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現代人が納得できる日蓮教学

323無徳:2005/10/18(火) 16:14:38
>小池さんの引用された平川氏の説にもあるように、「すなわち法華経は、空
>系列の経典であるよりも、真如や如来蔵思想に発展してゆく有の系列の経典
>と考えるべきである」
>中略
>「時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅」ではなく、実在としての
>それであるならば、法華経は、なかんずく蓮祖は「空」思想と折り合えなく
>なってしまわないでしょうか。

と、小池さんや乾闥婆さんが示された平川彰氏による当該箇所は私も、かなり
以前に読んでなかなか理解し難い文意に戸惑ったことを思い出しました。

ただ、乾闥婆さんが独歩さんとの論議の中で引用された講座・大乗仏教第四巻
『法華思想』(41p)の中にある当該箇所は、平川彰著作集第六巻の『初期大乗
仏教と法華経』(356p)の中にもほぼ同文が載っていますが、若干内容に違いが
あります。

それは、『初期大乗仏教と法華経』の中では、「仏教思想を空の系統と有の系統
に分けるとすれば、法華経は有の系統に属するというべきであろう。」の後に
「しかしその有は、空を離れた有ではない。この点が誤解されやすいが仏教で
は、空と有とは矛盾するものではない。同じことを、空をおもてと見るか、有
をおもてと見るかの違いである。空は論理で理解できるものではないのであり、
教理の思索から長年月の間に自然に体得せられるものである」となっています。

それにしても、<法華経が「有」の立場に立つことは、法華経が「信」を重視
することにも関係がある。信仰は実在を対象とするからである。>との論点に
は少々驚きます。私の考えでは有である実在を対象とするのであれば信を強調
する必要はなく、そもそも仏教を実在論的に理解することは現在では迷妄とさ
れているように思われますが如何なものでしょうか?


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