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現代人が納得できる日蓮教学

647犀角独歩:2006/04/26(水) 13:07:56

【644の訂正】

誤)できた場でしす。
正)できた場です。

―644からつづく―

そもそも、日蓮の教えと現代思潮をつなぐものなど、何一つありません。しかし、これら“アクセサリー”の飾りは、それを華美に見せかける効果は絶大であったのでしょう。それが先に挙げた創価学会にかかる出版の過多と経営を支えるものとなっていったのでしょう。これに警告を発したのが聖教新聞初代編集長であった石田次男氏でした。この警告は一定の意義を持ちはしましたが、しかし、彼の教学理解は、戸田氏を師匠と仰いだためにそこが蓋となってそれ以上、高みに上がることができなかった憾みがあります。石田氏の著述は今から見れば、お粗末なものですが、それでも、当時はそれなりの意義はあったと思えます。

結局のところ、石田氏の警告は、生かされることなく、今日に至っています。
文殊さんは、先に幾名かを挙げていましたが、現代思潮から日蓮を解読することほど、日蓮の実像から離れることはないと、ここ掲示板で警告を鳴らしてきたつもりです。しかし、時折、先の牧口氏以来の轍に知らず嵌った人々が、現代思潮を引っさげて、ここに漂着します。

執行海秀師は、当時の創価学会・戸田氏を見事に分析し、この現場における哲学の扱い方を「創価学会という名称の如きも、これに由来する…この価値論によって、学会に於ける教学上の学説なり、信仰なりを哲学的に根拠づけようと試みている…石山派数学の思想と、創価学会特有の価値論の思想との間に、何等の関係も見出すことは出来ないのであって、全く木に竹を繕いだような感がある」と慨嘆をもらしたうえで、また、金子弁浄師は、「哲学と宗教との区別を取除き、宗学(神学)という重要な分野が存在していることを無視しようとするなど、独断的な哲学観、宗教観を平気で記すことを許している…戸田氏が先生である牧口氏のように哲学についての勉強をしていない」と、哲学から仏教を見る過ちを正すと共に、さらに哲学の両輪の一輪である神学、敢えて仏教に当て嵌めれば宗学を無視した点を弾呵しているわけです。わたしは、この分析は実に秀でていると考えます。また、この創価学会の悪貨に実は逆に影響を受けたのが石山でした。

つまるところ、現富士門下の実情は、信行学という鼎立すべきものを解体し、それぞれ別の論を構えることによって生き残りを図るという醜い形相を呈しています。つまり、信とは彼の偽者4点セットであり、行は宗教法人の主要行事への参加で、学は現代思潮にそれを求めるという分離です。しかし、このような姿勢が正直な態度であるはずはなく、日蓮の精神に沿うものであるはずもありません。

脳内麻薬から脱却には苦痛は伴いますが、真実への道程とは、斯くあってしかるべきであると、わたしは敢えて苦悶を選択してきたものでした。四苦八苦を超えることは、快楽でこれから遁れることではなく、正面から向き合う以外に平安の方途はないというのが、元来の仏法の教えであるとも思うからです。

率直に申し上げて、文殊さんは、以上の轍に嵌っているように、お見受けするわけです。
また、影響を受けている人々も、その轍の前に敷かれた古い轍に嵌ったまま、次の轍をさらに深めた人々ばかりのように映じるわけです。

せっかくのご縁ですから、上記のわたしの愚案を少しでも斟酌していただければと存ずるしだいです。

> 広島・長崎の被爆の記憶も風化に、イラク戦争の劣化ウラン弾

この点については、他スレッドに、やや記していますので、ご高覧をいただければとも存じます。


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