあるのです。


トキさま、みなさま、またまた勝手を言って申し訳ありませんが、もう少しだけこの21巻をお勉強させてくださいm(__)m


ですが、明日になりましたら、第37回 web誌友会を開会させていただきます。

テキストは第22巻になりますが、内容は「聖語篇 智慧の言葉」と「精神分析篇 精神分析による心の研究」ですが、
第21巻の第四章の「人間の実相および仮相」も合わせて学んでいきたいと思います。

みなさま、第22巻の「聖語篇 智慧の言葉」は、「聖光録」や、「ひかりの語録」、
「ジュニア 希望の祈り」などにも収録されてます。

一文一文が短文なので謹写にも時間がかかりません。

どうぞ、お気に入りの「智慧の言葉」をご紹介くださいね!

5853a hope:2015/09/30(水) 08:22:48 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第37回 web誌友会 予告

期間   10月1日〜10月31日まで

テキスト 「生命の實相」第21巻 第4章
「生命の實相」第22巻  聖語篇/精神分析篇

内容   『人間の実相および仮相』
『智慧の言葉』 『精神分析による心の研究』
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5854トキ:2015/09/30(水) 11:21:13 ID:4h78wox6
a hope様

 誌友会の運営、深く感謝申し上げます。
今回、管理人が至らず、板が荒れた事を心から陳謝いたします。

 会場リーダーのご意向が最優先ですから、「生命の實相」第21巻
を続けてください。また、他の板と違い、この板は明確に投稿の目的
が決まっていますから、誌友会とは関係のない投稿は、会場リーダー
の請求があれば、削除いたしますので、ご連絡ください。

 では、今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

5855ほんとに理解できない:2015/09/30(水) 13:50:24 ID:gJV5Cq.Q
この現(うつ)し世に、完全円満な人間の本来相が現われてきた時に、天国浄土が現実に顕現して、いっさいの罪も、病も、 ≪死も≫ 、悪もことごとく消滅して、ただ光明そのものの実相世界の映しとなるのであります。


ここに ≪死も≫ と書かれているけれど、雅春先生でも死んだのです。現象界で永遠の命を保った人は一人もいません。神様でも口が滑るのでしょうか? 過去誰も不思議に思わないのが不思議。

≪   ≫は私が付けました

5856トキ:2015/09/30(水) 19:57:42 ID:4h78wox6
>>5852

a hope様

 私は、少し前から、禅宗のご住職様と仲良くなり、よくお寺に遊びに行きます。
もちろん、私は自分が生長の家の信徒であることも伝えております。生命の実相
をお見せすると、「谷口雅春さんが生命の実相で書かれている事は、臨済宗の悟り
と同じですね。」と感心されました。

 その時に、夏目漱石の話が出ました。夏目漱石は、鎌倉の禅寺に参禅していた
そうですが、禅宗の有名な公案である、「無字」の公案は通っていなかったとい
います。彼の有名な則天去私という言葉も、現在の自分の心境というよりも、目標
という意味合いだったみたいです。

 その彼がもっとも愛したのは、若い、無学に近い禅宗の修行僧だったそうです。
ご存知の通り、夏目漱石にはたくさんの優秀な弟子がいました。しかし、この
修行僧(正確には2名いたそうですが)は、素直な人だったみたいです。

 宗教上の経験を得る上で大事なのは、学識や学歴ではなく、a hope様のような
素直な気持ちになることだと思いました。

5857a hope:2015/09/30(水) 22:26:56 ID:cEpBaIdo

>>5856 トキさま

あたたかいお言葉をありがとうございます。 感謝 合掌。

わたしは宇治別格本山の練成会には、何度か参加していますが、すべてこの掲示板で書き込みを始めた後のことです。

わたしは、あの場所で、楠本加美野先生といっしょにお食事をしたり、
義春さんといっしょに講話を聴いたりしたこともあるのですよ!

本当にあそこは、素晴らしい霊的な雰囲気のある場所でした。


ところで、今回、トキさまはこの掲示板の閉鎖を考えられているのですね。

この掲示板は、わたしにとってはたくさんの思いでのある大好きな掲示板ですから、
閉鎖というのはちょっとショックでしたが、そろそろそういう時期なのかもしれませんね。

わたしは、トキさまが新しい掲示板を用意してくださるのであれば、
また、そこで、聖典「生命の實相」のお勉強会であるweb誌友会をぜひ続けさせていただきたいと思います。

トキさまにはお世話になるばかりですが、これからも a hopeをどうぞよろしくお願いいたします。

5858a hope:2015/10/01(木) 09:21:22 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。
10月に入りましたので第37回 web誌友会を開会させていただきます。
それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。

5859a hope:2015/10/01(木) 09:22:36 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5860a hope:2015/10/01(木) 09:23:21 ID:cEpBaIdo

つづきまして、聖経「甘露の法雨」より『人間』を謹写させていただきます。

5861a hope:2015/10/01(木) 09:25:51 ID:cEpBaIdo

人間 

吾は『真理』なり、『真理』より遣わされたる天使(てんのつかい)なり。
『真理』より照りかがやく『光』なり、迷いを照破する『光』なり。
吾は『道』なり、吾が言葉を行うものは道にそむかず。
吾は生命(いのち)なり、吾に汲(く)む者は病まず死ぜず。
吾は救(すくい)なり、吾に頼む者はことごとくこれを摂取して実相の国土に住せしむ。


天使かくの如く説き給えば天の童子また重ねて問う。
『師よ、人間の本質を明らかになし給え』
天使答えたまわく――
人間は物質に非ず、脳髄細胞に非ず、神経細胞に非ず、
血球に非ず、血清に非ず、筋肉細胞に非ず、
それらすべてを組み合わせたるものにも非ず。
汝ら、よく人間の実相を悟るべし、人間は霊なり、生命なり、不死なり。

神は人間の光源(ひかりのみなもと)にして人間は神より出でたる光なり。
光の無き光源はなく、光源の無き光はなし。
光と光源とは一体なるが如く 人間と神とは一体なり。
神は霊なるが故に人間も亦(また)霊なるなり。
神は愛なるが故に 人間も亦愛なるなり。

霊は物質の性に非ず、愛は物質の性に非ず、知恵は物質の性に非ず、
されば、霊なる愛なる知恵なる人間は、物質に何ら関わるところなし。
まことの人間は、霊なるが故に、愛なるが故に、知恵なるが故に、生命なるがゆえに、
罪を犯すこと能わず、病にかかること能わず、死滅すること能わず、
罪も、病も、死も、畢竟汝らの悪夢に過ぎず。

汝ら生命の実相を自覚せよ。
汝らの実相たる『真性の人間』を自覚せよ。
『真性の人間』は神人にして神そのままの姿なり。
滅ぶるものは『真性の人間』に非ず。
罪を犯すものは『真性の人間』に非ず。
病に罹るものは『真性の人間』にあらず。

地上の人間よ、われ汝らに告ぐ、汝ら自身の本性を自覚せよ。
そのほかの如何なるものにも非ず。
されば人間は真理の眼より見る時は、罪を犯す事能(あた)わざるものなり、
病に罹る事能(あた)わざるものなり、滅ぶること能(あた)わざるものなり。
誰か云う『罪人よ、罪人よ』と。
神は罪人を造り給わざるが故にこの世に一人の罪人もあらず。

罪は神の子の本性に反す、病は生命其(それ)自身の本性に反す、
死は生命其自身の本性に反す、罪と病と死とは、
畢竟(ひっきょう)存在せざるものを夢中に描ける妄想(まよいのかげ)に過ぎず。
実相の世界に於ては神と人とは一体なり、
神は光源にして人間は神より出でたる光なり。

5862a hope:2015/10/01(木) 09:28:35 ID:cEpBaIdo
罪と病と死とが実在すると云う悪夢を、人間に見せしむる根本妄想は、
古くは、人間を塵にて造られたりと云う神学なり。
人間は物質にて造られたりという近代科学なり。
これらは人間を罪と病と死との妄想に導く最初の夢なり。
この最初の夢を摧破するときは 罪と病と死との根本原因は摧破せられて その根本の無に帰するなり。

汝ら『生長の家』を読んで真理を知り病の癒ゆるは この最初の夢の摧破せらるる故なり。
この最初の夢なければ 次の夢なし。
悉(ことごと)く夢なければ本来人間清浄なるが故に 罪を犯さんと欲するも罪を犯す事能わず、
悉く夢なければ自性無病なるが故に 病に罹らんと欲するも病に罹ること能わず、
悉く夢なければ本来永生(かぎりなきいのち)なるが故に死滅すること能わず。
されば地上の人間よ 心を尽くして自己の霊なる本体を求めよ、
これを夢と妄想との産物なる物質と肉体とに求むること勿れ。

キリストは『神の国は汝らの内にあり』と云い給えり。
誠に誠にわれ汝らに告げん。
『汝らの内』とは汝ら『人間の自性』なり、『真の人間』なり。
『汝らの内』即ち『自性』は神人なるが故に 『汝らの内』にのみ神の国はあるなり。
外にこれを追い求むるものは夢を追いて走る者にして 永遠に神の国を得ること能わず。
物質に神の国を追い求むる者は 夢を追うて走る者にして 永遠に神の国を建つる事能わず。

キリストは又云い給えり、『吾が国は此の世の国にあらず』と。
此の世の国は唯影にすぎざるなり。
常楽の国土は内にのみあり、内に常楽の国土を自覚してのみ 外に常楽の国土を其の映しとして顕現せん。
内に無限健康の生命を自覚してのみ 外に肉体の無限健康は其の映しとして顕現せん。

人間の五官はただ『写しの世界』を見るに過ぎず。
『写しの世界』を浄めんと欲すれば心の原版を浄めて 迷いの汚点を除かざるべからず。
われ誠に物質の世界の虚しきを見たり、物質の世界が影に過ぎざることを見たり。
われはまた人間が神より放射されたる光なる事を見たり。
肉体はただ心の影なる事実を見たり。

汝ら、物質は移りかわる影にすぎざること 恰も走馬灯に走る馬の如し。
されば、影を見て実在となすことなかれ。
人間真性(そのもの)はこれ神人、永遠不壊不滅の霊体にして 物質をもって造り固めたる機械にあらず、
また物質が先ず存してそれに霊が宿りたるものにもあらず、斯くの如き二元論は悉く誤れり。

5863a hope:2015/10/01(木) 09:29:16 ID:cEpBaIdo
物質は却ってこれ霊の影、心の産物なること、恰も繭が先ず存在して蚕がその中に宿るに非ずして、
蚕が先ず糸を吐きて繭を作り 繭の中にみずから蚕が宿るが如し。
人間の真性は先ず霊なる生命にして 心の糸を組み合わせて肉体の繭を造り
その繭の中にわれと吾が霊を宿らせて、はじめて霊(ことば)は肉体となるなり。

汝ら明らかに知れ、繭は蚕に非ず、然らば肉体は人間に非ずして、人間の繭に過ぎざるなり。
時来たらば蚕が繭を食い破って羽化登仙するが如く、人間もまた肉体の繭を食い破って霊界に昇天せん。
汝ら決して肉体の死滅をもって人間の死となす勿れ。
人間は生命なるが故に 常に死を知らず。
想念(こころ)に従い 時に従い 必要に従いて 肉体と境遇とに様々の状態を顕わせども、
生命そのものは病むに非ず、生命そのものは死するに非ず、想念(こころ)を変うることによって
よく汝らの健康と境遇とを変うること自在なり。

されど汝ら、ついに生命は肉体の繭を必要とせざる時到らん。
かくの如きとき、生命は肉体の繭を食い破って 一層自在の境地に天翔けらん。
これをもって人間の死となすなかれ。
人間の本性は生命なるが故に 常に死することあらざるなり。


――かく天使(てんのつかい)語り給うとき、虚空には御妙の天楽の声聞え、
葩(はなびら)は何処よりともなく雨ふりて、天の使いの説き給える真理をばさながら称(たた)うるものの如くなりき。     

(聖経終)

5864a hope:2015/10/01(木) 09:39:18 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第37回 web誌友会 案内

期間   10月1日〜10月31日まで

テキスト 「生命の實相」第21巻 第4章
      「生命の實相」第22巻  聖語篇/精神分析篇

内容   『人間の実相および仮相』
       『智慧の言葉』 『精神分析による心の研究』
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5865a hope:2015/10/01(木) 10:06:17 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p155 後から7行目〜

救ってやろうという働きは真理の発した救いの言葉、仏教で言えば弥陀の本願力である。
その本願力は霊眼、霊耳の開けた人に分かって姿が見えるのです。
また姿が見えなくとも、その人が救いの本願力を振り向けられ、真理の言葉を口で語り、
筆に現してゆくことにすればそれによって、多くの人が救われるということになってくるというのは、
真理を取り次ぐ人の言葉はもう肉身の自分がいう言葉ではなく、真理みずから神みずからが語る言葉であるからであります。

5866a hope:2015/10/01(木) 10:07:33 ID:cEpBaIdo

>>5865 a hope所感)

<<真理を取り次ぐ人の言葉はもう肉身の自分がいう言葉ではなく、真理みずから神みずからが語る言葉であるからであります。>>

生長の家の「聖経」「聖典」と呼ばれている書物は、それを拝読するだけでたくさんの人々が救われてきました。

なぜなら、執筆者である谷口雅春先生御自身が、唯神実相を完全に悟られて神さまの言葉を真っ直ぐに伝える能力、
つまり霊眼、霊示などの霊覚をお持ちの方だったからなのですね。

5867a hope:2015/10/01(木) 10:14:46 ID:cEpBaIdo
訂正  ×つまり霊眼、【霊示】などの霊覚 → ○つまり霊眼、【霊耳】などの霊覚

5868a hope:2015/10/02(金) 09:57:55 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p157 7行目〜

神の救いは、衆生が救ってほしいというその時代に相応する姿であらわれるのです。

神は要するに時代に相応して教祖というものを遣わしたまいて、それを通じてわれわれに現われられる。

だから、すべての宗教の教祖は天の使であると言えるのです。

肉体はどんな服装をし、容貌をしていましょうとも、真理を語る人には真理が宿っておる。

だから、その「内なる人」は天の使であり、霊眼の見える人が見たら後光が見えたり、キリストの姿が見えたりするのです。

いくら神の救いの念波を送られても霊智、心眼の開けていない人々にはそれが見えもしないし、聞こえもしないのですから、それを聞くことのできる、見ることのできる人を通して、教祖を通して、時代に相応して救いが現されるということになるのです。

5869a hope:2015/10/02(金) 10:06:30 ID:cEpBaIdo

>>5868 a hope所感)

いったい「生長の家」の教祖って誰なんでしょうか?

谷口雅春先生は「生長の家教団」の創始者であって、教祖とは呼ばれてていないような気がするのですが・・・。

キリスト教においては、肉体のキリストではなくて、永遠(実相)のキリストが天の使(てんのつかい)だったのであれば、
「生長の家」においては、肉体の谷口雅春先生ではなくて、永遠(内なる)の谷口雅春が天の使だったということになります。

ならば「生長の家」の教祖は、永遠の谷口雅春 永遠のキリスト 生長の家の大神 となって、肉体人間の谷口雅春先生を指しているのではないですよね?

どなたか、ご指導をいただけるとうれしいです。

5870トキ:2015/10/02(金) 10:47:18 ID:Kttdv9Ec
>>5869

 谷口雅春先生は、「私は教祖ではありません。みなさんと同じ一求道者です。」
と言われていました。

 ただ、終戦後、公職追放で谷口雅春先生が教団の役職から解任された時期に、
、部内で谷口雅春先生をどう呼んだら良いか困ってしまい、一部の信徒さんが
谷口雅春先生を教祖先生と呼んだ事があったみたいです。が、その呼称は先生
の復帰と同時に消えたと聞いています。

 生命の実相第1巻に、ある青年が神想観中に「神がかり」になり、谷口雅春先生
の執筆中のお姿が、指導神に変化した姿をご覧になられていますが、それが参考に
なるのではないか、と考えています。

 私が青年会時代に接した古い直弟子の先生方も、谷口雅春先生を心から尊敬し、
愛しておられましたが、神格化したり、崇め奉るというような姿勢ではなかった
と記憶しています。

 肉体人間の谷口雅春先生は偉大な存在ですが、生長の家の教祖は、あくまでも
霊的な存在だと考えるべきかと思います。

 出先からの投稿なので、簡単になり、失礼をします。

5871a hope:2015/10/03(土) 08:41:02 ID:cEpBaIdo

>>5870 トキさま

<< 肉体人間の谷口雅春先生は偉大な存在ですが、生長の家の教祖は、あくまでも
霊的な存在だと考えるべきかと思います。>>

お返事をありがとうございます。
わたしもそんな気がしていますし、谷口雅春先生御自身が聖典の中でなんどもそのことをおっしゃっていますよね。

ですが、谷口雅春先生を生長の家の教えの祖(教祖)だという考え方をしてしまう方々は、
その霊的存在(神)のことは理解できないということでしょうか・・・?


時々、すごい唯物論者であっても、ある日突然、自分自身に劇的な霊的体験がおとずれて、
神(霊的存在)を信じるように転身するという実話がありますよね?
スターデイリーなんかもその一例ですが、昔は、「生長の家」の講話を聴いたり「生命の實相」を拝読するだけで、
そのような霊的体験をする人が続出していたようですね。

宗教とはその「真理」を心から信じるか、信じないかで結果に大きな差が出て来るものだと感じでいます。

「生長の家」の聖典は「生命の實相」ですし、中心真理は「唯神実相」ですから、
わたしはそのことだけを信じて、これからも「生長の家」を信仰していきたいです。

5872a hope:2015/10/04(日) 10:36:21 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第21巻 p161 8行目〜

日蓮上人の弟子になるということは、何も坊さんになるということではありません。

お寺の坊さんになって、死骸に念仏を称えることが日蓮上人の弟子になることだなんて飛んでもない話です。

日蓮上人は『立正安国論』を書かれ、そして日本国をば本当に生かすべき道を教えられた傑僧(けっそう)です。

だから本当の日蓮上人の弟子は、生長の家により、『法華経』の神髄を理解して、その教えに従い、本当に日本国を生かす者でなければならないはずです。

ですから、日蓮上人の弟子になることは坊主になることではありません。

あなたも言われたように、『法華経』の神髄を解くものが生長の家です。

それを知らすために観音様があなたに『主婦の友』を読めと言われた。

それなら、『法華経』の神髄である生長の家の教えをそのまま行って、日本国の杖となり、柱となる人間になることこそ本当の日蓮上人の弟子になることではありませんか。

子供を坊主にしなかったということで思い煩(わずら)う必要はない。

あなたは帰ってお子さんに『生命の實相』をよく読ませ『法華経』の神髄を体得させ日本国の柱になるような人間に要請しなさい。

これこそ真(しん)に日蓮上人の弟子になる道です。

あなたはこれまで、日蓮上人の弟子になるということを思いちがいしておられた。

それでそのことを気づかせるためにあなたが普段信仰していられる観世音様のお声が聞こえたのであります。

こういうように観音様と生長の家の神様とは連絡がある。

いな、同じ神様が時と場所と人とに応じて、観音様とも現われ、キリストとも現われ、生長の家の神様とも、現われるのです。

5873a hope:2015/10/04(日) 10:37:55 ID:cEpBaIdo

>>5872 a hope所感)

なんだかこのあたりには、すごく深い教訓が述べられているような気がします。
つまりは、日蓮上人の弟子であるということは日蓮上人と同じように僧侶になることではなくて、
日蓮上人が示された「道」つまり本当に日本国を生かすべき道を歩む者であることなのですね。

その実現方法として、谷口雅春先生は

<<それなら、『法華経』の神髄である生長の家の教えをそのまま行って、日本国の杖となり、柱となる人間になることこそ本当の日蓮上人の弟子になることではありませんか。>>

とおっしゃっておられます。

さらに、

<<あなたは帰ってお子さんに『生命の實相』をよく読ませ『法華経』の神髄を体得させ日本国の柱になるような人間に養成しなさい。>>

と相談者の方にアドバイスされています。

つまり、『法華経』の神髄=『生命の實相』なんですね!!

では、これをわたしたち「生長の家」を信仰し、また、谷口雅春先生のご遺志であった日本国実相顕現を望んでいる信徒に置き換えて考えてみると、

<<それなら、『生命の實相』である生長の家の教えをそのまま行って、日本国の杖となり、柱となる人間になることこそ本当の【谷口雅春】の弟子になることではありませんか。>>

<<<<あなたは帰って『生命の實相』をよく読み生長の家の教えを体得し日本国の柱になるような人間になりなさい。>>

ということになりませんか?

我こそはまことの谷口雅春先生の弟子であるというのであれば、やはり「生命の實相」を何百回も拝読し、
その教えの神髄である『唯神実相』を体得していなければいけませんね。

わたし、がんばろーっと。

5874トキ:2015/10/04(日) 11:36:02 ID:mVHM0jU.
 そうですね。戦前の誌友の方などは、谷口雅春先生に、まるで父親のような感情を
持っておられました。が、組織が大きくなり、信徒の数が増えると、雰囲気として
信徒の側が勝手に崇めるような雰囲気になったのも事実です。直弟子の東山半之助先生
は、著書「ざっくばらん」の中で、こういう風潮に苦言を呈しておられました。

 昔は、谷口雅春先生が講習会などで地方に行かれると、信徒さん全員を囲んで、みんな
で会食をされたみたいです。その写真も残っています。

 特に、現在では、大半の信徒が、谷口雅春先生を存じ上げない方ですから、これは
仕方がないかもしれません。

 しかし、谷口雅春先生の本心は、一人一人が「神の子」の自覚を得ることだと考え
ます。

5875a hope:2015/10/05(月) 10:15:57 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p166 8行目〜

生長の家では、天地一切のものと和解せよと、説いています。

しかしこれも和解という言葉にひっかかってはならない。

和解という一筋道に凝り固まるとかえって衝突することもある。

何事も和解、和解、とその一本道に乗っていると、医者が病苦で弱って自分で死にそうだと言っている患者を診察して、患者の悪い症状と和解したつもりで「あなたは大変熱が高い、もう死にそうだ」などと言ってごらんなさい。

医者はいかにも病人の意見とは和解したことになるでしょうが、そのために患者を生かすことはできないでありましょう。

そのために患者を生かすことはできないでありましょう。

また、すべての人と和解せよ、と言うと、敵が攻めて来ても、それに手向かうことは和解にならないというので、こちらは少しも防ぐこともせずに、ただ頭を下げている――そうしたら結果はどうなるか、敵に踏み躙(にじ)られて滅びてしまうことになる。

そのように、「こうせねべならぬ」という窮屈な一本のレールの上に乗っていたら、他人も生かされないし、自分も滅びてしまわなければならない。

それでは真理を明らかにすることもできないのであります。

それでは本当の道ではない。

5876a hope:2015/10/05(月) 10:18:35 ID:cEpBaIdo

>>5875 a hope所感)

「天地一切のものと和解せよ」とは、実相世界の一切のものとの和解であって、現象に現れている仮相や虚説に和解するということではないのですね。

ですが、わたしたちのほとんどは実相を悟っていないわけですから、何が実相で何が仮相なのか、何が真説で何が虚説なのかハッキリわからない・・・。

そこで、聖典のお言葉や、過去の谷口雅春先生のされた運動などを指針として、自分なりの解釈をして、
自分なりの運動を展開してしまうのだと思います。

ですが、そのような人まねの運動では本当ではないようですね。

続けて謹写していきます。

5877a hope:2015/10/05(月) 10:43:56 ID:cEpBaIdo
>>5875 つづき)

「生命の實相」第21巻 p167 3行目〜

本当の道というのは、一つに凝り固まってしまうものでなく、機に応じて縦横無尽に姿を変じ、それによってすべてが生かされる道でなければならないのです。

ある時は観世音菩薩のごとく優しくあることも必要だし、またある時は不動明王のごとき権威をもって起つことも必要なのです。

常にこうでなければならないというのではない、臨機応変、無礙自在に動きうる道でなければならない、そうあるのが本当の道であって、その本当の道にのった生活をすることが大切なのであります。

では、どうしたら一つに凝り固まらない自由自在な本当の道にのることができるかと言いますと、それは実相に入ること、すなわちわれわれの実の相を悟ることであります。

いつも言いますように、われは神の子なり、という実相をしっかりと摑(つか)んだ時に、自然に、自由自在な実相が顕れて、無礙自在な本当の道を、生きて歩むことができるのであります。

5878a hope:2015/10/05(月) 10:45:51 ID:cEpBaIdo

>>5877 a hope所感)

谷口雅春先生がされていた過去の運動の数々は、過去のその時点では正しい運動だったかもしれませんし、社会的影響力も強かったかもしれません。

ですが、現在の社会状況の中でその運動をそのまま展開するというのは、それは違うような気がします。

<<いつも言いますように、われは神の子なり、という実相をしっかりと摑(つか)んだ時に、自然に、自由自在な実相が顕れて、無礙自在な本当の道を、生きて歩むことができるのであります。>>

やはり、まことの「生長の家の運動」を展開するには、まずは「実相」の悟りを得ることが必要なのではないでしょうか?

そうでないと、何をやってうまくいかないと思います。

5879a hope:2015/10/06(火) 08:25:53 ID:cEpBaIdo

「生長の家」第21巻p171 後から6行目〜

要するに観世音菩薩も、普賢菩薩も、キリストも、また生長の家の神様も、皆神すなわち真理より出でたる光であり、人間もまた真理すなわち神より出でたる光であるのですから、要するに人間は、キリスト、釈迦と同じものである。

衆生の一人一人としてここにいながら、実は現象界のここにいることなく、実相界に釈迦、キリストと等しき仏または神の子としているのであって、現象の人間はただそれを知らないだけなのであります。

それを知らないから、神に頼れと言うと、自分とは別の、どこかの、天にまします神とか、宮にまします神とか、仏像とか、自分を離れた何物かに頼らなければならないように考えるのです。

5880a hope:2015/10/06(火) 08:27:09 ID:cEpBaIdo

>>5879 a hope所感)

それでは、本当に「神に頼る」とはどういうことなのでしょうか?
謹写をつづけます。

5881a hope:2015/10/06(火) 08:28:17 ID:cEpBaIdo

>>5879 つづき p172 2行目〜

しかし神に頼れというのは、何も余所(よそ)のものに頼りなさい、と言うのではない。

あなたの実相をみよ、釈迦でありキリストである――なんじの真性を見よ、その真性に委(ま)かせきれということであります。

あなたと神とは別々のものではない、あなたの奥が(奥とか内とかいうと、中に小さく種のように含まれているようですが、そうではない)、あなたの実が、実の相(すがた)がすなわち神である。

実の相(すがた)に委かせきったら嘘の相である不完全な状態は消えてしまうとこういうのであります。

5882a hope:2015/10/06(火) 08:29:18 ID:cEpBaIdo

>>5881 a hope所感)

すごい真理ですね!!!

5883トキ:2015/10/06(火) 21:13:47 ID:ODqgl6hw
 素晴らしい真理を書いてくださり、ありがとうございます。

 本当におっしゃる通りだと思います。生長の家の基本というのは、一人一人が
「人間 神の子」である、というところから出発するのだと思います。そういう
人が、社会に増えることで、世の中が良くなる、国も栄える、というのが運動の
基本だと思います。

5884a hope:2015/10/07(水) 08:46:06 ID:cEpBaIdo

>>5883 トキさま

そうなんですよね。
生長の家の運動って、本当はそういうことなんですよね。
聖典を拝読ればするほど、それしかないってわたしは確信が強くなるばかりなんですが・・・。

現在の「生長の家」教団総裁である雅宣先生や純子先生は、
この「人間 神の子」というお言葉をほとんど発言されませんね。

5885a hope:2015/10/07(水) 08:47:01 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p172 7行目〜

実相としてのわれわれに神人と本源唯一の神との関係はちょうど、日光と日光を発する太陽とのような関係である。

光のない光の源はあるはずがないと同時に光があればそれには、必ず源があるのであって、源のない光もあるはずがない。

要するに光と光の源とは離すことのできない一つのものであって、神という源を知れば、それからでた人間も光であり光源である神と、光である人間とは本来一つであって、決して別々なものではないことが分かるのであります。

その光は物質的光ではない。

太陽の光線を例に引いたのは喩(たとえ)であります。

で、「神は霊なるが故に人間も亦霊なるなり、神は愛なるが故に人間もまた愛なるなり。神は智慧なるが故に人間も亦智慧なるなり」とありますように、われわれが神から出でた物質的光ではなく、霊の光、愛の光、智慧の光であります。

5886a hope:2015/10/07(水) 08:49:33 ID:cEpBaIdo

>>5885 a hope所感)

<<光のない光の源はあるはずがないと同時に光があればそれには、必ず源があるのであって、源のない光もあるはずがない。
要するに光と光の源とは離すことのできない一つのものであって、神という源を知れば、それからでた人間も光であり光源である神と、光である人間とは本来一つであって、決して別々なものではないことが分かるのであります。>>

わたしは、ここの場所を拝読するたびに、何度でも感極まって涙が流れてしまいます。
どんなに悪人に見える人でも、どんなにミジメに見える人でも、どんなに意地悪をする人でも、
すべての「人間は神より出でた、光そのもの」なんですね・・・。

この「甘露の法雨」の『人間』の項目の解説である第四章には、人間の実相とは何なのかがとても詳しく説明されているので、
読み飛ばしができません。

この後、「愛」についての説明が続きます。
神の愛である『法愛』と肉体人間の『執愛』の違いがよく解ります。

じっくり何度でも拝読したいと思います。

5887トキ:2015/10/07(水) 21:38:30 ID:2YkAhnD.
 臨死体験をした人の多くが、死後の世界で、大いなる「光」を見た、という
報告をされています。その光は、慈愛に満ちており、どの人も安心して受け入
れられるとも言われています。

 臨死体験をした人が見た「光」と、谷口雅春先生が説かれた「光」が同じ
か、違うか、それはわかりません。しかし、近い存在のような印象は持って
います。

 ネイティヴ・アメリカンの人たちが「人類が忘れたもののために、祈れ」
と言っていますが、私たちの祈りは、人間が神の子であることを思い出す
ことが大事なのだと感じます。

5888a hope:2015/10/08(木) 10:34:28 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第21巻 p173 後から3行目〜

・・・この「法愛」が要するに本当の神の愛、実相の愛ということであって、実相の愛とは、すなわち自他一体の愛であります。

愛というのはすべて他と自分とが本来一つであると観ずることです。

たとえば、親が子供を愛するというのでも、子供とわれとは一体であると自覚することから起こるのでありますし、あるいはある男性が女性を愛するというのでも、わたしはあの人と一体である。

あるいは一体になりたいという念を持つことなのであります。

ところがこの愛が一人一人というように、少ない範囲に凝り固まってししまったときに、それは「執愛」になってしまって「法愛」にはならない。

ではどういうのが「法愛」であるかといえば、何にも執しないで、天地の流れそのままに、自由自在に愛すること、これすなわち「法愛」でありまして、何かに執する愛は自在ではないから「法愛」ではないのであります。

5889a hope:2015/10/08(木) 10:35:47 ID:cEpBaIdo

(.>5888 a hope所感)

肉体をもった人間としてこの現象世界に投影されているわたしたちの中に、この「執愛」を少しも持たない人間が果たして存在するのでしょうか?

母親であれば自分の子供と他人の子供がいれば、自分の子供をより愛してしまうのが当然の本能だと思いますし、
また、男性であれば戦場で窮地に陥れば相手を攻撃してしまうというのも、自分を護るという自然の本能ですよね?

肉体人間の持って生まれた「本能」を手放したときに、神の「法愛」が実現するというのでしょうか・・・?

5891a hope:2015/10/08(木) 14:06:08 ID:cEpBaIdo
>>5890

それでは、今日はお仕事がお休みなのでお返事させていただきます。

あの夜、返事をしなかったのは、>>5810の投稿の後に今月のweb誌友会のテキストの内容からかけ離れた
内容の投稿がずっと続いてたためにこの板の混乱を避けるためにお返事をしなかったのです。


わたしは、今まで雅宣先生や純子先生個人の生き様を批判したことなど一度もありません。

ただし、「生長の家」の法灯継承者としての「教義」内容の変更や、
その変更に伴う「森での生活」やソーラーパネル等の物質的手段に頼った環境保護運動への批判はさせていただきました。

ですが前にも一度言いましたが、今は「おかしい(虚説である)」とは思っていますが批判していません。

ここはweb誌友会板ですので、これ以上のお返事は控えさせてただきます。

5893a hope:2015/10/08(木) 14:55:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p174 7行目〜

「執愛」でも愛には違いはないのですけれど、それは捉われている愛でありますから、それでは、あらゆる時にすべての人を生かす力は出て来ないのであります。

自由自在にあらゆる物を千変万化しながら、その実相を生かす。

これが法愛であり、神の愛であります。

施しをするのでも執着の施しと法施とがある。

執着の施しは誰々には何々をやりたいが、誰々には何々をやりたくないというような、人に物を凝り固まった偏寄った愛であります。

人に物に偏寄らないで一様に実相を生かすのが法施であります。

先刻、「道の道たるは道に非ず」ということを申しましたが、ここでは「愛の愛たるは愛に非ず」ということも言えるのであります。

ただ子供がかわいいからいたわるというのは盲目的な親の愛で、かえって愛するがゆえに愛するわが子を害している場合も多々あるのであります。

なせ愛するがゆえにかえって愛する者を害するなどということになるかといえばその愛が執愛であるからで、愛とはやたらにいたわりかわいがるということだという一本のレールの上に乗ってしまっているからで、その一本道のほか融通がきかない、そのためにせっかく愛しながらかえって愛する者を生かすことができないということになるのであって、それは法愛ではない。

法愛というのは無軌道電車みたいなもので、レールははずれても決してひっくり返らないで平気で走って行けるような自由自在な愛になって、はじめて相手を生かすこともできるようになるのであります。

5894a hope:2015/10/08(木) 14:57:19 ID:cEpBaIdo

>>5893 a hope所感)

きっとわたしたち現象人間は、『「自由自在な愛」仕方』を学ぶためにこの人生で色々な人間関係の経験を積むのですね。

子供が自分の思い通りにいうことを聞かないだけでパニックをおこしてしまうようでは、
わたしなんてまだまだなのでしょうね (;´∀`)

ですが、すべての経験は魂を向上させるためにあるのですから、その様な経験も決して無駄ではありませんね!

「自他一体の愛」「自由自在の愛」「相手を生かす愛」=法愛

わたしたちが目的とすべく、究極の「愛」ですね!

5897a hope:2015/10/08(木) 16:02:14 ID:cEpBaIdo
>>5859

<<ホープさんは「教えを広めさえすれば環境問題は解結する」といっておられるが>>

↑のような発言はわたし a hopeはしていません。


トキさま

>>5895>>5896は、わたしの正しい発言をもとにした投稿ではありませんので、削除、または別板への移動をお願いします。

5899a hope:2015/10/08(木) 16:49:08 ID:cEpBaIdo

ここでのわたしの所感は、あくまでも、テキストである「生命の實相」の真理を学んだうえでのわたしなりの解釈です。

その解釈に間違いがあるのなら、どうぞご遠慮なく聖典「生命の實相」の真理をもとにご批判ください。

ここは、「生命の實相」の真理を学ぶ誌友会です。

「生命の實相」の真理をご批判する投稿は、トキさまにすべて削除していただきます。

5901a hope:2015/10/08(木) 16:59:56 ID:cEpBaIdo

>>5900

わたしの解釈(考え方)が間違っていれば、聖典「生命の實相」の真理でぜひご批判ください。

聖典「生命の實相」の真理の研鑽こそが、このweb誌友会を開催している一つの大きな目的なのですから・・・

どうぞよろしくお願いいたします。

5902通りすがり:2015/10/08(木) 18:01:11 ID:eRL0Pjck

生命の實相は、相手の間違いを批判するために、あらせられるのではない。

生命の實相は、神殿であり、その他のなにものでもない。

私達は神そのものである。

生命の實相は、私達の實相そのものである。

生命の實相の学びは、まさに私達の内にそのものに宿る神の叡智と、神殿なる生命の實相の饗宴のように感じる今日この頃である。

5903a hope:2015/10/08(木) 18:10:59 ID:cEpBaIdo
>>5902 通りすがりさま

すばらしい真理のお言葉をありがとうございます!

通りすがりさまのおっしゃる通りなので、自分の浅はかな発言を取り消します。

×『わたしの解釈(考え方)が間違っていれば、聖典「生命の實相」の真理でぜひご批判ください。』
               ↓
○『わたしの解釈(考え方)が間違っていれば、聖典「生命の實相」の真理の言葉(光)でわたしの「迷い」を消してください。』

みなさま どうぞよろしくお願いいたします!!

5904通りすがり:2015/10/08(木) 19:07:53 ID:FF/vzSxM
a hopeさん

あなたはとても素直な方ですね。時折、こちらを通りすがり拝見致しておりますが、あなたの学びの探求心には、感心致しております。

子供が思うようにならないのは、ある意味当然ですね。

親とは言え、親子ともに人格は別ですから、我が子は人生の師と観を転換したら面白いですよ。

しかし、あなたの生命の實相、あなたが神様そのものであらせられるからこその、素晴らしい探求心だと思います。これからも頑張ってください。

5906a hope:2015/10/08(木) 22:55:52 ID:cEpBaIdo

通りすがりさま

あたたかい励ましのお言葉をありがとうございます。

このweb誌友会板は参加者は多くありませんが、トキさまはいつもあたたかくわたしを応援してくださっていますし、
通りすがりさまのような生長の家の大先輩方がたくさん見守ってくださっているとわたしは信じているので安心して発言ができるのです。

>>5902のご忠告には本当に感謝しています。


また>>5904

<<子供が思うようにならないのは、ある意味当然ですね。
親とは言え、親子ともに人格は別ですから、我が子は人生の師と観を転換したら面白いですよ。>>

とのアドバイスには、目から鱗が落ちたような気分になりました。

「立ち向かう人はすべて自分にとって何かを教えてくれる人生の師である」という真理はわかっていた筈なのに、
なぜか、自分の子供たちだけは自分の責任でなんとか育て上げなければいけないんだという自分自身の我執(執愛?)に気がつくことができました。

わたしの子供たちはすばらし「神の子」でした。
これからは自分の子供たちもわたしの人生の師であると尊敬したいと思います。
そう観の転換をしてみると、不思議ですがなんだかとても気持ちが楽になりました!


通ろすがりさま

わたしは、これからも今までどおりトキ掲示板で「生命の實相」を学び続けていきますので、
これからもあたたかく見守ってくだささり、また、時には今回のようにご忠告やアドバイスをいただけるととれも嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。 合掌。

5907a hope:2015/10/08(木) 23:16:12 ID:cEpBaIdo
>>5905

<<わたしの正しい発言をもとにした投稿ではありませんので、削除、または別板への移動をお願いします。>>

の発言を撤回するつもりはありません。

「教えを広めさえすれば環境問題は解結する」という内容と、

わたしの正しい発言である、

<<人類が聖典「生命の實相」の拝読をして唯神実相の考え方になれば環境問題の解決につながりますよ。
環境問題なんて本来無い現象なんですから・・・。>>

の二つの内容は全く違いますから。

5908通りすがり:2015/10/08(木) 23:21:15 ID:hhzAW3mE
a hopeさんへ

5902は、忠告ということではなく、書かざるを得ない不思議な感覚で、入力した次第です。

時折、思い出したように通りすがりますので、また拝見にまいります。
その時は、1言何やら残すこともあるやも知れません。
ただ、私は講師でも何でもありませんので、気軽に接してやって下さい。

こちらこそ、よろしくお願い致します。

5914a hope:2015/10/09(金) 10:03:57 ID:cEpBaIdo

ここでのわたしの所感は、あくまでも、テキストである「生命の實相」の真理を学んだうえでのわたしなりの解釈です。

その解釈に間違いがあるのなら、どうぞご遠慮なく聖典「生命の實相」のお言葉(光)でその「迷い」を消してくださいね。

ここは、真剣に「生命の實相」の真理を学ぶ誌友会です。

この板の秩序を保つため、テキストの内容と無関係な投稿は、今後トキさまにすべて削除もしくは別板への移動をお願いするつもりです。

5918a hope:2015/10/09(金) 10:46:00 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p180後から4行目〜

生命の霊性、愛、智慧というものは、いかなる大科学者がいかなる装置で物質を捏ね合わしても発現するものではない。

生命は霊なる愛なる智慧なる神からのみ来るのであります。

この神から来た生命の霊性が現象世界に投影したのが、現象生命である。

この現象生命はどういう状態で現象界に存在に入るかというと一つのバイブレーションとして存在するのであります。

このバイブレーションを客観的に観察すると一つの念体である。

霊魂または霊体というのはこれであります。

物質は実相宇宙の投影が認識作用によってその霊妙性を捨象されて生じたバイブレーションの体でありますが、この物質の体に、現象生命の体が複合して、肉体人間としてあらわれているのであります。

だから人間は大別すると二種の体が重複しているのであります。

われわれは体が一つしかないと思っていますが、肉体と霊体とが重なり合って一つに見えているのであります。

5919a hope:2015/10/09(金) 10:47:32 ID:cEpBaIdo

>>5918 a hope所感)

この後には現象(肉体)人間が現象界に現われてくる仕組みがとても詳しく述べられています。
その時に、よく混乱してしまうのが、「霊体(霊魂)」と「霊」の違いですが、その説明は、p173にあります。

<<仏教では「霊」という言葉を使いませんが、神道やキリスト教では「霊」という字をよく使います。仏教では「霊魂」というものを否定してしまっていますので、「霊」という字を特に嫌う方があります。しかしこの「霊」というのは「物質を超越した」「物質に障礙せられぬ」「自由自在な」「不可思議な」「無礙な」というような意味をもっているので、必ずしも霊魂のことではありません。幽霊などでも、閉め切っておいても、無礙に不思議に室内へ闖入(ちんにゅう)して来るというので、霊妙不可思議なので幽霊と言うのです。「霊の光」という言葉が嫌いならば、不可思議光とか無礙光とか言えば仏教徒に喜ばれるでありましょう。同じことを指しながら、言葉で争うのはみっともよいことではありません。>>

つまり、谷口雅春先生は『霊魂・霊体・幽霊』という言葉は主に物質的現象で使われて、
『霊』という言葉は「物質を超越した」「物質に障礙せられぬ」「自由自在な」「不可思議な」「無礙な」というような意味でつかわれているようです。

ここのところは、霊魂の存在(スピリチャル)を否定する唯物論者にはとても理解しがたい箇所なのではないかと思います。

5950「訊」:2015/10/22(木) 10:04:53 ID:XHjRyBkA

 誌友会に無関係な投稿は、削除でよいのではないでしょうか。




5951トキ:2015/10/22(木) 10:17:39 ID:wrjEtJjs
>>5960

 ご提案、ありがとうございました。
近く、適当な時期に削除をさせていただきます。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

5952「訊」:2015/10/22(木) 17:11:14 ID:pyt3hUfk


a hopeさんですが「かなり可哀相」です。このスレは例えば、雅春先生のファンが集う場ですよね。AKBファンクラブでAKB批判はナシですよ。どうしても批判したければ、「谷口雅春アンチ」なスレでも(一時的に)開始され、そこでされればよろしいと思います。(但し「論拠不在」のキリッ系投稿は「かなり笑えます」のでご注意!)

 と、まあ、雅春先生ファンが、雅春先生の御思想を「是」としてやり取りを進めるスレッドです。「非」から雅春先生にアプローチされる方は、他スレでやって頂きたいです。ムズカシイんですよ、司会って(笑)。妨害珍文を注意すると、「あなたは和解してない」とか言われるんですからね(笑)。「ウンコは食卓の上ではなくトイレで、それが和解です」「珍文は珍文掲載場へ。人地処の三相応を得るのが和解なんですからね」・・・・・・・・そんな説明をしても、読んでおりませんからまあ、いずれにせよ司会者のa hopeさんですが、「かなり可哀相」です。




5953a hope:2015/10/23(金) 10:15:20 ID:cEpBaIdo

>>5952「訊」さま

あたたかいご助言をありがとうございます。

このweb誌友会板は、谷口雅春先生の教えでもある聖典「生命の實相」の真理を学び合い、研鑽し合うための板だと認識しています。

ですから、わたしの所感や解釈がその「生命の実相の真理」を基準に考えて、間違っている場合はいくらでもご批判くださってかまわないのですが、
ここのところわたしの人格や言動への批判や、本来の「生長の家の教え(谷口雅春先生の教え)」とはかけ離れた投稿内容が続いていました。
(今はトキさまが削除してくださってありますが・・・)

ですから、再びわたしがこのweb誌友会で書き込みを始めることにより、またそのような板の目的とは違う投稿が開始されるのではないかと危惧しております。

わたしからみれば、一連のそのような内容の投稿は「生長の家の教え(谷口雅春先生の教え)」への反逆であり、その勉強会への妨害行為としか思えません。

5954「訊」:2015/10/23(金) 11:02:39 ID:Ug2XjY8s




 まあ、司会者批判が来るってことはそれだけ、「雅春先生のご思想には問題がないため」なんですよ(笑)雅春先生の御思想自体に問題あらば、反対者はそっちに向かうんですがデキナイんだもの(笑)で、それじゃ虚しいから「司会者を攻撃する」んです(笑)。

 「あ、この方は今、私を注意した!」

 と言って、そしてつづけて「和解してない!」

 と来ます。さらには和解してない(=自分基準の和解なんだけどw)を以て今度は「教えに潜む二項対立(キリッ)」と来ますから、虚しさがさらに加速します。

 まあホント、高級用語で粉飾してるからわかりにくいダケでして、反対者の論法カラクリは笑えるくらいに単純です。ところで「オズの魔法使い」?だったと思うけど、人々を脅してた魔女の裏側にいたのは「ちっちゃいおじちゃん」だったですよね?(笑)雅春先生の反対者って、あれです(笑)あの、「ちっちゃいおじちゃん」(笑)

 用語粉飾してるからオッ!ってなるだけでして内容精査すれば・・・・・・「ちっちゃいおじちゃん」(笑)雅春先生の思想そのものには反論できないから、司会者を攻撃して悦に入っているダケなんです(笑)





5956シャンソン:2015/10/23(金) 21:50:13 ID:U14Q8fEE

  掲示板でドロドロとした詮索と喧嘩の嵐
 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&amp;mode=res&amp;log=4013

5957シャンソン:2015/10/23(金) 23:14:58 ID:OmuqqVZI
 誌友会関連者様へ

見ている人たちも、ここが何の版なのか、現在のテキスト・司会などが
どうなっているのか判然としないと思うので、誌友会のお知らせの再掲示をお願いします。

5958a hope:2015/10/24(土) 00:12:35 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第37回 web誌友会 案内

期間   10月1日〜10月31日まで

テキスト 「生命の實相」第21巻 第4章
      「生命の實相」第22巻  聖語篇/精神分析篇

内容   『人間の実相および仮相』
       『智慧の言葉』 『精神分析による心の研究』
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆


>>5957 シャンソンさま

ご指摘くださり、ありがとうございます。

5959a hope:2015/10/24(土) 09:08:25 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻  精神分析篇 「精神分析による心の研究」より

p112

「生長の家」は近代の精神分析をその教えの中にとり入れている。

精神分析が人間に与えた功績は、病気という象徴を通して、人の心の奥深く潜んでいる「迷い」に穿ち入り、その「迷い」(いろいろの欲望の紛糾)を掘り出して白日下にその正体を暴露し、その「迷い」を去り、欲望を正しくしたとき、ひとりでに病気の癒える事実により、病気とは「迷いの影」であり、「欲望の紛糾」の投影にすぎないことを科学的に明らかにしたことである。

諸君はここに語られたる病者の心理描写をただ興味本位に読んでしまうだけでなく、読みながら自分の心のうちに、この話のうちにある患者と同じ種類の「迷い」が潜んでいないかを反省し、反省し、「迷い」があればその「迷い」を捨て去り、懺悔の生活の上にあらわし、いろいろの虚偽や仮面や口実で修飾しなくともそのままで完全円満な「神の子」たる自己生命の実相を自覚せられたく希(こいねが)う。

ただしい生活は心を正しくし、正しい心は病を癒やすのである。

5960a hope:2015/10/25(日) 16:55:51 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p119〜

「病気でありたい意志」

患者の有する「暴露の抵抗」の性質について説明しておこう。

簡単に言えば神経症患者はその神経症に執着があるのである。

不思議とはいえ、患者の潜在意識は、自身のもっている病気を生活の必要品としていたわっているのである。

患者は悪の世界へ現実的に堕落するのを防ぐ防御癖として、その病気をこしられたのであり、同時に自分の病的な欲望を象徴的にその病気によって満足させているのである。

彼はこの病気なしには生活に耐えられないのである。

彼の隠れたる迷いの心は健康になることを恐れて、病気でいたいことを欲しているのである。

精神分析によって人間の心を研究したものでなければ、この不思議な「病気でありたい意志」を患者がもっているということは解しがたいであろう。

しかし多くの精神分析の結果によると、神経症患者は病気によって、周囲の人に対して暴力をふるい、勝利感を味わい、不快な仕事を避けようとしているのである。

このことは読んでいるうちに諸君にわかってくるであろう。・・・

5961a hope:2015/10/25(日) 16:57:24 ID:cEpBaIdo

>>5960 a hope所感)

わたしも、過去に神経痛を経験したことがあります。

とても痛くて、大変な思いをしていたので、まさか自分の潜在意識に「病気でありたい意志」が存在したとは信じられませんが、
思い当たることがあるのです。

それは、ちょうどその神経痛を患っていたときが、仕事で必要な資格試験の直前で、
その試験が、わたしにとってはかなり難しい試験だったので、そのことを相当なストレスに感じていたのです。

そして、当時のわたしの主治医の先生は診察の度に、「その神経痛は、その試験が終われば治るよ」と言っていました。

そして、本当に、試験が終わるとその神経痛は治ってしまいました。

優秀な医師というのは、病気が心(ストレス)から来るということをちゃんとわかっているのですね。

5962山川海:2015/10/26(月) 13:19:08 ID:AmFLWX.o

「ただもうありがたい!」という感謝の念はいっさいの「内心の錯綜」を溶かし去る力があるのである。だから、心の悩みを暴露された人が「天地一切のものと和解せよ」との聖典巻頭の神示に触れるならば、分析によって抉(えぐ)り出された自己内心の葛藤の傷が、ただちに温かい神愛の被覆を受けて、痕型(あとかた)もないように癒えてしまうのである。 ( P180 〜 181 )


頭痛なんかも、心の葛藤のケースがありますね。レントゲン検査、血液検査などをしても異常がない。医師から、どういう時に頭痛があるのか、問診で医師が“ 大笑い ” 、本人は大真面目ですが、医師からそれをやめたら治りますと言われて、本当にそれが終わったら治りましたね。


今でこそ、何か、震災や事故、事件があるごとに、精神分析やカウンセリングの大切さがクローズアップされますが、谷口雅春先生は、当時から 取り入れ、説かれておりました。

そして、心の傷を、神の愛に包まれた、感謝の念にまで導いて、当時の各界の指導的立場にある方々にまで、多大な影響を与えてきました。

5963a hope:2015/10/27(火) 08:04:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p140 後から4行目〜

神経的に現われる慢性病患者は、それが胃病でも、心臓病でも神経痛でも、ないし如何なる病気でも、自分の病気を世界にまたとない複雑精巧な病気であると思っていたいのである。

誰も自分の病気をなおすことができない――自分の病気は誰よりも偉いぞ――こう思うだけで彼は自分が誰よりも偉い気がするのである。

いろいろの治療を取り替え引き替えやってみたけれども治らなかったといって自慢そうに話している病人にはよくこんなのがあるのである。

彼は非常に自尊心が強いのである。

しかし、裸(はだか)では実力がその自尊心に伴わないので、病気の鎧を着て周囲を、家人を、医者を征服し、至る所に凱歌をあげようとするのである。

しかし彼が『生長の家』を読む。

最初は彼の迷いが『生長の家』の語る真理を反発し、抵抗し、ついに『生長の家』を捨てて読むまいとする。

しかし彼が強いて『生長の家』を読めば、彼の生命はついに真理を自覚する。

自分の本質は神の子であって、外から病気の鎧を装わないでもそのままで勝利者であることを自覚する。

この時、彼は「病気の鎧」を装う必要はなくなって脱いで捨てる。

この時忽然彼の病気は癒えるのである。

5964a hope:2015/10/27(火) 08:05:34 ID:cEpBaIdo

>>5963 a hope 所感)

『生長の家』(生命の實相)を拝読すれば、病気が癒える・・・。
それは、「人間神の子」の真理を自覚するからなんですね。

「人間神の子」の自覚とその真理の伝道、「生長の家」の信徒にとってそれ以外に重要なことが他にあるのでしょうか?

5965a hope:2015/10/27(火) 08:09:05 ID:cEpBaIdo

>>5963 山川海さま

Web誌友会ご参加、ありがとうございます!

P180 〜 181 のご紹介部分は、わたしの聖典にもしっかりと赤線が引いてありました。

<<今でこそ、何か、震災や事故、事件があるごとに、精神分析やカウンセリングの大切さがクローズアップされますが、
谷口雅春先生は、当時から 取り入れ、説かれておりました。
そして、心の傷を、神の愛に包まれた、感謝の念にまで導いて、当時の各界の指導的立場にある方々にまで、多大な影響を与えてきました。>>

わたしは、心の底から湧き上がってくるような「本当の感謝の気持ち」を体験できたとき、
人は癒されるのではないかと感じています。

聖典を拝読するだけで人々をそこまで導くことができる教えって、「生長の家の教え」しかありませんね!

5966a hope:2015/10/30(金) 08:28:19 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p154 5行目〜

・・・では、この婦人の公衆恐怖症が癒されたあとを、もう一度たどってみよう。

彼女は彼女自身が神によって選ばれた特に聖別された人間であるということを信じていた。

それは実に他に打ち勝って他を見おろしたい欲望の転化であった。

この神聖な自身を外界の誘惑によって汚してはならない。

そのためには自身をひとりで外出させないように公衆恐怖症をこしらえ上げる必要があった。

そのため潜在意識が罪の防御癖としてこの公衆恐怖症を造っているのである。

実に彼女の病気が治り始めたのは自身が特に聖別された人間であるという考えを捨てて「普通の人間」になろうと決心したときにおいてである。

すなわち周囲を見下そうとする驕慢の王座を捨てて、常人の間に下ろうと決心できたときである。
(つづく)

5967a hope:2015/10/30(金) 09:04:45 ID:cEpBaIdo
>>5966つつき)

なぜ彼女が驕慢の王座を下りて「普通の人間」になろうと決心することによって病気が治るかというと、人間が尊いのは、そんな驕慢の王座にいることによって貴いのではないということが解ってきたからである。

「生命」は「神の子」であるから、外界から誘惑されても常人同様生活を送ってもそんなことでは決して汚されることがないということが解ったからである。

だからこういう場合は、患者の「生命の実相」は何か特殊な生活をしなれば貴くなれないというようなものではなく、常人生活そのままで「生命」は限りなく尊く価値あるという真理を自覚させ患者自身をして「普通の人間」になろうと決心せしめたならば精神分析家の仕事は終わったも同然なのである。

そのためには、患者が実は医者の治療に対して治るまいとして抵抗している事実を精神内容の分析によって暴露すること、なんのために彼が治ることを欲しないのかその奥底の夢を暴露して彼を納得せしめるにあるのである。

すなわち患者をして「このままで実在は調和している。あなたの生命はいろいろの艶つけしないでも貴い、普通人のままで生命は貴いのだ」という最後の確信に到着せしむることによって自分だけが神に聖別されているという夢を捨てさし、普通人として普通の生活をしようと決心せしむるにあるのである。

誤れる理想主義は一種の虚栄である。

この虚栄の感情は、人を自己欺瞞に導いて行き、本当の真実なもの人間的なものを軽蔑し見下(みおろ)するようにならせる。

ここにこの種の患者の心の底を暴露すべき心理的鍵があるのである。

5968a hope:2015/10/30(金) 09:09:35 ID:cEpBaIdo

>>5966 >>5967 a hope所感)

<<誤れる理想主義は一種の虚栄である。
この虚栄の感情は、人を自己欺瞞に導いて行き、本当の真実なもの人間的なものを軽蔑し見下(みおろ)するようにならせる。>>

ここのところは、わたし自身が特に自戒すべきところだと感じました。

ですが、ふつうに生活していると、「普通の生活のありがた」さってなかなか分からないのも事実だと思います。


この前、TVのトーク番組に「ホリエモン」こと、堀江貴文氏が出演されていましたが、
彼の、「刑務所内の食事は美味しかったです」という発言に驚きました。

以前の贅沢すぎるような生活が続いていたのでは、「普通の食事のおいしさ」を彼が実感することはなかったかもしれませんね。


御飯がおいしく食べられる幸せ! 家族が側にいてくれる幸せ! 仕事に行ける幸せ! ここで真理のお勉強ができる幸せ! 普通であることの幸せ!

あー、わたしは本当に幸せだ!!

5969a hope:2015/11/01(日) 00:41:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p177 3行目〜

現在(いま)わたしはこんなに複雑な精神分析のやり方は用いていない。

こういう複雑面倒な実例を挙げたのは「肉体は心の影」であるという真理を明らかにして読者がみずから自己を省みる資料としたいためである。

上京後は毎日百数十人の人が仮道場へ押しかけて来るのであるから、フロイト博士やステケル博士のように一人当たりに長時間または長日月を費やして精神分析を行っていては間に合わないのである。

また一人一人密室で対談するのでなくて、多勢(おおぜい)の面前でなんの隠しもなしに対談するのであるから、いくら丁寧に質問したとて若い婦人が発表して恥ずかしいような心の秘密を打ち明けるわけもないのである。

だからわたしの精神分析方法は直感で相手の「心の障(さわ)り」に鋭いメスで穿ったような一語または数語を投げかけて、その内心の錯綜を隠蔽する余地を与えないで追撃する。

しかも具体的な心境を指摘すると満座の中で恥をかかせるようになるから、具体的なことを言わないで、「あなたはこういう心を持っているでしょう。その心を顧みて捨てなさい」と、知らぬ人から聞けば抽象的な、そして本人がきけば具体的にひしひしと自分の心の秘密に触れて、そういうまちがいの心を捨てずにはいられない心に達せしめるのである。

一例をあげれば・・・ (略)

p179〜
「肉体は心の象徴(かげ)である」この法則より分析してゆくときは、フロイト博士や、ステケル博士のように長い間の対談が要らないで、しかも、神経症状が治るだけでなく、このような具体的症状さえも治ってしまうのである。

(略)

p180 後から5行目〜
げに、三界は唯心の所現、この婦人の心が分析されてその不純物が除き去られると、肉体の病気のみならず環境まで変わってしまうのであった。

フロイト博士や、ステケル博士流の回りくどい誘導的質問に比べて、この精神分析がかくのごとく短期間に効を奏したのはなぜであろうか。

それは相手の打ち明け話を導き出すように誘導する代わりに単刀直入その婦人の心の秘密に貫き入ったことと、いっさいの「内心の障り(インナー・コンプレックス)を溶かし去るのに聖典を読んで得る「ただもうありがたい」という感謝の念をもってしたからである。

5970a hope:2015/11/01(日) 00:43:46 ID:cEpBaIdo

>>5969 a hope所感)

谷口雅春先生は「生長の家」をはじめられた当初は、一人一人に時間をかけて対応されるという精神分析の方法を用いられ、
それでも解決しなければ知り合いの霊媒師を紹介したりもされていたようです。

ですが、徐々に信徒が増えてくると、その方法では間に合わず、上に謹写したような「生長の家」独特の方法で個人救済をされていたのですね。

この「精神分析篇」を拝読していると、「生長の家の教え」が単なる、神さま任せの宗教でなく、
精神分析的方面からもきちんと研究された「教え」であることがわかります。

本当に「生長の家の教え」って奥が深くて、お勉強すればするほどおもしろくなってきますね!

ところで、もう日にちが変わり 11月になってしまいました(笑)
11月からは、第38回 web誌友会 を開会させていただきます。
テキストは第23巻になります。

今夜はもう遅いので、明朝、開会のお祈りをさせていただきます。

それではみなさま、おやすみなさい。

5971a hope:2015/11/01(日) 09:00:41 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。
11月に入りましたので第38回 web誌友会を開会させていただきます。
それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の「今の教え」と「本流復活」を考える WEB誌友会板/2 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5972a hope:2015/11/01(日) 09:01:53 ID:cEpBaIdo

つづきまして、テキストである「生命の實相」第23巻 p2より、謹写させていただきます。


○われらにとっては毎朝が新生である。

われらは朝ごとに新しく生まれかわる。

一日の務めを終わって振り返るとき、そこにどんな過ちがあろうとも、われらは夜ごとにそのすべてを大生命にあずけて新生の準備をするのである。

かの大海原が地上のすべての塵芥(じんかい)を呑吐(どんと)しても、すべてを浄化して澄みきっていると同様に、われらがすべての過ちを大生命にあずけて眠るとき、大生命はわれらの罪すべてを浄化して下さるのである。

この偉大な大海原の浄化力よ、この不思議な大生命の罪の消去力よ!

過去がいつまでもその呪いをもって、われらに追い迫っていると思うのは誤れる見解である。

過去はすでに過ぎ去ったものである。

涙はすでに流されたのだ。

過去を捉えて離さないものはただ自分の心でしかない。

過去の過ちを消す極意はただ過去からの心を放つにある。

毎日の朝は一日の過去から心を放って新しく生まれかわる好機である。

「生長の家」は新年の朝において半生の過去から心を放って新生する。

5973a hope:2015/11/01(日) 09:14:53 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第38回 web誌友会 案内

期間   11月1日〜11月30日まで
テキスト 「生命の實相」第23巻 【常楽篇/経典篇二/宗教問答篇】
内容   久遠常楽の生活/聖経『天使の言葉』講義 /人生の悩みに答う

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5975a hope:2015/11/01(日) 21:41:47 ID:cEpBaIdo
>>5974さま

お返事を別板に書きました。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11788/1346745644/4687

5976トキ:2015/11/01(日) 22:14:00 ID:IdEbqKhQ
a hope様の誌友会でのご文章は評判がよく、管理人宛にも賞賛のメールが届きます。
他の掲示版でも、賞賛の文章が掲載されています。

 管理人としても、a hope様を支持します。

妨害に屈せずに頑張って下さい。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5978山川海:2015/11/02(月) 17:00:57 ID:RM7MmwUQ


夜、就寝前 と 朝、起床後に

「 お父さん、ありがとうございます。 お母さん、ありがとうございます。 」

と、20回以上、小声で唱え、30日間、実践してみて下さい。

運命が、“ バッ ” と 変わりますよ。

5979a hope:2015/11/03(火) 00:25:46 ID:cEpBaIdo

>>5978 山川海さま

はじめて生長の家の練成に参加した時、「お父さんありがとうございます。お母さんありがとうございます。」
と言いながら畳を拭くと言う「感謝行?」を経験させていただきました。

当時はまだ「教え」がよくわかっていなかったので、ドン引きしてしまいましたが・・・💦。


わたしの両親は健在ですが、友人のなかにはご両親のどちらかを亡くされたり、
もしくは両方を亡くされてしまった人もいます。

その友人たちは口をそろえたように、両親が健在のわたしがうらやましいと言います。

本当に、両親が生きているうちに感謝できることほど幸せなことはないかもしれません。

今夜から、さっそく「お父さんありがとうございます。お母さんありがとうございます。」
と20回唱えたいと思います。

今なら、感謝の気持ちが真っ直ぐに伝わるようなきまします。

5980a hope:2015/11/03(火) 11:45:12 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p6後から3行目〜

四、神は自己の内面に潜在している

われわれが苦悩の底から、また悲しみの深淵から、神を呼ぶのは一見「外」にある神を読んでいるかのように見えますけれども本当はそうではないのであります。

われわれが「苦しい時の神頼み」をしたく感じますのは苦悩というものは、神を呼べば消えるということを本能的に知っているからであります。

換言すれば神無きことが苦悩であることを先見的に知っているからであります。

誰が先見的に知っているかといいますと、彼自身が知っている。

彼自身が神を先見的に知っているのは、彼自身のうちに神が本来宿っているからであります。


苦悩がそんなに感じられず、五官の歓びが人間を、誘惑している間は心は五官の方へ気をとられていますので、実相(かみ)を心に見ない空虚感を感じないのであります。

空虚はあれど空虚感は伴わないのであります。

幾年も幾十年も、移り変わる年月のあいだ、人生の表層表皮の快楽に気をとられて、神を呼ばなかった心が、一朝事変(いっちょうじへん)が起って絶体絶命、人力のいかんともすべからざる苦境に立つとき、彼は「神こそ全ての全て」「神こそ最後の幸福の源泉」であることを思い出してはじめて神を呼ぶことになるのであります。

5981a hope:2015/11/03(火) 11:53:12 ID:cEpBaIdo

>>5980 a hope所感)

<<われわれが苦悩の底から、また悲しみの深淵から、神を呼ぶのは一見「外」にある神を読んでいるかのように見えますけれども本当はそうではないのであります。>>

誰でも、一度は「神さま、助けて!」という『神頼み』をした経験があるのではないでしょうか?

さらに、英語圏の人たちは、日本人よりもっと頻繁に「Oh my God!」 と叫びますが、
それも、無意識に自己内在の神を呼び出しているということになるのでしょうか・・・?

なんか、興味深いですね。

5982a hope:2015/11/04(水) 09:18:18 ID:cEpBaIdo

「お父さん、ありがとうございます。お母さん、ありがとうございます。」の効果なのかどうかわかりませんが、
さっそく運命が変わり始めたような予感がしています。

具体的な報告ができないのがもどかしいですが、今までずっと足踏み状態だったある問題が昨日から解決に向かい始めたのです。

信仰とは「信じて仰ずる」と書きますから、どれだけその「教え」を信じられるかで運命も決まるのではないでしょうか?


ですが、世の中には、真理からかけ離れたような「暗黒思想の教え」も存在します。

谷口雅春先生はそのような間違った教えのことを「虚説」といって、徹底的に排撃されました。

わたしたちも、その虚説に惑わされたいけませんね。



その教えが「真説」か「虚説」か、見分けるのは以外に簡単なのではないでしょうか?


信仰していて幸せを感じて、運命も好転してくるのであればその人は「真説」を信仰しているのでしょうし、
信仰すればするほどストレスを感じ、運命もよくない方に進んでいるようであればその人はもしかして「虚説」を信仰しているのかもしれません。

そんな時は、ちょっと立ち止まって自分の信仰してる「教え」が本当に正しい教え(真説)なのかどうか考えてみてもいいかもしれませんね。


わたしたち、生長の家の信徒は、「聖典」に書かれてある通りに「教え」を信仰していけば必ず幸せになれるのですから、
こんなに嬉しいことはありませんね!

5983a hope:2015/11/05(木) 23:06:08 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p9 後から5行目〜

人間知でなんとかやれると思えるような日常の仕事の場合には人は往々にして神を呼ばない。

しかし、人間智でどうにもできないギリギリのところまでいったとき、どうしても人間は神を呼びたくなるのであります。

「神」という言葉を使わないにしてもなんとなしに漠然とした人力以外の「大いなる救いの御手」を呼ばずにはいられなくなるのです。

これは決して今まで軽蔑していた宗教的偏見に屈従したからではありません。

われわれは平常は小知才覚で理屈をつけて自己が本能的にすでに知っている神を否定していますけれども、人間的小知才覚が役に立たなくなった時、そのすでに知れる神を呼ばずにいられなくなるのです。

戦争、大事変、危機一髪の重大事に際して、いかに多くの平常の「無神論者」が神を読んだことでありましょう。

だから、無神論は理論的には存在しえても本能的には存在しえないのであります。

5984a hope:2015/11/05(木) 23:08:15 ID:cEpBaIdo

>>5983 a hope所感)

ほとんどの人間は(それがたとえ無神論者であったとしても)、人間知ではどうにもならないような危機的状況に陥ると、
「神」もしくは「大いなる救いの御手」を呼ばずにはいれなくなるのですね。

<<だから、無神論は理論的には存在しえても本能的には存在しえないのであります。>>

どんなに凶悪人であっても、どんなに無慈悲極まりない人であっても、本能的には人間はみんな神を信じているということですね。

それって、「人間はみんな神の子だ」という真理の証明みたいな気もしますね。

5986a hope:2015/11/06(金) 08:49:20 ID:cEpBaIdo
>>5985

組織板にお返事を書きました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/2578

5987a hope:2015/11/06(金) 09:00:53 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 p10 9行目〜

絶望、失意、落胆の極みにおいても、自己よりいっそう偉大なるもの――「なんらかの形における神」を呼び続けることのできる者は、やがてはその困難を切り開き、その絶望から起き上がることができる人です。

神を呼ぶことができない人が絶望したときは、それこそ本当に絶望です。

なぜならその人は「いっそう大なる力」より汲むことを知らないからです。

いかに平常強き者も、自己に限られたる力以上の力に汲むことを知らない人は弱き人であります。
(つづく)

5989a hope:2015/11/07(土) 08:47:24 ID:cEpBaIdo
>>5987 つづき)

しかし、われわれは失意の時、危急の時、困難の時ばかりに神を呼ぶのでは、それは危急を逃れるのに役立つばかりで、常に偉大に生長する道ではありません。

常に偉大に生長するためには、常にわれらは神を呼ばねばなりません。

その人がいかに大きく生長するかは、その人の神を呼ぶ度合いで定まるのです。

神を呼ぶのも「外(ほか)にある神」を呼ぶのでは、それはかえって依頼心を増長せしめることになります。

それは偶像崇拝になります。

神を呼ぶのは常に自分に対(むか)って呼びかけねばなりません。

自分の内に「無限者(かみ)」がある。

その無限者、――無限能力者、全能者に対って呼びかけなければなりません。

これに呼びかける時、天地に満つる無限の親様の力が自己自身の内に出口を開いて、滾々(こんこん)と、必要な力を自分自身の内に湧き出させてくれるのであります。

5990a hope:2015/11/07(土) 08:50:50 ID:cEpBaIdo

>>5987 >>5989 a hope所感)

わたしは、ここに「生長の家の教え」がカルト宗教ではなく、健全な思想の宗教である証拠が述べられていると思います。

つまり、「生長の家」は創始者、総裁、または、特定の神さまなどの対象物を偶像化(理想化)して、崇拝するような教えではないのですよね?

『神殿は「生命の実相」であり、神さまは自分自身の中にいる』という、その真理を広めるのが「生長の家」の人類光明化運動で、
だからこそ、分け隔てなく世界中にその真理を広めることができるのだと思うのです。


「生長の家の教え」というのは、右翼であっても左翼であっても、日本人であっても外国人であっても、強者であっても弱者であっても、
罪人であっても善人であっても、肉食であっても草食であっても、富者であっても貧者であっても、
誰でも分け隔てなく受け入れることのできる本当に度量の広い世界一の「教え」なんですね!

5991山川海:2015/11/07(土) 12:50:48 ID:6EFcssHY

《 自分の内に 「 無限者(かみ) 」 がある。 》

素晴らしいですね。
無限の智慧、無限の愛、無限の生命、無限の供給、無限の歓喜、無限の調和が、
すべて自分の内にある。
それを、神想観で観ずることによって、現象世界に映写(project)してゆく。
自らの内に 無限の可能性を秘めているということが、光明思想の大きな特徴の一つであると思います。

5992a hope:2015/11/08(日) 10:50:28 ID:cEpBaIdo
                
あなたの力、あなたの智慧、あなたの愛、あなたの富は、実は〝わたし〝 の力、〝わたし〝 の智慧、〝わたし〝 の愛、〝わたし〝 の富の自己実現であることを、やがてあなたは知るときが来るであろう。

それを知るとき、あなたは〝小さいあなた〝 でなくなるのである。

あなたは、その時〝自分〝 という〝小さな殻〝 を破って「新たに生まれる」のである。

「新たに生まれる」ということは、そのようなことなのである。

<<〝無限者〝 >>の自覚に入ることである。

その時、あなたの生命は〝わたし〝 と共にひろがり、虚空に満つる普遍者となるのである。

その時、もう現象の〝生〝 もなく〝死〝 もない。

あなたは生死を超え、生滅を超え、全智にして普遍、すべて包容する宇宙的な大愛の所有者となるのである。

あなたが、そのような豊かな実を結ぶことは、親樹である〝わたし〝 の大いなる悦びであるのである。
              
 
『神 真理を告げ給う』 p90 より

5993a hope:2015/11/08(日) 10:52:33 ID:cEpBaIdo

>>5992 a hope 所感)

ちょっと不思議なことなのですが、>>5991の山川海さまのコメントを拝見したあと、
なんとなくいつも枕元に置いてある、聖典『神 真理を告げ給う』を手に取りたくなって「パッ」とページをめくりました。
そうすると、

<<〝無限者〝 >>

という文字が眼に飛び込んできたのです。

でも、真理のお勉強をしていると、こういうことは頻繁に起こりますね(*^▽^*)

5994a hope:2015/11/10(火) 08:41:45 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p16 6行目〜

多くの人たちは物質の世界で幸福を求め、平和を求め、調和を求めて、どうしたら、それが得られようかと日夜奔命に疲れていますが、本当の平和、本当の調和、本当の幸福は物質の世界から得られるものではありません。

物質の「無」ということを悟る――物質というものは「マイナスの存在」であるから、いくら加算してもマイナスを積みかさねても積極的(プラス)の歓びというものは出て来るものではないということを悟って、物質に頼った心をカラリと捨てさり、本来のわが実相(神なる無限の力)に頼って障礙(しょうげ)に会って障礙を見ず、苦しみの中にあって苦しみを見なくなるとき、突然本当の調和というものがわれわれの心の世界だけでなく現実の世界にまでも現れてくるのであります。

5995a hope:2015/11/10(火) 08:45:54 ID:cEpBaIdo

>>5994 a hope所感)

出典が示されていないので本当はあまり触れたくはないのですが、部室板で「良寛禅師の逸話」(?)が紹介されています。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1357725489/875

<<障礙(しょうげ)に会って障礙を見ず、苦しみの中にあって苦しみを見なくなる>>
 という生き方とは、無実の罪を着せられてもなにも抵抗せず、言われるがまま、されるがままにされてしまう・・・そういうことなのでしょうか?

そう言えば、キリストも無実の罪を着せられて磔(はりつけ)にされ処刑されましたがその後復活し、キリスト教が興りました。

わたしは、良寛禅師も、キリストも「物質なし」の真理を完全に悟られていたからこそ、最終的に救われたり復活できたりしたのだと思うのです。

本当の悟りを得ていない業を持った人間が、聖者のまねをしても救われることも復活することも決してないと思います。

5996a hope:2015/11/10(火) 09:21:03 ID:cEpBaIdo

〝業〝 というものは本来ないから、過去の業に引っかかるなと教えてあるのは、実相に超入した立場について言うことであって、現象界にまごまごしていて、色々の欲情をもち、煩悩に引き廻されていながら、「業は無いのだ」と放言して悪業を重ねて行くならば、業果は覿面(てきめん)にあらわれて業報の中に沈んでしまわねばならなくなるのである。

〝業因〝 〝業縁〝 〝業果〝 は、あなたたちが現象世界の思慮分別の境界にいて、煩悩や欲情にふり廻されていながら、「業(ごう)本来無し」などと詭弁を弄して自分自身を晦(くら)まして欲情遂行の口実にしているような事では決して消えるものではない。

そして業果、業報は覿面にむくいられて来るであろう。

人は自分自身を晦まし得ても、因果の法則は眩(くら)ますことはできないのである。

だからあなた達は常に自己の心と行いとを顧みて善を修め、愛を行じ、よき業因を積むように日常の生活を慎むようにしなければならないのだ。

「神 真理を告げ給う」p91 〜92 より

5997曳馬野:2015/11/10(火) 09:25:48 ID:LjM.KVNs
至道無難禅師のエピソードに、懇意な商家に赴いて、お金が紛失してどうも禅師のほかには思い当たらぬというので、禅師に問い質したところ、そのお金を返してよこした、まあそんなものかと思っておったが、後に紛失したお金が出てきた、申し訳なかったといって詫びると、にこにこしてただお金を受け取ったという。またある老人庵を提供して禅師を住まわせたところ、姪かだれか懐妊した、禅師が相手だという、責め立てると忍び忍びてそういうことになったというた、老人は怒って禅師を追い出した、のち娘が白状して、男は別にいて禅師は見も知らぬ人であったという、老人が詫びるとやっぱりにこにこ笑っただけであった。これをどう思いますか、白陰禅師に逸話がだぶっている、聖人というものはかくあるべしか、いいや時代が違う云々というような人が多いんでしょう。自分に引き比べて下さい、なぜにこう我慢というかすなおというか、うっふ我慢という、これわがままと読むんです、いつか必ず現れるからという期待の辺に行なう、まったくそうではないんです。よくよく鑑がみて下さい、禅師はただニールバーナ涅槃寂静であっただけです、如来もってなすのに方便力の故に涅槃を示す、ことはまったくほかにはなかったんです。ただただ頭の下がるのはこれです、仏の生活、仏であるということはまさに四面楚歌です、至道無難禅師がかつかつ正受老人に伝えるほかに、あるいはまったくこれを知るものはなかったです。これをまっとうする、ただただ怨罵の毒を歓喜しと云われるごとくに、誤解噂ものはこうあるべきの、残虐陰惨な世の中に放り出されるだけです。たとい仏教を知る狐狸の類です、舌頭たたわわとして定まらず、世の嬰児の五相完具するが如しと、なんの武器も取り柄もなしの、仏という陰日向なしなんです、裏を見せ表を見せて散る落葉かな、良寛さんのような無一物の暮らしがかつかつ成り立つ。世間体お寺のあとつぎなど、こりゃもってのほかの余計ごと、身から出た錆を今にして痛切に思うわけです、しかも一柱身心脱落、ちらとも屈託あれば不可です。わしは七十過ぎて代を譲って、ようやく一人暮らしを始める、ほんにまあ始めからずいぶん方向違いでしたか。

http://www17.plala.or.jp/tozanji/teisyou/sidoubunan.htmlより

同じ話は色々あるんです。「本当の悟りを得ていない業を持った人間が、聖者のまねをしても救われることも復活することも決してないと思います。」この言葉が観念では一元論であるが現実は物質ありの二元論であることを証明している。

5998a hope:2015/11/10(火) 09:36:31 ID:cEpBaIdo

>>5996 a hope所感)

わたし自身も現象世界の煩悩に苦しむ、業を持った一求道者です。

ですから、聖典を学び続けて、三正行に励み、
<<常に自己の心と行いとを顧みて善を修め、愛を行じ、よき業因を積むように日常の生活を慎むように>>
努力していきたいと思っています。

5999a hope:2015/11/12(木) 10:08:05 ID:cEpBaIdo

兎も角、あなた達は現象世界で、五官の感覚によって、過去を意識し、現在を意識し、未来を想望しながら普通に生活している限りに於いては、自分の起こした想念の業果や、自分の発した言葉の業果や、自分の為せるところの行為の業果から免れることはできないのである。

それ故にあなた達は〝善き想い〝 を起し、善き言葉を発し、善き行為を務めてなさなければならないのである。

そうすることが新たなる善徳の業因をつくることによって互いに善と悪との業因が相殺されて、もし今後行う善徳の方が多ければ、過去に種子を蒔いた業因は発芽する力を失って、将来あなたの運命は、善き業因の結果のみを穫(か)り取ることになるのである。

これは因果を超越するのではなく、因果の数量的な差益計算でそのようになるのである。

普通の人間は、〝因果を超越する〝 などという超音速ジェット機のような離れ業を試みるよりも、地道にコツコツと善因を重ねて行く方が確実な過去の悪業消滅の方法である。

しかし「因縁を超越する」というのは因縁がなくなるのではなく、因縁がありながら、因縁のない世界に超入することである。

超音速のジェット機で飛行するならば自分は轟々(ごうごう)たる空気振動の音をたてながら、しかし自分はその音のとどかぬ速さで飛んでいるのである。

こんなハナレ技(わざ)は普通の人間が試みてもなかなか出来ることではない。


『神 真理を告げ給う』p94〜95

6000a hope:2015/11/12(木) 10:09:38 ID:cEpBaIdo

>>5999 a hope所感)

テキストから少し離れますが、〝業〝 や〝因果の法則〝 について考えていたら、『神 真理を告げ給う』の上の文章に出会いました。


<<超音速のジェット機で飛行するならば自分は轟々(ごうごう)たる空気振動の音をたてながら、しかし自分はその音のとどかぬ速さで飛んでいるのである。
こんなハナレ技(わざ)は普通の人間が試みてもなかなか出来ることではない。>>

↑のところを拝読しているときに、わたしは前回の中国での大会で見事なトリプルアクセルを決めて優勝した浅田真央ちゃんのことを思い出していました。

女子フィギュアスケートの選手が、トリプルアクセルを決めるというのは、相当なハナレ技だそうです。

過去からさかのぼってみても、世界中でたった6人しか成功させていないのですよね!

http://matome.naver.jp/odai/2141499045587180201

わたしは、〝因果を超越する〝 というのも、そのようなことなのではないかと感じました。

それは、相当な宗教的天才(聖者・聖人)にしかできないハナレ技なんですよね💦

<<こんなハナレ技(わざ)は普通の人間が試みてもなかなか出来ることではない。>>

って、神さまもおっしゃってますし・・・。


だったら、わたしたちはどう生きるべきなのでしょうか?

上の文中には、

<<それ故にあなた達は〝善き想い〝 を起し、善き言葉を発し、善き行為を務めてなさなければならないのである。>>

とありますが、具体的にはどうすればいいのでしょうか?


つづけて謹写していきます。

6003a hope:2015/11/13(金) 11:14:11 ID:cEpBaIdo

あなた達が善業を積み重ねて行くには、「与えよ、されば与えられん」の黄金律に従って、人のためになるものを与えるという愛行を積み重ねるのが最も確実で容易な道である。

〝与える〝 といっても色々の与え方があり、何を与えるかの問題である。

貧しい人に金銭を恵んで与えるもの其の人の一時的な助けにはなる。

その人が助かった程度だけ、あなたはそれだけ善業の種子(たね)を蒔いたことになる。

けれども金銭その他の物資を恵み与える場合には、その助けは永遠の助けとはならないで、その金銭又は物資が無くなる時までの一時的な助けとなるだけである。

その功徳は一時発芽して伸びただけで旱(ひでり)に遭って途中で枯れてしまう苗木のようなものである、物質を与える場合の功徳は一時的であるから、あなたが折角蒔いた善業の種子(たね)も発芽して少しだけ伸びて、あとは枯れてしまうのは惜しいことである。

折角あなたは与えたのだけれども途中で枯れてしまうようでは、あまりにも勿体ない事であるから、途中で枯れてしまうようでは、あまりにも勿体ない事であるから、途中で枯れないような永遠に伸びて生長して行くような善業の種子をお蒔きなさい。


永遠に伸び増殖して行くものを布施するならば、相手が受けた功徳は永遠に伸びるのであるから、その功徳があなたに撥ね返って来る功徳も永遠に伸びることになるのである。


それでは永遠に伸び増殖して行くような布施とは何を与えたらよいであろうか。

それは真理を与えることである。

〝人間・神の子、無限力〝 の真理を、あなたが人々に与えて、与えられたその人が真理を使えば、真理は永遠に減るものでなく、それを繰返し使えば使うほど光を発揮し、能率は増加し、その真理を又その人が他の人に伝えるならば、恰も鼠算用のように功徳が殖えて行くから、あなたに撥ね返ってくる功徳も永遠に伸び増殖して、最初蒔いた真理の〝小さな種子〝 がついに天を摩(ま)する巨樹のように伸びて行くことになる。

真理を与える功徳はまことに無限無尽であるといわねばならない。

                    ○

人を称賛する言葉を与える功徳も無限に伸びる功徳であるのである。

称(ほ)められることによって、その人が自信力を得、そうでなかったら困難に面して倒れてしまったかも知れない人が再び起ちあがる勇気を恢復し、捲土重来(けんどじゅうらい)の力をもって、何かの事業に成功し、その事業がまた多くの人々の為になる善き事業であり、救われる人々が無数に出るような場合には、あなたに撥ね返って来る功徳もまた無限に増幅して尽きる事がなくなるのである。

この世界を称讃の善き言葉で満たすことは、この世界ぜんたいを明るくすることになり、称讃の一つ一つの言葉は、相手を生かすだけでなく、全人類を光明化し、あなた自身を生かすことになるのである。


称(ほ)める事の功徳は、単に現象の相手の外形や外貌を観てほめるに止まらず、相手の実相たる〝神の子〝 を観じてそれを称め讃えるならば更に大なる功徳を積むことになるのである。

つまりそれは神想観を修して「心の世界」で相手の実相が完全円満なることを観て称め讃えるのである。

その時、相手が不良の子供であれば、優秀善良なる模範児童に一変し、相手が病気の人であれば、その病気が癒えることになるのである。

『神 真理を告げ給う』p95〜93

6004a hope:2015/11/13(金) 11:15:37 ID:cEpBaIdo

>>6003 a hope 所感)

わたしたちが「因果の法則」にできるだけ縛られないように生きて行くにはどうしたらいいのでしょうか?

神さまからのお答え その1
<<それは真理を与えることである。>>

神さまからの答え その2
<<つまりそれは神想観を修して「心の世界」で相手の実相が完全円満なることを観て称め讃えるのである。>>

それを実行すれば、

<<〝人間・神の子、無限力〝 の真理を、あなたが人々に与えて、与えられたその人が真理を使えば、真理は永遠に減るものでなく、それを繰返し使えば使うほど光を発揮し、能率は増加し、その真理を又その人が他の人に伝えるならば、恰も鼠算用のように功徳が殖えて行くから、あなたに撥ね返ってくる功徳も永遠に伸び増殖して、最初蒔いた真理の〝小さな種子〝 がついに天を摩(ま)する巨樹のように伸びて行くことにな>>り、

さらには、

<<相手が不良の子供であれば、優秀善良なる模範児童に一変し、相手が病気の人であれば、その病気が癒えることになる>>

ということです。


つまり、「因縁を超越する」ことができたキリストや釈迦、谷口雅春先生のような宗教的天才ではないわたしたち普通の人間であっても、
「人間・神の子」の真理の伝道(愛行)による『個人救済』をつづけ、常に相手の実相を観る『実相礼拝』を続けていくことにより、
善徳の業因ができて過去の悪業因が相殺され、自分の周りを光明化していくことが出来るのですね!

「生長の家の教え」ってほんとに完璧ですね!

6005a hope:2015/11/14(土) 08:41:38 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p41 3行目〜

わたしがこの世に来れる使命は「人間が神の子であり、霊的存在であり、永遠の生命である」という真理を人々に悟らせることにあるのです。


(a hope所感)

「生長の家」の信徒のみなさんは、創始者、谷口雅春先生のこの「ご使命」を御存知ですよね!

6006a hope:2015/11/15(日) 11:17:40 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p73 後から1行目〜

宗教的救いと申しますのは、人間が神そのままの自由自在の実相を実現することでありまして、病気とか貧乏とか、そんな一つ一つの外界の欲望がかなったから宗教はありがたい、かなわなかったから宗教はつまらないというようなものではないのです。

もっともっと根本的な救いが宗教的救いなのであります。

(略) p75 行目〜

では、宗教的救いとはいうものはどこから得られるか、それは宗門を叩いたり、教会を叩いたりしても、必ずしも得られるにきまってはいないのでありまして、「自分」というものの「実相」を叩くことによって得られるのであります。

「実相」と言えばなんであるかと申しますと、神がわれらを神そのままの顕現として創造(つく)り給いしままの「本当の相(すがた)」なのです。

その本当の相は、移りかわるわれらの肉体的存在――五官的存在――病み老い朽ち果てる物質的存在を言うのではないのです。

われらの五官的存在はわれらの本当の存在ではないのです。

「本当の自分」というものは金剛不壊な火にも焼けず水にも溺れぬ神に造られたままの神の子なる実相の自分なのです。

6007a hope:2015/11/15(日) 11:19:08 ID:cEpBaIdo

>>6006 a hope所感)

<<宗教的救いとはいうものはどこから得られるか、それは宗門を叩いたり、教会を叩いたりしても、必ずしも得られるにきまってはいないのでありまして、「自分」というものの「実相」を叩くことによって得られるのであります。>>

谷口雅春先生は、『本当の生長の家の本部は神界にある』とおっしゃられたと言います。

わたしは、もう、現象世界のどんな宗教団体にも所属するつもりはありません。
谷口雅春先生のお言葉を信じて、神界(「自分」の「実相」)の扉を叩き続けたいと思います。

6008a hope:2015/11/19(木) 10:12:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p75 後から5行目〜

人は両(ふた)つの世界に住んでいます。

その一つは「創世記」第二章七節に「エホバ神、土の塵を以て人を造り」と書いてある人間――物質的存在として、肉体的存在として幾様にも物質に縛られている人間であります。

もう一つは「創世記」第一章二十七節に「神その像(かたち)のごとくに人を創造したまえり・・・神その造りたる諸(すべ)てのものを視たまいけるに甚(はなはだ)善かりき」とある神のイメージとしての人間、至善至妙自由自在としての人間であります。


この二つの人間、実相の人間と物質の人間とが、「創世記」第二章七節の後半で交錯しているのであります。

ここに迷いの元(もと)があります。

すなわち「土の塵」という物質的制約の中へ、神はその精霊なる「生命の気(いき)を吹き入れ給うた」――それによって人間は「生ける霊」から「生ける物」へと転落したように見えているだけであります。

ここに人間は自由自在であると同時に、不自由極まる物質的制約の中にある、いわゆる現象人間が出来上がったのであります。

6009a hope:2015/11/19(木) 10:17:22 ID:cEpBaIdo

>>6008 a hope所感)

実相の人間と物質の人間の交錯・・・
「生ける霊」と「生ける物」への転落・・・
自由自在の「人間」と不自由極まりない現象人間・・・

全ての正しい宗教の本質は「唯神實相」の真理に万教帰一しているのに、それを悟りきれないわたしたち「現象人間」は、
その真理を自分たちに都合のよいように二元論的に解釈して、捻じ曲げて、伝道してしまう危険があるようです。

それは、キリスト教の歴史においても起こっていました。

ここには、わたしたち純粋な「唯神実相」を信仰する「生長の家」の信徒にとって教訓となるような、
とても興味深い現象的事実が書かれていると思いますので、続けて謹写していきます。

6010a hope:2015/11/19(木) 10:20:40 ID:cEpBaIdo
>>6009 訂正
「生ける霊」と「生ける物」への転落・・・ →「生ける霊」から「生ける物」への転落

6011a hope:2015/11/19(木) 10:45:47 ID:cEpBaIdo
>>6008つづき

「生命の實相」第23巻 p76 8行目〜

それで「土の塵」にて造られたる(換言すれば物質にて創られたる)人間ばかりを見ていて、これが「人間」であると思っている人間は、「エデンの園」(自由自在の実相境)を逐(お)い出だされた不完全な罪ある人間ばかりを観て、人間は罪人だ、罪人だと言っているのであります。

そういう人には五官に視える物質的な人間ばかりしか視えないのですから、無罪、無病、不苦、不悩な「神の造ったままの人間」(「創世記」の第一章において神が己れの像【かたち】に造った人間)が視えないのです。

そして人間は罪あるもの、病にかかるもの、苦しむもの、悩むものだと思っているのです。

そう思っているから自分の「念の創作力」によって罪を顕わし、病を現わし、苦しみ悩んでいる――言い換えれば「創世記」第二章のように、エデンの楽園から逐(お)い出されているのであります。

6012a hope:2015/11/19(木) 10:50:13 ID:cEpBaIdo

>>6011 a hope所感)

わたしたち「生長の家の教え」を信仰するものはどうでしょうか?

<<不完全な罪ある人間ばかりを観て、人間は罪人だ、罪人だ>>と言っていないでしょうか?

そして、

<<そして人間は罪あるもの、病にかかるもの、苦しむもの、悩むものだ>>と思っていないでしょうか?

わたしは自分自身の現実の姿をかえりみれば、とても返事ができません。

6013トキ:2015/11/19(木) 20:30:04 ID:nbDXBsXE
 キリスト教でも、最近、死海文書など、初期キリスト教の文献が多数出土し、
研究がされています。

 それらの本を読むと、初期のキリスト教の教えは、現在の生長の家
の教えとかなり近いものだったみたいです。現在の二元論的なキリスト教は、
イエス様の真意とは違うものだったみたいですね。

6014a hope:2015/11/20(金) 10:14:52 ID:cEpBaIdo
>>6011 つづき

「生命の實相」第23巻 p77

神は、病にかかるような人間をなぜ創造(つく)ったか。

罪を犯すような人間をなぜ創造ったか。

不完全に人間を創造っておきながら、神はなぜ人間を罰するのか。

神は力が足りないのか、理性を失っているのであるか。

反クリスチャンのこうした反駁に答えうる人はいわゆるキリスト教徒にはほとんどいないのであります。

6015a hope:2015/11/20(金) 10:23:04 ID:cEpBaIdo

>>6014 a hope所感)

その真理を体得しているかいないかは別として、「生命の實相」を拝読している「生長の家」の信徒であればこの質問には簡単に答えられますよね!

たしか、以前you tubeか何かで聴いた徳久先生の講義の中で、「生長の家の教え」に出会ったばかりの若かりしころの徳久先生が、
キリスト教の牧師さんを訪ねては、同じような質問をして相手を困らせてから、「生長の家の教え」を伝道したようなお話をされていました。

>>6013でトキさまが言及されていますが、初期キリスト教は現在のキリスト教のようではなかったようですね。

そう考えると、どんなにキリストを愛していても、どんなにキリストのご遺志を継承されようとしても、
キリストの真意(真理)を悟っていなければ、それはキリスト(真理)に反していることになってしまうのですね。

自分勝手に真理を解釈して「伝道」することがどれだけ危険なことなのかがわかります。

でも、わたしたち「生長の家」の信徒にはそんな心配はありませんね!

だって、生長の家は文書伝道が主なのですから、「生命の實相」やその他の聖典そのものを直接手渡して伝道していけば、
真理が眩まされることは永遠にありませんものね!


ところで、キリスト教はどんな風に初期の教え(真理)が「偽造」されていってしまったのでしょうか?

謹写をつづけます。

6016a hope:2015/11/22(日) 09:10:18 ID:cEpBaIdo
>>6014つづき

「生命の實相」第23巻 p77 5行目〜

そういうキリスト教徒には、「創世記」の第一章にわれらの創造主なる神が、明らかに “ Elohim” と録(しる)されており、第二章では、 “Jehovah” と録されているのに気がつかないのであります。

「エロヒム神」がわれらの創造主であり、エホバ神はわれらの「ニセ物の創造主」なのであります。

「エロヒム神」は霊なる「言葉」をもってわれら人間を神の像(みすがた)のごとく完全に罪なく悩みなく創造り給うていっさいの物を支配する権利を与え給うたのであります。

「エロヒム神」を創造主とせる人間は霊的実在であって罪もなければ病もない、悩みもなければ苦しみもないのであります。

ところが「創世記」の第二章では、われらの創造主「エロヒム神」がいつも間にか「エホバ神」という名前に擦りかえられているのであります。

諸君はここに気づかねばなりません。

諸君が自分の「本当の父」だと思っていたエホバ神は「本当の父」ではなく、戸籍謄本がいつの間にか書きかえられて、「ニセ物の父」が「本当の父」であるように公文書が偽造せられているわけであります。

「創世記」第一章にあるわれらの創造主なる父はわれらを「言葉」にて神の姿に完全無欠に霊的実在として創造(つく)り給うたにもかかわらず、エホバ神は「お前はエロヒムの子ではない。俺の子だ。お前は完全なものではない。霊的実在ではない、物質で創造(つく)ったものだ。罪を犯すものだ」とわれらに言っているのであります。

そのエホバ神の言葉を信じて、「自分は愛の神、全能の神、完全の神の子で、神そのままの像(すがた)に完全に造られていると思っているのに、それは嘘であったのか。自分は土の塵(物質)の子であり、罪を犯すように造られ、そして罪を犯したら神に罰せられるように造られているのか」と嘆き悲しんでいるのが現時多くの信仰なきクリスチャンの現成なのであります。

わたしはこのような信仰をもっているクリスチャンを本当の信仰なき人間というのであります。

なぜならこのようなキリスト教徒か神を信じているように見えているけれども、「人間を神の像(すがた)に完全無欠に創造(つく)り給うた本当の神」を信じないで、いつの間にか戸籍謄本を書きかえ、本親のような顔をして、「本来無罪の人間」を「罪あり」と恐喝している継母の神を本親だと思っているからであります。

信仰というものは、なんでもかでも信じさえすれば「信仰がある」というわけではありません。

本当の親神を信ずるのが本当の正しき信仰であります。

6017a hope:2015/11/22(日) 09:15:41 ID:cEpBaIdo

>>6016 a hope所感)

真の宗教とは、その教えを信仰することによって、まずは個人の魂が救われ、その所現として環境が良化し、人類救済・世界平和に発展するものなのだと思います。

キリスト教が分裂し救済力が急激に低下していった原因には、このような「教え」の書き換えがあったからなのですね。

本来のキリスト教は、<<「エロヒム神」を創造主とせる人間は霊的実在であって罪もなければ病もない、悩みもなければ苦しみもない>>

という「唯神実相」の教えであり、それを信仰していた信徒は魂が救われ奇蹟も起きていたのに、
知らぬ間に、その神の名前が擦りかえられて、

<<エホバ神は「お前はエロヒムの子ではない。俺の子だ。お前は完全なものではない。霊的実在ではない、物質で創造(つく)ったものだ。罪を犯すものだ」>>

とまったく正反対のことを説き始めてしまったのですね。

それも、同じ聖典中に説き始めてしまっているのですから、聖書をしっかり勉強するような、
信仰心の厚い信徒ほど混乱してしまいますよね💦

わたしは、ここに「宗教」が二元論を説く危険があると思うのです。

わたしたち聖典「生命の實相」を常に拝読している「生長の家」信徒は、そんな虚説に惑わされることは決してありませんね!

6018a hope:2015/11/25(水) 10:13:50 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p79 後から1行目〜

世の人々よ、ニセ信仰家に欺かるることなかれ。

わたしは神の弁護者であります。

わたしは神の完全さを証拠だてるために遣わされた使者であります。

神は決して神罰を与えるものではありません。

神は愛の神であり、全能の神であり、完全の神でありその神によって創造(つく)られたるわれわれは神そのままに完全であり、自由であり、無罪であります。

わたしが諸君に神の完全さと、人間の完全さとを証する。

継親(ままおや)の神にあざむかれて人間を土の塵(物質)にて創造(つく)られたる不自由不完全なるものだと思うことなかれ。

6019a hope:2015/11/25(水) 10:17:31 ID:cEpBaIdo

>>6018 a hope所感)

なんと力強い言葉の響きでしょう!!

谷口雅春先生は、唯神実相を大悟された真正の神さまの弁護者でした。

わたしたち「生長の家」の信徒は、その雅春先生がラッパとなり遺された聖典の言葉を素直に信じて信仰すれは、
必ず幸せになれるのですよね!

本当にありがたいことです。 合掌。


では、なぜ、この現象世界には「神罰」と見えるような状態があるのでしょうか?

その理由も、聖典にはちゃんと説明されていますね。

6020a hope:2015/11/26(木) 09:41:48 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p80 6行目〜

神は人間を神の像(すがた)に完全に創造(つく)られた――わたしはただそれを信じるのであります。

あとからできた「怒りの神」や、「妬みの神」や脅喝(きょうかつ)の神や神罰の神を信じないのであります。

では、神罰と見えるような状態がなぜあるか。

それはわれらの神罰を念(おも)う「念」がそれを外界に投影したのであります。

神罰の観念をもっているから、自分で想像して造った神罰の法則に触れるとたちまち、神罰の観念が具象化して病気となり、不幸となるのであります。

神罰の観念と、人間は物質にて創造(つく)られたという観念は「創世記」の第二章以来、なかなか抜きがたき人間の潜在意識となっており、あらゆる不幸はこの神罰の観念と、人間は物質的存在だという観念との流転展開であります。

神罰の観念を抜いたならば、ほとんどあらゆる病気不幸は消えてしまうのであります。

6021a hope:2015/11/26(木) 09:43:20 ID:cEpBaIdo

>>6020 a hope所感)

一般の人が持つ「神罰」という観念は、<自分(人間)とかけ離れた存在である神が、
不正を働いたり、犯罪を犯したり、人の心を傷つけたりした人々を不幸にして罰するようなイメージ>なのではないでしょうか?

ですが、「生長の家」の教えでは「人間神の子」もっと究極に言えば「我は神なり」なわけですから、
「生長の家」の教えにならって「神罰」を定義すれば、「自己処罰」ということになるのですね。

このわたしの解釈が正しいかどうかはわかりませんが、わたしは、

<<【神罰】の観念を抜いたならば、ほとんどあらゆる病気不幸は消えてしまうのであります。>>

というところの【神罰】を、【自己処罰】に変えたほうが、「唯心所現」の法則にぴったりくるような気がします。

6022a hope:2015/11/30(月) 00:06:12 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p81 8行目〜

谷口が「神の子」でなければ、誰が神の子でありますか?

神以外に創造主(つくりぬし)なきがゆえにすべての人間は皆「神の子」なのであります。

「イエスだけが神の子であって、人間はイエスを通さなければ神の子になれない」と言う一派のキリスト教思想がありますが、笑うに耐えた邪見であります。

「イエスを通さなければ神の子となれない」ような人間は誰の子でありますか。

神以外に創造主があり、神以外に天父(てんぷ)があり、そこから生まれたイエスを通して「貰い子」としてもらわなければ神の子になれないなどとはなんと矛盾に充ちた思想でしょう。

わたしはわたしの神性ゆえに、わが父「神」を証し、すべての人類がまたわが兄弟「神の子」たることを証する。

人間はすべて神の子であって「貰い子」も「継子」もない、みんな神の子なのであります。

わが証(あかし)を真(まこと)とするものはわれに従え。

神を「神罰を下す継父なり」と誣(し)いるものよ去れ。


キリストが「われは道なり、真理(まこと)なり、生命なり、我(われ)に由(よ)らでは誰にても父の御許にいたる者なし」(「ヨハネ伝」第十四章)と言い給いし言葉から、キリストを通さねば人間は「神の子」にしてもらえないという普通クリスチャンの一般観念が生まれ出るのでありますが、ここにキリストが「我(われ)」と言い給いしは肉体キリストではないのであります。

「道」であり「真理」であり「生命」であるキリスト、「アブラハムの生まれぬ前より我はあるなり」と言われたキリスト、すなわち肉体キリストにあらず「真理なるもの」「生命なるもの」「実相なるもの」を通さなければ、本当の父なる「神」の御許へ行くことができないと言われたのであります。

6023a hope:2015/11/30(月) 00:11:57 ID:cEpBaIdo

>>6022 a hope所感)

わたしここのところを拝読していると、
「上の文章中の『イエス』や『キリスト』という名前を『谷口雅春』と置き換えてみても、まったく同じことが言えるのですよ」と、
谷口雅春先生がわたしたち信徒に教えてくださっているように感じます。

「真理は普遍なのですから、あなたたちさえその気になって聖典(真理)を勉強すれば、
わたし(谷口雅春)に頼らなくても悟ることができるのですよ」と。

<<キリストが「われは道なり、真理(まこと)なり、生命なり、我(われ)に由(よ)らでは誰にても父の御許にいたる者なし」(「ヨハネ伝」第十四章)と言い給いし言葉から、キリストを通さねば人間は「神の子」にしてもらえないという普通クリスチャンの一般観念が生まれ出るのでありますが、ここにキリストが「我(われ)」と言い給いしは肉体キリストではないのであります。>>

もし谷口雅春先生がキリストの再臨であるというのであれば、それは正しい教え(真理)が再臨したということであり、
決して肉体的にキリストが再臨したということではありませんよね?

現象的に存在していた谷口雅春先生をキリストの再臨であり神と同等のような存在であったと崇拝し始めてしまうと、
それは偶像崇拝になってしまいますから、それは「生長の家」の教え(真理)からかけ離れた間違った信仰になってしまうと思います。

6024a hope:2015/12/01(火) 00:22:01 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p82 後から2行目〜

それは肉体キリストではない、真理キリストであります。

アブラハム以前より存在し、二千年前にはキリストの肉体に宿り、今またわが肉体に宿りて、「本当の父」(完全んる神、神罰なき神、罪も病も創造らざる神)を証(あかし)するところの真理キリストであります。

真理によらざれば本当の父を見分けることができない。

「われに由(よ)らで誰にても父の御許に至るものなし」とはこういう意味だったのであります。

(略)

p83 後から2行目〜
「実相(われ)に依らで父の御許に至ものなし。」実にそうです。

「実相」を知らないでは、継親を本親だと見間違えるほかはないのであります。

だからわれわれは常に「実相」を呼び出すことが必要なのです。


ところが、この実相というものはどこにあるかというと、遠いところにない。

自分のうちにあるのであります。

だからある禅宗の偉い坊さんは「主人公、主人公」と毎日自分を読んでまた自分で「ハイ、ハイ」と答えていたそうであります。

生長の家では「神の子、神の子」と呼んで、「ハイ、ハイ」と答えるのであります。

道を歩いている時にも「今、神の子が道を歩いていると思う」のであります。

また神想観といって自分が神の子である実相を観ずる修行をするのであります。

そして心の底から自分が土の塵にて造られたアダムの子であるという潜在意識が消え、すべての罪の意識が消えたときに、われらは完全に救われたということになり、すべての自由な完全な状態が、実相そのままの現れとして自分自身に実現するのであります。

キリストが「汝の罪赦されたり、起ちて歩め」と言って病者を癒やされたごとく、わたしもまた同じように言って病者を癒やすことができるのは自分自身の罪の観念で自縄自縛された結果、病気をあらわしている者が、罪の観念を解除された結果、自然に治るのであります。

生長の家は出現して以来、多くの信徒たちがただ、『生命の實相』の聖典を読むだけで、その『生命の實相』の内容を語り伝えるだけで多くの病者を癒やしえた体験を発表していられるのも、神の創造(つく)り給える世界には本来罪も無く神罰もないからであります。


常楽篇 終り

6025a hope:2015/12/01(火) 00:23:23 ID:cEpBaIdo

>>6024 a hope所感)

<<アブラハム以前より存在し、二千年前にはキリストの肉体に宿り、今またわが肉体に宿りて、「本当の父」(完全なる神、神罰なき神、罪も病も創造【つく】らざる神)を証(あかし)するところの真理キリストであります。>>

↑の部分に、二千年前肉体キリストに宿った同じ「真理」が雅春先生に再び宿った(再臨した)という事実が述べられています。

すべての正しい「教え」は万教帰一していますから、当然、仏教の開祖である釈迦にもその「真理」は宿っていたのでしょうね。

そうすると、正しい教えを説く宗教家であればだれであっても、再臨のキリスト、再臨の釈迦と表現されても、それはまちがいではないような気がします。


わたしは、輪廻転生を信じますが、だからと言って、自分の前世や谷口雅春先生の前世がなんであったかということにはあまり興味がありません。

それよりも大切なことは、「久遠の今」を摑み、今世を精一杯生きる事なのではないでしょうか?

6026a hope:2015/12/01(火) 00:25:59 ID:cEpBaIdo

ところで、もう、日にちが変わって12月に入ってしまいました。

本当なら、第38回web誌友会を閉会し、第39回web誌友会を開会したいのですが、まだテキストの内容を終えていないので、
今月も第38回web誌友会を継続させていただきます。

明日からは、聖経『天使の言葉』講義 に入りたいと思います。
みなさま、ご気軽にご参加くださいね!

6027a hope:2015/12/01(火) 00:26:58 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第38回 web誌友会 案内(改訂版)

期間   11月1日〜12月31日まで
テキスト 「生命の實相」第23巻 【常楽篇/経典篇二/宗教問答篇】
内容   久遠常楽の生活/聖経『天使の言葉』講義 /人生の悩みに答う

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

6028a hope:2015/12/03(木) 10:27:10 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第23巻 p86

○われらは、二つの王国に生きてる。

その一つの王国は外界であり、他の一つの王国は内界である。

内界はこれ心の世界であって外界一切を支配するのである。

心の有する幽玄な力よ。

その微妙な寂寞(じゃくまく)のうちに備えている不可思議な力よ。

外界は常に不断に心の力に支配され、心の力によって新生する。

外なる王国は内なる王国の映像(うつし)でしかないのである。

心を支配するものは、この二つの王国を支配する。

心を支配するには生長の家では言葉の力、文章の力によるのであって聖典および聖経の読誦によるのである。

聖経『甘露の法雨』によって多数の病者が救われたことはあまりにも有名であって繰り返して述べる必要はないが、『天使の言葉』の読誦によってもまた多くの病者が救われつつあるのである。

その一例をあぐれば広島市の中等学校教諭加藤舜太郎氏は十歳の子息が肋膜にて重症なりし時、この『天使の言葉』をその枕頭にて朗読せるに体温三十八度以上の小児が発熱のままにて起き上がり、「自分は神の子で病気は無い」と称し、遊び始めたる不思議さに数日様子を見るべく医者に乞うて医療を四日間停止して観察せるに、そのまま健康児となってその医者をして驚嘆入信せしめたという。

ともかく神秘の力を有するのがこの聖経である。

6029「訊」:2015/12/03(木) 10:36:06 ID:IVqSJWPU


>>6028

 「砂漠はキレイだね。砂漠は泉を隠しているからキレイなんだよね」(ミュージカル「リトルプリンス」劇中セリフより)
 ・・・・・昨日の、谷口あかり姫ミュージカルがまさにそんな感じ(!)。

 砂漠に不時着するパイロット、水がなくなるんですが気づいてみれば、「あたり一面は泉だった」という、そんな場面がありました。

 「本当に大切なものは目に見えないんだ」

 これが、同ミュージカルのテーマのひとつだったんですが、我々は「すべてをいったん、受け入れること」をするべきなんでしょうかね。そして、すべてをいったん受け入れて後、本当に大切なものが現れてくるという・・・・・・・



○われらは、二つの王国に生きてる。その一つの王国は外界であり、他の一つの王国は内界である。内界はこれ心の世界であって外界一切を支配するのである。


 ホンモノとニセモノの峻別です。ニセモノだけを見て、そして「それだけが自分だ」などと思っていては、なりませんよね・・・・・・砂漠と見えてもいったん受け入れてみて、砂漠へ「泉を隠しているからキレイだ」と賛辞を送る。すると・・・・



6030a hope:2015/12/03(木) 23:39:54 ID:cEpBaIdo

>>6029 「訊」さま

谷口あかり姫のミュージカルを観覧されて、「訊」さまがロマンチストになってしまわれましたね!


ところで、あかりさんですが、本当に素晴らしい方ですね。

部室板で「訊」さまご紹介してくださっていますが、あかりさんの座右の銘の、

 『苦しい時こそ ワクワクする』

ですが、わたしも 「さすが生長の家の生き方を心得ていらっしゃる」 と感動しました。


<<我々は「すべてをいったん、受け入れること」をするべきなんでしょうかね。そして、すべてをいったん受け入れて後、本当に大切なものが現れてくるという・・・・・・・>>

「生長の家の教え」風に考えると、どんなに苦しく辛い状況に陥っても、目を背けないで真っ直ぐにその現状を受け容れて、
「あー、これって自分が生長するために与えてくれた神さまからのありがたい試練なんだな」って・・・

そうすると、本当に大切なもの・・・愛? 真理? が現われてくるってことなのでしょうか?

砂漠の中の泉、わたしも見つめられるようにならなくては・・・

6031a hope:2015/12/04(金) 10:13:14 ID:brQxC10.

「生命の實相」第23巻 p87 後から3行目〜

今日は聖経『天使の言葉』を話したいと思うのであります。

これは聖経『甘露の法雨』の続きでありまして、『甘露の法雨』はあまり長いために、一遍に唱えるには長すぎるというので、一度切って、改めて別の『天使の言葉』という題の
下(もと)に書かれたものであります。

『甘露の法雨』はわたしが机に向かっている時に突然リズミカルな霊感として浮かんできたのをそのまま書き留めておいたのでありますが、それを読む人々にいろいろな霊験や奇蹟が起ってきたので、人称して聖経と称するにいたったのです。

この詩の冒頭に「天の使(てんのつかい)また語り給う」と書いてありますが、このまたという語が『甘露の法雨』の続きであるということを意味するので、ここにはまず『甘露の法雨』を語り終えられた天使が、また語り出されたその時の有様が書いてあるわけであります。

(省略)

天の使というのは何かと申しますといつも話すように神 ―― 唯一つの神から、神の念波、すなわち神の救いの念波が送られている。

しかしそれをわれわれは五感で感じることができませんから、その時に神の霊波がわれわれの第六感を通してそこにあるかのごとく姿を現す。

その現われが救いの天使として姿を現すのであります。

仏教では観世音菩薩や普賢菩薩や、またキリスト教でならミカエル、ガブリエル、あるいはケルビム等々……というのは、皆その天使の名であって、これらは皆神より出でたる救いの霊波の人格的応現なのであります。

6032a hope:2015/12/04(金) 10:15:17 ID:cEpBaIdo

>>6031 a hope所感)

わたしは、「天使」って本当はそこら中にいるような気がしています。

自分自身が、真理「実相」を見つめようとしさえすれば、どこにでも「天使」を見つけることが出来るのではないでしょうか?

たとえば、ミュージカルに感動された「訊」さまにとっては「あかり姫」が天使だったのではないでしょうか・・・?

わたしは、子供たちの笑い顔やあどけない無垢な表情をみていると、天使を見ているような気がします。

きっと、だれの周りにも、天使はいるんですよね。

それに、気づくか気づかないか・・・それだけの違いなんではないでしょうか・・・

6033「訊」:2015/12/04(金) 15:29:35 ID:Tl1pPfxg


>>6032 a hopeさま


 加えてスゴイ話は「守護神」です。以前もご紹介しましたが、徳久先生御主張では「違和感・嫌感」もそれは、祖先の守護神化だそうで・・・・・・迷っていた祖先霊が守護神となった際、我々に起こるのがあの「イヤーな感じ」なんだそうでして、これも素晴らしい話ですよね。



追伸

 で、あかり姫はまさに、「姫」です(!)。我が祖先が遣えておりました島津斉彬公ですが、その血を継ぐ姫です。加えて雅春先生の血までお継ぎなんですから、私にとっては眩しい存在です。ついでに申せば姫のルックスは・・・・・・・・・・大学時代に恋をした、あの子とウリふたつ(!)

 嗚呼、姫・・・・・・・・・(独演状態)

6034a hope:2015/12/07(月) 22:08:20 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p95 

(三)

汝らよ――
吾個神(ひとり)を善しという事勿れ。
形に現れたる神を讃(ほ)むること勿れ。
吾に宿る善きものは皆普遍なる神より来る。
汝ら吾が示すところの神を崇めよ。
吾を崇めよというには非ず。
吾はただ天の使なり、
吾れみずからの本性の神なることを観たれば、
吾れ汝らの本性の神なることを悟らしめん。
汝らの先ず悟らざるべからざる真理は、
『我(われ)』の本体がすべて神なることなり。

それで先程も言いましたように神はいろいろの姿をして現われる。

観世音菩薩とか普賢菩薩とか、ミカエルとかあるいはガブリエル、ケルビムというようなさまざまの姿をもって現われるのですが、その現われが自分個神(じぶんひとり)を拝めというのではない。

この一個の神の現われだけが尊いというのでもない。

われはただ使い、神の使いにすぎない。

神のみ心をとりつぐものにすぎないといっているのであります。

天の使いの本体であるところの本当の神、天地遍満、天地普遍の神こそ尊いのであります。

一個一個の神を、この神、この仏をお祀りして、どこそこの神様の御利益は実にあらたかであるとかなんとか言っているけれども、その御利益は一個の現われである個神(ひとりのかみ)から来るのではないのであって、実はその奥の、天地普遍の神から来るものなのであります。

ですからまた、生長の家へ入信して病気が治ったかといって、わたしという人間一個を拝んではならないのです。

また生長の家の役員が病家をお訪ねして真理の話をするだけで瀕死の病人が起ったからといって、その役員一個一個を崇めてはならない。

その場合のわたしとか、生長の家の役員とかいうのはこれ天の使いであって、その人が病気を治すのではないのです。

病気を治すというのは、「生命の実相」が治す。

これは本の名前ではない。

生命の絶対実相、普遍実相の神の働きなのであります。

また生長の家の役員でなくとも生長の家の真理を伝える人はみな天の使いでありますから、その人たちから「生長の家」の話を聞くと不思議に病気が治るということがよくあるのですが、よくなっても、その人々がえらいから病気がよくなるのでは決してない。

それは天地普遍の神、創造神の大いなる力が現われてきて、そうした働きをなさせ給うのであることを忘れてはならないのであります。

ですからここに現われられた一人の神、あの神、この神を崇めよというのではないのでありまして、一人、一人の神は皆天の使いなのですから、その天の使いから出る力とか言葉とかいうものは、とりも直さず天地に遍満する唯一の神から出るものであるので、その唯一の神を崇めよというのであります。

それで自分は神から出てきたものである。

そして神から伝えられたところのことをなんじらに伝えるだけのことであると、ここに繰返し述べられているのであります。

6035a hope:2015/12/07(月) 22:09:38 ID:cEpBaIdo

>>6034 a hope所感)

谷口雅春先生は、ご自身のことを「神のコトバを伝えるラッパ」だとおっしゃっていました。

でも、昔は谷口雅春先生でなくても、役員さんなんかでも「生長の家」の真理の話をすれば、人の病気を治して(消して)しまわれたようですね(@_@)

そんなことが日常的に起こっていれば、「生長の家」教団が大きくなるのはあたり前ですね。

だって、誰だって病気や死を恐れているでしょうから、それが「生長の家」の話を聞くだけで、それが簡単に治ってしまうのですから・・・ね。

6036トキ:2015/12/08(火) 21:12:28 ID:0DKs45Qc
>>6035

 とても大事なことだと思います。

 少し前まで、生長の家の練成会で奇跡が起きたのを何ども目撃しました。
練成だけではなく、教区の行事でも不思議な出来事がよくおきました。私の
知っているケースでは、末期の癌で葬儀の準備をしていた人の癌が消えたと
いうこともありました。

 「菩薩は何をなすべきか」という本には、講師になったら、それにふさわ
しい指導霊がつくと書かれています。この指導霊に波長を合わせると、奇跡
おきるということです。もちろん、指導霊に波長があうように修行をしない
といけないし、逆に言うと、指導霊に波長があわないと、講師といえどもお
かしい事を言うことになるみたいです。

 大事な事は、個人の救済が基本だということです。

6038a hope:2015/12/11(金) 10:46:28 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第23巻 p97 7行目〜

(四)

汝ら億兆の個霊(みたま)も、
悉(ことごと)くこれ唯一神霊の反映(うつし)なることを知れ。
喩(たと)えば此処に一個の物体の周囲に百万の鏡を掟(お)きて
これに相対(あいたい)せしむれば一個の物体もまた百万の姿を現ぜん。
斯(か)くの如く汝らの個霊も
甲乙(こうおつ)相分れ、
丙丁(へいてい)互に相異なる相(すがた)を現ずるとも
悉くこれ唯一神霊の反映にしてすべて一つなれば
これを汝ら互に兄弟なりと言う。
すべての生命を互に兄弟なりと知り、
すべての生命を互に姉妹なりと知り、
分かち難くすべての生命が一体なることを知り、
神をすべての生命の父なりと知れば、
汝らの内おのずから愛と讃嘆の心湧き起らん。


一人の神――生長の家の神とか、何々の神とかいう、一人一人の神を拝めとは言わない。

皆の中に本当の神が宿っている、自分が神であり、自分が仏であるというのです。

ここに現われているのは皆一人一人異(ちが)ってはいるけれども、われわれの実相(ほんとうのすがた)は同じ神の姿、仏の姿であるということをわれわれに悟らしたいために、神の霊波が天使としてここに出現して来たのであります。

(略)

中心にある真実の存在とその百万の鏡に映っている姿がまったく同じであるように、神と同じ姿が皆本当の姿であり、神が皆の生命であり、本体であるのであります。

(略)

お前たちの本体が神である。

――すなわち神こそ生命の父であると知ったら、その時に皆の心の中にありがたいという感謝の心、大いなる生命を讃嘆する心が湧きおこってくるのである、と書いてあるのであります。

6039a hope:2015/12/11(金) 10:48:06 ID:cEpBaIdo

>>6038 a hope所感)

「自他一体」「神人一体」「神はすべてのすべて」・・・

生長の家の教えでは、常にそのことを説いていますね。

さらに、雅春先生は
<<、「あなたたちが谷口雅春である」「私のことはおいておいて、貴方が住吉の大神様ですよ」>>

大聖師「谷口雅春先生は神(救いの原理であり光)」である。 (10692)
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&amp;mode=res&amp;log=4260

より引用。

とまでおっしゃっていたようです。

上に勝手に引用させていただきましたが、この記事の内容が素晴らしいと思うので、以下に紹介させていただきます。 合掌。

6040a hope:2015/12/11(金) 10:56:24 ID:cEpBaIdo

大聖師「谷口雅春先生は神(救いの原理であり光)」である。 (10692)

日時:2015年12月08日 (火) 14時37分
名前:生命の教育実践者

私の元部下から、この掲示板に書き込みをせよと、メールが来ました。管理者、寄稿者のみな様には大変申し訳ありませんが、私はこのような「雑談」広場のような掲示板は大嫌いです。しかし大事なことですので、一言だけ書かせていただきます。

谷口雅春先生は釈迦の再臨であり、キリストの再臨です。

しかし、その表現は厳密に言うと、正しくない。

谷口雅春先生は神(救いの原理であり光)でありその神の現れが、ある時代は「お釈迦様」であり「キリスト様」であったのです。


神の視座から「例えば私が釈迦であった時」と語られているのです。

同じく「例えば私がキリストであった時」という言葉も個人的には聞いた幹部もあるでしょう。そのお一人が愛媛の寄能美枝先生のような方(霊的な先達)でありましょう。私も数人このような方を存じ上げております。これは、故人に限らず現在活躍しておられる講師にも、そういうお人がおられます。

実に、生長の家(教団ではなく本来の實相の展開という意味での「生長の家」)には素晴らしい先生方がおられたものです。そして今もなお、多くの素晴らしい先生がご活躍と、私は信じております。なぜなら、生長の家の御教えこそが、宇宙開闢以来の荘厳であるのですから。


どうか、皆さん。

教団にいても、教団を出ても、どこにどういうカタチであろうとも、神の子として、真理を生きてください。そして谷口雅春先生こそが神である。住吉の大御神であることを直視して戴きたいのです。「住吉の大御神」としての禊ぎ祓い。それをいのちを懸けて人生をかけて為すことこそが、「あなたたちが谷口雅春である」「私のことはおいておいて、貴方が住吉の大神様ですよ」と言われた栄誉に報いる道でありましょう。

谷口雅春先生が自から「ラッパである」といわれたからといって、ラッパだというものは、尊師である谷口雅春先生の實相をいまだ、一度たりとも観たことの無い者である。おそらくは、御自分の實相さえも、一度も観たことがないのである。御自分の「實相が神」であることを知れば「谷口雅春先生がラッパの働き」をされたとてラッパではない。神であることを知るでありましょう。

どこにどういうカタチであろうとも、神の子として、真理を生きる。尊師の「御悲願(宇宙清め)に命を捧げる」そのことで「住吉の大御神」としての禊ぎ祓い成り。「来たる日」の、天照大御神御出御となるでありましょう。

私はそこに人生もいのちも捧げさせていただきます。

生長の家の出現の意味も、使命も、生長の家の全ての全てが、そこにあるのですから。


http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&amp;mode=res&amp;log=4260

<愛国本流掲示板>さまより、引用させていただきました。 感謝 合掌。

6053a hope:2015/12/13(日) 10:10:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p116 後から3行目〜

三宅いくえさんといわれる熱心な信徒がおられました。

この方のご主人は、生前牛肉屋をしておられた。

牛肉屋といっても、大阪有数の肉屋であって一カ月に数千円の収益があるというほど、繁昌する大きな店を営んでおられたのでありました。

それに御主人の没後は、いくえさんが店をきり廻しておられたのですが、生長の家へ這入られて、熱心に本を読んでいられるうちに、自分の商売がだんだんいやになってきた。

特に『久遠の實在』に書いてある採食論のところを読んでからというものは、どうしても、牛肉屋という商売をしていることが堪えられなくなってきて、思い切って店をやめてしまおうとせられたのでありました。

6054a hope:2015/12/13(日) 10:11:59 ID:cEpBaIdo

>>6053 a hope所感)

確かに「生命の實相」を拝読し、神想観をしていると、どんな生き物にも尊い生命がやどっていていることが自覚されてきます。

ですから、特に生命を奪われるときに苦痛を感じるであろう霊性の高い哺乳動物を殺して商売をしたり、
その肉を食するということに抵抗を感じるようになると思います。

わたし自身も、最近はそういう気持ちが強くなってきていています。

ここに登場されている牛肉屋を経営されている三宅さんは店をやめてしまわれようと決心されますが、
お父様に大反対されてしまい、さらにお父様が代わりに肉屋をやると言いだされます。

そうなると、自分の代わりにお父様に殺生をさせることになり、結果的には「親不孝」をすることになり、
「生長の家の教え」に反してしまわれます。

そこで、三宅いくえさんは、谷口雅春先生にお手紙を書かれ事情を説明されて、その後、面接されます。

雅春先生は、はたして、三宅さんにどのようにご指導されたのでしょうか?

6055a hope:2015/12/14(月) 10:25:07 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p117 後から2行目〜

そこでわたしはすぐ「何日に来られよ」と返事して差し上げますと、さっそくと上京して来られて、朝東京に着くとすぐわたしの家へやって来て話されるのに「先生、わたしいったいどうしたらよいのでございましょう」とこういうことだったのです。

それでわたしは「あなたのどうしてもこの商売をやめたいというお心はわかります。やめたいという心は善い。善いけれどもあなたがやめたら父上が続いてやると言われるのでしょう。まあ、父上はあなたが説法してやめさせることができるでしょう。が、しかし、そんな御繁昌な店だったら、あなたがやめ父上がやめると言われればまた他の者がそこで開店するでしょう。で結局あなたは自分でやめても、一軒も牛肉屋をやめさせることにはならない」と申しました。

「それではいったい わたしは どうしたらよいのですか」と訊かれますから、「それではあなたは、牛肉屋をしてどんどん儲けなさい。そしてその儲けた資金で、世の中の人全体が肉食をしないような心になる運動に参加するのです。それはどうしたらよいかと言えば、生長の家の光明思想をどしどし世間に普及させるのです。世間の人がどしどし生長の家へ入って全人類が生長の家の信徒となり、人間は牛肉なんぞ食べなくっても健康を保つことができ、また肉食をよしたためにかえって健康になることがわかれば全人類の肉食量が減ってくる。また無理に肉食をやめさせなくとも、生長の家の光明思想に触れると、食欲が自然に正しくなって、野菜の方が好きになったという人が、実際にこれまででもたくさんいるのですから、そうすると、世の中の牛肉屋は自然に消滅してくるものです。今あなたの牛肉屋を一軒だけやめたとてなんにもなりはしません。それよりもっと根本的に全世界の牛肉屋をやめさす工夫、肉食をやめさす工夫をしなければ本当ではないでしょう?」といってさしあげたのでありました。

わたしが話し終わった時、三宅いくえさんは顔を上げて庭の方を見ておられましたが、突然「わたし、これまで乱視で片眼がぼんやりとしか見えなかったのですのに、今先生のお話を伺って眼を上げましたら、今まで見えなかった方の眼がハッキリしてお庭の景色が木の葉一枚一枚見えます。まァ美しい樹の葉が一枚一枚、はっきりと見えるのでございます」と言われるのです。

わたしはこの方が乱視であられたのを、その瞬間まで少しも知らなかった。

もとより三宅さんも自分の乱視を治そうと思って上京して来られたのではありませんでした。

ところがわたしがその方の人生上の煩悶を訊いていろいろと話してさしあげているうちに、三宅さんの心の中から迷いがとれて、心の目が開けて、はじめて実相が見えるようになられた。

その時今まで乱視ではっきりしなかった肉眼の目も開けて、庭の木々の一つ一つの葉まではっきりと眺められるようになったのであります。

6056a hope:2015/12/14(月) 10:26:50 ID:cEpBaIdo

>>6055 a hope所感)

わたしにとって、この体験談は「生命の實相」の中でもとくに心に残っている体験談の一つです。

現象世界って実相世界の現われなんでしょうけれども、それが歪んで反映されているために矛盾に充ちた世界なんですよね。

その「歪み」や「矛盾」を現象世界への働きかけだけでどんなにがんばって正そうとしても無理があることを教えてくださっているのが、
この体験談なんです。

自分が殺生をしたくないから、自分が肉食が嫌になったからと言って、周りに肉食をやめることを強制しても、
結局、人々の根本の「心」が変わらなければ、その努力も、その場限りの小さな善行に終わってしまうということなのだと思います。


<<「それではあなたは、牛肉屋をしてどんどん儲けなさい。そしてその儲けた資金で、世の中の人全体が肉食をしないような心になる運動に参加するのです。それはどうしたらよいかと言えば、生長の家の光明思想をどしどし世間に普及させるのです。世間の人がどしどし生長の家へ入って全人類が生長の家の信徒となり、人間は牛肉なんぞ食べなくっても健康を保つことができ、また肉食をよしたためにかえって健康になることがわかれば全人類の肉食量が減ってくる。また無理に肉食をやめさせなくとも、生長の家の光明思想に触れると、食欲が自然に正しくなって、野菜の方が好きになったという人が、実際にこれまででもたくさんいるのですから、そうすると、世の中の牛肉屋は自然に消滅してくるものです。今あなたの牛肉屋を一軒だけやめたとてなんにもなりはしません。それよりもっと根本的に全世界の牛肉屋をやめさす工夫、肉食をやめさす工夫をしなければ本当ではないでしょう?」>>

強制のない、「ねばならない」がないのが「生長の家の教え」なんですね!
そして、全世界を「生長の家」として救済するのが「生長の家」の光明思想化運動なんですね!

6057a hope:2015/12/15(火) 16:17:37 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p120 後から3行目〜

近眼の治った、実に素晴らしい体験をもっていられる方があります。

それは川村よし子さんという双葉女学校の二年生の方なのですが、数日前道場へ来られて、御自分の目の治ったおもしろい体験談をされたのでありました。

川村よし子さんのおばさんというのが、生長の家の熱心な信徒でしたが、よし子さんが某日(あるひ)、そのおばさんの家に遊びに行かれた。

その時におばさんが、生長の家の話を、いろいろとよし子さんに話されたそうであります。

よし子さんは、五度というひどい近眼だった。

それで、目などは心に従ってどうにでも変わるものだという話を、おばさんが諄々(じゅんじゅん)と説かれて、それから「よし子さん、この『甘露の法雨』を読んでごらん」と言ってよし子さんに『甘露の法雨』を読ませられたのでありました。

ところが、その時夜は大分ふけているので、『甘露の法雨』を半分ほど読んでゆくうちに、よし子さんはとてもねむたくなってきた。

一緒に読んでいられたおばさんが、よし子さんがあまり眠そうにするのでかわいそうになってきて、「あなたはもうお休みなさい。わたしが代わって続きを読んであげますから」と言ってよし子さんを臥(ふ)せさせ、その枕元で『甘露の法雨』の後半を声高に読まれたのでありました。

しかしよし子さんは眠ってしまわず、まだ「伯母さん、実相って何に?」などと言って分からぬところを聞いていたそうです。

そして翌日目をさまして、眼鏡をかけない眼で、ふとあたりを見廻すと不思議なことにいろんなものがはっきりと見える。

川村よし子さんの近眼は・・・

(略)

・・・その朝目をさましてみると、昨日まで眼鏡なしでは全然見えなかったものが、一夜のうちに、はっきりとみえるようになっているんですね。

額の絵の菊の花やら、障子の桟から、柱にかかっている時計の針まではっきり見える、世界中が急に明るくなってきた。

よし子さんは嬉しくて嬉しくてたまらない。

さっそくと眼鏡を捨ててしまわれたのでありました。

それでその日、七月二十九日の晩、初めて本部に来られて喜んでその話を皆の前でされたのでした。

その日はちょうど、明治大帝の御崩御の日に当たるので、代々木練兵場でたくさんの花火が打ち上げられた。

ぽーッと空に上がる花火が眼鏡をはずしても、見えるようになっているのです。

ところがこれまで眼鏡をかけて花火を見ているころには、花火は直径一尺ぐらいに小さくしか見えなかった。

それで花火なんて小っぽけなもんだと思っていられたそうですが、肉眼でみると、どうしてどうして、とても大きくて立派な花火なのです。

で、「伯母さん、花火はなんて大きくて美しいものなのでしょう」とよし子さんは感嘆されたと言います。

その翌日のこと、その日はからッと晴れた実に気持ちのよい日でありました。

空は紺碧に澄み渡って一点の雲も漂っていないというような日だった。

川村さんはこれまで厚い眼鏡をかけて、そのレンズでものを凝縮して見ていられたのでしたから、空の碧色(みどりいろ)もなんだかはっきり分からない白っぽい色ばかり見えていた。

ところがその朝、肉眼で紺碧の美しく晴れ渡った空を見て、はじめて「空はなんて美しい碧色だろう」と思われたのです。

「碧色の美しい空を、わたしは今まで知らなかった。空はこんなに美しいものだったのか」と思われたということです。

6058a hope:2015/12/15(火) 16:18:50 ID:cEpBaIdo

>>6057 a hope所感)

「甘露の法雨」の功徳って、ほんとにすごいものなんですね!

でも、その「甘露の法雨」を何百回読誦しても、何千回読誦しても、何万回読誦しても、死ぬまで読誦し続けても功徳のないことってあるんでしょうか・・・?

わたしは、人によってはそういうこともあると思います。

その人に、その真理を素直に受け入れる「心」がなかったら、何億回読誦してもなんの功徳もないのではないかと思います。

聖典拝読にしても同じなのではないでしょうか・・・?

また、「信じる者は救われる」といいますが、「生長の家」の体験談にしても「偶然だ」とか「集団催眠だ」などと常に疑いの心をもって聞いていると、
その人が同じように救われるということは決してないと思います。

続けて謹写していきます。

6059a hope:2015/12/15(火) 17:25:48 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p123 3行目〜

そういうあんばいにして、川村さんの視る限り世界中の姿がすっかり変わってしまったのでありました。

川村さんは、素直な幼児(おさなご)の心で真理を受け入れられたから、たった一度『甘露の法雨』を読んだというだけで、かくも偉大な功徳を得られたのであります。

『甘露の法雨』の功徳というのは、要するに『甘露の法雨』に書いてある真理の功徳にほかならないのであります。

そこで、この真理を読んで実相を見る目が開けた時に世界中の姿が変わってくるということになるのであります。

『維摩経』の中に、天人の世界へ行って御飯を出されると、同じ真っ白なご飯を出されても食べる者の心に従ってその色が変わる、ということが書いてありますが、これと同じことで、われわれも心が変われば、その心に従って世界が姿を変えてくるのであります。

今まで花火は小さいものだと思っていたのが実は花火は大きいものだと分かる。

空の色も心の目が開けた時に、ああこんなにも美しい碧色だったのかとわかってくるのです。

この世は苦しい世だ、憎しみに充ちた醜い世だと、厭世的に世界を眺めている人もある。

しかし、苦しみの世界は、あるのではない。

そういう人は心の目を開かない人なのです。

心のチカメなのです。

心がチカメであるから、楽しい、よきことのみに充ち満ちた実相の世界を見ることができないで、この世は憂いの充ちた世界と見えているのです。

それが一度真理に触れて、心の目がぱっと開いた時に、この世はこのままで極楽浄土となるのであります。

目の治った話はまだいくらでもあるのです。

昨日も『主婦之友』の記事で有名な栗原保介氏の令弟で栗原清吉さんが来られて皆の前で話されたのでありますが、この方は川村さんの五度よりもきつい三度と四度というまことにひどい近眼を二、三度話をするだけでたちまちにして治されたという、実際の話をされまして、お話をうかがった多勢(おおぜい)のもの皆大変に感動したのでありました。

栗原さんは今日そこに見えていられますから、あとで御自身の口からくわしくお話をしていただくと大変によいと思うのであります。

かくのごとくわれわれは、この眼という物質で物をみるのではなく、心によって見るので、心の目が開けたら、地獄も天国になるということを、生長の家で多くの方が体験され、またその体験によって実証されているわけなのであります。

6060a hope:2015/12/15(火) 17:29:22 ID:cEpBaIdo

>>6059 a hope 所感)

心の目が開ける(悟る)と、実際の視力も回復してしまう・・・

すごいですね!

そういえば、わたしは、ほぼ毎日「生命の實相」を拝読し、長時間パソコンやスマホに向かっていますが、視力の衰えはほとんどありません。

むしろ、以前より良くなっている気がします。

悲しいかな、同年代の友人の中にはもう「老眼鏡」が必要な人もいますが(@_@)、わたしにはまだまだ必要ないようです(笑)

それで、思い出したのですが、宇治の練成で練成員の名前を読み上げる楠本加美野先生は老眼鏡をかけていらっしゃいませんでした。

「生長の家」を信仰していれば、いつまでも健康で若々しくいられる、というわけですね!

6061a hope:2015/12/17(木) 10:38:42 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p131 9行目〜

さて、各種の波動を感ずる感覚器官に起る障害、半身麻痺であるとか、あるいは眼が悪いとか、耳が悪い、味がない、鼻が悪いというのは、要するに皆波動を受けいれるこちらの念波のまちがいなのであります。

ラジオでも受信機の波長が放送装置の起こす波長に合わなければ、感じない。

この感覚器官の波長の不調和はどこから来るかというと、すべて事物をありがたい、と受け入れる感謝の心の欠乏から来るのです。

有りとしあらゆるものはすべて神の無限の愛、無限の知恵、無限の生命に充ち満ちている。

その神の生命、神の愛、神の知恵を、素直に受け容れる人が少ない時にそういうわれわれの生活に必要な波動を感受できない――できないのではない、感受しない状態が起ってくるのであります。

顔面麻痺などというのも、面の皮があんまり厚くて、他人のよろこびも悲しみも鉄面皮で少しも感じない。

冷酷無情な、いつも他(ひと)のことは考えようとしない、自分だけを突張る頑固(かたくな)な心が現われて顔が突張っているので、その心が直ったら顔の突張りも自然にとれ、感覚の麻痺も治ってくるのであります。

中風で体が痺れているというのも実は心が痺れているのです。

心が痺れていて神様や、家族や、いろいろの恩人の厚い恵み、愛などに本当に喜びを感じることができない、その心が現われて身体に麻痺という状態をおこしているのです。

その心が現われて身体に麻痺という状態を起しているのです。

また近眼とか、蓄膿症とかも、総括的に言えば皆大体同じことで、目が見えなかったり、耳が遠かったりするのは、他(ひと)の心を受け入れる心がない証拠といってよいのです。

天地に満つる神の恵みを、正しく受け入れる心が少ないのであります。

受け入れたにしても本当にあるものをすっかり受けないで、半分くらいしか受け取らない場合には片目が見えないとか、片耳が聞こえないとか、近くは見えても遠くは見えないとか、半分しか感受機関が働かなくなるのであるのであります。

それがすべての愛、すべての知恵、すべてのよろこびを素直に受け入れる人になった時に外に現われた感覚器官の障害も消えてしまうのであります。

肉体は心の影でありますから、心のとおりに外部の現れが変わってくるのは当然のことであります。

6062a hope:2015/12/17(木) 10:41:48 ID:cEpBaIdo

>>6061 a hope所感)

「生長の家」の教えを信仰すると、体の不調和が調って病気が治ってしまう・・・

その本当の理由は、「生長の家」の信徒になったからではなく、毎日「生命の實相」を拝読しているからでなく、
神想観をしているからではなく、「甘露の法雨」を読誦しているからではないのですね。

<<この感覚器官の波長の不調和はどこから来るかというと、すべて事物をありがたい、と受け入れる感謝の心の欠乏から来るのです。>>
<<すべての愛、すべての知恵、すべてのよろこびを素直に受け入れる人になった時に外に現われた感覚器官の障害も消えてしまうのであります。
肉体は心の影でありますから、心のとおりに外部の現れが変わってくるのは当然のことであります。>>

「生長の家(聖典・聖経)」の真理を素直に受け入れる「心」が調った時に、「心」が感謝の気持ちで満たされ、肉体も環境も調和するというわけですね!

6063a hope:2015/12/21(月) 12:35:49 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p138 後から5行目〜

「しかしいくら肉体は痛くないと思おうにも痛いのは事実です」などと言われる方がありますが、そういう方はまだ「心の痛み」ということが本当に分かってはおられないのです。

心の痛みというのは肉体にあるのではい。

それだのにそういう方は「心の痛み」と言っても、その痛みというのは肉体の痛みを指して言っているかのように考えて、「この肉体は痛くないと思うと努力しても痛い」などと言われるのです。

それはまちがいです。

肉体を離れて心に着眼点をもってこなければならない。

それでは心の痛みとは何か?

家庭の中の不調和とか、人を憎む心とか、口惜しい残念だとかいう心、妬む心、癇癪を起こす心、これらが要するに心の痛みなのです。

腹が立ってどうしてもそれが制しきれないということが往々ある。

それも心の痛みです。

あるいは愛する子供や親を失って悲しみに暮れるということもある。

これも心の痛みです。

子を失う人の痛みは、われわれにとって最も大きい苦痛です。

その苦痛の蓄積の後に神経痛を起こす人もある。

この肉体は死んでも本当は人間はしなない生きとおしの生命であると知ると心の痛みが次第に癒えてくるのです。

そういうふうにして心の痛みが根本的にとれてしまったら肉体の痛みはすぐになくなってしまうのです。

こういう意味で肉体がいたいのではない、というのだと言いますと、それでも痛くないと思っても事実痛いものを、と言われる方は、まだ肉体を指さしておられるのです。

肉体に痛みはないのですから、その時省(かえり)みて、自分の心にある悲しみ、憎しみ、恨み、嫉み、というような心の痛みを、すっぱり捨ててしまった時、肉体の痛みも忽然と治るということになるのであります。

だから、痛いというのは、この肉体が痛いのではない、神経が痛いのでもない、ただ痛いという念が痛いのであります。

ですから、この肉体から念というものを奪い去ってしまった時に、もう肉体はなんの苦しみも痛みもなくなってしまうのです。

だからこの一節には「『念』全く去りたるものを死体と云う。汝ら死体が痛みを感じたるを見しことありや」と書いてあるのであります。

この肉体はまったく念の影なのでありますから、われわれが健康を念じたら健康になり、病いを念じたら病になるのであります。

それでは健康を念じさえすれば、癇癪を起こしてもどうしても健康でいられるかというとそうではない、われわれの念そのものがいつも健康な状態であることが必要なのであります。

念が健全だということは、痛いということを念じまいとすることや、健康健康と、その肉体の健康だけを思うことではない。

念そのものが大調和の状態になることであります。

普段はどうでも神想観の時だけ、健全な心になって念ずるなどというのは駄目で常住坐臥(じょうじゅうざが)に健全なる、大調和の念を持っていることが、すなわち健康を念ずるということになるのです。われわれが常に神の子の念を持つ。

これによって健康を生ずるということになるわけであります。

6064a hope:2015/12/21(月) 12:36:58 ID:cEpBaIdo

>>6063 a hope所感)

家庭の中の不調和・・・人を憎む心・・・口惜しい残念だとかいう心・・・妬む心・・・癇癪を起こす心・・・
腹が立ってどうしてもそれが制しきれない・・・
あるいは愛する子供や親を失って悲しみに暮れる・・・

すべてが「心の痛み」なんですね。

でも、この人生で生きていて、そのような「心の痛み」を全く感じないで生きている人なんているのでしょうか?

自分自身では制御しきれないような「憎しみ」や「妬み」や「怒り」「悲しみ」等の悪感情を、なぜわたしたちは体験しなければならないのでしょうか?

「生命の實相」に出会う前のわたしは、それは人間が不完全である証拠であり、そんな人間を創造した「神」がもし存在しているのなら、
「神」はわたしにとっては一番憎むべき存在である、とさえ思っていました。

ところが、「生命の實相」には、そんな不完全な人間や不完全な心は本来存在しないもので、在るもの実相、「完全円満」な人間の姿だけである、
つまりは「人間こそ神(神の子)」でありこの世は「唯神実相」の世界であると書かれてあるではありませんか・・・

わたしにとってそれは、本当に、「衝撃的」な真実でした。

ところで、そのような素晴らしい真理を説く「生長の家」の信仰者としてのわたしたちの使命っていったいなんなんでしょうか?


現象世界の不完全さを憂い、嘆き、悲しむことでしょか?

わたしは聖典の文章に答えがあると思います。

<<念そのものが大調和の状態になることであります。
普段はどうでも神想観の時だけ、健全な心になって念ずるなどというのは駄目で常住坐臥(じょうじゅうざが)に健全なる、大調和の念を持っていることが、すなわち健康を念ずるということになるのです。われわれが常に神の子の念を持つ。
これによって健康を生ずるということになるわけであります。>>

一般の人間がそういう心境になるのはなかなか難しいのでしょうが、「生長の家」の真理を知っているわたしたちにとっては、それはとても有難い信仰目標(使命)ですよね!

6065a hope:2015/12/21(月) 12:40:13 ID:cEpBaIdo

山川海さま

こちらをご覧になってくださっているでしょうか?

>>5978で山川海さまがご紹介してくださったので、わたしはあれから毎朝晩、父母への感謝の言葉を唱えています。

そして、数日前、素晴らしい功徳をいただきました!

本当ならここで感動の体験談を詳しくお話したいのですが・・・

なかなか解決しなかった娘のある問題が感謝行をはじめてすぐに良い方に向かいだし、そして1か月半後見事に解決したのです。

そして本当に娘の運命が、“ バッ ”と変わりました!!


この感謝行を続けていると、父母への感謝だけではなく、ご先祖さまや周りの全ての人々にも感謝の気持ちを持つことができるようになるような気がしています。

よいことを教えてくださって、本当にありがとうございました。 合掌。

6066a hope:2015/12/25(金) 23:52:49 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p151 4行目〜

(十一)

されば汝ら、
心の中に常に円満完全清浄なる実相の姿を描けよ。
常に円満完全無病なる神の子の相(すがた)を描けよ。
人は神の子にして其の他の何者にも非(あら)ざるなり。
円満完全なる神より不幸は生ぜず、
円満完全なる神より病は生ぜず、
不幸と病とは唯これ五官の妄想(まよい)に過ぎざるなり。
汝ら病を恐るること勿(なか)れ。
五官の感覚に描かれたる病は
一毫(いちごう)も汝らの生命の実相を病ましむること能わず、
一毫も汝らの生命の実相を不幸ならしむること能わず、
如何なる病も
如何なる不幸も
ただ『生命の実相』の表面を掩(おお)える
叢雲(むらくも)の如き幻に過ぎざるなり。
その幻はすべて
『生命の実相』を知らざる迷いより生ず、
汝ら『生命の実相』を知り、
迷い滅すれば恐怖滅し、
恐怖滅すれば
一切の不幸おのずから滅せん。


ここにはいっさいの不幸、病気、災難などというものは恐怖が因(もと)になって生ずるということが書いてあるのであります。

(略)

恐怖心を起こしたが最後、もう自由自在の知恵が出なくなる。

下手な考え休むに似たりというようになってくる。

たまたま考えついた考えは失敗だらけの支離滅裂なものとなる。

だからどうしても事業を大成するには恐怖心を滅しなくてはならぬ。

恐怖心を滅するにはどうしたらよいかというと、『般若心経』には「顛倒夢想を遠離すれば恐怖なし」と書いてあります。

恐怖の因(もと)は、顛倒夢想から生ずるのであります。

顛倒というのは「サカサマ」――有るものを無いと思い、無いものを有ると思う、これが「サカサマ」であります。

「夢想」というのも、無いものをあるかのごとく妄想によってえがき出すのが夢想であります。

では何がサカサマであり顛倒夢想であるかと申しますと、肉体は本来無いのに有ると思い、本来有る完全円満な神の子なる実相身をアベコベに無いと思う――これが顛倒夢想であります。

本来この世は神の国であり仏土であるのに、苦娑婆であるとか、地獄であるとか、穢土(えど)であるとか思う――これが顛倒夢想であります。

(略)

この顛倒夢想を覚ますには、夢にうなされてる人を覚ますのに大声でどなるように、われわれは言葉の力を用いるのであります。

「そんな病気の相(すがた)や貧乏の相は本来無いんだぞ」と耳元で大声を出してやると、「ムニャムニャ」と言いながら目を覚ます。

眼を覚ましてみると、今まで自分は貧乏なルンペンであってしかも病気をしていると思っていたのが豈(あ)に計らんや、その実(じつ)自分は無限の長者の後継者(あとつぎ)であって金殿玉楼(きんでんぎょくろう)に錦繍(きんしゅう)の夜具の上に実に楽々と寝ていたのだということがわかるのであります。

心が真理を悟り、実相に目覚めれば、天国浄土は今、このまま、ここにあることを見いだすことができるのであります。

その状態を説明して聖経『天使の言葉』には次のごとく書かれているのであります。

(つづく)

6067a hope:2015/12/25(金) 23:53:38 ID:cEpBaIdo
(つづき)

「生命の實相」第23巻 p154 後から4行目〜

(十二)

かく天使(てんのつかい)語り給えば――

虚空に蓬莱島(ほうらいとう)の如き理想郷実現し
島の頂(いただき)には水晶にて造られる宮殿ありて
その甍も柱も悉く水晶なり。
天使その主座に坐したまえば
天童たちその甍(いらか)を透過(つらぬ)きて天より舞い降りて
悉く天使の周囲に輪を描く。
此時いずこともなく天楽の音(ね)嚠喨(りゅうりょう)として聞え、
天童これに和し羅綾(うすもの)を流(ながれ)の如く引いて舞えば
島をめぐれる紺青の海に
ヴェニスのゴンドラ船の如き
半月の船静かに辷(すべ)りていと平和なる状態(すがた)なり。
此の時天使の声水晶宮より出でて虚空に轟(とどろ)き、
地を指(ゆびさ)して宣(のたま)わく、
『見よ、これ実相世界なり、
実相世界は父の国なり、
天国なり、
浄土なり。
父の国には住居(すまい)多し。
実相世界の住居は悉(ことごと)くこれ「生長の家」なれば
住民(すむひと)に飢えなく、
悲しみなく、
争いなく、
病なく、
万(よろず)の物ことごとく意(こころ)に従って出現し、
用足りておのずから姿を消す。
円満具足清浄微妙の世界、
これ実相世界、
これ汝らの世界、
そのほかに世界あることなし。
斯く天使の宣うとき、
天使の指(ゆびさ)し給う方を見れば
『生長の家』無数に立ち並びて
甍列をなし
炊煙(すいえん)春の霞の如く棚引きて
住民悉く鼓腹撃壌(こふくげきじょう)し、
其処はただ常楽の世界を現じたりき。(聖経終)

(略)

生長の家というのは実相世界全体を称して生長の家と申すのでありますが、その実相世界の如意円満具足清浄微妙の状態を顕現している国家、社会、家庭の一個一個がやはり生長の家であります。

よく生長の家の信徒で、実相を悟ってから欲しいものが自然に集まって来たという体験を話される方がありますが、それは環境は念の影でありますから、悟りに従って実相世界の「万(よろず)の物ことごとく意(こころ)に従って出現し、用足りておのずから姿を消す」状態が現象界に投影する結果そうなるのであります。

一切人(いっさいじん)の現象生活がそうなりました時、われらの地上生活は実相世界の影を完全に映出して、この世に地上天国が建設せられるのであります。

こえで聖経『甘露の法雨の後編『天使の言葉』の講義を終ることにいたします。
長々御清聴を煩(わずら)わしましてありがとうぞんじます。

6068a hope:2015/12/25(金) 23:56:04 ID:cEpBaIdo

(>>6066 >>6067 a hope所感)

実はわたしは「聖経」を読誦するのは苦手でした。

ですが聖典「生命の實相」の「聖経」の講義を拝読していると、「聖経」の意味が良くわかるのでとても幸せな気分になります。

そして今は「聖経」の言葉一つ一つの荘厳な響きに、以前よりずっとわたしの魂が共振するようになった気がしています。

6069a hope:2015/12/26(土) 00:00:02 ID:cEpBaIdo

トキさま みなさま

わたくしごとですが、年末年始は忙しくなるのでなかなか書き込みできません。
もし、わたしの代わりにこのweb誌友会の司会進行をしてくださる方がいらしたらお願いしたいのですが・・・
年末年始はみんさまもお忙しいのではないかと拝察いたします。

来月(1月)の半ばくらいになりましたら、第39回、web誌友会開会させていただけると思いますので、
それまでは、第38回web誌友会を続行という形にさせていただきたいです。

勝手を言って申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

6070a hope:2016/01/17(日) 10:00:24 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。
遅くなりましたが、第39回 web誌友会を開会させていただきます。
それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の「今の教え」と「本流復活」を考える WEB誌友会板/2 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

6071a hope:2016/01/17(日) 10:03:11 ID:cEpBaIdo

それでは、第24巻(頭注版)のカバーの帯の文章を紹介させていただきます。


「あなたの希望を実現させる力とは」

一年前ごろまで常に病気やら何々と不幸の連続であったA氏が、生まれ変わったように溌剌としていたので、「何が彼をそうさせたか」とたずねた。

A氏 「わたしは運命は心しだいでどうにでも変化できることを知ったのです。わたしたちはなろうとおもうとおりのものになれるのです。今まで自分は不幸になるという恐怖心が常につきまとっていましたが、今は反対に『わたしの生活には幸福のみあり』といえるようになりました。」

彼はここまで言うと「すべての問題解決のカギはここにある。君もこれを読んで幸せになって下さい」といって去った。

その本がこの本書です。

本書には心の力をいかんなく強め、すべてを解決する力を掌中におさめる方法が、わかりやすく書かれています。

6072a hope:2016/01/17(日) 10:06:25 ID:cEpBaIdo

>>6071 a hope 所感)

わたしは「生命の實相」のカバーの帯の部分の紹介文を読んでも感動し、啓発されてしまいます。(笑)

実相世界を完全に悟っていないわたしたちは、この現象世界で魂を生長させるために色々な問題にぶつかりながら生きて行く宿命を背負っているのだと思います。

でもどんな困難な問題にぶち当たっても、わたしたちには「生長の家の教え」がありますから大船に乗っているような気分ですよね!

人間知ではどうにもならない現象問題に心を煩わせたり、歎いたりしている時間があるのなら、
その代わりに1ページでもいいので聖典「生命の實相」の言葉を拝読したほうが問題はすみやかに解決に向かうのではないかと感じています。

今年もこのトキ掲示板で聖典「生命の實相」の輪読会であるweb誌友会を続けさせていただけることに、心より感謝しています。

合掌。

6073a hope:2016/01/17(日) 10:10:56 ID:brQxC10.

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第39回 web誌友会 案内

期間   平成28年1月17日〜2月29日まで
テキスト 「生命の實相」第24巻 参考篇 / 質疑篇
内容   心が肉体に及ぼす力 / 真理の応用および拾遺

     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

6078a hope:2016/01/18(月) 09:38:55 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p7 後から2行目〜

「文化高き」と称するところのわれわれにはぐくまれた最も不幸なる事柄は、自己の内に宿っている自然療能の力を信じなくなったということである。

われわれの住んでいる大都市ではあまりにも病気治療の設備が多いのである。

自然、われわれは病気を予想し、病気を予期し、その結果、心の法則にしたがって病気となってしまうのである。

辻から辻までの間に一軒、少なくとも二辻につき一軒の医院がある。

薬局はどの辻にも看板を麗々しくかかげている。

ちょっと病気らしい兆候があらわれたら来いとばかりに医者と薬やとが誘惑している。

それでわれらは外部の助けにいっそうたよりたがるようになり、内在の療力(なおすちから)が麻痺してしまって肉体の不調和を自力で治すことができなくなるのである。


文化低き時代には、小さな町や村には医者がめったに姿を見せなかった。

それで住民は内の癒力(ゆりょく)に頼って何物にも外物に頼らず、強壮で、強い抗病力(こうびょうりょく)を発揮したのである。


すぐ医者を呼ぶような家庭では、その家庭に育つ子供の健康はみじめな状態になりやすい。

これは医者が来るということによって子供に「自分は弱い」という暗示をかなり強く与えることになるのである。

ちょっと子供の加減が悪いようだとすぐ医者を呼ぶような母親が非常に多いがその結果、その子供の心の奥底には「病気」「医者」「薬剤」などの観念が刻みこまれることになり、生長してからも、その全生涯に影響を与えるものである。


やがて、小児と薬剤とは実に不一致な組み合わせだということが考えられる時代が来ると思う。

小児は愛の暗示のうちに、真理の暗示のうちに、調和の暗示のうちに育てるべきものである。

6079a hope:2016/01/18(月) 09:40:41 ID:cEpBaIdo

>>6078 a hope所感)

いったいどれだけの生長の家の信徒が「肉体は心の影である」という真理を体得しているのでしょうか・・・?

わたし自身は聖典の真理は信じていますが、病気になれば(ほとんどなりませんが・・・)すぐに病院に行き治療を受けます。

自分の病気は過去のわたし自身の悪しき心の影響、もしくは他者からの悪念波の影響で起こることですから、
その自分の悪しき心を直せば、もしくは他者からの悪念波を受けないような良い波動を自分が発すれば病気も治ってしまうことは頭ではわかっているのですが、
わたしの今の信仰状態ではそう簡単に自分の心をコントロールできないこともわかっていますので・・・(;´∀`)

それに、谷口雅春先生も真理の実践の強制はしていなかったと思います。

現在のわたしの信仰状態や悟りの深さでは、もし病気になったらなら医者の治療を受けながら、
「生命の實相」を拝読して真理を悟り、自己内在の治癒力を高めていくというのがベストな方法だと思っています。

6081a hope:2016/01/18(月) 11:54:06 ID:cEpBaIdo
>>6080

最初から、コメント欄に投稿していれば削除もされず、意見交換も可能なのに、
掲示板の規則と秩序を守らない方から、わたしがそのようなご批判を受ける筋合いはありません。

トキさま >>6080 とこの投稿の削除をお願いいたします。
今日はこれから出勤ですので、今後もweb誌友会板に同じような投稿がありましたら削除してください。

6084a hope:2016/01/20(水) 09:47:22 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p9 7行目〜

神は決して彼の愛もて造りたるものを、ただの偶然の暴威や、運命の残忍の手にゆだねて放っておくものではない。

神の造り給いし子供らの生命、健康、幸福は、外部的治療薬の上に万一を慮(おもんばか)ってぶらさげておいては決してないのである。

人間の生命、健康および幸福は、たまたま付近に薬になるべき植物や鉱物が見出されると見出されないとで影響をこうむるようには決して造っていないのである。


神は極小部分の人類しか発見できないような地球の遠隔地にある雑草や鉱物の中に人間を癒やす薬をかくしておいて多数の人間がそれを知らずに死んでしまうような不合理なことはしておくまいと思われる。

人間の病気その他の不幸を癒やす薬をいつまでもすぐ間に合うところの人間の内部に――彼自身のうちに――置いたという考え方がいっそう合理的ではあるまいか。


人間ひとりひとりの内部にはかくれたる力、破壊不能の生命、尽きぬ健康の泉が潜んでいて、それが発揮されれば、われらのあらゆる傷を癒やし、われらのあらゆる不幸を治す薬剤となるのではないか。

6085a hope:2016/01/20(水) 09:49:01 ID:cEpBaIdo

>>6084 a hope所感)

思えば、「生命の實相」に出会う前のわたしは、精神世界には目覚めてはいましたが、
生きとおしの生命や金剛不壊の実相、というものをよく理解してしませんでした。

ですから、自分や家族が病になれば、某大学病院の名医だとか、あるいは気功の名手だとか、アメリカンインディアンの秘薬だとか・・・
常に外部の何か特別に有効そうな何かに頼ってしまうことがとても多かったです。

現在であっても家族が病気になれば普通に病院に連れて行きますし、自分自身も仕事の健康診断で結果が悪ければすみやかに治療を受けています。

それは「病気になったら医者に行く」という、現代の日本社会の常識(集団意識)に逆ってまで、
『真理』を証明する自信もありませんし、その必要も感じないからです。
 
それに、「ねばならぬ」がないのが「生長の家の教え」ですものね!

特別なことをしなくても、普通に今の生活をしながら信仰(聖典拝読)していれば、いつかは必ず『真理』を悟ることができるのが、
「生長の家の教え」だとわたしは思っています。

追伸・・・
「生命の實相」の『真理』に対する肯定的なご意見、もしくはわたしの解釈が違うのではないかというご意見等は大歓迎ですが、
「生命の實相」の『真理』自体に否定的なご意見のご投稿はこのweb誌友会板にはご遠慮ください。(コメント板にご投稿ください。)

6086a hope:2016/01/24(日) 12:06:50 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p24 5行目〜

ごく最近聡明な一婦人にあったところ、彼女は雑誌小説から受けた憂鬱な暗示のために、その日半日以上まるで病気にでもなっていたといった。

その小説は有名な作家の書いたもで、優麗な筆で残忍な事件を描写してあった。

その強き筆致の印象が彼女の心の底にあった病的層に触れて彼女をすっかり病気にしてしまったのであった。


医科の学生が解剖実験室で受ける恐ろしい暗示作用や、病気のことをたえず研究していることからくる恐怖的影響のために病気になることはよくある例である。


これとは逆に、たえず愉快な、希望に満ちた、健全な思考が、肉体に好影響を与えて、病弱をも健康に甦生(よみがえ)らすことができることは当然と言わねばならない。

病者の心は多少ともどちらといえば弱くて、主観的で、消極的である。

そしてまた感じが非常に強くて善悪とも暗示に非常に感化されやすいのである。


これに反して健康者の心は自主的な積極的な自己創造的な態度であって、暗示に対して反発力が強く、病的な思想など吹っとばしてしまうのである。


誰でもたいていはその人が病気の際に、愉快な楽天的な知人から見舞いを受け、希望と勇気とを心のうちにつぎこまれて急に気分が快活になり、その時から病気がよくなるような光明を受けた経験をもっているであろう。


またわれわれは、その病気の際に憂鬱な悲観した気の晴れない見舞客に接すると、自分もまた光明を失っていっそう暗い気分に誘われた経験があるであろう。

6087a hope:2016/01/24(日) 12:08:30 ID:cEpBaIdo

>>6086 a hope所感)

その人(作品・文章)の思想が、「光明思想」であれば、出会った人は希望や喜び、生きる力の影響を受けて健康になる・・・、
反対にその人(作品・文章)の思想が「暗黒思想」であれば、出会った人は希望を失い、陰鬱になり、生きる力を奪われて病気になる・・・


昔と違って、現代の過剰情報化社会では、わたしたちはいろんな「思想」に簡単に触れることができます。

例えば、インターネットで「光明思想」と検索しただけでも2,750,000件もの情報が飛び込んできます。(嬉しいことに、生長の家関係の記事が多いです!)

そういえば、「生長の家の教え」を信仰しているわたしたちは、常に、「愉快な、希望に満ちた、健全な思考」を持ち続け、人類を光明化することが使命なのでしたね・・・。


<<病者の心は多少ともどちらといえば弱くて、主観的で、消極的である。
そしてまた感じが非常に強くて善悪とも暗示に非常に感化されやすいのである。
これに反して健康者の心は自主的な積極的な自己創造的な態度であって、暗示に対して反発力が強く、病的な思想など吹っとばしてしまうのである。>>

心が健康であれば、どんな「暗黒思想」に出会おうとも影響を受けることはないのですね。

テキストを勉強していると、心の健康を保つことの重要性をとても感じます。

6088a hope:2016/01/30(土) 00:12:38 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p36 

不老長寿の秘薬は「心」にあるのであって、ほかのどこにもない。

若く見せようとして若々しい着物を着、若々しい化粧をしたからとて若くなるものではないのだ。

何よりもわれわれはまず自分は年をとりつつあるとの心の念(おもい)を打破らなくてはならぬ。

年をとりつつあるとの念(おもい)が心のうちに根をはっている以上若々しい衣装や化粧が肉体を若返らす力はほとんどないといってよいのだ。

信念をまずかえねばならない。

年齢を肉体に彫刻した念(おもい)をまずくつがえしてしまわねばならぬのだ。


自分は若いのだ!

かく感ずる永遠の若さの信念をもて!

この信念をもつときすでに諸君は老齢との戦いに第一塁をおとしいれたのである。

これを信ぜよ――年齢について自身が心にいだく念(おもい)はすべて肉体にあらわれてくるものであるということを。

肉体は心の習慣的念(おもい)、習慣的感じのあらわれであるから、あなたが今までどんなに長らくこの世に生きながらえてきたからって、遠慮なしに自身を若いと思え。

これはあなたが永遠の若さをいつまでも失わぬようになるために非情な助けとなるのだ。

神は永遠に若い。

神の子は永遠に若くてよいのだ。

晴々した、陽気な、楽天的な希望をもった、愉快な青年のすがたを輝かしく描いて、それを自分自身であると思え。

青年の持ちまえである若々しい夢と理想と希望と、あらゆる輝かしい若さを自分自身のものであると思え。

この考えほど自分自身の年齢の歩みを遅らすものはないのだ。

6089a hope:2016/01/30(土) 00:17:10 ID:cEpBaIdo

>>6088 a hope所感)

<<若く見せようとして若々しい着物を着、若々しい化粧をしたからとて若くなるものではないのだ。>>

これは、ほんとにそうだな〜と感じることが多いです。

わたしも気をつけたいのですが、ある程度の年齢がいった女性が(男性もですが)外見だけがんばって若作りしているほど痛いものはありませんよね・・・(;´∀`)

内面の若々しさがある人って、どんな服装をしても、すっぴんでも若く見えてしまいますよね。

よっしゃ、聖典よんで、神想観して、わたしの内面革命がんばろうっと!

6090a hope:2016/01/31(日) 11:03:39 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p41

「わたしは舞台に立って芝居の客に台詞(せりふ)を聞かすと同じように、年齢にむかってこう叫ぶのである――『年齢よ、おまえがいかにさからうとも、わたしは汝を征服する!』と。」

諸君はここに永遠の若さを保って決して老いざりし世界的名女優の魂の叫びを聞くのである。

彼サラ・ベルナールを知れるものは、年齢に対するこの彼女の挑戦が、ただ豪語でないことを決して疑わなかったであろう。

サラ・ベルナールは六十歳のときなお生き生きした若さを失わず、四十歳を一日も越したようには見えなかったのである。


マダム・バーンハードその他の麗人たちが年齢よりわかく見えていたのは、特に彼らに対してのみ自然の恩寵が深かったというわけではないのであって、それは彼ら自身の年齢に対する心の態度に原因するのである。

彼らは年齢をして容貌にその皺をふるわすことを断固として拒絶したからではないか。

彼らは普通の意味では年寄りにならないことを心のうちに宣言したのだ。

(略)

諸君よ、自己自身の神性を自覚せよ。

人間の生命は「二二ンが四」を支配している数学の法則のように不滅であることを自覚せよ。

如何なる人生の事変も、労苦も、艱難も、自己の本質であるところの不滅の部分には触れることができないことを自覚せよ。

人間の生命は無限の創造活動をつづけているところの宇宙生命の一部分であるということを自覚せよ。

かくのごとき聡明なる自覚に達するならば、彼は決してなお壮年時代の若さにおいて精神力と肉体力の衰退を来すべきはずのものではないのである。


諸君よ、年齢をして断じてその醜悪なる鑿(のみ)のあとを刻ましめないと決心せよ。

しかして心に絶え間なく「吾れ若し」という暗示を与えて肉体の老衰を防止せよ。

人は極力かくのごとき心的努力を払わないかぎりは、人類全体のもつ「老衰」するという心的習慣に打ち負けて、いつまでも容貌にも精神力にも若さを保たせておくことはできないものである。

普通われわれは青年時代にすでに年齢の観念を心の世界に種蒔きはじめる。

そして四十五歳にしてその種の芽生えを見、五十歳にして老年の坂を下るとはなんたることぞ!

6091a hope:2016/01/31(日) 11:04:26 ID:cEpBaIdo

>>6090 a hope所感)

「生長の家」の教えって、ホント常識外れのすごい教えですね。(@_@)

だって、わたしたちに「人類全体のもつ心的習慣に打ち勝って、人類の常識を破りなさい!」と〝 喝〝 をいれてますものね。

これは、唯物論者には受け入れがたい「教え」ですね・・・絶対に・・・。

6092a hope:2016/01/31(日) 11:46:43 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第39回 web誌友会 案内

期間   平成28年1月17日〜2月29日まで
テキスト 「生命の實相」第24巻 参考篇 / 質疑篇
内容   心が肉体に及ぼす力 / 真理の応用および拾遺
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

今日が今月の最終日ですが、2月末日まで第39回web誌友会を続けて開催させていただきます。

みなさまのご参加を心よりお待ちしています!

6093トキ ◆UMw6UoGELo:2016/02/01(月) 21:05:21 ID:VYinVpl.
>>6089

 真剣に行じておられる白鳩さんは、ご高齢になっても、品のある人が多かった思います。
内面からの美しさというのは事実だと思います。

6094a hope:2016/02/03(水) 00:28:22 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p60 2行目〜

諸君よ、暇あるごとに、ポカンとしている一分間の暇に、電車の座席に座るごとに、本当に理想的な完全さを備えた自分自身の相(すがた)を心に描け、健康そのものの姿において、若さそのものの姿において、力そのものの姿において、自分自身を心のうちに思い浮かべよ。

健康を思え。

男は「永遠の男性」とも言うべき最も理想的な男性の姿において、女は「永遠の女性」とも言うべき最も理想的な女性の姿において、最も完全な自分自身を心に描け。

この最も善い方法が神想観である。(頭注版・携帯版八巻「観行篇」参照)

6095a hope:2016/02/03(水) 00:30:06 ID:cEpBaIdo
>>6094 a hope所感)

神想観とは「神さまを想い観ずる」と書きますね。
最近、生長の家総裁である雅宣先生が、FBにとても信仰深いお言葉を載せてくださっているので紹介させていただきます。

『「自分は独りで孤立していると感じるとき、「神さま」と呼びかけて神の御徳を観じよう。そして、「私はあなたの知恵と愛と命の表現者ですから、すべてと一体であり調和しています」と深く何度も念じよう。」

『自分を無力だと感じるとき、空を見上げ、胸をはって「神さま」と明るく呼びかけよう。そして、「私はあなたの無限の力のただ中にあります」と何度も唱えよう。』

『心が波立ち騒ぐとき、端座瞑目して「神さま」と静かに念じよう。そして、「私は魂の深奥において、あなたと一体です」と繰り返し唱えよう。』

どれも素晴らしい「神想観」だと感動しました。

6096a hope:2016/02/07(日) 10:10:16 ID:cEpBaIdo

『生長の家』信徒行持要目

一、 天地一切のものに感謝すべし。

皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の子に感謝せよ。汝の召使に感謝せよ。一切の人々に感謝せよ。天地の万物に感謝せよ。


二、 そのままの心を大切にすべし。

そのままは零なり、一切なり、〇なり。円満なり、無礙なり、無限供給なり、調和なり、病なきなり、一切の不幸、災厄、病難はそのままを外したるときあらわれるなり、顧みてそのままの心に復(かえ)るとき、一切の不幸は滅す。


三、 何事にも真心を出すべし。

憂患は外界より来るに非ず。真心顕れざるを憂患と言う。内に真心なきに非ず。それを顕さざるに過ぎず。真心とは全心なり、全力なり、一生懸命なり。『今』を生かすなり。真心あらわすとき、直ちに此処が天国浄土と化するなり。


四、 一切の人に物に事に行届くべし。

真心顕わるれば自然一切の人に、物に、事に行届くなり、人には必ず深切なるべし、和顔なるべし、声やさしく愛語すべし、如何なる小事にも行届くことを心掛けよ、若し行き届かざることあらば弁解すべからず。真心を顕わすことを怠りたる自分の罪なりとして懺悔すべし。

五、 常に人と事と物との光明面を見て暗黒面を見るべからず。

暗黒面を見る心ある時、その人に暗黒あらわるるなり、光明面を見る心ある時、その人に光明あらわるるなり。人に陰にて誹るべからず。善き面を見つけて賞賛すべし。凡て事と物とに不平言わず、感謝すべし。


六、 常に自我を死に切るべし。

常に肉体本来なく、物質本来なく、自我本来なく、唯神の生命、今此処にあらわれて生くると思いて感謝して作務すべし。


七、 人生を神生となし常に必勝を信じて邁進すべし。

自我を死に切りたるとき、既に『我』なく神の生命のみ生くるが故に、決して失敗を予想せず、明るき心にて日々の業務に獅子奮迅(ふんじん)すべし。失敗と見ゆることも真の失敗に非ず。樹は落葉したるうちに春の花の用意整いつつあるなり。


八、 毎日一回は必ず神想観を実修して、心を光明化すべし。

『菩薩何を為すべきか』より

6097a hope:2016/02/07(日) 10:14:42 ID:cEpBaIdo
>>6096 a hope所感)

テキストの内容から外れますが、何をすることが「生長の家」を信仰するということなのか、わからなくなったので、
『生長の家』信徒行持要目と、その解説を謹写してみました。

これが、「菩薩」つまり、わたしたち「生長の家」の信徒の為すべきことでしたね!

あらためまして、素晴らしい「生長の家の教え」に出会えたことに心から感謝します。合掌。

6098a hope:2016/02/10(水) 00:13:04 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p88 後から3行目〜

二、現象なしの自覚について

(問)―― 病はないということはない。病は現象としてあるのである。それはただ実在ではないのである。
それを「病なし」と言いきるのは言いすぎである。現象は無いことはない、現象を全否定してしまうのはまちがいである。
現象は本体的実在ではないことはもちろんであるが、本体展開して現象となるのであって、現象なしと言いきってしまうのは奇矯だと言う人があります。(中根氏出題)


(答)―― 生長の家では「現象は実在ではない、病は実在ではない」という言葉を各所のページで説いておりますが、また時には、非実在と書いて「あらず」とか「ない」とふりがなをつけたところもあります。

が、近ごろはいっそう平易なわかり易い言葉で、直截的(ちょくせつてき)簡明に『病気はない』『現象はあるようにみえてもない』と力強く言いきることにしているのであります。

わたしがなぜこう言うかは悟った人は知っていると思います。

われわれが平常使っている言葉は、現象界を言いあらわす言葉であって、実相に直参する言葉ではありませんから、その言葉をそのまま利用して、至妙の実相に直参せしめるためには、ふつうとちょっと違う「奇妙に見えるかもしれない」言葉を使うのであります。

言葉は月を指す指であって、言葉の表現にとらわれていては、月を指す指の形が太いとか細いとか議論していると同じで、いつも月が見えないことになるのであります。

6099a hope:2016/02/10(水) 00:14:17 ID:cEpBaIdo

>>6098 a hope所感)

まことの「真理の言葉」というのは、“悟った心”で書かれていますから心に響き気持ちが明るくなりますね。

6100a hope:2016/02/13(土) 08:51:39 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p91 8行目〜

生長の家で、「現象は無い、肉体は無い」とハッキリ「無い」と言いきることに反対する人に二種類あります。

その一説は、色即是空の「空」という字は単に「ない」という言葉と異(ちが)う、アルにはアルのであって何かアル、それは実在でないというだけだ、と言う人であり、その二は「諸法実相」という仏教上の言葉を「現象即実相」と解する人であります。

ところが、仏典には「空」をハッキリ「無し」と断言してあるところもあります。

『般若心経』にも「五蘊皆空」と書いてあって、その「空」を説明するためには、「色受想行識もまた無し」とか、「老死無し」とか、「老死の尽くることも無し」とか、仏教でもやはり「無い」という言葉を持ってきて説明するほかに仕方ないのであります。

「老死」すなわち老いたり死んだりすることは現象でありますが、『般若心経』には「老死というものは単に無いのではない、現象としてはあるのである」というように、長たらしい緩慢な表現の仕方をしてないので、端的に簡明直截的に「老死無し」と一喝し、始めから人間に老死は無いのだから、これから悟って無くなるというようなものでもないという意味をふくめて「老死の尽くることも無し」と言っているのであります。

『般若心経』の用語などでも「空」とは単に無とはちがうというような批評をせられる人から見たら、「老死なし」というのは言葉が奇矯である。

老死は実在に非ずと言わなければまちがっている。

もし「老死無し」というような奇矯なことを『般若心経』に書いたら人心を惑わすものであると経文の結集者抗議を申し込まねばならぬのでありましょうが、その当時は言葉に引っかかる人がなく、用語がまずくても経文の神髄をつかむ人が多くて、その経を読んでも気狂(きちがい)になる人もなく、かえって気狂が治るくらいで、今に到るまで、この経文が改竄されたということを聴かないのであります。


実際に『生長の家』を読んで「不完全な現象はあるように見えてもないのだ」また「ただ至妙の実相のみがあるのだ」と教えられても、続々と病気が治る、環境が治る、経済状態がよくなる実例があらわれるのはなぜでしょうか。

はたして「現象はない」「病気はない」「不幸はない」等々……というふうに「ない」という言葉を使うことが、不適当なのであれば、そういうよい結果が起こることはありません。

6101a hope:2016/02/13(土) 08:54:23 ID:cEpBaIdo

>>6100 a hope所感)

「物質なし」「肉体なし」「悪なし」「病なし」「死なし」・・・「現象なし」と『実相』以外の現象すべてを「なし」と言いきるのが、
まことの「生長の家の教え」ですね。

でもこのことは「生長の家」の教えを知らない一般の人が聞いたら、きっととても奇矯に聞こえてしまうのでしょうね…。


ですが、

「病なし 迷いなし 罪なし これが生長の家の根本真理であります。それでは神さま ただいまより眠らせていただきます。」

とご昇天の直前に、谷口雅春先生は言い遺されました。(最期のお言葉)

この「生長の家の根本真理」を信仰するのが、まことの「生長の家」の信徒の姿ですよね!

6102a hope:2016/02/18(木) 00:11:55 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p97 2行目〜

薬剤に併用禁忌(きんき)の薬があります。

たとえば鉄剤を飲んでから、タンニンを含有するものを飲むと、鉄とタンニンとが結合して、吸収不能のタンニン鉄になるのであります。

生長の家で「病気はない、老死はない、あるように見えても現象はない」と言いきるところに飲み易い(無学者にも解り易いの意)美妙な言葉の鉄剤となるのですが、その「ない」という言葉に茶々を入れる批評を読むときには、その「茶々」の中にはタンニンが含まれていますので、そのタンニンがせっかくの「ない」という言葉の鉄剤と結合して吸収不能のタンニン鉄となり、読者の心に「無」の字の吸収を不完全ならしめ、心の鉄剤の効果を薄めますので、わたしはこれを避けたいと思っているのであります。


近ごろ、生長の家思想の有名なると効果の顕著なるにつれて、その全体の思想を踏襲して包装や名称だけを加えて、一旗あげてみようとし、かつあまり同じことを書いても受け売りであると一見わかるので、同じ意味を異なる文章で書き表し、「何々会」等という別意の名称で雑誌などを出される方がありますが、そういう雑誌の文章は「無」の字の言葉の調合法がちがうので、わたしの処方した「言葉の鉄剤」に「茶々」を入れることになります。

茶々を入れられるとその人の心のうちで、「無」字のバランスがこわれるので『生長の家』を読んで万事好転していた人がその種の雑誌を併用したために「無」字の鉄剤の吸収率が鈍ってふらつく人があります。

そうしてその種の、雑誌の現象はあるとかないとか論じてある文章を読んだ日には、心のバランスが破れてなんとなく不安で、会社にいても思うように仕事が運ばなかったり、集金が集まらなかったり、ついぞ起こらなかった歯痛が起こってきた人などもあります。

「無」を説くのは仏教でも、一燈園でも説いている。

キリスト教でも解釈の仕様によれば「無」を説いているのです。

生長の家と、それらの宗教とどこが違うかと言いますと、「無」字の扱い方が「ない」と易しく言いきって、その「ない」がわたしの文章全体の流れの上に巧みに効果的に織り混ぜられていて、古今に多く類例を見ないような、読む人のこころに端的に作用して、病を即座になおすほどに心の開放を与え、「無」を説くとも隠遁的にならず、かえって積極的な活動力を与える点にあるのであります。

6103a hope:2016/02/18(木) 00:16:47 ID:cEpBaIdo
(a hope所感)

実はこの部分の文章は、5年ほど前に「本流宣言掲示板」で山科さまが紹介してくださっていました。

そしてそのスレッドを拝見したわたしa hopeがコメントし、その後、山科さまからご指導いただいています。

当時のわたしがなぜ、「生長の家」を信仰していたのにもかかわらず、精神不安に陥ったり、体調を壊したりしていたのか、
その原因がハッキリとしたとても重要なご指導でしたので、あらためまして紹介させていただきます。 

http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&amp;mode=res&amp;log=383&amp;submitlog=383


ところで、先日、三重県の練成道場で、とても悲しい事件が起きましたね。

本来なら、「神の子」の実相が顕現して精神不安や病気が治ってしまうハズの練成道場で、なぜ、今回のような事件が起きてしまったのでしょうか?

聖典「生命の實相」の中にちゃんと答えが書いてありましたね。

6104a hope:2016/02/24(水) 10:30:48 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p115 7行目〜

あなたは「肉体人間が聖典を読んで、実相人間を知る」と言われますが、「肉体人間の知恵」がなくなれば、ひとりでに内在の光が発現してきて、「本来の実相」が輝く。

これは「肉体人間が聖典を読んだので実相人間を知った」のではなく、肉体人間(光の虚)がそれだけ減ったので実相が輝き出したのであります。

肉体人間の知恵、はからいをいっさい捨てほど実相人間があらわれるので、「肉体人間が実相人間を自覚する」などということは「迷いが悟りを自覚する」などという言葉と同様で、ありえないことなのであります。

6105a hope:2016/02/24(水) 10:32:08 ID:cEpBaIdo

>>6104 a hope所感)

「生命の實相」に出会ったばかりのわたしは、「肉体人間が聖典を読んで、実相人間を知る」のだと思っていました。

だから、一生懸命努力して「神に近づこう…」とか「神のみ心に沿おう…」「神さまに叱られないように生きよう…」というように、
人間知で「神(実相)」とは何かを想定して、その自分の想定した神のように生きる努力をすることが信仰生活だと考えていました。

ですから、宇治別格本山の練成にはじめて参加した時の個人面接でのO先生のお言葉には衝撃をうけました。


「この宇治別格本山は霊的な雰囲気に満たされていますね。
だから、この練成を受ければ必ず「生長の家の神さま」がわたしを正しい信仰に導いてくださると思っています。」

というわたしの何気ない発言にO先生は、

「あなたそれはまちがっています!
神さまは、あなたの中にいるんですよ。
この練成はそのあなたの中の神さまを開発するための練成会です」

という内容を大きな声で叱咤するように、わたしにご教示くださいました。


他者へ依存したり、外に神を求めるような「肉体人間の知恵」をなくし、
その人の『内在の神』を顕現させるのが「神性開発練成会」の目的だったのですね。

6106a hope:2016/02/28(日) 11:19:46 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p151 

十三、神仏一体なりやまた別異なりやを問う

池永―― 世間では神と仏を別物のように見る向きがありますが、本当は両者は別物ではなくて一の大生命の別名でしかないと理解させていただいていたのですが、『生長の家』の何号かに、ある信徒は神を粗末にしている家に行くとおのずと祝詞(のりと)が口に上り、反対に仏を粗末にしている家へ行くと、またおのずと待無阿弥陀と口へ出てくる云々と話されておって、神と仏はまったく別物であるかのように書かれてありましたが果たして両者は別物でしょうか、また同一物でありましょうか。

もし両者が別物なれば別々にお祭りせねばなりませんけれども、同一者を神という形式(名)で祭り、あるいは仏という形式(名)で祭るのであれば、神か仏の一方を祭ればそれでよいわけでしょうか。

また多くの家庭でのように神と仏を別々に祭るには及ばないのでありますか。

また『生命の實相』の中の「神への道しるべ」によれば種々の名前の神や仏のあるのは、唯一の神(仏)(作用ではなく本体)はただ一つの大生命であるように書かれております。

もしさようなれば、作用である多神多仏を拝まずとも本体である唯一の神(仏)なる大生命だけを拝めばよいのではないでしょうか。

本体を拝まないで作用を拝むのは本末を転倒せるものではないでしょうか。

所説のごとく従来の多くの既成宗教は光源である大生命なる本体を拝まずに光線から発する光線である作用を拝んでいることとなって礼拝の本末を誤ってはいないでしょうか。

迷信ではなく真の信仰を生くるためにまた偶像礼拝ではなく真の神(仏)を礼拝するために右について御教示をお願い致します。

6107a hope:2016/02/28(日) 11:20:55 ID:cEpBaIdo

>>6106 a hope所感)

この池永さんの質問は「生命の實相」の真理を最初に学び、その後「生長の家」教団に入信した信徒であれば誰でも感じる疑問なのではないかと思います。

宇宙大生命である神は一つなのに、なぜ、わたしたちはなぜ様々な神仏を礼拝するのか・・・?

「生命の實相」にははっきりと「唯神実相」の真理を説いている「生長の家」教団であっても、
宇宙大生命である幽の幽なる神である天之御中主神を主斎神としながら、
実際には、その光線(導きの神)である住吉の大神を副斎神として顕斎し礼拝しています。

わたし自身もそうですが、このことは、「生命の實相」の真理を中途半端にしか理解していない信徒にとっては、
とても混乱することなのではないかと感じています。

雅春先生のお答えをじっくり拝読し、謹写していきたいと思います。

6108a hope:2016/02/28(日) 13:11:19 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p152 後から4行目〜

谷口―― 神仏には全集『生命の實相』の「神への道しるべ」の欄に書いてあるとおり、第一義の実相本体の神と、第二義の化身としての神と、第三義の幽身(かみ)、すなわち諸々の霊魂としての神とがあるのであります。

ある信徒(森田益三郎氏)が霊感によって、「この家は仏を粗末にしている。この家は神を粗末にしている」と知るという場合の「神仏」とは唯一本源神なる(神仏)を指していうのではありません。

それは、神式で祀られている霊魂(幽身)または仏式で祀られている霊魂という意味であります。

神式で祀られている霊魂は、たいてい生前または帰幽前後の事情または信仰の継続により、神式の祭祀を喜ぶのであります。

かくのごとき霊魂は神式の祭祀に用うる祝詞をあげてもらうことを喜びます。

かくのごとき霊魂に祝詞をあげること少なければ、森田氏のいわゆる「この家には祝詞が欠乏している」ということになるのであります。

これに反して、仏式にて祭祀せる霊魂はこれまた生前の信仰または、帰幽当時の祭祀の習慣性の継続により、仏教経典を読んでもらうことをありがたがるのであります。

かくのごとき霊に対して読経を怠るときは、森田氏のいわゆる「この家にはお経が足らぬ」ということになるのであります。
(つづく)

6109a hope:2016/02/28(日) 13:12:55 ID:cEpBaIdo

>>6108 a hope所感)

<<神式で祀られている霊魂は、たいてい生前または帰幽前後の事情または信仰の継続により、神式の祭祀を喜ぶのであります。
かくのごとき霊魂は神式の祭祀に用うる祝詞をあげてもらうことを喜びます。
かくのごとき霊魂に祝詞をあげること少なければ、森田氏のいわゆる「この家には祝詞が欠乏している」ということになるのであります。
これに反して、仏式にて祭祀せる霊魂はこれまた生前の信仰または、帰幽当時の祭祀の習慣性の継続により、仏教経典を読んでもらうことをありがたがるのであります。
かくのごとき霊に対して読経を怠るときは、森田氏のいわゆる「この家にはお経が足らぬ」ということになるのであります。>>

「生長の家」の宇治や長崎にある、いわゆる本山と言われているような場所にも、
代々の講師の先生方はじめ数多くの信徒の霊魂(みたま)がたくさん祀られているのではないでしょうか?

上の説明から判断すると、それらの本来の「生長の家」を信仰していた方々の霊魂は、
当然生前または帰幽前後に信仰していた通りの祭祀の仕方を喜ぶということになります。

時代が変わったとか、方針が変わったとかいう理由で、祭祀の方法を勝手に変えてしまうというのは、
本来の「生長の家」の信仰をしてきた多くの霊魂を喜ばせるどころか、迷わせてしまうことにもなってしまいそうですね。

6110a hope:2016/02/28(日) 14:24:22 ID:cEpBaIdo
>>6108つづき)

次に各宗教が大生命なる本体を拝まずに、その光源からくる光線(化身としての精神)を拝むのは本末を転倒せりとの貴説は大変おもしろく思います。

各宗教は太陽を拝まずに、太陽から放射される七色中の一種を拝んでいるというような状態になっているのであります。

だからある宗教は黄色の光線こそ本当の神だと言い、ある宗教では赤色の光線こそ本当の神だと言いなどして、互に相争うようになっているのであります。

しかし生長の家では大生命の光源を礼拝するので、同時にすべての光線(各宗教)を礼拝することになり、決して各宗と相争わず、一切宗教を包容しながら各宗教の神髄に徹せしめうるのであります。

6111a hope:2016/02/28(日) 14:27:04 ID:cEpBaIdo

>>6110 a hope 所感)

<<しかし生長の家では大生命の光源を礼拝するので、同時にすべての光線(各宗教)を礼拝することになり、決して各宗と相争わず、一切宗教を包容しながら各宗教の神髄に徹せしめうるのであります。>>①

『生命の實相』では↑のように述べられていますが、
以下の『神の真義とその理解』では、

<<宇宙大生命(みおやのかみ)即ち宇宙大生命の道を現わし、日本国威を発揚し、国体を明徴にするところの導きの神様として心に幽斎する副斎神として生長の家を礼拝すると云うことをハッキリ本尊の項目にあらわして置きました。
この生長の家大神とは誰方(どなた)であるか、生長の家大神と言う文字の下に括弧をしまして、(『古事記』、『日本書紀』に現われたる住吉大神(すみのえのおおかみ))と申しました>>②

というように、生長の家の副斎神は「住吉の大神」であり、
『宇宙大生命の道を現わし、日本国威を発揚し、国体を明徴にするところの導きの神様として生長の家を礼拝する』と説明されています。
http://www.geocities.jp/seichou5/newpage11.htm
http://www.geocities.jp/seichou5/sub2.htm
(「生長の家研究室」さまのHPより勝手に引用させていただきましたm(__)m
まだすべてを拝見していませんが、貴重な文献の引用が多く、よく研究されているように感じます。)


以前は、『神の真義とその理解』はとても難しく感じていましたが、だいぶ理解できるようにはなってきました。

ですが、わたしはそれでもやはり、この二つの文献『生命の實相』と『神の真義とその理解』の文章の内容にある意味矛盾を感じてしまいます。

日本国民である谷口雅春先生が「唯神實相」(「生命の実相」の真理)を大悟されたことが因縁となり、
住吉の大神のお導きがあって「生長の家」教団が現象界に出現したということでしょうか?

どなたか、ご指導くださるとありがたいのですが・・・m(__)m

6112a hope:2016/03/01(火) 00:07:14 ID:cEpBaIdo

みなさまこんばんは

今日で2月が終わりですから、本当は第39回web誌友会を閉会し、第40回web誌友会を開会するところですが、
ここで少し立ち止まって、今後のこのweb誌友会の在り方を考えてみてもいいのではないかと思っています。

わたし自身は、聖典「生命の實相」のお勉強はぜひ続けさせていただきたいと思っていますが、
「Web誌友会」という名称で続けていくことに少し抵抗を感じています。

この件については、トキさまなんかと相談して、今後どうしていくか決めさせていただきたいと思いますが、
しばらくはこのままの状態で「生命の實相」のお勉強を続けさせていただきたいと思います。

みなさまのご意見等ありましたら、傍流掲示板/別板の 運営/方針板の方にご投稿ください。

http://jbbs.shitaraba.net/study/11788/#2

よろしくお願いいたしますm(__)m

6113a hope:2016/03/01(火) 17:31:26 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p154 

十四、個性はどこから来るか

池永―― われわれは皆異なる個性を持っておりますがこの個性はどこから来るのでしょうか。

俗に「親に似ぬ鬼子」と申して親の性格とは似もつかぬ性格の子供が生まれたりします。

その子供の個性はどこから来るものなのでしょうか。

またその肉体死後はその個性はどうなるものでしょうか。

人間はすべて神の子で完全円満であるとは生長の家の説くところでありますが、この子供(鬼子)はいかに説明されましょうか。


谷口―― 個性は因縁によって来ます。

因に二種あって、一つは本来因で、他は後天因であります。

本来因とはわれわれが大生命より割り当てられた役目であり使命であります。

かくのごとき使命としての個性は、われわれが実相を開顕するにしたがっていよいよ明瞭の度を加えるのでありまして、われわれの生命の悟り(実相の開顕)が進んでくるにしたがって、われわれはいっそう個性的になってくるのであります。


次は後天因によって来る個性は、実相因の個性でも使命でもなく、実相が誤れる念の集積のレンズにより屈折された歪曲(ゆがみ)がすなわちこの個性であります。

かくのごとき個性は芸術制作の場合などにたとえて申しますれば、一種のクセであって本当の芸術的発達の邪魔になるものであります。

このクセがなくならねば、アクの抜けた佳い作品はできないのであります。

クセが抜けして初めてわれわれの芸術が普遍美と共に、本当の個性美を備えるにいたりますように、われわれも縁に従って生ずる念の集積たる後天的(仮相因)による歪曲(クセ)がとれたときに、本当の個性、完全な個性すなわち大生命から割り当てられたる使命としての個性を完全に発揮しうるようになるのであります。

6114a hope:2016/03/01(火) 17:32:49 ID:cEpBaIdo

>>6113 a hope所感)

因縁には実相因と仮相因があるのですね。

まだ、どなたからもお返事をいただいていませんが、偶然にも>> 6111 で質問させていただいた因縁に関する応答がここにありました。


このことにあてはめて私の質問内容を考えてみますと、
つまり住吉大神に導かれて「唯神実相」を悟られた谷口雅春先生の実相因(大生命より割り当てられた役目・使命)が、住吉大神と同質のものだった。

だから、住吉大神を「生長の家」の本尊とされ、「唯神実相」の真理を伝える人類光明化運動とともに、日本国実相顕現運動(愛国運動)もされた…。

そういうことなのでしょうか?

すべての人や物に個性があるが大生命のはからいなのであれば、当然「生長の家」にも個性があるはずですものね。

それが、住吉大神の個性(使命)と同質のものだったということなのでしょうか?

うーん。なんだかわかったような、わからないような…(;´∀`)

6116トキ ◆NeaLgIQX3w:2016/03/01(火) 18:20:30 ID:xH9S83Qg
>>6114

>>因縁には実相因と仮相因があるのですね。

 確かに、この世界は、実相と現象の渾然一体な世界ですから、その通りなんですね。

ただ、高級神界での出来事については、なかなかわからない点が多々あるので、思案する
ところも多いです。

6117a hope:2016/03/01(火) 23:10:29 ID:cEpBaIdo

>>6116 トキさま

<<ただ、高級神界での出来事については、なかなかわからない点が多々あるので、思案するところも多いです。 >>

ほんとですね!

「生命の實相」だって神さまが雅春先生をラッパにしてお書きになった聖典なのですから、その内容は、わたしたちが人間知でいくら考えてもきっと本当には理解できないものなのかもしれません。

だから、わたしたち信徒は聖典の真理を「分かった!」とか思って勝手に解釈せずに、常に謙虚な気持ちで学んでいかなければいけないのですね・・・。

それでも、わたしは聖典「生命の實相」を学ぶのがとても楽しいです。

これからも、マイペースでお勉強をつづけていかせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

6118a hope:2016/03/02(水) 09:57:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p156 9行目〜

苦痛とは「迷い」のケミカライゼーション(自壊過程)であります。

栗のイガがパチリと破裂する時の激震のようなものであります。

栗の果実は「実相の世界」においてはすでに成れる存在でありまして、イガが破裂しなくとも、それ以前からすでにあるので、すでに完成しているから、小粒から大粒へと生長することもないのであります。

しかるに現象世界は、実相世界が時間空間のスクリーンの上に展開されたる映画的世界でありますから、時間的序列の上に、空間的ひろがりの上に、順序を追うて展開してゆくのであります。

ところが実相がそのまま現象世界に展開してゆくだけならば、栗のイガがパチリと破裂するにも不調和な振動を伴わないでリズミカルな調和した諧調をもってイガが破れ実相が展開してゆくのであります。

もし事件の展開に不調和な振動(苦痛・不幸)が感じられるならば、それは本来因(実相)の展開ではなく、後天因(ウソの本物でない妄念)の自壊が伴っているのであります。

こういう「ウソの本物ではない妄念」の自壊作用として、ある発達程度の人の向上のためには、苦痛不幸が来るのであります。

ある発達程度以上の人にとっては、もうその人の生長のためには、苦痛不幸は必要ではない。

もうその人には「ウソの本物でない妄念」が伴わない。

「ウソの本物ではない妄念」が伴わなければ、それの自壊作用(苦痛、不幸)が起らない。

大勢の生長の家信徒諸君が、「生長の家」や、『生命の實相』を読んで、今まで病苦、人生苦が大いに軽減したり、病気が全然なくなったり、生活難が全然消えてしまったような実例を無数にあげているのは、「ウソの本物ではない妄念」がこれらの神誌・聖典を読むことによってなくなるから、すでに無いものは自壊作用を起こす必要がないために、苦痛、不幸が起らなくなるのであります。

地上天国の出現とは要するにこの「ウソの本物ではない妄念」が大多数の人類から消滅するために、苦痛、不幸がほとんど見られないところの理想世界が現象世界に出現することであります。

このように「ウソの本物ではない妄念」を人類から取り去りさえすれば人類の生活は光明化するほかなない、それが生長の家では人類からこの「ウソの本物ではない妄念」を取り去るための文書伝道を大々的に行ない、思想宣布によって地上天国の実現を促進しようとしているのであります。

6119a hope:2016/03/02(水) 10:00:17 ID:cEpBaIdo

>>6118 a hope所感)

<<苦痛とは「迷い」のケミカライゼーション(自壊過程)であります。>>

そして、

<<もし事件の展開に不調和な振動(苦痛・不幸)が感じられるならば、それは本来因(実相)の展開ではなく、後天因(ウソの本物でない妄念)の自壊が伴っているのであります。>>

その解決策は?

「聖典」の拝読」ですね!
でも、「迷い」の混じった「聖典以外のもの」をいっしょに拝読されませぬように十分気をつけてくださいね。

6120トキ ◆NeaLgIQX3w:2016/03/02(水) 18:47:37 ID:CrZ0kDBY
>>6117

 ありがとうございます。こういう時期だからこそ、聖典の勉強は必要だと思います。
応援をしています。

6121a hope:2016/03/05(土) 13:31:14 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」p163 後から1行目〜

あなたのようにむつかしく、理論や理屈で攻め立てて来る人には「たましいの語の定義は?」などというようなむつかしい詮議が必要となって来るのでありますが、『生命の實相』の本はむつかしい理論や定義を書いたものではありません。

理屈ぬきの心になって、素直に読めば老人にも子供にも解るのでありまして、どんな大学者にでも理屈でサバイてゆこうという心ではわかるものではありません。

真理は中心に飛込んで摑むことが必要で真理の周囲をドウドウ廻りしてその形態模様を調べているようなことでは結局真理を摑むことができませんから御注意下さいませ。

6122a hope:2016/03/05(土) 13:32:41 ID:cEpBaIdo

>>6121 a hope所感)

これは「聖典」を拝読していく上で、一番気をつけなければいけないことでした。
「真理の言葉」はただただ素直に拝読することが大切なのでした!

6123a hope:2016/03/06(日) 17:23:43 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第24巻 p186

(問) 最近「光明思想普及会」が成立いたしまして、その豊富な広告力とめざましき活動によりまして、全世界が生長の家の光明思想に浸潤して行きます様子は大変結構なのことだと存じていますが、その広告宣伝の方法について私は一つの疑義をもっています。

というのはその広告に引例されたる事実談が、すべて奇跡的な異常な(われわれは体験があるのであたりまえのことだと思いますが)事実ばかりであることです。

かくのごとくでは、宗教というものは異常の世界であるという誤解を一般人にもたせ、また、一方識者からは宗教はそんな表面の世界の奇跡のことではない。

生長の家がそんなところに止まっているのでは、生長の家は実につまらない何某教同様の宗教だとの誤解を受ける惧(おそ)れがあると思います。

その御平生(ごへいぜい)の主張に近ごろの広告文は反対であって、行文(こうぶん)の重心が奇跡にあったり、病気にあったりしているのはすこぶる遺憾であると思います。

むろん私は『生命の實相』を読むことによって病気の治った一人であります。

奇跡も疑うわけでもなく、病気の治る事実も疑うわけではありませんが、その宣伝が奇跡や病気治しに傾いているのは生長の家の神髄を誤解させるおそれがあると思って大変残念に思うのであります。

どうか宣伝部の方々に、もう少し質実な落ちついた宣伝ぶりをしていただいて、生長の家が健全な発達をするように祈ってやみませぬ。(東京、大正大学学生、T生)

6124a hope:2016/03/06(日) 17:28:45 ID:cEpBaIdo

>>6123 a hope所感)

現在の生長の家総裁である雅宣先生や純子先生は「生長の家」の奇跡の体験談をあまりお好きではないという噂を聞きますが、
おそらくお二人は、このT生という大学生と同じような疑義をお持ちだからなのかもしれませんね。

つまり

①<<広告に引例されたる事実談が、すべて奇跡的な異常な事実ばかりで>>

②<<かくのごとくでは、宗教というものは異常の世界であるという誤解を一般人にもたせ、>>

③<<一方識者からは宗教はそんな表面の世界の奇跡のことではない。生長の家がそんなところに止まっているのでは、生長の家は実につまらない何某教同様の宗教だとの誤解を受ける惧(おそ)れがある>>

とお感じになっているからなのではないでしょうか?


このわたしの見解に関するコメントは大歓迎ですが、コメント板の方にご投稿をお願いいたしますm(__)m

こちらには、雅春先生のご回答を謹写していきます。

6126a hope:2016/03/07(月) 00:56:56 ID:cEpBaIdo

>>6124 つづき
「生命の實相」p187 5行目〜

(答)
いろいろ御注意下されありがとうございますが、あなたのような仏教を専門に研究されていられる方には、釈迦に説法でございますが、『法華経』の譬喩品(ひゆほん)にある次の話を思いだして下さい。

紙面をとらないように、信徒小塚晴弘氏の要約によります。


あるところに長者があって、まことにたくさんの財宝や大きな家を持っていました。

その家の一つは古び腐れていましたが、それがものすごい火事になりました。

しかし、その家の中には何十人の子供たちが「家事の恐ろしさ」を少しも知らずに、かえって火事をおもしろがって無心に遊びたわむれています。

長者はなんとかして、この子供たちを無事に、この「今にも焼け落ちようとしている火宅」の中から、広い安全地帯へ救い出したいものだと考えて、「おい子供たちよ、急いで門の外へ出ておいで、とても珍しい、とてもおもしろい立派な鹿車(ろくしゃ)や、羊車(ようしゃ)のおもちゃをあげるよ」と言いました。

すると、子供たちは喜んで、急いでその焼けている家の中から飛び出して、広い通りへ無事出て来ました。

そこで長者は、一同に「おまえたちはみんな自分の子だから、これをあげよう」と言って、みんなに同じように、おもちゃの鹿車や羊車でなしに、ほんものの大きな七宝ずくめの立派な立派な生きた白牛がこれを曳き、多くの従僕(しもべ)らが護衛しているような車を与えました。

「この火宅の中で無心に遊びたわむれている子供らこそは汝ら衆生であり、おもちゃの車をあげようといって、彼らを救い、ほんものの立派な車を彼らに与えるものは仏である。」

(つづく)

6127a hope:2016/03/07(月) 00:58:21 ID:cEpBaIdo
(つづき)

あなたはこの譬話(はなし)を読まれた瞬間に、「そうであったか。なるほど、なるほど」とお解かりになるでありましょう。

生長の家で病気治しや奇跡を宣伝するのは、病気治しそのもののために、奇跡そのもののために宣伝するのではありません。

それは「今にも焼け落ちようとしている火宅」から一切衆生を安穏の地帯に救い出さんがために、「ここまでお出(い)で、おもちゃをあげよう」と言って誘い出すための玩具(おもちゃ)なのです。

おもちゃだと言っても、ただ嘘の方便ではない。

君も体験しておるとおり、本当に病気が治るのでありますが、肉体を治したいところが、それは、百年長くて二百年すれば消えてしまうところの、「本来ない肉体」なのです。

われわれはそういう「有限の宝」を与えるために大衆を呼んでいるのではない。

猫に小判という言葉がありますが、赤ん坊に百円札をやってもありがたがらないでしょう。

「有限の肉体の癒し」や、ちょっと不思議な現象界の奇跡のごときは「永遠の生命を摑む」という真実の無限の富の前には、極めて小さなることであります。

しかし、無限の富を見せても、「赤ん坊に百円札」のような結果になるのではその赤ん坊を救うことができませんから、まず赤ん坊の欲している玩具を与えて玩具を模型として研究さすことが必要なのであります。

「赤ん坊とは」実際に病気や家庭苦に悩んでいる人の喩えでありましてこういう人たちには、「その病気や家庭苦の治る道があるからここへ来い」と言って引っぱり寄せ、その病気や家庭苦を実際に治してみせて、この模型により「三界唯心所現」の理を知らせるということにすると、その人が救われるのであります。

病気や家庭苦の顕れまたは消えるのは、これ「三界唯心所現」の一大理法「模型」すなわち「玩具」であります。

そして健康を回復し、家庭が治まるのは、これ人間仏子(または「神子」)の、一大実相の「模型」すなわち「玩具」であります。

この模型によって研究し、児童の遊戯心を利用しつつしだいに工学の蘊奥(うんおう)を極めしめれば、幼児の玩具についての経験から発達してついには多数の旅客をのせて一時間に百マイルの速力で走るような飛行船も造ることができるようになるのであります。

(つづく)

6128a hope:2016/03/07(月) 00:59:14 ID:cEpBaIdo
(つづき)

『法華経』を説くときにもお釈迦さんは、「止みなん、止みなん、この真実を説いたら、お前たちは誤解して地獄へ堕ちるであろう」と言っていられる。

「人見て法説け」でありまして、大衆に対する新聞広告のごとものは、あれでも高尚すぎるくらいであります。

薬で病気が治るということはわかっても心で病気が治る、さらに三界は唯心の所現であるなどということは解らない人が多いので、これをわからすためには、新聞広告をまだまだ大々的にする必要があると思います。


実は、生長の家は「平凡な生活がありがたい」ということを知らせる真実の教えだと言われますが、平凡でなければありがたくないのでは捉われた見解です。

病気が治る事実を発表したらありがたくなく、平凡で感謝している人を発表したらありがたいのでは、偏った考えではありませんか。

むろん平凡な生活もありがたいし、異常な奇跡もありがたいのです。

自分が平凡でありがたいから、他人が奇跡をありがたがってはいけないということもないはずです。

本当の真理を言えば「奇跡」がありがたいのでもなく、「平凡」がありがたいのでもないのです。

「奇跡」の奥に「平凡」の奥にあるわが生命の実相が本来神であり仏であることがありがたいのです。

周囲が明るいからありがたいのでなく、自分が光体であることがありがたいのです。

自分が光体であるがゆえに周囲へ振り向けば、そこに時には「奇跡」という光線となって現われ、時には「平凡」という光線ともなってあらわれるのですが、どちらの奥にも自分の光体たる実相が輝いているのでありがたいのであります。

6129a hope:2016/03/07(月) 01:02:35 ID:cEpBaIdo

>>6126 6127 6128 a hope所感)

「三界唯心所現」の真理(横の真理)を衆生に説いて現象的に救済するのが「方便法」で、
「唯神実相」の真理(縦の真理)を説いて悟らせるのが「真実法」なのですね。

個人を救えない宗教はニセ宗教。 個人を救わない宗教家はニセ宗教家。
ニセ宗教もニセ宗教家も本物ではないのでいつかは消えてしまうのでしょうが・・・。

そして、これはわたし自身が自戒することですが、
どんなに理想論を掲げても、身近な人ひとり救えないのでは真の「生長の家」の信仰者ではありません。

6130a hope:2016/03/07(月) 09:37:13 ID:cEpBaIdo
>>6128 訂正

誤【実は】、生長の家は「平凡な生活がありがたい」ということを知らせる真実の教えだと言われますが、

正【君は】、生長の家は「平凡な生活がありがたい」ということを知らせる真実の教えだと言われますが、

すみませんでした。m(__)m

6131a hope:2016/03/07(月) 09:39:39 ID:cEpBaIdo
昨晩、遅かったのでちょっと頭が回らなかったのですが、自分の謹写したところを読み返して気づいたのですが、
釈迦が『法華経』を説くときに「止みなん、止みなん、この真実を説いたら、お前たちは誤解して地獄へ堕ちるであろう」とおっしゃった真実とは、
つまりは生長の家の「唯神実相」の真理のことだったのですね。

上の文章中では最後のところ、

<<本当の真理を言えば「奇跡」がありがたいのでもなく、「平凡」がありがたいのでもないのです。
「奇跡」の奥に「平凡」の奥にあるわが生命の実相が本来神であり仏であることがありがたいのです。
周囲が明るいからありがたいのでなく、自分が光体であることがありがたいのです。
自分が光体であるがゆえに周囲へ振り向けば、そこに時には「奇跡」という光線となって現われ、時には「平凡」という光線ともなってあらわれるのですが、どちらの奥にも自分の光体たる実相が輝いているのでありがたいのであります。>>

この部分ですね。

特に、

<<「奇跡」の奥に「平凡」の奥にあるわが生命の実相が本来神であり仏であることがありがたいのです。>>

という件ですが、

実際、病気や生活難で苦しんでいる人間が、いきなりこの『法華経』の悟りつまり「唯神実相」を悟るということは在り得ないことかもしれません。


それにしても、<<誤解して地獄へ堕ちるであろう>>とは、ちょっと怖いお言葉ですね。

6132a hope:2016/03/07(月) 10:30:09 ID:cEpBaIdo

そういえば、以前、小乗と大乗を勉強している時にも>>5379 、わたしは『法華経』の譬喩品(ひゆほん)話を思い出していました。
(それは、この生命の實相の24巻からの引用ではなく、以前、通っていた曹洞宗のお寺の住職さんからの法話の紹介でしたが・・・)

真理って、繋がってくると楽しいですね!

6136トキ ◆NeaLgIQX3w:2016/03/07(月) 19:51:34 ID:.ksywd3s
>>6127

 この部分を拝読して思い出すのが、かって生長の家本部の神癒祈願部におられた磯村得弥先生です。
磯村先生は、若いころから熱心な信徒さんでしたが、事業で成功する志をたて、生長の家の信仰を事業
に生かして大金持ちになられました。河口湖の練成道場の建立のきっかけとなったのは磯村先生の提言
ですが、当時は不動産屋さんをしていたと話をされていました。

 しかし、ある時期に、きれいさっぱりと事業から手を引かれ、晩年は本部講師として本部に勤めら
れ、神癒祈願部で個人指導に専念をされました。留学生のお世話もされていたと聞いております。
お子様も音楽家として大成されたと言います。

 いきなり本部に入るのではなくて、やはり事業で成功したからこそ、しみじみと何が大切かを
知られたのではないか、と感じます。

6137a hope:2016/03/07(月) 23:40:47 ID:cEpBaIdo

>>6136 トキさま

「生命の實相」を拝読していると、昔は「生長の家」を信仰することで病気が治り、生活難も解消され、
運命が劇的に好転するなんてことはあたりまえだったようですね。

その磯村得弥先生というお方も、若いころから「生長の家」を熱心に信仰されていらしたのですから、
きっとその功徳もあって、事業も成功されて、お子様も御立派に育て上げられたのでしょうね。

でも晩年その事業をやめられて本部講師になられたというのは、現象世界での物質的成功が、
必ずしも生き甲斐や使命感みたいな、本当の魂の喜びには繋がらないということを悟られたからなのでしょうね。


わたしも、もう何年もこの掲示板で「生命の實相」を学ばさせていただいています。
最近では、自分も「生長の家」の信徒として個人救済をしてみたいと思うようになりました。

ですが、現生長の家総裁である雅宣先生の二元論の教義内容や、現象を扱った環境運動等の現「生長の家」教団の実態を考えると、
自分が「生長の家」を信仰していますとさえいえないのが現状です。

このような切実な信仰的問題に関する悩みを訴えることも、総裁や教団を批判をしているということになってしまうのでしょうか?

6138a hope:2016/03/07(月) 23:46:10 ID:cEpBaIdo

トキさま

わたしがこのweb誌友会板で、教団の運動や総裁の教義内容を批判することで、また、掲示板が荒れるのは本意ではありません。

曳馬野さんなんかは、この板の名前に「誌友会」という名称がついていることが気に障るのではないのでしょうか?

現在の「生長の家」の誌友とは、雅宣先生や純子先生のご思想満載の「白鳩」誌とか「いのちの輪」誌なんかを読まれている方々のことで、
「生命の實相」の誌友とはかけ離れたご思想の方々のことのような気がします。

というわけで、もうこれ以上ここで「web誌友会」を開会するのを控えさせていただきたいと思います。

ですが、今後も「生命の實相」の勉強会は続けさせていただきたいと思っていますが、どうしましょうか?

できれば、違う名称のスレッドを作っていただけるとありがたいのですが・・・。

6139トキ ◆NeaLgIQX3w:2016/03/08(火) 10:59:19 ID:8fn5SkYo
>>6138

a hope 様

 いつも誌友会の運営、ありがとうございます。

 ご提案に感謝申し上げます。一度、別板の運営板で、その点についてお話し合いができればと考えています。
名称や板の規約についても、ご提案がありましたら、ぜひ、ご投稿をお願いします。

http://jbbs.shitaraba.net/study/11788/

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

6140トキ ◆UMw6UoGELo:2016/03/14(月) 12:44:32 ID:fwki8rZM
謹告

 まもなく、この

Web誌友会 板/2 のスレッドを閉鎖し、代わりに

『web「生命の實相」輪読会』 板

を開設の予定です。

『web「生命の實相」輪読会』 板のリーダーには、引き続き、a hope 様にお願いする予定です。

皆様、引き続き、ご支援、応援をお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

6141神の子さん:2017/03/01(水) 00:06:51 ID:GFWemD/o
150万円程度の中性子線測定器で正常値が0.00μSv/hのはずの中性子線が特定個人の元ではか不明だが測定されてしまう
https://www.youtube.com/watch?v=8R0luOy8ce8

新幹線の中やその付近でも27万円程度の測定器で正常値が0.058μSv/hのはずのガンマ線が特定個人の元ではか不明だが最大測定値を上回る形で測定されてしまう
https://www.youtube.com/watch?v=41lQN7rF3fQ

ベータ線(ガンマ線)を一つ計測すると、一回"ピィ"と鳴る測定器で正常値が約55カウント/min程度のはずが観測者の自宅では大きくそれを上回ってしまって測定されてしまう
https://www.youtube.com/watch?v=4veAJaorl1s

6142神の子さん:2017/03/19(日) 17:25:05 ID:ujnPaRNY
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6143神の子さん:2018/02/28(水) 19:14:00 ID:K/QVp5KE
http://goodlg.seesaa.net/article/451406304.html

6144神の子さん:2018/10/08(月) 07:51:55 ID:XVhX1PHw
日時:2018年10月08日 (月) 00時23分
名前:規約一部

7335: 志恩 :2017/01/09(月) 13:02:29 ID:6hRUvSRg
トキさんが、志恩に反論されると思いますので、もうしばらくお待ちください。
私は、これから、出かけるところです。
私は、トキさんのご意見に従います。

7336: 行ってらしゃい :2017/01/09(月) 13:08:00 ID:6P9xE/L6
>>7335
逃げまくり。証拠発見

7337: トキ ◆NeaLgIQX3w :2017/01/09(月) 14:15:16 ID:rpznmRAo
>>7335

 平素は弊掲示板をご利用くださり、ありがとうございます。

 色々とご心配をおかけして申し訳ありません。

この「したらば」掲示板は大変よくできた掲示板ですが、アラシ投稿には少し弱くて、ご覧の通り、アラシ投稿が横行する事態になっています。
そこで、「続したらば」掲示板を設置しています。こちらは有料ですが、アラシ投稿対策には強い掲示板です。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2.html

 今すぐの全面移行は難しいですが、真面目な投稿をしたい人は、順次、こちらをご利用くだされば幸いです。

 時期を見て、この「したらば」掲示板は閉鎖するか、名称を変更するか、にさせていただきます。

今後ともよろしくお願いします。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

6145神の子さん:2018/12/28(金) 23:05:59 ID:7W2PGskg
「したらば」掲示板一時閉鎖のお知らせ (5323)
日時:2018年09月21日 (金) 10時46分
名前:トキ

 平素は「生長の家「本流復活」について考える」をご利用くださり、感謝申し上げます。

 旧 生長の家「本流復活」について考える(したらば版)ですが、最近、シャンソン様などが書き込みを繰り返しているので、正常な状態ではなくなってしまいました。とはいえ、このまま「掃除」をしても、イタチゴッコです。そこで、一旦、書き込みを停止し、その間にアラシ投稿を削除したいと思っています。閉鎖の日時は後日おしらせします。清掃が終わった後に、再開したいと思います。

 なお、この「生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)」は閉鎖などはしませんので、ご安心ください。
 
 以上、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。


管理人敬白

6146空き家の住人:2019/01/06(日) 18:19:56 ID:MBTwK0G6

>>6142 :神の子さん :2017/03/19(日) 17:25:05 ID:ujnPaRNY
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WEB誌友会版に2年も載せておくトキ管理人が

清掃後再開します、といってもね。今でも書けるし清掃もしていない。

いうだけ管理人なんですね。掃除すると云ってから3か月半。


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