[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
現代人が納得できる日蓮教学
441
:
とんび
:2005/12/06(火) 19:46:53
こんばんは。
本尊抄に
「不審して云く、非情に十如是亘らば、草木に心有りて有情の如く成仏を為すべきや 如何。答へて曰く、此の事難信難解なり。天台の難信難解に二有り。一には教門の難信難解、二には観問うて曰く、
百界千如と一念三千と差別 如何。答へて曰く、百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亘る。門の難信難解なり。・・・百界千如・一念三千にして非情の上の色心の二法十如是是れなり」
と、ありますが、まず、百界千如という意味がわかりません。いくつかの仏教辞典を調べましたが、
載っていませんでした。
上記の違文は、百界千如と一念三千とは、違うが、けれど同じだよ..と言っているので
しょうか。とにかく語句の意味がわからないと理解することができません。
ブラフマン・・・すべて、全体、外道でいうなら神か
アートマン・・・個人、我、個性、外道で喩えるなら神の子か
神の子である衆生から、解脱して、元のところに還る。全体に同一するわけだから
、その人の個性は、完全になくなる。個性は無だけど、有ではある。
こんなように、インドあたりの外道教は、説いているのでは..と思っています。
ちなみに、釈尊は完全に解脱した、と信じる人の本を読んだことがありますが、
その人の目的は、完全なる解脱・絶対無で、ブラフマンとか神に帰するのではなく
完全に存在しなくなるというのが解脱で、たかん打座?(とにかく座禅です)を修行
していました。でも別の人が読むと、その人のいう絶対無というのは、非想天みたいな
感じだなあ..といっている人もいました。
ただ、こういう考えもあるのだな..と思いました。
久遠に於いて、日蓮さんが仏、釈尊が弟子..は、法華経に出てくる、釈尊の
弟子の、成仏の記別に於いて、述べている「内容のことを」、わかりやすく、
釈尊と日蓮さんにあてはめて、例えとして用いました。
ですから日蓮本仏論にあてはめたわけではありません。
釈尊は入滅していない、常に娑婆霊鷲山にあって説法教化しているという
そうですね、そう書いてあります。このところを正宗系では、日蓮さんは、
現在、板本尊となっていて、常に「戒壇の大御本尊」は、そこにあって法を
説いている。すなわち信ずる者には福。謗ずる者には罰を説いている..と。
すくなくても、顕正会では、そう説明していました。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板