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現代人が納得できる日蓮教学

447顕正居士:2005/12/07(水) 10:51:33
犀角独歩さん。ひさしぶりです。

寛師説が優れているのは本地上行説は外用浅近と断定したことです。それまでは上行本仏
のような考えがあった(菩薩本・仏迹)。しかし上行は等覚の菩薩。蓮祖は名字初心の菩薩。
そういう偉い菩薩の垂迹とかではなくて、久遠本因の釈尊そのままの再誕なんだというのは
素晴らしい宗教的解釈です(寛師の独創ではなく、要法寺の両巻血脈に根拠があります)。

天台学の通途は初住を仏としますが、日蓮聖人自身もその説を取らず、六即皆仏の説のほう
を取ります。但し日本天台で主流であった理即仏ではなく、名字即仏のほうをいいます。初住
ではなく、名字初心、つまり発菩提心の位を本因成仏とするのは、初住成仏は不退転の意味
ですから、本因成仏は途中退転することはあると考えれば不整合ではありません。おっしゃる
ように、本因妙の思想は日有などに顕著です。日寛の学説は前代の諸説を折衷し、四明天台
とも整合させることに成功しているかわりに本因妙の思想の発揮がありません。六大体大説
をいい、東寺密教と同じ理即成仏を取る辺があります。師の板曼荼羅重視は寺運興隆の方便
であっても、思想上、許容されたのかも知れません。時に祖書に文脈を無視した訓点を施すの
も師の特色です。この辺が日寛以後の大石寺教学に影響を残していても、その反動から稀有
の宗学者である日寛の優れた諸説までを低く評価するべきではないでしょう。なお六大体大、
理即成仏の説は祖書(総勘文抄)にあります。偽書ではないかも知れませんが、述作の年代
や目的*に疑問が生じます。*単に六大体大、理即成仏の説のサマリーであるかも知れない。


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