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現代人が納得できる日蓮教学

398小池:2005/11/12(土) 16:36:11
独歩さん

大変ありがとうございます。

>ここでは、妙法蓮華経が象徴(シンボル)となってしまっているので、台釈からすれば「言語道・断、心行処・滅」(言語という方法論から断絶、精神活動の滅した処)という境地、また、空、無我と、これでは齟齬を来たすのではないのかという疑問です。

「妙法蓮華経が象徴(シンボル)となってしまっている」についてですが、これはどのような意味合いでしょうか。経題が象徴になっているというこどてしょうか。お教え頂ければありがたいです。
また、「言語道・断、心行処・滅」とは、南無…経が言語で表出できない神秘的なもの、不可思議なものということから、言語で究極の一法である南無…経は解説不能ということでしょうか。

天台は漢訳法華経その他の経々を見、そこに一代五時八経、妙法華を釈尊の究極の経ととらえたと推測しますが、このような経典理解の仕方からすれば、そのようにも考えられると存じますが、世界的な現代仏教学では、経典は個別的に成立したのではないかというふうに把握されているように推測されます。そうしますと、梵本法華経をもって釈尊の出世の本懐ととらえることは難しいのかなと思われますがいかがでしょうか。

>社会心理学的な分析に係れば、これは「個人的リアリティ」とされるところで、一般を納得させる内容にはなっていません。

仰せのとおりだと私も思います。「個人的リアリティ」の世界はなんら否定しません。岩本師は、日蓮は晩年に至るまで密教的色彩から脱却できなかったと述べられていましたが、伊豆流罪の折の伊東氏の病気平癒を祈念したことにみられるように呪法的(大変言葉が悪くお詫びしますが。あるいは聖人の口傳か否か執行師の指摘されるところではありますが、「御義口傳」の陀羅尼品での説明のような?)な力は南無…経にあるのではないかとも思われますがいかがでしょうか。


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