[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
現代人が納得できる日蓮教学
509
:
顕正居士
:2006/02/28(火) 06:51:17
>>502
で一字三礼さんが文底秘沈の文を引いておっしゃったように、一念三千が二つある
わけではありません。三世間を掛けないと三千にはなりません。
「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかも
いまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」
竜樹世親は知っていたが寿量品の文の底からひろいださなかった、すなわち説かなかった。
天台智邈のみ、その一念三千の宝珠を取り出したのであると。
一念三千について本尊抄のはじめに明晰に説明されています。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049185&VOL_NUM=00000&KOMA=480&ITYPE=0
玄文には一念三千の名目はない。止観の四までにもない。智者大師は三十年の弘法、しかし
二十九年は五時八教と百界千如を説かれるのみであった。止観の五ではじめて一念三千の
名目が現われたのである。これこそ天台智者の終窮究竟の極説、説己心中所行法門であると。
そして
>>506
で犀角独歩さんがおっしゃった湛然の無情有性の話題に進みます。百界千如
と一念三千の相違とは、百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亙ることであると。
開目抄に百界千如を迹門の一念三千といっておりますが、それは
>>504
でわたしが述べた
意味あいであって、一念三千に二つあるのではありません。一念三千は天台智邈の終窮究竟
の極説、説己心中所行法門です。
れんさんが
>>503
で引かれた「一念三千ノ観法に二ツあり。一ニハ理、二ニハ事なり。…」は
「天台・伝教等の『御時』」というように時の相違である、「彼は迹門の一念三千」は開目抄の
用例でわかるように百界千如です、「此は本門ノ一念三千」は智邈の終窮究竟の教説が世に
本格的にあらわれる時の意味です。
智邈、湛然、最澄、日蓮に一念三千の理解の相違が当然、あるでしょう。しかし日蓮の主観
においては一念三千の教説は智邈が寿量品の文の底からひろいだしたのであり、正統天台
の後継者と自負するゆえんです。また止観五の文、湛然の注釈、知礼の論争決着からいって、
決して日蓮の主観にのみとどまるものではありません。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板