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現代人が納得できる日蓮教学

249一字三礼:2005/10/06(木) 00:07:31

薬王品の焼身供養について

薬王品に説かれる、薬王菩薩の前身である一切衆生喜見菩薩の焼身供養の件は、法華経中でもっとも異質で不

可解なものである。
これは明らかに仏教外文化の影響あろうと推測される。

法華経で尊ばれる行為は、五種法師(+六度)、法華経崇拝などで、さほど奇抜なものではない。
しかし、薬王品では、焼身自殺を絶賛するのである。

菩薩が身を焼いた後に八十億恒河沙世界の諸仏が同時に、

 「善哉善哉、善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名く。若し華・香・瓔珞・

  焼香・抹香・塗香・天・・幡蓋及び海此岸の栴檀の香、是の如き等の種々の諸物を以て供養すとも、及ぶ

  こと能わざる所なり。仮使国城・妻子をもって布施すとも、亦及ばざる所なり。善男子、是れを第一の施

  と名く。諸の施の中に於て最尊最上なり、法を以て諸の如来を供養するが故にと。」

一切衆生喜見菩薩は、このように身を焼く行為により、「解一切衆生語言陀羅尼」と言いう法門を得たのであ

る。これら一連の記述は法華経の中では浮いている。

我身を焼く事に重要なものを得るという発想は、他のインド宗教文化にもある。
「マハーバーラタ」にある羅刹王の息子・ラーヴァナ(十の頭を持つ者)が自らの願いを叶える為に千年の修

行をし、頭を次々に切って火にくべる。その苦行を嘉し、世界の主・梵天はラーヴァナの望みを叶えてやると

いうものである。
しかし、この説話ではラーヴァナは火中にくべた頭を全て元に戻してもらっているし、焼身で死んでいるわけ

ではないので、この話はどちらかといえば一切衆生喜見菩薩が両肘を焼く話のほうに類似をみるかもしれない



では、焼け死ぬ事に意義を見出す、もしくは焼け死ぬことによって何かを得るという発想は何処にその淵源が

あるのかと言えば、私はギリシア教ではないかと思う。


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