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現代人が納得できる日蓮教学

445顕正居士:2005/12/07(水) 05:22:22
>>434 >>438 大乗仏教における涅槃

初期の仏教にも、如来は死後に存在するともしないともいえないという話があります。
ですから涅槃は普通の意味の無とはちがうと考えていたようです。しかし菩薩として
また生まれて来るということはありません。だから観世音などの大悲の菩薩はあえて
仏果を取らない、一抹の煩悩を残しておくというのが普通の大乗仏教の思想です。

対して法華経は霊鷲山そのほかの住所で釈尊は今も常に説法しているし、最初の
成道の以後にも、常に菩薩として生まれて来たと説きます。それが法華経の独自の
思想であって、いわゆる本門の教義です。釈尊蓮祖一体の説は法華経の中心教義
に由来しています。釈尊はすでに涅槃に入っており、末法に上行菩薩を派遣したと
いうのはこの法華経の中心思想に合いません。蓮祖の本地は上行菩薩と限らない、
不可思議であるなどの表現は他の師にもありますが、日寛師の一体の説はたいへん
明晰です。

上行菩薩はあえて仏果を取らない、一抹の煩悩を残した大悲の菩薩です。仏とほぼ
変わらない等覚の菩薩ですが、蓮祖は名字初心の菩薩です。したがって本地上行
の説だと、蓮祖はあくまで上行菩薩の和光同塵した垂迹の姿です。つまり、これは
普通の大乗仏教の解釈です。法華経の中心教義である永遠の菩薩道に合致するの
は釈尊蓮祖一体の説です。寛師説の一体は蓮祖そのままに釈尊という意味です。
ただし蓮祖は名字初心の菩薩ですから、一番成道の本果の釈尊ではなく、久遠本因、
菩提心を起こされた時の釈尊と一体の意味です。


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