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現代人が納得できる日蓮教学
481
:
れん
:2006/02/04(土) 20:47:15
顕正居士さん
477〜479居士さんの投稿へは、本来ならば独歩さんが応答するべきとこですが、独歩さんがここのところ、こちらに投稿されてないので、僭越ながら所感を述べてみます。独歩さんにおかれては、12月の私が菅野師の宗史論文の一部を紹介したときの、独歩さんよりの御批正を戴いた際の、私の応答の言葉に気分を害されておられるのではと危惧しております。万一そうならば、万事お気になさらずに、以前と変わらずに宜しくお願い申し上げます。
顕正居士さんの477〜479の御投稿に、すべて同意・賛同いたします。
>477
日蓮信仰から多数のカルトが生ずる原因を考察するには、ご指摘の通り、日蓮教学とプロテスト神学の比較、日蓮系カルトと福音派カルトとの比較作業が大変有効と存じます。ただ居士さん・独歩さん他少数の方以外は、実際の所、私も含め善くも悪くも日蓮教判の“内外相対”で捌いてしまい、キリスト教を省みることは殆どなかったのではないでしょうか。かく言う私も大昔、知り合いのキリスト者の影響で“人間イエス”に興味を持ち新共同訳の聖書・グノーシス文献のトマス福音書を少し読み噛った程度なので、顕正居士さんの海の如く深い学識にはとうてい及ばないので、私にとっては、これは今後の宿題となりますね。
ただ、石山系カルトは、日蓮教学というよりも、江戸期の石山寛師が集成した教義体系に基づいており、どちらかといえば、寛師ファンダメタリズムとでもいうべき側面があるのではないかと思え、やや複雑という感じがします。
寛師について、顕師の説によれば、寛師が文段・六巻抄において述べた名目等は秘伝ではあるが、殆ど外用の部分であり、“内証”に用いるところの“法門”は示さなかったとのことで、この辺の事は現在でも未公開であり、蓮師教学〜興師教学と石山の根幹教義との関連性を学問的に論証できないのは、日寛思想を考察し、この問題を考える上では、マイナスだと言えるでしょうね。
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