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現代人が納得できる日蓮教学
691
:
犀角独歩
:2006/05/01(月) 05:13:32
文殊さん
わたしはあなたに「石山彫刻の真偽を論じることが、なぜ、啓蒙的宗教認識に入らないのか」と675で問うています。これを無視して議論を進めるやり方は、当掲示板の投稿の姿勢としては、甚だ不可であるいうほかありません。
また、あなたの考えは、日蓮滅後に興った漫荼羅を本尊とする、「漫荼羅正意」論を恰も日蓮の本義であると決めつけた形で進んでいますが、それは富士門下の改変であって、日蓮とは関係がないことは、ここでは論じられてきました。日蓮が、漫荼羅を本尊とした証拠はありません。
さらに日蓮が臨終に当たり、枕辺に漫荼羅を懸けたというのは、単に伝説なのであって、事実である証拠は何一つありません。
kabataさん
はじめまして。わたしの考えを端的にまとめていただきまして有り難うございます。
仰るとおりで、模造偽物の彫刻を拝むものが、別勘定云々で他山を批判するなど、「盗人猛々しい」ことであると嗤うほかありません。また、それがここ50年間の日蓮宗の言い分でしょう。
別勧請と雑乱勧請について。一字三礼さんが仰るように、漫荼羅に勧請されない諸尊もまた、祀られるのわけです。けれど、たしかに仰るような形も当然あります。それはともかくとして、漫荼羅に勧請されたものを別に祀って何故悪いのかというのは、尤もなご意見であるとわたしは思います。
日尊、日順などは、漫荼羅図は戒壇に奉安される仏像配置の設計図の如きを言うことは、既に顕正居士さんも挙げられた点で、いわば、別勧請造像奉安は、その類型と見なせることで、これを比定する根拠は「広宣流布以前」というほか、ないとも考えられます。
また、勧請されていないものを祀るのはどうかという点では、定まった考えをわたしは有していませんが、しかしながら、一方で他の問題もあることを指摘できます。つまり、日蓮の現存漫荼羅に勧請されていない諸尊を、漫荼羅に書くことは、では、日蓮に違反しないのかという点です。石山も他派を真似てはじめたという導師漫荼羅を称されるものには閻魔法皇等が勧請され、これは日寛も書いています。また、日寛が地域の土俗信仰の諸尊を漫荼羅に記した事実を石山は秘匿しようとしているといいます。さらに、「奉書写之」と記して漫荼羅を書きながら、実際には彫刻の座配と違っていることは、細井日達氏が精道の名乗りの時代記述から明らかになっています。その後、石山では書写と言いながら記述内容の相違を「内証を写す」などと苦しい弁明をし、その追及はここでも何度か行ったところでした。
日蓮は弘安期でも釈迦仏像の造立を賞賛する消息を残すわけですから、漫荼羅が釈迦像に代わる本尊であるはずはなく、昨日の議論の流れは全く日蓮の意図に反したものであるといわざるを得ません。その意味において、686に文殊さんが記したことは全く不可です。そもそも日蓮真跡遺文といわず、御書全般でも「荒凡夫」などという考えは見られません。
乾闥婆さん
仏教の解説書は仏教書ではないという意味での記述です。
法華経入門という本がある場合、この本は解説書であって法華経ではありません。
この手の解説書のなかで、殊に富士門下などで必携の書を挙げるとすれば、わたしならば執行海秀師の『日蓮宗教学史』を薦めます。
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