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現代人が納得できる日蓮教学
332
:
小池
:2005/10/18(火) 21:13:53
【Ⅳ.末法】
今回の末法についての呈示は、末法思想を鼓舞する人々が、自分達が生きている時代こそ末法であるという認識に立っているという点である。
梵本法華経の制作者といえども、この例外ではないと考える。彼らが経典を創作し、釈迦滅後の時代を描写するのは、自分達こそ、その「末法」の弘法者であるという認識を、紀元前後の段階で既に持っていたからと考える。創作者たちがいう末法とは梵本法華経成立時点、さらにそこに登場する釈迦を担う主人公・地涌菩薩の出現もまた、創作者とその集団を指した西暦前後その時代を想定したものであったろうと考える。
重要な点は法華経制作者も、天台教派も、そして、日蓮も、通じて、自分達の時代が末法であるという自覚に基づいているという点である。
末法認識とは、現実社会が乱れ、滅亡に向かう様相を呈し、さらに人心が退廃している理由を、正しい教えの滅尽したことに理由を求める構造で古今一貫しているという点である。
法華経は、末法(教説が絶える=法滅)という時代に、釈尊を仰ぎ、「この世をどうするのか、衆生をどうするのかを考えた」経典であったという点(厳密に言えば「」で括った部分)が評価できる。
末法‘思想’は、この世をどうするのか、どう変えたかによって意味をなす‘思想’であるという点を再認識し、実際に活かされれば今日的な意義を持つに至るのではないか、その可能性があるのかが議論したい点。
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