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現代人が納得できる日蓮教学

982犀角独歩:2008/07/25(金) 22:39:06

富士川さん

たぶん、推量当たりです(笑)
いまさら、石山方のことをわたしが、このスレッドに書くのも変ですが、要は「余念なく」というのが、在り方だというわけですね。それで

「余念は謂く唱題成仏の外念慮あるべからず、故に当家の行者は若は誦経、若は唱題一向余事余念無して南無妙法蓮華経と唱る処に妙法の即身成仏を立たる者」

などというわけですから、文字どおり、妙法蓮華経への南無の一念は即身成仏以外の念慮があってはならないというのが教えなのでしょう。こうした点を某氏は言ったわけでしょうね。

ところが日寛『六巻鈔』を見ると、実は、そうなっていないわけです。

「南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。
 南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。
 此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし云々」

下種三宝を念じて、唱題して一生涯を過ごせといいます。創価学会、顕正会はお気の毒ですが、南無が直接かからないまでも「嫡々付法歴代の諸師」も念じる対象に入っています。「除歴対象の歴代は別」という口上は成り立つかどうか、成り立ったとしても、「先生」を念じろ、祈り殺せ、種々の祈念を具体的に念じろなどとなどいうのは、まさに創価学会の考案したところであって、日蓮とも、日寛とも関係のないわけですね。

「現代人が納得する」というテーマに沿えば、即身成仏より、「願いは何でも叶う」といった欲望充足型のほうが受けるということでしょうか。こうした戦後復興の民衆のニーズに巧みに合わせて改変されたのが、創価学会の「題目を上げる」というやつだったということになりますか。
さらに昨今では憎き相手は憎悪し呪うようで、もはや、黒魔術、呪術の域に達し、ここまでくると、現代人のニーズから離れた感があります。


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