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現代人が納得できる日蓮教学
259
:
犀角独歩
:2005/10/08(土) 12:07:17
古池さん
平川説のご紹介、有り難うございました。
わたしは法華経の最大の利点は、著名な法師品の「会座室の三軌」と言われる整理だと思っています。
如来室者。一切衆生中。大慈悲心。是如来衣者。柔和忍辱心是。如来座者。一切法空是。
(如来の居室とは何か。すべての人々を憐れむ心の状態が如来の住居である。そこに良家の息子は入るべきである。…如来の衣とは何か。非常な忍耐をする心の穏やかさが如来の衣である。かの良家の息子あるいは娘は、それを身にまとうべきである。…如来の座とは何か。すべてのものは「空」であるという考えに入ることが如来の教えの座である。かの良家の息子はそこに坐るべきである『法華経』中・岩波文庫 P159)
以上のことから、法華経は空の思想を重要視していると思います。
平川師がいう「有」とは何を指すのかよくわかりませんが、仏教学の見地であるとすれば、「有部」の流れという意味なのでしょうか。それとも「無我」に対して「有我」のことをいうのでしょうか。ご紹介の部分だけでは、解しかねます。
先のご紹介した講義の折、松山師は「法華経でも頻繁に経典名を挙げるが100回程度。ところが般若経では「波羅密」が1700回も出てくる」('05.6月度講義)と話されていました。メモだけに不正確なのですが、言うところの般若経とは、大乗経典の最初に成立した『八千頌般若経』で次が『法華経』であるというのが、松浜師の考えなので、それを指すのだろうと思います。「波羅密」は般若波羅密のことと思え、ならば如来智・空が1700回も繰り返し論じられているという意味になるのでしょうか。以上の点は経典を捲り確認したことではありませんが、もしそうであれば、空を強調する頻度は、法華経を遙かに上回るということになります。しかし、だからといって、法華経が「有」に属するとするのは、どうも合点が生きません。
いずれにしても各師の諸説は学術的な現代進行形のものですから、それが確定であると見れば、すぐに時代遅れになります。常に最新の確実な資料を求め、自分の固定観念を書き換える作業が必須です。また、諸説はしかし、時系列で見て、最新のものが常に正しいとは限らず、後退もあります。さて、平川師の指摘は、どちらに該当するのか、慎重に考えてみたいと思います。
いずれにしても、資料のご呈示、有り難うございました。
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