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現代人が納得できる日蓮教学
651
:
乾闥婆
:2006/04/27(木) 02:29:34
犀角独歩さん。文殊さん。
横から失礼します。
>> 広島・長崎の被爆の記憶も風…イラク戦争の劣化ウラン弾も忘却
>この二つは、ハンディーキャップ問題と併せ、日蓮以上に、わたしの主要テーマです。
しかし、ここに花野さん・末木さんの脈絡は、全くといってよいほど感じられませんが、これはわたしの誤認識でしょうか。
末木文美士氏の近著『仏教vs.倫理』にて、アウシュヴィッツ以降の倫理はいかに可能かを追求しているアヴィシャイ・マルガリットの著書『記憶の倫理』を紹介しつつ、その主張であるところの、宗教に替わるべきものとしての「記憶」の重要性の強調に対し、疑義を表明しています。それが以下に引用するような記憶の風化ということのようです。
「それを安易に批判することは慎むべきであるが、はたして生者の記憶の継承だけで、本当に死者たちを受け継いでいけるのだろうか、という疑問は率直に提示されうる。生者の力をそれほど信頼してよいのだろうか。あるいはまた、死者はまったくの過去の中に葬り去られてよいのであろうか。生者の記憶にしても、それを生者だけで継承していけるのであろうか。苦しみ死んだ死者が力を与えてくれなければ、生者だけでなしうることは本当にわずかしかないのではないか。
広島の平和公園の中心には原爆死没者慰霊碑があり、そこには「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」という有名な文句が刻まれている。死者に向かって、過ちをくり返すまいという生者の宣言は、きわめて重いものがあり、その前に立つものを粛然とさせる。しかし今日、はたして死者は安らかに眠っていてもらってよいのであろうか。過ちが次々とくり返され、しかも次第にひどくなってきていることは、あまりにも明らかである。死者に眠っていてもらい、生者だけで過ちをくり返さないようにすることが可能と考えたのは、いささか楽観的すぎたのではないか。
弱い生者は、放っておけば、どんなに愚かなことでも、残酷なことでも、またまた性懲りもなくくり返し、そればかりかエスカレートしてゆく。それを押し止めてくれるのは、苦しみ死んだ死者たち以外にはない。ヒロシマの風化が伝えられて久しい。生者の記憶だけに依存する限り、どんどん風化していくのはどうしようもない。死者たちの声に耳を傾け、死者たちとともに歩むことができなければ、生者の荒廃はとどまるところを知らない。」(P201-202)
その文脈の中で劣化ウラン弾への言及もあり、文殊さんの言われるところの末木氏の死生観への読み込みとは、このような部分についての思いであるのではないでしょうか。
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