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現代人が納得できる日蓮教学
501
:
れん
:2006/02/26(日) 18:06:39
一字三礼さん、こんにちは。
小松師の日蓮遺文講義にご参加されたとのこと、松山師講義に引き続きのご参加の由にて、熱心なるご研学に心より敬服致します。
さて、天台と日蓮の一念三千についてですが、天台大師の本来の意味での一念三千論については、私自身の勉強不足で分かりませんが、日蓮の場合のそれは十章抄の「一念三千と申ス事は迹門にすらなを許されず、何ニ況ヤ爾前に分たえたる事なり。一念三千の出処は略開三之十如実相なれども、義分は本門に限る」とあり、一字三礼さんが現在聴講されている開目抄には多少やや具体的に「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説て爾前二種の失一ツを脱レたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず。二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波ノ上に浮ヘるににたり。…爾前迹門の十界の因果を打やぶて本門十界の因果をとき顕ハす。此レ即本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具シ、仏界も無始の九界に備リて、真ノ十界互具・百界千如・一念三千なるべし」とあります。日蓮の認識としては、天台のそれは、迹門方便品の十如実相・二乗作仏等を出処として立てられたが、天台のそれは久遠実成の本仏・本門寿量品の教主釈尊の本因本果の法門から開出されたものでないために、迹門立ち(始成正覚)の一念三千であり、日蓮のそれは、寿量品の久遠実成の釈尊の本因本果の法門に即して立てたものであるから、本門立ち(久遠実成)の一念三千である、日蓮の立場はその久遠実成の釈尊に即して立てた本門の一念三千を真(まこと)の一念三千とするといったものではないかと、素人考えしております。ご参考にならないとはぞんじますが、一応の試案として書いておきます。
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