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現代人が納得できる日蓮教学

257犀角独歩:2005/10/08(土) 07:48:59

小池さん

松山師の講義を当日書き留めたメモをアップしているもので、その詳細はご本人にお聞きしないとわからないという前提で、ですが。

>後期般若経にも「南無般若波羅密」とある。…お題目

「題目」というのは、現代で言えば、題名ということです。もっと正確に言えば、お経の題名=経題です。その妙法蓮華經という経典の題名に「南無」を関して唱えたことから、やがて、唱題、お題目という語が定着していったのだと思います。
特に、阿弥陀仏の名前を称えることを称名というのが、本来は称名念仏というセットだったのが、頭だけ取れて、「お念仏」と言っても、実際には口で称えることを意味するようになったように、語彙使用の変遷があるのだと思います。


南無は帰命、般若は智慧、波羅密は漢字度文字で書けば「度」で、日本に定着した言葉で言えば彼岸、より正確に言えば到彼岸で、此岸に対する語でした。要は迷いのこちらの岸から、覚り(度)の彼(向こう)岸に到るということですから、覚りに至れる智慧に帰命するほどの意味で、現在、行われる唱題(=お題目行)のようなものとは、違うのではないのかとも思えます。しかし、正確なところは、調べておりません。

>元来、仏教では複数仏が想定されていたが、ニカーヤ以降、一仏となっていった。

どこから説明してよいか悩みますが、釈迦仏(陀)、釈迦牟尼世尊、釈迦如来、などの尊称、buddha(仏陀)、bhagavat(世尊)、如来(tathagata)等は、特に仏教固有の尊称ではないわけで、また、釈尊自身、新宗教の教祖という自覚はなく、バラモンという精神風土のなかで自分を自覚していたわけでした。つまり、バラモン教という範疇のなかで Buddha(目覚めた、覚った)という自己認識であったと思います。そんなことから、初期の段階では、仏というのは釈迦一仏に限っていたわけではなかったのが、時代を経るごとに一仏統一の方向に動き、そこから、また、複数の仏が生じ、また一仏統一という方向に動くという経緯があったわけです。その過程で既にニカーヤ(阿含)の段階で一仏の方向が見られるということを松山師が仰ったのだろうと思います。

>シャキャムニが「町の中で説いたかどうかわからない」ということがわかった

いったい、釈尊の説法とはどのように行われていたのかという疑問に発したものであったと記憶します。
法華経で言えば、霊鷲山で説法したなどというわけですが、では、実際のところ、釈尊が説法するというのは、どんなふうであったのか。今で言えば、寺院があって、その中で、聴衆を前にして、坊さんが語るわけですが、あんな感じではないでしょう。要するに、こんな基本的なことがわかっていないということです。また、釈尊は弟子に語ったのか、王族、長者に弟子共に食事に呼ばれて、そのあとに、そのように供養した特定の人に語ったのか、弟子に語ったのか、また、不特定多数の人がいる町中で語ったのか、そのようなことは、改めて考えてみると、まるでわかっていないではないか…、ということを、改めて、梵本を読み直してわかったと松山師が語ったことでした。


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