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現代人が納得できる日蓮教学

234犀角独歩:2005/10/04(火) 10:20:40

―233からつづく―

対して、松山師は、法華経における合成語を考えるのであれば、同時代の、もしくはそれ以前の、類似した用法を参考にすべきなのだと指摘します。

たとえば、narasimha という合成語の場合、nara は人、simha は獅子であり、これを以上の次第で訳せば、この人は獅子のごとしとなるが、実はこれまったく違う、narasimhaとは頭が人で体が獅子であるという想像上の生き物を指しているといいます。
また、nabhipundarika という場合、臍(nabhi-)が白蓮のごとし(pundarika)というのではなく、これは Visnu(ビシュヌ神)の臍を意味する合成語で、まさにビシュヌ神 の臍は白蓮そのものなのだといいます。また、一つの例なのでしょうが eka-pundarika という合成語の eka は「唯一の」ということで、であれば「唯一の白蓮華」となりますが、しかし、これは白象の名前として文献に載ると言います。白象は国の宝であり、大切なものであることからこの名前が付けられたとのことですが、名が白蓮でも、その実体は象であるという例です。

この pundarika という語は白蓮というのがもはや常識となっていますが、2000年前から1000年前の文献を見ると一概にそうとは言えないとも言います。

これは既に常識になっていることですが、法華経原典では、pundarika のほかに padma が使用されるわけで、経典=pundarika に対して、地涌菩薩は padma になっており、白蓮と紅蓮の相対関係があることが指摘されます。(なお、ここで考証するのに関連するかどうかわかりませんが padma の末尾が padm[-/a](aの上に-が付く=音を伸ばす、強いてカタカナで書けばパドマー)となると、女性形)

また、pundarika は白蓮ばかりではなく、虎(インドにおける最強の獣)を意味することもあり、上記、 nabhipundarika の用法に見られるように、松山師は、しばしば Visnu との関連で語っていました。師が仰ったことではありませんが、以上のことから法華経の成立とその経題は、Visnu 信仰と何らかの関係があるのかという思いを起こさせます。また、羅什が「慧日大聖尊」(方便品)と訳した naraditya は、nara は人間、aditya は際限のないものという意味で古くから太陽を指す語であると言います。これを、岩本師は「人間の太陽」と訳すわけですが、先に見宝塔品に使われる saddharma-pundarika が釈尊を指し、この pundarika は天上の白蓮=太陽に対応する地上の太陽を意味するので、ここから類推すると地上の太陽である白蓮=釈尊は地上にいる人間の太陽的な存在であるという意味なのでしょう。通じて、考えるとき、Visnu に使う pundarika 、また、naraditya という釈尊に対する形容を示す古層に属する方便品の合成語は、法華経を産んだ先行文化の影響を窺わせるようで興味深いものがあります。

それはともかくとしても、以上の用法と併せ、saddarma が agradharma に代わり、散文で使用されるに至る過程も踏まえて、法華経の経題は訳さなければならないというのが松山師の主張です。では、何と訳すべきかということになりますが、実はこの点は、講義が現代進行形であり、今回の講義では、その答は示されませんでした。

また、松山師は漢訳仏典に記される訳出年代は疑ってかかること、また、学説は頭から信頼しないことと常に注意を促します。

以上、敢えて、横道に逸れ、昨日の松山師の講義に触れたのは、現段階では、学術的見地からしても、現代人が納得できる日蓮教学を考える前提の依経である法華訳、それも経題一つを取ってもかくのごとしであるという現実をロムの方に知っていただこうと思ったからです。

235犀角独歩:2005/10/04(火) 10:30:21

【215の訂正】

誤)深いな表現
正)不快な表現

【221の訂正】

誤)経題の説明だけ前科雷から通じて
正)経題の説明だけで前回から通じて

236犀角独歩:2005/10/04(火) 13:18:58

【235の訂正】

誤)「sabha-『牝牛』…vrsa-『牝、男』…」(P410)
正)「rsabha-『牝牛』…vrsa-『牝、男』…」(P410)

237犀角独歩:2005/10/04(火) 17:14:38

Pohさん

さて、先に法華経題に関する松山師の講義をやや紹介し、まあ、答えとしたわけで、逐一レスは長文になるからやめようという提案も賛成なのですが、何点か、コメントをしないと齟齬が生じることもあるので、最低限の部分だけ、レスさせていただきます。
まあ、書かないつもりでしたが、お互い一種の職業病でしょうか(笑)

> もし余計なお世話だったら、お詫びに今度ビールでもおごります(笑)

いえ、余計なお世話ということはなく、また、この前、ご馳走になりましたから、むしろ、お返しをするのはわたしのほうでしょう(笑)

> 3)……むしろインドから見れば、異文化・異民族の地であり人々

これは、そのとおりだと思います。
法華経制作者は、インドというか、実際に話題にしている場所を知らないのだろうと思います。その第一が霊鷲山の記述で、「万2千人」の弟子と一緒だったというわけです。
実際、わたしもインドに行っていないので偉そうなことは言えませんが、インドに四半世紀いた行明師に聞けば、本当に小さな山…、というより高台、丘のような場所で、そんな人数がいられるはずもないとのことでした。つまり、法華経創作者は、実際の霊鷲山ではなく、たとえば日蓮が「霊山浄土」などというのと同じような神秘化された別天地をイメージできる距離を置いた場所でイメージしたのでしょう。

> 6)…後代の加筆修正

この点は、一字三礼さんも触れられている点ですね。
むずかしい。まず梵語に関していえば、まったくこの点ではわたしはお手上げで、学者諸姉の研究を参考にするしかありません。けれど、可能性はあるだろうと思います。

では、漢訳はとなりますが、翻訳終わり次第梵本を捨て去る中華方式は驚く以外ありませんが、反面、そのため、以降の再翻訳・考証はできずテキストは固定化したというのが実際のようですね。ただし、日本で流通する妙法華も諸本ありで、端的な例を挙げれば、版を買って「大石寺版」とする妙法華(信者を馬鹿にするにも程がある!)は平楽寺版だと思いますが、実はこれは日蓮が使ったものとは違うとのことでした。

また、Pohさんもご指摘のとおり、27品が途中から28品になったわけですから、これは加筆というか、編集ありということになります。

> 商工業者の支持を得ていた

これは長者窮子の譬えなどからも法華経と貨幣制度=商工業の関係は窺えるでしょうね。今さらいうことではありませんが、シャキャムニの時代は貨幣制度は、発達していませんでした。お坊さんには嫌な顔をされるでしょうが、初期教団は、そもそも金銀財宝で供養を受け取ることを禁止していましたし、なにより、財産どころか、食物すら貯蓄することを禁止していました。それは原始釈迦教団の偽らざる実像でしょう。

> 法華経制作者集団の境遇に関しては、いまだ謎

まったくそのとおりですね。

238犀角独歩:2005/10/04(火) 17:15:24

―237からつづく―

> 崇高な精神、そして迫害に対するあの毅然たる姿勢、忍耐への決意、孤高なる殉教精神――それらはいったいどこからきた

ここは実に興味深い点だと思います。やはり西方の影響としか思えないのですが、この点では、しかし、根拠がありません。描写から読み取るほかありません。しかし原本から読み解きはあるのでしょう。

そのテーマはまさに救世主思想であり、終末思想であり、そして、殉教精神です。こんな考えは、旧来の仏教には見られないわけで、糸を手繰れば、菩薩から弥勒(マイトレーヤ)、ミトラ。このことは、ここでも議論されてきたことです。ところが、この弥勒を漢訳でいえば求名、岩本訳では「ヤシャス=カーマ(名声を欲しがる者)」(上 P51)というわけです。まあ、この名前は、弥勒に対してかなり辛辣であり、この弥勒信仰に対抗心を感じさせながら、しかも、摂取するという構えです。となれば、直接の流れであるとは言い難いことになります。はて、いったい、この創作者集団とは?と考えさせられます。実際のところ、法華経に出てくる菩薩のように、活躍した人々など、まったく存在せず、1から10まで完全の物語という可能性もあるのかもしれません。わからないところです。

> 「仏教の漸衰滅亡を示す言葉とそれを使ったロジック」は、少なくとも法華経の専売特許とまではいえない

これはもちろん、そうでしょう。第一、『大集経』があります。
正像末を考える基礎理論は、後天的な年限指定(50年、100年、500年、1000年)のほかに、もう一つ要素があります。いうまでもない教・行・証です。まあ、この点は追って記そうと思います。

> 習合に習合を重ね、また「ええとこ取り」することなど当たり前で、要は「何でもあり」

これまた、しかり。ごもっともです。

> 法華経梵本に見られる「仏教の漸衰滅亡を示す言葉…時代の流行……「憂い」「鬱憤」…上座部の優位…干渉・排除に対抗する大乗教団共通の論法

ここのところは実に難しいところですね。
いずれにしても、先行勢力に対する抗いを感じます。
非常に穿った言い方なのですが、このようなロジックを使う集団にとって、それ以前の教え(法)と集団は滅んでくれないと自分たちの優位がないという仕組みもあるのではないでしょうか。

これは、特に富士門系教学でも同様な点です。「白法隠没」とか、像法の仏に代わって、久遠本仏=日蓮が現れるとかいう論法は、要はそれまでのものは滅んだ、だから自分たちだという極端なご都合主義で一貫されています。わたしはこのような姿勢にはまったく反対で、法華経のなかでも法滅尽で一貫しているのではなく、独り寿量品では、五百塵点劫のさらに今後2倍の寿命を有する仏がここ娑婆世界で「常住此説法」するというのであって、末法どころの騒ぎではないわけです。ところが寿量品が肝心だと言いながら、法滅尽だというわけです。いったい、何を言っているのだというのがわたしの思いです。この極端な矛盾が平然と無視されて、やれ末法だというのは、どうにもわたしは納得がいかないわけです。

239犀角独歩:2005/10/04(火) 17:17:04

―238からつづく―

しかし、わたしなりにこの点を読み解けば、ここで末法と仏の霊山常住と地涌菩薩の娑婆弘教を整合させるのは、何かといえば、肉体が滅びたように見せかけた如来が永遠に住み続ける場所は娑婆は娑婆でも、霊山限定であり、ここばかりは、何が起きても絶対に壊れない限定地域、何故ならば如来がいるから。しかし、他の娑婆は違う、そこで菩薩は法を弘めろという、教えは模倣を通り越して、もはや潰えている、陸続きの神秘の聖地・霊鷲山とは違ういうコンセプトに基づいているのだろうと、考えます。

これは岩本師がよく指摘していたことですが、古来の楽園というのは、それがエデンであっても、桃源郷であっても、いま踏みしめている大地の延長にあったというのです。原形の極楽も同様で、西方極楽十万億土といっても例外ではないということです。「霊山浄土」といったところで、他次元のどこかとか、宇宙の最果てとか、にあるなんて考えていたのではなく、中国を越え、インドにある霊山をイメージしていたのでしょう。しかし、それは、現代のわたしたちが交通機関を使って気軽に行けるイメージではなく、たとえば、『西遊記』に登場する天竺のイメージです。大地が方(四角)でその四つの角・方角が東西南北だと信じられていたとき、その中央に聳える霊鷲山は、五百由旬の宝塔(いったい、どれほど巨大なのか?)が東方に立っても、西方の端に釈尊が結跏趺坐し、その前に1万2000人の弟子が悠々と控えられる立地条件のイメージです。足踏む大地の延長にあっても、そこを「ガンダーラ」(ゴダイゴ)と歌われたようなマジカル・ワールドとして、想像されたのでしょう。いや、それ以上であったでしょう。
(この歌を主題歌にした連続ドラマの西遊記は孫悟空を若き堺正章が演じ、夏目雅子が玄奘三蔵というものでした。Pohさんは、これを記憶している世代でしたか? 議論とは関係ないですが)

いまだ霊鷲山を見たこともなく、イメージを膨らませた創作者が、決して行くことのできない霊山を夢想し、自分の踏みしめるあまりに理想と違った大地=娑婆弘教を考えたという現実が、創作に当たってあったのではないでしょうか。

しかし、地域差、時代差意識は、釈尊の謦咳にかかった弟子が正しく教えを仏自身から拝受(正法)できたのとは違い、滅後伝えられた段階では模倣(像法)に過ぎず、(法華経を作っている段階ですから)経典も存在していない時点で、法滅尽の嘆き(末法)です。それでも、お釈迦様ははるか遠くのマジカルワールド(=仏国土)霊鷲山で法を説いているのだという夢想がパラレルに交叉しているように思えます。

> …如来の滅後、後の五百歳…女人…是の経典を聞いて、説の如く修行…命終…安楽世界…阿弥陀仏…蓮華の中の宝座の上に生ぜん…薬王菩薩本事品第二十三

安楽とは極楽の旧い漢訳語で意味は、もちろん、極楽と同じですね。
この件を説明する日蓮門下教学は苦肉で、「いや、これは浄土宗、念仏宗が言うのとは違うんだ」とかなんとか言いますが、何も違わないでしょう。要は法華経と浄土教は近親関係にあることは動かない事実です。この経典が成立した時点で、法華宗、浄土宗もなかったわけです。いま、これは区別するのは宗派を分かち、争う愚かさの延長以上の意味はありません。

240犀角独歩:2005/10/04(火) 17:17:30

―239からつづく―

> でも「五百歳」……「500」という数字…インド人にしては…具体的かつ短すぎる

ところが原文では

「偉大なる志を持つ求法者(ぐほうしゃ)『サヴァサットヴァ=プリヤダルシャナの前世の因縁』の章(薬王菩薩本事品)が最後の時であり、最後の機会である最後の五十年の経過している間」

と、500年どころか50年となっています。もっと短いわけです。この点は、あとでPohさんも指摘されていますね。わたしがこのことに気付いたのは、もう5年も前のことでした。500年説に拘る人はこの点に猛烈に反発しますが、50年だろうが、500年だろうが、仮に1000年、2000年だろうが、Pohさんが仰るとおりで、寿量品で五百塵点劫已来の結縁をいうスケールからすれば、ほんとにちっぽけな話ということになります。

何故なんでしょうか。この時間のリアリティは?
やはり、わたしには、経典創作者が自分たちの時代を特定するために、斯くなったのだろうと思わざるをえないわけです。

しかし、もう一つ、理由が考えられます。それは、岩本師が指摘するインド人の完全数信仰です。現代でもラッキーセブンといった数への信仰がありますが、法華経のなかで「五百」という数字は何故か乱発されています。ざっと検索で拾うと以下のとおりです。

五百人、五百由旬、其数五百皆当授記、五百万億諸仏世界、五百万億諸国土中、五百万億国土、五百万億諸梵天王、南方五百万億国土、五百弟子受記品、五百阿羅漢、五百比丘、五百自在、五百阿羅漢五百千万億那由他、五百菩薩、五百比丘、五百之衆、後五百歳

なんで「五百」なのでしょうか。現時点では決していません。

…以上、Pohさんの書かれた長文から抽出して出来る限り、短くコメントしましたが、やはり長くなってしまいました(笑)

わたしは法華経の解読というのはPohさんも試みられたように、その文中のキーワードから背景を探り、書き手の心象風景を追体験することからはじめたほうが、天台釈より、よほど正確だと思います。一念三千は止観禅の時のイメージトレーニングに過ぎません。心が3000ばかりカテゴライズできるはずもないことは当たり前のことです。まして、それが生命の実相ではあるわけもありません。だいたい、『sddharma-pundarika』にはそんなことは説かれていないわけです。

この現実から直視しなければ、法華経は現代に生きるわけもありませんし、日蓮の精神も「天動説」の類の非科学性と共に、それこそ隠没してオシャカになってしまいます。
これは日蓮法華を担ぐ集団に対する揶揄ではなく、現実を直視なければ、本当に終わってしまうという警鐘です。

まあ、そんなわけで、時にはビールを酌み交わし議論もするのは大賛成なのですが、言語音声はその場で即座に消え去ってしまいます。ですから、ここに書き留めておくことが必要かと思うのです。共に書き残していただければ、有り難く存じます。

241古池:2005/10/04(火) 23:39:00

独歩さん

大変有難うございます。

「サダルマ・プンダリーカ」(妙法白蓮華)というのは「釈尊」自身のことを比喩的に述べているということでしょうか。
また「アグラ・ダルマ」というのは「最高の法」ということでしょうか。
そして、寿量(無量か?)の白蓮華である釈尊の説かれるアグラ・ダルマが「妙法蓮華経」ということでしょうか。

詳しく記して頂いた内容が十分に理解できておらず、間違っていましたら訂正致します。

242犀角独歩:2005/10/05(水) 10:52:31

*先の投稿の訂正
霊山参集の弟子を、わたしは「万二千」と記しましたが、これは、なんとも基本的な間違いでした。実際は「…与大比丘衆。万二千人倶。皆是阿羅漢…学無学二千人…与眷属六千人…菩薩摩訶薩。八万人…菩薩摩訶薩。八万人倶。爾時釈提桓因。与其眷属二万天子倶…万二千天子倶…若干百千眷属倶…王。各与若干百千眷属倶…各与若干百千眷属倶…各与若干百千眷属倶…各与若干百千眷属倶。韋提希子阿闍世王。与若干百千眷属倶…」(序品)という総数でした。


小池さん

232〜236には、松山俊太郎師の講義を紹介したもので、いわば師のお考えということです。その点を押さえて、以下ご質問にお答えします。

> 「サダルマ・プンダリーカ」(妙法白蓮華)というのは「釈尊」自身のことを比喩的に述べている

毎回、松山師が仰ることなのですが、『Saddharmapundarika』という経典の最たる特徴は、この経題の意味が本文中に何ら説明されないということだと言います。
しかし、その前提で、見宝塔品にいう saddharma-pundarika は釈尊を指しているというのです。現段階で、講義は同章(品)に及んでいませんので、師が言う詳しい意味はここにご紹介できません。

わたしの個人的な意見を述べれば、果たして、そう言えるのだろうかという疑問があります。故に該当部分の講義を待っています。

岩本師直訳で読み限り、「正しい教えの白蓮」はあくまで、経典そのものを指すように思えます。そして、全編を通じて、言えることは、では「正しい教えの白蓮」という経題がどのような意味なのかという点は本文中には結局、記述されていません。

なお、小池さんが「白蓮華」と記されたのは、当を得たことで、松山師自身、「白蓮華」としたほうが適切であるけれど、音韻の調子の関係で敢えて、羅什は「蓮華」としたのだろうと語っていました。

釈尊自身を比喩的に語るのは、やはり、方便品に羅什が「慧日大聖尊」と訳した naraditya 、岩本訳「人間の太陽」のほうと思えます。

> 「アグラ・ダルマ」…「最高の法」

まあ、そのような意味となるかと思います。先に紹介したとおりです。

> 寿量(無量か?)

寿量と無量(寿)は近親関係にありますが、違います。寿量品に説かれる如来の寿命は五百塵点劫已来の時間にその倍した長さであると限定されています。日蓮・門下教学ではこれを無始無終と解釈しますが、原文を忠実に読めば、釈尊の如来としての寿命は有始有終です。まあ、こう書けば門派教学に拘泥する方は反論するかも知れません。しかし、そのようなことは梵本原典とは関係ありません。わたしは、岩本師が

「翻訳の結果が、宗教的にどのような問題を惹起するかという点も、訳者(岩本)は考慮しなかった。直裁に言って、現在の日蓮教学も天台教学も『法華経』のサンスクリット語原典とは直接の関係がないのであり、また宗教的に自由な立場に立つ訳者としては、これらの教学の依拠する羅什訳のみを重視することはできない…特定の立場からの批判に耳を籍す考えもない」(上『あとがき』P441)

という態度に全面的に賛同します。しかしながら、岩本師が「訳文に不満な人があるならば、みずから全文を平易に口語訳して江湖に訴えられるとともに、訳者に無言の教示を垂れていただきたい」(同 P442)という点に就き、現在、松山師が、福神研究室・上杉師、渋澤師の全面バックアップの元、その偉業を為しつつあることに深い敬意を表するものです。惜しむらくは岩本師が既に鬼籍に入ってしまったことです。

243犀角独歩:2005/10/05(水) 10:53:06

―242からつづく―

> 白蓮華である釈尊

白蓮=(地上の)太陽=釈尊 という図式は、松山師の講義の基本を為しているように、わたしは感じます。ただし、pundarika は saddharma なので、これを直ちに釈尊としてしまうのはどうなのだろうかという思いがわたしにはあります。

> アグラ・ダルマが「妙法蓮華経」

このご質問に応える前に、やや細かい点なのですが、よく見聞する一つの誤解を記します。妙法蓮華経、もしくは正法華経は、サダルマ・プンダリーカ・スートラを訳したもので、

サダルマ=妙法、正法:プンダリーカ=蓮華:スートラ=経

という考えが流通しています。しかし、『法華経』の岩本師の解説を読めば直ちに了解されることですが、「『法華経』のサンスクリット語原典の題名は Saddharmapundarika」(上『解題』P408)であって、スートラに該当する語はここに見えません。

法と経の同一視は、日蓮教学においても深刻な誤謬であるとわたしは考えています。
法は法に違いありませんが、経は経典以外の何ものでもないからです。

また、「agradharma 、また、saddharma が妙法か」と問われれば、わたしはもちろん「違う」と答えます。
確認していませんが、松山師は「妙法」という漢語は、法華経以前に漢訳された増一阿含に既に使用されており、それを羅什が転用したもの。ただし、増一阿含における「妙法」には agra という「択一された最高の」というような意味合いはない、羅什はこの「妙法」を転用するに当たり、換骨奪胎して、agra の意をはらむ sat に相当する意味を持たせたといいます。

先行して出来上がった詩偈の部分に用いられる agradharma が、では、なぜ、散文を付加した次の制作者は saddharma さらに saddharma-pundarika としたのかという点について、答える能力をわたしは有しません。また、松山師の講義でもその言及は今のところありません。

agradharma の用法は、パーりー語文献の古層に既に見られるといい、agrabodhi という用法も挙げていました。法華経に、この agrabodhi が使用されているのかどうかは、聞き漏らしましたが、当然の対応として、agradharma によってもたらされる悟りは agrabodhi ということになると思うのですが、実際のところ、法華経では annuttara-samyaksambdhi(阿耨多羅三藐三菩提)が使用されているわけです。この点の意味を理解することもわたしの課題となっています。

あと、釈尊は法華経で「正しい教えの白蓮」を説いたというのが、最終的な編集の落着ですが、では、この「正しい教えの白蓮」が、法なのか、経なのかというのは、実に悩ましい問題であるとわたしは考えます。

先に eka-pundarika の例を松山師が挙げたことを引きましたが、これは白象に付けられた名前であったわけです。
では、Saddharmapundarika とは何かと言えば、これはこのお経(経典)に付けられた題名だということです。題名は法でありません、名前です。

法華経の一つの特徴は、舎利信仰、または仏像信仰というものを肯定しながらも、それを超える経典信仰、さらには経典塔(経典を祀る仏塔)信仰を鼓舞している点にあります。つまり、聖典信仰という文字で書かれた書物そのものを崇拝する信仰という特徴をもっているわけです。このことを考慮すると、、本文中、繰り返し言われる Saddharmapundarika は正しい教え(法)というより、経典を指すとも思えるわけです。そして、経典=釈尊というコンセプトによって、それが肯定され、さらに経典塔も仏塔であり釈尊そのものという理論展開がここにあるのではないのかと思えるわけです。こう考えると松山師が saddharma-pundarika は Sakya-muni である、すなわち、経典(塔)=釈尊という図式で、謎が解けます。

まあ、出版書籍の宣伝行為のような話と書けば、不謹慎に響くかも知れませんが、わたしはこの線は考えている一つの側面です。

答えにならず、却って疑問を増すようなレスで恐縮です。

244犀角独歩:2005/10/05(水) 12:24:28

自己レスです。243に

> 『法華経』のサンスクリット語原典の題名は Saddharmapundarika

という岩本師の記述を引用したのですが、いま顕正居士さんのサイトから梵本法華経にジャンプしてみたところ、ここでは saddharmapuṇḍarikasūtram となっていました。
梵語が読めないわたしには、どちらが正解なのかわかりません。
この件は保留とします。どなたかご教示いただければと思います。

245犀角独歩:2005/10/05(水) 17:57:56

羅什というのは、一体、何を基準に数字を翻訳したのでしょうか。
それとも羅什が見た梵本と Saddharmapundarika,ed.by H. Eern and B. Nanjio, St.-Petersbourg 1912(Bibliotheca Buddica X)(『法華経』上・岩波文庫 P5)とは、記載が違っていたのでしょうか。

もっとも納得がいかないのは冒頭の数字で、羅什訳では「与大比丘衆。万二千人倶」で、岩本訳では「千二百人の僧と一緒にいた」(同 P9)で、いちおう Kern 訳を見ると「with a numerous assemblage of monks, twelve hundred monks」となっています。

http://www.sacred-texts.com/bud/lotus/lot01.htm

以下、羅什訳の妙法華と「正しい教えの白蓮」の数字訳の比較です。

衆生………………………………………………序品………いわれ
比丘/僧……………………………………………12,000/_1,200
学・無学/学習中・学習完了……………………_2,000/_2,000
比丘尼眷属/尼僧…………………………………_6,000/_6,000
菩薩/求法者………………………………………80,000/80,000
諸仏供養/仕え…………………………………無量百千/幾十万
菩薩/求法者………………………………………80,000/80,000
釈帝眷属/シャクラ従者…………………………20,000/20,000
天子/天子…………………………………………20,000/20,000
四大天王眷属/従者………………………………30,000/30,000
梵/天子衆…………………………………………12,000/12,000
竜王眷属/従者………………………………………百千/幾十万億
緊那羅眷属/キンナラ従者…………………………百千/幾十万億
乾闥婆眷属/ガンダルヴァー=カーイカ従者……百千/幾十万
阿修羅王眷属/アスラ王従者………………………百千/幾千万億
迦楼羅王眷属/ガルダ王従者………………………百千/幾千万億
阿闍世王眷属/<記載なし>…………………………百千/<記載なし>

(上記の表形式のカタチが崩れる際は、Ineternet Explorer の[ツール(T)]、[インターネット オプション(O)]、[フォント(N)]、[Web ページ フォント(W)] のフォント種類を‘MS P〜’を‘MS〜’に変更すると、崩れずに閲覧できます)

246Poh:2005/10/05(水) 21:56:26
一字三礼さん
犀角独歩さん

ご丁寧なご返答ありがとうございます。
ところが私、実は今ちょっと仕事が立て込んでおりまして、書き込みの時間がとれません。
追って、改めてじっくり再読の末、返レス等させて頂きますので、
どうか私に構わず(構ってないか?……笑)ご議論を先におすすめ下さいませ。
私は後から遅れて、マイペースでやらせて頂きます。ご面倒おかけして、まことに申し訳ありません。

今日のところは、お礼のみにて失礼させて頂きます。どうもありがとうございました。
それではまた。

24701:2005/10/05(水) 23:07:18
うーん、独歩さんはまたかっとんでいますね。

248一字三礼:2005/10/06(木) 00:06:28

犀角独歩さん

松山師の「蓮と法華経」私も拝読しました。

師は伝統的解釈から離れて、インド文化や言語から大変自由に、本当に原典から法華経を読み解いておられ、とても刺激を受けました。

ご紹介くださった、松山師の法華経成立説、saddharma-pundarikaについての解説、とても興味深く読ませていただきました。もちろん一読ではとても理解できませんが。

松山師が「蓮と法華経」の中で、「釈迦如来=太陽・白蓮華・ヴィシュヌ」に対比させて「多宝如来=大地・紅蓮華・ラクシュミー(シュリー)」と考える発想はとても面白いのですが、些か疑問も残ります。それについては、少し考えをまとめてみたいとおもいます。

松山師の法華経講義、私もぜひ拝聴してみたいです。


仏弟子の数について

ウルヴェーラ・カッサパとその弟子500人+ナディー・カッサパとその弟子250人+ガヤー・カッサパとその弟子200人+サーリプッタとモッガラーナとその弟子250人(サンジャヤの弟子)で計1200人とするのが一般的です。

他にもウパセーナとその弟子250人とかシャカ族の500人とか盗賊さん達500人とかいるんですけど、それらは割愛されるんですね。

さて、次に少し気になっていた薬王品について書かせていただきます。

249一字三礼:2005/10/06(木) 00:07:31

薬王品の焼身供養について

薬王品に説かれる、薬王菩薩の前身である一切衆生喜見菩薩の焼身供養の件は、法華経中でもっとも異質で不

可解なものである。
これは明らかに仏教外文化の影響あろうと推測される。

法華経で尊ばれる行為は、五種法師(+六度)、法華経崇拝などで、さほど奇抜なものではない。
しかし、薬王品では、焼身自殺を絶賛するのである。

菩薩が身を焼いた後に八十億恒河沙世界の諸仏が同時に、

 「善哉善哉、善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名く。若し華・香・瓔珞・

  焼香・抹香・塗香・天・・幡蓋及び海此岸の栴檀の香、是の如き等の種々の諸物を以て供養すとも、及ぶ

  こと能わざる所なり。仮使国城・妻子をもって布施すとも、亦及ばざる所なり。善男子、是れを第一の施

  と名く。諸の施の中に於て最尊最上なり、法を以て諸の如来を供養するが故にと。」

一切衆生喜見菩薩は、このように身を焼く行為により、「解一切衆生語言陀羅尼」と言いう法門を得たのであ

る。これら一連の記述は法華経の中では浮いている。

我身を焼く事に重要なものを得るという発想は、他のインド宗教文化にもある。
「マハーバーラタ」にある羅刹王の息子・ラーヴァナ(十の頭を持つ者)が自らの願いを叶える為に千年の修

行をし、頭を次々に切って火にくべる。その苦行を嘉し、世界の主・梵天はラーヴァナの望みを叶えてやると

いうものである。
しかし、この説話ではラーヴァナは火中にくべた頭を全て元に戻してもらっているし、焼身で死んでいるわけ

ではないので、この話はどちらかといえば一切衆生喜見菩薩が両肘を焼く話のほうに類似をみるかもしれない



では、焼け死ぬ事に意義を見出す、もしくは焼け死ぬことによって何かを得るという発想は何処にその淵源が

あるのかと言えば、私はギリシア教ではないかと思う。

250一字三礼:2005/10/06(木) 00:08:26
つづきです。

ギリシア教のヘーラクレース(ヘラによる栄光)は、その名の示す通り女神ヘラのダクテュロス(専属崇拝者・信仰者)的な存在であった。
彼の死期が、その妻デイアネイラの嫉妬により決定されたものであったとしても、オイテ山上に築いた火葬壇には、自らすすんで望んだ。ヘーラクレースは火葬により母・アルクメネから貰った死すべき人間の身体だけを焼いて、父ゼウスからの肉体だけが残り、若返り、ほとんど子供のようになってオリュンポスの神々の中で復活を遂げる。

「ヘーラクレースの骨探しの光景は、ある陶器画の巨匠や、それ以前にはサテュロス劇詩人が不朽の作品を残している」(ギリシアの神話―英雄の時代)

ヘーラクレースは焼身自殺をすることによって、ほとんど子供のようになり、死すべき定めの英雄であったのがオリュンポスの神々に迎えられ不死を得た。

この伝説はギリシアのみならず、広くユダヤ文化圏にまで伝播している。

ヘーラクレース崇拝が初期キリスト教に与えた影響は極めて大きく、いかに評価しても評価しすぎることはないと言われる。
聖パウロの生地タルススでは、火に焼かれて死ぬヘーラクレースを扱った奉納劇が、再三再四定期的に上演されたのであり、したがってパウロは、ヘーラクレース流の殉教者のように、わが身を捧げて火で焼かれるという行為には、人間を救済する力があると考えていた(『コリント人への第一の手紙』第13章 3節)。

アフガニスタンで、ヘーラクレースとデメテルを脇持とする釈尊のレリーフが見つかっているし、ヘーラクレースのシンボルであるネメアの黒獅子を頭から被る意匠は、「獅噛(しかみ)」と呼ばれ、愛染明王像や12神将像に使われている。

これらの事から、ヘーラクレースのダクテュロス的な焼身という殉教行為と一切衆生喜見菩薩の焼身供養には類似点が見出されるのではないか。

251犀角独歩:2005/10/06(木) 11:30:51

一字三礼さん

焼身に関するご論考、たいへんに興味深く拝読させていただきました。また、非常に説得性を感じました。

焼身というと、わたしはいつも二つのことを思い出します。一つはサティーであり、一つはベトナム僧の焼身供養です。両方ともわたしは批判する気にはなれない反面、しかし、肯定するには痛ましすぎるという感情が先行してしまいます。

以上は余談となりますが、この焼身と言うことが、インド共に「再生」を意味していることに目が惹かれました。荼毘という習慣が、一体、どこにそのルーツがあるのかという点で、わたしはまるで知識がありません。たしかに法華経に該当記述は、異文化を感じさせるものだと思いました。

なお、松山師の講義について、もしお聞きになりたいとお考えでしたら、よろしければ、メールをお寄せください。お力になれるかも知れません。

252乾闥婆:2005/10/06(木) 16:40:56
焼身供養されたベトナム僧クアン・ドゥック師について、最近、宮内勝典『焼身』(集英社)という本が出版されております。小説ともルポルタージュともつかない、風変わりな作品ですが、私は面白いと思いました。私はメール・マガジンで書評を書いていまして、取り上げたことがあります。http://back.honmaga.net/?eid=222591やはり焼身供養の根拠として薬王菩薩本事品が示されています。宮内氏は仏教者ではなく小説家ではありますが、オウムの問題に取り組んだ『善悪の彼岸へ』(集英社)なども出しております。

253古池:2005/10/06(木) 22:57:44
独歩さん

242−243
大変有難うございました。
まだ十分に理解できないところが多く難しいです。

243で
>agradharma によってもたらされる悟りは agrabodhi ……法華経では annuttara-samyaksambdhi(阿耨多羅三藐三菩提)が使用…。この意味の理解が…課題
と記されていますが、「サッダルマ・プンダリーカ(妙法白蓮華)」を信受すれば、annuttara-samyaksambdhi(阿耨多羅三藐三菩提)という悟りが得られるのだと思いますが、
独歩さんがannuttara-samyaksambdhi(阿耨多羅三藐三菩提)の意味の理解と言われるのは、通常の語句の理解というような意味合いではないと存じますので、どのような問題意識
なのか教えて頂けますでしょうか。

254犀角独歩:2005/10/07(金) 01:14:28

乾闥婆さん、書評、たいへんに素晴らしいものでした。『焼身』を是非読んでみたい欲求に駆られました。有り難うございました。

255犀角独歩:2005/10/07(金) 01:33:43

小池さん

わたしは表現が違えば、それは意味も微妙に違うという、そのわずかな差に拘ります。
たとえば、「綺麗」と「美しい」は似た言葉ですが、その意味には差があります。

ですから、羅什がどこまで訳分けているかは、その実際を示せませんが、saddharma と padma を同じ蓮華と訳してしまうのは納得がいきません。

同じように、agradharma と saddharma の違いはどのようなものであるのかを正しく理解したいと思います。また、単独でいう saddharma と saddharmapundarika という場合の、punadarika 差を知りたいと思います。

同じように、annuttara-samyaksambdhi と agradbodhi の差も明確に知りたいと考えています。

しかし、残念ながら、今のところ、その差異を明確に論じられる能力を有しません。これは今後のわたしの課題です。

なお、法華経にいう阿耨多羅三藐三菩提と無量義経のそれとの相違、また、乃能究尽諸法実相という際の差異も、よく考えてみたいと思っています。

ただし、以上のことは、現段階では「こうである」と即断することは取り敢えず、保留としたいと思っています。

256古池:2005/10/08(土) 06:58:12
独歩さん

おはようございます。
255 大変有難うございます。

独歩さんのプログ(2005.6.8)の松山先生の講義メモ拝見致しました。
その中で、
>・南無妙法蓮華経は中国でも言ったが、後期般若経にも「南無般若波羅密」とある。
>・元来、仏教では複数仏が想定されていたが、ニカーヤ以降、一仏となっていった。
>・シャキャムニが「町の中で説いたかどうかわからない」ということがわかった。
につきまして、出版も予定されているので、可能な範囲でよろしいですが、もう少し教えて頂ければありがたいです。
特に、南無般若波羅密というのは、お題目のような意味合いなのでしょうか。

257犀角独歩:2005/10/08(土) 07:48:59

小池さん

松山師の講義を当日書き留めたメモをアップしているもので、その詳細はご本人にお聞きしないとわからないという前提で、ですが。

>後期般若経にも「南無般若波羅密」とある。…お題目

「題目」というのは、現代で言えば、題名ということです。もっと正確に言えば、お経の題名=経題です。その妙法蓮華經という経典の題名に「南無」を関して唱えたことから、やがて、唱題、お題目という語が定着していったのだと思います。
特に、阿弥陀仏の名前を称えることを称名というのが、本来は称名念仏というセットだったのが、頭だけ取れて、「お念仏」と言っても、実際には口で称えることを意味するようになったように、語彙使用の変遷があるのだと思います。


南無は帰命、般若は智慧、波羅密は漢字度文字で書けば「度」で、日本に定着した言葉で言えば彼岸、より正確に言えば到彼岸で、此岸に対する語でした。要は迷いのこちらの岸から、覚り(度)の彼(向こう)岸に到るということですから、覚りに至れる智慧に帰命するほどの意味で、現在、行われる唱題(=お題目行)のようなものとは、違うのではないのかとも思えます。しかし、正確なところは、調べておりません。

>元来、仏教では複数仏が想定されていたが、ニカーヤ以降、一仏となっていった。

どこから説明してよいか悩みますが、釈迦仏(陀)、釈迦牟尼世尊、釈迦如来、などの尊称、buddha(仏陀)、bhagavat(世尊)、如来(tathagata)等は、特に仏教固有の尊称ではないわけで、また、釈尊自身、新宗教の教祖という自覚はなく、バラモンという精神風土のなかで自分を自覚していたわけでした。つまり、バラモン教という範疇のなかで Buddha(目覚めた、覚った)という自己認識であったと思います。そんなことから、初期の段階では、仏というのは釈迦一仏に限っていたわけではなかったのが、時代を経るごとに一仏統一の方向に動き、そこから、また、複数の仏が生じ、また一仏統一という方向に動くという経緯があったわけです。その過程で既にニカーヤ(阿含)の段階で一仏の方向が見られるということを松山師が仰ったのだろうと思います。

>シャキャムニが「町の中で説いたかどうかわからない」ということがわかった

いったい、釈尊の説法とはどのように行われていたのかという疑問に発したものであったと記憶します。
法華経で言えば、霊鷲山で説法したなどというわけですが、では、実際のところ、釈尊が説法するというのは、どんなふうであったのか。今で言えば、寺院があって、その中で、聴衆を前にして、坊さんが語るわけですが、あんな感じではないでしょう。要するに、こんな基本的なことがわかっていないということです。また、釈尊は弟子に語ったのか、王族、長者に弟子共に食事に呼ばれて、そのあとに、そのように供養した特定の人に語ったのか、弟子に語ったのか、また、不特定多数の人がいる町中で語ったのか、そのようなことは、改めて考えてみると、まるでわかっていないではないか…、ということを、改めて、梵本を読み直してわかったと松山師が語ったことでした。

258古池:2005/10/08(土) 10:02:23
独歩さん

257大変有難う御座いました。

>「講座・大乗仏教4ーー法華思想」(春秋社、1983年)に収められた「大乗仏教における法華経の位置」のなかで、平川彰氏は…「仏教思想を空の系統と有の系統に分けるとすれば、法華経は有の系統に属するというべきであろう」(同論文)…。「法華経が有の立場に立っていることは、法華経に「空」の教理がきわめて少ないことからも考えられる。法華経には、空の思想は断片的に見られる程度」(同論文)なのであり、それは、「法華経が「信」を重視することにも関係がある」(同論文)という。…
とネットで引用されている部分を見て、法華経は空を前提にしていると思っていたものですから少し驚きました。

259犀角独歩:2005/10/08(土) 12:07:17

古池さん

平川説のご紹介、有り難うございました。
わたしは法華経の最大の利点は、著名な法師品の「会座室の三軌」と言われる整理だと思っています。

如来室者。一切衆生中。大慈悲心。是如来衣者。柔和忍辱心是。如来座者。一切法空是。
(如来の居室とは何か。すべての人々を憐れむ心の状態が如来の住居である。そこに良家の息子は入るべきである。…如来の衣とは何か。非常な忍耐をする心の穏やかさが如来の衣である。かの良家の息子あるいは娘は、それを身にまとうべきである。…如来の座とは何か。すべてのものは「空」であるという考えに入ることが如来の教えの座である。かの良家の息子はそこに坐るべきである『法華経』中・岩波文庫 P159)

以上のことから、法華経は空の思想を重要視していると思います。
平川師がいう「有」とは何を指すのかよくわかりませんが、仏教学の見地であるとすれば、「有部」の流れという意味なのでしょうか。それとも「無我」に対して「有我」のことをいうのでしょうか。ご紹介の部分だけでは、解しかねます。

先のご紹介した講義の折、松山師は「法華経でも頻繁に経典名を挙げるが100回程度。ところが般若経では「波羅密」が1700回も出てくる」('05.6月度講義)と話されていました。メモだけに不正確なのですが、言うところの般若経とは、大乗経典の最初に成立した『八千頌般若経』で次が『法華経』であるというのが、松浜師の考えなので、それを指すのだろうと思います。「波羅密」は般若波羅密のことと思え、ならば如来智・空が1700回も繰り返し論じられているという意味になるのでしょうか。以上の点は経典を捲り確認したことではありませんが、もしそうであれば、空を強調する頻度は、法華経を遙かに上回るということになります。しかし、だからといって、法華経が「有」に属するとするのは、どうも合点が生きません。

いずれにしても各師の諸説は学術的な現代進行形のものですから、それが確定であると見れば、すぐに時代遅れになります。常に最新の確実な資料を求め、自分の固定観念を書き換える作業が必須です。また、諸説はしかし、時系列で見て、最新のものが常に正しいとは限らず、後退もあります。さて、平川師の指摘は、どちらに該当するのか、慎重に考えてみたいと思います。

いずれにしても、資料のご呈示、有り難うございました。

260犀角独歩:2005/10/08(土) 12:39:31

【259の訂正】

誤)松浜師
正)松山師

261古池:2005/10/08(土) 13:28:14
独歩さん

259 大変有難う御座います。
おっしゃる通りと思います。平川師の説は抜粋部分だけなので、一度よく師の書籍にあたってみます。
更に最近の資料にも目を通してみます。

262乾闥婆:2005/10/09(日) 00:44:02
古池さん、犀角独歩さん。該当箇所を以下に引用します。

引用開始
仏教思想を空の系統と有の系統に分けるとすれば、法華経は有の系統に属するというべきであろう。法華経の前半の「一乗」の思想にしても、後半の「仏心常住」の思想にしても、「実在」に立脚する思想である。そこにはまだ「仏性」が明確に打ち出されてはいないが、発展すればこの思想になっていくものと考える。(中略)
 法華経が「有」の立場に立つことは、法華経が「信」を重視することにも関係がある。信仰は実在を対象とするからである。法華経には随処に「信」について説いているから、それらを検討することによって、法華経の信の性格を明らかにする必要がある。
 法華経が有の立場に立っていることは、法華経に「空」の教理がきわめて少ないことからも考えられる。法華経には、空の思想は断片的に見られる程度である。たとえば信解品に、四大声聞が声聞としての自己の悟りを述べる一節に「但だ空・無相・無願を念じ」とあるが、ここに深い意味は認められない。つぎに「薬草喩品」に、如来が「一相一味の法」を知ることを説明する一節に「終に空に帰す」とあり、さらに偈頌の中に「諸法の空を聞いて、心大いに歓喜す」とあるが、両者ともにその空の説に特に重要な意味は認められない。さらに「法師品」に法華経を法師が、「如来の室に入り、如来の衣を着し、如来の座に坐して」説くことを言うが、つぎに、如来の室とは一切衆生の大慈悲心のことであり、如来の衣とは柔和忍辱の心のことであり、如来の座とは「一切法空是れなり」とある。ここには空に安住することを如来の座となしているのであり、空に重要な意味を認めている。さらに「安楽行品」に第二の親近処を説くうちに、菩薩は「一切法を観ずるに空なり、如実相なり、顛倒せず、動ぜず、退せず、……」と観ずることを説き、さらに「一切諸法は空にして所有なし。常住あることなく、亦た起滅なし」等と説いている。
 法華経において、「空」を説く教説は大体以上で尽きるのである。これらは、法華経全体から見るならばわずかな教説である。しかも他の教説に附随して説かれている場合が多い。しかしもちろん「空」は大乗仏教の基本的な教理であるから、法華経においても肯定的に取り扱われている。しかし空を基調にして、教理を展開しているとまでは言えない。そのことは般若経や維摩経等の空の取り扱いと、法華経とを比較してみれば明らかである。ただし本田義英博士は、その『法華経論』に「地涌の菩薩を以って蓮華に譬えるということは、法華経の立場が般若空観であることを示す、云々」と述べて、法華経の立場が般若空観にあると見ておられる。しかし地涌の菩薩を蓮華に譬えることだけで、このように結論することは無理であると思う。蓮華が泥に染まない点に無執着の意味はあるであろうが、しかしそのことは空思想に限るものではない。如来蔵思想にも「自性清浄心、客塵煩悩」の思想があるが、これも自性清浄心が煩悩に染しないことを示している。しかも『小品般若経』や『大品般若経』には、とくに蓮華を重視する思想は見当たらない。さらに蓮華を空思想や他の教理に譬えているところも見当らない。したがって蓮華の譬を般若経に結びつけることは困難であろう。
 すなわち法華経は、空系列の経典であるよりも、真如や如来蔵思想に発展してゆく有の系列の経典と考えるべきである。
引用終了
『講座・大乗仏教4法華思想』(春秋社)平川彰「大乗仏教における法華経の位置」(P41-43)

法華経を空の系列と有の系列のどちらかに振り分けるということ自体にはあまり意味はないと思いますが、大乗仏教が展開してゆく過程に法華経を位置づけるとどう見えるのか、といったことを提示してみた、といったところでしょうか。

263古池:2005/10/09(日) 08:11:22

乾闥婆さん

262 
貴重な内容を教えて頂き、大変有難うございました。

264犀角独歩:2005/10/09(日) 09:05:38

乾闥婆さん

読む限り、平川師の説は説得性があります。

西暦前後、仏教の教理は如何に生まれ、また、如何に伝承されたのでしょうか。
メディアがあるわけではありませんから、生み出す集団があり、そこに所属し学ぶという形であったろうと思われます。空の思想を生み出した集団、もしくは地域があり、そこから、般若経は生じたということになるのでしょうか。

この集団と、法華経を生み出した集団は別のものである。般若経創作集団から、独立した、もしくは別の集団である法華経創作集団が、空を肯定的に捉えながら、自分達の教理を作り上げた、しかし、その元来の在り方は「有」であった…。

以上のような仮定は成り立つのでしょうか。

平川説で興味深いのは「信は有に拠る」という件でした。
空観というのは無限の追究連鎖のようなところがあります。最終的には「空」が教理として実体化すれば、それ自体がまた空である…、と延々と続くわけです。信も何もあったものではありません。あるとすれば、空であるという論証を信じることですが、これ自身もまた空であるとなっていくわけです。教理上の空は四句分別止まりでいちおう、その辺でうち切られますが、その気になれば、この己心観察は無限の追究連鎖となりますね。

たしかに法華経寿量品にいう、漢訳仏典に依拠する教理でいう久遠本仏を「空」と見れば、もはや、信仰は成り立たないわけです。平川師が指し示していることとは、別意でしょうが、ここ数年のわたし自身の信仰に対するメランコリックの正体を見た思いがあります。まあ、この正体もまた、空ならば…となりますか。一つの法華経を見る客観的な視点を提供したものと評価できると思えました。

資料のご呈示、有り難うございます。

265古池:2005/10/10(月) 12:01:21
独歩さん

おはようございます。
妙法蓮華経観音品第25に「一心称名…称其名号…称観世音菩薩名者…一心称観世音菩薩名号……倶に声を発して・南無観世音菩薩と言わん・其の名を称するが故に・即ち解脱することを得ん…皆応に観世音菩薩の名号を受持すべし…」とありますが、「南無観世音菩薩」と唱えることと、「南無妙法蓮華経」と唱えることとの違い・異同などについて教えて頂ければありがたいです。

266犀角独歩:2005/10/10(月) 14:28:58

小池さん

なかなか勉強なさっていますね。

「南無観世音菩薩」に該当する岩本師の梵本直訳は

「われらに安心を授けたもう偉大な志を持つ求法者アヴァローキテーシュヴァラを、崇め奉る、崇め奉る」(下 P246)

となっています。

観世音菩薩は Bodhisattva Mahasattva Avalokitesvara が正確なところでしょうが、Avalokitesvara 通称とされる如くです。。

南無妙法蓮華経という訳語成句より、当然のこととして、「南無観世音菩薩」のほうが先行するわけですね。その称名の功徳は同品に記される如くですが、南無妙法蓮華経は臨終正念に属する秘伝であるというのが、真偽未決書などで引用されるところで、その意味は異なります。

「此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱ふる事を自行真実の内証と思食されしなり。南岳大師の法華懺法に云く「南無妙法蓮華経」文。天台大師云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文。又云く「稽首妙法蓮華経」云云。又帰命妙法蓮華経」云云(当体義鈔)

また、前者は菩薩信仰であるのに対して、後者は経典(経題)信仰である際があります。

観音信仰は、法華経に習合された独立した信仰であったというのが一般的な見方であったと記憶します。岩本師は観音にはかなり興味を懐いていたようでいくつか論文を発表しており、仏教界に一顧だにもされなかったのに、美術史家が絵画彫塑像の視点から岩本師の観音説に注目したということがあったようでした。(『観音の表情』淡交社に対する書評など)

また、その考察において、

「この菩薩の起源はなお明確ではないが、西アジア方面の宗教思想の影響を受けていることは疑いえない。例えば、葉枝観音に関する宗教儀礼に葉のついた枝でたたくことが知られているが、これは西アジアにおける母神ナナイアのそれである。現在、その影響はイスラエルにおけるユダヤ教の儀礼にも見られるところで、葉のついた枝は繁殖のシンボルであるという。この事実を考えると、敦煌に見られる楊柳観音・水月観音が右手に楊柳の小枝を持っているのは、ナナイアと関係のあることを疑いえないであろう。特に、観音像のあるものが女性的に描かれている事実は、この菩薩の本質ないし始源型が女性であった子とを示していると考えられる。それと同時に敦煌の楊柳観音が髭をつけているのは、変成男子のシンボルと考えられ、その菩薩の本質を明らかにしているものとして興味深い。わが国で名高い慈母観音も子どもを抱いている点から考えて、あるいはマリヤ像の変化したものであるかもしれない」(『佛教入門』中公新書 P156)

といいます。

267犀角独歩:2005/10/10(月) 14:29:21

―267からつづく―

さらに岩本師はまた、漢訳の「観」の字について、

「『観』の字をかむらせた経典……注目されることはこれらの訳者はすべて西域の出身者、また経典の構成ならびに発想法がインド的でない点である。とくに、『観経』の場合、その点が指摘される」(『極楽と地獄−日本人の浄土思想』三一新書 P51)

といいます。もちろん、同品をこれに直ちに該当するかどうかは一考を要するでしょうが、しかし、この漢訳『観世音菩薩普門品』は重大な削除が為されています。

岩波文庫『法華経』でいえば下巻 P268〜269 です。
お持ちであれば開いてみてください。なければ、真読でいえば同品の「福聚海無量。是故頂礼」と「爾時持地菩薩。即従座起」の間が大きく欠落しています。いま、その欠落部分を挙げます。

「ローケーシュヴァラ=ラージャ(世自在王)を指導者とした僧のダルマカーラ(法蔵)は、世間から供養されて、幾百劫という多年のあいだ修行して、汚れない最上の「さとり」に到してアミターバ(無量光)如来となった。(28)
アヴァーローキテーシュヴァラはアミターバ仏の右側あるいは左側に立ち、
かの仏を扇ぎつつ、幻にひとしい一切の国土において、仏に香を供養した(29)
西方に、幸福の鉱脈のある汚れないスカーヴァティ(極楽)世界がある。
そこに、いま、アミターバ仏は人間の御者と住む。(30)
そして、そこには女性が生まれることなく、性交の慣習は全くない。
汚れない仏の実子たちはそこに自然に生まれて、蓮華の体内に坐る。(31)
かのアミターバ仏は、汚れない心地よい蓮華の胎内にて、
獅子座に腰をおろして、シャーラ王のように輝く。(32)
彼はまたこの世の指導者として三界に匹敵する者はない。わたしはかの仏を賛嘆して、『速やかに福徳を積んで汝のように最も優れた人間(仏)になりたい』と祈念する。(33)」
以上はまた、以下の Kern 訳と対応するのでしょう。

28. This universal Lord, chief of kings, who is a (rich) mine of monastic virtues, he, universally worshipped, has reached pure, supreme enlightenment, after plying his course (of duty) during many hundreds of &AElig;ons.
29. At one time standing to the right, at another to the left of the Chief Amitabha, whom he is fanning, he, by dint of meditation, like a phantom, in all regions honours the Gina.
30. In the west, where the pure world Sukhakara is situated, there the Chief Amitabha, the tamer of men, has his fixed abode.
31. There no women are to be found; there sexual intercourse is absolutely unknown; there the sons of Gina, on springing into existence by apparitional birth, are sitting in the undefiled cups of lotuses.
32. And the Chief Amitabha himself is seated on a throne in the pure and nice cup of a lotus, and shines as the Sala-king.
33. The Leader of the world, whose store of merit has been praised, has no equal in the triple world. O supreme of men, let us soon become like thee!

先の観経との脈絡を大いに感じさせます。なお、33 の Sala-king とは Visnu のことで、234 に挙げた点とも一致します。

以上の点が、流通する妙法華では削除されています。この原因は、羅什が翻訳に充てた本と Kern 師・南条師が用いたテキストが違うのか、羅什は訳した後世削除されたのか、わたしはその点は落着しておりません。しかし、英訳では入っている以上、こちらが世界水準です。

「アミターバ(無量光)仏」とはことわるまでもなく阿弥陀仏のことです。
観音世菩薩の起源がマリアであり、ナナイアを経て、阿弥陀仏と関係する菩薩信仰を生み、やがて、法華経に摂取され、それを羅什は「南無観世音菩薩」と訳したという‘削除’された経緯を見なければならないということです。

268犀角独歩:2005/10/10(月) 17:27:10

【267の訂正】

誤)始源型が女性であった子と
正)始源型が女性であったこと

誤)後者は経典(経題)信仰である際があります
正)後者は経典(経題)信仰である差異があります

269古池:2005/10/10(月) 17:37:07
独歩さん
266-267 大変有難うございました。

>真読…同品の「福聚海無量。是故頂礼」と「爾時持地菩薩。即従座起」の間が大きく欠落

おっしゃる欠落しています。
法華経の中に記されているということは、アミターバ仏並びにその脇士である観世音菩薩(アヴァーローキテーシュヴァラ)に対する親和性があったと想像されます。
そして、観世音菩薩への信仰を認めていると想像すると寿量品の久遠実成仏・釈尊に対する信仰との関係はどうなんだろうと思いました。

270古池:2005/10/10(月) 17:46:55
真偽未決の「御講聞書」では、「…観音とは法華の異名なり、観音と法華とは眼目の異名と釈する間・法華経の異名なり…」とあり、
真偽未決である「御義口伝」では、「…この品は甚深の秘品なり・息災延命の品なり・当途王経と名づく…観音・法華・眼目異名と云いて観音即ち法華の体なり…」とありますが、「眼目異名」という意味が分かりませんでした。

271犀角独歩:2005/10/10(月) 17:54:01

小池さん

> 「眼目異名」

これは、そんなむつかしい意味ではありません。
眼も目も、意味するところは同じで、名(字)の異なりである、という意味です。
つまり、その程度の差であるということでしょう。

わたしはこの言葉を、『大日蓮』に載った『皆目抄』説法で聞いたのをいまでも覚えています。

272犀角独歩:2005/10/10(月) 17:55:44

また、打ち間違えてしまいました。

誤)『皆目抄』
正)『開目抄』

273犀角独歩:2005/10/10(月) 22:23:49

ざっと検索してみる限り「眼目(之)異名」は

『俱舍論記 (卷18) 』
http://www.buddhist-canon.com/ABHIDARMA/pitan/T410289a.htm

『大乘玄論』
http://humanum.arts.cuhk.edu.hk/~hkshp/cclassic/suitang/jicang2.txt

に見られ、その他、主要な疏には法華、般若、浄土を問わず、使用されていますね。

法華義疏
http://w3.cbeta.org/result/normal/T34/1721_005.htm ほか

意味は、法華般若を眼目異名とする、もしくは報応二身を眼目異名とするといった用法が主だったものと見えます。

274一字三礼:2005/10/10(月) 23:15:54
横レス失礼します。

阿弥陀仏と観音菩薩

無量寿仏(アミターユス)の成立は古く、大乗仏典の中でも最初期に成立した経典のひとつ「般舟三昧経」からすでに登場します。

「妙法蓮華経」の化城喩品第七では「阿弥陀」、薬王菩薩本事品第二十三では「阿弥陀仏」とだけ記されておりますので、アミターユスかアミターパか分かりかねますが、「正法華経」の往古品第七では「無量壽超度因縁如來」、藥王菩薩品第二十一では「無量壽佛」と書かれていることからアミターユスとしての仏格で登場していることがわかります。

岩波文庫「法華経」の該当箇所では七の’前世の因縁’では「西の方角には、(九)アミターユス(無量寿)という如来と、」、二二の’バイシャジヤ=ラージャの前世の因縁’では「かの尊きアミターユス如来」とされます。

そこで妙法華は梵文が未だ発見されていないので正確には分かりませんが、正法華、岩波版現代語訳の二種類に共通していることから、法華経で阿弥陀仏が登場する時の仏格はアミターユスだったのではないかと考えられます。

また、華厳経(六十華厳)でも小品般若経でも登場する阿弥陀仏はアミターユス(無量寿)仏。
無量光仏(アミターパ)は、浄土三部経では「大経」に、「小経」では無量寿仏(アミターユス)です。

経典からはアミターユス(無量寿)とアミターパ(無量光)では、アミターユスの方が仏格成立が古いように感じられますが、もしかしたらその発生場所自体が異なるのかもしれません。

岩波文庫「法華経」二四の’あらゆる方角に顔を向けたほとけ’では「アミターパ仏」として登場しておりますが、同テキスト内で他の場面ではアミターユスですし、正法華経でも同様なので、ここだけアミターパとあるのは不自然です。(一)


阿弥陀仏と観音菩薩と勢至菩薩は常にセットのように考えられておりますが、「般舟三昧経」に登場するアミターユスは観音菩薩を伴ないません。「小品般若経」でも、アミターユスと観音菩薩は違う場面で現れます。法華経テキストも同様にアミターユスが登場する場面では観音菩薩は出てきません。

「般舟三昧経」「小品般若経」「法華経」から言えることは阿弥陀仏は少なくともアミターユスの段階ではまだ観音菩薩と密接に結び付いていなかったという事実です。(二)


(一)と(二)から岩波文庫「法華経」の下巻 P268〜269 のアミターパと観音菩薩が共に登場する部分は、他の法華経テキスト(正法華経・妙法蓮華経)に欠落していたのではなく、後代に付加されたとみるべきではないでしょうか。つまり、岩本師の採用したテキストがかなり新しいものだったのではないでしょうか。

275犀角独歩:2005/10/11(火) 06:53:42

一字三礼さん

274のご投稿、たいへんに興味深く拝読しました。

> 化城喩品第七…薬王菩薩本事品第二十三

Kern 訳では以下のとおりで、仰るように無量寿仏です。

Tath&acirc;gata named Amit&acirc;yus(CHAPTER VII.ANCIENT DEVOTION.)
Amit&acirc;yus(CHAPTER XXII.ANCIENT DEVOTION OF BHAISHAGYAR&Acirc;GA.)

それに対して、たしかに観音経のみ、無量光仏となっています。

the Chief Amitabha,(CHAPTER XXIV.CHAPTER CALLED THAT OF THE ALL-SIDED ONE, CONTAINING A DESCRIPTION OF THE TRANSFORMATIONS OF AVALOKITESVARA.)

> アミターユスの方が仏格成立が古い…その発生場所自体が異なる…

なるほど。そして、観音を伴うのは無量光仏であるということですね。
一字三礼さんに申し上げるまでもありませんが、法華経に現れる観音は、「観自在」とするほうが正しく、「観世音」は合成語理解の混同から生じた訳だというのが岩本師の解説でした。「あらゆる方角に顔を向けたほとけ」とは、 Samantamukha という別名を充てたということでした。この点は岩本師は Kern/Nanjiou の英訳を踏襲しているのだろうと見えます。

> 「正法華経」
こちらの漢訳は実に難読で、対照するのに骨が折れますが、観音に相当する菩薩は「光世音」と訳されているわけですね。ここでも、無量光仏に該当する箇所はないようでした。

いちおう、『添品妙法蓮華經』でも当たってみましたが、無量光如来(Amitabha)に該当する章句は、やはり、ありません。

> 欠落していたのではなく、後代に付加

なるほど。たしかにこの見方は説得性があります。

> 岩本師の採用したテキストがかなり新しいもの

岩本師が、というより、Kern 師・南条師本が、ということですね。

Saddharmapundarika,ed.by H. Kern and B. Nanjio, St.-Petersbourg 1912(Bibliotheca Buddica X)

実際のところ、羅什が翻訳した梵本法華経と、Kern/Nanjiou 本、特に観音・陀羅尼のあたりでは、相違が著しいわけです。元より、違うテキストによる二つの訳を並べて編集するという岩波文庫『法華経』の編集方針というのは、感心しません。

話が横道に逸れましたが、一字三礼さんのご指摘からすると、

Amit&acirc;yus > 羅什翻訳梵本成立 > 羅什訳 > Avalokitesvara(Samantamukha)/Amitabha > Kern/Nanjiou 本

という成立推移があるということになるのでしょうか。

276犀角独歩:2005/10/11(火) 07:58:32

重ねて一字三礼さん

『法華経』上(岩波文庫)の『解題』では

24.Samankamukha. ― <正法華> 光世普門品第23 ― <妙法華> 妙音菩薩品第23(同 P423)

となっていますが、対応する妙法華の章は、観世音菩薩普門品第25だと思うのです。
この対照表、間違っていると思いませんか。

277犀角独歩:2005/10/11(火) 13:52:43

古池さん

ただいま、Pohさんから、お電話を頂戴し、わたしが、ずっと古池さんのお名前を間違えているとのご指摘を受けました。いやはや、たいへんに申し訳ありませんでした。
謹んでお詫び申し上げます。

278一字三礼:2005/10/11(火) 21:27:19

犀角独歩さん

レスありがとうございます。

> 法華経に現れる観音は、「観自在」とするほうが正しく、「観世音」は合成語理解の混同から生じた訳だというのが岩本師の解説

 岩本師説は以下の論考について考慮いないように思います。少し長い引用になりますが、

 「観自在―原語アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokitesvara)を玄奘は「観自在」と訳した。この語は「観」(Avalokita)+「自在」 (isvara)と分解し得るのでそのように訳した。チベット訳語(spyan ras gzigs dban phyug)も同様の解釈に立っている。しかしクマ  ラジーヴァ(Kumarajiva 鳩摩羅什、略して羅什という)は『法華経』を漢訳したときにこの語を観世音または観音と訳した。
  何故そのように訳したか?第一の見解によると、クマラジーヴァが『観音経』の趣意をとってそのように美しく訳したというのである  。『観音経』すなわち『法華経』の普門品には      
      『若有無量百千万億衆生、受諸苦悩、聞是観世音菩薩、一心称名、観世音菩薩、即時観其音声、皆得解脱』
  とある。(柳博士『梵語学』二四一頁以下)第二の見解によると、観音の原名は古い時代にはAvalokitesvaraではなくて       Avalokitasvaraであったと推定され、またそのことは『法華経』西域本によっても確かめられる。(例えば本田義英博士『法華経論』  弘文堂、昭和十九年、一九五頁以下、同氏「観音の古名について」『竜谷大学論』第二九六号、昭和六年二月)その場合には、衆生に  音声を観ぜしめるという仏菩薩の慈悲行を、ついに人格化してここに観音という菩薩を表現したのであると解せられている。」(岩波  文庫 般若心経・金剛般若経)

第二の見解での、いわゆる’観音’は古名であるというのも事実のようです。(中村元説)


> Amit&acirc;yus > 羅什翻訳梵本成立 > 羅什訳 > Avalokitesvara(Samantamukha)/Amitabha > Kern/Nanjiou 本

先に挙げた中村師説を考慮に入れれば、

Amit&acirc;yus/Avalokitasvara > 羅什翻訳梵本成立 > 羅什訳 > Avalokitesvara(Samantamukha)/Amitabha > Kern/Nanjiou 本

となりますでしょうか。


> この対照表、間違っていると思いませんか。

イージーミスとは言えませんね、完全に誤りですね。

279小池:2005/10/11(火) 22:45:17

独歩さん、一字三礼さん

大変有難うございます。

上記のすばらしい解説で尽きていますが、あくまでひとつの参考までとしてですが、

「大乗仏典・法華経」(中央公論社、昭和51年刊)の訳注では、ちなみに次のように記されています。

観世音菩薩について
173 「自在に観察する」Avalokitesvaraに相当する漢訳としては、「観世音」よりも「観自在」のほうがふさわしい。ただし、中央アジアで発見された写本の断片にはAvalokitasvaraとなっていることから、これが観世音と訳されたとも考えられている。…

普門品偈について
177 「普門品偈」と呼ばれる詩頌は、「法華経」のなかで最も遅く成立した部分と考えられている。「妙法華」のなかのそれは羅什の訳ではなく、「添品」からのちになってとれいりられたものと推定されている。しかも、「添品」のばあいも、それ以前に訳されていた先賢の訳をそのまま編入したと考えるのが最も妥当な解釈かと思われる。

普門品偈の28から33の欠について
181 詩頌27から33は漢訳に欠く。これらは詩頌26までよりもさらに遅く成立したもので、おそらく「無量寿経」などに見える観世音菩薩を阿弥陀如来の脇侍とする思想になじんだものが加えたものであろう。
(注:詩頌27は28と思われます)

無量光如来について
182 「世間の主の王」は、「量り知れない光明(無量光)」如来、すなわち阿弥陀如来がまださとりをひらく前、「法の源泉(法蔵)」菩薩であったとき指導した本師の如来のこと。

アミターバかアミターユスについて
7化城喩品 無量の寿命(阿弥陀)という名の、正しいさとりを得た尊敬さるべき如来
22薬王品 無量の寿命(阿弥陀)如来
24観音品 無量光如来、量り知れない光明(無量光) 

と使い分けられていますね。なぜ(阿弥陀)となっているかは不明です。

280犀角独歩:2005/10/12(水) 07:11:01

> 一字三礼さん

観音の古名のこと、参考になりました。


> 古池さん

引用の書籍、長尾雅人師のものですか。
だとしたら、わたしは30年前に読みました。


> Pohさん

昨日はお電話有り難うございました。
以下、お二方へのレスも含めて、やや記します。

■法華経の成立は西暦前後200年という大枠で、わたしが考えすぎているとのご指摘

以下は『法華経』上 (岩波文庫)P428 に載る図を写し。

原型┬中央アジア本┬┬─正法華
  │      │└─コータン本
  │      └──妙法華
  └カシミール本┬──ギルギット本
         └┬─添本法華
          └┬チベット語本
           └ネパール本

(上記の表形式が崩れて見える場合は、Ineternet Explorer の[ツール(T)]、[インターネット オプション(O)]、[フォント(N)]、[Web ページ フォント(W)] のフォント種類を‘MS P〜’を‘MS〜’に変更すると、崩れずに表示されます)

■法華経の成立を西暦150年までに、とする点。

「たしか、『法華経』(田村芳朗・中公新書)に…」と仰った本、手許にありましたので、めくりました。

「…西暦150年ごろと見なしたのは、200年前後の出身であるナーガールージュナ(竜樹)の『大智度論』に『法華経』の最後の章まで引用されているからである」(P44)

とのことでした。なるほど、そうだったかと思い出しました。

仰るように‘この時点の法華経’として、立論するのは短絡でした。
なお、同論と竜樹、成立年代などには、その後、種々、検討されてもきましたが、いまは繁くなるので、ここまで。

281犀角独歩:2005/10/12(水) 07:11:46

―280からつづく―

■Kern の法華経はネパール本を校訂

田村師によれば、「オランダのケルン(H. Kern)と日本の南条文雄師が、デーヴァ・ナーガリー文字でもって法華原典を出版した。これは、ネパール系諸本に中央アジア系のペトロフスキー本などで校訂…英訳を試み、1884年にオックスフォードから“The Saddharmapundarika; or, The Lotus of the True Law”」(同P58)

ということでした。

岩本師は『法華経』上で「『添本法華経』は…現行のネパール所伝のサンスクリット語原典と一致している…従って現行原典の祖型はその訳出年次(世紀601年)より以前に遡れることが知られよう」といいます。

しかしながら、わたしが問題にした普門品の「阿弥陀」(Amit&acirc;bha)の記載に当たる文は『添本法華経』にはありません。7世紀の段階ではなかったわけです。この点で、岩本師の訳文と『解題』は整合性がありません。

ところが、この点について、『極楽と地獄』には、ちゃんと書いていました。

「3世紀と5世紀の初めに訳された『正法華経』にも『妙法蓮華経』にも見当たらない。すなわち、この二つの漢訳の原本にはこの箇所はなく、現在の梵本の祖先に後に添加された…アミダ信仰は後世の附加物といわねばならないだろう」(三一書房 P80)

一字三礼さんの274に「後代に付加」とのご指摘は的確な問題提議であったわけです。
よって、古池さん、謹んで訂正します。

■この法華経梵本テキストはいつ頃のものか

岩本師は「ペトロフスキー本…7・8世紀の書写といわれる」(上 P416)、また、大谷本…ギルギット…5・6世紀の書写とされ」(同 P421)といいます。

田村芳朗師は「ネパール系は11世紀、中央アジア系はそれ以前…7、8世紀の筆者と推定されるもの(ペトロフスキー本)もある。ただし、最近になって一部、新説が出てきた。7、8世紀の筆者と推定されたものを含め、2、3の中央アジア系写本はむしろネパール系より新しいという」(『法華経』中公新書、昭和44年7月25日 P58)

11世紀!、Pohさんの記憶は合っていました。「日蓮の100年前」という指摘もまさにそのとおりでした。

皆さん、有り難うございました。
今後とも、有意義なご投稿をお願いいたします。

282Poh:2005/10/12(水) 14:26:53
独歩さん

すっかりお手間とらせてしまい申し訳ありませんでした。
とにかく私が、手持ちの学会&仏教関係書籍と資料を人に貸してしまっているため、
自分で調べることができないのが悪いのです。

掲示板への投稿を休むにあたり、「資料や書籍がなければ、書き込みもできまい」などと浅慮を働かし、
元々少ない蔵書の大半を知人の求めに応じて貸し出してしまったのが、かえってあだとなってしまいました。
といって、しばらくは図書館等で調べ直す時間もなく……ということで、昨日の電話と相成った次第です。

私は仏教に関してはほとんどが『読み学問』のため、人名、経典名ほか、なにかと間違った発音をすることが多く、
電話での聞き取りにはご苦労をおかけしますことも、加えてお詫び申し上げておきます。
私の頓珍漢な考察や解読不能の発音にも、いつも笑いもせず真剣に耳を傾けてくださる独歩さんには、本当に頭が下がるばかり。

事の関係で、このような気軽な書き込みなら打ち込む時間はなんとか作れるのですが、
この掲示板へのマジレスの場合はそういうわけにもいかず、
しかと種々の資料を精読し、しっかり裏付けをとるための時間がどうしてもとれません。
(その上、ここ3年ほど学会や仏教にはとんとご無沙汰だったですし……)

その点、ご迷惑をおかけしますが、今しばらくわがままをお許し下さいませ。
今度とも何卒宜しくお願いいたします。(土下座!)

283小池:2005/10/12(水) 20:20:19
独歩さん

大変有難うございます。大変勉強になります。

ささいなことですみませんが、
10月9日の独歩さんのブログを拝見していたところ
>「本尊説を確立されたのは望月歓厚師。立正教学の基盤を確立したといっても過言ではない」
と記されていますが、法華経の題目観についての考えなども望月師の考えは拝聴すべきものがあるのでしょうか。もしもご存知でしたら教えて頂ければありがたいです。

284小池:2005/10/12(水) 23:45:50
独歩さん


不軽品20で、「我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏。」
(我深く汝らを敬う。あえて軽慢せず。ゆえんはいかん。汝らみな菩薩の道を行じて、まさに作仏することを得べし)
の24文字の略法華経をもとに仏となったというものだと思うのですが、間違っているかもしれませんが、敬う心で仏になるという理屈なのでしょうか。
単に敬う心が大切ならば、人に瞋恚を生じさせるような振る舞いをしなくてもいいと思うのですが。この品の文脈も私の浅薄な頭ではよく把握できませんでした。

御義口伝では「この24字と妙法の5字は替われども・其の意はこれ同じ・24字は略法華経なり」とありますが「其の意」が妙法5字と24字で同じというのはどういう訳でなのでしょうか。
いつも幼稚な質問ですみません。教えて頂ければありがたいです。

285犀角独歩:2005/10/13(木) 08:30:25

Pohさん

また、お気付きの点がございましたら、ご一報ください。
有り難うございました。

286犀角独歩:2005/10/13(木) 09:26:28

小池さん(こちらの字でよろしいのでしょうか)

> …法華経の題目観…望月師の考えは拝聴すべき

ブログは、一種の備忘録で、該当記載も片岡邦男師の講義内容を記すばかりです。
望月師の題目観を、不勉強なわたしには直ちに簡潔に思い出せませんが、参考にすべき内容があれば、資することは大いにけっこうなことであろうと考えます。

> 不軽品…敬う心で仏になるという理屈

そのように言えないこともありませんが、より正確に記せば、ここのコンセプトは、礼拝行であり、「其罪畢已」ということでしょう。その礼拝は「敬い」「堪忍」に基づくという順位でしょう。そのような不軽の心身は「浄い」=罪を積まない=過去から蓄積された罪が消える=結果、仏果を得るということであろうと思います。

> 人に瞋恚を生じさせるような振る舞い

「瞋恚」するかどうかは、礼拝された相手の心の問題です。
敬われ、敬いの心、信順の心が生じれば順縁、瞋恚が生じれば逆縁、順逆共に仏縁、瞋恚の人有って・敬礼する側が心にただ礼拝の順のみあれば、罪を滅するというのが教学的な態度であろうかと存じます。

「不軽菩薩の悪口罵詈せられ、杖木瓦礫をかほるも、ゆへなきにはあらず。過去の誹謗正法のゆへかとみへて、其罪畢已ととかれて候は、不軽菩薩の難に値ゆへに、過去の罪の滅するかとみへはんべり」(転重軽受法門)

> 御義口伝…「其の意」が妙法5字と24字で同じ

御義口伝を日蓮の直接の説とすることはできません。この点については、わたしのサイトに執行海秀師の『日蓮教学上に於ける御義口伝の地位』という秀でた論文を置いているので資してください

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_002.html

該当の箇所は

「第五 我深敬汝等 不敢軽慢所以者何汝等皆行菩薩道当得作仏の事
 御義口伝に云はく、此の二十四字と妙法の五字は替はれども其の意は之同じ。二十四字は略法華経なり」

と二十四文字についての御義口伝という体裁を取っています。その意が同じというのは、この二十四文字が示す、敬い、軽慢しない、一切衆生が菩薩道によってやがて仏を得るとする点が、法華経典全編であれ、二十四文字であれ、題目の五字であれ、同じである、故にこの二十四文字は簡略に示された法華経といえるということでしょう。

この解釈は当を得ています。ですから、いま、法華経を信仰する、日蓮を信仰するといい、経巻、遺文を読み、口に題目を唱えても、相手が不信、謗法であるなどと理由を付けて、敬わず、軽慢すれば、そのような信仰者は法華経、日蓮の意に外れるということを、この文は示しているのです。信仰者、行者の心の置き方を示した簡潔な説明です。

なお、真跡で、この「二十四文字」を示すのは、やはり、以下の文でしょう。

「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て、閻浮提に広宣流布せしめんか。例せば威音王仏の像法之時、不軽菩薩、我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如き也。彼の二十四字と此の五字と、其の語は殊なりと雖も、其の意、之同じ。彼の像法の末と、是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫也」(顕仏未来記)

言うまでもありませんが、「不軽菩薩は今の教主釈尊なり」(日妙聖人御書)で、この点は不軽菩薩品に「豈異人乎 則我身是」で菩薩行の釈尊です。比して日蓮は、その初発心の弟子・上行の自覚で名字凡夫を言うのでしょう。ただし、これは名字凡夫=示同凡夫=自受用という日蓮のあずかり知らない『秘密荘厳論』の諸説とは関係のないことです。生仏(衆生・仏)の配立に基づくのであろうと考えます。

「天台大師の云く ̄是我弟子応弘我法〔是れ我が弟子なり、応に我が法を弘むべし〕。妙楽の云く ̄子弘父法有世界益〔子、父の法を弘む。世界の益有り〕。輔正記に云く ̄以法是久成法故付久成人〔法是れ久成の法なるを以ての故に久成の人に付す〕等云云」(本尊抄)

という教学的態度です。

287犀角独歩:2005/10/13(木) 10:07:36

一字三礼さん

観音についてですが、「自在(isvara)」ということがキーワードになっているわけですね。

『あらゆる方角に顔を向けたほとけ(CHAPTER CALLED THAT OF THE ALL-SIDED ONE, CONTAINING A DESCRIPTION OF THE TRANSFORMATIONS OF AVALOKITESVARA.)でも登場する世自在王(Lokeshvararaja)は Siva に起源を求める説もあるわけです。

オウム真理教がシバ大神をサティアンに祀ったとき、「オウムが仏教だというけれど、シバなんか祀るのは仏教はない」と言って失笑を買った識者がいたと記憶します。それもそのはずで、Siva は日本名で他化自在天、第六天の魔王として日蓮漫荼羅にも勧請されているからでした。。

この世自在王の自在、観自在菩薩の自在、共に「自在」で共通していることになります。これは偶然ではないと思えます。

ただ、自在(isvara)にどのような思想性があるのかは、わたしにはわかりません。ただ、この脈絡から『御義口伝』の「自受用身(ほしいままにうけもちいるみ)とは一念三千なり」という一節が思い起こされました。説明するのは容易なことではないのですが、何らかの脈絡を感じなくもありません。

もう一点。世自在王(Lokeshvararaja)が Siva であり、シャーラ王(Sala)が Visnu であるということは、要は、ここの記述はヒンドゥー教の二大神を意識した構成になっているわけなのですね。その延長にある Amitabha という位置づけが窺えます。

今さら気付きました。

288一字三礼:2005/10/13(木) 21:11:52
小池さん

「大乗仏典・法華経」(中央公論社、昭和51年刊)の紹介、ありがとうございます。

無量寿(アミターユス)の方が、無量光(アミターバ)よりも成立が古いという推測は成り立つのかもしれませんね。

無量寿(アミターユス)は、’尽きない寿命’から仏の、もしくは仏法の永遠性を表現したもの。

無量光(アミターバ)は、’太陽光’から仏の、仏法の普遍性を表現したもの。

’永遠性’の方が’普遍性’よりも先に成立した理由は何でしょうか。

法華経の「如来寿量品」でも「慧光照すこと無量に 寿命無数劫」と表現しながらもその仏の性質は光ではなく、寿量ですね。これに対して華厳経の教主は廬遮那仏(毘廬遮那仏)です。

法華経の方が華厳経よりも成立が古いという説も成り立つかもしれませんね。

289一字三礼:2005/10/13(木) 21:13:12
犀角独歩さん

観世音菩薩(観自在菩薩)の起源を何処に求めるか、は難しい問題です。

犀角独歩さんが指摘されていたナナイアをはじめ、アナーヒター、アナテ、シヴァの伴侶ウマーなどが観音の起源として挙げられますが、いずれも女神、しかも’大地母神’なんですよね。

それこそ犀角独歩さんに今さら申し上げるまでもありませんが、’大地’を女神、特に’母神’と結び付ける理由は、大地に草木が種を落とし、草木が枯れ果てても、また新しい芽が出るという現象を、母が子を産むという母性原理と同一視するからであり、同時に動植物が土に還る(大地に還っていく)という側面から’大地母神’は’死’を司る側面も併せ持つものわけです。

ところが観音の原語アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokitesvara)は男性名詞であるとのこと。

子を孕めない男性である神(観音)が、先に挙げた女神達(ナナイア、ウマー等)の根本原理である’母性’を受け継ぐことはできないのではないでしょうか。

はたして’大地母神’の性質が男性に変更されても維持できるのか、というのが私のもっとも肯けないところです。

余談ですが、松山師の多宝如来を’大地母神’に見立てる説も同様の理由で首を傾げざるを得ません。

現実に目にする観音菩薩像は、仰るように大概はヒンドゥー教の諸神、特にシヴァ神、ヴィシュヌ神の別名ばかりです。

観音菩薩は、「阿弥陀経」(小経)では会座にも侍っていなかったのに、「無量寿経」(大経)では、勢至菩薩と共に阿弥陀仏の傍らに移り、後に阿弥陀仏の救済と浄土の性質を吸収して、「不空羂索神変真言経」の成立に至ってついに阿弥陀仏からも独立し、菩薩でありながら南方に自分の浄土を持つまでになります。その間に吸収していった仏格、神格は膨大なものであったと推測されます。

290小池:2005/10/13(木) 21:28:25
286 独歩さん

大変有難うございました。よく拝読致したいと存じます。

291小池:2005/10/13(木) 21:54:28
288 一字三礼さん

大変有難うございます。

>無量寿(アミターユス)の方が、無量光(アミターバ)よりも成立が古いという推測は成り立つのかもしれませんね。
’永遠性’の方が’普遍性’よりも先に成立した理由は何でしょうか。

私自身はこのへんの知識を有していませんので、渡辺照宏師「お経の話」岩波新書P194から引用します。
「浄土信仰の発生
東アジアで浄土教といえばアミダ仏の極楽世界の信仰にきまっているようだが、アミダ教の成立までには次のような予備段階があった。
第一、シャーキャムニが生まれた地方には古くから過去仏の信仰があり、彼は比較的近い系列のうちの第七番目と信じられていた。
第二、シャーキャムニ仏陀の弟子のうちで若くして世を去った天才マイトレーヤがつぎに出現する未来仏として期待された。
第三、他方の諸世界にもそれぞれ仏陀が出現するという信仰が発生した。それらの世界の構成は民間信仰の神話的世界観に準じて構想された。
第四、多くの仏国土のうちで、はじめは東方のアクショービヤ(阿しゅく)が優勢であったが、やがて西方のアミターバがそれに代った。
第五、アミターバ(無量光)仏陀はやがてアミターユス(無量寿)となり、その不死性が強調されるようになった。」

と記されています。1967年の著書ですので、最近ではもっと新しい見解が出ているのかもしれませんし、アミターバ→アミターユスとなった詳細が記されていないと思います。
確かに、普遍性(太陽の光)と永遠性(仏の寿命の長遠)という観点も重要だと思います。

292小池:2005/10/13(木) 22:16:29
観音について、御議論の邪魔になったらお詫びしますが、
平川彰・望月良晃「法華経を読みとく」(下、春秋社2000年)P195には
「観音さまはAvalokitesvaraと言いまして、観自在菩薩と訳します。avalokitaは「観られた」、isvaraは「自在」という意味で、あわせて「観自在菩薩」です。般若心経の中で、玄奘は「観自在菩薩」と訳しています。
羅什は「観世音」と訳しています。古形のAvalokitasvaraのsvaraというのは「音」という意味で、「観られた音」と訳せるのです。苦しんでいる衆生の言葉を観て観音さまがそれを済度されるというのが、Avalokitasvaraなのです。
つまり、「観自在菩薩」と言えば一切世間のものを自由自在に観られる菩薩という意味になり、「観世音」と言えば「世間の音」すなわち苦しんでいる衆生の音、その姿を観て済度される、という意味です。」

293小池:2005/10/13(木) 22:39:14
一字三礼さん

すみません。アミターバとアミターユスについて、渡辺師の本の続きを書き漏らしていました。

P196-197「無量寿経
東アジアのアミダ経では、いわゆる「浄土三部経」を根本聖典とする。「無量寿経」(通称「大経」)、「阿弥陀経」(通称「小経)および「観無量寿経」の三であり、年代的にみてこの順に成立したものと考えられる。厳密にいうと、この三つの経典の内容には少しずつ差があり、それぞれ別の環境において成立したものと思われる。 中略

むかし世自在王如来のとき、法蔵(ダルマカーラ)という出家修行者が将来、仏陀になろうとして多数の仏国土の状態を学び知り、それらのうちから長所をえらびとり、それによって自分の理想の浄土を建設する誓願をたてた。その誓願が成就して、現在、西方にスカーヴァティー(安楽、極楽)とよばれる仏国土があり、そこにアミターバという名の仏陀となっている。中略

つぎに、アミターバ仏陀の寿命について述べる。古い二訳によると、寿命がきわめて永いというのみであって、ついには入滅し、そののちは観世音が仏陀となって後を継ぎ、さらにそのあとには大勢至が続くことになっているが、このことは魏訳以下には省いてある。この変更に伴って誓願の項(漢訳第14、呉訳第19、魏訳第13)もまた変更されることになった。すなわち古い二訳では「人人が一所懸命になって計算してもきわめつくせない」ということであったのに対して、魏訳以下ではただ「きわめつくせない」ということにしてしまったために、ついに「無量寿」(アミターユス)という観念が生じた。 以下略」

294犀角独歩:2005/10/13(木) 23:45:51

一字三礼さん

観音像が両性具有である理由はどのようにお考えになりますか。

295犀角独歩:2005/10/13(木) 23:48:00

なお、わたしが問題にしたのは、「自在」という点です。
この点は興味深いと思います。

296小池:2005/10/14(金) 00:06:37
引用ばかりで気が引けますが、御議論の一助としてお役に立てばと思い、
前述の平川師の「法華経を読みとく」(上)P39によりますと
「(平川師)文殊菩薩が大乗仏教のオーソドックスな正系なのです。弥勒菩薩は前の原始仏教からずっと来た人で、つまり大乗仏教の興る前から有った人ですから、大乗仏教に入ってきても正系に入れないんです。観音さまなどは余所から来た仏さまです。ヒンズー教から入ってきたのです。…
「三十三身に身を現じる」という言葉があるでしょう。あれはシヴァ神なのです。シヴァ神に三十三の名前があるのです。ですから観音さまの元をだとっていくとシヴァ神になってしまうのです。弥勒菩薩は余所から入ってきた菩薩で、生え抜きの菩薩は文殊菩薩なのです。弥勒菩薩は初めは大乗にいれなれなかったのです。般若経にも弥勒菩薩が出てきますが、法華経と弥勒菩薩の関係はもう少し研究する余地が有ります。
(望月師)先生、どういう菩薩にどういうことを説いたか、ということはあるのですか。
(平川師)それは、あまりないようです。ただ、観音さまはどういう菩薩か、お地蔵さまはどういう菩薩か、ということ、そういう場合に弥勒は将来仏ですから、阿含経にも出てくるのです。大乗仏教は弥勒から来たものではないのです。大乗仏教というのはやはり文殊菩薩です。大乗で一番古い菩薩は文殊菩薩です。文殊菩薩に関して、阿じゃせ王経とかいろいろな経典が有りまして、やはり大乗を開いた菩薩は文殊菩薩です。ただ結局、仏さまの教えを祖述しているわけです。それはやはり見仏の体験です。それが大切です。」

同書下P138「大乗仏典には必ず出てきますが、観音さまなどは他教から来た仏です。つまり、観音・勢至という菩薩は必ずしも仏教での名前ではないのです。観世音は観自在とも訳し、梵語はAvalokitesvaraと言い、avalokitaは「観られた」、isvaraは「自在」で、当時尊崇されていた神さまが仏教に入ってきて観音さまになっているのです。……大乗仏教というものがどうしてできたかというようなことは、ある一つの見方を掴むと分かってくるということがあるでしょう。文殊菩薩は大乗仏教を興した菩薩の一人です。お釈迦さまも文殊に導かれて大乗仏教に入った、ということが出てくる経典もありますから。…」
同書下P171「浄土教はもとは法華経とわりあい仲が良かったのですね。…」

297犀角独歩:2005/10/14(金) 01:08:29

ちょっと、今日は少し酒が入って帰ったので、簡単に記しますが、要は33に変幻“自在”というところに、ポイントがあり、また、観音、阿弥陀、法華経を考えるとき、重要なキーワードは「変成男子」ということです。

また、たとえば観音でも准胝観音などはシバの后が原形といわれ、そうなれば女性形ということになります。

ですから、一字三礼さんのご指摘はもっともですが、女性形・変成男子・男性形という男女二性のほかに、もう一つ、考えないとこの辺りの思想風土は解けないと、わたしは考えています。

298犀角独歩:2005/10/14(金) 01:25:19

あと、華厳経は法華経より古い?というのが一般的な見解なのでしょうか。松山師は般若、法華経の順位ということでした。

また、一つ、法華経では寿量(=無量寿)思想が見られ、実際のところ、編入されている阿弥陀は Amit&acirc;yus (無量寿)で整合性があります。その後、添加されたのが Amitabha で、この場合、無量光(Amitabha)という順番です。

岩本師は、まず Amit&acirc;yus が西暦1世紀頃、ついで、Amitabha が西暦2世紀という説です。Amitabha の法華経編入が後代に属することと整合性があるとわたしには思えます。

…、やや説明不足で記しましたが、単に斥けるのではなく、まあ少し、わたしが書き込んだことを考えてみてください。

299Poh:2005/10/14(金) 08:53:29
1)
独歩さん

華厳経関係の書籍・資料は貸し出しておりませんので、幸いなことに多少は手元にありますし、また先にお話ししたように、ちょうど現在必要に迫られて再読をしはじめたところでもあります。
先だってお手数をおかけしたお詫びに、せめて引用だけでもさせて頂きましょう。(笑)

「インドにおいては、『華厳経』を構成している各品である『十地経』や「入法界品」などは流布していたが、これらの小さなお経を集めて編纂された大華厳経は、まだ存在していなかった。中央アジアの于■【門+眞】[うてん]において初めて現存する『華厳経』が編纂されたのである。」(鎌田茂雄『華厳の思想』講談社学術文庫。P24)

「『華厳経』、詳しくいえば『大方広仏華厳経』とよばれるものが漢訳に三本あり、巻数にしたがってそれぞれ『六十華厳』『八十華厳』『四十華厳』とよばれるが、このうちの第三は前の二の最後の大きな章『入法界品』のみに相当する。
 『華厳経』のうちでサンスクリット語原典が現存するのは『十地品』『入法界品』の二章のみで、いずれも独立の経典としてネパールでは“九の法”のうちに数えられている(*)。
          *そのほか『普賢品』の大半と『十廻向品』の一部とが『シクシャーサムッチャヤ』
           (漢訳『大乗集菩薩学論』)の中に引用されていて、その原文をみることができる。
 また『華厳経』のうちのいろいろな部分はそれぞれ独立の経典として漢訳されているものがある。翻訳は古くは二世紀後半から新しいものは八世紀末までにわたり、同じ本が何度も訳されているのを比較すると変遷の跡もわかるが、また異本が同時に並行して行われたと思われる例もある。さまざまの漢訳の単行本があるところをみると、もともと別別の経典であったものを次第に集成して『華厳経』という一大集成ができたものと推定される」(渡辺照宏『お経の話』岩波新書。P149)

「華厳経は『大方広仏華厳経』の略で、方広(ヴァイプリヤ)は大乗を示し、仏華厳は仏が完備する深遠なさとりを花環(アヴァタンサカ)で飾りたてる。その原典は『十地経』と『入法界品』という別の二部であり、それぞれは古く、サンスクリット本も漢訳もある。現存する華厳経は、漢訳が五世紀はじめの六十巻本と、七世紀末の八十巻本とあり、別に『入法界品』の八世紀訳である四十巻本もあって、各々は六十華厳・八十華厳・四十華厳と通称され、そのうち六十華厳が古くから読まれる。」(三枝直悳『仏教入門』岩波新書。P153)


「華厳経として現在あるものはひじょうに厖大なものですが、最初からこのような大きな経典がまとまったものとしてあったわけではありません。はじめは各章(品といいます)が、それぞれ独立した経典として少しずつつくられました。もっとも古いものは「十地品」で、『十地経』(サンスクリット語で「ダシャブーミカ(Dasabhumika)」)として編纂されたのがだいたい西暦紀元一世紀から二世紀ごろです。そして『華厳経』全体が集大成されたのは、、四世紀ごろではないかと推定されます。
          (中略)
「入法界品」の原名はガンダヴューハ(Gandavyuha)であったことが知られていますが、ナーガールジュナ(竜樹)の著作に『不可思議解脱経』として引用されていることもありますから、古くはこの名でよばれていたこともあったのでしょう。Gandavyuhaとは「雑華の飾り」という意味です。そうしてまた『華厳経』の原名もGandavyuhaと称していたようです。『華厳経』はまた、『雑華経』とか『百千経』とかよばれていたこともあったようです。
          (中略)
『華厳経』はいろいろな人が手を加えたらしいので、訳によってかなり相違がありますが、古い訳である六十巻本によると、この経典は七処八会、三十四品(章)からなっています。七処とは、説法の場所が七つあることを示しています。八会というのは、集まった会座の数が八つあるということです。」(中村元『華厳経・楞伽経』東京書籍。P16〜P21)

300Poh:2005/10/14(金) 08:55:07
2)
「九十九偈半の詩句(Poh註:六十巻本「入法界品」の最後――すなわち『華厳経』終結部、善財童子が普賢菩薩に会って教えを請うた際、普賢菩薩が、「求道の末に到達する究極の仏の境地=仏徳、あるいは仏のはたらき=果用」を説くために唱えたとも解釈される九十九の詩句[韻文]のこと)は、自由奔放ではありますが、内容が単純で、体系的に教えが述べられていませんから、原本(サンスクリット語のもの)はかなり古い時代の成立だと思われます。この六十巻本(Poh註:東晋の仏陀跋陀羅訳)は418年から420年に漢訳されましたから、原本は四世紀にはまとまっていたはずです。
 ところが、遅れて成立した八十巻本(唐の実叉難陀訳)や四十巻本(唐の般若訳)では、その一連の詩句がすっかり異なっています。そしてまた、この一連の詩句に対応するものが、『普賢菩薩行願讃』(不空訳)として独立に伝えられていますし、さらに独立のサンスクリット原文も今日に伝えられ、刊行されています。
 また、六十巻本では九十九偈半の詩句でしたが、四十巻本に近いサンスクリット原文では六十二の詩句になっています。そして、そのうち第一から第四十八偈は、普賢菩薩があらゆる仏を讃歎し、人々に奉仕することを誓うという内容ですが、第四十九から第六十二偈には、阿弥陀(アミターバ、無量光)仏にたいする讃歎のことばが出てきます。釈尊に言及している一説に阿弥陀仏が突然出てくるのは奇異ですし、趣旨が矛盾しているようにも思われるのですが、アミターバ信仰がようやくさかんにおこりつつあった時代に、この部分がつけ加えられたのではないかと考えられます。
 このように、いわゆる「普賢行願讃」といわれるこの一連の詩句は、華厳思想を奉ずる人々のあいだでもそうとう複雑な変遷あるいは発展があったことが知られていますが、それは大きく三つの段階に分けられると思います。
 第一段階。(一)毛の尖端や微塵の中にも全宇宙を見出し、過去・現在・未来のすべてを現在の一刹那のうちに見出す原始華厳思想をいただいていた人がいました。その名は不明ですが、かれは普賢菩薩を崇拝していました。(二)そして、その実践は「すばらしい行い」(bhadra-cari)とよばれ、それがまたこの一連の詩句の題名となって、この題名のもとに後世に伝えられました(bhadra-cariとは「良い、すばらしい、めでたい」などの意味合いがあり、漢訳者はこれを「賢」と訳しました。しかし、今日「あの人は賢い人だ」などというときの「賢い」とは少し意味合いがちがいます)。(三)ここではすべての仏を礼拝しています。とくに一人の仏に限ることはありません。
 第二段階。阿弥陀仏の信仰がさかんになるにつれて、この仏を讃歎する詩句があとでつけ加えられました。
 以上一連の詩句がつくられたのは、おそらくクシャーナ王朝時代、つまり西暦三世紀以前です。全体が崩れた仏教サンスクリット語で書かれていて、美文体(kavya,ornate style)の影響を受けている入法界品の散文とは様式を異にしています。そうしてこれらの詩句の文法は、クシャーナ時代の諸碑文の文法と類似している点があるのです。
 第三段階。これら一連の詩句が後代に、四十巻本の『華厳経』の末尾に付加されました。八十巻本『華厳経』が漢訳されたのが695年から699年であり、四十巻本が漢訳されたのが795年から798年ですから、現存のサンスクリット原典には、その中間の、八世紀初頭から中葉にかけて付加されたのでしょう(八十巻本にふくまれている行願讃は四十巻本のそれとはかなり異なっています)。
          (中略)
(Poh註:四十巻本中の「普賢菩薩行願讃」(般若訳)と、サンスクリット原文(鈴木大拙・泉芳蓂校訂)を対照すると)第四十六から第四十八詩は、サンスクリット原文と般若三蔵との漢訳がかなり異なっています。おそらく、第四十九詩以下はアミターバ(阿弥陀)仏を讃えている部分で、あとでつけ加えられたのでしょうから、古い部分に接合するときに、加筆する人の手が異なっていたためでしょう。
(Poh註:また四十巻本のうちの「普賢菩薩行願讃」よりも、現存のサンスクリット文はかなり長くなっていて、これを中村氏は「きっと後世の増広でしょう」と推察している)」(中村元『華厳経・楞伽経』東京書籍。P129〜P167)

301Poh:2005/10/14(金) 08:55:49
3)
ことに最後のアミターバ(阿弥陀)信仰と普賢菩薩行願讃の、中村元氏の考察は興味深いですね。
普賢菩薩に関しては、なにやら法華経・普賢菩薩勧発品第二十八との関連性も匂ってくるような?(笑)

しかし、経典の根本思想を探り、その変遷を追うためには、なるほどサンスクリット&漢訳の後代による部分的加筆修正の跡をたどってゆくのは絶対不可欠とはいえ、どうもパンドラの箱を開けてしまうかのような危険な香りも漂ってくるような気がしてしようがないのは、はて私の錯覚でしょうかしら?(笑)

ということで、長い引用になりましたが、ご参考まで。

302Poh:2005/10/14(金) 09:09:04
ついでといっては何ですが、先だっての長文レス(>>216>>230)中の訂正を。

>>224
>崑崙山脈北縁沿いに西行した
     ↓
崑崙山脈北縁沿いに東行した

>>228
>キルギット
   ↓
ギルギット

他にも、「教典→経典」とか「退去→大挙」とか、わんさかあるのですが、致命傷と思われるものだけピックアップいたしますこと、ご容赦下さいませ。

いやそれにしても……どうもすっかり記憶力が退化して、地名などをうろ覚えで書くといけないようです。
その上、大好きな高杉晋作(東行)まで西行法師と間違ってるし……。(涙)

あ、ちなみにすでに何度かお話ししていると思いますが(年寄り同士のやりとりの典型ですな……笑)、私は独歩さんよりほんの少しだけ年下――ただし四捨五入すれば、もはや五十でありますよ。

303Poh:2005/10/14(金) 10:28:09
独歩さん

ついでのついで、ですが……
先般、霊鷲山のビデオをお貸しする約束をしましたが、それまでの「つなぎ」に、とりあえずこんなHPなどどうぞ。

http://www32.ocn.ne.jp/~mrhiro/india/rajgir2.htm
http://www.saray.co.jp/osaka/city-info/rajigir.htm

これも電話でお話ししましたが、霊鷲山で釈尊が説法するという場面設定は、無量寿経も同様です。
――ご承知のように、釈尊が一万二千人の比丘と無数の菩薩などに向かい、阿弥陀仏について説法するというストーリー仕立てになっておりますようで。

304犀角独歩:2005/10/14(金) 11:10:19

Pohさん

有り難うございます。
このスレで、というより、当掲示板で、話が華厳経に及ぶとは思いませんでした。
この経典は量が多すぎて、絞って語るのがむつかしいですよね。
天台は法華経というより、華厳経に重があると書いていたのは、たしか坂本幸男師であったと記憶します。こうなると、天台の法華経理解の、どこに華厳理解の影響が反映しているのかは重大なテーマになり、となれば、華厳の理解は必須となりますが、もはや、現段階では手に負えない気分になります。

全体にレスをすると長くなってしまうので、ピックアップして。

華厳経の古名が入法界品の原名 Gandavyuha であるという点です。 vyuha はPohさんの引用では‘飾り’となっていましたが、荘厳と訳されることもあるわけでしょう。

阿弥陀経の原名が Sukhaavatiivyuuha で‘極楽の荘厳’でした。華厳経にも阿弥陀の影響があるとのことでしたが、原名で、キーワードが同じとなっている点が興味が惹かれますね。

華厳の華とはどんな華を指すのでしょうか。原名であるという Ganda は‘雑華’ということなのですね。花と言えば、法華経、pundarika, padma(lotaus)が彷彿とします。この起源がどこに求められるのか、これもまた、たいへんな話になるので、取り敢えず議論は置きますが、花がキーワードで法華経とコンセプトを同じにしているように思えました。

漢訳の‘方広’(vaipulya 毘仏略)が初期の大乗の漢訳語であったことはいまさらことわるまでもありませんが、この漢訳は興味深いと思いました。‘方’とは四角ということで、古代の世界観では大地が方形(四角)をしており、その一つひとつの角が東西南北に当たるということでした。要は、この方形が広いというのが‘方広’ということでしょうか。それとも方は方形(四角)というばかりではなく、四角い箱(=入れ物)といった意味合いもあるのでしょうか。そうなると、これは乗り物にも通じるわけで、大乗・小乗といった言葉と、意味合いが俄然近くなってきます。大乗は Mahāyāna の訳語ですから、まあ、‘方広’とは違うという意見もあるかも知れません。Pohさんも引用された大方広仏華厳経は Buddhavatamsakanama-maha-vaipulya-sutra で maha-vaipulya が対照語となりましょうか。この辺まで来ると話が法華経から離れるので、取り敢えずやめにしますが、インド文化を「文明のるつぼ」と称した学者がいましたが、まさにその様相を呈しています。

追っての霊鷲山紹介ページのご紹介、有り難うございました。
二つめのサイトの説明文、

「霊鷲山山頂の香室跡。ここで法華経や観無量寿経の他、たくさんのみ教えが説かれた」
これはちょっと笑えました。

なお、打ち間違いは、変な突っ込みなしで「判読」をお願いするしかありません。
ブログと違って、投稿は修正できないのはつらいですね。

305Poh:2005/10/14(金) 12:04:45
独歩さん

華厳経の経名については、吉田叡禮氏による、教学いやさ驚愕のHPサイト『華厳無盡海』によれば、
http://homepage3.nifty.com/huayan/eirei.htm

「中国の華厳学者たちは、これを「偉大(大)で、正しく(方)、広大(広)な、仏(仏)〔の世界〕を〔菩薩の様々な実践の〕花(華)によって飾る(厳)〔ことを説く〕経」という意味に解釈する。」
とあり、その後、氏の興味深い考察が続いています。
http://homepage3.nifty.com/huayan/doctrine/sutra01.htm

とにかくこのHP、その量といい質といい、私のような者には読みこなすのがあまりに大変なので、ご紹介のみさせて頂きます。(苦笑)

>「霊鷲山山頂の香室跡。ここで法華経や観無量寿経の他、たくさんのみ教えが説かれた」
>これはちょっと笑えました。
これ書いた人、大真面目に書いているのでしょうかね?……それとも、やむなくか?(笑)。

あと蛇足ですが、私も個人的に、天台系の思想・解釈を語るに、歴史的にみても、華厳(ことに縁起思想)抜きにはできないと考えておりますが……。

306Poh:2005/10/14(金) 12:54:54
>>305 自己レス補足
>私も個人的に、天台系の思想・解釈を語るに、歴史的にみても、
>華厳(ことに縁起思想)抜きにはできないと考えておりますが
これは言葉足らずでした。
私は坂本幸男氏の記述に乗っかった発言ではなく(氏の記述の主旨がよく分かっていないので)、
少なくとも昭和以前の日本における大乗仏教研究が、常に天台系「実相論」と華厳系「縁起論」の対比の中で語られ、
また発展してきたという歴史的経緯を踏まえての発言です。

307小池:2005/10/15(土) 08:39:24
独歩さん

おはようございます。

297についてですが、教えて頂けますでしょうか。
>要は33に変幻“自在”というところに、ポイントがあり、また、観音、阿弥陀、法華経を考えるとき、重要なキーワードは「変成男子」ということです。
また、たとえば観音でも准胝観音などはシバの后が原形といわれ、そうなれば女性形ということになります。
…女性形・変成男子・男性形という男女二性のほかに、もう一つ、考えないとこの辺りの思想風土は解けないと、わたしは考えています。

について、もう少し解説頂ければありがたいです。

「もう一つ考えないとこのあたりの思想風土は解けない」というのは、「空」ということでしょうか。空であれば男女にこだわることはないと思うのですが。
あるいは、ガンダーラ地域の西暦1、2世紀あたりの思想風土がどのようなものだったのか私にはわかりませんが、現代で言う性転換みたいな形で男性になってしまうということでしょうか。
あるいは、仏の梵語は男性名詞とかいうらしいですが、仏の場合は男女を超えているという見方なのでしょうか。

あと「変成男子」という考えに岩本先生が注目されておられますが、このあたりについてもう少し教えて頂けますでしょうか。

308小池:2005/10/15(土) 11:06:25
Pohさん 独歩さん

Pohさんの218-229を再度拝読し、その豊富な内容に深く感謝申し上げます。
これを踏まえて、教えて頂ければありがたいです。

1.法華経が成立した地域は、西北インド・ガンダーラ地方だろうと想定されており、「法華経製作者」はインド人だとばかり思い込んでいたのですが、もしかしたらインド人以外の民族(イラン人とかギリシャ人とか中央アジアの人とか)ということも考えられるでしょうか。
2.法華経は現代の本にすれば2〜300ページくらいの量だと思うのですが、それを100〜200年間もかけて作成していくというのは法華経製作者たちが何代にもわたり営々と作業していたのでしょうか。気の遠くなるような気がしました。
3.法華経の内容には、ヒンズー教(ヒンズー教の成立時期とバラモンとの違いがよくわかりませんが)、ギリシア・ローマの諸神やミトラ教、救世主思想、ゾロアスター教・ヒンドゥー教の諸神の影響が見られるのかと思いますが、特にヒンズー教あたりの思想(権化思想、シヴァ・観音など)や神々などを取り入れていった考えというものは何なんでありましょうか(いいものなので取り入れるとか…)。

309犀角独歩:2005/10/15(土) 14:10:35

Pohさん

ご紹介、有り難うございます。
読み終えるのにはしばらく時間が掛かりますね(笑)


小池さん

> 変成男子

という思想がどのような背景で定着したのか、わたしはまだ落着していません。

松山師が、法華経講義でよく口にするのは、女性社会から男性社会への以降という点です。原始社会では出産をする女性が中心の社会であり、この頃はまだ性交渉と出産の関係が理解されていなかった。その後、この関係がわかり、男性社会へと移行する…。

いわば、それまで支配されていた男性から女性へのリアクションというか、そのような態度が種々歴史に刻まれているというのです。女性蔑視、その他は、女性社会時代の反動ではないのかという考え方です。

このような視点が適切であるかどうか、わたしはある程度、説得性を感じます。
そのような文化背景による?とも見えるのが「変成男子」という考え方です。また、極楽には女性はいないといった思想も、そんな延長にあるものかどうか。これが一つ。

もう一つ。現代は男女二性のどちらかでなければならないという戸籍上、もしくは宗教の取り決めがあります。しかし生物学的には、両性具有は存在します。わたしはこのような人々が神格化されたという背景は、観音信仰、変成男子といった点を考えるうえで看過できないと考えています。

描かれる観音像はその体刑はしなやかで胸の膨らみを表し女性形です。しかし、その顔面には男性の特徴である髭が添えられます。観音は両性具有の造形になっています。

観音、そして、阿弥陀という思想系譜を考えるうえで、上記の点は看過できないということを申し上げたわけです。ただし、この点は書き出すと、繁くなります。わたし自身資料の整理も終わっていないので、考察のヒント程度に、いまのところは留めさせていただきます。

> 1.法華経…製作者…インド人以外の民族

この点は明確なところはわからないのではないでしょうか。そもそも、インド人とは、どのような人々を指すのかという問題もあります。

> 2.法…100〜200年間…法華経製作者たちが何代にもわたり営々と作業

伝承された写本を時々場所場所に編纂し、添削した繰り返しがったと言うことだと思います。特定集団が継承しするといういまの日本社会に見られるような門派教団的な仕組みとはかなり違うと思えます。

> 3.法華経の内容……特にヒンズー教あたりの思想(権化思想、シヴァ・観音など)や神々などを取り入れ…いいものなので取り入れるとか…

これは当然のことでしょうね。そもそも仏陀、世尊、阿羅漢というもの自体、仏教のオリジナルではないわけです。日蓮漫荼羅に見られる諸仏諸神、その他の衆生もほとんどが採り入れたものでしょう。

地獄は古いインドの伝承、餓鬼も先祖供養されなかった亡霊といったバラモン思想、畜生は万国共通、修羅は対抗思想の善神が仏教で悪神扱いされたもの、人は万国共通、天は仏教以前から仏教以後の外来の神々、二乗は弟子ということと、当時の自由思想家、菩薩はミトラから弥勒、仏陀は目覚めた者という旧来からあった思想に基づくのでしょう。

さらに日蓮漫荼羅で見れば、天照大神は大陸から亘ってきた新支配者信仰、八幡神は韓国の神、梵天帝釈はバラモン教の神、鬼子母神・十羅刹女はインドの食人風習があった部族の神、第六天の魔王はシバ神などなど、みんな採り入れられていったものでしょう。他地域ではまた違う形で摂取されています。

以下、サイトは簡潔にまとめています。

インドの神と日本名対照表
http://www.ffortune.net/symbol/indo/sinwa/nihon.htm

310犀角独歩:2005/10/15(土) 14:37:05

一つ書き落としました。

バラモン教とヒンドゥー教ということですが、バラモン教はインドにアーリア人が侵入定着し、アーリア人信仰と、まあ、極めて雑駁ながらいうことができるかと思います。

後者は、では、ヒンドゥー教という特宗教があるかといえば、そんなものは当地の人々に認識はないのではないでしょうか。ただし、それなりの歴史的研究は当然為されています。

ネット検索すればいくつも出てくると思いますが、いくつか挙げておきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E6%95%99
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/hinduism.html
http://encyclopedie-ja.snyke.com/articles/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E6%95%99.html

311小池:2005/10/15(土) 15:49:20
309-310 独歩さん

大変ありがとうございました。
ヒンドゥー(教?)と仏教にについて、観音が元々はヒンドゥーあたりからと知って驚きましたが、仏教の根幹部分、「法」というのでしょうか。例えば妙法華なら諸法実相ですか、般若なら般若波羅密とか。
そして、その実践は八正道、あるいは六波羅蜜、五種頓行。こういう根幹以外の部分は外来思想を取り入れることはなんら問題ないということなのですね。
特に、法華経の場合は、開会の思想なので、南無観世音菩薩と唱えることもあってよいという寛容性があるということですね。
ただ日蓮になるとやや不寛容になるのでしょうか…。

312犀角独歩:2005/10/15(土) 16:06:47

小池さん

> 仏教の根幹部分、「法」というのでしょうか。例えば妙法華なら諸法実相

この点はかつて顕正居士さんが参加してくださり、議論になったことがありました。
わたしは「諸法実相」というのは羅什の教条的ドグマであって、梵本とは無関係であると考えています。

> 般若なら般若波羅密とか。

般若とは智慧という意味ですから、法を知る智慧であっても法ではありません。

> 法華経の場合は、開会の思想

これは漢訳仏典を起訴にする漢訳教学のドグマであって、法華原典とは関係ありません。

> 南無観世音菩薩と唱えることもあってよいという寛容性

これは何を仰っているのかわかりません。唱えてよいも何も、「南無観世音菩薩」とは明らかに法華経の漢訳仏典に現れる信仰形式です。

> 日蓮になるとやや不寛容

日蓮の場合、不寛容というより、漢訳妙法華からきた当然の帰結ということではないでしょうか。

小池さん、わたしが記すところを、ざっと読み流すのではなく、ちゃんと咀嚼されたほうがよろしいでしょう。大部分が未消化になっていませんか。

313犀角独歩:2005/10/15(土) 16:07:38

【312の訂正】

誤)漢訳仏典を起訴にする
正)漢訳仏典を基礎にする

314小池:2005/10/17(月) 20:49:55
312 独歩さん

大変有難うございます。
いままでの内容を再読しています。
非常に深い内容なのでどこまで咀嚼できるか難しいですが努力していきます。
>要は法華経に書かれていることと、天台が言っていること、まして日蓮が言っていることは「違う」ということです。その違いをしっかりと認識したうえで…
という部分が十分わかっていませんでした。
法華経は法を指し示しているだけで法の内容は明確にしていない、天台は妙法華等から諸法実相を主唱したが梵語法華経には書かれていない(そこに違いあり)、日蓮の題目は法華経の経題ではあっても法の内容そのものとはいえないのではないか(そこに違いあり)…
更に再読してみます。

315犀角独歩:2005/10/17(月) 21:03:12

小池さん、一見、わたしの突き放したようなレスにも真摯にお答えになる真摯な姿勢にわたしは敬意を表します。
いつか、耄碌したわたしをお導きください。

316犀角独歩:2005/10/17(月) 21:29:19

重ねて記します。

314の整理は、そのとおりです。

317小池:2005/10/17(月) 21:38:16
315-316 独歩さん

大変有難うございます。
三読してみます。其の上でまたわからない部分などお教えください。
本当に有難うございます。

318無徳:2005/10/17(月) 22:55:56
皆さんお久しぶりです。
私は皆さんとちょっと違った視点から「現代人が納得できる日蓮教学」なるス
レッドのテーマに即して論じてみたいと思います。

果たして「現代人が納得できる日蓮教学」と言う、当スレッドのテーマに相応
しいかどうかはわかりませんが、遺漏がありましたらご寛恕ください。
いわゆる『現代思想』と『日蓮仏法』との関係性を問うことが可能であるとす
れば、それは如何なる位相に於いて可能であり、なおかつ、現代思想に於いて
は様々な領域に於いて行き詰まり状況にあることがつとに語られる昨今である
とすれば、『仏法』なかんずく『日蓮仏法』というパラダイムから現代思想に
対し逆照射を与えつつ、さらには、現代思想の限界点も突破することすら可能
であるかどうかを、皆さん方と共に探求したいと思います。

しかし、現代思想と言ってもあまりに漠然としていて焦点が定まりませんので、
現在における現代思想に於いての最も中心的課題は『言語論』であり『言語の
謎』と言って過言ではないと思われますので、日蓮仏法に於ける『言語の謎』
という位相から現代思想と関連付けて考察してみたいと思いますので皆さ方の
お知恵を拝借したいと存じます。

まずは、仏教思想というパラダイムに於ける中心的思想つまり言語は『縁起』
であり『空』であることは多くの人が承認する処でありましょう。そして、縁
起とは全ての存在は関係性の中にあり、独存にして常一主宰のものは何一つな
いとすることも承認されることでしょう。したがって、全ての存在の態様は
『空』であることも仏法者(仏教徒)であるなら否定はしないでありましょう。


さて、日蓮仏法における最も中心言語は南無(梵語)という二字と妙法蓮華経
(漢語)という五字の合成語である『南無妙法蓮華経』と言う五字七字ですが、
果たしてこれは如何なる言語なのでありましょうか、仏教思想における『縁起』
と『空』とは如何なる関係にあるのでしょうか?

この謎に迫る前に現代思想における言語の謎とは如何なるものであるかを、確
認しておきたいと思います。とは言ってもあまり言語の謎に拘泥すると、その
言語の密林に迷い込んで出てこれなくなる危険性がありますので、次回に現代
思想の入門的な書として最適な竹田青嗣氏の『近代哲学再考』を借りて現代思
想における言語の謎の一端を確認しておきたいと思います。

それでは皆様方のお考えも是非お聞かせください。

319無徳:2005/10/18(火) 00:42:52
竹田青嗣氏の『近代哲学再考』によれば、まずはギリシャに於いてターレス
やヘラクレイトス等のミレトス学派によって『存在の謎』が提出され、続いて
パルメニデスやゼノンと言ったソフィスト達によってパラドックスと言う『言
語の謎』が自覚的に作り出されたとされています。

つまり、『言語の謎』とはギリシャ哲学発祥の頃から提起されていた古くて
新しい謎と言うことになります。さらに近代哲学においてはその『存在の謎』
や『言語の謎』を人間の厳密な認識の可能性を問うと言う形で『認識論』が
哲学の主流となりますが、現代哲学にいたってそれが『言語論的転回』とな
って、再び『言語の謎』へと姿を変えて再登場することになったとされてい
ます。

つまり、これらの事柄を私なりに解釈すれば、世界の存在や人間の存在さら
には自己の存在と言ったアプリオリな謎は、釈尊が無記として語らなかった
謎であり、人間の認識能力を超えた謎でもあると言えましょう。

しかし、人間は様々な問いを発せずにはおれない存在でもあり、したがってそ
の問いを立てるにしても、その問いに答えるにしても言葉を使用する事が唯一
の方法といえます。(身振り手振りも言葉の一種)しかしながら、アプリオリ
な難問(謎)を言葉によってコミュニケイトすることは原理的に無理がありま
すから、人間は巧みな比喩や物語を屈指して伝えようとしたのが、宗教におけ
る教義でありそれを記述したのが経典でありましょう。

したがって、言語なるものは本来的に限界を有するものであり。パラドックス
を抱えた存在と言って過言ではないといえます。現代思想の領域では言語の分
析を通じてギリシャ哲学以来の形而上学批判を展開していますが、竹田青嗣氏
も指摘しているように、現代哲学の『言語論的転回』はもともとはヨーロッパ
近代哲学の形而上学的「話法」に対する対抗として生じてきたが、カントがは
っきり示したような<答えの出ない問いを果てしなく問い続けること>という
意味で捉えるならば『言語論的転回』も『言語の謎』と言う形而上学的な有り
様と言わざるを得ません。

320乾闥婆:2005/10/18(火) 01:04:27
>>318

無徳さん。お久しぶりです。
覚えていらっしゃらないかも知れませんが、以前「キウ」というHNでniftyなどで議論させていただいた者です。

>仏教思想における『縁起』と『空』とは如何なる関係にあるのでしょうか?

小池さんの引用された平川氏の説にもあるように、「すなわち法華経は、空系列の経典であるよりも、真如や如来蔵思想に発展してゆく有の系列の経典と考えるべきである」といったことは、やはり言えると思うのです。犀角独歩さんとの議論の中で確認しましたが、蓮祖が霊鷲山に常住する釈尊の実在を信じていた、その上での見仏である、といったことも、どのように「空」といった思想と折り合えるのか、関心があります。概念や理念としての「時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅」ではなく、実在としてのそれであるならば、法華経は、なかんずく蓮祖は「空」思想と折り合えなくなってしまわないでしょうか。

>次回に現代思想の入門的な書として最適な竹田青嗣氏の『近代哲学再考』を借りて現代思想における言語の謎の一端を確認しておきたいと思います。

竹田青嗣氏の『言語的思考へ』(径書房)は非常に刺激の多い本でありました。ちょうど続いて『近代哲学再考』を読んでみようと思っていたところです。仕事が忙しくあまり書き込めませんが、楽しみにしております。

321無徳:2005/10/18(火) 07:50:28
乾闥婆さんお久しぶりです。そうでしたかキウさんでしたか良く覚えています
よ。
私も20年以上も前からniftyの掲示板で、sunyaさんに助けていただきながら様
々な論議に参加していました。北条さんという方の文体が私にとっては理解し
難く難渋していましたら、sunyaさんが見事に読み解きつつ北条さんと論議し
ているのをみて、sunyaさんの読解力に感嘆したことを今も鮮明に覚えていま
す。

その頃の私はすでに40歳を過ぎていましたが、学問とはほとんど無縁に生きて
きましたので論議に参加すること自体冒険でした。それまでと言えば、好きで
科学関連の本と少々訳あって三島由紀夫や吉本隆明の本を読んでいたのみで、
後は創価学会経由の教学と耳学問が大半でした。

しかし、インターネットの普及によって、この掲示板のようにいろいろな方が
参加して、自由に論議できる場がたくさん出来た事はすばらしいの一語に尽き
ます。私も拙いながらいろいろな掲示板に参加することによって、様々に刺激
や示唆を受けながら勉強させていただいております。

私が
>仏教思想における『縁起』と『空』とは如何なる関係にあるのでしょうか?

としたのは、あくまで南無妙法蓮華経と縁起・空の関係を問うたものです。
私の書き方がまずかった為に縁起と空の関係を問うたような印象になってしま
いすみませんでした。しかし、縁起と空の関係と言うことも論ずべき立派なテ
ーマとなり得ますね。

>小池さんの引用された平川氏の説にもあるように、「すなわち法華経は、空
>系列の経典であるよりも、真如や如来蔵思想に発展してゆく有の系列の経典
>と考えるべきである」といったことは、やはり言えると思うのです。犀角独
>歩さんとの議論の中で確認しましたが、蓮祖が霊鷲山に常住する釈尊の実在
>を信じていた、その上での見仏である、といったことも、どのように「空」
>といった思想と折り合えるのか、関心があります。概念や理念としての「時
>我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅」ではなく、実在としての
>それであるならば、法華経は、なかんずく蓮祖は「空」思想と折り合えなく
>なってしまわないでしょうか。

とのキウさんからの問題提起に対しては次回において私なりにお答えしたいと
存じます。

それから、私も最近竹田青嗣氏の『言語的思考へ』を読みました非常に刺激的
で示唆に富む内容でしたね、今後とも様々な論議通じて共に研鑽してまいりま
しょうよろしくお願いします。

322犀角独歩:2005/10/18(火) 14:54:46

無徳さん

お久しぶりです。
先の経過がありますから、特に争論とはしたくない。その前提で記します。
ただし、当スレには当スレの脈絡がありますから、記すべきことはしっかりと記さなければなりません。

宗教哲学の問題が、9割方が言語の問題であるという指摘は、ご承知のとおり、『現代書学と仏教』で石田次男氏が行っていました。

彼が、無徳さんと論法的に違うのは、西洋哲学における弁証法を斥け、仏教教団における伝統的な古因明によるべきだとしたことでした。つまり、西洋哲学が仏教を破壊したというのが、その主張でした。より具体的に記せば、彼が言う現代諸学とは、つまり、言語論も含む西洋哲学であり、それを、外なる道、すなわち外道=現代諸学といったのでしょう。日蓮の教えは内外相対からはじまるわけだから、外道を簡んで、内道に採るという立場です。ですから、いま、無徳さんが仰るような形で、日蓮を解題するとすれば、まずこのハードルを越える必要があるでしょう。

> 答えの出ない問いを果てしなく問い続けること

宗教には、こういった問題は着いてい回ります。しかし、この言葉が逃げ口上になれば、その宗教は卑屈なだけです。

いままでの議論で、法華経が釈尊の直説ではないこと、どのように成立してきたかという点で継続しています。それ以前に末法についても、論じ合いました。これらは別段、答のでないことではありません。答は出ていることです。

また、宗教といわず、大石寺について言えば、答が出ることがあります。

先ず、所謂「本門戒壇の大御本尊」についてです。これは、既に論証してきたように日禅授与漫荼羅を原本として臨模・作為された彫刻であることは明白です。答が出ないことではありません。また、歯にくっついた肉が700年はおろか、1日とて生きていたり、ましてや成長したりするはずはありません。このようなものを本物であるというのは、答が出る出ない以前にペテンという言います。

以上のような、インチキ、ペテンのまがい物によっている集団において、無徳さんが呈示くださった言語の問題は、当てはまりません。

殊に日寛の教学を現在、担ぐことにおいて、この彫刻の無謬性が根幹とするわけですから、その教義は既に瓦解しています。

以上のような事態を、言語=教義の問題は形而上の問題であるから、「答えの出ない問いを果てしなく問い続けること」とは、言えません。はっきりと答が出ていることです。

ですから、当スレのテーマで言えば、現代人に通用する日蓮とは、そのようなインチキ、ペテン、まがい物を排除したところから出発するものであることは言うまでもないことでしょう。

もちろん、無徳さんが仰ろうとされていることは、以上の前提に基づくことであると、わたしは信じます。しかしながら、ロムする人々のなかで、信仰を言語での論証不能であるから、信じることがすべてだなどという逃げ道を与えることは、いままの議論が水の泡になりますので、いちおう、記させていただきました。

当然のこととして、ご呈示いただいたテーマは、21世紀の日蓮を考えるうえで避けては通れないところです。故に、引き続く、ご投稿を楽しみにしております。

323無徳:2005/10/18(火) 16:14:38
>小池さんの引用された平川氏の説にもあるように、「すなわち法華経は、空
>系列の経典であるよりも、真如や如来蔵思想に発展してゆく有の系列の経典
>と考えるべきである」
>中略
>「時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅」ではなく、実在としての
>それであるならば、法華経は、なかんずく蓮祖は「空」思想と折り合えなく
>なってしまわないでしょうか。

と、小池さんや乾闥婆さんが示された平川彰氏による当該箇所は私も、かなり
以前に読んでなかなか理解し難い文意に戸惑ったことを思い出しました。

ただ、乾闥婆さんが独歩さんとの論議の中で引用された講座・大乗仏教第四巻
『法華思想』(41p)の中にある当該箇所は、平川彰著作集第六巻の『初期大乗
仏教と法華経』(356p)の中にもほぼ同文が載っていますが、若干内容に違いが
あります。

それは、『初期大乗仏教と法華経』の中では、「仏教思想を空の系統と有の系統
に分けるとすれば、法華経は有の系統に属するというべきであろう。」の後に
「しかしその有は、空を離れた有ではない。この点が誤解されやすいが仏教で
は、空と有とは矛盾するものではない。同じことを、空をおもてと見るか、有
をおもてと見るかの違いである。空は論理で理解できるものではないのであり、
教理の思索から長年月の間に自然に体得せられるものである」となっています。

それにしても、<法華経が「有」の立場に立つことは、法華経が「信」を重視
することにも関係がある。信仰は実在を対象とするからである。>との論点に
は少々驚きます。私の考えでは有である実在を対象とするのであれば信を強調
する必要はなく、そもそも仏教を実在論的に理解することは現在では迷妄とさ
れているように思われますが如何なものでしょうか?

324犀角独歩:2005/10/18(火) 17:28:05

> 有である実在を対象とする

板漫荼羅信仰というのは、まさにその有の最たる万年不朽の楠板の彫刻を信仰しているのではないでしょうか。

325無徳:2005/10/18(火) 18:55:01
楠板の彫刻その物を信仰しているのではありません。御本仏たる日蓮大聖人が
書き表された御本尊として信仰しているのです。

貴方は現在の大石寺にある板曼荼羅を偽としていますが、私は今のところ偽と
は断定していません、しかし、貴方の考察や河辺メモ等を考慮に入れると偽の
可能性も否定できません。

私は「三大秘法抄」は宗祖のご真筆と信じておりますので、いわゆる本門戒壇
に安置されるべき御本尊を表されたであろうことも信じております。

しかし、もし何がしかの理由でその御本尊が失われたと仮定したとき、その御
本尊に代わるべき御本尊が再興されても不思議はないであろうと思います。

石田次男さんも私がもし焼失なりなんらかの理由で戒壇の御本尊が失われたと
きはどうなるのでしょうと質問したところ、日蓮正宗の宗務院と信徒の総意で
再興すればよいといわれ、御本尊そのものは決して物体ではなく宗祖のおん魂
であられると申されておりました。

326犀角独歩:2005/10/18(火) 19:12:41

では、無徳さん、お尋ねします。

325にあなたが記されたことは、大石寺に通用しますか。
しないでしょう。しないことをもって反論することが何の意味がありますか。
また、

> 私は今のところ偽とは断定していません

ならば、真であることを、ここに証明されればよいだけです。

> 本尊に代わるべき御本尊が再興

ですから、ここでも、まだ、再興されるモノ(有)に拘っているでしょう。
そんなものは空などとはいえないのでしょう。どうですか。

> 書き表された御本尊

とは、何でしょうか。具体的に記してください。
空たる本尊ですか。言語には限界があれば、南無妙法蓮華經という言語にも限界があり、さらにそれを書き表したものにも限界がある、ともに有ではないでしょうか。
それが有でないというのであれば、ここにちゃんと説明してください。

要は、無徳さんの論法は引用する哲学、言語論と著しい齟齬を来しているとしか思えませんが如何でしょうか。

327無徳:2005/10/18(火) 19:57:22
独歩さん相変わらずですね。

大石寺に通用しますかとのことですが、現在時点で通用するとは思いませんが
もしも、万が一にも戒壇の御本尊が失われるようなことがあれば、おそらく通
用することになることでしょうとしか申し上げようがありません。

また、御本尊たる板曼荼羅が単なる物体でなく宗祖が法華経を身口意の三業で
読みきられて、末法の衆生に残された曼荼羅であり、その曼荼羅を御本尊とし
て尊崇し御題目を唱え感応同交することによって成仏が可能になるであろうこ
とも大石寺の教学から学んだことです。

>ですから、ここでも、まだ、再興されるモノ(有)に拘っているでしょう。
>そんなものは空などとはいえないのでしょう。どうですか。

とのことは、私は御本尊は単なる物ではないと申し上げておりますよ。

>言語には限界があれば、南無妙法蓮華經という言語にも限界があり、さらに
>それを書き表したものにも限界がある、ともに有ではないでしょうか

とのことについては後日私の試論を述べてみたいと思います。

まあ貴方自身の215のご意見に齟齬を来たさぬよう期待します。

328犀角独歩:2005/10/18(火) 20:30:34

無徳さん

> …相変わらずですね。

それはあなたのことでしょう。議論の流れを無視して、突然書き込みをする、まあ、それはよいとしましょう。次に、こちらから「お久しぶり」と挨拶をしても、返答もせず、持論をごり押し、遂に頭に来れば、反論だけ書く。そんな態度は、大人げないでしょう。ですから、あなたはここでは議論ができないのです。215を云々していますが、敬うことを人に強要する前にまずは自分が手本を示されるべきでしょう。
年齢に見合った見本となってもらいたいということです。

あなたのやり方は、議論のエチケットに反していますよ。

> 大石寺に通用…戒壇の御本尊が失われる…通用する

何を言っているのだか、わかりません。

> 曼荼羅を御本尊…御題目を唱え感応同交…成仏が可能

ですから、その漫荼羅を弘安2年10月12日本門戒壇の大御本尊と規定することは実在かではないのかという質問です。

> …御本尊は単なる物ではない

では、単なる物でなければ何でしょうか。

漫荼羅の魂というのであれば、それを、では是としましょうか。
ならば、弘安3年5月9日の、それも真筆と認められない日禅授与漫荼羅を臨模・作為して弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊に仕立てられた本尊の魂とは何でしょうか。それに魂があれば、嘘、偽りと言うことでしょう。

> 貴方自身の215のご意見に齟齬

まあ、こんな嫌みしか言えず、問われたことに何も答えない、相変わらずのやり方では、個人の信仰のからは守れても、社会一般には通用しません。
この言葉については、冒頭に記したとおりです。


さて、ついでに書いておきましょう。

この漫荼羅と魂の問題を突き詰めると、ついには弘安2年10月12日・本門戒壇の大御本尊のみとすることはできなくなります。

なぜならば、その信仰者は、遠目でしかそれを見られず、何が書かれているのかもわからないからです。また、弘安2年10月12日という日付に拘っても、そこに何らこの本尊が唯一であるとする裏付けはありません。つまり、この日付に魂はありません。

漫荼羅ではなく、その魂と言うことであれば、日蓮の、どの漫荼羅と断定することはできません。すべての漫荼羅は等しく日蓮の魂が宿るのであり、また、その日蓮を崇拝し、書写された漫荼羅も等しく魂を有するでしょう。

以上のように考えていけば、漫荼羅・魂論とは弘安2年10月12日楠板彫刻本尊という特定漫荼羅本尊を斥ける結果になるのは理路整然としたところです。

329小池:2005/10/18(火) 21:11:06
独歩さん

独歩さんのお考えを理解するために整理してみたメモです(まだまだよくわからない部分が多く未消化ですが…)。

【Ⅰ.法華経でいう「法」とは何か】
1.「法」と言えるのは「妙法」と羅什が訳した言葉が指したもの。
2.「妙法蓮華經」は「経典」の「名」であり、「南無妙法蓮華經」はその「経典」に「南無」するという以上の意味はないところを「経題」そのものを「法」とした教学的な姿勢を直視する必要がある。
3.法華経全編を見ると、諸仏はこの経典によって成仏した、経典自体が遠い過去から存在していたとはあるが、経典自体が「法」であるという記述はない。
4.その「法」が何であるのかという点で明確に記述される句を探すと「教菩薩法」に尽きる。この漢訳に該当する梵本直訳を見ると「菩薩をいましめ」る(岩波文庫『法華経』上 P45)という以上の意味はない。法華経とは菩薩を教え(いましめ)、成仏記別を与える教えという内容になっている。
5.この「法」は「理法」ではなく、間違いなく「教法」(もしくは「行法」)である。教えは教(菩薩)法、行は菩薩行(六波羅蜜)である。これは実際の実践の行を教えること。それにも拘わらず、その教えを書いた本の名前を「法」と捉え違いするとき、実践行はそこで廃れてしまう。まさに「お題目だけ」ということになる。行法としては、六度(また八正道)といった実践行を忘却したところに後退があったと主張したい。
6.「妙法蓮華經は経題である」、なんでそれが「法」なのだという当たり前の疑問であり、このような当たり前の疑問は、古来からいわれていたようで、台釈にしても、日蓮教説にしても、その弁明に終始していると強く感じる。
7.私は、「題目」(五字七字)が「法」であるという教理解釈には反対の立場。

330小池:2005/10/18(火) 21:12:40
【Ⅱ.教の違い】
梵本法華経
梵本法華経は菩薩の戒めから計り知れない寿命を持つ如来になるために、法華経典を弘める「菩薩行」を督励するもので、この経典は古代の東西を凌駕した「聖典信仰の系譜」にあるように思える。
経典は誰かが作ったものであるというより、神秘な存在として永遠の過去から存在しているというもの。
経典は仏が説いたというのが旧来の在り方だが、法華経ではむしろ経典が仏にしたというコンセプトが散見できる。
その経典は誰が作ったのかということには言及せず、神秘の存在というコンセプト。
舎利信仰、仏塔信仰、仏像信仰も肯定はされているが、その骨子は「経典信仰」にある。
ここでいわれる「法」は「教法」であり、宇宙の真理であるとか、心の有り様であるといったことを問題にしていない。
この法華経が教える菩薩の戒めこそ、唯一の教え(法)であり最高のものである、菩薩以下の衆生も菩薩道を行じて仏になるという。この菩薩は徹底した無抵抗、非暴力、不怒の菩薩。

天台
しかし天台はこの「法」を什訳方便品の「諸法実相」から心から整理していく。「説己心所行法門」(己の心に行ずる訪問を説く)という解説はそれを端的に物語る。天台が法という場合、それは心法であり、その観察を十界、十如、三世間から三千の止観禅として結実したという点で、梵本法華経のコンセプトと大きく異なる。天台の時点では一念三千という成句化はない。「言語道・断、心行・処滅」をモットーとした天台が、このように三千分類観察する心法をしかし、三千であるとするわけがなく、三千はまた一心として、非三千にして、しかも非一、亦三千にして、亦一とするのは、実に勝れた観点である。
ところが妙楽は、天台の言う一心を一念とし、三千という定数化を天台が簡んだにも拘わらず、一念三千とした。個人的にこの妙楽解釈は、天台から大きく後退したものと思う。

日蓮
日蓮に至っては、この妙法蓮華経という経題を末法付属の正体として、法華経典への南無ではなく、この五字への南無として、「南無妙法蓮華経」とし、漫荼羅という独自な境地を展開していった。

331小池:2005/10/18(火) 21:13:15
【Ⅲ.行の違い】
梵本法華経
法華経は、菩薩を教えるといい、その成仏の結果は寿量(量り知れない寿命)であるという。ここで重点となっているのは「菩薩行」。

天台
羅什は、五何法と言われる箇所を九如是と約して恣意的な方向性を定めてしまった。
慧師を通じて天台はこの九如是を十如是として、唯識思想、また老荘思想、華厳思想、涅槃思想等と総合して三千不可思議境という座禅(止観)の方法を論じる。
妙楽はこれを一念三千とし、妙楽解釈の天台が天台として日本に伝わる。
ここで重点になっているのは止観という禅。

日蓮
日蓮は、伝教以降、真言密教の影響を受けた天台学と念仏の影響下で純天台を目指す意識を持ちながら、南無妙法蓮華経の唱題行を立てるという独自な展開をすることに。

332小池:2005/10/18(火) 21:13:53
【Ⅳ.末法】
今回の末法についての呈示は、末法思想を鼓舞する人々が、自分達が生きている時代こそ末法であるという認識に立っているという点である。

梵本法華経の制作者といえども、この例外ではないと考える。彼らが経典を創作し、釈迦滅後の時代を描写するのは、自分達こそ、その「末法」の弘法者であるという認識を、紀元前後の段階で既に持っていたからと考える。創作者たちがいう末法とは梵本法華経成立時点、さらにそこに登場する釈迦を担う主人公・地涌菩薩の出現もまた、創作者とその集団を指した西暦前後その時代を想定したものであったろうと考える。

重要な点は法華経制作者も、天台教派も、そして、日蓮も、通じて、自分達の時代が末法であるという自覚に基づいているという点である。

末法認識とは、現実社会が乱れ、滅亡に向かう様相を呈し、さらに人心が退廃している理由を、正しい教えの滅尽したことに理由を求める構造で古今一貫しているという点である。

法華経は、末法(教説が絶える=法滅)という時代に、釈尊を仰ぎ、「この世をどうするのか、衆生をどうするのかを考えた」経典であったという点(厳密に言えば「」で括った部分)が評価できる。

末法‘思想’は、この世をどうするのか、どう変えたかによって意味をなす‘思想’であるという点を再認識し、実際に活かされれば今日的な意義を持つに至るのではないか、その可能性があるのかが議論したい点。

333無徳:2005/10/18(火) 21:22:16
独歩さん貴方がおしゃられる様に私は大人気ない人間です、そのことは否定し
ようが有りません。

>あなたはここでは議論ができないのです

との事ですのでこれにてこの掲示板から去ります。
なにせ、貴方が中心の掲示板でありましょうからね、他の皆さんには私のレス
が中途半端になってしまった事をお詫びします。

もしも、他の掲示板にてお会いすることがありましたらその時はよろしくお願
いします。それでは失礼します。

334無徳:2005/10/18(火) 21:56:41
管理人さん、どこに書き込んでよいのか解りませんでしたのでここに書き込ま
せていただきます。

長らくお世話になりました私も管理者メニューにアクセスでき得る立場に居り
ましたので、後々のため管理者パスワードの変更をお願いします。

それでは失礼します。

335犀角独歩:2005/10/19(水) 00:57:08

無徳さん

まあ、あまり血圧が上がらないように冷静にと申し上げておきましょう。
そもそも、当スレは、ここのところ、法華経の成立その他を真剣に議論してきたわけです。それが一つの流れです。

そこで、突然、「『現代思想』と『日蓮仏法』との関係性を問う」と、脈絡なく、書き込みがあったわけです。これにお答えになったのが乾闥婆さんで、そこに挨拶その他のコミュニケーションもあったわけでしょう。

わたしとしては、折角、ここのところ、一字三礼さん、Pohさん、小池さん、また、乾闥婆さんと積み上げてきた議論があるわけですから、そこの新たなテーマをもたらすのであれば、相応の挨拶、また、イントロがあってもよいだろうという思いがあるわけです。

第一、当掲示板は、特定の相手を決めて、他を無視し、問われれることも無視して、一方的に自分の意見を述べることを制する不文律があります。問われれば、解答し、特定の相手で綴じた議論をしないという佳例です。

ところが、これを無徳さんは常に無視をするわけです。ですから、「当掲示板では議論がきない」と申し上げるほかないわけです。

まず、わたしの挨拶を無視したうえで、さらに、わたしが投げた322の投げかけを無視したわけです。さらに326に投げかけたことにも解答をよくしていません。

わたしは石山彫刻の是非を語るにつけ、利を尽くし、いまで切る証拠(写真、画像)をも尽くして、それを論じてきたわけです。それに反論するのであれば、同じく利を尽くし、写真、画像の証拠も示して、それに答えて、「本門戒壇の大御本尊」の正統を論じてこそ、誠意と筋があります。それをなさらない。さらにあのインチキな生きた御肉関しても頬被りを決め込んでいる。このような不誠実な態度をとりながら、ただ、自分の意見を、一方的にごり押しするような態度は、好ましくないと言ったのです。

自分の主張をしたいのであれば、まず、投げかけられた疑義に対して、答を尽くし、語るのが筋であると申し上げているわけです。

ところが、お見かけするところ、自分の言うことに反論されること自体に立腹されたようで、これでは真っ当な議論が成り立ちません。ここは自涜を晒す場ではなく、議論の場です。そこで議論するためには、それなりの礼節とルールが存する、それを無視していると、わたしは指摘したまでです。当然のことであろうと思います。

また、ここはわたしが中心であるはずはなく、わたしは単に自分が主張したことにつき、投げかけられた疑問は一切、お答えし、齟齬が生じれば、それを修正して、本日までやってきたに過ぎません。問答名人さんを筆頭に、れんさん、彰往考来さん、顕正居士さん、パンナコッタさん、乾闥婆さん、独学徒さん、Pohさん等々、その他大勢の方々と、質疑応答を繰り返し、それなりの成果を上げてきました。

わたしは自分の考えに執着する理由は何もなく、あるのは、ただ真実を知りたいという欲求のみです。その事実の前で、自分の考えに間違いがあれば、皆さんの叱正を仰ぎ、ただ訂してきた、自分で考えたことを披瀝し、反論に関しては、細大漏らさず、一切応じてきた、そのようなわたしの在り方を中心というのは、まったくの勘違いでしょう。

以上のような成り立ちですから、無徳さんのように相手を選び、投げかけられた疑問は無視し、ただ、自分の考えだけをごり押しするような態度は、残念ながら、馴染まないと言うことです。しかし、別段、だからといって、去る・去らないなどという短絡を迫っているわけではなく、皆で作り、守ってきた議論のルールは守らなければ、ここでは通用しない、故に守ってくださいと言っているのに過ぎません。

今一度、冷静になって、再考ください。

336犀角独歩:2005/10/19(水) 00:57:32

小池さん、たいへんによく整理をしていただき、まことに有り難うございました。
ここに312の指摘を撤回します。

337犀角独歩:2005/10/19(水) 01:07:09

慌てて打ち、また訂正、恐縮です。

【335の訂正】

誤)特定の相手で綴じた議論
正)特定の相手で閉じた議論

誤)議論がきない
正)議論ができない

誤)いまで切る証拠
正)いまできる立証

誤)生きた御肉関しても
正)生きた御肉に関しても

338乾闥婆:2005/10/19(水) 02:02:35
無徳さん、犀角独歩さん。

私は以前の経緯を知りません。

犀角独歩さんから無徳さんに対して、「本門戒壇の大御本尊」についての問いただしがあるということは、そのような議論がかつてあり、その曼荼羅をめぐる議論においての何らかの経緯が両者にあったのだろうと、理解いたします。

以前にも記しましたが、私は曼荼羅を道具であると思っています。道具は役に立たなければ意味がありません。

当時、月例登山会があり、何度も正本堂で御開扉を受けましたが、子供心にこれでは意味がないと思ったものでした。犀角独歩さんが言われるとおり、曼荼羅がさっぱり見えないからです。自宅に帰ると達師による曼荼羅があり、非常によく読め、ほっとしたものでした。蓮祖の曼荼羅は文字なのですから、読めなければいけません。読めない文字は意味がありません。今は実家を離れ寛師の曼荼羅であるのですが、実に不満です。字がつぶれていて読み取りにくいからです。

犀角独歩さんの「謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について」には目から鱗の落ちる思いをしましたが、実のところ精神的なショックというものはあまりありませんでした。ああ、やはり、そうなのか、といった思いのほうが強かったくらいです。もともと遠すぎて読めなかったものに、まさに、物に、私は信仰をしてはいなかったからです。

『仏教の思想5 絶対の真理<天台>』(角川文庫)に田村芳朗氏は宮澤賢治を紹介しつつ雨ニモマケズ手帳なるものの写真を掲載しております。そこに宮澤賢治による「曼荼羅」がありました。真ん中に「妙法蓮華經」、両脇に釈尊と多宝如来、その脇に四菩薩、汚いけれど、はっきりした字で書かれています。この写真を見たときに私ははっとしました。うまく言えませんが、ああ、そういうことなのだな、と思いました。そのとき私は「本門戒壇の大御本尊」から完全に自由になれたのだと思います。その後、大日蓮展で臨滅度時の曼荼羅を見たときもその文字が作り出す世界に、その蓮祖の精神に素直に感動しました。よく見えもしない「本門戒壇の大御本尊」では、本当に用を成さないと思いました。

現代人が納得する、とは、やはり文字なら文字で、よく読めること、そしてそれは文字に過ぎないこと、しかし文字は人に作用すること、それ以上でもそれ以下でもないこと、そういうことではないかと考えました。

とりとめもない感想を書き散らしました。お詫び申し上げます。

無徳さん。

><法華経が「有」の立場に立つことは、法華経が「信」を重視
することにも関係がある。信仰は実在を対象とするからである。>との論点に
は少々驚きます。私の考えでは有である実在を対象とするのであれば信を強調
する必要はなく、そもそも仏教を実在論的に理解することは現在では迷妄とさ
れているように思われますが如何なものでしょうか?

というよりも、実在を信じる、ということではないでしょうか。ですので「法華経は、なかんずく蓮祖は「空」思想と折り合えなくなってしまわないでしょうか」、すなわち、仏教とは言えなくなってしまうのではないでしょうか、といった私の問いであったのです。

ほとんどロムに近い私が言うのも変ですが、このままでは非常に残念ですので、よろしかったら、書き込みを続けられてはいかがでしょうか。言葉に対しては感情ではなく、言葉で対処するべきだと思います。

339犀角独歩:2005/10/19(水) 14:34:21

乾闥婆さん

> 正本堂で御開扉…もともと遠すぎて読めなかった…私は信仰をしてはいなかった

以前も、独学徒さんの開扉記を拝読したときも思ったのですが、わたしのような宝蔵、奉安殿、正本堂という堂宇を経てきた者にとって、800万人・500億円の供養をもたらした「本門戒壇の大御本尊」信仰は実感できます。しかし、世代を経、いまの創価学会の人々には、恰も日本の戦前に天皇が現人神と崇められていたのと同様、過去の物語になっているということを、わたしはなかなか実感できませんでした。

創価学会は石山のみならず、日蓮も卒業すべきであるとわたしは考えていますから、それはそれでけっこうなことなのでしょう。ただ、800万人を突き動かしたけじめは、被害者でありながら、加害者であるわけですから、総括はすべきであると考えます。もっとも、いまの規約を見る限りまだ遠い将来に属しそうですね。

> …宮澤賢治…雨ニモマケズ…手帳…曼荼羅

わたしは、これを「日蓮正宗創価学会」時代にはじめて見、当時は「謗法」と思ったものです。しかし、いまは、あの手帳に密かに書き懐中にあった思いがわかる気がします。
このように記すと誤解を生じるかも知れませんが、わたしは『雨ニモマケズ』というあの詩は、賢治が自分自身で紡いだ彼の法華経なのだと思います。

> 臨滅度時の曼荼羅…文字が作り出す世界…蓮祖の精神に素直に感動

同感です。
わたしがはじめて日蓮の文字というのを見たのは、国立博物館か何か展示された『立証安国論』でした。筆の毛先一本一本が確認できる筆致、墨色は黒は黒でも、濃厚な緑がかった色、700年を経た紙質…。真筆でなければ、けっして観じ得ない日蓮の魂をそこに見ました。

現代のように特にインターネット、プリンター等も発達し、肉筆というものを見る機会はめっきり減りました。しかし、文章は書いた本人の肉筆に真価があると思えます。その意味において、たしかに墨痕鮮やかに書される漫荼羅は、その文字文化の昇華、日蓮門下にとっては、その頂点にあるのだと思います。日蓮の真筆は、それを写真、製版印刷したものには遠く及ばない迫力、真跡を存しないまでも「日蓮がたましひをすみにそめながして」という件は、まさに真筆しか持ち得ないものであろうと考えます。

> よく見えもしない「本門戒壇の大御本尊」では、本当に用を成さない

一般のお宝は、案内に写真を出します。写真は写真であって、本物ではありません。しかし、ガイドにはなります。しかし、石山はそれをできない。できないなりの理由は彰往考来さんと話し合ったところで、当たりでしょう。

> 現代人が納得…文字…よく読めること…文字に過ぎな…人に作用…それ以上でもそれ以下でもないこと…

多分、日蓮はこの文字(有)を窓として、空を垣間見せようとしたのかも知れません。

やや、補足になりますが、ここのところ、空・有という議論が続いていますが、この前提は有といえば、無との対照、しかし、有無といえば、空との対照で、また、中と対照というのが議論の筋であろうかと存じます。日蓮を西洋哲学解きすると余計な要素が入り込み、かえってややこしくなると思えますが、如何でしょうか。もちろん、西洋哲学を斥けるという意味ではありません。別のものとして扱うということです。

一つ、お尋ねしたいのですが、文字は読めてはじめて、用を為すという点ですが、たとえば、SGIのように全世界の非漢字圏の人々にとっては、漫荼羅は読めないわけですが、このような人々には、この点、どのようにお考えになりますか。争論の意図はありません。少しこの点でもお考えを頂戴したいと思っております。

340乾闥婆:2005/10/20(木) 01:14:04
>>339

犀角独歩さん。

>創価学会は石山のみならず、日蓮も卒業すべきであるとわたしは考えていますから、それはそれでけっこうなことなのでしょう。ただ、800万人を突き動かしたけじめは、被害者でありながら、加害者であるわけですから、総括はすべきであると考えます。もっとも、いまの規約を見る限りまだ遠い将来に属しそうですね。

そうですね。自己批判をするところからはじめられればよいのでしょうが、うやむやにしつつ、なかったことにしようとでもしているかのようです。過去を知っている人が死に絶えるのを待ってでもいるかのような。思えばもはや今の未来部の子供たちは大石寺登山も、御開扉も、ほとんど知らない世代なわけですから、もう十年、二十年も経てば、まったく宗門とのしがらみがない人たちが組織の中心に来るのでしょう。しかし日蓮仏法を創価学会は結局のところ卒業できないと思っています。池田氏の死後、何を持ってその組織の求心力とするのかと考えますと、日蓮仏法を振りかざすしかなくなるのではないでしょうか。そのときになって、まだ天台五時であるとか、「本門戒壇の大御本尊」であるとか、そういうことを、正当性・唯一性の根拠のように言っていないといいのですが。

>わたしは、これを「日蓮正宗創価学会」時代にはじめて見、当時は「謗法」と思ったものです。

はい、私もそのように思い、ぎょっとして、そして思い直したのでした。そのようなことにぎょっとする自分のほうがおかしいのではないかと。あれは宮澤賢治の、まさに、見仏であったのでしょう。そういう素直な感情の吐露を、謗法といってしまうのはやはりおかしいと思い直したのです。

>わたしは『雨ニモマケズ』というあの詩は、賢治が自分自身で紡いだ彼の法華経なのだと思います。

同感です。どの本で読んだのか記憶が定かではないのですが、詩中の「デクノボー」を常不軽菩薩に重ね合わせておりましたが、非常に共感いたしました。

>しかし、石山はそれをできない。できないなりの理由は彰往考来さんと話し合ったところで、当たりでしょう。

はい、そのあたりの経緯、「本門戒壇の大御本尊様の偽作説について」を読ませていただき、驚いております。それにしても、いまだに曼荼羅を写真に取られることにはためらいを感じるのですが、この心の癖はなかなか抜けません。

>ここのところ、空・有という議論が続いていますが、この前提は有といえば、無との対照、しかし、有無といえば、空との対照で、また、中と対照というのが議論の筋であろうかと存じます。

同感です。空の対義語は有ではないだろうと思います。有は無に対応します。

>日蓮を西洋哲学解きすると余計な要素が入り込み、かえってややこしくなると思えますが、如何でしょうか。もちろん、西洋哲学を斥けるという意味ではありません。別のものとして扱うということです。

そうですね。私はそれほど西洋哲学に詳しくはありませんが、現代人が納得できる日蓮教学ということでいえば、別の言葉での置き換えは、しなければならない部分はあるのだろうと思いました。それが西洋哲学であったり、言語学であったりしてもよいとは考え、無徳さんがそのような自説を展開されるのであれば、やはり関心は持ち、楽しみにも思ったのでした。

>文字は読めてはじめて、用を為すという点ですが、たとえば、SGIのように全世界の非漢字圏の人々にとっては、漫荼羅は読めないわけですが、このような人々には、この点、どのようにお考えになりますか。

ずっと違和感はあったのです。非漢字圏の人々が「南無妙法蓮華経」と唱えることは、どういう事態なのであろう。しかもあの文字曼荼羅に向かい、漢訳された法華経を、日本語の音で読むとは、どういうことなのだろうかと。いっそう法華経はそれぞれの母国語に翻訳されたものを読まれたほうがいいのではないかと思ったりもしました。聖書もそのようにされて普及しているのでしょうし。蓮祖の宗教はインドの宗教でも中国の宗教でもなく日本の宗教ですし、日本語の宗教だと思います。「たしかに墨痕鮮やかに書される漫荼羅は、その文字文化の昇華、日蓮門下にとっては、その頂点にあるのだと思います」と犀角独歩さんも言われるとおり、ある程度、漢字文化を受け入れないと、やはり文字曼荼羅を信仰対象として受け入れることは難しいのではないでしょうか。そこに曼荼羅というモノが信仰対象としてあることの限界を感じます。聖書のように、聖典宗教であるならば、法華経の翻訳を持って用を為すわけですが、曼荼羅を翻訳して図顕するのでは、何か、根本的に違ってしまうように思います。

341犀角独歩:2005/10/20(木) 15:56:13

乾闥婆さん

ご丁重なレス、有り難うございます。

> 池田氏の死後、何を持ってその組織の求心力…日蓮仏法を振りかざすしかなくなる

そうですね。ただ、わたしは日蓮を振りかざすためには、そこに必ず真筆漫荼羅が、ついて回ることになる点で、創価学会教学は、条件を欠いていると思えます。日蓮を煎じ詰めていけば、最終的に日蓮真筆漫荼羅へ引力があります。それは非漢字圏の人々であっても同様なのだろうと思います。しかし、これを結果的にすべて斥けた形になっています。「すべて」というのは、唯一、認める「三大秘法の御本尊」をあの彫刻とすれば、あれは真筆ではなく、第二に偽物であるからです。つまり、いまの創価学会は、日蓮真筆漫荼羅の一切を否定して、成り立っているわけです。これには限界があるでしょう。

また、「三大秘法」を言い、二箇相承を肯定していれば、最終的に富士戒壇論、富士=大石寺という問題にもぶち当たり、富士大石寺が聖地であり続ける矛盾を解消することは出来ません。これはまた、日寛を担いでも同様です。

結局のところ、立正佼成会のように、日蓮を相対化し、教祖崇拝でいくしかないのだろうと思います。立正佼成会は裾野の広いボランティアで社会に開いていますが、創価学会は公明党という政治活動です。宗教が政治に手を出すことは、政治の転覆が=宗教の転覆となる構造を孕むことになるので、わたしは危険だと思うわけですが、教祖崇拝(宗教)と政治活動(対社会)という二本立て以外では、既に専従3万人、周辺30万人とも言われる創価学会で生計を立てる人々の生活を保障することは出来ない経済構造も出来上がっている以上、致し方がないのでしょう。

池田氏崇拝の完全化、もしくは日蓮を相対化し間口を広げ、彫刻から日蓮真筆漫荼羅へ、日寛から汎仏教への転換か、その折衷しか道はないように思えます。

> 『雨ニモマケズ』…詩中の「デクノボー」を常不軽菩薩に…

ええ、よく言われる解釈です。しかし、わたしはこの解釈は一部分的であると思います。何故ならば、不軽菩薩は「但行礼拝行」であって、人助けをするような実践をしないからです。むしろ、「デクノボー」の特徴は、もっと広義の菩薩道です。『勧持品二十行の偈「為斯所軽言 汝等皆是仏 如此軽慢言 皆当忍受之」の訓読について』でも、この点に基づき記しましたが、法華経の菩薩の特徴は「いからず」「相手を、やがて仏になると敬う」という二大特徴を有します。これはしかし、不軽菩薩に限ることではありません。法華経に登場する菩薩に共通した特徴です。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/doppo_001.html

しかし、法華経の菩薩にも限界があります。何か。法華経の菩薩の菩薩行は経典流布を弘教に、菩薩道を限定してしまう点です。しかし、大乗(と言われる)仏教全般における菩薩行は我が身を供養する実践であるわけです。賢治の「デクノボー」は、この菩薩まで立ち入っています。彼の『雨ニモマケズ』は、最後に一尊四士漫荼羅を図します。その諸尊に「南無」を冠し、帰命から捨身を陳べたものであるにも拘わらず、ある面、法華経の菩薩の欠点も補っているとわたしには映じます。つまり、より利他の本質的な部分で法華経典における菩薩思想より勝っていると思えるという意味です。故にわたしは「彼の法華経」と記しました。

342犀角独歩:2005/10/20(木) 15:57:21

―341からつづく―

> 現代人が納得できる日蓮教学…別の言葉での置き換えは、しなければならない…西洋哲学…言語学…

なるほど。そのようにお考えですか。僭越ながら記せば、わたしはこのお考えとは違います。仰るようなやり方は、仏教が中国に渡った段階で行われたことと同じですね。所謂「格義仏教」です。創価学会的な解釈法であるといってもよいと思えます。

しかし、他の文化圏の思想の語彙を使えば、それは、その思想の範疇から出られないことになります。ですから、必要なことは、仏教が、就中、日蓮仏法の「言語」から構築されたものでなければ、オリジナルとは言えないと、わたしは考えます。(ここでいう「言語」とは、おことわりするまでもなく、話し書く言葉という一般の意味より、もっと広義です)

実際のところ、中国に輸入された仏教は、挌義を経て、経典漢訳のために、新漢字を作りながら、遂に中国仏教となっていきます。この時点では、もはや、他の「言語」思想で説明する必要はなくなりました。独自化であり、完成系と言えるでしょう。文化となったということだと思います。21世紀の日蓮を考えるのも同様の道程であると、わたしは考えるわけです。

もっとも、日蓮の教えといわず、大乗仏教自体がシンクレティズムの結晶に違いありません。しかし、この点は不可逆的です。日蓮の「言語」で説明されるようになれなければ、、他「言語」思想範疇に吸収されて終わってしまうと思うわけです。それは恰も、ブッダがヒンドゥー教の化身の一人として吸収されて、衰退したように、です。ですから、21世紀に通用する日蓮は、自分たちの「言語」を確保した形以外では滅するというのが持論です。

わたしは創価学会などで「仏教哲学」という言葉の使用を嗤います。なぜならば、仏教は哲学ではないからです。哲学でないものを哲学で説明することは、その本質理解を枉げてしまいます。ですから、日蓮の原型を素描する必要をこの掲示板で訴え続けてきました。哲学、現代思想で日蓮を考えようとするやり方は、特に初期の創価学会から、見られますが、これは牧口氏という教育学者が創立者であることと関連するのでしょう。創価教育学会でも、また、『折伏教典』でもそうですが、この牧口価値論、人生地理学から、日蓮仏法を捌くという編述が多く見られましたが、やがて、姿を消し、日蓮から考えるようになっていったことは、日蓮という範疇からすれば好ましいことであったわけです。同様に、生命論という大正時代の流行からも卒業できることを願っています。

こちらの掲示板でもお馴染みの‘Nichiren Shonin Gohonzon Shu O'Mandalas by St. Nichiren’では、御御本尊、お漫荼羅が、音写されて翻訳されずに定着しています。

http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html

多くの理解は自国語でなすほかありませんが、以上のような形が日蓮の‘文化’化ということで、日蓮門下の基本的スタンスにならなければ、他思想で解釈されて別のものとなってしまうでしょう。(もちろん、本尊は密教もしくは、儒教、漫荼羅も然りという、前段の考証はあります。しかし、ここは日蓮が摂取した既存思想という意味です)

その意味で、西洋哲学その他で解釈することにわたしは反対の立場です。もちろん、乾闥婆さんのお考えを否定する意図はありません。そのような方向で議論しませんかという、いわば、お誘いです。また、そのようなスタンスで、当スレを進めてきたつもりです。

343犀角独歩:2005/10/20(木) 15:57:50

―342からつづく―

> 非漢字圏の人々が「南無妙法蓮華経」と唱える…文字曼荼羅に向かい、漢訳された法華経を、日本語の音で読む
この件を考える点で、わたしは(1)現代日本人と鎌倉時代人、(2)漢字圏、(3)非漢字圏の三つに分けて考えてきました。

(1) 既に記したことですが、大野晋師の研究によれば、旧い日本語には、ハ行(h-a〜o)の濁音はバ(b-a〜o)ではなく、パ(p-a〜o)であり、それがふぁ(hu-a〜o)を経て、今の音になったといいます。これを裏付ける証拠は『御義口伝』にあります。パンナコッタさんとの遣り取りでも挙げた「薩達磨分陀利伽蘇多攬」の‘分陀利伽’です。これを現代語で「読めば、「ふんだりか」となります。合成語ですから、その前の「達磨」に続く場合は‘濁る’わけです。では、「ぶんだりか(bundarika)」かと言えば、そうではなく、これは、もちろん、「プンダリカ(pundarika)」です。多分、当時もそのように読まれていたのでしょう。しかし、現代の発音とは齟齬が生じます。故に「ふんだりか」と読んで逃げているわけでしょう。大野説を裏付けています。

また、たしか、平家物語の研究で研究で言われるようになったことですが、たとえば‘蝶’は「てふ」、‘今日’は「けふ」と旧い仮名で書かれ、これを「ちょう」「きょう」と読みますが、当時は、書かれたとおりに読まれていたと言います。蝶は、あくまで tehu であり、今日はあくまで kehu ということです。

さらに、ワ行の「ゐ(wi)、う(wi)ゑ(we)、を(wo)」といういまでは「いうえお」としか読めない失われた母音も、別の発音であったことが指摘されます。

以上の点を総合すると、日蓮が「めうほうれんぐゑきやう」と書けば、‘meu-poh-renguwe-kiyah’という読みが、当時の発声をより近く表したことになり、現代とは著しく異なっていることになります。

「どうでもいい」と言えば、それまでですが、お題目を行とする立場からすれば、その発声は大問題であるとわたしには思えます。

(2) わたしは中国語、朝鮮語、ともにまるでダメですが、この国の人々が、日本・日蓮を意識せず、「南無妙法蓮華経」と発声したとき、どうなるのでしょうか。また、乾闥婆さんが仰るよう、法華経を読経するとき、日蓮の出生国の側であるわれわれからすれば、まるで違うお経を唱えている感じとなるでしょう。これを受容できるかどうか。日蓮出生国側としては、原型が崩壊する違和感があるでしょうか。

(3) これが非漢字圏になると、本来に日本(というかヤマト?)にとって、外来文化である漢字を、先のGohonzon、O'Mandala のように、日本語読みで伝播するというのは‘文化’的には、まさに日蓮文化といったところでしょうか。しかし、先に言った現代読みと、日蓮の時代の読みの相違が横たわります。

> 曼荼羅を翻訳して図顕するのでは、何か、根本的に違ってしまう

そうですね。だいたい、梵漢一致というコンセプトがまず壊れます。
不可能だと思えます。

やや脱線しますが、日蓮漫荼羅を書写するのに「仏滅度後二千二百三十余年」が不文律になっていることに、わたしは不思議を感じてきました。小野文著師に、「末法の始め500年は日蓮聖人の時代のこと」と言われ、わたしは目が覚める思いがしました。

もちろん、仏滅年代の問題はありますが、それを取り敢えず置いて、日蓮の教学は末法の始め500年に限定された教学大綱があり、その後は、まったく違う意味を持ちます。それにも拘わらず、「仏滅度後二千二百三十余年」で時間が止まってしまっています。
個人的には、この日付を毎年、更新したらどうかと思っています。まあ、しかし、それでは、日蓮‘書写’漫荼羅として、成り立たないのでしょう。

先に、れんさんと、石山上古本尊では、「書写」の有無が話題になりましたが、書写では「二千二百三十余年」、図示では加算という別分けがあって然りという気がしないでもありません。まあ、勝手な提案と言うことになるのでしょうが。しかし、700年以上も、「二千二百三十余年」感覚のままで、末法の始めをやっていることが、日蓮原理主義から脱却できない大きな要因になっていると思えます。

話がやや拡散しましたが、当スレ「現代人が納得できる日蓮教学」、換言すれば、人々は、何に疑問を懐いているのかという点の、踏み台にしていただければ、と存じます。

344乾闥婆:2005/10/21(金) 01:27:55
>>341

犀角独歩さん。

懇切丁寧なレス、ありがとうございます。

>池田氏崇拝の完全化、もしくは日蓮を相対化し間口を広げ、彫刻から日蓮真筆漫荼羅へ、日寛から汎仏教への転換か、その折衷しか道はないように思えます。

そうですね。しかし創価学会はなかなか「本門戒壇の大御本尊」を捨てません。組織の中心にいる世代のことを考えれば、捨てられないのでしょうが、もしかすると、まだ強い未練があるのではないかと思うこともあります。1997年に発売された『日蓮大聖人の思想と生涯』(第三文明社)は会館でも販売されていますが、「本門戒壇の大御本尊」に触れていませんし、巻末の年表にも記載されておりません。これは画期的なことだと当時は思ったのですが、結局その後弘安二年十月十二日が学会の関連書籍から消えることはありませんでした。すべてのほとぼりが冷めたときに(そんな時が来るかどうかは分りませんが)、学会はもう一度宗門と寄りを戻したいと考えているのではないかと危惧します。確かにそのような事態よりも犀角独歩さんが言われるとおり「日蓮を相対化し、教祖崇拝でいく」ほうが、よいように思えます。しかし「池田氏崇拝の完全化」の究極は、池田氏自身が曼荼羅を図顕することなのでしょう。そちらの方向へ振り切れてしまうことも同時に危惧します。

>より利他の本質的な部分で法華経典における菩薩思想より勝っていると思えるという意味です。故にわたしは「彼の法華経」と記しました。

よく腑に落ちました。宮澤賢治は自身の身で法華経を読んだのでしょう。その表現として『雨ニモマケズ』はあるのだと思いました。それはまさに法華経を身で読んだならではの「彼の法華経」であるのだと思います。

345乾闥婆:2005/10/21(金) 01:28:36
>>342

>しかし、他の文化圏の思想の語彙を使えば、それは、その思想の範疇から出られないことになります。ですから、必要なことは、仏教が、就中、日蓮仏法の「言語」から構築されたものでなければ、オリジナルとは言えないと、わたしは考えます。

確かにその通りなのです。蓮祖の生きた、その時代のまさに言説の中において、蓮祖を見なければ、正しく見えないし、オリジナルとも言えないと、私も思います。しかし逆に、オリジナルなものが、現代人に納得を得られるものであるのかは、難しく思うのです。もちろん、納得をされるために、事実をゆがめることは許されませんが、現代人はやはり現代の言説の中に生きているのであり、その「言語」の中に、いやおういなく中世日本を生きた蓮祖をおかざるを得ないのだと思います。もちろん西洋哲学の範疇において、日蓮仏法を見ようというのではなく、そのような西洋哲学であるとか言語学であるとか、また科学的歴史的基礎知識といったことを、私たちは前提として持っており、そのような視点はいやおうなく入り込んでこざるを得ない、ということです。

>哲学でないものを哲学で説明することは、その本質理解を枉げてしまいます。

その点はよく分かります。創価学会の中にいて、いつもいらだたしく思っていたのは、この仏法の正しさは、いずれは科学で証明されうる、といった態度です。今は少なくなったと思いますが、ほとんど私には信じがたい態度で持って、そのような確信している人たちは多かったように思います。宗教は宗教であり、科学とは別の範疇に属するものであると、強く思っておりました。哲学に関して、そのような強い割り切りを私は持っておりませんでしたが、おそらく犀角独歩さんが言われていることは、そのようなことに近いのではないかと感じました。

>その意味で、西洋哲学その他で解釈することにわたしは反対の立場です。

そのような意味でありましたら、もちろん同意いたします。

>そのような方向で議論しませんかという、いわば、お誘いです。また、そのようなスタンスで、当スレを進めてきたつもりです。

了解いたしました。

346乾闥婆:2005/10/21(金) 01:28:59
>>343

>この件を考える点で、わたしは(1)現代日本人と鎌倉時代人、(2)漢字圏、(3)非漢字圏の三つに分けて考えてきました。

それぞれの分類における諸問題点の提示、ありがとうございます。頭が整理されました。

私は宗教のその地域の色を強く担った固有性というものは、許容されるべきだと思っています。蓮祖の宗教が日本の言語文化に固有のものとしてあることは、何もおかしくないし、何も卑下すべきものではないと思います。創価学会が世界公布と言っても、日本という枠組みを取り外して考えることは無理ですし、そうすべきではないと考えます。他の地域には他の地域に固有の宗教があり、それでいいのだと思います。むしろ恐れるべきなのは、地域の固有性を踏みにじるような、絶対的な宗教という幻想であると思っています。現代と中世の時間の隔たりは、また別次元の問題として残るとは思います。

「仏滅度後二千二百三十余年」は確かに、時間が止まっていますね。指摘されると確かに首をひねります。いつまで経っても末法は始まったばかりですね。

347犀角独歩:2005/10/21(金) 14:29:24

乾闥婆さん

> 池田氏自身が曼荼羅を図顕…危惧

「危惧」ですか。わたしは、一つのカードとして、別段、そのようになったとしても「可」と思います。創価学会がこれをやらないできたのは、本尊書写は(血脈を受けた)法主一人の権能であるという石山アナウンスを墨守するからでしょう。また、それに従ってきた歴史的経緯があるからでしょう。ナンセンスと考えます。

現段階では物的証拠を握っているわけではありませんが、戸田氏も一遍首題を書いたという話はまことしやかに囁かれています。田中智学しかり、宮沢賢治しかり、日蓮を究極的に詰めていくとき、実際に漫荼羅を書写してみることは、わたし個人としては、否定されることとは考えていません。ただ、写真に撮った漫荼羅が印画紙に焼いたり、コンピュータのモニターに映るだけでは本尊足り得ないように、各人が写した漫荼羅が本尊足り得るかどうかという問題があるだけです。漫荼羅を書くことが「謗法」だというのは、ただの思考操作に過ぎません。

わたしは何度も書いてきました、池田氏は他に類例を見ないほどの合理主義者です。わたしがここで書いてきたことは先刻ご承知でしょう。承知のうえで、数百万人の創価学会が不信を抱いたり、学会路線を踏み外さない‘さじ加減’を正確に見極め‘小出し’をしてきたのでしょう。これは「池田氏が」というより、「宗教法人創価学会が」といったほうが、より適切なのかも知れません。

会員は、その時その時の‘指導’に踊らされますが、実際の創価学会の方向性は、そんなところにはないでしょう。長期数十年計画の、自分たちの行き着く方向性は見極めていることでしょう。しかし、そこで一番の大きな問題になっていることは何かという点に、わたしは目を向けてきました。ただし、それは単なる創価学会批判などと言う感情論ではありません。

創価学会のアキレス腱は、日蓮でいくのであれば、結局のところ、自前本尊を持てないという一点に問題があることは明白です。

創価学会の最大の弱点は、石山型の日蓮を担いでしまったことです。
日蓮を追い求めていけば、必ず、日蓮真筆漫荼羅に行き着きます。

それは恰も、宮沢賢治の童話、詩、そして、人生に興味を懐き、賢治を追い求めていくとき、ついに『雨ニモマケズ』の詩、その精神に行き着き、そして、通常の詩集では割愛されているにもかかわらず、その詩の最後に記された漫荼羅に行き着くようなものです。

しかし、ここで石山「日蓮」は大きな障壁になります。しかも、それを壁に作ってしまったのは、まさに昭和30年代の創価学会でした。しかも、先にも記したとおり、いまの創価学会はこの宮沢賢治の断末の筆跡、漫荼羅を認めたことを肯定するキャパはないわけです。そして、さらに深刻なことは、先にも記したとおり、日蓮真筆漫荼羅を一切、否定した立場にあるということです。日蓮真筆漫荼羅を無視した日蓮など、まさに魂なき日蓮であって、日蓮とは言えません。

しかし理念としての日蓮であれば、漫荼羅は要らないとも言えます。
ところがいまの創価学会は日寛書写漫荼羅を使っているわけです。ここに矛盾があります。
乾闥婆さんご自身、この本尊に拠っていらっしゃるとのことで、以下、申し上げるのはやや気が引けます。しかし、決して、乾闥婆さんの信仰、また、その様を侮蔑しようなどということではなく、純粋に論考として記します。日蓮真筆漫荼羅に比べれば、日寛本尊など、巨匠の書画と、小学生の筆字ほどの差があるでしょう。いや、もっとあります。天地雲泥の差です。

今後、創価学会が変わらず、漫荼羅本尊でいくのであれば、実は道は二つしかないでしょう。一つは池田氏が書くこと、もう一つは、適当な日蓮真筆漫荼羅によるかです。そうしなければ、会員は欺けても、仏教界の冷笑は已まないからです。もっとも、池田氏が漫荼羅を書けば、「新興宗教」のレッテル貼りの思う壺、となれば、わたしは日蓮真筆による以外道はなしと読みます。

結局のところ、日蓮を追い求めるとき、必ずや、日蓮真筆漫荼羅への思いは喚起するわけです。しかし、その漫荼羅は日蓮宗各寺院に格護されているわけです。その宝蔵寺院を「邪宗日蓮」と侮辱し、攻撃してきてしまった創価学会は、この漫荼羅に行き着く方途を自ら閉ざしてしまった。その閉ざしてしまったところからしか、着想、方向性を定められないところに、結局、創価学会が、「日蓮」に至れない大きな要因があるわけです。

文化芸術に興味を示す創価学会が、日蓮の筆という日蓮信仰者が追い求めて已まない宗教と芸術の昇華の精緻・日蓮真筆漫荼羅から、目を背けることでしか成り立っていないことは如何にも残念なことです。

348犀角独歩:2005/10/21(金) 14:29:51

―347からつづく―

また、日蓮真筆に関する知識の欠如が、いまだにあの彫刻を日蓮原本であるとする見識眼のなさでしか成り立たない迷信を罷り通らせているわけです。

> 宗教のその地域の色を強く担った固有性というものは、許容されるべき

随方毘尼ということですね。
写本遺文『月水御書』のなかに一度、現れるところです。
この点に、なんら異見はありません。

> 地域の固有性を踏みにじるような、絶対的な宗教という幻想である

このお考えには、もちろん、賛同します。ですから、「唯一絶対、最高の宗教」ということ自体が幻想であるということも意味するのでしょう。

また、地域の固有性は認めるが、他の宗教の固有性は認めないということが矛盾しないと考えるのは宗教者ぐらいのものでしょう。結局、ここでポイントになるのは、他の固有性を認めるということですから、「アーメン」も「南無阿弥陀仏」も認めるとならなければ、この論法は不完全であることになります。つまり、大乗仏教でいえば、「寛容」が叫ばれる要因は、まさにここにあるのだろうとわたしには思えます。各人の固有さを損なわず、共存し続けるという在り方です。ところが、この考えは著しく日蓮の教えに違反することになるところに問題が生じてきたわけでした。戦後、日本社会でまた、このような宗教風土を作ってきたのもまた、創価学会であることは紛れもない事実です。

ただ、わたしはその批判をここに繰り返すことを目的にしているわけではありません。わたしが乾闥婆さんに、非漢字圏の信者につき、ご賢察をお尋ねした理由は、SGIに限らず、日蓮宗においても、海外で日蓮漫荼羅本尊を奉安し、題目を唱える信徒は実際にいるからです。漢字を理解できない方々です。しかし、実際には、信仰体験と歓喜も得ているのでしょう。わたしはこの点を否定しません。つまり、このような海外信徒の存在、また、顕正会員が、見たこともない「本門戒壇の大御本尊」に歓喜し、捨身布教に走る様も同様です。彼らに至っては日蓮真筆漫荼羅を完全に封鎖されているばかりではなく、自宅拠点、また、石山・学会からの転教者以外は、自宅に本尊すらありません。石山、学会信徒も、勤行唱題には本尊の「妙」の字を見ることが教えられ、諸尊勧請のためにその一々に目を凝らすこともありません。いや、それどころか、「御本尊のことを、とやかく考えること自体、謗法である」と信じ込まされているでしょう。

つまり、字で書かれているのにも拘わらず、漫荼羅は神秘化され、それを論じることをタブーとされ、イメージになっているわけです。このようにイメージ化された、現実の目の前にある漫荼羅本尊を見ない形で成立しながら、しかも法悦と体験を得る‘仕組み’に関して、わたしは着眼しているわけです。

日蓮が、あの10年間に図示した漫荼羅は現存を確認される限りで130幅足らず。実際に図示した数は、その倍数とも類推されるますが、そこから大きく外れることはないでしょう。しかしながら、当時の板東武者は8人1人ほどしか字が読めなかったという説もあります。庶民となれば、ほとんどが読めなかったのでしょう。

中尾師は、佐渡で日蓮が漫荼羅を顕わすのを見て、当地の人々は吃驚した、彼らは紙も文字も見たことがなかったから…という話をされていました。また、文字の読める弟子檀那にしても、それまで見たこともない文字で書かれた漫荼羅を日蓮から授与され、その意味がわからず戸惑い、また、それを説明する日蓮の遺文が散見できると講義されていました。

近日、当掲示板でも話題になってきましたが、そもそも、日蓮は、漫荼羅を本尊として、現代のように拝ませていたのか?という点は、実のところ、何もわかっていません。
その意味において、漫荼羅を‘見ない’イメージとして捉える人々は、漢字が読めない外国の信者、また字が読めなかった日蓮当時の信者方と、同じ心象にあるのかも知れません。

> 「仏滅度後二千二百三十余年」は確かに、時間が止まっていますね。指摘されると確かに首をひねります。いつまで経っても末法は始まったばかりですね。

そのとおりなのです。
わたしたちは、日蓮滅後700年、当時の換算では仏滅3000年、いま至れた結論からすれば仏滅2500年という時代を生きているわけです。

顕正居士さんが、かつて、いまの時代に日蓮が生きていたらという一文をご投稿くださったことがありますが、まさに、いま、ここに日蓮がいたらという視点で、時代を読み解くことは大いに意義のあることであると考えています。しかし、現実には、没した日蓮から700年を経た今日から、日蓮を見ることこそ、大切であるともちろん、思うわけです。

349乾闥婆:2005/10/22(土) 01:38:51
>>347-348

犀角独歩さん。

見事な創価学会の現状分析、ありがとうございます。非常に頭が整理されました。

>「危惧」ですか。わたしは、一つのカードとして、別段、そのようになったとしても「可」と思います。創価学会がこれをやらないできたのは、本尊書写は(血脈を受けた)法主一人の権能であるという石山アナウンスを墨守するからでしょう。また、それに従ってきた歴史的経緯があるからでしょう。ナンセンスと考えます。
>日蓮を究極的に詰めていくとき、実際に漫荼羅を書写してみることは、わたし個人としては、否定されることとは考えていません。
>漫荼羅を書くことが「謗法」だというのは、ただの思考操作に過ぎません。

もちろん私は曼荼羅書写を謗法とは思っておりません。ただ池田氏の立場で曼荼羅を書くということは、創価学会の究極の本尊となるであろうということ、そしてその究極の本尊を顕わした池田氏は本仏と扱われるに至るであろうということ、そのようなことを「危惧」したのでした。もっともいまの創価学会を大過なく池田氏死後に守っていくには、犀角独歩さんの言われるとおり、有効な一つのカードであるとは思います。また、そのようになってこそ創価学会は首尾一貫するのかもしれません。現状、その下地は組織内部において十分できていると思います。

>もっとも、池田氏が漫荼羅を書けば、「新興宗教」のレッテル貼りの思う壺、となれば、わたしは日蓮真筆による以外道はなしと読みます。

創価学会はその関連書誌媒体では、自身の評価を落としかねないほど、口汚く他者を罵ったりします。この組織は、どこか、世評を激しく気にする部分と、まったくその世評を感じとる感性をまったく欠いている部分とが、共存しています。池田氏曼荼羅書写は十分に踏み切る可能性はあるのではないでしょうか。気にしているとすれば、組織内部の者たちがついてくることができる、そのタイミングだけなのかもしれません。

>適当な日蓮真筆漫荼羅によるかです。

この可能性はあるのでしょうか。私は組織内部にいて、他山の日蓮真筆漫荼羅を持ってくることは、宗門とのよりを戻すことよりも、不自然な流れと映ります。

>ところが、この考えは著しく日蓮の教えに違反することになるところに問題が生じてきたわけでした。戦後、日本社会でまた、このような宗教風土を作ってきたのもまた、創価学会であることは紛れもない事実です。

そうですね。そこが私自身の内部でも矛盾するところです。それぞれの固有性を大事にする思いが、日蓮仏法への信仰を弱め、その信仰を強めようとすると、それぞれの固有性を有する世界を、心の中で消去してしまいます。

>つまり、字で書かれているのにも拘わらず、漫荼羅は神秘化され、それを論じることをタブーとされ、イメージになっているわけです。このようにイメージ化された、現実の目の前にある漫荼羅本尊を見ない形で成立しながら、しかも法悦と体験を得る‘仕組み’に関して、わたしは着眼しているわけです。

この御考察、うならされました。まさに、曼荼羅はモノとして、また文字として、ある以上に、関係性、仕組みとして、あるのですね。私はおそらく、このようなイメージ化、神秘化に、抵抗しているのだと思います。その抵抗の足がかりとして、この曼荼羅が図像ではなく、文字であることを強調し、意識しているのでしょう。私は主知的でありたいと思い、信仰を持つことと主知的であろうとすることは矛盾しないと、考えているのだと思います。しかしそれは曼荼羅の受容の実態にあっていないのかもしれません。識字率の低い時代での曼荼羅受容は、確かに非漢字文化圏の方々の曼荼羅受容と、条件としては重なりますね。

しかし現代人に納得される日蓮教学とは、そのようなイメージ化、神秘化を脱却したところに成り立つ何かであるのではないでしょうか。しかしそれはもはやオリジナルな日蓮教学ではなくなってしまうのでしょうか。

350犀角独歩:2005/10/22(土) 09:53:19

乾闥婆さん

> 池田氏の立場で曼荼羅を書く…創価学会の究極の本尊…池田氏は本仏…「危惧」
> この組織…世評を激しく気にする部分…感じとる感性をまったく欠いている部分

なるほど。ご賢察と拝します。

> 池田氏曼荼羅書写は十分に踏み切る可能性…気にしている…組織内部の者たちがついてくる…タイミングだけ

いまはどうだか知らないのですが、わたしが在籍していた頃は、池田氏は盛んに色紙を配っていました。(この代筆グループがあるのをあとから聞いて驚いたのですが)
そのなかで「妙」という揮毫があったわけです。わたしが話を聞いた石山の坊さんは、これだけでも略漫荼羅だということでした。そんなものかと思ったのです。わたし自身は色紙は色紙だろうという思いがあったからです。あと、これも確認したわけではありませんが、学会が模刻した板本尊に池田氏の自筆署名が彫り込まれていたといいます。模刻問題は、板に刻んだことより、この署名の法が問題だったといった坊さんがいました。その人は宝蔵に収められた板本尊を目で見て確認したといったのですが、その真偽はわかりません。

「妙」揮毫、板本尊に署名という事例は、ある意味、池田氏の欲求を示しているようで、その心象風景は如何ばかりであったのか、興味が惹かれます。この延長で、漫荼羅書写となるといえば、もちろん、短絡でしょうが。

> 他山の日蓮真筆漫荼羅を持ってくることは、宗門とのよりを戻すことよりも、不自然な流れと映ります。

そうですね。これはたしかに、現学会からは考えづらいことです。
ただ、八王子に牧口記念会館が建設された頃、創価学会が日蓮真筆漫荼羅を探しているという噂がまことしやかに流れました。そのために、真筆漫荼羅が動き、途方もない値段が付いた騒ぎがありました。この件は、ちょっと詳しくは書けませんが、しかし、実際に学会が探していたとすれば、この可能性はなきにしもあらずということでしょうか。

もう一つ、可能性があれば、それは漫荼羅離れということです。
学会を端から見ている側からすると、一番、驚くのはその簡易化です。表装をやめて一枚刷りにしたり、携帯本尊という流れは、それを本尊にしている人にとっては耳障りな表現かも知れませんが、まさに‘簡易化’です。

簡易化の行き着くところは廃止ということですが、この可能性はどうでしょうか。
もちろん、今日明日の話ではなく、10年20年というスパンでの見通しです。案外、池田氏書写・真筆漫荼羅使用より、こちらのほうが、可能性が高い気がします。

SGIなどは、かなり世界を意識しているわけですね。
先にも「空」という話題がありましたが、この点からすれば、特定漫荼羅への拘りは、仏教を理解しようとする側からすれば首を傾げることです。凡夫本仏が行き着くところは、己心本仏ですから、実は漫荼羅は対境としての十界も、己心十界覚知で事足りるとするというのは流れになります。廃止とはいかないにしても、重点が己心へ移行すれば、重要度が低下していくことはあると思えます。実際のところ、世界を意識すれば、漫荼羅が遠のくのではないのかという思いがわたしにはあります。

その傍証と言えるかどうかわかりませんが、勤行・唱題の重要度も学会では極端に下がってきました。その現れが、勤行の簡易化でしょう。この簡易化は、要するに、本尊に向かっている時間の短縮を意味するわけです。時短は結局、重要度の低下という心的作用をもたらします。一つの学会の方向性が看取できるようです。

> …現代人に納得される日蓮教学…イメージ化、神秘化を脱却…成り立つ何か

現代人が宗教に望むことに神秘性は依然として強く、ならばイメージかも否定されないのだと思います。ただ、その神秘性の質ということに科学文明社会は拘るわけでしょうね。要は「この教えは科学と矛盾しない。価額を超えたものだ」という口上です。
このニーズに答えていくと、宗教は呪術化し、人を隷属させやすい形になりますね。
いくらニーズがあっても、このような宗教には警鐘を鳴らさなければなりません。
わたしが彫刻を批判するのもこのためです。
わたしは宗教は、呪術・隷属から、公益性の宗教への転化を目指すべきであると考えています。わたしが尊敬する浅見定雄師は常々「何を信じているのかを問題にするのではなく、何をしているのかを問題にする」と語ります。宗教団体が集める人員と金銭を、その宗教団体内のみの益とするのではなく、他に対して何をしているのかという点で評価を考えるということです。

351犀角独歩:2005/10/22(土) 09:55:11

―350からつづく―

学会はようやく重い腰が上げつつありますが、まだまだ不十分です。石山はもはや絶望的、問題外でしょう。器物・呪術・隷属に囚われて、公共性など、かけらほど考えていません。信者は、ですから、そのようなものに興味を懐かず、閉鎖性は更に高まり、比例して差別観は高まるばかりです。この現況は彫刻問題と共に深刻です。
日蓮宗全般は、緩慢ながら、それでもようやくと動き始めています。

宮沢賢治の話が出ましたが、わたしは賢治の菩薩観は不軽菩薩を超え、大乗菩薩道であると記しました。この菩薩道を、弘教と宗教典礼に限定すれば、信者は隷属化し、宗教集団以外のことはしなくなります。しかし、本来の菩薩道とは、あらゆる意味における利他行であるはずです。六度万行、八正道で培われた心身で、社会に対して、非信者に対して、何をしているのか、換言すれば、公益性が今後の宗教の是非を計る尺度になるとわたしは考えています。

わたしはいつも引用する岩本師が引いた一節があります。
杉本苑子氏が記された『西国巡拝記』の一節です。

「坊さんのすべてが、もう一度、出家しなおしたら、どんなにすばらしいことかと思う。皮肉などで決してない。実感である。
 三十三カ所霊場とは限らない。日本の寺々にはともすると、草創の古さ、寺格の高さ、皇室はじめ過去の権力者にどれほどの庇護や帰依をうけたかを、とくとくと語り、あたかもそれを寺の誇りとするごとき傾向をまま見かける。しかしそんなことが、寺の名誉でも威信でもないことはあきらかである。もし寺院が、それなりに矜持(きんじ)を持つとすれば、仏の智、仏の愛を、どれだけ積極的に民衆のなかに弘通し、彼らの悩みを救ったかという一点にしぼられるはずである。過去はもちろん、現在も未来も、立派にそのつとめを果たし得る自信、そしてその実績――。寺院の誇りはこの一事に尽きる。伝統や寺歴を、問題外にするのではないが、そういうものはあくまで第二義のはずと思うのだ。かたちはでんとかまえているが、ひっくり返してみたら下のほうが腐りかけていた南瓜……。そういう哀しい存在に、寺院が成り下がることを、日本の民衆は一人として望んでいないのである」

> イメージ化、神秘化を脱却…オリジナルな日蓮教学ではなくなってしまうのでしょうか。

話を戻せば、この点を乾闥婆さんは、漫荼羅受容という側面から仰ったわけですね。
わたしは日蓮の漫荼羅図示は、弟子としての允可証であったと考えています。
ですから、拝む対象であるとはいまは考えていません。
オリジナルの日蓮教学が何であったのか、それが明瞭ではない現実があります。

日蓮の心象は、仏のみならず、神を信じ、それら神仏が悪国・悪人を亡ぼす神秘の世界に生きていたのでしょう。この点を現代に当てはめていくことには困難を感じます。しかし、結果がイメージ、神秘からの卒業であっても、よいとわたしは考えます。

仏教にも造詣の深い精神科医・高橋紳吾師は、釈迦が最も忌避したものは執着であるといい、舎利であれ、経典であれ、援用すれば漫荼羅であれ、それらに執着することを象徴(シンボル)の病と評しました。(『超能力と霊能者』岩波書店)
これはまた、空の問題、道の問題とも密接に絡みますが、いずれにしても、世界全般から見る仏教の一つのスケールを意識した師の記述は参考になります。また、新宗教新聞の編集長廣橋隆師が、カルト問題を新宗教という視点から語ったパネルディスカッションを聴講したことがあったのですが、ここで、仰るような点を宗教からのぞくことが脱カルト運動のように扱われることがあるが、果たしてどうか、「悩ましい問題」とコメントしていたのを覚えています。

やや、話が横道に逸れ、適切な返レスになっていない点をお詫びします。

352乾闥婆:2005/10/23(日) 01:35:34
>>350-351

犀角独歩さん。

仕事が忙しく、明日も仕事ですので、申し訳ありませんが、今晩は少なめなレスになります。

>簡易化の行き着くところは廃止ということですが、この可能性はどうでしょうか。

そうですね。そもそも勤行の簡略化の理由が、国外へのさらなる流布を視野に入れてのことでした。廃止にまで至るのか、分りませんが、創価学会がまさに日本の固有性、蓮祖の固有性を捨てることはありうるのかもしれません。

>この菩薩道を、弘教と宗教典礼に限定すれば、信者は隷属化し、宗教集団以外のことはしなくなります。しかし、本来の菩薩道とは、あらゆる意味における利他行であるはずです。

実践的な側面ではやはりこのような方向へ向かうことが望ましいのですね。

>オリジナルの日蓮教学が何であったのか、それが明瞭ではない現実があります。
>しかし、結果がイメージ、神秘からの卒業であっても、よいとわたしは考えます。

それらの点を探求する場として、この掲示板に参加させていただいております。時間を見つけ自身も学びながら、これからも皆様の書き込みに学ばせていただきたいと思います。ありがとうございました。

353犀角独歩:2005/10/23(日) 05:47:02

乾闥婆さん

やや長い議論にお付き合いいただきました。
有り難うございました。

お時間があるときにまた、お気軽にお声を掛けてください。

354小池:2005/10/23(日) 09:19:03
独歩さん

10月17日のブログで
>「法華経は三世諸仏説法の儀式也。…」…活発な議論となったが、ここには略す。…「三世というのは過去・現在・未来といった今言われるような時間軸ではない」…
と記されておりますが、原始仏教などでの釈迦の教説は来世については「無記」だったように思います。法華経等は三世観を記しているように思われますが、どのように理解すればいいでしょうか。
お教え頂ければ幸いです。

355犀角独歩:2005/10/23(日) 15:55:54

354 小池さん

> 原始仏教…来世…「無記」…法華経等は三世観を記している

原始仏教は伝承に基づくシャキャムニの言説を記、しかし、法華経は創作物語であるから、そこに齟齬が生じるのは当然のことだということでしょう。

しかし、ただ、一点言えることは、シャキャムニは、死後については無記ですが、それは文字どおり、無記だということです。あるともないとも言ってはいないと言うことです。
神格化された釈迦無尼仏は一切正遍智と神話化されますが、現実の釈尊はわからないことはわからない、わからないことに拘って時間を無駄にするより、いま現実の修行に励めというのが死の間際まで「修行者」と呼ばれたシャキャムニの姿であったということでしょう。

これは現在も同様であり、わかりもしないことを、さも、知っている如く雄弁に語る話は、対外は嘘だということです。わたしは確信ある言説というのは、要は嘘つきの詐弁であると考えます。

356小池:2005/10/23(日) 16:49:50
独歩さん

大変有難うございました。
死後についてあるともないとも言っていない現実の釈尊。対して三世観を記す法華経は創作物語。
ということですね。

357犀角独歩:2005/10/23(日) 17:11:38
やや、補足すれば、法華経は創作物語と片付けてしまうわけではなく、そのエッセンスは数百年、受け継がれてきた仏教徒の延長にはあるということでしょう。
ただ、それはシンクレティズムの要素を多分にはらんでいるということであろうと思います。

358小池:2005/10/23(日) 17:27:14
独歩さん

有難うございます。
としますと、創作物語と片付けるのではなく、「そのエッセンス」は役立つものもあるということですね。
シンクレティズムについて、また、仏教について、いつも紹介されている岩本裕師の本をよく読もうと思います。他にも立派な学者はいると思いますが、岩本師は本当にすごい学者だと思います。

359犀角独歩:2005/10/23(日) 21:42:26

小池さん

わたしも岩本師は非常に影響を受けたお一人なんですが、どうも学者、研究者には評判が悪いのです。しかし、よいところもたくさんあります。

師の「シンクレティズム」に関する説明は『佛教入門』(中公新書)179頁に載っています。まあ、ほかにもたくさん、あろうかと思いますが。

360小池:2005/10/25(火) 09:00:37
359 独歩さん

大変ありがとうございます。
「仏教入門」拝読してみます。
すばらしい先生ですね。いま観音について先生の本を読んでいるところです。

361通りすがり:2005/10/27(木) 23:52:53
岩本さんは、創価学会の教授ですね。日蓮聖人は、梵本を重視せず羅什が仏教哲学を集成した「妙法蓮華経」を釈尊の真意と捉え、「妙法蓮華経」に限るとします。日蓮聖人の哲学的なアプローチを認識しないと、その思想は理解できませんよ。

362小池:2005/10/28(金) 04:40:08
361 通りすがりさん

大変有難うございます。
>岩本さんは、創価学会の教授ですね。日蓮聖人は、梵本を重視せず羅什が仏教哲学を集成した「妙法蓮華経」を釈尊の真意と捉え、「妙法蓮華経」に限るとします。日蓮聖人の哲学的なアプローチを認識しないと、その思想は理解できませんよ。

このことについて、もう少し詳しく御説明頂ければありがたいです。
「梵本を重視せず…真意と捉え」という部分は、ここ100年あまりの仏教学の成果と照らしてどのように判断すればいいのでしょうか。
特に、「日蓮聖人の哲学的なアプローチを認識しないと、その思想は理解できません」という部分について、「日蓮聖人の哲学的なアプローチ」というのはどのような内容なのでしょうか。

363犀角独歩:2005/10/28(金) 08:11:59

やや、補足すれば、「哲学」と西周の達意訳の一つであって、その原語はフィロソフィー(philosophy)です。これはフィロ(philo)とソフィー(sophy)の合成語であって、直訳すれば「知への愛」とされるところです。日本に愛知県がありますが、この愛知とはまさに哲学を指していることになります。

仏教でも、知は重要な意味を持ち、経典から、敢えてその典型を求めるとすれば、般若経ということになるでしょうか。般若とは端的に言えば智慧だからです。しかし、仏教で言う般若は、哲学で言う知とは、やはり、かなり異なっています。

なにより、哲学の原意と、仏教が目指す行学はまるで違います。

殊に日蓮において、知を愛するという態度は特に顕著ではなく、妙法蓮華經への信を前面とし、久遠本佛釈迦牟尼佛と、それを説く法華経、末法適時の修行として妙法蓮華經唱題を主張するわけですから、哲学的態度とは意を異にしていることは明白です。

創価学会では「仏教哲学」という語彙を使いますが、これは元来、仏教と哲学という二分を一括した論じた言葉であったわけで、それが仏教の哲学を意味するようになるのは、近代の新造語に属するのであって、元より、日蓮とは無縁だからです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5

364パンナコッタ:2005/10/29(土) 01:06:14
小池さん、同じく補足的に、
例えば十如是を考えては如何でしょうか。妙法蓮華経方便品第二の重要な経文ですが、
梵本や正法華経にはありません。強いて言えば相・性・体・力・作に該当するものがあるかな
ぐらいでしょうか。

http://www.chuogakken.org/candana/0198_01.html
http://www.kosaiji.org/download/kyoten/index.htm

以前池田さんの発言に、
『さらに大聖人は、法華経の敵に対する心構えを教えておられる。
「願わくは、わが弟子等は師子王の子となって、群孤の笑われることがあってはならない。
過去遠々劫以来の日蓮のように、身命を捨てて強敵の過ちを顕しなさい」(御書1589㌻通解)
私たちの永遠の指針として、生命にとどめるべき一節である』

とあったのですが、原文の閻浮提中御書は、
【願はくは我が弟子等は獅子王の子となりて、群狐□□□ヽことなかれ。
過去遠々劫より己来、日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕□す師には
値ひがたかるべし】 

写本の誤読をそのまま引用して、指導しています。 このように厳正に見れば
蓮祖の教えではありませんし、この手の類が山ほどあるのが各教団の現実でしょう。

365小池:2005/10/29(土) 16:17:33
364 バンナコッタさん

大変有難うございます。

366通りすがり:2005/10/31(月) 21:46:22
日蓮聖人の行学は哲学的思想・仏教の説く哲学に強く裏付けられた上での「強信」です。仏教の説く哲学も、勿論現代の哲学同様に真理を探求したものが中心となります。宗教が哲学と違うところは、論理によって真理を探求するのみならず、その探求した真理を「悟る」ための実践を要求しているところです。
日蓮聖人のスタンスは、信を強調したもので哲学的なものには欠けると捉えている人や、正統なる仏教の信仰が高度の哲学に基づくものとの認識が無い方には、何を言っても価値無きものとなります。

367犀角独歩:2005/10/31(月) 22:15:27

通りすがりさん

ここは証明を以て論考していく場所です。
個人で日蓮の教学が哲学だというのであれば、どのような体系の、どのような哲学かと、論証したうえで述べるのが筋です。

あなたのような内容のないかけ声は、ただの張り子の虎に過ぎません。
当スレのテーマである現代人に通用するどころか、ただのハッタリといいます。

価値がないのは、かけ声だけ合って、説明がないことに基づきます。

大概のカルト理論がそうであるように、肥大した無思想な言説ほど、滑稽なものはありません。

まあ、説明してみることです。

368パンナコッタ:2005/10/31(月) 22:36:30
>366 の通りすがりさんの投稿は、暗に自分の>364 や 独歩さんの>363 を非難しているのかな。
 と、すると哲学的に欠けるなどとは独歩さんは言ってませんし、
自分も、正統なる仏教の信仰が高度の哲学に基づくものなどとは言ってませんよ。

一体、探求した真理を悟る実践ってなんですか?  正統なる仏教の信仰ってなんですか?

369通りすがり:2005/11/01(火) 00:24:21
この掲示板は八九三のような方が多いようですので真摯な談義は難しいようですね。小池さん、ネットサーフィンの上、またお逢いできることを楽しみにしています。

370犀角独歩:2005/11/01(火) 02:32:45

> 369

不誠実、というより、語るに足りる知識もない人間が、「真摯」云々は笑止千万。
去ると言うことなので、けっこうなことです。
よろしく逃げ去りください。

372湛寂の潭に溺死:2005/11/01(火) 03:53:58
現代人には日蓮どころか、ゴータマの仏教それ自体が納得不可能ではないだろうかと思う。
少なくとも私にとってはそうだ。
阿含経などによるならば、舎利佛、目連、阿難、迦葉など主だった弟子の多くは自殺しているらしい。
ゴータマ自身も自殺したと見る者もいる。
どこまでが事実であるかは無論、不明ではあるが、全くでたらめを書いているわけでもないだろうと思う。

悟りを得た者は自殺してもいい、ということらしい。
ゴータマの教えというのは、結局そういった方向性のものであるのは否定しようがないだろう。
生きることを否定しまいかねない教えというものは、終末思想とどれほどの差があるのだろうか。
客観的に見て、このような教団が現代にあったとしたらと思うと、私は正直ゾッとする。

我々は子供に、知らない大人についていってはいけないと教えるだろう。
それと同様に、我々は2500年前や700年前の、実際にはどのようであったか、
決してわからぬ人物を簡単に信用してついていってはいけないのではないか。
同時代に生きる人間を神聖視することを我々はそう易々と許さないだろう。
にも関わらず何故、同じ視線をゴータマにも日蓮にも向けない人が後を絶たないのだろうか。

2500年前、あるいは700年前という遠い昔に既に死んでしまってすでにこの世にいない人物が、
実際にはどう考えていただとか、こだわることにどのような意味があるのか。
意味があると確信ある御先輩がいらっしゃれば是非、ご意見を求めたい。

また、教義によっても伝承によっても思想によっても信仰によっても議論によっても
涅槃を得ることは出来ない、とスッタニパータには説かれているが、
これについても合わせてご意見を頂戴できたらと願います。

373犀角独歩:2005/11/01(火) 04:12:24

> 372

ごもっともなご意見であると思います。

シャキャムニとその弟子達が自殺をしたかどうかという点は、まさにわからないことに属しますが正木晃師も、指摘していましたが、初期仏教教団は、たしかに自殺を否定していなかったと思われます。

また、ここで議論をしてきたように、日蓮は刎頭(斬首)を肯定していたし、また、国が法華経を信じないのであれば、隣国が攻めることも肯定していました。つまり、非暴力主義などでは全くなかったわけです。

> 実際にはどう考えていただとか、こだわることにどのような意味

これはここでの議論とは少し論点が違います。
ここで論じられてきたのは、従来こだわられてきた形が、斯くも違うという点を闡明にすることに主眼があります。それは、つまり、過去にこだわった自己否定、そして、いまこだわり執着する人々への警鐘を、過去にこだわりを勧めた責任として論じているのです。

> 教義…伝承…思想…信仰…議論…涅槃を得ることは出来ない

これはスッタニパータのどの章句を挙げているのかわかりませんが、概ね、それが仏教というものでしょう。

ここで仰る「涅槃」とは何かということが問題になるのでしょうが、わたし個人の考えで言えば、八正道、四諦とは、「克服の方法」ということであり、恐れ、煩悩、恐怖、煎じ詰めれば死に行く苦悩を如何に克服するのかという方法として捉えています。そして、その意味において、この‘方法’は一定の効果があったと、現時点でわたしは感じています。

374湛寂の潭に溺死:2005/11/01(火) 04:40:44
>>366-367
仏教、哲学については、中村元氏はゴータマの教えを「実践哲学」と解説しているらしいです。
そして、それは体系成立以前のものとして、哲学体系と対比された形で示しているようです。
366氏がいうところの、真理を悟るための実践というのは、おそらくそのような、
涅槃の境地を得るための実践にかかるという意味での哲学のことを言いたかったのではないですか。
スポーツの天才の哲学や武道の達人の哲学に、体系やらを求めても詮無いようなものでしょう。

もっとも、そのような実践哲学の果てにある仏やら涅槃の境地とやら、
それが本当に求めるべき価値があるものなのかどうか、
そこが大事なのではないかと思うのですがね。

375犀角独歩:2005/11/01(火) 05:36:41

中村元師その他に、そのような用法の使用があることはわかっています。
しかし、「仏教哲学」という場合、創価学会には「仏教哲学大辞典」という成句、また、辞典があります。ここは富士門流信徒の掲示板で、取り分け、創価学会を含む大石寺の信念体系に基づく議論です。

また、この場合、近年の議論では、日蓮における内外相対という教学で、仏教以外の外(ほか)の教えを簡ぶわけですから、これを混同しては論じられないという前提議論があります。

いずれにしても、安直に他思想の用語を転用して説明すれば、原意を損なうので、それはやめようという話が前提になっています。この点については、既に記したとおりです。

また、当スレッドは、現代人が納得できる日蓮教学を考えているうえで、日蓮の原形、並びにその基本とされた法華経の原形を先ず素描してきたという経緯があります。

ここにおいて、哲学ということで説明するのであれば、その言うところの哲学とは何かという定義が先行しなければなりません。

一般的に「哲学」を辞典で引けば

てつがく【哲学】
〔(ギリシヤ) philosophia は知恵への愛・希求の意。西周(にしあまね)の訳語。賢哲の希求を表すために「希哲学」と訳したが、後「哲学」とした〕
(1)世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ。(2)自分自身の経験などから得られた基本的な考え。人生観。
「社長の経営術には一つの―がある」
(三省堂提供「大辞林 第二版」)

(2)の用法はギリシャphilosophia からの転用であるわけですから、その本来の意味はギリシャ思想を淵源とします。となれば、日蓮の説明として当てはまらないといっているわけです。

いずれにしても、当スレッドは、現代人が納得できる日蓮教学というテーマから外さない投稿者の矜持を望んでいるわけです。

湛寂の潭に溺死さんの飛び込み参加は別段、拒みませんが、礼節を重んじてきた流れを大切にしていただきたいとお願いしておきます。

また、あなたが「涅槃」に意義なしというのであれば、それをここに説明すればいいわけで、単に不用だと繰り返しても、議論の場として相応しくありません。

また、議論自体が無意味であると思えば、投稿自体が相応しくないと言うことになります。ともかく、議論の流れを尊重していただくようお願いしておきます。

376パンナコッタ:2005/11/01(火) 12:24:01
湛寂の潭に溺死さん、
>スポーツの天才の哲学や武道の達人の哲学に、体系やらを求めても詮無いようなものでしょう。

たしかに自分もその様に思うのですけれど、嘉納治五郎や千葉周作といった人たちが成した功績は、
それまで名人や達人と呼ばれる人の技を理論体系化し、一般の人たちに普及させたという事実がある以上、
そうとも言い切れないと思います。


多少筋道から外れてしまいますが、参考としてテーラワーダ仏教の考え方を、
 http://www.j-theravada.net/kogi/index.html

むろん、パーリ語訳が2500年前そのままなのか? と言った点もありますけど、
興味深く、非常に参考になろうかと思います。

377パンナコッタ:2005/11/01(火) 12:32:55
>369  通りすがりさん、
八九三みたいに、因縁つけていますか?
投稿に書かれていない事を指摘しただけですよ。更に、問いかけをしただけですよ。

378湛寂の潭に溺死:2005/11/01(火) 16:57:46
>>373 犀角独歩さん
早速のご回答ありがとうございます。

>これはここでの議論とは少し論点が違います。
>ここで論じられてきたのは、従来こだわられてきた形が、
>斯くも違うという点を闡明にすることに主眼があります。
>それは、つまり、過去にこだわった自己否定、
>そして、いまこだわり執着する人々への警鐘を、
>過去にこだわりを勧めた責任として論じているのです。

なるほど、おっしゃることはよくわかります。


>また、あなたが「涅槃」に意義なしというのであれば、
>それをここに説明すればいいわけで、単に不用だと繰り返しても、
>議論の場として相応しくありません。

ゴータマとその悟りを得た弟子達が、自殺するに至ったということは
最初に述べたとおりです。これ以上の説明は必要性を感じませんし、
繰り返そうとも、議論しようとも思いません。
日蓮は涅槃についても言及しており、ゴータマの教えを継承している、
そのことは事実でしょう。
だから私の意見はテーマに沿う形のものであっただろうと思います。
ともあれ、ご意見も頂戴しましたので私はひとまず満足しました。
ありがとうございました。

379湛寂の潭に溺死:2005/11/01(火) 16:58:11
>>376 パンナコッタさん

>嘉納治五郎や千葉周作といった人たちが成した功績は、
>それまで名人や達人と呼ばれる人の技を理論体系化し、
>一般の人たちに普及させたという事実がある以上、
>そうとも言い切れないと思います。

スポーツとその普及の意義は私も認めます。
しかしスポーツはスポーツであり、武術・武道とは別物です。
同じことは宗教にも言えるでしょう。


>むろん、パーリ語訳が2500年前そのままなのか?
>と言った点もありますけど、

そのまま保持されていると考えるのは、すでに信仰の領域ですからね。
リンク先の「頼りになるのは覚者だけ」という項には
次のように書かれてありました。

>そんなわけで、2人は大変ありがたい存在でした。
>2人はお釈迦さまより先に亡くなったのですが、お坊さまたちが、
>お釈迦さまのそばに2人がいないのを見ると、何かすごく寂しく感じたそうです。
>我々が普段言う、普通の意味での「寂しい」ではなく、何というか、
>誰もいないような感じがするのだそうです。お釈迦さまが、
>彼らほどほめた人物は他にはなかったのです。
>とにかくお釈迦さまは出家者にとっての模範は、
>サーリプッタ尊者とモクレン尊者だと、繰り返して言われました。

このように、2500年も昔に死んだ男を、わざわざ現代人が理想化して
崇拝し、頼りにするよう説得するには、それをいじくりまわし、隠蔽し、
妄想することが不可欠だということ、そのことがよくわかります。

380湛寂の潭に溺死:2005/11/01(火) 18:33:38
>>375
>しかし、「仏教哲学」という場合、創価学会には「仏教哲学大辞典」という成句、また、辞典があります。

おっしゃりたいことはわかります。


>(2)の用法はギリシャphilosophia からの転用であるわけですから、
>その本来の意味はギリシャ思想を淵源とします。となれば、
>日蓮の説明として当てはまらないといっているわけです。

語源的にはそうかもしれません。
しかし、哲学はインドにもありますし、
インド哲学と仏教は大いに関連するのは周知のこと。
であれば、日蓮の説明として「哲学」という用語が当てはまらない
ということは必ずしも適当とは言えないはずです。

381通りすがり2:2005/11/01(火) 23:16:28
(1)世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ。

仏教は哲学の上にある実践であることも、知らなかったのでしょうね。

382こがね:2005/11/02(水) 10:36:41
インド哲学って何でしょうか。
インドにそんな哲学学派があるんですか。
インド哲学という言葉は、イギリスがインドを統治した以降にヨーロッパでのインド思想の研究をするのに、哲学的なアプローチでするしかなかった結果生じた言葉じゃなかったですか。それが日本でもいわれるようになったことではなかったですか。
日蓮大聖人は自分の教えが哲学だとおっしゃっているわけですか。
鎌倉時代に日本で哲学が知られていたんですか。
仏教という大きな世界の中に哲学が入るのであって、哲学の中に仏教が入るという考えは本末転倒じゃないですか。

383パンナコッタ:2005/11/02(水) 11:47:14
繁盛していた頃の玄武館はスポーツだったのか? とか、講道館四天王ノコンデ・コマが
広めたのは果たしてスポーツだったのか? とかありますけど、主題からズレるので、やめておきます。
 そうとも言い切れないと思います。 → そうとも言い切れない一面があると思われます。
の方がよいでしょうか。

さて、
この場合のインド哲学と称される物は、古ウパニシャッドの事でしょうか?

384犀角独歩:2005/11/02(水) 13:56:24

パンナコッタさん
湛寂の潭に溺死さん

そうなんですね。ですから、パンナコッタさんが仰るような視点ですね。
ここのテーマとは離れるので、この手の言い合いはやめたいのですが、ひとつの整理として記しておきましょう。

たとえば、仏教はヒンドゥー教かというとき、仏教側からすれば、「違う」という答えになるでしょうし、しかし、ヒンドゥー教徒からすれば「いや、ブッダはビシュヌの化身だからヒンドゥー教だ」と言うかもしれません。

この場合、ヒンドゥー教はバラモン教の発展したものですから、ヒンドゥー教はバラモン教であるという言い方は成り立つでしょうが、仏教は、バラモン教という思想世界で出来上がったものでせよ、独自発展していったものは、もはや、バラモン教ではないわけです。つまり、仏教は、バラモン教でも、ヒンドゥー教でもありません。仏教です。

日蓮は釈迦である、釈迦であるからビシュヌである、ビシュヌであるからヒンドゥー教だという説明は、ヒンドゥー教徒であれば、もしかしたら、言うかもしれませんが、日蓮本仏論という信念体系下の人で、自分の信仰がヒンドゥー教だと思っている人はいないわけです。

また、ヒンドゥー教徒に「あなたはヒンドゥー教か」と聞けば、「?」ということになるでしょう。彼らにとって、自分たちの信仰が「○○教」という認識はないからです。

同じように路傍のお地蔵さんを拝んでいるおばあちゃんに、「あなたの哲学は地蔵信仰ですか」、「哲学? なんのこと?」という答えが返ってくるでしょう。仏教を仏教として行じている人に、「哲学だ」と言っても、意味はなしません。

何度も記しましたが「哲学」とは西周がギリシャのフィロソフィーや達意訳した日本語であって、明治以前にこの言葉はなかったわけです。概念もなかったといってよいでしょう。比して日蓮は、鎌倉時代の人ですから、時代的にも、発生的にも、その教えを哲学ということはできないというのが、わたしの説明の骨子です。

しかしながら、明治時代に輸入された外来思想が「哲学」という新造語で定着したのち、この語彙は各種の分野で使用されるようになりました。いわゆる俗訛現象です。結果、人生哲学であるとか、スポーツ哲学であるとか、ひいては泥棒哲学、殺人哲学などという言葉も現出するにいたります。インド哲学、仏教哲学ということも、造語されたわけです。つまり、西周が意図したところからかなり広い範囲で俗訛したということです。

しかし、俗訛し、仏教の説明語の一つとなった哲学は、しかし、日蓮も意図していなかったし、釈迦も意図していなかった、ならば、ここは、厳格な証拠主義に基づいて論じ合う場所であるから、そのようなあいまいな言葉で説明すべきではないというのが、わたしの主張の趣旨です。

まあ、創価学会を中心に自分の信仰が哲学だと思っている人は、哲学だと思っている仏教なのでしょうが、以上の経緯から見るとき、日蓮の教えは仏教なのであって、哲学でないし、釈迦とソクラテスが、同時代の人であっても、はるか隔たった東西の極での話、これを一つのものとして論じるのはあまりにも乱暴なことでしょう。個人的、そう決定して論じたいのであれば、なぜ、仏教が哲学といえるのか、その定義をしっかりとした共通理解にたったうえでなければ、議論は成り立たないわけです。ですから、ケチだけつけるのではなくて、定義をしたらどうかと促したわけです。

385パンナコッタ:2005/11/02(水) 14:14:17
講道館四天王のコンデ・コマです。 失礼しました。

個人が古いベーダ教典を哲学と位置づけるのは別に構わないと思うのですが、
皆で議論し合う場で、前提となる定義を整理して認識しなければ議論は成り立たない
でしょう。 この場合、ちと噛み合っていないですね。ですから何かキーワードを
出して、個々のそれを掘り下げていくようなやり方のほうがいいかもしれませんね。

386通りすがり2:2005/11/03(木) 01:02:51
>382

「仏教は哲学の上にある実践」と言うのは、当然ながら「哲学>仏教」ではなく「仏教>哲学」ですよ。

387犀角独歩:2005/11/03(木) 01:48:41

1829年に生まれ、1897年に西周は没しました。それ以前に「哲学」という言葉はありませんでした。

西周が哲学と新造語したあと、種々のことを哲学という言葉で説明されることになりました。そして、その説明が定着もしたのでしょう。
しかし、その説明が定着したからと言って、仏教が哲学だということになりません。
それは生命という言葉が流行ったあとに、仏教を生命で説明したところで、仏教は生命論ではないのと同じです。

時系列から見て、物事を考えないと、以上のような稚拙な過ちを犯すことになるでしょう。また、このような程度の低い議論はせっかくの議論を妨げることも残念です。

388湛寂の潭に溺死:2005/11/03(木) 03:48:41
>>383 パンナコッタさん
>繁盛していた頃の玄武館はスポーツだったのか?
私個人の感覚から言わせていただければ、やはりどちらかと言えばスポーツ性が強かっただろうと私は思います。
玄武館と言えば千葉周作ですが、そこに籍を置いた山岡鉄舟を例に見ましてもそう思います。
彼は後に小野派一刀流、伊藤一刀斎十世を正式に継承した人物ですが、
しかしそれほどの人物であっても、生涯一度も真剣で人を傷つけたことがなかったと言います。
本物の伊藤一刀斎などと比較すると大変な違いがあると思います。


>講道館四天王ノコンデ・コマが広めたのは果たしてスポーツだったのか?
いえ、講道館四天王と呼ばれるのは、西郷四郎・横山作次郎・山田常次郎・山下義韶の四名であり、
前田光世はそれには含まれておりません。
講道館では他流試合を禁じていたため、それを破った前田光世は破門の身でした。
彼の弟子が後にグレイシー柔術を創始したことから見てもわかるように、
結果的に彼が縁となって広まったのは柔術であって、柔道ではなかったのだろうと思います。


ちなみに、私が374で言った「求めても詮無い」とは「体系化」ではなく「体系そのもの」です。
ネタ的に私の好むものであったため、誤解が生じていたことに気づくのが後になってしまいました。
議論をわき道に逸らしてしまったことについて、お詫び申し上げます。

389湛寂の潭に溺死:2005/11/03(木) 07:13:32
382 こがねさん
>インド哲学って何でしょうか。

インド哲学とは「ダルシャナ」のことです。
「見解」「ものの見方」「宗教」「学派」「哲学」などと訳されます。


>インドにそんな哲学学派があるんですか。

・ヴェーダーンタ
・サーンキヤ
・ヨーガ
・ヴァイシェーシカ
・ニヤーヤ
・ミーマーンサー
以上、六派あります。


>インド哲学という言葉は、イギリスがインドを統治した以降に
>ヨーロッパでのインド思想の研究をするのに、
>哲学的なアプローチでするしかなかった結果生じた言葉じゃなかったですか。

インド哲学という言葉自体は、無論インド人が言ったわけではないだろう、
元々インド固有の「ダルシャナ」という、宗教も包含した広義の概念があり、
それを西洋人は知り、インド哲学という名前をつけた、というだけではないか。


>日蓮大聖人は自分の教えが哲学だとおっしゃっているわけですか。
>鎌倉時代に日本で哲学が知られていたんですか。
>仏教という大きな世界の中に哲学が入るのであって、
>哲学の中に仏教が入るという考えは本末転倒じゃないですか。

私が言ってないことなので省略。


>>384 犀角独歩さん

>「哲学」とは西周がギリシャのフィロソフィーや達意訳した日本語であって、
>明治以前にこの言葉はなかったわけです。概念もなかったといってよいでしょう。

仏教の歴史を見れば、六派哲学との対決が数多く見られます。開目抄には、
「或は因中有果、或は因中無果、或は因中亦有果亦無果等云云。此外道の極理なり。」
と記されていますが、この因中有果はサーンキヤ哲学・ヴェーダーンタ哲学であり、
因中無果はヴェイシェーシカ哲学、因中亦有果因中亦無果論についてはジャイナ教のことです。
日蓮にとって宗教と哲学は固く結びついた分けることのできないものだったことでしょう。
しかし反面、スッタニパータには「(哲学的)見解を捨てよ」と記されていたりもします。
仏教と哲学の因縁は実に深いと私は見ています。
【撫斬り】日蓮正宗系の教義を徹底検証!その2
ttp://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1054740898/
こちらの2chのスレでは阿呆氏が本覚思想とサーンキヤ哲学の相似について疑義を
指摘したりしていますが、私はこのように、仏教を語る上で哲学というものはやはり
避けたりしないほうがやり易いのではないかと思っています。

それはそうと今回の書き込みで私は書き込みを止めようと思います。
お相手、ありがとうございました。

390犀角独歩:2005/11/03(木) 11:23:02

湛寂の潭に溺死さん

今回で書き込みは止めるそうですが、それでも一言記しておきます。

あなたがインド哲学と言ったもの、また日蓮の開目抄で引く例は哲学ではなく、本来の語彙で言えば「外道」でしょう。

しかし、この外道という言葉は俗訛して人を侮蔑するために用いる言葉になってしまったので、学術的説明、また、仏教においても、この語彙の使用はためらわざるを得ないと言う常識感覚が働いてきた経緯があります。そこで、代わりに使用されたのが「哲学」という言葉だったのに過ぎません。つまり、それは哲学でも何でもなく、現代語で言えば、自由思想家と言われた、仏教外の教団・学派の教えに過ぎません。

391犀角独歩:2005/11/03(木) 11:27:19

なお、「外道」とされた仏教外思想、また、仏教が実際に習合してきた外来思想との習合を考えるうえで、それら教義・思想を考えることを、わたしは何も否定していません。
ただ、何でもかんでも「哲学」だとしてしまうような記述は感心しないと言っているのに過ぎません。

392パンナコッタ:2005/11/03(木) 11:53:30
湛寂の潭に溺死さん、
自分の釣りの部分は、ご容赦願います。でも、どういう一面のある人かわかりましたので 
好むネタに関しては別のスレで続けたいものです。 その時はよろしくお願いします。

哲学の投稿に関しては以前、”時系列に注意せよ”との投稿があり、その点を踏まえての一連の流れですので、
読む際の、押さえておきたいポイントだと自分は思っております。

393とんび:2005/11/06(日) 22:09:48
どこのスレッドに書いたらいいのか..と思いましたが、ここが一番近いと
感じました。
 
 すでに、御書から離れて数年が経ち、遺文なども忘れてしまったものが多く
あります。顕正会を辞めて、自ら日蓮さんの本意は、どこにあるのかと..御書
を買って読みました。当然ながら、現代語ではないわけで、また仏語などわから
ない言葉が多いので、意味をくみ取ることは難しいわけです。

 ひとつ聞きたいのですが、日蓮さんが、残された御書について、対告衆の違い
による差があるのか..ということです。
 立正安国論や開目抄、観心本尊抄、報恩抄、法華取要抄など、対告衆が四条殿
や富木殿であっても、公にされるべき類の御書と、上野殿・四条殿・富木殿御返
事のように、手紙の返事として個人的に書いたと思われる御書では、その意味合
いが違ってくるでしょうか。

394パンナコッタ:2005/11/07(月) 00:15:01
とんびさん、
参考にですけど、検索目的ならやはり御書システムの導入がよいと思います。
導入に関しては、お勧めスレに紹介されていましたのでそちらを参考に。

語彙の検索を初め、御書を年代別・対合衆別・クラス別に並べられて、
それぞれに解説文もあり非常に便利です。

395犀角独歩:2005/11/07(月) 09:43:11

とんびさん

パンナコッタさんも勧められていますが、これはやはり、御自身の判読で掴むことが肝心だと思います。

>対告衆…意味合いが違ってくる

当然のことだと思います。
日蓮自身が、個人に宛てた手紙類をあとから集めて‘御書’と評し、万人の教学の糧にされるようになると考えていたのかというと、そんなことはないだろうと思います。消息文は、あくまで対機説法でしょうから、すべてを矛盾して見えるところもあるでしょうし、また、相手の立場、了解(りょうげ)の浅深の違いで書き分けもあったろうと思います。
一方、立正安国論は奏進勘文で公に提出したわけですから、広く読まれることを意識していたでしょう。

撰時抄などは対告衆のない説法の草案だといいます。

注法華経は身延の墓所寺に置き、輪番の弟子が、その期間、研鑽することを最終的には意図されたものであったのでしょう。

しかし、以上のそれぞれの相違があるにせよ、それを受け継いだ人々は、また、日蓮とは違った思惑でそれを受け止めてきたのだと思います。

396小池:2005/11/12(土) 15:12:17
独歩さん

ご無沙汰しています。
岩本師の「仏教入門」「布施と救済」「岩本裕著作集1」「同2」を読み、大変勉強になりました。誠に有難うございます。

一点、教えて頂ければありがたいのですが、観心本尊抄で「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう」とありますが、南無妙法蓮華経には、釈尊の因行果徳がすべて含まれているという理解でよいのでしょうか。それとも妙法蓮華経はあくまで経題なので、このような解釈にはならないとみればいいのでしょうか。

397犀角独歩:2005/11/12(土) 15:41:15

396 小池さん

少しくお久しぶりです。
黙々と読書されていらっしゃったのですね。敬服します。

> 南無妙法蓮華経には、釈尊の因行果徳がすべて含まれているという理解でよいのでしょうか。それとも妙法蓮華経はあくまで経題なので、このような解釈にはならない

悩ましい問題です。
日蓮聖人の教学的立場は当然、含まれると考えたのでしょうし、それを信仰する人々もそうなのであろうと思います。

また、このような結論は、法華会通・一仏統一からの結論でしょうから、法華経を無謬とする教学的姿勢に基づくわけでしょう。

当掲示板でも、皆さんが語られているように、唱題の行は、実体験と確信をもたらしています。(わたし自身も個人的にそんな体験は勿論あるわけですが)それを肯定すれば、以上のような結論は是といえるのだろうと思います。

ただし、わたしは、この点について、やや慎重です。
ここでは、妙法蓮華経が象徴(シンボル)となってしまっているので、台釈からすれば「言語道・断、心行処・滅」(言語という方法論から断絶、精神活動の滅した処)という境地、また、空、無我と、これでは齟齬を来たすのではないのかという疑問です。

また、社会心理学的な分析に係れば、これは「個人的リアリティ」とされるところで、一般を納得させる内容にはなっていません。

もっとも、宗教的な境地が、科学的分析で説明されるかどうか、一考を要する点はあるのでしょうね。しかし、わたしは対他的に、この「個人的リアリティ」という万人共通・再現性を証明できない‘真実’を確信をもって語る蛮勇は俄かに生じません。しかし、それを全面的に否定するということでもありません。
まさに悩ましい問題であろうかと存じます。

398小池:2005/11/12(土) 16:36:11
独歩さん

大変ありがとうございます。

>ここでは、妙法蓮華経が象徴(シンボル)となってしまっているので、台釈からすれば「言語道・断、心行処・滅」(言語という方法論から断絶、精神活動の滅した処)という境地、また、空、無我と、これでは齟齬を来たすのではないのかという疑問です。

「妙法蓮華経が象徴(シンボル)となってしまっている」についてですが、これはどのような意味合いでしょうか。経題が象徴になっているというこどてしょうか。お教え頂ければありがたいです。
また、「言語道・断、心行処・滅」とは、南無…経が言語で表出できない神秘的なもの、不可思議なものということから、言語で究極の一法である南無…経は解説不能ということでしょうか。

天台は漢訳法華経その他の経々を見、そこに一代五時八経、妙法華を釈尊の究極の経ととらえたと推測しますが、このような経典理解の仕方からすれば、そのようにも考えられると存じますが、世界的な現代仏教学では、経典は個別的に成立したのではないかというふうに把握されているように推測されます。そうしますと、梵本法華経をもって釈尊の出世の本懐ととらえることは難しいのかなと思われますがいかがでしょうか。

>社会心理学的な分析に係れば、これは「個人的リアリティ」とされるところで、一般を納得させる内容にはなっていません。

仰せのとおりだと私も思います。「個人的リアリティ」の世界はなんら否定しません。岩本師は、日蓮は晩年に至るまで密教的色彩から脱却できなかったと述べられていましたが、伊豆流罪の折の伊東氏の病気平癒を祈念したことにみられるように呪法的(大変言葉が悪くお詫びしますが。あるいは聖人の口傳か否か執行師の指摘されるところではありますが、「御義口傳」の陀羅尼品での説明のような?)な力は南無…経にあるのではないかとも思われますがいかがでしょうか。

399犀角独歩:2005/11/12(土) 19:23:23

398 小池さん

> 経題が象徴になっている

ええ、そのとおりです。
たとえば、「小池さん」という名前はたしかにご本人を指すものでしょうが、ご本人そのものではありません。
妙法は法を示すものでしょうが、法そのものではなく、名前です。
しかし、この名前そのものが法そのものと取って代わるという象徴化が、ここにあります。

> 言語で究極の一法である南無…経は解説不能

わたし個人としては、妙法蓮華経はお経の題名であると考えています。
しかし、日蓮は、この五字の中に法はもちろんのこと、その功徳、因果の一切が納まると考えたのでしょう。その意味において、妙法蓮華経を法そのものと取られ得ていたように窺えます。そして、その法は言語音声(ごんごおんじょう)もしくは題目の文字そのものであるとも考えていたようにも思います。

日蓮はこれを妙法蓮華経の五字で完全に顕現したという立場で、では、そこに籠められた意味はとなれば、宝珠とされる一念三千ということであり、一念三千は久遠釈尊の証明であると共に、自分自身の仏種が、熟・脱して成仏の本懐を遂げることの証であるという道筋がそこにあるのだと思います。その意味において、日蓮にとっては解説不可能というのと少し違うかも知れません。

「声仏事を為す」という教学的な姿勢は、実際に表現も、認知も可能である故に、理ではなく、事であるというわけです。

しかし、わたしは妙法蓮華経は、羅什が、(松山師の説を籍りれば)雑一阿含で既に漢訳成句になっていた「妙法」を転用し、蓮華と併せて経題に充てた造語であるわけで、それが言語の究極か?ということになれば、人為による翻訳と成句が、究極の法を策定できるはずもないという思いがわたしにはあります。

> 梵本法華経をもって釈尊の出世の本懐ととらえることは難しい

もちろん、そのとおりだと思います。
法華最勝という教学的な姿勢は、もちろん、天台に見られるところでしょうが、この時点で、真言の経典も出揃っていたわけでもなく、ある面、天台の生きていた時代は、経典の制作と翻訳が“同時進行”であったわけです。仮に内容から、その粋を競うにしても、出揃っていない時点での話ですから、実際的にその裁定は不可能ということになるでしょうか。

> 呪法的…「御義口傳」の陀羅尼品での説明のような?)な力は南無…経にある…

あると思います。
より厳密に言えば、信じ、行じる側が、南無妙法蓮華経を呪にも、法にもし、効験もあらたかにもなるのでしょう。

ここまでくると、しかし、法華最勝、題目最高というより、「信」という精神作用が及ぼす効果の問題に立ち入ることになりますが、わたしは、この一切を諸宗、諸経、諸教、もしくは諸師を媒体とする各人の潜在能力から考え、それは触媒的な役割で、実現は各人に係ることではないのかのかと考えております。

400小池:2005/11/12(土) 22:43:31
独歩さん

大変ありがとうございます。

>たとえば、「小池」という名前はたしかに本人を指すものだが、本人そのものではない。
妙法は「法」を示すものだが、「法」そのものではなく、名前である。
しかし、この名前そのものが「法」そのものと取って代わるという象徴化がここにある。

再確認ですが、妙法(経典名である妙法蓮華経)は、「法」そのものではなく、「法」を指し示している名前(経題)にすぎない(少なくとも梵本法華経では)のに、名前(経題)が「法」そのものに取り代っている、だから経題が、経題名だけという意味から「法」に取り代っている時点で一種の象徴化がなされているという意味合いでよろしいでしょうか。

>わたし個人は、妙法蓮華経は経題名であると考えている。
しかし日蓮は五字の中に「法」はもちろんのこと、釈尊の功徳、因果の一切が納まると考えた。その意味において、妙法蓮華経を「法」そのものと取られ得ていたように窺える。その「法」は言語音声もしくは題目の文字そのものであるとも考えていたようにも思う。

おわかりであれば教えて頂きたいのですが、日蓮は、なぜ経題名である「妙法蓮華経」を「法」そのものととらえたのでしょうか。何か経題名を「法」ととらえるだけの根拠なりがあったのでしょうか。

>日蓮はこれを妙法蓮華経の五字で完全に顕現したという立場で、では、そこに籠められた意味はとなれば、宝珠とされる一念三千ということであり、一念三千は久遠釈尊の証明であると共に、自分自身の仏種が、熟・脱して成仏の本懐を遂げることの証であるという道筋がそこにあるのだと思います。その意味において、日蓮にとっては解説不可能というのと少し違うかも知れません。

一念三千論は難しすぎて私にはわからないものですから、もしよろしければ、「これ(法か?)を妙法蓮華経の五字で完全に顕現した…そこに籠められた意味は宝珠とされる一念三千であり…一念三千は久遠釈尊の証明であると共に…自分自身の仏種が熟・脱して成仏の本懐を遂げることの証であるという道筋がある…」について、更に解説頂けますでしょうか。

>「声仏事を為す」という教学的な姿勢は、実際に表現も、認知も可能である故に、理ではなく、事であるというわけです。

これは、唱題成仏ということでしょうか。

>しかし、わたしは妙法蓮華経は、羅什が、(松山師の説を籍りれば)雑一阿含で既に漢訳成句になっていた「妙法」を転用し、蓮華と併せて経題に充てた造語であるわけで、それが言語の究極か?ということになれば、人為による翻訳と成句が、究極の法を策定できるはずもないという思いがわたしにはあります。

梵語のサッダルマ・プンダリーカ・スートラではなく、正法蓮華経でもなく、妙法蓮華経という表現だけが究極の法(言語の究極か?)ということが「(羅什等の)人為による翻訳と成句が究極の法を策定できるはずもない」のではないかということなのですね。

>より厳密に言えば、信じ、行じる側が、南無妙法蓮華経を呪にも、法にもし、効験もあらたかにもなるのでしょう。ここまでくると、しかし、法華最勝、題目最高というより、「信」という精神作用が及ぼす効果の問題に立ち入ることになりますが、わたしは、この一切を諸宗、諸経、諸教、もしくは諸師を媒体とする各人の潜在能力から考え、それは触媒的な役割で、実現は各人に係ることではないのかと考えております。

南無経の力は、「法華最勝、題目最高というより「信」という精神作用が及ぼす効果の問題…になり、…(その)実現は各人に係ることではないのか…」につきまして、非常に重要なことがらを述べられているように思いますので、もう少しご説明頂けないでしょうか。

401ラスカル:2005/11/13(日) 12:01:42
浅くて説明にならないかもしれませんが、一念三千の法は色心不二・依正不二を表す学識であって悟りの基礎になる前提でしょう。私は単純に蓮から始まり妙に終わる事が法華経の極意と思います。現世利益に例えると「一念三千の法を蘇生復活させる蓮華=妙法蓮華=若くてキレイになる事」誰もいつでも健康にありたいと考えるでしょう。どこの団体も総合仏教化で解り辛いと思うのは私だけでしょうか。文字曼陀羅は時空の移り変りを書いた本尊。

402犀角独歩:2005/11/13(日) 13:07:32

小池さん

> 「法」に取り代っている時点で一種の象徴化がなされているという意味合いでよろしいでしょうか。

そのような趣旨で記しました。

> 日蓮は、なぜ経題名である「妙法蓮華経」を「法」そのものととらえたのでしょうか。何か経題名を「法」ととらえるだけの根拠なりがあったのでしょうか。

日蓮が題目を法ととらえたか?という点についてですが、やや、わたしの記し方も悪かったかも知れませんが、真跡遺文の範囲では、そのような断定には必ずしもなっていないと思えます。むしろ、一念三千(三千諸法)法門を裏んだ五字・上行所伝付属の正体という意味であろうかと存じます。法本尊という成句がありますが、これが日蓮に由来するのかは微妙な問題であろうかと存じます。なお、一念三千は衆生の心法ですから、万有引力の法則などといった自然科学がいう法則、また、国家政治で言う法律とは、意味を異にします。しかし、日蓮解釈の時代に入ると、妙法五字は直ちに法理の如く認識されるにいたり、現在ではまさに「宇宙に遍満する妙法」とまで言われる如くで、宇宙生命を律する法理の様相を呈しています。

ただ、わたしは確実に言えることは、日蓮の時点で既に妙法五字がシンボル(象徴)になっていたということです。しかし、これは一般的な見地からの表現ですから、その信仰圏で言えば、「法」といえなくもないかも知れません。

> …一念三千論…成仏の本懐を遂げることの証

何度か繰り返し記していますが、一念三千は妙楽の成句で、天台(章安)の段階では見られません。いわば、この時点でもまず一念三千という成句のシンボル化があったとわたしは批判的に見ています。
それはともかく、では、日蓮が妙法蓮華經を信仰したのは、そこに一念三千という宝珠が裏まれる所以ですが、この一念三千を通じて、日蓮が確信したことは己心仏界所具ということで、より簡潔に言えば、自身成仏の証と見たからでしょう。また、一切衆生成仏の証と見たという意味で記しました。

> 唱題成仏ということでしょうか。

この唱題成仏は、当掲示板でも引用されますが、実は、わたしはあまり意識してきませんでした。富士宗学要集で見ると、この用例は日因の言として一度あるばかりです。
ただ、これは他門下でも使用される成句なので、門下一般の認識としてこのような考え方は古くからあったようです。唱題が遊楽である、また、唱題が九識であると言った類の用例は、写本遺文の範疇と思えます。しかし、日蓮が言う成仏とは、真跡遺文に限れば、文字どおり、成仏であるように思えます。

> …「(羅什等の)人為による翻訳と成句が究極の法を策定できるはずもない」のではないかということなのですね。

そのように考えます。

> 「法華最勝、題目最高というより「信」という精神作用が及ぼす効果の問題…になり、…(その)実現は各人に係ることではないのか…」につきまして、非常に重要なことがら…

ここを記しはじめると、さらに富士門流信徒という枠からはみ出していきますが、過去10年、種々の宗教と信者を見聞するに就き、その各人が感じる法悦、効験、体験、経験…、まあ、言葉はどのようなものでもよいのですが、その類の心身への影響は、何も唱題に限ったことではなく、ありとあらゆる信仰下で見られることであると率直に認めざるを得ないというのがわたしの結論です。これはまた、功徳・罰と言われるところでも同じです。
殊に学会を含む石山門下では、「実証は正しい信仰にしかない」というテーゼがあるのですが、実はこれは実際に複数の信仰体験者を観察するとき、疑問視せざるを得ないわけです。

以上のような精神作用、ひいては心身作用を何と呼べばよいのか決し得ませんが、ともかく、そのような効果は、教えの邪正によるというより、その個人の信じ込む力によって引き出されるものであって、実は、その要因は人側にあるというのが、わたしなりの結論だということです。

しかし、では、教えは何でもよいのかということになりますが、ここで、わたしはまったく違う点から選択肢を現在は有さなければならないと考えます。これは、先の本化ネットの学習会で仏教タイムス編集長・工藤師も語ったことですが、今日的な課題として、宗教は人権意識から、解釈整理されなければならないとわたしは強く考えます。差別の原因、暴力の原因、戦争の翼賛等、人権を侵害する原因となる宗教はまさに邪教として排斥されていかなければならないと考えると言うことです。

403小池:2005/11/13(日) 18:20:18
402 独歩さん

大変有難うございます。何回も読んでいるのですが、やはり難しいです。
以前の内容も合わせて、考えて見ます。
有難うございます。

404とんび:2005/11/29(火) 22:27:53
パンナコッタさん、こんばんは。

御書システムのご紹介ありがとうございます。
桐がなかったので、購入し、御書システムを導入しました。
まだ使い方がよくわかりませんが、これは凄いですね。

それから、無料で提供しているところが、また凄いし頭が下がります。
日蓮宗関係のところで提供しているのかと思いましたが、興風談所とありま
すので日興上人の門流・富士門流信徒の方々がかかわっているのでしょうか。

405とんび:2005/11/30(水) 00:56:04
適当なスレッドがないので、ここに書きます。

縁があって、松本修明さんとお話をし、この書を勧められました。
この方は、元創価学会の幹部だったらしいですが、今は、どわすれしましたが、
西山本門寺か、いやたしか北山本門寺の住職であったと思います。
「南無妙法蓮華経要義」という本です。
しばらくは、この本を土台にしていきたいと思います。また、三枝充悳著の仏教
入門、中村元訳のブッタの言葉なども、あわせて読もうと思っています。

 この方は、大石寺の日寛上人の教学的な解釈を批判しています。
 ある意味、創価学会・顕正会・妙観講などの団体が出てきたのは、日寛さんの
責任であるということを言われていたように思います。
 日寛さんは、正宗では、日興・日目上人に次ぐぐらいの聖僧であり、伝記・
神話たぐいのことがいい伝えられていると思います。六巻抄があるから大石寺は
正しいのだ..ということなのでしょうか。

 それは、さておき、この書の中で、
南無妙法蓮華経の解説書が法華経
法華経の解説書が御書
御書の解説書が、天台・妙楽の論釈
とあります。

 たしかに、道理や筋は通っていると思いますが、天台・妙楽..などにまで
及ぶと、途方もないことだと感じてしまいます。
 興門流を名乗るなら、日興遺誡置文に「当門流に於ては...間有らば台家を
聞くべき事」ということで、しかるべきなのでしょうが。

 ただ、この本の法門については、言葉が難しいので、すぐにはわかりませんが、
法門以外のことについては、示唆の富む有用な言葉がありました。気持ちがリフ
レッシュしたようなところがあります。

南無妙法蓮華経の解説書が法華経
法華経の解説書が御書
御書の解説書が、天台・妙楽の論釈

 このことについて意見がありましたら、よろしくお願いします。

406犀角独歩:2005/11/30(水) 01:13:51

とんびさん

松本修明さん…西山本門寺か、いやたしか北山本門寺の住職

違います。

南無妙法蓮華経の解説書が法華経
法華経の解説書が御書
御書の解説書が、天台・妙楽の論釈

逆でしょう、まったく。
法華経を解釈したのが天台、妙楽。
その天台妙楽の釈を説明したのが御書です。
法華経が南無妙法蓮華経の解説書に至っては、申し訳ありませんが、もはや、お話になりません。

ご存じなのかどうかわかりませんが、妙法蓮華經とは羅什が訳した法華経(Saddharmapundarikasutra)の漢訳名、つまり、お経の名前です。
もし、松本さんの言い方からすると、経典の題名に南無をつければ、経典の本文が解説しているということになります。
これでは日本の法律は、六法全書という題名を説明していると言っているようなものです。

まあ、しかし、松本さんがいっているようなことは、さして真新しいものでも、オリジナルなものではありません。よく聞くずっこけた解説では目にします。

407パンナコッタ:2005/11/30(水) 10:55:42
とんびさん、
導入されましたか。 では、OPの冒頭タイトルを見て、立正安国論の国の字が”国構えに民”などと
いっている人たちを笑ってあげましょう。(^o^) 以下は「本文」を見ていって書き分かれている事を
チェックしていってください。  色々使えるので是非、ご活用していって下さい。

興風談所は正信覚醒運動の際、石山から分かれた正信会系の研究機関で、富士門流系ですね。

408とんび:2005/11/30(水) 22:53:50
書き込むスレッドが、ここが一番適当と思いました。
松本さんのことについては、のちほど発言します。

法華経について。
私は、創価学会版の法華経開結の文庫本を持っていましたが、ひさしぶりに
読もうと思ったら、見つからなくなってしまった。あらたに買おうかとも思
っています。ですので今、原文がなく引用はできません。

私の、うすら覚えの範囲でいうと、法華経が最勝・第一であるというのは、
二乗作仏と久遠実成をあかしていること。そして竜女の成仏とダイバダッタ
が成仏の記別を受けること。
簡単にいうと、法華経を信ずる人は(すべての衆生は)必ず成仏できるから、
最も尊い。また法華経を信ずることでしか成仏できない..ということでしょ
うか。
 どうなんでしょう。

 真偽の問題がある三大秘法抄では、法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて
候は、此の三大秘法を含みたる経にて渡らせ給へばなり。秘すべし秘すべし。

 と書いてあります。三大秘法を含んでいるから尊いのでしょうか。

 正宗では、南無妙法蓮華経が下種ですから、南無妙法蓮華経に縁すると、
いつか必ず成仏するということだったと思います。法華経を説いて過去の
下種を悟らせる...。

 ということならば、法華経と縁をしても必ず成仏できるわけがないという
ことでしょうか。
 正宗崩れ、なのでなんですが、時代背景があり、釈尊の時代は、そもそも
法華経に縁をするということは、過去に南無妙法蓮華経が下種されているから
だということになりますか。
 そして、今の世では、余経も法華経も詮無し、ただ南無妙法蓮華経云々、と
いうことで、法華経の意味をくみ取って信じたとしても成仏できない..と
いうことでしょうか。

409犀角独歩:2005/12/01(木) 15:01:12

> 法華経…原文がなく引用はできません。

原文であれば、現宗研のサイトにあります。

http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/bunken.htm

ただし、これが春日版であるかどうかは確認しておりません。

> …二乗作仏と久遠実成…竜女の成仏とダイバダッタ
が成仏の記別を受ける

この記述はある程度、門下教学に筋に則っていますが、二乗作仏は二乗記別です。実際に変成男子で成仏をしたのは竜女です。提婆達多も未来成仏の記別です。

> 法華経を信ずる人は(すべての衆生は)必ず成仏できる

法華原文から読むと、実はこのような筋にはなっていません。
過去の罪業の罪を法難に遭うことによって消滅することによって、長命を得るということです。成仏は、釈尊による記別よるという脈絡です。

> 法華経を信ずることでしか成仏できない

法華経における「信」とは以信得入、以信代慧ということであり、ここで、諸仏以外は決して了し得ない智慧を信をもって入り、代えるというのが本来の意味です。

> 三大秘法を含んでいるから尊いのでしょうか。

三大秘法は日蓮の造語とは言い切れないでしょう。


> 正宗では、南無妙法蓮華経が下種ですから、南無妙法蓮華経に縁すると、
いつか必ず成仏する

細かい修正となりますが、「妙法蓮華経の五字‘を’下種」です。

> 法華経を説いて過去の下種を悟らせる

これは石山で言う脱益仏法における法華経解釈です。
末法は本巳有善の下種をされていない衆生だけであるから下種をするというのが石山教学です。

> 法華経と縁をしても必ず成仏できるわけがない

いえ、教学的な姿勢としては、法華経と縁をしなければ成仏しないと言う立場です。

> 正宗崩れ

こんなふうに自身を表現する必要はありません。
わたしも「学会くずれ」と顕正会から名指しで批判を受けていますが、‘くずれた’という自覚はありません。学会に納得がいかないから辞し、また、石山にも納得がいかないから辞したということです。むしろ、一段広い見地に進んだという自覚です。

> 釈尊の時代は、そもそも法華経に縁をするということは、過去に南無妙法蓮華経が下種されているからだということになりますか。

繰り返しますが、「南無妙法蓮華経を下種」ではなく、「妙法蓮華経の五字の下種」です。
久遠下種を題目下種ととらえるという点では、慎重にならざるを得ません。通常は仏種でしょう。

> 余経も法華経も詮無し、ただ南無妙法蓮華経云々…法華経の意味をくみ取って信じたとしても成仏できない

禄内写本「今末法に入ぬれば余経も法華経もせん(詮)なし、但南無妙法蓮華経なるべし」の一節ですね。まあ、日蓮の遺文と目されるのでしょうか。
法華経の意が汲み取れるのは、唯仏与仏ですから、そこで以信得入という教学的な態度が生じるのでしょう。
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」(本尊抄)ということですから、こうなれば、法華経典によらずとも五字受持で事足りるという教学的態度が日蓮には見られます。

410とんび:2005/12/01(木) 21:38:16
犀角独歩さん、ていねいなレスありがとうございます。

>原文であれば、現宗研のサイトにあります。
言葉が、適当でありませんでした。
法華経開結と書きましたが、記憶によると、真訓両読妙法蓮華経並開結だったと
思います。漢文は意味が良く汲み取れないので、訓読文となりますでしょうか。

 記憶違いなら申し訳ないですが、竜女(畜生界の象徴か)は、権経では、男子に
なってから成仏が許されましたが、法華経では、竜女(女人のまま)のまま成仏の
記別を受けたのではないかと、思います。

>法華経における「信」とは以信得入、以信代慧ということであり、ここで、諸仏以外は決して了し得ない智慧を信をもって入り、代えるというのが本来の意味です。
どちらも聞いたことは、ありますが、正宗時代はあまり縁のない言葉でした。

 智慧第一の舎利弗すら智慧では成仏できなかった。法華経を信ずることによって何かを悟り
成仏できたのか、ただ何もわからなくても信ずるだけで成仏できたのか。
 日蓮さんは、御書で「ただ信ずることだけ」で成仏できると言っていたような。
 四信五品抄あたりだったでしょうか。

>三大秘法は日蓮の造語とは言い切れないでしょう。
言葉として最初に述べたのは、日蓮さんだと思いますが、御書の中で、経文のおもてに
現前なり...とかの意味のことをいっているのでしょうか。

>細かい修正となりますが、「妙法蓮華経の五字‘を’下種」です。

話が、展開してしまいますが、南無妙法蓮華経と妙法蓮華経との違いがあろう
かと思います。日蓮さんは、御書の中で、五字・七字と併記している遺文もあり
ますが、厳密にいうと御書の中で、日蓮さんは、南無妙法蓮華経と妙法蓮華経と
の区別をしていたのでは..とも推測されます。曼荼羅と本尊のように。

 御本尊の主題が、南無妙法蓮華経です。なぜ妙法蓮華経の主題でなかったので
しょうか。これは、松本さんから言われたことですが、「南無妙法蓮華経に南無
しているのだ」ということで、私たちの信心は「南無南無妙法蓮華経」である..
ということです。

 ここのところ、南無妙法蓮華経と書いてある違文と妙法蓮華経と書いてある違文
が、全くの同じか、深く読めば違うのか..。わかる人がいましたら、ご教示下さい。

>末法は本巳有善の下種をされていない衆生だけであるから下種をするというのが石山教学です。
正宗に縁をしたので、そのような解釈になりがちですが、正式には、浅井顕正会教ということに
なるでしょうか。
 今年の、冬に法華講の方から折伏を受けました。顕正会では、下種を受けて信じないと、すぐに
無間地獄に堕ちる..と言っていましたが、法華講の方は、そうは言っていませんでした。
勤行の作法も顕正会のそれは、アレンジしてあり、すでに当時日蓮正宗顕正会と名乗っていながら、
既に、教義は、別のものだったのかと思います。
 国立戒壇の意義については、顕正会の方が、本来の正宗の意義に近いのでしょう。

>教学的な姿勢としては、法華経と縁をしなければ成仏しないと言う立場です。
このあたり、過去に参考にするべきログ・発言があるでしょうか。

>繰り返しますが、「南無妙法蓮華経を下種」ではなく、「妙法蓮華経の五字の下種」です。
久遠下種を題目下種ととらえるという点では、慎重にならざるを得ません。通常は仏種でしょう。

私は、今まで、南無妙法蓮華経の七字と妙法蓮華経の五字を同一視していましたが、どうも
考えた方がいいかもしれませんね。
 ただ、私は、法門は苦手なのです。

 羅什の訳した、法華経が妙法蓮華経という題名ですから、法華経=妙法蓮華経と解する人も
いるのでしょうね。

411犀角独歩:2005/12/01(木) 22:15:51

とんびさん

> 竜女(女人のまま)のまま成仏の記別を受けた

違います。
提婆達多品に「龍女の忽然の間に変じて男子となって、菩薩の行を具して、即ち南方無垢世界に往いて宝蓮華に坐して等正覚を成じ、三十二相・八十種好あって」とあるとおりです。

>智慧第一の舎利弗すら智慧では成仏できなかった。法華経を信ずることによって何かを悟り
成仏

期別を受けたのです。

> 日蓮さんは、御書で「ただ信ずることだけ」で成仏できる

まあ、そういうように解釈することもできるかもしれませんね。

> 三大秘法…最初に述べたのは、日蓮さん

とんびさんはあまり御書に詳しくないようですね。真蹟が遺っているものと遺っていないものがあります。その確実に遺っている御書にはないので確実に日蓮が言ったとはいえないということです。

>>細かい修正となりますが、「妙法蓮華経の五字‘を’下種」です。

これに日蓮の遺文にあります。
「題目之五字を以て下種」(曾谷入道殿許御書)です。

> 南無妙法蓮華経と妙法蓮華経との区別をしてい

していたでしょうね。

> 曼荼羅と本尊

この意味は解しかねます。

> 主題が、南無妙法蓮華経です。なぜ妙法蓮華経の主題でなかったので
しょうか。

そんなことは当然でしょう。日蓮が妙法蓮華教に南無をしていたからです。

> 松本さん…私たちの信心は「南無南無妙法蓮華経」

これは松本さんの考えであって、日蓮とは関係ありません。松本教といったところでしょう。

> 国立戒壇の意義については、顕正会の方が、本来の正宗の意義に近い

‘近代の’ということでは、そういえるでしょうね。正確に言えば、戸田城聖氏のということです。

> 法華経が妙法蓮華経という題名ですから、法華経=妙法蓮華経と解する人も
いるのでしょうね。

日蓮は「法華経の題目」「題目の五字」と書き残していますから当然のことです。
題目とは現代語で言えば題名ということです。

とんびさん、経・釈・御書が事実認識の基本です。もっともらしく聞こえる言葉、説得力のある発言に騙されてはいけませんよ。
わたしの半世紀の経験則、「確信ある発言は大概、嘘である」ということです。

412犀角独歩:2005/12/01(木) 22:27:40

【411の訂正】

>期別
>記別

「舎利弗、汝未来世に於て、無量無辺不可思議劫を過ぎて、若干千万億の仏を供養し、正法を奉持し菩薩所行の道を具足して、当に作仏することを得べし。号を華光如来」(譬喩品)

未来成仏ですから、記別です。

413とんび:2005/12/01(木) 23:55:56
犀角独歩さん、こんばんは。

 まさに、そのことをレスしようと思っていました。
法華経では、舎利弗は、遠い将来に於いて仏となるであろうと書いてあったと
思います。
 
 日蓮さんは、即身成仏を説いたのではなかろうか..と思っています。
 話がややこしくなりますが、印度応誕の釈尊は、聖人であっても、姿形は普通の
人と同じであったと思います。
 ただ、経典では、三十二相八十種ごう?の人間離れした仏として顕れていると思い
ます。

 考えがまとまりませんが、舎利弗は、法華経を聞いて悟り、即身成仏をした。
 そして、その後菩薩として生まれ変わるが、将来、仏として(印度応誕の釈尊のように)
大衆に崇め奉られることがあるであろう..ということでしょうか。

 犀角独歩さんのおっしゃる通り、御書や経典には詳しくありません。
 天台や妙楽の釈にいたっては、読んだことすらありません。
 いずれは、日蓮宗の方の話を聞きたいと思っています。
 
 妙法蓮華経並開結の文庫本を探すのが、手間取りそうなので、ネットから
注文してしまいました。
 
 今、持病の腰痛がでてきてしまいました。

414パンナコッタ:2005/12/02(金) 00:48:22
とんびさん、
蛇足ですが、妙法蓮華経なら御書システムに収録されていますよ。
法華をクリックしてみてください。

415犀角独歩:2005/12/02(金) 01:13:52

とんび 投稿日: 2005/12/01(木) 23:55:56

犀角独歩さん、こんばんは。

> 日蓮さんは、即身成仏を説いたのではなかろうか

随所に説いています。

> 印度応誕の釈尊は、聖人であっても、姿形は普通の人
> …経典では、三十二相八十種ごう?の人間離れした仏

そうでしょうね。歴史上の釈尊は人間ですし、経典の釈尊は創作ですから、そうなるでしょう。

> 舎利弗は、法華経を聞いて悟り、即身成仏をした

ですから、繰り返しますが、まだ成仏はしていません。未来成仏の記別(約束・予言)をされたということです。

> 日蓮宗の方の話を聞きたいと思っています。

聞かれるとよいでしょう。ただし、わたしは日蓮宗ではありません。
 
> 持病の腰痛がでてきてしまいました。

御大事になさってください。

416犀角独歩:2005/12/02(金) 10:45:35

真跡遺文に見られる‘即身成仏’に記述を挙げておきます。

薬王品得意抄,文永2年(1265)44歳
「華厳経の法界唯心・般若の十八空・大日経の五相成身・観経の往生より、法華経の即身成仏勝れたるなり」

法華題目抄,文永3年(1266)1月6日45歳
「伝教大師となのらせ給ひて、秀句と申す書を造り給ひしに「能化所化倶に歴劫(りゃっこう)無し妙法の経力にて即身成仏す」と竜女が成仏を定め置き給へり。而るに当世の女人は即身成仏こそかた(難)からめ、往生極楽は法華を憑(たの)まば疑ひなし」

開目抄下,文永9年(1272)2月51歳
「華厳・真言経等の一生初地の即身成仏等は、経は権経にして過去をかくせり。種をしらざる脱」

日妙聖人御書,文永9年(1272)5月25日51歳
「竜女が即身成仏も、摩訶波闍波提比丘尼の記別にあずかりしも…」

祈祷抄,文永9年(1272)51歳
「霊山会上にして即身成仏せし竜女」「子を念ふ志深かりしかば、大海第一の宝如意宝珠をもむすめにとらせて、即身成仏の御布施にせさせつれ」

木絵二像開眼の事,文永9年(1272)51歳
「法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり。是を即身といふ。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、彼の魂を変じて仏意と成す。成仏是なり。即身の二字は色法、成仏の二字は心法、死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち即身成仏なり。故に法華経に云はく「所謂諸法如是相 死人の身 如是性 同じく心 如是体 同じく色心等」云云。又云はく「深く罪福の相を達して遍(あまね)く十方を照らしたまふ。微妙の浄き法身、相を具せること三十二」等云云。上の二句は生身得忍、下の二句は即身成仏。即身成仏の手本は竜女是なり。生身得忍の手本は純陀是なり」

曽谷入道殿許御書,文永12年(1275)3月10日54歳
「真言師等が所談の即身成仏は、譬へば窮人の妄りに帝王と号して自ら誅滅を取るが如し」

撰時抄,建治元年(1275)6月10日54歳
「世尊は二乗作仏・久遠実成をば名字をかく(秘)し、即身成仏・一念三千の肝心其の義を宣べ給はず」
「真言法中の肝心の文あやまりなり。其の故は文証現証ある法華経の即身成仏をばなきになして、文証も現証もあとかたもなき真言の経に即身成仏を立て候」

四条金吾釈迦仏供養事,建治2年(1275)7月15日55歳
「画木に魂魄と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり」

報恩抄,建治2年(1275)7月21日55歳
「経の音義に云はく「弘法大師帰朝の後、真言宗を立てんと欲
し、諸宗を朝廷に群集す。即身成仏の義を疑ふ」

417犀角独歩:2005/12/02(金) 10:46:10

―416からつづく―

始聞仏乗義,建治4年(1278)2月28日57歳
「天台云はく「妙は不可思議に名づく」等云云。又云はく「夫一心乃至不可思議境の意此に在り」等云云。即身成仏と申すは此是なり」
「末代の凡夫此の法門を聞かば、唯我一人のみ成仏するに非ず、父母も又即身成仏せん」

千日尼御前御返事,弘安元年(1278)7月28日57歳
「第五の巻に即身成仏と申す一経第一の肝心あり」「伝教大師の此の事を釈し給ふには「能化所化倶に歴劫無し。妙法経力即身成仏す」等」

神国王御書,弘安元年(1278)歳
「善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等の三三蔵は一切の真言師の申すは大日如来より五代六代の人々、即身成仏の根本なり等云云。日蓮勘へて云はく、法偸みの元師なり、盗人の根本なり」

大学殿事,弘安元年(1278)五七歳
「日蓮疑って云はく、法華の天台・妙楽・伝教の心は大日経等の即身成仏を許すや」「不空の造と云ふに云はく「唯真言法の中にのみ即身成仏するが故に是に三摩地の法を説く。諸教の中に於て欠いて書せず」と」

大田殿女房御返事,弘安3年(1280)7月2日59歳
「即身成仏と申す法門は、諸大乗経並びに大日経等の経文に分明に候ぞ。爾らばとて彼の経々の人々の即身成仏と申すは、二つの増上慢に堕ちて必ず無間地獄へ入り候なり」「大乗経の煩悩即菩提・生死即涅槃の即身成仏の法門は、いみじくをぞたかきやうなれども、此はあえて即身成仏の法門にはあらず」
「今法華経にして、有余・無余の二乗が無き煩悩・業・苦をとり出だして即身成仏と説き給ふ時、二乗の即身成仏するのみならず凡夫も即身成仏するなり」「華厳・真言等の人々の即身成仏と申し候は、依経に文は候へども、其の義はあへてなき事なり」「釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌・竜樹菩薩・天台・妙楽・伝教大師は、即身成仏は法華経に限るとをぼしめされて候ぞ。我が弟子等は此の事ををも(思)ひ出にせさせ給へ」「此の論は竜樹の論となづけて候。此の論に云はく「唯真言法の中にのみ即身成仏する故に是三摩地の法を説く。諸教の中に於て欠(か)きて書せず」と申す文あり」「但し不審なる事は、大論の心ならば即身成仏は法華経に限るべし」「大論にそむいて真言の即身成仏を立つる上、唯の一字は強しと見へて候」「譬へば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云。此の釈こそ即身成仏の道理はかゝれて候へ「即身成仏の手本たる法華経をば指しをいて、あとかたもなき真言に即身成仏を立て、剰へ唯の一字をを(置)かるゝ条、天下第一の僻見なり」「天台智者大師の文句の九に、寿量品の心を釈して云はく「仏三世に於て等しく三身有り。諸教の中に於て之を秘して伝へず」とかゝれて候。此こそ即身成仏の明文にては候へ。不空三蔵此の釈を消さんが為に事を竜樹に依せて「唯真言法の中にのみ即身成仏する故に是の三摩地の法を説く。諸経の中に於て欠きて書せず」とかゝれて候なり。されば此の論の次ぎ下に、即身成仏をかゝれて候が、あへて即身成仏にはあらず。生身得忍に似て候。此の人は即身成仏はめづらしき法門とはき(聞)かれて候へども、即身成仏の義はあへてうかゞ(窺)わぬ人々なり。いかにも候へば二乗成仏・久遠実成を説き給ふ経にあるべき事なり。天台大師の「於諸経中秘之不伝」の釈は千旦千旦。恐々」

418犀角独歩:2005/12/02(金) 11:25:24

日蓮の用法に拠れば、即身成仏は、竜女(変成男子)の成仏を先ず指しています。そして、華厳・真言等の即身成仏は信の即身成仏ではなく、ただ、法華経に限るということです。

では、具体的に即身成仏とは何かという疑問が生じるわけですが、この点をもっとも明確に示しているのは『木絵二像開眼の事』の「死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち即身成仏なり」という一節ではないのかと、わたしには思えます。要は死人に向かって行う一種の祈祷法を日蓮は言っている如くです。

このような、いわば呪法とも思える秘法なんだろうと思った次第です。

やや、横道ですが、真言に「変成男子」という祈祷もあるとのこと。
要は懐妊した段階で、お腹の子を男子にするというものです。
跡継ぎは男という時代だからこそ、成立した祈祷なんでしょう。

419とんび:2005/12/02(金) 21:17:58
こんばんは。

松本さん本人に確認しましたが、出家されて現在西山本門寺の住職ということです。
日興上人 →日代上人の流れ・・・西山本門寺ということらしいです。
ちなみに →日妙上人の流れが、北山本門寺しいうことです。みなさんは知っていることでしょうが。

南無妙法蓮華経の解説書が法華経
法華経の解説書が御書
御書の解説書が、天台・妙楽の論釈

については、南無妙法蓮華経は法華経を読まなければわからない
      法華経は御書を読まなければわからない
      御書は、天台・ことに妙楽の釈を理解しないとわからない

 と、簡単にいうとこういうことらしいです。三番目は、痛いですが、天台教学
が理解できれば、同じ言葉でも、日蓮さんと天台との解釈の違いがわかるから、
より御書が理解できる。ということで、これはこれで良いと思います。

 そして、仏教語などを正しく理解するために、多くの本を薦められました。
 いくつかあげると
 本化聖典大辞林・望月仏教大辞典・宇井仏教辞典(漢字が正確でないかもし
れません)それにできれば天台宗教聖典二巻も。
 あとは、法華経は良く読みなさい..と。
 それと、いろいろな宗派のことを学んで見ると良いと。日蓮宗系だけに限らず
たとえば、真言宗とかの他の宗派も学んでみると良いと。

 いろいろいわれても、なかなか理解できないのですが。

420犀角独歩:2005/12/02(金) 21:56:03

とんびさん

> 松本さん本人に確認…出家されて現在西山本門寺の住職

もし、これが本人が言ったとしたら大問題でしょう。
いまの西山の住職は大村師です。北山は本間師です。

> 南無妙法蓮華経は法華経を読まなければわからない
> 法華経は御書を読まなければわからない
> 御書は、天台・ことに妙楽の釈を理解しないとわからない

これは別段、法華宗ということではそうでしょう。
しかし、まだ先があります。

いずれにしても、人の言葉解釈によっていこうという、そのやり方ではだめですよ。

421とんび:2005/12/02(金) 22:28:24
こんばんは。

 訂正。

 本人が言っていたわけではないのですが、住職という言葉が悪かったので
しょうか。出家して今西山本門寺にいる..ということでしょうか。
修行者または、小僧・ただのお坊さん・僧侶なのでしょうか。
詳しいことは聞きませんでした。

 私は、住職=僧侶=お坊さん、と思っていました。
 広辞苑で調べましたら、住職とは寺の主長である僧。と書いてありました。
 その寺で一番偉い僧侶・代表者ということでしょうか。

 私は、そうは思っていないし、そのような立場の人が安易に電話にでられる
とは思っていません。
 西山に、何人の僧侶がいるのかわかりませんが、中間ぐらいの立場の僧侶
なのでしょうか。あまり立ち入ったことを本人に尋ねるのも失礼かと思います
ので、紹介者の人に聞いてみたいと思います。

 でも、正宗の教義とは違う法門を学んでみるのも良いと思っています。
 西山本門寺が、何々流・何派ということもわかっていません。

422犀角独歩:2005/12/02(金) 22:42:24

住職というのは、寺院の代表役員です。

西山本門寺は、七百遠忌のころ、大石寺に一時、合同しており、主に近隣の石山本山の一つ妙蓮寺が面倒を見ていました。

しかし、この石山合同は実にひどい話で、書くのも不愉快。これに怒った塔中坊は本堂に従わず、檀家も全員塔中坊につき、孤立。その後、石山から離れて、いまは単立でしたか。

そんな経緯ですから、石山(本山ではありません。既に分離しているわけですから)とは、違う立場です。詳しい教義は知る由もありません。以上のような経緯ですから。

別に何を学んでもよいのですが、わたしに言わせると、とんびさんは、人が好すぎます。

423とんび:2005/12/03(土) 18:26:40
どうもありがとうございます。

まだ、御書システムの使い方は、良くわかりませんが、便利なものですね。

424とんび:2005/12/03(土) 19:06:47
犀角独歩さん、こんばんは。

竜女が変成男子で成仏の記別をうけた..ということは、女人のままでは成仏で
きない..ということに繋がりかねず、経文をよく読んでみたいと思います。
日蓮さんは、権経・諸宗は、女人を捨てたり(趣意)、法華経だけが女人を救っている(趣意)
という、遺文を遺されていたと思います。

 私は、今まで疑問に思っていたことを、そのまま置いていた事がいくつかあります。
 そもそも成仏とは、なんぞや..と。即身成仏という言葉もあれば、法華経の記別を受ける
所の、あなたは何々如来として生まれるだとか。
 また、日蓮さんは、百六箇条かおんぎ口伝あたりに、題目を唱えるものは、南無妙法蓮華経如来
だとか、言っていたような。(御書を見て引用できずすみません)

 経典を信ずれば、印度応誕の釈尊はも久遠の昔に既に仏であったと。しかし、その後釈尊は、雪山
童子とか、有徳王とか、歓喜増○如来だとか、いろいろと生まれているのだと思います。
 すなわち、仏になったといっても、凡夫だったり、時には聖人だったり..と。
 これは、観音菩薩などの三十三身変化?みたいなものです。

 経典によれば、天上界があるという。
 人生、楽や楽しむこと・平安が、人生の目的であったなら、凡夫の時に修行をして
天界に生まれ、楽をして、又、人間界に生まれ、そしてまた天上界に生まれ永い間楽しむ
ことが、できれば、それが一番いいと..。

 天上界から堕獄ということもあろうかと思いますが、日蓮さんの違文を借りれば、
人間として生まれるのは、非常にまれな事だと、書いてあったと思います。
 また、成仏するのは、爪の上の土ぐらいに難しい..だったでしょうか。

 顕正会では、広宣流布が当然のことでありましたから、日本の国で広布が達成され
たら、今度は韓国とか中国に生まれて、今度はその国でも広宣流布のご奉公をするのだ
..と会長は、言っていました。その次は、印度でしょうか。その後は、想像ですが、
アメリカ・アフリカ・・・・と。
 しかし、時が経つと会長の話が変わってきました、日本の広布が達成されたら、世界
の広宣流布はあっという間だと...。

 すなわち、生まれ変わって、韓国などで、ご奉公することはできないというのでした。
 いつの間にか、講義かかわりました。
 でも、一度御本尊に縁をすると、来世にも、また、御本尊のあるところに生まれ、そこ
で仏道修行ができるのだと。それが永遠に..ということですね。
 結局、下種を受けて成仏しても、また人間として生まれ変わってしまう。それも凡夫と
してでしょう。

 仮に、印度応誕の釈尊が、迹仏・仏だったとしても、楽しい・楽な人生ではなかったはず
です。後に、仏として崇められますが、当時のシッダルタは、弟子がいても、そんなに大衆に
崇められる、存在ではなかったと思います。
 それに、国を捨てて出家して、おそらく妻や子供を捨てて。そして故郷は滅亡してしまうの
ではなかったでしょうか。
 悟りを得ていても、それは、苦しみも含んでいてのことだと思います。

 あまり歴史認識は、詳しくないので、このあたりで辞めておきます。
 日蓮さんにおいても、大変な人生だったと思います。

425犀角独歩:2005/12/03(土) 19:21:15

とんびさん

一所懸命にご自分なりに考えてみることは大切なことです。
自分が懐く疑問に禁忌はありません。

わたしもかつて歩んだ道ですから、少し議論にはお付き合いします。
これからも、お気軽にお声を掛けてください。

> 女人のままでは成仏できない

そのとおりです。重要な視点です。

> 成仏とは、なんぞや

そうです。これまた、重要な点です。

> 日蓮さんは、百六箇条かおんぎ口伝

先は要法寺、あとは日流門流で生じたものではないかと考えられています。
共に日蓮のものではありません。

> 南無妙法蓮華経如来

うーん、この起源をわたしはまだ探れていないのです。
日寛でしょうか。

> 経典を信ずれば、印度応誕の釈尊はも久遠の昔に既に仏…その後釈尊は、雪山童子とか、有徳王とか、歓喜増○如来だとか、いろいろと生まれている…仏…凡夫…時には聖人…観音菩薩などの三十三身変化?みたいなもの

過去世の物語と、寿量品にいう「或説己身…」ということです。もしくは方便説と考えるのが教学的態度でしょう。

> 経典によれば、天上界

これはバラモン教以来のもので、仏教以前から考えと、異域の神を摂取した習合に基づく天上界思想の系譜です。

> 人間として生まれるのは、非常にまれ…成仏するのは、爪の上の土

そうですね。そういう記述になっています。

> 下種を受けて成仏しても、また人間として生まれ変わってしまう。それも凡夫としてでしょう。

そう。重大な視点です。

> 釈尊…国を捨てて出家…妻や子供を捨てて…故郷は滅亡…悟りを得ていても、それは、苦しみも含んでいてのこと

苦しみを含んでいたかどうか。さて、どうでしょうか。

> 日蓮さんにおいても、大変な人生

そうですね。

426とんび:2005/12/03(土) 22:42:32
こんばんは。

南無妙法蓮華経如来については、百六箇抄、御義口伝をざっと目を通しましたが、
見つかりませんでした。南無妙法蓮華経如来寿量品という言葉はありましたが。
でも、たしかにお題目を唱えるものは(南無妙法蓮華経と唱えるものは)南無妙法
蓮華経如来となる..という意義の言葉を読んだ記憶があります。

 話はかわりますが、十界論です。一念三千に通じますが、倶舎論に十界が論じ
られているということですが(眼・耳・鼻・舌・身・色・声・香・味・触)
 天台のそれは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏
の十界に、それぞれ十界を具し、それに十如是と三世間で、一念三千だったでしょ
うか。

 顕正会の本では、十界については、経文に詳しく説かれている..と書いてあり
ました。ただどうしてもわからないことは、この世界に於いてどう十界論を展開する
のか..ということです。
 己心の心法においての十界の区別は、よくわかります。ただこの世界に於いては

仏  ・・・?
菩薩 ・・・?
縁覚 ・・・?
声聞 ・・・?
天上 ・・・眼に見えない存在・霊魂・魂・霊・など
人間 ・・・すなわち、私たち人間です。
修羅 ・・・?
畜生 ・・・動物など
餓鬼 ・・・ウィルスなど
地獄 ・・・?

と、なってしまいます。釈尊や日蓮さんが。仏だといっても、あくまで人間界です。

ここのところが、よくわかりません。

十界について詳しい方がいましたら、ご教示下さい。

427とんび:2005/12/03(土) 22:58:54
自己レスです。

南無妙法蓮華経如来、云々については、昔、創価学会版・聖教新聞社発行の
六巻抄講義を買って、読んだことがあるので、日寛さんの言葉かもしれません。

 今は、六巻抄講義の本は、持っていないので、確かめるすべがありません。

428烏賊太郎:2005/12/03(土) 23:41:58
>426
観心本尊抄に「ある時は喜び、ある時は瞋り、ある時は平に、ある時は貪
現じ、ある時は痴現じ、ある時は諂曲なり。
瞋は地獄、貪は餓鬼、痴は畜生、諂曲は修羅、喜は天、平は人なり。
他面の色法においては、六道共にこれあり。四聖は冥伏して現れざれども、
委細にこれを尋ぬればこれあるべし。」
とありますから、己心、凡夫の心の状態を説かれてますよね。
その輪廻転生に登場するような十界は、日蓮聖人は説かれてないと思います。
真言とか華厳の考えではないのかな?と思います。

429とんび:2005/12/04(日) 06:33:12
十界について。

地球を一つの衆生としてとらえると、六道では。

非想非非想処・・・・・大気の最上層

天界・・・・・・・・・大気・雲・成層圏など
人間界・・・・・・・・人間もしくは、植物などか
修羅界・・・・・・・・なんでしょう。
畜生界・・・・・・・・動物などか
餓鬼界・・・・・・・・ウィルスなどか
地獄界・・・・・・・・マントル

無間地獄・・・・・・・地球の中心核・最も高熱で圧力最大

それに四聖を加えるとよくわからなくなりますが、
仏界・・・・・・土や海やそういう存在か
菩薩界・・・・・食料として食べられる存在、魚や植物も?
縁覚界・・・・・植物か
声聞界・・・・・植物などの存在か..

 と、よくわかりません。

430犀角独歩:2005/12/04(日) 09:19:50

とんびさん

あなたは十界三千観(≒一念三千)というものを根本的に誤解しています。
日蓮が言う十界というのは天台が法華経を依拠として説いた『摩訶止観』の諸説に従っています。では、この止観とは何かと言えば、これは止観、すなわち参禅のための指南書です。達磨禅の無念無想と違い、止観禅は観念観法です。ではここでいう観法の法とは何かと言えば十法界のことです。十法界とはなにかといえば、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・独覚・菩薩・仏をいうわけです。参その法(十界)を次々と自分の念の中に観じていく参禅法です。そして、ついに仏を観念できれば、我が己心に仏ありがわかるわけですから、成仏の可能性も確信できるわけです。

つまり、十界とは世間一般の実在を言ったものではなく、坐禅の最中の自分の心を観察するイメージを言ったものです。故にこの十界を説明する『摩訶止観』を称して、「説己心中所行法門」(己の心の中に行じる所の法門)というのです。

431とんび:2005/12/04(日) 17:47:48
レスありがとうございます。

そもそも基本的なことが、わかっていないのですね。
顕正会の折伏理論書(平成3年8月発行)には、こう書かれています。

第三章 十界論
十界とは、この宇宙に存在するすべての有情を、その境界にしたがって十種
に分類したものである。(略)餓鬼は正法念経に三十六種が空かされ、畜生は
魚・鳥・獣などの動物、そして人間界は我々人類、天上界は大梵天王・帝釈天
王等である。経文にはくわしく十界のそれぞれが明かされているが、これら大
宇宙における十界はここには省略する。
十界論で大切なことは、我々人間界にまた十界が具わり、御本尊を信仰すること
により、所具の仏界が湧現するということである。

 ここがスタートでしたので、一念三千を誤解したのでしょうか。
 十界互具とは・・・己心が縁にふれて、様々な感情がでてきます。その心の感情
・状態を主に十界にわけ、それぞれの境界にあっても、また縁にふれて他の境界に
かわり、変化していくさまを、十界が十界を具足している..ということで、十界
互具というのでしょうか。

 十界三千観という言葉は、初めて聞きました。
 体験談をいうと、昔、寝ているときだったか何かで、心・意識が、下方にスーと
吸い込まれ・まさに墜ちる..という感覚で、凄い恐怖・戦慄感を感じたことがあり
ました。

 また、日蓮さんの御書に、日蓮を恋しく想えば日(太陽)を拝みなさい(趣意)と書
いてあったので、日蓮さんは、太陽という衆生の化身なのではないかと想ったことが
あります。

432犀角独歩:2005/12/05(月) 02:00:28

とんびさん

ずいぶんと滑稽な解説から入ってしまったんですね。お気の毒です。

> 十界互具

いや、これは書いて字の如くで、十法界のそれぞれがまた、他の十法界を互いに具しているという意味です。地獄といえども、そこにはまた十界を具し、他の九界も同様である故にそれを観念すれば、それは百界であるということです。そして、その百界それぞれに十如、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟を観念観法するということです。
ちなみ、十如とは、その中心は体(本体)です。その外から見える様が相、内的性質が性、その体の力、作用、因縁・果報、そして九如を束ねて百界それぞれ観念観法すれば千如となります。さらにそこに五陰(色受想行識)とは体の宿るまあ今風に言えば身、そこに受け入れ、思い、行(心の働き)識するという千如それぞれ観念観法すること。この五陰を束ねて為せば衆生とみるわけです。ここで、重要な点は国土世間というのは、実際の国土を言うわけではありません。宇宙でもありません。そのそれぞれの境界から感じる外界の見え方を言うのです。地獄の衆生は何を見ても地獄の世界、仏は何を見ても仏の世界、このようにそれぞれの衆生から見れば、世の中は斯くも違って見えることを観念観法すると言うことです。

> 己心が縁にふれて、様々な感情

このような状態を初心は縁に紛動されるといいます。
縁で左右されない金剛不動心を目指すところに止観禅の目的があります。
これは唱題でも同様でしょう。

>> 十界三千観

これは十界百界千如三千不可思議境の観法を略していったことです。

> 日蓮を恋しく…

「某を恋しくおはせん時は日々に日を拝ませ給へ、某は日に一度天の日に影をうつす者にて候」

『新池御書』ですが、真偽未決です。


> 日蓮さんは、太陽という衆生の化身

太陽が衆生ですか。うーん、まあ、大日天子ということになりますが、三光天子信仰というものがバックにありますが、こうは言えないでしょう。

433とんび:2005/12/05(月) 21:25:09
十界互具については、いわばネコや犬にも仏性・十界があるのだ..と思っていたのです。
また折伏理論解説書には、有情と非情とにわかれていますが、根本的には、非情・有情の区別は
ないと、私は思っています。ですから、国土や石ころ、また植物にも、仏性や地獄界かあるもの
と思っているのです。

 日蓮さんも、そんなようなことをいっていたと思います。
 でも通説の、十界互具論とは、どうも違うみたいですね。

434とんび:2005/12/05(月) 22:03:54
法華経について気になったところ。

もうすぐ、本が届く予定です。
授記品で、かしょうやしゅぼだい(変換できず、入力大変です)が、成仏の記別を
受けますが、「最後身に於いて」とでてきます。
 これは、衆生として生まれるのが、最後だよ..という意味なのでしょうか..。
だとしたら、成仏という言葉より、解脱という意味合いの方が濃くなってしまいます。

 解脱という思想をもってくると、アートマンとかブラフマンとかいう外道系の思想や
原始仏教?の色合いを感じてしまいます。

 たとえば、久遠に於いて、日蓮さんが仏、釈尊が弟子。釈尊が成仏の記別を受ける。
「汝、未来世に於いて、むしょこうをすぎて、まさに最後身に於いて作仏すべし、名を
釈迦如来といわん」といわれたとすると。

 印度応誕の釈尊は、その生涯をとじて、解脱した。もうどこにも存在しない。
 輪廻から解脱したのだ...と。

 新興宗教など、たとえば幸福の科学などは、「霊界の釈尊から、霊界通信を受けた(趣意)」
とかいいます。釈尊は完全に解脱した..と信ずる人は否定するわけです。

 大乗仏教や日蓮さんは..この汚れていると思われる凡夫の身が、実は釈尊と同じよう
な仏なのだよ..と。しあわせになるのは、解脱することでも、あの世に行くことでもない、
浄土や他の理想郷に生まれることでもない、今あなたの、物の見方一つ変えるだけで、今いる
ところが、寂光土・仏国なんだよ..ということなんでしょうか、即身成仏ということで。
 思いのままの言葉ですが。

 成仏といっても、正宗系では、何度も人間として生まれるわけですが、成仏=解脱(この場合六道
の苦しみから解脱するということではなく)ならば、衆生として、完全な「無」の状態になること。

 原始仏教については、まったく詳しくないのでわかりません。
 このあたりも、よくわからないままでいます。


 
よくいいますが、

435とんび:2005/12/05(月) 22:36:00
訂正です。

よくいいますが、は消し忘れた文字です。

436烏賊太郎:2005/12/05(月) 22:43:38
授記品の「於最後身。得成為仏(以下省略)」というのは、そういう意味ではなくて
長い修業の結果(得果)仏になりますよ。という意味であって全然違うと
思いますよ。いやはや、全てにおいてものすごい誤解のような気がします。
一度、知識をフォーマットして導入しなおした方が良いと思います。

437烏賊太郎:2005/12/05(月) 23:14:25
とんびさん、ごめんなさい。余計な事を書きました。
今、いろいろご自分で勉強なさっている最中なのですね。
解説なしでお読みになれば勘違いもありますね。また、私が正しいかどうか
も不明ですね。頑張ってください!(^^)v

438犀角独歩:2005/12/06(火) 11:55:13

> 十界互具については、いわばネコや犬にも仏性・十界がある

畜生界所具といことです。

> 有情と非情とにわかれていますが、根本的には、非情・有情の区別はない

この点を日蓮は『本尊抄』に以下のように言います。

「百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亙る」

ここでいう情とは心のことです。

> 最後身…最後…成仏という…より、解脱という意味合い

これはいい視点ですね。阿羅漢というのは梵語では、輪廻の束縛を終え、次に生まれ変わらない、つまり、いまの肉体が最後の肉体である=最後身という意味です。阿羅漢果は、小乗の目的であり、解脱です。
一つ阿羅漢といっても正確には4分類され、その第4段が「阿那含」と音写されるアナーガーミンで訳語的漢語成句では「不還」ということです。
この訳語からすると、ここでいう阿羅漢は、小乗の灰身滅已とは違い、無色界への移行を言う如くです。

> 解脱…アートマンとかブラフマン…原始仏教?の色合いを感じ

ああ、こんなふうに考えられますか。
アートマンとは漢語では「我」、ブラフマンは「梵」です。大乗では常楽‘我’浄をいい、梵とは日蓮漫荼羅に勧請される大梵天玉のことです。バラモン教は、このような形で日蓮に至るまで採用されてきました。

> 久遠に於いて、日蓮さんが仏、釈尊が弟子

これはいったい何の話でしょうか。
日蓮本仏論でしょうか。
日寛の教学では日蓮は釈迦です。
日寛は明確に「蓮祖は即ち是れ釈尊の事」と記しています。これをまた同体異名の相伝とも言うのでしょう。

> 印度応誕の釈尊は、その生涯をとじて、解脱した。もうどこにも存在しない
これはまったく寿量品の意味を解していないから、こんな考えになるのでしょう。釈尊は入滅していない、常に娑婆霊鷲山にあって説法教化しているというのが法華経です。それが衆生に見えないのは方便として涅槃したように見せかけたからだということです。それを信じるかどうかが法華信仰と言うことでしょう。「お経本」をお持ちなら、自我偈を読んでみれば、そう書いてあります。

439犀角独歩:2005/12/06(火) 11:55:40

―438からつづく―

> 大乗仏教や日蓮さん…汚れていると思われる凡夫の身…釈尊と同じ…仏

身ではなく「心」でしょう。

> 物の見方一つ変えるだけ…寂光土・仏国…即身成仏…思いのままの言葉ですが。

まあ、言い方は雑駁ですが、だいたい、そんな考え方は写本遺文から言えるでしょう。

「浄土と云ひ穢土と云ふも土に二の隔なし。只我等が心の善悪によると
見えたり。衆生と云ふも仏と云ふも亦此の如し。迷ふ時は衆生と名け、悟る時をば仏と名けたり浄土と云ひ穢土と云ふも土に二の隔なし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生と云ふも仏と云ふも亦此の如し。迷ふ時は衆生と名け、悟る時をば仏と名けたり」(一生成仏鈔)

> 成仏といっても、正宗系では、何度も人間として生まれる

人界所具の仏界ということがあります。
また、

「引導師は智者に非らずんば叶ふべからず、其の故は死人は無心にして草木の如し、而も無心の者に心を入るゝ事は且らく導師の心地に有る」

といい、死者は草木に同じ、そこに仏心を入れるのが成仏であるというのが石山の考えです。では、どうやって入れるのか、

「仏事追善引導の時の廻向の事、私の心中有るべからず・経を読みて此の経の功用に依り・当亡者の戒名を以つて無始の罪障を滅して・成仏得道疑ひ無し乃至法界平等利益」

創価学会も顕正会も捨てた化儀、日寛も従った法義です。
では、日蓮はどうか。

「穢土に於て喜楽を受くるは但日蓮一人なるのみ」
「極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか」

> 苦しみから解脱するということではなく

いや、そうではありません。有余涅槃とは苦からの解脱です。
苦集滅道をいう四聖諦も還滅門の十二因縁も、その基本は苦からの解脱を言うものです。

440とんび:2005/12/06(火) 18:48:59
犀角独歩さん、こんばんは。

 引導師・・・からの引用は、大石寺法主の言葉でなく、真跡違文からの引用
でしょうか。私は、真跡在・偽書の区別は詳しく存じていません。現在持って
いるのは、大石寺版平成新編御書です。ですから、ここが元になっています。

 似たような、言葉が
 草木成仏口決にあると思います。
「有情非情の成仏の事なり。其の故は我等衆生死する時、塔婆を立て開眼供養するは
死の成仏にして草木成仏なり」と。
 これはどういうことでしょう。生きていた人が成仏出来ずに、亡くなったが、死後に
お題目・法華経を供養すると、亡くなった人が成仏する。
 そういう事ではなく、ただ単に死後の肉体が・草木と同じ存在が、お題目・法華経の供養
によって、仏性が顕れ成仏すると。

 たとえば、石ころや草木も、法華経を保つ人が、お題目・法華経を草木に供養して
あげないと仏性があっても成仏できない..ということでしょうか。

 余談ですが、有情・非情について、日蓮さんは、草木成仏口決に
 「我等一身の上には有情・非情具足せり。爪と髪とは非情なり、きるにもいたまず。
其の外は有情なれば切るにもいたみ、くるしむなり。一身所具の有情・非情なり」
 とありますが、これに加えれば、歯や排泄物がありましょうか。
 肉体に於いても、ミクロの世界に入れば、痛みを感じる神経細胞のないところを、
ミクロ単位の針でつつけば、痛くないので非情になると思います。

 また、手術で、体内の臓器を取り出せば、その時に有情から非情になってしまうと
いうことで、有情・非情の区別は、細かく論ずるとなくなってしまう..ように思い
ます。

441とんび:2005/12/06(火) 19:46:53
こんばんは。

本尊抄に
「不審して云く、非情に十如是亘らば、草木に心有りて有情の如く成仏を為すべきや 如何。答へて曰く、此の事難信難解なり。天台の難信難解に二有り。一には教門の難信難解、二には観問うて曰く、
百界千如と一念三千と差別 如何。答へて曰く、百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亘る。門の難信難解なり。・・・百界千如・一念三千にして非情の上の色心の二法十如是是れなり」
と、ありますが、まず、百界千如という意味がわかりません。いくつかの仏教辞典を調べましたが、
載っていませんでした。

 上記の違文は、百界千如と一念三千とは、違うが、けれど同じだよ..と言っているので
しょうか。とにかく語句の意味がわからないと理解することができません。

 ブラフマン・・・すべて、全体、外道でいうなら神か
 アートマン・・・個人、我、個性、外道で喩えるなら神の子か

 神の子である衆生から、解脱して、元のところに還る。全体に同一するわけだから
、その人の個性は、完全になくなる。個性は無だけど、有ではある。

 こんなように、インドあたりの外道教は、説いているのでは..と思っています。

 ちなみに、釈尊は完全に解脱した、と信じる人の本を読んだことがありますが、
その人の目的は、完全なる解脱・絶対無で、ブラフマンとか神に帰するのではなく
完全に存在しなくなるというのが解脱で、たかん打座?(とにかく座禅です)を修行
していました。でも別の人が読むと、その人のいう絶対無というのは、非想天みたいな
感じだなあ..といっている人もいました。

 ただ、こういう考えもあるのだな..と思いました。

久遠に於いて、日蓮さんが仏、釈尊が弟子..は、法華経に出てくる、釈尊の
弟子の、成仏の記別に於いて、述べている「内容のことを」、わかりやすく、
釈尊と日蓮さんにあてはめて、例えとして用いました。
 ですから日蓮本仏論にあてはめたわけではありません。

釈尊は入滅していない、常に娑婆霊鷲山にあって説法教化しているという

 そうですね、そう書いてあります。このところを正宗系では、日蓮さんは、
現在、板本尊となっていて、常に「戒壇の大御本尊」は、そこにあって法を
説いている。すなわち信ずる者には福。謗ずる者には罰を説いている..と。
 
 すくなくても、顕正会では、そう説明していました。

442とんび:2005/12/06(火) 20:07:55
烏賊太郎 さん、こんばんは。

私は、特定の宗教を信じていなく、また、個人的にも迷いの中にあると思います。
これという、絶対的な個人の主張はありません。たとえば、生命の永遠についても、

人生一度だけ2:8生命は永遠..という感じて、永遠であると感じるが、もしかし
たら、そうでないのかも..といった思いもあります。

 ですから、何かいわれても、あまり気にはなりません。

 ただ、臨終の時に、正念があって、すがるものというと、お題目・南無妙法蓮華経
しかない..ということです。アーメンとか南無阿弥陀仏とかは、いわないでしょう。

 それと、教学や仏語をあまり理解していない、特定の信仰がないから、トンチンカン
な、または、気狂いみたいなことをいうかもしれません。
 でも、それでいいのかな..と思っています。

 たとえばです、昔、ある本を読みました。今でいうとニューエイジとか外道の部類に
入る本です。
 その中で、宇宙は、実は、太陽系しか存在していないのだ...という説がありました。
詳しく覚えていないのですが、これは、今の天文学でいうと、トンチンカンな
トンデモな説です。

 そして、夜空に、見える数多くの星は、実は過去の地球の姿なのだと..。
 他の星系に、人類の住んでいる星があったとする。
 地球人が、光速船を開発して、その星に行くと、実は、そこは、過去の地球、
または、未来の地球なんだそうです。そんなような説というか話なんですね。

 ですから、そのことを経典にあてはめると..どうだろう..なんて考えるの
です。経典には、阿弥陀浄土をはじめとして、十方世界の国土が説かれていると
思います。そこには、阿弥陀如来、あしゅく仏とかいろいろな仏が説かれています。

 そして、トンデモ本と経典を合わせると、阿弥陀浄土も、実は地球のこと。
 阿弥陀仏も、実は、釈尊のこと(正宗系では日蓮さん)と、なってくるのか
な..と考えたりするのです。

 でもこういうトンチンカンな発想も、何かを示唆するようなことが、ありは
しないか..と思ったりします。

 これからも、よろしくお願いします。

443とんび:2005/12/06(火) 23:59:09
訂正します。

本尊抄に引用した、遺文の順番が、間違っています。すぐに訂正
できないので、後ほど訂正したいと思います。すみませんでした。

444犀角独歩:2005/12/07(水) 00:44:00

とんびさん

> …大石寺版平成新編御書

であれば、冒頭の目次に、真蹟のあるものは所在が書かれています。ないものは写本のみと言うことでしょう。また、写本者が載っているものはまだいいですが、まるで載っていないものもあるでしょう。捲りながら対照できます。そうやって、皆こつこつ勉強してきたのです。

> 草木成仏口決

偽書濃厚ですね。

> …生きていた人が成仏出来ずに、亡くなったが、死後にお題目・法華経を供養すると、亡くなった人が成仏する。

いえ、そうではなく、亡くなった人に坊さんが戒名をつけて供養すると成仏するという説です。

先の文が日繼(妙本寺)の『当家引導雑々記』、あとは日有の『化儀抄』です。

> 百界千如という意味がわかりません

十界×十界=百界
百界×十如=千如

> 上記の違文

千如までは情・非情にわたるが一念三千は

千如×三世間(五陰・衆生・国土)=三千

で、衆生と国土の関係なので非情にはわたらないということです。

> ブラフマン・・・すべて、全体、外道でいうなら神か

梵天です。天と神は同じ梵語の訳語で同じ意味です
外道ばかりではなく、内道でも神です。
漫荼羅に書かれてあるでしょう。

> アートマン・・・個人、我、個性、外道で喩えるなら神の子か

違います。バラモン階級の僧です。天上のバラモン(梵)、地上のバラモン(我)は共に親子の関係ではなく、地上のバラモンは天のバラモンになることを目指しているということです。

> その人の個性は、完全になくなる。個性は無だけど、有ではある。

これも違います。バラモン教は、いわば有論です。有我ということです。これに対して、仏教が無我を主張したわけです。

> たかん打座?

只管打坐です。

主に曹洞宗です。止観禅とは違います。

> 釈尊と日蓮さんにあてはめて、例えとして用いました。
> ですから日蓮本仏論にあてはめたわけではありません。

しかし、結果的に間違った本仏論になっています。

> 現在、板本尊となっていて、常に「戒壇の大御本尊」は、そこにあって法を説いている。すなわち信ずる者には福。謗ずる者には罰を説いている..と。
板漫荼羅は法は説きません。人即法の本尊(日寛)といい生身の日蓮であるということです。
なお、板漫荼羅には「信ずる者には福。謗ずる者には罰」という讃文はないでしょう。

445顕正居士:2005/12/07(水) 05:22:22
>>434 >>438 大乗仏教における涅槃

初期の仏教にも、如来は死後に存在するともしないともいえないという話があります。
ですから涅槃は普通の意味の無とはちがうと考えていたようです。しかし菩薩として
また生まれて来るということはありません。だから観世音などの大悲の菩薩はあえて
仏果を取らない、一抹の煩悩を残しておくというのが普通の大乗仏教の思想です。

対して法華経は霊鷲山そのほかの住所で釈尊は今も常に説法しているし、最初の
成道の以後にも、常に菩薩として生まれて来たと説きます。それが法華経の独自の
思想であって、いわゆる本門の教義です。釈尊蓮祖一体の説は法華経の中心教義
に由来しています。釈尊はすでに涅槃に入っており、末法に上行菩薩を派遣したと
いうのはこの法華経の中心思想に合いません。蓮祖の本地は上行菩薩と限らない、
不可思議であるなどの表現は他の師にもありますが、日寛師の一体の説はたいへん
明晰です。

上行菩薩はあえて仏果を取らない、一抹の煩悩を残した大悲の菩薩です。仏とほぼ
変わらない等覚の菩薩ですが、蓮祖は名字初心の菩薩です。したがって本地上行
の説だと、蓮祖はあくまで上行菩薩の和光同塵した垂迹の姿です。つまり、これは
普通の大乗仏教の解釈です。法華経の中心教義である永遠の菩薩道に合致するの
は釈尊蓮祖一体の説です。寛師説の一体は蓮祖そのままに釈尊という意味です。
ただし蓮祖は名字初心の菩薩ですから、一番成道の本果の釈尊ではなく、久遠本因、
菩提心を起こされた時の釈尊と一体の意味です。

446犀角独歩:2005/12/07(水) 08:53:23

顕正居士さん

お久しぶりです。

「釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり」とは『法華本門宗血脈相承事』の一節です。

わたしは、この相伝を「本地自受用報身如来の最誕日蓮」と共にする石山義において、『秘密荘厳論』の「一念三千即自受用身、自受用身者出尊形仏」は、ここでは如来と言われながら、名字即、凡夫に配し、‘如来’とする点で齟齬を来していないのかと訝しく思っていたのです。しかし、それは『寿量品』に「我成仏已来。甚大久遠。寿命無量。阿僧祇劫。常住不滅。諸善男子。我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数」という成仏を言いながら、菩薩道の寿命は今なお尽きず、先までの倍するという、顕正居士さんのお言葉を籍りれば、「永遠の菩薩道」をここに明示するわけです。
久遠の釈迦如来(久遠ではシャカ族の王子ではないので、この言い方はおかしいのですが、取り敢えず、いまは仮にそう呼称します)はまた、菩薩道をするという仏の菩薩道という形で宣言するのが法華経でした。

先に挙げた『寛師雑々』の「蓮祖は即ち是れ釈尊の事」とするとき、これを同体異名の相伝という時、日蓮を上行と配立すると、釈尊・日蓮と、上行・日蓮という二解釈が並び立つことになります。ここを埋めるのが釈尊上行一体の異名ということで、すなわち、法華経における釈尊と上行は一体と見るという教学的な姿勢でした。つまり、父子一体の相伝でした。(父=釈迦如来・子=上行)

また、このような展開では、顕正居士さんが「一抹の煩悩を残した大悲の菩薩」という特色分析は、たとえば日有が『化儀抄』に「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」といい、「未断惑の導師を本尊とする」という点と一致します。日有が両巻相承を知っていたかどうか、しかし、久遠名字を末法に移すという教学的な姿勢は、凡夫本仏論ならぬ、凡夫本尊論という形に至る別の経路を辿って、ほぼ同様の結論に達している点に興味が惹かれます。
このような論理構造の整合性はたしかによくできていると思います。

447顕正居士:2005/12/07(水) 10:51:33
犀角独歩さん。ひさしぶりです。

寛師説が優れているのは本地上行説は外用浅近と断定したことです。それまでは上行本仏
のような考えがあった(菩薩本・仏迹)。しかし上行は等覚の菩薩。蓮祖は名字初心の菩薩。
そういう偉い菩薩の垂迹とかではなくて、久遠本因の釈尊そのままの再誕なんだというのは
素晴らしい宗教的解釈です(寛師の独創ではなく、要法寺の両巻血脈に根拠があります)。

天台学の通途は初住を仏としますが、日蓮聖人自身もその説を取らず、六即皆仏の説のほう
を取ります。但し日本天台で主流であった理即仏ではなく、名字即仏のほうをいいます。初住
ではなく、名字初心、つまり発菩提心の位を本因成仏とするのは、初住成仏は不退転の意味
ですから、本因成仏は途中退転することはあると考えれば不整合ではありません。おっしゃる
ように、本因妙の思想は日有などに顕著です。日寛の学説は前代の諸説を折衷し、四明天台
とも整合させることに成功しているかわりに本因妙の思想の発揮がありません。六大体大説
をいい、東寺密教と同じ理即成仏を取る辺があります。師の板曼荼羅重視は寺運興隆の方便
であっても、思想上、許容されたのかも知れません。時に祖書に文脈を無視した訓点を施すの
も師の特色です。この辺が日寛以後の大石寺教学に影響を残していても、その反動から稀有
の宗学者である日寛の優れた諸説までを低く評価するべきではないでしょう。なお六大体大、
理即成仏の説は祖書(総勘文抄)にあります。偽書ではないかも知れませんが、述作の年代
や目的*に疑問が生じます。*単に六大体大、理即成仏の説のサマリーであるかも知れない。

448とんび:2005/12/07(水) 22:41:15
犀角独歩さん、こんばんは。

なるべく、語句については、正確さを求めていきたいと思います。
ここは、わりと格式が高く、法門とか、そういう学を求める..場であるように
思うので、間違った記述・誤解を得るような言葉は避けた方がいいですね。
 ですから、間違いを指摘されることは、有り難いことです。
 その反面、知識を持たない人は、発言がしずらい面もあるかな..とも感じます。

 日蓮さんの、御書を拝するに、真跡在に求めるのは、それが一番間違うことの
ことだと思います。
 すでに、日興遺誡置文(真跡なし)が記しているように、日興さんの存命中に
偽書がつくられている..と書いてあります。

 ただ、真跡がないと、その後の大石寺法主が、自宗の都合の良いように、日興
さんの言葉をかりて偽書を作成したといわれる可能性もありますね。

 でも真跡のない・古写本もない御書で、慣れ親しんだ御書や重要と思われる御書
が、かなりあると思います。諸法実相抄や当体義抄、総勘文抄、教機時国抄、法華
初心成仏抄などなど。
 
 先の草木成仏口決は、後の僧侶が、みずからの立場を良くするために、偽書を作成
したのでしょうか。いわば金や身分を大切にするあまり。

 後ほど、時間ができたらあらためて発言したいと思います。

449とんび:2005/12/07(水) 23:02:02
訂正。

真跡在に求めるのは、それが一番間違うことの
ことだと思います。

ではなく、間違うことがないことだと思います、でした。

450犀角独歩:2005/12/08(木) 11:46:01

顕正居士さん

いつもながら、実に示唆に富み、且つ重厚なご教示まことに有り難うございます。
今回、ご教示をいただいた点も実に参考になりました。今後の研鑽の糧とさせていただきます。また、わたし自身、日寛の奔放(放逸とも思っていたのですが)な訓点、祖書の言い直しなど、眉を顰めていたところはありました。しかし、今回の日寛に関するご所論を拝読し、このご教示を、大切に記憶に留めさせていただきます。

深く御礼申し上げます。

451犀角独歩:2005/12/08(木) 11:48:05

とんびさん

> 知識を持たない人は、発言がしずらい

そのようにとらえるのではなく、知識がなければ素直に尋ねればよいのです。また、尋ね答をもらったら、ちゃんと礼を述べて、さらに前に進めばいいのです。

452犀角独歩:2005/12/08(木) 19:26:30

顕正居士さん

・日寛の、四明天台と整合性というのは、たとえば、草木成仏からの板漫荼羅正当論としての展開も含めてということでしょうか。

・六大体大は空海の説であったと記憶しますが、『三世諸仏総勘文教相廃立』の記述は、これはたとえば「我身は地水火風空なりと知て即座に悟を門き給ひき」と言った側面を要約するのみで、本意は名字即仏を採るということで、理即成仏は要約に過ぎないと言う意味でしょうか。

・わたしは日寛説は等覚一転名字妙覚を至極とし、その点から名字即位をいうのではないのかと思うのですが、この理解は正しいでしょうか。

・また、一転し、名字即・妙覚位となれば、理即但妄という当初はまったく問題にされず、偏に「心外無別法と云う。此を一切法は皆是仏法なりと通達解了すとは云うなり、生と死と二の理は生死の夢の理なり、妄想なり転倒なり。本覚の寤を以て我心性を糾せば、生ず可き始めも無きが故に死すべき終りも無し。既に生死を離れたる心法に非ずや」という文脈につき、「本覚の寤を以て我心性を糾」すとき、理即に既に通達解了を孕む如きと映じます。となれば、いきおい、理即仏をいうこととその隔壁がなくなってしまうような錯覚が生じます。しかし、これは理即から等覚への階梯を経たのちに、一転して、名字即・妙覚位となる仏が名字仏という理解でよろしいのでしょうか。

わたしは、今回のご教示で着目したのは

> 上行は等覚の菩薩。蓮祖は名字初心の菩薩

という点でした。父子一体の相伝からすれば、この等覚・上行は、一転して名字・日蓮、妙覚の釈尊という点で整合性が生じるからです。ただ、この点について、気分は落着しません。

お時間のあるときけっこうですから、以上の点、重ねてご教示いただければ幸甚です。

453顕正居士:2005/12/09(金) 12:12:10
>>452

趙宋天台(四明天台)の学が普及するのは江戸時代に入ってからです。したがってそれまでは一念三千に
ついて総在一念の思想が主流であった。四明天台の教義、理具事造両重能所というのはつまり一念三千
と同等に一色三千も成りたつという意味です。六巻抄のどこかに両重能所を述べているところがあるはず
です。色心等分の思想は唯心論からの脱却として評価できます。これと別に東寺密教の六大体大というの
も心本色末とは異なる思想です。密教は仏教に当時のインドの科学や技術を折衷して出来た体系という面
があります。総在一念思想の流行の裏側に一種の唯物論も発達し、檀那流の玄旨帰命の相承にも色濃く
あらわれています。ただしこれらの唯物論はまったく素朴な段階のもので、科学を発達させるようなアイデア
を有せず、かえって迷信を助長したに過ぎないでしょう。しかし思想的には唯心論を脱却し、儒学や蘭学に
学問の主流は移ります。

等覚一転名字妙覚という日本天台の口伝は、法華本門の十界常住の教義なしでは等覚にしか至らない、
本門を聞いて本種を自覚し、つまりいったん名字即位に戻り、そこから妙覚に至るという意味です。
大乗仏教の修道の体系は永久に輪廻転生し、すこしずつ経験値を積み、終に52レベルの菩薩=仏に至る
というものです。輪廻転生を信じない中国人や日本人はこの大乗仏教を何とか頓悟の仏教に改造しようと
した。ただし天台大師すら五品弟子位に止まり、六根清浄位には上がれなかった(遺言にそうあります)。
六根清浄位はあらゆる超能力が身に付く位です。そういう位は経典上の架空の事柄であろうということも
次第に見破り、名字即成の思想が完成したのであろうと考えます。

454犀角独歩:2005/12/09(金) 20:56:28

顕正居士さん

重ねてご教示、まことに有り難うございました。
文は少なく、しかして重厚なご教示でありますので、軽々に言を吐いては折角のご教示を黷しかねませんので、ゆっくりと熟考させていただく所存です。
殊に四明天台、玄旨帰命について、考えてみます。

等覚一転名字妙覚について、日寛は「当流の口伝(本因妙抄)に云わく、等覚一転名字妙覚云云」と言いますが、どうもこの根拠を見ないと考えておりました。
また、明治の本門講答弁では「諸氏不軽を菩薩地即妙覚…不軽は是観行初品の位…何ぞ即妙覚ならんや、不軽修行の上・転じて妙覚の釈尊と顕るゝなり、等覚一転名字妙覚」などと記します。前者、本因妙抄とする点は、首を傾げざるを得ませんが、ご教示をいただき、その原形が、さらに口伝され、種々拡大解釈がされてきたのだろうと思えました。

また、天台遺言については、天台を小釈迦、像法の迹仏と見なす教学態度に泥みやすい富士門にあって、目が覚めるようなご指摘であると存じます。やや、検索した見たところ、
「41段までいった人は古往今来、龍樹と無著の二人だけである。中国の南嶽慧思禅師が10段目、天台大師は臨終に弟子の智朗が「師はいずれの位に居るや」と尋ねたのに対して「我れ衆を領せずば必ず六根清浄の位に至らん。されど、利他の為に己を損して只、五品弟子位あるのみ」といって、9段目までしかさとれなかったと自ら告白して死んでいるのであるから、いかに仏のさとりが高遠であるか分かる」
http://www.shinran.ne.jp/nihongo/page1.html
(ただし、このHPについて、よく読んだわけではありません)

以上のような記述は、天台を見る視点として重要であると思った次第です。

> 六根清浄位…架空の事柄…見破り、名字即成の思想が完成

このご卓見には唸りました。

456犀角独歩:2005/12/11(日) 11:55:06
聖誕750年記念特輯・第125/126に日比宣正師『趙宋天台における両重能所観の形成』(P313/1971.7.25)が掲載されています。

http://www.inbuds.net/jpn/media/0-00069/0-00069-000125.html

知礼の理解のためには、華厳の知識も必要で、島地大等師の研究も参考になると思います。このような点から考証される顕正居士さんには敬意を表するほかありません。


本尊抄に載る程度が摩訶止観の規模と思っていらっしゃる方には、やや難読かも知れません。もっともこれはわたしのかつての感想です。

また、天台の止観についても、妙楽の時代に既に異本3本があったといわれ、さらに伝教の師でもある道邃は、妙楽についての批正独自の説を持つといい、これらの考証は、わたし自身はまだ畢っていません。また、このような点では、もはや、文献資料のみでは手に負えず、止観禅 ―― それは唱題でも可かも知れませんが ―― による鍛錬と天台口伝法門に関する潤沢な知識を要しようかと思えます。

ただ、口伝法門の世界は、まさに幽古深遠にして、自身の達観した禅体験との摺り合わせなくしては一歩も進むことはできません。

試みにガイダンスを得たいと思われれば、『大崎学報』第22号掲載の岡教邃師『日本天台口伝法門の由来及其発達』は参考にはなります。

http://www.inbuds.net/jpn/media/0-00069/0-00069-000022.html

457とんび:2005/12/14(水) 23:17:17
私が、西山本門寺の住職さんと誤記したことに始まりますが(西山本門寺の坊さんと紹介されたことによる)、
松本酸化に、案内状が届き、
宗教法人「冨士山蓮華寺」住所は、滋賀県でした。
そして、冨士山蓮華寺東京別院・冨士山西山本門寺東京布教所..とありました。

 詳しいことは、わかりませんが、北山本門寺も西山本門寺も、大石寺の近くの
静岡県にあるものと思います。
 西山本門寺は、宗教法人の資格を取り、本籍が静岡県なのでしょうか。

458犀角独歩:2005/12/14(水) 23:28:17

とんびさん

西山本門寺というのは、北山本門寺(当時はそうは言いませんでしたが)から退出した北山本門寺2代住職・日代が開創する寺院です。

そんな事情で、石山とも、北山とも不和でした。
二箇相承(日蓮一期弘法書ともう一つ)は、本来、北山にあったとされますが、西山の僧侶が、武田の勢にけしかけて、北山に乱入し、宝物を奪い取ります。そして、北山から二箇相承はなくなります。この返却のために、北山住職は嘆願断食をして、ついに死んでしまいます。
七百遠忌のころ、西山本門寺は実にみっともない理由で石山に帰伏します。そして、その後、単立となります。

あなたは詳しいことはわからないと記していますが、たぶん、ここの掲示板の常連で、詳しいことがわからないような者知らずはいません。

その意味で、あなたは、ものすごく、的外れなことを記していることを、ご本人のみ気付いていません。皆さん、いささか呆れてご覧になっているのでしょう。

憎まれ役は、わたしが買って出るしかありません。そんなわけでの、以上、記述です。

459犀角独歩:2005/12/14(水) 23:31:12

蓮華寺のことまで、わたしは記す気分になりませんので、やめておきます。

460彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/15(木) 12:46:59

>457
ま、知らないとおっしゃるのですからしかたないですね。
でもこの掲示板で
>詳しいことは、わかりませんが、北山本門寺も西山本門寺も、大石寺の近くの
静岡県にあるものと思います

とおっしゃる方がいらっしゃるのは新鮮な驚きでした。

<西山本門寺>
http://www.wbs.ne.jp/bt/shibakawa/map/7.htm

<北山本門寺>
http://park16.wakwak.com/~honmonji/

<富士五山>
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/16/566.html

とんびさん
今は昔と違って、インターネットで探索するだけで、上記のように色々な情報が無料ですぐ手に入るのですよ。ご自分自身でもう少し周辺を勉強されてはいかがですか。

461犀角独歩:2005/12/15(木) 15:04:30

話の流れとはまるで別に、彰往考来さんご紹介の『地涌』の記述を読んで大笑いしました。

「日蓮正宗が他派と訣別し独立したのは明治三十三年だった
大石寺に清流はなく謗法と交わり自らも邪宗と化していた」

これは言葉をかえせば

「創価学会が日蓮正宗と訣別し独立したのは平成3年だった
創価学会に清流はなく謗法と交わり自らも邪宗と化していた」

ということになってしまいます。

最近、石山頒布の印刷本尊は開眼されていたとかいないとか、『地涌』と同じような学会アンダーグランドジャーナリズムが書いていましたが、それなら、創価学会の印刷本尊は、誰が開眼しているのか、池田「先生」かな?、振り上げた刀を下げれば自刃することになります。

松岡さん辺りの非難論調もそうですが、端から見ると、石山を批判する主語を変えればそのまま学会批判になる論調が多いわけです。この手の連中は、いわゆるブラックユーモアの持ち主か、実は石山に名を借りて学会批判をしているのかと思わざるを得ない側面を持っていますね。

『新・人間革命』で訂正しても、『人間革命』の石山肯定は文書として明らかに残っているわけです。戸田さんの講演録でも明確です。となれば、戸田批判にも一脈なっていることになるわけです。まあ、漫画を読んでいるような滑稽さがあるばかりですね。

462彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/15(木) 18:22:16
誤解のないように、念のため申し上げますが、インターネットの検索で得た情報はそれこそ玉石混合です。ひとつづつ取捨選択する努力が必要です。
もちろん書籍情報も同じです。ただインターネットよりは書籍情報のほうが引用文献資料になりやすいですね。裏を返せば、ネット情報はあやふやなのが多いことと、再び接続した際に無くなっていることがあるということです。

463犀角独歩:2005/12/15(木) 18:49:24

461はけっして彰往考来さんを揶揄したものではなく、この手の批判文の構造のこっけいさを記したばかりのものです。

464とんび:2005/12/15(木) 22:18:47
こんばんは。

どうもすみません。
西山本門寺は、宗教法人の資格を取り、本籍が静岡県なのでしょうか。
というのは、どうも何かがおかしい..という意味を込めて
西山本門寺は、宗教法人の資格を取り、本籍が静岡県なのでしょうか??。

という意味の発言でした。
 昨夜、ネットでいろいろ調べましたが、わからず、本日、ご本人より聞きま
した。西山本門寺で出家をされ、現在は滋賀県の蓮華寺の僧侶らしいです。
そこで、蓮華寺の東京別院であり、また西山本門寺の東京布教所も兼ねている
..ということです。(教義はほとんど同じということなのですが..)
 聞いたことを、すべて覚えていないので、この説明でも、若干違っているところ
もあるかもしれません。

 西山本門寺は、単立ということですが、ネットでは12ケ寺あるという記述
もありました。聞いた所によると、その12ケ寺は、全部単立の宗教法人となって
いるようです。

 また、蓮華寺は、蓮華寺事件というものが過去にあって、最高裁まで争ったらし
いです。詳しいいきさつはわかりませんが、蓮華寺は、反創価学会系の寺であった
..ということと、大石寺と法門の違い?(信義上の問題でかな)で、僧侶の解雇に
端を発して、裁判沙汰になったとかいう話です。(このことはネットからの情報による)

 だから蓮華寺さんを好ましく思わない方もいるのだろう..と思います。

 また、なんで犀角独歩さんが、憎まれ役になってしまうのか..がわかりません。
 日興門流の歴史については、聞いたり読んだりした部分もあると思いますが、
覚えているのは、ほんのわずかだと思います。そのことについては、少しずつ情報を
得ていきたいと思います。

 まだ、的はずれな発言に気づいていないのかも、しれませんが...。
 ただひとつ、的はずれだと気づいていないのは、私一人(ご本人のみ)ということで
すが、そのことがわからないのは、他のロムの方もいるのでは..とも思います。
 
 今、法華経を少しずつ読んでいますが、そのことは法華経のスレッドにて、投稿し
たいと思います。

465とんび:2005/12/15(木) 22:53:14
彰往考来さん、こんばんは。

 そうですね、ネットで調べれば、いろいろな情報が手に入ります。
 北山本門寺は、地図で確か大石寺の近くにあったな..たぶん西山本門寺も大石出寺の近く
にあるのではないか..というぐらいの、うすら覚えでの発言です。

 私は、元顕正会員でした。そもそも顕正会員は、教義的なことはあまり教えられません。
私の入信したころは、教学誌も発行されていましたが、いまはありません。
 また正宗の歴史についても、日興・日目・日道上人、日有・日でんさんなどなどは立派な
管首であった。ことに日興・日目・日寛上人を聖人化していました。
 また、日精上人は、異流儀だった(要法寺から何代も大石寺に管首がきた)
 日でんさんの直訴。日恭上人のホウボウによる懺悔の姿。日達・日顕上人の御遺命違背..

 主に、それぐらいの歴史しか教えてくれませんでした。
 また、過去に、仏教系のフォーラムで、北山本門寺の成り立ちあたりのことは、
何度が読んだように記憶していますが、ほとんど覚えていません。また西山本門寺のことは、あまり
聞いたことがありません。

 聞いたり、読んだりしても、自分の関心のあることなら、ある程度記憶に留まりますが、そうでな
いと、忘れてしまうことがほとんどです。
 
 ここには、多くの才覚のある人や、知識のある人、学識豊かな人がいらっしゃるような
ので、気が引けてしまいますが、できればよろしくお願いします。
 日興門流の歴史についても、主に日興門流の関係のホームページを閲覧すれば、わかる
ものと思います。このことは、できれば今後少しずつ..訪れていきたいと思います。

 余談ですが、浅井会長曰く。
 日蓮さんは、流罪の地の、塚原三まい堂であの「開目抄」を書いた。
 ましてや、文献や資料を持たずに、何々経・何々経に曰くと経文を引用されている。

 これが、事実なら、日蓮さんは、やはりたいした人だと思います。
 私など、遠く及びません。

466独学徒:2005/12/16(金) 01:20:47

とんびさん、はじめまして。
突然の横レスにて失礼します。

貴方の仰るとおり、松本修明師が「僧侶の解雇に端を発して、裁判沙汰になった」蓮華寺の住職ならば、そこには所謂「本門戒壇之大御本尊」の正模写があるはずです。
正式な宗教法人ではないにしても、「日蓮実宗」と名乗っていたはずですが、現在は西山系と通行があるとの事でしょうか。

松本師は俗名が「勝弥」といい、民音職員時代に「本門戒壇之大御本尊」を偽物として裁判を起こしています。
有名な「板曼荼羅事件」です。

その松本師が、「本門戒壇之大御本尊」の正模写を所蔵するといわれる、蓮華寺にいらっしゃるとすると、なにか意味あってのことでしょうか。

467とんび:2005/12/16(金) 21:33:19
独学徒さん、こんばんは。

私が、松本さんに電話しても、主に法門とか教学のことを話されるので、聞いたことを全て
覚えられることができません。
 少なくとも、蓮華寺の住職(代表役員)ではないと思います。滋賀の蓮華寺には、よく行かれ
るらしいですが、あくまでも東京の蓮華寺別院と西山本門寺の東京布教所の僧侶という立場
ではないかと思います。滋賀と東京を行ったり来たりということではないでしょうか..。

 蓮華寺事件は初めて知りましたが、松本さんは、その解雇された住職でも裁判を起こした
人でもないと思います。これも事件の繊細を知らないので確認しなければ、なりませんが。

>蓮華寺・・・そこには所謂「本門戒壇之大御本尊」の正模写があるはずです。

 このことは、初めて聞きました。

>その松本師が、「本門戒壇之大御本尊」の正模写を所蔵するといわれる、蓮華寺にいらっしゃ
るとすると、なにか意味あってのことでしょうか。

 たぶん、意味はないと思います。
 松本さんに聞くと、なんで西山本門寺を選んだのか..と訪ねると、教義的・法門に納得した
からだ...というような返事が返ってきます。
 ただそれだけのことのように思います。ただ、なんで滋賀の蓮華寺さんと縁があったのか..
は知りません。
 もしかしたら、戒壇の御本尊のつながりがあったのかもしれません。

 いまは、そのぐらいのことしか知りません。ただ、今後、松本さんの個人的なことを知り得たと
しても、こういう掲示板でそのことを、どこまで話していいのか..わかりません。

 ただ、現在は、東京の場所で、「興門流(とおっしゃています)」の活動をなさっているようです。
本人に聞いても、西山本門寺系の宗派は、興門流である..勝劣派である、ことしか聞きません。

 日蓮宗とか法華宗とか、何々門流とかの、区別については知りません。
 ただ、日蓮さんは、生まれたときから死ぬときまで、上行菩薩だった..ということを主張して
います。(法門的には)

468通りすがりα:2005/12/16(金) 21:56:56
とんびさんが、ここの投稿者といちばん違っているのは、松本さんという人の意見で動いている点でしょう。
依法不依人だから、松本という人は、ここの参加者はどうでもいいのです。チャンチャン

469とんび:2005/12/16(金) 23:40:10
通りすがりさん、こんばんは。

確かに、おっしゃる通り、この掲示板において、松本さんのことは関係ないことであります。
正直、云われて困ったな..と思いました。

 ある言葉や、文章や発言に対して、子細にみれば100人100通りの解釈があると思います。
 通りすがりさんの言葉は、注意的なものと受け止めます。

 ただ、松本さんの意向を受けてこの掲示板で発言している事実はありません。
いわば「西山本門寺の住職」であると、発言したことの、いわば弁明であります。

 また、この掲示板に来たのも、松本さんとは全く関係ありません。
 なんていったらいいのかわかりませんが、連絡のとれる他の日蓮宗の坊さんが2人いますが、
熱心に本を薦められたのが、松本氏であり、現在日蓮さん関係の本で、正宗系以外の本は、松本
さんの本しか持ち合わせていません。
 私は、松本氏の「南無妙法蓮華経要義」という本は、いわば「西山本門寺」系の宗派の教義だと
とらえています。

 ですから、こういう掲示板で、日蓮正宗では、こういうことを云っていると「文献」を示して話を
する。また顕正会では「文献」をしめしてこういうことを言っている..と。また、何々門流では、
「文献」でこう言っている..というように、法門や教義、日蓮さんの本意はこうではないか..法
華経はこういうことを説いているのではないか..と。松本氏の文献は「西山本門寺系の宗派」の文献
として、持ち出したわけです。

 日蓮門流の宗派の、分岐図を示した資料がありましたが、今見つけることができません。
 西山本門寺は、何々流・何々派かは、知るよしもありません。

 残念ながら、現在、松本氏の「南無妙法蓮華経要義」を読んでも、そんなに影響は受けていません。
 そもそも、法門のことはあまり理解できません。

 それよりも、最近、正宗系の人の本を読みました、そのことは、ここでは発言していませんが、その
人の本の影響の方が大きいし、また、ある正宗系の方から戴いたメールの方が、影響があります。

 ただ、ある方の意見を聞けば、それなりに影響をうけます。事実、通りすがりさんのレスを読んで、
やはり影響をうけます。

 という意味で、松本さんから、話を聞けば、それなりに影響を受けることはあると思います。

 というわけで、正宗以外の法門のことを参考にして「文献」を示すのなら、誤解を受けない
ために、他の門流の本を買って読み勉強をしなければ、ならないのかな..と思います。

 通りすがりさんの指摘を、受ける以前に、西山以外の他の門流の解釈を読んでみたいとは思って
いました。

 という訳で、弁明が長くなりましたが、西山の教義を主張するつもりはありません。
 また、松本さんと、私個人の発言の意志は、全く関係がありません。

470とんび:2005/12/17(土) 01:25:16
犀角独歩さん、皆さん、どうも申し訳ありません。

今頃気がつきましたが。
西山本門寺は、宗教法人の資格を取り、本籍が静岡県なのでしょうか。
という記述は。
西山本門寺は、宗教法人の資格を取り、本籍が滋賀県なのでしょうか。(??)

と、書いたつもりでした。なんで静岡県が滋賀県になってしまったのか、私のミス
です。
 犀角独歩さんにおいては、私のレスにおいて不愉快な思いをされたかもしれませんが、
申し訳ありません。
 とにかく、初歩的なミスです。

 とにかく、的はずれなことを記しているのかもしれませんが、私の誤記で生じたことなら
私の責任であり、反省いたします。みなさん呆れてご覧になつているかもしれません。

 松本さんについては、以前のレスに記したことでご容赦願います。
 蓮華寺についても、松本さんについても、裁判沙汰になっているようで、ともに好ましく
思っていない方もいるのだと思います。

 誤記からのことは、私の責任であり、申しわけなく思います。
 ご迷惑をおかけしました。

>的外れなことを記していることを、ご本人のみ気付いていません。
は、その通りかもしないし、また、重ねて、的外れなことを記しているのかも
しれません。

 発言の際、コピー&ペーストなるものを利用して、安易に利用するとミスに気づかない
こともあります。

 言葉には、注意が必要ですね。

471れん:2005/12/17(土) 04:20:54
とんびさん、はじめまして。
西山本門寺は、静岡県富士郡芝川町に所在する寺院で、日興の弟子日代が、南北朝時代に開山した寺です。戦前は本門宗に所属し、本門宗が日蓮宗に合同後、戦後は日蓮宗に所属してましたが、のちに宗派離脱して日蓮正宗に入ったが、今は日蓮正宗からも離脱して単立寺院ですね。ですから、西山本門寺の“本籍”は滋賀ではなく静岡ですよね。松本師はその西山本門寺の貫主(住職)のお弟子さんです。滋賀の蓮華寺については知りませんが、石山の戒壇本尊の模写があるのは、大阪府所在の日蓮実宗蓮華寺(石山の末寺だったが昭和三十年代に宗派離脱)で、お話を聞くかぎり松本師の在勤する蓮華寺は滋賀とのことですので、大阪の蓮華寺とは別の寺院での筈です。
現宗研のHPに、現宗研での松本師の講演の内容を載せた論文?があった筈ですから、お読みになってはいかがでしょうか。

472とんび:2005/12/17(土) 07:03:12
れんさん、こんにちは。はじめまして。

松本師は滋賀県の大津市にある蓮華寺のようです。ですから、私が先に掲示板で載せた、
「蓮華寺事件」は、れんさんのいう大阪市の蓮華寺なのかもしれません。
間違ったような気がするので、あらためて、確認したいと思います。
  
 ご説明ありがとうございます。

473彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/17(土) 09:32:04

>472 とんびさん
「蓮華寺事件」と松本氏は関係ないでしょう。また「蓮華寺事件」では、滋賀県の蓮華寺(この寺は事件とは無関係です)以外に関連する蓮華寺が複数ありますから、また初歩的なミスを犯さないように。日蓮実宗の蓮華寺と日蓮正宗(現在は正信会でしょうか)の蓮華寺は別の寺院ですから。
松本勝弥氏は“蓮悟空”というペンネームで『変質した創価学会』(昭和47年、六藝書房)という暴露本を書いていたと思います。まあ、暴露本ですからね、その程度の内容です。また、松本勝弥著『訴訟された創価学会』(昭和48年、現代ブレーン社)という本もあります。
松本勝弥氏が原告の「板まんだら事件」の判決内容は、大家重夫編『宗教関連判例集7』(昭和62年、第一書房、1頁)に記載されています。参考までに同書の348頁には「日蓮正宗代表役員・管長不在確認事件」で大阪市淀川区の蓮華寺が記載されています。
れんさんが471でおっしゃる日宗研の資料は、
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho31/s31_066.htm
でしょう。
とんびさんが本件で投稿するのであれば、最低でも上記資料くらいは目を通して、ちゃんと調べてから経緯など確実な内容を投稿されることを期待します。あやふやな内容では混乱するだけです。
なお、このあたりの話は私などより三学無縁さんのほうが詳しいですし、他にも詳しい方はいらしゃると思います。私自身は「蓮華寺事件」や松本氏に興味ないので調べるつもりはありません。独学徒さんが466でおっしゃっている所謂「本門戒壇之大御本尊」の正模写は興味ありますけどね。

474犀角独歩:2005/12/17(土) 10:59:50

とんびさん、わたしは別段、不愉快だとは思いませんが、しかし、寺院寺院に住職あり、信者あり、縁者があります。

ですから、いい加減なことを記すと、関係各位に失礼だろうという思いはあります。
先般、わたしの恩人から通知があり、西山本門寺の現住職は村田師とのことでした。
当寺には塔中坊があり、そこにもやはり住職がおられ、縁者もおられます。
多分、この方々が、とんびさんの一連の投稿を読まれれば、不愉快な思いをされると思います。

確認のための投稿であれば、お尋ねの形を採ればよいだけのことですから、よくわからないことは断定して書かないことです。

まあ、それも投稿の一つのルールでしょう。それを守れば、あなたの疑問には、皆、ちゃんと応えてくれるでしょう。

あなたは、西山本門寺、北山本門寺、大石寺に行ったことがないのでしょうか。
西山が静岡県にあることなど、当然のことなのですが、そこで滋賀県の話が出てくるのは松本さんを中心に考えているからですか。こんなふうに考えられると、西山本門寺はひどく迷惑でしょうし、松本さんがあなたが書いているようなことを言ったとすると、これは大問題であるとは先に書きました。大問題というのは、松本さんの世間を狭くし、信用が失墜し、ついには僧侶として、誰も認めなくなるという最悪の事態も起きるという意味ですよ。

気を付けるに越したことはないということです。

475ラスカル:2006/01/08(日) 19:24:57
●年始から、ごめんなさい。●『花は気高くしなやかに咲く(妙法の心は蓮華)』●「妙法」だけでは、諸法無我・諸行無常だけしか現す事ができない。「妙法の心は蓮華」と言い切る事で、諸法無我・諸行無常・ネ槃寂静を包括できる。多仏主義と悟りはゴウタマ・シッダルタだけの占有では無いというのを読んで考えたんですけど。

476ラスカル:2006/01/09(月) 00:55:21
●ゴウタマ・シッダルタは解脱の境地は説いても成仏の境地は説いてないと言う事でしょうか(爆)●化法師匠・一大秘法・三大秘法・開合六秘、化儀弟子・一大秘法・三大仏尊・六大信心、此こまで書かないと常識みたいになった既成概念を吹き払えないと思って。

477顕正居士:2006/02/02(木) 15:39:08
日蓮信仰の問題のひとつは多数のカルトの土壌となっていることである。

危険な原理主義の台頭〜なぜ日蓮系と福音派が伸張しているのか
http://ecofarm.at.infoseek.co.jp/152-2.html

臨済、曹洞系カルトには顕著な団体はないが、寺院・僧侶単位の坐禅指導にカルトな性質が
認められるものがある。真宗本願寺派系には日蓮系、福音派とよく似た大きな団体がある。
しかし日蓮系の団体数の多さははるかに他を圧している。日蓮信仰、日蓮教学がカルトの
土壌に非常になりやすいのは眼前の事実である。日蓮信仰が標準的な形態にまとまるのは
室町時代で、西洋でプロテスタントが発生したのと同時である。ただしファンダメンタリズムは
近代社会において近代神学に逆らって提唱された潮流であるから、プロテスタント系福音派
に相等する日蓮系ファンダメンタリズムの発生は在家による強折(ごうしゃく)がさかんになる
幕末期といえる。儒学、国学、洋学の発達による近代的世界観の普及、近代思想を摂取した
宗学への逆行として明確な形態を取ったのは欧米と同様である。なぜ、日蓮信仰から多数の
カルトが生じるのか、これの解明には日蓮教学とプロテスタント神学の比較、日蓮系カルトと
福音派系カルトの比較対照がもっとも効果的であろうとおもう。

プロテスタント教理史
http://members.jcom.home.ne.jp/tamach/watanabe/kyorishi.html
The Fundamentals
http://www.xmission.com/~fidelis/

478顕正居士:2006/02/02(木) 17:41:59
米国の根本主義運動に比較できる日蓮系根本主義の集大成者は田中智学と及びその高弟
山川智応である。両居士は充洽園教学に対抗して在家強折系の信仰、教義の精髄を集成し
発達させた。ただしプロテスタント根本主義と比較すると大きな相違がある。プロテスタント系
根本主義は高等批評と近代科学(主として進化論と天文学)に逆らうのが2大特色である。
智学の教養には西洋の学問はほぼ欠如しているが、智応は東京帝大の論文博士であり、
一通りの西洋学問を習得している。彼らは近代文献学の知見に反発しないし、須弥山説など
を唱えることはない。では何をもって根本主義と称し得るかといえば、日蓮教が世界に冠たる
宗教であるという信念である。なぜ世界に冠たる宗教であるかというと、日蓮教は厭世主義の
仏教からまったく脱化した、キリスト教やイスラームと同等の唯一神教だからである(とはいえ
出自は仏教であるから、智学の言によれば汎神教的一神教である)。すなわち近代的世界観
と唯一神教をセットとみなした上で、日本人は脱仏教しなければならないという幕末以来の
思潮に沿っており、近代社会への仏教の適応運動という、プロテスタント根本主義とは反対の
性質をも兼ね備えていた。キリスト教類似の一神教を目指すのは教派神道各派も同様であり
幕末以後の新宗教の一貫した特色である。これが韓国などと異なり、布教解禁後もキリスト教
がほとんど宣教に成功しなかった主な理由である。

479顕正居士:2006/02/02(木) 19:25:32
中国、日本の法華信仰には2つの方面がある。一つは法華経が大小権実一切の経典を統一
する地位にあるという思想。これからはたいへんに煩瑣な学問が発達した。一つは法華経に
よる現世利益であり、これは「持経者」の系列といわれる。中国天台宗には現世利益の方面
はない。日本天台宗は円密禅戒四宗兼学であるから、天台密教には現世利益の方面がある。
日蓮の「法華経の行者」という表現には両方面の融合がみられるが、鎮護国家という大利益
が主眼である。しかし現実の日蓮信仰は日蓮があらわした数多くの奇瑞、信仰によるお家や
個人の利益という方面で発達した。先に述べた国柱会の教学は自ら「純正日蓮主義」と称し、
現世利益はいわない。こちらで有名なのは仏立宗である。創価学会は根本主義、現世利益
で仏立宗とよく似ているが、鎮護国家の方面も元来はあった。大石寺派の信仰と創価学会の
信仰がどのくらい重なっているのかは判断が難しい。創価学会では大石寺派の教義が極端
に単純化されており、かつその解釈に独特なシステムがある。それらが他の日蓮系新宗教に
由来する可能性はあるが、近代の大石寺派自体が改宗者により在家レベルでは仏立宗など
の影響を先行して受けているかも知れない。今は創価学会の教義が逆流してしまっている。
大石寺派の伝統信仰ではそれほど現世利益の要素は大きくなかったとは言えるであろう。

480ラスカル改め今泉元真:2006/02/03(金) 17:33:10
顕正居士さん、私は戦争を知らない子供なので、【鎌倉時代と平和憲法以後の布教の仕方は違う】としか書けません。何故一部分を利用する者共を神教仏教問わず「原理主義者」と呼ぶのか。シャカ、シャクソン、クマ、チギ、タンネン、サイチョウ、ニチレンが同時代に居ない21世紀は[本仏・本尊・法華経行者]を成仏得道足り得る法を教える漫陀羅(人本尊と法本尊を包括する)が信仰的にも学問的にも相応しい教義であり修行であると個人的に思います。創価学会は『妙法蓮華』と『価値創造』を信心の目的と祈り、願い、唱え、広宣流布に臨む事がベストだと考えたい。

481れん:2006/02/04(土) 20:47:15
顕正居士さん
477〜479居士さんの投稿へは、本来ならば独歩さんが応答するべきとこですが、独歩さんがここのところ、こちらに投稿されてないので、僭越ながら所感を述べてみます。独歩さんにおかれては、12月の私が菅野師の宗史論文の一部を紹介したときの、独歩さんよりの御批正を戴いた際の、私の応答の言葉に気分を害されておられるのではと危惧しております。万一そうならば、万事お気になさらずに、以前と変わらずに宜しくお願い申し上げます。
顕正居士さんの477〜479の御投稿に、すべて同意・賛同いたします。
>477
日蓮信仰から多数のカルトが生ずる原因を考察するには、ご指摘の通り、日蓮教学とプロテスト神学の比較、日蓮系カルトと福音派カルトとの比較作業が大変有効と存じます。ただ居士さん・独歩さん他少数の方以外は、実際の所、私も含め善くも悪くも日蓮教判の“内外相対”で捌いてしまい、キリスト教を省みることは殆どなかったのではないでしょうか。かく言う私も大昔、知り合いのキリスト者の影響で“人間イエス”に興味を持ち新共同訳の聖書・グノーシス文献のトマス福音書を少し読み噛った程度なので、顕正居士さんの海の如く深い学識にはとうてい及ばないので、私にとっては、これは今後の宿題となりますね。
ただ、石山系カルトは、日蓮教学というよりも、江戸期の石山寛師が集成した教義体系に基づいており、どちらかといえば、寛師ファンダメタリズムとでもいうべき側面があるのではないかと思え、やや複雑という感じがします。
寛師について、顕師の説によれば、寛師が文段・六巻抄において述べた名目等は秘伝ではあるが、殆ど外用の部分であり、“内証”に用いるところの“法門”は示さなかったとのことで、この辺の事は現在でも未公開であり、蓮師教学〜興師教学と石山の根幹教義との関連性を学問的に論証できないのは、日寛思想を考察し、この問題を考える上では、マイナスだと言えるでしょうね。

482顕正居士:2006/02/05(日) 03:19:06
日寛教条主義

古典はそれが著された当時の文脈で読まれないといけません。またその古典が著されるに
至った歴史の理解が必要である。教条主義はそういう努力をせず、一冊のマニュアル本で
あるかのように扱うので、教条主義の本来の目的のはずの文字通りの理解の反対、なんらか
トンデモな解釈になることが多い。
六巻抄などのいわゆる文底観心の宗学は天台学の学習を一通り終えた能化クラスの僧侶用
の教材であったとおもう。つまり日寛師の時代には宗祖本仏論などは秘伝であり、在家信者
はよく知らなかったであろう。それが他派との競争で特色を発揮するために次第に表に出て、
日応師の頃には文底観心から始まる宗学みたいになる、日昇師の頃になるともうそれが教相
みたいになるという印象です。秘伝、口伝は真面目に学んで来た事柄をひっくり返し、瞬間的
な理解をもたらすことが目的ですから、さきに教相の勉強がなく、秘伝だけ示せば、ぜんぜん
別の何かになってしまうでしょう。
近代の大石寺宗学のそういう傾向が様々な異流儀を生じる大きな原因になったと思います。

483犀角独歩:2006/02/05(日) 20:20:18

顕正居士さん

お久しぶりです。
482のご解説、実に納得のいくところです。


れんさん

> 私の応答の言葉に気分を害されておられるのではと危惧

これはまったくそのようなことはありません。
ここのところ、忙しくゆっくりと投稿をしている時間がないのにすぎません。
危惧には及びません。

484れん:2006/02/06(月) 01:26:09
顕正居士さん
>482の御賢察ならびに御解説、謹んで拝受いたしました。まったく顕正居士さんの仰る通りと存じます。日寛師の文段・六巻抄も、当時までの富士他山を含めた日蓮門下各派の教学の形成発展の過程で生み出された様々な日蓮ならびに門下の教義解釈書に通じ、かつ天台学を含めた当時の檀林教学を一通り学習しなければ、その寛師の意図とするところを正確に汲み取るのは難しいものでしたでしょうから、まさに仰る通り、寛師のそれは、能化クラスの僧侶用の教材だったと私も思います。その当時の文脈や成立の過程の歴史を理解せず、現在では、特に在家団体が寛師の著述をまさに一冊のマニュアル本として扱ってしまって、そこから派生した解釈が流布してしまったがために、なんらかトンデモな解釈・石山系の様々な異流義の温床になってしまっているのだとたしかに思えますね。

犀角独歩さん
>483
御多忙の最中にもかかわらず、お声をおかけ頂き誠に有難うございます。今度の松山先生の御講義に向けて、一字三礼さんから伺った世親の法華論を読んでいるのですが、やはり難しいですね。今悪戦苦闘して読んでおります。

485顕正居士:2006/02/06(月) 03:05:09
日蓮系新宗教が経典成立史を無視せず、須弥山説を唱えなくても、わが宗のみ尊し、まして
わが派のみ尊しと言うなら、これこそカルトの決定的特徴です。そしてこの問題は日蓮系では
既成宗派も例外でない。なぜなら「四箇格言問題」が解決していないからです。

『仏教界大問題四個格言』(加藤咄堂著、明治29年)
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049079&amp;VOL_NUM=00000&amp;KOMA=1&amp;ITYPE=0
背景については『「四箇格言問題」と統一団の結成』に大谷栄一氏の著から引用があります。
http://www3.cnet-ta.ne.jp/o/otowatid/p4a.htm
「四箇格言」について要伝寺さんのサイトでは以下のように述べておられます(008番)。
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/contents17.html
これは鎌倉時代の思想家日蓮は経典成立史を知らず、地動説も知らなかったから仕方がない
ということか。質問者はそういうことを聞きたいのか。で、現代教団としての日蓮宗はどうなの?
上の咄堂居士の著の時代から退化しています。むしろこちらの答えのほうがましです。
『「四箇格言」見直す創価学会』
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/shukyou/nichiren_4ka.html

日蓮系既成宗派が日蓮系新宗教をカルトと批判するためには、「四箇格言問題」を解決する
必要があります。

486れん:2006/02/07(火) 19:46:12
顕正居士さん
>485
日蓮系新宗教のみならず日蓮系既成宗派においても「四箇格言」問題が解決していない…これは確かにその通りですね。
日蓮が四箇格言に相当する他宗批判を行ったのは真蹟遺文からも伺えますが、これも、日蓮の他宗批判の根拠となったものは、現代の学問の水準から顧みれば、やはり誤りであることは明らかですし、未開時代と言うべき日蓮の生きた時代と文明の発達した現代とは、時代の進展とともにすべてが変わりました。
したがって日蓮系既成各派(ここにかつての自分も入りますね)は祖師日蓮の誤りの部分は誤りとして素直に認め、その誤りの最たる部分である“四箇格言”によって自派が批判した各宗派に自宗自派の非を謝罪し、潔く四箇格言は誤りであったことを認め、自宗のみ自派のみ尊いとする自意識と“四箇の格言”を潔く捨て去ることが、この問題の解決の前提となりましょうか?
少なくとも、こうした作業を日蓮系既成宗派がしなければ、日蓮系新宗教をカルトと批判することは、決して意味をなさないと言えると私も思います。

487顕正居士:2006/02/09(木) 10:23:36
れんさん。
本願寺八世蓮如(1415〜99)の「御文章」1-14
http://www.icho.gr.jp/seiten/html/774.html
を見ますと、真宗でも他宗誹謗はさかんであったこと、しかし蓮如はこれを厳禁したことが
わかります。日蓮宗各派の場合は天文法乱後の度々の禁教を、今後折伏を一切しないと
誓約して生き延びたが(不受不施派を除く)、不軽行が折伏であるという詭弁で折伏思想を
温存したために、これが維新後に復活してしまったといえます。
また日蓮の諸宗批判とは撥無菩提心(浄土)、不立文字(禅)、顕劣密勝(東寺真言)等で、
旧仏教や天台の諸師がすでに批判していた事柄です。曹洞禅は不立文字でないし、浄土
も「御文章」のように「唯除五逆誹謗正法」を認めるのであれば、旧仏教や日蓮の批判は
もう該当しません。以後の日蓮各派の他宗誹謗はほとんど他宗教学の無知に由来します。

「浄土真宗は吾宗を知らず吾宗は浄土真宗を識らざりしなり」
-清水梁山『浄土真宗論』(明治37年)276頁
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40047420&amp;VOL_NUM=00000&amp;KOMA=276&amp;ITYPE=0

488れん:2006/02/09(木) 19:58:29
顕正居士さん
>487
における適切なご教示、誠に有難うございます。真宗でも他宗誹謗はさかんであったこと。しかし、蓮如師はそれを厳禁したこと…また一つ勉強になりました。
日蓮の諸宗批判は、ご教示の通り、先行する旧仏教や天台の諸師の批判がありますが、その批判も
>曹洞禅は不立文字でないし、浄土も「御文章」のように「唯除五逆誹謗正法」を認めるのであれば、旧仏教や、日蓮の批判もう該当しません。
ですね。
>以後の日蓮各派の他宗誹謗はほとんど他宗教学の無知に由来します
誠にご教示の通りと存じます。
日蓮門下各派の場合、
>天文法乱後の度々の禁教を今後折伏しないと誓約して生き延びたが
>不軽行が折伏であるという詭弁で折伏思想を温存したために、これが維新後に復活してしまった
これはご教示の通り、かつ重要なご指摘で、この問題の問題たる本質であると存じます。この維新後に復活した折伏思想・四箇格言が、以後に派生した在家信仰団体に受け継がれてしまったがゆえに、既成の各派が、それを批判するのであるならば、不軽の行が折伏であるという詭弁を捨て、折伏思想・四箇格言を廃棄して、常々独歩さんのいわれるところの“二十一世紀の日蓮”を提示することが、石山系をはじめとする日蓮系新宗教のカルト問題の解決の糸口となるのでしょうね。

489栴檀:2006/02/10(金) 15:44:30
顕正居士 様

>日蓮各派の他宗誹謗はほとんど他宗教学の無知に由来します。

私はこれを実感いたします。
批判するのですが、ではその人が批判の対象をよく知っているかというと
知らないんです。

清水師の「浄土真宗は吾宗を知らず吾宗は浄土真宗を識らざりしなり」
ですが、私は他所でも書いたのですが大谷派の曽我量深師が唯一といっていいほど
あちらでは日蓮聖人に理解と共感を持っていたのではないでしょうか。
(いくばくかの誤解はあると思います)

490顕正居士:2006/02/10(金) 19:16:32
栴檀さん。
曽我量深師1875-1971は面白いことを言われています。
「さらに百尺竿頭一歩を進めて、日蓮は彼自らをもって本仏とし教主世尊をもって迹仏とせり。
なんたる大宣言、なんたる大識見。『しかれば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を
備え給うと思いしに、さにては侯わず。返って仏に三徳を被らせ奉るは凡夫なり』」
『上行化現の日蓮』(丸山照雄編『近代日蓮論』朝日選書・昭和56年)
http://home.att.ne.jp/blue/houmon/shiryo/soga.htm

やはり真宗の方ですが、井上円了師1858-1919も日蓮宗に理解の深い方でした。
「独り真宗、日蓮宗に至ては日本開立の新宗なり其宗猶ほ三国の相承伝灯を説くと雖も之を
我邦に適用するに至ては哲学上千歳未曾有の真理を開顕し実際上日本特有の宗教を組織
せり是に於て支那特色の厭世的仏教は一変して世間的若くは国家的宗教となれり」
『日宗哲学序論』明治28年(近代デジタルライブラリー)
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049224&amp;VOL_NUM=00000&amp;KOMA=19&amp;ITYPE=0
今は細かい研究は発達していますが、明治時代には広大な識見を持った方がおられたと思う。

491顕正居士:2006/02/12(日) 06:56:25
日蓮は原理主義者であったか?

『危険な原理主義の台頭〜なぜ日蓮系と福音派が伸張しているのか』の筆者は
「この両者は、なぜこうも似通っているのか。それは、日蓮とルターが原理主義者であったと
いうことに尽きるだろう」と述べておられます。では日蓮の神秘体験は二度生れ型*だったか。
*二度生れ型-W・ジェイムズが『宗教経験の諸相 』で述べた類型。やさしくいえば、天国体験
に対する地獄体験。以下のサイトがいう神秘体験B型。
「宗教戦争の開始」
http://www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site7/luther8.htm
日蓮の遺文を読むと、無間地獄に落ちることを避けるために、法華経以外の教えに心を移して
はいけない、という表現は多い。しかし日蓮の神秘体験はむしろ忍難弘教の歓喜体験である。
天国型でも地獄型でもなく、闘士型、革命家型というような、より一般的なものであるとみえる。
ルターが置かれたような政治状況が国内にあったわけでもない。
昭和戦前期に充洽園教学に対して浅井要鱗師の原理主義的文献学の提唱があって、日蓮像
は今日ますます原理主義者のイメージが増している。
しかし『如説修行抄』などを後世成立の文献とし、『諸法実相抄』などを真書湮滅の文献と想像
することも可能である。勝呂信静師のような非宗学者の立場からの意見も参考にすべきである。
日蓮は原理主義者ではなく、本覚主義者であったという理解のほうが長い歴史があるのだから。

492栴檀:2006/02/13(月) 11:45:59
顕正居士 様

曽我師の『上行化現の日蓮』は私も読んだことがあります。
師の書いたものの中で一番文章がいいと(確か安田理深師だったか)絶賛する方もおられますね。
私も大変好きな文章です。
井上円了師の日蓮聖人理解についてははじめて知りました。
そういえば師の墓所はなぜか日蓮宗寺院(池上末)にありますね。
明治人の識見、本当にそうでありますね。

493れん:2006/02/16(木) 19:26:00
顕正居士さん
491
>日蓮の神秘体験はむしろ忍難弘教の歓喜体験…天国型でも地獄型でもなく闘士型・革命家型というようなより一般的なもの…
私もそのように思います。文永八年の弾圧までの日蓮の宗教活動は天台復興運動が内実とでもいうべきものでしたが、文永八年の一門弾圧と日蓮自身の佐渡流罪は、日蓮の法華経色読の自負と不軽自覚をもたらし、天台学を基礎にしつつも独自の宗教思想の形成をもたらしました。その点からいえば日蓮のそれはまさに忍難弘教の歓喜体験であり、ご指摘の通り天国型でも地獄型でもなく闘士型・革命家型というようなより一般的なものと言えそうですね。
>しかし『如説修行抄』などを後世成立の文献とし『諸法実相抄』などを真書〇滅の文献と想像することも可能
如説修行抄は日尊本と称する写本が石山末富久成寺に現存しますが、本当に日尊の写本かは疑わしいでしょう。他に信頼できる尊師の書跡が無い以上、富久成寺本を日尊真蹟と断ずるのは危険と思います。尊門は祖滅六十年頃には法華本門宗要抄を偽作してますから、これも、尊門成立の文献と見ることも可能であろうと存じます。諸法実相抄については研さんが行き届いてないので何とも言えませんが、身延山三世日進師の立正観抄写本に最蓮房云々と見え、蓮師門弟に確かにその人物がいたと考えるのが至当と思われますので、最蓮房関係の祖書と言われるものすべてを排除するのは不可で、むしろ、如説修行抄よりかは諸法実相抄の方が日蓮遺文である可能性が高いと存じますので、仰る通りの想像は可能と思います。
>日蓮は原理主義者ではなく、本覚主義者であったという理解のほうが長い歴史がある…
日蓮のそれは、四信五品抄にある「現在四信之初一念信解与滅後五品第一初随喜、此二處一同百界千如一念三千寶篋、十方三世諸仏出門也…制止檀戒等五度一向令称南無妙法蓮華経、為一念信解初随喜の気分也。是則此経本意也…」の文を参照するに、一乗(法華本門)の仏因を修行して一乗の仏果を確信するというような感じで、単なる本覚主義者とも若干異なる感じがします。それはまさに日蓮の忍難弘教の歓喜体験のなせるわざと言えるのかも知れません。

494彰往考来(しょうおうこうらい):2006/02/17(金) 12:33:34

れんさん

>尊門は祖滅六十年頃には法華本門宗要抄を偽作

このあたりをもう少し詳しくお教え願えませんか? 尊門が法華本門宗要抄を偽作したと記載されている文献はどれなのでしょうか?

彰往考来

495れん:2006/02/17(金) 16:53:25
彰徃考来さん
法華本門宗要抄について、西山本門寺開山の日代師は「法華宗要集事〈聖人御作云々、自下野国出之〉/於文句者、雖為当家助成、一向非聖作疑書也、定後学可迷惑歟、日代門徒不足許用、仍記之/延文五年六月晦日 日代(花押))」と述べており、本書を偽作と断定しております。祖滅78年にはこの書が現われているのは注意すべき点です(祖滅50年頃云々は記憶違いでした)。さて、代師の上記書に「下野国出之」とありますが、三宝寺本録外御書写本の法華本門宗要抄写本奥書に「抑此御書者真間花蔵坊小浜長源寺日源於下野国〈富士門流石田法華堂〉以御自筆正本書写之。日源示日中如斯」とあり、その石田法華堂が日尊門流寺院であったことは、日辰師の「祖師伝」日尊伝に「又同国〈下野国〉有里名石田。師(日尊)於石田立寺」とあり、石田法華堂は現在は不明なるも、室町末期まではその存在は確認でき、かつ日尊開山の寺院であったことが了解されます。よって代師が言う下野国とは、具体的には上記資料により日尊師開山の石田法華堂に比定でき、かつ、その石田法華堂に疑(偽)書である“法華本門宗要抄”の蓮師“御自筆正本”なるものが存在していたことを考えますと、法華本門宗要抄の作成は、関東日尊門流によるものと考えざるをえないものであり、よって私は先の投稿において、法華本門宗要抄は尊門による偽作と記しました次第です。そのものズバリという文献はありませんが、法華本門宗要抄の周辺の文献を調べますと、以上の結論が得られたのです。右、ご参考まで。

496れん:2006/02/17(金) 17:04:40
495の訂正

誤 祖滅50年頃
正 祖滅六十年頃

497犀角独歩:2006/02/20(月) 01:16:58

オフ会スレ662のれんさんの応答として、こちらに移動します。

> 開目抄は蓮師の「忍難弘教の歓喜体験」の論理的裏付け

なるほど、このようなとらえ方はできますか。
今回の小松師講義の聴講は通じて、まだ2回ですが、わたしなりに既にいくつもの発見がありました。五重相対への疑義はブログでも書きましたが、この『開目抄』は仰るような側面と共に、佐渡流罪已前の日蓮が、どのような行動を採っていたのか垣間見られるようにも思えました。

文中展開される折伏論から、やはり、日蓮は武装し、かつ念仏者刎頭の主張をしていたのだろうと推測します。また、現世安穏という経文に違う自身の境遇を積極的に再理論化する試みが、同抄に見られるのだろうと思います。

わたしが着目するのは‘顕密相対’で、純天台的方向性は、真言化した(と日蓮が見る)比叡山からの決別を意味し、また、従来分析される純天台思考とは、しかし、一念三千を旗頭にする妙楽色の強いものである点で、妙楽の天台釈を純天台ととらえるところに日蓮の教学的な特質がある点を注視しています。

また、開目抄に限らず、編年で時系列に読み進めると、日蓮が標榜する法華菩薩は、変遷があり、初期では権教の菩薩を簡んで法華菩薩を言い、佐渡流罪前後より不軽菩薩に対する視点が生じ、さて、では、四菩薩への視点と交錯していくわけですが、この諸菩薩への論究の様は、法華経説の順位に同じ、それを30年程の階梯で垣間見られることは興味深いと思いました。

ややブログでは書き落としましたが、『開目抄』における神仏観には、日本の国神(天照八幡)、また、不動・愛染への論究が全くないことは奇異に感じました。純天台的なアプローチを標榜したと目せる同抄はしかし、漫荼羅図示の始まりとも相前後するのにも拘わらず、この点では、まったく漫荼羅構成の理論化にシンクロしないのは注意を要します。この点を、勉強会で、小松師にわたしはお尋ねしたのですが、答えは‘開会’から考えるとのことでした。

実のところ、開目抄において、五重相対と言って、落ちてしまう顕密相対はしかし、たしかに漫荼羅図示においては開会摂取されるところであり、法華真言未分で『守護国家論』の如く、その後の、真言(律宗)への鋭利な批判とは別に、法華から開会される真言こそ、大曼荼羅図示の主要な意図を為していると考えられます。

この様な点の、正確な分析は、いまだ取り残された日蓮研究のテーマとして、今日的な意義を有すると思います。先にブログで紹介した小林是恭師の如き研究がさらに積み重ねられることを希望するものです。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50200478.html

21世紀の日蓮とは、宗派門派が背負ってきた過去のアナウンスの弁明、護教教学ではなく、冷徹、かつ合理的な分析眼から徹底解明を経ずしては、何ものも得るものはないと考えるところです。

その観点から、ここ一連の顕正居士さん、また、れんさん、ご論攷には敬意を表するものです。

498彰往考来(しょうおうこうらい):2006/02/20(月) 07:54:31

>495れんさん
>祖滅50年頃云々は記憶違いでした

法華本門宗要抄の成立については『日蓮聖人遺文辞典 歴史篇』(昭和60年、身延山久遠寺)の「法華本門宗要鈔」の項(1042頁)に宮崎英修氏が「一般に本書は日蓮滅後四、五十年ごろの成立と考えられている」と書いています。ただ日興上人の御遷化が正慶2(1333)年(聖滅後52年)ですから、それより古いとは考え難く日蓮滅後四、五十年ごろの成立というよりは60年ごろというのが妥当でしょう。延文5年(祖滅79年)に代師雑記が書かれていますので、「聖人滅後七十餘年の頃」(山川智応『日蓮聖人研究 第一巻』昭和4年、新潮社、94頁)という考えもあります。

>三宝寺本録外御書写本・・於下野国〈富士門流石田法華堂〉以御自筆正本書写之
>石田法華堂が日尊門流寺院であった・・日辰師の「祖師伝」日尊伝・・室町末期まではその存在は確認・・日尊開山の寺院・・下野国・・日尊師開山の石田法華堂に比定

御書システム コラム 2005.8.1.には渡辺師の「「法華本門宗要抄」を読み直す」という論文には、「「抑此の御書は真間華蔵坊小浜長源寺日源、下野国〈富士門流石田法華堂〉に於て御自筆の正本を以て之れを書写し奉る。日源日中に示す、斯の如し矣、此の本を以て之れを交し訖んぬ云云。」
 これによれば長源寺開基の安住院日源(1362〜1435)が、下野国にある日尊門流の石田法華堂において、『宗要抄』を書写し、青蓮坊日中(中山門流)に示したとある。因みに寺伝によれば、長源寺の建立は康暦二年(1380)である。」
とありますので、「法華本門宗要抄」の正本が尊師開基の石田法華堂にあったとするなら、れんさんの御指摘のとおり、法華本門宗要抄は尊門による偽作ということが濃厚となります。
但し、疑問点があります。『昭和定本 日蓮聖人遺文 第三巻』(昭和63年改訂増補版)の「法華本門宗要鈔」の注には、【寫】三寶寺本【刊】受715 (2150頁) とあり、御書システム コラムに「はじめ『宗要抄』は慶安2年(1649)の『他受用御書』に内容が大幅に省略されて収録・刊行された。その後の『縮刷遺文』『定本』『新定』などの御書集にも、その形が踏襲された」とあるように「昭和定本」の同鈔は録外の刊本『他受用御書』が底本と判断されます。そして『昭和定本 日蓮聖人遺文 第三巻』2168頁の同鈔の注に、「奥書『私曰 御正本富士西山有之矣(以下略)』と奥書に正本は西山に之ありかとしています。しかしながら、西山本門寺開山の日代師は延文5(1360)年の雑記で偽書とされているわけで、この奥書内容は不審といえます。山川智応師も板本「他受用御書」の「本門宗要抄」の奥書について、「御正本富士西山にありとは、西山に僞書説あるを知らずして、斯の如く記せるものか」(『日蓮聖人研究 第一巻』94頁)と指摘されています。代師も延文5年の雑記に「自下野國出之(下野国より之をだす)」とされていますので、やはり正本は下野国にあったと考えたほうがよさそうです。

499れん:2006/02/20(月) 22:13:36
>497 犀角独歩さん
専門的な視点からのご教示、誠に有難うございました。大いに勉強になりました。私の場合は素人考えの領域を出ないものですので、今後とも折りにふれてご教示の程お願いいたします。
>21世紀の日蓮とは宗派門派が背負ってきた過去のアナウンスの弁明・護教教学ではなく、冷徹かつ合理的な分析眼から徹底解明を経ずしては何ものも得るものはないと考えるところです…
私も全く同感です。今後とも“21世紀の日蓮”につきご教示戴ければ幸甚です。

498 彰徃考来さん
先行する諸資料からのご教示、誠に有難うございます。今後ともご教示の程、お願い申し上げます。
正本と称するものが、ご指摘の通り下野国にあったことから、代師の法華宗要集事の内容からして、法華本門宗要抄は、興師滅後比較的早い時期に、下野国にて成立したとみた方がよさそうに感じます。宗要抄には富士戒壇論も見えますし、正本の所在が大夫日尊師開山の石田法華堂と伝承されていたことから、やはり下野国の富士門流・しかも日尊門下がその成立に関わったとみるのが自然と思われますね。

500一字三礼:2006/02/26(日) 14:48:59
小松師は、2月17日のご遺文講義(開目抄)において、天台と日蓮の「一念三千」観の根本的な違いをご指摘されました。

天台大師の「一念三千」は、迹門方便品に拠るがゆえに始成正覚の仏である。

日蓮聖人の「一念三千」は、本門寿量品に拠るがゆえに久遠実成の仏である。

この日の講義後に、私は小松師に質問しました。

「同じ’一念三千’で、なぜ迹門方便品に拠る解釈と本門寿量品に拠る解釈とが成り立つのか」

私の質問の仕方が悪かったのか、理解力不足のせいか、先生のご回答がいまひとつ納得できませんでした。

天台大師の「一念三千」が迹門方便品に拠る始覚の仏であるならば、、その三世間の出典は迹門に拠らなければならないはずが、「摩訶止観」の該当箇所には三世間の出典元は示されていません。

「摩訶止観」が天台の思想を伝えているとは言えませんが、蓮祖のあつかう「一念三千」の論拠が「摩訶止観」なので、巻第五上「一觀心是不可思議境者。」から始まる「一念三千」の解説の中から三世間について調べてみますと、

「攬五陰通稱衆生。衆生不同。攬三途陰罪苦衆生。攬人天陰受樂衆生。攬無漏陰眞聖衆生。攬慈悲陰大士衆生。攬常住陰尊極衆生。大論云。衆生無上者佛是。」
(五陰を攬って通じて衆生と称するも、衆生同じからず。三途の陰を攬るは罪苦の衆生なり、人天の陰を攬るは受樂の衆生なり、無漏の陰を攬るは眞聖の衆生なり、慈悲の陰を攬るは大士の衆生なり、常住の陰を攬るは尊極の衆生なり。大論に云く、[衆生の無上なる者は佛是なり]と。

「常住の陰を攬るは尊極の衆生(佛)なり」と五陰世間から説かれる仏は常住仏です。

「十種所居通稱國土世間者。地獄依赤鐵住。畜生依地水空住。修羅依海畔海底住。人依地住。天依宮殿住。六度菩薩同人依地住。通教菩薩惑未盡同人天依住。斷惑盡者依方便土住。別圓菩薩惑未盡者。同人天方便等住。斷惑盡者依實報土住。如来依常寂光土住。」
(十種の所居を通じて国土世間と称するは、地獄は赤鉄に依って住し、畜生は地水空に依って住し、修羅は海畔海底に依って住し、人は地に依って住し、天は宮殿に依って住し、六度の菩薩は人に同じく地に依って住し、通教の菩薩の惑いまだ尽くさざるものは人天の依住に同じく、惑を断じ尽くせるものは方便土に依って住し、別圓の菩薩の惑いまだ尽くさざるものは人天方便等の住に同じく、惑を断じ尽くせるものは実報土に依って住し、如来は常寂光土に依って住すればなり。)

「如来は常寂光土に依って住すればなり。」と国土世間から説かれる仏も常寂光土に住するのですから、やはり常住仏です。


「摩訶止観」の記述にしたがえば五陰世間、国土世間ともに仏は常住仏で常寂光土に住することになるので、少なくとも天台大師の「一念三千」は迹門方便品に拠るとは言えません。また、「摩訶止観」では法華・涅槃を同等に扱うのが「常寂光土」(涅槃経に説かれる浄土であって法華経には出てこない)からも推測できます。

厳密には、涅槃経の常住仏も一品二半の寿量仏から見れば、なお始覚の仏ではあると考えるのかもしれませんが。

501れん:2006/02/26(日) 18:06:39
一字三礼さん、こんにちは。
小松師の日蓮遺文講義にご参加されたとのこと、松山師講義に引き続きのご参加の由にて、熱心なるご研学に心より敬服致します。
さて、天台と日蓮の一念三千についてですが、天台大師の本来の意味での一念三千論については、私自身の勉強不足で分かりませんが、日蓮の場合のそれは十章抄の「一念三千と申ス事は迹門にすらなを許されず、何ニ況ヤ爾前に分たえたる事なり。一念三千の出処は略開三之十如実相なれども、義分は本門に限る」とあり、一字三礼さんが現在聴講されている開目抄には多少やや具体的に「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説て爾前二種の失一ツを脱レたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず。二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波ノ上に浮ヘるににたり。…爾前迹門の十界の因果を打やぶて本門十界の因果をとき顕ハす。此レ即本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具シ、仏界も無始の九界に備リて、真ノ十界互具・百界千如・一念三千なるべし」とあります。日蓮の認識としては、天台のそれは、迹門方便品の十如実相・二乗作仏等を出処として立てられたが、天台のそれは久遠実成の本仏・本門寿量品の教主釈尊の本因本果の法門から開出されたものでないために、迹門立ち(始成正覚)の一念三千であり、日蓮のそれは、寿量品の久遠実成の釈尊の本因本果の法門に即して立てたものであるから、本門立ち(久遠実成)の一念三千である、日蓮の立場はその久遠実成の釈尊に即して立てた本門の一念三千を真(まこと)の一念三千とするといったものではないかと、素人考えしております。ご参考にならないとはぞんじますが、一応の試案として書いておきます。

502一字三礼:2006/02/26(日) 20:40:58

れんさん

レスありがとうございます。

> 日蓮の認識としては、天台のそれは、迹門方便品の十如実相・二乗作仏等を出処として立てられたが、〜中略〜日蓮の立場はその久遠実成の釈尊に即して立てた本門の一念三千を真(まこと)の一念三千とするといったものではないか

ご指摘の点、私もそのように考えておりました。
しかし、真蹟のご遺文に天台の一念三千が’迹門立ち’であるとの見解を示されているものがありましたでしょうか。私はれんさんと違い、本当に’不勉強’なものですから、見落としているのかもしれません。

れんさんの挙げてくださった「十章抄」「開目抄」でも天台の一念三千が迹門立ちであるとは書かれていないように思えるのですが、いかがでしょうか。

例えば、「開目抄」の有名な箇所ですが、

「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。」

’但我が天台智者のみこれをいだけり’が重要で、この文をそのまま読むと日蓮は、所謂’本門立ち’の一念三千は天台大師所具の法門であると理解していた事にはなりませんでしょうか。

つまり、日蓮の本門を中心とした一念三千の理解は、天台大師の一念三千理解と同じと考えておられたのではないでしょうか。


別件です。

3月の松山先生の講義の折、もしご入用でしたら、国訳大蔵経の「妙法蓮華経憂波提舎」のコピーを持参いたします。

先生が注目しているのはShddharma‐pundarikaとの比較で、妙法蓮華経の17の異名を述べる箇所であろうと思いますから、熟読の必要はないとは思いますが(妙法蓮華経憂波提舎自体、そこ以外はあまり読んでも意味がありませんし)。

503れん:2006/02/26(日) 21:36:37
一字三礼さん、返レス有難うございます。
一字三礼さんが、今御講義を受けられておられる開目抄からは、だいぶ先の身延期の日蓮の著述になりますが、弘安元年六月の治病抄に
「法華経に又二経あり。所謂迹門と本門となり。本迹の相違は水火天地の違目也例せば爾前と法華経の違目よりも猶相違あり…今本門と迹門とは教主すでに久始のかわりめ、百歳のをきなと一歳の幼子のごとし…本迹を混合すれば水火を弁ヘざる者也…」と日蓮は法華経本迹二門とその教主において本勝迹劣を思考していたことが述べられ、本抄末尾に
「一念三千ノ観法に二ツあり。一ニハ理、二ニハ事なり。天台・伝教等の御時には理也。今は事也。観念すでに勝る故ニ大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門ノ一念三千也。天地はるかに殊也こと也と、御臨終の御時は御心へ有るべく候」と、天台大師の一念三千を理・迹門の一念三千と規定し、日蓮自身の一念三千を事・本門の一念三千と規定しており、その勝劣を述べておりますから、日蓮には一念三千について事・本門と理・迹門に立てわけ、自らのそれを事・本門と規定していたことは理解出来ます。十章抄や開目抄の著述からは年代が下りますが、上記の真蹟遺文によるかぎり、多分、日蓮の中では、天台の一念三千を本門立ちのものとは恐らく考えてなかったのではないかと愚考します。
>別件…国訳大蔵経…妙法蓮華経憂波提舎のコピー…お心遣い誠に有難うございます。お手数をおかけいたしますが、何卒宜しくお願い申し上げます。

504顕正居士:2006/02/27(月) 10:39:22
三世間を掛けないと三千にはなりません。
「夫一心具十法界、一法界又具十法界、百法界。一界具三十種世間、百法界即具三千種
世間。此三千在一念心。若無心而已、介爾有心、即具三千」(止観)
開目抄の文底秘沈の文は同抄の「まことの一念三千」を指すのでしょう。
しかし百界千如でも十界の未来成仏がたしかです。「千二百羅漢 悉亦當作佛」、「佛子行道
巳 來世得作佛」。ですから百界千如を迹門の一念三千とも書いたのでしょう。
百界千如は衆生本具の仏性をいうので、あらかた一念三千ではあるが、成仏は未来となる、
最速でも一生成仏となるから、つまりこれは始覚門である。対してまことの一念三千は十界
本来の成仏、即身成仏をいうから、つまりこれは本覚門である。
天台智邈は大乗起信論は知らなかったので本覚、始覚の問題は妙楽湛然の十不二門の解釈
をめぐる山家、山外の論争になりました。四明知礼は一念三千の観は妄心観であるとして論争
を決着した。
「今開在纏一念染心。本具三千倶體倶用。與淨不殊故名不二」(今在纏一念の染心を開かば、
本より三千を具し倶體倶用なり。淨と殊ならざる故に不二と名づく」(十不二門指要鈔.)
日本天台は湛然の系統を受けて山家的、山外的、両方の思潮があったが、次第に性具思想
が高まった。日蓮思想もその一つですが、遺文の真偽問題もあり、四十五字法体段が仏界
縁起か妄心縁起かという昭和の論争がありました。

505パンナコッタ:2006/02/27(月) 13:45:18
横レス失礼します。

顕正居士さんのご指摘なさった真偽問題を考えると、開目抄は非常に悩ましいですね。
当然、本満寺日乾真蹟対象本がテキストとなるのでしょうが、
庵谷教授の講演において、「本満寺本が、御真蹟を完全な形で伝えているかどうかについては、なお、
検討の余地があると思います」 冠教授も「本満寺本は完全に信頼出来るとは言えない」 と指摘されており
大黒師の「信を置くには不十分な面もある」も引用されています。
 (現代宗教研究 第38 「日蓮聖人における摂受と折伏について」 庵谷行亨 より引用)

やはり曾存の開目抄を断定的に捉えていくのは難しいですね。
みなさんの精緻な御研鑽の成果を心待ちにしております。

506犀角独歩:2006/02/27(月) 14:07:42

> 500 一字三礼さん
> 天台大師の「一念三千」は迹門方便品に拠るとは言えません

同じ講義を聴講した一人として、記します。
天台が方便品に一念三千を立てるというのは、小松師の所説ではありません。これは日蓮の言です。すなわち、

「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失一つ脱れたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波上に浮べるにいたり」

実際、小松師の講義では、天台・日蓮の一念三千の相違を述べる段で、上記一文を示して、論じていました。

小松師の講義は、さらに上記の文の続きを字句通り、説明したものでした。

「本門にいたりて、始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぶ。爾前・迹門の十界の因果を打ちやぶて、本門十界の因果をとき顕す。此れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備わりて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」

講義の時、わたしはややこしくなると思いましたので、敢えて質問しましせんでしたが、そもそも天台・章安の段階で、一念三千という成句自体を見ません(坂本幸男師もこの点を指摘しています)その意味において、日蓮の言う一念三千は妙楽解釈に拠るわけですが、取りあえず、ややこしくなるので、この点も置きます。

その意味において、一字三礼さんが立てられた疑問というのは、小松師への疑問と言うより、日蓮の『摩訶止観』解釈に関する疑問、もっと具体的に言えば日蓮の一念三千観への疑問と言うことであろうと思います。

一字三礼さんの疑義の立て方はしかし、あの場で話し合ったと思いますが、わたしと共通の疑問に立脚していると思います。つまり、仏の三世間は寿量品で五百塵点成道における本因・本果・本国土(三妙合論)のこの本国土世間が明確にされない限り、肝心の仏界の三世間は成ぜず、つまりそうなれば、三千を成じないという計算に基づくのであろうと思います。

しかしながら、実際のところ、天台が三千を論じるのは「夫一心具十法界 一法界又具十法界百法界。一界具三十種世間 百法界即具三千種世間。此三千在一念心 若無心而已 介爾有心即具三千」ということであり、天台は特に三妙合論なくして、三千を不成は言っていないわけです。しかし、日蓮は上述の通り、「本門にいたりて…真の十界互具・百界千如・一念三千」というわけですから、たしかに天台と日蓮の一念三千観には相違があるといえると思います。

また、今回の講義を離れ『本尊抄』に拠れば、日蓮の百界千如と一念三千の区別を三妙合論をもって捌くというより、情・非情の相違、難信難解から草木成仏の観点を導入し、ここに末法の仏像を寿量仏と定めるという教学的な態度を示すわけです。

これは過去に議論したことですが、この‘本尊’とは、天台の教学には見られないものであり、たしか顕正居士さんがご指摘くださったことであると記憶しますが、そもそも、日蓮がいう‘本尊’とは、真言密教の延長にあるものです。ただ、日蓮は父母の像、儒家聖人(せいじん)像をも本尊というわけですが、いずれにしても、「本尊」語は天台の教学には全く見られないものですから、寿量本仏像を百界千如と一念三千の相違、難信難解、草木成仏から論じる日蓮の本尊観は天台とは、当然のこととして、相違したものであることも付言しておくべきかもしれません。

507一字三礼:2006/02/27(月) 20:35:50

れんさん

> 日蓮の中では、天台の一念三千を本門立ちのものとは恐らく考えてなかったのではないかと愚考します。

真筆遺文を挙げてのご教示ありがとうございます。

了解しました。天台を迹門立ちと考えるのは日蓮自身の考えだったのですね。

私の疑問点は、犀角独歩さんが記してくださっているように、「日蓮の『摩訶止観』解釈に関する疑問」でした。


犀角独歩さん

確かに私の疑義の挿み方は『開目抄』講義後の質問としては、完全に傍論でした。

> わたしと共通の疑問に立脚していると思います。〜中略〜三千を成じないという計算に基づくのであろうと思います。
> しかしながら、実際のところ、〜中略〜天台は特に三妙合論なくして、三千を不成は言っていないわけです。

犀角独歩さんの言われるとおりであろうと存じます。

天台は一念三千・三千観法をかならずしも経典に依らない、独自な理論で編み出したものであった、それを日蓮はその理論の根拠を法華経のみに求めたことによる矛盾でしょうか。

遅ればせながら、松山・小松両先生の講義を聴講する機会をくださった犀角独歩さんに心より感謝いたします。

508犀角独歩:2006/02/27(月) 23:55:04

一字三礼さん

> 疑義の挿み方…完全に傍論

いえ、ぜんぜん、問題ありません。よい質問であろうかと思います。
なにせ、島田師の「なんで、そんなに一念三千に拘るの?」という質問で、なかなか沸騰した議論になったりするわけですから、あそこでは、特にタブーはありません。
まあ、日蓮本仏論の押し売りで持論を枉げないなんてことをやれば、「はい、もう少し勉強して、出直しなさい」という話にはなるでしょうが。そんな愚を一字三礼さんがなさるわけはありませんから、安心して窺っていました。

パンナコッタさんが挙げられましたが、『開目抄』をどこまで、真跡としてみるのかというのは、たしかに「悩ましい」問題ですね。れんさんがなさったように、真跡から、曽存の相違を系統的に整理してみる必要はあるように思えます。しかし、今の時点では、わたしはこの点では落着していないので、『開目抄』は「常不軽」を除いては、『平成新修日蓮聖人遺文集』の通りで、暫定的に扱うことといたします。

富士門的な本迹観は勝劣義ですから、本門正意となりますが、一致義からすると、どうなるのでしょうか。けれど、「本迹雖殊不思議一」は、玄・文、記のお定まりの点ですから、一応は勝劣と見えても、不思議一と束ねることが常道と見えます。ただ、開目抄説では、この点は、あたかも久成開顕、三妙合論で真の一念三千と読め、となれば、まったくの本迹相対ではないかと思えます。しかし、ここを通過点とし、不思議一の課程と見ることもできるのかもしれません。

まあ、しかし、三妙合論で、本仏本国土で三千成就は、論としては美しいと思います。

509顕正居士:2006/02/28(火) 06:51:17
>>502 で一字三礼さんが文底秘沈の文を引いておっしゃったように、一念三千が二つある
わけではありません。三世間を掛けないと三千にはなりません。
「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかも
いまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」
竜樹世親は知っていたが寿量品の文の底からひろいださなかった、すなわち説かなかった。
天台智邈のみ、その一念三千の宝珠を取り出したのであると。
一念三千について本尊抄のはじめに明晰に説明されています。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049185&amp;VOL_NUM=00000&amp;KOMA=480&amp;ITYPE=0
玄文には一念三千の名目はない。止観の四までにもない。智者大師は三十年の弘法、しかし
二十九年は五時八教と百界千如を説かれるのみであった。止観の五ではじめて一念三千の
名目が現われたのである。これこそ天台智者の終窮究竟の極説、説己心中所行法門であると。
そして >>506 で犀角独歩さんがおっしゃった湛然の無情有性の話題に進みます。百界千如
と一念三千の相違とは、百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亙ることであると。
開目抄に百界千如を迹門の一念三千といっておりますが、それは >>504 でわたしが述べた
意味あいであって、一念三千に二つあるのではありません。一念三千は天台智邈の終窮究竟
の極説、説己心中所行法門です。
れんさんが >>503  で引かれた「一念三千ノ観法に二ツあり。一ニハ理、二ニハ事なり。…」は
「天台・伝教等の『御時』」というように時の相違である、「彼は迹門の一念三千」は開目抄の
用例でわかるように百界千如です、「此は本門ノ一念三千」は智邈の終窮究竟の教説が世に
本格的にあらわれる時の意味です。
智邈、湛然、最澄、日蓮に一念三千の理解の相違が当然、あるでしょう。しかし日蓮の主観
においては一念三千の教説は智邈が寿量品の文の底からひろいだしたのであり、正統天台
の後継者と自負するゆえんです。また止観五の文、湛然の注釈、知礼の論争決着からいって、
決して日蓮の主観にのみとどまるものではありません。

510顕正居士:2006/02/28(火) 10:48:16
一念三千が二つないことは本尊抄に明晰であり、開目抄にいう迹門の一念三千が百界千如
であることも明白です。なぜ迹門の一念三千というのかを考えると、通途に迹門・諸法実相、
本門・久遠実成というのを、一念三千に統合したいからである。日蓮は諸法実相とそれほど
いわない、二乗作仏という、そして久成の釈尊という。それがある時期から一念三千に統合
されて来る。二乗作仏も久成釈尊も十界互具をいいたいのである。日蓮の思想の中心は
宗教的には久成釈尊だが、哲学的には十界互具、一念三千である。だから百界千如を迹門
の一念三千というのである。百界千如であることははっきりと説明されています。

ところが二つの一念三千があるという説の諸師がおられる。たとえば日輝師であります。
「第五理事者。初略説。二広説。初者理者。所謂台家理性具足一念三千也。事者。所謂
当家事相常住一念三千也。…」(一念三千論)
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049028&amp;VOL_NUM=00001&amp;KOMA=26&amp;ITYPE=0

師のいう台家理具の一念三千とは百界千如のことではない。二つの一念三千があるという
のである。師によると、台家の一念三千は生仏の理同をいうのみである。唯心の範囲である。
したがって当家の事一念三千観というものがある。唱題のことではない。観法である。それは
おいて、湛然、知礼の教説をまったく無視し、本尊抄も無視した奇怪な説であります。

511顕正居士:2006/02/28(火) 12:05:44
ところで二つの一念三千について日寛師の説をみると、

「諸抄の中に二文あり。一には迹本倶に一念三千と名づけ、二には迹は百界千如と名づけ、
本を一念三千と名づく」
「迹門は未だ国土世間を明かさざる故に百界千如に限るなり、而るに迹門方便品に一念三千
を説くと云えることは正に必ず依あり、故に与えて爾云うなり。若し奪って之れを論ぜば迹門
は但之れ百界千如なり」
と明晰です。一念三千は「義分は本門に限る」のです。

この後は独特の説になります。一念三千は「義分は本門に限る」。しかし本尊抄に「百界千如、
一念三千其の義を尽くせり。但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字…」、『但論理具』
という。ゆえに「彼は迹門の一念三千」(富木入道殿御返事)とは「面裏の迹本倶に迹門と
名づくるなり」、「是れは本門の一念三千」とは文底独一本門を指すのであると。
「一念三千の観法に二つあり」とは一個の一念三千の教義について二種類の観法があると
いうことで、決して一念三千が二つある意味にはならない。ただし日寛師の説は文底本門を
いっても、一念三千が幾つもあるということでは必ずしもない。事の一念三千といえば、理の
一念三千と二つあるように思えるが、一念三千の事観というのと同じと考えれば、一念三千
自体は一つであるから。
http://nakanihon.net/nb/rokkann1.html

512犀角独歩:2006/02/28(火) 18:44:35

顕正居士さんには、適切なご教示をいただきまして、誠に有り難うございます。

一字三礼さん、また、わたしが挙げた小松邦彰師の『開目抄』講義のご発言に就き、ややロムの方には、わかりづらいのではないかと思い、少し記します。

小松師は顕正居士さんが仰る二つの一念三千ということを仰っているわけではなく、一念三千の立て方が天台と日蓮では違うということを指摘されたわけです。

この点は、わたしのブログでも触れましたが、天台は方便品で、日蓮は寿量品で立てることで相違があるという意味です。ここで、わたしが「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて」の文を挙げたために、やや誤解を招くことになったかと案じました。

『摩訶止観』5における三千、というより三世間といったほうがよいかもしれませんが、わたし個人の読後感として、ここでは特に寿量顕本における本国土を不可欠の要素とはしていないわけです。

「十種所居通稱國土世間者。地獄依赤鐵住。畜生依地水空住。修羅依海畔海底住。人依地住。天依宮殿住。六度菩薩同人依地住。通教菩薩惑未盡同人天依住。斷惑盡者依方便土住。別圓菩薩惑未盡者。同人天方便等住。斷惑盡者依實報土住。如來依常寂光土住。仁王經云。三賢十聖住果報。唯佛一人居淨土。土土不同故名國土世間也。此三十種世間悉從心造。」

というのが、この原典です。一読すればわかるとおり、「如来は常寂光土に依って住す…唯仏一人浄土に居す」ですから、ここでいう如来・仏は、特に寿量本仏に限ることではないわけです。つまり、ここでは諸法実相の文より事起こり三千を立てたと読むことはできます。

ところが、日蓮の場合、当然、この『摩訶止観』によるわけですが、しかし、一歩立ち入って、本仏の本国土を嘆じて、真の一念三千とする相違があるように思えます。小松師は、この点を述べたであろうと、わたしは考えます。つまり、三世間を「寿量本仏依本国土」というのではないのかというのが、一字三礼さんとわたしの共通の認識であったことは先に述べました。しかし、もちろん、これは、一念三千が二つあるというのではなく、迹門立て:本門立て=天台:日蓮という小松師の講義を基にしたうえでのことです。

本国土妙は、先んずる『法華玄義』に説かれるわけで、その意味から、三千で言う仏を寿量本仏と見なすことは当然できるわけですが、ここで本国土妙を言うに「迹本雖殊不思議一也」ですから、ここで、日蓮が言うような迹門方便品は百界千如、本門寿量品で一念三千ということができるのか、わたしは、やや、疑問が残ります。

しかし、日蓮は、天台を墨守すると言うより、末法適宜に読み直し、妙法五字に一念三千宝珠を裏むという訳ですから、このような相違があることに、それこそ不思議はありません。

小松師の講義を‘サカナ’に議論して、勢い、師が言っていないことを師の言としては、申し訳ないので、やや補足させていただきました。

513顕正居士:2006/03/04(土) 01:39:56
台当異目

台家は迹面本裏、当家は本面迹裏。これは皆が云う。台家は理具一念三千、当家は事造
一念三千。これもかなり云う。台当異目は京都布教後に特に必要に迫られた。さらに一致
勝劣の論が起こる。そういう際の台家とは何を指すのか。室町時代の叡山、三井か。最澄
か。智邈の原始天台か。さっぱり判らない。実には日蓮家脳内の台家である。一大円教、
一大円仏の日本天台は本面迹裏じゃないか。台家は理具、当家は事造とは、智邈、湛然、
知礼の性具を否定して、華厳家に与するのか。日蓮宗学は日蓮宗の外に出たら全然通用
しない脳内宗学である。そういう問題意識で書かれた本は少ない。浅井円道師の上古天台
本門思想史くらいではないだろうか?本門思想なるものは日本天台のものであるから興門
の百六箇抄などは文底独一の本門をいう。それも日本天台の思想である。四重興廃という
時判がすでにある。台家の教義を取って来て、日蓮がいう、盗みいれて、台当異目を立てる
歴史はまさに脳内宗学である。

514iひきこもり:2006/03/04(土) 01:58:57
結局、科学的証明が無ければ、聖書も法華経も空論ですよ。体験的科学現象を、カルトなどと
排他している現状ではではだめです。

日蓮教学が本当ならば、関係者は医学理学に取り組んでいるんじゃないですか?

515今川元真:2006/03/04(土) 11:52:54
日蓮聖人の教導は鎌倉時代の方法。律は全て履行できない。禅は此岸と彼岸を行ったり来たり。念仏はあの世を目指すのは現実逃避に成らないか。真言は多量のエネルギーを消耗する。法華は何時成仏できるか解らない。

516一字三礼:2006/03/05(日) 22:51:30

教理的には、日本天台も「本面迹裏」であるというご教示ありがとうございます。

しかし、実際の日本天台宗としての展開をみるときには本当に「本面迹裏」だったのか疑問が湧きます。

たとえば、根本中堂もしくは一乗止観院と言ったところで、その本尊は薬師如来と伝わります。
最澄の悲願であった戒壇院でも授戒師として、釈尊と脇侍に文殊と弥勒の三尊像(おそらく、これに対する本門戒壇院で日蓮は久遠釈尊と本化四菩薩を定めたのでしょう)。
また、これも最澄の時代に整則されたわけではありませんが、天台の四種三昧の本尊も爾前の仏ばかりです。

日本天台では思想としては「本面迹裏」であったとしても、本尊・行体では爾前迹門立ちだったのは何故でしょうか。

517顕正居士:2006/03/06(月) 04:04:28
>>516 一字三礼さん。
日蓮の本門思想を釈尊一仏や本化四大士への儀礼の統一と考えれば、そのようにも見える
でしょう。しかし単なる儀礼の統一ということほど、法華思想や本門思想に反するものはない。
迹門ならともかく、六或示顕の本門で仏菩薩を選択 せんじゃく するのは変であります。

「但だ法華の一分のみを執して法華の全分を謗し、又法華教未開隱密の一分の功徳のみに
憑りて法華教已開全分の功徳を降す。夫れ於一佛乘とは根本の法華教なり、分別説三とは
隱密の法華教なり、唯一佛乘とは顯説の法華教なり。妙法華の外に更に一句の經なく、
唯一乘の外に更に餘乘等なし。機に隨って千名あり、根に隨って淺深あり。諸の有智の者
善く思念せよ。一代經教の優劣を執すること莫れ」(最澄・守護國界章)

日蓮の新宗教批判は「法華教未開隱密の一分の功徳のみに憑りて法華教已開全分の功徳
を降す」にあったはず。一尊四士が日蓮宗の正本尊であるべきだという近代宗学者の主張は
キリスト教を最高宗教と暗黙に前提する西洋宗教学の影響下にあるとおもう。一尊四士には
妙法五字はないのですから。
ただし >>513 は儀礼のことを述べたのではなく、日蓮宗学は日蓮宗の教義に深遠な意義
ありとする立場であるから、日蓮の本門思想に哲学上の重要な発明があると主張する傾向
にある。その辺の主張(台当異目)がぜんぜん成り立たないということをいいました。つまり
日蓮自身の思想を理解する際には、台当異目という後世の発想はしないほうがよい、日蓮の
主観ではそういう区別をしていない、時の相違をいうのみである、ということです。

518今川元真:2006/03/06(月) 07:05:27
横レス失礼します。◆一尊四士では無い法華漫陀羅を掲げさせた意味は通りますね。漫陀羅正意論からすれば。◆法華理論を発明したのでは無くて立証したと言う意味でしょうか。思想哲学の醸成は信学行を通した法華経の行者に成ってからの生き方に表れるはずですから。

519れん:2006/03/06(月) 08:00:50
顕正居士さん
>517
日蓮自身の思想を理解する際には台当異目という後世の発想はしない方がよい…たしかにそのようにも考えられますね。
日蓮真蹟“下方他方舊住菩薩事”に
「龍樹・天親・南岳・天台・傳教等不弘通本門事
一ハ不付属故、二ニハ時不来故、三ニハ迹化他方故、四ニハ機未堪故、龍樹談宣迹門意、天親約文釈之、不明化導始終。天台大師弘通本迹始終。但本門三学未分明歟」
とあります。
また、日蓮在世の日蓮門弟は、日蓮晩年の弘安初頭には
一、岩本実相寺における豊前房と尾張阿闍梨
二、四十九院における日興等と寺務厳誉及び大衆
三、富木常忍と了性房・思念房
四、滝泉寺における日秀日弁等と院主代行智
と天台僧と四件の論争を行っており、近代宗学の如き台当異目は後世のものであっても、うがった見方をすろば初期富士門にみられるような台当違目の主張の根はすでに、日蓮在世の門弟の間に兆していたとみることも可能かと思います。

520顕正居士:2006/03/09(木) 05:12:14
>>519
れんさんがあげられた一の議論では「執実謗権」の批判に対し、それは華厳一乗や真言一乗
のことだという。日蓮は執実謗権を批判しているのだから、自らはその失に当たらないという
論理である。これは天台の教義からはずれていないという弁明だが、三の議論では「日蓮が
法門は第三の法門也」といって、このことは先師が十分に詳しくしはしていないと述べる。
末法の始めは久遠下種を忘れた人々が本機であるというのは日蓮の独創で、いわゆる本化
別頭の法門である。しかし三益の教義は教相のことで、聖道門は浄土宗、真宗のように教相
だけでやっていくことはできない。日蓮自身、「教相の本尊抄」ではなく、「観心の本尊抄」と
題したのだから、かならず哲学的解釈においても本化別頭の何ものかがなければならない。
しかし後世、その別頭の教義の内容と称するものは日本天台、四明天台か、あるいは華厳、
真言から輸入したものである。それが日蓮宗学の悩ましいところであるが、では全く、第三の
教相の観心釈が発明されなかったのかといえば、そうではない。それはあまりにもおおきな
思潮であったために意識にあがり難かった。日蓮宗に限ったことではなく、中国と日本の仏教
を一貫する流行であり、仏教の厭世思想と輪廻思想を克服しようとする思潮である。わが国
ではそれは本迹論として盛り上がった。「迹高本下」とは原始天台からある概念だが、この
迹高本下の成道こそ日本仏教のオリジナリティで、偽経の頌、切紙、和歌、絶句などの形式
で伝授された。維新後は自由言論の社会になって、神本仏迹、反本地垂迹などの概念化が
なされた。仏教内部からする仏教克服、それこそ中日仏教を一貫する思潮であって、日蓮宗
の悩ましい宗学は、比較的にその大波の中心にあるから、日蓮宗学を考察することの意義は
そこにある。

521文殊:2006/03/11(土) 00:49:21
台当異目の考察に際しては、最新の天台学研究の摂取が日蓮宗学系に求め
られるでしょう。浄土系から優れた論文が出ています。「例えば、「無明
即明」「煩悩即菩提」などの矛盾する概念の相即ということは、我々の心
の落ち着きを失わさせる精神的な緊張を伴い、我々をして無理やりに現実に
突き出さしめる。そこには自分とは別に立てられて対象化された無明や煩悩
はない。即にはこのような矛盾によって心に揺さぶりをかけ、固定化を破り、
緊張した今に突き出す働きがある」(柏倉明裕「天台教学による即義」印哲
52・1)

522高木:2006/03/11(土) 13:42:35
顕正居士さん
はじめまして
>では全く、第三の教相の観心釈が発明されなかったのかといえば、そうではない。それはあまりにもおおきな思潮であったために意識にあがり難かった。…仏教の厭世思想と輪廻思想を克服しようとする思潮である。わが国ではそれは本迹論として盛り上がった。…迹高本下の成道こそ日本仏教のオリジナリティで、…仏教内部からする仏教克服、それこそ中日仏教を一貫する思潮であって…

日蓮の第三の法門とは、どのようなものなのでしょうか。

523顕正居士:2006/03/12(日) 01:02:52
第三の法門とは三種教相

「教相為三一、根性融不融相、二、化道始終不始終相、三、師弟遠近不遠近相」(玄義巻1)

の第三師弟遠近不遠近相のことです。

「昔所未聞法、今皆當得聞」(法華経從地涌出品)

524れん:2006/03/12(日) 02:33:36
顕正居士さん
返レス大変遅くなり失礼致しました。
>520
ご教示有難うございます。
>仏教内部からする仏教克服…中日仏教を一貫する思潮…比較的その大波の中心にある…日蓮宗学を考察することの意義はそこにある
ご指摘参考になりました。ありがとうございます。

525高木:2006/03/12(日) 10:34:04
顕正居士さん
>では全く、第三の教相の観心釈が発明されなかったのかといえば、そうではない。それはあまりにもおおきな思潮であったために意識にあがり難かった。…仏教の厭世思想と輪廻思想を克服しようとする思潮である。わが国ではそれは本迹論として盛り上がった。…迹高本下の成道こそ日本仏教のオリジナリティで、…仏教内部からする仏教克服、それこそ中日仏教を一貫する思潮であって…
このことについて、もう少し説明してもらえないでしょうか。

526高木:2006/03/12(日) 10:44:02
>第三の教相の観心釈が発明…はあまりにもおおきな思潮であった……仏教の厭世思想と輪廻思想を克服しようとする思潮…
仏教の厭世・輪廻思想の克服とは、どのようなことでしょうか?
>迹高本下の成道こそ日本仏教のオリジナリティで、…仏教内部からする仏教克服、それこそ中日仏教を一貫する思潮…
迹高本下の成道が、仏教克服…インド仏教でなく、中国・日本仏教の思潮ということについて、教えてください。

527顕正居士:2006/03/13(月) 01:04:45
「夫レ聖人応ヲ垂ルルニ本迹ノ殊ナリ無キニアラズ。或ハ金粟法身ヲ示シ。或ハ補處ノ像ヲ
現ズ。経説縁ニ随フテ高下測リ難シ。是ヲ以テ今須ク本迹ヲ辨ズベキ也」(維摩経玄疏4)
「今体用権実ニ約シテ本迹ヲ明サバ。応ニ須ク四句ニ分別スベシ。一ニ本迹倶ニ下シ。二ニ
本ハ下ク迹ハ高シ。三ニ本ハ高ク迹ハ下シ。四ニ本迹倶ニ高シ」(同)

「第一ノ御子天照太神此國ノ主ト成テ、伊勢國御裳濯川ノ邊、神瀬下津岩根ニ跡ヲ垂レ給フ。
或時ハ垂迹ノ佛ト成テ、番々出世ノ化儀ヲ調ヘ、或時ハ本地ノ神ニ歸テ、塵々刹土ノ利生ヲ
ナシ給フ。是則迹高本下ノ成道也」(太平記)

「釈迦と申すは天照太神西天に釈迦と顕はれ諸仏の本誓妙法蓮華経を説き一切衆生悉く
是れ吾が子なりと宣ふ」(本尊三度相伝)

「十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名本地垂迹の利益広大なり」(産湯相承)

天照大神本・釈迦迹、日蓮本・釈迦迹は迹高本下です。本覚門では九界本・仏界迹である。
日本では室町時代に仏教の「非神話化」が完成した。「日本思想史上のクライ マックス」
(島地大等)と称し得ます。

528文殊:2006/03/14(火) 00:48:10
本迹高下の四句分別論、天台大師の本迹仏身論が日本に至り本地垂迹説として
展開。それに『起信論』受容の教学的展開が見逃せないでしょう。知礼の『起
信論』理解が六即・仏身について始本不二義を高調したのに対し、日本天台は
始覚より本覚を重視していった。最澄の三一権実の優劣論、安然の真如の当体
即諸法、諸法の当体即真如という当体論、『三十四箇事書』に見る本迹の優劣
論。

529顕正居士:2006/03/14(火) 18:15:46
「本覚の義は始覚に対して説く。始覚は即ち本覚に同ずるを以てなり」(釈摩訶衍論)
始覚の智が生じる以前に本覚の名無く、始覚の内容が本覚であるから、始本不二である。
これが普通の考えであるから、日本天台の本門とは本迹未分、唯本無作の本門である。
「唯本無作の重と云は機法未分、生仏一如にして諸仏の出世をも論ぜず、本地不思議の地体
にて、さてはつる処を本有無作の三身とは云也」(文句略大綱私見聞)
つまり本覚とは不覚のことである。
「無作の仏と云は何者ぞ。只実迷の凡夫也。始て発心し初て修行を立て、迷を翻して得悟する
に非ず。只我等衆生、無始輪廻の間、本来常住の本仏也。是を覚前の実仏とは云也」(同)
ここに至って仏教は完全に非神話化され、僧形の儒者、惺窩 、羅山の時代へと変遷します。

530文殊:2006/03/15(水) 22:20:34
法華経にいたって、三乗の教えを開いて一仏乗の教えを顕わし、上中下根すべて
に成仏の記別を与えた(根性の融)
しかも化城喩品においては、釈尊の化導は今世だけにとどまらず、三千塵点劫以
来の化導であることが明かされた(化導の始終)
さらに本門寿量品にいたって、三千塵点劫のその昔、本地難思の五百塵点劫の
久遠の成道以来、釈尊と一切衆生とは師弟の関係にあることが明かされた(師弟
の遠近)
ところが堅樹院日寛師は三種教相を権実相対・本迹相対・種脱相対に変奏します。
「妙楽云前之両意者約迹門後之一意者約本門是也、更加種脱相対一種以為第三故云
日蓮法門也」(「三重秘伝抄」)寛師はここぞの時に妙楽大師を効果的に援用する
傾向があります。当掲示板で論議の戒壇本尊真偽も、寛師にかかれば、「夫本尊
者所縁境也境能発智智亦導行故境若不正則智行亦随不正、妙楽大師有謂仮使発心
不真実者縁於正境功徳猶多若非正境縦無偽妄亦不成種等云々、故須簡本尊以励
信行、若諸宗諸門本尊処々文散在」重須・保田・朗門等の真筆本尊を「処々文
散在」「熟脱本尊」と言い放つこの絶対的な自信は奈辺にあるのかと思います。

531高木:2006/03/18(土) 09:43:57
527顕正居士さん

本地垂迹説は、仏教側の論理ではないですかね。神仏習合から本地垂迹説という流れは日本に流入してきた仏教側が日本古来の神道を仏教内にとりこむということなんではないですかね。だから神道の方にすればかつてな解釈とはならないですか。どうなんでしょうか。

532犀角独歩[TRACKBACK]:2006/03/18(土) 10:00:29

> 531

横レス失礼します。
この点については、当掲示板では、結構、議論されてきました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1108117812/r92-r93

戦前の天皇本尊論を挙げるまでもなく、神本仏迹か・仏本神迹かは両方の立場があるわけでしょう。

533顕正居士:2006/03/18(土) 15:39:49
次の記事が本地垂迹説の歴史をよく要約しています。

本地垂迹説 
http://www.tabiken.com/history/doc/R/R103R200.HTM

反本地垂迹説も本尊三度相伝などに見られるように起源は仏教側からである。これを大成した
吉田神道には日蓮宗と関係した伝承があります。

法華神道
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/shukyou/hokke_shintou.html
吉田兼益授与之御本尊
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049307&amp;VOL_NUM=00002&amp;KOMA=18&amp;ITYPE=0

534犀角独歩:2006/03/18(土) 17:23:30

やや話題からは逸れるのかも知れませんが、石山義における垂迹説というのは、神仏の扱いに止まらず、仏・菩薩・人の関係で論じられるところに特徴があるのでしょう。

本地自受用報身如来、垂迹上行、最誕日蓮というのがそれです。
出て振り返ってみると、特異な様態であると映じます。

535顕正居士:2006/03/24(金) 19:15:04
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/l50
の538番から続きます。こちらがふさわしいですから。いわゆる五時の説について。

さて、したがって五時八教の中で応身仏の説は第二時の蔵教だけであります。そほかはみな
報身仏の説です。ただし天台家の三身説は世親説と開合の異があり、通途の応身を劣応身
といい、報身を勝応身といいます。それではこれはどうなるのか。
「阿含十二、方等八、二十二年般若談、法華涅槃共八年、華嚴最初三七日」(伝湛然五時頌)
天台学の入門書として諦観の『天台四教儀』が最も用いられましたが、智旭(藕益大師)は
『教観綱宗』を著し「通別五時」を論じ、「蓋シ一代ノ中、隨宜ニ聞ク者ニ即チ説ク耳」(法華玄義)
等の文を示し、「智者章安ノ明文此ノ若シ。今人絶テ寓マ目ニセズ。尚ホ自ラ阿含十二方等八
ノ妄説ヲ訛伝ス、害甚ダ大ナリト為ス」と批判しました。以後、『教観綱宗』は必読になりました。
参考 「法難と五時八教」 http://www.kosaiji.org/hokke/tendai/kyogi.htm

次に法華経の教主は劣応身ではないかの問題。たしかに見た目に劣応身ですが、天台家は
これを報身と判じます。「開顕の教主は従劣弁勝なるが故に、三十二相、相相尊特なり。なんぞ
報身にあらざるや。ここをもって宗の師、垢衣内身実是長者と判ぜり」(台宗二百題・法華教主)
法華経は阿含経の結構を借り、教主も見た目は応身であり、巧妙に会三帰一を表現しようと
したからこそ、第五時の説、摂末帰本の法輪、諸経の眼目とされた。つまり、歴史的仏陀の説
を毘盧遮那仏の単なる貧弱な投影とはせず、報応二仏の教説の一体性を重視した。日蓮家の
法華尊重の意図も同じであって、決して諸経から法華のみを「撰択」するのではありません。

536顕正居士:2006/03/29(水) 03:15:19
日蓮遺文の主な内容は教判と仏身論であるといってよい。そして特色がある。

1 教判 
「別の五時」の叙述が主である。日蓮は法華経の迹門の主題を「実相」、「十如」ではなく「二乗作仏」
という。「別の五時」は二乗の機についていう概念である。また「別の五時」におのおの年限があった
と述べる。ただし方等八、般若二十二を分けず、通じて三十年という。
真言三部経の摂属については唐決に二種ある中、方等部説を採用する。
2 仏身論
法華経の本門において法身のみならず報・応二身の顕本が説かれたと述べる。そして法身・大日、
報身・阿弥陀、応身・釈迦の三仏・三身を統一した「無始古仏」を「観心ノ本尊」とする。

智旭以後、『教観綱宗』は『四教儀』と並んで天台学の教科書になったが、彼は17世紀の人である。
日蓮の時代、わが国では天台教判は主に「別の五時」として人口に膾炙していた。『新古今和歌集』
その他の釈教歌によってこのことがわかる。天台教判の主な内容は化法四教であって、通別五時は
従である。証真が「部教ノ混乱」と評した傾向があった。
「無始古仏」と「本門教主釈尊」の関係はわからない。『本尊問答抄』では法を能生、仏を所生とする。
ただし法身に人格を認める密教の立場では会通できる。また日蓮は仏の間に「主従」の関係をいう。
これは顕教ではあり得ないが、密教ではあり得る。

日蓮のオリジナルな思想を「教判と仏身論」という主内容から論述した著はないのではないか。
日蓮の思想には両面がある。一つは内証。山門僧として法華経を密教から解釈し、「三大秘法」に
より、大元帝国の侵寇を退けようとした。一つは外用。「三大秘法」の実修のため、人口に膾炙した
「別の五時」を説いて人民を比叡山への信仰に誘引し、応身中心の顕本を説いて日本国を本国土と
認識させようとした。日蓮の教説はまったく「三大秘法」を当時に修しようとした以外にないのである。
これを忘却して彼の教説を普遍化しようとするから、無意味な議論を永久に輪廻し、カルト教団発生
の根源と化すのであろう。

537今川元真:2006/03/29(水) 06:27:30
比叡山=四宗兼学?

538パンナコッタ:2006/03/29(水) 12:37:00
>>537
「天台宗は、宗祖大師立教開宗の本義に基づいて、圓教、密教、禅法、戒法、念佛等いずれも法華一乗の敬意をもって融合し、
これを実疏する。」(天台宗宗憲第五条)
 http://www.shosha.or.jp/syukyou/syukyou.htm

539今川元真:2006/03/29(水) 18:46:02
パンナコッタさん、ありがとうございます。でも、URL見れない(泣)

540パンナコッタ:2006/03/29(水) 20:24:46
今川元真さん、
書寫山圓教寺のHPをググって下さい。 宗教的御案内→天台の教え です。

541顕正居士:2006/03/29(水) 21:42:59
圓教寺の「天台の教え」はよくまとまったコンパクトな日本天台史です。
ただし宗憲の引用、一部、字が間違っています。正しくは
「天台宗は、宗祖大師立教開宗の本義に基づいて、圓教、密教、禅法、戒法、念佛等
いずれも法華一乗の教意をもって融合し、これを実践する」です。

542文殊:2006/03/30(木) 00:17:29
「秘蔵の大事の義には方等般若は説時三十年・但し方等は前・般若は後と申すなり」
(「一代聖教大意」日目写本保田妙本寺)「秘蔵の大事の義」とは叡山法華の相伝か。
「其の外はいかに申し候とも御返事あるべからず」(「富城入道殿御返事」正本中山
法華経寺)この御文の真意とは。「予既に六十に及び候へば天台大師の御恩奉じ奉
らんと仕り候」(同書)は最晩年の蒙古帝国襲来時に見る真言家対破思想と中国
天台回帰の整合性は如何。顕正居士さんの会通は優れていますが、最晩年宗祖真蹟
遺文を拝すると理論的枠組は密教を借りるとも、思想的には中国天台回帰と思い
ますが。

543パンナコッタ:2006/03/30(木) 00:21:38
なるほど。
顕正居士さん、ご指摘ありがとうございました。

544犀角独歩:2006/03/30(木) 07:34:38

> 最晩年宗祖真蹟遺文…思想的には中国天台回帰

わたしは、これは違うと思います。
結局のところ、日蓮は南無妙法蓮華経の唱題、三大法門を最後の結論にしていくわけで、漫荼羅図示も最晩年にあれば、ここに日蓮の結論を見るべきであると思います。
このような態度は、中国天台にはあり得ません。

545今川元真:2006/03/30(木) 09:10:16
天台密教→法華一乗→四箇格言→唱題成仏→漫陀羅、三つの法門揃うならば広宣流布の暁?

546パンナコッタ:2006/03/30(木) 14:22:40
文殊さんの問いに対する、独歩さんの答のおまけ的なものとして、

 一代聖教大意は、
【本抄は『法華経』が釈尊の一代聖教の中で最勝なることを説いている。すなわち前半は教相面から天台の五時八教判によりそれを示す。
まず化法の四教たる蔵通別円について細説し、最後円教に爾前の円と法華涅槃の円があり、爾前の円は二乗不成仏なる故に真の円教にあらずとしている。
次に華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五時から、『無量義経』に「四十余年未顕真実」といわれた後に説かれた法華涅槃が爾前に勝れることを示す。
但し、本抄最末に「法然上人も一向念仏之行者ながら、選択と申す文には雑行難行道には法華経・大日経等をば除かれたる処もあり。」とあって、
『大日経』を『法華経』と同位に置く台密の五教教判に近い教判であったことをうかがわせる。次に後半においては観心門たる一念三千成道論から『法華経』の最勝を論ずる。
すなわち爾前経にも一往悪人・女人・二乗の成仏を説く経はあるが、それはあくまで歴劫修行改転の成仏にして、十界互具・当位即妙不改本位・一念三千の即身成仏にあらず、
『法華経』のみがそれを説く故に勝れるとしている。ここに注意すべきは「妙法を一念三千ということ如何。」との設問から、それを説明する段で、
中古天台文献に見られる「八舌之鑰口伝」が引用されていることである。これは五時を述べる中、方等・般若時の山門寺門の異説を挙げ、「秘蔵之大事之義には」と
自説を述べられていることも含め、この時期の宗祖の修学の範囲及び傾向を示すものである。最後に浄土教からの、『法華経』は難行にして末代凡夫適時の法にあらずとの難に対し
反論が加えられている。但し、その反論は後の「守護国家論」等に対すれば、与えて論ぜられた消極的なものである。
なお、同年に系けられる「四教略名目」は本書の下敷きとなるものと思われる】

【日目本には年次の記載がない。日朝本目録に「正嘉二年戊午」とあり、刊本録内には「正嘉二年二月十四日」とあり日奥目録がそれを踏襲、
境妙庵目録、日諦目録、日明目録はこれを踏襲する。浄土教への批判が「守護国家論」などに比べて消極的であるところ、この時期に比定される】

547パンナコッタ:2006/03/30(木) 14:23:13
 続き、
また、花押のみ蓮祖筆の「富城入道殿御返事」は、
【富城入道より閏七月以来重ねて書状が届けられたことに対する返状である。この時宗祖は宿のやせ病が、
門下に口述筆記をさせざるを得ないほどに悪化していたようである。富城入道の重ねての書状には、
蒙古軍は神風によって敗退したこと、京都ではそれを思円上人叡尊等の祈祷の効験であるとの評判であるが、
これらをいかに解すべきであろうか、との質問が記されていたようである。それにつき宗祖は、かの承久の乱の時、
京都の人々は、義時の軍勢が宇治川を渡る際に多く溺れたのを見て、真言祈祷の効験だとぬか喜びしたが、
まもなく攻勢をかけられ亡んだ如く、この度も蒙古軍がわずかに退いたくらいで祈りが成就したなどとうかれているのは、
とんだ見当違いであると述べられる。そしてそのようなものに対しては、蒙古の大王の首を取ったのかと反論し、
他は一切相手にしてはならないと厳命されている】
 さらに、
【最後に贈られた銭四貫文は、天台大師講に備えて房舎を一新するその作料として使わしていただくと、
その供養に感謝されて本状は結ばれている】
 (以上、御書システム解題より引用)

文意的に、上記の指摘で問題ないように思えます。

548今川元真:2006/03/30(木) 23:02:46
天台宗宗憲等書いてあるサイトあったはずなんだけど、出て来ない。歴史の粗筋みたいなものなら、幾つか出たのだけど。 [諸経の王から一念三千を説き明かした天台大師、三種法華を立てた伝教大師、法華一乗を宣揚した日蓮聖人]合掌

549顕正居士:2006/03/31(金) 01:07:48
智邈の時代には密教も華厳宗もなかった。湛然が華厳を摂取して天台を中興した。湛然教学の解釈を
めぐって山家山外の論争が起った。知礼は華厳の「性起」に対して「性具」を強調した。具之一字、弥ヨ
今宗を顕ス。日蓮の思想の中心は十界互具にあり、彼も「性具家」である。四明学と日蓮教学は相性が
よい。日蓮思想は華厳を摂取した湛然教学を継承して別に発達した日本天台から出て来た。対抗した
空海の東密も華厳を教理の基礎にしている。それで日本天台の思想は最初、唯心的であったが、鎌倉
以後は色心等分の方向に向かう。日蓮もその思潮の中にいる。中国では華厳宗、日本では東密と対抗
しながら智邈、湛然の思想が色心等分と解釈されるに至ったといえる。それぞれ別に相似た発達をした
のである。相似た発達をしたのであるが、日本では色心等分を超えて色本心末、本覚を超えて不覚の重
にまで至った。即事而真、一色一香無非中道、草木国土悉皆成仏。これは日本人のオリジナルな思想
(神道)の仏教的表現でもあった。そしてその特色は事相でしか表現できない。だから「三大秘法」なの
である。日蓮の両密批判はまったく教判のことである。両密の理論的根拠は天台智邈の一念三千だと
いうのである。相似た発達をしたが、中国天台は密教と関わらなかった。中国人のオリジナルな思想は
日本人と異なる。日本は密教、中国は禅浄一致である。

550文殊:2006/04/06(木) 13:34:17
パンナコッタさんご提示の興風談所は教相門に重きを置いた解釈
という印象を受けました。「一代聖教大意」にいう「秘蔵の大事」
は日蓮が本覚思想の濃厚な影響にあったことを示すのではないで
しょうか。「富城入道殿御返事」は蒙古襲来に「神風」が吹いて
退散したことが真言僧調伏の功に帰せられたことが、門下に動揺が
激震のように走っていた背景がある。そこで富木さんが代表して
質問した。しかし、師からは真正面からの回答がなかった。
「鎌倉時代の後期、元寇という未曾有の危機に直面したとき、
日本の支配層の人々は、不動明王に怨敵退散を祈願した。この
ときは、仏教寺院において五壇法がとりおこなわれたのはもと
より、天皇の命を受けた密教僧が伊勢神宮に参篭して敵国降伏
を祈ったり、京都と鎌倉の八幡宮で五壇法が修せられたりと、
異例の対策が講じられている。それほどまでに不動明王への
期待は大きかった」(正木晃『密教』講談社選書メチエ108頁)
後期遺文に見る真言批判は教判論に加えて、政治的に真言僧が
朝幕に重用され拡大していることに対する苛立ちがあったの
ではないかと考えます。

551文殊:2006/04/06(木) 13:55:19
顕正居士さんの独創的な法華経会通には学ぶものが多いですが、
中国禅の動向については敦煌文書出土により、一躍脚光を浴び
ることになった神会の思想を見ていく必要があります。神会の
晩年と湛然の青年期は重なっている。湛然は華厳とともに禅の
動向について注視していたはずです。中国禅については末木
文美士「禅の言語は思想を表現しうるか─公案禅の展開─」
(「思想」960号)。鎌倉禅が実は禅密を中心とする諸宗兼修
であったことを指摘した高柳さつき「日本禅の見直し─聖一
派を中心に─」(前掲誌)があります。

552パンナコッタ:2006/04/07(金) 13:03:28
文殊さん、どうも。
「秘蔵之大事之義ニハ」が、現代の我々が認識する本覚思想であったかどうかは、時系列を考えると
多少慎重にならざるを得ないと思えます。 
正嘉二年二月十四日の述とされていますが、前年に園城寺宗徒が戒壇建立の勅許が無いことに怒り、強訴。
朝廷は六波羅探題にその鎮圧を要請という大騒ぎがあり、二年四月十七日には延暦寺宗徒が園城寺戒壇勅許
に怒り強訴、五月一日に園城寺戒壇の宣下停止と、山門・寺門の対立が激化していた時期であり、
蓮祖はこれに距離を置いたスタンスであろうと推察されるからです。

しかし、この時期すでに独自の見解があることは事実ですし、ニュアンスは当然、伝わりました。

また、一代五時鶏図・西山本(文永九年頃と推される)の日興北山写本に、寺門の義が
記されているのも、遠からず関連があると思えますね。

553パンナコッタ:2006/04/07(金) 13:03:49
つづき、
「富城入道殿」の、その追書きとされる「老病御書」が遺言的内容である事からも、
かなり体調が悪かったことが窺え、その根気が実際あったかどうかは解りませんが、
国家鎮護の役割から教王護国寺(東寺)が建立された経緯や、忍性(真言律宗ですが)が
北条長時の要請で鎌倉にやってきた事は、蓮祖は十二分に認識されていたで上で、
その様な感情は少なからずあったでしょうね。

554顕正居士:2006/04/07(金) 16:37:28
弘安元年には有名な諸人御返事が書かれています。

日蓮一生之間祈請並所願 忽令成就歟 将又五五百歳仏記宛如符契
所詮召合真言禅宗等謗法諸人等令決是非 日本国一同為日蓮弟子檀那
我弟子等出家為主上上皇師 在家列左右臣下 将又一閻浮提皆仰此法門

日蓮が蒙古調伏の祈祷を公式に命ぜられるのを念願していたのは確かでしょう。

ところで中国禅についてはこういう考え方もあるようです。
「禅仏教はこの相即観中心の中国仏教に向かって異議を唱え、不相即観を打ち出し、
自己の分斉を一つの島(洲)として大切に扱い、自由と責任の所在を明らかにする
主張として生まれたと私は考えているのです」

吉津宜英「仏教における相即と不相即」
http://www.komazawa-u.ac.jp/gr/research/in-bukkyoken-home/hokoku/kouen/00kouen-syosai.txt

555顕正居士:2006/04/08(土) 00:47:46
吉津宜英師は「仏教における相即と不相即」の最後にこう述べます。

「さて、日本仏教に再生の可能性はあるでしょうか。私はここで「ある」とあえて断言したいと存じます。
そのためには、日本仏教をも、ある特定の宗派をも、ある宗祖をも絶対化しないで、一切を上下優劣
正邪から解放し、それらの一切の仏教と称されるものの前に、自ら裸で屹立と対峙する自己の分斉を
確立しなくてはなりません。」

中国仏教と比較すると日本仏教は非常に宗派の蛸壺になっています。そういうあり方ですとそれぞれ
の潜在的欠点がきわめて顕在化します。飲光慈雲に「麁細問答」という著があって日本仏教各宗派の
長短が述べられているのを、下記のサイトが紹介しています。日蓮宗の長短は以下だそうです。

「長所も大なり、短所も少なからず。大要は天台の一門を主として初心の者に一途ならしむるなり。
短所は法我偏執、諸の外道よりも陋し。親眷隣里の交りも疎略になり行くなり」
http://www.horakuji.hello-net.info/sosaimondo.html

556文殊:2006/04/08(土) 07:33:00
蓮祖が慧心流大和俊範に言及していない理由が判然としません。同学の静明にも
です。京畿遊学での蓮祖はおそらくは孤独ではなかったと拝察されます。慧壇
兼学してみて何か得心するものがなかった。山内の人間関係に悩んでいたかも
しれません。ともかく現存・曾存遺文に京畿時代のことが述懐していないこと
は今成氏が「福神」誌で示唆されているように思い出したくないことがあった
のではと。花野氏が主張されるように蓮祖は宝地房証真のような天台学者でも
なく自在な解釈を許容する天台諸師とも全く違うのであれば、鎌倉新法華仏教
の教祖的な資質を持たれていたのではないかと考えます。山門・寺門の内ゲバ
には明らかな距離を持っていたのですが、後年三位房日行に京都での情報収集
を指示しているように叡山の動向には高い関心があったことは確実ですが、
「秘蔵之大事」がパンナコッタさんご指摘のように直ちに本覚思想の思想
内容を特定するものであるかは慎重に研究が必要と思われます。
これから出かけなければならないので、パンナコッタさんの後半のご指摘と
いつも哲学的刺激に満ちたご投稿をされる顕正居士さんへのご返事はのちほど
にさせていただきます。

557顕正居士:2006/04/09(日) 05:07:09
俊範-日蓮の師資を証明するのは『日大直兼問答』で、比較的上古の文献ですから、智応居士がこの説を述べて
以来、特に反対説がないようです。『不動愛染感見記』の台密相承の代数とも合うようです。『御本尊七箇相承』に
も証左があります。 しかし遺文には俊範への言及がありません。念仏停止についての引用を除いては。
日蓮聖人は御自分の出自について詳しくされなかった。『三師御伝土代』の記述からそう推測されます。けれども
清澄寺での宗教体験と道善房についてはしばしば語られる。
慧心流の主派、椙生流は皇覚以来、実子を真弟と称し相続する。俊範は実子静明に相続したが、静明には女子
しかなかったので心賀を婿に迎えた。日蓮聖人には『諸人御返事』に伺える強い上昇志向があった。或はこういう
経緯が俊範について語らない理由ではないでしょうか。

558文殊:2006/04/09(日) 08:54:56
花野充道氏は「慧心流の七箇法門の展開を、椙生流の皇覚─範源─俊範
─静明─心賀─心聡─という系譜を頭に入れて考える時、心賀の仰せを
記したものが一海の『二帖抄』と『八帖抄』であり、心聡の仰せを記し
たものが豪海の『蔵田抄』であるとすれば、『一帖抄』はその奥書に
記されているように俊範の作と見なければならない。俊範は叡山にお
ける日蓮の学師であるから、その俊範にすでに四重興廃が見えること
は重大である。俊範にすでに四重興廃があるとすれば、日蓮が叡山を
はじめとする京畿遊学を終えて数年後に著わした『十法界事』(12
59年)に四重興廃が説かれていても何ら不思議ではない」(「印
仏研」第51巻1号169頁)と俊範を学師と前提として『一帖抄』
四重興廃説が初期遺文に思想的影響を及ぼしていることを論じてい
ます。但し『十法界事』には天台・妙楽釈義引用あるのの『一帖抄』
引用がなされていません。それに同書は日蓮教学学術ルールで偽撰
とみなされていますが、顕正居士さんは大崎・興風談所の遺文真偽
鑑定にどのように考えられていますか。椙生流相続をめぐる情念が
鎌倉布教という烈しい行動に駆り立てられたと拝察されます。歴史
は情念によってつくられるのでしょうか。

559文殊:2006/04/09(日) 19:27:48
所詮召合真言禅宗等謗法諸人等令決是非と「諸人御返事」では公場対決の
動きがありましたが、日蓮門下の俊英として三位房日行が選ばれましたが
日行は断ったといわれます。そこで師弟の関係が悪化して日行は教団を
離脱したのでしょう。日蓮は真言禅宗等の諸宗と公場対決で教理の理非を
決して法華一乗に帰伏せしめ日本国一同為日蓮弟子檀那という強烈なまで
の自負がありました。ところが朝幕は日蓮に公式な異国調伏祈祷を招請し
なかった。真言僧を重用したことに憤りがあったと思われます道善房追善
には「報恩抄」に対し俊範には書状の一つもなっかったことは両者に何か
蹉跌があったことではないでしょうか。

560顕正居士:2006/04/10(月) 13:08:24
「本覚」という一語についても真蹟遺文には『八宗違目鈔 』に蓮華三昧経の偈を引用する以外にない。写本遺文に
は相当ある。『総勘文抄』には30箇所もある。真蹟遺文には本覚思想が明確ではない。したがってそれら写本遺文
が日蓮の撰述か否かは疑う必要があります。
しかし真蹟遺文にあらわれた思想が「始覚的」かといえば、そうはいえない。真蹟が存在する『日女御前御返事』に
「此の宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間、八葉の蓮華の内
におはしますと日蓮は見まいらせて候」とあり、妙法曼荼羅が大日経の心蓮華の説によっていることがいわれる。
両密への批判は教判上のことで、密教が表現しようとした内容はむしろ目指すところであり、ただしその教理的な
根拠は天台の一念三千であるという。
最近は本覚思想と新仏教を対立するものと考える傾向は後退しているようです。
「絶対的な現実肯定の上に立つ本覚法門は、まず密教より極めて大きな影響を受けて成立したというのがひとつ。
しかしながら、現実絶対肯定に立ちながらも、それは修行の意義を見失ったのではないということが第二。最後に、
その観点から新仏教を見たとき、そこには、積極的な思想的差異は認められない」
http://homepage1.nifty.com/seijun/pre-page/11-15/11-15.htm
真蹟遺文には本覚思想特有の表現は見られないが、本覚思想と矛盾する内容もまたない。釈尊の本因行を不軽
菩薩とする俊範の説、無始無終本有の釈迦という心賀の説などは真蹟遺文の内容に一致します。写本遺文の真偽
を思想内容から判断するのは困難であると考えます。

561文殊:2006/04/11(火) 07:35:36
「只管打座・心身脱落」「身心一如」「性相不二」「生死即不二」「生死即涅槃」
「一大法界」「心性大総相の法門」を論じた道元も智邈の諸法即実相論がきわ
まって成立した天台本覚思想と決して矛盾するものではなかったといわれます。
道元が厳しく批判の矢を投じたのは、自性清浄心、客塵煩悩の如来蔵思想の系
譜に成立した『起信論』・華厳系・空海・安然の「心性本覚」思想・心常相滅論
に対してという。「総勘文抄」を本覚思想があるから斥けている現代日蓮教学に
は何かが欠けているかんじがします。

562文殊:2006/04/11(火) 19:50:06
近現代の日本の知識人は禅を欧米の哲学に唯一対抗できるもの、近代の
超克という観点から解釈した。末木文美士氏は「禅研究という枠から出
て、広い思想史・精神史の中で、禅がどのように機能し、またどのよう
に批判されてきたかという問題にも迫ろうとする」(「思想」960)
と対世間に仏教思想を提案する。この末木氏の動きに小川隆氏は「しか
し、禅に何らかの意味の現代性があるとすれば、それは唐代禅なら唐代
の、宋代禅なら宋代の、それぞれの同時代における「現代性」を読み
とるところから考えられるべきではあるまいか」と反論する。この
禅をめぐる関心の高さに比べ、日蓮教学は「思想」のような哲学の
議論に載っていないのは残念です。

563パンナコッタ:2006/04/15(土) 15:14:32
文殊さん、
三世諸仏総勘文教相廃立が、蓮祖の述作としてみられないのは「本覚の如来〜」等の
語彙だけではない為だと思えますね。

【『刊本録内』本書奥には「弘安二年十月日」の年次の記載がある。『境妙庵目録』
『日諦目録』『日明目録』『高祖遺文録』『縮刷遺文』『定本』『新定』はそれに従う。
本書は恵心の『自行略記』覚超の『自行略記註』に多分に依拠しており、
また文中智証の『授決集』が肯定引文されるなど、両師を徹底的に破折された「撰時抄」「報恩抄」以降、
ことにこの時期の書としては疑問がある。本書は成立そのものを疑問視せざるを得ない】
   (御書システムより引用)
写本遺文の取り扱いには、やはり慎重を期した方がよいと思えますね。
欠けていると感じた部分は、現代の研究にこの様な意味に於いての
スタンスがあるためでしょう。

564顕正居士:2006/04/15(土) 17:16:10
「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知しめして
即座に悟りを開きたまひき」は東寺密教の即身成仏の説そのままであり、本行菩薩道の思想
とは矛盾します。偽作でない場合でも、この抄は日蓮の思想そのものではなく、レジメのような
ものではないかとおもいます。

565文殊:2006/04/15(土) 23:51:20
日蓮教学の主流派である立正大学の学術ルールによれば、写本遺文は
慎重を期すべきであり、本覚思想は排除すべきものであるというの
でしょう。これはカルト対策もあり、カルトに陥ることを防ぐために
も日蓮遺文から『総勘文抄』『十八円満抄』『御義口伝』に見る濃厚
な本覚思想を危険視・異端視していると考えます。現に日朗門流から
はカルト系在家教団が出ていません。仏教社会福祉を中心に穏和な活
動を展開している。日本山妙法寺の反戦運動は別に改めて論じます。
確かに関東天台慧心流本覚思想は危険な香りがします。麻薬のような
陶酔感がありますから。但し、私は宗教的実践者であるので、立正
大学の見解には意見を異にしています。『総勘文抄』の後期ロマン派
リヒャルト・ヴァーグナー「トリスタンとイゾルデ」を思わせる流麗
な文体に限りなく魅了されますが。

566文殊:2006/04/16(日) 00:18:16
川澄勲氏の思想的影響は強いと思います。興風談所が石山圏から離脱し、
戒壇本尊にこだわらなくなったのも、川澄神秘主義の刻印があります。
保田妙本寺文書の全容解明は宗門史が大きく薄墨色から緑色に塗り替え
られるでしょう。21世紀日蓮教学は何処に向かうのかを思惟する時、
川澄神秘主義教学は参照され得るでしょう。ただ川澄氏が生前神道から
何故富士石山教学研究に向かったのかについてその動機を独白して欲し
かったとの憾みはあります。

567顕正居士:2006/04/16(日) 02:40:45
文殊さん。
日本天台の教義が色濃くあらわれた遺文には悉く真蹟が存在せず、伝承経路も多くが不明です。
対して確実な遺文では日本天台諸師の説に依らず、智邈、湛然、最澄の釈によって自説を主張
します。相違は明瞭です。しかし問題の遺文群が必ず後世の創作かというと、日本天台の教義
に対する日蓮の態度についてどういう仮説を立てるかに依ります。浅井要鱗師の仮説は台密を
批判した日蓮は中古の教義を用いなかったであろうとする。けれども台密の批判は教判上のこと
です。三師の釈のみに依り自説を主張するのを基本とするが、中古の教義を否定していたわけ
ではない可能性がある。次に田村芳朗師の説は問題の遺文群には日蓮以後に成立した教義が
散見するというものです。
日本天台の本覚思想といわれるものは荒唐無稽な教相を離れた合理的な思索であって、これは
原理主義や教条主義とは反対です。日蓮宗の分派中、最も社会的に問題があったのは不受派
です。本覚思想とは関係がありません。大石寺派の孤立化は日寛師以後、本門宗離脱に至る
期間に進行したもので、牽強付会の自山正統説を基本とし、本覚思想とは無関係でしょう。
中古天台の教義が宗祖本仏論を生じ、宗祖が本仏なんというのは附仏法の外道であるから、
創価学会や顕正会などのカルトが出て来るんだというのは単なる俗説です。

568文殊:2006/04/16(日) 08:57:10
日本天台の本覚思想が荒唐無稽な教相を離れた合理的な思索とのご教示
学恩に感謝します。中古天台が堕落であったとは『天台宗全書』『続天
全』の豊饒な思索の結晶を見てもそれが俗説であることがわかります。
ただ立正大学・興風談所が本覚思想遺文を完全に排除して純正日蓮義を
確立する動きの背景に何があるのかを究明する必要があります。福神系
も真蹟遺文重視の方向をよりいっそう強めようとしているわけです。
『観心本尊抄』よりも『総勘文抄』が何か低く見られているとすれば、
現在の日蓮研究者の影響があまりにも強いというべきでしょう。パンナ
コッタさんがよく引用される興風談所「御書システム」は客観性を装い
ながら本覚思想排除の意図が隠されいると思われます。川澄勲氏も『総
勘文抄』を斥けていたことも重要です。六老門下全体を見ても読まれなく
なっている傾向があります。今起きている教学の動向は真蹟遺文絶対・
本覚思想排除です。教団間の確執の陰影があります。私は個人的には
日蓮は本覚思想を自身の思想的基盤としていたと考えます。佐渡配流時代
に最蓮房との邂逅が再び封印していた本覚思想遺文執筆の動機となった
のでしょう。

569犀角独歩:2006/04/16(日) 09:13:12

文殊さん

本覚思想を斥けているという見方は、わたしは納得できません。
真蹟遺文を基本に日蓮遺文を見れば、そうなっている。ただ、それだけのことです。日蓮に本格的な影響があるというのであれば、確実な資料、すなわち、現存真蹟遺文からそれを証明すればよいだけのことです。

また、最蓮房との邂逅とのことですが、これはどのような確実な資料に選るのでしょうか。

総勘文抄が低く見られることに疑問があるとのことですが、わたしは、むしろ当然のことであろうと思います。日蓮の真蹟でもないものに、日蓮の名を充てて真蹟を装うようなことは、ペテンです。そんな姿勢にわたしは正道を見ません。
総勘文抄が日蓮真蹟であるというのであれば、別です。そのためには、この書が確実に日蓮遺文であることを証明する必要があるでしょう。

本覚に重を置くのであれば、それを何も日蓮に仮託する必要はなく、日蓮を離れて本覚を信仰すれば、それでよろしいのではないでしょうか。
ここの掲示板では、事実究明に重きを置きます。本覚重視、日蓮重視をオーバーラップして、一つのものであってほしいという願望は、その究明を妨げるものであると、わたしは思います。

570犀角独歩:2006/04/16(日) 09:14:21

【569の訂正】

誤)本格的な影響
正)本覚的な影響

571顕正居士:2006/04/16(日) 12:09:49
以下の現宗研への勝呂師の寄稿はすでに何かのスレッドで紹介されたようにおもいますし、
皆さんご存知かも知れませんが、念のために。

勝呂信靜 御遺文の真偽問題
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho32/s32_086.htm

勝呂博士は日蓮宗の方ですが、宗学者ではなく、インド仏教の研究者です。仏教全体という
視点から見ますと、真蹟遺文の思想と問題写本遺文の思想との間に大きな差異は認められ
ないという感想が生じるのでしょう。
文殊さんのおっしゃる幾分の弊風は昭和戦前期の浅井要鱗師の文献学が今、ようやく一般
僧侶に膾炙して来た。しかし現在の研究は天台本覚思想と新仏教を連続してとらえる方向
に行っている。これは田村芳朗師以後の傾向で、研究者は日蓮宗学専門でない方、海外の
方、国史の方、つまり大崎以外の人が多い、学際的でもある。そういうズレがあるかとおもう。
別に批判仏教という禅宗内部の自己批判が一般にかなり読まれたせいもあるでしょう。

ところで問題写本の真撰可能性を主張するためには、何でそれらには真蹟も時代写本もない
んだという疑問に答える必要があります。これは最蓮房諸書がまとめて煙滅した可能性を
いうしかないだろう。最蓮房に関する新史実が何か出てこないと決め手になりませんね。

572パンナコッタ:2006/04/16(日) 18:37:30
文殊さん、概出ですが、
【『法華経』の場合は『法華経』を聞かなければ「無一不成佛」ではなく、衆生が悉く仏の子だと表明しても、
それが既に仏であるとか仏をやどしているとは表明していない。たとい聞法や小善といったことでも菩薩行を要求する。
また『妙法蓮華経方便品第二』の五千帰去は、『法華経』の聞法すらしない者を「退亦佳矣」と退けている。
 あまりにも、東アジアに影響を与えた思想であり、この問題は現代までの日本仏教や今後の仏教のあるべき姿を
考える上で大変重要なことである。 ただ、『法華経』の一切衆生に対して平等に成仏の可能性を説く立場や、
仏子という考え方は、如来蔵思想に影響は与えたかも知れない】

【日本では如来蔵思想が「本覚思想」として仏教の本質をあらわすものと誤解されてきた。それはつい最近までにも色濃くあり、
いまだにそのことに固執する教団や僧侶が少なくない。
 無理もないことである。日本の仏教宗派の多くは鎌倉仏教であり、それらの開祖は比叡山で勉学した。そのころの比叡山は、
中古天台本覚思想が蔓延している時期である。たとえ祖師が本覚思想に染まらなくても、その後の弟子たちが本覚思想にとっぷりつかり、
祖師に仮託した偽書をあらわすということも行われた。そして、それにまつわる口伝が一子相承によって相伝されて来て、
未だにその呪縛を信念としているむきもある。
 あまりにも、東アジアに影響を与えた思想であり、この問題は現代までの日本仏教や今後の仏教のあるべき姿を
考える上で大変重要なことである】
 http://www.kosaiji.org/Buddhism/nyoraizo.htm


教団間の確執は直接関係はないと思いますし、単に、明確な資料をもって
蓮祖に遡れないだけの事で、興風談所にしても排除している気は無い
のではないでしょうか。

それと、日持門下(永精寺さんでしょうけど)、日頂門下(重須北山)は、
今現在、明確な門下形式の教団なのでしょうか?

573れん:2006/04/16(日) 19:36:20
僭越ながら横レス失礼いたします。
三世諸仏総勘文抄については、中山法華経寺三世日祐師の本尊聖教録の写本目録の部にあったと記憶しております。とすれば日祐師の時代=南北朝時代には一応の成立を見ていた書であることは確かだと思いますが、蓮師上代門下の本書に対する記述は祐師のが上限で、蓮師直弟子・孫弟子の記述はと言えば皆無ですから、本書を確実な蓮師真撰文献とする根拠は見当たりません。
身延山には、いわゆる御遺文以外にも蓮師真蹟の膨大な聖教類が曽存した由ですが、もしかしたら、その中には、顕正居士さんの仰るような蓮師によるレジメのようなものがあったかもしれませんが、明治八年の大火で、その聖教全てが灰燼に帰したため不明としかいいようがありません。
最蓮房関係の遺文で、上代門弟の写本が残っているのは立正観抄の身延三世日進師写本のみですから、一応進師本を信用すれば、最蓮房という蓮師門弟は実在した可能性はあるが、最蓮房を対告とした“御遺文”の殆どは後世に最蓮房に託けて作られたものと見た方が自然と思います。

574犀角独歩:2006/04/16(日) 21:58:32

いまざっと数えたのですが、‘本覚’という語彙は真跡遺文では『八宗違目抄』に『蓮華三昧経を引用して、『本覚心、法身常に妙法の心蓮台に住して、本より来三身の徳を具足し、三十七尊 金剛界の三十七尊なり 心城に住したまへるを帰命したてまつる。心王大日遍照尊、心数恒沙、諸の如来も普門塵数、諸の三昧、因果を遠離して法然として具す。無辺の徳海本より円満、還って我心の諸仏を頂礼す』」」と1回使用されるのみです。

それに対して、真跡が確認できない文献ではざっと70以上の使用が見られます。1:70、この差異を深刻でしょう。日蓮が「本覚」語を意識していたとは、とても思えません。

また、田村芳朗師の指摘であったと記憶しますが、そもそも「本覚思想」が云々されるのは、近代のことであって、明治以前にこのような認識があったのでしょうか。
もちろん、「本覚」語が登場する不明遺文類を持って構築された教学はあったでしょう。

確実な日蓮義に有らざるものを持って、信仰を云々することを、わたしはナンセンスと考えます。

575文殊:2006/04/16(日) 23:16:42
田村芳郎氏の所説にたいして、1970年代後半から早大院在籍中の
花野充道氏が「東哲研」に本覚思想肯定説を主張していくことから
始まったといえるでしょう。その花野氏も法華講青年部指導講師と
して教団間抗争に巻き込まれ、東洋哲学研究所と袂を分かつことに
なった。政治的に敗北して八丈島で挫折の日日。その後10年余の
沈黙を破って「道心」誌発行、論文集・印佛研等に学術論文再開し
て再び田村氏批判、盟友の末木文美士氏が花野氏に同調する形で、
現在に至る本覚論争が続いているわけです。

576文殊:2006/04/16(日) 23:37:39
1970年代後半から80年代はじめの富士系教団間の確執はやはり
暗い影を落としています。興風談所系の学僧は花野充道氏と同学です。
同じ仏御飯を共にした仲です。三鳥派について共同研究までしていま
すから。「蓮華」誌を拠点にしていた。それと今では伝説の雑誌で「
慧橙」も。高橋粛道氏の上代文書研究も「慧燈」からはじまった。70
年代は今の大石寺では考えられないくらい自由な言論・公共空間が存在
していました。彼らの政治的敗北は、より深く天台三大部・本覚思想・
上代文書に潜行させることになったといえます。大量濱斥事件は今でも
花野氏をはじめとする石山僧侶にとってトラウマになっています。だから
戒壇本尊真偽問題についても自由に発言しようとは思わないのです。
「道心」創刊号に花野氏はここ10数年の忸怩たる思いをぶつけている。

577文殊:2006/04/17(月) 00:03:21
日持門下は今は日朗門下すなわち日蓮宗に完全に統合されているはず
です。重須本門寺根源は戦前の統合で身延山から学僧・片山日幹氏を
屈請して爾来、牛の像・馬頭観音といった富士系寺院では考えられな
い身延化が進んでいましたが、佐渡から日満系の系譜に連なる本間俊雄
氏が新貫首に入山してから、生御影信仰を全面に打ち出し、薄墨五条
袈裟着用、それに「御義口伝」「生死一大事血脈抄」等のいわゆる本覚
遺文見直しが行われています。れんさんが示唆していただいた「総勘文
抄」南北朝成立説ですが、この時代南朝イデオローグの北畠親房『神皇
正統記』成立を見ても、危機の時代認識に立って自派の正統性を証明・
挙証しようと学僧が腐心していたことが窺えます。

578パンナコッタ:2006/04/17(月) 12:45:57
コピペをミスってしまいましたね。これは失礼しました。

六老僧門下(石山系を別として)は、包括している日蓮宗という認識でよいのですね。

結局、蓮祖の思考を順に考察していくというのではなく、祖師信仰に帰結するための
”教学の資料”という扱いなのですね。

579文殊:2006/04/17(月) 21:00:28
北山本門寺は薄墨袈裟に象徴されるように日興日頂門流回帰の動きがあり
ます。ただ末寺数が少ないので尊門のように日蓮本宗として独立すること
は難しいとは思いますが。生御影と曼荼羅本尊一体三宝奉安で朗門主導の
日蓮宗にあって異彩を放っています。朗門から隆門が出ていますが、同じ
釈迦本仏論でも教理は異質で、隆門は法華宗として日蓮宗には包括され
ないとの共通認識があります。法華宗からは在家色の強い本門仏立宗が
有名です。隆門は要式曼荼羅といって首題と四天王のみ勧請されていて
黒い御影とともに奉安しています。身延とも富士とも全く異質です。
後段のご質問の意味が図りかねないのですが、私の認識といたしまして
は、蓮祖の思考を順に考察していくに際して、遺文御書の選定が果たし
て確実に真蹟が現存している遺文のみに限定して考察するのか、それ
とも写本遺文に外延していくのか、所謂本覚思想真偽未決遺文まで含
めて学術ルールそのものを再考していくのか。現在は大崎の立正大学が
ルールを決めているのです。ゆえに小林正博氏も松岡幹夫氏の東哲系も
学術論文には『定遺』を用いているのです。これに挑戦しているのが、
花野充道氏なのです。知をめぐる権力闘争です。

580犀角独歩:2006/04/17(月) 21:16:38

やや、言葉足らずであったようで、わたしは石山という狭き井中を申し上げたわけではなく、近代の島地大等師・田村芳朗師・ 硲慈弘師等の、件に就き、申し上げたものでした。
それにしても、彫刻にトラウマを懐く程度の者が本覚を云々するなど、片腹痛いというか、お話にならないというのが正直な感想です。

敢えて宣言しておきますが、彫刻の真偽を論じることも出来ない者が日蓮遺文の真偽を云々し、本覚を論じるなど、およそ馬鹿馬鹿しいかぎりであると断言せざるを得ません。
偽物を偽物とい言えないような者が偉そうに何を言っても説得性のかけらもありません。

581犀角独歩:2006/04/17(月) 21:26:06

もう少し、記しておきます。
花野さんは、袴谷さんや、松本さんにいくら鼻息を荒げても、結局、自分はニセ彫刻を担ぐ宗派で、その真偽を言えないわけです。
「挑戦」??するのであれば、1800万人を欺き、金を集めた戦後最大の宗教被害にそれなりの、責任をとらない限り、そんなものは挑戦でも何でもなく、ただの食法餓鬼を一歩も出ません。
「謂徒才能」、才能を惜しむ故に敢えて、わたしは記します。
もちろん、このことは、興風談所諸師にも同様に申し上げます。
わたしは、この点については、いっ差異、破に衣を着せる気はありません。

それぞれの諸師が、この投稿を読んで下さっているのであれば、自分たちの責務をどうか果たして欲しいと念願するばかりです。

どのような崇高な論文を記し、古文書を研究しようと、あの彫刻の真偽を論じない限り、その信用は、耐えてないことを認識していただきたい。
これはトラウマなどというくだらない感情論ではなく、解決しなければならない最大の日蓮への報恩義であると心得ていただきたいのです。

582犀角独歩:2006/04/17(月) 21:28:23

なお、文殊さんには、よろしく、最蓮坊実在の証拠と総勘文抄真筆の証拠を提示いただくことを、ここにお願いしておくことにいたします。
石山門下の下らぬ確執など、どうでもよいことです。

583犀角独歩:2006/04/17(月) 21:46:34

【581の訂正】

誤)わたしは、この点については、いっ差異、破に衣を着せる気はありません。
正)わたしは、この点については、一切、歯に衣を着せる気はありません。

584顕正居士:2006/04/18(火) 01:43:59
>>575
末木さんと花野さんが「盟友」というのは何かエピソードがあるんでしょうか?
天台本覚思想の研究者なんて幾人かしかいない以外に。
末木さんは田村教授の「直弟子」。中国仏教だが、ちょっと後におられたのが
菅野博史さん。花野さんは田村先生の御義口伝講義を聴講生として受講された
そうだから、田村先生の準弟子ということでしょうか。

585文殊:2006/04/18(火) 20:09:24
院生当時、お互い大学こそ違いながらも知己の仲です。
末木文美士氏『日蓮入門』(ちくま新書)あとがきに「いわゆる
日蓮学にはまったくうといので、菅野博史、佐藤弘夫、花野充道、
松戸行雄氏など、日蓮に詳しいすぐれた友人たちに、ごく初歩的
なことまで含めて、さまざまなご教示を頂いたり、議論の相手を
していただいた」と書いています。充道さんも暁雲研究会の講演
で末木氏との交友と業績を述べています。本覚思想擁護でも二人
は一致しています。

586犀角独歩:2006/04/18(火) 21:00:47

文殊さん、ここの掲示板は質問されたことには応えながら、議論をつづけています。
582のわたしの質問並びに、ついでに、あなた自身のあの彫刻に関する見解を披瀝ください。

現段階で、あなたの応答は、自分に都合の悪いことを無視するという、実に不誠実な態度と映じています。まあ、よくある石山門下の対応ではありますが。

あなたもその類の人なのでしょうか。

587文殊:2006/04/18(火) 21:18:15
宮崎英修氏は最蓮房実在説につき「諸説入り混じって未詳の部分が多い」
と疑義を投げかけています。(『日蓮辞典』東京堂出版、昭和53年
78下)末木文美士氏は「ところが、これらはいずれも本覚思想の影響
が強く、近代の研究者によって、『当体蓮華抄』や『十八円満抄』と同
様に偽撰の疑いが持たれている。そこから、最蓮房という人物自体が
いなかったのではないかと考える研究者さえいた。しかし、今日では
最蓮房は恐らく実在したであろうと考えられており、またこれらの遺文
のうちには禄内御書に採録されていたり、古い写本があったりして、その
由来が信頼できるものもある。とすれば、簡単にそれを否定することは
できない。しかし、これらの中には『当体蓮華抄』や『十八円満抄』に
通じるところもあり、簡単に真撰と決定することもできない。このように、
これらはなお今後の検討を要する遺文である」「従来の日蓮論は多くの
これらの疑問のある遺文を無視して、確実な遺文だけでその思想をうかが
おうとしてきた。それはきわめて厳密な態度に見えるが、これらの遺文
にははなはだ興味深い思想が見られ、それを全く無視するのも一面的に
なってしまう」(末木『前掲書』198)

588犀角独歩:2006/04/18(火) 21:26:53


文殊さん、繰り返しますが、自分の言いたいことだけ、単に知るし続けるというのは、どうかと思いますね。

質問に答えたら道でしょうか。

589犀角独歩:2006/04/18(火) 21:31:20

末木さんの言っていることは、ある面、わからないこともありませんが、たとえば、ネッシーに例を採ってみましょうか。

恐竜が現在に生き残っていないとするのは、もっともな意見であるが、そうするといろいろな可能性を塞いでしまう。しかし、実際、いないものはいないのだから、いないと考える以外はないでしょう。

末木さんの論法の欠点は感情論に引きずられて、実際にそれが存在した証拠を何も提示していない点にあります。採用するに足りない意見と捨て去るほかありません。

590犀角独歩:2006/04/18(火) 21:33:52

文殊さんにとっては、最蓮房は、あなたが記してきたことにおいて、いないと困る。
そんな個人的な都合で事実を枉げられては迷惑です。

592管理者:2006/04/18(火) 21:44:46

文殊さん

犀角独歩さんとの議論がかみ合っていません。このまま、投稿を続けられると、当掲示板のルールに抵触します。ご一考お願いいたします。

593管理者:2006/04/18(火) 21:52:50

抵触する可能性を指摘したルールは以下の通りです。当掲示板は話し合いを重んじて戴く事が基本原則です。相手の発言を無視して、自分の言いたい事を書き込み続けた場合、ルール違反として対処する事になります。ご注意願います。

【書き込みの基本原則】

1.意見交換、相互理解の場との主旨から、話合いを重んじてください。

594顕正居士:2006/04/18(火) 22:14:18
最蓮房関係論文
http://www.inbuds.net/search/namazu.cgi?key=%BA%C7%CF%A1%CB%BC&amp;max=20&amp;result=short

中條暁秀、影山堯雄、宮崎英修等の諸師いずれも最蓮房の実在を主張されているそうです。
なお石川修道師が藤原能茂説を唱えておられます。
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/03/03_096.htm

595文殊:2006/04/18(火) 22:27:16
管理者さん、犀角独歩さん、投稿が前後して申し訳ないです。
先に顕正居士さんのご返事から書き、犀角独歩さんからのご質問を
順に書く予定でした。途中で所用のためPCから離れたので、意が
伝わることなく大変ご迷惑をおかけしました。私は唱題仏教の実践
を日日行じている在家信徒です。ですから十界互具曼荼羅本尊が
なければ当惑することになります。鬼子母神像に拝むことは私には
できません。でも他門の伝統をここで教義的に批判するつもりは
ございません。掲示板の投稿に際しましても護教論ははさむつもり
はございません。またそうしないよう努力はしていますが、大崎系
の学術ルール設定にどうしても強い違和感があります。真蹟遺文
絶対・本覚思想全面排除には意見を異にしています。この点では
末木・花野両氏に同調しています。私にとって最蓮房はいないと
困る人ではありませんが、「立正観抄」「生死一大事血脈抄」「
諸法実相抄」は当時の叡山の顕教系二大潮流慧心・檀那の思想
動向が窺えますし、凡夫成仏の平等思想があって私にとっては
感じるところが多いです。「感じる」ことがそのまま立正大学の
学術ルールで証明するとなると厳しいです。このことは率直に
認めます。戒壇の大御本尊真偽問題の見解ですが、安永弁哲氏
『板本尊偽作論』「河辺メモ」そして「現宗研」の犀角独歩さん
の学術発表を存じ上げています。ただ私は宗教的に実践していま
すので、では戒壇やめて保田妙本寺の万年救護御本尊を拝みま
しょうかとなるとこれは別な話なのです。誤解あるようですが、
私は大石寺の権威主義的体質とは無縁です。

596一字三礼:2006/04/18(火) 22:46:07
横レス失礼します。

文殊さん。

> 本覚思想全面排除には意見を異にしています。

勘違いされているのか、意図的に論点をずらそうとされているのかわかりませんが、誰かそのようなことを言っておりましたでしょうか。


日蓮の思想を知る上での遺文の資料評価。

1、日蓮の真蹟が存在する遺文を第一次資料として最も尊重する。

2、真蹟がなくとも日蓮と同時代に生きた弟子の写本が存在するものを二次的資料とする。

3、日蓮からかなり下った時代の弟子の写本しか存在しないものは、資料的価値は格段に下がる。

これらの事は、「大崎系の学術ルール設定」でもなければ「立正大学の学術ルール」などというものではなく、研究者にとっては常識ではありませんか。

597犀角独歩:2006/04/18(火) 22:46:52

文殊さん、重ねて問いましょう。

あなたが信仰しているのは、日蓮聖人の教えですか、それとも、それ以降、塗り固められた解釈ですか。

結局のところ、あなたは、わたしの質問に何一つ答えていない。そのような不誠実でしか、守れないあなたの信仰とは一体なんでしょうか。

あなたは、わたしから見れば、至極、日蓮聖人を、さらに日興上人を裏切っていると映じます。

あなたは石山の権威主義とは無縁と仰っていますが、自ら形成する権威主義の殻の中に閉じこもっていませんか。

598顕正居士:2006/04/19(水) 00:15:32
興門八本山はそれぞれ自山を正系と主張して本門宗は総本山を決められなかった。といっても
決して譲れないのが三山で、要山、石山、重須です。それぞれ両巻血脈、戒壇本尊、二箇相承
をもって正系を主張した。この三箇の寺宝ともに問題があるものです。これに加えて日目師譲状、
これらについて創価学会は盛んに教宣活動を行なっています。そのかわりに創価学会の教義が
何なのかもうわからなくなっていますが。日蓮正宗の僧侶も檀徒もそろそろちょっと真面目にこれ
を考えないとまずいと思います。独歩さん仰るように正信会もまだ戒壇本尊については曖昧です。

599日蓮見直し隊:2006/04/19(水) 00:37:08
本来の「法体」とは、法華経の教えの本体、法華経の本質となる教え、所謂法華経の肝心である教えを言います。ですから、「南無妙法蓮華経」は法華経という優れた教え、特に寿量品を中心とした教えへの信心となります。その信心を以て、人生を懸命に修行して真理・真実に至らんとするのです。勿論、法華経の教えを謗る世の中或いは人達の中に交わって、法華経の教えこそ最勝であると「南無妙法蓮華経」と唱えて宣伝するならば、法華経を説かずとも、法華経の哲学を理解するに至らずとも、その功徳はとても大きいでしょう。

ところが、中古天台的な本覚思想に影響された人達、そして彼等が創りだした日蓮聖人の書にあらざるものを日蓮聖人の書と信じてきた人達は、「法体」とは即ち「真理(妙法)」であるからと、前述の「南無妙法蓮華経」を置き換えます。即ち「南無妙法蓮華経」そのものが真理の名称であって、その真理をただ口に出して唱えていれば、真理を悟る身になる、本来自分が仏であることを覚ると、仏教の常識では有り得ない極端な事を言うわけです。ですから、彼等にとっては釈尊も法華経も必要なものではなくなるのです。そして日蓮聖人の教えを、矮小なカルトとしてしまいながらも、最も優れた教えであると自負するに至ります。

日蓮門下にあっても、近代の文献的な研究を尊重せず、或いは日蓮聖人の御遺文を勉強せず、その本来の宗教的・哲学的思想を理解せずして、創価学会と同じようなことを言う僧侶が結構います。まあ、最近は本覚思想に影響されていると言うよりも、面倒な勉強も厳しい実践もしなくて楽だからのようですが。一方で堕落した教えに満足できない人、日蓮聖人の教えを誤解している人達は、心の持って行き場がないので、荒行に入って祈祷を学んだり、或いは慈善活動に傾倒したりしているようでもあります。

以上は転用です。http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/

600文殊:2006/04/19(水) 00:53:26
一字三礼さん、外出していましたのでご返事遅れました。
意図的に論点をずらしてはいません。本覚思想全面排除は浅井要麟氏
以後の近代の日蓮研究者の研究姿勢のことを指して述べています。
顕正居士さんがご教示の勝呂氏論文にも懸念されているように、真蹟
遺文のみの遺文集編纂に見られる本覚思想全面排除・純正日蓮義志向
の思潮は、「一面的になってしまう」(末木『前掲書』198)ので
はという趣旨です。顕正居士さんの先ほどのご投稿にも石川修道氏の
最蓮房実在説が出ているではありませんか。そうなるとやはり蓮祖は
部分的にせよ(唱題行による実修実証がありますから)本覚思想思想
を援用されていたということになりませんか。もちろん、慧心流の本
覚思想とは一線を画します。叡山から決別鎌倉で唱題仏教の教祖とし
て天台宗とは完全に独立した教団を率いたのですから。興師の「富士
一跡門徒存知事」に「スキカエシ」「火に焼き」と仮名文字御書正本
が紛失しているとの記述がありますので、現存真蹟遺文第一主義では
聊かどうかなと思います。立正大学は小樽問答以後、創価学会教学に
対抗するために、釈迦本仏論を護教するために、「凡夫は体の三身に
して本仏ぞかし」(「諸法実相抄」)に見る蓮祖の凡夫本仏義では都
合が悪くなるので本覚遺文はすべて排除という背景があります。第一
次資料尊重は世間の諸学でも仏教学でも常識であることは熟知してい
ます。この日蓮教学の研究者世界では教団間の抗争・反目が激烈である
ので学術ルールの選定に強度の政治的な要素が濃いのです。

601パンナコッタ:2006/04/19(水) 00:57:25
だいぶ脱線してしまいましたが、元は自分が提示した興風談所の資料を文殊さんがお気に召さない事が
原因のひとつなのでしようが、結局、”本覚”にしろ「総勘門抄」にしろ明確な根拠の提示はどれなんですか。

本覚思想が無いければ”ない”で仕方ないし、「総勘門抄」が確たる証拠がなければ、真蹟とは一線を画すのは
当たり前の結論でしょう。今現在、その様な対応をしている。ただそれだけの事でしょう。

自己の(本仏論も含めた)祖師信仰の概念の、根拠がなくなる事に怯えているように思えますが。

602文殊:2006/04/19(水) 01:23:34
犀角独歩さん、私は犀角独歩さんの2005年8月6日の日記に感銘を
受けています。不誠実でも裏切りでもありません。私は宗教的実践者の
立場があり言えることと言えないことがあるのです。独歩さんの本尊研
究は明晰です。数多くの本尊鑑定をしているはずの八木日照氏も内心で
は河辺メモと同じ結論でしょう。八木氏も公言したら総監の地位を失う
でしょう。筆禍事件で左遷された充道さんも今度は濱斥処分です。正宗
の存在意義のためにも、寺院経営のためにも、戒壇本尊を第三者による
鑑定にかけることはまずはないと思います。ある方が他スレッドで証言
されているように戦争中の避難で楠板が腐食、赤沢朝陽さんの復元作業
で最悪の事態を免れたことは蓋然性が高いでしょう。私も何度か戒壇
本尊を間近で拝していますが、700年前にしては表装が新しいとの
印象があります。

603文殊:2006/04/19(水) 01:37:29
パンナコッタさん、投稿が前後しているようです。ただそれだけの事
ではないです。現在日蓮教学の学術ルールを決めているのは立正大学
です。その証拠に『定遺』を引用しなければいけないでしょう。小林
さんも菅野先生も松岡さんも学会版御書ではなくてわざわざ対立関係
にある身延本引用しているでしょう。最初にルールを決め都合が悪く
なったらルール変更も自由にできる立場にあるのが立正大学です。
例えば、石油決済にユーロでなく必ずドル決済、外交会議ではフランス
語でなく英語とアメリカ主導のグローバリズムに近似しています。

604顕正居士:2006/04/19(水) 02:06:35
昭和定本以外に論文に引用できる遺文集はないですよ。学会版って延べ書きでしょう。
仏教学の世界に宗派の対立はありません。それ以前に日本仏教にもう宗派の抗争は
ありません。日蓮正宗(宗務院)が勝手に孤立しているだけです。だから、学力がある
坊さんなら花野師のようによそに通用するし、興風談所の評判も良いではありませんか。

605日蓮見直し隊:2006/04/19(水) 02:29:50
研究者の指摘している「本覚思想」というのは、疑わしき御遺文にある中古天台的な本覚思想のことです。子細に述べれば真蹟も「仏界互具」「教主釈尊は己心の古仏」「凡夫成仏の可能性」を説くのですから、文殊さんが感じているように本来の意味での本覚を否定しているわけではないと思いますよ。

606顕正居士:2006/04/19(水) 06:17:33
浅井要麟師の遺文見直しの提唱は昭和の戦前です。創価学会などと何の関係もありません。
大石寺とも関係ありません。最蓮房諸書や御義口伝はどの派も用いて来たのです。
諸法実相抄の凡本仏迹の説は衆生と仏と体用で本迹を論ずればそうなるに決まっているので
必ずしも室町時代にならないと出ない考えではありません。一念染心本具三千倶體倶用です。
浅井要麟師の説は台密を批判した日蓮聖人が台密と一体的な中古の説を採用しないはずとし、
四重興廃、八葉蓮華、無作三身、五大体大等の説があらわれた遺文を疑問とし、これらには
いづれも真蹟が存在しないと指摘したのです。しかし台密そのものである八葉蓮華の説は実は
真蹟遺文に存在します。四重興廃は台密と一体的な教義とはいえない。無作三身は無始古仏
と差はない語とも考えられる。五大体大は阿仏房書にあり、妙法五字を五輪に配当しています。
真蹟の有無以外に疑問とする理由は薄弱で、台密と一体的な中古の説を採用しないはずという
仮定が問題です。四重興廃の説が日蓮の時代にすでに成立していたのかについては一帖抄の
奥書を信用すれば成立していたことになる。凡本仏迹については述べました。文殊さんが問題
にされるのがこういう内容なら賛成できます。大石寺や創価学会とは何の関係もありませんし、
大崎学報にそれほど特殊な論文投稿規定があるとおもえないし、第一、大崎学報以外に印仏研
そのほかの学術雑誌が存在します。

607顕正居士:2006/04/19(水) 07:08:42
さらにしばしば指摘されるのが妙法曼荼羅は不空三蔵の観智儀軌によっているではないか、故に
台密の批判は教判上のことであると。より正確には蓮華三昧経によっていると見える。

大興善寺三藏大廣智不空譯 妙法蓮華三昧祕密三摩耶經
http://www.suttaworld.org/Collection_of_Buddhist/Successive_Tripitaka/pdf/X02/X02n0204.pdf

本化の四菩薩が存在するのが観智儀軌による法華曼荼羅と異なります。ただしこの経の本文が
成立したのは確実には室町時代とされる。八宗違目抄に引用される本覚讃は通常のと少し異なる。
日蓮の妙法曼荼羅と同時並行的に蓮華三昧経本文、註本覚讃が成立したのかも知れない。
この曼荼羅の中尊は円珍が釈尊の本師と決定した無量寿命決定王如来である。対して妙法曼荼羅
は首題五字七字である。本尊問答抄の冒頭の問答はこのこの辺に関係しているのではないかと思う。

608犀角独歩:2006/04/19(水) 10:02:59

文殊さん

> 私は宗教的実践者の立場があり言えることと言えないことがある

わたしは、このようなお考えには首を傾げざるを得ない。
そもそも、当掲示板で投稿され、かつ富士門信徒を自負され、しかも、わたしの如く、彫刻本尊を批判する者は、では、あなたから見ると、宗教的実践者ではないと映じるのでしょうか。言えることと言えないことを分けて実践を嘯くなど、歯に衣を着せぬとして申し上げれば、まさに似非実践者ではないでしょうか。

今回、奉安堂で「御正骨拝観」が行われたそうですが、こんなものが本物であるわけはありません。後ろに奉安される彫刻も偽物、最初仏も、灰骨も、一切合切偽物でしょう。
こんなところに登山をして、それが偽物であることを知りながら、「言えないことがある」ということが、宗教実践であれば、お化け屋敷の営業と異なりません。
わたしは、ここに正直な信心を見ません。

なお、誤解があるようにお見受けしますので申し上げますが、当掲示板における一連の疑儀書に関する批判は、本覚批判と連動しているわけではありません。大崎学派とも連動していません。
では、何に連動しているのか、確実な資料から見られる事実と連動しているのです。つまり、真跡遺文です。浅井説に拘泥するものではありません。

パンナコッタさんもあなたに問うていますが、総勘文抄が確かな遺文であれば採用します。諸法実相抄も同様です。しかし、大概、これらのものを援用しようとする人々は、真跡主義の批判は盛んに行うことでこれに対抗しようとしますが、実際のところ、これら疑偽書が真筆であることを証明する証拠や理論を提示することがない。一連のあなたの投稿もやはり同様です。学派間の立場の相違、争いに収斂して、話をごまかしています。

あなたは、たいへんな学識を有し、宗教的実践を信条とされるのであれば、日蓮聖人の真実に基づいて語ることこそ、真の実践といえるのではないでしょうか。わたしの彫刻鑑別に同意をいただけるのであれば、もはや、そこに真実がないことは明白ではありませんか。

日蓮聖人は、(たぶん自作の)釈迦立像を持仏とされ、拝んでいらっしゃった。そのお像にお題目を唱えていたのではないでしょうか。この事実は石山門下には受け容れがたい事実であり、また、仏像を拝むことには大きな抵抗があるでしょう。しかし、この抵抗こそ、日蓮その人と、自負する信仰の相違・異轍であることはもはや動かし難い事実です。

彫刻が偽であることを「言えない」こととして、日蓮御立の法門に非ざることを実践するのが、果たして日蓮に名を借りた宗教実践といえるかどうか。当掲示板は役に立ちます。再考されることをお薦めします。

609きゃからばあ:2006/04/19(水) 10:13:24

横レスすみません。
文殊さん、はじめまして。
ひとつだけ教えてください。

>603
筆禍事件で左遷された充道さんも今度は濱斥処分…。

濱斥処分は驚きました。
いつの事なのでしょう。またその理由は?
スレッドに関係ありませんが、よろしくお願いします。

610きゃからばあ:2006/04/19(水) 10:20:21

訂正
誤 >603
正 >602

611通りすがり:2006/04/19(水) 11:16:48
>>609
横レスですが、花野先生の「濱斥処分」とはきゃらばあさんの読み違いだと思います。

603には
「数多くの本尊鑑定をしているはずの八木日照氏も内心では河辺メモと同じ結論でしょう。八木氏も公言したら総監の地位を失う
でしょう。筆禍事件で左遷された充道さんも今度は濱斥処分です。」

となってますので、あくまでも仮定の話(しかも予測)で書かれたんだと思います。

612きゃからばあ:2006/04/19(水) 12:13:38

通りすがりさん。ありがとうございました。
どうやら私の読解力の無さを知らしめてしまいました。
みなさん、御迷惑をお掛けしました。

はっずかし〜っ!!

613文殊:2006/04/20(木) 17:34:15
犀角独歩さんのご指摘真摯に受け止めています。久遠寺第三世日進写本が
ある『立正観抄』は真蹟曾存蓋然性が比較的高いと思われますので、少々
考察を試みます。京都出身の最蓮房が叡山の止観勝法華劣新義の動向と教
判を求める書簡を日蓮に出した。この最蓮房なる天台学僧の書簡正本は存
在していないのですから、何ともいえませんが・・この書簡に日蓮が眼を
通して法華経と止観との同異を決したと伝えられています。この『立正観
抄』制作当時に、「将又、世流布の達磨の禅観に依るか」とありますが、
対破者は「みずから達磨宗と称し、日本天台が取入れた北宗禅にたいし、
教外別伝の南頓禅の新風を、わが国に鼓吹した」(田村芳郎「日本天台
本覚思想の形成過程─とくに宋朝禅との関連について─「印度仏教学研究」
昭和37年)大日能忍を特定するのか、それとも栄西かそれかなぜか現存
真蹟遺文に言及されていない道元なのか、後世偽作とすれば等海「宗大事
口伝抄」にインスピレーションを偽作者が受けたのかという疑問が生じま
す。日進写本の書誌学的考察はれんさんお願いできますか。

614れん:2006/04/20(木) 21:51:36
「立正観抄」身延三世日進師写本には奥書に「正中二年乙丑三月於洛中三條京極最蓮房之本御自筆有人書之今干時正中二年乙丑十二月二十日書写之也 身延山元徳二庚午卯月中旬重写也」「立正観抄送状」同師写本奥には「正中二年乙丑十二月廿日 今元徳二年庚午卯月十二日於身延山久遠寺重写之也」とあります。この奥書によれば、日進師が、京都三條京極において最蓮房之本(最蓮房所持本の意?)御自筆(蓮師自筆?)をある人が正中二年三月に書き写した本を日進師が得て同年十二月に書写し、元徳二年に身延山にて重ねて写本を作成したという文意になりましょうか。
有人が誰か特定出来ないため、日進本の底本が誰の筆かわからないのが残念ですが、鎌倉末期の正中二年には洛中・三條京極において最蓮房之本・御自筆と称する「立正観抄」ならびに同書「送状」が現われたことは確かでということであろうと思います。
この日進師の奥書を信用するならば最蓮房は実在し、蓮師から「立正観抄・同送状」を贈られたのは史実とみてよいのではないかと愚考します。

615文殊:2006/04/21(金) 00:01:39
れんさん、学恩に深く感謝します。この日進師写本奥書は貴重な史料です。
蓮師は東陽房忠尋(1065-1138)の「法華玄義見聞」に見る四重興廃義を
存知していたことになります。忠尋は真蹟遺文「大田殿女房御返事」(
中山法華経寺)「但天台の第四十六の座主・東陽の忠尋と申す人こそ
此の法門はすこしあやぶまれて候」「然れば天台の座主の末をうくる人」
と評されています。蓮師が著述の際に批判的な見地からであっても参照
していたことは確かということになります。「当世の学者」が「天台己
証の妙法を習い失い」「禅宗の一門」の「松に藤懸る松枯れ藤枯れて後
如何」「上らずして一枝なんど云える」公案を「深く信ずる」状況が
記述されていますが、田村芳郎氏が示教されるように叡山に禅宗が急速
に流入し、「それが形にあらわとなってくるのは、俊範の弟子の静明
あたりからであろうと想像される」(「前掲論文」)つまり、日蓮と同学
の静明が円爾弁円(1202-1280)に師事し、弁円の教説に「感服おくあたわ
ざるもの」があって、四重興廃義の成立を見ると論じています。そうなる
と蓮師が俊範─静明椙生流と完全に袂を分かち、終生禅に染まった叡山に
批判的であった理由が分かります。

616文殊:2006/04/21(金) 00:40:37
追加ですが、「送状」では最蓮房に「問答有る可く候か」と天台宗に
問答をすすめていますが、蓮師は天台最新義に強く関心を示し、京都
からの手紙で叡山の動向を記した手紙を読んでいたことになります。
どうしても真撰が証明されず最蓮房も実在しないとなると、「立正観
抄」制作者・制作集団は、禅宗の急速な拡大に神経を尖らせていたこと
になります。偽作にも強い執筆動機がなければ書けないはずです。
日有師が甲州で禅宗と交渉した経緯がありますが、どうなのでしょう。
話は問題の「総勘文抄」に変わりますが、系年が弘安二年十月になって
いますが、果たしてその事情は奈辺にあるのでしょうか。天台宗と確執
が頂点に達した熱原法難の時期に重なります。智証のことを「先徳大師」
と。偽撰にしては、この撰述者の制作意図が見えてこないのです。

617犀角独歩:2006/04/21(金) 01:10:45

文殊さんは、日蓮が全集に関心を寄せた時期を一体いつ頃であると考えているのでしょうか。
俊範から日有と話が、あまりに2次元過ぎて、時系列が意識されていないように思えますね。

なお、総勘文抄の件は、答えを待つこととします。

618犀角独歩:2006/04/21(金) 01:11:30

【617の訂正】

誤)日蓮が全集
正)日蓮が禅宗

619顕正居士:2006/04/21(金) 19:30:28
わたしは立正観鈔送状はたいへん疑問の書だと考えます。

「己証既に前方便の陀羅尼なり、止観とは説己心中所行法門と云ふが故に、明かに知んぬ
法華の迹門に及ばずと云ふ事を。何に況や本門をや。若し此意を得ば檀那流の義尤も吉なり」
檀那流の義というのは「檀那流には止観は迹門に限る」と前にあります。

止観は奪っていえば爾前である。与えていっても迹門である。止観は玄文に劣ることになる。
これは日蓮の思想と全く整合しない。玄文には百界千如しかなく、真の一念三千は明らかではない。
それは止観の正修章にのみある。そして依文は寿量品である(智論ではない)というのが一貫した
日蓮の思想である。

写本の検討が必要だとおもう。もっとも写本の時代性が確認されても、こんなに混乱した内容は
真書とおもえないし、かえって上代だからこその偽書であろうとおもいます。

620文殊:2006/04/21(金) 21:54:07
犀角独歩さん、真蹟遺文に見る禅宗対破は「安国論御勘由来」(中山
法華経寺、47歳)を以って稿矢と為すと思われます。大日能忍は
法然とともに「二人の増上慢の者」として指弾されています。一時
日蓮から寵愛を一身に受けていた三位房日行に対する「法門申さる
べき様の事」(中山法華経寺、48歳)に「叡山の正法の失するゆえ
に大天魔・日本国に出来して法然大日等が身に入り」「名は天台真言
にかりて其の心も弁えぬ高僧・天魔にぬかれて」「禅は・はるかに天台
真言に超えたる極理なり」この時点で日蓮は叡山教学が急速に禅宗に
よって席巻されていることを存知していたことになります。

621犀角独歩:2006/04/21(金) 22:20:38

文殊さん

620のごとく時系列であるとすれば、日蓮が俊範のもとに学んだ時点で禅を云々する根拠は崩れると思いますが、この点が如何でしょうか。

622文殊:2006/04/21(金) 22:35:02
犀角独歩さん、「総勘文抄」真偽問題についてですが、「録内御書」に
分類されていますが、このことは全くの偽書と断定できるのかという問
題が生じます。偽書と断定するならば「総勘文抄」は系年も含めて、なぜ
大部の天台系文献を駆使して誰に、何の目的のために(自山宣揚のため
とか、京都布教で山門衆徒と対立関係にあり理論武装に必要だった)わざ
わざ宗祖に化託して「偽書」をこしらえたのか?源信の「自行略記」を
底本にしているといわれます。手元にありませんので、厳密な校本対合は
顕正居士さんにお願い致したいのですが。在家の素人教学ですが、私なり
に「総勘文抄」を読んでみまして「然るに宿縁に催されて生を仏法流布の
国土に受けたり。善知識の縁に植いなば」の「善知識」に着目してみまし
た。「三三蔵祈雨事」(大石寺、54歳)に「されば仏になるみちは善
知識にはすぎず」「善智識たいせちなり」「一眼のかめの浮木に入り」
に照応するのです。「本覚」の用語はともかく、「善知識」の重要性を
説示するところは真蹟遺文とも思想的な整合性があると考えます。

623文殊:2006/04/21(金) 22:45:32
犀角独歩さん、投稿が前後してしまいました。京畿遊学中に禅宗を
強く意識したという遺文は現時点では新史料が発見されていません。
日蓮が40代のとき、当時の最側近三位房を通じての情報によるもの
が大きかったのではないでしょうか。50代で最蓮房なる天台学僧の
「音信」を通じて「禅勝止観」義を知ったということでは。

624犀角独歩:2006/04/22(土) 07:10:24

文殊さん、二点。

一点。わたしを含めて皆さんは、総勘文抄を、正確には『三世諸仏総勘文教相廃立』というべきでしょうが、この書を直ちに偽書であると言っているわけではありません。真跡を遺さない故に日蓮の教学の定規にすべきではないといっているのです。これは真跡主義全般に言えることでしょう。

日蓮その人の教学を知るうえで定規とすべきなのは、第一に注法華経であり、次に真跡遺文である、これらを基準にして、いわゆるその他写本と言われるものを考えるということです。真跡のみを取るか・御書全体を取るかといった選択論ではありません。あくまで基準を何に定めるのかという人文科学的、書誌学的判断です。

ですから、先より話題になっている「本覚」ということならば、真跡:写本=1:70という著しい使用頻度の差異があれば、この考えを日蓮は採用していなかったという判断が至当なものであることになるという次第です。

この書を文殊さんは、読み直してみたうえで、真跡の可能性を『三三蔵祈雨事』のことからさぐったというのが直前のご投稿の意味でしょうか。

わたしはこの書の冒頭「夫一代聖教とは総て五十年の説教なり。是を一切経とは言ふなり。此を分かちて二と為す。一には化他、二には自行なり」、この一節だけでも、二つの問題を感じます。

一つは「総て」という語の用法です。この用例は、真跡遺文から見るとき、『日妙聖人御書』(文永九年5月25日 51歳)に一度、「総(總)て」と使われていますが、他にはないようです。「總」の字の使用数は、ざっと数えただけですが、70余り、多くの使用法は「総じて」また、総罰といった漢成句の冠頭での使用です。つまり、日妙に宛てた書の「総て」は真跡遺文中では特例に属します。日蓮が「すべて」と書く場合の用例は「都て」で、真跡遺文中では、だいたい20の使用例があります。それにも拘わらず、総勘文抄では「総て」を使っています。やや首を傾げざるを得ません。

もう一つは「一切経…化他…自行」ということです。日蓮の一切経分類は「一代五時」であり、曽存に枠を広げれば内外大小顕実本迹と言ったものです。自行・化他という分類は見ません。語句として、真跡遺文の自行の使用例は3箇所、化他は2箇所で、しかも自行・化他という相対で使用されているものではありません。つまり、真跡遺文から見る日蓮義では一切経を自行・化他に分かつという分類はないのです。

さらに一つを加えれば、そもそも題名の『三世諸仏総勘文教相廃立』の‘廃立’ですが、この用例は、真跡遺文では、ただ1箇所のみ、それも『浄土九品事』で「諸行を廃して念仏に帰せんが為に而も諸行を説くなり」ということを廃立といい、これは廃立・助正・傍正という浄土教学の3分類の説明に使用する語です。それが総勘文抄ではまったく違う意味によって題名とされています。

以上、冒頭の1行を取っても、この書が日蓮真筆であるということを、わたしは訝しく考えます。

2点め。日蓮の禅の認知ということですが、この点を考えることについても二つに分かち、記します。

一つ。先の投稿で、文殊さんは日蓮(蓮長といったほうがよいのかもしれませんが)が俊範に師事していた段階で禅を認知していた如く論じていましたが、これは先ず有り得ないでしょう。ただし、38歳の『守護国家論』の段階で「禅宗」という表現をされています。ただし、ここでいう「禅宗」は、現在で言う○○宗といった宗派分類とはニュアンスが違うでしょう。

もう一つ。日蓮が禅を意識するのは、北条家が大陸から禅師を迎え、それが武家に伝播し、鎌倉仏教の新主流になっていった危機感にあるというのが、わたしは至当な見方であると考えます。つまり、日蓮が言う禅とは、この禅を指すのでしょう。この時期は、日蓮が流地から鎌倉に戻った頃ではないでしょうか。この認知は、別段、三位房、最蓮房という人々を引き合いに出すまでもないことであろうと思います。

重要な点は、日蓮が四箇格言などといわれる念仏・禅・真言律と論じるとき、その教義比定もさることながら、常に、具体的な人間を意識していたということです。その意味において、実に日蓮は人間くさいと、わたしには思えます。

なお、日蓮の禅批判は、仰るような最蓮房「禅勝止観」などということではなく、禅天魔の所為とは「教外別伝」を以て捌くのが日蓮の在り方です。

625犀角独歩:2006/04/22(土) 15:42:38

ちょっと、補足します。

> 日蓮が四箇格言などといわれる念仏・禅・真言律と論じるとき…具体的な人間を意識

これは要するに、日蓮がライバル視というか、批判の対象とする人々という意味です。
法然、良観等の類ということです。

626文殊:2006/04/22(土) 18:34:50
「三世諸仏総勘文教相廃立」は弘安二年十月との系年になっていますが、
なぜ農民信徒斬首事件の渦中にあってかくも冷たい思索に終始しているの
かは私にとって長年の疑問です。「なごへの尼せう房・のと房・三位房」
(「聖人御難事」十月十日、中山法華経寺)「種種の秘計を廻らし近隣の
輩を相語らい遮つて跡形も無き不実を申し付け」(「滝泉寺申状」十月、
中山法華経寺)と緊迫していた状況でした。この時は三位房の離反事件
があり、京畿遊学経験の三位房に代わって、関東天台出身の日興が頭角
を現した時期でもあります。苅田狼藉事件農民信徒逮捕拘留にあって、
日蓮が源信の「自行略記」を参照しつつ「総勘文抄」を「執筆」して
いたと仮定すれば、「善知識」(日蓮は教団内の秩序として「師弟」義
と同じ意味で用いていたと考えます)の重要義を説示したのでしょう。
但し、「総勘文抄」のどこからどこの部分が「自行略記」からの引用
であり、肝心の日蓮の独自思想はどこにあるのかは、「自行略記」と
の厳密な検証が必要です。さしあたり、私は結論部分に着目してみた
のです。「春の時」「風雨の縁」「秋の時」「月光の縁」「三世の諸仏と
一心に和合して妙法蓮華経を修行」師匠の日蓮に従って一心に唱題
行に励むならば成仏できる。これを知るを本覚・仏であり、これに
迷うを無明・凡夫であるぞよ、いかなる障り(法難)も日蓮とともに
乗り越えていこうとの趣旨でしょうか。犀角独歩さんのような明晰・
合理的な書誌学的考察には及びません。「總」の用例については思い
もつきませんでした。長くなるので続きは数時間後に改めて投稿します。

627文殊:2006/04/23(日) 00:12:08
「一に諸行を廃して念仏に帰せんが為」「二に念仏を助成せんが為に」
「三に念仏諸行の二門に約して各三品を立てんが為に」(「浄土九品の
事」)「難行易行・聖道浄土・雑行正行・諸行念仏、法然房の料簡は諸
行と念仏と相対なり」と「此れを分かちて二と為す。一には化他、二
には自行」(「総勘文抄」)の二分法論理と「法然房の料簡」とがあまり
にも酷似していることが分かりました。「浄土九品の事」(西山本門寺)
という普段では滅多に読まれない遺文を引用される犀角独歩さんに、
並ならない教学センスを感じました。「廃立」の論理が浄土のロジック
であることを。問題の「本覚」の真蹟遺文に見る用例ですが、「八宗
違目抄」(京都妙顕寺)に「華厳宗は一念三千の義を用いるや」の問い
に対して経証として蓮華三昧経の「本覚心・法身常に妙法の心蓮台に
住して本より来た三身の徳を具足し」と並列的に挙げているのみです。
「八宗違目抄」のみが「本覚」であれば、まさに本覚思想であるとい
うことはできないです。では始覚思想かといえばそうでもない。「心の
月くもりなく身のあかきへてはてぬ、即身の仏なり・たうとし・たうと
し」(「光日尼御返事」小泉久遠寺)「日女御前の御胸の間・八葉の心蓮華
の内におはします」「日女御前の御身の内心に宝塔品まします」(京都
本能寺)と女性信徒に対する教導に本覚思想を部分的に援用していた
と考えます。然し「新田殿御書」にあるように「経は法華経・顕密第一
の大法」「仏は釈迦仏・諸仏第一の上仏」「行者は法華経の行者」の三事
相応が檀那の一願成就の前提と為すので、中古天台とは完全に一線を画
しています。「新田殿御書」(大石寺)は大石寺では忘れ去られていま
すが、「21世紀日蓮義」再構築に向けて手がかりになる真蹟遺文では
ないでしょうか。

628犀角独歩:2006/04/23(日) 09:17:37

文殊さん

少し遡りますが、

> 録内御書

録内と言っても、その編纂は蓮祖滅後100年以上を経てのことですから、まあ、録外より信頼度は高いけれど、その程度の基準にしか今はなっていないわけでしょう。門下伝説としては、蓮祖三回忌かなんかで行われたと言われてきた。しかし、実際は100年程あとのことであった。2年と100年ではこれはずいぶんと信頼度は違ってきます。真偽の判断基準にすることには躊躇いが生じることになったのでしょう。

また、今成師のご指摘であったと思いますが、たとえば『如説修行抄』を師は偽書であると断定されるわけですが、では、それが造られた時期はいつ頃かと言えば、日蓮在世であるというわけです。この説にわたしは吃驚させられましたが、しかし、あり得ないことではないと思います。日蓮は虚御教書には悩まされたようですし、偽書との格闘は既に在世に始まっていたと見るのは至当であると思えるからです。

日興の遺言であるとされる『日興遺誡置文』に

 一、御抄何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者之有るべし、若し加様の悪侶出来せば親近すべからざる事。
 一、偽書を造って御書と号し本迹一致の修行を致す者は師子身中の虫と心得べき事。

という2項がありますが、仮にこの置文が本当に日興によるとすれば、蓮祖滅間もなく、このような事態が生じていたことを物語っています。それが仮託であったとしても、録内編纂の頃には、既にこの事態は生じていたのではないでしょうか。わたし自身は、この100年の間に録内に突っ込まれたいま現在信頼されている写本にこそ、慎重になっています。特に日興写本には神経を払います。より具体的に言えば、真蹟を残さない日興写本を手放しでは信頼していません。その代表が『本尊問答抄』です。「末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし」という一節を真蹟遺文の次に置く理由もここにあります。

偽書問題は、日蓮門下一般のみの問題ではなく、当時の日本全般の出来事であったのであろうと推測されます。

> 偽書…誰に、何の目的のために…わざわざ宗祖に化託して「偽書」をこしらえたのか?

真偽問題を考えるとき、わたしは、このような「推理小説まがい」と言えば失礼かもしれませんが、疑義の立て方はかえって事実を探る邪魔になるものであると考えます。

以前も例に引きましたが、わたしが件の彫刻を北山所蔵の日禅授与漫荼羅を原本とし臨模・作為した模造品であると断定したとき、やはり、同じような視点から。わたしの鑑別を批判した人がいました。「なんで日禅授与漫荼羅を使わなければならないのか、北山にあったものをどうして、原本にできるのか、その点が説明されなければ採用できない」というわけです。

目的とか理由など、知る由もありませんが、しかし、日禅授与漫荼羅と石山彫刻の二つを比較するとき、画像として相似しているのは動かぬ事実です。つまり、捏造の経緯や、動機などがわからなくても、相似していることは一目でわかることです。
北山所蔵の日禅授与漫荼羅と酷似していると言うことは、要は石山所蔵の同漫荼羅は、北山のそれと酷似していることを意味するのであって、そのことから、いまは石山所蔵となっている同漫荼羅を原本としたという結論に達することになります。別段、その捏造動機など考慮する必要はありません。

翻って当て推量で申し上げて恐縮ですが、文殊さんが『総勘文抄』について、偽書仮託の動機を挙げることは、これは裏返せば、ご本人の信念体系から、この書が偽書であっては困るという“事情”があるからではないでしょうか。この点は本覚論についても、言えます。

そもそも真偽を云うときに証明の義務を追うのは偽を言う者であるというより、真を言う者であるというの世間の常識です。「本人であることを確認できる証書を提示してください」とか、「鑑定書はありますか」といった形で、一般社会では常に真である証拠の提示を求められます。

ところがおかしなことに、殊、日蓮、もっと言えば創価学会を含む石山圏という信念体系ではまったく逆のことを求められることになります。そして、肝心の真を証明すべき彫刻であるとか、文献類に関して、その真たる証拠を求めると、あろうことか逆に「偽であることを証明しろ」と開き直る始末です。何をか言わんやとは、このことでしょう。

629犀角独歩:2006/04/23(日) 09:20:06

―628からつづく―

では、このような開き直りが(文殊さんの622のご投稿が「開き直りである」というのではなく、石山の開き直り論法に引っかかっているのでないのかという憶測ですが)何故、起きるのか、それは、それまで、自分が信じてきたことに対する執着があるからではないでしょうか。これは文殊さんのことを申し上げると云うより、わたしの自分史がそうであったから、そう記すわけです。しかし、この掲示板にいたり、議論に徹底してつきあってくださる皆さん、特に問答名人さんの学恩によって、過去半世紀近くも自分が信じていたことを変えられない自分とは、抑もいったい何なのか、信仰に対する強い思いがあるからかなどと自己分析もしたわけです。結局のところ、自分が信じてきたことを批判されることに対する拒絶反応に原因があると考えられるわけです。先にも挙げた今成師の摂折論争の現場で顕本法華宗辺りでもたいへんなものがあったわけですが、ここでも守られようとしているのは、日蓮とその教えであるという見かけがありながら、実のところ、それぞれ、自分が信じていることに対する執着とそれをいじられることに対する憤りがその奈辺で蠢いていると観察できたわけです。

しかしながら、例を日蓮に採れば、権実を云うに、そこで権(かり)を簡んで実を取ると言う、それは正直捨方便ということでも善いのですが、結局のところ、事実、真実を採るというところにその精神があるとわたしは観察します。

日蓮は法華題目の人というのは建長5年以降の話なのであって、子供のときに清澄寺に上った善日麿(薬王麿?)は後に出家して蓮長となっても、そこで修学していたことに信仰があったわけでしょう。それが普賢信仰であったのか、称名念仏であったのか、あるいは真言混交の日本天台の当時の教えであったのか杳としていますが、ともかく、幼少より培った背景の信仰があったのでしょう。しかし、日蓮はそれを捨て、真実を選ぶ道を採ったわけです。法華真実は真実かという今日的な課題はありますが、しかし、日蓮の姿勢は、真実を正直に選ぶという姿勢で一貫されていた。わたしの日蓮観はここにこそあります。日蓮は真実を信仰する実践者であったと考えます。真実・事実の探求と、その信仰です。わたしは、この日蓮の姿勢を信仰します。なぜならば、近代の真理探究という精神との、類型を見るからです。

ところが、現在の石山門下の人々は、真実を信仰しているわけではなく、反って、それどころか真実の探求に眼を瞋らせているわけです。何故か。結局、それは自分信じていることを真実であって欲しいという執着を脱し得ないからでしょう。結局のところ、真実を探求することより、自分が信じきたこと、実践してきたことを信じるという主客転倒に陥っているように見受けます。

日蓮が信じていたものは、現代の科学のもとでは次々と解体され、相対化されました。しかし、わたしは真実の探求者、その実践者であろうとした日蓮の精神は、それでも評価に値するところを大きく残していると考えています。真実の探求、真実の実践こそ、日蓮の魂なのだということを、いわば、21世紀の日蓮の根本に据えるべきところではないのかという思いは、わたしの心中では信念信条となりつつあります。当スレは空即是進化さんのご提案によって開始され、しばらくで1年が経過しようとしていますが、わたしの日蓮観は、そのお陰をもって、一つの方向性を見出すことができた次第です。

630犀角独歩:2006/04/23(日) 09:20:44

―692からつづく―

なお、本覚論ということについて、一言すれば、そもそも日蓮にはそんな認識はなかった、始覚も本覚も意識などしていなかったという実状ではないかと思います。先に記しましたが、本覚が一つの判断肢になるのは、近代の島地大等師以降のことなのであって、日蓮のあずかり知らないことでしょう。もちろん、現代から見て、日蓮の学風は、いったい、どこに分類されるのかという学術研究は可能です。しかし、いまの本覚眼からの日蓮解釈というのは、上述したような“執着”ばかりが鼻につきます。

要は真実は何かということを、いったん、自身の信仰執着から離れた視点から冷静に観察しない限り、この正確な認識は困難でしょう。そして、そこで判断基準になるのは注法華経、真蹟遺文、まあ、敢えて加えれば曽存ということになるのでしょう。石山に永らくいると、この判断肢が、それまで学んできてしまった写本に対する執着が邪魔をしますし、何より彼の偽物4点セットを否定もできないという“しがらみ”もからみつきます。結局、せっかくの学識、努力を払っても、真実を語れないというお気の毒な結果になるのが、先に文殊さんが尊敬を払って紹介された石山学僧の有様ということではないでしょうか。尤も4点セットに関しては正信会も同様で、故に、わたしなどより、遙かに研鑽、研究もしている御仁たちに、真実を探求と実践を生涯の課題とした日蓮の魂への信仰の原点に還れと言わなければならないことになるというのが、当掲示板での、わたしの発言という殊にならざるを得ないことになるわけです。

それにしても、文殊さんは「素人在家」などと自己紹介されていますが、わたしは平成初頭から数カ年、教学部と、石山宗務員内事部『大日蓮』編集室から仕事を請け負っていたので、その周辺の人々はそれなりに知っているつもりではいましたが、あなたのようが学識のある方がいらっしゃることには遂に気づけなかったのは残念でした。もう少し、早く出会いたかったと今般、思ったものでした。

長くなりましたので、627については改めてとさせていただきます。

631犀角独歩:2006/04/23(日) 09:25:36

【630の訂正】

誤)わたしの発言という殊
正)わたしの発言ということ

誤)あなたのようが学識のある方
正)あなたのような学識のある方

632文殊:2006/04/23(日) 22:26:53
「真実・事実の探求と、その信仰」「近代の真理探究」犀角独歩さんの
ご意見に賛成します。21世紀初葉現代日本にあって求められるもの
なかんづく板本尊神話・聖地信仰が瓦礫となり「荒地」となった石山
圏にあって伝統教学の何を捨てなければならないのか、漢字文化から
急速に離脱しつつある次の世代に何を遺していくのか、来るべき21
世紀中葉に向けて日蓮遺文の真実を語り継いでいくのか、行動的思想
家犀角独歩さんの思索は豊饒なイマージュに富みます。

633文殊:2006/04/24(月) 19:21:39
仏教各宗で最も尖鋭的な研究がなされているのはおそらく禅でしょう。
伊吹敦氏の禅の通史は伝統的な解釈を一変させた。高柳さつき氏は道元
抜きの兼修禅としての日本中世禅の見直しを行っている。また道元解釈
も禅僧・哲学者の往復公開書簡を通じて矢継ぎ早に斬新な解釈が生産さ
れている。日蓮がなぜ「教外別伝・不立文字」の大日能忍に批判を向け
たのか。密教禅兼修の栄西でもなく、純粋禅の道元でもなかったのか。
近年禅研究の急速な進展は、日蓮による禅対破の意味を改めて問うこと
になると思います。日本思想史に禅を位置付けようと試みる末木文美士
と参禅体験でなく徹底した中国語文法による読書仏教で中国禅の「同時
代の現代性」を犀利に追求する小川隆氏の論争。欧米における鈴木大拙
受容をめぐるオリエンタリズムと知的刺激に満ちている。浄土に目を転
じても、日蓮は親鸞をなぜ引用することなく法然破折に終始しているの
か。これもまた不思議といえば不思議です。

634文殊:2006/04/24(月) 19:33:29
末木不美士氏でした。敬称略してしまい失礼しました。
「第三文明」5月号には末木氏最新著「仏教vs.倫理」をめぐる
インタヴューが掲載されています。「理解不能の「他者」と出
会ったり、想像を絶するような出来事と遭遇したとき、それまで
の<人間>の倫理では収まりきらない部分が出てきます」
「そうしたルールからはみ出したところを扱うのが、宗教だと
思うのです」「人間の内面には、嫉妬や憎悪、あるいは殺意と
いった感情も含まれています。近代はそうした心を抑圧してき
ました」「その点、宗教は人間の善悪両面を見据えたうえで成
り立っています」

635犀角独歩:2006/04/24(月) 22:27:13

文殊さん、つかぬことをお尋ねしますが、末木さんを評価される理由は何でしょうか。

636文殊:2006/04/25(火) 00:16:39
充道さんが絶賛していることもあります。末木さんは充道さんを持ち
上げて論文に引用充道さんを「全国区」に押し上げたこともあります。
禅研究が末木さんのベースでしょうか。最近は。天台本覚思想から禅
にシフトしているかもしれません。末木さんは「第三文明」たびたび
登場でもわかるように東哲とも通用があり、かつ充道さんとも盟友と
いうまあ何といいますか忙しい方です。近年、文章がひどく荒れてき
た感じがします。『解体する言葉の世界』(岩波書店)なんか駄作
です。友人の佐藤弘夫氏は「思想」の書評で「魔物が取りついた」と
酷評しています。末木さんは近代日本の哲学者の仏教理解についても
強引といいますか勝手きままな文章を書き散らしていますね。天台
本覚思想に専念してほしいと思うのですが。ジャクリーヌ・ストーン
女史の翻訳とか。このままでは仏教界の柄谷行人さんになりかねない
ですよ。

637文殊:2006/04/25(火) 01:05:26
でも末木さんもいいこという時があります。波が激しいといいますか、
そのときどきで振幅が激しいというべきか。石山でいえば達師に資質
が似ているかもしれません。私が末木さんの夥しい文章を読んでみて
心を捉えた一節がありました。「私は、自ら体験しえない「死」を
哲学の中に組み込むのではなく、実際にわれわれがもたざるを得ない
「死者」との関わりを原点とすることにより、現世の世俗社会に閉ざ
された哲学を突破する道が開かれるのではないかと考える。「死」を
哲学に組み込もうとするかぎり、ハイデガーの「死への先駆的決意」
というところが限界であり、「死」そのものに直接関わることができ
ない。しかし、われわれは実際に死者と関わりながら生きている。と
いうよりも、われわれは死者との関わりなしに生きることはできない」
「身近なものの死を経験した人ならば、恐らく誰でも、死者がただ無
に帰してしまったとは考えられないであろう。不在の死者に語りかけ、
また死者の声を聞く。それは身近な死者だけではない。戦争の死者、
虐殺の死者たちもまた、常にわれわれに語りかけ、われわれを責める。
それは、「無限」対「有限」という抽象的な関係ではなく、きわめて
具体的な関係である。そして、その関わりの中から仏陀を見出し、
また倫理の可能性を見出していくことができるのではないかと考える」
(「仏教の非神話化とそのゆくえ─今村仁司『清沢満之と哲学』を
めぐって─」「思想」2004年11月号127頁)かくして私は末木さんに
傾倒しています。片っ端から読んでいます。

638犀角独歩:2006/04/25(火) 10:51:31

文殊さん

末木さんは、『天皇信仰と仏教』をテーマで、本年1月に話を聞きました。
まあ、コメントは避けます。

それにしても、“「死者」との関わり”といったテーマは、末木さんを典型とするものではないと思います。本来の日本という意識分析においてラフカディオ・ハーン、チェスタトンを挙げて、渡部昇一師が『日本史から見た日本人・古代編』(祥伝社)というベストセラーで、以下のように記しています。

「日本人の「死」に関する特殊な観念……日本の死者は死んでもなくならない。……死ぬというのは「退去」なのであり消散ではない…日本人が死んだ祖先のことをいつも気にしているのは、明治に日本に来た外人の目にはひどく異様に見えたものらしい。それでラフカディオ・ハーンなども、日本の特徴を、「死者の支配(レグヌム・モルトオルム)」と言っているくらいである…G・K・チェスタトンは、これ(死者のことを考えるのが正統主義のセンスである)を時間的民主主義の拡大と名付けている。普通の場合、民主主義の拡大というのは、選挙権の水平的確題に対して用いられてきたわけだが、彼は死者の意見を考慮すること、つまり伝統として残されたものに、しかるべき敬意を払うことが民主主義を拡大することになると考えたわけである」(P81〜86)

等と記していました。日本人の「ご先祖様」といった観念は、何も末木さんの文章に依るまでもないことであると思います。

こう言っては何ですが、末木さん、花野さんといった日蓮の実像から考えるとずいぶんと距離のあるところから、日蓮を拝んでいらっしゃるのだという印象を受けます。

639犀角独歩:2006/04/25(火) 11:21:39

文殊さん

引き続き、もう一つ、質問させてください。
本覚の魅力というのは、何ですか。そこまで執着される理由は、いったい、どこにあるのでしょうか。

640文殊:2006/04/25(火) 20:35:57
私の場合は、末木・花野両氏の諸著述・諸論文を通じていわゆる本覚
思想に関心を懐いたというのが実情なのです。天台学に精通している
顕正居士さん、現代における富士上代文書の第一人者れんさんのように
白文・第一次史料に直接アプローチするのではなく、おふたりの論文
を手がかりに「立正観抄」「三世諸仏総勘文教相廃立」を読んでみた、
ということなのです。私にとって本覚思想は日蓮の信行論という文脈
でなく末木・花野両氏による「現代思想」なのです。たとえば、柄谷
行人氏がウィトゲンシュタインを「現代的」に語ったとはいえ、それ
はウィトゲンシュタインの実像を精確に把握したものではないでしょう。
むしろ、岩波文庫から「論考」の新訳を上梓した野矢茂樹氏の方が遥か
に実像に近いといえます。末木・花野氏の「現代思想としての本覚思想」
はあくまでも近代日蓮解釈のひとつであって、日蓮遺文そのものの真実を
素描するものでなく、ひとつの「美しい物語」の語り手として大衆的な
人気・大衆受容に成功しているのではないかと思われます。犀角独歩さん
ご指摘の通り日蓮には「本覚思想」の概念はありません。1970年代
後半論壇デヴューした末木・花野両氏が全共闘・新左翼運動の蹉跌の余燼
覚めやらない時代思潮にあって、フランス・ポストモダニズムの思想的
影響を受けつつ、あくまでも「現代思想」として論陣を展開していった。
私は同時代人として思想的な影響を受けているということなのです。
第二次世界大戦の「戦争の死者」は未だに全員の遺骨が収集されてはい
ない。クメール・ルージュによる「虐殺の死者」もです。末木氏の死生
観には陰影が深いと感じます。

641犀角独歩:2006/04/25(火) 21:57:50

文殊さん、640に記されるところ、なるほど、そのような意味かと拝読しました。
わたしなりの意見を述べれば、本覚解釈など、もはや「現代思想」ではなく、20世紀の遺物に等しいという感覚があります。そんな時代解釈は、精査された日蓮実像に迫る在り方に比べれば、既に近代の話という認識です。

ところで文殊さんは末木さんご本人にお会いになったことがありますか。
文章はともかくとして、「死生観には陰影が深い」という表現は、実際に本人の話を聞いた印象からすると隔たりがありますね。

日蓮を読むのであれば、日蓮その人の確実な資料を手がかりにして疑偽書を読む以外に、何故、花野さん・末木さんを選ばれるのか、わたしには理解できません。また、そこで選ばれるのが、立正観抄、三世諸仏総勘文教相廃立という選択も理解しがたい部分です。

当掲示板で、本覚論などを、真剣に信じているような方が参加されているのでしょうか。まあ、どのような方が記されることにも、特に制約はありませんでしょうが、むしろ、本覚を卒業したところからの議論のほうが話題の中心ですから、文殊さんのお求めの意図は、やや斟酌いたしかねるところがあります。

642文殊:2006/04/25(火) 22:42:42
当掲示板は、本覚を卒業したところからの議論を前提とされている
こと領解しました。他スレッドでの法華仏教思想・富士初期教団考
のレベルの高さに、拙稿の至らなさを痛感する次第でございます。
本覚についてはこれ以上当掲示板では投稿はしません。改めて勉強
し直します。私にとって末木さん・花野さんの本覚思想はいわば、
言葉は悪いですが「脳内麻薬」なのです。一度読むとまた読みたく
なる・・・ご叱正覚悟の上ですが、正直に記します。末木さんに
お会いしたことも講演をきいたこともございません。末木さん
の死生観は私なりの主観的な思い込み読み込みがありました。
広島・長崎の被爆の記憶も風化に、イラク戦争の劣化ウラン弾
も忘却の彼方になりつつある時代認識を末木さんの文章に投影
させました。

643犀角独歩:2006/04/25(火) 23:18:42

文殊さん

> 広島・長崎の被爆の記憶も風…イラク戦争の劣化ウラン弾も忘却

この二つは、ハンディーキャップ問題と併せ、日蓮以上に、わたしの主要テーマです。
しかし、ここに花野さん・末木さんの脈絡は、全くといってよいほど感じられませんが、これはわたしの誤認識でしょうか。

644犀角独歩:2006/04/26(水) 10:02:08

文殊さん、昨晩は疲れていたので、簡単に済ませましたが、改めて記します。

> 本覚…これ以上当掲示板では投稿はしません

いえ、わたしは、ご投稿を妨げる意図はありません。ただここは、挙証義務を厳しく言うことによって意義ある議論を積み重ねることができた場でしす。ですから、その筋をしっかりとお守りになれば、有意義な議論となると思います。

ただ、わたしが思うのは、学会を含む石山圏の人々が本覚を語る前提として、偽物4点セットに対する社会的・道義的な責任を果たしたうえで語らない限り、傾聴に値しないという側面があります。そもそもこの点は50年も前から指摘されていることです。

本覚という視点については、わたしはある面、ここ富士門流においては、‘言い訳の轍(わだち)’になっていないかという臭味を感じるわけです。また、日蓮を理解するうえで、この轍は、一つの結論に、つまり、特定の結論に転がり落ちていく危険をはらんだものであり、また、転がり落ちたその場所は日蓮の実像からほど遠いものになるという悲惨な結末も有しています。

本覚云々という視点は、わたしの思惟のなかでは、もはや、古層に属し、この轍を辿っても、日蓮の実像に至れないことは経験則で知っています。故に人には勧められないと言うことです。しかし、それはわたしの浅薄な知識に支えられたものですから、確実な資料から再考を迫られるのであれば、それは快く考えてみたいと思います。しかし、これらの提示する人々は轍から一歩も出ることなく、結局のところ、殊石山においては、つまらぬ偽物4点セットをよそに議論の遊技に陥っています。

> 「脳内麻薬」

これは適宜な表現であると思います。実際のところ、日蓮本仏論にせよ、「本門戒壇の大御本尊」にせよ、そういった快楽原則に基づいて、人々を誣いているわけです。
しかし、文殊さんはすでに、これらお道具が偽物であることを内心として結論に至った。その時、次の、自分の、信仰と理性に与える脳内麻薬が必要となったのではないでしょうか。少なくともわたしにも、そんな経験はありました。

文殊さんは近代思潮に強い関心を懐かれているようで、この点は死生観、つまり、本来、仏教でその答を見出そうとされてきた四苦八苦の答を仏教と関連して見出されようとされる一環ではないのかと、勝手ながら観察しています。では、このような試みは確かに近代日本では繰り返し行われてきましたが、取り分け、その中でも、この技法で自分の信念体系を肯定化しようとした先駆けは、牧口常三郎氏にその典型を見、富士門下のその後の流れを創ってしまった観があります。この最初の試みは、彼の価値論と石山教学の無理な合体でした。「木に竹を接いだような」と的確に分析されてから、既に50年が経過しています。しかし、その後もこの技法は留まることを知りませんでした。結局、第三文明社や、聖教新聞社、果ては東洋哲学研究所に至るまで、この技法で、自己正当化の論理を構築した半世紀であったとも見えます。この点は石山の日蓮本仏論、彫刻の肯定論でも活用された中世の歴史もありました。この点は、当掲示板で語り尽くしてきました。

故に、やや牧口氏にのみ触れれば、金子弁浄師は、この価値論を、Theodor Lipps、Wilhelm Windelband、Heinrich Rickert、Emile Durkheim から受けたものであると分析したわけでした。そして、彼の価値論は幸福への希求であり、それが戸田氏に受け継がれるや、先の捏造であった彫刻をして「幸福製造機」と俗化を果たし、ついにその教線を不動のものにしたという経緯があったわけです。

647犀角独歩:2006/04/26(水) 13:07:56

【644の訂正】

誤)できた場でしす。
正)できた場です。

―644からつづく―

そもそも、日蓮の教えと現代思潮をつなぐものなど、何一つありません。しかし、これら“アクセサリー”の飾りは、それを華美に見せかける効果は絶大であったのでしょう。それが先に挙げた創価学会にかかる出版の過多と経営を支えるものとなっていったのでしょう。これに警告を発したのが聖教新聞初代編集長であった石田次男氏でした。この警告は一定の意義を持ちはしましたが、しかし、彼の教学理解は、戸田氏を師匠と仰いだためにそこが蓋となってそれ以上、高みに上がることができなかった憾みがあります。石田氏の著述は今から見れば、お粗末なものですが、それでも、当時はそれなりの意義はあったと思えます。

結局のところ、石田氏の警告は、生かされることなく、今日に至っています。
文殊さんは、先に幾名かを挙げていましたが、現代思潮から日蓮を解読することほど、日蓮の実像から離れることはないと、ここ掲示板で警告を鳴らしてきたつもりです。しかし、時折、先の牧口氏以来の轍に知らず嵌った人々が、現代思潮を引っさげて、ここに漂着します。

執行海秀師は、当時の創価学会・戸田氏を見事に分析し、この現場における哲学の扱い方を「創価学会という名称の如きも、これに由来する…この価値論によって、学会に於ける教学上の学説なり、信仰なりを哲学的に根拠づけようと試みている…石山派数学の思想と、創価学会特有の価値論の思想との間に、何等の関係も見出すことは出来ないのであって、全く木に竹を繕いだような感がある」と慨嘆をもらしたうえで、また、金子弁浄師は、「哲学と宗教との区別を取除き、宗学(神学)という重要な分野が存在していることを無視しようとするなど、独断的な哲学観、宗教観を平気で記すことを許している…戸田氏が先生である牧口氏のように哲学についての勉強をしていない」と、哲学から仏教を見る過ちを正すと共に、さらに哲学の両輪の一輪である神学、敢えて仏教に当て嵌めれば宗学を無視した点を弾呵しているわけです。わたしは、この分析は実に秀でていると考えます。また、この創価学会の悪貨に実は逆に影響を受けたのが石山でした。

つまるところ、現富士門下の実情は、信行学という鼎立すべきものを解体し、それぞれ別の論を構えることによって生き残りを図るという醜い形相を呈しています。つまり、信とは彼の偽者4点セットであり、行は宗教法人の主要行事への参加で、学は現代思潮にそれを求めるという分離です。しかし、このような姿勢が正直な態度であるはずはなく、日蓮の精神に沿うものであるはずもありません。

脳内麻薬から脱却には苦痛は伴いますが、真実への道程とは、斯くあってしかるべきであると、わたしは敢えて苦悶を選択してきたものでした。四苦八苦を超えることは、快楽でこれから遁れることではなく、正面から向き合う以外に平安の方途はないというのが、元来の仏法の教えであるとも思うからです。

率直に申し上げて、文殊さんは、以上の轍に嵌っているように、お見受けするわけです。
また、影響を受けている人々も、その轍の前に敷かれた古い轍に嵌ったまま、次の轍をさらに深めた人々ばかりのように映じるわけです。

せっかくのご縁ですから、上記のわたしの愚案を少しでも斟酌していただければと存ずるしだいです。

> 広島・長崎の被爆の記憶も風化に、イラク戦争の劣化ウラン弾

この点については、他スレッドに、やや記していますので、ご高覧をいただければとも存じます。

648文殊:2006/04/27(木) 01:12:12
西洋近代の教育を受けている現代人にとって、純粋宗学の確立のために、
西洋からの影響を完全に排除することは難しいと私は考えています。13
世紀の日蓮と現代思潮とは何の相関性もなく、強いて西洋哲学という余事
をまじえると、それだけ日蓮の実像との乖離が目に見えて分かるというデ
ィレンマに陥るということになります。ご指摘の通り哲学と宗教から独立
した宗学(神学)の分野の存在には蒙昧が啓かれる思いでございます。現に
ローマ・カトリックでは西洋哲学とは完全に一線を画する組織神学が確立
しているのであって、日蓮教団に宗学があって然るべきであり、安易に哲
学との融会は禁欲を課すべきものでしょう。今後、純粋宗学の確立に向けて
努力を傾注すべきことについては異存はありませんが、然し、純粋宗学確立
のためにはやはり西洋近代の方法論をも参照する方途は避けられないのでは
ないでしょうか。近代の衝撃は仏教の近代化・合理化との帰結に至ったとの
歴史認識・共通認識とすれば、近代以前の仏教解釈に戻れるかどうかについて
懐疑があります。

649文殊:2006/04/27(木) 01:40:38
更に一重立ち入りますと、日蓮遺文から確実なる真蹟遺文を厳密に択び、
涅槃経の殺人菩薩思想を排除し、純正な法華経思想を21世紀初葉の現代
人にフィットさせるかについても西洋近代の思惟とりわけ倫理思想の参照
が求められるのであり、西洋近代の教育を受けている私たちにとっては、
こうした思考の手順を踏むことは不可避ではないでしょうか。石田次男氏
による六師義批判は当初は強い思潮となるかのように見えましたが、いつの
間にかに減じていった。石田塾はどうなっているのでしょうか。花野充道氏
にも法論をしかけたはずですが、「道心」で石田塾の論議は龍樹の空思想に
基づくものであり、龍樹─天台─最澄の仏教思想の系譜を無視しているとの
反論が行われていました。日朗門流における純粋宗学に対し、非公認の霊断
師の存在は半数を超える勢いと仄聞していますが、このままでは密教化の危惧
もあります。霊断教学は1960年代に学会に対抗すべく成立したというの
ですが。

650文殊:2006/04/27(木) 02:14:22
別に論点をそらす意図はございません。牧口常三郎氏の価値論は近代学匠・
堀米日淳氏に思想的な影響を与えています。堀込氏は堀上人の古文書研究
には最晩年の三年間を除いて、批判的であり、堅樹日寛「六巻抄」を繰り
返し熟読すれば奥義にいたるという考えでした。福重照平氏「日蓮本仏論」
の先行研究もあるでしょう。しかし、近代の大石寺は宗学の組織化について
は充分ではなかったことは事実です。左へ右へと揺れ動き戦争協力まで積極
的にしてしまった。未だ今日にいたるまで公式に謝罪することなく沈黙を守
っているのが現状です。牧口思想については松岡幹夫氏による近代日蓮主義
の文脈からの研究がありますが、松岡氏とは別に私からは、地理学の思想基
盤、教育改革思想、完器講の系譜に連なる三谷素啓氏との決別の背景、長野
赤化教員の入会、大石寺との確執と全容の解明には多岐にわたります。石山
教学と近代思潮を融会した、全然異質なものを融会した・・・逆にそれをし
なければ大衆受容がなされたのであろうかと。

651乾闥婆:2006/04/27(木) 02:29:34
犀角独歩さん。文殊さん。
横から失礼します。

>> 広島・長崎の被爆の記憶も風…イラク戦争の劣化ウラン弾も忘却

>この二つは、ハンディーキャップ問題と併せ、日蓮以上に、わたしの主要テーマです。
しかし、ここに花野さん・末木さんの脈絡は、全くといってよいほど感じられませんが、これはわたしの誤認識でしょうか。

末木文美士氏の近著『仏教vs.倫理』にて、アウシュヴィッツ以降の倫理はいかに可能かを追求しているアヴィシャイ・マルガリットの著書『記憶の倫理』を紹介しつつ、その主張であるところの、宗教に替わるべきものとしての「記憶」の重要性の強調に対し、疑義を表明しています。それが以下に引用するような記憶の風化ということのようです。

「それを安易に批判することは慎むべきであるが、はたして生者の記憶の継承だけで、本当に死者たちを受け継いでいけるのだろうか、という疑問は率直に提示されうる。生者の力をそれほど信頼してよいのだろうか。あるいはまた、死者はまったくの過去の中に葬り去られてよいのであろうか。生者の記憶にしても、それを生者だけで継承していけるのであろうか。苦しみ死んだ死者が力を与えてくれなければ、生者だけでなしうることは本当にわずかしかないのではないか。
 広島の平和公園の中心には原爆死没者慰霊碑があり、そこには「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」という有名な文句が刻まれている。死者に向かって、過ちをくり返すまいという生者の宣言は、きわめて重いものがあり、その前に立つものを粛然とさせる。しかし今日、はたして死者は安らかに眠っていてもらってよいのであろうか。過ちが次々とくり返され、しかも次第にひどくなってきていることは、あまりにも明らかである。死者に眠っていてもらい、生者だけで過ちをくり返さないようにすることが可能と考えたのは、いささか楽観的すぎたのではないか。
 弱い生者は、放っておけば、どんなに愚かなことでも、残酷なことでも、またまた性懲りもなくくり返し、そればかりかエスカレートしてゆく。それを押し止めてくれるのは、苦しみ死んだ死者たち以外にはない。ヒロシマの風化が伝えられて久しい。生者の記憶だけに依存する限り、どんどん風化していくのはどうしようもない。死者たちの声に耳を傾け、死者たちとともに歩むことができなければ、生者の荒廃はとどまるところを知らない。」(P201-202)

その文脈の中で劣化ウラン弾への言及もあり、文殊さんの言われるところの末木氏の死生観への読み込みとは、このような部分についての思いであるのではないでしょうか。

652文殊:2006/04/27(木) 06:39:05
乾闥婆さん、ありがとうございます。私はまだ末木氏の『仏教vs.倫理』
は読んでいないのです。深く感謝します。東京新聞2006年4月11日
夕刊六面には「これまでの日本の仏教は戦争に深く関与してききた一方
で、ヒロシマの被爆者をはじめ戦争で亡くなった人たちと向かい合う
努力が足りなかったのではないか」「これからの仏教を考えるには、
もう一度過去の戦争について深く考える必要がある」との駒沢大学にて
のシンポジウム「仏教は世界平和にどう貢献できるか」のパネル発言が
紹介されています。中国・韓国との歴史認識問題を考察するにあたって
も仏教者のアクテュアルな発言が求められています。

653犀角独歩:2006/04/27(木) 06:43:52

文殊さん

わたしは分離は不可能ではないと思いますよ。
ただ、そうして、抽出した日蓮の実像と信仰が、どれだけ、現代に役に立つかどうかという問題は別にあります。つまり、日蓮とは別に、補填するために現代思潮は有効でしょう。しかし、混合はNGです。わたしは、現代思潮を不要とし、日蓮のみを採ろうと言っているのではありません。日蓮の実像と現代思潮は関係ないと言っているだけです。それを無理に融合すれば、実像から乖離すると言っているのみです。

> 日蓮遺文から確実なる真蹟遺文を厳密に択び、涅槃経の殺人菩薩思想を排除し、純正な法華経思想を21世紀初葉の現代人にフィットさせる

これはまさにわたしの管見をよく整理いただいたところですが、しかし、この条件として必要なのは、必ずしも現代思潮であるとはわたしは考えていません。ここで必要なのは世界に共通する人権感覚です。そして、むしろ、他の思考の影響を受けない澄んだ純粋性の保持が必要であると考えます。

宗学の必要性については異論はありませんが、ただし、これは石山独自で作り上げる例えば富士宗学要集を基礎にするようなものでは全くナンセンスです。この確立の基礎こそ、まさに、真蹟遺文でしょう。つまり、全日蓮門下共通の基盤の確立です。

牧口氏の価値論は、今では創価学会の中でも風化してしまい忘れ去られたもので、単に「この信心をすれば功徳がある。幸福になる」という活動と唱題に置換され霧散してしまった感があります。創価学会とか、石山という範疇では昔話に出されることはあっても、今となっては、それこそ、価値のないものとなった以上、議論を重ねる対象ともならないでしょう。ただし、獄死という悲劇に関しては、冷然院感得日常居士の冥福を祈るものです。

霊断教学が創価学会に対抗したというのは、ピンときません。
高佐氏の発想は、神本仏迹から、要は方向を変えて、戦後、日本社会でどうやって生き残りを図ろうとしたのかという視点でしか、わたしは見ません。そこで言われる教学など、およそ議論の対象にするのは時間がもったいないと思います。


乾闥婆さん

アウシュヴィッツ以降について、わたしはもっとも貢献したのは、社会心理学の研究であったと考えます。その点は既に何度か述べてきました。故に今はその点は置きます。

末木さんが劣化ウラン弾や、ヒロシマについて言及するのは、それはそれでけっこうなことでしょう。ただ、わたしは、ピンと来ないのは、たとえば、それは創価学会や、石山が「平和」を語るのと同様な点です。簡単に言えば、では、末木さんはヒロシマ、イラクに共通する核兵器問題で何をしているのか、ということです。

イラクに自衛隊を派遣している与党・公明党とイコールと見られる創価学会の、出版物に登場する末木さんに、言辞と行動に矛盾がないのかということです。
誰が言ったか忘れましたが、「平和を言うだけなら、ヒットラーでも言った」

実際に苦しんでいる人たちにとって、現代思潮で、それを説明してもらっても、何の足しにもならないし、また、その悲惨の状況をメディアを通じてしか掌握しない人々にとって、それを現代思潮でこねくり回して説明したところで、役に立たない、わたしはこの手の言葉の遊戯につきあう時間は惜しいと考えています。

> 文殊さんの言われるところの末木氏の死生観への読み込

その点は十分に承知しているつもりですが、冒頭に記したとおりです。
わたしは末木さんをここで俎上に上げたところで、日蓮の実像を探ること、もっと具体的に言えば、当スレのテーマである「現代人が納得できる日蓮教学」とは結びつかないので、やめにしようと言っているのです。

654乾闥婆:2006/04/27(木) 14:17:58
犀角独歩さんの言われているところは理解しております。まったくそのとおりであると考えます。

末木氏は『仏教vs.倫理』の中で、では記憶の風化に対して何が有効なのか、それは日本仏教の受け持ってきた葬儀を通しての死者との向かいあいだといい、葬式仏教を鍛えなおすべきだといいます。著者の熱い思いは伝わってきますが、ピンと来ません。記憶に対して制度としての葬式仏教を掲げたのでしょうが、そのような発言を通して何がどう変わってゆくのか、日本人の死者に対するあり方が意識のレベルでどうなるというのか、まったく分かりません。発言が空回りしているようにも思います。そのような制度も結局は風化の道をたどってきているのではないのか。葬儀という制度が記憶の倫理よりも強靭であるという根拠は見えません。

>しかし、ここに花野さん・末木さんの脈絡は、全くといってよいほど感じられませんが、これはわたしの誤認識でしょうか。

確かに末木氏は脈絡から外れているところで発言してしまっているのだと思います。葬式仏教を鍛えなおすることと「末木さんはヒロシマ、イラクに共通する核兵器問題で何をしているのか」ということとは直接結びつくことではありません。まさに制度の内部から核兵器問題にも言及してみた、というに過ぎないのでしょうし、それは末木氏の死生観を表明する際の一項目に過ぎないのではないでしょうか。そういったスタンスに対する苛立ちは理解できます。

>わたしは末木さんをここで俎上に上げたところで、日蓮の実像を探ること、もっと具体的に言えば、当スレのテーマである「現代人が納得できる日蓮教学」とは結びつかないので、やめにしようと言っているのです。

現代人であるところの末木氏は『日蓮入門』などの一般向けの入門書も出されているのですから、その著者の主張が現代人にいかに納得されえるのか納得されえないのかが議論されることは、私のような素人にはとても参考になります。高いレベルで議論されている方々には申し訳なく思いますが、犀角独歩さんと文殊さんの議論をROMさせていただいて、とても勉強になります。もちろん文殊さんは高い学識を持っておられるのですから、なおさらです。

655文殊:2006/04/27(木) 14:29:51
犀角独歩さん
世界に共通する人権感覚が前提であることに私は心から同意します。
基本的人権・自由の全面的な尊重・多元的民主主義・法の支配は共通
認識であり、人権諸条約に抵触する殺人思想・宗教はカルトであり、
いかなる理由があろうとも21世紀の世界にあっては不許容性を有し、
抵抗権等の違法性阻却事由は成立しません。
現代思潮から日蓮を解読することは、日蓮の実像と信仰から明らかに
乖離することになる虞があるので今後自戒していきます。
「富士宗学要集」は石山中心史観そのものであり、編纂の堀師自身、北山
文書でも石山に都合の悪い文書は載せなかったので、全日蓮門下共通の普
遍性は21世紀において普遍性は有しません。各山貫首が一同に集まり、
会議を開き今後日蓮門下として真蹟遺文を宗学の基礎とし、教義体系の
再構築を図ることを前向きに話し会うべきでしょう。各山のアーカイヴ
史料を全面的に公開し、資金を拠出して図書館の建設がまずは第一歩です。

656文殊:2006/04/27(木) 18:59:23
全日蓮門下共通の普遍性は有しませんに訂正します。
乾闥婆さん、知識人の役割と実践者の役割は重なり合うこともある
反面、違う部分も表出されるのではないでしょうか。末木氏は文献
読解中心の知識人であって、サルトルのようなアンガージュマンは
しないわけです。別にイラクに行って劣化ウラン弾被害の実態を告発
したわけでもない。それならば高遠菜穂子氏のイラク体験の重みに勝る
ものはないでしょう。それでも、宗教史の語り手がいなくていいのかと
いうとそうでもない。宗教そのものが知らない人々に啓蒙的な書籍を廉価
な新書で綴るとの役割も大事なのです。末木氏の思想が間違っているか正
しいかは別として、宗教史の、日本仏教史の素描を提示があって、それを
いわば議論のたたき台としての役割があります。

657乾闥婆:2006/04/27(木) 23:25:06
文殊さん。

言われるところは分かるのですが、知識人がある程度その非実践性を批判されることは致し方ない部分であると思います。サルトルが社会への自己投企を言うとき、是非はともかく、それは知識人としての良心が言わしめ、行動に駆り立てているのではないでしょうか。そのような行動を伴わなければ、何の意味もないとはもちろん言いません。しかしそのような批判にさらされることは一面しかたがないように思います。末木氏の『日本仏教史』が新潮文庫版で出ておりますが、そのような営為は大事なことと思います。『仏教vs.倫理』を一読して、思いのたけ述べているな、という感想とともに、これはある程度批判にさらされるのではないか、との危惧も抱きました。その意味で文殊さんの言われる議論のたたき台としての機能は十分に果たしていると思います。また新書にまとまる前の掲載紙が『寺門興隆』であってみれば、その呼びかけはある種の切実さを伴ったものではあるのかもしれません。

658犀角独歩:2006/04/28(金) 07:23:40

文殊さん、乾闥婆さん

所謂「叩き台として」の末木本という議論の運び、面白い展開であると拝読しました。わたしはこの点については、乾闥婆さんのご意見に賛同します。

廉価な新書・文庫の仏教書の流通が一般大衆の認知に有効か否かという問題があります。わたしは、この手の本が仏教書であるという考えにそもそも反対です。また、仏教を解説する場合、これを現代思潮の観点から分析するという手法に、そもそも反対なわけです。極端な話、キリスト者によって解説された仏教は、もはや、仏教を正確に偏見なく、客観的な立場で素描できたものであるかどうか、わたしは、そうは言えないであろうと考えるからです。

体内・体外という観点は体外のみがまず章安述で見られ、妙楽で闡明になりますが、およそ仏教を述するのであれば、体内からものでなければ、仏教書とは言えないのではないかという思いがわたしにはあります。結局のところ、外側から見て、さらにそれを現代思潮から論じたところで、日蓮の素描になどなるはずもありません。そもそも、日蓮は現代思潮以前の人です。ですから、日蓮の素描は、その時代の、そして、日蓮の確実な資料を基盤としてなされてしかるべきです。
勿論、そこでしっかりと素描された日蓮を、では、現代という時代に置く際に、現代思潮から、どう映じるのかという視点は一面、あるでしょう。しかし、体外から日蓮理解が、では当を得たものになるかどうか。わたしが、文殊さんが提示される如く、論評その他によってもたらされる違和感はここにあります。つまり、論評すべき、日蓮が正確に認識されていないという根源的な欠陥です。

この点は、本覚解きで日蓮を素描した上で成り立つ所論にも同様の違和感があるという意味でもあります。

「文献読解中心の知識人」という点ですが、では、その範囲に留まった所論であってしかるべきではないのか、飢えて死に、放射能被害で塗炭の苦しみを味わう人には意味を有しません。実際に苦しみにあえぐ人を文献読解の知識から解読する人・それを読むだけの人、いったい、どのような意味を持つというのか、わたしはむしろ憤りすら感じます。

659犀角独歩:2006/04/28(金) 07:25:14

【658の補足】

「極端な話」とは「極端な話で例を引けば」ほどの意味です。

660文殊:2006/04/29(土) 16:23:24
犀角独歩さん、お言葉ですが、「文献読解中心の知識人」の存在は
不可欠です。たとえ少数であっても、漢文・サンスクリット・パーリ・
チベット・西夏語の読解できる語学力のある知識人による啓蒙的な
仏教書(岩波に代表される)はそれ自体貴重です。オウム真理教に
入った理系エリートは仏教も宗教について何も概説的な知識すら知
らず地下鉄にサリンを撒いたのです。末木さんにご不満はおおいに
あるでしょうがまづは啓蒙的な宗教知識(21世紀版「八宗網要」)
がとりわけ若い世代に必要です。顕正会問題も啓蒙的な宗教知識の
不在から起因しています。「体内」といっても既に西洋近代を完全
に排除して妙楽の昔にかえることも不可能です。然し小川隆氏が中国
禅宗史の厳密な中国語読解研究アプローチを通じての「同時代の現代
性」の探究は可能です。

661犀角独歩:2006/04/29(土) 17:15:27

文殊さん

論点がずれています。わたしは、「日蓮の実像の素描」にはという条件で記しているのですよ。

662犀角独歩:2006/04/29(土) 17:27:03

文殊さん、それともう一点。

また、あなたの論法では、オウム真理教の地下鉄サリン事件が、「啓蒙的な宗教知識」によって起きたような論調ですが、これは全くの見当はずれな分析です。
これは全くの見当違いです。

涅槃教のなかに折伏という名の殺人が肯定されていますし、日蓮はそこから、念仏信仰の首を刎ねろと殺人を促しています。あなたの論法からいけば、日蓮は啓蒙的知識がなかったために、この馬鹿げた発言をしたことになります。問題はそのような点にあるわけではありません。人権、人命を宗教よりも軽いものと見なした受容姿勢にこそ、問題があったのです。

また、顕正会についてオウム真理教と同列に扱っていますが、しかし、あなたが信じ行じている石山信仰と、世はこの一派を括っています。あなたの信仰と顕正会と一体、何が違うというのでしょうか。

むしろ、そのような過ち、具体的に云えば、偽物4点セットの信仰はやめないかと常識と分析からあなたに勧めています。

663犀角独歩:2006/04/29(土) 17:43:16

さらにもう一点足せば、わたしは、文殊さんは656に

啓蒙的な書籍を廉価な新書
末木氏…宗教史…日本仏教史の素描…議論のたたき台

ということに応じて、左記の通り記しました。
ところが660になるとその廉価な新書が「漢文・サンスクリット・パーリ・チベット・西夏語の読解できる語学力のある知識人による啓蒙的な仏教書」とまるで違うことになってしまっています。

わたしは言語・翻訳について、漢訳仏典を基礎にする日本仏教を根元的に見直されるべきであるという考えを通じて指示してきました。それ故、松山師の法華経講義へ自らも参加し、また他の方の参加も促してきました。その観点からも、「廉価な新書」の仏教書の必要性をいった点に異議を述べたのです。

このような論理のすり替えはやめていただくように勧告いたしておきます。

664犀角独歩:2006/04/29(土) 17:45:23

【663の最初の4行を訂正】

正)さらにもう一点足せば、わたしは、文殊さんの656の

啓蒙的な書籍を廉価な新書
末木氏…宗教史…日本仏教史の素描…議論のたたき台

ということに応じて、先の通り記しました。

665犀角独歩:2006/04/29(土) 22:02:24

わたし、書き違えておりますね。
修正します。

誤)オウム真理教の地下鉄サリン事件が、「啓蒙的な宗教知識」によって起きたような論調

正)オウム真理教の地下鉄サリン事件が、「啓蒙的な宗教知識」があれば、起きなかったような論調

666文殊:2006/04/29(土) 22:52:34
オウム真理教に入って幹部に上り詰めた理系エリートは、これは第二次大戦
後の宗教色を完全に排除した教育(日教組主導)を受けて、啓蒙的な宗教知
識すら知らないまま、チベット仏教の流れを汲むオウム真理教に遭遇して、
地下鉄サリン事件で殺人教義を実行・着手した経緯を申しました。さらに、
一般在家信者は中沢新一『チベットのモーツァルト』を読んで、日本にも
チベット仏教の体験ゾーンがあるとの認識で、オウム真理教に親近感を覚え
飛びついていったのでした。もしチベット仏教が後期印度密教の流れであり、
教判論からいえば方等部に摂属されるとの基礎的な教学知識があれば、違う
選択もありえたと思うものであります。日本の仏教・宗教研究者、現代思潮
の哲学者をはじめ、親鸞、道元に比し日蓮を真正面から論じたものが少ない
中、末木氏が比較的論じているので、内容はともかく、書いていること自体
評価しているということです。もちろん、彼の思想基盤は禅の現代思潮的解
釈(論敵・小川隆氏から厳しく難詰されています)であり、正確な日蓮解釈
ではありません。あくまでも参考程度です。ただ新書での仏教解説・宗教史
素描は高校生向き・大学一年の教養にはいいのではないかというのが私の趣
旨です。私の信仰観ですが、大石寺蔵真蹟遺文『新田殿御書』に日蓮の重要
な示唆があると思います。

667文殊:2006/04/29(土) 23:23:47
13世紀と国民国家成立以後の近現代とでは明らかな断絶があります。
13世紀日本では刀丈携行が許されていた。武器所持が合法的の時代
と銃刀法で携行が非合法である現代日本とでは位相が異なります。
アメリカ合衆国の拳銃所持は人間精神の堕落です。中世と近現代との
異目は生命倫理にあると考えます。ゆえに『立正安国論』の「涅槃経」
引用「殺人菩薩肯定思想」は21世紀日本・世界にあっては依用する
ことはできません。『観心本尊抄』の「賢王」思想はイラク戦争のネオ・
コンサヴァ思想をややもすると想起されあらぬ誤解を受けかねません。
遺文解釈に際しては、自身の倫理観が高いか低いかによって読み方が
全く様相を異にします。顕正会には倫理が不在のゆえに危険性が孕んで
います。

668文殊:2006/04/29(土) 23:44:11
『立正安国論』に見る念仏批判は「念仏者追放宣旨事」を京都のみならず
鎌倉でも幕府は実行せよとの趣旨ですが、現代では依用することはできま
せん。解釈には当然、何を捨てて何を遺して後世に伝える義務があります
ので、この時に幾多の宗教戦争の惨禍をくぐりぬけてきた西洋近代の哲学
思想に学ぶべきものは少なくありません。現代思潮との混同には禁欲を課
しつつも、取捨選択の基準に西洋近代の哲学は参照しうるでしょう。逆に
その努力を怠っている顕正会には殺人思想の内在化が懸念される。

669文殊:2006/04/30(日) 00:00:25
革命家・犀角独歩さんによって、石山聖地信仰も日興神話も破壊され
ました。「富士清流神話の瓦解」です。さてこれからこの歴史的建造
物の瓦礫が一面に広がっている荒地に、六本木ヒルズのような超高層
建造物を建てるのが犀角独歩さん、表参道ヒルズのような前時代の記
憶を一部遺すのが私との方法論が異なります。羅什訳漢文仏典の根本
的な見直しを図り釈尊の真意と日蓮の実像を探究される犀角独歩さん
とサンスクリット・パーリ・チベット・西夏諸仏典の最新の研究の成果
をふまえつつも漢訳仏典にも一定の評価を与えるのが私の立場です。
末木氏から話が広がりすぎました。

670パンナコッタ:2006/04/30(日) 01:15:26
横レスですが、
「新田殿御書」は御遺文対照記で確認されましたが、今は石山曾存ですよ。(平成新編参照)

671文殊:2006/04/30(日) 06:10:47
パンナコッタさん、ご教示ありがとうございました。以前拙稿で『一代
聖教大意』の「秘蔵の大事」で蓮祖が叡山遊学時代に学んだ所謂講学上
本覚思想を窺わせるものとしましたが、宝智房証真の義でした。訂正さ
せていただきます。

672犀角独歩:2006/04/30(日) 07:46:00

文殊さん

あなたは、わたしの書いている意味がわからないのでしょうか。
繰り返しますが、オウム真理教の一部、地下鉄サリン事件に関与した教祖・麻原と幹部たちは、啓蒙的宗教認識の不足から大量殺人を犯したのではありません。

むしろ、修行者たちは菜食を好み、蚊・ゴキブリすら殺さない集団生活を好むというまったく逆の様相もみせています。そのような不殺生を貫くはずであった彼らが、なぜ大量殺人を犯していったのか。実はこのテーマは先般、東大先端科学技術研究センター特認研究員である島田裕巳師が企画した『オウム真理教事件から考える日本社会とテロリズム』の根幹をなすテーマでもあったわけです。いうまでもなく、島田師は、オウム問題では中澤師と並び評される一人でした。そのかつての研究者が、啓蒙的宗教認識が犯罪抑制につながらないことを、当然のことながら、認識し、テロリズムを引き起こす各種要因を考えるために開催したシンポジウムでした。むしろ、正しい認識とアプローチであるとわたしは評価しました。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50461900.html

あなたはどうやら、啓蒙的な宗教認識があれば、彼らが大量殺人をしないですんだと思っているようですが、問題はそんなところにありません。

また、13世紀、すなわち、日蓮の時代と現代が断絶があることは、むしろ、わたしが記してきたことでした。しかしだからといって、現代思潮で日蓮を考えれば、実像に迫れるというものではありません。むしろ逆であるといっているわけです。

あと、あなたは、「殺人」という側面から顕正会の非を説きますが、この団体は高校生を中心に強引な勧誘をするという点が社会問題化しています。つまり「子供だまし」です。

一方、あなたが信徒である団体は、『宗教年鑑』の記述に従えば、最高数1800万信徒を数え、一つ正本堂供養を採っても800万人、375億円の集金を受けた団体です。この信徒献金の根拠は、彼の模造品である彫刻でした。これを日蓮の本懐の究竟の本尊であると1000万人もの人を誑かし、莫大な金品のみならず、善良な人心を破壊したのです。戦後最大の宗教経済被害という犯罪実行の団体であるとわたしが言う所以です。

あなたは、では、なぜ、このような宗教犯罪に荷担しつづけているのでしょうか。あなたが末木さんも含めて通じ、摂取しているであろう現代思潮は、この宗教犯罪の停止になんら効力がないのは何故でしょうか。

オウム真理教の実行犯に、仮に現代思潮の正確な認識があったところで、彼らがテロリズムの必要性を感じれば、必ず実行したことでしょう。それは、あなたが啓蒙的宗教認識を夢想しつつも、結局のところ、戦後最大の宗教犯罪集団から出られない理由と、実は同様の心理メカニズムによっているのでしょう。

はっきりと言いますが、あなたが所属している団体は子供だましの顕正会より、社会的悪影響を実際の被害度においては比べものにならないものです。目くそ鼻くそを笑うという言葉もあります。顕正会の社会問題をいっているより、あなたの所属している集団のほうが規模といい、やり口といい、はるかに問題ではないでしょうか。なぜ、あなたはその点に気付けないのでしょうか。

そして、あなた自身がいうように、あの見せ物小屋に鎮座させている模造品を、あなた自身その真偽を言うことも出来ない。そんなことで、何として、啓蒙的宗教認識など、人にと問えるものでしょうか。

もう一点、あなたが漢訳仏典に一定の評価を‘与えざるを得ない’のは、上述する集団の固執から生じた個人的なご都合であるとしか、わたしには思えません。なぜならば、あなたがいうような啓蒙的宗教認識が確実な形で具体化すれば、漢訳仏典、梵本とはかけ離れた発展を遂げた‘別のものである’ことは、むしろ、明瞭になっていくからです。

自己弁明のために啓蒙的宗教認識を振りかざすのか、或いは、そこに本当に救いを求めているのか、そのどちらか、もしくは両方であるかは明瞭ではありませんが、あなたのいうところに説得性がなく、不誠実と感じるのは以上の理由からです。

以上のような集団に属するあなたが啓蒙的宗教認識を云々するなど、まことに片腹痛い思いがあるということです。

なお、『新田殿御書』に重大な日蓮の示唆があるというのであれば、具体的にその理由をここに記し、問うことが議論の在り方です。

673文殊:2006/04/30(日) 08:23:49
どうしていつも板本尊論議なのでしょか。極論に走りすぎです。
犀角独歩さんは過去に複雑な思いがあるでしょうが、あまり
感情的な議論はいかかがなものでしょうか。私は誠実に対応
していますよ。板本尊が偽者だからといって日蓮宗の本尊観
がいいかというとそうでもないわけです。だから今試行錯誤
の時期、過渡期なのです。結論は急ぐべきではない。島田氏
はオウム事件の時は責任の一端はあります。宗教学者として
です。中沢氏は自身の著作物に製造物責任があります。何も
知らない読者がいきなり『チベットのモーツァルト』を読ん
でカルト団体に走った要因はさまざまあるけれども、一つは
戦後教育の弊害の一つである宗教知識の不在によるものと記
しただけで、何もそこから板本尊批判にいくのは論理の飛躍
がありすぎです。

674犀角独歩:2006/04/30(日) 09:08:42

文殊さん

なぜ、石山の彫刻を論じることが極論なのでしょうか。
当然のことでしょう。

科学を論じる際、天動説を指示する学者の話を大衆が聞かないように、日蓮を語る際に、彫刻が本物であるという人間の話を聞く人間はいないでしょう。むしろ、そんなことを騙って憚らないその心理構造の問題を指摘しなければならないということです。
感情論でもなく、わたしの過去の「複雑な思い」などと収斂されることではありません。

彫刻の模造事実を秘匿して、啓蒙的宗教認識があれば、事実が解明されるなどということは夢想に過ぎないという指摘に過ぎません。
これは、わたしにおける誠実な対応です。

極論というのは、たとえば、あなたが仰るように啓蒙的宗教認識があれば、地下鉄サリン事件が起きなかったなどという類にこそ言えます。
むしろ、この問題を避けるあなたの在り方のほうが感情的であると映じます。

島田師、中澤師に、仮にオウム真理教地下鉄サリン事件の責任があるというのであれば、彫刻を本物であるということには道義的責任はないのでしょうか。

わたし自身、中沢師の著述は、もちろん、読みましたし、当時、特にチベット研究者との親好もありませんでした、それでも、その著述からオウム真理教に入ることはありませんでした。また、オウム真理教の信者数と、石山・創価学会・顕正会の信徒会員数など、比ぶべくもないものです。

また、殺人という問題をいえば、大東亜共栄圏、八紘一宇、天皇本仏論といった日蓮主義が、では、荷担した戦争殺人の責任は、オウム真理教より軽いのでしょうか。小笠原慈聞師にせよ、当時の石山僧俗にせよ、この問題に荷担していませんでしたか。

他のことは客観的に論じながら、あなたはご自身の信仰については主観的自己弁明に終始しているようお見受けします。

日蓮門下、殊に富士門流、取り分け、創価学会を含む石山圏内で、第一に論じるのは彫刻問題、次に日蓮本仏論その他の日寛教学、このハードルを越えずして、日蓮門下一般とのまともな会話も成り立たないのは、理の当然です。この点を避けて通るあなたの在り方にわたしは不思議を覚えます。

そもそも、わたしが何ゆえ、日蓮宗との通用があるのか、それは、この問題を決して避けて通らないからです。

また、あなたが学僧という人々、花野氏、興風檀所各位への評価は、学術的方向で一定の評価を得ながら、彫刻比定を出来ない点について、冷笑を買っている場面には常に出くわしています。本人に告げられることがなくても、その点が壁になり、それ以上に進まないならば、その障害を取り除くことを提案するのは、むしろ、あなたがいう啓蒙的宗教認識の、石山問題の最大の課題である所以からです。さらにいえば、それら人々を惜しむ故の提言以外の何ものでもありません。

675犀角独歩:2006/04/30(日) 09:19:21

もう一点書き足せば、あなたがいう啓蒙的宗教認識には、何故、石山彫刻本尊の真偽問題は入らないのでしょうか。

わたしにおける啓蒙的宗教認識の第一歩は、この彫刻が模造品であることを、世に告知することです。それを避けて通り、現代思潮から云々するあなたの在り方を、わたしは不誠実であるといったのです。

問います。石山彫刻の真偽を論じることが、なぜ、啓蒙的宗教認識に入らないのでしょうか。

676今川元真:2006/04/30(日) 10:22:33
横レス失礼します。◆◆ 【聖徳太子、天台圓宗、天台密教、日蓮仏法、法華六弟子、江戸国風文化脱亜入欧、天照奉戴、高度経済成長、借金大国】◆◆正道の志は睡蓮or不可思議な因果倶時の蓮華◆◆ビシュヌor日蓮仏法◆◆シヴァor最後真理教◆◆豪族時代、皇族時代、武士時代、軍事時代、経済時代◆◆諸行無常or一念三千

677今川元真:2006/04/30(日) 10:29:36
すいません。点が一つぬけてました。《江戸国風文化、脱亜入欧》

678文殊:2006/04/30(日) 16:35:43
啓蒙的宗教知識はあくまでも概説的な仏教知識です。本尊論は基礎教学を
習熟した段階ではじめて奥義として感得するものでしょう。帰命の義から
見れば、自分の有限の生を本尊に「一心欲見仏不自惜命」の行業を捧げる
ものでしょう。日蓮宗関係者が花野氏等日興門流学僧を冷笑しているとい
いいますが、雑乱勧請の日蓮宗寺院の本尊奉安様式をまづは石山批判の
前に省みるべきではないでしょうか。犀角独歩さんが石山圏本尊観を痛烈
に批判されていますが、石山圏から所属団体の変更手続を通じての離脱は
少数にとどまるでしょう。過去にも有名な安永弁哲氏、松本勝弥氏、横浜
に大本尊、保田妙本寺離脱、河辺メモと偽作論がありましたが、離脱まで
はいたらなかった。問題は「出エジプト」を果たしても、荒地を彷徨なけれ
ばいけないからです。犀角独歩さんの伝統的富士門流批判は慈雲に通じる
ものがあり敬意を表します。

679kabata:2006/04/30(日) 18:20:46
一見で恐縮ですが、文殊さん。
なんで諸尊の別勧請がいけないんでしょうか。
雑乱勧請というのは一方的な悪口でしょう。
曼荼羅本尊に記されているものを、それぞれ尊像として祀っているだけです。
それがいけないというのであれば、仏像を祀った日蓮聖人もいけないというのでしょうか。
また、清澄のご修行の時代は虚空蔵菩薩様のお像も拝んでいますよ。
独歩さんが板マンダラを批判するのは、偽物であり、伝説も嘘だからでしょう。
それに対して、別勧請は、一つの奉安の在り方です。
偽者を祀っている宗派にとやかく言われる筋合いはありません。

680顕正居士:2006/04/30(日) 19:09:47
そうですね。別勧請は問題ないですね。そういう考え方は遂に宗祖の曼荼羅を否定し、
一遍首題とか一尊四士でないといけないまで進みます。さらに宗教の芸術性を破壊し、
救済感が存在しない、カルト信仰の土壌になるでしょう。

681一字三礼:2006/04/30(日) 19:14:23

横レス失礼します。

kabataさん

> 曼荼羅本尊に記されているものを、それぞれ尊像として祀っているだけです。

本当ですか。
私は、身延山久遠寺でたくさんの別勧請とやらを見てまいりましたが、曼荼羅本尊に記されているとは思いませんでした。
たんに、日蓮宗の信仰が民間信仰と混ざって俗信化しただけのことではないでしょうか。

1 北斗妙見菩薩
2 大黒天
3 最上稲荷
4 常護菩薩

これらの諸尊は日蓮御筆曼荼羅のどこに勧請されているのでしょうか。
「御本尊集」(立正安国会編)の番号で示してください。

682問答迷人:2006/04/30(日) 19:18:42

文殊さん

僕は、かつて、本門戒壇板本尊の信仰者でした。河辺メモを読んでから、これは変だな、と思うようになりました。河辺メモが捏造されたものではなく、河辺師の直筆であることが判ってからは、さらに変だと思うようになりました。決定的だったのは、宗門の言い訳、ことに河辺師に言わせた言い訳、これが決定的でした。日顕師が話したことがそのままメモされている、という確信に到りました。そして、日顕師が宗門において、真蹟曼荼羅の鑑定を得意にしている方であられることを知るに及んで、本門戒壇板本尊が真っ赤な偽物であることを確信するに到りました。

河辺メモにある日禅授与曼荼羅を是非見てみたいものだと思っておりましたら、友人が見せてくれた北山本門寺のパンフレットに小さいながら写真が掲載されていました。これをコピーして、スキャナで取り込んで、ネットにアップしましたところ、犀角独歩さんが、詳細な分析を加えて、本門戒壇板曼荼羅の写真と比較検討して、河辺メモの記載内容が正しいことを証明してくださいました。時の日蓮正宗管長の偽物発言が正しいことが、図形の上から裏付けられたわけですから、これ程の雄弁な偽作論は未だかってなく、その破壊力の凄まじさは、日蓮正宗の活力を根底から奪ったと思っています。

後世に、その時の宗門の都合で偽作された板曼荼羅を、あたかも日蓮聖人が建立したものと偽り、信徒を集めたこと、これはまれに見る悪質極まりない宗教に名を借りた詐欺行為だと僕は考えています。国法は、これを裁くことは無いかもしれないが、裁かれなければ何をしても許されるわけでは有りません。日蓮正宗関係者は、片鱗の道心が有るなら、直ちに真実を信徒に告げ、謝罪し、長きに亘って宗教界、並びに日本国民を欺いてきた罪を懺悔すべきだと思います。又、日蓮正宗に所属する僧俗は、この事実を厳粛に受け止め、法衣を脱ぎ、信徒を辞めるべきだと思います。それが、偽りの流布に知らずとはいえ、少しでも協力してしまった償いの第一歩で有ると思います。それが道念と言うものでしょう。

先ずは、誤れるものを捨てること、そして、誤れるものを流布した罪を懺悔すること、ごめんなさい、ということから再出発が有ると思います。日蓮聖人の教えを探求するのも良いですが、懺悔の無い探求は、何の価値も生まないことは、どなたもお分かりのことだと思います。かのホリエモンの釈放の第一声が、「ご迷惑をお掛けしてごめんなさい」だったように、そこから始めなければ、何らの価値も意味もないと僕は思います。

僕は今は、一切の日蓮正宗の活動から手を引きました。参詣も全て止めました。心配して連絡をくれた人には、板曼荼羅が偽者であることを必ず伝えるようにしています。今では、僕は、お寺では行方不明扱いになったそうです。だから、もう籍も有りません。連絡も来ません。

信徒であることを先ず止めること、ここからしか何も始まらない事を、蛇足ながら、お伝えしておきたいと思います。

683問答迷人:2006/04/30(日) 20:48:27

文殊さん

追伸です

>問題は「出エジプト」を果たしても、荒地を彷徨なければいけないからです。

戒壇板本尊を否定した当初、僕も荒野を彷徨する思いがありました。しかし、今は、そんな思いは微塵もありません。

日蓮聖人の教えは、三つ秘法に尽くされています。戒壇義は明らかでないものの、本尊義、題目義については、日蓮聖人が既に明らかにしておられると拝しています。

本尊抄に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。」とある通りに、曼荼羅を拝して中尊の南無妙法蓮華経の五字を信じて南無妙法蓮華経と唱える所に、仏の教えの全てが譲り与えられる、という信仰に徹することだと存じます。その曼荼羅が大石寺の板曼荼羅でなければならないとか、その写しでなければならないとか、五老僧門流に伝えられた曼荼羅には功徳が無いとか、そのような日蓮聖人の与り知らぬ教義をかなぐり捨てて、純粋に日蓮聖人の教えに立ち戻ることが先ずは必要なことであろうと思っています。ちなみに、僕は、今も、顕師書写に依る、所謂特別御形木本尊を安置して、日々勤行唱題に励んでおります。この事が日蓮聖人の教えに外れるとは考えられないからです。

684文殊:2006/05/01(月) 00:16:10
問答迷人さん、私は日興門流の流れを汲む者として、十界互具曼荼羅
本尊は広宣流布の時までは必要であると考えます。宗祖が仏像を日日
礼拝してきたことは存知しています。但し、池上での臨終直前には、
一体仏をお下げして大曼荼羅を掲げました。これが日蓮宗宗定本尊の
臨滅度時本尊ですね。日蓮宗の信徒に御形木を授与のみに局限すれば、
問題はないわけです。現実対機の観点から一般信徒には毘沙門天、鬼
子母神、馬頭観音を拝ませている。入り口は間口が広くても何時にな
れば曼荼羅本尊に専念できるのか、日蓮宗寺院の奉安様式を見ても疑
問があります。富士門流は基本的には一体三宝・別体三宝を護持して
います。あえて別勧請する理由は民間信仰を法華一乗の体内に開会し
たことでしょうか。河辺メモの時の日蓮正宗管長は昭和38、9年頃
から松本佐一郎氏の影響で本尊研究・鑑定を始めたので長年の研究で
偽造と鑑定しましたことは熟知しています。

685文殊:2006/05/01(月) 00:22:53
顕正居士さん、別勧請は問題はないとの仰せですが、もう少し
根拠と理由を詳説してください。優秀な方と拝察されますが、
論理的過程が省略されているので、なぜカルトの土壌になる
のか、丁寧に説明していただけないでしょうか。

686文殊:2006/05/01(月) 00:42:03
宗祖が一体仏を拝んでいた事跡があったからといって、この末法
五濁の荒凡夫に宗祖の行は真似はできません。既に正像の禅定三昧
に専心することは機根が衰えています。宗祖は法華経の文字は仏と
の感得する激しい修行の結果、自在無碍に自然万物を本尊と可視で
きる仏知見を有しておられるわけです。宗祖の行とわれわれの行は
異なると思います。かくして散心・雑念が強い本未有善の荒凡夫に
は曼荼羅本尊に対して、方便・壽量二品読壽唱題が至当ではない
でしょうか。

687乾闥婆:2006/05/01(月) 00:48:41
犀角独歩さん。

>廉価な新書・文庫の仏教書の流通が一般大衆の認知に有効か否かという問題があります。わたしは、この手の本が仏教書であるという考えにそもそも反対です。

よく分からないのですが、末木氏の『日本仏教史』は仏教書とはいえないということでしょうか。近世までの日本仏教通史としてはコンパクトにまとまったよい本だと思っていたのですが・・・私が創価学会の思考から大きく解き放たれたのは角川文庫版の『仏教の思想1』で増谷文雄氏の文章に触れたことがきっかけでした。廉価な新書・文庫によって仏教の入門書が流通することは、よいことだと思うのですが・・・末木氏の『日本仏教史』などを創価学会員も読んでみればいいのにと思いますし(そうやって自宗派の正当性に固執する視点を少しでも相対化できればいいと思いますし)、そのような廉価版の仏教書(であると私は思っているのですが・・・)が仏教を専門的に学んでいるわけではない人の手に取りやすく流通していることの意味は小さくないと思うのですが、いかがでしょうか。

688顕正居士:2006/05/01(月) 00:55:43
>>685
>>680 の理由に尽きます。あとは別勧請にどういう理由で問題があると思うのか、
その方の意見を聞かないと批評ができないです。文殊さんのご意見でなく、
智学居士のでも、日生師のでもよいですが。どういう考えからかを聞かないと。

689孤独な迷子:2006/05/01(月) 00:59:40
問答迷人 さん

ご無沙汰しております。

>今では、僕は、お寺では行方不明扱いになったそうです。だから、もう籍も有りません。連絡も来ません。

籍が無くなったというのは、某かの連絡があったのですか。

690顕正居士:2006/05/01(月) 04:08:16
>>681
一字三礼さんの御質問にはkabataさんが先ず答えるべきでありますが。

「曼荼羅本尊に記されているものを、それぞれ尊像として祀っている」わけではないという趣意ですね。
自筆の曼荼羅に勧請された諸尊は、日蓮聖人の信仰が篤かった仏、菩薩、神々といえますが、
それらを善仏、善菩薩、善神祇とし、勧請しなかった諸尊を悪仏、悪菩薩、悪神祇とする思想があった
わけではありません。一切の仏、菩薩、神々が法華の会座におられたという思想なのは明白です。
別勧請の対象を日蓮聖人が勧請された諸尊に限定する理由はありません。

さらに一字三礼さんが挙げられた諸尊は「俗信」ではありません。日蓮宗の興起以前から、法華信仰
と習合していました。しかし天台神道ではそれほど重視せられなかったので、日蓮神道では本門を表
とする教義から、これら諸尊への信仰がさらに興隆したのであろうと考えます。

691犀角独歩:2006/05/01(月) 05:13:32

文殊さん

わたしはあなたに「石山彫刻の真偽を論じることが、なぜ、啓蒙的宗教認識に入らないのか」と675で問うています。これを無視して議論を進めるやり方は、当掲示板の投稿の姿勢としては、甚だ不可であるいうほかありません。

また、あなたの考えは、日蓮滅後に興った漫荼羅を本尊とする、「漫荼羅正意」論を恰も日蓮の本義であると決めつけた形で進んでいますが、それは富士門下の改変であって、日蓮とは関係がないことは、ここでは論じられてきました。日蓮が、漫荼羅を本尊とした証拠はありません。

さらに日蓮が臨終に当たり、枕辺に漫荼羅を懸けたというのは、単に伝説なのであって、事実である証拠は何一つありません。


kabataさん

はじめまして。わたしの考えを端的にまとめていただきまして有り難うございます。
仰るとおりで、模造偽物の彫刻を拝むものが、別勘定云々で他山を批判するなど、「盗人猛々しい」ことであると嗤うほかありません。また、それがここ50年間の日蓮宗の言い分でしょう。

別勧請と雑乱勧請について。一字三礼さんが仰るように、漫荼羅に勧請されない諸尊もまた、祀られるのわけです。けれど、たしかに仰るような形も当然あります。それはともかくとして、漫荼羅に勧請されたものを別に祀って何故悪いのかというのは、尤もなご意見であるとわたしは思います。

日尊、日順などは、漫荼羅図は戒壇に奉安される仏像配置の設計図の如きを言うことは、既に顕正居士さんも挙げられた点で、いわば、別勧請造像奉安は、その類型と見なせることで、これを比定する根拠は「広宣流布以前」というほか、ないとも考えられます。

また、勧請されていないものを祀るのはどうかという点では、定まった考えをわたしは有していませんが、しかしながら、一方で他の問題もあることを指摘できます。つまり、日蓮の現存漫荼羅に勧請されていない諸尊を、漫荼羅に書くことは、では、日蓮に違反しないのかという点です。石山も他派を真似てはじめたという導師漫荼羅を称されるものには閻魔法皇等が勧請され、これは日寛も書いています。また、日寛が地域の土俗信仰の諸尊を漫荼羅に記した事実を石山は秘匿しようとしているといいます。さらに、「奉書写之」と記して漫荼羅を書きながら、実際には彫刻の座配と違っていることは、細井日達氏が精道の名乗りの時代記述から明らかになっています。その後、石山では書写と言いながら記述内容の相違を「内証を写す」などと苦しい弁明をし、その追及はここでも何度か行ったところでした。

日蓮は弘安期でも釈迦仏像の造立を賞賛する消息を残すわけですから、漫荼羅が釈迦像に代わる本尊であるはずはなく、昨日の議論の流れは全く日蓮の意図に反したものであるといわざるを得ません。その意味において、686に文殊さんが記したことは全く不可です。そもそも日蓮真跡遺文といわず、御書全般でも「荒凡夫」などという考えは見られません。


乾闥婆さん

仏教の解説書は仏教書ではないという意味での記述です。
法華経入門という本がある場合、この本は解説書であって法華経ではありません。
この手の解説書のなかで、殊に富士門下などで必携の書を挙げるとすれば、わたしならば執行海秀師の『日蓮宗教学史』を薦めます。

692問答迷人:2006/05/01(月) 05:41:41

文殊さん

>河辺メモの時の日蓮正宗管長は・・・長年の研究で偽造と鑑定しましたことは熟知しています。

なるほど。この点では、認識は一致しているわけですね。後は、偽造本尊を未だに日蓮聖人の御建立であるとして信徒を集めている日蓮正宗を是とするか非とするかですね。


>孤独な迷子さん

今年の春先、新しく任命された法華講の役員さんがみえて、色々とお話していて判った事です。勿論、それ以来、連絡は一切有りません。

693乾闥婆:2006/05/01(月) 09:45:00
犀角独歩さん。

仏教書と仏教解説書とを別けているだけで、廉価な仏教解説書を貶めているわけではないということですね。了解いたしました。執行海秀氏の『日蓮宗教学史』、ネット古書店にて見つけましたので購入してみます。ご紹介ありがとうございました。

694一字三礼:2006/05/01(月) 10:31:31

>>690

顕正居士さん

ご教示ありがとうございます。
別勧請は法華の「開会」の考え方から導きだされるとのお考え、了解しました。

私は、先に申し上げましたように、身延山久遠寺の各坊を観てまわりましたが、そこに祀られている諸尊の統一感のなさ、悪く言えば雑濫ぶりに、少なからず驚かされました。

例えば北斗妙見は元来、千葉氏の守り神であったものが日蓮宗に逆輸入されたものであり、常護菩薩は、日蓮聖人が思親閣に登られるたびに警護についた土地神。

犀角独歩さんも仰るように、「曼荼羅に勧請されていないものを祀る」と言うことに関しては、私もまだ考えをまとめられずにいます。
「開会」の視点からは、当然、別勧請が「可」とされるのはわかりますが、では日蓮の勧める信仰の姿がそれであったか、ということでは、少し首を傾げたくなります。

695犀角独歩:2006/05/01(月) 10:33:14

問答名人さんにおかせられては、川辺メモ、また、日禅授与漫荼羅の掲示から、その疑義を論じられた一連の経緯をご説明いただきまして、まことに有り難うございます。当掲示板、また、問答さんのご賢察を探る意図を以て致した図形鑑別でした。故にこのご洞察は、わたしの発表出版以前のことでした。実際のところ、問答さんが日禅授与漫荼羅を撮った小さな写真を載せられた段階では、まだ、わたしは半信半疑だったのです。しかし、今から2年前、彫刻とこの漫荼羅を重ね合わせたとき、すべての謎は氷解したわけです。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html

既にこのことは日蓮宗教学研究大会でも発表し、さらに同現代宗教研究所で講演も致し、所報第39号にも掲載されましたので、日蓮宗では周知の事実となりました。

石山がそれを無視しようと、また、ここでの議論のようにスポイルしようとしても、もはや時代は変わったわけです。時恰も小樽問答より半世紀目に当たっていたわけです。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/


乾闥婆さん

仰るとおりです。
たとえば新書・文庫ではありませんが、故高木豊先生の『日蓮』(太田出版)をわたしは薦めていました。
また、あとから修正を余儀なくされましたが、岩波文庫版『法華経』も推薦した一書でした。

696犀角独歩:2006/05/01(月) 10:54:29

一字三礼さん

この見はお会いしたときにもお話したいと思いますが、漫荼羅勧請以外の諸尊を祀ることが雑乱に当たるや・否やは実に悩ましい問題であると思います。先にも記しましたが、わたしからすれば、それがもし「謗法」であるというのであれば、日蓮御筆大漫荼羅に勧請されていない諸尊を漫荼羅に図示することでも「謗法」ではないかという視点は成り立つことになるからです。この批判には当然、石山歴代住職の書写?本尊も含まれることになります。

また、石山の漫荼羅は彫刻を書写したと言いながら、その勧請は違っています。第一、あの彫刻では「二千二百二十余年」となっているところを歴代本尊では古来より「二千二百三十余年」となっているところから、違っているわけです。さらに帝釈の相違を細井氏は記述していたわけです。

以上のように彫刻にないことを書き、書写と謀ること、また、他の諸尊を勧請をすることが日蓮の意志に背くか否かは仏像造立とは別の問題を孕んでいます。

また、視点をまったく変えれば、日蓮の漫荼羅は法華十界勧請だと言いながら、そこには不動・愛染あり、天照八幡あり、大日如来の勧請まで見られるわけですから、法華一経から見れば、既に雑乱勧請ではないのかと言えなくもありません。しかし、この点を肯定的に見れば、顕正居士さんが仰る如く、寧ろ、開会し、摂取していくことのほうが隋方毘尼に適うと見ることもできます。いわば、その典型が導師漫荼羅ということになりましょうか。

わたしの知人である僧侶は「別段、キリストもマホメットもみんな載せてかまわないんじゃないのか」と言って、わたしは驚かしました。まあ、そのような考えもありということになります。

漫荼羅図示が造立を前提とするものであれば、勧請諸尊を別立てで祀ることを批判する方途は富士門下において、後世定着した漫荼羅正意論ということになりましょうが、これは、日蓮に遡源できない以上、的はずれな批判としか言いようがありません。

さらに言えば、日蓮の御影像を漫荼羅と共に奉安し、一体三宝であると、日興像を併せて別体三宝などというのは、では、漫荼羅に書かれる日蓮の切り出し、さらに漫荼羅にない日興の追加であって、見方を変えれば雑乱勧請の一種と言う批判は可能ではないかとも言えようかと存じます。

いずれにしても、石山の改変本尊論を以て捌くことなどできる問題ではなく、先に記したとおり、模造品を本物と謀る不正直の頭には神は住ませられないという石山謗法の見地からの神去り法門すら立義可能ではないかと思う昨今です。

697文殊:2006/05/01(月) 22:17:27
問答迷人さん、熊田葦城著『日蓮上人』の白黒写真と私が正本堂時代に
間近で内拝しました本門戒壇本尊とでは明らかに彫刻の金箔が新しく
鮮やかになっています。他スレッドで戦中戦後の混乱期の戒壇本尊の
顛末が証言されていましたが、まさに赤沢朝陽さんの職人芸です。
河邊メモの教学部長は、大雑把な達師と違い(花野氏が何かと助けた
そうです)行状はとかく非難の対象となっていますが、天台三大部の
研究は精緻なことに特色があります。松本佐一郎氏の思想的影響から
本尊研究・鑑定に着手し、本尊鑑定においては一番弟子の八木さんと
ともに目利きです。師弟コンビが河邊メモ記述当時にいたる10数年の
星霜をかけて研究してきたのですから事実です。あのふたりは素人で
はありませんから、蓋然性は極めて高いと思われます。ただ自白すると
宗教法人日蓮正宗の存在意義が難詰されるので、意地でも認めないで
しょう。

698犀角独歩:2006/05/01(月) 23:38:18

管理人さん

文殊さんの、わたしの質問を無視し、単に問答名人さんをシェルターにして、投稿を進める態度は、不誠実であり、当掲示板の規約にも違反すると考えます。
斯かる投稿を看過される理由は何でしょうか。
勧告、改善を希望します。

700管理者:2006/05/02(火) 05:29:36

犀角独歩さん

>斯かる投稿を看過される理由は何でしょうか。

既に592レスにおいて、文殊さんには、当掲示板のルールに反することを御注意申し上げています。当然、順序として、次は、投稿をお断りすることになります。


文殊さん

既に592レスにおいて御注意申し上げました通り、話し合いを重んじる当掲示板のルールに、貴殿の投稿は馴染みません。御注意申し上げても改善されないようですので、今後の投稿をお断わりする事としたいと存じます。

701犀角独歩:2006/05/02(火) 10:07:15

管理者さん、ご返信、有り難うございました。

文殊さん、わたしが投げかけた程度の質問を、無視することでしか成り立たない、あなたの言う「啓蒙」とは一体、何でしょうか。また、「誠実」とは何でしょうか。あなたが応えず、避けて通る、わたしの質問こそ、あなた自身に内心において啓蒙されるべき問題ではないでしょうか。

702文殊:2006/05/02(火) 20:43:34
管理者さん、昨日の拙稿は時間がなかったので問答迷人さんにのみ宛てた
ものです。決して独歩さんと話し合いを峻拒するものではありません。
投稿するにあたって頭を捻って書いています。すぐにはご返信できない
ことがあります。特に独歩さんの厳しい投稿には当方といたしましても
周到な準備を要しますので、何卒ご理解をお願いします。
犀角独歩さん、板本尊存在解体の論理を学術雑誌・ご講演で開陳され
ることは啓蒙にあたります。意見の相違があるといって、独歩さんの
運動を妨げる意図はございません。正本堂はユートピアの「熱狂と絶望」
を表象しています。共同幻想であったともいえる。このユートピア思想
は今日においては危険性を孕むものであると認識しています。

704管理者:2006/05/02(火) 21:07:23

それでは、犀角独歩さんの問いかけにお答えになってください。或いは、現段階では答えが用意出来ないと言われるのなら、そのように表明されれば良いと思います。問いかけを放置して、他の方との議論を進めることは、礼儀に反することでありましょう。結果として話し合いを重んじない、或いは蔑ろにしている、という非難を招くことになりますので、宜しくお願いいたします。

今後、同様の、問いかけを蔑ろにしていると思われるレスが有りますと、その時は、強制的に退去していただ来ますので宜しくお願いいたします。

705犀角独歩:2006/05/03(水) 10:13:37

686に関して、691に反論しましたが、やや不徹底であったので、重ねて記します。

石山の教学では、本已有善・本未有善をいい、末法の衆生は本已有善の荒凡夫であると言いますが、日蓮の真蹟遺文からは、このような教学的態度は見られません。

日蓮の本門の強調は二乗作仏、久遠実成にその根拠を見ます。
二乗作仏についてはいまは措きます。
この久遠実成とは言うまでもなく、釈尊の五百塵点成道「我(釈尊)実成仏」を言うわけですが、わたしは、日蓮の思惟はここに留まっていない点を指摘したい。つまり、第一番成道の釈尊は、ここに法説し直ちに初発心の弟子との血縁を為すわけです。これが六万恒河沙数の菩薩です。つまり、久遠実成には久遠下種というセットがあるわけで、本未有善どころか、この久種の覚知こそ、日蓮教学の精髄をなすものです。日蓮はその久種の自覚に基づいて久遠本仏の法を弘めるというのです。この久遠に立ち還るとき、元来、未有善と見えた衆生は、過去遠々劫に既に本仏釈尊との結縁がある、そのことを久遠実成の本仏の施化から再び喚起せよというところに日蓮の下種の観念は有しています。日蓮が言う下種とは久種そのものです。

さて、本尊抄の

一往見之時以久種為下種 大通・前四味・迹門為熟 至本門令登等妙。再往見之不似迹門。本門序正流通倶以末法之始為詮。在世本門末法之初一同純円也。但彼脱此種也。
(一往之を見る時は久種を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟と為して、本門に至って等妙に登らしむ。再往之を見れば迹門には似ず。本門は序正流通倶に末法之始めを以て詮と為す。在世の本門と末法之初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也)

という文に就き、久種は脱益、末法は別の下種であるかの如く、誤読によって、石山教学は成り立っています。

しかしながら、ここでいう久種は正像のみをいうのではなく、この久種が正像においては等妙に登った衆生には熟脱の益となった。しかし、この久種が久種のままである衆生にとっては、熟脱となっていないので末法においても下種である。正像は2000年内の限定数の衆生脱益を果たしたが、漏れる衆生は久遠実成を寿量品から知り、その仏との久種を、いま末法に覚知し、下種をもって詮とするという日蓮の教学的態度がここに知られます。

忘持経事に

久遠下種之人忘良薬送五百塵点顛倒三途嶮地。今真言宗・念仏宗・禅宗・律宗等学者等忘失仏陀本意 経歴未来無数劫沈淪阿鼻火抗。自此第一好忘者。所謂今世天台宗学者等与持経者等誹謗日蓮 扶助念仏者等是也。
(久遠下種之人は良薬を忘れ、五百塵点を送りて三途の嶮地に顛倒せり。今真言宗・念仏宗・禅宗・律宗等の学者等は仏陀の本意を忘失し、未来無数劫を経歴して阿鼻の火坑に沈淪せん。此れより第一の好く忘るる者あり。所謂今の世の天台宗の学者等と持経者等との日蓮を誹謗し念仏者等を扶助する、是れ也)

ここに明確に「久遠下種之人…今世」と論談されるわけです。しかしながら、このことは日蓮を去ることを2000余年、霊鷲山の虚空宝塔における五字付嘱とは、舞台を異にしています。こちらは在世の物語です。石山圏には、どうも虚空会久遠永遠常住と見る錯誤を儘見受けますが、久遠下種、五字付嘱は、前者は五百塵点、後者は今般印度二千年前のことという別を日蓮はしっかりと御立てています。

なお、日蓮が漫荼羅を本尊としたということは真蹟遺文から諮れないことは既に述べました。もう一点。方便寿量の読経については、これは読経についてなのであって、法華経巻全篇の学習を禁じたものでないことは当然のことです。もし、禁じたのであれば、そもそも『注法華経』は現存するわけもないわけです。
石山が金科玉条に扱う『就註法華経御義口伝』は、法華全篇の文々句々の日蓮説法を日興が記したという伝説ですが、法華一経を読まずして何として、この講義を肯定することができるのでしょうか。

706文殊:2006/05/03(水) 22:59:36
身延教学と石山教学とでは、釈迦本仏論と宗祖本仏論の
教義的な対立が存していて径庭があります。犀角独歩さん
の反論は前者の教義学に依ります。「忘持経事」引用には
独歩さんの執念が感じられました。私も気付かなかったこ
とであり大変勉強になりました。いかに石山教学が寛師の
圧倒的な影響力にあったことか逆に気付きました。

707文殊:2006/05/03(水) 23:19:13
但し、真蹟遺文で曼荼羅正意が証明されていないから
といって、曼荼羅本尊を軽くみることにはあたらない
でしょう。宗定本尊を伝説と一蹴することは自殺行為
です。日蓮宗はもっと御真筆の大曼荼羅(鑑定済の)
が多数格護されているのですから、称揚すべきでしょ
う。別勧請では南無妙法蓮華経日蓮在御判がなく、円
満ではないでしょう。方便・寿量二品読誦は現代人に
とって簡素な修行法だと思われます。日蓮宗は日興上
人の良いところは取り入れるべきです。色衣から薄墨
五条に。北山系では日興上人回帰の動きあります。
法華経一巻の学習は当然大事です。禁じることは誰にも
できません。私も学習しています。

708犀角独歩:2006/05/04(木) 09:54:39

文殊さん

ふざけた決めつけ、レッテル張りはやめてください。
まことに、あなたの所属する集団らしいやり方です。
わたしは、まるで身延教義学などによっていません。
そもそも、日蓮宗のなかでも真跡主義への反感は、当然あります。
真跡主義は日蓮宗の教義ではありません。

日蓮宗でもないわたしは、宗定本尊の伝説を一蹴することに何ら、痛痒はありません。
なにより、伝説が事実かどうか評定しているだけであり、それ以上でもなければそれ以下でもありません。
また、日蓮真筆御筆大漫荼羅を軽視する意志などあるはずはなく、これまた、真跡遺文から日蓮がこれを本尊として授与していた形跡が見られないと記しているのみです。
ただし、それが本尊であるというのであれば、言う側は、その証拠を示す義務があるといっているのです。つまり、あなたの反論は、人に身延というレッテルを貼ったうえで、伝説を守らないと自殺行為になると的外れな脅しをかけ、またしても、解答を回避しています。

さらに、上記の主語を代えて言えば「本門戒壇の大御本尊ほかの伝説を否定することは、自分の信仰にとって自殺行為である」という底意が感じられるものでした。

方便寿量が現代人にとって簡素な修行法であるかどうかなどと嘯いておりますが、わたしが記してきたことは、現代、石山で勤行といわれるものが日蓮の意図したものかということです。ここでも論点を代えて、質問をかわしています。

あなたが、法華一経の学習を行っているであろうことは、予想はもちろんつきます。
しかしながら、その学習が単に自分の信仰伝説にしがみつくだけの役にしか立っていない点を気の毒に思います。それにしても、そのような学習を重ねた目から、わたしをみると身延教義学であるという、それが事実でないことを了解してうえでの悪意のレッテル貼りと考えざるを得ません。

わたしがまったく身延の教義学によっていないことは、当掲示板の投稿を一瞥すれば一目瞭然でしょう。このような決めつけ、レッテル張りは、わたしの事実と著しく違背するもので、名誉を傷つけます。ここに強く警告をし、発言の撤回を求めます。

709文殊:2006/05/04(木) 10:52:45
犀角独歩さん、レッテル張りの意図は毛頭ございません。拙稿で
述べた趣旨は「本尊抄」から導出される本仏論には身延と石山の
二大潮流があり、犀角独歩さんの久遠本仏施化論は前者の思想的
系譜に近いものがあると思われたからでした。身延教義学にも
法類は異なるでしょうが、主流は釈迦本仏論です。レッテル張り
でなく大きく思想的系譜、その人の思想的基盤を分類すると、
釈迦本仏論か宗祖本仏論かで分水嶺があると考えます。名誉を
傷つけたわけではございませんので誤解しないでください。
私が犀角独歩さんの「本尊抄」解釈「忘持経事」援用に見る
現在の犀角独歩さんの思想的基盤は宗祖本仏論から釈迦本仏論
に移行していると思われました。名誉を傷つけたのであれば、
前言は撤回致します。石山根本批判もよいのですが、良い所
は次代に遺すことも重要ではないかと私は考えています。
二品読誦・唱題行は多忙な現代人にとって簡素で他門も参考
になるのではとの提案です。宗祖は門下に曼荼羅本尊を授与
し師弟の絆を契約し、二品読誦を勧めています。現に曼荼羅
本尊は現存している。もっと大事にしてはどうかとのこれも
提案です。強要とか名誉を傷つけたとの悪意は一切ございま
せん。質問をかわしているのではなく、私も宗祖の意図が
何であるのかを学んでいる途上です。

710犀角独歩:2006/05/04(木) 11:25:58

文殊さん

あなたの弁明は取りあえずお受けいたします。

そのうえで申し上げますが、あなたは大きな虚偽を構えています。
釈迦本仏論は、なにも身延の教学などではなく、日興その人の教学であり、日道の教学でもあります。日興は明確に「本師釈迦如来」とし、日道もまた、御伝草案に「日蓮聖人の云く…本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり」と言っています。

釈迦本仏が身延教学、嘘を言ってはいけません。
日興門流上代の教学は日蓮聖人の云く釈迦本仏論を受けたものです。

711犀角独歩:2006/05/04(木) 11:34:52

日興は釈迦本仏論であることは、あまりにも著名なことでしょう。
原殿書が日興真筆かという立場にあなたはおられない。この書の中に

「日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来」

とあることは、動かない証拠です。
この日興の名を騙り、日蓮本仏を言うなど、言語道断、師敵対の極みであると言っているのです。中世以降の変造・捏造教学を以て、日興の名を汚すことはやめるべきです。

712文殊:2006/05/04(木) 14:33:33
犀角独歩さん、仰せのとおりです。富士門における日蓮本仏論の濫觴
は下条妙蓮寺日眼「五人所破抄見聞」にみる「不軽と日蓮とは本仏也」
です。南条家直系の妙蓮寺が大石寺から独立した本山格寺院としての
台頭の時期に出されました。

713犀角独歩:2006/05/04(木) 15:05:05

重ねて文殊さん

> 石山…良い所

とは、具体的にどのようなことでしょうか。

> 宗祖は門下に曼荼羅本尊を授与し師弟の絆を契約し
> 二品読誦を勧めています

『創価学会批判』のなかに「この流の面白い点は何等相互関係のない遺文をさもありそうに関係づけることの多い事である」(P11)と、その悪き特性を指摘しています。悪意であるのか・ないのか、あなたもまた、その悪弊を引きずっています。

日蓮が漫荼羅を授与し師弟の絆を認めたのは事実ですし、二品読誦を修行としたのも事実です。しかし、この二つが一つにつながるのかというのが、当掲示板の一連の議論です。

つまり、日蓮は漫荼羅に二品読経をした挙証を求めてきたわけです。それにも拘わらず、真蹟遺文から何ら相互関係が確認できない二つの事実をさもありそうに関連づけてしまう点は看過できません。

日蓮が漫荼羅を本尊として、方便寿量の二品読経を勧めたというのであれば、その証拠を挙げる義務があるということです。

また、日蓮が勧めた二品読経とは、真蹟にはそれは見られませんが、写本遺文まで目を広げれば、

「常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習読せ給候へ」(月水御書)
「方便品の長行書進候。先に進じ候し自我偈に相副て読たまふべし」(曽谷入道殿御返事)

あなたは「宗祖は…二品読誦を勧めています」と言いますが、上記二写本が真筆であったとして、ここで勧められている有様は前者は方便品長行・寿量品長行、後者は方便品長行・寿量品自我偈であり、現石山が行うような方便品十如・寿量品長行、もしくは自我偈という唱え方とは異なっています。それにも拘わらず、恰も日蓮の勧めた読誦が、現行の石山二品読誦の如く記すことは、難じざるを得ません。

なお、釈迦本仏(身延)、日蓮本仏(石山)という点については、先に記したとおりですが、敷衍して述べれば、日蓮の教説である釈迦本仏と、中世の改竄である日蓮本仏の二つの教学的態度があるのであって、これは身延対石山の対比ではありません。日蓮教学と改竄教学の対比です。

当掲示板は、日蓮の素意の描写を文献証拠から探るのであって、改竄教学をして日蓮・日興の教学であるといった虚偽は断じて看過しません。また、日蓮の建立でもない彫刻を日蓮に関連づけたり、各種捏造の偽霊宝類を看過することもできません。そのような悪事を放逐して、善い所を云々するなど、話にならない所論であるといっているのです。

714犀角独歩:2006/05/04(木) 15:40:28

投稿が前後しました。
712に上がる『五人所破抄見聞』の著者は妙蓮寺日眼では無いとする指摘は、既に50年前からなされています。

わたしも文殊さんと同様妙蓮寺・日眼とする説を墨守していたのですが、その後、先に挙げた『創価学会批判』(昭和30年)には、その点を再考していたことを、数カ年前まで気付かずおりました。

この点につき、『六巻抄について』69で、顕正居士さんは2002年3月、すなわち、今から4年前にご指摘下さっているのです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014117694/69

また、現時点さんが『日有上人の石山教学の展開』26でも、その4カ月後に指摘されていました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1027502003/26

さらに同じ頃、問答名人さんは『素朴な疑問』149に、この点をご私的さなさっています。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/149

また、わたしは『身延相承書と池上相承書について』17でも以上の経緯から指摘もしました。2003年8月のことです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1060641548/17

一番近い所では、れんさんが重厚なご指摘を下さった記憶があるのですが、どこであったのか探し出せないでいます。

いずれにしても、『五人所破抄見聞』に妙蓮寺日眼説は半世紀も前間から疑義が取り沙汰されているのにも拘わらず、いまも言われ、当掲示板でも既に4年前から指摘されながら、また、再燃しています。これはある面致し方がないことですが、せっかく5年も議論が積み重ねられてきたのに、双六ではあるまいし、ことあるごとに振り出しに戻るのは、やや疲労感を伴います。

投稿をされる以上は、過去のロムの多少、労力を払っていただければ思うわけです。ちなみに上記、検索は、5分と掛からない作業でした。

以下、皆さんの参考に『日蓮宗事典』に載る宮崎英修師の同書への見解をコピペしておきます。


『五人所破抄見聞』(ごにんしょはしょうけんもん)
「本書は『五人所破抄』の註釈書で妙蓮寺三世日眼(−一三八四)の著作と伝えられている。これは本書題号下に「釈 日眼述」とあり、写本奥書に「伝写本云、康暦二庚申年六月四日書畢 本化末弟日眼判」とあるのでこの日眼を妙蓮寺日眼と推定したものであろう。しかしこれには不審がある。まずこの年号の康暦二庚申年という記年法は鎌倉時代より室町時代にかけては見られないもので、直ちに時代的通格の批判対象となる。このように年号・年数・干支・年月日という書き方は戦国時代に入ってまれに見られ、徳川時代に入って定着する記年形式で、室町以前ならば「康暦二年庚申六月四日」と書いてなければならない。従って奥書の年号は戦国時代から徳川初期にかけ書写された「伝写本」に付加された年記であろう。また本書の中ごろの「日興奏公家訴武家」の条に「総じて公家伝奏と云て当御代は勧修寺殿・広橋殿など伝奏衆を云ふ也」とあるが勧修寺家が武家伝奏に初めて任ぜられたのは文明二年(一四七〇)、広橋家は応仁元年(一四六七)で両家が共に並んで伝奏を務めたのは文明二年から同一一年までの九年間、日眼の寂後八七年も後世のことである。本書には勧修寺・広橋両伝奏があたかも世間周知の役柄のようにしるされているが、このような状態になるのは永正六年(一五〇九)以降に両伝奏が引続いて務めるようになってからのことで、日眼滅後一二〇余年後のことである。いまかりに最も早い文明年間の成立と見れば西山本門寺八世日眼(−一四八六)がふさわしいと考えられる。本書に二箇相承の存在を示す記事、両巻血脈によって成立する種本脱迹、宗祖本仏論が見えるが、このころ富士門流に論ぜられているものであるから時代的にも首肯できる。《宮崎英修「妙蓮寺日眼著・五人所破抄見聞の価値」(『棲神』四一号)》」

715犀角独歩:2006/05/04(木) 15:42:36

【714の訂正】

誤)ご私的さなさっています
正)ご指摘なさっています

716れん:2006/05/04(木) 17:35:40
横レス大変失礼します。
五人所破抄見聞は、犀角独歩さんが、ご指摘なさっておられるように、すでに約50年前から、下条妙蓮寺日眼師作には疑義が提出されています。私の投稿は、私自身書き散らしておきながら、はてどこだったっけ?と惚けてしまっておりますが、現時点での最新の研究では、富士系では、興風談所の池田令道師が興風第12号に“『五人所破抄見聞』の考察”を発表されており、師は左京日教師の諸著作を五人所破抄見聞が略述引用している部分があることから、五人所破抄見聞は左京日教師の諸著作の影響をうけた人間による作と結論されています。
この五人所破抄見聞の本当の作者は分かりませんが、見聞の内容から左京日教師の著作の影響を受けた人物であることは分かりますから、左京日教師と同時代人として、宮崎師の推定“西山日眼作”説は当たらずとも決して遠からずでしょう。
ですから、日蓮宗に限らず、富士系でも、最新の研究でも五人所破抄見聞を妙蓮寺日眼作とする説は今日では否定されており、富士における日蓮本仏観を示す初期文献として五人所破抄見聞を挙げるのは、極めて不適当だと考えられますね。

717犀角独歩:2006/05/04(木) 19:06:33

れんさん

いま、もう一度、過去ログを検索してみましたが、れんさんの過去ログは発見できませんでした。けれど、ご投稿いただけましたので、参考になりました。

また、改めて、れんさん、また独学徒さんなど、池田令道師のご引用が多岐に亘っていることも確認できました。秀でた研究者の一人と云うことなのでしょう。示書の影本を是非とも発表していただきたいものです。

『五人所破抄見聞』は、日蓮本仏論の濫觴のように扱われ、それが祖滅99年という早い時期であると思われていたところ、結局、日教以後の時代であることから、やはり、この影響を以て、のちの日寛にまで影響を与えたと見るのが至当と云うことになるわけですね。つまり、日教は15世紀の人ですから、1380年とされた同書の成立からさらに100年ばかりあとのことになるわけで、日蓮本仏論の濫觴は祖滅200年以降ということになるわけですね。

日教という人の考え方から見れば、日蓮本仏論は、日蓮を本物と仰ぐことにその主眼があったというより、執行師が指摘されるとおり、本住本仏論にこそ、その主眼があったと見なすほうが、わたしは適切な認識であると考えます。

また、現代の石山の法主絶対主義、○○先生絶対主義もまた、その延長にあるのだとも考えます。

日蓮本仏の口上は、それ主張する集団の、絶対指導者の肯定論として墨守される故に、その団体が不健康であればあるほど、その執着から離れられないという相関性を有している点に今日的な問題がはらんでいると考えます。また、唯一絶対本尊とこれが関連されるや、その事態はさらに深刻化していった点も指摘できるわけです。

やや余計なところまで記しました。再度のご投稿、まことに有り難うございました。

718犀角独歩:2006/05/04(木) 19:10:49

【717の訂正】

誤)日蓮を本物と仰ぐこと
正)日蓮を本仏と仰ぐこと

719独学徒:2006/05/04(木) 20:07:10

大変失礼致しますが、私も横レスさせていただきます。

創価学会版「富士宗学要集」第4巻所収の『五人所破抄見聞』によりますと、同著の終わりに「嘉暦三戊辰年七月草案 日順。」とあります。
この伝日順の識語は、現在伝わる形の「五人所破抄―日代本」にあるものですので、『五人所破抄見聞』が現在伝わる形の「五人所破抄―日代本」をもとに書かれたことが分かります。

興風談所の池田令道師は、「鳥鷺鳥鷺雑記」(うろうろぞうき)において、この伝日順による識語について、次のように考察されています。

****************************************

 今回はいろいろ問題のある北山本門寺所蔵の日代筆「五人所破抄」(以下、日代本と略す)の奥書について考察してみたい。
 まず図版①は日代本の終わり部分である。右上の「廿五」は丁数を示し、末行の「嘉暦三戊辰年七月草案日順」は日代筆ではなく異筆である。次に図版②は日代の弟子日任の識語、それには「日代聖人御筆大事書也」等の記述がみえる。
現在まで問題とされてきたのは「嘉暦三戊辰年」云云の筆蹟についてである。論者の一方では、この奥書を三位日順の自筆とする。つまり日代本に日順自身が加筆したとの見解である。他方では、はるか後世に添加されたもので筆者は不明とする。その理由として、「嘉暦三」と「年」との間に干支を書き入れる表記法が戦国期より始まることを指摘している。
 結論を先にいえば、私も後者の見解を支持する。日順筆を否定する根拠は、従前からの年号の表記法に関する矛盾も重要な論点だが、もう一つ決定的な理由として、日代本を書写した日辰本の存在がある。日辰本は、
 「日代御自筆の本を以って、非字・長囲に至るまで御本のごとく之を写す」
との念記があるように、実に日代本を厳密かつ正確に書写している。本文のみならず、図版②の日任の識語を行取りも正しく、さらには日任の花押まで臨写するほど念が入っている。それなのに日辰本には、本文と日任識語の間に位置する「嘉暦三戊辰年」の奥書が記されていないのである。これは要するに、日辰が書写した当時、日代本にこの奥書は存在しなかったのである。それを証するのは「読誦論議」における日辰自身の言葉である。
 「日代直筆の本の表紙に草案と題し、篇内には草案の二字も無し。また富士立義抄の五字も無し、五人所破抄の五字も無し。年号月日も無し、日興御判も無し」
かくのごとく日代本には『富士立義抄』や『五人所破抄』のタイトルも無ければ「嘉暦三戊辰年」の奥書も記されていなかった。日辰が日代本を実見して、書末に「年号月日」がないことを確認したのは動かしがたい事実といえよう。
 これにより日代本の「嘉暦三戊辰年七月草案日順」の一行は、日辰が書写した永禄年間以降、誰人かによって日代本に書き入れられたものと考えざるを得ない。一行の墨質や滲み方が本文と違っているのはそのためである。年号の表記法が戦国期以降の特徴を有するのは、むしろ当然と言わなければならない。
 ところで同『読誦論議』に、日辰は日任の識語について、
 「日辰、此の奥書の聖仁の二字を拝見するに、知んぬ、日任は深智に非ずと云ふ事を」
と述べている。
これは日任が「日代聖人」とすべきを「日代聖仁」と書いたことへの非難であるが、図版②の当該部分を見ると日辰の指摘とは違って「日代聖人」となっている。
 しかしこれがまた問題なのである。よくよくその部分を注視すれば「人」の字は不自然に滲んでいて、その下には何らかの文字が確認できる。つまり「人」の字は「仁」の字を消した上に書かれたのである。こうしてみると「嘉暦三戊辰年」の加筆も、「仁」→「人」の改竄も日辰の非難に対応している。どうも日辰の言説に対し、後の人がやらずもがなの愚挙を犯したようである。

****************************************

この池田令道師の考察が正しければ、「五人所破抄見聞」もまた、「嘉暦三戊辰年」云云とあることから、日辰の活躍した永禄年間以降に作成されたものと考えられます。

ということは、少なくとも「五人所破抄見聞」以前に、保田妙本寺中興の日我によって日蓮本仏論は登場していたことになります。
御伝土代が日時本の可能性が大となりますと、もう少しさかのぼっても、大石寺日有・日教、もしくは保田妙本寺日要といったところでしょうか。やはり従来ここで議論されてきたとおり、また犀角独歩さんご指摘のとおり、このあたりが所謂「日蓮本仏論」の出所ではないでしょうか。

720文殊:2006/05/05(金) 00:33:54
犀角独歩さん、れんさん、独学徒さん、ご教示ありがとうございます。
書誌学的考察の学恩誠に感謝に堪えません。当方と致しましては過去
ログも調べずに投稿してしまい申し訳ございません。西山本門寺では
日蓮本仏論を信奉していたことが分かりました。現在の単立法人西山
本門寺では教義変更はないのでしょうか。確か客殿は万年救護大本尊
の板本尊が御安置されていますね。つまり万年救護本尊に日蓮本仏論
の教義体系が西山八世日眼在世から現当にいたるまで一貫して継続さ
れていたとの認識でいいのでしょうか。ちなみに北山本門寺では、生
御影に釈迦本仏論、私が知っている北山末では大石寺式の本尊のみの
奉安様式です。薄墨袈裟着用です。唱題用の太鼓がありました。打ち方
は諸山によって微妙に違うのでしょうが・・・私がここで皆様方にお尋
ねしたいのですが、下条妙蓮寺は南条家の持仏堂から山伏系の日華によ
って開山(大石寺の植民地となった現在でも日華堂は現存していますが)
され富士五山の本山格の歴史が長いのですが、いつから石山とも重須と
も異なる完全に独立した本山として歩みはじめたのかを是非とも知りた
いのです。犀角独歩さん、石山の良い所とは何かについてのご質問次に
投稿します。

721文殊:2006/05/05(金) 01:01:45
犀角独歩さん、21世紀の次世代に石山教学・化儀の良い所を遺す
べきかについてですが、本尊奉安様式の簡素性が第一に挙げられる
と思います。十界互具曼荼羅におしきみ(枯れるという無常性を内
在している色花より良いと思います。真言密教の香りもして複雑な
心境ですが)は他門もこれは参照しうると思います。但し画一化の
虞はありますが。一体三宝式を在家信徒では不精になりがちなので
曼荼羅本尊のみで良いと考えますがいかがでしょう。教学は問題あ
りすぎです。考えが纏まらずすみません。二品読誦ですが、方便品
長行は確か石山では昭和25、6年頃でやめて久しいですね。略式
化が進むばかりです。「世雄不可量 諸天及世人・・・」世雄掲は
時間がかかるとの理由でしょうか。石山が略式に変更した理由が判
然としません。

722犀角独歩:2006/05/05(金) 08:12:26

独学徒さん

有り難うございます。
大崎における判断は、概ね日蓮本仏論は京から富士にやってきた日教によるということですが、これを妙本寺・日我とする点は、目を惹きました。
具体的に、日我のどのような文献から、これが言えるのか、ご教示いただければ有り難く存じます。


文殊さん

遺したいという石山化儀は周囲には評判の悪いところばかりですが、しかし、石山で永年信仰してきた人にとっては、拘りたい部分でしょうね。

石山の場合、本尊は石山住職が書写したものに限るというわけですが、この点は何ら意味をなしませんね。奉安様式に仏像が欠けているのに、御影像は可というのはどうしたものでしょうか。「日興云く」を信じれば、不似はいかんというわけですから、顔立ちをどうするかは大きな問題と残ります。

樒については、この信念体系を脱けてみると、実は案外、奇異に映じるものです。とはいうものの、石山に限らず、これを華とするところはありますね。

天台宗開宗1200年記念『最澄と天台の国宝』展で展示されていた密壇の四隅には樒が置かれていました。樒という字は、そもそも木偏に密。木偏に佛と書いてもしきみですね。仏教の、取り分け、密教色の強いところとなります。最近の樒は、地面に、枝を切り差しして育てたものを販売しているので、あまり見られませんが、以前は、よく実が付いたものがあったものでした。樒の実の形は緑色ながら、蓮華に似ています。こんなところも珍重された理由だろうかと思ったことがあります。

わたしは個人的には仏花は、色花でも何でも善いほうなので、樒一色の有様を見ると、何か寒々しい印象を受けます。

石山式は、あまり賛成できかねますが、特に他に押しつけるものでなければ、自由であろうと思います。

方便読誦というと、日蓮宗一般でも世雄偈までで、石山も以前はそうであったのでしょう。しかし、先に引用した写本遺文からすると「方便品長行」とあるので、全品を日蓮は読んでいたのかという疑問が湧きます。この点は、当時の比叡山化儀から探れば、ある程度、わかることかも知れませんが、いまのところ、行っていません。

石山の読経は十如自我偈で単調で、荘厳さに欠けます。これを簡略化で現代的と思うのは、お経が短くなって、ほっとしている信者会員ばかりではないでしょうか。

わたしは開経偈は名調子なので好きですし、四弘誓願を音声誓願することも善いことであると思います。それにしても石山の、諸尊勧請を鈴を打つだけで済ますという日有以来の化儀は不可思議です。天拝については身延・日朝の文献に見えるとのことですから、その後、廃れたものなのかと訝しく思っています。

羅什の意訳には、神経を過敏にしますが、読経には音律がよく、やはり、善くできた漢訳であるとも思います。

当スレッドのテーマは『現代人が納得できる日蓮教学』ということですが、一般の方々が読経唱題に触れるのは葬儀の時でしょう。簡略化されたお経は、故人を軽んじている印象しかありません。在家の導師はお粗末で、モーニングを着れば、ただ滑稽なだけでしょう。僧侶が執行するほうが、やはり、印象はよいと思います。それも十如・自我偈ばかりではなく、それなりの法式に則ったほうが参列者は、故人を重んじているという印象を強くします。

いずれにしても、読経の簡略化というのは、修行の怠慢化、後退以上の印象を与えることはないでしょうね。

723犀角独歩:2006/05/05(金) 08:26:45

先に『月水御書』を挙げて、二品読暗誦の起源を探ったわけですが、これはしかし、読経は二品以外はしてはならないという文証ではないわけです。

「常には此方便品・寿量品の二品をあそばし候て、余の品をば時々御いとまのひまにあそばすべく候。」

常には二品、他二十六品は、時間のあるときにいたしなさいというわけです。
切文解釈は、文意を枉げたものとなります。

724独学徒:2006/05/05(金) 15:59:38
犀角独歩さん、大変申し訳ございませんが、日我の本仏論、少しお時間をいただきますよう、お願いいたします。
ちょっと家族で遠出しており、もどりましてから、調べなおさせていただきます。

725文殊:2006/05/05(金) 21:12:02
犀角独歩さん、石山伝統の何を21世紀に遺すべきか、何を捨てて何を
伝えるべきなのかとの問いを立てることは、思惟してみれば困難極まる
問いです。正本堂というユートピアが瓦礫に、宗旨の根幹が蜃気楼とな
った今、石山に何があるのか何が失われたのか何が変貌を遂げているの
かを見極めつつ、険道を進まなければならないという通塞に立たされて
います。「宝処在近」とは何かを自らに問いかけつつです。ご指摘の天
拝ですが、上代には修法として執り行われていて日有以後はなぜか廃れ
てしまった・・・大石寺真蹟遺文「諌暁八幡抄」に見る正直の人に神が
宿る法門と恐らくは重要な関連性を有しているのでしょう。開経偈は石
山化儀にはありませんね。四弘誓願を音声誓願は賛同します。単調にな
りつつあるのはご指摘の通りです。ゆえに、西山・保田妙本寺は離脱し
たのでしょう。諸尊勧請を鈴を打つだけで果たして祖意に適うのかとい
う問いは重要な示唆に富ます。富士門流清流神話の終焉後、「如説修行」
とは何かを考えていきます。

726文殊:2006/05/05(金) 21:42:14
『月水御書』の会通、二品限定の文意ではないです。日有は「未断惑」
「愚迷」とかの理由で仏像禁止・二品限定に狭く解しましたが、日蓮
はおおらかに大きく法華経全体を思量されていたと思われます。富士
門諸山ではほとんど「普賢菩薩勧発品」は教学論議がなされていませ
んが、「普賢。若有受持。読誦。・・・是法華経者。当知是人。則見
釈迦牟尼仏」の法華経読誦の意が則見釈迦牟尼仏であり、「如従仏口。
聞此経典」というのであれば、再考の余地があるように思われます。

727顕正居士:2006/05/06(土) 03:42:22
『本因妙口決』、『五人所破抄見聞』はそれぞれ三位日順、妙蓮寺日眼の著述とすることに疑問があります。
そうしますと、宗祖本仏論があらわれた最初の文献は三位日順の『(大師講)表白』です。

「我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり・仍つて日本と名く、富士山をば或は
大日山とも号し・又蓮華山とも呼ぶ、此れ偏へに大日本国の中央の大日山に日蓮聖人大本門寺建立すべき
故に先き立つて大日山と号するか、将た又妙法蓮華経を此処に初めて一閻浮提に流布す可き故に・蓮華山
と名づくるか」 http://nakanihon.net/nb/yousyuu/yousyuu2_2.htm

『表白』を確実に三位日順の作とは断定できませんが、上記の思想は『諫暁八幡抄』に基づき、岩本実相寺
の伝統信仰を習合させたものと見られる。後世に発達した可能性がある教義は特に含有していません。
ここの「本仏」とは冒頭の「浄妙法身・摩訶びるさな」、すなわち大日如来である、宗祖ではないという異論が
あるかも知れません。むろん大日如来でありますが、「大日山」に並べ「蓮華山」というから、大日・金剛薩埵
の一体の上から、大日・日蓮一体をいうものと考えます。

728犀角独歩:2006/05/06(土) 08:06:02

独学徒さん

お休み、お楽しみのところ、失礼いたしました。
いつでもけっこうです。

文殊さん

> 石山伝統…何を捨てて何を伝えるべき…思惟してみれば困難極まる

伝統と言われているものでも、案外、近代のことに属するというのが、通じた認識ですね。
わたしが、当スレで一貫して記してきたことは、結局、現代に通用し、未来に継承すべき殊は、‘事実’‘真実’なのだと考えます。

> 富士門流清流神話の終焉後、「如説修行」とは何か

これも上述の答えと同様であると考えます。

> 日蓮はおおらかに大きく法華経全体を思量

それは、そうであると思います。

> 法華経読誦の意が則見釈迦牟尼仏

このような考え方は、石山以外の門下一般の考え方ではないでしょうか。
先に挙げた開経偈の一節「能詮は報身、所詮は法身、色相の文字は即ち是れ応身なり。無量の功徳皆この経に集まれり」


顕正居士さん

『表白』は「浄妙法身・摩訶毘盧遮那・因極果満盧遮那界会」とはじまり、実に真言密教色が強いと感じます。山岳信仰経由の影響ということでしょうか。
顕密一体の色合いが濃いものの、日蓮の大本門寺構想を富士に具現することを大師講に宣べるところはわかるのですが、ここから、日蓮本仏の濫觴を見抜く炯眼は、どうも、わたしは追いつけないところがあります。

729独学徒:2006/05/06(土) 10:00:30

犀角独歩さん、御返事大変遅くなりすみませんでした。
「五人所破抄見聞」が収録されている、富士宗学要集の第4巻に日我「申状見聞(私)」が収録されています。
その「申状見聞(私)」P83に、

『自我偈ト者過去ノ自我偈也過去ノ自我偈ト者文ノ底ノ主師親・人法一個ノ本尊ノ事也、釈尊ト者自受用報身名字本仏ノ事也是レ即高祖ノ御事也』

と御座います。
このような思想は、現在の石山教学で使われるところの、日蓮本仏論とよく似ていると思われますが、いかがでしょうか。
ただし日蓮本仏思想の起源的なものは、やはり日有・日教までは、少なくともさかのぼれるのではないでしょうか。


文殊さん、はじめまして独学徒と申します。
今後ともよろしくお願いいたします。

>確か客殿は万年救護大本尊の板本尊が御安置されていますね。

これは誤解を招く恐れがあると思われますので、僭越ながら補足させていただきますと、まず西山の「客殿」とは、現在の本堂のことだと思いますがよろしいでしょうか?
もしそうであれば、該当の板曼荼羅は「大本尊」ではなく、西山でいうところの万年救護本尊、つまり建治2年2月5日の、御本尊集32-2曼荼羅の彫刻です。
西山では保田妙本寺蔵「万年救護大本尊」のことは、「本地顕発本尊」と称し歴代の貫首が相伝の証として付嘱される「手継ぎ本尊」と解釈しているようです。
また正統な「戒壇の本尊」とも解釈しているようです。
したがって、西山ではこの保田妙本寺蔵「万年救護大本尊」は、正統な日興上人の後継者である、日代上人が相伝すべきもので、西山に所有権があると主張しています。
現在の西山には、保田妙本寺蔵「万年救護大本尊」の彫刻したものがあり、一般公開はされず貫首のみが給仕しているとのことです。(以上は西山本門寺相模原布教所・故小島靖正著『正統血脈え(ママ)の手引き』参照)

730犀角独歩:2006/05/06(土) 11:57:20

独学徒さん

なるほど。その点を根拠とされたわけですね。
日我の『申状見聞』は、天文14(1545)年とされますね。
顕応日教が、日蓮本仏論の著とされるのは、『類聚翰集私』の「末法の本尊は日蓮聖人にて御座す」によるところであろうと思います。同書は、長享2(1488)年の作とされますから、半世紀ばかり先行すると判断されるのではないでしょうか。
もっとも日有も『化儀抄』に「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」というわけでした。こちらは文明15(1483)年となるわけですね。

西山の万年救護本尊のご説明、たいへんに明快であろうかと存じます。
この「万年救護」という点については、以前にもやや愚考したことがありました。元来「万年救護」とは、弟子に対する用語用法でしたが、それがいつからからか、本尊を指すようになりました。そして、保田の第16大本尊も万年救護と言われ、北山の日禅授与漫荼羅も、ここでは万年救護本尊と呼ばれていますね。

つまり、それぞれの寺院で、恰も「我こそは」という感じで、いつから本尊の優勢の誇る呼称である「万年救護」をもって尊称するようになった経緯があるわけですね。そのうちに、西山の本尊も入ると言うことですね。

また、万年救護と並び言われる尊称が「戒壇本尊」ということで、北山では、かつて日禅授与漫荼羅を万年救護・戒壇本尊(大石寺誑惑顕本書)と称していたことが知られます。

石山では、いまは講堂に第16本尊の模刻(万年救護)があり、日精の時代には御影道に戒壇本尊があったわけです。要は、時代のなかで、万年救護本尊と戒壇本尊が、富士門下のステータスになった、それ故、それを捏造していったという歴史劇があったのであろうと、わたしは考えています。

731犀角独歩:2006/05/06(土) 12:10:34

いつもながら、打ち間違えました。

【730の訂正】

誤)それがいつかららか
正)それがいつからか

誤)いつから本尊の優勢の誇る
正)いつからか本尊の優勢の誇る

732犀角独歩:2006/05/06(土) 12:12:08

もう一箇所

誤)御影道
正)御影堂

733独学徒:2006/05/06(土) 15:23:46

犀角独歩さん、こんにちは。

まさに仰せの通りですね。日有・日教あっての日我の日蓮本仏論だと思います。
特に日我は日有の「人法一箇(個)」という成句を、諸抄の中で多用していますので、保田教学は日有・日教の教学に大いに影響を受けたものと思われます。
もう一つ日我の諸抄に散見されるのは、こちらも既にご指摘にあるとおりの慶林坊日隆の教学で、「蟇蛇異見抄」などは「日隆仰云」(二番目以降の問いは「仰云」と略している)という問いかけによる問答形式ですので、日隆の本迹勝劣義をベースに展開されています。
また日教・日要からの影響としては「本因妙抄」や「百六箇抄」等の引用があげられると思います。
本仏を以って本尊とすることが宗祖日蓮の御意ならば、仏像を廃し曼荼羅を本尊にすえるためには、「日蓮本仏」「人法一箇」は曼荼羅本尊義を理論付ける上で、まことに都合の良いものであったと考えられます。
また歳月を経るごとに、仏師という職人が作成する「仏像」よりも、宗祖直筆曼荼羅の方を重宝するのは、通俗的には自然なことだと思います。
しかし当の宗祖の遺文では、曼荼羅を持って本尊とすることは理論構築は難しい、そんなときに「口決相伝書」という、宗祖の直筆を必要としない秘伝の言い伝えがあれば、まさに渡りに船であったろうと思います。

734文殊:2006/05/06(土) 18:56:43
犀角独歩さん、存外伝統と呼ばれるものは近代成立ということ
ですね。幕末の久遠院日騰、明治の大石日応は富士四山との確
執と独立騒動の過程で、大石寺の「伝統」を強調する必要に迫
られていったのでしょう。大正期の福重照平『日蓮本仏論』、
昭和前期の堀日亨『富士宗学要集』に見る「伝統の再発見」は
大石寺正統を証明しようとしたのでしょう。21世紀になった
今では色褪せてしまいました。犀角独歩さん、『忘持経事』の
ご説示ありがとうございました。まさに内心の迷蒙が啓かれた
思いです。新しい大きな発見です。

独学徒さん、西山本門寺の御本尊の件ご説示ありがとうござい
ます。私はかなり以前に本に書いてあった記述を誤認識してい
ました。仰せの通りです。それにしても、貫首が未公開で給仕
しているとは徹底した秘伝主義の山風ですね。本来の所有権を
郷門保田と争っているということは、保田の万年救護本尊を戒
壇の本尊と究極の帰依の対象にしているということになります。
昭和57年の日蓮正宗離脱から今日に至るまで日蓮本仏論は堅
持している、薄墨袈裟はそのままなのでしょうか。ご観念文は
変更されているのでしょうか。戦後本門宗解体後の西山本門寺
の歴史についてご教示お願いします。

顕正居士さん、岩本実相寺は関東天台の系譜でしょうか。富士
山信仰の習合と独自色が当時からあったのでしょうか。三位日
順に日蓮本仏論の思想があると証明されれば日有から一気に遡
りますね。どうなのでしょう。

735顕正居士:2006/05/06(土) 22:05:50
岩本実相寺は安房清澄寺と同じ横川流です。富士修験の祖、末代上人は初代智印法印の資であると
『実相寺衆徒愁状』にあります。
宗祖本仏論は >>727 に述べたように、『諫暁八幡抄』の思想に日源(智海法印)、日興などが実相寺
の信仰を習合したのが、起源だろうとおもいます。しかし大日如来の住所が富士山である、本仏の本土
が日本国であるというのは飛躍がある。大日如来の住所は色究竟天金剛法界宮のはずである。だから
これは大日天照一体の上でいうのである。次に富士山の祭神は浅間大神でないかという疑問が生じる。
この間の事情はいくらか複雑である。

千時千一夜・275番・富士山の地主神 http://otd3.jbbs.livedoor.jp/246945/bbs_plain?base=276&amp;range=30
本地垂迹資料便覧・富士山本宮浅間大社 http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/honji/files/FUJI.html

浅間大神、すなわち木花之開耶姫は天照大神の幸魂(さきみたま)で、赫夜姫、弁財天女と同一視される。
弘安3年の上野殿母尼御前御返事(真蹟存在)に
「此の経を持つ人をば、いかでか天照太神八幡大菩薩富士千眼大菩薩すてさせ給ふべきとたのもしき事也」
とある。八幡抄の述作も同年であり、日源、日興の思想的影響は日蓮自身にも及んだのではなかろうか。
また『表白』の「原始宗祖本仏論」は、日郷門徒に継承され、発達したようにおもわれます。参考 >>527 。

736文殊:2006/05/07(日) 08:47:56
顕正居士さん、重要なご教示ありがとうございました。
日源は叡山時代の日蓮の同学。日興は弘安期には近く
の熱原地方の弘通に。浅間神社の神主も日蓮教団に入
っていた。曼荼羅本尊も授与されています。日源日興
の思想的影響が日蓮自身に及んでいるとの洞察は、大
発見ですね。『表白』に見る原始宗祖本仏論が三位
日順筆が証明されれば、1318年に宗祖本仏論の
濫觴を遡ることができます。台密と富士修験道と日蓮
遺文との関わりは今後究明がいっそう必要であると思
いました。『産湯相承事』は日興筆ですか。

737犀角独歩:2006/05/07(日) 12:28:29

『表白』が果たして、日順の作であるかどうかという点は、まだ一考を要しようかと存じます。

理由は1318年、すなわち文保2年の前年に日順は重須学頭になったばかりであり、表白を記したという年は日興が問答講を始めた年に当たります。

つまり、1318年に日順が宗祖本仏論を濫觴としていたとすれば、健在の日興とは隔壁のある論をここに立て始めていたことになります。任じた日興に宗祖本仏観がなかったのにも拘わらず、日順はそれを表することがあり得るかという疑問があります。

また、表白は大師講のものであると思えますが、しかし、健在な日興を差し置いて、また、学頭というのは学問所の長に過ぎないわけですから、坊主(ぼうぬし)を差し置いて、北山所住の日順を表白を為すことにも疑問の余地があります。

また、仮にこの書を、日順真筆としても、これをただちに日蓮本仏論とつなげるのには、即断とも思えます。それは日興との兼ね合いからもそのように考えるということです。ただし、その他の顕正居士さんのご賢察は、その限りではありません。

日順の富士の伝記と係る著述といわれるところは、実に不審なところが多く、直ちに信頼できません。延元元(1336)年、「両眼を失明したが、その後も精力的に著述に励み」(日蓮宗事典)などとされますが、実質上、そのようなことは不可能でしょう。

また、日順は、正平9(1354)年の寂とされますが、『富士年表』では、それを認めず、その翌年に観開両抄を講じ、さらに同見聞を述し、同10年に『念真摧破抄』を遺したことになっています。これら、日順史跡の判断は到底、信頼できるものとは言えません。日順の若年が間違っているのか、著述の特定が間違っているのか、まだ、落着にはほど遠いところがあると存じます。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/nitijun_nenpyo.htm

738犀角独歩:2006/05/07(日) 12:34:37

【737の訂正】

誤)日順の若年
正)日順の寂年

739独学徒:2006/05/07(日) 16:27:47

文殊さん、こんにちは。
西山の袈裟は薄墨です。御観念文はほとんど大石寺と変わらないと思います。
但し、西山の僧侶の中には、現在の勤行様式に疑問をなげかけている方もおられますので、この先どうなるかは分かりません。
西山本門寺の戦後史は、私はほとんど知りません。この辺は犀角独歩さんが良くご存知だと記憶しています。掲示板ではあまり触れられていませんが、オフ会などでお会いする機会があれば、お聞きしてみたらいかがでしょうか。


犀角独歩さん、私も日順には疑問だらけです。
これほど後の富士門下に重宝される講釈を残したのなら、新六などに加わってもいいはずで、日興在世と日興滅直後における日順の処遇は、現在伝わる日順伝とはどうも一致しないように思われます。
あくまでも推測の域をでませんが、西山と北山の正嫡争いの中で、担ぎ上げられただけではないかなどと思いたくなります。

740れん:2006/05/07(日) 16:55:48
横レス失礼いたします。                        
表白の「本仏」の語ですが、それを日蓮本仏に繋げて考えるのには、私も
懐疑的です。執行海秀師の「興門教学の研究」には「霊山の釈尊をシャク
仏と見ているが、本朝の本仏が直ちに日蓮本仏を表明するものか否かは明
らかではない。久遠の本仏を本尊として戒壇を建立せんとする意が窺われ
る」と記しており、執行師の戒壇云々はともかく、表白の「本仏」の語については
石山蔵の真蹟遺文「宝軽法重事」に「法花経の寿量品の釈迦仏の形像」と
記されているように、また、執行師の言われる如く、寿量品の釈迦仏すなわち久遠実成の本仏釈尊を指し
示している可能性が高い様に思います。個人的な見解としては、日蓮本仏観は、石
山日有が御影本尊を明確に主張してから発達した教義だと愚考しております。

741犀角独歩:2006/05/07(日) 19:16:23

独学徒さん、れんさん

顕正居士さんの表白に関するご投稿は、あくまで、日順作であれば、ということで、わたしはやや過敏に記しすぎているかもしれません。

むしろ、富士・浅間、神道、女神といった側面の、富士方の影響に関するご賢察を拝したいと考えております。

742顕正居士:2006/05/07(日) 22:16:09
>>736
『産湯相承事』が日興の述作なら、真書が伝承されているでしょう。日興等の口伝として後世、日郷門徒が
記したものでありましょう。『本因妙口決』に「産湯の口决」とあるが、『本因妙抄』が日順の時代に成立した
ことは考えにくい、『三大章疏七面七重口決』自体が成立していたかどうかも疑問です。『産湯相承事』は
十分に完成した「日蓮神話」であり、こうした完成した神話がまとまるのにはかなり時間がかかるものです。
しかし『産湯相承事』には富士派宗学の主要な要素が揃っています。それら諸要素は興師の時代に遡るの
があるでしょう。日蓮迄、遡るのもあり得るでしょう。日蓮以後、日蓮宗諸派の僧侶はほぼ例外なく日号を
名乗ります。したがって日文字に関する口伝などは当然、何かあったと考えられます。

743独学徒:2006/05/07(日) 22:54:44

>742

顕正居士さん、「産湯相承事」について、興風談所は御書システムの解題によりますと、出雲の日尊門流による創作と考えているようです。
日教本では欠落している出雲の日御碕の記述が、興風談所の判断の材料となっているようですが、顕正居士さんが「産湯相承事」を日郷門徒による創作とされるのは、どのようなところからでしょうか。
御教示を戴けますと幸です。

744文殊:2006/05/07(日) 22:57:58
独学徒さん、富士五山は離反と反目の歴史でありましたが、現在に
至るまで薄墨を守っているということは何か不思議な感じがします。
御観念文が大石寺とほとんど変わっていないことにも驚きました。
宗祖本仏論といい、未だに石山教学の影響が強いのでしょうか。
しかし、勤行様式を見直す動きは今後は独自色を強めていく方向性
なのでしょうか。戦後の富士門史は圧倒的に石山圏が主導でした。
北山の片山日幹貫首が1960年代に日蓮宗宗務総長に就任した
ことでしょうか石山圏以外の富士門事跡が。石山圏だけでは寂しい
ものがあります。是非とも富士四山の戦後史と現在を知りたいと
考えています。

顕正居士さん、『産湯相承事』のご教示感謝に堪えません。後世
日郷門徒が日興の口伝に化託して作られたということ、完成した
神話がまとまるまで時間がかかるということ、しかし、富士宗学
の主要な要素が揃っていることなど、勉強になりました。あとも
うひとつ質問ですが、『五人所破抄』(1328)は現在論議されてい
る三位日順の著述とみなしていいのでしょうか。ぜひともご教示
をお願いします。

「十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名本地垂迹の利益
広大なり」郷門教学が石山日時、日有に思想的影響を及ぼして
宗祖本仏論の理論的完成に至ったと解していいのでしょうか。

745犀角独歩:2006/05/08(月) 00:38:56

文殊さんの疑問は時系列がまるで二次元的ですね。
五人所破抄は日代草案というのが、取り敢えず、大崎の定説になっているわけで、それと本尊相伝、近代の西山の在り方など、時系列として、何ら同列に論じるところがありません。まるで、質問の発し方が支離滅裂と映じます。

なお、西山に関しては、七百遠忌の頃は石山に帰伏せざるを理由があり、かつ、いまでは、西山の血脈を受けたなどと僭称するおかしな人物がいたり、それがまた、大崎学派の重鎮との交友があったり、まったくどうでもいいような下世話な攪乱で、日蓮門下の判断をくたしていることは溜息が出る思いがあります。

この手の、事情を阿棚は知ってか・知らないかで、この掲示板を攪乱することが目的なのでしょうか。自粛願いたいものです。

だいたい、産湯相承が日興の直筆であるわけなどあろうはずもありません。
真面目に投稿しているとも思えません。

746犀角独歩:2006/05/08(月) 00:40:20

【745の訂正】

誤)阿棚は
正)あなたは

747犀角独歩:2006/05/08(月) 00:51:04

なお、日隆の影響を取り沙汰される日有が日蓮本仏の理論的完成者であるはずもありません。

748顕正居士:2006/05/08(月) 01:51:46
>>743
口伝書は通常は創作ではなく、切紙を収集し編纂したものです。日教の引用に日御崎説がないことからも、
もとが幾つかの切紙であることが想像されます。尊門の口伝は台宗の最新教義を日蓮的にアレンジするの
が特徴です。対して宗祖日蓮に対する神学的思索が郷門の特色に思えます。日御崎説の部分についても、
だから出雲の日尊門流の口伝というのは、今すこし説明が要められるでしょう。
>>744
日順の学問は一つレベルが高く、文章は語彙が豊富です。『五人所破抄』や『表白』は日順の文章にみえる。
ただし五一相対の史実を確認することがほとんどできないのは、たいへん不思議です。

「聲聞中佛能王生、諸佛復從菩薩生、大悲心與無二慧、菩提心是佛子因」
(聲聞ノ中ニ佛ハ能王トシテ生ジ、諸佛ハ復タ菩薩從リ生ズ、大悲心ト無二慧ト、菩提心ト是レ佛子ノ因ナリ)
と月称(Candrakīrti)造『入中論』(現代漢訳)にいうように、大乗教は菩薩教ですから、
「一切衆生ニ最初下種ヲナサルル時ハ本因妙ナリ、菩薩形ナリ。コノ菩薩ハ脱仏ノ弟子ニアラズ、受報トハ
本因妙ノ本仏ノ異名ナリ」(大夫日我・蟇蛇異見抄) *受報-自受用報身
という思想は規格に反しません。しかし信仰対象の尊格は等覚の菩薩であった。信仰対象を名字初心菩薩
とするのは日本仏教の中でも日蓮宗富士派一部の特色です。『諫暁八幡抄』には八幡勝釈迦の思想がある。
富士派独特の本因妙思想は裏側に神本仏迹思想があって成立したものと考えます。
郷門の思想と尊門の思想を折衷統合したのは堅樹日寛です。日時、日有は時代が違います。

749犀角独歩:2006/05/08(月) 07:39:44


一応、議論の参考として、以下、資料として挙げます。

【五人所破抄】日代筆の正本が北山本門寺に所蔵されている。本書は白蓮阿闍梨日興の作に仮托されているが、西山本門寺の事実上の開山である蔵人阿闍梨日代の作である。『日蓮宗宗学全書』第二巻八六頁の本抄末尾には「嘉暦三戊辰年七月草案 日順」とあるが、八七頁に〔編者云〕として註されているように、この一行は墨色筆記ともに日代の直筆ではなく、後人が加筆したこと明らかである。あるいは日順が草案を製作したものかとも推察され、なお富士門流内においても『家中抄』では『五人所破抄』を草案とし、『門徒存知事』を完本といい、最近の所説では逆に『門徒存知事』を『五人所破抄』の草案とする説(『大白蓮華』)などがあって、その成立については幾多の疑念が見られる。(日蓮宗事典)

「日有のかかる思想は、両巻血脈書の思想とは異なるものであって、寧ろ尼崎本
興寺の八品日隆の思想に負うものである。思うに日有は、八品日隆と親交があったので、恐らく日隆教学の影響を受けて石山数学を樹立せんとしたものであろう。
 かように考察し来れば、大石寺に於ては、江戸中葉、堅樹日寛上人に依って、両巻血脈書を根幹とする教学が大成せられるまでは、石山特有の教学は樹立せられていなかったといわざるを得ない。そして寧ろ室町時代に於ける両巻血脈書を根幹とする教学は、尊門の住本寺系日教によって確立せられているのである。
 日教は日有と同時代の人で初め京都住本寺に負笈し、百五十箇条を著わして不造不読、宗祖本仏論を主張した。住本寺に容れられずして退出し、文明十三・四年の頃、大石寺の日有に帰したが、これまた容れられずして、遂に重須に転じたと伝えられている。ところでこの日教の教学こそ、後の日寛教学の基本を為しているものであるとも見られるのである。
 日教の著、百五十箇条、穆作抄、五段荒量、六人立義確立抄私記等は、明らかに両巻血脈書、産湯相承二箇相承を根幹として作成したものであることは、その内容によっても知られるのである。(『創価学会批判』創価学会の学説の基礎的批判 P111)

750犀角独歩:2006/05/08(月) 08:10:05

当スレは「現代人が納得できる日蓮教学」というテーマで、議論をしてきました。ここで、真蹟主義、また、厳正な文献重視が行われるのは、そのような資料に基づかない議論は、文字通り、現代人が納得できる日蓮教学ではないからです。

わたしは嘆息を禁じ得ないのは、当テーマは、けっして、現代人が納得できる日蓮本仏論ではないということです。

日蓮本仏論は、現時点における学説的な結論としては、日教の影響を以て、祖滅200年頃に濫觴を見るとというの一般的です。
祖滅とは弘安5(1282)年です。もし、仮に『表白』が日順によるものであるとし、その作が文保2(1318)年であるとすれば、36年後のことです。これは半世紀前の『五人所破抄見聞』を妙蓮寺日眼とする従来の説から求められた祖滅99年説より、さらに60年以上も遡ることになります。この主張をなす説は、わたしは不勉強にして、顕正居士さんのご投稿以外では知りません。

万が一、これが正鵠を射たものであったとしても、それでも、日蓮本仏論は、日蓮が寂したのちの説であることに何ら変わりはありません。つまり、日蓮その人の主張ではないということです。また、これは『開目抄』の一伝播である「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」を根拠とする日蓮本仏論とは、文殊さんの好む語彙を用いて言えば、まさに径庭があります。

なお、日寛の説を執行師は日教の影響としますが、顕正居士さんが「郷門の思想と尊門の思想を折衷統合した」とされることに、わたしは賛意を覚えます。やや、付言すれば、では、言うところの郷門を日我を膾炙とすれば、それは先に独学徒さんが仰ったように、今度は、日教、日有の影響と思われる如くもあります。

日寛(1665-726)に至る、富士門各山には、当然、通用があり、どこがどこに影響を与えたというより、「この点については、ここから興り、しかし、こちらの点は就いては、多のここから興った」という複数発生であると共に、さらに相互に影響を及ぼしあっているうえ、禅門、隆門、また仙波檀林等、他門からの影響も相俟っているので、この点を一筋縄で述べてしまう単純化は、事実から乖離するものであると思えます。

751文殊:2006/05/09(火) 12:02:29
犀角独歩さん、西山のことは独学徒さんに宛てたものです。私は、一切
護教論は挟んでいませんのでご海容を賜りたく存じます。
顕正居士さん、郷門教学の特色が神学的思索とは哲学的に刺激に満ちて
いますね。房山日我が「秘伝には産湯相承等是也」(富要四ー八六)と
郷門が重視しています。

752独学徒:2006/05/09(火) 20:00:32

文殊さん、犀角独歩さん、私の投稿に不適切な箇所があったようです。
申し訳御座いませんでした。

文殊さん、私は虫干で西山に訪れたことがあるくらいで、あとは一部の著作からの情報しか持ち合わせておらず、西山が一時日蓮正宗に所属していたことも、ここの掲示板の投稿を拝見し知ったことです。
そのような事情から、文殊さんのご質問におこたえできる知識を持ち合わせておらず、特に西山の戦後史的なことは犀角独歩さんのうほうがご存知であったと記憶しており、しかし、掲示板上ではあまり多くは語られませんので、オフ会等でお会いする機会があれば、たずねてみてはどうかと思った次第です。
ご期待に沿えず、また混乱をまねくような投稿となり、大変申し訳ありませんでした。

753文殊:2006/05/09(火) 23:01:35
独学徒さん、お気になされないでください。私の不勉強によるもの
です。富士五山は離合集散の歴史といってよいでしょう。感情的な
対立も根深いものがあるでしょう。この掲示板では純正日蓮遺文を
思想的基盤にしていますから、富士本因妙の法門の探究は馴染まな
いかもしれません。富士五山の歴史や本覚思想の影響を受けている
尊門教学、郷門教学、石山教学の研究は独学徒さんの掲示板の方が
適切かと存じます。その節は宜しくお願い致します。

754独学徒:2006/05/09(火) 23:44:49

文殊さん、今晩は。
私の掲示板は、自分で言うのもなんですが、ほとんど連絡用となりつつあります。
ほとんど人の出入りが御座いませんので、お越しいただく際には、この点をご了承下さいませ。


顕正居士さん、御教示ありがとう御座います。
郷門の神学思想は、薩摩阿闍梨日叡の影響が大きいと思っていましたが、郷師にもそのような思想があったのでしょうか?
郷師は学法の師は目師で、目師は宗祖から直に学法伝授を受けたというのが、大石寺に蔵するという日郷直筆の系譜であったと存じます。
日郷直筆系譜によれば、目師にとって興尊は受法の師であって、学法の師ではないことになります。
尊門の出雲弘通では、やはり本覚法印日大ですが、日伊門ならぬ日大門より本因・百六箇が出たとするのが、興風談所の見解であると思います。
御書システムの本因妙抄の解題では、静岡県光長寺に蔵する「秘蔵抄」(本因・百六箇・産湯・本尊相伝の合本)に、日叶の識語とともに日叶が出雲安養寺にて、先師日耀から相伝を受けた事が記されているとなっています。
産湯記に関しては、同解題にて日教→日向郷門という伝承を推考しています。
私には、この興風談所の考え以外に、参考となる情報が無いので、産湯=尊門という発想に走りました。
上代郷門の神学思想の影響を知るには、どのような文献が御座いますでしょうか。
この点も、ご教示を戴けますと幸です。

755顕正居士:2006/05/10(水) 03:59:57
>>754
日郷には著述がなく、文献は日叡からとおもいます。日目にも著述がありませんが、三箇の秘法は蓮・目・興と
次第した伝説がある(穆作抄)。尊門、道門、郷門とも日目から分流し、それぞれ独自の興門教学を形成した。
また日目は千眼大菩薩を信仰する伊豆走湯山の修験出身である。日朗耳引法門の伝説は無視はできません。

御書システムの説は『桐』のお試し版で見たことがありますが、詳しく覚えておりません。ちょっと判らないのは、
なぜ出雲の尊門流で編纂されたのに、天照大神最初垂迹日御崎説がそれにないのでしょうか?

三河日要は左京日教とほぼ同時代の人で、宗祖本仏、久遠元初自受用身、御影本尊などを唱えていますから、
日要の著述とおもいます。

>>753
文殊さん。ここは『富士門流信徒の掲示板』ですから、日興門流の教義や歴史について語る場所であります。
しかし、でありますからこそ、以下を区別することが必要とおもいます。
1 日蓮の教義と後継者の教義 2 門流諸山の異義 3 大石寺単立以前と以後 4 伝統教義と新興教団
福重照平『日蓮本仏論』、松本佐一郎『富士門徒の沿革と教義』にも述べられているように、大石寺単立以後は
釈尊宗祖一体論が日蓮勝釈迦論に変質しています。創価学会以後は釈尊無益論に単純化し、今は創価学会
の教義が日蓮正宗に輸入されています。富士派の教義に疎い僧侶は新興教団の人と同じに理解してしまう。
また宗祖本仏論は富士派特有ではなく、玉沢流にもある。富士派の特色は第一に富士霊山思想であります。

756犀角独歩:2006/05/10(水) 05:19:51

独学徒さん

特にご投稿が、混乱を来したということはありません。
仰るとおりで、西山に就き、何処に就き、投稿で書けることとと書けないことがあります。


文殊さん

> 石山教学の研究は独学徒さんの掲示板の方が適切

別にそのようなことはありません。
石山教学の研究については、当掲示板でも十分に為されていますし、また、当掲示板の適切なテーマでもあります。このような決めつけは、議論自体を狭めますので、やめるべきでしょう。


顕正居士さん

755の整理は簡潔にして適宜であると拝しました。ただ一点、

> 富士派の特色は第一に富士霊山思想

に付加し、深刻なのは咒物、所謂「本門戒壇の大御本尊」信仰であり、この点を特色に数えるべきであると思います。

757文殊:2006/05/10(水) 06:22:50
犀角独歩さん、別段決め付けているわけではありません。
また、当掲示板では石山圏の出自ではなく、護教論をまじえず、
一個人として論議講会に参加しているので誤解無きようお願い
致します。行学日朝、慶林日隆、堅樹日寛の三大宗学者は当時
の関東天台の諸文献を批判的な視点からも日蓮宗学に摂属して
いる古典宗学と、犀角独歩さん、一字三礼さんがご研究されて
いる法華経梵文と純正日蓮遺文原典研究と理論的視角が別異で
あると思いましたので、前者の論議を独学徒さんの掲示板に移
そうと考えた次第でございます。

758顕正居士:2006/05/10(水) 06:42:43
>>756
「戒壇本尊」の信仰は大石寺だけです。本因妙は八品派と共通です。しかし重須、要山は本因下種の法体を
本果の妙法とするのが違う。結局、興門共通の特色は富士霊山思想になります。

大石寺の特色は日寛以後、「戒壇本尊」。それと仏立宗と同じ「現証利益」。妙法五字は現世利益の呪文で
あるとする。しかし呪文であるならば、門派など問わない。だからそれぞれ、「要法本尊」、「戒壇本尊」のみに
利益がある、宗祖の曼荼羅は雑乱勧請あるいは未究竟であるという。創価学会で100%、そうなりますが、
大石寺単立以後は、どんどんそういう方向に進んでいったように思います。

759犀角独歩:2006/05/10(水) 08:15:01

文殊さん

別段、何も誤解などしておりませんし、あなたを石山並びに信徒の代表であるとも思っていません。単に彫刻の真偽を言えない個人であると判断しているばかりです。

松山師に係る梵本学習は『法華経について』スレで行っていることであり、ここは『現代人が納得できる日蓮教学』がテーマです。テーマごとに分かっていることを当スレッドでとやかく言うことは筋違いでしょう。


顕正居士さん

755のご投稿で「富士派」と記されています。
富士派とは『富士年表』によれば

1900 明治33 9.18 大石寺分離独立認可、日蓮宗富士派と公称(院77)

とあるとおり、大石寺を指す名称ですから、彫刻信仰を付加されると記したのです。しかしながら、先のご記述が、八本山等、富士門下を指す意味でお使いになったのであれば、仰るとおりでしょう。

760文殊:2006/05/10(水) 21:59:03
犀角独歩さん、言葉遣いに気をつけた方がいいです。
節度を持って議論していきましょう。他スレッドに介入するつもりは
ございません。ただ、研究のアプローチが文献主義だからです。
自らの名誉を声高にふりかざす貴殿の態度はいかがなものでしょうか。

顕正居士さん、ご助言感謝に堪えません。彫刻師日法伝説の玉沢妙法華
寺が宗祖本仏論とは迂闊にもはじめて知りました。勉強し直します。

761犀角独歩:2006/05/10(水) 22:35:28

文殊さん

何を言っているのさっぱりわかりません。

> 言葉遣いに気をつけた方がいい…他スレッドに介入するつもりはございません…自らの名誉を声高にふりかざす貴殿の態度はいかがなものでしょうか。

他のスレッドに介入する気はないといいながら、「名誉」云々は、他のスレッドに係ることになっていませんか。

そもそも、あなたは、過去のこちらの質問に答えず、管理者さんの警告を無視して、また、議論をつづけています。そのあなたこそ、態度を改めるべきでしょう。

名誉云々というのは、つぶやきスレッドにおけるわたしの発言についでしょうか。
ならば、あなたにお尋ねしますが、「大謗法者」「魑魅魍魎」「学会くずれ」という暴言が名誉毀損に当たることを警告し、そのうえで、自らの名誉を護ることの何がいけないのでしょうか。あなたは、斯かる顕正会、浅井さんの暴挙を擁護するというわけですか。

762犀角独歩:2006/05/10(水) 22:54:57

管理者さん

761における文授さんの「言葉遣いに気を付けろ」という高飛車な態度をわたしは是としません。このような態度こそ、また、名誉を傷つけるものです。名誉とは人権の異名といってもよいでしょう。斯かる文殊さんの態度は、人を見下した実に無礼な態度といえるでしょう。

わたしは、自らの人権、また、名誉を自分の権利として、これを自ら護ります。
人権を擁護すること、これは信教の自由と共に現代人が納得する日蓮教学の要件であるともわたしは信じます。

これを妨げる行為をここに人権侵害であると判断し、文殊さんを批判いたします。

また、文殊さんは、過去に2度、質問に答えるよう、答えないような議論の仕方であれば、入場禁止をするという警告を受けていながら、4月30日の「『新田殿御書』に重大な日蓮の示唆があるというのであれば、具体的にその理由をここに記し、問うことが議論の在り方です」という、わたしの警告を無視して本日に至ります。すなわち、質問に対して答えるという管理者さんの警告を3度までも無視しています。

以上の2点に就き、管理者さんのご意見を拝聴いたしたいとお願い申し上げます。

763独学徒:2006/05/10(水) 22:57:49

>756
犀角独歩さん、恐れ入ります。

>755
顕正居士さん、興風談所は日教が大石寺に帰属後に表した著作では、日御崎に関する記述が省かれていることから尊門から大石寺門徒となったことで、日御崎に関する記述が大石寺門徒の思想にそぐわないとして削ったのではないかとしています。
該当文献名が出てきませんが、確か興風談所は、日要の日蓮本仏思想には隆門と(伝)日順、そして日有の思想的影響があると分析しているようです。日要の著作には、本因・百六箇の引用があることから、この郷門への本因・百六箇の移入は日教→郷門と考えているようです。

764管理者:2006/05/11(木) 06:00:54

犀角独歩さん

文殊さん

既に、当スレッド700レスにおいて、文殊さんはには、当掲示板から退去されるように申し上げています。704レスにおいて、猶予措置として、暫く、その後の進展を見守ると、管理者は述べました。犀角独歩さんのご指摘の通り、今回、人権侵害発言、並びに、新田殿御書に関して応答しない、という二つの瑕疵によって、文殊さんの書き込みを容認することを、看過できない水準に達したと考えます。

文殊さんの書き込みを今後禁止したします。

765犀角独歩:2006/05/11(木) 10:48:15

管理者さん

ご措置、有り難うございます。

書き込み禁止という点に就き、何故、このような措置に至ることになったのか、その過程を再考され、已後の糧とされることを願います。

繰り返しになりますが、『現代人が納得できる日蓮教学』、21世紀の日蓮、また、未来に伝えなければならない日蓮は、「事実の日蓮像」であるという信念をわたしは有します。過去の経緯、自己信念体系とその集団の執着から虚偽を未来に継承することは絶対にあってはならない、そのための、当スレッドの議論であるという点を、再度、踏まえて、管理者さんの許、さらに建設的な議論ができることを念願します。

766臨時:2006/05/11(木) 14:41:19
>未来に伝えなければならない日蓮は、「事実の日蓮像」であるという信念
をわたしは有します。

との事ですが、「事実の日蓮像」とは如何なる者でしょうか?このサイトでは
真筆主義をつらぬかれているようですが、多くの真筆が焼失したとされている
中で、その焼失した御書の中に重要な文々区々があったであろうことが想像さ
れます。

中でも禄内御書と言われるものの中には限りなく真筆と認められている御書も
少なくありません。それらの御書を真筆無きゆえに外してしまっては、真実の
日蓮像には迫りえないのではないでしょうか?

767管理者:2006/05/11(木) 14:52:24

臨時さん

お尋ねいたしますが、あなたは、当掲示板において、書き込み禁止となった方ではないでしょうか。内容から見て、そのように感じましたので、お聞きいたします。そうであるのか、そうでないのか、お答え戴けますでしょうか。よろしくお願いいたします。

768臨時:2006/05/11(木) 15:43:57
管理人さん

>当掲示板において、書き込み禁止となった方ではないでしょうか

との事ですが、書き込み禁止にはなっていません。

ついでに766の間違いを訂正しておきます。

訂正。。。文々区々_____文々句々

769管理者:2006/05/11(木) 16:19:13

臨時さん

了解いたしました。

ご参加を歓迎いたします。今後とも宜しくお願い申し上げます。

770顕正居士:2006/05/11(木) 17:03:21
>>763
御教示、有難うございます。日要が日順、日隆、日有の影響下にあるのは当然として、ここでも日教が出て来る
のですか。日要、日我の全集を興風談所で刊行してくれるとよいですね。
>>766
真蹟の有無ではなく、問題は真書か否かですね。直弟などの写本が幾つかあって、内容が一致している場合は
加筆もないと考えられるから、全体を真書と扱えるでしょう。むろん、そういう由緒がなくても、写本遺文の多くは
真書でしょうし、逆に真蹟(とされる)遺文の一二は偽書かも知れません。

771犀角独歩:2006/05/11(木) 21:36:09

臨時さん

> 「事実の日蓮像」とは如何なる者でしょうか?

それを探っているということです。

> 焼失した御書の中に重要な文々区々があったであろうことが想像されます。

そうですね。想像することはできます。
一方、真蹟遺文は想像ではなく、事実です。

> 禄内御書と言われるものの中には限りなく真筆と認められている御書

認められているというのは、現時点では、暫定的措置であって、事実であるということではないでしょう。
また、禄内は日蓮滅後100年ごろ、まとめられたものです。

お尋ねしますが、あなたは今から100年前の文書、それも、それが複製でも、その内容を信頼しますか。わたしは、疑ってかかります。しかし、それが信頼するに足りるかどうかは、真書に比して、はるかに実証困難ではないでしょうか。日蓮の遺文に置いても同様であるというだけです。

> 真筆無きゆえに外してしまっては、真実の日蓮像には迫りえない

逆も真でしょう。真筆ではない御書を混ぜてしまっては、真実の日蓮像に迫れません。この選択の際、確実な資料を優先して、それを基礎とすることはなんら批判されることではありません。しかし、その逆は、証拠性を有しないわけですから、採用にはそれなりの補助的な資料が必要となるということです。

772犀角独歩:2006/05/11(木) 22:59:57

771を、もう少し補足しておきます。

真跡として認められている遺文を日蓮のものとして、採用することは、取り敢えず、可であるとというのが、真跡主義ということであろうと思います。しかし、これら真跡も、数葉に切り分けられているものを集成して、真跡とする場合もあるわけですから、今後、現段階のスケールが変更されることはあり得るでしょう。

曽存に関しては、真跡遺文に準じながら、しかし、多くの問題を孕んでいます。

なお、真跡が存在しない遺文を採用しないということではありません。
これを採用するのであれば、確実に日蓮の真筆である証拠を添付する義務が生じるという条件付きであるということです。

わたしは、この能力がありませんから、現段階で真跡遺文として確認されているものを採用して、議論をしているということです。

先の写本に関しては、その判断はまちまちです。ですから、未決着の書を真筆であると主張する場合、その主張者に、その根拠を求めて、納得がいけば、その写本に基づく投稿の議論に乗りますが、納得できない場合は、議論以前の問題ですから、徹底して、真偽考証という、議論に入る前段階で、その確認作業を行います。

この確認作業を無視し、写本を直ちに真筆の如く扱う投稿に関しては、断固、遺憾の意を表し、その真筆なる証拠を求めると共に、その証拠を提示せず、投稿を強行しようとする者とは、断固、戦い、その主張を斥けます。

以上の態度に基づいて、わたしは投稿してきましたし、今後もそのようにいたす所存です。なお、このわたしの態度は、当掲示板における在り方にも基づくという認識に拠ります。

もし、この認識が間違っているのであれば、管理者さんにはよろしく訓戒を垂れていただきたく、お願い申し上げておきます。

773独学徒:2006/05/12(金) 23:25:13

>770
顕正居士さん、日要・日我の著作は一部分なら興風叢書として発刊されていますが、全集といったものがあってもいいですね。
しかし本来ならば、そのようなものは保田妙本寺から出るのが普通だと感じます。大石寺も日寛の六巻抄や文段を出しているので、全集とまでいかなくとも主要なものを何らかの形で世に出すのは、保田妙本寺のことをもっと知ってもらうためにもあってしかるべきと思います。
今後ともご教示の程、お願い申し上げます。

774顕正居士:2006/06/14(水) 22:34:59
インド以来、大乗経は報身仏の説法とする。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/538
報身仏とは何か。

自の富裕は世間より超脱して不思議なり
善修百の果を 諸の智慧を有するものゝ
歓喜の発起の為め 会衆の中に於て
種々広大に教へて 常に妙法の広大なる音声を
全世界に流布し給ふ
仏は円満報身にして 法の王国に住したまふ
総て彼に稽首す。
「伝竜樹仏三身讃」(寺本婉雅訳・『梵漢独対校西蔵文和訳・龍樹造中論無畏疏』)

報身仏とは三阿僧祇劫の菩薩修行の因願による報酬の身(善修百の果を…)であって、
三界の頂、阿迦尼咤天に住する(法の王国に住したまふ)。
三世諸仏、成道して得る身は皆等しくこの毘盧遮那報身である。
三世乃殊 毘盧遮那一本不異 如百千枝葉同趣一根(玄義7下)
(三世乃ち殊なれども 毘慮遮那一本異ならず 百千枝葉同じく一根に趣くが如し)

775犀角独歩:2006/06/15(木) 22:18:37

移動に際して、整理します。

わたしは、日蓮が法華経を釈尊50年の説法のうち、最後8年の説であると信じていた点で間違えたと言ったのです。(1537)

これは歴史上の事実に基づく指摘です。

これを、西暦前後に創作された法華経という物語、また、その他の大乗経典の解釈で展開される三身説で云々するのは、そもそも土台が違います。
この事実認識から言えば、経典は釈迦が説いたものではない、もちろんのこと、応身が説いたとか報身の説でもありません。経典を創作した人が紡いだ物語です。その点を日蓮が気付けなかったことを、わたしは言っているのです。わたしは応身の説法だなんだということを言ったわけではありません。それを恰もわたしが応身説に立ったような決めつけで、突然、投稿されたわけでした。しかし、これは、上述するとおり、まったく、土台が違った論点であるということです。

翻って、これを日蓮その人の教学と考えるとき、では、日蓮は、それを応身の説法と見たか、報身の説法と見たか、もしくは本地本仏の説法と見たかということはまるで別の問題です。台学の筋目から見るとき、これはもちろん、顕正居士さんが仰るとおりで、報身説としたのだろうというところが至当であろうと、わたしは思います。一切経は久遠本地釈迦仏の説法と見たのではないのでしょう。この点で、顕正居士さんと西大寺さんの言うところは違っています。

なお、わたしが「哲学」という点についていったのは、西大寺さんが日蓮を基準にしない日蓮の教学は日蓮の教学とは言えないといいながら、「久遠の教主釈尊と応身の釈尊の関係が分らないのならば、法華経の説く哲学等を理解するずもない」という点について、そもそも、日蓮も、台学も、法華経も、哲学とはまったく関係のないところで説かれたものであるから、それを「哲学」という言葉で捌いて、何が日蓮を基準にしていると言えるのかという問いかけから、始まったことです。

なにか、一字三礼さん、問答さん、わたしが哲学に拘ったような投稿を見ますが、事実はまったくの逆で、哲学に拘ったのは西大寺さんのほうでしょう。

顕正居士さんが仰るように現代の仏教学では「仏教哲学」なる造語が闊歩しているのは事実です。しかし、日蓮が何を基準にしたのかという点から言えば、日蓮は、哲学…この言葉は主にギリシャ哲学を指す…を基準にしたのではなく、仏法を基準にし、取り分け、智邈、湛然の釈、そして、何より、法華経を基準にしたのでしょう。

では、法華経はギリシャ哲学を基準にしたのかといえば、西方の影響を全面的に否定すべきではないが、やはり。多くは仏教徒の系譜から、この物語は紡がれた以上、これを哲学の影響とすることは、事実に反すると言っているわけです。

では、仏教哲学としての法華経の哲学を基準にしたのかといえば、わたしはこれは違うと思います。日蓮は法華経の魂を基準にしたのであった、その学を基本にしたわけではなく、強いて、この筋で言えば、信行学にわたって基準にしたのではないかということです。
また、哲学の、適宜な訳である愛知(知に対する愛)という側面からすれば、知への変更は、寧ろ、般若経のほうが闡明なのであって、以信得入という態度の法華経は哲●という言い方で敢えていえば、哲学であるというより、哲信の経というべきであり、この点は、バクティの影響をわたしは寧ろ見ます。

以上の意味において、とおりすがりさん、団栗さんのいうところは、まるでこの流れを無視していると言わざるを得ません。

まして、管理者さんが不公平なジャッジをしているごとき、団栗さんの発言はまったく事実と相違しています。

776一字三礼:2006/06/15(木) 23:10:31
「哲学」関しましては、犀角独歩さん、彰往考来さんがご指摘のように、時系列が合いませんし、仏教にギリシャ哲学の影響があると主張するのであれば、伝承を含めて、それを明確に示されればよいと思います。

知的な真理追及の作業全般を「哲学」と称した場合であっても、仏陀とは一切智者であり、‘法’及びその他全ての事柄に熟知した存在であり、仏典とは、その仏陀が対告衆に応じて、その悟ったところの教法・行法を説いたものです。
一切智者である仏陀には、教法・行法についてこの上、哲学的な思考や論法で求めなければならないものはありません。

つまり基本的には、仏典というものは、‘一切を知る者’からの開示です。だから、美や智を求める哲学的な構成をもっていない、それ以前にその説かれるところは理論的でさえないものが多いのです。

犀角独歩さんがご指摘のように、般若経系は、幾分思弁的な傾向はみえます。しかし、「二乗作仏」と「久遠実成」は法華経の中心教説ですが、哲学的思考によって理論的に証明など出来ません。
十地経の菩薩地についても同様に、耳障りの良い菩薩の徳目を‘十’という数にこだわって羅列しただけであり、哲学的な思考など微塵もみられませんし、また哲学的に理解出来るものではありません。

仏教が哲学を背景として成立している、などという考えは、仏教全体を把握することを困難にするだけではないでしょうか。

犀角独歩さん

実は、バクティ語が法華経で使用されているか否かにつきましては、松山先生が次回の講義までにお調べくださるそうです。

777顕正居士:2006/06/15(木) 23:37:47
大乗経の由来

NG-WORDがあると出て投稿できないので、下記をご覧ください。

http://www.geocities.jp/xianzhengjp/mahayanasutra.txt

778パンナコッタ:2006/06/15(木) 23:40:09
あらし行為は基本的に放置でしょう。管理人さんの警告も出ている事ですし。

現代人が過去の思考を”哲学”と呼んでも差し支えないでしょうが、鎌倉時代の蓮祖が
明治の造語を用い”これが哲学である”と言う事はあり得ないし、仏典に書かれているわけでもない。
現代人が蓮祖の思考を”日蓮哲学”と呼んでも差し障りはないでしょう。しかし、蓮祖自身は
哲学という語彙を持ち合わせていないのですから、鎌倉期に尺度を合わせ日蓮の思考を考察する
此処の掲示板のスタンスには、あまり適さない抽象的な語彙である故、常連各氏が明確な定義を
求めているだけの事でしょう。

また思考を論じるという人為的な意味合いも含まれる為に、”久遠の釈尊・無始の古仏”
といった語彙に単純に哲学的と冠すれば、初めから人による創作物という前提も成り立ってしまいます。

これは、明確な定義を示すべきでしょうね。

779顕正居士:2006/06/16(金) 01:02:32
Philosophyにあたる言葉はインドではdarśanaといいます。「見 けん」と漢訳します。
日蓮宗も一個の「見」であることは間違いがありません。しかしPhilosophyの基準
からは、天台宗まではPhilosophyであっても、日蓮宗の本面迹裏の教義は宗教で
あって、哲学ではないという意見があり得るでしょう。Philosophyとdarśanaは別の
文明圏の言葉ですから、ぴったりとは重なりません。
しかし、井上円了は日蓮宗の教義も哲学であるとして、『日宗哲学序論』を著し、
日輝は哲学造語以前の人ですが、日蓮宗に天台宗と異なる実相の説があるとした。
たしかにこの辺はおおいに検討すべき事柄であるとおもいます。

780顕正居士:2006/06/16(金) 01:24:21
わたしは「印度哲学科」の出身ですが、「印度哲学」の「哲学」はdarśanaなのか、philosophyなのか。
インド思想や仏教思想のdarśanaとphilosophyが重なる部分を重視して研究しているのかといえば、
そうではありません。「印度哲学・宗教学科」あるいは「印度思想学科」のほうがわかりやすいでしょう。
ですから印度学、仏教学の世界でいう「哲学」はdarśanaです。故中村元氏は「思想」という表現を
好まれました。つまりdarśanaはphilosophyの全体とreligionの一部に重なります。しかし「思想」とも
違うのです。「社会思想」などはdarśanaでなくてdharmaです。結局、「印度哲学」は適切な表現です。
インド思想の中でdarśanaに重点をおいて研究しているからです。

781顕正居士:2006/06/16(金) 02:27:37
>>776
一字三礼さんのご意見について。

大乗仏教がいう仏陀とはビルシャナ仏のことで、一切智者であり、経験と推論なくして一切を知ります。
大乗経とはその一切智者の啓示であります。しかし大乗仏教では「聖教量」を知識根拠としません。
大乗経の内容を真実とするのは各人の経験と推論によるとします。なぜなら「聖教量」を知識根拠と
すれば、一切智者の啓示と称する経典は多数ありますから、いずれを択んでよいかわかりません。
大乗経は架空の釈尊を説主とした創作経典ですから、インド、チベットでは龍樹、世親などの確実な
著述を正典とし、大乗経の言句は正典に合致するゆえに用いるに過ぎません。
中国では仏教の地位を確保し、かつ中国人の需要に合った仏教を展開するために、「経」に権威を
与えました。中国では何事も旧いことを重視し、経−釈-書の順序でなければいけません。共産革命
で全部、一新してしまうしかなかったが、その後はまたカール・マルクスの「経」、レーニンの「釈」、
毛沢東の「書」にこじつけた言論しか通用しません。そういう約束の社会ならば、あいまいな「経」を
重視するとかえって自由言論ができるのです。吉蔵や玄奘はインド流に論・釈を正典にしましたが、
中国ではこの流儀はダメでした。天台宗は正典を表は法華、涅槃の経。裏は竜樹などの四論とし、
上手にバランスを取ったのです。また大乗経を作った人達はおそらく部派仏教の学僧ですから、
物語の裏側にしっかりと哲学があります。そこが面白いのです。

782犀角独歩:2006/06/16(金) 04:46:24

生命のドラマ法華経とは、祥伝社から発刊された創価学会元教学部長・原島嵩氏の本の題名です。

創価学会で育ったわたしは法華経も、日蓮も生命を説いた人であると信じて疑いませんでした。この事情は、たぶん、現在でも創価学会員であれば、同様ではないでしょうか。戸田城聖氏の『生命論』がその基本にありました。
しかし、この“生命”というマジックワードで解釈された日蓮も、法華経も、その原意からどんどん離れていってしまうわけです。元来、主体であった法華経も、日蓮も、生命というこのマジックワードの説明語となってしまう魔力を有しているからです。

同様のことは哲学という言葉にも言えます。法華経の哲学、日蓮の哲学などといった場合、哲学という言葉が主役を奪ってしまう魔力を有しています。

781に顕正居士さんは「物語の裏側にしっかりと哲学があります」と記された。このような説明は現代的には別段間違いではないでしょう。しかし、ここで止揚された哲学は、それが主義、信条、考え方、定見…といったその他の言葉を置いても、実は違和感が生じません。

たとえば、天台智邈大師は摩訶止観で仏教哲学を説いた、いや、生命哲学を説いたという文章は、学会を含む石山圏では通用します。しかし、わたしは、これは嘘だと考えます。天台智邈は生命を説いたのではなく、心を説いた、もっと言えば己心の行じる法門を説いたというのであって、生命はイコール心ではないし、止観は、その心身の、禅観なのであって、哲学を説いたものでもないからです。生命、哲学という成句を使わない萌芽より正確に智邈釈を説明できます。この事情は日蓮も同様です。

法華経にしても、智邈、湛然の釈にしても、日蓮の御書にしても、生命で記せば、それは生命論になってしまうし、哲学といえば、その瞬間から哲学の説明になってしまいます。この二語は実に曖昧で、一切合切を説明したかのように見せる魔力があります。

わたしは宗教集団と会員に係る問題を主な仕事としていますが、この現場で過去10年間頻繁に使用されてきた言葉は マインド・コントロール もしくは、カルト という言葉でした。我々が通常、この言葉を使う場合、その定義について、前者はスティーヴン・ハッサン師、もしくは西田公昭師などの定義に基づき、カルトという言葉の用法は主に浅見定雄師の定義に基づきます。より正確な言い方をすれば、破壊的カルト・マインド・コントロールという成句を略して、カルト、マインド・コントロールというのが、この世界での決めごとになっています。しかし、このカルト、もしくはマインド・コントロールという言葉が一たび、世間一般、マスコミ・メディアで使用されてしまってからは、本来の意味からどんどんと乖離した別の意味を孕み、ついには俗語化の憂き目に遭った経緯をわたし達は目の当たりにしました。

783犀角独歩:2006/06/16(金) 04:46:51

―782からつづく―

哲学という言葉も同様の経緯を孕んでいないでしょうか。
インド哲学と言われるような成句の元で使用される哲学は779で説明されるような意味背景を有していると、顕正居士さんのようなその科の出身の方は考えるのでしょうが、一般人はそう考えません。インド哲学の哲学も、人生哲学の哲学も、さらには法華経の哲学?も、特に厳格な定義を有さず、元来の意味や定義から乖離した俗語化した哲学という曖昧模糊とした用法で使用されているからです。

日蓮は法華経の哲学を基準にした、なんだかわかったような気になりますが、わたしはこれは嘘だと考えます。だいたい、何を言っているのかまるでわかりません。これでは基準は哲学となってしまいます。当の日蓮が聞いたら吃驚することでしょう。

また、同じことを繰り返さざるを得ませんが、日蓮は、法華経を、釈尊が自分を去ること2200〜2300年前に説いたとして、その教学と本尊を確定していったわけです。ここに日蓮の信念があったのでしょう。(これは日蓮の哲学ではありません)しかし、この日蓮の信念は、残念ながら近代の科学実証性の前に潰えた、さて、どうするのかという点を、わたしは考えようといっていることです。

当スレッドは「現代人が納得できる日蓮教学」ですが、では、その主語である現代人に、法華経は報身仏の説であるとか、一切の経典は久遠本仏が説いたものだといって、納得するものでしょうか。むしろ、かつて、そのように信じられていたけれど、実のところは西暦前後に創作された物語であったという議論のほうがはるかに説得力を有しています。もちろん、それは、教学的な側面から考えれば、それを日蓮がどのように考えていたかということから三身説を採ることは何ら間違いではありません。このような見直しも、その日蓮の素描においては十分に義を有します。しかし、三身説という永らく使用されてきた説明に、哲学であるとか、生命であるとかという語をもってすれば、たちまちに事情は覆ってしまわないでしょうか。

以上のような実況がありますから、わたしは…、いや、わたしばかりではなく、彰往考来さん、一字三礼さん、パンナコッタさん、たぶん、問答名人さんは、生命とか、俗語化した哲学といった語彙を以て、法華経、日蓮、広くは仏法を語るうえで、使用しないほうがよいという考えで共通しているのだと思います。
イン哲の出であるという顕正居士さんには、不本意なことであるかも知れませんが、ここでの共通認識は以上のようであると思います。

784犀角独歩:2006/06/16(金) 10:08:41

一字三礼さん

般若経と哲学の関係へのご賢察、参考になりました。
法華経講義でも話題になりましたが、般若経周辺では、何ゆえ、あそこまで智慧に拘ったのか、この背景に東西文化交流はなかったのだろうかという類推が先の記述となりました。

『ミリンダ王の問』、また、ガンダーラ仏像の造形から見ても、大乗経典へのギリシャの影響は看過できないものがあろうかと思います。たとえばソクラテスは、釈迦と同時代の人ですね。しかし、西のソクラテス、東の釈迦の相互の影響は感じられません。前者はアポロンから語り、釈迦はブラフーマから語っています。しかし、滅後100年を経た頃から、仏像がギリシャの影響を以て造られるようになり、文字で経典を書き残すようにもなっていきました。前者には石工技術、後者は聖典信仰の隆起という点で、東西を代表する思想・文化と共通点が見出していけます。

このような時代背景で、もっとも最初に創られた経典が『八千頌般若』だった。では、Pnnya パンニャ(Prajynya(プラジュニャー))は智慧に力点が置かれたものであるわけです。知識への信仰という側面を感じるわけです。

このような態度は、ギリシャの Philosophy という態度と何らかの交流の結果ではないのかという視点をわたしは有しています。しかし、顕正居士さんのご説明を読めば、むしろ darśana(見)の延長と見るほうが至当なのだろうか、となれば、Philosophy>Pnnya は違っているのかとも思えました。

『法華経』は『八千頌般若』の次の創作経典であるという時系列で、さらにその定型化には2〜300年の時間を要しているようですが、そこに見られる態度は“信”の強調にあり、前者の般若の強調とは趣を異にしています。また、その底意には、輸入され習合し仏教の尊格となっていった数多の仏菩薩を整理し、釈迦一仏に統一しようとしたコンセプトを有しているわけです。そして、そこでは文字化された聖典信仰と仏塔信仰の融合があり、造像尊崇とも関連していくという東西交流の結果を垣間見ることもできます。

松山先生の調査、結果が楽しみです。bhakti は誠信、献信、信道などの漢訳と共“信愛”とも約されますね。信愛と愛知(Philosophy)、この比較こそ、わたしの興味の対象の一部です。

法華経における信は、adhimukti が正面ですが、その裏面に bhakti があるかどうか、次回の講義が待ち遠しい気持ちになりました。

785顕正居士:2006/06/17(土) 07:40:52
創価学会の爪跡は大きいですね。「日蓮大聖人の哲学」。
わたしも10年来、大石寺・創価学会関連のサイトや掲示板を見て来たので、そういう感覚はわかります。
「哲学」という語が「創価学会」を想起させるのですね。
創価学会は一見はカルトの中では穏便な部類ですが、2世、3世のトラウマは深い。そうおもいます。

786顕正居士:2006/06/17(土) 08:14:18
Bhakti 信愛 という語は法華経にはありませんが
自在者 イーシヴァラ への信愛が自我偈には高揚しています。
当時のBhakti思想の流行と無関係ではないでしょう。

法華経は般若空観を裏に置き、方便としての菩薩道の煥発を表にした経典です。
結構は阿含の経典をまねており、基本的には「法」への信仰を説いています、

松山俊太郎氏がおっしゃるように、日蓮は法華経に秘められたダルシャナを
13世紀日本に展開した思想家という方面があります。
日蓮はやはり「法」への信仰を説き、仏名でなく、実相の名である妙法蓮華経を
唱えよといった。しかし同時に寿量品・自我偈への信仰が極めて厚く、
ビルシャナ仏が釈尊として応現することを重視した。こうして日蓮宗学の顕本論は
法身、報身、応身の三説が並存するに至ったのです。

787犀角独歩:2006/06/17(土) 08:16:37

顕正居士さん

ご理解いただけまして、痛み入ります。

そのグループの特殊用語は、日常一般の言葉を借りていることも多く、そのような新年体系とはまったく関係のない場所にそのことを忘れて暮らしているとき、突然、この言葉に出会うと、フラッシュバックを起こさせます。

顕正居士さんのお考え、また、哲学という言葉には何の罪もないのですが、『仏教哲学大辞典』、通称、仏哲が仏教用語を知る最高の教科書であった者にとって、ここからの脱却に、どこか「哲学」という言葉に敏感になっているところがあるのかもしれません。

引き続き、ご教示、ご批正を賜れれば、有り難く存じます。

788一字三礼:2006/06/17(土) 15:43:19

顕正居士さん

> つまりdarśanaはphilosophyの全体とreligionの一部に重なります。しかし「思想」とも違うのです。

darśanaについてご教示くださり、ありがとうございます。このあたりの概念がよくわかりませんでした。 

> インド、チベットでは龍樹、世親などの確実な著述を正典とし、大乗経の言句は正典に合致するゆえに用いるに過ぎません。

確か、以前にもお書きになっておられたと記憶しておりますが、私にとってはかなり刺激的なご見解です。
大乗の「経」と「論」の関係は、部派の三蔵の基準とはまったく異なるということでしょうか。
現代の我々にとっては、龍樹も世親もすでに釈尊に負けず劣らず伝説の人物達ですが、インド人やチベット人にとっては、毘盧遮那仏よりはリアルだったのですね。

「中論」、「分別論」、「摂論」などを、聖典と位置づけて、それらの論釈に載る経文は採用する、という感覚はわかりません。「十住毘婆沙論」、「中論」、「法華論」などを読みますと、かなり自由な論釈立てはしていますが、それでも龍樹や世親は、「論」より「経」を重視する立場と感じます。

また先に挙げていただいた竜宮の大乗鉄塔の寓話からも、大乗の初期は「経」が最重要視されていたのではないでしょうか。時代とともに価値観が変化したのでしょうか。

789一字三礼:2006/06/17(土) 15:44:07

犀角独歩さん

> 西のソクラテス、東の釈迦の相互の影響は感じられません。

ソクラテスの環境は、アテナイの市民で、奴隷も使うことが可能な階層にあり、政治に参加することは義務・徳目とも考えられていた。そして最後は「悪法も法なり」という有名な言葉が示すように、ポリス・共同体の価値観に順ずることを美徳と考えたのでしたね。
一方、釈尊は、出家というアウトサイダー宣言により、インド限定の形態である「比丘」という立場をとり、そのスタンスを崩さずに、王・市民・国家と関わりながら生涯を送られた。
2人の偉人の教説の相違は、このような環境・立場の違いからあらわれるのかもしれませんね。

> 『法華経』は『八千頌般若』の次の創作経典であるという時系列で

部分的なものかもしれませんが、『法華経』の方が『八千頌般若経』よりも古い箇所があるようです。私ももっと真剣に調べてなければいけないことなのですが、なにぶんグウタラでして。

> 仏像がギリシャの影響を以て造られるようになり

これにつきましては、仏塔から仏像への形態が変わったのではないか、との説があるようです。確かに、紀元後一世紀ころの仏塔が彫られている彫刻群の中に、仏塔から仏の頭部と手が生えている写真を見ました。

790犀角独歩:2006/06/17(土) 21:05:33

一字三礼さん

なるほど。ギリシャ、インドの相違、実によく整理されていると思いました。
また、法華経には般若より古い部分がありますか。
わたしは単純化して考えすぎていました。
参考になりました。有り難うございました。

791犀角独歩:2006/06/17(土) 22:49:15

そうそう、一字三礼さん

> 仏塔から仏像への形態が変わった

これは仏塔というより、それまでは、釈尊は、足跡とか、あるいは転法輪で表されていたのではないでしょうか。

塔は、これとはまた、違うコンセプトであると思います。

792一字三礼:2006/06/18(日) 00:36:58

犀角独歩さん

> これは仏塔というより、それまでは、釈尊は、足跡とか、あるいは転法輪で表されていたのではないでしょうか。

原始部派仏教美術(BC3世紀からAD1世紀の終わり頃)と言われるものですね。アショーカ王の石柱とか、マラーヴァティの塔、ビタルコーラ石窟、サンチーの大塔などの限られた範囲ものですよね。
仰るように仏陀の表現が、菩提樹や仏足跡の千幅輪相から仏像を直接作るようになったのでしょう。
ただ、私が見たのは、幾つもの仏塔が彫られた彫刻群の中に、仏塔から手や仏頭が出ているものでした。

たしか、NHKで特集を組んで放送したと記憶しておりますから、ロムしている方で放送をご覧になった方がおられるかもしれません。

ガンダーラの仏像は明らかにギリシアの神像からの影響が認められますが、ガンダーラと同時期に仏像が作られ始めたマトゥラーでは、ギリシア・ガンダーラの影響を受けないインド的な表現の仏像が作られております。
特徴としては、螺髪があるものははっきりと巻貝のように渦を巻いたものであり(ガンダーラの表現は流れるような髪)、螺髪の無いものはまったくありません。また、肉づきが豊かで、筋肉隆々な弥勒菩薩像や観音菩薩像などは、このマトゥラーで作られたようです。

793顕正居士:2006/06/18(日) 07:02:43
>>788
インド大乗仏教は竜樹を開祖とする中観派と無着、世親を開祖とする瑜伽行派の二つです。
両派は後に合併し瑜伽行中観派になります。但しこれは学派であって教団ではありません。
教団(戒律)としての大乗仏教はインドには存在しませんでした。瑜伽行派では唯識の説は
竜樹の密意であるとするから、大乗学派は中国、日本でいう「八宗の祖」、竜樹を開祖とする
といえます。またこの大乗学派の興起以前に初期大乗経典の原型がすでに存在しました。
竜樹が大乗経についてどう評価していたかは難解です。主著である「中之頌」および同頌の
自註とチベットで伝える「無畏疏」では仏説とはアーガマを指し、仏陀とは彼をさかのぼること
500年の哲学者をいいます。大品般若経の膨大な注釈「大智度論」は梵本、チベット訳ともに
存在しません。チベット伝では「三身梵讃」は仏滅800年の後竜樹(竜叫)の作品だろうとする。
ただし「大智度論」が中国成立かというと、羅什訳は史実で、中央アジアにローカルな中観派
が存在し、この派の教学では法華経と大智度論を重視していたのではないかと想像します。

794犀角独歩:2006/06/18(日) 08:16:02

一字三礼さん、失礼しました。

手足の生えた仏塔のほうでしたね。

マトゥラ、また、サルナート、そして、ガンダーラの3箇所が主な仏像発生の知でしたね。それぞれ、違う特徴を有しています。わたしはサルナート仏が個人的には好きです。その中でギリシャ的特徴を有するのは、仰るとおり、ガンダーラ仏ですね。ただしかし、これら3箇所でほぼ同時期に仏像が始まっている点は、なんらかの理由があると思います。

この点では、わたしもNHK特集を紹介しようと思います。『ブッダ大いなる旅路』で、この点が語られていました。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50194744.html

マトゥラの仏像は、インドの土着信仰の尊像と仏像が当初、よく似通っていますね。(この点は追って、また、投稿しようかと思います)

795一字三礼:2006/06/18(日) 10:34:26

顕正居士さん

> 主著である「中之頌」および同頌の自註とチベットで伝える「無畏疏」では仏説とはアーガマを指し、仏陀とは彼をさかのぼること500年の哲学者をいいます。

仰るとおり「中論」には、大乗仏典は引用されていません。しかし、内容的には大乗に沿って理論展開されているように読めます。

「『中論』は論争の書である。インドにおいてナーガールジュナの当時にすでに成立していた諸思想体系を現前においてこれを攻撃し批判している。『中論』を読むと、韻文の大部分は攻撃的な口調で書かれていることに気がつく。」(講談社『ナーガールジュナ』中村元)

主とした対論相手は上座部の、説一切有部、犢子部、正量部などであり、仏教外の所謂外道については付け足し程度で、確定は出来ませんがヴァイシェーシカ学派、ニヤーヤ学派(正理論派)、サーンキヤ学派、ジャイナ教、時論師などが挙げられるようです。

「中論」に大乗仏典が引用されていない理由としては、「中論」が対論書であると言う理由のよるのではないでしょうか。

上座部や仏教外学派との対論であれば、主張の土台、または理論の典拠として大乗仏典を引用することは意味を為しません。
そのため、『中論』では、内容的には大乗を主張していても、大乗仏典、大乗の仏陀への言及がないとは考えられませんでしょうか。

『大智度論』、『十住毘婆沙論』等は、同じ龍樹の著作とは考えられませんが、『Suhrid lekha』は、『中論』の著者とさほどの違和感を感じませんが、こちらでは、大乗仏典や大乗の仏の名前が出てきます。

796顕正居士:2006/06/19(月) 06:47:48
>>795
一字三礼さん。

竜樹哲学の先行思想として般若経典があったことは否定できません。しかし中之頌の帰敬偈で
彼が認めているのは、あくまで彼を遡る500年の哲学者です。むしろ竜樹の権威によって般若経
が大乗学派に受容された可能性があります。
竜樹の学説に「顕正」の方面があったかといえば、嘉祥大師の説のようになかったのではないか
とおもいます。つまり竜樹に報身仏への信仰はなく、般若経典が彼の発想の元であったにしても、
彼は自身の論理を述べたので、先駆者として釈尊を認めたに過ぎないのではないかと思います。

797犀角独歩:2006/06/20(火) 07:28:56

『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』1606から移動しました。

乾闥婆さん

実はわたしは疑問とされる点について、合理的と言っては手前味噌ですが、ともかく、冷静に判断することを勤めています。

日蓮といわず、日本然仏教界は、未曾有の難問に遭遇しました。経典の後世創作という事実です。それから100年ほど経つことになるのでしょうが、各集団の在り方は学問と信仰の分離、それをしなければ、この科学を言うものの人格攻撃(謗法者扱い)、もしくは、己の信念体系から放擲することで是としてきました。はて、四弘誓願は、何処に行ったのだろうかという疑念が生じます。

わたしはつくづく感じたのです。石山圏で彫刻本尊の真偽を言うと魑魅魍魎扱いをされる、それでも、わたしへの賛同者は日蓮宗にもあった。ところが、日蓮摂受の人というと、今度は日蓮宗のなかからも反感を抱く人々が出たわけです。この時点で、わたしは「なんだ一緒じゃないか」と思いました。要するに、自分が信じていることの真偽を論じられることに反感を抱くという点で一緒のわけです。

自分の信念 …信仰といってもよいのですが… 新たな認識に基づいて、変更していくこと、これは当然のことであるのに、信仰者はこれができない。その原因は、信仰が何らかの実体験と関連しているからでしょう。そしてまた、その実体験は、その実体験をする背景となった教義、もしくは本尊と関連しています。つまり、教義・本尊の誤認を論じられることは、自身の信仰、実体験を揺るがされることであり、その実体験=信仰に支えられた自分自身を否定するという自我存立の危機感を彷彿する構造がここにあるのだろうというのが、わたしなりの分析です。しかし、ここでいう実体験は過去の出来事です。つまりは、それは過去を振り返った信仰ではないのかとわたしは考えます。前を見て進んで見ることです。過去の実体験にしがみつかず、常に前に進むことこそ、精進であるという思いがあります。

また、日蓮は鎌倉時代の人であり、そこにはその時代という制約がありました。つまり、科学としての限界です。ここで言う科学とは自然科学ばかりではなく、人文科学の限界という意味のほうが、寧ろ、強いと思います。

日蓮は結局のところ、鎌倉時代に60年ばかりしか生きていなかった、そこでできた探求には肉体の限界がありました。肉体の限界は思惟の限界をも意味します。日蓮が弘安5年で終えざるを得なかった思惟と精進は、しかし、遺された教義と人生の軌跡を追うことで継承できます。日蓮が60歳当時の考えをもったまま、20歳の青年となったら、次に何を考え出すのか、いまの時代を観たら、何を考え出すのか、わたしはその点を考えることに意義を見出します。では、その答があるか、と言えば、それは現時点ではないでしょう。それはいまここで生み出されようとしていることであるとわたしは思います。その現場で、鎌倉時代限定の日蓮を墨守することは、今風の批判の言葉を用いれば、原理主義への転落ということになるでしょう。そして、それは過去にしがみついた在り方でもないでしょうか。

わたしは、いま自分が至れている結論、もちろん、まだ過程経過の段階ですが、これを以て、20歳の自分に戻れたら、思惟の時間は存分にもてたと、いつも残念に思います。現年齢からすれば、残された時間は少なすぎるという思いです。しかし、わたしにできなくても、ここで記されてきたことから出発できる若者はいます。彼等は、わたしが死んだ後にさらに思惟を深めていけるでしょう。そして、その若者を老年となる頃、さらにその思惟を我がものとして、出発できる若者が、未来にいます。こうして、人類は発展してきたのでしょう。

日蓮の信じることは、日蓮の限界までを自分の限界にしてしまうのでは進歩はありません。わたし達は日蓮から出発しなければ進歩がないのです。
わたしが「日蓮の間違い」という毒々しい言葉を吐いた意味は、ここにあります。

798犀角独歩:2006/06/20(火) 19:50:07

『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』1617から移動

一字三礼さん

乾闥婆さんへの質問は取り敢えず、そちらにするということで。


> 偽経の存在は鎌倉時代でも知られていたそうですから。

そうですね。ということは、逆を返せば、偽経とされるもの以外は、真経とされたのではないでしょうか。

> 仰りたいことは大乗は仏説ではない、ということなのですか。

いえ、違います。経典は、後世の創作であるということですが。

なお、日蓮聖人は経典に説かれていることをすべて真実として認識されていたのではないでしょうか。でなければ、繰り返し「仏は大妄語の人」となると呻吟される必要はないからでしょう。

> 一切経を衆生の己心のことを考えておられた

この証拠はありますか。
まさか、日蓮が「真実」ということは皆己心の問題であるというわけでしょうか。また、お題目の修行も、単に己心のことであり、実証を問うことはナンセンスですか。

仮に、この掲示板ではなく、一般の人から、法華経は真実ですか。お釈迦様が説かれたものですか。鎌倉時代は末法ですか、と聞かれたら、一字三礼さんは、なんと答えるのですか。参考にお聞かせ願えませんでしょうか。

799一字三礼:2006/06/20(火) 22:03:45
犀角独歩さん
引用しながら投稿したので、スレッドを間違えてしまいました、失礼しました。

> 経典は、後世の創作であるということですが。

私は、経典とは仏弟子によって詩偈の形で幾世代も口誦されてきた仏説が、ある時代に経典として編纂されたと考えています。

独歩さんもご存知のように、松山師は、法華経の偈文と長行の梵文について、「長行は解りやすい梵文であるが、詩偈は古いプラークリットでとても読みづらい。詩偈部分が出来てから長行部分が出来るまではかなり時間が経過していると思う。」とのご見解を示されています。松山師の法華経講義に参加するようになってから、ますます思いを強くしました。

> なお、日蓮聖人は経典に説かれていることをすべて真実として認識されていたのではないでしょうか。でなければ、繰り返し「仏は大妄語の人」となると呻吟される必要はないからでしょう。

実は一番難しいのは、日蓮聖人の言う「真実」とはどういった意味なのか、ではないでしょうか。

確かに、独歩さんが仰るように日蓮聖人は、法華経は‘一言一句全て如来のご金言’と言います。
しかし、また同時に、観心本尊抄にしめされるように、法華経に登場し、歴史的存在であるはずの舎利弗などの四大声聞を「我等が己心の声聞界なり」と言い、寿量釈尊も「寿量品に云く『然るに我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり』等云云。我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり。」 と‘我等が己心’で把握されている。
この法華経観は、‘法華経典は古代インドで釈尊が説いた’書物との認識ではないでしょう。やはり己心(内面)で把握していたのではないでしょうか。

「一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く。其の機を論ずれば徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露にして禽獣に同ずるなり。」(観心本尊抄)

法華経と言えど一品二半以外の部分は、‘小乗教・邪教・未得道教・覆相教’と切り捨てられたりもします。
日蓮聖人が‘法華経は全て真実’と仰っても、実は部分によってかなりの温度差があるようです。

> 一般の人から、法華経は真実ですか。お釈迦様が説かれたものですか。鎌倉時代は末法ですか、と聞かれたら、一字三礼さんは、なんと答えるのですか。参考にお聞かせ願えませんでしょうか。

Q 法華経は真実ですか。
A 古代の書物ですから、古代インドの神話や伝承、世界観の中に、仏教の非常に重要な法門が説かれています。

Q お釈迦様が説かれたものですか。
A 仏教の大事な法門が、仏弟子達によって詩の形で口伝され、それが紀元前後に経典に編纂されてものです。

Q 鎌倉時代は末法ですか。
A 末法と言ってしまえば、法華経が編纂された当時もすでに末法と考えられていたのでしょう。末法とは、いつの時代でも仏教徒は使命感と危機感とを持って仏法を広めていかなければならない、という警鐘でしょう。

はたしてご参考になりますでしょうか。まるで当たり障りのない坊さんの説法みたいな少し肩透かししたような答えにしました。
私の信仰観は多少複雑ですので、ちょっと書き込むのは難しいのですよ。

800乾闥婆:2006/06/21(水) 00:30:23
犀角独歩さん。一字三礼さん。

レスポンスありがとうございます。
仕事が忙しく明日も朝が早いので、後日改めてレスをさせていただきます。

ただ一点だけ。
>‘明らかな間違い’とまで仰るのでしたら正確な仏滅年を教えてください。100年も幅のある仮説はいりませんから、正確な年代をお願いします。

正確な仏滅年などいまだ判明していないと思うのですが。私が使っているのは『岩波仏教辞典』の初版です。そこには「釈迦」の項目で「前463-383頃、一説に前566-486頃」とその生没年は記されています。いずれの年代にしても明らかに仏滅後二千二百三十余年ではないので、‘明らかな間違い’と書きました。もしも一字三礼さんの知られる範囲で仏滅後二千二百三十余年と測定できる伝承ではない生没年の説があるようでしたらご紹介ください。‘明らかな間違い’は撤回させていただきます。

以前、このスレッド上で私もまた「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」等を引きつつ、蓮祖の信仰を己心の問題へ回収することは可能ではないかと主張したことがありましたが、蓮祖は法華経に書かれてあることを事実であると考えられていたとの犀角独歩さんの主張に、驚愕したことがありました。その辺りの遣り取りをもう一度読み返しつつレスさせていただきたいと思います。

801顕正居士:2006/06/21(水) 01:33:22
「仏滅年代」を検索すれば詳しい記事がいろいろありますが、要点は簡単です。

1 北伝(漢訳伝)  前4世紀
2 南伝(パーリ伝) 前5世紀

100年違うのはアショカ王出世を北伝は仏滅100年、南伝は200年とするからです。
漢訳伝はパーリ伝より古い、南伝は同名の王を混同したと説明できる。日本の学者はこの説を取る。
漢訳に疎かった欧米の学者は今までは南伝を取る人が多かった。

あと、中国、日本にはトンデモ説がありました。唐代の偽書・周書異記の瑞祥譚から600年、仏滅を
繰上げました。釈迦出世を老子より以前にする必要からです。しかし仏滅何年に何が起ったという
のは仏典のままです。インドの歴史と中国の歴史を600年ずらしたのです。つまり日本書紀や旧約書
と同じ作為です。単なる間違いではありません。アショカ王の年代はギリシャの記録によって正確に
今はわかります。

802犀角独歩:2006/06/21(水) 06:17:16

一字三礼さん、有り難うございます。

> 経典とは仏弟子によって詩偈の形で幾世代も口誦されてきた仏説が、ある時代に経典として編纂された

まあ、初期経典などは、このような説明は成り立つと思いますが、しかし、法華経に説かれるSFのような壮大な物語は、もはや、その説明では不足ですよね。眉間白毫、三十二相八十種好、多宝塔、地涌菩薩等々、こんなことまで、釈迦が語ったとは到底考えられません。教えにしても、釈迦の言説としては、せいぜい八正道・四聖諦どまりで、十二因縁ですら怪しいのではないでしょうか。

また、かつて雖念さんも指摘されていましたが、仏教集団(に限らず、古代の祭政とは抑もそんなものであると思いますが)ドラッグは不離の関係で、幻視・幻聴・幻覚状態で指導者が語ったことや、創作者が“見聞”したことが多分に入り込んでいるのではないでしょうか。

以上のような次第が想定されますから、口誦伝承が原型とはとても言えないと思いますが、どうでしょうか。

> 松山師…

師がいう、詩偈先行はもちろん、納得するところですが、しかし、それらが原文が、釈迦の直説であるとは言っていないと思いますよ。

> 実は一番難しいのは、日蓮聖人の言う「真実」…意味

ええ、もちろん、これは一つの難問です。
ただ、わたしがここのところ、言ってきたのは、日蓮が基礎にした当時の通年は、現代では通用しない、基礎資料の間違いに基づく教義が、正しいとは言えないということですから、これはまた別の問題です。

> 己心

では、日蓮はどこまで、己心とするのでしょうか。
本尊抄の記載は、智邈止観の三千不可思議境、湛然の一念三千を追体験ですね。「説己心中所行法門」です。ここでいう法門とは、もちろん、十法界のことでしょう。ここで想定されているのは止観禅の観法ですから、当然、己心に違いありません。しかし、たとえば、その題名『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』という如来、末法、本尊のうち、己心に係るのはしかし、本尊だけではないでしょうか。如来も己心、その説・滅も己心ということではありません。

日蓮は釈迦を実在の人物としてとらえ、自分を去ること二千年前に入滅していることを事実として掌握していたでしょう。この部分が己心法門であるということではありません。その前提で、わたしが申し上げているのは、日蓮の如来観、自分を去ること二千年、法華経は釈迦の直説と言った基礎的な考えが違っていたということです。

>> Q 法華経は真実ですか。
> A 古代の書物ですから、古代インドの神話や伝承、世界観の中に、仏教の非常に重要な法門が説かれています。

これは、質問と答が一致していません。その重要な法門は釈迦が説いたものですか、それは真実ですかという質問です。

>>Q お釈迦様が説かれたものですか。
> A 仏教の大事な法門が、仏弟子達によって詩の形で口伝され、それが紀元前後に経典に編纂されてものです。

この点については、上述しましたが、では、宝塔涌現、地涌付嘱も釈迦が説いたものですか。

>>Q 鎌倉時代は末法ですか。
> A 末法と言ってしまえば、法華経が編纂された当時もすでに末法と考えられていたのでしょう。末法とは、いつの時代でも仏教徒は使命感と危機感とを持って仏法を広めていかなければならない、という警鐘でしょう。

末法思想というのは、たしかにそんなものでしょう。
しかし、日蓮の教学は、これでは説明できないでしょう。2000〜2500年の限定用法にこそ、その意味があるからです。それはつまり、先に挙げた『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』という題名が示すとおりです。仏滅年代が違えば、日蓮の教学は瓦解します。日蓮の自覚も根本から覆ることになりませんか。

わたしが以上の点に拘るのは、自分の信仰の見直しということです。人に質問されて矛盾したことは答えられないというわたしなりの善意と責任感からです。

803今川元真:2006/06/21(水) 12:28:11
【点・線・面の点】 ●ゴウタマシッダルタor存在したかもしれない久遠実成仏、500年後の5(五時判の5倍)or久遠実成の覚り(観心)から500年の5倍●経典所説諸々→信学行→真実の妙法蓮華経、真の一念三千、真の仏(如来)≒経題主題の真実証明●滅後法華経誹謗の者を指すなり(リアル)、経典諸説(フィクション系)→法華一乗宣揚(経典核心の真実)→皆成仏道●シャクソンから譲り受ける因行果徳の範囲(始成正覚or久遠実成or一念三千が造り出す経典世界)●鎌倉時代の修行方法と21世紀時代の修行方法は違う?

804一字三礼:2006/06/21(水) 12:30:01

犀角独歩さん

> 口誦伝承が原型とはとても言えないと思いますが、どうでしょうか。

いいえ違います。
経典、特に法華経などは、古くから伝承されてきた法門が詩偈(重偈)であり、それを補足・説明するのが長行です。ですから構成自体にも口誦伝承の形がはっきりと残っております。

> 仏教集団(に限らず、古代の祭政とは抑もそんなものであると思いますが)ドラッグは不離の関係で、幻視・幻聴・幻覚状態で指導者が語ったことや、創作者が“見聞”したことが多分に入り込んでいるのではないでしょうか。

「幻視・幻聴・幻覚状態で指導者が語ったこと」の‘指導者’とは誰を指すのでしょうか。
仏教徒にとっては、‘仏教とドラッグが関係ある’とする発言は、これだけ聞くと非常にショッキングなものです。
このようなご主張をされる時は、まず仏教とドラッグの関係を示す明確な証拠なり資料を提示なさるべきでしょう。

>> 法華経は真実ですか。

独歩さん、これはあなたが設定した設問ではありませんか。私が言ったものではないですよね。
私は法華経を真実であるか、真実でないかの二者択一ではみておりません。
だいたい、仏教というものは2500年前から続く大きな文化潮流であり、日本においても宗教・文学・芸術・生活とあらゆるところに大きく影響を及ぼしております。その中でも特に法華経の影響が最も大きいでしょう。
文化や思想潮流としてすでに12世紀以上もの永きにわたって定着し、多大な影響を及ぼしている法華経です、それを‘真実か真実でないか’この視点で判断することには、失礼ながら私は意味がない、というより‘もったいない’と思うのです。

法華経は、約2000年前、インドないしは中央アジアで三期または四期にわたって編纂されたのでしょう。その古代インドの書物は素晴らしい構成力で、他の大乗経典を寄付けない壮大な世界観を持ちます。また、初期大乗経の特徴でもある、節度を持った禁欲的で素朴な教説も魅力的です。

須弥山を中心とする九山八海の世界に、天龍八部衆が侍り、霊鷲山の虚空で数え切れないほどの仏や菩薩達が奥深い法門を語り、信じられない神通力を使うのです。
この法華経から、文学を志す者は文学的表現を学び、芸術を志すものは作品に取り入れ、僧達は不軽菩薩に忍耐の範を見たのでしょう。

このようにして、たぶん昔から日本人がしてきたように、有用なところは取り入れ、そうでないと思われるところは採用しなければよいでしょう。

松山先生の法華経講義で、更なる法華経の奥深さに気付かされるようになったのは、私だけではないはずです。
その法華経を‘真実か、真実でないか’で斬ってしまうことは意味があるのですか。

805一字三礼:2006/06/21(水) 12:54:46
乾闥婆さん

> 正確な仏滅年などいまだ判明していないと思うのですが。

あなたはご自分の発言の矛盾しているのがお分かりになりませんか。
北伝の仏滅説を‘明らかな間違い’としながら‘正確な仏滅年代などいまだ判明していないと思う’という。
これでは、あなたが‘明らかな間違い’と指摘する根拠がないということになるでしょう。

ただ、この件につきましては、意味がありませんのでこれでお終いにしましょう。小さいことこだわって、私が意地の悪い書き方をしました。

顕正居士さん

仏滅年代についてのレスありがとうございます。
トンデモ説はとても面白かったです。

806犀角独歩:2006/06/21(水) 13:29:05

一字三礼さん

> …構成自体にも口誦伝承の形

わたしは具体的な質問をしています。
では、経典に登場する仏菩薩など、法華経で云えば、多宝塔、地涌菩薩は釈尊の伝承であるという考えだと云うことでしょうか。

> 「幻視・幻聴・幻覚状態で指導者が語ったこと」の‘指導者’

経典として語った人ほどの意味です。

> ‘仏教とドラッグが関係ある’…明確な証拠なり資料を提示なさるべきでしょう。

この点は既に雖念さんが詳しく記しています。
『悟りを科学する』は、その点を論じ合ったスレッドでした。
http://jbbs.livedoor.jp/study/364/#15

ドラッグ [drug]
薬品。薬種。薬剤。(三省堂提供「大辞林 第二版」)

別段、わたしが初めて論じるようなことではなく、たとえば日蓮も行った修法・虚空蔵求聞持法では、水銀を使用していることは既に指摘されていることで、ここで得る太陽体験は水銀中毒との因果関係は論じられてきています。このような事情は、何も日本ばかりのことではなく、洋の東西を問わず、いずこでも行われてきたことではないですか。また、現代でもアジアでは、仏教僧がドラッグを使用することは珍しいことではないとのことでした。

>> 法華経は真実ですか。

切り文されては意味が違ってしまいます。
わたしは「重要な法門は釈迦が説いたものですか、それは真実ですか」と訊いたわけです。歴史のなかにおける解釈添加を云ったのではなく、多宝塔の物語や、地涌菩薩の物語は釈迦の直説かという質問です。

> 多大な影響を及ぼしている法華経です、それを‘真実か真実でないか’この視点で判断することには、失礼ながら私は意味がない、というより‘もったいない’と思うのです。

それとこれとは問題が別でしょう。
影響を及ぼしそれがよい結果であったかどうかと、日蓮が基礎にした資料が偽であったかと、どうして一緒に論じるのでしょうか。
ここで問題にしているのは、影響・作用についてではなく、あくまで、資料(経典)の真偽ですよ。それを、明確にすることは、もちろん、意味があります。

> 法華経を‘真実か、真実でないか’で斬ってしまうことは意味があるのですか。

ああなるほど。わたしが斬ってしまっているように映じるというわけですか。

そうではなくて、わたしは「法華経は釈尊が説いた直説真実ですか」と問われた場合、「違います」としか答えようがないと言っているわけです。
しかし、そうではあるけれど、その精神、仏教の歴史の中で培われてきたものは捨てがたい、と答えるという道筋を言っているわけです。

影響があるから偽者であるとはいえないなどという論法は、しかし、成り立ちません。わたしはそんな論法は一種の詭弁であると思いますよ。

よい影響力があるからその真偽を問うのは意味がないというのであれば、「本門戒壇の大御本尊様から功徳をいただいたという人がいるのだから、その真偽を問うことは意味がない」という論法と同列ですが、如何でしょうか。

なお、仏滅年代に関する乾闥婆さんの質問は、一字三礼さんのほうが矛盾していませんか。わたしは、日蓮が採用した仏滅年代は間違っていませんかと記しました。しかし、あなたはそれに対して、答えていません。日蓮教学を採用するというのであれば、鎌倉時代が末法であったこと、その説が釈迦の直説であることを、証明しなければならないのは、その主張者のほうです。日蓮の時代が仏滅2200年であると説明する義務は日蓮信徒が負っている責務です。

807今川元真:2006/06/21(水) 16:30:10
誤字脱字失礼しました。 500年後の5(五時判の5)倍、 (リアル系)

808一字三礼:2006/06/21(水) 17:51:40
犀角独歩さん

> わたしは具体的な質問をしています。

私はすで具体的にお答えしました。
この上の設問は、特定の答えに誘導されているかのようです。
私は独歩さんと同じ視点で意見を述べているのではありません。

法華経で聞きたいことがあれば、松山先生の法華経講義の時に、直接、先生に質問されてみてはいかがですか。

> 日蓮も行った修法・虚空蔵求聞持法では、水銀を使用していることは既に指摘されていることで、ここで得る太陽体験は水銀中毒との因果関係は論じられてきています。

虚空蔵菩薩求聞持法の修法は一つではありません。
日蓮聖人が行った修法が特定されているのですか。その修法の中で、日蓮聖人が水銀を使用されたということでしょうか。

>> 法華経は真実ですか。

法華経を観る視点が違うのです。私の意見は最初に述べております。ご確認ください。

> 影響を及ぼしそれがよい結果であったかどうかと、日蓮が基礎にした資料が偽であったかと、どうして一緒に論じるのでしょうか。

日蓮聖人が基礎とした資料とは法華経を指すのでしょうが、現代において法華経のような仏典を「真か偽か」で問うことに意味がないと申し上げているのです。
法華経が「真か偽か」にどうしてもこだわるのであれば、この件も松山先生にご質問されてはいかがですか。

> わたしはそんな論法は一種の詭弁であると思いますよ。

私は自分の意見を言っているのですよ。
「法華経は釈尊が説いた直説真実か否か」に意味はないと主張しているのです。
詭弁を弄する者と言われるのは心外です。

> よい影響力があるからその真偽を問うのは意味がないというのであれば

勝手に作らないでください。私は「よい影響があるからその真偽を問うのは意味がない」などとは一言も言ってはおりませんよ。

法華経というものは、約1200年も前から宗教書としてだけではなく、文化・芸術・文学その他に於いて深く根付いているものであるから、現代でも有用と思われるところは使い、それ以外は使わなければよいのではないでしょうか、と言っているのです。

> わたしは、日蓮が採用した仏滅年代は間違っていませんかと記しました。しかし、あなたはそれに対して、答えていません。

答えられなくて当然でしょう。仏滅年代はいまだ特定されておりません。
だから「日蓮が採用した仏滅年代は間違っていませんか」と問われれば、現行資料からは、「正しいとも間違っているとも言えない」となります。
ところが「明らかな間違い」と乾闥婆さんが仰るので、それは根拠のないことではないでしょうか、と言ってのです。

809一字三礼:2006/06/21(水) 18:11:49
> 802

> 日蓮は釈迦を実在の人物としてとらえ、自分を去ること二千年前に入滅していることを事実として掌握していたでしょう。この部分が己心法門であるということではありません。その前提で、わたしが申し上げているのは、日蓮の如来観、自分を去ること二千年、法華経は釈迦の直説と言った基礎的な考えが違っていたということです。

日蓮聖人の法華経は本門立ちです。その本門の中心の寿量釈尊は「常在霊鷲山」を宣言されます。
もしも聖人が法華経を単純に、全て文字通りに信じていたのであれば、釈尊は二千年前に入滅された、とは考えないで、今もインドにいらっしゃると考えたでしょう。
もしそうなら「一心欲見仏 不自惜身命」の文の通り、日蓮聖人はインドに向かわれたことでしょう。
ところがご遺文では、実在のインドの霊鷲山という土地には、まったく興味をしめされない。

そして日蓮聖人は霊鷲山を、田村先生のお言葉を借りれば「成る浄土・ある浄土・逝く浄土」として把握されていた。
これは、法華経を二千年前に実際に説かれたものとして観ていたのではなく、宗教書として内面から捉えていたからでしょう。

810顕正居士:2006/06/22(木) 01:22:29
中世日本人に歴史という概念はあったか?

を考えると、古代日本人にすでにあったでしょう。記紀では神代と人代を区別しています。
つまり神話と歴史の区別です。文字がなかった時代と文字を輸入した時代ともいえます。
ただし二つの時代の移行期には神話とも歴史ともつかない期間が存在します。
室町時代が日本で仏学が最もパワーがあった時期で、江戸時代に入ると儒学、洋学に
その地位を譲ります。知識人は仏教を「愚夫愚婦」の迷信とみなすようになりました。
その理由として仏者の歴史概念の欠如があったでしょう。日蓮の遺文を見ましても、
彼はまったく神話の中に生きている、対して近世的意識にすでに到達していた北条氏は
このフィクションの中に生きるデマゴーグの処置に困惑したでしょう。
しかし遺文を見れば、扇動家の性質に溢れているとはいえ、知的な人物でないわけではない。
それは江戸時代の仏者といえども同じです。要するに、問題は仏教にあります。
仏教は「唯心論」ですから、結局、Aと非Aの区別がありません。無論理なのです。
つまり、「愚夫愚婦」の迷信需要に応じて、仏者の利益になることを説くに過ぎない。
室町時代になぜ、日本で仏学が最もパワーがあったかといえば、この時期は本覚思想の
クライマックスで、唯心論の克服が行なわれたからです。

811乾闥婆:2006/06/22(木) 01:45:46
一字三礼さん。

>これでは、あなたが‘明らかな間違い’と指摘する根拠がないということになるでしょう。

私は‘明らかな間違い’と指摘する根拠を示しました。『岩波仏教辞典』「釈迦」の項目における生没年「前463-383頃、一説に前566-486頃」。

>いえ、そんな感じだったのではないでしょうか、もしくは一番理屈が通っていると考えたのかもしれませんね。

驚きました。蓮祖の遺文中に「いくつかの教相判釈があり、それらはどれも相応に正しい」と受け取れる記述があるのですか。

>「四十余年未顕真実」とは「無量義経」に出てくる経文のです。経典に説かれる事柄を日蓮聖人が現実と捉えていたと考えるのはナンセンスであり、意味がありません。

なぜ経に出てくる「四十余年未顕真実」という言葉を蓮祖が現実ととらえていたと考えることがナンセンスなのでしょうか。現に蓮祖聖人はこの言葉を使われて法華経の優位性を主張されています。

>これは、法華経の釈尊の仏土を顕す経文で、現実的にはありえようもない娑婆浄土ですね。これを現実にインドに存在すると考えられたでしょうか。

それら法華経の記述を、現実的にはありえないと考えるのは、現代人の視点ではそうなのだと思います。中世日本において、経典表現の位置づけが、広く虚構と受け止められていたのでしょうか。なによりも蓮祖が虚構と認められていたとはっきり分かる遺文はあるのでしょうか。

>本当に日蓮聖人が法華経が全て事実であり、現実に起こったことと把握したのであれば、日蓮聖人はインドの霊鷲山に向かわれたのではないですか。「常在霊鷲山」は法華経の中心、寿量品のご金言ですから。

そうでしょうか。「一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山」であれば「南無妙法蓮華経」と唱える蓮祖はすでに「常在霊鷲山」の教主釈尊を体感しているのではないでしょうか。この点は以前の犀角独歩さんの発言に強い感銘を受けました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/125

>日蓮聖人は法華経のみならず、一切経を衆生の己心のことを考えておられたのではないでしょうか。これは顕正居士さんが仰るように、仏典は報身如来の説と考えられたからでしょう。

己心をめぐっての議論は一字三礼さん犀角独歩さんとの議論を待ちたいと思います。私はむしろ「日蓮聖人は法華経のみならず、一切経を衆生の己心のことを考えておられた」と受け止めたい人間です。しかし現在はこのスレッドでの遣り取りを通してそのように受け止めなくなってしまっています。そのことにも私は苦しんでいるのです。

812乾闥婆:2006/06/22(木) 01:46:27
犀角独歩さん。

>教義・本尊の誤認を論じられることは、自身の信仰、実体験を揺るがされることであり、その実体験=信仰に支えられた自分自身を否定するという自我存立の危機感を彷彿する構造がここにあるのだろうというのが、わたしなりの分析です。

そのとおりだと思います。ですから私は現実と信仰を切り離し、虚構を虚構として自立させて信仰を全うしようと考えていたのでした。しかし私は虚構の住人にはなりきれませんでしたし、それでよかったのだと思います。それによる苦しみは受け止め続けなければならなくなりましたが。

不思議であるのは犀角独歩さんが、「それが漫荼羅を本尊と思い、日蓮が確定した唱題という行をやるという方法論は、採ってもいいと思います。大いにやってみるべきです。わたしは唱題も読経も好きですし、やれば、やってよかったといつも思います。」といわれたことにありました。また犀角独歩さんはこのようにも言われます。「日蓮は基礎データは間違えた。しかし、真実の究明しよう、善意で行動しよう、民衆と国土を救いたいという気持ちは間違っていない、わたしは、その日蓮を信仰していると言っているのです。つまり、教えが間違っていても、その精神性と事実究明という姿勢は信仰に価すると言っているのです。」言われていることはわかるのですが、いつも腑に落ちないのは、精神性や姿勢というものは、見習うべき一つの範例ではあっても、信仰の対象にはならないのではないかということです。信仰には形態や方法論が必要なのではないかと考えるのです。しかし精神や姿勢にはそのようなものはありません。ですので、形態として、方法論として、曼荼羅に向かっての唱題を私は選んでいるのですが、それは間違われた「基礎データ」の上に成り立っているわけです。このような状況をどうしたらよいのでしょう。犀角独歩さんにおける信仰の形態の意味合いといったものはどのようになるのでしょうか。

813乾闥婆:2006/06/22(木) 01:55:28
顕正居士さん。

いつも意義ある情報提供をいただき、ありがとうございます。少し投稿が錯綜してしまいましたが、非常に興味深い視点に気づかされました。そうしますと中世日本の僧侶に経典の虚構性をはっきりと認識し現実の歴史と判別する視点はありえたのでしょうか。

814顕正居士:2006/06/22(木) 05:27:42
>>813
虚構性なんか、いつの時代の人でも大乗経を一見すればわかります。
虚構だけれども、どれにも説主として仏教の開祖である釈尊が出て来る。
だから、何か釈尊と関係があるフィクションとして整理したのが教判です。
その上で寓意を拾って来るのが「観心」です。
インドの現実の歴史のことは、今だって、たいしてわかりません。
ただし日本天台の本覚思想家は虚構性をよりはっきりと認識した。
対して日蓮は神話の中に生きていた。だから大衆が付いたのですが、
天文法乱に至った。しかし比叡山も破却され、山僧は日蓮宗に亡命した。
ここに観心主義の教学が興って、神話を比喩と解釈するようになった。
そうして生まれたのが「御義口伝」などです。

815今川元真:2006/06/22(木) 06:24:58
横レス失礼します。 宗教は理想像・理想論に近づく為のイメージトレーニングと現実社会との折り合いがある訳で、僧でも夢幻の虚構で何十年も信徒を騙し通す事はできないから、 末法の始めと断言し経典の泥沼から蓮の花を咲かせるように本門様式を創出させて、より理想が現実に形造り易いように表現した漫陀羅が日蓮聖人の確信の一つだったのでは無いでしょうか。日蓮聖人は主師親の徳をある程度備えているので漫陀羅を拝まなくても良いのですけれど、文字の読み書きも儘ならない人々は説法を聞き漫陀羅を拝んで礼拝を修行するしかなかった。嘘から出た真が実を伴うかは個人の信学行次第。蓮華の育て方次第。

816ななしさん:2006/06/22(木) 07:18:02
今川さん
なるほど。感じ入りました。それは蓮師の誓願だったのかも知れませんね。開目抄の一節が身に迫ってくるようです。
蓮師は、精神作用の不思議さを分かっていたように思います。心が大事であるといわれ、心の影響力を重視されていたと思います。勇気、慈悲、忍耐といった善の徳性をどう現実の上にあらわし、良き人生を歩ませ、よき社会を現出させるかを考えておられたのではないでしょうか。

817犀角独歩:2006/06/22(木) 07:55:31

一字三礼さん

松山師からは、梵本の講義を受けていますが、師は、まったくの無信仰で、既に、法華経は西暦前後に創られた最高傑作の“物語”であるといっていますよ。
また、師の見解も、見解のなかの一つです。なぜ、ここで松山師を引き合いに出すのか意味がわかりません。

また、何度も繰り返しますが、わたしがここで問題にしたのは、西暦前後に創作された法華経が釈迦の直説ではないこと、日蓮は自分が釈迦滅後2000〜2500年に生きたとしたこと、しかし、その基礎の分析を間違えたと、近代の科学成果から記したわけです。これは一字三礼さんの信仰とはまったく関係がありません。また、あなたの日蓮・法華経理解とも関係がありません。科学的な話です。

誘導などといっていますが、そもそも「日蓮は間違えた」というわたしの投稿に端を発したことです。わたしは当初から一貫して近代科学における成果に基づいて記しています。これは信仰とは関係のないことです。また、その信仰に基づく各人の感情、理解も関係ありません。

>「法華経は釈尊が説いた直説真実か否か」に意味はないと主張

とすることは、わたしの上記のカテゴライズが科学であるのに対して、信仰から異見を述べられていることを明らかに物語っています。ナンセンスです。

当スレは『現代人が納得できる日蓮教学』です。科学的成果を、自身の信仰から改変して理解するような姿勢には、わたしは現代人は納得しないと考えます。

818犀角独歩:2006/06/22(木) 08:16:05

乾闥婆さん

> いつも腑に落ちないのは、精神性や姿勢というものは、見習うべき一つの範例ではあっても、信仰の対象にはならないのではないかということです。信仰には形態や方法論が必要なのではないか

たぶんこの点は、信仰という言葉の概念規定の差異があるのではないでしょうか。

わたしが日蓮の善意と姿勢、行動を信仰するという場合、それは「信じ仰ぐ」ほどの意味にしか過ぎません。

ここ数年の議論で既に論じられたことですが、そもそも原初教団では「信」はそれほど、重大な意味を持っていなかったでしょう。仏教集団が「信」を強調せざるを得なくなったのは、バカバットギータの影響で、バクティ型の帰依が定着した以降のことでしょう。わたしは、これは外来思想であると考えますし、そもその、こんな絶対者信仰は仏教に悖ると考えます。ですから、善いことは信じ仰ぐという意味以上で、自分の信仰は扱いません。これは取捨一の観念ではありませんから、釈迦の善いところを信仰する、日蓮の善いところを信仰する、場合によっては法然の善いところを信仰する、聖書の善いところを信仰するという複数摂取の意味で使っています。bhakti からの卒業、adhimukti の志向ほどの意味でもあります。

よく引用するのですが、わたしは、下記の高橋師の一節に強く感銘を懐き、師との親交をかつて深めた一人です。ですから、シンボルの病からの脱却という‘功徳’は仏教の秀でた一面であると考えています。しかし、そこで経典、御書、本尊を絶対視するとき、それでは仏教とは成らないだろうという思いもあります。

「教祖の釈迦は、現代のカルト的宗教が説くような、「私を信じなければ不幸になる。地獄におちる」式の脅しの言説は一切していない。
とはいえ仏教が輪廻思想から自由でないのは、当時のバラモン(婆羅門)や沙門(シュラマナ)たちが共有していた文化的な枠組みのなかで釈迦が生きていたからだが、釈迦にとってより重要だったのは、死後の世界よりもいま現在の人生問題の実務的解決であり、苦悩の原因が執着によっておきることを解き明かし、それらは正しい八つの行ない(八正道)を実践すること(道諦)によってのみ解決にいたるという極めて常識的な教えを提示することだった。とすれば人生問題の実務的解決は、釈迦に帰依しなくても実践できることで、したがって釈迦は秘技伝授の超能力者でも霊能者でも、ましてや「最終解脱者」でもなく、もちろん「神」のような絶対者でもなかった。しかしカリスマを求める周囲の心情はいつの時代も変りがない。死後の釈迦は次第に神格化され、俗化される。たとえば釈迦の骨がフェティッシュな崇拝の対象となったり、、釈迦の言説とされる教典それ自体が信仰の対象となったりという、釈迦が最も忌避した「執着」へ人々は再び回帰したのである。そこにあるのは象徴(シンボル)の病である」(『超能力と霊能者』現代の宗教8 岩波書店 1997年2月5日 第1刷 P215)

一方、乾闥婆さんが仰る「信仰」とはどのようなものでしょうか。

以下のいちりんさんの指摘もまた、信仰、本尊を考えるうえで、参考になると思います。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/12-13

819一字三礼:2006/06/22(木) 08:29:51
乾闥婆さん

> 私は‘明らかな間違い’と指摘する根拠を示しました。『岩波仏教辞典』「釈迦」の項目における生没年「前463-383頃、一説に前566-486頃」。

釈尊の生没年代に関する‘仮説’は私も存じておりますよ。ですが、実際の釈尊はたぶん一度生まれて、一度亡くなったのでしょう。
あなたは、約100年の誤差のある説を2つも並べているのですよ。
あなたの挙げた根拠と称するものはあくまで‘仮説’ではないのですか。なぜ、生没年代を2つも記した‘仮説’を根拠に、他の‘仮説’を「明らかな間違い」と言えるのですか。
「明らかな間違い」と言い切るのであれば、正確な釈尊の生没年代をあなたが示すのが議論のルールでしょう。
ところがあなたは
> 800
> 正確な仏滅年などいまだ判明していないと思うのですが。
と発言されたのです。
ご自身で、「いまだ仏滅年など判明していない」と言いながら、他の仮説を「明らかな間違い」と言っているのですよ。
わかりますか。あなたは、自己矛盾に陥ってますよ。

> 中世日本において、経典表現の位置づけが、広く虚構と受け止められていたのでしょうか。

814の顕正居士さんのご意見がもっともだと思います。法華経及びその他の経典の虚構性は一読すれば誰にでもわかることではないですか。
いかに中世人とはいえ、実際に天龍八部衆がインドに存在したり、霊鷲山上に数兆億の仏菩薩が集まったとは考えないでしょう。

820犀角独歩:2006/06/22(木) 09:08:20

検索すると、真蹟遺文では「真実」は167の使用例が見られます。
わたしは、この日蓮の用法は虚構に基づいているとは考えません。

> いかに中世人とはいえ、実際に天龍八部衆がインドに存在したり、霊鷲山上に数兆億の仏菩薩が集まったとは考えないでしょう

そんなことはないでしょう。考えていたはずです。
そんなことを言い出したら、そもそも仏菩薩、諸天善神、輪廻転生、十界、もっと言えば、一切の経典、教義、本尊も虚構だと考えていたというのでしょうか。

また、仮に日蓮が虚構に基づいているとすれば、そもそもその信仰とは何でしょうか。虚構に基づく教義を、虚構と知りながら、絶対であるというとすれば、これほど、人を食った話はありません。もはや、信仰というより、悪しき観念の遊技というほかありません。

近代以前の人類は、そもそも神話と科学の区別が着かなかったのであって、それを現代の常識で考えられるはずはありません。現代から見て、不都合なところは虚構だとわかったうえでのことだというような論法は不徹底です。書かれているこの物語は神話で虚構であるというのであれば、では、日蓮が言う真実とは何でしょうか。第一、では、日蓮が法華経に書かれたこと、四教義、五綱教判が虚構に基づいていると、どこに書いているのでしょうか。その証拠を求めます。

また、仮に虚構だとわかって組み立てた教義であれば、間違いであるより、もっとお話にならないことでしょう。

だいたい、そんな虚構に基づく漫荼羅本尊への絶対帰依を、ここでは論じてるわけですか。漫荼羅を本尊と仰ぎ、必至の唱題をして実体験を得た皆さんは、虚構だとわかったうえでのことですか。とすれば、その実体験こそ、虚構ではないでしょうか。

経典は虚構であるとは、論理の自殺でしょう。
何のために中古天台本覚思想の点検から、日蓮本仏論の非を責め、彫刻本尊の真偽を論じるこの掲示板で議論に参加しているのでしょうか。

一字三礼さん、あなたに乾闥婆さんを矛盾と詰問する資格はないですよ。

821犀角独歩:2006/06/22(木) 09:18:02

【820の訂正】

誤)四教義、五綱教判が虚構に基づいている
正)四教義、自身の教義が虚構に基づいている

822一字三礼:2006/06/22(木) 09:27:20

犀角独歩さん

一字三礼です。

日蓮が基礎にした資料が偽であったか、法華経が「釈尊の直説」であるか否か、に意味がないというのは、その論法では不可知論に陥るとかねがね思っていたからです。

釈尊の直説を探せば、独歩さんもご存知のように、「経集(スッタニパータ)」の後半の二章に含まれる、ほんの数偈しかないと言われます。

「聖典(スッタニパータ)のうち右の古い部分(終わり二章の偈)にはわりあい神話的要素や釈尊の超人化・神格化は少ないけれども、しかし絶無ではない。なおかなり存する。文献にもとづくかぎり、神話的ならざる釈尊というものはえられない。」(「釈尊の生涯」中村元)

「文献にもとづくかぎり、神話的ならざる釈尊というものはえられない。」ということは、「釈尊の直説」というもの、もしくは直説の経典は存在しないに等しいということでしょう。
あるいは、「経集」の後半二章の偈の‘激流を渡れ’は「釈尊の直説」かもせれませんが、それだけでは仏説の態をなしません。

五部ニカーヤや四阿含の釈尊でさえ、三十二相・八十種好を備えております。釈尊の直説ではありません。だから‘偽’ですか。
四諦・八正道・十二因縁すべて「釈尊の直説」ではありません。
部派仏典を根拠とした論書は、基礎文献が‘偽’であるのですべて誤りとなりますか。部派の経・律・論・全て‘偽’を根拠としておりますから同じですか。

法華経を含む大乗仏典も、龍樹・世親等の大乗の論書であっても、「釈尊の直説」を根拠としていないので‘偽’となりますか。
中国・日本の仏者や論師の説もすべて‘偽’にもとづくものです。

およそすべての顕・密・部派仏教の経・律・論はすべて「釈尊の直説」によらないので‘偽’。

しかしここまできて、「釈尊の直説」が正しいという命題の根拠となる経も‘偽’であることに気付くわけです。


ただ、独歩さんが仰りたいのはそんなことではないでしょう。

独歩さんが‘日蓮の間違い’という言葉を敢えて使われたのは、「五時説は説法の次第であり正しい」とする盲説に対する警鐘だったのだと想像します。

日蓮教学の誤りを指摘するのであれば、他からのアプローチがよいと思うからです。
それから私は十界互具・一念三千等は誤りである、とする立場ですので、日蓮教学を擁護するものではありません。

823犀角独歩:2006/06/22(木) 09:52:50

一字三礼さん

822に記されていること、一切の経典は、結局のところ、それが釈迦の説教であるといえば、偽でしょう。もちろん、そう思います。

大乗経典は報身の説法ということでしたが、日蓮は少なくてもそうは考えていなかったでしょう。『法華題目鈔』は断片の現存ですが、これが日蓮の真蹟であれば、日蓮の見解であり、仮に疑偽であったとしても、門下一般の認識であったわけです。

「釈迦如来は法華経のために世にいでさせ給たりしかども、四十二年が間は名を秘してかたりいださゞりしかども。仏の御年七十二と申せし時はじめて妙法蓮華経ととなえいださせ給たりき。」

「仏世に出させ給て五十余年の間八万聖教を説をかせ給き。仏は人寿百歳の時壬申の歳二月十五日の夜半に御入滅あり。其後四月八日より七月十五日に至まで一夏九旬の間、一千人の阿羅漢結集堂にあつまりて、一切経をかきをかせ給き」

これが近代前の認識です。

わたしが言いたいのは、事実の究明に、自分の信仰を持ち込みな、その一点です。さらにいえば、真実から目を逸らすなということです。

> 日蓮教学の誤りを指摘するのであれば、他からのアプローチがよい

一字三礼さんのような知識を持っている人にはそうかもしれません。
しかしながら、釈迦五十年の説法中、八年の法華説法は釈迦の真実、五時八教を、いまだに石山、学会、顕正会共に、教学として勉強しており、挙げ句に日蓮本仏をいい、彫刻の絶対性を主張しています。
そして、ここで起こったことを、わたしは日本戦五歳代の宗教詐欺、宗教被害であると認識しています。

それにも関わらず、この世界では、いまだに、この間違いを放置して、平然としているわけです。

わたしが、乾闥婆さんの苦悶を尤もだと記したのは、それまで、絶対の信仰であると信じていた屋台が、その土台から間違っているという現実にぶち当たったとき、当然、起こる葛藤だからです。それを教学解釈で正面から見ようとしないというのは不誠実であると思うからです。

わたしはかつてキリスト者と話したとき、「この世が一週間でできたはずはない」と『聖書』を一節を持っていうと「愚かな。あれは一般で使われる一週間ではなく七期に分けたという寓話ですよ」と言ってのけたものでした。解釈とは便利なものだと思ったものでした。説得力はゼロでした。しかし、この信者は平然としていました。それと同じことを、ここで繰り返す徒労は犯したくありません。

法華経は創作であった、天台の解釈も違っていた、日蓮も間違った、しかし、いま、漫荼羅に向かって唱題をしている、ほかにそれ以上の修行も方法もわからない、さて、どうしようかと考えるときに100年前までしか通用しない‘解釈’に執着しては前に進めないということです。

824犀角独歩:2006/06/22(木) 10:03:14

【823の訂正】

誤)日本戦五歳代
正)日本戦後最大

825今川元真:2006/06/22(木) 10:12:07
ななしさん、ありがとうございます。 ●直説と書いても鵜呑丸呑な訳では無いので誤差温度差が出るでしょう。そっくり其儘を信仰するなら「何故天竺国を目指さないのか。何故台密のように成らないのか。」に成らないか。●随方毘尼の物語みたいな書き方と考えたから、末法の様相を呈した鎌倉時代の日本で修行方法を考える事が出来たのでは無いでしょうか。●漫陀羅はシャカムニブツが多宝如来の宝塔に納めた久遠実成の覚りor多宝如来がシャカムニブツの教えを聞いて光り輝く。

826犀角独歩:2006/06/22(木) 10:29:47

今川さん

真に迫る『開目抄』に「仏陀は三十成道より八十御入滅にいたるまで、五十年が間一代の聖教を説給へり。一字一句皆真言なり。一文一偈妄語にあらず」と記しています。ここに温度差はありません。

なぜ天竺を目指さないのか、日蓮はその点を『』に

「此身延の沢と申処は甲斐国飯井野御牧三箇郷の内、波木井の郷の戌亥の隅にあたりて候。北には身延嶽天をいただき、南には鷹取が嶽雲につづき、東には天子の嶽日とたけをな(同)じ。西には又峨々として大山つづきて、しらね(白根)の嶽にわたれり。暇のなく音天に響き、蝉のさゑづり地にみてり。天竺の霊山此処に来れり、唐土の天台山親りこゝに見る。
我が身は釈迦仏にあらず、天台大師にてはなけれども、まかるまかる昼夜に法華経をよみ、朝暮に摩訶止観を談ずれば、霊山浄土にも相似たり、天台山にも異ならず。」

と記しています。これが疑偽書ともなれば、

「我等が弟子檀那とならん人は、一歩を行かずして、天竺の霊山を見、本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事、うれしとも申す計り無し」(最蓮房御返事)

ともなるわけですから、天竺は目指さないわけです。

827今川元真:2006/06/22(木) 11:49:16
犀角独歩さん、ありがとうございます。私は周りから有りもしない説法を言うのは可笑しいと一笑に付されてます。私は経典という例話物語であるが故に温度差は、現実に印度天竺等に行かなければ生じるものだと思います。修行者であるからです。温度差から誤差・誤解等唯受一人で一言一句学んでも時間的にと言っては何ですが、ズレが生じると見ます。差が生じるからかは判りませんが信学行を自らの意を持ってやらないと成仏得道できないと言う事をいうのでは無いでしょうか。鎌倉時代の僧・日蓮は、直説と随方毘尼物語の間で悩み格闘した事があるから修行方法の漫陀羅や唱題を勧めた経緯があると考えたいです。成仏・真実は道を開き顕して進まないと現れない物事でしょう。

828犀角独歩:2006/06/22(木) 11:54:38

今川さん、日本の天竺の霊山・身延へは行ってみました。
わたしはそのうち、天竺に行ってみようと思っています。

829今川元真:2006/06/22(木) 16:01:30
旅行、良いですね。 テレビで見た印象では「古代」と「近代」が交わる所。映画が盛んな国と特集番組放送されてました。

830犀角独歩:2006/06/22(木) 18:53:56

いや、旅行というより、帰還といった気分です。

831乾闥婆:2006/06/22(木) 19:44:35
>>814
顕正居士さん。

>虚構性なんか、いつの時代の人でも大乗経を一見すればわかります。
>ただし日本天台の本覚思想家は虚構性をよりはっきりと認識した。
対して日蓮は神話の中に生きていた。だから大衆が付いた

ということはいつの時代の人が見ても分かる虚構性を、蓮祖は分かっていなかったし、蓮祖と同意した多くの同時代の弟子檀那もその虚構性は認識していなかったということになりますでしょうか。神話の中に生きるとは、その神話を神話として認識していない、すなわちその神話を事実として受け止めて生きた、ということになると思います。蓮祖の仏典認識はそのような形であったということでよろしいでしょうか。

832乾闥婆:2006/06/22(木) 19:45:04
>>819
一字三礼さん。

>ご自身で、「いまだ仏滅年など判明していない」と言いながら、他の仮説を「明らかな間違い」と言っているのですよ。
わかりますか。あなたは、自己矛盾に陥ってますよ。

私は辞典に載る二つの仮説しか知りませんので「もしも一字三礼さんの知られる範囲で仏滅後二千二百三十余年と測定できる伝承ではない生没年の説があるようでしたらご紹介ください。‘明らかな間違い’は撤回させていただきます」と書きました。しかしいまだ「他の仮説」をご紹介いただけない。また「あなたは、約100年の誤差のある説を2つも並べているのですよ」といわれますが、その100年の誤差を差し引いても蓮祖の生きられた時代は仏滅後二千二百三十余年ではないわけです。ですから現在学術的に見て流通しえている二つの釈尊生没年にかんがみ、仏滅後二千二百三十余年は‘明らかな間違い’と記したのです。こんなところまで解説しなければ一字三礼さんは私の発言趣旨を理解できないのでしょうか。ほとんど揚げ足取りの言いがかりに見えます。「前463-383頃、一説に前566-486頃」は仮説に過ぎないので仏滅後二千二百三十余年の可能性が否定されたわけではない、といわれる前に、まず仏滅後二千二百三十余年を想定しうる近代仏教学に基づいた仮説を提示していただければ済むことです。仮説はあくまで仮説なのだから仏滅後二千二百三十余年の可能性がまったくのゼロであるわけではない、‘明らかな間違い’などという表現は仮説を前提として発言するに際して自己矛盾だと言いわれるのでしたら、まあ、それはそうなのでしょう。現在学術的に見て流通しえている二つの釈尊生没年にかんがみ蓮祖の生きられた時代を仏滅後二千二百三十余年とすることは間違いである、と言い換えさせていただきます。もちろん仏滅後二千二百三十余年と測定できる伝承ではない生没年の学説を提示していただければ、私は自身の発言を撤回させていただきます。

ロム中心の浅学な私が、こちらの掲示板に書き込みをしようとする以上、真摯に語り合いたいという思いと覚悟を持って書き込みをします。「‘明らかな間違い’とまで仰るのでしたら正確な仏滅年を教えてください。100年も幅のある仮説はいりませんから、正確な年代をお願いします」「答えられなくて当然でしょう。仏滅年代はいまだ特定されておりません」「小さいことこだわって、私が意地の悪い書き方をしました」。一連の一字三礼さんの私に対する姿勢には、御自覚されているように、なにか、底意地の悪い、悪意のようなものを感じます。率直に、仮説である以上‘明らかな間違い’とまで言ってしまうのは言い過ぎではないか、とおっしゃってくれればいいのです。また私の知らない仮説を率直に提示してくれればいいのです。こういう遣り取りは疲れますし、不毛ですが、不愉快にさせられた挙句に一方的に終了させようとされるその態度もさらに不愉快で、ここまで引っ張らせていただきました。

>814の顕正居士さんのご意見がもっともだと思います。法華経及びその他の経典の虚構性は一読すれば誰にでもわかることではないですか。

顕正居士さんによれば蓮祖は神話の中に生きていたことになります。神話の<中>に生きるとは、神話の外部に立たないと言うことです。「法華経及びその他の経典の虚構性」を認識せずにその内部で生きる、とは「法華経及びその他の経典の虚構性」自体を生きる場の現実として受け止めていると言うことではないでしょうか。

>>811で私が発したいくつかの問いに対するお答えもお待ちしております。他の方々の対話を通じてそれらの私の疑問点も解消されてゆくかもしれませんね。己心をめぐっての犀角独歩さんとの議論も期待しております。私はあなたと言い合いがしたいのではなくて、対話を通して私の抱えている疑問や苦悩を解決したいだけなのです。

833乾闥婆:2006/06/22(木) 19:45:40
>>818
犀角独歩さん。

>釈迦にとってより重要だったのは、死後の世界よりもいま現在の人生問題の実務的解決であり、苦悩の原因が執着によっておきることを解き明かし、それらは正しい八つの行ない(八正道)を実践すること(道諦)によってのみ解決にいたるという極めて常識的な教えを提示することだった。とすれば人生問題の実務的解決は、釈迦に帰依しなくても実践できる

私が信仰の形態と方法論と言うことにこだわってしまうのは、信仰とは取り組みであると思うからです。取り組み方がはっきりとしていなければ、誰にもできるものではなくなってしまいます。「人生問題の実務的解決は、釈迦に帰依しなくても実践できる」「正しい八つの行ない(八正道)を実践すること(道諦)によってのみ解決にいたる」と言った部分になると思います。取り組み方が明確で、誰にでもできる。曼荼羅に向かい題目を唱える。非常にシンプルです。しかし現状はその形態そのものが私を縛り悩ませる結果となっています。同時に形態なくして信仰はないとも思っているのです。たとえば八正道と言うものをはじめて知ったときに私は驚きました。具体的にどのように行として取り組むのかがよく分からなかったからです。八正道の実践、とは極めてシンプルな形態を提示しているのだと思いますが、シンプルすぎて難しいのです。もっと明確な形態を求めてしまいます。信、ということを私もそれほど強く自身に言い聞かせることはありません。戒・定・慧こそが信仰の中心であると思っております。ただやはり自分が行うであろう行法は「正しい」ものでなければなりません。それは前提となると思うのです。蓮祖にいくつかの事実誤認があったとして、それでは唱題行という方法は、間違っているのか、私は分からなくなります。そんなことはないように思うのです。しかし強く「信」じて取り組むのとは比較にならないくらい気持ちが乗っていきません。声も出なくなります。では他の行法をすればいいのではないかとも思うのですが、これも心の縛りが解けないのか、そういう気持ちにはなかなかなれません。結局何事かを行ずるには、その行に対する「信」は必要なのではないかと考えています。

いちりんさんの話はとても刺激的でした。形態に対する緩やかさ、と言うのでしょうか。逆に形態が心を縛る恐ろしさと言うのでしょうか。「有相の本尊」と「無相の本尊」と言う考え方にははっとさせられました。もちろん「有相の本尊」の向こうに「無相の本尊」を見るべきなのでしょうが、有相への執着はなかなか消えません。形態や方法がしっかりとなければ、信仰と言ったところで、何をすればいいのかが分からなく、心が彷徨ってしまうからです。

834犀角独歩:2006/06/22(木) 20:43:54

乾闥婆さん

今夕もふけてまいりました。
追ってレスをさせていただく所存です。
ただしかし、ひと言。
おしるしのところ、尤もだと存じます。

835今川元真:2006/06/22(木) 21:02:38
犀角独歩さん、乾闥婆さん、其う言う事は良き師良き友が居ないと言えませんね。 【21世紀】日蓮真蹟が全て現存する訳では無いので断言できる確かな言い方はできませんが、いろいろな議論を通して鎌倉時代の僧・日蓮は、摂受の人では無いかと洗い出されたのでは無いでしょうか。【視野】経典世界・実際は精霊信仰や神教に関わる人々が仏説を聞く。学問世界・法華経(随方毘尼)物語の理想と末法の様相を呈した鎌倉時代の現実。修行世界・供物を手紙に記して御礼を述べる、代筆助言して激励する、法華一乗を宣揚して自分の場所を浄土に変える行者を育てる。 ●天台密教(生きとし生けるものを成仏へ導く天台の真言化)→法華経行者(信学行しなければ成仏得道できない)→法華本門本尊漫陀羅(久遠元初を引き合いに出される)●私が「日蓮聖人が神話伝説の世界に入り浸ってない」と言う見方考え方です。

836とおりすがり:2006/06/22(木) 21:40:35
結局、哲学も否定し宗教も否定するのが、犀角さんの現代仏教なのでしょうか?
現代仏教を語られる前に、現代仏教の定義をお願いします。

837顕正居士:2006/06/22(木) 23:52:53
>>831
乾闥婆さん。中国の教判は数百年間に作られた経典を釈尊一代の教説という約束で分類しました。
したがって仏教思想の発展というものを完全に捨象した。だから歴史という概念がありません。
対して日蓮には思想発展に近い考えがあります。宗教五綱の「序」です。
「前の五百年が間は小乗経ひろまらせ給ふ。ひろめし人々は迦葉・阿難等なり。後の五百年は
馬鳴・龍樹・無著・天親等、権大乗経を弘通せさせ給ふ」(随自意御書)
日本天台には「四重興廃」という思想がありました。爾前→迹門→本門→観心で、これは玄義にある
のですが、本覚思想家は釈尊一代のことでなくて、仏教史に当てはめたようです。つまり、
爾前=中国天台以前→迹門=中国天台→本門=日本天台前期→観心=日本天台後期(本覚思想)。
思想発展に近い考えが生じた理由として日本の末法意識は王朝文化の衰退が投影され深刻でした。
だから末法今日の我々は正法、像法の時代とは異なる集約的な教と行が必要だという発想が生じた。
ここに人師の論釈については思想の発展に近い概念が生じましたが、経は釈尊一代の説という約束
はまだ放棄されなかった。経も数百年の間に「加上」されたのだと見破った富永謙斎が天才、偉人と
されるのは、中国人、日本人の誰もそれを思いつかなかったからです。
日蓮教学はかつては日本天台から輸入した本覚思想によって解釈されていました。つまり五百塵点
を実事とはしなかった。日蓮の他宗批判は立教の方便であり、身延入山後には顕正面を発揮したの
であると。しかし浅井要麒師の批判的文献学の提唱以後、観心思想に傾いた遺文への疑義が強まり、
御義口伝などが室町期の思想であることも確定した。ですから今日ではオリジナルな日蓮思想は
いわゆる原理主義の色合いが濃いものと認識される傾向にあるといってよいでしょう。

838顕正居士:2006/06/23(金) 00:23:06
いうなら日蓮には神話的歴史観があった。これは本覚思想家にはないものでした。
本覚思想家は仏教神話を解体した。仏教を突破し、本覚思想は全日本文化に浸透した。
対して日蓮は神話を生き、集約的な教と行という宗教需要に応えた。大衆にはまだ
仏教が必要な時代でした。しかし原理主義の狂信は京都史上最大の戦争を起こした。
ここに日蓮宗の積極的な役割も終焉し、原理主義の狂信を防止するために、観心主義の
教学が興った。実は天文法乱以前には教学として見るべきものはないに近い。

しかし日蓮が五百塵点を実事と解釈していたかといえば、主著「観心本尊抄」を見る限り、
そうはおもえない。浅井文献学は日蓮宗僧侶に今も浸透中だが、大崎宗学の外側では
むしろ反対に原理主義者・日蓮像の見直しの方向が強くなっているようにおもう。

839顕正居士:2006/06/23(金) 00:46:39
>>832
仏滅年代については>>801に述べたように北伝、南伝の両説しかありません。
アショカ王を仏滅100年とするか200年とするかだけです。北伝が正しいでしょう。
両方知っている人と片方しか知らない人のどちらが正しいか、ほぼ明らかです。

中国、日本で信じられたのは600年、中国史とインド史をずらした作為に騙された
だけで、一貫してアショカ王を仏滅100年として来た。第三の仏滅説はありません。

840乾闥婆:2006/06/23(金) 01:08:46
>>837-838
顕正居士さん。

思想発展と言う視点からの日蓮宗学史の簡潔なご紹介ありがとうございます。いま執行海秀氏の『日蓮宗教学史』をつっかえつっかえ読んでおりますが、正直、よく分からないと言うのが現状です。

>しかし日蓮が五百塵点を実事と解釈していたかといえば、主著「観心本尊抄」を見る限り、
そうはおもえない。

これはやはり「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所願の三身にして、無始の古仏也。」辺りの記述のことを言われているのでしょうか。「本門を以て之を疑わば、教主釈尊は五百塵点已前の仏なり。因位も又是の如し。其れより已来、十方世界に分身し、一代聖教を演説して塵数の衆生を教化したもう。」といった使用法は事実ととらえていられたようにも読めるのですが、同じ「観心本尊抄」の中における記述であるので、困惑します。

>>839
ありがとうございます。すっきりしました。

841犀角独歩:2006/06/23(金) 03:35:03

833 乾闥婆さん

> 信仰とは取り組みであると思うから

たぶん、乾闥婆さんとわたしで、考え方に相違があるとしたら、先に記したとおり、信仰ということでしょう。
わたしは釈迦が提示したものを信仰だとは受け止めていません。では、どう受け止めるかと言えば、乾闥婆さんの言葉を使えば、まさに‘取り組み’方です。では、目標はといえば、苦の滅却でしょう。

> …誰にもできるものではなくなってしまいます

この点はわたしにわかりません。修行は、だれにでもできるものなのですか。

> 誰にでもできる。曼荼羅に向かい題目を唱える。

本当に誰にでもできるのでしょうか。では、目が不自由な方はどうでしょうか。漫荼羅を見られますか。口の不自由な方に唱題ができるでしょうか。わたしの姉は十度心身障害者です。そもそも、何かを信じるとか、思惟したりすることができません。この点は八正道でも、参禅でも、みな同様ではないですか。「誰にでもできる」というキャッチフレーズに欺されていませんか。

また、繰り返しになりますが、そもそも真蹟遺文で見る限り、日蓮が漫荼羅に向かって読経・唱題をした形跡は見当たりません。

> 形態なくして信仰はない

この考えが悩みを生じさせているのではないでしょうか。
取り組み、もしくは形態というのは、たぶん、修行様式を指すのでしょうが、それがイコール信仰であるという思いこみがあるようにお見受けします。

> 戒・定・慧こそが信仰の中心

いわゆる、三学倶伝ですか。
わたしが不思議に思うのは、なぜ、信仰となってしまうのかという点です。
たしかに日蓮の場合、信の強調がありますし、法華経でも以信得入を言いますが、これと八正道はつながりません。そもそもここで信は八つの道に入っていません。乾闥婆さんの文章を読んでいますと、信仰という強迫観念が無限連鎖となってループ化している、そこに苦があるようにお見受けします。つまり、信仰からの脱却したところで、仏教を見つめ直すところに、その解決があるとも思えます。わたし自身が採った‘取り組み’方です。

> その行に対する「信」は必要なのではないかと考えています。

このような考えを、人生のどの時点で、誰彼によって植え付けられ、それを受容した自分が、どのように醸造したかを、手繰り辿ってみては如何でしょうか。
乾闥婆さんがどこのご出身であるか存じ上げませんし、これは決して批判的に記すことでもないのですが、わたしからみると信の罠にはまってしまっているように思えます。

> 形態が心を縛る恐ろしさ

ええ、ここです、わたしが言いたいところは。

> 本尊

本尊の強調は、日蓮の際だった特徴ですから、本尊に拘るお気持ちはわかりますが、わたしが自分なりに調べて一番、愕然としたのは、この本尊でした。既に何度も記しましたが智邈、湛然の、いわゆる法華六大部には、この語は一度も使用されていません。いったい、いつから本尊が法華圏で使用されるに至ったか、は気分として落着していませんが、ともかく、わたしが常に使用する80余の天台聖典で、この語の使用は一度たりともありません。しかし、『依憑集』になると「三相謂 字印本尊」と「盧遮那経疏第七下云」として、見られます。日蓮は、この系譜を引くのだろうとは思いますが、ともかく、初期天台の段階ですら、見られない本尊という概念が、仏教義の本来の在り方であると、到底思えないわけです。

信仰と本尊は、日蓮のテーマでしょうが、しかし、わたしはこの執着を棄てました。

842犀角独歩:2006/06/23(金) 03:47:24

836 とおりすがりさん

当掲示板では、自己紹介もなし、挨拶もないような無礼な問いかけ、捨て投稿にいちいちレスをする謂われはありません。しかし、答えておきましょう。

> 哲学も否定し宗教も否定するのが、犀角さんの現代仏教なのでしょうか?

違いますが。わたしは哲学を否定したことも、宗教を否定したこともありません。また、自分の考えを現代仏教と称したことはありません。

> 現代仏教を語られる前に、現代仏教の定義をお願いします。

そもそも現代仏教とはなんでしょうか。それはわたしの言でもなく、語ったことでもなく、語ろうとしていることでもありません。それを定義することはできません。

843犀角独歩:2006/06/23(金) 04:55:45

> 「観心本尊抄」を見る限り、そうはおもえない

この顕正居士さんのお考えはわからないでもないのですが、しかし、そうなると、以下の日蓮の言はどうなるのでしょうか。

此四菩薩現折伏時成賢王誡責愚王 行摂受時成僧弘持正法

日蓮は実際に四菩薩の出現を想定しています。また、前文ではこの四菩薩が久遠五百塵点成道初発心であるとも言います。
これは単に日蓮の己心の出来事であるとすれば、‘虚構’の、己心の、それも事実としてとらえていない経典記載の四菩薩が実際に出現して、賢王となっては折伏を現じ、僧となっては摂受を行じると言っていることになります。いわば、虚構想念上の菩薩が、現実に出現すると言っていることになります。

虚構・架空・己心の経典の物語:実際に現れる四菩薩、もし、このように日蓮が考えていたとすれば、空想と現実が区別がつかない精神錯乱状態にあったというほかありません。しかし、開観両抄の記述は、実に思弁的で、理路整然としています。精神に異常を来しているとは思えません。となれば、日蓮が経典を真実としてとらえていたと考えるほかないと、わたしには思うわけです。

844今川元真:2006/06/23(金) 05:37:39
おはようございます。 ●諸天善神や四大菩薩はケースバイケースの守護者に例えられているのでは無いでしょうか。末法無戒の世ですから。現実世界と理想世界を繋いで荘厳して説いた方が摂受らしく無いですか。不軽菩薩が説く漫陀羅、上行菩薩が説く戒壇堂と考えられるなら簡潔で良いのにと思います。

845犀角独歩:2006/06/23(金) 11:06:55

乾闥婆さんに、紹介しようと思っていたいちりんさんのご投稿が、ようやくと見つかりました。

『法華経について』32〜34
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1030610752/32-34



無疑に信じて、どんと力を発揮するという技法だったのでしょう、わたしたちがやってきたことは。けれど、「パンドラの箱」を開けてしまったわけです。しかし、その底に希望は残っているのだろうと思います。


840に「所願の三身」というのは所顕の打ち間違えですか。それとも、このような記述御書があるのでしょうか。

寿量品云 然我実成仏已来無量無辺百千万億那由他劫等[云云]。我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也。

わたしは、この文を通じて、日蓮は寿量釈尊を無始無終・三身円満即一古仏ととらえていたのだと考えます。他のロムの方のために、資料を提示しておきます。

日蓮の三身観は『一代五時鶏図』に

   ┌華厳のルサナ、真言の大日等は皆此の仏の眷属たり
 ┌久遠実成実修実証の仏
天台宗の御本尊
 └釈迦如来

     ┌応身───有始有終
始成の三身┼報身───有始無終
     │ ├真言大日等
     └法身───無始無終

     ┌応身┐
久成の三身┤報身├──無始無終
     └法身┘

 華厳宗真言宗の無始無終の三身を立つるは、天台の名目を盗み取
りて自らの依経に入れしなり。

(上記、図が乱れるときは
 http://www.geocities.jp/saikakudoppo/msfont.html
分類:A 真蹟現存(完存orほぼ完存、しかし、平成新脩に未蔵)

経典原文「我実成仏已来」は明らかに五百塵点成道という始まりがあり、有始無終(始成報身)と映じます。一方、実際の釈尊は印度応誕八十入滅ですから誕生の始・入滅に終わる(始成応身)、ところが日蓮は「無始古仏」と解釈します。これを三身相具(四条金吾釈迦仏供養事)、もしくは三身円満古仏(開目抄)ととらえていたことがわかります。その釈証は「文句九云天台 仏於三世等有三身。於諸教中秘之不伝。」でしょう。では、この三身を即一身ととらえていたか。この点は、たしか問答さんと議論したところでしたか。『注法華経』に「輔云。疏一身即三身者。即一身即三身。法華之前未曾説。故名秘<故名為秘>。三身即一身。」と抜き書きしているわけですから、そう考えていたのでしょう。

この三身の関係について『四條金吾釈迦仏供養事』に「月の体は法身、月の光は報身、月の影は応身にたとう。一の月に三のことわりあり、一仏に三身の徳まします」

門下一般では『開経偈』に「能詮は報身、所詮は法身、色相の文字は則ち是れ応身なり」とします。

(参:文句「祕密者。一身即三身名爲祕。三身即一身名爲密。又昔所不説名爲祕。唯佛自知名爲密。神通之力者。三身之用也。神是天然不動之理。即法性身也。通是無壅不思議慧。即報身也。力是幹用自在。即應身也。佛於三世等有三身。於諸教中祕之不傳」、涅槃経疏「諸佛三身亦不出三界者。以法身即應化也。大經云。今我此身即是法身。法華云。常在靈鷲山及餘諸住處。普賢觀云。釋迦牟尼名毘盧遮那遍一切處。華嚴云。亦名釋迦亦名舍那等。既知三身即一身。亦須知界外即界内也」)

846乾闥婆:2006/06/24(土) 02:19:54
>>841
犀角独歩さん。

>本当に誰にでもできるのでしょうか。

易行、といった意味合いではあったのですが、確かに易行であったところですべての人ができるわけではありませんでした。

私の母は脳腫瘍の手術の結果、右半身不随と重度の意識障害を負い、三年間寝たきりのまま、七年前にこの世を去りました。私はその頃、自身の信じている宗教に、強い無力感を覚えていました。家族全員、まじめに信仰しているのになぜは母このような病に苦しまなければならないのか、という無力感ではありませんでした。そうではなくて、方法論としてのむなしさでした。私を含めた家族は母のために祈ることができます。母も重度の意識障害を負っているとはいえ、私たちが耳元で勤行・唱題を行えば、自身の心に曼荼羅を見、声に出していなくとも、題目を唱えているだろうと、信じてはいました。しかしそんなことは分からないことです。勤行も、唱題も、脳を傷めてしまっては、取り組めない。取り組めない信仰とはなんなのだろう、と心のどこかで絶望しておりました。自分自身が病に対して、信仰を通して闘うことができない。母は闘っているに違いない、と思っても、心を脅かす虚無感からは逃れることは出来ませんでした。

>たしかに日蓮の場合、信の強調がありますし、法華経でも以信得入を言いますが、これと八正道はつながりません。そもそもここで信は八つの道に入っていません。

そうですね。「四信五品抄」に「問ふ 末法に入て初心の行者は必ず円の三学を具するや不や。答て曰く 此の義大事たり。故に経文を勘へ出だして貴辺に送付す。所謂、五品之初め二三品には、仏正しく戒定の二法を制止して、一向に慧の一分に限る。慧又堪えざれば信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為す。不信は一闡提謗法の因、信は慧の因、名字即の位也」とありました。以信代慧は蓮祖の強調するところです。仏教とは三学の実践といっても、時代が下るにしたがって、八正道から遠く離れて、三学そのものを止揚してしまうということになるでしょうか。

>乾闥婆さんの文章を読んでいますと、信仰という強迫観念が無限連鎖となってループ化している、そこに苦があるようにお見受けします。つまり、信仰からの脱却したところで、仏教を見つめ直すところに、その解決があるとも思えます。わたし自身が採った‘取り組み’方です。

確かにループしていると思います。唱題を行おうとする、信じる心が弱くて苦しい、強く信じようとする、しかしそれを阻害する諸事実がある、唱題がうまく行えない、それでも行おうとする、苦しい、強く信じようとする・・・そのようなことをくり返してばかりいるのです。私がそこから脱却するには、今の信仰形態を捨てる以外ないように思うのですが、それもできないのです。「信」なくして、唱題行がきちんとできるものなのでしょうか。

>乾闥婆さんがどこのご出身であるか存じ上げません

これは私の信仰上の出自のことでしょうか。それでしたら以前も申し上げたとおり創価学会です。もちろん「信」が強く協調された幼少期を経て現在に至っています。

>信仰と本尊は、日蓮のテーマでしょうが、しかし、わたしはこの執着を棄てました。

そこが私にはよく分からないのです。私もそのような執着は捨てたいのですが、捨てられません。ですからこの掲示板もずっとロムしておりますし、創価学会とも関わり続けています。しかし犀角独歩さんは本当に捨て去られているように見えます。しかも、蓮祖に取り組み続けていられます。それは非常に苦しいことではないでしょうか。私は蓮祖の事実誤認を目の当たりにして以降、しばらくは「開目抄」冒頭の五重の相対を説く文章を読むだけでも、心が苦しくなりました。そのように詰めていかれる蓮祖の叙述が、むなしくて、息苦しくて、どうにもならない時期が続きました。

>>845
>840に「所願の三身」というのは所顕の打ち間違えですか。それとも、このような記述御書があるのでしょうか。

日蓮宗現代宗教研究所のデータベースからコピー&ペーストさせてもらったのですが間違っていますね。それともこのデータベースを作成した人の資料にこうあるのでしょうか?

>けれど、「パンドラの箱」を開けてしまったわけです。しかし、その底に希望は残っているのだろうと思います。

その希望を私はまだつかめないでいます。

847犀角独歩:2006/06/24(土) 04:09:48

乾闥婆さん

ご母堂様のこと、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
わたしは、本年、4月に母を亡くしました。
最期、意識もなくなったとき、「めー」「なー」「けー」と意味不明の言葉を発していたのです。しかし、よく聞き並べると、それは確かに「南無妙法蓮華経」でした。障害、唱題の人であった母の、最期の言葉は題目でした。わたしはその母を尊いと思いました。唱題も尊いと思いました。

葬儀は日蓮宗で、恩人・楠山泰道師、貫名英舜師に執行していただきました。
このお経はすばらしかったのです。わたしは学会の家に生まれ、石山に移ってからは寺院に役員もいたしました。葬儀にも多く参列してきました。そんな半世紀の経験のなかでこれほどの読経は初めて聞きました。参列してくれた親戚のなかには、浄土真宗、また、真言宗の総代を経験した他宗の篤信者もいました。しかし、やがて唱題になると、一同、声を合わせて和していたのです。「すばらしい葬儀だった」とお念仏の人である叔母は言いました。

人間はやがて死にます。生きるに苦しみ、負いに苦しみ、病に苦しみ、死に苦しみます。そのなかで、たしかに信は燈明のような存在なのかも知れません。

しかし、わたしの恩人の一人である西田公昭師は「何か集団のメンバーになっていても、もし何か矛盾する事実に突き当たったら、徹底的に疑ってみることが大切である。もし、個人が疑うことに対して、何か罪的な否定的意識を教えこまれているとしたら、それは科学的思考を一切否定していることと知るべきだ」と言いました。そして、また、先に紹介した高橋師の言説も肉声としてわたしは訊いているのです。

わたしが、ここに書き連ねてきたことは、日蓮の教義と本尊を信じる人々にとっては、不信、謗法、一闡提のように映じるでしょうか。しかし、信じると言うことでいえば、日蓮も、法華経も、そして、科学も、わたしは信じています。ただ、その信じる様態が、集団の都合で刷り込まれた形から脱却しているに過ぎません。科学的な根拠から言えば、日蓮は間違っている部分はたくさんあります。しかし、日蓮の生涯、難を忍び、人と国土を慈愛した一念に嘘はないでしょう。唱題という行は、たしかに効力を有します。法華経は西暦前後に創作された当時の物語でしょう。しかし、そこに紡がれた物語、そして、羅什の名訳、智邈、妙楽の釈もまた、間違いは多くあるとはいえ、秀でたものであるに違いありません。

この界隈にいると、よく使われる言葉に「絶対」があります。「絶対に正しい」などという会話はよくなされています。「日蓮大聖人様は御本仏様であるから絶対に正しい」「御本尊様は絶対だ「先生は絶対だ」」、そんな信者会員の確信の言葉を、わたしは数限りなく聞いてきました。

けれど、わたしが気付いたことは、この絶対は勝劣選別から生じたものですが、結局のところ、絶対とは意図せず、限界を設定することだということです。そして、この限界を、この界隈の言葉で言うと「信」ということです。間違っているものも信じることはできます。また、違っているものでも効力を発揮します。いちりんさんが記したお話のようなものです。

848犀角独歩:2006/06/24(土) 04:10:21

―847からつづく―

「強盛な信心」は、集団内の美徳ですが、この信は思考の限界、蓋の厚さを増すばかりの重しでしょう。この重みに信者は酔いますが、実のところ、考えることを放棄しているのに過ぎません。しかし、実のところは、その限界で立ち止まってしいるだけなのです。そこで足踏みをすれば、そこの地のみは、踏みしめるごとに堅固になっていきます。安心(あんじん)はこうして生じます。しかし、そこから、一歩、踏み出すと、泥濘(ぬかるみ)に容易く足を取られて、やがておぼれてしまいます。つまり、地固めしたほんの狭い範囲から出ることに恐れを懐くことになります。この狭隘の敷地が信です。結局のところ、信心と言われるものは、一所に留まって、足踏みをし、そこで固くなった足場に安住しているという、限界を正当化する肯定論でしかなくなっています。ですから、信が執着となっているのです。

不信を謗法悪徳とする集団のご都合に操作されている自分を観察してみることです。そして、そのうえで、日蓮を見直せば、間違ったところも多くあるけれど、汲めど尽きない示唆を多く与えてくれるでしょう。それはまた、法華経とて、同様です。しかし、それは絶対視すれば、そこで限界が生じます。かつての信は、その信として、自由闊達に思考すれば、よいわけです。

日蓮、法華経というブランドを身に付けることは、自分が立派に、大きくなったという錯覚をさせる効果があります。わたしは、この信の構造を解体したわけでした。いわば、自分を飾る「強情な信心」という権威構造を放棄したと言うことです。「あの人は、心の底から日蓮大聖人を信仰している立派な人だ」という信者一般に見られる善悪の判断肢、すなわち、「信」という権威構造から、外に出たと言うことです。

乾闥婆さんは、方法論として、唱題に拘り、思考として信に拘っておられる。ならば、唱題以外の方法も考えればよく、信じられないものは信じられないとして、そのうえに進めばよいだけのことでしょう。本尊・唱題と信に‘絶対’の価値を置く限界が、実は問題なのではないでしょうか。

乾闥婆さんのいまの葛藤は、狭隘な方法論と、信で封じられた限界を、超える産みの苦しみなのだと思います。しかし、そこで、本尊と教義、唱題、そして、信に囚われれば、無限の思考の輪廻に嵌り、その堂々巡りから抜けられないことになるでしょう。飼われる小禽は、駕籠の中で戯れる周り車のように、走るほどに疾く巡りますが、しかし、前には一歩たりとも進めません。信によって補償される安全は、もはや、効力を失ったという事実を受け入れて、前に進むことです。
外界を見えています。怯み、狭い駕籠の中に引き返し、周り車の満足に戻ることはできません。もはや、心の扉は開いているからです。

> 所願の三身…日蓮宗現代宗教研究所のデータベース

これは同研究所の問い合わせてみます。

849ななしさん:2006/06/24(土) 10:10:53
犀角独歩さんのお母様のように、信によって人生を尊き姿で全うすることが可能です。それは、犀角独歩さんのように、従来の信仰から離れてしまった人をも感銘させるものです。私も、病などで若くしてなくなられた人のご家族が入信される姿などを見てきました。若くしてなくなるというのは不本意に見えるように思いますが、そのご家族がその信仰に入られるとは不思議なことです。解はなくとも信があれば、信念のもとに人生を全うし、人をも感じさせることができるのかもしれませんね。
私は、信に代わり得るもう一つのものは使命感だと思います。教義的にいえば、「大願」に立つということでしょうか。これは、「人生を全う可能な信」に人々を導く人生を選択するということです。
もちろん、犀角独歩さんはこの生き方を否定なさるでしょうし、犀角独歩さんのような人生を選択することも否定はしません。ただ、人から信を奪い、代わりに人生を価値ならしめる何物を与えうるかを考えなければならないのではないでしょうか。大切なのは、現実の人生を全うすることであり、知識をつけることではないのです。犀角独歩さんも、お母様には自らが知った知識を語ることはなさらなかったのではないでしょうか。肉親の愛情が、信を破すことを思いとどまらせたわけです。

850今川元真:2006/06/24(土) 10:31:25
ある掲示板の受け売りで申し訳無いです。  ●宗祖の時代は「過去仏思想が生きていた」時代なので「諸仏をシャクソン一仏に統一する」ためには、法華経の教相に従ってシャクソンの成道を五百塵点劫まで遡って説く必要があったそうで「シャクソン=法華経(仏は生き続ける存在・仏の寿命は無量)」が鎌倉時代の僧・日蓮の立場だそうです。 ●漫陀羅は修行の道具で成仏得道への方便でしょうか。私は「理念+例話=理想」と考えたいです。道は一つでもルートはいろいろ一人ひとり違いますが、漫陀羅が私の信学行の柱です。

851犀角独歩:2006/06/24(土) 14:07:17

849 ななしさん さん

あなたは、どうもわたしの書いていることを根本的に誤解していますね。
わたしは人から信を奪おうなどと言っていませんよ。
間違いを信じることに警告を鳴らしているのに過ぎません。

わたしを批判したいのであれば、ちゃんとわたしが記したことをちゃんと理解したうえでしてください。

そもそも、あなたが言う信とは、何に対する信を言っているのでしょうか。

852ななしさん:2006/06/24(土) 15:50:50
犀角独歩さん
結果として奪うことになることをあなたは認識されているはずです。なぜなら、お母さまには「警告」を鳴らされてはいないのですから。

私がいう信とは、「一生成仏」に対する信です。もっと現実的にいうならば、この一生を満足をもって終えられる可能性への信です。この信に代わり得るのは、利他だと思うのです。

では、こちらからも伺いますが、あなたのいうところの「間違い」とは、主に「歴史的」「科学的」な矛盾のことであって、「思想的」「精神的」には価値を認めておられると拝察しました。実際、現代人が必要としているのは、人生を生き抜くための「思想的」「精神的」価値であり、そこに現代における宗教の意義があるものと考えます。本質的にその価値は、釈尊直説かどうかで変わるものとは思われません。現代における経典の価値、ここでは特に法華経のエッセンスは、「歴史的」「科学的」な矛盾を越えて、現代に示唆を与えることが可能だと思います。その際、あなたは「歴史的」「科学的」な矛盾は全て取り払うべきだとお考えですか。

853犀角独歩:2006/06/24(土) 18:50:55

ななしさん さん

> 結果として奪うことになることをあなたは認識されているはずです。なぜなら、お母さまには「警告」を鳴らされてはいないのですから。

あなたは、ずいぶんと人間を一辺倒にご覧になっているのですね。
こちらの掲示板にいらっしゃる方と、85歳の老齢で、障害者でもあった母とは、その接し方は違います。

> 「一生成仏」に対する信です。もっと現実的にいうならば、この一生を満足をもって終えられる可能性への信です。この信に代わり得るのは、利他だと思うのです。

一生成仏への信とは何でしょうか。
一生を満足をもって終えられる信が一生成仏であるという一方的な決めつけは、その外にいるものにとって、他の一切の可能性を‘奪う’信としか映じません。
一生を満足をもって終えられる信は一生成仏以外にないというレトリックは他の一切の可能性を否定しているものでしょう。
また、あなたが言う利他は何でしょうか。では、あなたはわたしに対して、どのような利他ができるのですか。

> 「歴史的」「科学的」な矛盾を越えて、現代に示唆を与えることが可能

では、それがどのように可能であるか、ここで説明すれば、よろしいのではないでしょうか。自分が信じる一方的な信念体系を押しつけるばかりが、現代人に示唆を与えるわけもないでしょう。
どんなことが示唆ですか。具体的に記してください。

> 「歴史的」「科学的」な矛盾は全て取り払うべきだとお考えですか。

わたしは、そのようには記していません。「間違っていた」と書いているのです。あなたの質問はこうして、誤認に基づく、的外れな質問になっています。

あなたは、誤解のうえから誤解に基づく質問を重ねているいるわけですが、そもそも、ここで当初からわたしが問題にしたのは、日蓮が鎌倉時代に知り得たところは、限界があった。現代の科学では否定される部分があるということです。
まず、この点は、あなたは認めるのですか・認めないのですか。

854今川元真:2006/06/24(土) 19:18:43
横割失礼します。 【納得できるかは結果次第?】●四宗兼学←→四箇格言、空海、法然が日蓮以前に教主、他経典を捨て去る故言上。●法華経行者は随方毘尼で時代にあった方法論を見つけなければ成らないのか。三障四魔(降三世大威徳)三国四師(法華経継承)三証四悉檀(時代毎応用)●空海、最澄は、弥勒を目指したそうです。高野山(十二天)盧遮那仏・大日如来・弥勒菩薩、比叡山(十二神将)華厳・真言・法華、金剛頂経・大日経・蘇悉地経[三大密法]如来神通力・陀羅尼真言・蓮華蔵世界[三大秘法]題目(基本)本尊(基礎)戒壇(応用)●仏(経典)が成道できるように随方毘尼として顕現→56億7千万年・尽未来際

855真実探求者102:2006/06/24(土) 23:24:27
、、、852のななしさん(名前がエエカゲンカ、? ましな名を期待したいが某S会絡み臭いナ、、)、、「信」、、と言う甘い言葉で、私は「疑う気持ち」を奪われました、。 「、、今、、信に耐えうる、、???」、が存在でしょうか、、??
なら)

856乾闥婆:2006/06/25(日) 00:27:50
>>847-848
犀角独歩さん。

お母様、本年、四月にご逝去とのこと、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
お母様の最期の題目、葬儀での読経、そういった中に信仰の素直な感動を見ます。
常に私の傍らで題目を上げ続けた我が母は、家族に囲まれながら昏睡状態から静かに息を引いていきました。手術後、意識障害を起こして以降、その口から唱題を聞くことができなかったことは、やはり残念であり、母も悔しかっただろうと、当時を思い返しました。

>結局のところ、絶対とは意図せず、限界を設定することだということです。そして、この限界を、この界隈の言葉で言うと「信」ということです。
>信心と言われるものは、一所に留まって、足踏みをし、そこで固くなった足場に安住しているという、限界を正当化する肯定論でしかなくなっています。ですから、信が執着となっているのです。
>自分を飾る「強情な信心」という権威構造を放棄したと言うことです。「あの人は、心の底から日蓮大聖人を信仰している立派な人だ」という信者一般に見られる善悪の判断肢、すなわち、「信」という権威構造から、外に出たと言うことです。

形態とは枠組みでありますから、それは確かに限定を加えることであると思います。また限定を加えなければ形態は成り立たないのでしょう。そしてそれを強く支えるものは「信」であるのだと思います。「信」が崩れれば形態は脆弱になります。形態に固執すればするほど、「信」は必要とされます。そのジレンマがいまの私を苦しめているのだということが浮き彫りになってきました。

いちりんさんのお話にもあったことを、私は一時期考えていました。大事なことは心的作用であるのだから、心的作用として有効ならば、それはそれでいいのではないか。例えば人は文学作品に感動し、啓発されます。しかしそれはフィクションであるし、人々はそれがフィクションであることを知っています。つまり虚構です。しかしその虚構に人は感動し啓発されるのです。法華経は物語であるし、蓮祖の教学も命がけの物語であると、そう思って取り組んでいこう、そんなふうに考えていた時期もありました。

しかしそういうスタンスで望む「信仰」はやはり私の知る信仰には似ないのでした。「事実」であると信じ込んでいたことが、そうでなくなってしまうと、心がさめてしまうのでしょう。しかしそのように心落ち着けたところから、また読経と唱題があるのであれば、それはそれでよしとするべきなのだと思います。熱狂、は過ぎ去りました。そのような過去に私の知る信仰は、もはや私を訪れることはないでしょう。そのような信仰こそ真の信仰であると、私は植え付けられてきたのかもしれません。しかしそのような信仰観からの脱出こそ、成長というべきなのかもしれません。

いろいろと発言させていただき、多くの方からご意見もいただきました。まだまだ成長途上の私ではありますが、今後ともよろしくお願いいたします。

857犀角独歩:2006/06/25(日) 02:05:22

856に乾闥婆さんが、現段階で記された結論にわたしは敬意を表します。

ハッサン師は記しました。

「自分がしていることは宇宙的意義をもっているのだという、あの興奮した感情が懐かしかった。ひたむきさが生みだす、あの力強い感覚が懐かしかった」

「自分が学んだことや、知りあって好きになった人々をすべて受け入れ、それを統合して、新しい自意識を作る必要があった。古い自意識を統合して新しい目標をつくることで、元メンバーたちはとても強くなる。彼らは勝ち残り組なのだ。彼らは苦難と虐待に耐え、情報と自己反省で敵を克服することができたのである」

ご健闘をお祈り申し上げます。

858犀角独歩:2006/06/25(日) 08:54:22

マインド・コントロールの環境の中では、グループが信じることを単なる理論だと見なす余地はない。教義こそ現実そのものなのだ。グループによっては、物質世界全体が幻想であり、したがって思考も願望も行動もすべて(カルトが定めたものを除き)実際は存在しないのだと教えさえする。


カルトのいちばん効果的な教義とは、エリック・ホファーの言葉を使うなら『証明も評価もできな い』教義である。それは非常に複雑なため、解くのに何年もの努力が必要だということになってい る(もちろんそのころには、人々は教義を学ぶことよりも資金集めとか勧誘のようなもっと実際的な仕事へ向かってしまっている)。

教義は受け入れるべきものであって理解すべきものではない(という)。それゆえ、教義は、漠然 としていて包括的で、しかもじゅうぶんに調和がとれて一貫しているように見えなければいけない。その威力は、これこそ万物を包摂する唯一の真理なのだと断言するところからくる。
マインド・コントロールの正否は、その人の中に新しい人格を作りあげることにかかっているので、カルトの教義は、きまって、あなたは自分自身を信じてはならないと要求する。教義が、思想と感情と行動のすべてを決める『マスター・プログラム』となる。それは完全で絶対的な真理そのものなので、教義のどんな欠陥も、信者自身が不完全だからそう見えるのだとされる。信者は、たとい本当には理解できなくても、決められたとおりの信条に従わなければならないと教えられる。同時に、真理をもっとはっきり『理解』できるようになるには、もっと働き、もっと信仰を深めなければならないといわれる。

以上、『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版)から。

「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし…智者に我義やぶられずば用じとなり。其外の大難、風の前の塵なるべし。我日本の柱とならむ」(開目抄)

さて、如何にして法華経を捨てざらんか。日蓮の義は近代の前に破られたのか。もし、破られていないというのであれば、批判者、不信者を排除して、自分の信仰を守ろうとするのではなく、何が破られていない日蓮の義であるかを、ここに明確に提示する必要があります。しかしながら、わたしの疑義の提示は、他者へのものではなく、わたしが己心に見ていた法華経・日蓮義一切の総点検のための自問自答であり、その果てに一体何が残るのかという試論でもあります。ここに一切の妥協はありません。

859今川元真:2006/06/25(日) 09:47:20
犀角独歩さんの総点検は「大雑把な類型では無い」と言う事ですね? 科学的分析理解がヒトの心や社会の歴史全てを漏らさず断言できる事は無いと考えられます。 宗教を学問するのに大事な点は理想と現実の相対的関係が立証できるかにあると考えます。 歴史の結果論で判別するのは危険だと言う事です。

860犀角独歩:2006/06/25(日) 13:23:43

今川さん

> 科学的分析理解がヒトの心や社会の歴史全てを漏らさず断言できる事は無い

もちろん、そうでしょう。同じように宗教がすべて漏らさず断言もできないということです。両方を付き合わせた再点検が必要です。

>宗教を学問するのに大事な点は理想と現実の相対的関係が立証できるかにあると考えます

このご意見には当然賛同します。

> 歴史の結果論で判別するのは危険

誤解があるようですが、いつわたしが歴史の結果論で判別しましたか。

861犀角独歩:2006/06/25(日) 13:35:28

当掲示板は、挙証義務を厳しく求めるところに美風があります。
ですから、法華経にはこんな善いところがある、日蓮の教義はここが正しいと言った点を具体的に挙げればよいわけです。

わたしは科学的な当たり前すぎる事実を提示しているのに過ぎません。
その事実を言うと、価値がないとか、無意味であるとかと何ら根拠もなく、否定するばかりで、その事実を認めようとしないばかりか、いいところもあると言いながら、「では、具体的には」と問うと、沈黙し、また、何ら根拠も示さない的外れな批判を繰り返します。

このような態度こそ、一般人がカルト・マインド・コントロールとしてもっと忌避し、不快感を覚える態度であることは、今さら論じるまでもありません。

議論をする気があるのであれば、具体的なよい点を立証してみせればよいだけのことです。どうぞ、存分に開陳して見せてください。

862今川元真:2006/06/25(日) 18:10:04
いえ、犀角独歩さんも含めた書き込みですが、得手して好事魔多しと言うか感情が籠もると暴走するかもしれないと言う判断力以前の事を書いてしまいました。お気を悪くされたならすみませんでした。それから、私は真蹟の審議を論ずる手間暇をかけられないので、ごく簡単な質問しかできません。別スレッドを立て、21世紀時代に日蓮大聖人御書全集を使ってどれだけ素人眼から解読できるか歴史時代の差がどれだけでるのかやってみたいと思ったのですが、ここの掲示板では無理でしょうか。簡単な質問や確認なら「21世紀の仏教を考える」で出来ます。挙証主義での質疑応答とは分ける事が取り敢えずの面目になると思います。

863犀角独歩:2006/06/25(日) 18:36:02

今川元真さん

> お気を悪くされたなら

いえいえ、気など悪くなどしませんが、こうしてみると、実際に日蓮、法華の善いところを力説できる人というのはいないのか?という疑問を懐いた次第です。

> 21世紀時代に日蓮大聖人御書全集…素人眼から解読できる

まず、全集ではなく、その遺文の信頼度を基準に、ということになるでしょうね。また、何を伝えるのか点が重大なんだろうと思います。
死んだら、お肉が柔らかくて、軽くて白いのが成仏なんていうのを現代語にするだけだったら、「???(大笑)」でしょうから。

> 挙証主義での質疑応答とは分ける

ええ、それは素朴な疑問などが適当でしょうね。つぶやきもあります。

864今川元真:2006/06/25(日) 23:27:50
●書き込むにしてもまとめて何が論旨なのか書かないとだらだらになってしまいますか。 ●力説と言っても真蹟の範囲の把握さえ儘ならないのでは無理があるでしょう。創価学会等の場合、頑丈な組織システムと言う檻に閉じ込められたような感じで自由な論議にはならないからで、広い檻か狭い檻かの違いと一人ひとりのフットワークの違いがより保守的にするのでは無いでしょうか。聖教新聞や人間革命が永遠の指導者になるのでは無くてケーススタディの指導者とゼロベースの指導者を育てないと創価学会でも名誉会長死後割れるかもしれません。割れた後、大白蓮華が永遠の指導者であり創価学会の柱と纏めようとしても遅いかもしれません。

865犀角独歩:2006/06/26(月) 19:51:00

今川さんのご投稿は短文で、趣旨を斟酌しかねるところもあるのですが、わかるところもあります。

当掲示板は、挙証義務が美風であるとわたしは記しました。
では、日蓮は、この証について、何を挙げたかというと、道理、証文、そして、現象です。

「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(三三蔵祈雨事)

ここでいう関係は、実は現象の優位を論じているわけです。
合理的(道理)に、文証(経・釈・真蹟)でその祖型を探ってきたわけですが、実のところ、その実用性(現証)がなければ、単なる理論構造だけということになります。

わたしは体験に基づくところを、批判しているわけではありません。
ただ、その体験に、各人が係るという教義・本尊が確実な日蓮、もしくは経典の理解とはなっていない齟齬を論じているのに過ぎません。ですから、‘現証’について、語ってみてはどうかと促したわけです。

その前提で、しかし、自己の信じるものを否定する者へ、非論理的排除、また、論証除外という態度もまた、信仰をした結果の、いわば悪現証ととらえられてしかりという視点もあります。しかし、反面の体験的な功利性はあるはずではないでしょうか。もし、この点が持ち得ないというのであれば、日蓮は21世紀に、各人の思いこみが、教団護持を支えるという閉じた共同体の中でのお話で終わるでしょう。

わたしは創価学会の教義など、まるでおはなしにならないと思います。しかし、ここで半世紀、体験されてきたところ、それはまた、700年来の日蓮門下の出来事といっていもよいのですが、この体験の全体を、否定しようという気は毛頭ありません。ただし、科学的視点から論証できるところはし、それでも何かが残るか否かを徹底論証してみてはどうかという考えに基づく厳正な視点は捨てません。何故、捨てないか、世間一般が捨てていないからです。「なんだかおかしい」「うさんくさい」「ばかばかしい」などと思われる当然想定される批判を敢えて一切合切、課してみて、それでも残るものがあれば、そのような体験=現証は、確実に人々の情意を打つものであるとも考えます。

866犀角独歩:2006/06/26(月) 22:20:46

【865の訂正】

誤)現象
正)現証

867今川元真:2006/06/27(火) 00:12:47
●極端ですが、創価学会もいずれは興門流日顕派の様に成りかねないと言う事でしょうか。天使教に押されて。 ●暴走の迷妄を解き説得力を持たせる為にも一か八か遣らざるを得ない時代に来てしまったと言う事を考えますが、切り刻んでもアナログとデジタルほど違う時代では現証を持つ者と持たざる者もしくは許容範囲の違いで分離分派するかもしれないでしょう。       ●成仏するまで戦い続ける事ができるか? 「脳には進化の歴史が詰まっているはずだから」まだ進化する力は眠っているのでしょうか。 ●広宣流布の機軸としたいのは『妙法蓮華・価値創造・宿命転換』【理の一念三千・事の一念三千・真の一念三千】 ●私が歴史時代を鑑みて汲み上げようとして過不足を考える物差しは此れくらいでしょうか。 ●犀角独歩さんが急進派で今川元真が穏健派だと言いたいのでは無いのですが、守旧派のような方々から見れば御書遺文を切り刻むようにしか見れないかもしれません。 ●話題が変わりますが、「西から東」は月氏、 「東から西」は日本の事をほのめかすと見て良いのでしょうか。

869犀角独歩:2006/06/27(火) 07:30:10
今川さんのご意見は参考になります。自分の記していることがどのように誤解されていくか、その虚像が見られるからです。ただし、お書きになっていることで、ご投稿の趣旨がが理解できないところも多々あります。

> 広宣流布

この語については、以下のように記しました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015334405/56-60
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1041207951/223

> 妙法蓮華・価値創造・宿命転換

妙法蓮華経は羅什の意訳、価値創造という点については『創価学会批判』でかなり手厳しく哲学的反証がなされており、そこではさらにそれを受け継いだ戸田氏の哲学の勉強不足が指摘されていました。また、この学説と日蓮教説、さらには法華経とは本来まったく関係のないものでしたが、実践生活という点で牧口氏は石山の教学・本尊信仰を充てたわけでした。宿命転換は近代の造語で、そもそもこの語は「宿命」語解釈の誤謬があります。この点は、どなたかとかなり議論をした記憶がありますが、いまは見つかりません。ただ、簡単に以下に記していました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/1398

> 【理の一念三千・事の一念三千・真の一念三千】

真の一念三千という用法は知りません。いずれにしても、三千不可思議境は一心のことであるとして、止観参禅の観三千法界が湛然によって成句され、日蓮に至っては付嘱の正体である妙法蓮華経に裏まれた珠であるとなり、さらに創価教学では生命の説明になっていった経緯を概観して、原意に迫るべき用語の一つであると思います。

> 犀角独歩…急進派

そのように映じますか。すでにわたしが述べるような時代は100年前に到来しています。それに気づけず、信仰という二文字で、世間一般の批判を逃れていては致し方がないというのは急進的な態度でしょうか。寧ろ、遅すぎることであると思うのですが。


> 守旧派のような方々から見れば御書遺文を切り刻むように…

これは、むしろ、わたしのほうの印象ですね。
真偽を論ぜず、糞味噌の扱い、さらに切り文した遺文をつなぎ合わせて、日蓮の考えとはまったく違う解釈をしていると、殊に学会を含む石山教学に感じています。

近日の一連の遣り取りを見てもわかるとおり、わたしが単に、法華経は西暦前後の創作物語である、釈迦の入滅年代は鎌倉時代に信じられていたことと違っていた、という2点に就き、日蓮は事実誤認をした、つまり、「間違った」と記したのに対して、その点を認めようとせず、経典、教義、本尊は正しいということを違う論点から述べて、これを遮そうとしたわけです。わたしはこの一連の対応を自由な議論に対する侵害という印象すら懐きました。要は、現代、科学的に証明された点について、いろいろな解釈を構えて、それを肯定しようとしても、世間一般はそれでは納得しない点を、信仰で押し切ろうという暴挙と映じるわけです。その信仰への執着の原因は何であるのか、徹底的に内観してみてはどうかと勧めているわけです。

> 「西から東」は月氏、 「東から西」は日本の事をほのめかすと見て良いのでしょうか。

この意味は新釈いたしかねます。どのようなご質問なのでしょうか。

870犀角独歩:2006/06/27(火) 11:07:59

【869の訂正】

誤)新釈いたしかねます
正)斟酌いたしかねます

871今川元真:2006/06/27(火) 12:51:44
●誰もが簡単に昔の環境の原意に戻れるなら苦労と言うかストレスの無い社会になっているでしょう。●犀角独歩さんの様に知識・情報を持って学問に時間を費やす事ができる訳では無いので御容赦願います。 ●シャカと日蓮に通暁する心があるとすれば「泥から花を咲かせる蓮華」と考えなければ、信学行をして仏国土みたいな平和な社会をつくっても長続きしないような気がします。シャカの執着から離れる思惟思索に形を持って捉えるのは逆戻りと言われるかもしれませんが、より良い環境に変えるには点・線・面の点に於いてある意味(理想像の法を信じる、理想論で変わる自分を信じる)必要な事に思います。 ●十字御書を読み返していい線いってたなと思うのですが、嘘から出た真になりませんね。

872犀角独歩:2006/06/27(火) 14:52:36

今川さん、ここは議論の場であり、挙証義務が課せられていますから、それに遵守しているわけです。
時間がなければ、時間がないなりに個人でやる分にはけっこうなことではありませんか。
しかし、ここでは投稿規則があるということです。

信仰というのは、あ面、妄想と紙一重のところがあります。
嘘から出た真から、真に基づく信であるか、それを論証しようと言うことです。

873今川元真:2006/06/27(火) 23:56:56
●徹底的に解明する事は其れぞれの論理を考える為には良いのですが、時代毎の必要な要素を考えないと何も残らなくなるのでは無いかと思います。●犀角独歩さんの指摘通り(?)自分の信学行の質量を計り直す事が出来れば良いと考えます。

874犀角独歩:2006/06/28(水) 04:53:16

今川さん

873に記されるところは同意です。それがつまり、当スレ『現代人が納得できる日蓮教学』ということの趣旨だと思います。

875今川元真:2006/06/28(水) 12:20:45
犀角独歩さん、ありがとうございます。

877今川元真:2006/06/29(木) 17:51:40
宰格瑚葡さん、はじめまして。私は、池田チルドレン?が創価学会の指導者になっても組織システムの隅々までチェックするのは難儀なので、信心学問修行をより解り易く快適に内外に提示する為にも、末法無戒の世に法華経行者日蓮がどれだけの事を考え、富士門流貫首日寛がどれだけの事を纏め、創価教育学会会長牧口常三郎がどれだけの事を提示したのか、知る必要があると思います。

878犀角独歩:2006/06/29(木) 20:02:48

今川さん、前から気になっていましたが、末法無戒と本門戒壇というのは整合性がありますか。日蓮は末法無戒を哀しみ、本門戒壇を言ったのではないでしょうか。

「正法千年の後は像法千年なり、破戒者は多く得道すくなし。像法千年の後は末法万年、持戒もなし破戒もなし、無戒者のみ国に充満せん。而も濁世と申してみだ(乱)れたる」南条兵衛七郎殿御書

「二乗・凡夫・悪人・女人乃至末代の老骨の懈怠・無戒の人々は往生成仏不定なり。法華経は爾らず。二乗・悪人・女人等猶仏に成る」薬王品得意抄

「第二の悪世中比丘と指さるゝは、法然等の無戒邪見の者なり。涅槃経に云はく「我等悉く邪見の人と名づく」等云云」開目抄下

「日蓮は無戒の比丘なり」御衣並単衣御書

「剰へ我慢を発して大乗戒の人を破戒無戒とあなづる。例せば狗犬が師子を吠へ、猿猴が帝釈をあなづるが如し」「法華経の大戒を我が小律に盗み入れて還って円頓の行者を破戒・無戒と咲へば、国主は当時の形貌の貴げなる気色にたぼらかされ給ひ」「能因法師と申せし無戒の者」下山御消息

「貴女は治部殿と申す孫を僧にてもち給へり。此の僧は無戒なり無智なり」盂蘭盆御書

「正像末の持戒・破戒・無戒等の弟子等を第六天の魔王・悪鬼神等が、人王・人民等の身に入りて脳乱せん」諌暁八幡抄

「日蓮は無戒の比丘、邪見の者なり」法衣書

880今川元真:2006/06/30(金) 20:26:02
教学的因果関係は日蓮聖人が手紙に認められているだけしか見受けられないので解りませんが、縦軸・時間と横軸・空間、歴史と現象を考え合わせる学問が仏法ならば、心の襞や琴線に触れる感情的示唆が現れ言葉文字に表れても不思議では無いと思います。法華一乗の派生事項だと考えますが、真言化した比叡山に対して真実の一念三千・妙法蓮華の浄土を現出させたいと本門の題目・本尊・戒壇を形にしたのが漫荼羅(紙や板では無くて)なのでは無いかと断じたいです。

881犀角独歩:2006/06/30(金) 21:06:42

今川さん

880に記されることは、賛同する面もあります。

わたしがここで投げかけている疑問は、一般の人であれば、誰しも懐くだろうことを忌憚無く、率直に述べているのに過ぎません。そのような投げかけにどのように反応されるのかという点が、「心の襞や琴線に触れる感情的示唆」なのか、もしくは排他、罪悪視なのか、矛盾に満ちた反論なのか等、そのレスポンスによって、その健全度を測るのもまた、一般の観察であろうと思います。

その意味において、単発的、かつ、捨て投稿で、あらしが目的なのかと見えていた今川さんの、レスは、実に誠実で、健全であり、たしかに心の琴線に触れるものがありました。

882励合人:2006/07/01(土) 06:48:41
日蓮さんの生き方自体が素晴らしいと思います。人を愛する深さというか人間の可能性というか信念による一人の人間の持っている強さを教えてもらいました。立派な方々を見習うひとが出てくるから立派な行いができることは素晴らしいことです。見習う側も善の部分のみを見習っていければより素晴らしいです。それには善悪のはっきりした区別がつくことが一番大切です。世界平和や人間社会が進化するには宗教が無くなり道徳以上の新しい何かを手本にする世の中になるしかないと考えています。宗教以外の新しい何かが出現するには今より飛躍的に心の解明と科学の発展が必要ですが。現段階では信念につながるものとして現代社会を生きる責任、未来社会への義務、過去社会への感謝が明確に子供に教育されれば何か少しは変わっていく気がします。以上、大ざっぱで伝わらないと思いながらも根拠の無い個人的感覚による私見を記入してしまいました。

883犀角独歩:2006/07/02(日) 07:46:08

> 882

概ね、賛同します。

情報量は、ネットと豊富な資料が直ちに入る現代と、鎌倉時代では比ぶべくもありません。しかし、その情報を扱うのは常に人間なのであって、日蓮の熱意と精神力、そして、実際の行動といったものに、では、現代の我らが優位にあるかと言えば、決してそんなことはないでしょう。

「生き方がすばらしい」というご感想は、そんなところにあるのだろうと拝察します。データ的処理能力ではなく、“心”としての処理能力と言うことであろうと思います。

やや、論点が変わりますが、ハッサン師は、以下のような指標を示しています。

「破壊的カルトの疑いがあるグループを調べ鑑定するとき、私はまず、神学やイデオロギーの分野ではなく、心理学の分野で作業する。破壊的カルトについて考える私の基準は、マインド・コントロールと暗示と集団心理−−この三つの影響作用と言うことである。私はそのグループが“何を信じるかではなく”、“何をするかを見る”。(略)破壊的カルトはメンバーは“彼ら自身の”信念体系へと回心させようとする。だが私のやりかたは、その人が多様な視点を調べ、物事を自分自身で処理するように励ますものである」(『マインド・コントロールの恐怖』恒友出版 P178)

884今川元真:2006/07/04(火) 05:48:28
30年かかって辿り着いた道程。法華一乗の中味を経典の内容を考え合わせるのは此れから。犀角独歩さん諸氏には一言一句訓育教授賜りますようお願いします。

885犀角独歩:2006/07/04(火) 20:31:34

今川さん

ご丁寧に有り難うございます。わたしもまた、今川さんから多くを学ばせていただきます。

886今川元真:2006/07/05(水) 06:22:50
いいえ、こちらこそ。法華一乗の原点に戻る初心者ですから宜しくお願いします。

887犀角独歩:2006/07/05(水) 11:06:20

つぶやきから移動しました。


こちらの掲示板で、日蓮本‘仏’、次に‘法’本尊=彫刻、そして、今回は僧について。

仏陀にあらざるを仏陀と信じさせ、法にあらざるを法と信じさせる、その僧は、僧にあらざるというのが、わたしの脈絡です。

カラフルなどと言った覚えはなく、薄墨素絹の質素な衣に剃髪であれ、そのような詐り仏法を勧めるものを、姿ばかりは僧に似せても、日蓮の言う僧にあらずということです。


独学徒さん

わたしは、多くの尊敬できる僧侶を知っています。また、その人たちの、心暖まる慈悲に包まれて今があります。

わたしが石山からもって出た一つの教え。
「僧の僧たる自覚を与えるは檀那なり」、四弘誓願に生きる僧侶には、精一杯の礼をもって、接するのは誠心誠意からですが、それはまた、その方々の自覚を生じさせる功徳もあると考えます。一方、誤り謀り衆生を迷惑する者には厳しく弾劾もいたし、ここでもまた、僧の自覚を促します。

これはしかし、「お気に入り」だなんだということとは、まったく、次元を異にします。仏と法と僧伽を護持しようという信念に基づくところです。この点を、独学徒さんはご理解いただけると存じます。

888独学徒:2006/07/05(水) 23:25:21

犀角独歩さん、

>これはしかし、「お気に入り」だなんだということとは、まったく、次元を異にします。仏と法と僧伽を護持しようという信念に基づくところです。

まだ数回ではありますが、犀角独歩さんと直接会ったことのある私には、重々承知のことです。

私が尊敬できる僧侶と出会えないのは、富士門系の僧侶に限定して接しているからかもしれません。

富士門でも何人かは、親切な方だと思う方もいますし、大変勉強になる御主張をされると思う方もいます。

しかし、本当に信頼し心をゆるせる方とはめぐり合えていません。
その意味では、犀角独歩さんが羨ましくさえ思えます。

しかしそれでも、人との出会いは、まだまだこれからだと思います。
全ては私の経験不足だと思います。

890犀角独歩:2006/07/06(木) 00:32:41

独学徒さん

有り難うございます。
独学徒さんが、富士系の坊さんに限ってお会いになってきたというお話は、むしろ、新鮮に感じました。

わたしは、ここ10年、その手の人には会わないできましたから、善い方々との会いがあったのであろうと思います。そのような方々に、お引き合わせの労をわたしは厭いません。お気軽にお声をおかけください。

891独学徒:2006/07/06(木) 21:30:51

犀角独歩さん、有難うございます。

実は定年退職したら入道しようかと思っていたこともあります。
娘達には頭を丸めることを大反対されましたが、今でも心中にその希望が残っております。

この先、良き僧侶との出会いを求めた時には、犀角独歩さんに相談させていただきます。
その節には、どうぞ宜しくお願いいたします。

892 B:2006/07/07(金) 10:32:16

> カラフルなどと言った覚えはなく、薄墨素絹の質素な衣に剃髪であれ、そのような詐り仏法を
勧めるものを、姿ばかりは僧に似せても、日蓮の言う僧にあらずということです。
> これはしかし、「お気に入り」だなんだということとは、まったく、次元を異にします。仏と法と僧伽を護持しようという信念に基づくところです。


ご自分の主張は丁寧になさるが、非礼、批判の含みのあるものは飛ばし読みをされるのか、これで「カラフル」についての2度目の説明になります。

独歩さんの表現、「坊さんコスプレ」を借りて、「カラフル坊さんコスプレ」は私「B」が言ったのです。

宗祖も着されなかった色衣を着て、似ても似つかぬ姿で宗祖の法を説くお上人様を「カラフル坊さんコスプレ」と真似たのです。独歩さんが尊敬なされているらしいので独歩さんの「お気に入り」と書いたのです。

湾曲?

独歩さんの投稿から引用
草創の古さ、寺格の高さ、皇室はじめ過去の権力者にどれほどの庇護や帰依をうけたかを、とくとくと語り、あたかもそれを寺の誇りとするごとき傾向をまま見かける。しかしそんなことが、寺の名誉でも威信でもないことはあきらかである。もし寺院が、それなりに矜持(きんじ)を持つとすれば、仏の智、仏の愛を、どれだけ積極的に民衆のなかに弘通し、彼らの悩みを救ったかという一点にしぼられるはずである。過去はもちろん、現在も未来も、立派にそのつとめを果たし得る自信、そしてその実績――。寺院の誇りはこの一事に尽きる。伝統や寺歴を、問題外にするのではないが、そういうものはあくまで第二義のはずと思うのだ。

これは身延の寺にぴったりあてはまるのでは、

新尼御前御返事に
日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために、此の御本尊をわたし奉るならば、十羅刹定めて偏頗の法師とをぼしめされなん。又経文のごとく不信の人にわたしまいらせずば、日蓮偏頗はなけれども、尼御前我が身のとがをばしらせ給はずしてうらみさせ給はんずらん。此の由をば委細に助阿闍梨の文にかきて候ぞ。召して尼御前の見参に入れさせ給ふべく候。


身延を見学に行った知人の言うには、門前でヒラヒラと風に吹かれてご本尊が売られていたとのこと。
佐渡ではちょっと記憶があいまいだが佐渡始顕のご本尊がステンレスの板に彫られて庭に展示してあった。
「大日蓮展」では平念珠が売店で売られていた、展示物の中には聖人ご所持の数珠(真偽は?)が展示してあったが平念珠ではなかった。
親戚の法事で日蓮宗の寺へ行ったがあちこちに色んな物が祀ってあった。

お上人方は、これらを承知しておられるのだろう。独歩さんの「仏と法と僧伽を護持しようという信念に」に悖りませんか。

答曰守涅槃経云若善比丘見壊法者置不呵責駈遣挙処当知是人仏法中怨。若能駈遣呵責挙処是我弟子真声聞也

人を見て呵責、不呵責の差別があっては是人仏法中怨にして真の声聞には程遠いのでは。


> 「僧の僧たる自覚を与えるは檀那なり」、四弘誓願に生きる僧侶には、精一杯の礼をもって、接するのは誠心誠意からですが、それはまた、その方々の自覚を生じさせる功徳もあると考えます

これは全くもってそのとおりだと思います。

放談中の笑い話であるが、あの僧侶はいいが、この僧侶は嫌いだという信徒について、信徒は僧を選べるが僧は信徒を選べないんですよと、僧侶はあんな信徒はいやだなと思ってもそうはいかないのですよと冗談半分で吐露され、大笑いしたことがあった。

信徒でもなく何が目的かわからぬ得体の知れぬ者にも誠意を尽くさねばならぬ僧侶も大変だなと思う。
不快を示せばあれが僧侶か、修行が足らんと指弾される。そのとおりではあろう。
悪口も善智識ととらえられ精進の糧とされるのだろうけれど。

完璧無欠の僧などどこにもおられないのでは。 精進に努められる姿が尊い事だと思う。

893犀角独歩:2006/07/07(金) 12:11:48

Bさん

わたしは、お気に入りだなんだという言葉は不快です。
別段、気に入るとか、気に入らないで言っていないと何度も、繰り返しています。これは重複投稿、無意味な繰り返しになります。
管理者さん、投稿規約に違反すると思いますが、如何でしょうか。

さて、Bさん、わたしの先の投稿は、富士門流信徒の掲示板で、下種三宝を問うたものです。その脈絡は一切、無視するのでは、議論とは言えません。

また、わたしは、身延を気に入っているわけでもなく、身延派の僧侶を気に入っているわけでもありません。また、その化儀を100%納得しているわけでもありません。ただし、‘民衆救済’という視点から、そのような尽力している方々に最大の礼をなすと言っているのです。斯様にあなたの論点はずれています。

また、身延の本尊について、云々していますが、Bさんはどうやら、石山の僧俗らしいですが、では、そこでは頒布されている‘本尊’とは、他宗を非難できるような代物なのでしょうか。その本尊の印刷を請け負う印刷会社、あなたが嫌う日蓮宗の仕事を請け負っているのであり、身延の印刷物が印刷されている同じ会社で印刷されたものを本尊として、信徒に3000円以上で販売しているのではないでしょうか。まして、「奉書写之」といい、それが彫刻を写したものと言いながら、内容が違っているという呆れた代物です。そのような本尊を尊重する者が、身延の本尊を云々するなど、話になりません。

また、わたしが引用した涅槃経の文は「僧」について、論じたものであって、その文をもって、わたしが自護相違した如き論調もまた、まったくの的はずれです。

「精進に努められる姿が尊い」、わたしもそのように記していますが。

いくら、あなたが、身延の悪口を羅列したところで、石山の実態は、何も変わりません。身内の贔屓倒れに他者の悪口を言う姿を、あまり褒められたものではないでしょう。

いずれにしても、ここは、議論の場です。揚げ足を取って、嫌みを書き連ねるような態度は、わたしは、そもそも投稿の姿勢に問題あり、改めないのであれば、退去を希望するほかありません。

894管理者:2006/07/07(金) 13:00:10

Bさん

当掲示板の参加者を揶揄するのが目的であるかに見えるような投稿は、当掲示板のルールに抵触します。今後同様の書き込みを続けれた場合は、ルールに基づいて、削除、並びにご参加をお断わりする事になります。よろしくお願いいたします。

895 B:2006/07/07(金) 20:18:57

公平なりやと、いささか反駁したいと思うところもありますが、ルール違反とのこと、
すみませんでした。 ROMに戻ります。

896波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2006/07/24(月) 09:58:44
日秀師の起こした三鳥派とはどのようなものであるか、なかなか
わからなかった。

江戸時代突然発生した異流義であり、弾圧され痕跡が完全に消されて
いるため、なかなか実態が掴めないでいた。

以前日蓮大聖人の神道観は、現在日蓮宗が入れている吉田神道ではなく、
渡会神道を基礎にしている、という主張をしたことがある。

石山の場合は、他の法華集団の神道観とは別に、突然変異した、という
私の予感はなんとなくあたっていた。

三鳥派は吐菩加美神道・烏行神道の影響を強く受けていたのだ。

897通りすがり:2006/07/24(月) 15:34:25
ハキリうるさい。
誰も興味は無い(-_-)

898通りすがり:2006/07/28(金) 19:57:04
あ、ハキリ坊見っけ!!
お萬の方の本遠寺の葵講の講頭さん

899通り越し:2006/07/28(金) 23:40:44
本遠寺に葵講など存在しませーん。

しかもハキリは檀家でもなんでもありませーん。

900通りかかり:2006/07/29(土) 01:08:06
葵講は禿の脳内妄想によるバーチャル講ですよっと。

901通りすがり:2006/07/29(土) 08:04:11
896の件は菅田さんが精通しているでしょう。

902とんび:2006/09/09(土) 05:22:50
おはようございます。

教・機・時・国・教法流布の前後(正宗の解釈で)とありますが、教主釈尊の出世
の本懐は、人の振る舞にて候ぞ..とかあったと思いますが、いわゆるサッカー
の試合をしているようなもので、常に瞬間・瞬間にするべきこと、信ずべきことは
変化するものだと思います。
 ボールの位置を確認し、自らのチームの選手の位置を確認し、相手チームの位置
をいつも確認して行動を起こす。

 90分で、終わりと思っていては、たとえ5点リードしていてても、残りのロスタイム
で、何もしなければ、10点・20点とられて、逆転負けしてしまいます。

 だから、臨終の最後の一念まで信心が大切になってくると思います。

 もちろん、相手チーム、自分のチームというのは、他人と自分・敵・味方
ではなく、あくまで、己心のなかでのことだと思います。

 忙しいので、誤字や言葉の表現の仕方が適切でなかった部分もあるかと思い
ますが、ご了承下さい。

903とんび:2006/09/09(土) 05:28:49
追伸です。

日蓮聖人の遺文にあるように「月々日々に強りたまえ、少しもたゆむ心あれば魔たよりを
うべし」ですから、ウィルスバスターやノートンアンチウィルス、マカフィーのパソコンソフト
ように、常に信心の精進をしていかないと、魔にやられてしまうと思います。

904無学無明:2006/09/10(日) 18:31:41
 とんび様。
 たとえをサッカーにしていますが。
 生きとし生きたいものが、それなりに人生を必死です。
 貴殿の提言されたサッカーはあくまで遊戯の一例であって、心肺・走力の優劣で勝負が決まるようです。
 しかし、生身の我々は生老病死の一点〜一点の最中にも、強い娑婆世界の影響下にいます。
 もし、言えるなら、「、、薬害エイズ被害者、薬害肝炎被害者たちへの配慮こそが懸念」でしょうか。
 現実に「成仏はお引き受けします、100%を保障します」、というて信者を勧誘したならば、?
 薬害訴訟では莫大な被害者への損害保障が次々と判決されています。
 宗教は別物だと、庶民を甘く見て、なめ切っていますと、そのツケは、、?

905天蓋真鏡:2007/01/04(木) 20:13:41
鎌倉時代の僧・日蓮の纏め、21世紀に生きる人々の活用できる質量。【きっかけ≒ヒント≒鍵≒一念三千因果倶時唱題】

906とんび:2007/10/20(土) 20:45:22
私の、現在における日蓮聖人の響く言葉。(時によりかわりますが)

上野殿御返事(弘安3年12月27日)日興筆、古写本あり。

「仏にやすやすとなる事の候ぞ、をしえへまいらせ候はん。人のものををしふると申すは、車のおもけれども
油をてぬりてまわり、船に水をうかべてゆきやすきやうにをしえ候なり。仏になる事は別のやう候はず。旱魃にかわけるものに、
水をあたへ、寒水ににごごへたるものに火をあたふるがごとし。又、二つなき者を人にあたへ
、命のたゆるに人のせにあふがごとし。
 
 金色王と申せし王は(中略)。月氏国にす達長者と申せし者は、七度貧になり、七度長者となりて候ひしが。
(中略)これをもてよろずを心へさせ給え。

 この言葉は、いまの社会にも、通用すると考えています。

907天蓋真鏡:2008/05/22(木) 19:29:56
南無妙法蓮華経=本尊=戒壇=題目?、本尊=漫荼羅?、戒壇=戒壇堂?、題目=一切衆生の題目?

908偶ロム偶ログ:2008/05/23(金) 03:30:02
>天蓋真鏡 さん

日蓮遺文による挙証なしで、感覚での感想です。
本尊=木画の仏像(漫荼羅も含む)として表現されるところの己身の教主釈尊
戒壇=南無する吾体がいる処
題目=浄化のためと祈祷・祈念・祈願のための呪(しゅ)
まあ、日蓮教学とも石山宗学とも直截の脈絡はないですが、このように考えて30年は経っています。
これはあくまでも個人に則してのことです。

ただ戒壇については厳密には国主灌頂のための堂ということになるのでは?

まあほとんど醉言です、悪しからず。

909犀角独歩:2008/05/24(土) 09:35:45

ここ富士門流信徒の掲示板で、10年近く書いてきましたが、大石寺、創価学会、顕正会の批正から、この集団と教義と決別する人々を多く出すことができました。また、日蓮本仏、戒壇本尊からの脱却の用にもたちました。

ところが、そうした人々が保田、北山、西山といった寺院に移動することによって、信仰を保つ様を見ると暗澹たる気分となります。

また、正信会も含めて言えることですが、日興門下の「お宝鑑定団」をやったところで、何ら信仰が実になることは有り得ません。

また、こうした移動組のなかには、創価学会や大石寺を口汚く罵る様も見えますが、他者からみれば、所詮「目くそ鼻くそを笑う」の類に過ぎません。

事実究明とは自己にもっとも厳しく、そして、他に対しても公平な批正でなければ何の意味もありません。

古文書や本尊のお宝行脚と、坊さんと遊戯雑談をするより、もっと、するべきことがあったと、自己反省も含めて思う昨今です。

910マターリ:2008/05/25(日) 07:25:29
>犀角独歩さん、古文書や本尊のお宝行脚と、坊さんと遊戯雑談をする
より、もっと、するべきことがあったということですが、具体的には、
「するべきこと」とは、どういうことでしょうか?

911犀角独歩:2008/05/25(日) 10:55:52

マターリさん

「するべきこと」は、たくさんあります。それは人それぞれ違っています。公私に亘り、種々あるでしょう。わたしのやるべきことは、プライバシーに属しますから、ここでは述べませんし、また、各位についても、ここでそれを公開する必要はないことは当然です。しかし、それでも、いえることは、「するべきこと」とは、富士門流であるとか、日興門下であるとか、そうした狭隘な閉鎖空間に留まることではないということです。

「お宝鑑定団」とは、我が恩人、中村行明師がわたしのブログを御覧になって、率直に述べてくださった感想でした。世間一般にはそう映るのだろうと思った次第です。


所謂「本門戒壇の大御本尊」と称する彫刻が後世の捏造物であることなど、もはや論じることもなく当たり前のことです。石山や、顕正会は、これに必死に足掻くかも知れませんが、この歴史は、もう終わりました。大石寺は、今後、信徒会員が増えることはなく、顕正会は浅井照衛さんの死をもって、石山と同じ運命を辿るでしょう。数十年を待たず、この二つの集団は、世間一般から忘れ去られるでしょう。

わたしの彫刻鑑別は単純で、真偽を問うて、贋作であることを証することでした。わたしの目的はここまでです。ところが、どうしたことか、このあとに違う想念を有した人々が残存しました。それは、日蓮漫荼羅の本物探しでした。日本史のなかで何度かブームのように起きた所謂「万年救護本尊」を正統本尊と見なしてみたり、取り立て、日興の書写本尊を有り難がるといった傾向です。こうしたブームは、戦前にもあったものでした。

日興の再認識は、戦前から事起こり、戦後は創価学会の勃興により、学界では高木豊師の研究から、異なった両陣営によって支えられてきました。しかし、この日興ブームはやがて終焉を迎えます。

なおさらのこと、北山・西山・保田といった日興門下など、もはや、既に社会からは忘れ去られた存在であり、そこで有する寺宝などに価値を感じるのは、わずかな人達ばかりです。日興の正統性に執着すること自体、ナンセンスだからです。

わたしの自分史を述べれば、「日蓮正宗創価学会」の家に生まれ、絶対と信じた集団と指導者は、本尊から離れました。わたしは本尊を希求し、石山に移りましたが、そもそも、それが後世の捏造物でした。では、日興が正統かといえば、それは日興門流の幻想に過ぎませんでした。では、日蓮は、といえば、鎌倉時代という科学開闢以前の神話に生きた人であったわけです。では、法華経は、といえば、これまた、西暦前後に創作された物語でした。
つまり、これらのものにいくら執心したところで、「嘘から出た誠」とはなりません。かつて、池田・学会批判で、石山圏が好んでいった「嘘は100遍繰り返しても本当にならない」のです。この言葉は、石山のみならず、日本の全仏教にかかる天に吐いた唾です。

こちらのスレッドは「現代人が納得できる日蓮教学」ですが、率直に申し上げて、もはや、そんなものは残っていません。もし、何かあるとすれば、それは「日蓮の魂」かもしれません。人を思い、国を思った熱意といったところでしょうか。もちろん、日蓮が考案した漫荼羅に熱心に唱題を重ねることに、何らかの効験はあるでしょうし、そうした体験を有する人々も多くいるでしょう。

伝統仏教→日蓮宗→富士門流→(日蓮正宗)創価学会・顕正会 といった信徒移行が戦後、日本の宗教動向でした。そして、その「創価学会・顕正会が間違っていた」から、「日蓮正宗」に、さらに富士門流に遡源すれば、事は解決するかどうかという公開の論理的実験場が、ここ富士門流信徒の掲示板でしたでしょうか。率直に言って、そんなところで、歩みを留めていても、個人的な慰撫と趣味の範囲に過ぎません。では日蓮宗は、では伝統仏教はと遡源しても、事態は同様です。

「するべきこと」の第一歩は、こうした幻想され・設定された「地図」と思考の足かせを、まず外し、個人の自由と責任に基づいて、前に進むことです。

912犀角独歩:2008/05/25(日) 11:01:26

「そんなところで、歩みを留めていても」という「そんなところ」とは、ここ富士門流信徒の掲示板をさすのではなく、「伝統仏教→日蓮宗→富士門流」といった信念体系と集団を指して書きました。
文章が曖昧で誤読される可能性があると危惧しましたので、補足します。

913天蓋真鏡:2008/05/25(日) 13:29:25
犀角独歩さん、マターリさん、ゴウタマシッダルタ生誕〜21世紀の富士門流掲示板の出来た頃までの年表を作って置かないと解り辛いかもしれません。

914天蓋真鏡:2008/05/25(日) 13:56:38
偶ロム偶ログさん、30年と言うのは凄いです。 自分は日蓮聖人が信仰生活をして布教活動していく内に漫荼羅唱題に洗練特化していったと思います。日蓮自身は釈尊像を所持して内証の妙法漫荼羅を心に描き唱題する。其れで一乗要決の南無妙法蓮華経が本尊戒壇題目なのではと掲示板を読み直して想いました。 戒壇本尊は日目諫暁に出て来る三秘法を具現化する為作り出されたオブジェなのではないかな当初はと想像します。

915マターリ:2008/05/25(日) 15:31:21
>犀角独歩さん、詳しく教えていただき、ありがとうございます。

>「するべきこと」の第一歩は、こうした幻想され・設定された「地図」
と思考の足かせを、まず外し、個人の自由と責任に基づいて、前に進むこ
とです。

私も同様に考えています。今まで教団で教わった既成概念を外して、自由
に考えていきたいと思います。

>天蓋真鏡さん、年表を作るのは大変そうですね。

916天蓋真鏡:2008/05/25(日) 16:38:26
マターリさん、返レスありがとうございます。 意見集約は大変でしょうが一度見で粗筋でも把握しないと同じテーブルに付けないでしょう。 2008年現在に纏めた年表ならば、2008年度版で良いのでは無いでしょうか。

917犀角独歩:2008/05/25(日) 20:58:46

年表ですか、うーん、なかなか、そこまで手が回りませんね。

918顕正居士:2008/05/26(月) 05:23:12
2ちゃんねるの創価板を見ていたら「紙に呪文を唱えて欲を満たす教え」というような
表現があった。言い得て妙である。1 紙(板) 2 呪文 3 欲を満たす どの要素も
最初から話にならない、それが3つ掛け合わさる、以外の要素はない というわけです。
単純に常識だけ働けば、このように本質を的確に見破れるものだなあと思った次第です。

919犀角独歩:2008/05/26(月) 19:27:44

918に顕正居士さんがご紹介くださったのと同じような筋で、S・ハッサンは『マインド・コントロールの恐怖』のなかで「アメリカ日蓮正宗」(=SGI)をカルトとして上げていました。本が手許にないので抜き書きはできませんが、記憶に随って書けば、「漢字の書いてある掛け軸に題目を唱えると、願いが何でも叶うといって勧誘する」といった記述であったと思います。

創価学会は、この紙=掛け軸を、仏であるとか、生命であるとか、さらに石山にいたっては、これを「生身の日蓮大聖人」とか、法本尊だとまでいいます。

人間の信じる力は射る矢が石に立つといった逸話になるほどですから、鰯の頭であろうと、信じて拝めば、本人が納得がいく結果が出たと納得する「個人的リアリティ」を得ることはあるでしょうが、しかし、これは、その本人の潜在能力と自己認識と満足の為せる業で、紙が仏や、生命であるといったわけでもなく、まさに「紙に呪文を唱えて欲を満たす教え」、もっといえば、「紙に呪文を唱えて欲を満たすと思わせる教え」というのが、常識的な判断なのだろうと思います。そして、こうしたことをいってのける教義集団を、…わたしではなく…ハッサンは「カルト」といったのでしょう。

自分が信じやっていることが、他からはカルトと映じているかどうかを、客観的な視点で見直すことが大切だということでしょう。

920しゅんかん:2008/05/26(月) 23:37:18
私は宗教(通一般的に捉える処の)を信仰いたしておりません。

一組織、一団体、一グループに身を置いた者を、其れに組していない者が
眺めた時、異なものと映るのは当然ではないでしょうか、人間ですから。

カルトと定義するには一地域、一国、地球規模であれ少数派なのでしょう。

何を崇拝しようが第三者には所詮理解に苦しむ事だろうと思いますが。

時間、空間的に人の捉え方は変化しますから、人間に是が真実だ、是が現実だ
等と述べる能力を有しているとはとても思えない、全ては幻想でしょう。

921しゅんかん:2008/05/26(月) 23:40:36
少々、酔いかげんです。

一組織、一団体、一グループは重複語ですね、申し訳ありません。

922犀角独歩:2008/05/30(金) 05:28:22

> 919

自己レスです。原著を確認したところ、記憶と少し違っていました。

「NSA、「アメリカ日蓮正宗 Nichiren Shoshu of America 」に入っていた(この組織は日本ではじまり、仏教の系列だと言うのだが、もう20年このかた、合州国で会員を獲得してきている――訳注=「アメリカ日蓮正宗」という名称は、いまでは変更されているかもしれないが、ここでは原著の記述どおりにしておく)。このカルトの会員は、和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につくのだと信じている。」(P169)

つづく記述のなかで「人生の問題を解く鍵を約束する集団にとっては、私はいい“カモ”だった」という悩める善意の人、また、「結局グループから追放されたのだが、ナンシーは次の1年、自分は末期ガンで死にかけているのだという考えに悩まされて、精神科にかかった。自分はただ教え込みどおりに反応しているのだということが、そのときはまだ彼女にはわからなかった。ほかの多くのカルトメンバーと同様、彼女も、NSAを離脱して読経をやめれば恐ろしい結果が生じると怖がるようになっていたのだった。」という経験談は、恐怖操作、もしくは植え込まれる自罰性を示すもので、「日蓮正宗創価学会」、もちろん、顕正会、正信会、妙観講・法華講も、この例に漏れないことがわかります。

923犀角独歩:2008/05/30(金) 05:41:50

参考のために、該当部分の全文を抜粋します。


ゲアリー・ポーターと「アメリカ日蓮正宗」

 いまはフィラデルフィアで指圧療法士をしているゲアリー・ポーターは、ナンシーと出会い、恋をした。彼女はNSA、「アメリカ日蓮正宗 Nichiren Shoshu of America 」に入っていた(この組織は日本ではじまり、仏教の系列だと言うのだが、もう20年このかた、合州国で会員を獲得してきている――訳注=「アメリカ日蓮正宗」という名称は、いまでは変更されているかもしれないが、ここでは原著の記述どおりにしておく)。このカルトの会員は、和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につくのだと信じている。2年以上も信心を続けたあと、彼女はだれか医師と出会って結婚できるように、1日何時間も「南無妙法蓮華経」唱えはじめた。
「駐車の場所だろうと新しい仕事だろうと学校の成績だろうと、何のためにでも彼らはこれを唱えるのでした」。ゲアリーはFOCUS支援集会で元カルトメンバーたちにそう語った。
 ゲアリーはメソジスト派のキリスト教で育ったが、ナンシーと出会ったころ、彼は落ち込んでいた。
 「私は指圧療法専門学校の4年間で燃え尽きていました。いちばんの親友が自動車事故で死にました。兄弟たちが私に、家へ帰って病気の母の面倒をみるようプレッシャーをかけていました。人生の問題を解く鍵を約束する集団にとっては、私はいい“カモ”だったのです」
 「このグループは不気味だなと思いましたが……」とゲアリーは言った。「私はお経を唱えることに同意しました。信じられないような昂揚感が得られました。私は御本尊を買い、プンシーと結婚して、そのグループに5年間いました」。
 NSAは、勧誘のため、また会員の信仰を強めるために、ティナ・タープーやパトリック・ダフィーといった有名人をよく使っていた。もうひとつのセールス・ポイントは、「世界平和のために活動しています」だった。NSAは、彼らの読経だけが世界を破滅から救うのだと会員に信じ込ませていた。しかし会員は、NSAが後援するデモ行進(大部分の主流派平和団体からは敬遠された)のほかは、平和促進のためほとんど何もしていない。NSAの行進は、たしかにメンバーの時間とエネルギーを支配する役にはたった。「私たちは、週に3、4回、グループの集会に行かなければなりませんでした。読経に毎日何時間も費やすのは言うまでもありません」。メンバー同士の関係は、疑う人間は黙らされ、迎合が報いられるのだということを確かめるように操作されていた。
 ついにゲアリーはNSAのリーダーと何回か衝突を起こし、追放すると脅かされた。心の底深くでは、それが自分の願っていることだった。プレッシャーと操作に、ゲアリーは疲れきっていた。また、時間と勢力を全部NSAに注ぎ込んでしまうため、指圧の仕事も損害を受けていた。
 ふたりは結局グループから追放されたのだが、ナンシーは次の1年、自分は末期ガンで死にかけているのだという考えに悩まされて、精神科にかかった。自分はただ教え込みどおりに反応しているのだということが、そのときはまだ彼女にはわからなかった。ほかの多くのカルトメンバーと同様、彼女も、NSAを離脱して読経をやめれば恐ろしい結果が生じると怖がるようになっていたのだった。
 ゲアリー・ポーターとナンシー・ポーターの物語は、ある種のカルトの物語ほど劇的ではない。彼らのカルト生活は外目には比較的正常だったし、死んでいくメンバーのために徹夜を命じられたりもしなかった。幸運にも、ふたりはいっしょにカルトをやめることができた。マインド・コントロールと破壊的カルトに関する資料を調べはじめるとすぐ、本質的にはNSAも、終日一緒に暮らすことを要求するグループと同じマインド・コントロールの手法を使っているのだということが、ふたりにはわかった。だが、ふたりの人生を修復するのには数年かかった。」

924マターリ:2008/06/01(日) 20:09:03
男子部の先輩で、不治の病に苦しむ人がいました。幹部から「100万ベン
の題目をあげれば必ず治る。」、と言われて必死で題目をあげていまし
た。また、病気の身体に、むち打って活動していました。

何ヶ月か経って、100万べんを達成したのですが、一向に治る気配がない
ので、もう一度、先輩は幹部に相談しました。すると幹部は、「もう100
万ベンあげなさい。治るまで、題目をあげなさい。」と先輩に言ったそう
です。

幹部の話をしながら、先輩は私と並んで歩いていました。そして「いった
いあと何万べんあげれば治ると言うんだ。」と下を向いて、涙を浮かべて
言いました。愚痴を言わない先輩が、たった一回だけ言った、はらわたか
ら絞り出すような悲しみの言葉でした。

その後、先輩は、学会の会合にも出なくなり、一年も経たずに亡くなりま
した。

世の無常を感じた思い出です。

925しゅんかん:2008/06/01(日) 22:46:30
マターリさん

全くその様に思います。

世は無常でしょうが、無常でなければ又、困るんでしょうね。

926彰往考来:2008/06/04(水) 06:31:55

>911 お宝鑑定団

私は日蓮聖人の御本尊や御影などを研究しているわけですが、なんで個人でこんなことやっているのでしょうね。そのために日蓮関係だけで600冊を越える蔵書をもち、100冊を越えるファイルに整理、分類して収められた莫大な量のコピー資料を所有しています。その収集と整理、調査にかけた時間とお金は相当なものです。ま、しかし資料が手元にあるおかげで自分の守備範囲のテーマであれば夜中でも調べることができます。息子には図書館みたいだねといわれてしまいました。しかし増えすぎました。特にここ数年は入手する資料の量がうなぎのぼりで置く場所にも事欠く始末です。確か『捨てる技術』という本で学者以外は本など持っていてもしかたがないという主旨のことが書かれていましたが学徒としては捨てるわけにはいきませんので学者と同じということでしょう。多分大学教授並みの蔵書量であると思いますが家人からみればゴミの山にすぎません。

あくまで私の場合ですが野村進氏の『調べる技術・書く技術』(2008年、講談社)でいう「突き動かしている原動力」(73頁)は、「騙されるものか!」という反骨心です。学会二世として育ち気が付いた頃には大石寺の板漫荼羅を真筆として教えられて拝んでいました。しかし大石寺だけではなく他宗も含めどうもヘンだ、と思い始めたのが高校生のころで、御本尊ってなんだ?なぜ日蓮の真筆本尊は一種類ではなく色々な相貌があるんだ?と変人扱いされながら調べてきたわけです。そこにあったのは秘密主義の壁と無理解でした。当時の男子部幹部は「こんなの調べて何になるんだ!」と怒鳴ったものでした。もっとも学生部時代のある幹部は「学会出版物を1冊読んだら外の本を5冊読め。でないとバランスをくずす」と指導していましたのであながち可笑しな幹部ばかりではありません。この考えはよいのでそう心がけて本に接しています。
鳴海風氏の『円周率を計算した男』(新人物往来社、1998年)に「無理に隠そうとするのは、底が浅いことを露呈しているようなもの」(160頁)、「学問の進歩は秘密主義の下ではありえない」(170頁)とあるのが当時の私の気持ちに近いでしょう。もちろん今でも同じです。騙されないためには勉強し研究するしかありません。

私もテレビ東京の「開運なんでも鑑定団」は好きでよくみますが、日蓮聖人の御本尊や古文書などを研究するのはお宝鑑定団ではないでしょう。鑑定してどうなるのでしょうか?他人の財布の中身を勘定してもしかたがありません。古文書などの研究そのものは真実が知りたいという一念のことではないでしょうか。決して興味本位でできることではなく、自分の人生を、命をかけてやっているものなのです。生半可なものではありません。お宝鑑定団だと仰る方は興味本位の趣味と命をかけた研究を同じだといっているようなものだと思います。反論する必要すら感じません。そのような他人の気持ちを理解できない人には言わせておけばよいと思っています。

927彰往考来:2008/06/04(水) 06:32:33

926の続きです。

興風談所の諸君はどうなのでしょうか。他人のことをとやかく言える立場ではありませんが、『興風 第19号』では菅野憲道氏が「戦国末期の富士門徒」で北山本門寺蔵の鉄砲曼荼羅の伝説を検証してその内容が史実ではないという結論を導いていますし、坂井法曄氏も「日像上人伝承考」で日像師の伝記を再考すべきと主張しています。内容は確かによく研究されていて反論しようとは思いませんが、所詮他山の伝承・伝説の類でありそんなものにケチをつけてどうするんだ、そんなことより自山(元・自山?)の板漫荼羅の真偽論を論及すべきだろうに、という気持ちはあります。自分達に甘く他人に厳しい態度は世間では相手にされません。生活のためならいざしらず現状は興風談所と日蓮正宗は関係ないのですから大石寺蔵板漫荼羅の真偽論を考証できる立場だと思うのですが、ひょっとして興風談所は将来日蓮正宗に戻るつもりなのでしょうか?

ただ何となく興風談所の諸君の行動が解かるような気がします。彼らを「突き動かしている原動力」は、やはり「騙されるものか!」ということなのかもしれません。あっているかどうか興風談所の諸君に聞いてみないとわかりませんが彼らも自分の人生をかけてやっているわけで生半可なものではないはずです。

月山照基氏の『速水御舟の真贋考』(1998年、河出書房新社)に「《真(まこと)の研究》とは、他を究(きわ)めつつ、自己を研(けん)するの謂(いい)である」(1頁)とありました。私も日蓮研究をする上で歌川国芳などの浮世絵や狩野派や横山大観など近世・近代の絵画に触れる機会があり大変勉強になりました。精神的にも豊になれたわけでそれが何よりよかったと思っています。今は横山大観を調べているのですが、大観の「日蓮上人」という絵はもの凄いです。残念ながら関東大震災で焼失しましたがモノクロ写真が残っています。東京国立博物館蔵本とは別の絵です。これを初めてみた時、日蓮聖人を信仰するものとして心底から身体が震えました。これが魂の入った本物の絵なのでしょう。いずれご紹介したいと思います。

彰往考来

928犀角独歩:2008/06/05(木) 19:05:27

> お宝鑑定団だと仰る方は興味本位の趣味と命をかけた研究を同じだといっているようなもの

わたしは違う見解を懐いています。
わたしの先の投稿が言葉足らずでしたから補います。

試みに、該当番組を三つに分解して考えます。一つは番組制作者、二つは「興味本位の趣味」の骨董好き、三つはプロの鑑定者。行妙師は、わたしを趣味の骨董好きといったわけではありません。

「これこそ、本物であると信じて価値を見いだしている」素人が、彫刻本尊信仰圏の人々である。しかし、こんなものが偽物であることは、ちょっと、日蓮本尊に目利きであれば、誰しもわかること、そんなプロの目から見れば一目瞭然のことに、素人相手にいつまでも時間を割いているのはもったいないという意味でしょう。興味本位であるという批判では決してありません。

彰往考来さんは、「自分の人生を、命をかけてやっているものなのです。生半可なものではありません」と記しています。それはたしかにそうでしょう。しかし、命をかけているのは彰往考来さんだけではないでしょう。天台五時教判がでたらめであり、かつ、『法華経』を含む経典が後世の創作物であると証明した近代科学の成果を出してきた人々もまた命がけでした。

彰往考来さんは、命がけでなにを証明しようとしているのでしょうか。また、そこで講じる鑑別の技法は「お宝探偵団」に出る鑑定者となにか違いますか。また、こうした鑑定士を批判しますか。行明師がいうのは、それが本物であるかどうか・事実であるかどうかもちゃんと調べもせずに人に勧めてきた僧侶と信者を「お宝探偵団」に出る素人骨董趣味の人々に充ててのことです。その意味で行明師と彰往考来さんの言い分は、同じようなことであるとわたしには映じます。

ただ、そこからさらに一般的な見識に立つとき、先に引用した「和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につくのだと信じている」ような信仰は、しかし、お宝探偵団に出る偽物を高価であると信じ込み、もしくは信じ込まされて、骨董好きとなんら大差なく映じるということでしょう。

いまの日本は創価学会のひどい影響下にあります。わたしの親は創価学会のために億に届く散財をしました。いまや、ガソリンはついに170円を超えたましたが、まだ、高騰するでしょう。暫定税率を新たに設定されたことは生活の逼迫に拍車をかけました。こうした決定権を行使したのは、自民党と公明党であり、ひいてはそこに投票した創価学会員も、その責務を負っています。こうした国政を動かす程の会員を創価学会が集めたその基には「日蓮正宗」と「本門戒壇の大御本尊」がありました。ですから、わたしは、こうした悲劇が繰り返されないために、彫刻の真偽をしっかりと論じておく必要があると考え、いままで発表してきました。彰往考来さんが資料収集に充てたお金と時間に勝るとも劣らないものを失ってまでなしたことです。

しかし、海外の被災地を、危険も顧みず、巡礼して歩く行明師からすれば、富士門下の“被害者”は、世界の懊悩する人々からすれば、それでもごく少数であると映じるのでしょう。だから、こんな狭隘な場所でいつまでも素人相手にやっているより、「もっと、ほかにやることがある」という視点から、上述の発言が出たということでした。

この際ですから、一つ、彰往考来さんに質問させていただきます。
彰往考来さんは、その生半可ではない命がけの研究で、では、いったい、何を証しようとしているのですか。それを証して、どうされようと考えてのことですか。

この質問を、富士門下のお宝行脚と、研究に当たっているすべての人に問いたい気持ちがあります。『開目抄』に「智者に我義やぶられずば用じとなり 其外の大難 風の前の塵なるべし」というも、近代科学は、日蓮と日蓮が基礎にした天台学、さらに信を立てた『法華経』を、その真偽を明らかにしてしまいました。日蓮の教学はすでに破綻しました。まさに智者に日蓮義は破られました。それが現代です。その前提で、日蓮の漫荼羅や、さらに日興正嫡から彼の本尊を、こうした信念体系下から一歩も出ず、研究することに何の意味があるのでしょうか。

わたしは本尊研究は、信仰視点ではあり得ず、批判的合理精神、科学に基づく解体と、信者の心理分析を主眼とするほかないと思えます。

まずは、行明師への誤解を解きいただき、気が向いたら、上述のご質問にお応えいただければ、参考にさせていただく所存です。

930犀角独歩:2008/06/05(木) 23:15:25

一字三礼さん

ここのテーマは「現代人が納得できる日蓮教学」です。その線に沿った議論です。
ちょっと、テーマから外れているように思いますが。

931偶ロム偶ログ:2008/06/06(金) 15:27:17
私は、一字三礼さんの意見は、それほどテーマからそれているとは感じません。

>極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張

では、たしかに誰もが納得できるような日蓮教学などできるはづもありません。
しかし、日蓮正宗系信仰圈にある各団体では、
疑問→不審・不信→謗法・退転→邪義→堕地獄
というプロセスを徹底して刷り込むわけです。

それに対して、こちらで真剣に議論をされている方たちは、
「確かな資料を基に、学的な姿勢を崩さずに、論証を試み」
ておられます、
その検証の過程においても、また様々な問題点が新たに見えてもくるわけです。

たしかに、現代の学問的諸成果を勘案しその立場に拠るとしたら、宗学・教学にとどまらず、日蓮信仰・法華信仰・仏教、ひいては宗教そのものも「虚構幻想」であるという捉え方があっても不思議ではありません。
たとえば、歴史上実在した釈尊(またはイエスでも誰でもいいですが)が残した言葉・教えだけが仏教(キリスト教でもなんでもいいです)である、という意見もあります。
これに対して、確実と断定できる言説はない、という意見もあります。
他に、伝承を含めて正統派の主張は認める、正統派の主張の一部は認める、正統派を一切認めない、など様々な意見や立場もあるわけです。

私は「現代人が納得できる日蓮教学」という場合には、とりあえずは、日蓮の言説及び日蓮が依拠したところの法華信仰のカテゴリー内で考察を加えていくということで良いのではないかと考えます。
もちろんそうした議論の中から、「現代人が納得できる日蓮教学など皆無である」という意見が出てくる場合もあるでしょうが、逆の見解がでてくることもありえるわけです。

蛇足になりますが、「お宝鑑定団」は、依頼する側も鑑定する側も、ある種の経済がらみでの行為です。
こちらでの議論は、直截に自身の経済行為に結びつくようなことを目的としているわけではありませんから、「お宝鑑定団」とは全く異なりますね。

932犀角独歩:2008/06/07(土) 09:11:11

> 「現代人が納得できる日蓮教学」という場合には、とりあえずは、日蓮の言説及び日蓮が依拠したところの法華信仰のカテゴリー内で考察を加えていく

うーん、どうでしょうか。
こちらのテーマの議論は、経典は仏陀が説いたもの、法華経はその最勝で無謬、天台教説は無謬、日蓮の御立法門は無謬といった前提で、「仏意仏勅を受けた唯一絶対に正しい」とされてきた‘日蓮教学’はしかし、経典は仏陀の説いたものではない、法華経は後世の創作、よって、天台教学も、日蓮教学も、その最勝の前提の崩壊したうえに立つものだから、無謬とはいえない、それでも、なにか日蓮教学で現代に通用するものがあるかどうかという議論です。
ですから、「日蓮の言説及び日蓮が依拠したところの法華信仰のカテゴリー内で考察」しようとするものではないと思います。

> 「お宝鑑定団」は、依頼する側も鑑定する側も、ある種の経済がらみでの行為…こちらでの議論は、直截に自身の経済行為に結びつく…わけではありません…全く異なります

たしかに、こちらの議論は経済に結びついていません。しかし、「本門戒壇の大御本尊」という彫刻は、戦後、50年で、創価学会を日本最大の宗教団体に一説に拠れば、5兆円資産を形成させました。そして、公明党を与党にして、日本の政財界を凌駕しています。また、石山ではこの彫刻の開帳料をとっているわけで、この集団の中心的な収入源になっています。この彫刻、「経済がらみ」でないですか。
ただ、わたしを含めて、その彫刻の真偽を問うものは、経済がらみではありませんが、元より、こんなものが本物であるわけがないと考えている人からすれば、学会を含む石山圏の真偽論は、あたかも「お宝鑑定団」のように映じるというわけです。わたしは、そうした外部の視点や、意見に真摯に耳を傾けるといった話です。単に言下に否定するより、何故、外からはそう見えるのかといった議論に発展するほうが意義があると考えます。もはや「お宝鑑定団」と映じてしまった人に「いや、違う」といってもあまり効果がありません。主張の方法を変えるほうが発展的な議論と理解を深めると考えるからです。

ただし、そもそも本尊の真偽を問うことは不敬、謗法だという信仰者から「お宝鑑定団」だと非難される謂われはありません。

もう一点、わたしが一字三礼さんに意見をしたのには二つ理由があります。

一つ。「人が何に価値を見出し、何を探究するかは、他人がとやかくいうことではありません。」といった投稿は議論を打ち切ってしまうからです。

一つ。「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者と、確かな資料を基に、論証を試みる学的な姿勢を崩さない人達とでは、まったく違います」という発言は、そもそも主語がありません。いったい、誰のことを言っているのかを記さなければ、議論にも反論にならないでしょう。他で投稿した宗麟と名乗る人もそうですが、具体的に相手を特定せず、非難だけを記すような投稿の仕方は、わたしのルール違反だと考えます。

殊に一字三礼さんの投稿の直前は‘彰往考来さんとわたし’、彰往考来さんはまた、‘行明師とわたし’の関連で述べたことを記したわけですね。読む人によっては、「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける」犀角独歩、「確かな資料を基に、論証を試みる学的な姿勢を崩さない」彰往考来さん、もしくは「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける」中村行明師、「確かな資料を基に、論証を試みる学的な姿勢を崩さない」犀角独歩 …後者の比較と思う人は希でしょう… という意味で記した投稿と思う方もいるでしょうね。

名指しで「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張」と非難すれば、こちらの投稿規定に違反しますが、主語がなければ抵触しません。この手の投稿の仕方にはわたしは異議があります。

934犀角独歩:2008/06/07(土) 14:48:29

○一字三礼さん

> 自分とは違う視点・考え方を否定するようなことはするべきではありません

ならば、あなたと違うわたしの視点・考え方も否定しないでください。
また、わたしは自分の考え方と違う方を否定しているのではなく、違いがあるから、その点について、ご意見を彰往考来さんに問いかけたのに過ぎません。これは否定ではありませんよ。議論の願い出です。


○管理人さん

一つ。933にわたしの投稿が投稿規約に違反するとのことですが、ジャッジをお願いいたします。

一つ。「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者」はわたしを指すのだそうですが、こうした投稿は、こちらの規約に違反しないのでしょうか。

以上、2点、よろしくお願いいたします。

936犀角独歩:2008/06/07(土) 16:20:41

管理人さん

該当の記述が特定団体の攻撃に当たりますか?
そうすると、こちらで議論されてきたほとんどは、これに該当することになりませんか。「創価学会の功罪を考える」「顕正会の実態を検証する」といったスレッドほか随所で、わたしが今回なしたような投稿はいくらでも散見できます。攻撃と事実記述はどこで分かれますか。わたしはプロパガンダの意思はなく、単に事実を記述したという認識です。

殊に一字三礼さんが、わたしをして反復投稿であるといった「法華経が創作」という表現について、ご本人自らが『法華経について』で、以下のように記しています。

「独歩さんが思想信条から‘創作’という表現をお使いになるのであれば、それは私の関知するところではありません。」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1030610752/172

以上のような記述をしながら、反復投稿であると詰ることは前言と矛盾を来しています。。

また、「法華経が創作」という表現は、該当スレッドが立った2002年から、わたしのみならず、複数の投稿者が繰り返し記してきたことです。また、当時から、一字三礼さん本人、この議論に参加していますよ。スレッドの過去の投稿をご確認ください。

以上の前提から、再度確認します。

> 「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者」

「③掲示板参加者に対する、一方的な個人攻撃は慎んでください。」
とあります。

「偏狭な知識」「独断と偏見」「…者」といった表現は、投稿規約に抵触すると思われる投稿をすれば、こうした個人攻撃は許されるのですか。

では、わたしが一字三礼さんに「あなたこそ、法華経を創作でないと極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者」と言い返しても、よいことになりますか。もちろん、わたしはそのようなことを言うつもりはありませんが。

「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止」

には当たらないわけでしょうか。
一字三礼さんとわたしの間には一連の議論などありません。一方的な侮蔑を受けたという認識です。一連の議論とは彰往考来さん・偶ロム偶ログさんとわたしの間のことです。この議論を打ち切らなければいけませんか。ならば、その理由も併記願いたく希望します。

再度、回答をお願いいたします。

937管理者:2008/06/07(土) 17:36:52

犀角独歩さん

諍いを生まない為のルールが、却って争いを助長している様相は、当掲示板の主旨に最も馴染まない事では有りませんか。

これ以上の議論は不毛の対立を生むだけだと管理者は考えます。当然、ご納得戴けないかも知れませんが、しばらく休止するしかないと思いますが・・・

938渡邊:2008/06/07(土) 18:03:10
はじめまして

私はこちらを2年前くらいから見させていただいている真言宗の古ぼけたお寺の檀家総代です。


犀角独歩さん。はじめまして。

水を差すようなご質問で大変恐縮なのですが、一字三礼さんのご質問にもありましたが


>「『法華経』を含む経典が後世の創作物であると証明した近代科学の成果を出してきた人々もまた命がけでした。」ということですが、そのような視点で大乗経典を研究している人を私は知りませんし、しかも‘命がけ’で研究した人がいるというのは初耳です。

質問します。
まず、この‘命がけ’で研究した学者の名前とその研究成果をお示しください。


と、言う問いに大変驚いているのですが、すべて過去の創作だったとどのような資料を読めばわかるのでしょうか。


何かカルチャーショックを受けてしまいました。

もし面倒であれば「この辺を読め」と教えていただければ幸いです

どうかよろしくお願いいたします

そして、管理人様が困っているように見受けられます

いちロム者からも収束されますよう余計なお世話でしょうがお気遣いは必要に思います。

939マターリ:2008/06/07(土) 18:35:57
>一字三礼さん、「法華経は後世の創作」ということに関してですが、
一字三礼さんも、「二次創作」とお認めになっていますよね。

私は、法華経全篇を読んでみましたが、やはり最古の仏経典スッタニ
パータと比較して、差が激し過ぎると思いました。また、法華経寿量
品の「久遠実成の仏」という観点は、法華経だけのものということです。
キリスト教の「永遠の神」という概念が、法華経に取り入れられ「久遠
実成の仏」となったという意見もあります。
また、観世音菩薩は、「マリア信仰」に影響されているということもあり
ます。

法華経は、インド北西部のガンダーラで誕生したとされていますが、
このガンダーラは、今現在の地理でいうと、アフガニスタン・パキスタ
ンのあたりです。東西文明の十字路のようなガンダーラにおいて、西方
の宗教、つまりユダヤ教・キリスト教・ゾロアスター教などの強い影響
を受けたと思われます。

大乗仏経典の中でも、特異な経典である法華経は、やはり「創作」という
面が非常に強いと思われます。
法華経の「創作」に関しての議論は、法華経スレッドで、継続していただ
きたいと思います。

>犀角独歩さんの今回の主張は、一方的な特定組織攻撃・・・

私は、大石系教団の組織で悩む多くの人々に対して、犀角独歩さんが、
悩みの根源であるタブーを打ち破り、悩みから救うという強い意思で
発言されているのだと思います。

ただ攻撃しているだけではなく、そのバックに「宗教で苦しむ人々を何
とか救済しよう、」という、慈悲の力を感じます。

940天蓋真鏡:2008/06/07(土) 19:52:33
誰が遣るかでは無くて 何を遣るか

941顕正居士:2008/06/07(土) 20:09:45
お宝鑑定について:寺宝信仰は各宗寺院に見られますが、大石寺の場合は教義の中心にまでなっており
きわめて異様です。大石寺信仰圏には礼拝物自体にマナ(呪力)があるかのような理解が見受けられる。
それであれはニセモノだがこれはホンモノである。実は本因妙大本尊であるとか。一見は宗史の議論に
見えても、ホンモノがあるから妙本寺が素晴らしい類いの傾向を独歩さんは指摘しておられるのではと
おもいます。
ところで日蓮諸派の寺宝などいたってローカルなものであり、その鑑定などいかほどの意義があるのか
ですが、個人の趣味に属する事柄は特にそのような社会的意義を求めている訳ではない。かつ思想史を
論ずる上では史料の発見と批判がまず必要であり、これらは古物、古文書のマニアの方でないと持続が
困難です。日蓮学には比較的重要な遺文の真偽問題、口伝書の成立過程など新史料の発見が期待される
分野があります。
独歩さんの批判について:この掲示板では大石寺の戒壇本尊については十分議論されていますし、寺宝
を教義の中心に置くような宗派は皆無であるから、根拠がなく特定教団を批判したものとは思いません。
ただし、だからけしからないという批判は少なくとも効果があまり期待できない。なぜこのこのような
異様な信仰形態が生じたのかという観点からの議論が有益だろうと考えます。

942顕正居士:2008/06/07(土) 20:48:57
「創作」について:議論しましたようにこの語は個人の作品に使用するのになじむのではないか。
富永謙斎は「加上」という語を使った。つまり仏陀の直説から阿含の経が加上されて出来、また
それらに加上して大乗の経が出来たと。「思想の発展」というような意味でもあります。
独歩さんのおっしゃりたいニュアンスは「フィクション」であろうかとおもいます。ただしその
意味では阿含の経もほとんどフィクションですが。宇宙大のスケールではないだけで。

五時八教について:肝心の四教、八教を知らず五時の中のそれも通の五時のみを知って天台教判
が無意義であるかのように誤解する傾向があります。通の五時の重視は智旭が批判したように
高麗諦観の説と考えられています。今日各種漢訳大蔵経は依然天台教判によって分類しています。
また一切経金口は当時のやむを得ない約束であり、現代人の一部が信じているようなあり方で
漢訳仏教の先哲が信じていたわけではない。経がいつ結集され、いつ文字に記され、どの部派が
伝持し、大乗経がいつ世にあらわれたかを知っておりますから。

943顕正居士:2008/06/07(土) 20:58:22
上は × 通の五時 ○ 別の五時 です。

通の五時とは特に五部の教に説時はないという意味。
別の五時とは鈍根の声聞の一類に対してのみ順序がある意味。

944犀角独歩:2008/06/07(土) 23:14:55

○937 管理者さん

まるで応えておられませんね。
争いということですが、わたしがいつ争いましたか。

「彰往考来さんは、その生半可ではない命がけの研究で、では、いったい、何を証しようとしているのですか。それを証して、どうされようと考えてのことですか」という問いのどこが争いでしょうか。「気が向いたら、上述のご質問にお応えいただければ、参考にさせていただく所存」と記しました。これが争いですか。また、これに彰往考来さん自身は応じなかったわけですから議論の休止も何も、もとよりありません。

そこに議論をしていたわけでもない一字三礼さんが割りいって「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者」と断定的な侮辱をすることは一方的なことです。

休止というのであれば、929、933の削除を求めます。
また、一字三礼さんには、撤回と謝罪を求めます。


○938 渡邊さん

はじめまして。ご質問は、管理人さんから「休止」を求められている該当部分ですので、お応えしないこととします。
ただし、この部分のわたしの発言はややフライングがあり、休止を説かれて暁には弁明、乃至、修正を行う所存です。

> 過去の創作だったとどのような資料

まずは『法華経について』をお読みになってみては如何でしょうか。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1030610752/


○939 マターリさん

有り難うございます。法華経に関するご所感、賛同します。


○941、2 顕正居士さん

補完有り難うございます。
五時に関するご教示、殊に御礼申し上げます。

「創作」ということについては、上にも挙げた『法華経について』で2002年以来、複数の投稿者によって記述されてきたことでした。いわば、その先行議論をわたしは踏襲しました。2002年以来150程の投稿で30回近くも使用されてきました。顕正居士さんも154に「大乗経典が創作」と記されておられますね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1030610752/154

ただし、「「創作」について:議論しましたようにこの語は個人の作品に使用するのになじむのではないか」というご見解は参考になりました。

「異様な信仰形態が生じたのかという観点からの議論が有益」というご指摘は、まことにもって仰るとおりであると考えます。

945顕正居士:2008/06/08(日) 00:02:30
>顕正居士さんも154に「大乗経典が創作」と記されておられますね。

わたしもこの議論があるまで特に意識しておりませんでした。大乗経は釈尊を隔たること数百年、
内容は多くドラマ形式の文芸作品なので「創作」といってもよいかと思っておりました。
ただしこの語は個人でなくてもあるグループがなんらか明確な意図をもって一気に作ったという
印象を与える可能性があることに気がつきました。たとえば「法華教団」の原型のようなものが
先に存在し菩薩派と声聞派の融和を図ろうとして作ったとか。多くの大乗経は長い時間をかけて
増広された、製作者は部派教団に所属する比丘であった、インド仏教の末期にならないと大乗の
学習を中心とする寺院はなかった、分別説三は部派の中の三乗であろうなどから別の表現がよい
と考えるに至りました。

946管理者:2008/06/08(日) 06:05:08

犀角独歩さん

>まるで応えておられませんね。
>争いということですが、わたしがいつ争いましたか。
>休止というのであれば、929、933の削除を求めます。

受け賜わりました。再開の暁に対処いたします。
休止の、今の段階では、管理者は応答、処置は実施しない事とします。

ご参加の皆様

誠に勝手ながら、当スレッドは本日6月8日午前6時より当分の間、管理者の都合により、閉鎖いたします。

管理者に対するご意見や抗議等は、「管理者からのお願い」スレッドにて引き続き請け賜わります。

947管理者:2008/07/18(金) 20:16:16

ご参加の皆様

当スレッドの閉鎖を解除いたしました。これ以後の手順に付きましては、「管理者からのお願い」スレッドをご一読下さいますようお願い申し上げます。

948犀角独歩:2008/07/18(金) 20:51:27

管理者さん

ご采配、有り難うございます。

再開にあたり、いくつか方向性を述べておきたいと思います。

富士門流信徒、就中、大石寺圏において「現代人が納得できる日蓮教学」というのは、わたしは二重の意味を有していると考えます。

まず一重には、「現代人が納得できる大石寺が言う日蓮教学」ということであり、これは殊に日寛が彫刻本尊を一大秘法とすることによって成り立っている教学です。つまり、ここでは、この彫刻の真偽は避けて通れない問題です。つまり、教学を論じる前提の本尊が偽物であれば、その後の教学批正など、まったく不必要です。偽物を肯定するための虚構など、不用だからです。

この場合、では、その彫刻を写したという本尊、また、印刷物を拝むことを、現代人の常識は受け入れるのかという問題が生じます。この問いはしかし、大石寺本尊を拝むすべての人々への問いかけです。「信仰は各人の自由」ですから、鰯の頭でも拝むのは自由です。しかし、本当にそれで、彫刻本尊が偽物であることを知り、さらにこの書写物を拝んできてしまった“私自身”は納得できるのか。これに対する確たる答えを議論をしようというのが、わたしの問いかけの一つです。

二重の意味としては、文字どおり、「現代人が納得できる日蓮教学」ということです。たとえば、「『法華経』が釈尊が説いたものではないと言えるのか」と一般人に問うたところで、返ってくる答えは決まっています。「では、釈尊が説いた証拠を示してください」でしょう。こうした問いに対して、「『法華経』を釈尊が説いてない証拠を示せ」と噛み付き返したところで、「そんな信仰、御免被る」と言われるのが関の山です。
日蓮の教学は広宣流布を標榜したものですから、布教に特命があります。その布教は、「信じないことは悪いことだ」といった独善に基づくのではなく、精緻な思惟と教学の組み立てによってなされたものでした。しかしながら、その土台は「法華経は釈尊最期八箇年の最勝の説」ということでした。この点が瓦解すれば、その上に建つ建物=教学・本尊も瓦解せざるを得ません。

現行の学問的成果は、日蓮教学を土台から揺さぶるものであることは否めません。
この点について、わたしは心ある日蓮門下の人々と積極的な議論を積み重ねてきました。『法華経』が釈尊の真説であるか否かという点には慎重な姿勢は崩さないものの、真実であるから御利益(功徳)があるということではなく、正しい法を捧持していれば、何を為すべきかという世間と衆生に面を向けた前向きな議論と実践が為されています。
かつて顕正居士さんもお書きになっていたことがありましたが、「もし、いま、日蓮が生きていたら」といった仮説に基づく教義の再構築も真剣に語られています。

「現代人が納得できる日蓮教学」というもので、残るとすれば、それは現代人が納得できる捧持者の“人間性”と“社会性”を土台にしたものではないのか、そして、その人間性と社会性を生み出す力が日蓮の精神、ひいては『法華経』の精神から汲み取れるのかどうかといった議論を、ここでなせないものかという底意をもって臨んでいました。

残念ながら、上述二重の意義において、現段階ではまったく成果を得ていません。
以上の点を踏まえて、再開いただいたこちらで、明日以降、議論をさせていただきたいと希望します。

949犀角独歩:2008/07/19(土) 09:32:07

渡邊さん

再開しましたので、まず、938のご質問の件から。

928に「『法華経』を含む経典が後世の創作物であると証明した近代科学の成果を出してきた人々もまた命がけでした」と、わたしが記した文章は言葉足らずであり、たしかに誤解を招きかねないものでした。

わたしが記したかったことは、後世の創作であるという説を立てたことが命がけであったということではありません。それまで、釈尊50年の説法と信じられてきたものが、実は、数百年、時には千年単位の時間を経て形成されたものであったことを証明するための物的証拠を集めた人々は、命がけであったろうということでした。

たとえば、南条文雄は19世紀に渡英したわけですが、当時の海外旅行は、数々の困難と危険を伴ったことでしょうし、また、その前提となる発掘その他に従事した人々が超えた困難もまた命がけといってよいことであったろうほどの意味でした。

ただし、誤解を招きやすいうえ、特に挙証義務を果たしたものではないので、ここにこの文章を取り下げることといたします。

ご指摘、有り難うございました。

950犀角独歩:2008/07/19(土) 10:01:26

以前の議論については、941・942に顕正居士さんが整理してくださりましたので、御礼を申し上げると共に、茲に繰り返さないことといたします。

ただし、再開しましたので、以下の点に就き、もう少し具体的にご教示いただければ有り難く存じます。

942に「一切経金口は当時のやむを得ない約束であり、現代人の一部が信じているようなあり方で漢訳仏教の先哲が信じていたわけではない。経がいつ結集され、いつ文字に記され、どの部派が伝持し、大乗経がいつ世にあらわれたかを知っておりますから」

ここでいう「先哲」とは、具体的に誰を指してのことでしょうか。

例えば灌頂述玄七では

T33n1716_p0765c20(01)║如恒河沙阿[門@(人/(人*人))]婆偈。今佛靈山八年説法。

といい、法華経を釈尊が最期8年に説いたものであるといっています。
この点は日蓮はさらに顕著で『一代五時鶏図』に

「華厳三七日・阿含十二年・方等般若三十年・已上四十二年…涅槃経[一日一夜]」(定2337)

などといいます。これは、富士門下の言や考えではなく、日蓮その人の真筆に遺るところです。

こうした説は、天台の学僧であった日蓮は、当然のこととして叡山等での修学を踏襲したものでしょう。ここに記されることは釈尊の説法を50年とし、その説時を分類したものです。元より、「富士門系教学の徒の五時判の誤認」などではありません。日蓮その人の言です。

こうした日蓮の有様もまた、「一切経金口は当時のやむを得ない約束…信じていたわけではない」のでしょうか。また、こうした50年説法の分類は、ただ富士門下のみで信じられていたことでしょうか。そんなはずはありません。日蓮門下全体で信じられてきたことでしょうし、叡山を頂点とする教学で信じられてきたことではないでしょうか。

こうした分類は「歴史の」ではなく、釈尊説法50年という「一代の」ことであり、実際に釈尊がこのように説いていないことは明白なので、わたしは「でたらめ」と記しました。

しかし、実際は「先哲」は知っていたが、やむなく、そう書いたのであれば、それは「誰が」であるかをご教示いただきたいのです。

また、「どの部派が伝持し、大乗経がいつ世にあらわれたかを知って」いたということですが、では、『法華経』はどの部派が伝持し、いつ世に現れたかも明確になっているということでしょうか。ならば、この点も具体的な部派名と、その時期をご教示いただけませんでしょうか。

951犀角独歩:2008/07/19(土) 16:25:07

問答名人さん

以下、mixi に書いたわたしの日記です。こちらのテーマと関係があるので、転載しました。厚かましいのですが、ご感想を頂戴できませんでしょうか。

*** 以下、mixiのわたしの日記から ***

臍から声と煙が…?

わたしが学生であった頃…ある時、大学の「第三文明研究会」、要は創価学会の部室にいると、青白い顔をした学生が、一人でやって来た。その対応を何故わたしがしたのかは覚えていないが、彼は部屋をノックして、入ってくると、「僕の親方様は…」と話し出した。
「…親方様は、寝たきり老人なのです。植物人間状態で意識もありません」
現行、「植物人間」という言葉は不適切な気はするが30年前の記憶。いまはそのまま記す。
「寝たきりで意識もないのですが、『この世はもうすぐ終わりになる』と仰ります」
「はあ? だって、意識がないんでしょう?」
「ええ、ありません」
「じゃあ、話せないじゃないですか」
わたしは[テレパシーだ]なんだと言い出すのか思った。ところが、せっぱ詰まった顔で、彼は、こう言い出した。
「親方様は、臍で話すんです」
「ヘソ?」
「ええ、臍から声を出して、お告げをされます」
「へえ、そう」と詰まらぬだじゃれの一つも言おうと思ったが、あまりに真剣なので、冗談も言えない。まして、学内でもっとも派手に「折伏」という名の勧誘を行っている創価学会の部室である。「飛んで火に入る夏の虫」という言葉があるが、少し知っている人間であれば、避けて通る場所だ。そこに宗教の話をしに乗り込んできたのだ。呆気にとられた。彼は勝手に話し続けた。
「みんなが信じないと『この世が終わってしまう』と親方様が仰るんですよ」
「だって、ヘソでしょうが」
「臍です。そうですよ、すごいでしょう。臍で話せるんですよ。ね!」
顔は鬼気迫ってきた。
「こうして、親方様のことをみんなに伝えないと世が滅びてしまうんです。信じてくださいよ」
[おいおい、ここはこっちが折伏する場所なんだぞ]という言葉が喉まで出かかったが、もはや、バカバカしくなってきた。どうでもよくなっていたが、訊いてみた。
「世の中が滅びるわけ?」
「そうですよ! 滅んじゃうんです」
泣きそうな顔だった。
「あのぉ、具体的にどんなふうに滅びるわけかな」
第三次世界大戦、核兵器最終戦争が起こるという危機感は、誰しも懐いていた。そんなことを言い出すと思った。ところが…
「親方様の臍から真っ黒な煙が出るんです」
「け、けむり?」
「煙です。煙。臍から煙が出て、その煙が世界を覆ってしまうんです」
「はい?」
「それでですね、その煙が晴れたとき、信じていた人だけが救われるんです。たいへんなことでしょう。ねえ、だから、一緒に信じましょうよ。ね」
望まぬ訪問者は蹴り出すとか、塩をまくとかいうが、もはや、脱力感で、怒りも、笑いも出なかった。慇懃に挨拶をし、お引き取り願ったものだった。「臍から煙が出て、世の中が滅んじゃうんですよ」と、部屋を出るとき、また、彼は繰り返した。
この宗教が何であったのか、いまだにわからない。当時、「創価学会は最高の宗教で、科学と矛盾しない唯一の宗教」と信じ込んでいた自分にとって、「何とも可哀想な非科学的な奴」と同情の念を抱いたものだった。

しかし、創価学会も、「日蓮正宗」も、やめて15年以上も過ぎた今の自分からすると、このいわば「おヘソ教」と自分の信仰が、どれほど、違ったものかと問われれば、「さした差はない」と応えざるを得ない。
『富士門流信徒の掲示板』でも引用したが、『マインド・コントロールの恐怖」のなかでハッサン師は
「このカルトの会員は、和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につくのだと信じている」とNSA、つまり、いまのSGIのことを書いていた。
これがさらに大石寺になると、所謂「本門戒壇の大御本尊」は「生身の日蓮大聖人」であるといい、トーンダウンした創価学会を含めて、昔から、他の宗教を「邪宗」と詰り、「邪宗撲滅」を叫んできた。
木に題目や諸尊の名を刻んだ彫刻を「偽物である」というと「罰が当たる」とか、「地獄に堕ちる」にはじまり、ついには「先生に逆らうと、罰が当たる」という。この信仰圏で信じられることが、先の「おへそ教」と、では、どれほど、違うのだろうか。こう記すと「揶揄・嘲笑」と受け取られるのだろうか。わたしは、自分の過去を振り返って、揶揄でも、嘲笑でもなく、自分が信じていたものが、世間一般からすれば、どう見えるのかを本気で考えてみたいだけなのだ。

952問答迷人:2008/07/19(土) 17:46:24

犀角独歩さん

感想と言う事なので、ぼやっとしたお話になりますが書いて見ます。

>『マインド・コントロールの恐怖」のなかでハッサン師は「このカルトの会員は、和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につくのだと信じている」とNSA、つまり、いまのSGIのことを書いていた。

このハッサン氏の表現は、実に正確に日蓮曼陀羅信仰の本質を捉えていると思います。

板本尊や池田本仏はまだ底が浅く判りやすいですが、この日蓮曼陀羅信仰は実に奥が深いと思います。ちなみに、僕はこの日蓮曼陀羅信仰を今日も続けています。

信仰というものはみんな、鰯の頭にしろ、臍の煙にしろ、荒唐無稽な要素が色濃く覆っていますね。人間が何か神秘的な物を信じなくては居られないから、このような荒唐無稽な信仰が生まれてくるのだろうと思っています。信仰はいつの時代もなくならないのではないかと。

問題は、この日蓮曼陀羅信仰を現代人が納得できるか、という事ですが、現代人の端くれである僕という人間が、この信仰を受容しているのは事実ですから、何らかの形で現代人を納得させる可能性を持っているのは動かせないのではないかと思っています。

ちなみに、僕が日蓮曼陀羅信仰を受容しているのは、日蓮という歴史上の人物の体験に対する憧れの要素が有ることは否定できません。

953天蓋真鏡:2008/07/19(土) 18:07:14
犀角独歩さん、問答迷人さん、其れは信じて仰ぐ信仰ですか? 自分の人生に活かす学びて問う学問では無いでしょうか? 人其れぞれ漫荼羅に対する接し方の質量は違うのでは無いかと断じます

954問答迷人:2008/07/19(土) 18:22:40

天蓋真鏡さん

僕が日蓮曼陀羅信仰と呼ぶのは、ハッサン氏の表現の如くです。僕はそのように今日も曼陀羅を拝し「嗚呼有り難い」と深く信じて南無妙法蓮華経とお題目を唱えています。「自分の人生に活かす学びて問う学問」という物ではなく、文字通りの信仰です。

955犀角独歩:2008/07/19(土) 18:54:13

問答名人さん

ご返信有り難うございます。

ハッサン氏が、否定的にとらえた日蓮曼陀羅信仰を、むしろ、肯定的にとらえ、継続しているというお考えであると拝して宜しいでしょうか。

わたし自身、中学1年から、石山の勤行をはじめ、いまも、気が向けば、日蓮宗寺院の朝勤に参詣したりします。最近の気分としては、発声と禅定による健康法のような気分ですが、しかし、唱えのなかでは、今は亡き父母を思います。
数年前、京都本願寺の朝のお勤めに出る機会があったのですが、日蓮門下とはまた違った魅力がありました。いまは、他宗の話は、取り敢えず、置くとして、もう少しお聞かせ願えますか。

> 日蓮曼陀羅信仰は実に奥が深い

わたしはかなり否定的な意見も多く書いてきました。しかし、実際のところ、いくら否定しても否定しきれない人間の情念といったものは比定できません。
“現代人である”問答さんをして納得させる、奥深さを、信仰的経験の側面から、少しばかりご教示いただけませんでしょうか。


天蓋真鏡さん

> 自分の人生に活かす学びて問う学問

問答さんとまた違ったお考えですね。わたしは、信仰とも学問とも思わず、仏道は実践道といった考えです。

956問答迷人:2008/07/19(土) 19:52:03

犀角独歩さん

>ハッサン氏が、否定的にとらえた日蓮曼陀羅信仰を、むしろ、肯定的にとらえ、継続している

その通りです。

>“現代人である”問答さんをして納得させる、奥深さを、信仰的経験の側面から、

何よりも僕が曼陀羅信仰に拘るのは、日蓮聖人が信仰の対象として残した物が、釈尊の木像と紙幅曼陀羅だからです。そして、それらの内、門下の在家には曼陀羅しか残されていません。

曼陀羅とは、日蓮聖人に取って何だったのか、「有供養者福過十号」という賛文が複数の曼陀羅に認められている事から、信仰の対象として信徒に授与されたという意味合いは有ると思います。

日蓮聖人に取って、自ら筆を執って認め、信徒に授与した曼陀羅とは、一体、何だったのか。

僕には、日蓮聖人が自身の信仰体験を伝えるための道具立てでは無かったかと思えてなりません。

この事から、僕は、曼陀羅信仰によって日蓮聖人の信仰体験を追体験したい、という思いに駆られます。

日蓮曼陀羅は日蓮聖人の信仰体験世界が現されたものに違いない、思うからです。

お答えになっていますかどうか、不安ですが、取りあえず書いて見ました。

957天蓋真鏡:2008/07/19(土) 19:57:41
問答迷人さん、返レスありがとうございます。 では更にお聞きしたいのですが、信仰が具現化した唱題とはどれだけの人生の質量を伴う事なのでしょうか? 自分は唱題と云うか本尊と云うか、 法の字を見て唱えなさい→雑念が消えるまで唱えなさい→一念三千因果倶時などを経て、最終的には「泥中でもキレイに花を咲かす」に思想哲学と言うか道徳信条と言うか此の考えに仏教は尽きるのでは無いかと想いを巡らしています。

958天蓋真鏡:2008/07/19(土) 20:10:10
犀角独歩さん、返レスありがとうございます。 自分の云う学びて問う学問は実践と不可分で、 問うには実際に行ってしか考えを纏め学びを進める事ができないでしょう。修行の質量にもよります。

959顕正居士:2008/07/19(土) 21:00:17
>>950
曾谷入道殿許御書(文永12年、真蹟中山法華経寺)には以下のように述べます。

「正法一千年の前の五百年には迦葉・阿難・商那和修・末田地・脇比丘等、一向に小乗之薬を以て
衆生の軽病を対治す。四阿含経・十誦・八十誦等の諸律と、相続解脱経等の三蔵とを弘通し、
後には律宗・倶舎宗・成実宗と号する、是れ也。後の五百年には馬鳴菩薩・龍樹菩薩・提婆菩薩・
無著菩薩・天親菩薩等の諸の大論師、初めには諸の小聖の弘めし所の小乗経之を通達し、後には
一々に彼の義を破失し、了りて諸の大乗経を弘通す。是れ又中薬を以て衆生の中病を対治す。
所謂、華厳経・般若経・大日経・深密経等。三論宗・法相宗・真言陀羅尼・禅法等也」

大乗は仏滅500年以後に現れたのであり、馬鳴・龍樹などが開祖であるというわけです。
上は漢訳仏教の共通の理解といえます。先哲とは漢訳経典を研究し、仏教史の大略を把握するに
至った中国仏教の多数の先駆者です。経・律・論の三蔵は各部派がそれぞれ別のものを伝持し、
漢訳には数部派のものが混在します。経・律・論を完備するから三蔵といい、その経を阿含(アーガマ、
伝承聖典)といいます。大乗には経・論しかありませんから、つまり教団としてはインドに存在せず、
またその経なるものは仏教教団が結集したものではなく、伝承聖典ではありません。
では大乗の徒は大乗経の由来をどう弁明したかというと、これは報身仏の説であり、仏弟子(声聞)
には感見できなかったが、法身の大士(架空の菩薩)はアカニダ天などで説法を聴き、竜宮などに
隠しておいた。それを龍樹などが発見したというのがインド以来のおおよその説です。仏滅1000年
以後の密教経典はさらにこれは法身仏の説法とし、やはり隠しておいたのを錬金術で不死となった
龍樹が南天鉄塔から見出したとする。要するに大乗や密教の経典は史実の仏教教団とは無関係
とわかっていたのです。

960顕正居士:2008/07/19(土) 22:03:14
インドには紙もパピルスもなく貝葉などに記録したのですが、気候のせいで数百年経つと
読めなくなってしまいます。数世紀昔はすべて神代、いわゆる歴史のないインドなのです。
したがって数世紀以前の事柄はすべて荒唐無稽な神話の中に覆われれてしまうのです。
対して早くに紙が発明された中国は歴史の世界です。それで仏家はあいまいな仏教の
歴史や釈尊の一生についても中国風の記述をしなければならなっかた。かつ釈迦は老子
がインドに行って仏教を説いたのだという道家の説に対抗する必要があった。周書異記と
いう偽書によって釈尊の年代を数百年繰り上げたのはそのせいです。大乗の経は応身仏、
つまり歴史上の釈尊の説ではありませんが、釈尊なる語に報身仏の意義を含有するとし、
単に釈尊と記して仏伝を記す。そして報身仏の説法に応身仏の50年を配当し、儒家が仏家
・道家の荒唐無稽の説を批判するのに対抗し、あたかも大乗経を歴史上の釈尊が説いたか
のように誤解させようとしたのが諦観四教儀でありましょうか(参照 法華経について 180)。
日蓮はしかもその諦観四教儀の別の五時正意だけを取り出して主張し、四教八教の考察
は皆無に近い。諦観原理主義者とでもいいましょうか。ここで儒家の原理主義(正名思想、
名分主義)+仏教の荒唐無稽な神話という合成が日本で出来上がってしまったのですね。

961問答迷人:2008/07/20(日) 06:36:52

天蓋真鏡さん

>信仰が具現化した唱題とはどれだけの人生の質量を伴う事なのでしょうか?

日蓮聖人が観心本尊抄に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、四大声聞の領解に云く「無上宝聚不求自得」云云、」と述べられていますが、その文字通りに考えています。

要は、人生で味わい、得る事の出来るあらゆる幸が、曼陀羅を信じて南無妙法蓮華経と唱える事で得られる、と。これが「無上宝聚不求自得」「功徳聚」たる所以であると。

962犀角独歩:2008/07/20(日) 07:18:44

問答名人さん

私事恐縮ですが、故母は、長いときは1日4時間も唱題をしていた人でした。
わたし自身、中学1年から朝晩の勤行1日1時間の唱題は欠かしませんでした。正本堂建立は高校時代で、学生時代は、創価学会は「広布第2章」の時期、換言すれば昭和52年度路線のまっただ中でした。当時の創価学会教学は、所謂会長本仏論で「池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり」といったことがまことしやかに囁かれた空気の中で青春時代を過ごしました。

生まれながらの「日蓮正宗創価学会」で、入信から数えれば50年を超え、勤行をはじめてからでも40年を超えています。新参の人々とは格段の時間経過です。人生の大半は、この信仰圏で生きてきましたから、ここで語られることがすべてであり、すべての中心、真実であると思っていたわけです。親戚一の貧乏家、姉は障害者で、ひどい差別と迫害の中を生きていました。その中で、頼りになったのは「日蓮正宗創価学会」だけで、自分を支え、勇気と希望、「生命力」を与えてくれたのは勤行唱題と、組織・活動でした。所謂「信仰体験」の体験発表を言われれば、一晩掛けても語り尽くせないほどあります。

しかし、それでも、わたしは、このスレッドで問うてきたのです。
所謂「本門戒壇の大御本尊」が日禅授与本尊が原本としたものであることにいち早く気が付かれたのは問答さんでした。生まれながらの「日蓮正宗創価学会」であったわたしにとって、この本尊が本物であるとか・偽物であるとかを論じることが事態が謗法であると骨の髄まで思わされてきていました。本尊の写真撮影の厳禁、まして、図形として扱うなどもってほかという操作にまんまとはまっていたわけです。たぶん、こうしたタブーを超える勇気を与えてくれたのは、2000年来の問答さんとの議論であったと思います。そして、わたしはおそるおそる「戒壇本尊」と日禅授与を図形処理し重ねてみました。この中央首題がほぼ重なったときの衝撃は親の死に匹敵するものでした。いや、それ以上であったかも知れません。

ご承知のとおり、わたしの社会活動は既に15年を経過しようとしています。脱会後、わたしが知り合ってきた多くの知識人、そして、脱会とその後を支援してきた人々は、それまで「日蓮正宗創価学会」で占めていた知人の質と根本的に異なっています。40才は、わたしの人生の転機でした。この第二の人生で知り合ってきた多くの人々に接するときに、殊日蓮、殊仏法というときに、いったい、何が語れるのか、いや、何を勧められるのかということが、大きなテーマとなりました。メディアの取材を受けたとき、わたしが脱会後の感想として語ったのは「人間は宗教無しでも生きていける」ということが生まれながらメンバーであったわたしにとって驚きの発見であったということでした。しかし、医学を含む、科学は人間をプラスマイナスゼロの状態にするものの、湯川秀樹博士の名言を待つまでもなく、科学は善でも悪でもありません。これを使う人間によって善にも悪にもなるわけです。つまり、人間の善への進歩は科学に拠ってではなく、宗教、または哲学といった人間の善意を考え発展させる叡智によって培われるものである。つまり、人間はたしかに宗教無しで生きていけるけれど、より自己を高め、そして、進歩させるために宗教はたしかに大きな役割を担っていることに、また、わたしは戻っていったわけです。もちろん、ここでいう宗教は、小田晋師が指摘された宗教団体信仰ではありません。渡部照宏師が日本人の善意を育ててきたのは仏教であったと書きましたが、それはまったくの事実でしょう。アジアで非暴力と慈悲の実践をする人生を与えてきたのも仏教であったでしょう。となれば、仏教は人々の善意を育て、そして、精進させる力を有しているわけです。さすれば、仏教者は自信を持って仏教を人に勧め、人をして精進せしめ、善をもって社会を変えていくことも勧めればよいことになります。たぶん、わたしがまずアンチテーゼとして、掲げてきた天台・日蓮の過誤、経典の創作を論じる殊への反発は、そうした仏教の善い面を無視、冒涜する発言と映じてきたからであったろうと、観察しています。

963犀角独歩:2008/07/20(日) 07:19:17

―962からつづく―

しかし、わたしがこうしたアンチテーゼを論ってきたのには理由があります。
たとえば日本の戦前では、日本を聖天主誕生の聖地と見なし、アジアのみならず、世界の中心聖地として、国立戒壇を建立するために世界最終戦争を辞さないといった錯綜が「日蓮」「仏教」をその当人は善意と思いながら、しかし、他者(アジア・世界)からすれば、悪意と映じる道具となったからでした。また、戦後の創価学会は軍隊の役職名を模して組織を構成し、「邪宗撲滅」「折伏大闘争」「東洋広布」「国立戒壇」建立をいい戦後数十年で日本最大の宗教団体となり、いまや政権与党の支援団体となっています。ここで日々、活動、勤行唱題に明け暮れる人々は「日蓮」「仏教」を当人は善意と思いながら半ば強引勧める人々でした。しかし、他者にとって、これほど、悪意に映じるものはなかったわけです。

わたしは脱会後、自己点検・自己観察をする方途として、他者の視線に立ってみる、それも徹底的に立ってみることに努めました。それは主客両視点に立って、次を考えるために不可欠な作業でした。また、新たに知り合っていった人々会話を交わすために、抗したことは不可欠でもありました。

そして、徹底して「他者」に立って、かつての「自己」、すなわち、仏教、取り分け、法華経の、それも日蓮の、特に、富士門下の人々と対峙してみたわけです。

わたしがやはりと思ったのは、本来、善を目指し、慈悲を標榜する信仰であるのに、ひとたび、自分の信仰に反対することを突きつけられると、悪口雑言、人格攻撃に転ずる人々の存在でした。上述した個人が善意が、なぜ、他者にとって悪意と映じるのか、他者になってみたとき、はっきりと身を以て体験できたわけです。この典型はご承知のとおり、顕正会と浅井さんであり、そして「日蓮正宗」でした。また、こちらの掲示板に投稿され、議論から悪口雑言・人格攻撃を露わにした人々でした。そうでなければ、信仰の意図と違えば、その場を去るかどちらかでした。こうした有様は、他者にとって、その人とその教えが悪であるという印象以外は与えません。たぶん、そんなことは少し考えれば、信仰者とてわかることなのです。しかし、感情の爆発を、なぜ、抑えられないのか。他者は、悪い要素を教え事態が有しているからだと思い、教えとそれを信じる人々から遠ざかります。

こうした過敏反応が、日蓮、法華、殊にここ富士門下の“実態”です。しかし、問答さんは、今に至る8年間、いつも変わらず、徹底して、この他者に接してこられた。わたしが深い尊敬の念を抱くのは、そのためです。また、そう接してくださるが故に、このスレッドでの議論は成り立っています。

以上の次第ですから、わたしは、いましばらく「他者」の視点でいくつか問いかけさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。

964犀角独歩:2008/07/20(日) 07:20:45

顕正居士さん

詳細なご教示、有り難うございます。

ご引用の筋は、日蓮の教説で言えば、教機時国序の‘序’、教法流布の先後、いわば歴史観ですね。わたしが先に挙げたのは書名が示すとおり一代記でした。日蓮は、この点を分けて立てていますが、こうして上げていただき、気づくことは、一代記は序(教法流布先後:歴史観)に置換されていること、そうなると近代仏教学と、ある程度の親和性を有していることがわかりました。

ここのところの議論では、『法華経』は部派の、それも比丘が記したものであるというのが近代の法華経学の説明であるということでした。しかしながら、

> 仏教教団が結集したものではなく、伝承聖典ではありません。

と記されてお出でです。となると、いったい、どこで、誰が、という点は、やはり、未だ解明されていないと判断してよろしいのでしょうか。

965問答迷人:2008/07/20(日) 08:21:37

犀角独歩さん

>たぶん、わたしがまずアンチテーゼとして、掲げてきた天台・日蓮の過誤、経典の創作を論じる殊への反発は、そうした仏教の善い面を無視、冒涜する発言と映じてきたからであったろうと、観察しています。

なるほど。そのような心理が働いて、激しく独歩さんに噛み付いた人々を多数出入り禁止にしてきたのは、他ならぬ管理者でした。これは、独歩さんを擁護しようとしたから、と思われがちですが、本当は、富士門信仰を俎上に乗せ、議論する場所を確保しなくてはならない、という使命感がそうさせたのだろうと思います。

顕正居士さんのお説によれば、富士門信仰を議論できる場所は、どうやらもう、ここしかないようなので、なおさら議論の場所を確保し続ける事の重要性を感じます。

そして、当掲示板の立ち上げを勧め、「書き込みルールを決めなくてはならない」と教えて下さった、チョンガーさんにこの場を借りて、再度感謝の意を表したいと存じます。

966問答迷人:2008/07/20(日) 08:22:55

>以上の次第ですから、わたしは、いましばらく「他者」の視点でいくつか問いかけさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。

967顕正居士:2008/07/20(日) 21:16:16
>>964
犀角独歩さん。

大乗の律というものがないのですから、大乗の教団はインドに存在しなかったと
考えられます。しかし大乗経は仏教の学僧によってしか作り得ない内容ですから、
教団の比丘たちが報身仏にことよせて作成したのでしょう。
だいたいインドには作者不詳の膨大な文献がいろいろあります。第五のヴェーダと
称されるプラーナ文献とか。日蓮は龍樹以前にアシュヴァゴーシャ (馬鳴)が大乗の
事実上の開祖であると考えたようですが、この大サンスクリット詩人は仏教教団
(一説によると説一切有部)の比丘でした。龍樹も世親も有部の比丘でありました。
経量中観派と呼ばれるバーヴァヴィヴェー カ(清弁)や大論理学者ディグナーガ(陳那)
などはおそらく経量部(サウトラーンティカ)に所属する比丘であったのでしょう。

968犀角独歩:2008/07/21(月) 10:41:49

☆問答名人さん

有り難うございます。では、続けさせていただきます。

> 曼陀羅信仰によって日蓮聖人の信仰体験を追体験したい

先というのはなかなか見えないことはわかっていますが、それでも、敢えてお尋ねします。この信仰の追体験には、どのようなことが期待できますか。


☆顕正居士さん

重ねてのご教示有り難うございます。
厚かましいのですが、もう一つ、お願いいたします。
保坂俊司著『仏教とヨーガ』のなかに以下のような件があります。

「『リグ・ベーダ』の成立は古く、現在のかたちに編纂されたのは、紀元前1000〜800年ごろとされ、以来、暗誦によって今日までほとんどかわらず伝えられている」(P64)

まったく変化しないべーだの伝承に対して、目まぐるしく仏教経典は、変化していったのは何故なのでしょうか。

969顕正居士:2008/07/21(月) 18:00:03
神話・伝承・正史の類は原型から正典として完成するまで相当な時間がかかるものです。
この間に中間テキストが幾つも介在することがあります。完成してしまえばその後は改変
されません。歴史時代でも新約聖書の成立は紀元後150-225年です(四福音書の著者は
いずれも標題の使徒ではありません)。現代でも『明治天皇紀』は明治100年に刊行開始
されています。歴史の体験は記憶が安定するまで時間がかかります。仏教の聖典も釈尊
の記憶の部分は特に長い時間がかかってはいないと思いますが。仏教の場合、正典には
後世の学僧の論を含みます。パーリ三蔵の確定は後代ですし、大正大蔵経に至っては
大正時代ではありますが。リグ・ベーダはもうその頃に正典として確定してしまったのです。

970犀角独歩:2008/07/21(月) 20:24:59

顕正居士さん

重ね重ねのご教示有り難うございました。
大変に参考になりました。

971問答迷人:2008/07/22(火) 07:50:11

犀角独歩さん

>この信仰の追体験には、どのようなことが期待できますか

日蓮聖人の卓越している点はいくつも有ると思いますが、僕はやはり、その気宇の広大さに圧倒されます。北条氏を「わずかの小島の主」などと平然として言ってのける様は、常人とも思えません。追体験することによって、そのような雄大な世界観を自分の物に出来るのではないか、そんな事を期待していますね。

972犀角独歩:2008/07/22(火) 09:56:38

問答名人さん

「現代人が納得できる」という前提から考えるとき、仰るようなメンタル部分は、やはり、表に立つことになるだろうと思います。日蓮の視線が日本を閻浮のなかの小島に過ぎないとする視点は壮大です。(余談ながら、こうした点からすれば「日本国の諸人にしふし父母」という限定、国立戒壇は齟齬を来します)

創価学会が受容すれば、東洋広布、世界広布(顕正会もこれを模倣して、創価学会の『東洋広布の歌』を歌ったりしています)、戦前の日蓮主義者であれば、聖天主を立てた世界支配と国立戒壇による立正安国の実現といった形で大戦の肯定原理ともなりました。元となる日蓮は、法華誹謗の悪王の国となった日本は、隣国の賢王に治罰されて然るべきであるとしました。

創価学会は昭和末期には1650万人会員を豪語していました。実数はわかりませんが、現勢力は集票力で800万、要活動誌購買会員から類推して250万ほどといわれるます。顕正会や、法華講の人数は少なく問題となりませんが、それら総数が日本の民意のどれほどを占めるか、さらに日蓮門下全般と見なしたとき、どれほどのものであるのか、わたしはそうした確たる統計は知りません。しかしながら、現代の日本人にとって、「日蓮」は、とりわけ、その教えは、どこまで通用するのかを概算することは、あながち意味のないことではありません。つまり、現代の日本人がどれほど納得しているかの指標となるからです。この統計調査は学者に期待します。いまは置きます。

問答さんは「和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につく」信仰の実践者であるとのことですが、わたしは、こうした信仰圏は卒業しました。(もちろん問答さんを否定しているわけではありません)

卒業した立場からすると、こうした信仰形態は、実に奇妙に映じます。渡辺照宏師が、具体名を挙げないまでも、こうした信仰様式を「薬そのものには目もくれず、効能書きを書いた紙を一所懸命に拝んでいるようなもの」といったようなことを書いていました。

不信者の感想とは別に信仰はあるとするのは簡単なのですが、こちらのテーマである「納得」という点は、やってみてはじめて納得があるというほか、説得があってはじめて納得があるという点に布教の意義が見いだせます。

取り分け、日蓮の教えは、大乗を標榜し、広宣流布を目指したものですから「弘教」というテーマと納得は切り離せません。

前置きは長くなりますが、まったく仏教を知らない人で、先に挙げたハッサン師の説明のような感覚でとらえている人に、では、どういった説明であれば、納得させることができると思われますか。

取り敢えず、ハードルを設けて、よくいわれる「やってみなければわからない」はNGとし、ロールプレイングのごとく、回答モデルを示してみていただけませんか。

973問答迷人:2008/07/22(火) 13:03:06

犀角独歩さん

「和紙の巻物の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につく」という日蓮曼陀羅信仰を、他者に勧める勇気は、今の所、持ち合わせていません。先ずは自分がやって見ている段階です。そしてもし,日蓮聖人が指し示した世界を追体験できた時には、何かしら他者に向かって語ることはあるのではないかとは思います。

そして、その時には、日蓮聖人がもし現代に生きていたら、この日蓮曼陀羅信仰をどのように評価するだろうか、という事を、きっと常に念頭に浮かべて語るのだろうと思います。

回答になっていませんが、この点については、この程度でご容赦賜りたく存じます。

974マターリ:2008/07/22(火) 19:12:02
「祈って叶わざるなし」と教えられて、何十年と題目をあげてきました
が、祈りの叶わない事の方が多いですね。冥益という目に見えない功
徳もあるようなので、一概には言えません。しかし、人生の分かれ道
のようなところで、そのたび祈りが叶わず、平均的な人より、劣った
環境にいるのが残念です。

最近は題目をあげる気力が、だんだん無くなってきました。

「あのとき、祈りが叶っていたら」と思うことが多いです。

975犀角独歩:2008/07/23(水) 19:07:52

問答名人さん

有り難うございます。
曼陀羅信仰については、では、いったんこれまでとします。
少し話題を変えてまいりたいと思います。

富士門下、とりわけ、大石寺圏の‘人口’は、近代の創価学会員の増加と相俟って、在家信徒会員の数が凌駕しています。この点は、別段、否定されることではありませんが、しかし、こうした構成比率は、数の多いほうが少数派(僧侶)を軽視することを意味しないのが仏教でした。
しかしながら、大石寺僧侶の腐敗(この表現は投稿規約に違反するのであれば、ご指摘ください)は、在家信徒会員をして、この職業従事者をして幻滅し、僧侶抜きで仏教を考える所謂在家主義が、むしろ主流となっていきました。
しかし、日蓮の真蹟、もしくは写本を追うとき、日蓮の教えは徹底して僧侶中心なのであって、その点をスポイルして考えれば、僧侶である日蓮も、また、この界隈で崇敬の高い日興も、日目も要らなくなります。

「聖僧の恩をば凡僧に報ずべし。とくとく利生をさづけ給へと強盛に申ならば、いかでか祈のかなはざるべき」(祈祷鈔)

「僧の恩をいはゞ仏宝法宝は必僧によて住す。譬ば薪なければ火無く、大地無れば草木生ずべからず。仏法有といへども僧有て習伝へずんば、正法像法二千年過て末法へも伝はるべからず」(四恩鈔)

実際のところ、曼陀羅信仰における法具、曼陀羅は、それが印刷であれ、手書きであれ、寺院僧侶から受け取ったものであり、勤行の様式もまた僧侶の伝えを踏襲したものです。寺院僧侶から離れて勤行唱題修行をすることは、いわば、猿を離れて肝を求めるようなものと映じる側面もあります。

しかし、この界隈で僧侶を離れることでしか、信仰を守れないというジレンマがあることも事実です。

こうした点に就き、問答さんのお考えをお訊きしたいのです。

976問答迷人:2008/07/23(水) 20:11:23

犀角独歩さん

>仏宝法宝は必僧によて住す。

これは仏教伝来の歴史上の事実ですね。日蓮門下に有っても、六老の選定が歴史上の事実であり、しかも僕の、日蓮聖人との出会いが、日興門下の大石寺の信徒となることによって始まった事実は否定できるものではありません。

僧侶不要論を唱えた段階で仏教に似て非なる物と化していると僕は考えています。日蓮大聖人に直結、等と言う教えは、日蓮聖人の真跡遺文には少なくとも見出す事は出来ないと思います。

ただ、僕は、日蓮正宗の末寺に名簿は残っているものの、行方不明者と同じ扱いを受けており、連絡を自ら断った事は一度も有りませんが、一切連絡は来なくなっています。勿論、参詣する意思もありませんので、その方が気楽なのは事実です。まぁ幽霊信徒、と言ったところです。

暫くは、色々な雑音が聞こえてこないこの状態が自分に取って一番好ましいのではないかと思っています。今後については今は白紙です。岐阜市には身延派の末寺も有りますので、そちらに所属換えしてそちらに参詣するかもしれませんし、今まで通りの、幽霊信徒を続けるかもしれません。

まぁ、日蓮正宗が余程変わらない限り、日蓮正宗信徒として信仰する事は二度とないのではなかろうかと思っています。創価学会員さんからも、戻ってこないか、との誘いが有りますが、「残念ながら戻る勇気は持ち合わせていません」と言って丁重にお断りしています。

こんな所でお答えに少しはなっているでしょうか。拙い回答で申し訳有りません。

977犀角独歩:2008/07/24(木) 08:24:44

974 マターリさん

日蓮が在家に教えた唱題は、祈りだったんでしょうかね。
祈りとはもっぱら僧侶がなすことだったように思えます。

それがいつの間にか、在家も祈りはじめる。やがて、僧侶の職分を在家がはじめる。こうして醸造されていったのが、日蓮門下の在家主義につながっていったのだと思います。

石山の全部の坊さんが、ということではないと思いますが、わたしがまだ法華講だった頃、とある坊さん(と書けば誰のことかはすぐわかるかもしれませんが、、取り敢えず、名は伏せます)に「唱題の時には、どう祈ったらいいのでしょうか」と尋ねたことがあります。すると「祈る? 唱題をしながら、どうやって、祈るんだ?」と、とても、不思議そうな顔をされました。ですから、「題目を唱えているときに色々考えるのですが、ちゃんと祈らなければいけないと思うんですが」と再度訊いたわけです。すると「唱題しながら、何かを考える? どうやってだ」と反対に訊かれました。要は、唱題とは無心で行うものであって、唱題しながら、ものを考えたり、祈ったりできないだろうというのが、その趣旨でした。創価学会でいう唱題とはずいぶんと違うものだと驚いたものでした。

978犀角独歩:2008/07/24(木) 08:46:25

問答名人さん

> 僧侶不要論を唱えた段階で仏教に似て非なる物

そうなんですね。わたしもそう思います。だから、僧侶が必要かと問われるとき、少なくとも日蓮はそう考えていたというのが答えであることもわかります。

しかし、もはやちゃんとした僧侶なんかいいないじゃないか、だから自分たち(在家)でやっていく、というのが、創価学会であり、顕正会であるということになりますか。

先のマターリさんへのレスも関連しますが、「御祈祷」は本来、坊さんに委ねてきたことですし、日蓮もそう考えていたでしょう。坊さんは祈り・武士は戦い・国家安寧・万民快楽といった順番です。

こちらのスレッドテーマの「現代人」を、わたしは勝手に日蓮信仰者以外と想定していました。しかし、問答さんから、ご自身もまた「現代人」であると言われ、「なるほど」と思ったのです。そうなると、さらに創価学会も、顕正会も、現代人に違いないわけですね。

マターリさんのご投稿は、なかなか核心を突いていると思います。
極端な言い方ですが、本尊がどうか、教義がどうかといった、しち面倒くさい話、また、御祈祷は坊さんにといったしきたりよりなにより、ともかく、「祈って叶うこと」が何より大事というのが、民間信仰の至極であると思えます。

現代人が納得するという点を、どちらかというと、教理・本尊面で論じてきたように思えますが、在家集団が大好きな「実証」、一般的に言う「効験あらたか」が、では、現代のニーズに合っているかどうかは、どうもよくわかりません。

できれば、「現代人」を、信仰を持っていない一般大衆として、それら人々を納得させる日蓮の教えを考えたいと思っています。

ここ2日間、やや忙しくしていますので、また、改めて、ご賢察を賜りたいと存じます。有り難うございました。

979富士川一郎:2008/07/24(木) 11:54:36
>>「唱題しながら、何かを考える? どうやってだ」と反対に訊かれました。要は、唱題とは無心で行うものであって、唱題しながら、ものを考えたり、祈ったりできないだろうというのが、その趣旨でした。

どなたの言なのかは分かりました(笑)。
そこで素朴な質問ですが、創価学会が「唱題しながら祈る」と言うのを具体的にどのように指導していたのでしょうか。
創価学会の指導に興味があります。現役、元創価学会員の方でお教えいただけたら幸いです。

ちなみに顕正会ではそもそも唱題に重きを置いていないのが現状です。
「唱題に時間をかけるなら位なら折伏(勧誘)せよ。唱題は朝晩の勤行の5分ずつだけで良い」と言う教えでしたし・・・。
さすが拡張主義ですが・・・。

980問答迷人:2008/07/24(木) 12:48:40

仏壇の前の経机に祈る項目を書き出した紙を置いたり張ったりして、一項目について祈りながら100遍ずつお題目を唱えて行く。

こう言う事を教えられた記憶が有ります。選挙になれば、公明党候補の名前を書いた紙を置いたり張ったりして、必勝祈願のお題目を唱えたものでした。

要は、祈りは具体的でなければならない、と言われ、誰かの病気平癒を祈ったり、担当している組織の誰々が会合に出てくるように、と祈ったり、友達の誰々を折伏(入信)出来ますように、と祈ったり・・・

数限りない祈りを書き出して、具体的に祈るように教えられました。その通りにやっていると、一日一時間の唱題なんかは、ちょろい物で、あっという間に過ぎてしまったのを覚えています。

981マターリ:2008/07/24(木) 20:29:59
>犀角独歩さん、

>日蓮が在家に教えた唱題は、祈りだったんでしょうかね。
祈りとはもっぱら僧侶がなすことだったように思えます。

そうですね。「法華初心成仏抄」を見ますと、日蓮自身がいかに祈祷しても
在家の本人が不信なら、濡れた火口に火打石で火をつけるようなものだ、
と書いてあります。ですから、祈祷するのは日蓮自身であり、在家は祈祷
というより、法華経に対する信仰心そのものを強くして欲しい、と日蓮は
考えていたと思います。

「祈祷抄」に「・・・日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りの叶わ
ぬ事はあるべからず」とあります。在家の私たちも、法華経の行者に含
まれると教えられてきました。しかし厳密に言えば、行者=僧なので、
祈祷抄では、法華経の行者=日蓮だとわかってきました。
つまり、この一節は、日蓮の祈祷にかける、並々ならぬ自信に満ちた
言葉なのだと思います。在家の祈りも叶う、ということではないと考
えます。

これら全て、このごろ勉強したことばかりです。

>富士川一郎さん、

創価学会が「唱題しながら祈る」と言うのを具体的にどのように指導して
いたのでしょうか。

祈りのない題目は意味が無い、と教えられました。一遍一遍に祈りを込め
て、唱題していきます。口では題目を唱えながら、頭脳では願い事を考え
ています。

問答迷人さんと大体同じですが、他に教えられた事を書きます。

1.夢や願望を全て、表に書き出す。
2.書き出した願望に優先順位をつける。
3.いつまでに願望を達成したいのか、期限を明確にする。
4.夢や願望を、座談会など会合で話す。(発表して恥ずかしくない事を)
5.毎日、題目表をつける。
6.重大な願い事を叶えるには、一日1万ベンを唱えていき、何ヶ月かで
 総数100万ベンをあげきる。

その一方で、願い事ばかりするのは「乞食信心」で、「感謝の題目をあげな
さい」とも言われています。

982犀角独歩:2008/07/25(金) 22:39:06

富士川さん

たぶん、推量当たりです(笑)
いまさら、石山方のことをわたしが、このスレッドに書くのも変ですが、要は「余念なく」というのが、在り方だというわけですね。それで

「余念は謂く唱題成仏の外念慮あるべからず、故に当家の行者は若は誦経、若は唱題一向余事余念無して南無妙法蓮華経と唱る処に妙法の即身成仏を立たる者」

などというわけですから、文字どおり、妙法蓮華経への南無の一念は即身成仏以外の念慮があってはならないというのが教えなのでしょう。こうした点を某氏は言ったわけでしょうね。

ところが日寛『六巻鈔』を見ると、実は、そうなっていないわけです。

「南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。
 南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。
 此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし云々」

下種三宝を念じて、唱題して一生涯を過ごせといいます。創価学会、顕正会はお気の毒ですが、南無が直接かからないまでも「嫡々付法歴代の諸師」も念じる対象に入っています。「除歴対象の歴代は別」という口上は成り立つかどうか、成り立ったとしても、「先生」を念じろ、祈り殺せ、種々の祈念を具体的に念じろなどとなどいうのは、まさに創価学会の考案したところであって、日蓮とも、日寛とも関係のないわけですね。

「現代人が納得する」というテーマに沿えば、即身成仏より、「願いは何でも叶う」といった欲望充足型のほうが受けるということでしょうか。こうした戦後復興の民衆のニーズに巧みに合わせて改変されたのが、創価学会の「題目を上げる」というやつだったということになりますか。
さらに昨今では憎き相手は憎悪し呪うようで、もはや、黒魔術、呪術の域に達し、ここまでくると、現代人のニーズから離れた感があります。

983犀角独歩:2008/07/25(金) 22:49:21

> 979

顕正会の5分唱題というのは面白いですね。
これが事実ならば、要するに浅井さんは唱題が苦手なんでしょうね(笑)

「像法の智者大師すら尚毎日一万遍なり。何に況や末法の我等をや」

とは、日寛の言です。こうした点を匿して、5分でいいとすれば、浅井さんは、日寛に背いていることになりますね。

984いちりん:2008/07/26(土) 08:55:13
ちょっと脇に外れて申し訳ないですけど、

天台智ギが、毎日一万遍、南無妙法蓮華経と唱えていた、と日蓮さんは言うわけでしょうが、
、日蓮さんなり、なにかその根拠となるものはあったのでしょうか。

985犀角独歩:2008/07/26(土) 09:11:20

いちりんさん

日蓮ではなく、日寛です。富要ばかりの話で恐縮ですが、日寛以前では、日教がこれを記しています。

穆作抄「天台は唱へ奉る一切経の惣要毎日一万遍、玄師の伝に云はく一切経の惣要とは謂ゆる妙法蓮華経と文」
類聚翰集私「陳隋の天台智者は読誦し奉る一切経の惣要毎日一万遍と、玄師の伝に云く一切経の惣要とは妙法蓮華経是れなり云云」

六巻抄依義判文抄第三「天台大師行法の日記に云わく、読誦し奉る一切経の総要毎日一万遍と、玄師の伝に云わく、一切経の総要とは所謂妙法蓮華経の五字なりと云云」
観心本尊抄文段上「像法の智者大師すら尚毎日一万遍なり。何に況や末法の我等をや」
法華題目抄文段「天台大師、毎日行法の日記に云く『読誦し奉る一切経の総要、毎日一万遍』と云云。玄師伝に云く『一切経の総要とは所謂妙法蓮華経の五字なり』云云」

986いちりん:2008/07/26(土) 09:57:17
独歩さん

なるほど。日寛さんが言っていたのですね。

しかし、天台智ギは、妙法蓮華経は一切経の惣要ということは、玄義あたりで述べているのでしょうが、
それを「唱えていた」のかどうかという根拠は、どうも「天台大師行法の日記」あたりと。

そんなものがあったんですね。
でも、ほんとうに、それって智ギが著したものかどうか、はっきりしているのでしょうか。

たとえば、「摩迦止観」や「玄義」「文句」あたりで、智ギが、「わたしゃ、毎日、お題目を唱えているよ」とか、「みなも唱えるといいよ」などということは述べてないですよね、たぶん。

987犀角独歩:2008/07/26(土) 10:13:40

いちりんさん

そうですね、おっしゃるとおりだと思います。
ただしかし、日寛教学の無謬を信じる人々は、日寛の一文一句も背けないのに、背いているのはどうしてなんだという議論の流れでした。

988マターリ:2008/07/26(土) 10:44:54
初歩的な質問で申し訳ないのですが、中国でも、南無妙法蓮華経の題目
を唱えていたのでしょうか?

題目は、法華経が日本に伝わって、しばらくしてから唱えられるように
なった、と聞いていました。ですから、題目は日本独自の物だとばかり
思っていたのですが。

989犀角独歩:2008/07/26(土) 11:14:04

マターリさん

中国で唱えられていたという根拠は『当体義鈔』の以下の文などに拠るのではないでしょうか。

「南岳大師法華懺法云南無妙法蓮華経文 天台大師云南無平等大慧一乗妙法蓮華経文 又云稽首妙法蓮華経云云 又帰命妙法蓮華経云云。伝教大師最後臨終十生願記云南無妙法蓮華経云云」(

天台初期文献で検索すると以下のとおりです。

法華三昧「一心奉請南無妙法蓮華經中一切諸佛」「南無釋迦牟尼佛 南無多寶佛 南無釋迦牟尼分身佛 南無妙法蓮華經…」
禮法華儀「南無佛 南無法 南無僧 南無釋迦牟尼佛 南無妙法蓮華經 南無文殊師利菩薩 南無普賢菩薩 旋竟三歸依如常」

しかし、これは日蓮が言う唱題とは違うでしょうね。七文字「南無妙法蓮華経」の成句は遡れるといったところでしょうか。

さて、日本ですが、その真偽は置き、『修禪寺決』に以下の文があります。

「臨終之時 唱南無妙法蓮華經 由妙法三力之功成菩提」
「和尚深祕行法傳云 圖繪十界形像 十處安之 毎向一像 各一百反可行禮拜 口可唱南無妙法蓮華經心可念」

まさに先に挙げた日教、日寛の引用の如く、余念なき即身成仏の唱題の文証がここにあります。

わたしは不勉強で『修禪寺決』が日蓮が見聞していたかどうか失念しました。パンナコッタさんをはじめ、皆さんの批正をお願いします。

990マターリ:2008/07/26(土) 12:01:52
>犀角独歩さん、詳しく教えていただき、ありがとうございます。

天台の文中に「南無妙法蓮華經」が、明確に入っていて驚きました。
日蓮のいう唱題とは違うようですが、題目の起源のようなものは、
中国が発祥だと、初めて理解できました。

991パンナコッタ:2008/07/26(土) 12:25:35
お呼ばれしたので、おじゃまします。
偽撰といわれる本理大綱集は確実に読んでいたでしょうけど、
修善寺決は偽書の臨終一身三観に引用があるくらいで薄い線ではないでしょうか。
後代のネタ本としては、動かないでしょうけど。 
「故智者大師。毎日行法日記云。奉讀誦一切經惣要毎日一萬反。玄
師傳云。一切經惣要者。謂妙法蓮華經五字也」
 http://www.chohoji.or.jp/TENDAI2/dengyodaisi/ 05/069.txt
 http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/tyu_syu.htm

992犀角独歩:2008/07/26(土) 14:38:47

パンナコッタさん

ご批正、有り難うございます。
いちばん、肝心なことを書き忘れました。ご引用のとおりですね。
伝全で、この文を見ると「僞撰書」としっかりと書いてあるのですね。

993パンナコッタ:2008/07/26(土) 15:39:09
あ、リンクが変になっていましたね。大変失礼しました。
 修禪寺決
 http://www.chohoji.or.jp/TENDAI2/dengyodaisi/05/069.txt

十八円満抄にも引用されていますが、これも仮託された偽書ですね。
百六箇抄の牛頭決引用も含め、恰も根拠になるような書き方をしていますが
はじめからボロが出ている と、いった所でしょうか。

994犀角独歩:2008/07/28(月) 14:18:12

問答名人さん

もう少し愚問を続けさせていただきます。

わたしはひとり暮らしをはじめたのは中学3年で一間のアパートに仏壇を置き、所謂「分世帯」で御本尊を貸し下げてもらい安置しました。15歳の時ですから、この本尊を20年間拝み続けました。実家は最初、日寛の小幅のもので、正本堂の時に日達さんの特別御形木に取り替えました。例の創価学会が水増し制作したという騒ぎになったものです。

2年前に母が亡くなるとき、特にほかの本尊があったわけではないので、付き添い時間が過ぎて家に戻るとこの本尊に、母のことを祈念していました。

しかし、過去5年、問答さんをはじめ、皆さんと、彫刻の真偽について論じてきたわけです。母の最期の切羽詰まっていたときでしたが、「奉書写之」の四文字は気になりました。

彫刻は日禅授与本尊を臨模作為した捏造品、それを写した本尊は、捏造の写し。さらに言えば、石山は御筆真筆とされる3舗は『御本尊集』に載りますが、この日禅授与本尊はついに未発表にしたままです。発表すれば、原本が特定される恐れからこれを秘匿するといえば、それまでですが、こうして影本すら公開しないものは、たいがい、偽物です。他にもいくつか所存はありますが、わたしは日禅授与本尊は偽筆であると考えます。この立証は議論とは別なので置くこととします。日禅授与本尊が偽筆であれば、あの彫刻は偽筆を原本にした偽物。つまり、二重に偽物であることになります。偽物を原本にした偽物を、さらにその内容とは違って書いて、写したといって憚らない石山の本尊、それも写真にとって大量生産した印刷物です。(印刷がいけないというのは伝日興の説を支持してのことです)

つまり、我が家に安置されていた本尊を冷静に記述すると以上のようになります。はたして、このようなものを「本尊」と恃めるのかというのが、今回のわたしの質問です。

過去数十年、拝んできたものにケチをつけるようで、恐縮ですが、問答さんは、この点を、どのようにお考えになり、また、もし、現代人に納得させるとしたら、どのようにご説明になるのか、これは、まさに信仰の根幹に関わる問題として、お尋ねしたいのです。お応えいただけますでしょうか。

995問答迷人:2008/07/28(月) 19:15:26

犀角独歩さん

>日禅授与本尊は偽筆・・・あの彫刻は偽筆を原本にした偽物・・・二重に偽物・・・さらにその内容とは違って書いて、写したといって憚らない石山の本尊・・・大量生産した印刷物・・・このようなものを「本尊」

僕は現在も日顕師制作による印刷曼陀羅を拝しています。元法華講講頭であった僕の親友は、「良くもお前、そんな物を拝んでいるな」と言います。彼の言いたい事は、概ね、犀角独歩さんの説に準じています。

僕も、過去、思い悩みましたが、もう思い悩む事は卒業しました。

果たして、日蓮聖人が、僕が顕師曼陀羅を拝んでいるのを見て、どういうだろうか、と考えました。結論は是認されるだろうという事です。

なぜなら、体裁は日蓮曼陀羅を踏襲して書かれており、しかも、日興師の末流の僧侶の手によるものだからです。

非常に乱暴な議論のようですが、元々、日蓮聖人は曼陀羅書写の法規を示していない事は、六老それぞれに曼陀羅書写を行っていることから逆算すれば明らかだと思います。

印刷がダメだというのも、日蓮聖人の文献が残っていない以上、絶対的な規範とは思えません。

曼陀羅の重要性は、「南無妙法蓮華経」の七文字をしたためて、それを拝む事に尽きていると思います。であれば、顕師曼陀羅も、身延山久遠寺の仏具店で買う事の出来る曼陀羅も、基本的には大差ないと思うわけです。

このような理由から、現在のところ、敢えて曼陀羅を変えるべき理由も見つからないので、そのままにしているわけです。

皆様のご叱正賜りたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。

996犀角独歩:2008/07/28(月) 19:32:44

問答名人さん

わたしが投げかける疑問は、単に批判をしようとか、攻撃しようとかを目的としたものではありません。この点は、8年間一貫しています。ただ、信仰の根幹に冠する質問になると、途端に反撃に出て人身攻撃になってしまうのが、残念ながら、創価学会を含む大石寺圏の有様です。そのために、常連同士でさえ、率直な質疑応答が成り立たないできました。こうした愚は、発展的な議論の妨げにしかなりません。もちろん、問答さんがそのようなことをなさる型ではないことは十分に承知のうえです。しかし、横やりも多々ありましたので、念のため、おことわりしました。

わたし自身は、漫荼羅は允可証の用途であり、あとは護本尊で、正式な本尊は仏像であるというのが日蓮の教説本尊観という立場です。この点では、問答さんとは違うと思いますが、そのどちらが正しいという議論をしたいわけではありません。

以上のような考えですから、仮本尊としての漫荼羅が印刷であろうが何であろうが、あと信仰者の心根次第でさした問題ではないとは思います。

ただし、創価学会を含む大石寺圏では、「自分たちの本尊以外は駄目だ」と言い切ってきた歴史があります。こう言ってしまえば、では、「そんな偽物を写した、書いた内容も違うもの、何がすごいのだ」という反論となりましょう。これは、まず、創価学会、顕正会、なにより大石寺に向けた批判として置いておくことといたします。

広く日蓮信仰者を含む現代人からすれば、漫荼羅は身延の売店のみならず、町中の仏壇屋でも、仏壇のおまけのような感じで売っているもので、それを一般に「御本尊」として認可されています。その経緯からすれば、それが日県産の者で荒れ何で、同じようなものですから、拝む人が本尊であると思えば本尊でしょう。

今回のお応えからすると、要は書かれた内容が日蓮の漫荼羅を同じであれば、それはそれで是とするという意味と承りました。

では、この前提で、再度、お伺いしますが、そうなると、漫荼羅は、それが身延の売店のものであれ、いつであったか、顕正居士さんがご紹介いただいたダウンロード本尊、つまり、ネットで流通している日蓮漫荼羅画像を自家のプリンターで印刷して本尊とするといったものも、本尊であるとして、何ら痛痒はお感じにならないということでしょうか。これが一つ。

あと、たとえば、日蓮が書いた内容を同じであればよいのならば、わたしども少し習字の心得があれば、下手な横好きで漫荼羅など、いくらでも書くことはできます。こうして自分で書いたものも、本尊とすることも是とお考えになりますか。

繰り返しますが、批判攻撃を目的にしているわけではなく、当スレッドテーマに沿って「現代人が納得する」線を探る手だてとしての質問であることをご留意のうえ、お気軽にお応えください。

997犀角独歩:2008/07/28(月) 19:36:21

【396の訂正】

誤)問答さんがそのようなことをなさる型
正)問答さんがそのようなことをなさる方

誤)それが日県産の者で荒れ何で
正)それが日顕さんのものであれ何であっても

998問答迷人:2008/07/28(月) 20:31:17

犀角独歩さん

>漫荼羅は、それが身延の売店のものであれ、ネットで流通している日蓮漫荼羅画像を自家のプリンターで印刷して本尊とするといったものも、本尊であるとして、何ら痛痒は感じない

曼陀羅が本尊なのかどうか、日蓮聖人は余り明確にはされていませんので、この議論は、取りあえず、差し控えさせていただきます。その前提で、それらを曼陀羅として拝する事には、現在の幽霊法華講員の身としては、痛痒は何等感じません。将来において、日蓮宗信徒となった場合には、その所属寺院に従うのが筋だとは思っています。

>あと、たとえば、日蓮が書いた内容を同じであればよいのならば、わたしども少し習字の心得があれば、下手な横好きで漫荼羅など、いくらでも書くことはできます。こうして自分で書いたものも、本尊とすることも是とお考えになりますか。

これは、既に宮沢賢治がその様な試みをしていたようですね。末寺に所属したくない事情があれば、それも又、可であると思います。要は、日蓮聖人の教えに連なる意思があれば、これも又、日蓮聖人は是認なさるであろうと思います。

勿論、何でも有りではないと思います。「日蓮聖人に直結」などと言って、僧侶を排除し、却ってその組織の中心者を日蓮聖人の生まれ変わりの如く敬わせる様は、日蓮聖人に連なっているとは言いがたいので、日蓮聖人が果たして是認されるだろうか、という疑問は残ります。

999犀角独歩:2008/07/29(火) 08:00:58

問答名人さん

> …日蓮宗信徒となった場合…所属寺院に従う

議論とは直接、関係ありませんが、「日蓮宗信徒になる」という点について富士門流はかなり特殊であると感じます。
一種の囲い込みみたいなことをして、僧俗でも、恰も師弟子のような関係で、石山では特に「指導教師」などといって、その人以外からは指導を受けても駄目みたいな極端なことを言いますね。こうした関係は、所謂「日蓮宗」一般ではほとんど有り得ませんよね。もっとも加持祈祷をしてくれる坊さんを生き神様のように崇拝してその人自体の信者、つまり個人崇拝になるというケースは見受けます。

これらの点は、また、別に議論をしたいと思いますが、信者、信徒というのは、そもそも、何の信者なのかという点は、意外に曖昧だと感じます。
いずれにしても宗派の信徒ではなく、宗派が信奉する神仏の信者であり、その宗派に集う徒ということなのでしょうね。

日蓮宗の坊さんの話を聞くと、御経周りに行くと、仏壇に鶴丸があるところもあり、場合によっては石山の本尊があったなどという話も聞きました。仏壇を買ってきたときについてきた曼陀羅を掛けてあったりで、住職が裏書きをして開眼をするのが正式と言った程度です。

つまり、「所属寺院に従う」などという堅苦しいところは何もないのが、日蓮宗一般という印象を持っています。たぶん、現在の問答さんの寺院観、信徒観は、かなり富士門下的なのだろうと思いました。(批判ではありませんよ。日蓮宗一般信者と比較した感想です)もっとも、今後、所属される寺院が富士門下であれば、仰るようなことにはなるだろうとは思えます。石山研究で名高いある人の寺院は、富士門下で言う「身延派」ですが、万年救護の複製を奉懸しています。宗定とされる所謂「臨滅度時」の複製は、わたしの近辺では池上本門寺近くの日蓮宗新聞社書店で販売しており、これはなかなか立派なものです。坊さん経由ならば買えるということでした。

先だって久方にお会いした静岡・海長寺の菅野師は、檀家さん全員に手書きの曼陀羅を与えたと話されていました。身延の売店で曼陀羅を売ったり、印刷物には原則反対の立場を採っておられる方です。保田あたりは、万年救護の複製を「ちゃんとした信者には出す」なんていっていると聞きました。ちゃんとした信心をしているのであれば、手書きの本尊を与えるのが在り方だと思うわけで、わたしは首を傾げざるを得ません。だいたい、複製ならば、自分でも作れます。それを坊さん寺院が作ったものでなければ駄目だというのは、どんな根拠なのか、不思議に思います。もちろんこれは保田に限らず、石山でも、学会でも同様です。

こちらの常連のある方は、ネットからダウンロード、プリントアウトして、それを石山からも請け負っている表具屋さんに出して、軸にしてもらって本尊にしていました。

以上、揚げ足取りと誤解しないでください。門下全般をみると、曼陀羅そのものは古美術的な扱い、しかし、信者であれば、仏壇に懸ければ本尊、坊さんにすれば開眼をすれば本尊たりえるといった程度の感覚で、厳格さを感じないというだけの話です。

やや整理になりますが、石山や、時には富士門下では、寺院から信者として出されたものを本尊とする、顕正会もそうですね。創価学会では、旧来、石山の信徒団体であったときに受け取った本尊も本尊と認めたうえで、自分たちで複製頒布する日寛の印刷を本尊とし、日蓮宗などのものは、たとえば、それが日蓮真筆の複製でも本尊とはしない、この点は、石山、顕正会も同様ということになります。学会を含む石山圏、富士門下の有様はかなり特殊ということになりますか。

この本尊については、各人の信仰という側面から具ですから、「現代人が納得する」という議論には馴染まないのでしょう。
たぶん、議論の余地があれば、その本尊についての説明部分で学問が指示する現代の常識と食い違う点について、では、どうすれば納得が得られるのかという点に焦点があるように思えます。
たとえば「仏滅後二千二百三十余年」といった記載は、現在、考えられる仏滅年代と500年のズレがありますが、こうした点で、少し仏教学の知識を持ち合わせた人であれば、「遅れている」「間違っている」などと感じるかも知れません。そう感じた人に「各人の信仰は勝手なんだから、そんな議論はただちに打ち切るべきだ」などといえば、排他的と思われるだけで、納得を得ることはないことになりますね。
追って、教学と学問の齟齬については、議論の俎上に乗せたいと考えていますが、いま、これまでとします。

1000犀角独歩:2008/07/29(火) 08:01:36

―999からつづく―

>> 自分で書いたもの…本尊…是
>宮沢賢治…日蓮聖人の教えに連なる意思…日蓮聖人は是認

なるほど。
このあとにも、「日蓮聖人の是認」ということをお書きになっていますね。
つまり、問答さんは、この点が本尊裁定の基準になっているとお見受けします。
これも、議論と言うより、以下2問につき、お考えをお聞かせ願うかぎりでお訊きします。

(1)日蓮は、自らが書した本尊を複製することを是認したか
(2)日蓮は、弟子が書写した本尊を複製し大量生産することを是認したか

> 「日蓮聖人に直結」などと言って、僧侶を排除

わたしの感覚からすれば、坊さんの話は宗派の都合が多く、どうも信用できない面が多々あります。ですから、直接、資料に当たると、坊さんから聞いてイメージした日蓮とその教説とは天地雲泥の相違があります。そうなると、もはや、坊さんを通じて信仰するより、日蓮に直接向かい合うほうが、より純粋な信仰と感じます。世間一般でも、日蓮の遺文などを読んで日蓮の贔屓になる人々が、いきおい、寺院や遺跡を探訪しようとなっても、誰か坊さんについて学ぶことが正しいとはなりません。「それでは、信仰にならない」といえば、それまでですが、嘘と都合ばかりで固まった日蓮解釈より、直接、日蓮の真蹟遺文や本尊、なにより日蓮その人と向かい合うことは否定されることでしょうか。

富士門下において、この手の根拠は『佐渡国法華講衆等御返事』に求められるのでしょうが、ここでいわれるのは、「勝手に日蓮の直弟子を名乗ることの規制」と思えます。
「大聖人直結」は石山の学会批判の一つでした。学会がいう直結はしかし、学会、池田氏を通じての直結ですから、実は直結ではないのですね。

日蓮宗寺院などに行くと、日蓮御影像があり、まあ、顔が似ているかどうかはわかりませんが直接、日蓮に向き合っているような気分になります。こうした舞台装置は、ある面、寺院そのものが日蓮と直接向かい合う場を用意してくれているようなものと感じます。
日蓮宗に「日蓮聖人直結」を言下に否定する面はないように思えます。

長い前置きになりましたが、これまた、揚げ足取りではなく、率直な疑問として、ご意見をお聞かせ願いたいのですが、「日蓮聖人に直結」は、なぜ、いけないのでしょうか。また、日蓮が日蓮を直接信奉有することを禁じた文証にはどのようなものがあるでしょうか。

> 組織の中心者を日蓮聖人の生まれ変わりの如く敬わせる様…日蓮聖人に連なっているとは言いがたい…日蓮聖人が果たして是認されるだろうか…疑問は残ります。

こうした「今日蓮」といった有様は、日教などの文献に見られる当住中心主義で鮮明になったものですね。いつの時代の文献かわかりませんが、本尊相伝「代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」を在家の「会長先生」に当てはめた、換骨奪胎といえば、そうなのでしょうが、坊さんなら善いが、在家なら駄目というのは坊さんの都合に過ぎない気もします。日蓮の是認ということになると、さて、どうでしょうか。

思いつくままに書いたところ、自分の管見の披瀝のようになってしまいました。お詫びします。文が冗長でわかりづらいかもしれませんが、以上、お応えいただければ有り難く存じます。

1001問答迷人:2008/07/29(火) 09:53:05

犀角独歩さん

(1)日蓮は、自らが書した本尊を複製することを是認したか
(2)日蓮は、弟子が書写した本尊を複製し大量生産することを是認したか

当時、印刷技術は未発達であり、経典書写に倣って、曼陀羅書写を考えておられたと思います。

曼陀羅と言っても、日蓮聖人本人がしたためた本物でなければ、価値がない、と考えられた節は伺えませんから、現代の複製技術、印刷技術を知られたら、是認されるであろうと考えます。

又、弟子が書写した曼陀羅を印刷授与することについても、是認されるであろうと考えます。なぜなら、曼陀羅の記載内容に価値があるのであって、それ以外では無いと思うからです。

勿論、曼陀羅を授与を以って允可の意義を含める、というのは判らないでは有りませんが、曼陀羅を受持することにこそ、本当の允可の意義は存するものと思います。

>直接、日蓮の真蹟遺文や本尊、なにより日蓮その人と向かい合うことは否定されることでしょうか。

むしろ、そうあるべきだと思います。僧侶は信徒が日蓮聖人と直接向かい合う手助けをするのが本来の任務であると思うからです。

ただ、六老の選定は、僧侶を中心にして、日蓮の教えを信仰し、ひろめて行くべきだ、とのお考えが伺えると思いますので、強ちに僧侶を否定するのは日蓮聖人の本意ではないと思います。

>日蓮が日蓮を直接信奉有することを禁じた文証にはどのようなものがあるでしょうか。

六老の選定が間接的に該当すると思います。御遷化記録がその文証という事になるかと思います。

1002問答迷人:2008/07/29(火) 09:57:00

舌足らずなので付け加えます。

御遷化記録は所謂、「大聖人直結」という僧侶を排除する論理を否定した文証という意味です。

1003犀角独歩:2008/07/29(火) 10:29:12

問答名人さん

重ね重ねのご回答有り難うございます。
同じ宗派に属し、そして、その嘘を暴いてきたという点で、問答さんとは共通するところが多いと思いますが、そのなかでも取り分け、相違していると思われる点を選びながら質問をさせていただいております。

漫荼羅の複製に関しては、日蓮は是認しないだろうと、わたしは考えています。
日蓮が所持していた法華経は版本であり、また、日興から程近い時代に「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由」という記述から、鎌倉時代には版木技術は既にあったと思われます。そうしたなかで、あえて日蓮がこの複製を採用しなかった歴史認識が、わたしにあるからです。

また、允可という点で申し上げれば、授与書がもっとも重要な点になるわけで、この点を複製は省かれますので、允可とは言い難いように思えます。
もっとも、日蓮には允可の意味をもって書き渡していたように思えますが、六老以下、そうした意識が継承されたようにも思えません。

以上は、わ僧侶を否定するのはたしの考えです。たぶん、こうした考えの相違から、問答さんは印刷可、わたしは不可という見解の相違が生じていることがわかりました。この点は、現時点で日蓮の真意を斟酌できかねますので、見解の相違の確認に留めたいと存じます。

> 僧侶を否定する

やや、わたしの投稿が悪文であるため、誤解を生じたかも知れませんが、わたしは僧侶を否定するというのではなく、僧侶が日蓮の本意を伝えないのであれば、日蓮に直接遡源するほか手だてがないという苦肉の選択を述べました。

この件は以上とします。


> 曼陀羅を受持…本当の允可の意義は存する

允可であるというわたしの見解に同意してくださったと理解してよろしいでしょうか。違っていれば訂正いただければと存じます。

曼陀羅受持が允可であったとして、ご質問いたします。

(1) 売店、仏壇屋、また、ダウンロードといった方法で得た本尊は自主購入ですから、これを允可とは呼べません。こうした印刷物は本尊としては不可ということになりますか。
(2) 允可された僧、もしくは組織が嘘偽りをもって信者を誑かすものである場合、この允可は、どのような意義を有するとお考えですか。

前後しますが、以下の点についてもお伺いいたします。

> 曼陀羅の記載内容に価値がある

ここで仰る記載内容とは具体的に何を指すのでしょうか。中央首題ですか、十界諸尊を含めてですか、日蓮在御判、授与書、讃文、釈文(若悩乱者など)はどうでしょうか。

一遍首題に二仏の本尊、また、四天王を配さない本尊、また、諸尊勧請は区々ですが、こうした記載内容の相違は価値の相違を意味するとお考えでしょうか。

以上、お願い申し上げます。

1004犀角独歩:2008/07/29(火) 10:31:30

ひどい打ち間違えがありました。訂正し、お詫びいたします。


誤)以上は、わ僧侶を否定するのはたしの考えです。たぶん、こうした考えの相違から、問答さんは印刷可、わたしは不可という見解の相違が生じていることがわかりました。この点は、現時点で日蓮の真意を斟酌できかねますので、見解の相違の確認に留めたいと存じます。


正)以上は、わたしの考えです。たぶん、こうした考えの相違から、問答さんは印刷可、わたしは不可という見解の相違が生じていることがわかりました。この点は、現時点で日蓮の真意を斟酌できかねますので、見解の相違の確認に留めたいと存じます。

1005問答迷人:2008/07/29(火) 11:43:18

犀角独歩さん

(1) 売店、仏壇屋、また、ダウンロードといった方法で得た本尊は自主購入ですから、これを允可とは呼べません。こうした印刷物は本尊としては不可ということになりますか。

日蓮聖人は妙法蓮華経の五字を法華経の会座において、確かに釈尊から譲り受けたと述べています。言ってみれば、これも自主購入だと思います。であるならば、日蓮聖人から譲り受ける、という信仰心を以って、その人がその曼陀羅を拝む事には、何ら問題が無く、広義で、允可に相当すると思います。

(2) 允可された僧、もしくは組織が嘘偽りをもって信者を誑かすものである場合、この允可は、どのような意義を有するとお考えですか。

残念ながら、これ場合は、允可が無効になる可能性が高いのではないかと思います。日蓮聖人と信徒との間に僧、或いは教団が入って教えを捻じ曲げた場合は、形としては允可とは言えても、内実は失われている可能性が有りますから。


> 曼陀羅の記載内容・・・具体的に何を指すのでしょうか。

中央首題を指します。

>一遍首題に二仏の本尊、また、四天王を配さない本尊、また、諸尊勧請は区々ですが、こうした記載内容の相違は価値の相違を意味するとお考えでしょうか。

価値の相違は無いと考えています。中央主題に全てが含まれていると考えています。それらは、無くて良し、有って良し、だろうと思います。

1006犀角独歩:2008/07/29(火) 16:18:26

問答名人さん

> 日蓮聖人は妙法蓮華経の五字を法華経の会座において、確かに釈尊から譲り受けたと述べています。言ってみれば、これも自主購入

そうですか。師が弟子に託したのではないでしょうか。わたしの管見はともかくとして、、いまはそのようなお考えと承ります。

> 日蓮聖人から譲り受ける、という信仰心を以って、その人がその曼陀羅を拝む事には、何ら問題が無く、広義で、允可に相当する

允可とは上位が下位に「許すこと」だと思いますが、こちらも、こうしたお考えと承っておきます。

では、その前提でお尋ねします。
「自主」性はよいというお考えですね。ならば、どうして、直弟子を「自主」的に語ることは駄目なのでしょうか。日蓮が「自主購入」であれば、自主的に「弟子」を自認するのもこれまた可としないと論理に一貫性がないように思えますが、この点は如何でしょうか。

>> 允可された僧…組織が嘘偽りをもって信者を誑かす…允可
> 残念ながら、これ場合は、允可が無効になる可能性が高い
> 内実は失われている可能性が有りますから。

わたしもこのお考えに賛同します。
となると、具体的に当て嵌めた場合、日顕さんは、どうでしょうか。こうした僧に当て嵌まりませんか。当て嵌まったとする場合、その本尊はどうなるでしょうか。

> 価値の相違は無い

この点は、わたしの管見とは異なりますが、お考えを承って、いまはこれまでといたします。

上記、やや突っ込んだ質問になり、恐縮ですが、お考えをお聞かせください。

1007問答迷人:2008/07/29(火) 18:56:36

犀角独歩さん

>自主的に「弟子」を自認するのもこれまた可としないと論理に一貫性がないように思えますが、

ところが、実際のところ、日蓮聖人は妙法蓮華経を釈尊から受けるのは、直弟子として、直接受けていますね。しかし、その一方で、六老を選定したのも事実です。確かに論理の一貫を欠くようです。この点については、深く考えていませんでした。

>日顕さんは、どうでしょうか

当然、捻じ曲げているとしか言えませんね。ですから、日顕さんの允可は有名無実でしようね。

日顕さんを師として信仰すれば、それは、日蓮聖人に従うことにはならないと思います。

日顕さん制作の曼陀羅は、そういう意味において、不備だと思いますが、その点を無視して、日蓮聖人から譲り受けるねという信仰心を以って拝すれば、その問題は一応クリアーできると考えています。

1008問答迷人:2008/07/29(火) 18:58:44

訂正です

× 日蓮聖人から譲り受けるねという信仰心を以って拝すれば、

○ 日蓮聖人から譲り受ける、という信仰心を以って拝すれば、

1009犀角独歩:2008/07/29(火) 19:20:14

問答名人さん

いま議論になっている点は、一般の「現代人」の皆さんにとっては、さして重要な話ではないですが、所謂「本門戒壇の大御本尊」は後世の捏造とわかった、日顕さんはそれを知っていたと理解した、しかし、その人が書写した印刷本尊を拝んできたという歴史を背負っている信仰者である「現代人」にとっては、けっこう看過できない問題です。ですから、もう少しお付き合いください。

998に問答さんは、「『日蓮聖人に直結』などと言って、僧侶を排除」するのは、駄目であると書かれました。この趣旨は、その後に続く「却ってその組織の中心者を日蓮聖人の生まれ変わりの如く敬わせる様」に係るわけですが、ともかく、創価学会がいうような「大聖人直結」といった信仰は駄目であるというお考えと承りました。

これに対して、わたしは1003に「僧侶が日蓮の本意を伝えないのであれば、日蓮に直接遡源するほか手だてがないという苦肉の選択」と記しました。
この点ですが、問答さんが1008に「日顕さん制作の曼陀羅…不備、…日蓮聖人から譲り受ける、信仰心を以って拝すれば、その問題は一応クリアーできる」と仰る意と、あまり差がないように感じるのですが、この点は如何でしょうか。

ただ、問答さんの場合、この日顕さんの本尊に替わる、本尊の供給元が現段階では確保されていないとお察しできるのです。これは例えばの話ですが、そうした替え納得がいく本尊を入手できることになったとしたら、日顕さんの本尊は、お役御免となりますか。どうなのでしょうか。

1010問答迷人:2008/07/29(火) 19:46:48

犀角独歩さん

>そうした替え納得がいく本尊を入手できることになったとしたら、日顕さんの本尊は、お役御免となりますか。どうなのでしょうか。

勿論です。身延派の寺院が地元にも有りますので、そこに所属するのが一番よいのではなかろうか、と考えています。実行はそんなに遠くないと思っています。その場合、当然のことながら、日顕師制作曼陀羅はお役御免となります。

>あまり差がないように感じるのですが、この点は如何でしょうか。

はい。差はほとんど無いと思います。

1011犀角独歩:2008/07/29(火) 21:16:50

問答名人さん

取り敢えず、今件は、これまでとします。
お付き合い有り難うございました。
引き続き、一般現代人?に係る点もお付き合いいただければと存じます。

もし、日蓮宗で御曼陀羅をいただくことがあれば、ぜひとも手書きのものをご所望ください。なかなか味わいのあるものですよ。

わたしは宮沢賢治を見習うでもいなく、自分で思うところを書いてみたいと思ってみたり。坊さん方は、一生涯の間に護本尊を造るのだそうです。これは木彫りの仏像であるそうですが、わたしの場合、これが手書きの漫荼羅でも良いと考えてみたりしています。まあ、実行するかどうかわかりませんが、こうなすと、魑魅魍魎から、何に昇進させてくれるのでしょうか(笑)

1012犀角独歩:2008/07/31(木) 09:50:14

問答名人さん

引き続き、よろしくお願いいたします。

さて、議論をはじめようとすると妨害に遭って、なかなか、始められなかった内容に進みたいと思います。

まず、はじめに『法華経』について。

最近の仏教学等の解説書に拠れば、『法華経』は、およそ紀元前100年ごろから後150年頃まで制作されたということでした。つまり、こうした考えが現在の常識となっていることを意味します。

富士門下に限らず、『法華経』が釈尊最期8年の最高の教えであり、仏陀の金言であることは近年まで不動の仏教常識であったわけです。ところが、経典の文字化は釈尊滅から、およそ100年以後のことであり、さらにそこから数百年を経て制作編纂されたとなると、それまでの教学は覆ることになります。日蓮自身、『法華経』を釈尊の金言であるとし、已今当に最為第一の教えであるとします。

「しかし、『法華経』には釈尊の金言も含まれているはずだ」といった希望的な観測は、いまはさておくことにします。

問答さんは、こうした学的成果を常識とする「現代人」に、どのように「日蓮教学」を納得させることができるとお考えですか。

1013問答迷人:2008/07/31(木) 10:53:59

犀角独歩さん

>それまでの教学は覆ることになります。

そうですね。説明不能に陥りますね。だからこそ、明治以降も、『法華経』を釈尊の金言であるとし、已今当に最為第一の教えとする教義を踏襲してきたのだと思います。

日蓮聖人が、今日の学問の成果を知ったなら、どのようにされたか、非常に興味の湧くところです。

一体、どこに釈尊の真意が説かれているのか、と追求して行った結果、法華経に辿り着いたのだ、と日蓮聖人は繰り返し説いています。その同じ姿勢で、今日の学問成果を踏まえて、釈尊の真意を追求した時に、果たして、同じように法華経に辿り着くのか、或いは、別の結論に至るのか。

もし、同じく、法華経に釈尊の真意が説かれている、という結論に達したとしても、説き方は、学問成果を踏まえて、しかも、日蓮聖人の独自の見解を披瀝する形で、現在の日蓮宗の教義とは組み立てが全く異なった物となっていると思います。

僕の感触としては、日蓮聖人の悟りがまず有って、それを説くための手段として、当時の仏教の常識を利用されたのではなかろうか、と考えています。

例の、虚空蔵菩薩から明星の如き大宝珠を授かった、という日蓮聖人の体験談が全ての始まりであり、日蓮聖人の教えの骨髄ではなかろうかと考えています。

後ほど、続きを書きます。

1014問答迷人:2008/07/31(木) 12:16:37

続きです。

このように僕が考えるのは、開目抄下に、妙楽の弘決を次のように引用しているからです。

『弘の七に云はく「文字法師とは、内に観解無くして唯法相を構ふ。事相の禅師とは、境智を閑はず鼻膈に心を止む。乃至根本有漏定等なり。』

これは、要は、文字の法師も暗禅の法師も共に不可。そして、教義も大事、悟りも大事、という意味であり、この主旨から考えると、日蓮聖人が法華経を選び取ったのも、教相と自身の悟りの両方からの総合判断で有ったろうと僕は考えるからです。

1015問答迷人:2008/07/31(木) 12:31:24

ご質問の回答からは、かなりずれているかも知れませんが、『日蓮聖人には独自の悟りが有り、それを法華経等の諸経典を利用して具体化したのが、日蓮聖人の教えである。』と言う意味合いで捉えれば、日本における独自の仏教展開として受け入れることが出来るのではないかと思います。

それが、「釈尊の真意を伝えるもの」として、納得に繋がるのか、或いは、「釈尊の教えとは似て非なるもの」との判断され、結果的に排除されるのか、これが、これからの課題なのだと思っています。

1016犀角独歩:2008/07/31(木) 13:06:15

問答名人さん

先にわたしは「おヘソ教」のmixi日記を転載させていただいたのですが、しかし、考えてみれば、たとえば、『聖書』の天地創造なんかも似たようなものだと思えます。天地から人間までが1週間ででき、さらにイブはアダムの肋骨から創られたとか、また、中世ヨーロッパの教会が天動説を指示、魔女狩りを行ったといった歴史…一部、反キリスト教からの批判があるかどうか精査していません…は、おヘソ教と大差はないと思えます。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/951

そんな非科学的な『聖書』の一面が、批判の俎上に載ることもないわけです。
俎上に載らない第一の理由は、仮に『聖書』のこうした非科学的な側面を批判したところで、悪口雑言をしたり、人格批判に転じるような攻撃をしないという「大人の対応」を心得ているからかもしれません。

そういった意味で創価学会を含む大石寺圏は、現役・脱会を問わず、いまだに中世ヨーロッパの魔女狩りレベルといったところなのでしょうか。しかし、近代社会が、およそ非科学的としかいいようのない天地創造説を前提にするキリスト教を依然と指示し続ける前例は仏教が生き残る可能性を示しているのかも知れません。ただ、愚かな反論をすれば、さらに反論に遭い、自滅を余儀なくされるでしょうが。

> 日蓮聖人が法華経を選び取ったのも、教相と自身の悟り

また、前置きが長くなってしまいましたが、この問答さんのご見解は、仏陀中心ではなく、日蓮中心の考えと判断してよろしいでしょうか。また、であれば、仏教というより、日蓮教であるという印象を受けるのです。

仏教といっても、どこまで仏教というかは議論の分かれるところですから、こうしたお考えは言下に比定されるものではないと思えます。

重ねてお尋ねしますが、ここで仰る日蓮の悟りとは、具体的にはどのようなものでしょうか。

1017問答迷人:2008/07/31(木) 13:58:53

犀角独歩さん

>仏教というより、日蓮教であるという印象を受けるのです。

日蓮聖人も、何しろ、歴史上の釈尊ではなく、久遠釈尊から、付属を受けたというのですから、これは日蓮教としか言い様が有りませんね。

その教えの根幹は妙法蓮華経という五文字に釈尊の因行・果徳が悉く具わると言うのですから、これは法華経にも他の経典にも何処にも書かれていない、日蓮聖人独自の見解であると思います。

如何なる悟りを根拠に、その様に断言されるのか、大変興味の湧く所です。何しろ、文字至上主義は余りにも極端ですから。

>ここで仰る日蓮の悟りとは、具体的にはどのようなものでしょうか。

恐らくは、その悟りの世界を具体的に図示したのが、日蓮聖人の妙法曼陀羅なのだと思います。

1018犀角独歩:2008/07/31(木) 15:26:26

問答名人さん

こうした日蓮の解釈は、法華経が釈尊の金言、最期8箇年の真説であるという前提で、700年間指示されてきました。
しかし、この前提が崩れたとすると、当スレッドのテーマである「現代人が納得する」ことがあるでしょうか。

1019問答迷人:2008/07/31(木) 15:54:53

犀角独歩さん

妙法蓮華経の五字の出どころは、言うまでも無く、羅什訳の法華経の経題ですね。日蓮聖人は、この経題を構成している五文字が全てだというわけです。別の言い方をすれば、この五文字が仏の教えの全てを尽くしていると。

戸田さんが「日蓮大聖人がその教えの究極を弟子・檀那に語るとすると『南無妙法蓮華経。お仕舞い。』」という意味のことを語っていたのを思い出しますが、そういう結論になると思います。

これを果たして、現代人が納得するのかと言えば、納得はほとんど絶望的だと思いますね。

恐らく、仏教考古学の研究が進めば進むほど、日蓮聖人のこの教えは、釈尊の教えからは懸け離れたもの、と看做されるのではないでしょうか。

それにもかかわらず、又、前に書いたことの蒸し返しになりますが、日蓮聖人が見た世界を追体験したい、という僕の強い心の欲求は、一体これは何なのでしょう。やはり、僕にとって、日蓮聖人という人は、それ程魅力的な存在なのだとしか言い様が有りませんね。

1020犀角独歩:2008/07/31(木) 17:04:02

問答名人さん

たびたびのご回答、有り難うございます。

わたしは先に、法華経は後世の創作、天台のでたらめ、日蓮の間違いといったいわば、現代、形成されつつある仏教へ向けられる「常識」からの批判を、殊に極端に沸騰させ、表現してみました。

こうした批判を排他すれば、逆に排他されておしまいになるでしょう。

ところが、法華経が後世の創作であったとしても、天台がでたらめであったとしても、日蓮も間違っていたとしても、それでも、依然として残る、人々を惹き付けて止まない何かがある。問答さんの元をお借りすれば「魅力的な存在」としての日蓮を、より言語化することができれば、わたしは日蓮は、それまで着飾ってきた五色の錦(法華経、天台、就中、仏法の無謬性)が襤褸(ぼろ)に替わってしまっても、日蓮は必ず21世紀に残っていくのだろうと思います。

そうした意味で、わたしの不躾な質問に対して、けして怒らず、逃げず、批判と正面から向かい合ったうえで、それでも、日蓮に魅力があると言い切った問答さんの言葉に「待っていました」という気分になりました。

御礼申し上げます。

1021問答迷人:2008/07/31(木) 17:42:22

犀角独歩さん

>「魅力的な存在」としての日蓮を、より言語化することができれば、

そうなんですね、是非とも、日蓮聖人の実像に迫りたいものだと思います。

>「待っていました」という気分になりました。

独歩さんの、巧みな誘導の結果ですね(笑)。

1022犀角独歩:2008/07/31(木) 17:47:31

問答名人さん

> 巧みな誘導の結果

いや、このお言葉はそのままお返しします。
わたしが、敢えてHNを替える無礼まで犯して、問答名人さんとお呼びする所以です。有り難うございます。

1024蓮華:2008/08/02(土) 12:57:24
はじめまして
私はさほど知識があるわけではありませんが、ブッダが悟りの境地に達したのは、インドの菩提樹が初めてでなく久遠(遥かかなた気の遠くなる遠いの昔)に悟った。その様な事が、記載されているのが寿量品との事。
寿量品に速成就佛身、つまり即身成仏できると解いてます。
ブッダの教えが何人かに漢訳され、どの訳が一番優れているか、それを感じる個々により違います。
日蓮聖人と釈尊の説いた、妙法蓮華経は同一です。
不自惜身命と寿量品に記載されている如く、日蓮聖人のご生涯は不惜身命を貫き通し、布教されたと思います。
「法華経方便品・寿量品講義」に触れてみてはいかがでしょうか。

1025マターリ:2008/08/02(土) 13:11:04
>蓮華さん、初めまして。日蓮聖人と書かれていますので、日蓮宗の方
かな、とも思いますが、決まりですので、いちおう自己紹介スレッドへ
の書き込みをしていただければ、と思います。

1026パンナコッタ:2008/09/12(金) 20:53:46
竜口法難の日ですね。(暦の違いはありますけど)
以前、12日or13日かとか、光物の議論があったのですが、久しぶりに遺文を通して整理してみたいと思います。
種種御振舞御書の内容が一般通説のようになっていますけど、腑に落ちない点が多々あることですし
多少スレタイと趣を異にしますが、改めて確認出来ることがあるかもしれませんので、そこはご了承をねがいます。
まずは文永八年九月十二日付近の記述を、真蹟遺文でみてみます。  ()内はおおよその時間。

土木殿御返事 文永8年 9/15 依智
 ・此の十二日酉の時(18:00)御勘気。武蔵守殿御あづかりにて、十三日丑の時(2:00)にかまくらをいでて、佐土の国へながされ候が
  法華経の御ゆへに過去に頸をうしなひたらば、かかる少身のみ(身)にて候べきか
五人土籠御書 文永8年 10/3
 ・今月七日さどの国へまかるなり【実際は十日】
寺泊御書 文永8年 10/22
 ・今月〈十月なり〉十日相州愛京郡依智の郷を起ちて、武蔵の国久目河の宿に付き、
  十二日を経て、越後の国寺泊の津に付きぬ
富木殿御返事 文永9年 4/10
 ・日蓮臨終一分も疑ひ無し。刎頭の時は殊に喜悦有るべく候
諸宗違目事 文永9年 5/5
 ・去年九月十二日の夜中には虎口を脱れたるか
撰時抄 建治元年
 ・二には、去にし文永八年九月十二日申の時(16:00)に平左衛門尉に向かひて云く、日蓮は日本国の棟梁なり。
 ・第二の文永八年九月十二日の御勘気の時は、
聖人御難事 弘安二年
 ・同じき文永八年〈辛未〉九月十二日佐渡の国へ配流、又頭の座に望む

1027パンナコッタ:2008/09/12(金) 20:54:40
続いて真蹟未断簡・曾存。

法蓮抄 建治元年
 ・去ぬる文永八年九月十二日の御勘気の時、重ねて申して云く、予は日本国の棟梁なり
一谷入道百姓女房御返事 建治2年 5/8
 ・又文永八年〈太歳辛未〉九月十二日重ねて御勘気を蒙りしが、忽ちに頸を刎ねらるべきにてありけるが、
  子細ありけるかの故にしばらくのびて、
報恩抄 建治2年 7/21
 ・去ぬる文永八年九月の十二日には頚を切らんとす
 ・去ぬる文永八年九月十二日に平左衛門並びに数百人に向かいて云く、日蓮は日本国のはしらなり
 ・去ぬる文永八年〈辛未〉九月十二日の夜は相模国たつの口にて切らるべかりしが、いかにしてやありけん、其の夜はのびて依智というところへつきぬ。
 ・又十三日の夜はゆりたりととどめきしが、又いかにやありけん、さどの国までゆく。今日切る、あす切る、といゐしほどに四箇年というに
下山御消息 建治3年 6月
 ・去ぬる文永八年九月十二日に都て一分の科もなくして佐土国へ流罪せらる。
開目抄 文永九年 2月
 ・日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此れは魂魄佐土の国にいたりて、

続いて写本分。
四条金吾殿御返事 文永9年 5/5
 ・去ぬる九月十二日御勘気をかふりて、其の夜のうちに頸をはねらるべきにて候ひしが、いかなる事にやよりけん、彼の夜は延びて此の国に来たりていま(今)まで候に
頼基陳状 建治3年 7月
 ・三位も文永八年九月十二日の勘気の時は供奉の一人にて有りしかば
三沢抄 建治4年 2/23
 ・而るに去ぬる文永八年九月十二日の夜、たつの口にて頚をはねられんとせし時よりのち、ふびんなり

次に未決文・及び確定偽書。
佐渡御勘気抄 文永9年 3/20
 ・九月十二日に御勘気を蒙りて今年十月十日佐渡の国へまかり候なり
佐渡御書 文永9年 3/20
 ・去年九月十二日御勘気を蒙りし時
顕立正意抄 文永11年 12/15
 ・去ぬる文永八年九月十二日御勘気を蒙りし時吐く所の強言 
妙法比丘尼御返事 弘安元年 9/6
 ・又去ぬる文永八年九月十二日に佐渡の国へ流さる
 ・第二度は外には遠流と聞こへしかども内には頚を切るべしとて鎌倉竜口と申す処に、九月十二日の丑の時に頸の座に引きすへられて候ひき。
 ・いかがして候ひけん、月の如くにをはせし物江の島より飛び出でて使ひの頭へかかり候ひしかば、使ひおそれてきらず。とかうせし程に子細どもあまたありて其の夜の頸はのがれぬ
四条金吾殿御返事 弘安元年
 ・去ぬる文永八年九月十二日の子丑の時、日蓮が御勘気をかほりし時、馬の口にとりつきて鎌倉を出でて、さがみのえちに御ともありしが
中興入道御消息 弘安2 11/30
 ・去ぬる文永八年九月十二日には御かんきをかほりて、北国佐渡の島にうつされて候ひしなり
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波木井殿御書 弘安5年 10/7
 ・同じき十月に訴状を書きて重ねて法光寺殿の見参に入れ奉りしに、
 ・文永八年〈辛未〉九月十二日には頚の座に登り、相模の竜口へ遣はさる
 ・既に頚切られんとせしが、その夜は延び候ひて相模の依智へわたされ、本間の六郎左衛門が預かりおきぬ。明十三日の夜ふけ方に不思議現ず。大星下りて庭の梅の枝に懸かりき
法華本門宗要抄 弘安5年
 ・日本国人王八十九代恒仁の御宇、法光寺殿の御代、文永八年〈辛未〉九月十二日、相州竜口に於て既に頭を刎ねられんとす
 ・法光寺殿の御所中に大星下り給ひて、石坪光を放ち之れを睨み、巍(いかめ)しき地震を以て四方を鳴動して之れを告ぐ
 ・合掌して之れを観念せしむる時、江の島より大いなる光物日蓮が頸の座の上に出現し、鷹隼の飛ぶが如くして後山の大木に移るかと之れを見れば、忽ちに雲霧を出だして即ち昏闇となり
 ・天明くる十三日の夜、方々に不思議の大彗星出現し、或は庭上の梅の枝に下りて夙夜に光を放ち、見る人目を驚かし聞く人之れを恐る

1028パンナコッタ:2008/09/12(金) 20:55:13
そして種種御振舞の記述部分。
 ・去ぬる文永八年〈太歳辛未〉九月十二日御勘気をかほる
 ・さては十二日の夜、武蔵守殿のあづかり(預)にて、夜半に及び頸を切らんがために鎌倉をいでしに
  江のしま(島)のかたより月のごとくひかりたる物、まり(鞠)のやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへひかりわたる。
 ・十二日の夜のあけぐれ(昧爽)、人の面もみえざりしが、物のひかり月よ(夜)のやうにて、人々の面もみなみゆ
 ・午の時計りにえち(依智)と申すところへゆきつきたりしかば、本間の六郎左衛門がいへに入りぬ
 ・其の日の戌の時計りにかまくら(鎌倉)より上の御使ひとて、たてぶみ(立文)をもって来ぬ。頸切れというかさねたる御使ひかともののふどもはをもひてありし程に
  其の夜は十三日、兵士ども数十人坊の辺り並びに大庭になみゐて候ひき。九月十三日の夜なれば月大いにはれてありしに、夜中に大庭に立ち出でて月に向かひ奉りて、
  自我偈少々よみ奉り 〜 いかに月天いかに月天とせめしかば、其のしるしにや、天より明星の如くなる大星下りて前の梅の木の枝にかかりてありしかば
 ・夜明くれば十四日、卯の時に十郎入道と申すもの来たりて云く、昨日の夜の戌の時計りにかうどの(守殿)に大なるさわぎあり

長くなって大変恐縮ですが、蓮祖の記述で時系列的にみてみれば
 12日夕方捕縛→大仏宣時邸で預かり→明けた13日深夜佐渡へ出発→途中、竜口で頚を切ると脅迫される→そして依智へ連行される
この辺が、記述から読みとれるほぼ実像に近い姿でしょう。 

すると種種の「十二日の夜のあけぐれ」は、やはり変ですね。13日のあけぐれでなければならない。
また過去に、種種と佐渡御勘気抄の分離していた所でもあり、混入も十分あり得るかと思います。
此処が原因かどうかは解りませんが、この場合の12日が(通しの)譬喩表現だったとしても一日ずれて後世の人々が
解釈・認識、偽書の作成が行われたようですね。
仮に光物があったとしたら、それは日付が変わった13日の深夜から夜明け前でしょう。日が完全に登ってからでは依智まで30〜40kmありますので
午の時(12:00)ぐらいに到着するのは護送されていることを考えれば、ちと無理でしょうね。
又、この日の日没後に星降りがあったことになります。つまり同日の出来事となります。
しかしながら学会等では、光物が発迹顕本とムリに位置づけして本仏論を唱えている割には星降りをスルーするのはどうなんでしょうかねぇ。

頚を切る という脅迫の事実は、佐渡に行く間も行った後も続けられていましたし、
伝説は伝説、後代の変な意味合いを無理強いする姿勢は改めた方がよいでしょうね。

1029犀角独歩:2008/09/13(土) 09:44:31

パンナコッタさん

興味深く拝読しました。

> この場合の12日が(通しの)譬喩表現だったとしても一日ずれて後世の人々が解釈・認識、偽書の作成が行われた

なるほどと思いました。


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