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現代人が納得できる日蓮教学
347
:
犀角独歩
:2005/10/21(金) 14:29:24
乾闥婆さん
> 池田氏自身が曼荼羅を図顕…危惧
「危惧」ですか。わたしは、一つのカードとして、別段、そのようになったとしても「可」と思います。創価学会がこれをやらないできたのは、本尊書写は(血脈を受けた)法主一人の権能であるという石山アナウンスを墨守するからでしょう。また、それに従ってきた歴史的経緯があるからでしょう。ナンセンスと考えます。
現段階では物的証拠を握っているわけではありませんが、戸田氏も一遍首題を書いたという話はまことしやかに囁かれています。田中智学しかり、宮沢賢治しかり、日蓮を究極的に詰めていくとき、実際に漫荼羅を書写してみることは、わたし個人としては、否定されることとは考えていません。ただ、写真に撮った漫荼羅が印画紙に焼いたり、コンピュータのモニターに映るだけでは本尊足り得ないように、各人が写した漫荼羅が本尊足り得るかどうかという問題があるだけです。漫荼羅を書くことが「謗法」だというのは、ただの思考操作に過ぎません。
わたしは何度も書いてきました、池田氏は他に類例を見ないほどの合理主義者です。わたしがここで書いてきたことは先刻ご承知でしょう。承知のうえで、数百万人の創価学会が不信を抱いたり、学会路線を踏み外さない‘さじ加減’を正確に見極め‘小出し’をしてきたのでしょう。これは「池田氏が」というより、「宗教法人創価学会が」といったほうが、より適切なのかも知れません。
会員は、その時その時の‘指導’に踊らされますが、実際の創価学会の方向性は、そんなところにはないでしょう。長期数十年計画の、自分たちの行き着く方向性は見極めていることでしょう。しかし、そこで一番の大きな問題になっていることは何かという点に、わたしは目を向けてきました。ただし、それは単なる創価学会批判などと言う感情論ではありません。
創価学会のアキレス腱は、日蓮でいくのであれば、結局のところ、自前本尊を持てないという一点に問題があることは明白です。
創価学会の最大の弱点は、石山型の日蓮を担いでしまったことです。
日蓮を追い求めていけば、必ず、日蓮真筆漫荼羅に行き着きます。
それは恰も、宮沢賢治の童話、詩、そして、人生に興味を懐き、賢治を追い求めていくとき、ついに『雨ニモマケズ』の詩、その精神に行き着き、そして、通常の詩集では割愛されているにもかかわらず、その詩の最後に記された漫荼羅に行き着くようなものです。
しかし、ここで石山「日蓮」は大きな障壁になります。しかも、それを壁に作ってしまったのは、まさに昭和30年代の創価学会でした。しかも、先にも記したとおり、いまの創価学会はこの宮沢賢治の断末の筆跡、漫荼羅を認めたことを肯定するキャパはないわけです。そして、さらに深刻なことは、先にも記したとおり、日蓮真筆漫荼羅を一切、否定した立場にあるということです。日蓮真筆漫荼羅を無視した日蓮など、まさに魂なき日蓮であって、日蓮とは言えません。
しかし理念としての日蓮であれば、漫荼羅は要らないとも言えます。
ところがいまの創価学会は日寛書写漫荼羅を使っているわけです。ここに矛盾があります。
乾闥婆さんご自身、この本尊に拠っていらっしゃるとのことで、以下、申し上げるのはやや気が引けます。しかし、決して、乾闥婆さんの信仰、また、その様を侮蔑しようなどということではなく、純粋に論考として記します。日蓮真筆漫荼羅に比べれば、日寛本尊など、巨匠の書画と、小学生の筆字ほどの差があるでしょう。いや、もっとあります。天地雲泥の差です。
今後、創価学会が変わらず、漫荼羅本尊でいくのであれば、実は道は二つしかないでしょう。一つは池田氏が書くこと、もう一つは、適当な日蓮真筆漫荼羅によるかです。そうしなければ、会員は欺けても、仏教界の冷笑は已まないからです。もっとも、池田氏が漫荼羅を書けば、「新興宗教」のレッテル貼りの思う壺、となれば、わたしは日蓮真筆による以外道はなしと読みます。
結局のところ、日蓮を追い求めるとき、必ずや、日蓮真筆漫荼羅への思いは喚起するわけです。しかし、その漫荼羅は日蓮宗各寺院に格護されているわけです。その宝蔵寺院を「邪宗日蓮」と侮辱し、攻撃してきてしまった創価学会は、この漫荼羅に行き着く方途を自ら閉ざしてしまった。その閉ざしてしまったところからしか、着想、方向性を定められないところに、結局、創価学会が、「日蓮」に至れない大きな要因があるわけです。
文化芸術に興味を示す創価学会が、日蓮の筆という日蓮信仰者が追い求めて已まない宗教と芸術の昇華の精緻・日蓮真筆漫荼羅から、目を背けることでしか成り立っていないことは如何にも残念なことです。
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