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現代人が納得できる日蓮教学

674犀角独歩:2006/04/30(日) 09:08:42

文殊さん

なぜ、石山の彫刻を論じることが極論なのでしょうか。
当然のことでしょう。

科学を論じる際、天動説を指示する学者の話を大衆が聞かないように、日蓮を語る際に、彫刻が本物であるという人間の話を聞く人間はいないでしょう。むしろ、そんなことを騙って憚らないその心理構造の問題を指摘しなければならないということです。
感情論でもなく、わたしの過去の「複雑な思い」などと収斂されることではありません。

彫刻の模造事実を秘匿して、啓蒙的宗教認識があれば、事実が解明されるなどということは夢想に過ぎないという指摘に過ぎません。
これは、わたしにおける誠実な対応です。

極論というのは、たとえば、あなたが仰るように啓蒙的宗教認識があれば、地下鉄サリン事件が起きなかったなどという類にこそ言えます。
むしろ、この問題を避けるあなたの在り方のほうが感情的であると映じます。

島田師、中澤師に、仮にオウム真理教地下鉄サリン事件の責任があるというのであれば、彫刻を本物であるということには道義的責任はないのでしょうか。

わたし自身、中沢師の著述は、もちろん、読みましたし、当時、特にチベット研究者との親好もありませんでした、それでも、その著述からオウム真理教に入ることはありませんでした。また、オウム真理教の信者数と、石山・創価学会・顕正会の信徒会員数など、比ぶべくもないものです。

また、殺人という問題をいえば、大東亜共栄圏、八紘一宇、天皇本仏論といった日蓮主義が、では、荷担した戦争殺人の責任は、オウム真理教より軽いのでしょうか。小笠原慈聞師にせよ、当時の石山僧俗にせよ、この問題に荷担していませんでしたか。

他のことは客観的に論じながら、あなたはご自身の信仰については主観的自己弁明に終始しているようお見受けします。

日蓮門下、殊に富士門流、取り分け、創価学会を含む石山圏内で、第一に論じるのは彫刻問題、次に日蓮本仏論その他の日寛教学、このハードルを越えずして、日蓮門下一般とのまともな会話も成り立たないのは、理の当然です。この点を避けて通るあなたの在り方にわたしは不思議を覚えます。

そもそも、わたしが何ゆえ、日蓮宗との通用があるのか、それは、この問題を決して避けて通らないからです。

また、あなたが学僧という人々、花野氏、興風檀所各位への評価は、学術的方向で一定の評価を得ながら、彫刻比定を出来ない点について、冷笑を買っている場面には常に出くわしています。本人に告げられることがなくても、その点が壁になり、それ以上に進まないならば、その障害を取り除くことを提案するのは、むしろ、あなたがいう啓蒙的宗教認識の、石山問題の最大の課題である所以からです。さらにいえば、それら人々を惜しむ故の提言以外の何ものでもありません。


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