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現代人が納得できる日蓮教学

286犀角独歩:2005/10/13(木) 09:26:28

小池さん(こちらの字でよろしいのでしょうか)

> …法華経の題目観…望月師の考えは拝聴すべき

ブログは、一種の備忘録で、該当記載も片岡邦男師の講義内容を記すばかりです。
望月師の題目観を、不勉強なわたしには直ちに簡潔に思い出せませんが、参考にすべき内容があれば、資することは大いにけっこうなことであろうと考えます。

> 不軽品…敬う心で仏になるという理屈

そのように言えないこともありませんが、より正確に記せば、ここのコンセプトは、礼拝行であり、「其罪畢已」ということでしょう。その礼拝は「敬い」「堪忍」に基づくという順位でしょう。そのような不軽の心身は「浄い」=罪を積まない=過去から蓄積された罪が消える=結果、仏果を得るということであろうと思います。

> 人に瞋恚を生じさせるような振る舞い

「瞋恚」するかどうかは、礼拝された相手の心の問題です。
敬われ、敬いの心、信順の心が生じれば順縁、瞋恚が生じれば逆縁、順逆共に仏縁、瞋恚の人有って・敬礼する側が心にただ礼拝の順のみあれば、罪を滅するというのが教学的な態度であろうかと存じます。

「不軽菩薩の悪口罵詈せられ、杖木瓦礫をかほるも、ゆへなきにはあらず。過去の誹謗正法のゆへかとみへて、其罪畢已ととかれて候は、不軽菩薩の難に値ゆへに、過去の罪の滅するかとみへはんべり」(転重軽受法門)

> 御義口伝…「其の意」が妙法5字と24字で同じ

御義口伝を日蓮の直接の説とすることはできません。この点については、わたしのサイトに執行海秀師の『日蓮教学上に於ける御義口伝の地位』という秀でた論文を置いているので資してください

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_002.html

該当の箇所は

「第五 我深敬汝等 不敢軽慢所以者何汝等皆行菩薩道当得作仏の事
 御義口伝に云はく、此の二十四字と妙法の五字は替はれども其の意は之同じ。二十四字は略法華経なり」

と二十四文字についての御義口伝という体裁を取っています。その意が同じというのは、この二十四文字が示す、敬い、軽慢しない、一切衆生が菩薩道によってやがて仏を得るとする点が、法華経典全編であれ、二十四文字であれ、題目の五字であれ、同じである、故にこの二十四文字は簡略に示された法華経といえるということでしょう。

この解釈は当を得ています。ですから、いま、法華経を信仰する、日蓮を信仰するといい、経巻、遺文を読み、口に題目を唱えても、相手が不信、謗法であるなどと理由を付けて、敬わず、軽慢すれば、そのような信仰者は法華経、日蓮の意に外れるということを、この文は示しているのです。信仰者、行者の心の置き方を示した簡潔な説明です。

なお、真跡で、この「二十四文字」を示すのは、やはり、以下の文でしょう。

「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て、閻浮提に広宣流布せしめんか。例せば威音王仏の像法之時、不軽菩薩、我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如き也。彼の二十四字と此の五字と、其の語は殊なりと雖も、其の意、之同じ。彼の像法の末と、是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫也」(顕仏未来記)

言うまでもありませんが、「不軽菩薩は今の教主釈尊なり」(日妙聖人御書)で、この点は不軽菩薩品に「豈異人乎 則我身是」で菩薩行の釈尊です。比して日蓮は、その初発心の弟子・上行の自覚で名字凡夫を言うのでしょう。ただし、これは名字凡夫=示同凡夫=自受用という日蓮のあずかり知らない『秘密荘厳論』の諸説とは関係のないことです。生仏(衆生・仏)の配立に基づくのであろうと考えます。

「天台大師の云く ̄是我弟子応弘我法〔是れ我が弟子なり、応に我が法を弘むべし〕。妙楽の云く ̄子弘父法有世界益〔子、父の法を弘む。世界の益有り〕。輔正記に云く ̄以法是久成法故付久成人〔法是れ久成の法なるを以ての故に久成の人に付す〕等云云」(本尊抄)

という教学的態度です。


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